つぶやき

2016年06月05日

A81300


漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。

ブッダとは知ってのとおり、
仏教の創始者(そうししゃ)です。

釈迦(しゃか)とも釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています。

その「ブッダ」が主人公のマンガなので、
堅苦(かたくる)しいというか、
おもしろくないマンガのように思うかもしれませんが、
それはそれ・・!
さすが手塚治虫で、
いいマンガ、おもしろいマンガが、
みな、そうであるように、
読んでいるうちに、
その世界に引き込まれてしまいます。

やはり魅力(みりょく)は、
巨匠・手塚治虫が創(つく)り出す、
創造的(そうぞうてき)な、
さまざまなキャラクターだと思います。


奴隷(どれい)の身分でありながら、
その身分を隠(かく)し、
将軍の養子(ようし)となり、
のし上がろうとするチャプラ、

そのチャプラも、やがて、
奴隷であることが暴(あば)かれ、
母親と一緒に串刺(くしざ)しにされて、
死んでいく。

自分のこころ(精神)を、
動物に乗り移(うつ)らせて、
動物として行動することのできる、
不思議(ふしぎ)な少年、タッタ。

そのタッタは、
親友であるチャプラと、
親のように自分を育ててくれた、
チャプラの母を殺され、
その王国に対する復讐(ふくしゅう)を誓(ちか)う。

ブッダが国の王子であった時代、
身分をわきまえず、
そのブッダを好きになり、
愛してしまったために、
そのブッダの父であり国王に、
ブッダの結婚の邪魔(じゃま)になると、
両目をつぶされてしまう女性、
ミゲーラ。

契約(けいやく)により、
大蛇(だいじゃ)の魔物の子供となった、
アナンダは、
どんなに刺(さ)されても切られても、
必ず蘇生(そせい)してしまう、
不死身(ふじみ)の身体(からだ)を持つ。

そのアナンダは、
大蛇の魔物(まもの)と共に、
ブッダの命を狙(ねら)う。

しかしアナンダの不死身の能力も、
人を好きになったり愛したりすると、
無くなってしまう・・。
アナンダの運命は・・・。

大悪人、ダイバダッタも登場しますが、
なんとも言えない悪人に仕上(しあ)げています。
けれど、ダイバダッタの、
出生(しゅっせい)から幼少時代の物語を描くことによって、
そのダイバダッタの中にも、
人間性や愛情があることを、
かもしだしています。


読み終わって感じたことは、
この手塚治虫のブッダのマンガの中に出てくる、
数え切れない人々、
理不尽(りふじん)に虐(しいた)げられ、
死んでいった人々。

宿命(しゅくめい)にもがき、
泣きながらも、
精一杯(せいいっぱい)生きようとした人々。

その登場人物たちの生命が、
なぜだか、自分を、
励(はげ)ましてくれているような感覚(かんかく)を、
おぼえました。

ブッダの登場人物たちが、

「ガンバレ!」
「負けるな!」
「あなたの人生は、あなただけのものではない!!」
「ぼくたち、私たちの生命のための
人生でもあるんだ!!」

「だから負けるな!」
「勝つんだ!」
必ず、幸せになるんだ!!」


そう・・、自分を、
励ましてくれているような、
そんな錯覚(さっかく)をおぼえました・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ブッダの話し、
言い換(か)えれば、
釈迦(しゃか)、釈尊(しゃくそん)の話しは、
創価学会でも、
よく、引用(いんよう)されます。

創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
池田先生が、言っています。

『御書(ごしょ)に、
「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・」
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、
論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。


ここで、まず引っかかるのは、
当然(とうぜん)これは、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを
言っていますが、
創価学会の信仰と、
『釈尊(しゃくそん)』は
関係あるのか??ということです。

さきほど話しましたが、
釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われる、
仏教の創始者です。
日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、
この釈迦(しゃか/釈尊)から来ている
と言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、
釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、
かけはなれたもので、
単なる形だけです。

釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!
と言ってもいいでしょう。

だいたい、釈尊は、
『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!
葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。
そんな暇(ひま)があったら、
今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』
と言っているので、
坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、
仏教でもなんでもない。
ただの金儲(かねもう)けの
エセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、
お金儲けに利用しているだけですから、
かえって害(がい)になり、
そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、
その人々に害毒(がいどく)が伝わり、
その人たちを不幸にしてしまう!
ということです。

どういうことかというと、
間違(まちが)ったデタラメの宗教に
祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を
ささげることになります。

間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸がもたらされてしまう!
ということです。


不幸の根源(こんげん)には、
形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、
神社信仰や観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。


話しを戻(もど)しますが、
釈尊は、仏教の創始者です。
そして、釈尊が、
何を伝えようとしたか?
というと、
それは、
『生命の法則(ほうそく)』であり
『宇宙の法則』です。

簡単(かんたん)に言えば、
それは、
『幸せになるための法則』です。


それを、釈尊は、伝えようとしました。


そして、その幸せになるための
究極(きゅうきょく)の法則が
こめられたものが、
釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。

だから、釈尊の法華経には、
その生命における、
あるいは宇宙における、
『幸せになるための法則』
が込(こ)められています。

だったら、
その釈尊の法華経(ほけきょう)を
やればいいじゃないか・・!
と思うかもしれませんが、
それも違(ちが)います。

法華経というと、
釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、
法華経というのは、
さっきも言ったように、
幸せになるための法則です。
そして、それは
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、
その、釈尊の法華経をやれば、
幸せになれましたが、
現代では、なれません。
この現代に、
釈尊の法華経を
いくら、やったとしたも、
幸せにはなれないし、
何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が
言っていることですが、
釈尊が亡(な)くなってから
2000年以上経(た)った、
この現代という、
思想・人心が乱(みだ)れた時代では、
釈尊の法華経は、
返って害(がい)になり、
人々を不幸にする
原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、
良く見積(みつ)もっても、
その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、
はっきり言えば、
釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、
めちゃくちゃにしたような宗教ですから、
なんの効力もなく、
幸せにもなれません。

返(かえ)って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、
そのメチャクチャの当然の結果として、
害になり、
人々を不幸にしてしまう!
ということです。


では、釈尊が、
本当に伝えようとした
『幸せの法則』とは何なのか?


