2014年01月

2014年01月23日

AC0900


松下幸之助といえば、
知らない人は、いないほどの大実業家です。

極貧(ごくひん)の環境から一代にして巨大企業、
「松下電気」を、築(きず)き上げ、
(今の、パナソニックです。)
「経営の神様」と称(しょう)され、
経済界に多くの影響を与えつづけた人物です。

けれど、その松下幸之助が、
創価学会(そうかがっかい)のインターナショナル会長である、
池田大作先生を、心の底から尊敬し、
心酔(しんすい)していたことは、
あまり、知られていないようです。

松下幸之助は、池田先生よりも、
20歳も、年上でしたが、
池田先生を、求めて、
創価学会本部や、聖教新聞社に、
おもむいたり、
また、ハワイで行われた、
創価学会インターナショナルの総会などにも、
老齢を押して、
池田先生を、求めるために、
参加している。

松下幸之助は、言っていた。

「この乱(みだ)れた日本を救い、
世界の平和と繁栄(はんえい)を築いていく人は、
池田先生の外に、ありません!」


あるとき、
松下幸之助は、
自分の茶室に、池田先生を、招(まね)くことにした。

松下幸之助は、
「池田先生に、この廊下(ろうか)を通っていただき、
 この景色を、見てもらう。
 ここに、飾(かざ)りを置き、ここには、花を、
 そして、ここを、通って、ここに向かう・・・」
と、ひとつひとつ、きめ細かく、
部下たちに、指導してまわった。

松下幸之助は、普通は、
そういうことを、しないのだけれど、
池田先生だから、そこまで、気を使った。

松下幸之助は、言った。
「接待と接遇(せつぐう)は、違うのだ!
 大切な人には、
 最大限の気配(きくば)りと誠意を、
 つくすのだ!!」

と。

池田先生は、
松下幸之助にとって、
それほど、大切な人だった。

あるとき、
松下幸之助が、池田先生を求めて、
創価学会の会館に行ったとき、
松下幸之助は、具合が悪くて、
倒(たお)れてしまった。

まわりにいた人たちは、
驚(おどろ)き、心配したが、
池田先生が、
松下幸之助の背中を、さすりながら、
10分くらい、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえ続けたところ、
松下幸之助は、意識を回復し、
元気を、取り戻(もど)した。

そのとき、
松下幸之助は、池田先生に言った。

「ありがとうございます。
 先生は、わたしの恩人(おんじん)だから、
 これからは、池田先生のことを、
 『おとうさん』と、呼ばせてください!」

松下幸之助は、池田先生よりも、
20才も年上だから、
池田先生は、当然、
それを、断(ことわ)ったけれど、
松下幸之助は、なかなか、がんとして、
きかない!
2、30分、池田先生と、
問答になり、
結局、池田先生も、松下幸之助も、
どちらも、おたがいに、
『おとうさん』と呼び合うことで、
話しが、ついたそうです。(笑・・・)


松下幸之助が、
老齢を、押して、
ハワイの創価学会インターナショナルの総会に、
行ったとき、
松下幸之助は、
池田先生に、言った。

「先生!
 日本は、池田先生のことを、
 あまりにも、知らなすぎる!!!!」

それは、松下幸之助が、
池田先生を、求め、尊敬し、愛する、
心からの叫(さけ)びだと、思う。

そして、それは、
その通りだと思う。


『日本人は、
 池田先生のことを、
 あまりにも、知らなすぎる!!』


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

一流は、一流を知る。

松下幸之助を、一流だと、
認(みと)めない人は、いないだろう。
一流どころか、みんな、
超一流だと、すべての人が、
認めるだろう。

その超一流である、
松下幸之助が、心から、
尊敬し、心酔(しんすい)した人物である、
池田先生は、
超一流の中の、超一流だと、
言えると思う。

池田先生には、
そういう、超一流の文化人、
政治家、科学者、芸術家、学者の友人が、
世界に、たくさん、たくさん、いる。
そして、その超一流の人物たちも、
池田先生に対する思いは、
松下幸之助と、変わらないと思う。


それが、
池田大作という人間です。


松下幸之助の話しに戻ると、
松下幸之助が、
政治家の育成を、するための、
有名な「松下政経塾(まつしたせいけいじゅく)」を、
創設(そうせつ)しようとしていた時、
松下幸之助は、
池田先生に、お願いを、した。

「池田先生!
 松下政経塾の総長(そうちょう)になってください!」

池田先生は、
丁重(ていちょう)に、断ったけれど、
それを思うと、
松下政経塾出身の議員が、
票、欲(ほ)しさに、
創価学会を、非難してばかりいるのは、
まったくの、お門違い(おかどちがい)の、
松下幸之助の心を知らない、
「おろかもの!」と言えるかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:24│世界 │

2014年01月16日

A20700


創価学会(そうかがっかい)二代会長である、
戸田城聖先生が、
天下を取った徳川家康を通して、
語っていたそうです。

「信長、秀吉、家康の三人の中で、
 果報(かほう・福運の意味)は、
 家康が、一番もっていた。
 この果報ばかりは、人間の力(ちから)では、
 どうしようもない!
 だから、信心しなければ、
 解決されないのである。」


果報(かほう)とは、
結果の報い(むくい)と書くから、
結果が出てくる力、
幸せという無限の宝が、出でくる力と、
言えるかもしれない。

いわゆる、世間一般的に言われる、
『運』です。

これだけは、人間の力では、
どうしようもない!!と、
言っているんです。

仏法(ぶっぽう)では、「幸せになる運」のことを、
『福運(ふくうん)』と、いいますが、
この『福運』!
戸田先生の言葉を、かりれば、
『果報』は、ぼくたちが、
どんなに、あがこうが、どうしようもない!

