世界は自我のマトリックス

不幸の教育

 日本人は不幸だ。不幸すぎてその不幸に気づくことが出来ない。ほとんどの人間は良心に従う気持ちよさを知らない。日本の教育やしつけでは良心をわがままと教えられる。良心に従う事に罪悪感を感じる様しつけられる。良心よりも秩序、概念でしかない思考秩序、見せかけ秩序に精神を合せるように教育される。この様な教育によって人びとは本来の生命力を忘れている。システムに従順な子供は悪賢くなる。本質的な生命力を失うので社会システムに寄生する能力を特化させることになる。日本の国家体制はそのような人間たちによってかたち作られている。不幸な人間は同じタイプの人間を再生産する。寄生種集団はそれを維持するためにバカな悪人を必要とする。それが日本の政治家だ。バカで恥知らずの政治家が寄生種集団の保護者になっている。
 日本は不幸で従順、悪賢い寄生種たちが食いつぶしていく不幸の循環システムなのである。 最大の寄生種集団を定義した法律が存在する。国家公務員法だ。

 公務員集団の利益保護を根本基準とする。それに対する国民の妨害を許さない。
(原文)第一条  この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。

  

だから日本は死んでいく

 集団を国家としても同じだが、それらは概念に過ぎない。実体を持たない、人が付き従う形式である。まず、ほとんどの人はその事が分かっていない。集団に名前を付けたときに頭の中で間違いを犯す。集団を擬人化する。
 たまたまで、成り行きに過ぎない多数決の結果を、まるで熟慮の結果のようなフリをする。その時、自分自身はまったくの無責任だ。自分で考えた態度ではなく、仲間はずれへの不安から立場として集団に同調した態度を示す。この時、集団に使われるゾンビーに過ぎない。魂を捨てて仲間のために嘘が言えるようになれば一人前だ。たとえば大蔵官僚にはノーパンしゃぶしゃぶ接待を受け、業者と癒着すれば一人前とみなされる空気があった。警察や裁判所、教育機関も同様だ。
 
 集団は無自覚、無思考である。集団を疑わなければいけない。自分が自分であり続ける事が集団の間違いを避ける方法である。日本人は自分で考える事を嫌う。仲間のために汚れるのを美化する。はっきり言って最低だ。だからあらゆる集団が間違えている。それぞれが陥っている「概念への依存心」が社会を汚している。人びとはそれぞれにまちがえている。自分を捨てているという事だ。だから日本社会は死んでいく。 

社会の設計図 阿久根市議会

日本社会の設計図について語りました。阿久根市議会にて
動画をご覧ください
 https://www.youtube.com/watch?v=Ai7FZLL2RuE&feature=youtu.be

空気の囚人

 元官僚の方から聞いた。「空気を読んで、流れに乗り、周囲に合わせて、目立たぬように、遅れず休まず働かず。霞が関の官僚から市役所職員まで、日本はどの役所も同じなんだよ。」

 仲間外れにならないように、お互いの顔をつぶさないように集団の習慣を必死に守ろうとする。この習性は役所に限ったことではない。日本人は互いを脅えあっている。自分の事しか気にしてはいない。その本性が見えないように取り繕うのが日本人の礼儀作法である。ほとんどの日本人はその事に気付いてはいない。気付かないで心の習性で動いている。日本人は良心からではなく、脅えているから良い事をする。非常に打算的なのだ。自分の良心で生きる事を知らない。日本人はとてつもない不幸だ。それが分からないほど不幸なのだ。空気の囚人は牢獄を見ることが出来ない。脅えあう空気の鉄格子が心に埋め込まれている。

 誰が役人になっても議員になってもろくなことになっていない。国家の設計図が公務員法にあって、「職員が集団的に利益を獲得し、国民の妨害を阻止する」となっている。誰もその事に気付かなかった。 わずかに気づいたとしてもそれを言うのを空気が許さなかった。もはや、日本人は自分が何をしているのかを知ろうとさえしない。囚人どころか家畜なのである。魂が死んでいる。人としてこれほどの不幸があるだろうか。