さきほど、法華経といっても、
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、
今生きている人々を、
現実に幸せにしていける
『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??
ということになっていきます。

実は、
その答えが秘(ひ)められているのが、
釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と
隠(かく)れたメッセージをくみとり、
唯一(ゆいいつ)正しく理解し、
その現代の人々が幸せになっていける
『真実の法華経』を発見し広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、
『真実の幸せの法則』
『生命の法則』
『宇宙の法則』が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、
釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、
今生きている人々が
真(しん)に幸せになっていける、
『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、
悩みを解決していける、
夢や希望をかなえていける、
力(ちから)ある幸せの法則が
『南無妙法蓮華経』であり、
それが、『現代の法華経』です。

ですから、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、
釈尊が真に伝えたかった法華経であり、
人々を幸せにしていける、
仏法(ぶっぽう)の
究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、
深く密接(みっせつ)な関係があり、
釈尊が望み、伝え、
実現したかったものが、
創価学会の中にある!!!
ということです。


釈尊が望んだもの、
釈尊が望み実現したかったものが、
まさしく、
創価学会によって実現されている!!
ということです。


だから、

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・』
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、
創価学会のご本尊への必死の祈りは、
そのまま『釈尊』に通じていく。
なぜなら、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
「釈尊の望み」、
「願い」そのものであり、
『南無妙法蓮華経』が
釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
釈尊のいう宇宙の法則、
生命の法則、幸せの法則を
実行することになり、
それはいわば、
釈尊自身をうごかすような
大きな結果を生み、
その結果、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるわけです。


それが、創価学会の祈りなんです。


ゆえに、池田先生が言うように、

『教主釈尊を動かすことができれば、
ゆるがぬ草木はない!
さわがぬ水はない!』

そして、祈りをかなえ、
幸せになっていける!!


それが、
釈尊が本当に伝えたかった
宇宙と生命の幸せの法則であり、
究極の力(ちから)である、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 23:18│

2016年03月12日

A40500


1973年にノーベル平和賞を受賞し、
アメリカの国家安全保障担当補佐官や
国務長官を務めた、
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、
創価学会インターナショナル会長である
池田先生と、
8度にわたり、
対談している。

池田先生は、
キッシンジャー博士に質問している。

「人物評価(ひょうか)について、
どのような基準(きじゅん)を
お持ちでしょうか。」

アメリカの国務長官を務(つと)め、
世界各国のリーダーと
丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を
繰(く)り広げてきた、
世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。

答えは明快(めいかい)だった。

「私の変わらざる信念は、
交渉の相手を理解することが
きわめて重要(じゅうよう)だということです。

相手の知性ではなく
人格(じんかく)です。

知性の程度(ていど)を確かめることは
ごく簡単(かんたん)です。
しかし人生における
困難(こんなん)な問題はすべて、
賛否両論(さんぴりょうろん)が
知的レベルで真(ま)っ二つに
分かれた場合に起きるのです。

ですから、
いくつかの可能性の中から
一つを選択(せんたく)する場合に
『人格』がカギとなるのです。」


池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と
キッシンジャー博士との出会いは、
小雪が舞(ま)うアメリカの
首都ワシントンだった。

国務長官の博士が、
国務省の執務室(しつむしつ)で
池田SGI会長を待っていた。

1975年1月13日である。

池田SGI会長が、73年1月に、
ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかける
ニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、
当時、大統領補佐官だった
キッシンジャー博士に託(たく)して以来、
博士と池田会長との
手紙のやりとりが続いていた。

訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、
博士からの歓迎の意が示されたことを
受けての訪問となったのである。

あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、
通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、
二人は向き合った。

キッシンジャー博士は、たずねた。

「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、
あなたたちは、
世界のどこの勢力(せいりょく)を
支持(しじ)しようとお考えですか。」


博士が直球を投げてきた。


まさに、知識ではなく人格(じんかく)、
すなわち、どんな思想、
信念(しんねん)で動いているかを
見きわめようとする、
短いが鋭(するど)い問いである。

もちろん、池田SGI会長が、
前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、
コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと
会った事実が前提(ぜんてい)にある。

即座(そくざ)にSGI会長が答えた。

「私たちは、
東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかに
くみするものではありません。
中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもありません。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


キッシンジャー博士の顔に
微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。


会見を終える時、
キッシンジャー博士は言った。

「また、友人としてお会いしたい。
これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」


「中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもない。

私たちは、平和勢力(せいりょく)です。

人類に味方します。」


人は、このことを、わかろうとしない。

なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。

そして、創価学会に対して、
どうしようもないような
下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。

けれど、もしそれらの
下劣(げれつ)なデマが正しければ、
創価学会(そうかがっかい)は、
これほど世界に発展することはなかったでしょう。

また、創価学会の人たちが
喜々(きき)として、
創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、
創価学会の信心を
真面目に実践(じっせん)することも
なかったでしょう。

それに、創価学会の信心と活動を
実践することによって、
創価学会の人たちが、
悩みを解決したり、
夢や希望を実現したりして、
幸せになっていくこともなかったでしょう。

ところが実際は、
創価学会の人たちは、
その創価学会の信心と活動によって
悩みを解決し、
夢や希望を実現して、
大いなる幸せをつかんでいる。

それは、創価学会が
正しい証拠(しょうこ)であり、
世間のデマが間違(まちが)いであることの
証明になります。

そう考えていった時、
なにか裏があるのではないか・・?と、
創価学会に対して、
邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、
よっぽど、何か裏があり、
「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいる
と考えるのが、
妥当(だとう)なはずです。


キッシンジャー博士の話しに戻ると、
博士は、米中接近(せっきん)、
米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、
ベトナム戦争からの撤退(てったい)、
中東和平交渉(わへいこうしょう)など、
まさに、『歴史を書き換(か)えた』
その実績は、
枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

博士は、池田SGI会長に語った。

「どんな偉大(いだい)な事業も、
はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。
だから必要なのは勇気です。
前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、
勇気が必要なのです。」

それを地(じ)でいったのが、
71年7月、
極秘裏(ごくひり)に訪中して、
中国の周総理と会見し、
ニクソン大統領の訪中、
米中国交正常化に道筋(みちすじ)を
付けたことである。


国務長官を退(しりぞ)いた後も、
博士は、
米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ
重鎮(じゅうちん)として、
注目を集め続ける。

2007年に発表した、
核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める
共同提言(ていげん)は、
核抑止(よくし)戦略の当事者だった
人物の発言として
重大な意義(いぎ)をもつ。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

博士と池田SGI会長との8度目の会見は、
96年6月17日。

同月、SGI会長がキューバで
カストロ国家評議会長と会う予定を知ると、
ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に
滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、
博士が訪(たず)ねてきた。
同年2月、キューバが
米民間機を撃墜(げきつい)し、
両国関係は悪化していた。

博士は関係の改善(かいぜん)を願い、
池田SGI会長のキューバ訪問に
強い期待を寄(よ)せていた。

そしてSGI会長は、
カストロ議長と会見した際、
キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を
伝えたのである。


博士とSGI会長との初会見から40年。
創価学会は、世界192カ国に広がり、
博士と語り合った世界平和の道は、
大きく広がったと言える。

2015年には、米国とキューバの
国交正常化も実現した。


聞いた話しですが、
キッシンジャー博士は、
池田SGI会長と会見した後、
池田会長を評(ひょう)して、
こう、言ったそうです・・。


「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」

・・と。


人格を最も重要視(じゅうようし)する
博士の言葉だけに、
重みがある・・。


「グレイト・パーソナル・・!!」


キッシンジャー博士の
池田SGI会長に対する期待と
その対応を見るとき、
その言葉はまさに真実であり
本当なんだ!と、
心から思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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2016年02月12日

