2013年02月

2013年02月21日

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近年、世界で、
紀元前6、7世紀から、
21世紀にいたるまでの、
名だたる偉人たちの名言(めいげん)を集めた、
人間の権利(けんり)に関する書物が、
出版されているそうです。

その書物の中に、
『権力の限界の章(しょう)』という項目があります。

その中で、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の言葉が、
引用されているそうです。
それは、こうです。

『王地(おうち)に生まれたれば、
 身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
 心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

その国に生まれた以上、
身は、その国の権力に、
したがえらているようだけれど、
心までは、したがえることは、できない!!

という意味です。

これは、当時、日蓮大聖人が、
鎌倉幕府の最高権力者であった、
平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)に、
呼び出され、対峙(たいじ)したときに、
日蓮大聖人が、言った言葉です。

当時、日蓮大聖人は、
権力と結託(けったく)した、
民衆を奴隷(どれい)にするような宗教に、
真っ向から、対決し、
民衆を、真に自立させ、
民衆に、真に幸せを、もたらす、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)を、
広めていた。

そのため、権力の崩壊(ほうかい)を恐れる、
エセ宗教家たちが、
権力者と結託(けったく)して、
日蓮大聖人を、亡(な)き者にしようと、
命に及(およ)ぶ、
さまざまな迫害(はくがい)を、加えてきた。

そして、日蓮大聖人は、
無実の罪で、佐渡の地に流罪(るざい)された。

けれど、日蓮大聖人の予言(よげん)したとおりに、
「北条時輔(ほうじょうときすけ)の乱」
という内乱が、起こり、
これも、日蓮大聖人の予言どおり、
蒙古(もうこ)が、襲来(しゅうらい)して、
海外から、日本は、攻(せ)められた。

日蓮大聖人の予言が、見事に的中したため、
時の権力者、平左衛門尉は、
恐(こわ)くなって、
流罪の地、佐渡から、
日蓮大聖人を、鎌倉に、連れ戻(もど)し、
日蓮大聖人は、平左衛門尉と、
対面することになる。

その時に、日蓮大聖人が、
言い放(はな)った言葉が、
上にあげた、

『王地(おうち)に生まれたれば、
 身をば随(したが)えられ たてまつるやうなりとも、
 心をば、随(したが)えられ たてまつるべからず!』

です。

烈々(れつれつ)たる気迫(きはく)が、
心に伝(つた)わってくるような言葉です。
スゴイと思う。

まさに、人間としての、
真骨頂(しんこっちょう)を、感じる。

すなわち、これが、
権力の限界だということだと思う。



権力には、限界(げんかい)がある・・・。

それは、人間が、
権力では抑(おさ)えることのできない、
とてつもない『何か』を、
持っている!!
ことを意味します。

人間には、
権力を、はるかに超えた力が、ある!

その力(ちから)が、日蓮大聖人の生命には、
脈々(みゃくみゃく)と、みなぎり、
あふれんばかりに、
湧(わ)き上がっていた!

それは、日蓮大聖人だけでなく、
すべての人間に共通のものであり、
共通の欲求(よっきゅう)であり、
すべての人が欲(ほっ)し、望んでいる、
抑えることのできない、
人間としての誇(ほこ)りであり、
生命の欲求だと思う。


だから、言うことができる。

「権力を超えた、生命の力は、
 ぼくたち、すべての人間の中に、
 脈(みゃく)打っている!」

・・と。


問題は、
その、権力を超えた、生命の力とは、
何か?
ということです。


実は、その、
権力をも超(こ)えた、最強の生命、
どんな圧力(あつりょく)をも、乗り越えることができる、
最強にして最高の生命のことを、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
と、言うんです。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

この『南無妙法蓮華経』の生命は、
すべての人間の中にある。

それは、すべての人が、
権力をも超えた最強の生命を、
持っている!ということです。

だから、ぼくたち、創価学会の人々が、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
自分の中から、
どんな困難(こんなん)、どんな圧力にも屈(くっ)しない、
その、最強の生命が、ドクンドクンと、
脈を打って、
湧(わ)き上がってくる!

それは、人間が、最も恐れる、
『不幸』という運命の力(ちから)さえも、
みごとに、打ち破り、
すなわち、『幸せ』という、
勝利の姿を、現実に、
示(しめ)すことになっていく!