たとえば、
どんなに才能があっても、
どんなに努力しても、
成功できるとは、かぎらない!
まして、
幸せになれる保証(ほしょう)など、どこにもない!

それが、現実だと思う。
もちろん、努力は、必要だし、
才能も、必要かもしれない。

けれど、にもかかわらず、
不幸になっていく人が、
どれだけ、多いことか・・・・。


実は、
努力や才能を、生かし、
幸せになっていくためには、
決定的なものが、必要となってくる。

それが、『福運(ふくうん)』です。

戸田先生は、
この『福運』だけは、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰と、
仏法の実践活動でしか、
つけることは、できない!!!
と、言っている。


福運・・・・!

福運が、なくなった人ほど、
みじめなものは、ない!
どんなに栄華(えいが)を、きわめていても、
福運が、なくなったら、
必ず、没落(ぼつらく)していき、
不幸になっていく。

これは、才能とか、努力とか、
そういうことでは、どうしようもないことです。

普通、世間一般の人たちは、
調子(ちょうし)のいい時は、
当然、いい気持ちになり、
世の中は、自分たちのために、
回っているように思ったりする。

けれど、ひとたび、
さまざまなことが、
自分の思うようにいかなくなると、
急に、アタフタし、
おびえ、どうしようもなく、
途方(とほう)にくれたりする。


わからないのだ・・・・!
どうしたらいいのか!!


ようするに、福運を、つける方法、
福運を回復する方法を、知らないんです。
まったく、見当(けんとう)すらつかないでいる。

だから、絶望したり、
自己逃避(じことうひ)したり、
自殺したりするしかなくなる。

ところが、創価学会の人たちは、違(ちが)う。
たとえ、どんなピンチにあったとしても、
福運のつけ方を、知っている。
ようするに、
自分の宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)し、
福運をつける方法を、
明確に、わかっている。

それが、
『南無妙法蓮華経を、となえる!』
ということであり、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動です。


はっきり言って、
これしかないです!!


『福運』を、つける方法は、
ご本尊(ほんぞん)に、真剣に、
南無妙法蓮華経を、となえ、
真剣に、創価学会の活動を、するしか、
ありません!!

ほかの、どんなことをしても、
無理です・・・・。


ゆえに、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえる実践と、
仏法の実践活動である、
創価学会の活動ほど、
価値(かち)のあることは、
絶対に、ありえない・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

幸せの元(もと)って、
なんだと思いますか?

幸せの元(もと)
幸せを、つくっているもの・・?

それが、『福運(ふくうん)』です。
だから、単純に、
福運が、たくさん、ある人が、
幸せになるわけです。

じゃあ、
その福運の元(もと)は、
何だと思いますか?
福運を、作る、大元(おおもと)のエネルギー。

それが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
です。

だから、南無妙法蓮華経を、
たくさん、たくさん、となえている人は、
福運の元(もと)が、いっぱいいっぱい、
自分の生命に、たまってくる。

こんどは、その福運の元を、
『現実に外に出てくる福運』
すなわち、
現実に、悩みを解決したり、
夢を、かなえたり、
願いを、かなえたり、
現実に自分の人生を、幸せにしていく、
『本物の福運』にするために、
仏法の実践活動である、
創価学会の活動を、していきます。

そうすると、
自分の中に、たまった福運の元は、
自分の生命の中から、大きく開花して、
夢が、かなったり、
悩みが、解決したり、
自分の人生は、大きく、幸せへと、
転換(てんかん)していきます。

自分の中の福運が、
『本物の福運』となった時、
自分の人生は、希望の方向へ、
夢の方向へ、幸せの方向へと、
大きく、変革(へんかく)されていくわけです。

すなわち、
世間一般的に言う、
「運のいい人」「幸せな人」と、
なっていきます。

その『福運』を、単(たん)なる、
行き当たりばったりや、
成(な)り行きまかせではなく、
自分の力(ちから)で、つかみ、
勝ち取っていけるのが、
南無妙法蓮華経を、となえる仏法であり、
仏法の原理(げんり)を基本とした、
創価学会の活動です。


だから、創価学会は、明るい!
笑いが、たえない!