A40100


二十世紀の天才ヴァイオリニストである
ユーディー・メニューイン氏は、
いつもマッサージを頼(たの)む、
知人の女性がいた。

ある時、メニューイン氏は、
そのマッサージを頼む女性に言った。

「あなたのマッサージは素晴らしい。
まるで指が話しかけているようだ。」

そして、マッサージの秘訣(ひけつ)を
尋(たず)ねると、
女性は答えた。

「私は仏教徒(ぶっきょうと)なんです。
マッサージをする時は、
心で、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
と唱(とな)えるんです。」

仏教徒というのは、
創価学会員(そうかがっかいいん)のことで、
イギリスの婦人部員だった。


「ナンミョウホウレンゲキョウ・・・・・、
素晴らしい音律(おんりつ)だ。」


以来(いらい)、
メニューイン氏は、
南無妙法蓮華経を口ずさむようになり、
池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)の
著作(ちょさく)を読破(どくは)していった。

そして、思った。

池田SGI会長に会いたい!!

そして、数年後、
メニューイン氏は、
池田SGI会長と会見することになる。


会見の中で、
メニューイン氏は、言っています。

『「南無妙法蓮華経」の「NAM」という音に、
強い印象(いんしょう)を受けます。

「M」とは命の源(みなもと)というか、
「マザー (MOTHER)」の音、
子どもが一番最初に覚(おぼ)える
「マー(お母さん)、マー」
という音に通じます。

この「M」の音が
重要な位置を占(し)めている。』

この言葉に対し、
池田先生は、言っている。

『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、
「南無妙法蓮華経」を
「歓喜(かんき)の中の大歓喜」
「歓(よろこ)びの曲」である、
ともされました。

妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
の音律(おんりつ)は、
太陽が昇(のぽ)るような
躍動(やくどう)の音律です。

「永遠の創造(そうぞう)」であり
「永遠の出発」であり、
「永遠の戦い」である
宇宙の大生命力が、
こもっているのです。』


メニューイン氏が、
マッサージを頼(たの)む
知人の女性に感じたように、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わる・・・!!

その『南無妙法蓮華経をとなえる』
エネルギーは、
真心(まごころ)となって伝わったり、
感動となって伝わったり、
また、具体的(ぐたいてき)に
病気などを蘇生(そせい)される
エネルギーとなって、
伝わることもある。

ある創価学会員の看護士の方が、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りについて、

「手から、毛穴から、
祈りは、すべて、通じていく!」

と言っていた。

『南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、通じる!』

単(たん)なる一時しのぎでも、
でまかせでもなく、
自分ひとりの問題でもなく、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
人々に通じていく!!


ここに、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
スゴサがあるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

また、
『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって
もたらされるエネルギーは、
人に伝わるだけではなく、
人に幸せをもたらしていく。

南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
幸せのエネルギーとなって、
人へ、未来へ、
世界へと、伝わっていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
地域や社会、
職場や家庭に伝わり、
その環境(かんきょう)をより良く、
幸せに変えてくことなる。

だから、
創価学会の人たちがとなえている、
『南無妙法蓮華経』は、
世界を、
幸せに変えている!!
と言っても、
言い過(す)ぎではない・・・!


また、当然(とうぜん)、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
自分自身に伝わっていく。

南無妙法蓮華経の幸せのエネルギーは、
自分自身に伝わり、
しみ入り、
自分自身を幸せに変えていく。

そしてその幸せのエネルギーは、
自分の悩みを解決したり、
夢や希望をかなえる力となっていく。

あらゆるものを、
あらゆる人を、
あらゆる環境を、
より良く、
幸せにしていくエネルギーが、
『南無妙法蓮華経』
だということです。

ゆえに、これほどスゴイことはなく、
これほどの解決策(かいけつさく)もない。


結論(けつろん)から言うと、
南無妙法蓮華経をとなえきった人が、
幸せになるとも言えます。



メニューイン氏が思ったように、
南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、
人に伝わる。

伝わるだけではなく、
その人たちを幸せにしていく。

また、家族や職場、
地域や世界に伝わり、
その世界に幸せを満(み)たしていく。


その無限(むげん)に伝わる、
究極(きゅうきょく)の幸せのエネルギーが
『南無妙法蓮華経』であり、
その幸せを確実にもたらすのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:53│

2016年01月08日

A20170


人気のあるマンガ、
あるいはアニメに、
「進撃(しんげき)の巨人」
というのがあります。

その「進撃の巨人」の中で、
「女型(めがた)の巨人」というのが
出てきます。

女型の巨人は、
強力な敵(てき)で、
最終的に、この女型の巨人と
主人公であるエレンは、
戦うことになるのだけれど、
その女型の巨人の正体が、
軍の訓練兵として、
3年間、同じ釜の飯(かまのめし)を
食べた仲間である、
アニであることを知って、
エレンは戦うことができない。

エレンの巨人化の能力を
使うためには、
確固(かっこ)たる目的が必要で、
目的がはっきりしないと、
エレンは巨人化の能力を
使うことができない。

敵であるアニが、
訓練兵時代の仲間であったために、
それがブレーキとなって、
どうしても巨人化することができない。

最終的には、他の仲間の
叱咤激励(しったげきれい)によって、
エレンは巨人化して、
アニと戦うが、
エレンが躊躇(ちゅうちょ)し
巨人化できなかったのも、
ごもっともだとも思う。


何かの明確な目的がないと、
どんなにスゴイ力(ちから)も
使うことができない・・・。

明確な目的を持って、
本当にそうしようと思わないかぎり、
その力を使うことができない。


確かにそれは、うなずける。


目的もなく、本当にも、
そう、思っていなかったら、
その力が出てくるとは
思われないからです。

また、自分が、
目的のもと、
本当にそうしようと思うから、
その力を発揮していくことができる。


これは、アニメやマンガの
中だけの話しではなくて、
現実の中でも、
そうだと思う。


人は、何かの目的を持って、
ほんとうにそうしようと思わなかったら、
その力を発揮(はっき)することができない。

目的に目覚(めざ)め、
ほんとにそうしようと思うから、
そのように行動し、
それを成し遂(と)げていく。

はっきりとした目的意識をもって、
ほんとうにやろうと思う時、
そのための、
さまざまな知恵や能力を発揮し、
自分が実現したいことを
成(な)し遂げていく。


それが、人間というものだと思う。


けれど、
それが難(むずか)しいのも、
現実だと思う。

だから、幸せになりたいのに、
なかなかなれないことも、
多々(たた)あると思う。

また、
不幸に沈(しず)んでいってしまう人々も、
多くいる・・。

やはり、幸せになっていくためには、
明確な目的意識と、
それを開花させていくための
『方途(ほうと)』が、
必要になってくると思う。

その明確な目的意識と、
それを実現していくための
方法と行動が噛(か)み合っ時、
人は幸せになっていけるのではないか・・!
と思う。


実は、その、
幸せに対する明確な目的意識と、
それを実現していく究極(きゅうきょく)の方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰は、
自分の中に、
幸せに対する最高の目的意識を
もたせてくれる。

