殺人

2013年08月21日

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このまえ、
ビデオで、
アニメ『火の鳥・異形編(いけいへん) 』を、見ました。

戦国時代、女性でありながら、
男として、育てられた、
左近介(さこんのすけ)は、
そんな父を、ずっと憎(にく)んでいた。

非道(ひどう)のかぎりを、つくした父は、
重い病気にかかり、死にかけていた。

そんな中、
800年も生きているという噂(うわさ)がある、
八百比丘尼(やおびくに)を、
家来(けらい)が、左近介の父のもとに、つれてくる。

八百比丘尼(やおびくに)は、
その父の病(やまい)を、治(なお)すことができる!と、
断言する。

自分が、女性に戻(もど)るためには、
父に死んでもらわなければならない。
そう考えた左近介は、
八百比丘尼を、殺すために、
山奥の寺に、でかける。
そして、左近介は、八百比丘尼を、斬(き)ろうとする。

すると、八百比丘尼は、
「待っておりました。わかっております」
と言う。
そして、左近介に、斬られ、殺される。

左近介は、山を降(お)りようとするが、
何度、城に戻る道を行っても、
もといたところ、山寺に、戻ってしまう。
そして、自分が、不思議な時空(じくう)のはざまに、
閉じ込(こ)められてしまったことを、知る。
その空間は、なんと、自分が生まれる前の、
現実の時間より、30年も前の過去の空間だった。

その山寺には、
さまざまな、傷(きず)ついた人々、病気の人々が、
やってきた。
この山寺に、
『火の鳥』の光り輝(かがや)く羽(はね)があり、
その羽で、さわられると、
どんな病(やまい)も傷も、
治(なお)ってしまうからだ。

左近介は、閉(と)じ込められた空間の中で、
外の世界に、出ることは、できない!
ならば、ともかく、
今、ここで、できることを、しよう!と、
自分が八百比丘尼の代わりに、
『火の鳥』の羽を使って、
来る人、来る人の病(やまい)や傷を、
つきることなく、治しつづける。

そのうち、人間だけでなく、
異次元(いじげん)の化け物、怪物たちも、
病気や、傷を、治してもらいに、やってくる!
左近介は、ためらうことなく、
火の鳥の羽で、怪物たちの傷を、
治(なお)し続ける。

そして、十数年たったのち、
里(さと)から来た人間に、
その土地の領主に、世継(よつ)ぎが、
生まれ、名前が、
「左近介」であることを、告(つ)げられる。

そして、自分が殺したのは、
まさしく、自分自身だったことに、
気づき、18年後、
自分自身を、左近介が、
殺しにくることを、理解する。

そのとき、
左近介の前に、
火の鳥が、出現し、
左近介に、告(つ)げる。
「あなたは、人を殺した!
 その罪(つみ)によって、未来永劫(えいごう)に、
 人に、殺され続けるのです。」

「そして、その罪を、消すために、
 不幸な人々、または、異次元の不幸な化け物たちを、
 火の鳥の羽で、永遠に救(すく)い続けなければならない!
 そして、あなたの罪が消えた時に、
 あなたは、
 この閉ざされた異空間(いくうかん)から、
 でることが、できる」

と・・・・・。

この物語の結末(けつまつ)では、
左近介が、外の世界に出ることが、
できたのかは、あかされていない。
けれど、やはり、外の世界に出られたことを、
願いたいのが、心情(しんじょう)だろう・・。


人を殺した罪によって、
殺されても、殺されても、
永遠に、人に、殺され続ける。

生命は永遠であり、
いわゆる、前世とか来世があり、
生まれては死に、また生まれては、死んでいくという、
生命の輪廻(りんね)を、永遠に繰(く)り返すという、
仏教観から、きているストーリーだと
思うけれど、そうだとしたら、
あまりにも、残酷(ざんこく)である!

けれど、そう考えたとき・・、
今の自分を見るとき、
今の自分の苦しみや、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)、
あるいは、今の自分の姿は、
過去のさまざまな悪行によって、
きているのではないか?と、
思うことは、できないだろうか・・・?

自分は、ほんとうは、
過去世(かこせ)に、とんでもない、
人殺しを、してきたかもしれない?と、
思ったことは、ないだろうか?

だから、いまの、苦しみや境遇、
自分の望みたくない姿が、あると、
考えたことは、ないだろうか?

現在の自分の境遇、生(お)い立ち、環境(かんきょう)、
さまざまな運命、宿命(しゅくめい)、
それらのものが、すべて、
はるか昔からの過去世の、
さまざまな人殺しなどの悪行から、
きていると、考えたなら、
なんとなく、納得(なっとく)がいくと、
思うことは、できないだろうか?

そう考えた時、
たしかに、すべての人が、
平等でなく、すべて違(ちが)った境遇と運命を持ち、
差別(さべつ)のある世界に、存在していることが、
なんとなく、理解できるのでは、
ないだろうか?


