拳銃の歴史コレクション

当ブログは、「GUN誌」等の雑誌、インターネットを参考、引用してまとめています。

ワルサー PPK 最初期型

【歴史】
 ドイツ警察はPPを採用したものの、より小型な製品の開発を要求した。その結果、1931年にPPのバレルとスライドを短くし、フレームも短縮、軽量化した「PPK」を発表した。
 PPKの最後のKを「Kurz(短い)」の略とする説も多いが、PPKの意味は「Polizei Pistole Kriminal(刑事用警察拳銃)」の略だ。事実、1930年代のワルサー社の資料にこのように表記されている。
 PPK開発の過程でもセフティ・レバーをフレーム側に配置した試作モデルが存在し、このことからセフティの位置や操作方法について、さらなる改善を図ろうとしたことが推測される。スライド左側面に90°前方向に回転させるレバーを配置するのは、必ずしもベストであるとは言い難い。指の動きとしては操作しづらいと感じるからだ。しかし、PPKも発売時にはPPと同じ位置にセフティ・レバー兼デコッキング・レバーを装備した。
 その後、PP&PPKのマニアル・セフティは位置、回転方向は同じながら、その回転角は
75°に改められている。少しでも操作性を良くするための改良だった。
 初めに生産されたワルサーPPKは、スチール製フレームを備えていたが、さらに軽量化を求める声に対し、アルミニウム・フレームの製品も作られた。
アルミニウム合金製のフレームを付属したワルサーPPKは、PPK・ライヒト・モデルと呼ばれた。フレーム強度が低いところから、マガジン・キャッチは、9mm×17だけでなく、7.65mm×17のものグリップ下面のフック・タイプが利用された。

WALTHER  PPK  EARLY  MODEL  STEEL  FRAMA
ワルサーPPK-スチール

WALTHER  PPK  EARLY  MODEL  AROI  FRAMA
ワルサーPPK-アーロイ

ベレッタ M1931 マリーナ

【歴史】
 1920年代末、ベレッタ社は中型ピストルの近代化にとりかかった。1922年発売のベレッタM1922とやや大型のM1923が改良の対象となった。
 1931年、ベレッタ社の近代化モデルが完成した。そのモデルは「M1931」と名付けられM1922に代わり、7.65mm×17口径の中型ピストルとして発売された。M1931の製造番号は、400,000台から生産が始められた。M1931は民間向けに販売されると共に、イタリア海軍の制式採用も得ている。
 民間向けモデルは、グリップにピエトロ・ベレッタのPBマークが付き、海軍に納入されたものは、イカリにRM(レアル・マリーナ)のマークが付属されていた。

BERETTA  M1931  MARINE
ベレッタM1931


トカレフ 1930(TT30)

【歴史】
 1920年代末までソビエト軍は、軍用ピストルとして、ナガン・リボルバーを国産し、セミ・オートマチックは輸入品に頼っていた。ソビエト軍が輸入して使っていた代表的なセミ・オートマチックは、モーゼル・ミリタリー、ブローニングM1903、コルトM1911などがあった。
 1928年
ソビエト軍は、国産オートマチックのテストを開始する。試作品は弾薬としてモーゼル用の7.63mm×25弾を用いることになる。トカレフ、コロビン、プルツキー等が試作品を製作、1930年から31年にかけてのトライアルの結果、トカレフの製品が制式の指定を受け「TT30」の名称を与えられた。
 TT(ツールスキー・トカレバ)1930は、通称トカレフ・ピストル1930と呼ばれる。フィヨドル・バジレビッチ・トカレフによって設計されたセミ・オートマチック・ピストルだった。TT1930は、ブローニング設計のコルトM1911を単純化した製品だ。

TOKAREV  1930(TT30)
トカレフTT30
トカレフTT30-2

【1930年】

モーゼル C96 ライエンファイヤー・モデル713

【歴史】
 モーゼル
C96系ピストルの一大市場は、アジアの中国だった。中国の各地方の軍閥の多くがモーゼルC96を将校用ピストルとして制式にしていた。この中国市場向けにスペインは、モーゼルC96のコピーを多量に輸出していた。スペインのアストラ、アスール等のモーゼルC96コピーは、本家モーゼル社に先駆けてフル・オートマチック射撃の可能なセレクティブ・ファイヤー・モデルを中国向けに生産を始め、好評を得ていた。そこでモーゼル社は、オーストラリアの銃器発明家ヨゼフ・ニッケル(Josef Nickl)に依頼して、C96のセレクティブ・ファイヤー・モデルを完成させる。これが通称、モーゼル・ニッケル・フル・オートマチック・モデルと呼ばれる製品だ。モーゼル社内では、「モーゼルC96ライエンファイヤー・モデル713または、単にR713と呼んでいた。
 
