趣味

2014年06月09日

A1L00


すべての人は、
『仏法(ぶっぽう)』を、求(もと)めている。

けれど、仏法(ぶっぽう)というと、わからない。

人が望むもの・・ 、
人が、求めるもの・・。

それは、幸せであり、
希望であり、
安らぎであり、
調和(ちょうわ)である。

音楽にしても、映画にしても、
文学にしても、
さまざまな文化にしても、
人は、自分が感動し、気持ちよくなり、
心が安(やす)らかになるものを、
求めて、
それらの音楽や映画や、
スポーツや趣味によって、
それらの自分の人生にとって
プラスとなるもの・・。
すなわち、希望や調和、
勇気や挑戦する心を、高めようとする。

すなわち、それらは、
すべて生きる喜び、
幸せに向かうものであり、
それらの生きる喜びを求めて、
さまざまなことを、やっている。


では、音楽にしても、映画にしても、
文学にしても、さまざまな文化にしても、
それらは、いったい、
何を求めているんだろうか・・・?


それは、当然、幸せを求めている。

その表現の結果が、
感動であったり、
勇気であったり、
安らぎであったり
調和であったりする。

実は、それらの人々が求めている、
感動や安らぎ、希望や勇気、
調和とかいうものは、
『仏法のエッセンス』の一分(いちぶん)であり、
生きる喜びのすべてが、
『仏法(ぶっぽう)』の中にあるんです。

仏法とは、
生きる喜び、
幸せそのもののようなものです。

それを、無限に内包(ないほう)したもの、
喜びと幸せの、
大元(おおもと)の無限のエネルギーが、
『仏法(ぶっぽう)』です。

だから、さまざまな音楽にしても、
映画にしても、
文学や、さまざまな文化にしても、
生きる喜びという、
『仏法のエッセンス』の一部分(いちぶぶん)を求めて、
ちまなこになっている!
と言うこともできます。

それら、感動や勇気、
希望や調和、
安らぎなどの、
人間が幸せになるために、
欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがないもの・・・。

実は、その、
人間が、本源的(ほんげんてき)に求めているものの、
本当の姿(すがた)であり、
究極(きゅうきょく)の幸せの姿が、
創価学会(そうかがっかい)が実践する
『南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)』なんです。

だから、本当は、
音楽にしても映画にしても
文学にしても、
あらゆる文化が、
究極的に求めているのは、
『仏法(ぶっぽう)』なんです。

はっきり言えば、
人間は、
仏法を求め、仏法に向かって、
模索(もさく)し、
それを、つかもうとしているんです。


ところが、『仏法(ぶっぽう)』と聞くと、
そっぽを向く。


まさか・・仏法が、
自分が求めているものだとは、
考えもつかないからです。


だから、人々は、必死で仏法を求め、
仏法を、つかもうとしているのに、
自分がつかもうとして模索(もさく)している幸せが、
まさか、仏法にあるとは、
考えられず、
結局、自分が欲(ほ)しがっている幸せを、
つかめず、
人生を終わってしまう。


それが、多くの人たちの、
人生だと言うことも、できます。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

だから、その『仏法』に対する
偏見(へんけん)を打ち破(やぶ)り、
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を求め、
実践(じっせん)していったとき、
自分のあらゆる悩みや問題が、
解決でき、
さまざまや希望や夢も、
かなえていけるようになっていく。

そして最終的に、
これ以上ない!と言える
幸せと勝利の、
最高に満足のいく人生を、
おくることができる!!


それが、すべての人が求めている、
創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる、
『仏法』です。


だから、ほんとうは、
すべての人が、
『仏法』を、求めている。

音楽にしろ、
映画にしろ、
文学にしろ、
さまざまな芸術にしろ文化にしても、
すべては『仏法』を目指(めざ)し、
仏法に近づこうと進んでいる。

人間のいとなみの、
すべては、
仏法に近づこう!仏法に近づこう!として
模索(もさく)している。


人間は、『仏法(ぶっぽう)』が、ほしいんです!!!

『仏法』を求(もと)めて求めて求め抜(ぬ)いているんです。


けれど、自分が求めている幸せが、
『仏法』であるとは、
まさか、気づかない・・・。


だから、自分が望む本当の幸せを、
つかめないまま、
人生を、終わってしまう。



だから、勇気を出してほしいと思う。



仏法は、そこにある・・!


過去の時代から、
あらゆる人が、求めて求めて、
欲(ほ)しがっていた最高の幸せは、
実は、創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の
『仏法』の中に、
あるんです!


だから、この創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法を、
つかんでほしい!!


なぜなら、
そこに、
すべての人が望む、
あなたが望む、
すべての幸せが、
あるからです・・・!


