人が陥っている「個人」という思考の癖は抜きがたい。その癖を入り口にして社会システムのあり方について語りたい。 夢の中の住民に、「ここは夢である」と語るわけだ。夢の素材を使うので厳密なものではない。この話は夢世界の構造を分析することで悪夢の非実在を感じさせようとする試みだ。誰にでも理解できるというものではない。
  
  人は相手を自分が理解しやすいレベルにまで引き下げようとする。従って、概ね「分かり合う関係」と呼ばれるのは反射的、感情的で程度が低い。新聞やテレビがわかり易さを追求した結果、ゲスな感情が常識になってしまった。ゲス同士が争い疲弊する。あげく、ゲスな感情をかばいあい、隠しあう嘘組織が権威として君臨している。
人びとはその嘘を見ないようにすることでこころの安定を保っている。 嘘組織は誰も指摘しないのを良い事に、嘘の自己拡大を続けている。

 日本の特徴は集団主義と民主主義の混同である。多数決が民主主義だとされているが、多数決して良い事と、してはいけないことの区別をつける知性を欠いている。例えば、裁判では「疑わしきは罰せず」の原則がありながら、死刑判決を多数決で決めている。袴田事件など、でっち上げによって犯罪者にされるケースが後を絶たない。 
 裁判官は「法と良心にのみ従う」とされながら、人事権を法務省役人に握られているので法にも良心にも従う事ができないケースが少なくない。 国会を含む議会も似たようなものだ。党議拘束で議員が議場に座る前に結論は決めてある。議会をカネと集団主義が動かしているのだ。この国はカネに操られた集団主義の多数決で戦争を始めてしまうに違いない。原因は知性の欠落、多数決は知性の終わりだ。