目的意識を持つというよりも、
南無妙法蓮華経をとなえていると、
自分の中から、
幸せになろうとする、
「最高の意識(いしき)」が、
自然に湧(わ)き上がってくる。

やがて自分の中から
湧き上がってきた
「幸せに対する最高の意識」は、
さまざまな知恵や勇気、
行動となって、
その人を動かし、
結果として、
その人を幸せにしていってしまう。


南無妙法蓮華経をとなえることは、
自分の中から、
幸せに対する最高の意識を
目覚(めざ)めさせ、
幸せに対する最高の目的、
また、幸せに対する最高の生命力、
最高の勇気や知恵をもたらし、
それは、自分の中から、
さまざまな力(ちから)、
能力や可能性を
発揮(はっき)することになっていき、
そうなった時、
おのずから、
その人は、
幸せになっていくことができる。


それが、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰』
だということです。

また、南無妙法蓮華経を
となえることの可能性と力(ちから)は、
無限大なので、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
自分だけでなく、まわりの人々、
環境や世界からも、
幸せをもたらす、
さまざまな可能性を引き出し、
それは、結局(けっきょく)、
自分のいる世界、
環境を幸せに変えていくことになる。


ゆえに、勝利していける。
幸せになっていける。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

進撃の巨人の中の
エレンのように、
人は人生において、
戦うか戦わないかの、
瀬戸際(せとぎわ)に立たされる時が、
ある・・・!!

その時に、勝つか負けるかは、
その人の中にある、
『目的意識』にかかっている。

その『目的意識』が、
真(しん)に正しく、
強靱(きょうじん)なものであるならば、
その人は、どんな瀬戸際(せとぎわ)に
立たされたも、
戦うことができる。

そして、勝つこてができるだろう。

その最も正しく、
最も強靱(きょうじん)な
目的意識を持つことができるのが、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言えます。

幸せと平和に対する、
これ以上素晴らしく、
これ以上強靱な目的意識は、
ありません!!

また、幸せと平和に対する、
これ以上の希望であり、
エネルギーもありません。

幸せと平和に対する、
無限(むげん)の力(ちから)となるもの!

それが、
創価学会の、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・!

また、創価学会の信仰と、
他の信仰との違(ちが)いは、
ここにあります!!!

どんな苦難(くなん)の中でも、
どんな絶対絶命(ぜったいぜつめい)
の時であろうとも、
平和と幸福に対する、
最高の目的意識をもって、
立ち上がることができる。

エレンが立ち上がったように・・!

そして、勝利していける!!!


・・・
重要なことは、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という仏法の実践が、
自分の中から、
幸せに対する最高の目的意識を、
『現実に、湧(わ)き上がらせる!!』
ということです。

そして、それにともない、
幸せをもたらすための
最高の生命力、
最高の勇気、
最高の知恵が、
実際に湧(わ)き上がってくる!
ということです。


それは結局、
自分の中から、
さまざまな可能性を
発揮していくことにつながり、
やがて、悩みの解決や、
夢や希望の実現など、
さまざまなことを可能にし、
その人に
勝利と幸せをもたらしてくれる。


あたかもそれは、
「進撃の巨人」の中で、
エレンが、明確な目的を持った時、
巨人化という、とてつもない力を
発揮できたように、
大きな大きな可能性と力を、
発揮してくれる・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:06│

2015年10月07日

A230025


以前、ネコの視点(してん)から、
人間の世の中のことを語った歌詞(かし)の、
歌を聴(き)いたことがあります。

定(さだ)かでありませんが、
その歌によると、

人間界は大変だ・・・。

出世とか、ノルマとか、
人付き合いや、ひいては権力争い。

人間界は大変だ・・・。

化粧(けしょう)とか、エステとか、
上司や彼氏、
結婚とか、離婚とか。

人間界は大変だ・・・。

出会いとか、別れとか、
からまって、解(と)けない人間模様(もよう)。



確かに・・・、ネコから見れば、
人間の世界は大変かもしれない。

というか、人間から見ても、
人間の世界は大変です。

さまざまな思惑(おもわく)が、
ぶつかり合い、
複雑(ふくざつ)極(きわ)まりない
状況をつくっている。

自分がピンチに陥(おちい)ることもある。
罠(わな)にはめられたように、
苦境(くきょう)におちいることもある。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、言っています。

『時には、

「どうして自分ばかりが・・・・・」

とグチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、
祈り戦うからこそ、
仏(ほとけ)の力が出せる。
泥(どろ)が深ければ深いほど、
やがて美事(みごと)な幸福勝利の
大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、
『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
である。』


『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
というのが難(むずか)しいですが、
蓮(はす)の花が、
泥沼(どろぬま)の水の上に、
美しい花を咲かせるように、
苦悩・渦巻(うずま)く、
どんな泥沼のような
環境(かんきょう)や人生からも、
美しい、勝利と幸せの花を
咲かせることができる!
との譬(たと)えだと思います。



人の人生は、さまざまだ。

けれど確かに、
美しく澄(す)んだ水の上に、
優雅(ゆうが)に
浮(う)かんでいられるような人など、
ほとんどいないと思う。

また、表面的には、
優雅に見えたとしても、
内面的には、
どろどろの苦悩(くのう)と
戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、
そんじょそこらのことでは、
にっちもさっちもいかないのが、
人生だと思う。


皆、現実と人生の、
さまざまな苦難や苦悩、
現実と理想(りそう)のギャップに悩み、
その中で戦っていると思う。

そして、その中で、
泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、
花を咲かせ、
光り輝(かがや)いていかなければならない。


それが多くの人の人生だと、
言えると思います。


池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、
美しい花を咲かせなければならない。


実は、そのための、
絶対の力(ちから)、
無限の力、
どんな苦難も幸せに変えていける力が、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


泥(どろ)が深ければ深いほど、
美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんだと思う。


世の中が悪い。
環境(かんきょう)が悪い。
あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、
そう思っても、
どうにもなっていかない・・。

その世の中、
その厳(きび)しい環境の中でも、
幸せになっていかなければならない。

勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような
環境や状況(じょうきょう)であっても、
それでも、
花を咲かせなければならない。

それは確かに、
至難の技(しなんのわざ)であり、
どうにも手がつけられない
難問でもあると思う。


いったい、どうしたらいいのか?