それが、
権力(けんりょく)をも、
運命をも超えた、
最強の生命の力だと思う。


ここに、創価学会の素晴らしさ、
また、南無妙法蓮華経を、となえて生きる、
素晴らしさが、あり、
創価学会の人々が、
どんな困難、
どんな不幸にも屈(くっ)せず、
幸せを勝ち取っていける理由がある。


すなわち、
南無妙法蓮華経は、
南無妙法蓮華経を、となえることは、
宿命(しゅくめい)を
転換(てんかん)する力となり、
悩みを克服(こくふく)する力となり、
夢や希望をかなえていく力(ちから)となって、
世界中の創価学会の人々に、
勝利と、幸せを、
もたらしている・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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2013年02月12日

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近年、本を読まない人が、
増えているようで、
1ヶ月に読んだ本が、
ゼロ冊だったという高校生は、
5割を超えているそうです。

文字というものは、
不思議な力(ちから)が、あって、
活字を読まない人は、
想像力(そうぞうりょく)が、育たないそうです。

テレビなどの映像メディアにばかり、
頼(たよ)っていると、
主体性や創造的な精神が、奪(うば)われて、
既成(きせい)の概念(がいねん)や権威・権力に、
とらわれやすくなり、
他者への想像力が失(うしな)われていくそうです。


確かに、文字というものは、
不思議(ふしぎ)だ。
創価学会の第二代会長の、
戸田城聖先生が、
若いころ、学習塾をやっていて、
大変、独創的(どくそうてき)な授業だったそうです。

子供たちに、
「これから、犬を出してあげよう!」
と言い、子供たちは、喜ぶ。
そうすると、戸田先生は、
黒板に、「犬」という文字を書く。
子供たちは、
「なーーんだ!文字か!」
と言って、がっかりする。

でも、犬という文字は、
確かに、「いぬ」なんです。
ここに、文字のもつ不思議な力、
文字の概念(がいねん)があり、
子供たちに、文字の概念を、
身(み)につけさせていく。

「犬」という文字から、
一人一人が、思い浮(う)かべる犬は、
それぞれ、違っている。
けれど、そのだれが創造(そうぞう)した犬も、
間違えでは無い。
すべての人が、自分の中で、
自分だけの犬の概念を、
創造しながら、心の中で、
描(えが)いている。
また、たった「犬」という、
一文字だけなのに、その中に、
膨大(ぼうだい)な量の情報と、
思い出、想像力を、
発揮(はっき)できる人も、いるだろう!

それが、文字のもつ、可能性です。

文字は、人間に、
固定観念(こていかんねん)を、与えるのではなく、
その人の中の、その人だけの、
無限の想像力を、かきたて、
無限の知恵となって、
その人を、はぐくんでいく。

それが、文字だと思う。


それで、思い出したのが、
創価学会員が、毎日、
南無妙法蓮華経を、となえて、
祈っている、『ご本尊(ほんぞん)』です。

創価学会が、祈っている「ご本尊」は、
すべて、文字で、描(えが)かれている。
真ん中に、『南無妙法蓮華経』と、
仏(ほとけ)の根源的な生命の、
象徴(しょうちょう)の名前が、書かれている。
この『南無妙法蓮華経』とは、
宇宙の法則(ほうそく)でもあり、
生命の法則でもある。

真ん中に書かれた『南無妙法蓮華経』の回りには、
人間の生命のさまざまな性質、特性、
人間の生命の中にある、心の働きと力(ちから)、
あるいは、可能性と影響力(えいきょうりょく)が、
すべて文字で書かれ、みごとに表現されている。

だから、ご本尊は、
生命の縮図(しゅくず)であり、
宇宙の縮図だとも言える。
また、自分の中の無限の可能性を表現したものが、
『ご本尊(ほんぞん)』だとも言えます。

もし、これが、
仏像(ぶつぞう)や絵であったら、
仏(ほとけ)の生命は、
ひとつの、固定された形になってしまい、
そこから、想像力や知恵、あるいは、
人間の中にある無限のエネルギーを、
発揮することは、不可能となってしまう。

いわゆる、そうなったら、
ひとつの、ありきたりの仏様(ほとけさま)ということになり、
「ありがたやー、ありがたやー」
という、単なる、仏を崇拝(すうはい)するだけの、
おすがり信仰になってしまう。


ところが、『ご本尊(ほんぞん)』は、ちがう!

