翁's−オキナッツ−

どこかとんでもなくとんでもないところへ。 爺隠才蔵のブログ。

攻める戦よりも守る戦よりも撤退戦が一番難しいと呼んだのは何の物語だっただろうか。
撤退すると決まってからの3ヶ月はなかなか難しい期間だった。

およそ2年半お世話になった現場の人たちは皆いい人達ばかりで、そこにジョインしていた私たちチームも手前味噌ではあるが、二人三脚で現場に貢献してきた認識はある。
もちろん長く一つの場にいるといいことばかりではなかったが、ボタンの掛け違えが起こるまではそれなりによい関係性で仕事ができていたと思っている。しかし、今回の撤退は誰が好きとな誰が嫌いとか、まあそういった類の話でないことだけは確かで、双方の事情がある中でこれ以上の継続が難しくなったというだけの話なのだ。
相手方の日本有数の大企業と私の属するベンチャーとの企業間では、現場だけでは如何ともしがたい流れというか力学が働く。その中で現場の我々は疲弊していくばかりになり、この度撤退と相成ったのだった。

さて、いざ撤退戦が決まるとどのように撤退するのか悩ましいことがいろいろとでてくるわでてくるわ。
これが撤退戦の難しさなのだろう。

まず第一にコミュニケーション。
最初に相手方の上長に話がいってから、現場のメンバーにオープンになるまでのタイムラグ。向こうは向こうでタイミングを見計らうので、それまではこれまで通りのやりとりをすることになる。当然、先々のスケジュールも話題にあがるのに、どう受け答えするのか模索が続きました。
第二に引き継ぎ。何を残すのか。
2年半も続けていると、やはりこの人でないと分からない部分や言語化できないノウハウがそれなりに個人に蓄積してしまう。本来であれば、すべてを伝授してから離任となれば一番いいのだけど、やはり人1人が2年以上かけて培ったものは一朝一夕には伝えられず。仮に知識として伝えたとしても、やはり実際に事案に直面してみないとなかなか身体に落とし込むことは難しい。
結局は困った時には誰に話を聞きに行けばいいかの道筋だけを残すことになった。
第三に心象。
やはりこれまでコミットしてきた現場を離れるというのは、決して良い印象は残さないだろう。その先に苦労するであろうことはこちら側にも分かっている。みんな大人だから、正面切ってケンカになることもないけれども、その心中はいかに。
第四に撤退戦は儲からない。
うまくいってる時というのはメンバーも増え、売り上げも増えていくわけだが、撤退戦はちっとも儲からないし、全然カタルシスを生まない。できるだけ淡々と、波風立てることなく日々のタスクをこなし、後に残る人々がなるべく困らないように、限られた期間とパワーで引き続きをし、そして心象が悪くならないように心がける。
離任日は決まっているので、遅れることが許されない焦りと、繊細な心配りを要する緊張感がじわじわとボディブローのように効いてくる。

じゃあこれまで通りいるメンバーでコミットし続ければいいかというと、まあそういう話でもない。

この歳になると、ひとところに留まって同じことをやり続けるというのはニーズはあってもリスクを伴う。技術は日進月歩で変わり続けどんどん先に進んでいく中で、もう全盛期の回転速度には及ばない頭で、まがいなりにも付いていくためには常に風が吹き続けるところに立っていなければならない。
何をするにしても少なくともあと20余年は働かなくてはならず、専門性もオタク力もないバランス感覚で泳いでいる私はちょっと逃すとズブズブと溺れてしまいそうな恐怖感が拭い去れない。

此度の撤退戦がなければ、先に待っているのはここのメンバーの離反だけだっただろうと思っている。

今回の撤退戦では私はシンガリではないので、まだ場に残るメンバーを慮りつつ次の模索を続けるしかないのだった。

自らの経験としては、こういうこともあるのだなと糧になることもたくさんあったのだが、なるべくはこの先にあまりこういうことが多くない方がありがたいなと本音では思うのであった。

