不幸

2014年07月09日

A0200


唐突(とうとつ)だけれど、
日本の一般的な宗教においては、
純粋(じゅんすい)な人ほど、
不幸になると、
言うことができます。

一般的な日本の宗教とは、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、
観光宗教などですが、
どういうことかというと、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教は、
あきらかに間違(まちが)った宗教であり、
デタラメな宗教だということです。

それは、ちょっと考えれば、
わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることがわかります。

間違った宗教というと、
ピンときませんが、
はっきり言えば、
人を不幸にしてしまう宗教だということです。

間違った宗教に祈るということは、
自分の生命と人生を、
その間違った宗教に、ゆだね、
ささげていくことになります。

間違ったデタラメな宗教に、
自分の生命と人生をささげていけば、
自分の生命と人生は、
当然(とうぜん)、
間違ったデタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったなら、
その間違った、でたらめの結果として、
それは、
さまざまな形で、
自分の人生と生命に、
不幸をもたらしてしまう!
ということです。


それが、
日本の葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だということです。


だから、それらの宗教は、
数字であらわすとしたら、
すべて、マイナスの宗教であり、
−1とか−10、−100、
−1000、−10000などという、
必ず、『マイナス』がつく
存在(そんざい)だということです。

マイナスの度合(どあ)いを、
最も低く見積(みつ)もって、
それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教を、
かりに、数字で
「−1」としたとします。

そして、それらの宗教に祈ることを、
かけ算で表現(ひょうげん)してみます。

そうすると、
「−1」に「1」をかけただけなら、
それでも
「−1」で済(す)みます。

けれど、「−1」に「10」をかけたら、
マイナス10倍の
「−10」になってしまいます。

そして、「−1」に
「100」や「1000」をかけていったら、
逆(ぎゃく)に大きなマイナスである、
「−100」や「−1000」に
なってしまいます。


それが、
世間一般的な葬式仏教や神社信仰、
観光宗教だと、いうことです。

かける倍数(ばいすう)を増やすというのは、
強く純粋に、
真剣に祈っていくことを、
あらわしています。

だから、それらの宗教に
真剣に強く、純粋に祈れば祈るほど、
マイナスにかける倍数が増えていき、
祈れば祈るほど、
「マイナス」の数が増えていく!
ということです。

マイナスの数が増えていくということは、
不幸を被(こうむ)る量(りょう)が
増えていく!
と、いうことです。

だから、それらの
葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に、
純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
不幸になっていく!
ということです。

だから、それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などでは、
純粋な人ほど、
不幸になってしまう!
という結論(けつろん)になってしまいます。


不条理(ふじょうり)というか、
よくドラマや映画などで、
なんで、あんないい子が・・・
とかいうことがありますが、
そういう結果にもなりかねない!
ということです。


だから、宗教なんだから、
純粋に真剣に祈ったら、
いいことがありそうだ・・
と考えるのは、
間違えです。

宗教には、正邪(せいじゃ)があり、
間違ったものに祈っていけば、
不幸になります。


それが真実であり、
法則(ほうそく)です。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

けれど、素直(すなお)に純粋に祈ったほうが
不幸になるなんて、
こんな、かわいそうなことはありません。

そうではなく、
素直に純粋に祈っていけば、
幸せになっていける、
本当の宗教は、ないものだろうか?と、
考えたくなります。


実は、その、
素直に、純粋に、
真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける宗教が、
創価学会(そうかがっかい)の
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

この創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
の仏法は、
世間の間違った宗教とは逆に、
真剣に祈り、実践(じっせん)すればするほど、
幸せになっていきます。

必ず、プラスの結果が出る!
ということです。
だから、創価学会は、
世界192カ国に広がっている。

もちろん、純粋なだけではだめですが、
真剣に祈り、
勇気をもって、実践していった時、
計(はか)り知れない力と可能性を
発揮(はっき)する。

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、
他の宗教と違い、
文字通り、
『プラス』の宗教なんです。

数字であらわせば、
プラスの1000にも、10000にも
百万にも、一億(いちおく)にもなるのが、
創価学会の信心です。

いわば、創価学会の信心には、
無限の可能性がある!
ということです。

そのプラスの信心に、
祈りという「かけ算」をしていったとしたら、
その数字は、
何百億にも、何兆(なんちょう)にも、
なっていく可能性があります。


それが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法です。


だから、無駄(むだ)がない。
祈れば祈るほど、
幸せになっていける。



葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などのように、
純粋に祈れば祈るほど、
不幸になるようなことは、
あってはいけない。

純粋に、真剣に祈れば祈るほど、
幸せになっていける、
また、祈りや願いを現実にかなえていける、
真実の宗教が求められます。


そして、その、
本当に祈りからプラスの結果がでる、
どこまでも無限に、
幸せをもたらしていける、
また、悩みや問題を解決でき、
夢や希望をかなえていける力(ちから)のある、
真実の宗教が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:15│

2014年05月07日

A0100


創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰を
やってみるきっかけは、いろいろ、あると思うけれど、
何かの悩みや問題があって、
その解決(かいけつ)のために
創価学会の信仰をやりだした場合が、
多いかもしれない。

そして、その悩みや問題が、
ことごとく解決していくから、
創価学会は広がり、
世界192カ国にまで、発展(はってん)している。

それは、現実に、
創価学会の、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる仏法の信仰に、
悩みや問題を解決していく、
大きな大きな力(ちから)と
無限の可能性があるからだけれども、
別の観点(かんてん)から、
悩みや問題が解決できる理由を
考えることもできる。