ご本尊に、書き描(えが)かれている文字は、
仏の生命そのものを、表現していますが、
それは、そのまま、
『自分自身』の生命を、表現しています。

どういうことかというと、
仏の生命は、同時に自分の生命でもある!
ということです。

仏の生命という光り輝(かがや)く、
最高の幸せをつかむことのできる生命は、
どこか遠くにあるのではなく、
今、ここに!、
自分の中にある!ということです。

いわば、ご本尊は、
どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えて、
幸せをつかむことのできる、
最高の自分自身を表現したものだと、言えます。

最も強く、偉大で、やさしくて、
最高に魅力(みりょく)があって、絶対に負けない・・。
それが「仏(ほとけ)の生命」だと表現できますが、

その・・、「仏の生命」が・・、
自分の中にあるから、
どんな悩みも解決でき、
どんな困難(こんなん)も乗り越え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていけると、
いうことです。

ご本尊は、
無限の自分自身、
最高の自分自身を
具現化(ぐげんか)したものだとも、
言えます。


文字の話しに戻(もど)ると、
ただ「犬」という一文字だけでも、
その文字から、人々は、
無限の想像力を発揮でき、
一人一人が、違(ちが)う個性ある「犬」を、
創造(そうぞう)でき、思い描くことが、できる!

これが、『ご本尊』という、
最高の自分を、表現しきった文字だったら、
どうだろうか?・・・・

「犬」という文字から、
さまざまな想像力やストーリーを、
創造し展開(てんかい)できるように、
「仏(ほとけ)の生命」「最高の自分自身の生命」を、
表現しきった『ご本尊』から、
自分だけの、自分らしい、
最高に素晴らしい自分を、創造し、
無限の知恵と、無限の勇気、
無限の希望を、創造しながら、
自分自身を、どこまでも、
際限(さいげん)なく、開花していける!

それが、『ご本尊』です。


そして重要なことは、
ぼくたちが、ご本尊に、
『南無妙法蓮華経を、となえる』
ということです。

ご本尊の中心に、描かれているのも、
『南無妙法蓮華経』ですが、
この南無妙法蓮華経という宇宙の法則には、
自分の中の無限の可能性を、
現実に、開花していく、
大きな大きな力(ちから)とエネルギーが、
あるということです。

だから、ぼくたちが、
『ご本尊』を見て、南無妙法蓮華経を、
となえるとき、
『ご本尊の無限の可能性』が、
すなわち『南無妙法蓮華経』の、
無限の可能性、無限の希望、無限の夢、
無限の知恵、無限の幸せが、
『犬』というたった一文字からも、
無限の想像(そうぞう)が湧(わ)き上がるように、
南無妙法蓮華経をとなえる、その人の中から、
創造され、
開花していくんです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ご本尊の文字は、
ただの文字ではなくて、
無限の希望、
無限の勇気、
無限の知恵、
無限の幸せ、
無限の勝利を、
あらわしている。

だから、そのご本尊を見て、
ぼくたちは、
自分の中から、
無限の希望、
無限の勇気、
無限の知恵、
無限の幸せ、
無限の勝利を、
創造(そうぞう)していく。

そして、それを、
たんなる空想や想像(そうぞう)ではなく、
現実の形にするために、
南無妙法蓮華経を、となえる!。

南無妙法蓮華経には、
自分の中にある、
希望と勇気、知恵と幸せ、
そして、勝利を、
現実のものとしていく『力(ちから)』が、
ある!ということです。

だから、
『ご本尊』という
想像力の宝庫(ほうこ)のような本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえると、
自分の中の、無限の力(ちから)と知恵、
無限の希望とエネルギーが、
現実に発動(はつどう)して、開花し、
現実のなかで、夢を、かなえ、
幸せになっていくことが、できる!!


『ご本尊』と、『南無妙法蓮華経』は、
幸せをつかんでいくための、
完璧(かんぺき)なシステムだと言えるかもしれない。
そして、そのシステムには、
一点の狂(くる)いもなく、
一点の無駄(むだ)も、ない。

だから、創価学会の人たちは、
真面目に、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえて、
信仰を、していくことによって、
必ず、だれでも、
自分らしく、幸せになっていけるわけです。


これは、理屈(りくつ)ではなく、
現実の結果として、そうなります。


だから、創価学会は、
世界192ヶ国に広がり、
夢や希望をかなえて、
勝利と幸せを、もたらしている。


犬という、たった一文字から、
人々が、膨大(ぼうだい)な量の
創造力を発揮できるように、
ご本尊から、人々は、
無限の希望と勇気、
無限の知恵と幸せを創造し、
そして、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
現実に勝利と幸せを、
勝ち取っている。


その人の、
その人でしかできない、
自分だけの最高の幸せの形を創造し、
開花し続けている・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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2013年02月05日

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まえに、テレビで、
食事を、写真に撮(と)って、
ブログにするのが、はやっている!
という特集を、見たことがありました。

