日本の教育は形式的です。役人による教育であり国家の強化を目的にしています。子ども達は「勉強して偏差値の高い学校に行けば就職が有利になる」と教えられます。テストの点数が高ければ国家的な地位や世間の評価を得られる。地位やお金を得る事ができるというわけです。
 
実際のところ、国家は形式にすぎません。国家のための教育は形式を強化する形式教育です。日本の教育は形式を多く覚え、場面に応じて器用に使い分けられる人間を生産するようになっています。ですから、偏差値が高いとされる者は、概ね権威的で、強者に弱く弱者に強い、口が器用で地位とお金に強欲、立場に応じて自在に意見を変えられる、行儀が良くて良心的に見せる技術を持っているが良心を持たない形式人間が少なくありません。日本の教育は性根の悪い人間を育てる教育になっています。システムに育てられた無責任な悪人がこの国家に取り憑いています。

 日本人は学問が自立するというのを分かっていません。真実や良心の自立もわかっていない。欲得なしに真実のために行動するという良心の自由を理解できない。マスコミの影響もあって、邪推し、ゲスの勘繰りで心を汚す快楽にひたる。日常的に劣等感と優越感をなめ合うという始末。国家の形式教育が魂を汚してきました。

 そもそも精神性を政府すなわち国家に求めるのが間違いです。憲法にもあります。

『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言する。この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。』

日本人は憲法すらわかっていないのに法治国家だの民主主義だなどと言っている。文字を読むけれども深い意味を理解しないように教育(調教)されているわけです。国家のしわざです。
  教育は国家の縛りから解放されていなければなりません。教育委員会制度がそれを実現するはずでした。ところが役人が教育体制のすべてを乗っ取っています。戦前と変わるところがありません。その原因は公務員法です。憲法違反の国家公務員法で役人が公を盗み取ったのに、そのことを誰も気づいていない。政治家を含め、ほとんどの国民は役人組織がおおやけだと思い込んでいるので、形式だけの、形式教育に加担する形式教育委員会になっています。

人間教育の核心は全世界に広がる良心の自由でなければならない。繁栄や発展に心を汚してはならない。真実は自立する。損得や世間の評価のために曲げてはいけない。この信仰心的感覚に生きて死ぬ覚悟を持つことが教育の目的でなければなりません。現代日本の状況は、文明が劣化しているのではなく、国民がいまだに文明を経験していないという事なのです。

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