2012年12月

2012年12月31日

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ごうごうと遥(はる)かな虚空(こくう)で、

風が、鳴(な)っている。

風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

地球の生き物は、すべて風と共振して、

自(みずか)らの音を、出している。

私は、かつて、風の歌を歌っていた。

気流の鳴(な)る音、

それは、地球の響(ひび)きだ。

私は、それを知っている。

いつだったか思い出せないくらい昔、

私は、とてもたくさんの人たちのために、

風の歌を歌っていたような気がする。

繰(く)り返し、繰り返し、

この歌を歌うのが、

私の仕事だったような気がする。

風が吹くのは、

風が大地を、鎮(しず)めているからだ。

風こそが世界を鎮(しず)めているのだ。

風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

風は、雲を生み、

そして、雨を降(ふ)らせる。

風と水が、世界を精妙(せいみょう)に震(ふる)わせる。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。

ああ、思い出した。

そうだった。

風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

それが、この世の祈りだからだ。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


これは、田口ランディという人の、
『コンセント』という小説の中にある、
一節(いっせつ)です。

この「コンセント」という小説は、
ある精神病院に入っている、
分裂症(ぶんれつしょう)の少年のエピソードを、もとに、
描かれているようです。

ふだんは、まるで人形のように、
微動(びどう)だにしない少年。
魂(たましい)の抜(ぬ)けたように、
何も見ていない虚(うつ)ろな目、
枯(か)れ木の穴のような目、
少年の手には、いつも、
細いヒモ(コンセント)が、握(にぎ)られて、
だらんと床に、垂(た)れている。

そして、看護士が、
少年の持っているコンセントに、
電源を入れた時だけ、
少年は、突然、反応(はんのう)し、周囲を見回し、
のろのろと、生きることを、
始める。
(実話では、ありません)

このエピソードから、
『コンセント』という小説は、
いわゆる、精神的に、
イッてしまっている人間、
精神分裂的な、思考、
もっと変なことを言うと、
有体離脱(ゆうたいりだつ)のような、
肉体を離(はな)れてしまった精神みたいなことを、
題材に、描かれているようです。
(作者でないので、本当のことは、わかりません)

だから、最初にあげた、
魅力的(みりょくてき)な一節も、
イッてしまった人間の、
精神分裂的な思考を、表現しているのかも、
しれない。


けれど、ぼくは、
別のものを、感じました。

それは、『宇宙を感じること!』です。
宇宙旅行に、行ったことのある人でもなければ、
そんなものは、なかなか、
感じることは、できないかもしれない。

けれど、上に上げた文章は、
それを、すごく、良く、
表現していると思う。

『風の歌は、世界と共振(きょうしん)しているのだ。

 地球の生き物は、すべて風と共振して、

 自(みずか)らの音を、出している。』

とは、すべての生命の
息吹(いぶく)、波動(はどう)を、
意味するように、思われる。

『私は、かつて、風の歌を歌っていた。

 気流の鳴(な)る音、

 それは、地球の響(ひび)きだ。

 私は、それを知っている。』

とは、人間の生命の持っている、根源的なもの、
自分の生命の、本源的な、営(いとな)み、
はるか昔、何億兆年という昔から、
存在する、本来の自分という、
生命の、営(いとな)みを、
表現しているように、思われる。

『いつだったか思い出せないくらい昔、

 私は、とてもたくさんの人たちのために、

 風の歌を歌っていたような気がする。

 繰(く)り返し、繰り返し、

 この歌を歌うのが、

 私の仕事だったような気がする。』

とは、本来、自分は、何をするために、
生まれてきたのか?
自分の存在(そんざい)する意味とは、何なのか?
自分の持っている、
本源的(ほんげんてき)な『使命』とは、
なんなのか?
ほんとうは、はるかかなたの昔から、
大切な大切な、使命(しめい)があって、
生まれてきた。
そして、その使命を、果(は)たすために、
今、自分は、ここに、生きててる!!

・・・・・・・この文章は、
そんなことを、
伝えたいのでは、なかろうか?

『風は世界を、めぐり、

すべてのものの震(ふる)えを運ぶ。

震(ふる)えこそが、命の源(みなもと)なのだ。』

とある。

震(ふる)え、振動、リズム、
宇宙には、本源的なリズムが、ある!
ということでは、ないだろうか?

そして、

『ああ、思い出した。

 そうだった。

 風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、

 それが、この世の祈りだからだ。』

とは、宇宙の本源的なリズムは、
『祈り』そのもの、
すなわち、宇宙のリズムは、
『宇宙を、世界を、あらゆる生命を、
幸福にしたい!!』という、
「願いそのもの!」だと、
言いたいのでは、なかろうか?