それは、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、
間違いのない、
人々を幸せにできる、
本当に正しい、正義(せいぎ)とプラスの
信仰だと言うことですが、
それとは逆(ぎゃく)に、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)にしても、
神社信仰にしても、観光宗教にしても、
日本にはびこっている、それらの宗教が、
あきらかに間違(まちが)った、
でたらめな宗教であり、
人々を不幸にする宗教だということです。

それらの葬式仏教や神社信仰、
観光宗教が、間違った宗教であることは、
ちょっと考えれば、わかりますし、
仏法哲学(ぶっぽうてつがく)をひもとけば、
完全に間違った宗教であることが、
わかります。

間違った宗教に祈るということは、
その間違った、でたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、ゆだね、
ささげていくことになります。
間違ったでたらめな宗教に、
自分の生命と人生を、
ゆだね、ささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、
間違ったデタラメなものになっていったなら、
その当(あ)たり前の結果として、
さまざまな不幸が、
もたらされてしまいます。


それが、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教などの間違った宗教です。


だから、そのような宗教にかかわってきたということは、
当然、その間違った宗教の
悪影響(あくえいきょう)と害毒(がいどく)を、
自分の人生に受けていくことになります。

だから、先祖代々、受け継(つ)がれている宗教が、
さっきも言ったように、
間違った、人を不幸にする宗教である場合、
その悪い影響、弊害(へいがい)を、
自分の人生と生命に
受けてしまうということが、できます。

また、自分が過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に
かかわった宗教が、
間違った悪(あ)しき宗教であったがゆえに、
その間違った影響、
さまざまな不幸を背負(せお)って、
自分が生まれてしまったと、
考えることもできます。


人は、悩みの根本原因までは、
考えがおよびませんが、
さまざまな悩みや苦しみ、不幸は、
間違った宗教から起ってくると、
断言(だんげん)することができます。

ところが、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の
信仰につくということは、
逆に、その、自分が今までかかわってきた
間違った宗教を捨てて、
断(た)ち切ることを意味しています。

不幸の根源(こんげん)には、
その間違った宗教があるわけですから、
悩みや苦しみ、
不幸の根本的な原因は、
その間違った宗教にあるわけです。

そして、その、間違った宗教を捨てるということは、
その不幸や悩みの根本原因を、
捨てることになります。

不幸の根本の原因を捨てたんだから、
それは、結果として、
不幸や悩みを
消(け)し去(さ)ることになります。

原因がなくなれば、
それは結局(けっきょく)、
悩みや問題を、
解決することになっていきます。


そう考えると、
この創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰をやっていったとき、
ことごとく悩みや問題を解決していけ、
それがかりに、大変な悩みや問題であっても、
創価学会の信仰を、
真剣にやっていくことによって、
解決していけるのも、
納得(なっとく)いくかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

問題は、
宗教には、正邪(せいじゃ)がある!
ということです。

間違った宗教をやっていけば、
不幸になるし、
正しき宗教をやっていけば、
幸せになります。

その間違った、
人を不幸にしてしまう宗教が、
日本にはびこっている
葬式仏教や神社信仰、観光宗教などです。


人は、正月などになると、
初詣(はつもうで)だと言って、
さまざまな神社や仏閣(ぶっかく)に行きますが、
実際は、いいことなどありません。

不幸になる原因を、
つくりに行っているにすぎません・・。

そして、それは、
自分の生命と人生に、
積(つ)み重(かさ)なり、
時と共に、
その人を苦しめることになるでしょう・・。


人は、このことに、
早く!気づくべきでしょう。


そして・・、
それとは逆(ぎゃく)に、
どんな不幸も、悩みも打ち破(やぶ)り、
夢や希望をかなえて、
太陽のような幸せを勝ち取っていける、
唯一(ゆいいつ)、真実に正しい宗教と言えるのが、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:34│

2013年03月06日

A7cd_b


人間の不幸を、考える時、
おおまかに、二つのパターンが、
あるそうです。

ひとつは、念仏宗的な不幸。

念仏(ねんぶつ)というのは、
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と、となえ、
現実の世界では、幸せになれないから、
極楽浄土(ごくらくじょうど)という、あの世の世界で、
幸せになろう、という思想です。

ようするに、
完全な現実逃避(げんじつとうひ)です!!。

だから、念仏型の人は、
苦しいことがあっても、乗り越(こ)えようとせず、
何事も、しかたない!と、
あきらめてしまいます。

しかも、念仏型の人は、
現実逃避の終局(しゅうきょく)の形として、
自分を、傷(きず)つける行動に出てしまい、
現実から、逃げよう!逃げようと、
自殺してしまう人が、多く出ます。

また、実際、念仏(南無阿弥陀仏)を、
となえていると、
だんだん、気持ちが、落ち込(こ)んできて、
自分の生命力が、奪(うば)われていきます。
だから、現実から、逃げたくなり、
自殺したりしてしまいます。

念仏(南無阿弥陀仏)を、となえている人、
あるいは、念仏宗の人は、
ちょっと良くなったと思ったら、
ドーンと落ちて、
またちょっと良くなったと思ったら、
また、ドーンと落ちる、
苦悩が、絶(た)え間なく続く、
地獄(じごく)のような人生になっていきます。

