2012年09月

2012年09月27日

A200


このまえ、ビデオで、
映画「NANA」を見ました。
マンガは、見たことがないので、
ふ〜〜〜ん、こんな感じか?と思って、
見ました。
なかなか、楽しめました。
大崎ナナ役(ボーカルの方)の中島美嘉も、
がんばっていたし、
ミーハーな女の子、小松奈々役の、
宮崎あおいも、なかなか、
おもしろかったと、思いました。

ナナ(ボーカルの方)の恋人役の男は、
あんまり、かっこいいとは、
思わなかったけど、まあ、いいか(・・・)

それは、ともかくとして、
ロックバンドのボーカルとして、
夢に向かって、立ち向かっている方のナナ、
大崎ナナの、肩のところには、
蓮(ハス)の花の刺青(いれずみ)が、してあった。
どうして、蓮(はす)の花かは、
わからないけれど、
そのナナの恋人の名前も、
『蓮(レン)』だ。
ナナの肩にきざまれた、イレズミも、
蓮(はす)の花ならば、
恋人の名前も、蓮の花、「蓮(レン)」
このへんに、
作者の、なにかしらの意図(いと)が、
あるのかも、しれない。

ナナの恋人の名前「蓮(レン)」
そして、ナナの肩のイレズミの、蓮(はす)の花、
この『蓮』は、
創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』の『蓮(れん)』でも、ある。

この南無妙法蓮華経の「蓮」は、
「蓮華(れんげ)」、
次の文字、華(げ)と、つながり、「蓮華」
やはり、蓮(はす)の華(花)、
という意味があると思う。

なぜ?蓮の花かというと、
蓮の花は、泥(どろ)の中からでも、
花を、咲(さ)かせる。
すなわち、人間に、たとえるならば、
どんな、泥のような生(お)い立ち、
つらく、暗い人生の中からでも、
素晴らしい花を、咲かせることができる!という、
象徴(しょうちょう)に、たとえられている。

この映画のナナも、
また、ナナの恋人、蓮(レン)も、
暗い、辛(つら)い過去を、もっているようだ。
けれど、どんな暗く辛い境遇(きょうぐう)に、いようとも、
精一杯、上を向いて、希望をつかみ、
自分らしい花を、咲かせていく!
そんな意味が、あるのだろうか?


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

『蓮』は、希望の象徴(しようちょう)であり、
必ず、幸せを、つかむんだ!という、
絶対に負けない勇気の象徴でもあると思う。
その、どんなことがあっても、
絶対に負けない、希望と勇気の象徴のように、
ナナは、描かれているのかも、
しれない。

また、蓮(はす)の花は、
花と実を、同時に、つける植物だそうです。
花は、負けない希望、勇気、
その希望と勇気の努力によって、
結実していく実が、
幸せという結果です。
原因と結果が、同時に、そなわっている花が、
蓮(はす)の花、『蓮』だということになる!

これは、
南無妙法蓮華経という法則(ほうそく)には、
南無妙法蓮華経という
リズム、音律(おんりつ)には、
原因と結果が、同時に、ふくまれている!
ことを、意味しています。
すなわち、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経を、となえたという、
『原因』によって、
同時に、必ず、『絶対に幸せになる!』という、
結果が、ふくまれてくる。

「南無妙法蓮華経を、となえる」という原因によって、
南無妙法蓮華経を、となえた時点で、
結果が、ふくまれているため、
『幸せ、勝利』という結果を、
必ず、生むことになる!

わかりづらいかもしれませんが、
原因と結果の花と実が、
同時に、ズレルことなく
開花し結実(けつじつ)していくとすると、
そのうちの一つ、
『南無妙法蓮華経を、となえる』という原因は、
『花が咲いた』ことを意味します。
『花が咲いた』と同時に、『実を結ぶ』んだから、
それは同時に、
自分の人生の中で、
『勝利と幸せの結果』が、
結実するわけです。

南無妙法蓮華経を信じて、
まぎれなく、真っ直ぐ(まっすぐ)に、
ズレルことなく進んでいけば、
実際にその通りの結果、
勝利、幸せを、つかめるということです!!


これが、
南無妙法蓮華経の不思議(ふしぎ)なる法則です。
理屈(りくつ)では、わからないと思いますが、
現実に、そうなります!
でなかったら、世界192ヶ国の、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえないだろうし、
結果が、でるから、
みんな、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
実践(じっせん)している!

また、南無妙法蓮華経が、
原因と結果の花と実を、
同時に開花させる法則だということは、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえて、
自分の夢に向かって、
努力を、していると、
『努力が、必ず、報(むく)われる!』
ということを、意味します!!