ライエンファイヤー・モデル713(フル・オートマチックM713)は、スペイン製モーゼルC96コピーに対抗すべく、1930年末には発売が始められていた。しかし、射撃中にセレクターが移動して、セミ・オートから突然フル・オートになってしまうなど、フル・オートマチック・シアの作動の信頼性が低いことから、すぐに改良型に切り替えられることとなった。生産台数は、少なく総数5,000丁が製作され、そのうち1,000丁は中国市場で販売された。

MAUSER  C96  REIHENFEUER  MODEL 713

ワルサー PP .22 ロング・フレーム

【歴史】
 ワルサーPP
 .22口径モデル・ロング・フレームは、実験的に限定された .22口径射撃専用ワルサーPPだ。
 ロング・グリップは、オーバー・サイズ・グリップを装着しただけで完成された。ロング・フレームと呼ばれる限定製品は、さらに射撃専用を目指したモデルで、その名が示すようにグリップ・フレーム(メイン・フレーム)後部を延長し、グリッピングを良くした。もちろんワルサーPPは射撃専用銃ではないので、やがてロング・フレーム・ワルサーPPは生産中止となった。
 

WALTHER  PP  .22  LONG  FRAME
ワルサーPP-Lフレーム

ワルサー PP .22 ロング・グリップ

【歴史】
 ワルサーPPは、一般用として7.65mm×17と9mm×17を生産したが、これらの他に軍事スポーツ向けとして .22LR口径の製品も作られ供給された。
 ワルサーPP .22口径モデル・ロング・グリップは、スポーツ射撃愛好家向けに市販された特殊型だ。カール・ワルサー社は、射撃向けに .22口径のPPを発売し、グリップが短いことを補う目的で、フル・チェッカーのロング・グリップを付属品として追加した。ロング・グリップは、銃の本体グリップはそのままに、ウォールナット材のオーバー・サイズ・グリップを装着して完成された。マガジンの下部にも、小さなウォールナット材のマガジン・エクステンションが装着されている。ロング・グリップPPは、90°セフティPPをベースにしている。
 

WALTHER  PP  .22  LONG  GRIP
ワルサーPP-Lグリップ

モーゼル M1930 ユニバーサル・セフティ・モデル

【歴史】
 モーゼル
C96は、1896年以来様々なバリエーションが作られた。しかし、モーゼル社ではそれらのバリエーションに固有のモデル名をつけることはなかった。モーゼル社の中では、「モーゼル・グロス・ミリタリッシュ・モデルC96(モーゼル大型ミリタリー・モデルC96)」と呼ばれ、各個のモデルは例えば、「イラン向け」、「9mmパラベラム口径」などと呼んで区別していた。
 1930年代になり、各銃器ケーカーが次々とニューモデルの発表を行う中、モーゼル社もC96を近代化し、マーケットに再アピールした。この改良型には、モーゼル社により1896年以来初めての年号を使ったモデル名が与えられた。これは1930年に発表されたため「モーゼルM1930オートマチック・ピストル(ドイツ名:モーゼル・セルブストラーデ・ピストル・モデル1930)」の名称が使われた。

【データ】
 主な改良点は、セフティにある。新型セフティは「ユニバーサル・セフティ」と呼ばれるタイプで、ハンマーを起こした時も、ハンマーを前進させた時もロックすることができる。そのためM1930は「モーゼル・ミリタリー・
ユニバーサル・セフティ・モデル」とも呼ばれる。
 M1930にはその他外観上にも改良点がある。バレル基部にはリング状に一段肉厚部ができ、グリップ溝も幅が広くなり数が少なくなった。そのため、旧タイプに比べるとよりスマートで近代的な印象を与えた。
 
