2014年03月

2014年03月26日

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先日、ビデオで、
『四日間の奇跡(きせき)』という映画を、
見た話しを、しましたが、
この映画は、
脳に障害(しょうがい)がありながら、
ある分野に関しては、
天才的な能力を発揮(はっき)するという、
サヴァン症候群という症状の少女と、
その少女を、落雷の事故から、
助けようとした真理子の心が、
入れ替(かわ)わってしまうという、
映画的と言えば、映画的な、
とても、信じられない四日間の奇跡を、
あたたかく、切なく、
描かれているドラマだけれども、
その中で、
一人の医者が、登場する。

サヴァン症候群の少女「千織(ちおり)」の、
保護者である、如月(きさらぎ)は、
医者が、信じてくれないのは、わかっていても、
千織と真理子の心が、入れ替(か)わってしまったことを、
その医者に、説明しようとする。

しかし、当然、医者は、
信じようとはしない。

けれど、その医者は、
妻が、事故によって、
植物人間になってしまい、
生きているのか、いないのか、
わからないような状態でも、
何年も、その妻を、
看病(かんびょう)してきていた。

医学的には、そんなことは、ありえないと
わかっていても、
彼が、植物人間となった妻の手を、
握(にぎ)りしめると、
なぜだか、妻が、握りかえしてくる気がした。

彼は、
千織の保護者である如月を、
自分の妻のところに連れて行き、
話す。

「オレは、これでも、
 科学者の、はしくれだ。
 心が、入れ替わるなんてことを、
 信じるわけには、いかない!」

「けれど、時として、
 奇跡としか思えないような場面に、
 出くわすことがあるのも、事実だ・・」

「信じてやればいい。
 信じるということは、
 人間の脳に与(あた)えられた
 偉大な力のひとつだぞ・・!」

と・・・。


『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大(いだい)な力のひとつだぞ・・!』


信じるということは、不思議だ。
信じるということは、目に見えない。

けれど、信じるということなしに、
人間の人生が、成り立たないのも、
事実です・・・。

人は、信じているから、行動ができる。
水に毒(どく)が入っていないと、信じているから、
水を、飲む。
食べ物に、猛毒(もうどく)が入っているとわかっていて、
その食べ物を、食べる人は、いない。

人は、たとえば、
会社で働くにしても、
経営者が、給料を、はらってくれると
信じているから、働くのだ。

また、相手を、信じていないで、
結婚する人も、いない。

人間の行動は、すべて、
信じることによって、
成り立っている。

信じなかったら、
生きることは、不可能だ!ということです。


『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大な力のひとつ』


すなわち、信じるということは、
すべてを、可能にしていく!!
信じなかったら、すべてが、
不可能になってしまうからです。

信じるという、この強力なエネルギー。
人間にとって、
これほど、強力で、偉大な能力は、
確かに、ないと思う。

すなわち、信じるというエネルギーからは、
無限の可能性と、無限の力(ちから)が、
泉(いずみ)のごとく、
湧(わ)き上がってくるということだと、
思う。

人間の歴史における、
あらゆる発見、あらゆる発展も、
すべては、
この信じるというエネルギーから、
発(はっ)していると言っても、
過言(かごん)ではない。


仏法の真髄(しんずい)である、
『法華経(ほけきょう)』。

この「法華経」の教えを、
理屈(りくつ)で、理解できた人は、いないと言う。

天才中の天才と言われた、
舎利弗(しゃりほつ)であっても、
とうとう、この法華経(ほけきょう)を、
理屈で理解することは、
できなかったと、いう。


では、どうして、理解したか?
結局、シャリホツは、
『信じる』ことによって、
仏法(ぶっぽう)の真髄・法華経を、
理解することが、できた。

理解することが、
先(さき)ではなく、
信じることが、先だった!

それほど、『信じる』ということには、
価値(かち)がある・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

信じないことは、ゼロだけれど、
信じることからは、
無限の価値が、生まれる!!

もちろん、間違(まちが)ったものを、
信じたら、不幸になる。
当然だ。
たとえば、戦争。
戦争を美化し、侵略(しんりゃく)戦争を、
正義の聖戦などと信じて、
死んでいった若者は、
ほんとうに、かわいそうです。

宗教にも、同じことが、言える。
間違った宗教を、信じた人々は、
必ず、不幸になる。

宗教とは、信じることが、
根本(こんぽん)になっているがために、
結果が、はっきりと、明確に出てくる。
すなわち、間違った宗教を、
信じたら、100%、
不幸という、現実の結果が、
必ず、出てきてしまう。

だから、宗教なんて、どうでもいいものだ。
ともかく、手を合わせれば、
それでいいんだなどと、
簡単に考えていると、
とんでもない、しっぺ返しを、くう!!!