食事をブログにのせるのは、
今では、あたりまえかもしれませんが、
その当時・・、
「虐待(ぎゃくたい)弁当、キャラ弁」のブログが、
人気だという話しでした。
今ではブログ名も、少し変わったみたいですが、
やっぱり、スゴイ!お弁当を、
作っているようです。

最近では、他にも、
いろいろなキャラ弁のブログがあるようです。

ぼくも、何度か、見たことありますが、
スゴイと思う・・・。
よくも、まあ、毎日、
これだけの弁当を、作れるものだ!と、
感心しました。

その虐待(ぎゃくたい)弁当を、作っている、
おかあさんが、
テレビに、出演してくれて、
言っていた。

「お弁当作りって、ほんと、
 だれも、認(みと)めてくれないし、
 励(はげ)ましてくれない!
 地味(じみ)で、ほんと、辛(つら)い作業なんです。
 だから、だれでもいいから、
 自分を、励(はげ)ましてほしい!
 だれでもいいから、
 一人でも、いいから、
 自分を、励ましてくれれば、
 それが、大きなエネルギーになる!」

そう言っていた・・・・・。

確かに、そうかもしれない。
家事というのは、なかなか、
人は、認めてくれない!
また、励(はげ)ましてくれない!
けれど、ほんとうは、なかなか、辛い!
だから、本当は、
励ましを、心の底から、欲(ほっ)している!

それが、人間の本当の心情かも、しれない。

これは、家事だけでなく、
生きている人間、
すべてに、あてはまることだと思う。

すべての人間が、励ましを、欲している。
そのたった一つの励ましが、
その人を、救っていくことも、
あると思う。
それくらい、人は、本当は、
励ましに、飢(う)えている!!


前に聞いた話しだけど、
ある一流のホテルで食事をした人が、
そのホテルのウェーター(給仕)の、
手際(てぎわ)の良さに、感心して、
「あなたは、素晴らしいウェーターですね!
 あなたのように、素晴らしいウェーターを、
 私は、見たことが無い!」
と、ほめたそうです!

そしたら、そのウェーターが、
感極(かんきわ)まって、
ボロボロと涙を、流して言ったそうです。
「私は、25年間、給仕をやって、
 こんな素晴らしいことを、言われたのは、
 初めてです!
 今日は、本当に、ありがとうございました!」
と。

これは、大げさなことではなく、
この給仕(ウェーター)の
心からの本心なんだと思う。


人は、励ましを心から欲している!
自分の存在(そんざい)を、心から認めてくれて、
心から励ましてくれる人を、
たった一人でもいいから、
心から、欲(ほっ)している!
そのために、生きているといっても、
過言(かごん)ではないと、思う。

創価学会が、なぜ?
これだけ、発展してきたか?というと、
創価学会が、一人の人間を、
ほかのだれよりも、『励ましてきた!』
からだと、思う。
他のどんな世界の人間よりも、
一人の人間の価値(かち)を、最大限に認め、
最大限に、励ましてきた。

だから、創価学会は、
発展し続けている!
一人の人間にスポットを当(あ)てるならば、
創価学会インターナショナル会長である、
池田先生が、
まるで、激励(げきれい)マシーンのように、
自分のことを、なげうって、
名も無い庶民、名も無い民衆たちを、
心の底から尊敬し、励まし続けてきた!
その池田先生の励ましの激闘(げきとう)が、
今、192ヶ国に広がる、
『世界の創価学会』になったんだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

もう一つ、重要(じゅうよう)なことがある!
創価学会の励ましは、それだけではない!
励ましは、人が、自分に与(あた)えるものだ!
だから、人からの励ましを、
絶(た)えず、いつでも受けるということは、
不可能です。

ところが、創価学会には、
『ご本尊(ほんぞん)』がある!
『南無妙法蓮華経』が、ある!
人に励ましてもらわなくても、
創価学会員は、
「ご本尊」に「南無妙法蓮華経」を、
となえることによって、
自分で、自分を励ますことが、
できるからです!


ご本尊は、自分を映す鏡(かがみ)だという。
しかも、その鏡は、
最も素晴らしく、最も魅力的で、
最も強くて偉大な、
最高の自分を、映(うつ)す鏡です。

普通、人は、
自分に、さまざまなダメージを受けた時、
励ましてくれる人が、いない場合、
自分で自分を、励ますしかない。

「おまえは、素晴らしいよ!
 おまえは、立派(りっぱ)だよ!
 おまえは、よく、やったよ!」
と。

けれど、そこには、やはり、
限界(げんかい)がある!
現実の中で、生活していると、
今まで生きてきた、
さまざまなダメージが、積(つ)み重なって、
自分を、そこまで、立派で、
そこまで、素晴らしく、偉大(いだい)だとは、
どうしても、思えないからです!
だから、自分を心から、励ませない。

ここに、人間のギャップと限界がある!