M1930の製造番号は、800,000台から生産され、10万丁以上が生産された。その主なマーケットは、中国と中南米であった。中国向けには、「徳國製(ドイツ製)」の刻印がマガジン左側面に打たれた。
 その他、少数ながらノルウェー軍用にも制式採用され、インドネシア植民地軍用にも採用、支給された。
 
モーゼルM1930のバリエーションとしては、少数の9mm×19口径のものと、同じく少数生産されたものに、フラット・サイド・モデルと、独立した着脱式ボックス・マガジン付きの製品が知られ、ショート・バレル・タイプも生産供給された。

MAUSER  M1930  UNIVERSAL  SAFETY  MODEL
モーゼル・C96-M1930
モーゼル・C96-M1930-2
モーゼル・C96-M1930-3

MAUSER  M1930  UNIVERSAL  SAFETY  SHORT  BARREL
モーゼル・C96-M1930-4

【1929年】

コルト スーパー .38

【歴史】
 コルト社が初めてターゲット・シューター用としてM1911A1をベースとした競技用スーパー・マッチ・モデルを発売したのは1929年のことだった。スタンダード・モデルと違い、あらゆる面が考慮されたモデルだ。セレクト・バレルを取り付け、スライド、レシーバーの組み合わせと手間のかかったモデルだ
った

【データ】
 口径は、.38スーパーで、バレル長は5インチ。マガジンは9発+1。重量は約1,100gで、ブルー・フィニッシュまたはニッケル・フィニッシュ。チェッカー入りウォールナット・グリップ・パネルで、後半はプラスチックとなった。
 
初期のリア・サイトはパートリッジ・タイプだったが、その後、スチーブンス・アジャスタブル・リア・サイトに変わった。
 サイト・エリアはハレーション防止のため、マット・フィニッシュ。製造数は34,450丁(1929年〜1940年)。

COLT  SUPER .38
コルト・スーパー38
コルト・スーパー38-2

ワルサー MP

【歴史】
 ワルサーMPは、ミリタリー・ピストールの略で、PPよりも早く世に出ていながらそれを知っているのはほんの少数の人たちだけであったという、秘密のモデルだ。
 第一次大戦に敗れたドイツは国連の監督下にあって、ヴェルサイユ条約を守らなければならなかった。この条約の武器に関する項目の中で、ドイツ及びオーストリアは軍用9mm口径のピストルの製造を禁止されていた。しかし、ワルサーの工場ではこの条項に違反して9mm口径のダブル・アクション・オートピストルを造っていたのである。これがMPモデルで、1920年代初頭にこのピストルをワルサーの工場で造りはじめた時、これを知っていたのは政府とワルサーの首脳部だけで、製造に担当していた職工でさえも何か分からずに製作していたらしい。もちろんカタログにも載っていなかった。
 1929年にこのMPと同型で、口径とサイズのやや小型なモデルPPを発売したのは、このMPモデルの存在をぼかすためだったらしいと云われるほどで、軍人がMPモデルを使用していてもモデルPPとの区別はつかなかったと思われる。
 このMPモデルは、あくまでも試作の段階を出ず、量産はされずに終わったので知られざるピストルとなってしまったのだが、量産されなかった理由はこの銃の機構が口径9mmの実包を使用するのには、あまり適さなかったからだった。
 9mmパラベラムの弾丸を使用したP08を見ても判るように、このような実包を使用するオート・ピストルには必ず、ロックド・ブリーチと呼ばれる機構を持っている。この機構は銃身と遊底を噛み合わせて、弾丸が銃口から射出されないうちに後方へのガス圧で
遊底がブローバックするような事がないようにと考えられたもので、弾丸が銃口を出た瞬間、その反動で銃身が後退して遊底との噛み合わせがはずれ、そこではじめてブローバックするということになる。ところがこのMPモデルは、PPやPPKと同じくロックド・ブリーチ機構のないブローバック方式のピストルで、強力な複座スプリングを使用してブローバックが早く起こりすぎないように考慮してあったが、やはり9mm実包の発射時のガス圧に対しては完全とはいえず、強度の点で問題が残ったので量産にはいたらなかったのだ。
 MPモデルは現在残っているものは非常に少なく、コレクターの間では非常に高値で取引されているらしい。