間違った宗教を、信じたら、
100%、不幸になる!!!


だが、
信じることには、無限の力がある!
その信じることの、
最高峰(さいこうほう)といえる宗教において、
もし、その宗教が、本当に正しく、
力(ちから)ある宗教であるならば、
その宗教によって、
『信じる』という力は、
無限の価値と、無限のエネルギーと、
無限の希望となって、
その人の人生を、飾(かざ)り、
その人を、幸せにしていく。


それも、事実です。


そのことを、
完璧(かんぺき)に、明確に、説きあらわし、
すべての人に、実践できるようにしたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)であり、
その法則が、
現代の法華経である、
『南無妙法蓮華経』の法則(ほうそく)です。

そして、その南無妙法蓮華経の法則を、
1ミリ、一滴(いってき)の違いもなく、
純粋に、実践しているのが、
創価学会(そうかがっかい)です。


南無妙法蓮華経の法則は、
すべての人を、幸せにできる法則であるけれど、
信じないことには、
だれも、幸せにできない!!!

だから、まず、
ともかく、信じて、やってみる!
そうすれば、必ず、
さまざまな悩みや問題は、解決し、
真剣に実践(じっせん)していくことによって、
夢や希望が、かない、
必ず、どんな人でも、
幸せになっていくことが、できる!

それが、創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

いわば、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
『信じる』という、
無限のエネルギーと、無限の可能性を、
最大限に発揮(はっき)させ、
最大限に開花させる法則だと、
言えると思う。

だから、創価学会が信じ祈っている、
『ご本尊(ほんぞん)』を信じて、
ともかく、ご本尊に、
南無妙法蓮華経を、となえぬくとき、
どんな人でも、どんな境遇(きょうぐう)の人でも、
必ず、絶対に、幸せになっていける・・!

その証拠(しょうこ)として、
創価学会は、世界192ヶ国に、ひろがり、
世界中から、期待と尊敬を集め、
今も、南無妙法蓮華経を、となえぬく人々を、
幸せにしている。



映画「四日間の奇跡」の中で、
医者は言った。

『信じるということは、
 人間の脳に与えられた、
 偉大(いだい)な力のひとつだぞ・・!』

では、その、
信じるという偉大な力を、
どうやって、
開花させていけばいいのか?

信じることの力を、
どうやって、
現実の夢や希望、
幸せと結(むす)びつけていくのか?


その答えが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)にはあり、
信じるエネルギーを、
無限に、最高最大に発揮させ、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望を、かなえていけるのが、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰だと、
いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:12│映画 │

2014年03月17日

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このまえ、ビデオで、
『四日間の奇跡(きせき)』という映画を、
見ました。

新進ピアニストとして、
期待されていた如月(きさらぎ)は、
海外でのコンサートを終えた直後、
テロ的事件に、巻(ま)き込まれる。

そのテロ的事件によって、
ある夫婦が殺され、その子供である、
一人の少女を、如月は、助ける。
しかし、少女を助ようとした時に、
ピアニストの生命線である指を、
ピストルで撃(う)たれ、
指の神経を断裂(だんれつ)してしまう。

如月(きさらぎ)は、失意の底に沈(しず)むが、
それでも、父母を失い、
身寄(みよ)りをなくしてしまった
少女・千織(ちおり)を、
やしなうことを、決意する。

千織は、脳に障害(しょうがい)があり、
話すことも、ままならなかった。
けれど、一度聴いた旋律(せんりつ)を、
一音違(たが)わず再生できる、
特異な能力を持っていることが、わかった。
それは、ピアニストの如月だから、
発見できたと言えるが、
如月の手ほどきによって、
千織は、信じられないピアノ演奏の才能を、
発揮(はっき)していく。

如月は、各地の施設を慰問(いもん)しながら、
千織の演奏を披露(ひろう)する日々をおくり、
そこに心のやすらぎを、おぼえていく。

そんななか、
慰問先の小さな島の療養(りょうよう)センターで、
如月は、彼を「初恋の人」として
ひそかに慕(した)っていた岩村真理子と出会う。
真理子は、センター職員として
周囲の人々に親しまれ明るく働いていた。
しかし彼女も、心に深い傷(きず)を負っていた。
そして、悩んでいた。

演奏会を終えた午後、
中庭で真理子と千織は、
姉妹のように戯(たわむ)れていた。
と、その時、思いもかけぬ落雷が襲(おそ)ってきた。 
真理子は、千織をかばって大怪我(おおけが)を負い、
意識不明のままICU(集中治療室)に収容された。
彼女の命の期限はあと4日だという。

真理子に助けられた千織は、
ショック状態から覚(さ)め、意識を取り戻す。

その時、千織は、如月に告(つ)げた!