政治家の役目が戦争になる仕組み

 「政治家はどのような社会にするのかを決めるのが役目」と考えられている。
国民は政治家を利用して自分の利益を拡大しようとする。日本には、「職員が利益の確立を目指す、それを国民の妨害から集団的に保護する」という国家公務員法がある。 役人もそれ以外も、政治家を利用した戦いに必死なのだ。
 政治家の第一の仕事は選挙で選ばれること、すなわち自分を政治家にする人が勝つような戦いを仕組むことである。 選挙の戦いは法の戦い、お金の戦い、報道と情報の戦い、感情の戦いを誘発する。結局のところ、選挙に勝つのは政治家自身ではなく戦いのシステムそのものなのだ。システムによって作られた政治家は戦いのシステムから自分を解放することが出来ない。システムの一部になる。選挙システムは政治家に更なる戦いを求める。

 選挙に強い政治家の支持組織やシステムは利権拡大の衝動を止めることが出来ない。にもかかわらず、システムに操られるだけの政治家がその役目だと思っていたりする。システムは政治家に終わりのない戦いを求める。つまり、国民の貪欲で邪悪な衝動と役人組織が結果的にそれを要求するのである。 その際、自衛、安全安心、国際平和、協調、テロとの戦いなどという言葉が利用される。この国家システムは自らを止めるブレーキを持たない。
 利権や繁栄に貪欲な、そしてその事にまったく無自覚な国民の性根が政治家に戦争を求めている。戦争の本質的な原因は外国にではなく国民の無自覚にある。
 よく考えてほしい。集団の名前は概念であってひとではない。国家も国民も公務員も人間ではない。 自分が自分自身といつも対面するところに平安がある。自由の秩序がある。平和がある。その事への気付きが失われる結果、戦争になる。 私たちは自分との対面に目覚める事だけが人生テーマだと気づくしかない。このことに成功すれば戦争はその理由を失う。

顔が見えなくなれば人は悪魔になる

人間の本性でこの社会が作られている。考えてみれば匿名の投票による選挙や匿名の役人組織、匿名の多数決で行われる社会体制が邪悪なものになるのは当然だという事。その原因と責任はわれわれ人間の本性にあるのです。
これはすでにアップされている公開中ビデオの一部です。

日本が溶け落ちるように仕組まれた 「公務員法計画」

 マンハッタン計画で広島と長崎の非戦闘員30万人以上が被害にあった。計画に参加したアメリカ人は約14万人、そのほとんどが計画を知らなかった。何も知らず残虐行為に一生懸命加担した。組織や社会の設計図とはそのような物、ほとんどが無自覚のうちに一つの方向に動かされてしまう。
  日本の設計図は役人が社会を蝕むよう計画された国家公務員法だ。第1条に「職員の福祉と利益を根本基準とする。効率的合理的にそれを行うために国民の妨害から保護する」となっている。 また、「職員は全体の奉仕者」としてある。これは「役人組織全体に奉仕する歯車であれ」ということ。同時に、「組織を通じて国民全体に奉仕する」という考え違いを誘導している。
 現実として、裁判所は人事を役人に握られているので公正な判断をしない。検察や警察も同じで冤罪事件を止めることが出来ない。道理の通らないこの国は事実上の無法国家だ。その事を役人ばかりか政治家、そして国民のほどんど誰も分かっていない。この国は公務員法で溶け落ちる。その様に仕組まれている。

人間の集まりは人間ではない

 人間の集まりは人間ではなく、集まりという概念である。人びとはそれを理解しない。集まりがものを考えるという事などあり得ない。不思議な事にひとと概念を混同する。神聖な人間など一人もいない阿久根市議会なのに、神聖な議会などという。もはや妄想市議会である。妄想が多数決をすることで役人妄想集団の後ろ盾をするという体たらくなのだ。