【データ】
 MPモデルは、口径9mm、マガジン内に8発。銃身長は127mmで、全長は203.2mm、重量は931.37g、安全装置のシステムなどはPPモデルと完全に同じである。

WALTHER  MP
ワルサーMP

ワルサー PP 最初期型

【歴史】
 ワルサーPPは、軍用、警察用にダブル・アクション撃発機構を組み込んで完成されたセミ・オートマチック・ピストルだ。フリッツ・ヴァルター(英語読み:ワルサー)が時間をかけて開発したハンドガンは、
彼が最も力を入れていた中・小型拳銃のナンバー・シリーズの最終作品を継ぐものとして発表された。
 よくワルサーPPが、
ダブル・アクション撃発機構を組み込んだ初のセミ・オートマチック・ピストルと言われるが、正確ではない。ワルサーPPが発表されたのは、1929年であったが、これより前にフランスのラ・フランセ・セミ・オートマチックは変則ダブル・アクションを組み込んで完成されていたし、オーストリアのリトル・トムも数年前に発表されていた。しかし、ワルサーPPとその短縮型PPKが、初期のダブル・アクション・セミ・オートマチック・ピストル中、最高傑作であることに疑いはない。ダブル・アクション撃発機構というユニークな構造を組み込んでいるほか、現在もなおPPシリーズの生産が続行されていて、世界各国でコピーが作られている。後にドイツ軍制式ピストルとなったP38にそのまま受け継がれている。
 PPとは「Polizei-Pistole(Pplice Pistol)」の略で、警察用ハンドガンを意味する。
フリッツ・ヴァルターは警察官が装備するのに適した銃として、このPPを7.65×17mm(.32ACP)で完成させた。第一次大戦後、空前の好景気に沸いていたアメリカで1929年10月24日、株式市場の大暴落が発生、ウォール街に暗雲が立ち込めた。投資家はパニックに陥り、株の損失を補填するため、幅広い分野から資金の引き揚げを開始、これがアメリカ経済に依存していた国々に大きな打撃を与え、世界的な大恐慌に発展した。ワルサーPPを発売したのは、そんな時代だった。各国は保護貿易主義をとり、自国産業を守るため、輸入品に高額な関税を掛けたことから、PPはほとんど輸出されることなく、ドイツ国内で使用された。

【データ】
 「90°セフティ」と呼ばれるワルサーPPは、最も初期に生産された製品で、
90°セフティと呼ばれるのは、手動セフティをロック解除する際に90°の回転角を持っていたからだ。この90°の回転角を持つワルサーPPは、スライド内のブリーチ部も独立しており、スライドから分解できる特色があった。1929年に生産を開始したPPの製造番号は、750,000からスタートした。
 9mm×17(.380ACP)弾を使うワルサーPPは、マガジン・キャッチとしてグリップ・フレームを貫通するクロス・ボルト・タイプではなく、グリップ下面を利用したフック・タイプになっている。これは
ワルサーPPのグリップ・フレームが薄いところから取られた解決法だった。

WALTHER  PP  EARLY  MODEL
ワルサーPP

ワルサーPP2


パラベラム M1906/29 W+F

【歴史】
 パラベラムの国産を始めていたスイスのベルン造兵廠は、モデル1906/24の製造コストの高さを問題視、1929年にコストダウン・モデルへの切り替えを行った。これはグリップをプラスチックに変更、トグルノブのチェッカリングを無くし、グリップ・フレームの前下部のカーブを無くしてストレートにしている。表面加工も最小限にとどめ、灰色のパーカライジング仕上げにした。またグリップ・セフティのサイズを大型化するなど、細部の仕様を変更した。しかし、これによるコストカットはわずかなものだった。
 その結果、スイス軍は制式ピストルの更新を目指すこととなった。このコストカット仕様は「モデル1906/29」と呼ばれており、1933年から量産が始められ1947年まで総生産数は27,931丁の軍用と、1,917丁の民間向けモデルが作られた。

PARABELLUM  M1906/29  W+F
パラベラムM1906:29ベルン

パラベラムM1906:29ベルン2

【1928年】

アストラ M902

【歴史】
 
アストラM902は、M901の改良型で、銃身は延長され弾倉は20発に拡大されたが、装填方式はクリップのままだったので、依然としてマシンピストルとしての実用性は低かった。
 1928年から1933年まで製造され製造数は7,075丁。主に中華民国へ輸出された。ドイツ国防軍にも1943年に少数納入されたらしい。