「私、真理子です。
 私は私のまま、
 千織ちゃんの身体の中にいるんです。」

真理子の心が、千織の中に!?
逆に意識不明の真理子の中には千織がいて、
真理子の命を、支(ささ)えているという。
けれど、支えるのにも限界がある。
それが、4日間だということです。

これが、映画「四日間の奇跡」の、
大まかな、あらすじですが、
その千織の体によって真理子に与(あた)えられた、
『残りの命』、四日間の奇跡を、
あたたかく切ないドラマとして、
描き出しています。


如月は、指が動かなくなり、
ピアニスト生命が絶たれ、
絶望していた。

けれど、この映画の後半で、
千織の体の中にいる真理子は、
自分の初恋の人であり、
今も愛している如月に、言います。

「自分に価値(かち)を、みとめないのは、
 もう、やめにして!」

「わたしも、ぜんぜん、気づいていなかったの!
 今日の今日まで・・・
 でも、千織ちゃんが、くれた、
 四日間の奇跡のおかげて、
 私は、間に合った!!

やっと気づけたのよ!
自分の価値に!!!

 わたし、父と母に言うの!(二人とも亡くなっている)
 『生んでくれてありがとう!』 
 そこまで、思えたの!
 だから、もう、こわくない。」

真理子は、最後の四日間、
千織の体を借(か)りて、
自分と自分の周(まわ)りの人たちを、
客観的(きゃっかんてき)に見ることが、できた。
そして、自分の価値に気づき、
『ありがとう』と言って死んでいく。


生きていく自分の価値・・・。


人間の、さまさまな悩みも、
根底には、
この『自分の価値』があるのか?どうなのか?
その『自分の価値』に対する疑問・・!
これが、必ず、あると思う。

自分には、
生きていく価値があるのか?
・・・ないのか?

表面的な、ありとあらゆる、
さまざまな悩みも、
この『自分の価値』に対する疑問から、
きていると言っても、
言いすぎでは、ないと思う。

それくらい、この、
『自分の価値』に対する命題(めいだい)は、
重要だということです。

ようするに、
この『自分の価値』が、わかり、
『自分の価値』に気づけたならば、
大半の悩みや問題は、
根本的には、ほとんど、
解決されると言っても、
過言(かごん)では、ないと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

『自分の価値』が、わかったならば・・・
『自分の価値』に、ほんとうに、
目覚(めざ)めることが、できたならば・・・・

この『自分の価値』に対する命題に、
みごとに!明確に!答え、
あらゆる、すべての人々に、
納得(なっとく)させ、感じさせ、
現実の中で、実感できるようにしたのが、
創価学会(そうかがっかい)が実践する、
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』です。

南無妙法蓮華経は、
あまりにも深く、スゴイので、
説明するのは困難(こんなん)ですが、
自分の価値に目覚め、
自分の価値を、開花させ、
現実に感じていける法則(ほうそく)が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
だと、言えます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
真実の自分が、見えてくる。
たとえ、それが、大げさな言い方だとしても、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
生きていく価値が、無意識のうちに、
感じられるようになり、
無意識のうちにも、『自分の価値』が、
自分の実感として、わかってくるので、
生きるのが、楽しくなっていきます。

そして、やがて、
自分の生きていく価値、
すなわち、『使命』を、感じるようになり、
その「生きがい」である『使命感(しめいかん)』は、
自分が生きていることに、
大きな喜びと歓喜と幸せを、もたらします。

ようするに、なぜだか、わからないけど、
ウキウキして、楽しくなってくる。
希望に満(み)ち、前向きになり、
「ようし!今日も、やったるでーー!」
と言えるような、
最高の生き方が、できるようになってきます。

だから、
南無妙法蓮華経を、となえることによって、
根本の「自分の価値」に対する悩みが、
解決したとき、
表面的な小さな悩みや問題は、自然と解決し、
不思議(ふしぎ)と、夢や希望が、
かなうようになってゆき、
その結果、
当然、幸せになっていきます。

それが、
南無妙法蓮華経を、となえる
ということだと、
思います。


だから、創価学会は、
世間のデマや中傷(ちゅうしょう)などでは、
びくともせず、
世界192ヶ国に、ひろがり、
その「自分の価値」に目覚めた、
ひとりひとりが、
幸せと、平和の花を、
世界中に、咲(さ)かせています。


それは、あたかも、
映画「四日間の奇跡」で、
真理子が、

 「やっと気づけたのよ!
 自分の価値に!!!