理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ
言うことはできる。
けれど、
はたして、
それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように
絡(から)まった
人間模様(にんげんもよう)や
さまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、
幸せの方向、
勝利の方向にもっていくことが、
どれだけ困難であり、
奇跡(きせき)といっていいくらい
難(むずか)しいことであることは
わかっている。

あらゆるものが、
微妙(びみょう)に絡(から)み合い、
複雑極(ふくざつきわ)まりない
状況を作っている。

その中で、
「あみだくじ」のように道をたどり、
幸せをつかんでいかなければならない・・・。


確かに、困難な道だといえる。


けれど、その困難な道を
実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような
複雑な人間関係と状況、
環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように
複雑な編み目(あみめ)の中でも、
そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、
誤(あやま)りなく、
勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

その秘宝が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。


この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法が、
どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結(むす)びつけ、
あらゆるものを、
あらゆる人々を幸せに向かわせ、
たどり着かせる。
確かに、普通、考えたら、
不可思議(ふかしぎ)としか思えない
幸せの奇跡(きせき)を、
もたらしていけるのが、
この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、
またその環境や状況、
それを完璧に調和(ちょうわ)させ
幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

それは不思議(ふしぎ)だけれど、
なんというか・・、
宇宙の力、生命の力、
宇宙の本源的な法則(ほうそく)に
導(みちび)かれているとしか
表現できないけれども、
そういう、
とてもできない芸当(げいとう)を
やってのけてしまう力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
ある!ということです。


ゆえに、蓮(はす)が、
泥沼の中から
美しい花を咲かせるように、
人生を勝利していける。
幸せになっていける。


もろもろの悩みも
困難(こんなん)も、
さまざまな人間関係や状況も、
すべて乗り越え、
勝利していける。


そういう生き方が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ネコではないけれど、
確かに、人間の世界は大変だ。

そして池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなことも
あるかもしれない。


では、どうしたらいいのか?


結論(けつろん)から言うと、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
あらゆるものを、
あらゆる事象(じしょう)を、
あらゆる人々を、
幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、
家族や自分のかかわる
人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、
その人たちに
最善(さいぜん)の幸せを、
もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、
辛(つら)いこともあるかもしれない。
けれど、時とともに、
自分が、家族が、
最善の方向に進み、
最良(さいりょう)の幸せを
もたらしていたことが、
わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言えます。



これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの
幸せをもたらす力は、
あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)でしか、
この現実の中で、
確実に、
幸せと歓喜(かんき)を
もたらす方法は、ない!!!

それは、
あらゆるものが積(つ)み重なり、
関係し合い、
ひとつひとつの事象(じしょう)からは
わからないかもしれないけれど、
それが重(かさ)なり合い、
素晴らしい錬金術(れんきんじゅつ)のように、
すべてが、微妙(びみょう)に、
しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、
結果として、
最高の幸せをもたらしている。

それは、
目には見えない奇跡と言えるかもしれない。

あたかも、蜘蛛の糸のような
複雑な編み目(あみめ)を、
誤(あやま)りなく、みごとに、
完璧(かんぺき)にくぐり抜けていくように、

よくもこんな素晴らしいものが!!
と思うような、
錬金術(れんきんじゅつ)のように、

その人に、
勝利と幸せをもたらしてくれる。

そういう目には見えない
幸せの芸術(げいじゅつ)を
もたらしていく力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!
ということです。

そして、その幸せの芸術が、
どれだけ多くの人を、
幸せにしてきたか!!
どれだけ多くの人の
悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえてきたか!!。

それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、
世界192カ国に広がる
創価学会の、
平和と幸福のスクラムなんだと、
思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:56│

2015年09月01日

A90700



人は花に学ばなければ・・・。


花はいつも

一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。

投げやりに咲いている花はない。

いやいや生きている花はない。

途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。

笑うことを忘れた花はない。

過去にとらわれたり、

人のあらを探(さが)したりしている

花はない。



これは、
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が書かれた
詩の中にある一節(いっせつ)ですが、
確かに、そうだと思う。

花は、だから、
きれいなのかもしれない。

なにものでもない、
自分自身を咲(さ)かせることに、
なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく
全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、
打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の
戸田城聖先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、

『自分自身に生ききることだ!』

と言っていた。


あの人がこう、
この人がどうではない。

自分が自分自身に
生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、
これがなかなかできないのも、
現実だと思う。

そして、ああだ、こうだと
文句(もんく)を言う。
愚痴(ぐち)を言う。
そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。


何かかが間違(まちが)っているんだと思う。
幸せというものの本質(ほんしつ)が
見えなくなっているのかもしれない。

何かが狂(くる)っている。
人間の生命に
なにかの間違った
思想や考えがこびりつき、
花のように、
健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、
これを、
『宿業(しゅくごう)』
という。

『宿業(しゅくごう)』とは、
自分の生命に、
深く宿(やど)ってしまっている、
その人を苦しめている
根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、
避(さ)けたくても避けることのできない
苦しみや悲しみ、
自分はどうして、
こういう自分に生まれてしまったのか?
というような、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、
なんで自分がと思うような
過酷(かこく)な病気や事故など、
その人がもって生まれた、
どうしようもないような運命などを
いいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、
人を苦しめ、狂わせ、
花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、
妨(さまた)げている。

そして、
その人を不幸にしている。


不幸の根源(こんげん)には、
『宿業』がある!
と言えるかもしれない。


そして、その『宿業(しゅくごう)』が
どこから起こってくるかと言えば、
それは、
間違った思想(しそう)、
間違った宗教から起こってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、
その原因(げんいん)に
たどり着くことはないけれど、
人間の不幸は、
間違った宗教によって、起こる!!
と言えます。

自分は、宗教なんかには、
かかわっていないと、
言うかもしれない。

けれど、
自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、
なにかしらの宗教をやっているし、
世の中は、
間違ったデタラメの宗教だらけなので、
日々、その、
間違った宗教に触(ふ)れている
と、言えます。


正月といえば、
初詣(はつもうで)だといって、
さまざまな神社やお寺に行くし、
観光(かんこう)でも
さまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に
祈りをささげる。

また、葬式(そうしき)となれば、
ほとんど、それらの
葬式仏教などに
祈りをささげる。

そして、それらの
葬式仏教にしても、
神社信仰にしても、
観光宗教にしても、
デタラメな間違った、
人を不幸にしてしまう宗教です。

それらに、良いことだと思って、
祈りをささげる。


それらの、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に祈りをささげるということは、
デタラメなもの、間違ったものに、
祈りをささげることになり、
自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが
投影(とうえい)され、
間違ったもの、デタラメなものが、
自分の生命に
植(う)え付けられることになっていく。

間違った宗教、デタラメな宗教が、
自分の生命に植え付けられたならば、
当然(とうぜん)、
自分の生命には、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿(やど)っていく・・。