ASTRA  M902
アストラ902

アストラ902-2
アストラ902-3

コルト バンカーズ・スペシャル

【歴史】
 1928年、先のデテクティブ・スペシャルと同じように、ポリス・ポジティブ・スペシャルのシリアル・ナンバーの系列でバンカーズ・スペシャルが登場した。
2インチバレル付きのバンカーズ・モデルは本質的にはポリス・ポジティブと同じである。

【データ】
 口径は、.38コルト・ニュー・ポリス、.38S&W、.22LR、1933年になると.38スペシャルが加わった。
 重量は、.38口径で約540gと
デテクティブ・スペシャルよりさらに軽いモデルであった。.22LRモデルはラウンド・バットでバレルの厚み分だけ重く約650gあった。トリガー・ガードの前半をカットした「フィッツジェラルド」も少数であるが製造された。製造数は35,000丁(1928年〜1943年)である。

COLT  BANKERS  SPECIAL
コルト・バンカーズ

COLT  FITZGERALD  SPECIAL
コルト・フィッツジェラルド

アストラ M901

【歴史】
 
アストラM901は、M900にセレクティブ・ファイア機能が追加され、セミ・フルオートを切り替えるセレクター・レバーが右側面に設置された。しかしクリップ装填式固定弾倉の容量は10発に過ぎず、900発/分というあまりに高すぎる連射速度も相まってフルオート射撃の実用性は低かった。
 1928年に1,655丁が作られ、主に中華民国へ輸出された。


ASTRA  M901
アストラ901
アストラ901-2

システマ・コルト M1927

【歴史】
 1928年、アルゼンチン政府は、コルト社からライセンスを得て、M1911A1を「ファブリカ・ミリタール・デ・アルマス・ポルタティレス・ロサリオ(F.M.A.P.)」で量産化した。生産は、1928年、1930年から1942年にそれぞれ8,000丁、30,000丁が行われ、システマ・コルトM1927の制式名が与えられた。

SYSTEMA  COLT  M1927(COLT  M1911A1)
コルト・アルゼンチンM1927

コルト・アルゼンチンM1927空軍

FN ハイパワー 1928年 試作モデル

【歴史】
 24歳の時から1926年11月26日に71歳で亡くなるまでの47年間で、128件ものパテントを申請したジョン・M・ブローニングだったが、1923年を最後に新規のパテント申請は行われていない。
ブローニングが心臓発作を起こしたとき、手がけていた仕事は、世界最初のマスプロダクション(量産型)上下二連ショットガンだった。今日、上下二連式ショットガンは1909年、Boss & Co.のジョン・ロバートソンが開発したものだが、それらは1丁ずつ手作りするオーダーメイドの高価な銃だった。ブローニングはこれを量産できるように改良したのが1923年のパテントだ。この銃は1928年にFNからスーパーポーズドの名前で市販された。しかし、この銃はトリガー部分が未完成だった。市販されたスーパーポーズドはダブル・トリガーでの発売だったが、ブローニングはシングル・セレクティブ・トリガーにしたかった。それで、ブローニングの息子であるヴァル・A・ブローニング(Val A. Browning)が父の後を受け継ぎ、この銃に組み込むシングル・セレクティブ・トリガーを設計し、1939年にスーパーポーズドに組み込まれたのだ。
 