そのために、創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえているわけです。


まず、ともかく、
南無妙法蓮華経をとなえる。
そうすると、勝利と幸せの原因ができる。

そして、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
自分の心の中に、
「絶対に勝つんだ!」
「必ず幸せになってみせる!」
という揺(ゆ)るぎない確信が生まれる。

それは、自分の生命と心が、
幸せと勝利に、
一直線に結(むす)ばれることを意味します。

その結果、なぜだか、
幸せになるための、
最高の行動、最高の努力が、
できるようになっていく。

そうなれば、
当然の結果として、
勝利と幸せを、つかんでいける。


それが、南無妙法蓮華経をとなえて生きる、
道筋(みちすじ)だと思う。


だから、
極論(きょくろん)から言いと、
南無妙法蓮華経を、となえたということは、
その人が、人生を、勝利し、幸せを、つかんだ!!
のと、同じだと、
言い切っても、間違(まちが)いではない。
もちろん、長い人生の道のりのなかでは、
いろいろ、あるはずです。
けれど、南無妙法蓮華経を、となえた以上、
南無妙法蓮華経と創価学会を信じて、
生き抜(ぬ)いていくならば、
かならず、絶対に、幸せになる!!!
かならず、勝利の姿を、見せることができる!


それは、
どんな深い泥(どろ)の中からでも、
蓮(はす)が、花を咲かせ、
同時に実を結ぶように・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:39│映画 │

2012年09月23日

Af84_b


まえに、
スマトラ島沖地震と津波があったとき、
その後の被災地の人たちの生活を、
ドキュメンタリーで放映していたのを、
テレビで見たことがありました。

津波で親を失い、家も失った13才の少女が、
6才になる弟と二人きりになり、
被災後、親類たちが集まって、
なんとか建てた、ほったて小屋に、
親類の人たちと、
一緒に、暮(く)らしていた。

その13才の少女は、親もいないので、
親戚のおばさんに、迷惑(めいわく)もかけられないと思い、
6才の弟を、育てるために、
学校に行くのも、やめてしまった!
6才の弟を、ちゃんと、
育ててくれる人が、いるのなら、
ほんとうは、学校に行きたいけれど、
それも、今のところ、
無理なようだと、言っていた・・。

ボランティアで、地域の住民の
子供たちの世話をしている青年も、
その13才の少女の将来(しょうらい)を、
心配していました。

家も、お金も失(うしな)い、
ボロ小屋を、自分で立てて、
生活する人々。
その、つらく、悲惨(ひさん)な光景を見ていると、
ふと、昔、小説・新人間革命に、
描かれていた話しを、思い出しました。

新人間革命は、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
創価学会の現実にあった実話を、
忠実(ちゅうじつ)に書き記(しる)した歴史小説です。

当然、その中心に池田先生が登場するので、
池田先生の名前を「山本伸一」と変え、
あと、必要とあらば、他の登場人物も、
実際とは名前を変えたりしてはいますが、
まさに、創価学会が、何をやってきたのか、
どれだけ、世界の平和、
あるいはひとりの人間の幸せのために、
戦ってきたか、貢献(こうけん)してきたかを、
明確に、世界と歴史に残すために、
池田先生が、命がけで、書き続けている、
ドキュメンタリー小説です。

小説『新人間革命』の評価は、
創価学会員ではなくても、
世界で、高く認(みと)められています。


そのドキュメンタリー歴史小説である、
『新人間革命』のなかに、
昔、福岡市の博多港に突(つ)き出た、
埋(う)め立て地の一角にあった、
『ドカン』と呼ばれていた地域の話しが、
描かれていました。

この地域には、
大きなドカン(土管)が放置(ほうち)され、
戦災(せんさい)で家をなくした人や、職を失い、
流れてきた人などが、住み着くようになった。

そのうち、ドカンに替(か)わって、
木材やトタンを集めてきては、
掘っ立て(ほったて)小屋を、立てて、住み着くようになった。
戦後、数年後には、そんなポロ小屋で、
埋(う)め尽(つ)くされた。

治安も悪く、窃盗(せっとう)、喧嘩(けんか)、
は、日常茶飯事、流血事件も、絶(た)えなかった。
真昼間から、賭博(とばく)も行われ、
酒を密造している人もいた。
アルコール中毒、ヒロポン中毒に侵(おか)され、
禁断症状に苦しむ人も、よく見受けられた。
手配中の容疑者も、ここに逃げ込めば、
つかまらないとまで、言われた。

そんなドカン地域に、異変(いへん)が起こった。
創価学会に入会する人が、出てきたのだ。
ドカンという世から捨てられた地で、
病苦や借金苦に苦しみ、
いつ、自殺しようかと考えているような人たちが、
創価学会に入り、
ご本尊(ほんぞん)に南無妙法蓮華経を、となえはじめた。

気力も生きる希望も失っていた彼らは、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえる中で、
気力が、生きる希望が、
湧(わ)き上がってくるのを、感じた。
ますます、真剣に、
南無妙法蓮華経を、となえ、
創価学会の活動にも、真剣に参加していった。

その中で、
病気の苦しみが、少しずつ、なくなり、
いつのまにか、病苦は、消え去(さ)っていた人もいた。
また、とても、返せないと思っていた借金を、
返すことができた人もいた。
ドカン地域のみんなが、
生きる希望に、歓喜(かんき)した。

その歓喜の渦(うず)は、
どんどん、ひろがり、
最終的には、ドカン地域の四百数十世帯が、
創価学会に、入ったという。
住民登録をしない人も多く、世帯数は不明ですが、
ドカン地域の半数以上が、
創価学会の信心を、したようです。