宇宙は、慈悲(じひ)に、満(み)ちている!
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満(み)ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!!

それが、宇宙のリズムであり、
宇宙の慈悲(じひ)なんだと、思う。


その・・・、
本源的な・・・、
宇宙のリズム・・・!
宇宙の振動・・・!
宇宙の慈悲(じひ)そのものが、
実は、
創価学会の人たちが、日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』のリズムです。


南無妙法蓮華経の振動(しんどう)は、
宇宙のリズムそのものであり、
宇宙の慈悲そのものの、リズムです。

あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜(かんき)の生命に、
変えていきたい!!
それが、南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経の慈悲(じひ)だと思う。

だから、宇宙の慈悲そのものである、
南無妙法蓮華経を、
自(みずか)ら、となえる時、
自分の生命の中から、
慈悲のリズムが、発動(はつどう)する!


『あらゆるものを、幸福にしたい!
 あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
 無くしたい!
 そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
 変えていきたい!!』


というリズムが、
自らの生命から、動き出す・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ぼくたちが、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
その南無妙法蓮華経という、宇宙のリズムが、
バイブレーションとなって、
自(みずか)らの生命を、震(ふる)わせる!

それは、すなわち・・、
南無妙法蓮華経が、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!
という慈悲(じひ)のリズムそのものだから、
そのバイブレーションの働きによって、
自(みずか)らの生命も、
あらゆるものを、幸福にしたい!
あらゆる生命から、苦しみと、悲しみを、
無くしたい!
そして、喜びに満ちた、歓喜の生命に、
変えていきたい!という、
同じリズム、同じ振動(しんどう)を、
みずからの生命に刻(きざ)み、
そのことによって、
本来の働きと使命を、思い出し、
その使命を果(は)たすために、
自分の生命が、自然のうちに、
動き出し、その使命を、果たそうとします。

自分の生命が、
本来の使命を果たそうとしていった時、
なぜだか、自分のなかの、
苦しみや、悲しみが、取り除(のぞ)かれ、
悩みが解決してゆき、
願いを、かなえていける、
夢や希望を、つかんでいける自分へと、
変わっていく。

そして、その、
幸福のバイブレーションは、
まわりの人々、世界にも、
波動(はどう)を広げ、影響を与(あた)え、
人々を、世界を、幸せにしていく結果へと、
つながっていく!


それが、
南無妙法蓮華経のリズムであり、
南無妙法蓮華経というバイブレーションだと思う。


だから、
創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
どんな困難(こんなん)や悩みも、乗り越(こ)えることができ、
さまざまな願いも、成就(じょうじゅ)でき、
その幸せのリズムとバイブレーションによって、
世界を、人々を、幸せにしていくことが、
できるようになっていくんだ!と思う。


南無妙法蓮華経は、
宇宙と、人間を結(むす)ぶ、
『コンセント』なのかもしれない。

だから、創価学会の人たちが、
南無妙法蓮華経を、となえるとき、
宇宙と人間の生命を、つなぐコンセントが、
つながり、
自分が、本来、持っている、
本当の使命、本当の生きがいを、
はたすために、行動することが、
できるようになってくる。

それは、南無妙法蓮華経という、
宇宙の慈悲(じひ)のバイブレーションを、
感じながら、生きることになり、
現実に、最高の歓喜と、最高の幸せを、
その人に、もたらす。


幸せと勝利のリズムの中で、生きる・・!


それが、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる、生き方であり、
創価学会の中で、生きる、
生き方だと、思う・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 12:36│ │

2012年12月24日

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このまえ、
会社の年配(ねんぱい)の方が、
休日になると、
やることがなくて、
『何を、やろうか?』
迷(まよ)ってしまう!
と、言っていた。

人の生き方は、いろいろ、ある!
やることが、ありすぎて、
困(こま)ってしまう人も、いるかもしれない。
充実(じゅうじつ)している人も、いるかもしれない。
けれど、一般的に考えて、
『時間を、どう、使うか?』
というより、
『時間を、どう、つぶすか?』
という観点(かんてん)から、考え、
生きている人が、多いことも、
現実だと、思う。

『時間を、つぶす!』
ここには、価値(かち)はない!
「生きる価値」という概念(がいねん)すら、
ないかもしれない・・・。
ただ、単に、自分に何らかの快楽を、
味(あじ)あわせるために、
行動しているとも、言えます。

もちろん、
人間は、自分を楽しませ、遊ぶために、
生きているといっても、いいので、
それは、重要かもしれない。

けれど、どうしても!
『時間を、つぶす!』ために、
生きているという感じを、
ぬぐえないのは、どうしてだろうか?
一般的に考えて、
どんなに高尚(こうしょう)な趣味を持とうとも、
人々は、どうしても、
時間を、つぶすために、生きているという、
無価値の感覚を、ぬぐいさることが、
できない・・・。


それは、なぜなのだろう?