  わたし、父と母に言うの!
 『生んでくれてありがとう!』 
  そこまで、思えたの!」

と言ったように、
その人に、最高のすがすがしさと、
歓喜と、充実(じゅうじつ)と、幸せを、
もたらしてくれる・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:00│映画 │

2014年03月04日

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20世紀を代表する、
天才オペラ歌手の「マリア・カラス」は、
若いころ、
母親の故郷であるギリシャで、
オペラ歌手になるべく、
専門の音楽学校に行き、訓練を受け、
大きく成長していくが、
その後、自分が生まれ、
父親の住んでいる、
アメリカに旅立つことを、
決意する。

その時の心情(しんじょう)を、
マリア・カラスは、こう語っています。

「何年もたったいまになって、ようやく、
 実感できるのですが、
 ずいぶん危険な冒険をしたものだし、
 21才の文無(もんな)しの女性が、
 戦後まもなく、たった一人で、
 父親にも旧友たちにも会えないという、
 最悪の状態を想像(そうぞう)しながら、
 アメリカに帰るのは、
 本当に大変なことでした。
 
 勇敢(ゆうかん)だったなどと言うつもりはありませんが、
 若さからくる無垢(むく)な心が、
 自分の歌で何ごとかを、なしとげようとする、
 勇気と野心を与(あた)えてくれたのです。

 私たちが、ふだん、
 勇気と呼んでいるものの陰(かげ)に、
 もっと深い何かが、ありました。
 
 それは、本能であり、
 私を見捨てることのない、
 神への絶対的な信頼(しんらい)でした。」


と、言っています。


『勇気』と呼んでいるものの陰(かげ)には、
深い何かがある!

確かに、「勇気」には、
えたいの知れない何かが、ある!
それは、一切(いっさい)を変える力であり、
強力なエネルギーでも、ある。

そして、勇気の陰には、
もっともっと深い何かが、ある!!

それは、本能的とも言える、
自分の中で、決して捨てることのできない、
神への絶対的な信頼だという。

勇気に内包(ないほう)しているもの、
それは、絶対的な信念!
純粋にして誠実な、
けっして、裏切(うらぎ)ることのできない
生命の叫(さけ)び。
その無限のエネルギーが、
『勇気』なのかもしれない。


創価学会(そうかがっかい)の二代会長である、
戸田城聖先生が、
「勇気は、慈悲(じひ)に通じる」
と、言っていた。

慈悲という偉大な命(こころ)は、
ぼくたち普通の人間には、
なかなか、理解できないし、
自分の中から、
出していくのは、困難(こんなん)かもしれない。

けれど、
慈悲(じひ)に通じるものが、勇気だと、いう。
すなわち、勇気には、
慈悲という、はかりがたい無限のエネルギーが、
内在(ないざい)していると、いうことだと思う。

慈悲は、理解しずらいし、
その偉大なエネルギーが、
どういうものか?
はかりかねないかも、しれない。
けれど、勇気を出すとき、
勇気に内包(ないほう)した慈悲が、
自然のうちに、自分の生命から、ふきだし、
信じられない力を、発揮(はっき)する。

だから、マリア・カラスが言うように、
勇気を出すとき、
自分の中から、神的なもの、
すなわち、自分の中にありながらも、
自分を超(こ)えた何かが、
出現し、発揮されていく。

それが、『勇気』なのかも、しれない。


では、
もっとも『勇気』を必要とするもの、
もっとも、『勇気』を内在しているものとは、
何だろうか?

それは、「信仰」です。
いいかげんな宗教心や、
よこしまな宗教心ではなく、
真実の信仰は、『勇気』と直結(ちょっけつ)しています。

すなわち、真実の信仰、
正しき信仰は、『勇気』なしでは、
けっして、できないからです。

その究極(きゅうきょく)の勇気、
究極の勇気の信仰が、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと
言っていい!

だから、
南無妙法蓮華経を、となえるのには、
『勇気』がいる。
勇気を出せないような弱虫には、
となえられないのが、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
であるのも、事実です。


よく、創価学会をバカにして、
「宗教なんかに、すがっているのは、
 弱虫のやることだ」
とか、言うけれど、
とんでもない!!!逆(ぎゃく)です!!!

たとえば、あなたは、
自分自身を真正面から、見つめ、
真正面から、立ち向かうことが、
できるでしょうか?
そして、自分自身の生命を、
根本から変革(へんかく)しようと思い、
現実に変革していくことが、
できるでしょうか?