創価学会員の増加とともに、
ドカン地域の児童の就学率も、
次第に上昇(じょうしょう)していった。
また、警察も驚嘆(きょうたん)するほど、
犯罪の数が、減(へ)っていった。

創価学会の南無妙法蓮華経の信仰は、
闇(やみ)のなかを生きてきた人々の心に、
希望の光を、そそぎ、
生きる勇気を、もたらした。


池田先生が、新人間革命の中で、言っている。

『創価学会の最大の偉業(いぎょう)は、
 苦悩する民衆のなかに、分け入り、
 現実に、そうした一人ひとりを、
 蘇生(そせい)させたことにある!』

と。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

真実の信仰は、
苦難が大きければ大きいほど、光るものだ。
苦しみが、大きい時ほど、光るものだ。
辛(つら)く、悲しみが、
大きい時ほど、輝(かがや)くものだ。

真実の信仰というものは、
どんな苦難も苦しみも悲しみも、
乗り越(こ)えていく力(ちから)が、あるからだ!

現実に苦しんでいる人に、
なぐさめなんか、きかない!
気休めの、安らぎなんて、
なんにも、ならない!
ところが、ほとんどの人が、
宗教とは、そういうものだと思っている。
単なる一事的な、なぐさめ、
一時的な、安らぎ、
それが、宗教だと、思い込(こ)んでいる。

けれど、現実に苦しんでいる人にとって、
そんなことは、「くそくらえ!!」なんだ!
現実の苦しみを解決し、
現実に希望を、もたらし、
現実に夢を、かなえていける宗教!
それでなかったら、
何の意味もない!!

そして、現実に、苦しみや苦難(くなん)を、解決し、
現実に、人々の心に希望を、もたらし、
現実に、夢を実現する力(ちから)となり、
人々に、幸せを、もたらしてきたのが、
創価学会であり、
創価学会の信仰している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


それは、
ドカン地域のような、
最も過酷(かこく)な条件におていも、
証明され、
それが真実である証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヶ国に広がり、
また、状況は違(ちが)っても、ドカン地域と同じように、
世界の各地の創価学会員が、
幸せと勝利の証明を、今も続けている・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 10:41│ │

2012年09月19日

Af86_b


日蓮大聖人の御書(ごしょ)に、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
 論文や手紙を、すべて、集めたものです)

『美人が、化粧(けしょう)をするように、
 ご本尊(ほんぞん)に、祈っていきなさい!』

という内容の御書が、あります。

ちなみに、ご本尊とは、
創価学会が、南無妙法蓮華経を、となえ、
祈る対象(たいしょう)として、信じている本尊で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、
全民衆を幸せにするために、したため、残された、
文字で描かれた曼荼羅(まんだら)です。

何をあらわしているかと、いうと、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものです。
また、人間の生命そのものを、
あらわしたものでもあります。

わかりやすく言えば、
「あなたの生命」であり「ぼくの生命」であり、
その、いまここにある『自分の生命』そのものを、
あらわしたものが、ご本尊です。

そして、重要なことは、
最初に、ご本尊は、仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしていると言いましたが、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にある!と、いうことです。

そのことを、あらわしているのが、
ご本尊(ほんぞん)です。


その「ご本尊」への祈り方について、
日蓮大聖人は、

『美人が、化粧(けしょう)をするように、
 祈っていきなさい!』

と、言っています。


化粧(けしょう)というのは、鏡(かがみ)を見て、
するものです。
鏡を見て、自分にパタパタと、
化粧をする。
これが、もし、自分に化粧をするのではなく、
鏡(かがみ)に化粧をしたとしたら、
どうだろうか?
鏡には、色彩(しきさい)豊かな色が、
彩(いろど)られるだろうが、
いくら、鏡に色を付けたところで、
自分の顔は、きれいには、なっていかない!

それはそうです。
自分に化粧しないで、
鏡に化粧をしているのだから・・・。

だから、人は、
鏡ではなく、『自分』に化粧をする。

・・これが、
創価学会が実践(じっせん)している、
仏法(ぶっぽう)の基本だと、いうのです。


普通、宗教というと、
祈る対象、神様だとか仏様だとか、
祈りを、ささげる対象を、ひたすら飾(かざ)り立て、
あがめたて、偉大(いだい)たらしめようと、する。
ようするに、自分ではなく、
祈る対象、『鏡(かがみ)』に、
一生懸命、化粧を、しているわけです。
それが、世間一般的に考えられている宗教。

けれど、いくら祈ったところで、
自分は、いっこうに、キレイには、
なっていかない。
当然です。
自分ではなく、祈る対象という『鏡』に、
化粧をしているのだから!
だから、自分が幸せになることは、
まったく、なく、
かえって、おすがりする宗教というのは、
それ自体、人を奴隷化(どれいか)し、また、
教義(きょうぎ)自体が、間違った、
デタラメな宗教なので、
祈る対象に化粧を、すればするほど、
祈れば祈るほど、
当然、デタラメな間違(まちが)った結果として、
自分が、
どんどん、不幸になっていく!