ブローニングの死後、新型軍用ピストルの開発を引き継いだのは、FNの技師デュドネ・ザイヴだった。ザイヴはFNにおけるブローニングのパートナーでもあった。ブローニングが亡くなったことがキッカケだったかどうかは判らないが、ザイヴの1928年型試作モデルはこれまでと大分印象が異なっていた。変わった点は、ハンマーがリングタイプになったこと、マニュアル・セフティがフレームの左側面に配置され、スライド・ストップの位置も左側面、この位置などはコルトの1911ガバメントに似ている。生前のブローニングはそれを避けていたのではないか。FNと共にモデル1903ショート・リコイル仕様の試作品をコルトに提示したとき、コルトに拒絶されたのだ。ブローニングは意地でも1911に似たモデルは作らないと決めたのかもしれない。ブローニングはその時以降、一度もコルトの仕事をしていなかった。
 そんな
ブローニングが他界したこと、そしてM1911関連のパテントの大半が切れたことから、ザイヴは遠慮なく1911のスタイルをこのハイパワーの試作に盛り込んだのだ。この時期、何種類もの試作モデルが作られており、ハイパワーは完成に近づいていた。
 FNは理想の軍用のハンドガンを開発する方向で動いていたが、フランスの求めているハンドガンとの乖離は大きくなっていた。1921年のフランスの要求項目は完全にリセットされており、ダブルスタック・マガジン装着の要求もすでに無かった。フランスが求めていたのは、薄くて携帯しやすいモデルであった。FNは自社のハイパワーがフランスの要求から完全に外れていることを知り、1929年、FNはハイパワーを市場に投入することを決定した。そして量産準備を進めていた段階で、1929年10月24日に世界大恐慌が起こったのだ。このような状況下で新型ハンドガンを売り出しても期待できない。FNはハイパワーの発売を延期したのだ。

FN  HI-POWER  M1928  EXPERIMENTAL  MODEL
ブローニングM1928試作

【1927年】

コルト デテクティブ・スペシャル .38

【歴史】
 コルト社は創立以来、フル・サイズのモデルのほか、必ず姉妹モデルとも言うべきポケット・サイズのモデルを発売してきた。スナブ・ノーズ、いわゆる獅子鼻のような短いバレルを持ったモデルをこう呼んだのは、1927年に発売されたデテクティブ・スペシャル .38が最初であった。

【データ】
 2インチバレル付きの軽量コンパクト・モデルは、モデル名の
デテクティブからも想像がつくように、コンシールドしやすく人気が高かった。2インチバレルのほか、3インチバレル・モデルも製造されたが、その数はごく少数でしかなかった。
 1946年には、口径が .38コルト・ニュー・ポリス、.38S&W、.32コルト、.32S&Wモデルが追加されたが、少数で終わった。
 重量が約600gと軽量で、第二次大戦後、ハンマーにかぶせるハンマー・シュラウドがオプションで発売されたりで、スナッグ・プルーフ性能が向上した。製造数は400,000丁以上(1927年〜1986年)である。

COLT  DETECTIVE  SPECIAL
コルト・デテクティブ2inch

コルト・デテクティブ3inch

アストラ M900

【歴史】
 モーゼルC96はドイツ軍での大量受注はなかった。そのためモーゼル社は販路を海外に求めた。
モーゼルC96を大量に輸入した国として、中国、ロシア、中近東諸国、中南米諸国が良く知られている。
 これらの国々は、スペイン北部バスク地方のガン・メーカーにとっても大きなマーケットだった。
モーゼルC96は、大きく印象的な外見と、1,000mまであるリア・サイトで販路を拡大した。
 スペインのメーカーは、
モーゼルC96の好評を見て、コピーを生産し始めた。スペインでモーゼルC96タイプのピストルを作ったメーカーとして知られるのは、商品名「ロイヤル」、「アスール」を作ったベイステギ・エルマノス社(Beistegui Hermanos S.A.)、商品名「アストラ」を作ったアストラ・ウンセタ社(Astra-Unceta y Cia SA)が良く知られている。この2社のスペイン・ガン・メーカーは、様々なスペックをもつモーゼルC96タイプ・ピストルを、1920年代から1930年代にかけて生産した。
 
モーゼルC96は強力な性能と特徴的な外見から1920年代、アジア・中東方面の市場で人気があった大型拳銃であり、その市場に後発品として売り込みをかける目論見で「アストラM900」は開発された。したがって弾薬はモーゼルC96と同じ、外見およびレイアウトも市場ニーズに合わせて意図的に酷似させたコピー製品であった。ただし内部の撃発機構はモーゼルとは若干違っていた。
 その後、発展型として本家モーゼル社の製品にも無かったフル・オートマチック撃発可能なバージョンをいち早く開発し、市場からは大いに好評を得た。そのためモーゼル社も慌ててフル・オート機能付きC96(ライエンファイヤー・モデル713)を開発するということになる。
 アストラM900は、1927年から1941年で約21,000丁が製作され、主に中華民国、中南米、スペイン共和国、ドイツ国防軍(1943年に1,050丁納入)などが購入した。

