反対討論です。反対するだけではいけないと思いますので、提案を合わせての発言をお許しください。
先ず、一般会計予算のうち議会事務局の出した予算案は議会の承認を得ていません。
議会事務局職員は執行部から派遣された議会の監視者を兼ねる操縦者というのが実感です。
議員との力の差は比べるまでもありません。議員が職員に抵抗しようものなら、もめごととして扱われます。神聖な議会は事務局と揉め事を起こしてはいけないのです。
この「神聖ななんとか」というのは心の壁です。
昔、医者は手を洗わずに手術をしていました。妊婦の死亡率は13%もありました。ある医者が手を洗い、消毒するようにしたら2%に、死亡率が1/6に下がるのを発見しました。そして「手洗いのススメ」を発表しました。すると、医師世界の権威から「いちいち手を洗うなんて面倒だ。第一、神聖な医師の手が汚れているはずがい」と、猛烈な反対を受けました。手洗いを勧めた医者は精神病院に強制入院させられ、職員に殴り殺されました。
「医師は神聖である」というデマとプライドが、その医者と何千人もの母親を殺したのです。
阿久根市議会も「神聖な議会」というプライドを放棄すべきです、面倒にも取り組む、出来る議会にした方が良いとおもいます。
事務局さえ采配できていない議会が、市の行政を監視できるわけもなく、職員にしてみれば、議会は開かせ可決させるだけの「軽い、軽い打ち出の小づち」になっています。
議員が15人もいる議会が議会事務局の采配さえできていないのです。西平市長も市役所を采配しているのではなく、議会よりも軽い打ち出の小づち係を務めてだけだと思います。
地域公共交通計画策定業務について申し上げます。
国の言う努力義務は義務ではありません。 阿久根市はすでに独自の調査をして、主体的に公共交通整備に取り組んできています。必要な事は実行しているプランの追加や改正です。市民の生活実態はよそ者の学者などに聞くことではありません。自分たちで市内を回り、話を聞けばいいのです。自分たちでやれば業者には出せない個人情報も勘案しながら改正ができます。
議案の計画書は高価な棚の肥やしになるだけです。業者に1千万円も払うぐらいなら、交通費補助などに活かすべきです。阿久根市職員もそんなに能力が低いわけではありません。自分たちでやれば、調査を通じて市民の生活実態を身近に把握でき、市民に身近な、生きた知恵も出せるはずです。そうすれば、「職務を執行する」という公務員特有の権威的で無責任な、あの冷たい感じが少しは弱まると思います。
番所が丘公園オートキャンプ場整備について申し上げます。
オートキャンプ場は遠くの人が道具や食料を持ってきて使うので、商店や旅館の利用につながりません。採算の取れないお荷物が増えるのは確実です。
阿久根市は低所得で高齢者が多い、大半が旅行を楽しむゆとりさえ無いというのが現実です。そのような市民の目線で考えていただきたい。身の程をわきまえるべきです。
総合運動公園案内板設置業務について
市役所は今、毎日、毎日、見るに堪えない汚れ物を掲示し続けている訳です。職員は毎日見ているはずの案内看板を、全部作り替えなければならなくなるまで、なぜ放置するのでしょうか。看板は道具、道具は日々、手入れするのが当たり前です。
道具を粗末にする人は仕事を大切にできない。市役所は逃げられない客相手だから態度を変えないのではないですか?
阿久根市役所の意識改革を希望します。毎日、良い仕事を果たす事に精神的な喜びを見出す職場に変っていただきたい。
ワクチンについて
自民党の西田昌司代議士は「ワクチンやめたいけど国民がマスコミ信じているからやめられない」と発言しています。何が入っているか分からないワクチンを子供にまで打たせるのは、マスコミを恐れての事です。 マスコミを疑い、調べ、よく考えて判断されることを希望します。
今、マスコミは戦争を話題にしています。自民党政調会長・稲田朋美氏は、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」と発言しています。
戦争は国民を生贄にすることです。政治を祭りごとと呼んで神聖化し、自分たちは神の代理人を気取る事で、精神を極限まで堕落させる戦争すら神聖化する。
このような権威者の演技に大衆は何度でも騙される。祭壇を飾るマスコミが戦争を鼓舞してきました。
役所と大衆に、ただの風邪でさえない、無症状PCR陽性まで過剰におびえさせ、マスクとワクチンを強要させているのもマスコミです。
ここにも神聖な国家や権威者が、マスコミの祭壇にひとびとを生贄に捧げ、捧げられるという構図があります。
私は自分を雑巾のようなものと考えています。汚れを身にまとい、洗っては、汚れをふき取る事を繰り返す。しまいには擦り切れて捨てられ、そして忘れられる。自分自身について如何なる夢も抱いてはおりません。ただ、まつりごとと称して生贄を捧げ、捧げられる皆様の作る社会が気になります。
ボロ雑巾の竹原が、神聖な皆様に僭越な意見を述べさせていただきました。失礼の段お許しください。