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 08:44│

2012年07月02日

B023_b


うちの会社に、
優秀な女性がいて、
立派(りっぱ)な婦人なんですが、
テレビとか、好きで、
情報網(じょうほうもう)が広くて、
芸人やら、アイドルやら、俳優やら、
いつも、だれかしら、
夢中(むちゅう)になっている芸能人がいて、
机やパソコンの回りに、
いっぱい、その人の写真を、
かざってあります。

当然、結婚もしていて、
なんの不満もないみたいですが、
やはり、好きなものは、好きなんでしょう。

お目当ての芸能人がでる番組があると、
録画して見ればいいのに、
夜中の3時でも4時でも、
わざわざ、起きていて、
一生懸命(いっしょうけんめい)、見ています。
しかも、ビデオも、
ちゃんと、撮(と)ってある!

わざわざ、起きてるな〜〜〜〜!!
と、思いますが、
それが、彼女にとって、
生活していく上で、
大きな活力(かつりょく)になっているのも、事実です。

何かしら、夢中になるものが、ないと、
人間は、生きていけない生き物なのかも、
しれません。
また、夢中になるものが、あったほうが、
人は、輝(かがや)いて見えるものです。

人から見たら、
その夢中になっていることは、
価値のないようにも見え、
無駄(むだ)に思えてしまうかもしれないけど、
決して無駄ではなく、
その人の、生きていく上での、
大きな活力になっている。

不思議(ふしぎ)と言えば、不思議です。
他人には、何の価値(かち)もない無駄なものであっても、
ある人にとっては、
かけがいのない大切な宝物になる!
それが、人間なのかもしれない!

極論(きょくろん)から言うと、
人間は、生きているだけで、
価値があるという。
だから、その人が、
そのことに夢中になり、熱中することは、
その人を、「生きさせる」「生きようとさせる」
ことになり、
それは、かけがいのない、
生命の宝物(たからもの)になるんだと思う。

人は、さまざまなものに、夢中になり、
さまざまなことを、好きになる。
それが、人間の個性であり、
その人を、形成する、かけがいのない、
生命の形と、なっていく。

けれど、
時として、自分が、熱中すること、
夢中になることが、人に不幸を、もたらし、
大きな災難(さいなん)を、もたらすことも、
多々ある。
そこが、人間の恐いところだ!
不倫(ふりん)をしたら、なにかしら、
まわりの人たちに、不幸を、もたらす!
さまざまな犯罪も、同じだと思う。
最低限、自分が夢中になること、
好きなことが、人や世界に、危害(きがい)を与えず、
好ましいことである必要がある。

逆に、
自分が、好きになったり、夢中になることが、
もし、自分だけでなく、
まわりの人たち、地域の人たち、
世界のために、ためになり、
世界に貢献(こうけん)できることであったなら、
もっと言うと、世界を幸せにすることに、
つながったのなら、
どれだけ幸せだろうと、思う。

もし、それができたなら、
自分の生きる価値は、
もっともっと、大きくなり、
自分の生命は、もっともっと、輝き、
生きる喜びは、もっともっと、
増大するはずだ。


実は、その根本命題を、
みごとに解決したのが、
創価学会が、実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

この南無妙法蓮華経の仏法は、
すべての人の個性を、否定しない!
すべての人の個性豊かな生き方を、
否定しない!
肯定(こうてい)して肯定して、肯定しぬく!
なぜならば、それが、完璧(かんぺき)に可能な、
生命哲学(せいめいてつがく)に、
立脚(りっきゃく)しているからです。

南無妙法蓮華経は、全宇宙のリズムであり、
法則(ほうそく)であるがゆえに、
南無妙法蓮華経を、となえていくと、
宇宙の法則、宇宙のリズムに、
完全に、合致(がっち)する!
それは、そのまま、
その人の生き方、その人そのものを、
宇宙のリズム、法則に、完全にマッチさせることになり、
その人の人生も、その人の生命も、
幸せのリズムに、のっていく!
一切が、幸せへと、転換(てんかん)されていく!

ゆえに、その人の個性や、趣味などが、
すべて、人々を、世界を、幸せにすることに、
不思議と、いかされてきてしまう!!!

これが、
南無妙法蓮華経を、となえる生き方です。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

「活(かつ)の法門(ほうもん)」という言葉が、ある。
どんな人であろうと、
どんな個性の、どんな生き方の人であろうと、
その人が、ご本尊(ほんぞん)に、
南無妙法蓮華経を、となえだした時から、
その人の生き様(いきざま)は、
今まで、自分にとって、
マイナスだと思ってきたことまで、すべて、
今まで、生きてきて、
何にも役(やく)に立っていないと思っていたことまで、
自分の生きてきた、生(お)い立ち、すべてが、
マイナスからプラスへと、
完全に逆転していく!!
自分の生きていること、すべてが、
自分の生命すべてが、完全に、生かされていく!
それが、妙(みょう)なる法(ほう)、
『南無妙法蓮華経』だと思う。

だから、どんな人であろうと、
ご本尊に、南無妙法蓮華経を、となえていくと、
自分の生活すべてが、
自分の趣味も、好きなことも、熱中することも、
すべてが、世界を、人々を、
幸せにするために、役立つようになってくる!
自分が、呼吸することすべてが、
世界を、人々を、幸せにしていく!!