けれど、『ご本尊(ほんぞん)』には、
限界は、ない!!!
いつでも、最高に素晴らしく、
最高に魅力的で、最高に強くて、
偉大な自分自身を、映(うつ)す鏡(かがみ)として、
どんな時でも、変わらず、
存在し続けてくれる!!

その『ご本尊』があれば、
いつでも、最高に偉大で、
最高に素晴らしい自分を、
『ご本尊』という、最高の自分が映る鏡を、
見ることによって、思い出し、
いつでも、自分を、
最大限に、励ますことが、できるからです!
こんなスゴイことは、
ほかでは、絶対にない!!

その自分の中にある、
最も強く、魅力的で、
無限の可能性と力(ちから)を
持った偉大な生命のことを、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう』
と、言うんですが、
その最も偉大な生命である、
『南無妙法蓮華経』という命は、
すべての人間の中に、存在しています。

実は、ご本尊は、

「自分の中に、
最高に強く、最高に魅力的で、
無限の可能性と力(ちから)を
持った偉大な生命があるんだよ!」

「その無限の可能性を持った、
偉大(いだい)な生命のことを、
『南無妙法蓮華経』と言うんだよ!」

「そして、その『南無妙法蓮華経』という、
すばらしい生命は、すべての人の中にあるんだよ!」

「だから、自分の中にある、
強くて、魅力的(みりょくてき)で、
無限の可能性と力をもった、
その『南無妙法蓮華経』という生命を、
自分の中から、引(ひ)き出していくんだよ!!」

ということを伝えるために、あります。

そのために、ご本尊は、
存在していると、
言えます。

だから、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経を、となえる時、
最高に素晴らしく、
最高に魅力的で、最高に強くて
偉大な自分自身の鏡である、
『ご本尊』を見て、
本来の、最高の自分を思い出し、
同時に、
『南無妙法蓮華経を、となえる』ことによって、
南無妙法蓮華経という偉大な生命は、
もともと、自分に備(そな)わっているので、
その自分の中にある、
強く魅力的な、無限の可能性と力(ちから)を持った、
『南無妙法蓮華経』という生命が、
自分で、南無妙法蓮華経を、となえることによって、
共鳴(きょうめい)して引き出され、
その、自分の中にある、
最高に素晴らしく、
最高に魅力的で、最高に強くて
偉大な生命が、
現実に、
湧(わ)き上がってくることに、なります。

すなわち、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
本来(ほんらい)、自分が持っている、
無限の可能性と力(ちから)が、
引き出され、
その結果、悩みを解決できたり、
困難(こんなん)を克服(こくふく)できたり、
さまざまな夢や希望を、
かなえていけるようにもなっていくんです。

それは、

「自分の中には、スゴイ!力(ちから)があるんだ!」
「自分は、本当に強いんだ!!
 絶対に、負けない!!
 負けるわけがない!!
 自分の中には、南無妙法蓮華経という、
 最強の生命が、あるんだ!
 よし!絶対に勝ってみせる!!
 必ず、勝つんだ!!!」

という、強力な歓喜(かんき)と、
生命力となってあらわれ、
その人の生命を、蘇生(そせい)させ、
輝(かがや)かせ、
そのエネルギーは、
最強最大の励ましとなって、
自分自身を、励ましてくれる結果となります。


だから、創価学会員は、負けない!
強い!!
いつでも、自分を自分で、励ます方法を、
知っているからです!
どんな時でも、自分で、
南無妙法蓮華経を、となえれば、
自分の中から、最強最大の、偉大な生命が、
湧(わ)き上がってくることを、
知っているからです!

だから、世間から、
どんなダメージを受けたとしても、
それを、跳(は)ね返し、
堂々(どうどう)と、幸せを、勝ち取っていくことが、
できる!!

それは、そのまま、
自分に、最高の励ましを受けて、
生きる、生き方となり、
また、自分の存在に、最高の価値を、
感じて生きる、生き方ともなります。


それが、現実に、できるのが、
創価学会の生き方であり、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる、
生き方でも、あります。


ズコイと思う。
素晴らしいと、思う。
偉大だと、思う・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:04│こころ │