これが、間違った宗教の害毒(がいどく)です。

そのような間違った宗教が、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、
観光宗教だと、言えます。


ところが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法は、違(ちが)う。

「自分に化粧(けしょう)を、していく!」

日蓮大聖人が残された、ご本尊(ほんぞん)は、
自分の生命を、映(うつ)し出す鏡だと、
言われています。
しかも、最高の自分が、映し出される鏡!
強くて、あったかくて、やさしくて、
なにものにも負けない、
愛に満(み)ちた、最高に素晴らしい自分、
その最高の自分を、映し出す鏡、
それが、ご本尊です。

その、ご本尊という鏡を見て、
ご本尊という鏡に、化粧をするのではなく、
自分自身に、化粧をしていく!
すなわち、自分の中から、幸せになっていく。
自分の内面から、化粧していく!
自分の中から、魅力的(みりょくてき)な、
強い強い自分を、引き出していく!

それが、創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


普通、宗教というのは、
教祖(きょうそ)様が、奇跡を起こしたりする。
教祖様が、なにか、スゴイことを起こして、
信者を、助けたり、救ったりする。
それが、一般的に考えられてる宗教です。

ところが、創価学会が実践している、
日蓮大聖人の仏法では、
教祖は、一切、そういう奇跡(きせき)を、
おこさない!
宗教を、セールスに、たとえるならば、
セールストークが、まったくない!のが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

では、それなのに、
なぜ、創価学会が、世界192ヶ国にまで、
広められているのか?

それは、教祖や教団から、
お金をもらったり、薬を、出してもらったり、
何かを、ほどこしてもらうのでは、なく、
自分の中から、
幸せになる力(ちから)を、引き出していけるからです!
自分の中から、あきらめないで、
乗り越(こ)えていく力を、引き出していけるからです!

その自分の中から、
湧(わ)き上がってきた力によって
勝利をつかみ、
幸せになっていける!!

それが、
『美人が、化粧をするように、
 ご本尊に、祈っていきなさい!』
ということだと思います。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

日蓮大聖人は、別の御書で、

『この、ご本尊を、
 自分の外(そと)に求めてはいけない!
 ご本尊は、自分の中に、
 存在しているんです。』

と、言っています。

ご本尊は、仏(ほとけ)の生命、
言い換(か)えれば、
人間として、最も尊(とうと)い、最も素晴らしい生命、
その最高に素晴らしい生命を、
ご本尊は、あらわしています。
そして、その最高に素晴らしい生命は、
自分の中にある!

その最高に素晴らしい自分を、
引き出していくための、装置(そうち)が、
『ご本尊という鏡(かがみ)』であり、
そして、その最高に素晴らしい自分を、
引き出していくための、
スイッチであり、電源であり、エネルギーが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと言えます。

だから、
ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる時、
たとえ、病気や借金、人間関係、生活苦など、
さまざまな困難(こんなん)に、直面していたとしても、
あるいは、自分の夢を実現したい時も、
ご本尊に、真剣に南無妙法蓮華経を、
となえることによって、
自分の中から、乗り越える力、夢を、かなえる力、
強い強い生命力を、引き出して、
自分で、困難を乗り越え、夢を、かなえ、
幸せになっていける!

美人が化粧をして、もっと美人になるように、
どんな悩みも乗り越え、
輝(かがや)きを増し、
幸せの力、勝利の力を、
湧(わ)き上がらせていく!


もっともっと、
どこまでも、どこまでも・・!!!


それが、
「ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえる」
ということであり、
世界192ヶ国の創価学会員が、
幸せをつかみ、確信している、
南無妙法蓮華経の仏法です・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:38│幸せ │

2012年09月15日

A55_o


まえにも話しましたが、
創価学会には、座談会(ざだんかい)という
会合があります。
いつも、いろいろ学んだり、
励み(はげみ)になったりして、
勇気や希望をもらって、帰ってきます。

座談会とは、地域の創価学会員が、
人生を、勝利し、幸せになっていくために、
月に一度、集まって、いろいろ話したり、
催(もよお)し物を行ったり、仏法(ぶっぽう)を学んだりする、
日々を、勇気と希望を持って、
生活し、挑戦していくための、
毎月のリズムとなっている、
創価学会の原点(げんてん)と言いる会合です。

その座談会の中で、幹部の人が、
話してくれたんですが、
精神科医の大学の教授がいて、
その教授が、創価学会の座談会の良い点について、
話してくれたそうです。

それは、

『創価学会の座談会の、いちばん良いところは、
 みんなが、自分にとって、いちばん大変なこと、
 大変な悩みや苦境(くきょう)、病気などのことを、
 平気で、話すところだ!』

と、言っていたそうです。


普通は、自分にとって、いちばん大変なこと、
病気やら借金やら、
さまざまな苦境(くきょう)については、
なかなか、人には、話さないものです。

ところが、創価学会の人は、違(ちが)う。
座談会とかで、
「ガンに、なっちゃいましたーー!」とか、
笑いながら、話したりする。
(少し、大げさな言い方かもしれない)

なぜ、そういう、自分にとって、
大変なことを、平気で話せるのか?というと、
それは、創価学会が実践(じっせん)している、
この仏法で、
南無妙法蓮華経の仏法で、
『必ず、乗り越(こ)えられる!』という確信が、
あるからです!
必ず、乗り越えられるし、
乗り越える方法を、知っているから、
どんな大変なことでも、
おおらかに、大きな気持ちで、
人に話すことが、できる!!