だから、
自分の存在に、
大きな価値を感じるようになり、
強烈(きょうれつ)な生きがいを、感じるようになり、
心が、歓喜してきて、
生きていること自体が、
幸せで、幸せで、しょうがなくなってくる!

それが、創価学会の、
南無妙法蓮華経を、となえていく、生き方です。
こんなスゴイ生き方は、絶対にないし、
こんな幸せなことも、絶対にない!

だから、
南無妙法蓮華経を、となえていく生き方は、
歓喜(かんき)の中の大歓喜であり、
幸せの中の、最高の幸せであり、
生きるということから、言えば、
最高最大に、価値があり、
価値を感じる生きかただと、言える。

その最高の生き方を、実践しているから、
創価学会は、
世界192ヶ国に、広がっている・・・・!

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:23│

2012年02月22日

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ぼくの会社に、
やさしい、よく気のつく女性が
いるんですが、
自分が、旅行とかに行くと、
みんなに、お土産(みやげ)とか、
買ってきてくれます。

いつだったか、
ある年の夏休みに、
八丈島に、いってきたということで、
また、お土産を、もらったんですが、
そのとき、もらったのは、Tシャツで、
でかい字で、
「八丈流人」と、プリントしてありました。

ちょっと、着るのに勇気がいるので、
いまだに、着たことがありません。
もう少し、普通に着れる、
Tシャツを買ってきてくれれば、いいものを、
まあ、センスが良くないというか・・・
シャレがキツイというか・・・。
ともかく、いろいろと、
お土産を買ってきてくれることには、
感謝しなければいけない・・。

それで、その彼女が、
また、どこかに行ったらしくて、
また、Tシャツのお土産を、いただきました。
こんどは、Tシャツに、
『ほっといて、ください!』と、
文字が印刷されていた。

せっかく、買ってきてくれたので、
一度、着てみましたが、
ぼくは、とても、
不機嫌(ふきげん)になりました・・・。
買ってきた本人は、
大変、喜んでおりましたが・・・・。

それ以来、着たことはないし、
今後も、着るとこはないでしょう・・・。

その時の体験から、
文字の書かれた服など、
着るものでない!と実感(じっかん)しました。
なにか、自分に『レッテル』が
貼(は)られてしまう気がするからです。


でも、考えてみれば、
ただ、布に、文字が、
書かれているだけのものです。
けれど、布に文字が、
書かれているだけなんだけど、
そこには、思念(しねん)が生まれてしまう。

「私は、バカです」と書いた紙を、
服に貼(は)り付けて、歩いているだけで、
その人は、本当に、
バカのように、思われてくる。
かりに、その人が、
なんて書いてあるか、読めないにしても、
まわりの人たちは、
そのなことは、おかまいなしに、
バカだと、思ったりする。

ということは、たかだか、
紙に、文字を書いただけでも、
その紙には、力(ちから)が発生する!
ということです。
紙に、文字を、書いただけで、
その紙には、エネルギーが、
発生する!ということです。

小さな紙に、ちょっと、精巧(せいこう)に、
一万円と、印刷しただけで、
その紙には、価値(かち)が生まれ、
貴重(きちょう)な存在になっていく。

本も、そうだ。
ただ、紙に、こまごまと、
文字が、印刷させているだけなのに、
ある人にとっては、
決して、捨(す)てることのできない、
貴重な宝物となり、
人生の指針(ししん)になる!

紙や布などに、何かが、
書かれた時から、
その紙には、エネルギーが生じ、
それは、人間の生命にも、
人間の人生にも、
大きな影響力を、持ってくる!
不思議(ふしぎ)といえば、不思議だ。

これが、ある意味で、
宗教の原理(げんり)だと思う。
宗教というものは、
だいたい、ある対象(たいしょう)に対して、
手を合わせる。
「手を合わせる」というのは、
宗教的には、
その、手を合わせている対象に対して、
『私は、あなたに(祈る対象に)、
 命を、ささげます!』
という、意味があり、
手を合わせると、その意味通りの影響(えいきょう)を、
自分の生命に、受けていくことになる。

あるものに、手をあわせると、
紙に書いた文字が、
人間の生命に、影響を与え、
人間の人生に、影響を、あたえるように、
宗教は、自分の生命と人生に、
影響を、与えていく。

これが、宗教の不思議なところであり、
また、こわい!ところでもある。

よく、正月とかに、初詣(はつもうで)で、
いろいろなところに行って、
手を合わせ、お祈りしたり、
また、観光で、いろいろな、お寺や神社に行き、
手を合わせ、お祈りを、したりするけど、
その祈っている対象が、
どんなものか、真剣に考えたことが、
あるだろうか?

