おおやけごと(公事)には何が大切かを語ってみよう。
 公けの要諦は個人性の排除だ。しかし、組織に自らを明け渡すことではない。組織にではなく公衆の良心に自らを明け渡す事だ。 そもそも組織というものは人間特有の概念であって生き物ではない。組織は人を心理的、肉体的、経済的に拘束する。組織は全体として生き物のように見える。役割分担する事で、それぞれの人間は全体が進む方向を知らずに特殊な行動をする。組織の構成員は報酬や義務により個人的に拘束される。ほとんどの人間には組織の財務状態や社会に与える影響など考慮する役目を与えられることはない。知らずに個人的に頑張る。個人性の強化が組織を強くする。強い組織では必然的に秘密が多くなる。秘密を守ったり破ったりするのは個人であり私人。家に帰っても知らないふりをしなければならない。秘密は人を24時間拘束する。各人が嘘つきになる。

 日本では、しばしば見せかけに過ぎないにしても恩や義理、忠誠心を尊ぶ。いずれにしろまったく私的な感覚なのだが、これらを無邪気さや善良さとして認識されている。あらゆる秘密や忠誠心は無知無自覚の原因になる。国家権力は秘密と無知と打算によって支えられている。 善良さを仮装した無知と打算が国家を強くする。秘密に慣れ親しんだ権力の構成員はロボットの様に反応が単一化している。マインドが権力の部品になっていて自分自身の良心の傷みや社会全体の傷みを認識できない。

 地位や立場は人をロボットにする傾向が強い。しばしば政治家が私欲エネルギーで動く集団のロボットになっている。 政党はもちろんの事、役人組織も集団的私欲エネルギーの拡大を目指す。国民や外国人から吸い上げるエネルギーの最大化を目指すのは権力の本質だ。私的損得を国民の損得に見せかけるのは常套手段。例えば国の借金、例えば原発、例えば戦争だ。組織のみこしに上手に乗れる人間は上手に操られる。バカあるいは強欲政治家が権力組織に安心感を与える。

 この様な動きを止める可能性を持つのが公けである。打算、恐怖、忠誠心をエネルギーとする集団に公けはない。国家も公けとは違う。公けとは公衆の良心である。国家を超え、人種を超え、時代を超えて生命の支えを破壊しない本質的な力だ。今の様に、欲望集団が公を偽装するのは悪魔が神を騙(かた)るのに等しい。共謀罪などの法律によって一般国民が国家の犬にされつつある。あげく、公けの良心を喪失した人間たちが欲望国家の仕組む戦争によって処分される。これは「神のはからい」と言えるかもしれない。公けは永遠なのだ。