ここが、創価学会のスゴイところです。

創価学会に入ったからといって、
自分に何も、大変なことが、
起こらなくなるということは、ありません。

日蓮大聖人の御書には、
(御書とは、日蓮大聖人が、書かれた、
 論文や手紙を、すべて、集めたものです)
この南無妙法蓮華経の信仰をやったら、
なにも起こらなくなるとは、
1行も、書いてない。
それは、創価学会員でなくても、
すべての人間にとっても、
同じことです。

人生だもの、大変なことは、あるだろう!

けれど、問題は、
この南無妙法蓮華経の仏法を実践すると、
その人生における大変なことを、
『必ず、乗り越えられる!!』ということです。

仏法(ぶっぽう)では、
宇宙は、慈悲(じひ)で、できていると、
説きます。
どういうことかと、いうと、
究極的には、宇宙の現象は、すべて、
慈悲(じひ)を、ともなったものであり、
無慈悲では、ないということです。
無慈悲では、ないとは、
簡単にいうと、
残酷(ざんこく)ではない!ということです。

だとしたら、
自分に、さまざまな困難(こんなん)が、
襲(おそ)いかかってきたとしても、
それは、無慈悲ではなく、慈悲であるがゆえに、
必ず、乗り越えられる!
ということです。

宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
乗り越えらない困難は、
決して、自分には、降(ふ)りかかってこない!
乗り越えられるから、
自分に、降りかかってくる!
そして、その困難を、乗り越えた時、
宇宙そのものが、慈悲であるがゆえに、
困難を、乗り越える前よりも、
さらに、大きな幸せを、つかむことができる!

これが、宇宙そのものが、
慈悲(じひ)だ、ということだと思います。

ところが、人間は、
さまざまな間違った思想や、考え、
間違った宗教などによって、
生命が、ねじ曲(ま)がってしまい、
宇宙の慈悲の力(ちから)を、
発揮(はっき)できなくなってしまっている。

だから、さまざまな困難に打ちひしがれ、
敗北していったり、
病気に負けていったり、
あるいは、自殺してしまったりする。

それが、人間の生命のゆがみです。
この人間の生命の、ゆがみが、
不幸の原因だと言っても、
間違(まちが)いでは、ないと思います。

その人間の生命のゆがみを、取り除(のぞ)き、
「宇宙の慈悲」を、
人間の生命に、とりもどし、
すべての人間を、
幸せにする方法を、解明(かいめい)したのが、
日蓮大聖人であり、
その法則(ほうそく)が、南無妙法蓮華経です。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

宇宙が、慈悲(じひ)だとしたら、
南無妙法蓮華経は、
その宇宙の慈悲そのものを、表現しています。
宇宙の慈悲のリズム、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)、
それが、南無妙法蓮華経だと思います。

だから、
ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経が、
宇宙の慈悲のリズムであるがゆえに、
自分の生命のなかに、
宇宙の慈悲のリズムが、復活(ふっかつ)し、
いままで、宇宙の慈悲(リズム)と、
ギアが噛(か)み合っていなかった
自分の生命が、
宇宙の慈悲(リズム)と、がっちりと、
ギアが噛(か)み合うようになり、
その結果として、宇宙の慈悲の力(ちから)を、
自分の生命から、発揮できるようになってくる。
そして、自分の生命の中から、
宇宙の慈悲の現象(げんしょう)が、あらわれてくる!

南無妙法蓮華経を、となえると、
南無妙法蓮華経が、
『宇宙の慈悲そのもの!』であるがゆえに、
自分の生命も、慈悲(じひ)になってゆく!

だから、どんな困難も、乗り越(こ)えられ、
どんな悩みも、解決してゆき、
幸せになっていける!
勝利していける!

それが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法だと思う。
だから、
精神科医の教授が、話してくれたように、
創価学会の座談会では、
どんな困難な状況であろうとも、
笑いが、絶(た)えない。
希望に満(み)ちている。


それは、あたかも、
そこが、
幸せの楽園であるかのように・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 12:12│悩み │

2012年09月10日

A1400


まえに、テレビで、
自爆(じばく)テロを繰(く)り返す、
過激教団の聖地に、
自爆テロによって命を捨てた人たちの写真が、
聖者のように、神々のように、
飾(かざ)られているのを、
見たことがあります。

自爆テロによって命を捨てた人たちは、
その過激(かげき)教団からしたら、
確かに聖者なのだろう・・・。

けれど、これは、
どう考えても、おかしいし、
常人(じょうにん)の認められるところでは、ないだろう・・。

大切な大切な生命。
その大切な生命を、自爆テロによって、
多くの生命を殺し、
自分の生命までも、殺してしまう!!