20代のころ、人生で大いなる問題として自分を縛り続けるのは「孤独」と「お金」だと思っていた。

周囲に先駆けて20代の半ばで結婚した私は、一旦はその前者に蹴りをつけたつもりでいた。これで生涯の伴侶を得たので、ひとまずそれは大丈夫だと。
ただ、30代を経るにあたって色々な出会いと別れが訪れ、またその問題が再燃する。各種仕事をするにあたって、結局はマンパワーなのではないかと。自分一人で何かを成し遂げることなどなく、周りのみんなとともに作り上げていく。だからこそ、人と人との折り合いがつかなくなったときに、また孤独の海に投げ出され、どこに行き着くとも、積み重ねていくこともできない孤独のなかにさらされてしまうのではないかと恐れていた。
そこでうまく折り合いをつけながらやり取りできればよかったのだろうと思うのだが、元来の性格か路線の違いかそれが上手くできなかったときの茫漠感たるや。
これは間違いなく私のせいであり、他の誰のせいにも出来ないところが困りものだった。
その思いは今もあまり変わっていない。組織であったり、団体であったりというのは結局は私には向いていなかったのだろう。
この歳になってしまえば、どの組織/団体にいるにしろ、自分のポジションなり心持ちみたいなものはあまり変わらないことに気づいてしまった。
人を何かに導いたり、何かを与えたりするのはやはり人しかなく、そこを放棄したらもうそれ以上はないのであろうと思う。
だからこそ人との関わりみたいなものからは逃れるすべもないのだけれども、その離反/合流に対して孤独だ云々思わなくなったのはやはり年の功なのだろう。
見渡せばうまくやっている人などゴマンといて、それをうまくできないのは、向いていないというか興味がないというか、私には無理だったのだろう。そして、そういう事柄は今後もきっとうまく出来ることがない気がする。
1人去り、そしてまた1人去り、ゆくゆくは私自身が去っていく中で、結局は私は私でしかないのだと、ともに時間を過ごした人々には感謝こそすれ、ずっと一緒になどという幻想は私が勝手に抱いたものであり、そんな中でも勝手に去って行けてしまう私自身がそれを望むのは矛盾しているのであった。

辛いのは気付くまでで、一度「あぁそういうものだよな」と思ってみると、案外平気だったりするものですね。
きっとまたこの先の出会いやら別れやらでこの先の心持ちなどは変わっていくのかもしれないのだけれども、ここ20年に渡って付きまとってきた問題について一つの答えが出つつあるのかもしれないなと思う。
春にはまた動きがあって、それはまたこの先に折りをみてやってくるものなのだろう。だとすれば一つの出来事をとって一喜一憂するのはしようがないことでありましょう。

かといって40を手前にして人としてはまだまだ心乱されることが多く、なんともなあと思っていたりするので、そこに悩むだけの余裕がなくなったと言うことも出来るかもしれない。

残念ながら冒頭の後者についてはまだまだ悩まされることも多く、安寧の地は遠いなぁと1人ぼやいてみたりするのであります。

霧は晴れず、闇の中を疾走する箱に揺られながら、明日はまたどこに行こうかと相変わらず悩んでいたりするのです。

物事を尋ねられたとき、
その質問の意図が分からず、
「なんでそう思うのか」
と尋ねることがよくある。

なにを聞きたいのか
なぜそれを聞きたいと思ったのか
そう思ったのはなぜか
何かを話すときにその質問の本質が、その内容から伺い知れなかったときに、
よくこういうコミュケーションになる。
自戒の意味を込めて、このコミュケーションってとても卑怯だなと思う。
基本、貰った質問に対してなぜなにの質問を繰り返し続けると、人は言葉に詰まる。
そこがたどり着くところは、禅問答か哲学、超科学的な回答にしかならないからだろう。
少なくとも質問者は禅問答や哲学云々に発展するとは思っておらず、回答もそれを求めてはいない。

その上でこちら側は
そこが分からないと答えられないと突っぱねる。
でも本人としては、
そのなぜなにを繰り返された時点で、議論の的がもうよく分からなくなってしまっているので、突っぱねられてもそこに対する答えは用意しようが無い。
人と人とのマウンティングや、他人の精神を破壊するのに極めて効果的なやり方だと思っている。
自らも何度もやられたことがあるし、逆にやったこともある。

年かさになるとおかげさまで、「あゝそのパターンでやり込めてくるのね」と防御もとれるようになるのだけれども、
いつもずるいやり方だなあと思う。

小さい子供が、
なんで空は青いの?
なんで光の波は色によって違うの?
ということを繰り返すと、
最終的に大人が答えられなくなるのと根っこは同じだ。
それを対大人でやるといつも大概はえげつない。

これを「なんでなんで攻撃」と私は呼んでいる。
もちろん知りたいことの本質を伝えきれていない質問者の側にも要因はあるとは思うけれども、
そこを理解しきれない受け手側の問題でもあると思う。

自分でも使う手段なので、
なんともはがゆいのだけれども、
やっぱりずるいなと思うのである。

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