社会とは何か

 ひとは社会を自分とは別の所にあるかのように想定する癖がある。あるひと(A)が「この社会」と呼んだとき、「この」には(A)が積み重ねてきた誤解を含んでいる。実はほとんどが誤解だ。誤解の感情Aを語っているにすぎない。聞いている別の人(B)は感情Aに反応した感情Bから誤解Bを思い出している。何を言いたいかと言えば、 人はそれぞれの誤解社会を想像している創造主なのである。にもかかわらず、自分を変えずに社会を変えてほしいと欲求する。ここに悲惨さがある。人はそれぞれの誤解に苦しんでいる。あるいは誤解を楽しんでいる。

 問題は、自分の住む世界を変えようとするならば「自分が思い込んでいる世界は誤解なのだ」と感じなければならないということ。普通の人は違和感なしに感情の変化を起こすのは難しい。心地よさから離れられない。恐怖心を克服するのも難しい。感情の泥沼から出るには、「この心地よさは本物か?」「この恐怖心は本当か?」と問う事が必要だ。感情や感覚をつきつめれば、つまらぬ事に感情が反応しているだけだと分かる。この世界に普遍的で究極の意味などない。これが終着点であり、泥沼の出口でもある。悟れ、気づけ、目覚めろとはこの事。
 仕組みが分かったところで感情の扱いに取り組まなければならない。感情に扱われてしまわぬよう、自分を無意味に置いておく必要がある。「この体は死ぬ。すべては忘れ去られる。この世界は消え去る」この真実を本心の奥底に置かねばならない。納得するまで自分に言い聞かせる。うまくいけば自分の世界をずいぶんと軽いものに感じることが出来る。良心の自由に生きるのが可能になる。
 すなわち、社会とは自分の生きざまなのである。社会を変えることは自分の生きざまを変えることだ。自分の誤解世界を支えている感情空間を丹念に読み、その矛盾に気づき、矛盾の結び目を解いて別の世界を編みなおすのだ。編み方は偶然や直観が導いでくれるだろう。直観の扱いに慣れるしかない。失敗などあり得ない。必ず訪れる死と忘却、消滅が絶対的な安心の支えになってくれる。
  
  

幸福の原理

 どうすれば幸せになるのかを人は考え続けている。
 人は恐怖心や罪悪感、ずる賢さなどから解放された時に幸福を感じる。 実のところ、考えが止まった時、そこにあるのが幸福だ。人間は四六時中、考える癖がついている。「考えなければ生きていけない」と教えられ教育され、強迫観念に頭と心が追い立てられている。もっとカネを、もっと知識を、もっと善人に見せかける技術を、、、などと生きている。この思考空間が悪と不幸の発生源である。知識を積み重ねるほどに悪人になる。高学歴の人間ほど人間性が欠落しやすい。悪賢い悪人ほどが高い地位を得るという状況がある。悪人は不幸でありながらその事に気づくことができないほど思考回路が人格を占領している。

 幸福は気づきである。思考回路からの自由を獲得して、幸福に気づくにはどうすれば良いのだろう。
思考や努力の先にあるものを私たちは知っている。肉体の消滅、記憶の消滅、将来における文明の消滅、更に遠い将来での地球の消滅だ。全ては消え去る。絶対的に間違いがない。ひとは消滅するものについてしか考える事ができない。幸福を知るには思考に対する絶望が必要だ。ほとんどの人は思考や希望に対して良い事のような感覚を持っている。これは錯覚である。分別を欠いた希望が不幸の原因なのだ。

 例えば、子どもが好きなおもちゃを手にしたとき、おもちゃ自体を喜びと思い込む。しかし実は、特定のものに反応した自分の感情を体験しているだけなのだ。思考と感情の癖を繰り返しているだけだ。実際には自分の感覚をおもちゃに置き換えて楽しんでいるという状況なのである。この仕組みを咀嚼(そしゃく)し、本当に理解すれば対象に対する執着が消える。
自分のこころの構造を理解すれば執着が消える。「こころも道具に過ぎない」とわかれば執着を手放すことがもっと容易になる。やがて、幸福の気づきが向こうからやってくるだろう。
 

  
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