これを、
『念仏無間地獄』と、言います。

実際に、モルモットを使った実験では、
念仏(南無阿弥陀仏)を、
聞かせているモルモットは、
だんだん、元気がなくなってきて、
普通より、早死してしまうそうです。

よく、年配(ねんぱい)の方などは、
危急(ききゅう)の時に、
南無阿弥陀仏と、となえる人がいますが、
これは、とんでもない間違(まちが)えで、
南無阿弥陀仏をとえなるのは、
「早く死にたい、早く死にたい・・!」
と、となえているのと同じです。

そして、実際に、
そのような結果になってしまいます。

これが、念仏宗的な不幸です。
だから、何ごとも、逃げてしまい、
あきらめてしまう人は、
念仏型不幸の人で、
その人は、先祖が、
念仏宗(浄土宗、浄土真宗)だったりして、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)において、
念仏の信仰を、していたと考えられ、
念仏の悪影響(あくえいきょう)が、かなり、
色濃(いろこ)く、出てていると思われます。

これが、ひとつめの不幸のパターン。


二つ目の不幸のパターンは、
禅宗(ぜんしゅう)的な不幸です。

禅宗は、
経文(きょうもん)は、月を差(さ)す指のようなものだから、
そんなものは、自分で悟(さと)ってしまえば、
いらないんだ!と、言っています。

要するに、慢心(まんしん)です!

仏(ほとけ)が、
仏法の哲学(てつがく)と、
実践方法、生命の法則(ほうそく)を、
未来の世界と、人々を、幸せにするために、
残されたのが、経文ですが、
そんなものは、必要なんいだ!
オレ様は、スゴイから、
座禅(ざぜん)をくんで、自分で悟(さと)り、
自分で、仏になるんだ!
と言っているのが、禅宗です。

けれど、実際は、
座禅を組んで、悟り(さとり)を得た人なんて、
本当は、一人もいません!
自分でかってに、
自分は、仏(ほとけ)になったんだ!と、
無理(むり)やりに、思い込(こ)んでいるだけです!
単なる、カッコだけです。
悟(さと)りを得ることは、120%、
ありませんが、
キチガイになることは、あるでしょう。

仏(ほとけ)だと思えば、仏なんだ!
という、無理やりな教えが、禅宗なのです。
ようするに、
オレは、天才だと思えば、天才なんだ!
というのが、禅宗(ぜんしゅう)です!

だから、禅宗的な不幸の人は、
能力がないのに、できると思い込(こ)んでいる!
ひとりよがりで、プライドばかり高く、
実際は、何にもやっていないし、
幸せに向かって、動こうとしない!
けれど、おれは、できるんだ!
オレは、イケテルんだ!と思い込んでいる。

それが、禅宗的な不幸の人です。
これが、二つ目の不幸のパターンです。

こういう傾向(けいこう)の強い人は、
先祖が、禅宗だったり、
あるいは、過去世に、
禅宗の信仰を、やっていたと、
考えられます。

禅宗は、実際には、
仏法の哲学を、破壊(はかい)する行為なので、
「禅宗は、天魔の行(おこな)いだ!!」
と、いわれています。
ようするに、禅宗をやっていると、
精神的に、おかしくなっちゃうって、
ことではないか?と、思います。


これが、二つの不幸のパターンです。
念仏的な不幸も、禅宗的な不幸も、
どちらも不幸なことは、わかると思います。

何が、欠(か)けているか?というと、
あたりまえに考えれば、
「現実の中で、夢に向かって、
 一生懸命、努力し、がんばっていく!」
ということです。

これがなかったら、
何も成就(じょうじゅ)しないのは、
だれでも、わかります!

けれど、上の二つのパターンからも、
わかるように、不幸な人は、
それが、なかなか、できない!

それは、なぜか?というと、
二つのパターンとも、
自分の生命に、間違(まちが)った思想、
間違った宗教が、
本人の願望とは、関係なく、
自分の中に、
根付(ねづ)いてしまっているからです!

これは、恐(こわ)い!
自分の生命の中に、
自然と根付いてしまっているので、
どうしても、そうなってしまう。
抵抗(ていこう)できない!
知らず知らずのうちに、
不幸の方に、引きずられてしまう。

ここに、本人が知っている、知らないに、
かかわらず、間違った宗教が、もたらす、
決定的な不幸が、あります。


どうにもならない・・・。


なぜ、ああなってしまうのか・・!
なぜ、あんなことをしてしまったのか・・!
なぜ、こんな不幸な自分になってしまうのか・・!
自分はどうして、こんな環境(かんきょう)の中に、
いるのだろうか・・・!

そのようなことが、
世の中には、多すぎます。

そして、それらの不幸は、
生命に宿(やど)ってしまった、
間違った宗教による!と、
言えます・・・。


この不幸を、打ち破(やぶ)ることは、
半端(はんぱ)なことでは、できません。
実際、それぞれの人生の経験から、
それが、わかる人が、
多いのではないのでしょうか?
なかなか、自分の持っている、
傾向性(けいこうせい)は、変えられない!

はっきり言えば、
その、念仏や、禅宗のような、
間違った宗教によって、
インプットされてしまった、
自分の命の傾向性、
不幸の根本原因は、
『真実の仏法(ぶっぽう)』の実践(じっせん)による以外、
打ち破ることは、できません!!!