自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿ったならば、
それが、悪(あ)しき、
不幸なる宿業(しゅくごう)となり、
その宿業が、
時とともに噴出(ふんしゅつ)して、
その人を苦しめることになる。


また、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、
間違った、人を不幸にする宗教に
かかわってしまったために、
さまざまな不幸なる
宿命(しゅくめい)を持って、
生まれてきたとも
言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


人間は、
花のように、生きるべきだと、
思います。

けれど、それをできなくしているのが、
『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、
決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分の中から、
花のように生きる力を
復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする
生命力が復活し、
その人を、
真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、
草木についた、
つゆや水滴(すいてき)は、
あっという間に消えてしまうように、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
花のように真っ直ぐに生きることを
妨(さまた)げる宿業が、
打ち破られ、
幸せに向かって、
希望にむかって、
生きていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経には、
宿業を打ち破る
大きな大きな力(ちから)がある!
ということです。


南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の宿命が転換(てんかん)され、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていくことが、
できるようになっていく。


それは、美しい花のように・・・。



『南無妙法蓮華経は
蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

というけれど、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の生命が
蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経を
となえることによって、
自分の中から
生命力が湧(わ)き上がり、
勇気が出てきて、
元気と希望がでできて、
その人の生命は、
文字通り、
蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、
自分の人生と未来を、
花のように
真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、
その人を動かす。


やがて、
種(たね)から花が咲くように、
その人の人生に、
勝利と幸せの花が
咲いていく。



人は、花のように、生きるべきだ・・!



そして、それを可能にする、
希望と勇気と
どんな困難(こんなん)も打ち破る
無限(むげん)の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:02│

2015年07月17日

A31700


創価学会員は
世界中にいますから、
どこでも、皆、
喜々(きき)として
がんばっています。

以前、聖教(せいきょう)新聞で、
ハリウッドで
がんばっている、
創価学会員の紹介をしていました。
(ハリウッドでがんばっているとは、
映画俳優ということではなく、
ハリウッドの地域に住んでいる
ということです。)


ウエスト・ハリウッド支部で
副支部長を務める、
グレゴリー・リンゴさんが語っています。

「支部の多くのメンバーが、
エンターテイメント産業で働いてます。
7割(わり)以上は
そうじゃないでしょうか。

生活リズムがバラバラで、
皆、苦労しています。
でも、みんな、
忙(いそが)しい中で、
学会活動(創価学会の活動)にも
頑張っていますよ。」

リンゴさんは、
レコーディングアーティストであり、
ジャズピアニスト。

彼が入会したのは
結婚する前。
妻の紹介だった。

「ある日、一緒に出かけようと
彼女の家に迎(むか)えに行ったら、

『夜の勤行(ごんぎょう)をしていない』

って言うんです。

※ちなみに、勤行とは、
釈尊(しゃくそん/しゃか/ブッダ)の
法華経(ほけきょう)の一部分を
音読(おんどく)します。
だいたい、3分から5分くらいかかりますが、
そのあと、好きなだけ、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
繰り返(くりかえ)し繰り返し、
となえます。
それを、まとめて、
『勤行(ごんぎょう)』といいます。

それで、リンゴさんは、
ソファに座(すわ)って
待つことにしたそうです。

彼女の南無妙法蓮華経をとなえる
声を聞いていたら、
なぜだかすごく感動して、

『僕も一緒(いっしょ)に、となえていい?』

と尋(たず)ねたそうです。

「今、思えば、
彼女は勇気を奮(ふる)い起こして、
私に信心(創価学会の信心)のことを
教えようとしてくれたんですね。
人生で一番忘れられない
『デート』の日に
なりました。」

と、リンゴさん・・。

リンゴさんは、その後、
大病(たいびょう)を患(わずら)い、
仕事を失(うしな)った時期もありましたが、
創価学会の信心のおかげで、
「どうして、こんなことに」
と受(う)け身に考えていた自分から、
『今こそ宿命(しゅくめい)を変える時だ!』
と思える自分に
変わることができたそうです。

「それが一番の功徳(くどく)です。」

と語っています。

※ちなみに、功徳(くどく)とは、
悩みが解決したり
希望がかなったりする
現実に現れる幸運のことを、
いいます。

そして、リンゴさんは、
創価学会の同志(どうし)の支(ささ)えの中、
病気を乗り越(こ)え、
新たな仕事も
勝ち取ることができた。


また、ウエスト・ハリウッド本部で、
創価学会(そうかがっかい)の
男子部本部長を務(つと)める
ベン・ジャコブさんは、
言っています。

「芸術家の世界では、
『こうすればうまくいく』といった
方程式(ほうていしき)はありません。

だからこそ、
信心(創価学会の信心)という
人生の指針(ししん)、
福運(ふくうん)の土台が
必要だと思うんです。

皆、最初の入会動機(どうき)は、
仕事での実証(じっしょう/実際に現れる証拠[しょうこ])
ですが、
創価学会の活動を通して、
人のために尽(つ)くす喜びを感じ、
仕事に対する
使命感そのものが変わるんです。」

ジャコブさんは、
ダンスのレッスンに通(かよ)いながら、
ダンスショーなどに出演し、
夜はバーテンダーとして
働いていた。

6年前に
創価学会に入会してから、
学校のダンス講師(こうし)など、
仕事が大幅(おおはば)に
増えたそうです。

彼は、語っています。

「この信心(創価学会の信心)を
勧(すす)めることが
大切な友人に対する、
最高のプレゼント!だと
思っています。

信心を勧める仏法(ぶっぽう)対話は、
『今生人界(こんじょうにんかい)の思い出』
です。

最も偉大(いだい)な、
歓喜(かんき)の中の大歓喜です。
仏法対話をしている時は、
『アイ・アム・アライブ(私は生きている!)』
っていう感じなんですよ!」


4年前に入会した、
ジョニン・バリスさんは、
言っています。

「ニューヨークのブロードウェーで
出演していましたが、
映画に挑戦するために
ハリウッドに来ました。

仕事が見つからずにいた時、
友人から
創価学会の信心の話を
聞いたのです。

入会後、仕事も増え、
経済的に安定するようになりました。

最近では「ラブ・アゲイン」という
映画にも出演しましたよ。

今は、プロデュースの仕事もしています。
私の大叔父(おおおじ)が
マリリン・モンローを撮影(さつえい)していた
写真家なので、
彼についてのドキュメンタリーを
制作しています。

女優の仲間に、
仏法対話(ぶっぽうたいわ)をすると、
すごく共感(きょうかん)してくれるんです。

一番大きな功徳(くどく)だと感じるのは、
女性として生きるための、
『生命の根(ね)っこ』を
得(え)られたことです。

自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある、
幸福になる力があると
学べたことです。

特に、ハリウッドの女性は
周囲(しゅうい)の評価(ひょうか)に
左右される世界にいるので、
どうしても、
精神的に不安定になりやすい。

表面的なことに
幸福を求めてしまうのです。


私は、創価学会の信心を通して、
『人のため』
『社会のため』という
芸術家としての
真の使命を
知ることができたと思っています。」


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

確かに、人は、
表面的なことを気にする。

表面的なことや、
世間の評判(ひょうばん)、
それらも確かに大切だけれど、
それに振(ふ)り回されてしまうと、
自分が見えなくなっていく。
本当の幸せが見えなくなっていく。

世間の評判や評価、
それは人間にとって
モチベーションにはなる。


けれど、本当の幸せは違(ちが)う!