こんなひどいことが、あって良いわけがない。
家族を亡くした遺族が、
家族の死を、悼(いた)み、弔(とむら)いたい気持ちは、
十分にわかりますが、
過激教団の聖地に、
自爆テロで命を落とした人たちの写真を、
神々のように、飾(かざ)ることには、
大きな恐怖(きょうふ)と危険性を、
感じないわけにはいかない。


けれど、それと・・・、
似たようなところが、日本にもある・・・。


それは、靖国神社です!。
靖国神社には、戦争によって、
命を落とした人たちの写真が、
自爆テロを繰り返す過激教団のように、
飾られているそうです。
しかも、それらの戦争によって命を落とした人たちを、
『神』と、あがめている!!!

ここに、大きな恐怖と危険性(きけんせい)を、
感じないだろうか?

いくら、それは違(ちが)う!と言ったところで、
戦争で人を殺し、自分も命を落とすのと、
自爆テロで、人々を殺し、自分も死ぬのと、
どう?違いがあるというのだろうか???

そこには、違いはない!!!
その強烈な危険性と異常(いじょう)さを、
鋭(するど)く、
見抜(みぬ)かなければならないと思う。

けれど、そのことに気づかず、
異常な鈍感(どんかん)さを持って、
靖国神社に参拝(さんぱい)する人々が、
あまりにも、多いことか・・・・・!!!

ここに、深刻(しんこく)な、
もっとも深い、
大きな問題があると思う。


その問題とは、何だろうか???


それは、宗教に対する、認識の甘(あま)さ、
認識(にんしき)の無さ、あるいは、
宗教とは、どういうものであるか?ということが、
わかっていない、
『無知(むち)な宗教観』にあると思う。

これは、私の信念だと、
ある人は、言うかもしれない。
確かに、信念は、自分ひとりの問題です。
自分の中にある。
ところが、宗教は、それだけではない。
宗教には、必ず、『祈る対象(たいしょう)』がある。
『祈る対象』がなかったら、
宗教は、なりたたないからです。

祈る対象があるということは、
完全なる個人としての信念とは、
様相(ようそう)を、異(こと)にする。
どういうことかというと、
祈る対象に、必ず、影響(えいきょう)を受ける!
ということです。
だから、宗教と言える。

ここに、宗教のもつ、大きな問題と、
可能性がある。
何に対して、祈るのか?
何に、手を合わせるのか?
これによって、宗教の正邪(せいじゃ)、
人間を幸せに導(みちび)くものか、そうでないものなのか、
決定的な分かれ目となっていく。

信念だけで、解決するほど、
宗教は、甘くない!
必ず、祈る対象がある。
人間が生命である以上、
手を合わせ、祈るということは、
その祈る対象に、
生命は、必ず影響を受ける。
それが、宗教です。

靖国参拝の問題に、もどると、
靖国神社には、
人間魚雷とか、
片道だけの燃料を積(つ)んで、
戦地に向かった飛行機とか、
戦争で死んでいた人たちの、
さまざまな遺品(いひん)も、展示されているようです。

それらのものは、
軍国日本の、悲しい、悲惨(ひさん)な歴史を、
とどめるという点では、
貴重な価値(かち)が、あるとは、思う。

けれど、やはり、
ふに落ちないのは、
戦争で死んでいった人たちを、
『神』と、仰(あお)いでいる点です!

戦争で、亡くなった人たちを、
家族や親族が、悼み(いたみ)、
たたえたい気持ちは、とても、わかるけれど、
それを、神として、
祭(まつ)り上げるのは、間違っていると思う。

死んだら、神になるのか?
死んだら、仏になるのか?
とんでもない!
たとえ、死んだとしても、
その生命は、その死んだ時の、
心の状態、その人の境涯(きょうがい)、
その人の生命状態は、まったく変わらず、
そのまま、残(のこ)っていく。

軍国日本に、
だまされ、大切な若い命を奪(うば)われ、
死んでいった人たちの、
その「悲しみ、苦しみ、怒り、絶望」
は、はかりしれない!
その生命を、神というのならば、
神は、「怒りや、絶望、悲しみや、苦しみ」に、
覆(おお)いつくされた、
苦しみそのもの姿を、現(あら)わすはずです。

それを、神というのなら、
神は、すべての人から希望を奪(うば)い、
苦しめ、悲しませる、
『暗黒の苦しみ』そのものと、なってしまう。

さきほども、話しましたが、
宗教には、かならず、
祈る対象がある。
祈る対象が、なんであるか?によって、
その宗教の、正邪が、きまってくる!
しかも、宗教というのは、
生命の上では、きわめて、科学的に、
必ず、結果を、ともなう。

ある対象に、祈りを捧(ささ)げたら、
その祈った対象と、同じ結果を、
自分の生命に、受けてしまう。
それが、宗教というものです。

すなわち、祈る対象が、
間違(まちが)った、悪しき、マイナスの対象であった場合、
自分の生命も、自分の人生も、
祈った対象と、まったく同じ、
間違った、悪(あ)しき、マイナスの結果が、
必ず、出てきてしまう。

祈っている対象が、化け物や悪魔のような、
存在であった場合、
自分の生命や人生も、
悪魔や化け物に、とらわれたかのような、
悪しき、不幸という結果が、
必ず、出てきてしまう!
それが、宗教です!