実は、それが、
創価学会が、実践している、
真実の仏法(ぶっぽう)である、
『南無妙法蓮華経の仏法』です。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経の仏法は、
現実と戦っていくための信仰です。
現実を、いかに切り開き、
夢をかなえ、幸せにしていくか!
そのために、
南無妙法蓮華経を、となえます!

南無妙法蓮華経を、となえていると、
現実と戦う、知恵と勇気と、
強力な生命力が、
無限に、湧(わ)き上がってきます。

南無妙法蓮華経を、となえていると、
真正面から、自分を、見つめることが、
できるようになり、
謙虚(けんきょ)に、誠実に、ものごとを、
とらえられるようになっていき、
今の自分に、何が必要なのか?
また、何をやったらいいのか?が、
明確になっていき、
現実の中で、
果敢(かかん)に戦っていける、
強い強い、誠実(せいじつ)な人間に、
変わっていきます。

棚(たな)から、ボタモチのようなことは、
ありません。
そんなものは、エセ宗教です。

現実に、
自分自身が、知恵をしぼって、努力し、
また、勇気を出して、行動し、
自分自身が、
変わっていくことによって、
夢が、かない、幸せになっていけるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

だから、
不幸に、とらわれた人には、
なかなか、できない、
常識的な努力、あるいは勇気や行動、
それらの、勝利し幸せになっていくためには、
必要欠(か)くべからざるものが、
自然のうちに、すべて、
そなわってしまうのが、
不思議(ふしぎ)ですが、
南無妙法蓮華経の仏法です。

また、皆が努力している中でも、
勝利し幸せになっていくための、
最も価値(かち)ある努力、
最高の行動が、
南無妙法蓮華経をとなえていると、
その時々、不思議にも、
できるようになっていきます。

ゆえに、勝っていけるんです。


また、南無妙法蓮華経の仏法は、
それだけでなく、
さまざまな「運(うん)」や、ラッキー、
幸せを引き寄(よ)せる、
計(はか)り知れない
無限の力(ちから)やエネルギーとなって、
その人を助け、
幸せに導(みちび)いていきます。

普通は、どうしようもないような、
「運」、「不運」・・。
それさえも、幸せの「福運(ふくうん)」に、
変えていってしまうのが、
南無妙法蓮華経の仏法です。


だから、創価学会の人たちは、
南無妙法蓮華経を、真剣に、となえる中で、
自然のうちに、勝利の条件が、
ととのってしまい、
勝利し幸せになるために必要なことが、
自然のうちに、できるようになってゆくから、
また、「運」を強力に、
自分に引き寄(よ)せていけるので、
その当然の結果として、
勝利し、幸せになっていけるんです。

これは、学歴があろうが、なかろうが、
どこの国の、どんな環境の人であっても、
変わりがありません!

世界中、どこでも、
ご本尊(ほんぞん)に、
真剣に南無妙法蓮華経を、となえぬき、
そして、仏法の実践としての
創価学会の活動を、やっていく。
その中で、すべての人が、
勝利と幸せのノウハウと幸運を、
自然のうちに、自分の生命に身に付け、
幸せになっていけます!

単なる方法論でもなく、理屈(りくつ)でもなく、
生命そのものを、『幸せ』に変革してしまうから、
それが、できるんです!!


こんなすごいことは、
他では絶対、できないでしょう・・・。


それが・・、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法です・・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 07:41│

2012年11月23日

A794_o


まえに、
サケが、自分の生まれた川に、
戻(もど)ってくる光景を見に、
北海道に行ってきた人がいて、
いろいろ、話してくれました。

サケが、川に戻(もど)ってくると、
川は、サケの群(む)れで、
縦(たて)に、四層にも五層にも、なるそうです。
それで、川に、棒(ぼう)を、立てても、
倒れないそうです。

サケは、およそ、稚魚(ちぎょ)の、
98%が、自分の生まれた川に、
戻ってくるそうです。

よく、テレビとかで、見たけど、
川が、段になっている場合、
その箇所(かしょ)は、
滝のような形状になる!

そんな滝(たき)のような場所があっても、
サケは、川を、のぼっていく。
見ていると、サケは、
その滝のような逆流(ぎゃくりゅう)を、
上ろうとしては、ハネ返されて、
また、もどり、しばらく、
流れのゆるやかなところで、
休んで、また、滝のような逆流を、
のぼろうとし、また、
ハネ返されて、
石や砂利(じゃり)に、傷(きず)つけられながらも、
また、逆流を、上ろうとする。

そんなことを、サケは、
なんども、なんども、
繰(く)り返している。
その光景を見た人が、
「サケは、なんて、無駄(むだ)なことを、
 しているんだろう!」と思い、
地元の漁師に、聞いたそうです。

「なんで、サケは、あんな無駄なことを、
 しているんですかね!」と。

すると、地元の漁師の人は、

「サケは、ああやって、逆流にハネ返され、
 石や砂利(じゃり)に、自分の腹を、
 ぶつけることによって、
 タマゴを包(つつ)んでいる袋を、
 自分で、破っているんだよ!」

と、答えてくれたそうです。

それを聞いた観光の人も、
なにごとも、無駄(むだ)なことなんて、
ないんだな!と、関心したそうです。


サケは、卵を産むために、
自分の生まれた川に、帰ってくる。
そして、タマゴを生んだら、
死んでいく。
それだけのために、
はたから見たら、大変な思いをして、
川を、上っていく。