幸せは、どこにあるのでもなく、
自分の中にある!

そして、自分の中にある幸せを
確立(かくりつ)していった時、
はじめて本当の幸せが見えてくる。

その自分の中にある
幸せを確立し、
本当の意味での
幸せをつかんでいけるのが、
「創価学会」であり、
創価学会の、
「南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰」だと、
いえます。

また、自分の中の
確固(かっこ)たる幸せが
確立していったとき、
おのずから、
表面的な幸運や幸せ、ラッキーが、
磁石(じしゃく)のように、
ついてくる!とも言えます。


ジョニン・バリスさんが言うように、
自分の内面に、
何ものにも壊(こわ)されない
価値(かち)がある!

その『生命の根っこ』にある
幸せをつかみ、
どこまでも開花していけるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:57│

2015年06月25日

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聖教(せいきょう)新聞には、
さまざまな困難(こんなん)を乗り越え、
勝利していった体験や、
病気を克服(こくふく)し、
蘇生(そせい)していった
体験の話しがのっていますが、
以前、
多発性骨髄腫(たはつせいこつずいしゅ)を
克服した創価学会の
婦人の体験が、
のっていました。


多発性骨髄腫というのは、
血液が作れなくなる、
骨が溶(と)けてもろくなる、
内蔵(ないぞう)に転移(てんい)する、
などの症状があり、
長い間、効果的な治療が見当たらず、
死に直結(ちょっけつ)するような病気だった。

数年前、
診療(しんりょう)ガイドラインが発表され、
「死のふち」から生還(せいかん)させる
パーセンテージが上昇(じょうしょう)し始めた。

その大変な病気を、克服し、
勝利を手にすることができた
要因(よういん)の一つは、
その創価学会の婦人の、

『強気の姿勢(しせい)』

だったそうです。


その婦人が言っているんですが、

「主治医の先生から
多発性骨髄腫(たはつせいこつずいしゅ)の
説明を聞いている、
その最中から、
もう沸々(ふつふつ)と、
いえ、がんがんと闘志(とうし)が、
こう、このあたりに・・・」

「胸のこのあたりに、
負けじ魂(たましい)が
メラメラと燃え上がって、
心の中で叫(さけ)んでいたんです。」

「病魔(びょうま)め、
私をだれだと思っているんだ、
創価学会(そうかがっかい)の婦人部だぞ!
今に見ていなさい。
お前を私の体から、
たたきだしてみせる!(笑い)」


この気迫(きはく)!
微動(びどう)だにしない確信が、
その後の治療(ちりょう)の成功と
大勢(たいせい)を
決していくことになったそうです。



治療はつらい。
モルヒネの投与(とうよ)、
3種類の抗(こう)がん剤の点滴(てんてき)、
80錠(じょう)の経口(けいこう)タイプの
抗がん剤の服用(ふくよう)、
造血幹細胞の自家移植・・・

通常は痛(いた)みにもだえる
患者が多いなか、
その婦人の場合は
違(ちが)ったそうです。

通常、1ヶ月は続く激痛(げきつう)も、
わずか9日間で
ピタリと消えたそうです。
移植(いしょく)の時間も、
医療スタッフが驚(おどろ)くほど
短くて済(す)んだ。


担当した主治医の方が言っています。

「彼女は強い信念を持って
治療を受けておられました。
治療開始から終了まで、
そして現在も強い信念を持って
戦いつづけておられます。

病気という
最も困難な状況に対峙(たいじ)したとき、
人それぞれ考えはあるでしょうが、
戦い、そして乗り越えた、
彼女を拝見(はいけん)する機会が
与えられたことは、
医師として大変な喜びです。」


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

普通、大病を宣告(せんこく)されたら、
落ち込むのが当然だと思う。

けれどその創価学会の婦人の場合、

「病魔(びょうま)め、
私をだれだと思っているんだ、
創価学会の婦人部だぞ!
今に見ていなさい。
お前を私の体から、
たたきだしてみせる!」

と立ち向かっていった。

大げさに聞こえるかもしれませんが、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法は、
それほど偉大(いだい)でスゴイということです。

また、それだけの力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)にはあり、
その仏法を実践した人たちに、
大きな幸せの体験と、確信(かくしん)を、
もたらしていきます。

また、それだけ素晴らしい、
南無妙法蓮華経の仏法を
実践(じっせん)しているということは、
最高に尊(とうと)い
法(ほう)を持ち、
実践しているということなので、
それだけ、素晴らしく、
尊(とうと)い存在だと、
言うこともできます。


ともかく、
このパワー、
信念、
強い強い生命力が、
病気にかぎらず、
人生に襲(おそ)いかかってくる
宿命(しゅくめい)の嵐(あらし)を
乗り越えていく力(ちから)に
なるんだと思う。


そのどんな困難な宿命の嵐も、
乗り越えていける、
無限のパワー、
信念、
無限の生命力の源泉(げんせん)が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰であることは
言うまでもない・・!


また、
今日話した体験のように、
現実に、
困難や悩みを、
乗り越えていけ、
夢や希望をかなえていける
力(ちから)があるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰です。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:06│

2015年06月02日

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昔、
池田先生(創価学会インターナショナル会長)が
結婚してからしばらくの間、
よく奥さんと
話していたそうです。

「団地(だんち)に住みたいな。
コンパクトで便利(べんり)じゃないか。」

「すべて、機能的(きのうてき)に
つくられていますね。」

「少し狭(せま)いかもしれないが、
部屋の数は、そんなになくても、
ご本尊様(ほんぞんさま)さえ、
きちんとご安置(あんち)して、
荘厳(そうごん)できればいいんだから。」

「そうですね。
ご本尊様には、
一切(いっさい)が、
含(ふく)まれていますからね。」


※ちなみに「ご本尊」とは、
創価学会(そうかがっかい)の人たちが
祈る対象としている本尊(ほんぞん)で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
それと同時に、自分の生命そのものを
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける
仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
「ご本尊(ほんぞん)」です。



奥さんは、言っていた。

『ご本尊様には
一切(いっさい)が
含(ふく)まれていますからね。』


どういうことだろうか・・・?


ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。

その一切(いっさい)とは、なんだろうか・・・?


