2010年12月16日

宗教は、好きですか?
と聞かれたら、
宗教は、好きではありません!

じゃあ、何が、好きか?というと、
「自分が、幸せになることが、好きです!」

別に、宗教には、興味(きょうみ)ありませんが、
自分が、幸せになることが、好きだから、
創価学会に、入って、
ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえているわけです。
いままでの体験から、
『これしか、ない!!』ということが、
わかっているからです。


世間一般的には、宗教というと、
とくに、日本人は、
なんか、困(こま)ったことがあった時だけ、
どこかの坊さんなどに、頼んで、
おがんでもらう。
何々宗の偉い方だからとか、言って、
高い!お金を払(はら)って、
自分のことを、他人に、おがんでもらう。

それが、宗教というものだと、
一般的に、思っている方が、多い。
それのほうが、確かに、楽かもしれない!
だって、自分は、なんにも!しなくていいんだから!
それで、悩みや、問題が、解決するんだったら、
こんな楽なことは、ない!

けれど、これが、
悪(あ)しき宗教が、うじゃうじゃと、
はびこる原因になっている。
祈ったり、おがんだり、
お経(きょう)を、あげたりするのは、
宗教家が、やるもので、
普通の人には、できないものだと、
考えさせられている。
坊主が、祈らないと、成仏(じょうぶつ)しないとか、
何々宗の偉い方でないと、
この問題は、解決できないとか、
ある種、異常な、特権的な権力が、
坊主や、宗教家に、与(あた)えられている!
それに、おすがりしないと、幸せになれない!とか、
それこそ、とんでもない理屈(りくつ)が、
通ってしまうのが、悪しき宗教の、
はびこる理由です!

創価学会は、逆です。
特別な人なんて、いない!
坊主だけに、与えられた特権なんて、
ありえない!
坊主に祈ってもらわなければ、
幸せになれないなんて、
そんな、ナンセンスなことは、ありえない。

創価学会では、
自分で、祈っている人が、偉大(いだい)!
自分で、戦っている人が、偉大!
上も下もない!
人間が、人間を、引っ張(ぱ)っていく!
人間と、人間の、まごころの対話、
人間が、人間を、こころから、思うことによって、
つながっているのが、創価学会!!

結論から言うと、
自分で、祈っている人が、仏(ほとけ)
自分で、戦っている人が、仏(ほとけ)
仏と言っても、死んでる人のことではない。
仏とは、『人間の王者!』という意味です。
それが、本当の仏法(ぶっぽう)!

けれど、その本当のことを、言っちゃうと、
ヘンな坊主や、宗教家は、困る!
宗教家や、坊主でないと、できない!という、
まやかしの権威(けんい)が、ないと、
お金もうけが、できないから!
だから、決して、本当のことは、
言わないし、また、知らないかもしれない。
宗教家は、自分の権威が、はがれては、困る!

だから、創価学会の人が、
本当のことを、言うのを、恐れて、
デマや、いろいろな手を、使って、
創価学会を、迫害(はくがい)してきた!

でも、迫害されれば、されるほど、
創価学会は、発展してきた!
なぜならば、
創価学会の実践している仏法(ぶっぽう)は、
本当だから!
真実の実践を、しているから!
だから、ひとりひとりの生命の歓喜(かんき)は、
だれびとも、おさえることは、できなかった。

ある意味、良い意味で、
創価学会は、
世間の風潮(ふうちょう)に、流されない!
正しいことは、正しい!
間違ってることは、間違ってると、
言い切ってきた!

それと同時に、創造性、豊かで、
決して、固まった形に、とらわれないで、
時代、時代に、マッチした活動を、してきた!
それが、創価学会が、
発展してきた理由のひとつだと、思う。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
『人間が、人間を、
 人間以上のものに、
 見せようとした時から、
 宗教は、邪教(じゃきょう)!となる』
というようなことを、言っていた。

確かに、そうだと思う。
もし、人間を、人間以上のものに、
みせようとしている宗教があったなら、
はっきりと、邪教だ!と、
見破(みやぶ)っていかなければ、ならない!

なぜならば、
人間の不幸の中で、
邪教は、人間を、不幸にする、
もっとも、根源的なものだからだ・・・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 21:53│コメント(0)エッセイ │

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