死ぬために、川に戻ってくるようなものだから、
考えによっては、
とても、はかなく、哀(あわ)れにも思われる。
けれど、それも、無駄ではない。
死んだサケの体は、さまざまな動物の、
食料にもなるし、また、そのまま、残り、
腐食(ふしょく)していったサケの体は、
やがて、プランクトンにまで、
分解(ぶんかい)されていく。
そして、ちょうど、そのころ、
サケの卵は、孵化(ふか)し、
サケの体から、生まれたプランクトンは、
サケの稚魚(ちぎょ)の、エサになっていく。

プランクトンを食べたサケの稚魚は、
海に出て成長し、
また、生まれた川に帰ってくる。

そこには、無駄(むだ)はない。
すべてが、無駄なくスムーズに、
循環(じゅんかん)している!

これが、本来の自然の摂理(せつり)なのかも、
しれない。

すべてに無駄がない生命の法則(ほうそく)、
もっと言えば、
すべてに無駄がない、宇宙の法則。
これが、本来の姿!

その本来の、宇宙のリズムの中では、
すべてが、スムーズに、
なんの無駄もなく、循環(じゅんかん)していく。

これが、
本来の生命の法則であり、
宇宙の法則なんだと思う。


ところが、
人間の人生には、
あるいは、人間の生き方には、
なんと、無駄が、多いのかと、
思うことがある。
生命のリズムに無駄がないということは、
それは、『幸せ』を意味しているんだと思う!
なにもかも、すがすがしく、心地(ここち)よい!
だから、幸せを感じる。
だから、無駄は、その逆(ぎゃく)で、
なにもかも、うまくいかない!
スムーズでない。気持ちよくない。
それは『不幸』を意味してるんだと思う。


この世には・・・、
ほんとは、あってはいけない・・・、
すなわち、人生にとって『無駄』であるはずの、
『不幸』が、なんと、たくさん、
存在(そんざい)しているんだろうか・・・・!


宇宙は、本来、無駄がなく、
スムーズに循環(じゅんかん)しているはずだ!
それは、すなわち、
宇宙には、本来、『不幸』はなく、
すべてが、幸せのために、
循環していくことを、意味する。

それなのに、
人間は、多くの『不幸』を、かかえている!
それは、なぜなんだろう?

それは、簡単に考えると、
人間が、宇宙のリズム、
宇宙の法則、生命の法則に、
反(はん)しているからだと思う。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

人間が、この宇宙のリズムに、
逆(さか)らい、
宇宙の法則に、逆らい続けるかぎり、
人間の不幸は、なくならないかもしれない・・。

人間の、ありとあらゆる不幸は、
根底(こんてい)から言うと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、反(はん)し、
宇宙の、生命のリズムに、逆らい続けているから、
起こると、いえる。

その生命の法則である、宇宙のリズム!
生命のリズムである、宇宙の法則が、
実は、創価学会の人たちが、
日々、となえている、
『南無妙法蓮華経』です!!

南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムであり、
生命の法則なんです!

だから、宇宙のリズム、生命のリズムから、
外(はず)れてしまった人間、
宇宙のリズムと、完全に、ずれて、
歯車(はぐるま)が、
狂(くる)ってしまった人間。
そうなった人間のことを、
きっと、『不幸』というのだろうけれど、
宇宙のリズムから、はずれ、
生命のリズムが、狂ってしまった、
不幸なる人間も、
宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえていくと、
自分で、宇宙のリズムである、
『南無妙法蓮華経』を、となえているので、
自分の生命が、宇宙のリズムと、
合致(がっち)してくるようになる。
すなわち、宇宙のリズムと、
歯車が、かみ合うようになってくる!

本来、宇宙のリズムは、
幸せのリズムなのだから、
宇宙のリズムである『南無妙法蓮華経』を、となえて、
自分の生命が、宇宙のリズムに、
なっていけば、
「宇宙のリズム」イコール「幸せのリズム」なので、
当然、その人は、
幸せになっていける。

そうなれば、
当然、努力は、報(むく)われ、
夢や希望を、かなえて、
人生を、勝利できる!

それが、南無妙法蓮華経の法則だと思う。


だから、創価学会の人たちは、
どんな人であろうと、
どんなに、歯車が狂って、
不幸になってしまった人でも、
南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、
宇宙のリズム、幸せのリズムを、取り戻(もど)し、
蘇生(そせい)して、
幸せになっていける!

そしてその、証明(しょうめい)として、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がり、
あらゆる人々に、希望と勇気、
勝利と幸せを、もたらしている・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 12:26│

2012年02月20日

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ぼくの知り合いに、
1ヶ月の家賃が、
普通の人の1ヶ月の給料以上という、
高級マンションの、管理人を
やっている人が、いるんですが、
その人の話しを、聞いていると、
お金持ちだからといって、
本当に幸せかと、いうと、
どうも、そうでもないらしい。

いろいろ、問題を起こす、
常習犯がいたり、
詐欺(さぎ)で、どこかに
逃亡(とうぼう)してしまう人が出たり、
いくら、お金があっても、
大変な病気に、悩んでいたりして、
管理人も、いろいろと、
大変だそうです。

そして、その管理人、いわく。
「お金持ち、イコール、幸せではない!」
と、つくづく、言っていました。

だだし、これは、
別に、お金持ちに、かぎった話しでは、
ないと思う。
ぼくなんか、正直、
お金は、たくさん、たくさん、
ほしいし、お金持ちでなくても、
悩みや、問題は、たくさん、ある!
かえって、悩みは、お金がない分、
多いかもしれない。
けれど、それは、逆に、
お金があっても、同じで、
お金がある分、余裕(よゆう)があるので、
本来、なかなか、見えてこない、
本当に幸せであるか?どうか?ということが、
まざまざと、見えてくるのかも、
しれない。
そして、自分は、本当は、
幸せではない!ということに、
思い知らされる場合が、
多いということだろうか?