日本人は、そういうことに、
あまりにも、無頓着(むとんちゃく)だけれども、
日本の観光宗教にしろ、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)、神社信仰にしろ、
一般的な理屈から考えても、
あるいは、仏法哲学(ぷっぽうてつがく)を、
ひもといてみても、
それらが、間違った宗教であることは、
明確に、わかりきっている。

すなわち、そういうものに、
祈りを、捧(ささ)げていると、
そのマイナスの悪影響を、受けてしまい、
自分の人生や生命が、
さまざまな不幸に、陥って(おちいって)
しまうと、いうことです。

靖国神社に、スポットをあてれば、
靖国神社には、東条英機を、はじめとする、
軍国日本の主導者も、
まつられている。
しかも、その人たちを、
『神』と、あがめている。
それを、神と言うのなら、
日本中に、死の苦しみを、味(あじ)あわせ、
世界、アジアの民に、
多くの苦しみと、悲惨(ひさん)を、
巻(ま)き起こすものが、
『神』と、なってしまう!

それらに、祈りを、捧(ささ)げるとしたら、
それは、
『私は、日本中、世界中に、
最大の悲惨(ひさん)と苦しみ、死の悲しみを、
必ず、味あわせてみせます!!』
と、誓(ちか)いを、立てているのと、
同じになってしまう。

きびしいようだけれど、
それが、宗教というものです。
それだけ、恐(こわ)くて、
生命に与える影響が、多大なのが、
本当は、宗教です。

もうひとつ、重要なことは、
たとえ、どんなに善意(ぜんい)で、祈ったとしても、
たとえ、どんな美しい信念で、祈ったとしても、
祈る対象が、間違っていれば、
必ず、間違った影響を受けてしまい、
自分の意思とは、違った間違った方向、
すなわち、不幸という現象(げんしょう)を、
なんらかの形で、かならず、起こしてしまう!
ということです。

この法則(ほうそく)に逆(さか)らえる人は、
ひとりも、いません!

だから、本当は、
靖国神社に、こころからの善意と真心で、
祈りを、ささげたとしても、
それは、戦争でなくなられた人々を、
成仏(じょうぶつ)せさる行為とはならず、
逆に、地獄に落とす行為(こうい)となってしまい、
また、祈ってる自分自身も、
不幸へと、引きずり込(こ)まれてしまうと、
いうことです。

「ひどいことを言う!!!」
と言うかもしれませんが、
本当のことを言わないほうが、
もっとヒドイので、
言わせていただきたいと思います。

また、逆に、
「なに、言っているんだ!
 そんなの、関係ないよ!!」
と、笑っている人も、いるかもしれませんが、
絶対に、この法則に逆らえるものでは、
ありません!
結局、最後は、
「どうして、自分が!!」という結果が、
もたらされたとしても、
いたしかたありません・・・。

それが、人間の生命というものです。
それが、宗教というものです。
だから、宗教は、
厳密(げんみつ)に見ていかなければならない!

やはり、いちばんのネックは、
自分が、やっている行為が、
どういうことかも、わからない、
宗教に対する、あまりにもの、
認識の無さ、浅(あさ)はかさ!!
宗教に対する、
あまりにも愚(おろ)かな、
無知(むち)さ加減(かげん)!
その『宗教に対する無知』が、
人間の不幸の、すべての根源(こんげん)には、
あると思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

家族や親族が、
戦没者を、悼み(いたみ)、
大切にしたい気持ちは、
すごく、良く、わかる!

問題は、
戦没者(せんぼつしゃ)の生命を、
本当に、成仏させ、
安らがせ、幸せにしていける、
宗教が、必要だ!ということです。

そして、
それが、ほんとうに、できるのが、
創価学会が、実践(じっせん)している、
日蓮大聖人の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)なんです。

なぜならば、
戦争で亡(な)くなった人たちの生命が、
いちばん、安らぎ、幸せになるのは、
自分の家族や親族が、
だれよりも、幸せになることです。
だれよりも、幸せに、生きることです。

家族や、親族が、
だれよりも、幸せになっていく。
その幸せが、戦没者にも、
伝(つた)わり、戦没者は、安らぎ、
幸せになり、成仏していける。

だから、亡(な)くなった人たちを、
本当に成仏(幸せに)させてくれる宗教は、
今、生きている人間を、
最高に、最大限に、幸せにすることが、
できる宗教でなければ、ならない!