このアニメ『火の鳥・異形編 』では、
左近介は、人を殺した罪を、消すためには、
死んでは生まれ、また、死んでは生まれながら、
永遠に人を、救い続けなければならないと、
されている。
これは、小乗(しょうじょう)仏教の、
「歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)」の、
考え方だと、思うけれど、
これだと、人は、
生まれて死ぬという、ひとつの一生、
今の一生の中では、救われることはなく、
生まれては死に、死んでは生まれるという繰り返しを、
永遠に繰(く)り返し、その中で、
永遠に人を救う修行をしていかないかぎり、
罪は、消えず、救われることは、ないことになる。

それは、すなわち、自分が、今、
生きている間に、罪が消えることは、ないので、
決して、『幸せには、なれない!』ことになってしまう。

そんなんだったら、仏教なんて、くだらないし、
なんの役(やく)にもたたない。
ただ、抹香臭い(まっこうくさい)だけだから、
やらないほうがいい!
ということになってくる。

だから、それらの仏教は、
どんどん、形骸化(けいがいか)して、
たんなる、おすがり宗教や観光宗教、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)になるしかなかった。

また、神社信仰にしても同じだけれど、
それらは、
間違った、デタラメの産物(さんぶつ)なので、
役にたたないどころか、
不幸になる原因になってしまう。

間違ったデタラメの宗教に祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生をゆだね、
ささげていくことになります。

間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生をゆだねていけば、
当然(とうぜん)の結果として、
自分の生命と人生は、
デタラメの間違ったものになっていきます。
そして、自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったなら、
その結果として、
さまざまな不幸が、
もたらされることになります。

それが、日本に、一般的に充満(じゅうまん)している、
葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、
神社信仰などです。


少し、横道にそれてしまったけれど、
生まれては死に、死んでは生まれるという繰り返しの中、
永遠のように長い修行をしていかないかぎり、
罪は、消えず、救われることは、ないとしたら、
そんなもの、人はやろうとは思わないし、
興味(きょうみ)を持たない。

ところが・・、
本当の仏法(ぶっぽう)は、違う!
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
違うんです!!

死んでは生まれ、生まれては死ぬという、
無限の繰り返しを、しないかぎり、
救われないなんて、
そんな、現実味がなく、くだらないものだったら、
創価学会(そうかがっかい)の人たちは、
ひとりも、この仏法を、信じないし、
実践(じっせん)したりは、しません・・!


本当の仏法(ぶっぽう)は、そうではない!!!


今、生きている、この一生のうちで、
必ず、罪が消え、必ず、幸せになれる!

単純(たんじゅん)に言えば、
『やったら、必ず、結果が出る!!』
ということです。


それが、
創価学会の人たちが、となえている
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
であり、
祈り、信じる対象(たいしょう)である、
『ご本尊(ほんぞん)』です。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

南無妙法蓮華経は、よく、
太陽に、たとえられる。

太陽が、上がったならば、
小さな影(かげ)など、たちどころに、消えてしまう。
南無妙法蓮華経を、となえることからしたら、
自分の過去世の罪など、「小さな影」に、
すぎない!ということです!

南無妙法蓮華経を、となえることは、
自分の生命に、太陽を昇(のぼ)らせることに、
等しい!
太陽が、昇ったならば、
その生命の上では、不幸という影は消え、
幸せという歓喜(かんき)の光が、輝(かがや)いてくる!
それは、すなわち、
『必ず幸せになれる』ということです。

また、実際に、
そうなっていくのが、
創価学会が、実践している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です!

だから、悩みを解決していけるし、
夢や希望をかなえていける。
どんな苦難(くなん)も乗り越えて、
幸せと勝利をつかんでいける。


それは、そのまま、
世界192ヶ国に広がる、
創価学会の人たちの、
幸せという結果として、
現実に、花開いている・・・・・・!!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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2012年07月28日

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先日、
フランスの話しを、
ちょこっと、したんですが、
それで、思い出しましたが、
少し前に、フランス革命(かくめい)を題材にした、
ディケンズの「ニ都物語」という小説を、
読みました。

ディケンズは、19世紀の作家なので、
古典の部類に入ると思います。

この小説では、最初、
フランスの貴族たちの圧制(あっせい)に苦しむ、
民衆の姿が、描かれている。
貴族たちに、まるで、
虫ケラのように扱(あつか)われ、
簡単に、殺されていく民衆たち!
しかも、平気で行われている殺人を、
訴(うった)える手段は、民衆たちには、ない!