ぼくには、良く、わかりませんが、
その管理人の人が、いうには、
「あんまり、お金は、なくてもいい!」
と、思うように、なったそうです。

お金がなければ、生活が、できないわけだし、
当然、お金があったほうが、
幸せだとは、思うけれど、
それだけでは、本当の幸せを、
つかむまでは、いたらない!
と、いうことだろうか?
確かに、「本当に、幸せだ!」という、
充足感(じゅうそくかん)は、
お金が、あるかないかでは、ない!
だから、もちろん、大変な、お金持ちであっても、
「本当に、幸せだ!」という、
充足感を、持っている人は、いると思う。


創価学会のある女性が、いて、
その女性の夢は、
海の見える大きな屋敷(やしき)に住み、
家には、メイドが、たくさん、いて、
毎日、王女様のように、過(す)ごす!
・・・・だったそうです。

ところが、彼女は、
ラッキーな結婚に、めぐまれ、
海外に行くことになって、
自分の願いが、すべて、かなってしまった!
そうです。

海の見える美しい家、
なんでもしてくれるメイド、
なんの心配のない生活、

けれど、その女性は、
もう、一週間で、飽(あ)きたそうです!
それで、彼女が思い、願ったことは、
「早く、日本に帰って、
 創価学会の活動が、おもいっきり、したい!」
と、いうことだったそうです。

彼女の祈りが、強いのか
(祈るとは、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえることです)
その願いも、かなったそうです。
今では、創価学会の活動を、することほど、
幸せなことは、ない!と言って、
喜々(きき)として、活動し、生活しているそうです。

ここで、問題となるのは、
海の見える素晴らしい家、
なんの不自由もない、メイドのいる生活、
普通、考えたら、
こんな幸せなことは、ない!と思うんですが、
彼女が、なぜ?
それを、幸せでない!と、
感じたかと、いうことです。

それは、その何不自由もない生活より、
はるかに、幸せなことを、
自分で、体験しているからです。
自分の生命で、裕福(ゆうふく)ということより、
はるかに幸せな感情を、
実感(じっかん)したことがあり、知っているからです。

創価学会の活動、
創価学会の中で、生きるということ。
それが、どんなに幸せなことか、
彼女は、身をもって、実感していたからです。
だから、どんな裕福な生活も、
彼女に、本当の幸せを、
感じさせることは、できなかった。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

世界中には、お金以上の幸せを、
知っている人が、たくさん、いると思う。
けれど、お金以上の幸せを、
たくさん、知っている人であっても、
創価学会の中で、生きる幸せ、
ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経を、となえて、
生きていく幸せを、知らない人は、
やまほど、いる!
(ご本尊とは、南無妙法蓮華経を、
となえる信仰の対象で、
仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになることのできる、
偉大(いだい)な、素晴らしい仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることを、あらわしたものが、
ご本尊です。)

けれど、ほんとうは、
南無妙法蓮華経を、となえる幸せ、
創価学会の中で生きる幸せほど、
幸せなことは、おそらく、
他では、絶対に、ないです。

なぜ、そう言えるかというと、
創価学会の中で生きる幸せ、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、
となえて生きる幸せを、
自分の生命で、わかっているからです。

ぼくごときが言うのも、おこがましいですが、
それでも、はっきりと、明確に、
知っているからです。
これは、体験しないと、わからないからです。
自分で、やってみなかったら、
本当の幸せが、どういうものか、
わからない!
それは、当然の道理(どうり)だと思う。

創価学会でない人たちも、
自分は、幸せだと、思っている人は、
たくさん、いると思う。
けれど、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰を、
やってみると、
今までの自分が、ほんとうは、
幸せでなかったことが、
よく、わかってくる!!
それが、わかるから、
当然、創価学会は、世界中に、
広がり続けている。
(現在、世界192ヶ国に、広まっている)

これは、お金持ちであろうと、
貧乏(びんぼう)であろうと、同じことです。

お金持ちの人は、お金だけでは、
癒(いや)されなかった、言葉では、
言いあらわせない不幸を、
貧乏の人は、その窮乏(きゅうぼう)による不幸を、
創価学会の南無妙法蓮華経を
となえる信仰によって現実に克服(こくふく)し、
そのどんな不幸も、はるかに超(こ)える、
自分の生命に、太陽が昇(のぼ)るような、
本当に、すがすがしい幸せを、
勝ち取り、感じることが、できる。

真っ暗な闇(やみ)も、
太陽が、昇れば、
あっというまに、消えてしまう。
それと同じように、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法の信仰に、ついたあとには、
一点の曇(くも)りもない幸せを、
感じることが、できる!