それは、『生きる本当の価値』を、
知らないからではないだろうか?
生きる価値!あるいは、価値のある生き方!
それが、わからないし、
わかろうとも、していない。

だから、一般的な人々の生き方には、
どうしても、空(むな)しさが、ある。
自分は、今まで、何のために、生きてきたのか?
その決定的な答えを、出せないまま、
ほとんどの人間が、生き、
そして、死んでいくのかもしれない・・。


それとは、正反対なのが、
創価学会員の生き方です!
創価学会員は、根源(こんげん)から、
『生きる価値』を、知ってる。
もっと、言うと、
『生きる価値』を、自分の生命すべてで、
感じ、味わい、表現している!
それが、創価学会員の生き方です。

なぜ、それが、できるかというと、
創価学会員が、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
知っているからです。
南無妙法蓮華経とは、
宇宙の価値そのものだからです。

すべてに価値を、生み出す法則(ほうそく)!
それが、南無妙法蓮華経です。
すなわち、生命に、根源的な価値を生み出し、
人間の生命すべてを、真実の価値に、
目覚(めざ)めさせ、自覚させ、
自分の生命と人生のすべてを、使って、
本当の価値を、味わい、楽しみ、
無限に開花させていく!

それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

だから、創価学会の人たちは、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分自身の本当の価値に、目覚(めざ)めていく。
そして、自分の中の価値が目覚めたならば、
自然に、自分の生命すべてで、
最高の価値を、表現できるようになってくる!

さらに、自分の生命は、
世界と、直結(ちょっけつ)し、
自分の生命そのものが、
自分の生きること、そのものが、
人々のために、世界のために、人類のために、
本当に、役に立つ最高の存在に、変わっていく!

不思議(ふしぎ)だけれど、
実際、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
本当に、そうなっていく!!
すごいとしか、言えませんが、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
あらゆる人が、価値を自覚し、
満喫(まんきつ)しながら、
最高に価値のある、素晴らしい人生を、
生きることが、できるようになっていく!!

時間を、つぶすのではなく、
価値を、つくれるようになっていく!
もっと言うと、生きること、そのものが、
価値創造(かちそうぞう)となって、
開花していく!

こんなに、楽しいことはない!!
だから、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生命が、歓喜(かんき)してきて、
高揚(こうよう)してくる!!

この喜びは、はかりしれない。

だから、創価学会の人たちは、
根本から、考え方が違(ちが)うと言える。
創価学会の人は、
日々、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
自分の中に、最高の価値を、自覚し、
価値を、自分で、感じているので、
「時間を、いかに、つぶすか?」ではなく、
考えることは、
『もともと価値ある時間を、
どうしたら、もっと価値を高めて、
効果的(こうかてき)に、使っていけるか?』
と、これ以上ない、前向きな、
楽観的(らっかんてき)な姿勢で、とらえ、
考えていく!

この姿勢(しせい)は、スゴイと思う!
しかも、その素晴らしく楽観的な前向きな考え方を、
特別な教養もないような婦人や、おばあちゃん、
あるいは、学歴も、なにもないような、
名も無い庶民たちが、
みんな、当然のように、実践(じっせん)している!

こんなに、すごくて、偉大(いだい)で、
素晴らしいところは、
ほかでは、絶対にないと思う!!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

創価学会の人は、
もう、すでに、自分の人生に、
最高の価値が、あることを、知っている。
また、価値を、生み出す方法も、知っている!
だから、かぎられた時間を、
さらに、もっと価値ある時間にしようとして、
全力を出して、生きている!

その充実感と、喜びと歓喜と幸せは、
計(はか)り知れず、はっきり言えば、
創価学会の人の生き方を、知らない人に比(くら)べると、
失礼ですが、
数十倍、数百倍、レベルが、上だと思う。
すなわち、それだけ、
充実感も、歓喜も、幸せも、大きい!!

それが、価値と共に、
生きる、生き方だと思う。

そして、それが、できるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)であり、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
と、いうことだと思う。

わかりやすく例(たと)えて言うと、
時間を、つぶす生き方が
南無妙法蓮華経を、
となえないで生きる生き方だとすれば、
価値を、最高最大に作り、
価値を無限に開花させていく生き方が、
南無妙法蓮華経を、となえる、
生き方だと、言える!!

南無妙法蓮華経を、となえると、となえないでは、
生命の充実感と、自分の人生に、
それだけ、大きな、
決定的な差(さ)が、出てきてしまう。

それが、生命の法則である、
『南無妙法蓮華経』であり、
それを、実践しているのが、
創価学会です・・・・・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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