ただ、動物のように、耐(た)え、
下を向いて、ぼろぼろになるまで、
働かされ、死んでいくしかない!
そして、貴族たちの、
放蕩(ほうとう)の生活は、続く。

そんな中、民衆たちの、
怒りと、復讐心(ふくしゅうしん)は、
水が、沸騰(ふっとう)するように、
沸騰点を越え、
燃え盛(さか)っていく!!
そして、有名なバスティーユ監獄(かんごく)の
襲撃(しゅうげき)へと、つながっていく。

そして、フランス革命は、なされ、
有名なギロチンが、登場する。
ギロチンは、「ラ・ギョティーヌ」と、
女性の名前で、呼ばれ、
貴族たちは、不正の有無を問わず、
殺されていった!

怒りと復讐心に燃えた、民衆たちは、
フランス革命と共に、
彼らを、凶暴(きょうぼう)な殺人者に、変えてしまった!
彼ら民衆たちは、
貴族たちが、裁判に召(め)しだされたなら、
判決の有無にかかわらず、
貴族たちを、平気で、なぶり殺した!
そんな殺人の祭りが、
昼夜、続く。
想像しただけでも、ゾッとする世界だ。
そして、復讐の象徴(しょうちょう)として、
「ラ・ギョティーヌ」(ギロチン)は、
貴族たちの血を、吸(す)いつづけ、
民衆の面前で、喝采(かっさい)とともに、
血の宴会(えんかい)は、続く。

貴族たちの、人間を人間とも思わない、
残酷(ざんこく)としか言えない、
あまりにも愚(おろ)かな圧制は、
民衆たちを、殺人を楽しむような、
狂気の鬼(おに)に、変えてしまった!
しかし、それでも、
民衆たちの怒りは、おさまらなかったに違(ちが)いない。

なぜ、ここまで、
民衆たちは、復讐の鬼神(きじん)と化(か)したのか?
民衆たちに、他の手段は、なかったのだろうか?
民衆たちの心に、ふくれあがった怒り、悲しみ、
憎しみは、おそらく、
こうでもしなかったら、鬱積(うっせき)して、
自分が、おかしくなっていたのかもしれない。
それほど、民衆たちの怒りは、大きかった。

ほかに、彼らにとって、
方法は、なかった!
それ以外、彼らの悲しみと怒りを、
おさえる方法は、無かったのだろう・・・。

なぜなら、そうする以外に、
彼ら民衆の心に、希望と安らぎと幸せを、
もたらす方法は、なかったと思うからです。

けれど、もし、
殺人という最も凶暴な手段に出なくても、
彼ら民衆の心に、希望と安らぎと、
幸せの勝利感を、もたらす方法があったとしたら、
彼らは、迷(まよ)わず、そちらを、
選んだに違いない!

なぜなら、殺人を犯(おか)さなくても、
彼ら民衆の心に、幸せが、もたらされるなら、
わざわざ、残酷(ざんこく)になって、
殺人を、犯す理由が、ないからです。


現代でも、似たようなことはある・・・。
問題は、最も凶暴な手段に出なくても、
民衆の心に、希望と安らぎと、
幸せの勝利感を、本当に!もたらす方法が、
現実に、存在(そんざい)するか?どうかだと思う・・・。

その殺人や戦争という、
もっとも残酷な手段に、訴えなくても、
民衆の一人一人の心(生命)に、
最高の幸せと、最高の希望、
最高の安らぎと勝利を、もたらす方法が、
実は、創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です!!!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

『無血革命!』

「ラ・ギョティーヌ」(ギロチン)という、
冷酷(れいこく)な女神を、引っ張り出さなくても、
民衆の一人一人の心に、
最強の幸せと希望、
一国の王のような勝利感を、
太陽のように、カクカクと、
燃え上がらせていけるのが、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

南無妙法蓮華経を、となえていくと、
ひとりひとりが、
太陽のように、自立していく!

南無妙法蓮華経を、となえていくと、
その人の生命は、
人間の王者と、輝(かがや)いていく!

南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の中に、
大いなる希望と大いなる力(ちから)が、
あることに目覚め(めざめ)、
自分自身で、自己と人生を、変革していける、
確信と歓喜(かんき)を、感じていける!!

そして、自己の宿命(しゅくめい)を変革し、
幸せを勝ち取っていける。

この生命の革命を、
創価学会では、『人間革命』と、いう!


この人間革命は、
世界中に、広がり、
世界192ヶ国の創価学会員が、
実践し、体験している!
そして、世界の創価学会員の心に、
ふくれあがった、希望の太陽は、
今も、輝きを増し続け、
世界を、大きく、照(て)らし出している!

それが、創価学会が、
世界中に広げている、幸せの革命、
無血革命なんだと思う。

そして、この人間革命の光が、
全世界を、覆(おお)い尽(つ)くす時、
冷酷の女神「ラ・ギョティーヌ」は、
「私の出番は、なくなった!!」
と、にっこり、微笑んで、
去(さ)っていくことでしょう・・・。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


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