まず最初に、自分の心で、
自分の生命で、太陽のような幸せを、
感じることが、できる。
そして、その心は、
やがて、
自分の宿命(しゅくめい)を、転換(てんかん)し、
さまざまな悩みを、解決し、
自分の人生を、大きな幸せへと、
転換していってくれる。


それが、どんな不幸も打ち破り、
幸せの太陽を昇らせる、
創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)だと思う・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 22:41│

2011年12月15日

HT049


このまえ、ビデオで、
アニメ「火の鳥(黎明編)」を、
見ました。

昔、マンガで見たのを思い出して、
なつかしくなって、見ました。

ヤマタイ国の王女、ヒミコは、
権力を手にしながらも、
自分の老いと死に、おびえていた。
ヒミコは、
永遠の命を持つという、火の鳥を求め、
その火の鳥の住むという、
ヒの国を、襲撃(しゅうげき)し、
滅(ほろ)ぼしてしまう。

ヒの国の少年ナギは、
ヤマタイ国の将軍、猿田彦に、助けられ、
生きのびる。
また、ナギの姉ヒナクと、恋人グズリも、
山に、のがれ生き延(の)びる。
しかし、ヒナクとグズリは、
火山の爆発によって、
山の深い縦穴の中に、閉じこめられてしまう。

やがて、ヤマタイ国は、
自分たちが、侵略(しんりゃく)してきたと同じように、
馬に乗る騎馬民族に攻(せ)められ、滅ぼされる。
ヒミコも、火の鳥の生き血を飲むことなく、
死んでしまう。
猿田彦も、ナギも、死んでいく。

見終わって、強く感じたのは、
なんとも言えない、つらい感情でした。
難(むずか)しいことを言えば、
すごく、「無常(むじょう)」というものを、感じました。

希望が見えるシーンとしては、
猿田彦と、婚姻(こんいん)関係にあった、
ウズメが、最後、
「猿田彦は、負けてはいない!
 なぜなら、私のおなかには、猿田彦の子供が、
 宿(やど)っているからだ!
 猿田彦の生命は、受けつがれたんだわ!」
と、叫ぶシーンと、

年月を経(へ)て、グズリとヒナクの子・タケルが、
脱出不可能と思われた縦穴を、
火の鳥の励(はげ)ましを、受けて、抜け出すシーンだろう。

にもかかわらず、このアニメには、
なんとも言えない悲しみが、つきまとう。
それは、普段は、あまり感じることがない、
「人間は、いづれ、年老い、死ぬ!」という、
無常感からだろう。

無常とは、仏教の思想の一部だけれど、
深いといえども、まだ、浅(あさ)はかな思想だと、
言わざるをえない。

なぜならば、人生、はかない!
世の中は、たえず、移り変わり、無常だと、
意識したところで、
今、生きている人間を、現実に、
幸せにすることは、できないからです!
無常感を、感じたところで、
現実を、勝ち抜(ぬ)く力には、ならない!

けれど、本当の仏法(ぶっぽう)は、無常ではない!
無常のように、あきらめたような、悲しみはない!
本当の仏法は、まるで、
太陽のように、明るい!

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、
言っていた。

『悲観(ひかん)は、いらないんだよ!
 感傷(かんしょう)すら、いらないんだよ!
 だだ、希望だけを、いだいて、
 生きていけば、いいんだ!』

と・・。

それが、現実にできる、
哲学(てつがく)と、生命観があり、
現実を強力に切り開いていくエネルギーが、
南無妙法蓮華経の仏法であり、
その実践(じっせん)が、
「南無妙法蓮華経を、となえる」と、いうことだと、
思う。

頭が良いとか、悪いとか、
金や地位が、あるとか、ないとか、
そんなことは関係なく、
死ぬ時にも、まるで太陽のような希望と幸せを、
抱(いだ)いて、死んでいける!
それが、創価学会が実践している、
本当に仏法(ぶっぽう)です・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

人は、このアニメの
ヤマタイ国の王女、ヒミコのように、
永遠なるものを、求めているのかもしれない。
本当の希望、本当の幸せ。
その象徴(しょうちょう)が、
火の鳥であったんだと思う。

また、それほど、大げさでないにしても、
自分の悩みを解決できる糸口となるもの・・、
自分の夢や希望をつかむために、
何かのきっかけと手立(てだ)てを、
人は、求めている。
そして、最終的に、
本当に幸せになっていける方法を、求めている。

けれど、その幸せになってける方法を、
つかめないまま、
まるで、アニメ火の鳥の王女・ヒミコや
登場人物たちのように、
そのまま、死んでいくことが多いことも、
現実だと思う。

そこに、人は、無常を感じ、
不幸を感じていく。

ここに、人間が生きていくうえでの、
根底的(こんていてき)な不幸が、存在している。

この『無常』につらなる、
根底的な不幸を打ち破らないかぎり、
人が本当に望む幸せは、
もたらされない!と言えると思います。

だから、アニメ火の鳥の王女・ヒミコは、
火の鳥を求めていった・・。

ヒミコが火の鳥を求めたように、
人は、
無常を打ち破るもの・・、
根底的な不幸を打ち破るものを、
求めている。

そしてその、心の底で、
だれもが求めている、
根底的な不幸を打ち破る力(ちから)が、
実は、創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経を、となえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


それは・・、
あたかも火の鳥のように、
無常につらなるさまざまな不幸を、打ち破っていく!