ASTRA  M900
アストラ900

アストラ900-2

アストラ900-3

コルト カリブレ .45 モデロ1927

【歴史】
 アルゼンチン政府は、
M1911A1を海軍だけでなく、陸軍にもコルト社から輸入し軍用とした。
 アルゼンチン陸軍は、1927年コルト社のM1911A1市販型10,000丁のスライド右側面に特別な刻印を打たせて納入させた。アルゼンチン陸軍ではこれらM1911A1を、「コルト・カリブレ .45モデロ1927」と呼んだ。

COLT  CARIBURE .45  MODELO 1927
コルト・M1911A1アルゼンチン陸軍

コルト M1911A1 アルゼンチン海軍

【歴史】
 アルゼンチン政府は、1916年に初めてコルト社からM1911を
1,000丁輸入して軍用にした。続く1919年から1922年までに10,000丁追加輸入した。アルゼンチンが輸入したM1911は、コルト社が市販用に生産していたものと同型で、「C」の製造番号であった。
 1927年になると、M1911A1を海軍用として2,000丁コルト社に発注した。海軍用のM1911A1は、ブルー仕上げで、スライド刻印も市販型のままだった。

COLT  M1911A1  ARGENTINA  NAVY
コルト・M1911A1アルゼンチン海軍
コルト・M1911A1アルゼンチン海軍2

エンフィールド .38 No2 Mk I

【歴史】
 エンフィールド・リボルバーは、ロンドン郊外の王立エンフィールド造兵廠(Royal Small Arms Factory, Enfield=RSAF)で設計、生産された銃をいう。本銃は、
ウェブリー&スコット社のウェブリーMkVIを基に開発された。開発にはウェブリー&スコット社が試作品の提出を数度に渡って行っており、開発の指揮はRSAFのボーイズ大尉が行っているものの、構造的にはウェブリー・リボルバーとほとんど同一の設計だった。しかし、イギリス政府は本銃をRSAF独自のものとして発表したため、ウェブリー&スコット社は、本銃の開発に擁した経費の支払いをイギリス政府に訴えた。裁判の結果、政府はウェブリー&スコット社に1,200ポンドを支払っている。
 
王立エンフィールド造兵廠(RSAF)は、1878年オーエン・ヨーネスの設計したエジェクターを組み込み、No1 Mk Iを1880年に完成する。続いてNo1 Mk IIが完成するが、いずれも中折れ式として特殊すぎ、取り扱いが不便で軍内で不評だった。その後、ウェブリー・リボルバーに軍用制式の座をうばわれてしまうのだ。
 1922年、イギリス軍はリボルバー小口径化を計画、エンフィールド造兵廠案がテストの結果採用され、制式となった。生産は、1927年から始められたが、.38 No2 Mk Iの名称で制式となったのは、1932年になってからだった。1938年になると、生産性の向上を図るため、シングル・アクション機構を省き、ダブル・アクションのみのNo2 Mk I*を登場させ、軍用制式とした。

ENFIELD  .38 No2 Mk I
エンフィールドNo2MkI
エンフィールドNo2MkI-2

【2026年】

ロイヤル・ピストル

【歴史】
 第一次大戦に敗れたドイツ帝国はヴァイマル共和国となり、大幅な軍事制限を受けた。ヴェルサイユ条約の制限を受けたモデルは軍用モデルのみであり、民間仕様や輸出用はその適用外だった。モーゼル社は1921年以降、C96コマーシャル・モデルの輸出を盛んに行った。特に中国は最大のマーケットであった。中国市場ではC96の人気は高く、
中国でのC96のニックネームは「ボックス・キャノン(box cannon)」で、1920年代にドイツで製造されたC96の約半数は中国市場に流れた。
 中国は1895年に清国が日本に敗北し、体制が崩壊、辛亥革命を経て1912年に清国が消滅し、中華民国となった。しかし国民党や共産党の対立や動乱、革命、弾圧、日本の介入などによる不安定な状況が続き、銃の需要が大きかったことがC96の大量輸入の背景だった。
 この状況に目を付けたのがスペインの銃器メーカーで、エイバルに本拠地を置く
ベイステギ・エルマノス社(Beistegui Hermanos S.A.)は1926年に、C96のコピー・モデルを生産した。(ベイステギ・エルマノスは、1934年に銃器生産から撤退し、現在は自転車メーカー「BH Bikes」となっている。
 また、ゲルニカのアストラ社もC96のコピーであるアストラM900を1927年に生産、中国に輸出した。
 ベイステギ・エルマノス社は、商品名が「ロイヤル(Royal)」と「アスール(Azul)」の銃を作った会社で、生産した「ロイヤル」のメカは、オリジナルのC96と大きく異なっていた。