これは、難事中(なんじちゅう)の難事なんです。
人は、いくら、偉(えら)そうなことを言っていても、
真正面から自分に立ち向かうことが、
なかかな、できない。
だから、ずるずると、
これでは、いけないと思っていながら、
人生を、無駄(むだ)に過ごしてしまうことも、多い。

こんどは、かりに、
自分自身に立ち向かうことが、できたとしましょう。
かりに、自分自身を真正面から見つめて、
立ち向かうことが、できたとしても、
その自分を、現実に変革していくことが、
できるかというと、
その可能性は、もっと少なくなり、
あきらめるか、現実逃避(とうひ)するかしか、
なくなったりしてきます。

ところが、
創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰は、違うんです!

少し、説明すると、
創価学会が、祈っている、
『ご本尊(ほんぞん)』は、
自分の生命そのものを、表現したものですが、
もう一歩、深く立ち寄(よ)れば、
自分自身の中にある、もっとも強くて偉大な生命
『仏(ほとけ)の生命』を、表現しています。

その強くて偉大な生命である、
『仏(ほとけ)の生命』は、
実は、すべての人の中にあり、
その「仏の生命」という生命の宝(たから)が、
すべての人の中に、
秘(ひ)められている!
ということです。

そして、秘められた、
『仏(ほとけ)の生命』という生命の宝を、
引き出すことができたなら、
その人は
幸せになっていけます。

すなわち、自分自身の中にある、
『仏(ほとけ)の生命』を、
開花させていくことによって、
どんな困難も乗り越え、悩みを解決し、
夢や希望を、かなえて、
幸せを勝ち取っていける!
ということです。

そして、その『仏の生命』を開く、
鍵(かぎ)となるもの、
仏の生命を開く扉(とびら)となるものが、
『ご本尊(ほんぞん)』なんです!!


最初に言ったように、
もっとも強くて偉大(いだい)な、
本当の意味での、
自分自身の生命を、あらわしたものが、
『ご本尊』です。

そして、間違(まちが)ってはいけないことは、
ご本尊は、どこか自分とは、かけ離(はな)れた、
神様とか仏様とかいうものではない。

ご本尊は、
『自分自身の生命』なんです!!
実は、自分自身の中にあるものを、
あらわしたものが、
『ご本尊』なんです・・!!

だから、
ご本尊に祈るとき、
ご本尊は、自分の生命そのものなので、
まず、自分の生命に、
立ち向かわなければならない!
だから、勇気が、いります。
そして、南無妙法蓮華経を、となえるとき、
南無妙法蓮華経は、一切の生命を、
変革する法則(ほうそく)であり、力(ちから)でもあるので、
自分自身の生命の扉(とびら)が開き、
自分自身を、
大きく変革していくことになります!


自分自身に立ち向かう勇気。
自分自身を、変革する勇気。

それが、『ご本尊に祈る』ということなんです。


これが、どれだけ、大変か、わかるでしょうか?
どれだけ、偉大か、わかるでしょうか?


ただし、その勇気を出すから、
確実(かくじつ)に、必ず、
幸せになっていけるわけです。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

だから、この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰は、
もっとも勇気のある、
人間の王者でなければ、
祈り、実践(じっせん)することのできない信仰だと、
言っても、さしつかえない!

といっても、これは、
ある意味、逆説(ぎゃくせつ)です。

どういうことか?というと、
南無妙法蓮華経を、となえるから、
勇気が、出てくるんです。
南無妙法蓮華経を、となえていくから、
強く、たくましい、
人間の王者と、輝(かがや)いていくんです。

明と暗、
人間は、
表裏一体(ひょうりいったい)だということです。
同じ人間であっても、
勇気のない弱虫にもなれば、
強い強い王者にも、なる。

同じ人間なんです。
その同じ人間の中から、
最大に強くて、たくましい、
あったかくて、やさしく、愛に満(み)ちた、
最強の王者のような生命を、
引き出していけるのが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


結論から言うと、
勇気は、幸せと直結していると思う。
勇気を出せば出すほど、
幸せになっていく!ということです。

そして、その、
勇気を最大限に出すことのできる力(ちから)が、
『南無妙法蓮華経』であり、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことです。


だから、創価学会の、
ご本尊に南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
人生を、
勇気へ!勇気へ!と導(みちび)く・・!

自己に挑戦しながら、
その無限の可能性を、開花していける!


人生を、勇気を持って挑戦する。
悩みを、勇気を持って打ち破る。
困難を、勇気を持って乗り越える。
勇気を持って、幸せをつかむ!!

それができる、
究極にして、唯一(ゆいいつ)の方法といっていいのが、
創価学会が、実践する、
南無妙法蓮華経の仏法です・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:17│勇気 │