無常を打ち破り、永遠なるもの、
火の鳥のような幸せを、勝ち取らせてくれる。
それは、まぎれもない希望であり、
まぎれもない幸せだからです。

その結果として、
どうしても解決しなかったような、
さまざまな悩みが解決できたり、
大きな壁(かべ)のように思えた夢や希望も、
かなえていけるようになっていく。


だから、かりに、
火の鳥を、探(さが)すとしたら、
それは、どこでもない、
自分のこころ(生命)の中にある、
『希望と幸せ』が、火の鳥なんだと思う・・。


その火の鳥と言えるような希望と幸せを、
輝かし、つかんでいく方法を、
人は、求めているんだと思う。

そしてその、
火の鳥と言えるような「希望と幸せ」を、
どこまでも燃やし続ける生き方ができるのが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法です。


だから、南無妙法蓮華経の仏法を、
真剣に実践している人は、
他のだれよりも、
希望と幸せを、感じることが、できる!
それは、どんな悩みや困難にも負けないで、
勝利と幸せを勝ち取っていける道に、
つらなっている・・。

まるで、それは、
火の鳥のように・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:27│

2011年11月06日

HT015


まえに、テレビで、
家族5人を、殺害した男性の
プロファイルみたいなことを、
やっていたのを
見たことがありました。

その男性は、近所の人たちに聞くと、
だれもが、すごく、良い人だったと、
口をそろえたように言っている。
いつも、にこにこしていて、
やさしかったと・・・・。

けれど、大変な惨事(さんじ)を、起こしている。
よく、犯罪者と、回りの人たちから見た、
感じ方に、大きなギャップがあるときが、
ある。

その男性は、いつか、
母親を殺してやろうと思っていたと、
供述(きょうじゅつ)していたようです。

人間の心の闇(やみ)は、わからない。
また、はたから見て、とても良い人であっても、
どうして、そんな惨事(さんじ)を、
起こしてしまうのか?
それも、わからない。

人間の心理、
人間の行動、
人間の中にある闇(やみ)、
どんなに科学が、発達しても、
人間の心を、解明することは、
できないのだろうか?

仏法(ぶっぽう)では、そういう、どうにもならないような、
その人の持っている宿命のようなものを、
「宿業(しゅくごう)」という。
その人の生命に宿(やど)っている業(ごう/宿命)。
その人の深層心理のなかに、
どうして、そんな人も自分も、
不幸にするような心理が、宿(やど)っているのか?
考えれば考えるほど、わからない!

仏法では、その宿業(しゅくごう)とも言える、
深層心理にまで、言明(げんめい)している。
なぜ?人間は、不幸になる心を宿(やど)し、
不幸になる行動を、してしまうのか?
その原因を、仏法は、
『間違った宗教にある!』と、
明確に言い切っている!

人は、だれでも、生まれたからには、
先祖があり、その先祖を、たどっていくと、
必ず、なんらかの宗教に、かかわっている。
その宗教が、間違(まちが)った宗教である場合、
自分には、関係ないと思っていても、
あるとき、間違った宗教は、
その宗教が、間違った、
人を不幸にする宗教であるがゆえに
不幸な考え方、不幸な行動として、
深層心理の中から、
必ず、出てくる時がある!

たとえば、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と、
となえる、念仏(ねんぶつ)宗(浄土宗、浄土真宗)。
この念仏宗は、この世では、幸せになれないから、
極楽浄土(ごくらくじょうど)という、
あの世で、幸せになるという、
完全な現実逃避(げんじつとうひ)の宗教です。
だから、念仏宗の家系では、
何かあると、すぐ現実逃避してしまい、
また、死にたくなってきます。
そして、実際に自殺者が、多く出ます。
だいたい、自殺する人は、
その人の家系が、念仏宗で、
その人の深層心理では、この念仏宗が、
悪影響を、およぼしていることが、
多いと思う。
そして、念仏宗は、
『念仏無限地獄』と言って、
ちょっと良くなったと思ったら、ドーンと落ちて、
また、ちょっと良くなったと思ったら、
ドーンと落ちることの連続で、
まさに、地獄(じごく)のような人生になっていきます。


宗教というものは、気づかないようでいて、
ほんとうは、すごく、こわい。
間違った宗教は、宿業となって、
病気にしろ、事件にしろ、
さまざまな不幸を、呼び起こす。

だから、宗教なんて、関係ないと、
バカにしていても、
深層心理の根源(こんげん)の部分では、
宗教は、自分の人生に、
大きな影響を、およぼしている。
それが、間違った宗教の、
恐いところです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

この間違った宗教の、
悪(あ)しき影響を、断(た)ち切る方法は、
ひとつしかない!
それは、本当の正しい宗教に、つくことです!

はっきり、言うと、
創価学会が、実践(じっせん)している、
真実の仏法(ぶっぽう)である、
南無妙法蓮華経の仏法を、実践すること。
それしかない!

性急(せいきゅう)なようだけれど、
これだけは、本当に、
それしかない。

そのことを、明確に見極(みきわ)め、
正しい仏法を、実践してきたから、
創価学会の人たちは、
さまざまな不幸や、悩みを、
逆転して、幸せになっていけたんだと思う。

バカにする人は、
バカにすると思うけれど、
別に、バカにしても、しょうがない。
これは、本当のことだからだです!
本当は、宗教は、人の幸、不幸を決める、
決定的な部分を、しめている!!

それは、実際に、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の、
真実の仏法を、実践してみないと、
わからないかもしれない・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 17:05│