それが、現実の上で、
必ず、できる宗教が、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

だから、
この南無妙法蓮華経の仏法は、
戦没者を、最高最大に、敬(うやま)い、
大切にし、成仏させ、幸せにしてける、
しかも、世界の平和と個人の幸せを、両立できる、
真の宗教だと、いうことが、できる。

また、世界に広がる創価学会を見ていると、
実際に、その通りになっています・・・・・!!!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:28│テレビ │

2012年09月02日

A164_o


先日、
「最終兵器彼女」というアニメを、
見た話しを、したんだけれど、
ともかく、日本のアニメというのは、
よく、人が死ぬ。
おまけに、暴力(ぼうりょく)シーンが多い。
日本では、子供でも、大人でも、
アニメというジャンルが、確立(かくりつ)しているから、
いいけど、
日本のようなアニメというジャンルが、
確立していない国では、
日本のアニメには、
抵抗(ていこう)がある人たちも多いようだ。

どこの国だか、忘れたけど、
ある国で、日本のアニメを、放映したそうです。
そしたら、あまりに、
暴力シーンが多いということで、
子供の親から、苦情が殺到(さっとう)して、
大変、困ったそうです。

そこで、その国の放送局の人が、
なにか良いアニメは、ないか?と、
目を付けたのが、
池田SGI会長(池田創価学会インターナショナル会長)が、
原作したアニメだそうです。
池田先生(SGI会長)が原作のアニメは、
その国で、大変、好評(こうひょう)で、
親たちからも、感謝の声が、
殺到(さっとう)したそうです。

なぜかというと、
日本のようにアニメというジャンルが、
確立してない国では、
やはり、アニメに、
子供の情緒(じょうちょ)教育、子供の育成、成長にとって、
より良い影響を、あたえるもの、
子供に、勇気や希望、やさしさや愛情といった、
生きていくうえで、大切なもの、
好(この)ましいものを、学んでほしいという、
気持ちが、強いようです。

ところが、日本の一般的なアニメには、
それが、ない。(見えずらい。)
ちゃんと見れば、いろいろ学ぶことは、
たくさん、あると思うんだけれど、
やはり、海外の親から見たら、
ないに等しいように、見えるんだと思う。

だから、困(こま)るのですが、
それとは、反対に、
池田先生が、原作したアニメには、
親が、子供に学んでほしいことが、
すべて、つまっている!
親から見ても、また、子供から見ても、
こんな素晴(すば)らしいアニメは、
ないわけで、
親にも子供にも
大変な反響(はんきょう)を、呼んだのも、
うなずけます。

ぼくも、その話しを聞いて、
池田先生が、原作したアニメを、見てみましたが、
確かに、いい!本当に良い!
『このアニメは、本当に子供に、見てほしい!』
と、思いました。

池田先生が、原作したアニメは、
なぜ、そんなに、いいかというと、
ぼくは、詳(くわ)しくありませんが、
そこには、有名な声優も、出ていなければ、
有名な漫画家の魅力的なキャラクターも、ありません。
別に、お金もうけのために作られた、
売らんがためのアニメではないので、
当然、日本のアニメ業界の原則(げんそく)から言うと、
魅力的(みりょくてき)なものは、なに一つ、
ないかもしれません・・。

けれど、にもかかわらず、
子供に、幸せになってほしい!
子供に、勇気を、持ってほしい!
子供に、やさしさと、人を思いやれる、
人間に、そだってほしい!
未来の宝である子供たちに、
なんとしても、成長してほしい!
負けないでほしい!という、真心(まごころ)が、
ありありと、にじみ出るように、
溢(あふ)れ出ているからです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ただ、ひたすら、
子供の幸せだけを、考えて、
作られたアニメ!

日本のように、アニメが、
商業メディアとして、大きなシェアを、
占(し)めている国の、
儲(もう)けるためのアニメ、
売るためのアニメの世界とは、
当然、違いますが、
けれど、そこには、
あったかい世界が、
存在していると思います。

魅力的なキャラクターも、
魅力的な声優も、
まったく、出ていないにもかかわらず、
(詳しくないので、わかりませんが・・)
見終わった後、
『なんて、いいアニメだろう!!』という、
感慨(かんがい)が、すがすがしく、
溢(あふ)れ出てきます。
晴れ晴れとした、勝利感すら、
感じます。

そこには、池田先生が、
生命の根底まで、思索(しさく)しつくした、
生命哲学(てつがく)が、あり、
本当の幸せとは、何か!
本当の勝利者とは、どんな人なのか!
本当に幸せな生き方とは、どういう生き方なのか!
子供にも、わかるように、
ただ、子供の幸せだけのために、
子供に対する、祈るような深い愛情と、
かぎりなく大きな、
信頼と期待、希望が、純粋(じゅんすい)すぎるくらいに、
込(こ)められているからです。

外国の親たちが、絶賛(ぜっさん)し、
感謝を寄(よ)せて、当然かもしれない。

調べたところ、池田SGI会長が、原作した、
アニメは、かなり、たくさん、出ています。

なんと表現していいか、わかりませんが、
池田SGI会長が、原作した、
アニメを見た人は、
「世界には、こんなに、やさしく、
こんなに、愛情深く、
こんなにも、子供たちのことを、
考えている人間が、いるんだ!」と思うような、
なんだか、うれしくなるような、
あったかく、やさしい気持ちになるような、
そんな感情を、
心のどこかで、感じるかもしれません。

それは、そのまま、
創価学会が、めざしているものであり、
創価学会員が、めざしている世界観であり、
それを可能にする、生命哲学が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であることは、
いうまでもない。

そして、その思想と哲学(てつがく)は、
世界192ヶ国の創価学会員の中で、実践(じっせん)され、
現実に、192ヶ国の創価学会員に、
幸せと勝利を、もたらしている・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 14:19│アニメ │