それはおそらく、
人間が幸せになっていくための、
あらゆるもの、
あらゆる宝(たから)、
あらゆる希望と力(ちから)が、
含まれていると、いうことだと思う。

それは、譬(たと)えるなら、
打ち出の小槌(こづち)のようなものだと思う。

打ち出(うちで)の小槌を振(ふ)ると、
宝が、どんどん出てくる。
無限に出てくる。

どんなに辛(つら)い時でも、
どんなに苦しい時でも、
どんなに悲しい時でも、
打ち出の小槌(こづち)を振れば、
幸せの宝が、どんどん出てくる。

当然です。

それが、打ち出の小槌だからです。

それと同じように、
生命における、打ち出の小槌が、
『ご本尊』なんだと思う。

だから、その、
打ち出の小槌(こづち)を、
振ればいい・・!

そして、その、
『打ち出の小槌を振る』ということが、
ご本尊に、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえる!』
ということに、
あたるんだと思う。



打ち出の小槌を振れば、
無限に宝がででくる。

だから、
「生命の打ち出の小槌」である、『ご本尊』に、
南無妙法蓮華経をとなえて祈る時、
幸せも、希望も、
勇気も、知恵も、
自分の中から、
生命の宝が、
無限に湧(わ)き上がってくる。

幸せを呼ぶ運も、
悩みを解決する力(ちから)も、
生命を蘇生(そせい)させるエネルギーも、
人々を愛していくエネルギーも、
平和と人間性も、
より良い人間になっていくためのパワーも、
夢をつかむ力も、
未来を生み出す力も、
より良い世界を生み出していく
すべてのエネルギーが、
自分の中から、
湧き上がってくる。


なぜなら、
ご本尊には、
すべてが!
含まれているから!

ご本尊は、
生命における、
『打ち出の小槌』だから・・!


実は、そういう、
自分の中にある、
生命のあらゆる、無限の宝が、
『ご本尊(ほんぞん)』
なんだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

ゆえに、
なにも恐(おそ)れることはない・・。
なにも落ち込むこともない・・。
なにも悲観(ひかん)する必要はない・・。


なぜなら、ご本尊に
南無妙法蓮華経を、となえていったなら、
自分の中から、
幸せや希望、
勇気や知恵が、
無限に引き出され、
湧(わ)き上がり、
そして、
悩みや問題を解決することができ、
夢や希望も、
かなえていくことができる。


『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


ご本尊には、すべてが
含まれているがゆえに、
べつに難(むずか)しいことは考えなくても、
自分が思ったとおり、
自分が祈りたいことを、
素直(すなお)に祈っていくことによって、
最高の解決策(かいけつさく)が見いだされ、
自分にとって、
最高の方向に
進んでいくことができる。


それが、『ご本尊』だと思う。


だから、創価学会のご本尊は、
世界中のどんな境遇(きょうぐう)の、
どんな状況(じょうきょう)の人であっても、
ご本尊に、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
必ず幸せにしていくことが、できる!!

すべての一人一人に対応(たいおう)し、
あらゆる人の悩みに
完全にマッチして、
一人一人を蘇生(そせい)させ、
幸せにしきっていくことができる。


ゆえに、池田先生夫人が言うように、

『ご本尊には、一切が含(ふく)まれている。』


それが、
あらゆる人の悩みの解決が可能な、
あらゆる人の夢や希望を、
かなえていける力(ちから)のある、
創価学会の
『ご本尊』であり、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんだと思う・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:09│

2015年05月12日

A80300


以前、
ブログのコメントで、

「創価学会(そうかがっかい)に入らなくても、
南無妙法蓮華経をとなえていれば、
大丈夫(だいじょうぶ)ですか・・?」

という質問をされたことがあります。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)は、
スゴイので、
となえないより、
となえたほうが、
全然、良いけれど、
かといって、
それで大丈夫かといったら、
そういうことでもありません。

南無妙法蓮華経の本当のスゴサは、
人生を、自分を、
世界や生命を、
幸せに変革していく「力(ちから)」に
あると思います。

宿命(しゅくめい)を転換(てんかん)していく力。
世界を変えていく力(ちから)が、
『南無妙法蓮華経』だと
思います。

けれど、
ほんとうに悩みや問題を解決し、
夢や希望をかなえていくには、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)に
直結(ちょっけつ)した実践活動が、
必要になっていきます。

いくら、南無妙法蓮華経をとなえても、
現実に南無妙法蓮華経の仏法に
直結した実践(じっせん)の行動がないと、
自分の宿命は、
変革され転換されていきません。

ようするに、
南無妙法蓮華経はスゴイけれど、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
自分の悩みや問題は、
解決していかないということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法の実践活動を、
現実にしていった時、
その二つが合(あ)い重(かさ)なり、
幸せが、かけ算されるように、
さまざまな悩みや問題が解決し、
自分の宿命が転換され、
境涯(きょうがい)が変わり、
夢や希望も、
かなえていけるようになっていくんです。


南無妙法蓮華経をとなえることと、
仏法の実践活動の
両輪(りょうりん)があってこそ、
夢や希望がかない、
幸せになっていけるんです。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、
蘇生(そせい)の力だし、
南無妙法蓮華経をとなえることは、
スゴイことなので、
病気などの時は、
真剣に南無妙法蓮華経をとなえていくだけでも、
病気が良くなり、
治(なお)ったりすることも
多々(たた)ありますが、
やはり、
南無妙法蓮華経をとなえるだけでは、
不十分だと言えると思います。

どうしても、
南無妙法蓮華経の仏法に直結した、
真実の実践活動が
必要となっていきます。


その仏法(ぶっぽう)に直結した、
実践活動ができる場所が、
『創価学会』なんです。


創価学会は、
南無妙法蓮華経の仏法を、
純粋(じゅんすい)に、
一点の狂(くる)いもなく、
真に正しく実践している、
唯一(ゆいいつ)の団体だと
言えます。

だから、
本当に幸せになりたいのならば、
悩みを解決したいのならば、
また、夢や希望を
かなえていきたいのならば、
どうしても、
創価学会という存在が
必要になっていきます。

南無妙法蓮華経を、となえていくだけでも、
時として、その人を
窮地(きゅうち)から救い、
助けてくれるけれども、
やはり、それだけでは、
本当に幸せになっていくことはできません。

自分の宿命を転換していくためには、
どうしても、
創価学会の中で
南無妙法蓮華経をとなえ、
創価学会の中で、
仏法の実践活動をしていく
必要があります。

その時、
宿命が転換され、
悩みや問題が解決でき、
やがて夢や希望も
かなえていけるようになっていくんです。


だから、創価学会とは、
『幸せを創造(そうぞう)する場所』であり、
創価学会の中で、
南無妙法蓮華経をとなえていった時、
はじめて、
南無妙法蓮華経のスゴサ、
偉大(いだい)さ、
その無限大の力を
発揮(はっき)していくことが、
可能になっていく!

と結論(けつろん)することが
できると思います・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:30│