たとえば、自分が、文字の読み方を、
しらないとしても、
「わたしは、バカです」という文字が、
書かれた服を、着ていれば、
その人は、バカと、思われてしまい、
自分の人生に、影響を、
及(およ)ぼしてくる。
それと、同じように、たとえ、なんにも知らなくても、
初詣とか、観光で、
お祈りした対象が、
とんでもない化け物(ばけもの)や、ゲテモノ、だったら、
自分の人生に、悪影響を、もたらす。

仏法(ぶっぽう)的に言ったら、
お祈りした対象が、
間違(まちが)った教え、間違った宗教であった場合、
それは、自分の人生に悪影響を、及(およ)ぼし、
不幸という結果として、帰ってくる。
これが、宗教というものです。

・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・

仏法、宗教を、徹底的に、解明(かいめい)した結果、
初詣や、観光でいく、お寺や寺院、神社の宗教、
あるいは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)は、
すべて、間違った、
人を、不幸にする宗教であることが、
すでに、判明(はんめい)している。
だとしたら、そういうものに、
手を合わせ、お祈りしたら、
当然、さまざまな形で、
自分の生命に、悪影響を、及(およ)ぼし、
自分の人生に、いろいろな形で、
不幸という結果が、出てきてしまう!
それが、宗教です。

それとは、正反対に、
祈る対象として、本当に正しいもの、
人を幸福にできる、
本当に正しい『ご本尊(ほんぞん)』に、
祈りを、ささげれば、
文字に書いた紙が、人に、影響を与えるように、
自分の生命と、人生に、幸福な影響を与えていく。

だから、祈る対象として、
ほんとうに正しいのなら、
人を、幸福にできる真実の『ご本尊』であるならば、
その、『ご本尊』には、
人を、幸せにする価値と、エネルギーが、生じ、
良い意味で、人間と、人生に、影響を及ぼすだけの、
価値とパワーが、生まれてくる。
たとえ、その『ご本尊』に、
なんと書いてあるか、わからなくても、
また、その意味が、わからなくても、
文字を知らない人が着ているTシャツと、
同じように、影響力とパワーを持つ。

だから、そのご本尊に、祈ることによって、
その『幸福の影響力』は、
自分の生命に及(およ)び、自分の人生に及び、
自分の生命と、自分の人生を、
現実に、幸せに変えていってくれる。

これが、宗教の原理だと思う。

そして、その原理どうりに、
本当に、正しい真実の『ご本尊』を、
祈る対象として、祈り、
信仰の根本として、実践(じっせん)しているのが、
創価学会です。
また、その原理が、正しいからこそ、
あらゆる、さまざまな悩みを解決でき、
夢や希望をかなえる大きな力となって、
人々を幸せにしてきているんだと思う。

だから、創価学会は、世界192ヶ国に、
広がっているんだと思う。


創価学会の二代会長である、
戸田城聖(とだじょうせい)先生が、
「ご本尊は、幸せ製造機(せいぞうき)だ!」
と、言っていた。

さきほどの原理から考えても、
それは、本当なんだと思う。

ただし、戸田先生は、
ご本尊は、幸せ製造機だけれど、
どれだけ、幸せになるかは、
こちらの信心しだいだとも、言っている。

どんなに大きな鐘(かね)であっても、
マッチ棒(ぼう)で、たたいたら、
ちっちゃな音しか、出ない。
太く大きな棒で、たたけば、
大きな音がでる。

それは、人間の道理(どうり)に、かなっている!
棚(たな)から、ボタモチなんてことは、
ないということだと思う。

ただし、逆に言えば、
創価学会が、信じ、実践している、
ご本尊に、南無妙法蓮華経をとなえる信仰には、
絶対に、無駄(むだ)がない!
やったら、やっただけ、
真剣になったら、なっただけ、
必ず、幸せという結果が、
帰ってくる!ということです。

仏法(ぶっぽう)で説く、生命の原理は、
とても、細かく、
厳密(げんみつ)であるとともに、
決して、無駄がなく、
必ず、だれにとっても、
やったら、やっただけ、同じ結果が、返ってくる。
それが、仏法の法則(ほうそく)であり、
生命の法則なんだと思う・・・・・。


だから、『ご本尊』は、
幸せ製造機だと、言えるんだと思う・・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころの向こうに、あるもの・・・・・・・・・・・・・


jewelju1jewelju1 at 09:09│