ROYAL  PISTOL
ロイヤル・ピストル


コルト キャンプ・ペリー・ターゲット・モデル

【歴史】
 1926年、リボルバーのフレーム(オフィサーズ・モデル)をベースにシングル・ショット .22LRピストルをキャンプ・ペリー・ターゲット・モデルと名付けて販売した。ダブル・アクション・リボルバーのフレームを流用しているが、シングル・アクションのみとなっている。コルト社が1920年代から試作開発していたターゲット専用モデルである。

【データ】
 口径は、22LRのみ。バレル長は8、10インチ。フレームはオフィサーズ・モデルのものなのでグリップの握り具合はオフィサーズ・モデルときわめて似ている。発売後、ロック・タイム短縮のため、ハンマー・フォールのカットなどの改良が試みられた。当初、バレルは10インチだったが、1933年に8インチ・バレルが追加された。10インチ・バレル付きで重量約978gである。
 トリガー、バック・ストラップには滑り止めのチェッカーが入った。ブルー・フィニッシュだが、サイト・ラインはハレーション防止のため、マット・フィニッシュだった。
 フロント・サイトはビードまたはパートリッジ・タイプ(エレベーション・アジャスタブル)でリア・サイトはマシン・チェッカリングされたコルト・メダリオン入りのウォールナットがついた。
 製造数は2,488丁(1926〜1941年)である。

COLT  CAMP  PERRY  TARGET  MODEL
コルト・キャンプ・ペリー

コルト・キャンプ・ペリー2

CZ モデル27(Vz.27)

【歴史】
 1926年には、CZ(チェコ造兵廠)の銃器デザイナーであるフランティシェック・ミスカにより、作動方式をシンプル・ブローバックに変更し、使用弾薬を .32ACP弾に改めた「CZ27」が開発された。
 これは、9mmパラベラム弾を標準の使用弾薬としていたところを、CZ22とCZ24では同弾薬のショート版である .380ACP弾に変更したため、ロータリーバレルでの作動に不調が多かったためである。作動方式変更で、スライド側面がフラットになったほか、スライドのコッキング・セレーションの角度が斜めから垂直に変わった。でも初期モデルは斜めだった。
 装弾数を1発分増やしたロング・グリップ・フレーム、サプレッサー(消音器)装着用のロングバレル、ホルスター兼用ショルダー・ストックなども用意されている。
 このモデルは1927年に軍の制式となり「Vz.27」の名称が与えられ同国の軍・警察にも採用され、海外にも輸出された。ナチス・ドイツによる占領の際は、ドイツ軍も「P27(t)」の名称で使用している。(t)は、ドイツ語でチェコスロバキア(Tschechoslowakei)を意味する。
 1927年から1955年の間に65,000丁が製造され、CZ75が登場するまでは、チェコスロバキア製で最も成功した銃と評価された。

CZ  MODEL 27(Vz.27)
CZ27-0

CZ27
CZ27-2

CZ27-3

コルト M1903 ポケット・ ハンマーレス・エングレーブ

【歴史】
 モデル1903 ポケット・ハンマーレス。口径は、.32ACP。スペシャル・プレゼンテーション・モデル。コルト社が1926年5月16日、当時のコネチカット州知事「トランブル(Trumbull)」に贈ったものである。

COLT  MODEL 1903  POCKET  HAMMERLESS  ENGRAVED
コルト・M1903ポケット・ハンマーレス1
コルト・M1903ポケット・ハンマーレス2

ギャラリー
  • ワルサー PPK 最初期型
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  • ベレッタ M1931 マリーナ
  • トカレフ 1930(TT30)
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  • ワルサー PP .22 ロング・フレーム
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