なぜなら、世界中のどこの国でも、
南無妙法蓮華経を、となえる
仏法(ぶっぽう)の実践と、
創価学会の活動によって、
福運を、たくさん、たくさん、ため、
自分の人生に、福運の結実(けつじつ)である、
『幸せ』を、
夢や希望とともに、
どこまでも、
開花させていけるからです・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:22│幸せ │

2014年01月07日

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ぼくの友だちで、
映画やドラマ、コマーシャルなどの、
エキストラのアルバイトを、している人が
いるんですが、
エキストラを、やっていると、
いろんな人に、会うそうです。

当然、有名人にも、会ったりして、
面白い話しを、聞かせてくれるんですが、
そのほか、
エキストラとして、出演してる人の中にも、
「いちお、女優なんですが・・・」
とかいう人も、出ているそうです。

その人たちを、見ていると、
ほんとに美人だったり、
ほんとに、かわいかったりも、するそうです。

じゃあ、なにが違(ちが)うかと、いうと、
その友だちが、言うには、
『目の輝(かがや)き』が、違うそうです。

どんなに美人や、かわいい人でも、
『目の輝き』がない人は、
売れない。
『目の輝き』が、ない人は、
人を、ひきつけ、
魅了(みりょう)していくことが、
できない。

「目の輝き」とは、
言い換(か)えれば、
その人間が放(はな)っているオーラ、
その人間が、持つ生命の輝きと、
言えるかもしれない。

たとえ、どんなに美人であっても、
どんなに、かわいくても、
その人間に、生命の輝きがなかったら、
芸能界では、
通用(つうよう)しないということだろうか・・?


創価学会(そうかがっかい)の人にも、
芸能界の人は、たくさん、いる。
お笑いでも、女優でも、
ミュージシャンでも、
トップで活躍しているような、
有名な人たちが、
創価学会員である場合も、多々(たた)ある。

たとえば、創価学会員で、
売れっ子の女優さんの話しを、
すれば、
ぼくが、考えるに、
その人たちが、
たしかに、かわいいし、
美人だったりするけど、
じゃあ、メチャメチャ、かわいいか?と、言えば、
それほどでも、ないように、
思うこともある。
世間一般の人と、そんなには、
変わらないような気がすることも、ある。

けれど、トップとして活躍し、
めちゃめちゃ、売れていたりする。


なぜだろう?


やはり、それは、『目の輝き』
『人間の輝き』が、きわだっている!
からでは、ないだろうか?

なぜ、『目の輝き』『人間の輝き』が、
ほかの人より、勝(まさ)り、
きわだっているのか?

それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)を、
実践しているから!としか、
言いようがない!!!!

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
 歓喜(かんき)の中の大歓喜なり!』
と、言って、
南無妙法蓮華経を、となえていると、
生命が、歓喜してくる。

南無妙法蓮華経は、
人間の生命を、最大に輝かせ、
最大に、その人間の能力を、
開花させる!

南無妙法蓮華経は、
人間の中にある無限の可能性、
その人が、人間であるところの、
最高のものを、その人の中から、
引き出し、幸せにしていく法則(ほうそく)だから、
南無妙法蓮華経を、となえている人間は、
最高に、自分と個性を、発揮することができ、
そして、自分の生命を、
最高に、輝かせていくことが、できる!


そういえば、
ぽくの知人が、
「創価学会の人は、個性が強い人が多い・・。」
と言っていたけれど、
それは、個性が強いのではなくて、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰を、
実践(じっせん)しているので、
おのおのが、
自分の個性を、最大限に発揮(はっき)できている!
ということです。

だから、現実の世界の中で、
良い意味で、個性が、きわだっていく・・!

ゆえに、芸能界という厳(きび)しい世界でも、
南無妙法蓮華経を、となえている、
創価学会員が、輝かないわけがなく、
同じ、かわいい人、美人のたくさん、いる、
芸能界でも、
その人は、きわだった輝きを、
発揮していく・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

もうひとつ、言えることは、
ぼくの友だちが、言った『目の輝き』だ!

『目の輝き』とは、
その人の心、もっと言うと、
その人の思想、信念(しんねん)を、
そのまま、表現していると思う。

そういうことから、考えると、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の思想は、
人々を、幸せにし、平和にしていく、
世界最高の思想であり、哲学(てつがく)であるので、
その思想、哲学を持った、
人間の『目の輝き』は、
当然、世界最高の思想、哲学を、持っているのだから、
その信念が、もっとも出てくる『目の輝き』も、
最高の、素晴らしい輝きを放(はな)っていく!!!
と、考えることが、できる。

南無妙法蓮華経の仏法の、
平和思想、幸せの哲学(てつがく)は、
世界最高のものであるので、
その哲学を、もった人たちの目の輝きは、
当然、きわだって、輝いてくる。

また、理屈(りくつ)ではなく、
実際に南無妙法蓮華経を、となえていると、
自分の生命が、歓喜し、
輝いてくるので、
その人の個性も、
最大に発揮されることになり、
人間としても、芸能人としても、
とても、魅力的な存在になり、
芸能界という、きわだった世界の中でも、
創価学会員が、活躍できるのは、
当然のことと、言えるかもしれない・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 01:23│日常 │