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JIM-NETスタッフblog

JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)では、
イラクの小児がん医療支援、イラク国内避難民・シリア難民支援、福島の子どもたちを放射能から守る活動を行っています。

14 3月

【モスル緊急支援】薬をモスルへ届けました。

JIM-NETでは、1月にISから解放されたモスルのモスル緊急支援イブンアシール病院に、3月12日抗がん剤などの医薬品約100万円分を無事に届けることができました。

モスルに向かう途中は激しく破壊された建物が続きますが、市内はそれ程破壊が激しくはなく、人々はがれきを片付けたり、道路の修復作業などを始めています。
イブンアシール病院は、ISが逃げる際に火を放っていったので激しく破壊されています。修復にはまだまだ時間がかかると思われます。

がんの子ども達は、仮の建物で、応急的な化学療法を始めています。今まで、アルビルまで来ていた患者も、通行の許可に時間がかかり、たとえ、病院についても薬がなかったりして、モスルの病院に戻ってきています。

JIM−NETでは今後も引き続き支援をしていきたいと思います。是非ご協力ください。
クレジットカードからも募金できます。
http://jim-net.org/support/donation.php
「イラク白血病支援」をご指定下さい。

モスル緊急支援➁
モスル緊急支援
モスル緊急支援
モスル緊急支援

(佐藤 真紀)
10 3月

ダマスカスへの旅

シリアへの旅

リームアッバース

2016年10月4日朝5時、私たちは国境の方角、フィシハブールへ向かって出発した。私たちは朝9時に着いて、まだ到着していないマネージャーを待ちながら午後2時までそこにいた。その後、ボートに乗って1分で国境の反対側に着き、私たちは搭乗券を受け取るためにYPG(クルド人民防衛隊)のチェックポイントに向かった。チェックポイントで、私たちは、近いうちにカミシュリー市の移民局の面談を受けることを約束させられた。それから、タクシーにのってハサカ市に向かった。
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ハサカ市までの間、私たちはYPGのチェックポイントで何度も止められた。道の周りは村も木もなくまるで砂漠みたいだった。タクシーの運転手は、その地域はもう長いこと水と電気の不足に苦しんでいると話していた。道に沿って男女の犠牲者の写真がたくさんあった他は、村までの間ほとんど何もなかった。
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やっと午後6時半に、ハサカ市に到着した。そこでは、前日に結婚式の最中に殺された人の葬儀をしていた。自爆テロで40人くらいが殺されたとのことだった。

翌日、移民局での登録のためにカミシュリー市に行き、15日間のシリア滞在許可を得た。他のところと違って、カミシュリー市は混雑していた。ほとんどの人たちは、アレッポ、デリゾール、ラッカから来たよその人たちだった。市内にはたくさんのチェックポイントがあり、そこはほとんどすべて爆撃を受けていた。メインのチェックポイントは政権が支配する空港の隣にあった。ほとんどのクルド人の地域を保護しているYPGチェックポイントの人たちのおかげで、街中は安定していた。私たちは、旅行会社に向かった。予約をとろうと4つの代理店を回ったがすべて満席で、20日後まで予約がとれない状況だった。
私たちの滞在許可は15日しかないので、私たちはハサカ市に戻ることにした。そこで別のルートを探そうとしたのだ。そのとき、夫の弟が、ある空港で働いている人のいるカミシュリー市にもう一度戻るように言った。その人はユシン空港(兵士や負傷者、医薬品の輸送用の飛行機が使用する)のフライトの予約の仲介人となってくれるという。
それが私たちにとって唯一の方法だったが、その人には別途お金を払わなければならなかった。私たちは彼の家に行き、2016年10月10日のフライトの予約が取れた。フライトまでの1週間、私たちはハサカの町中をブラブラしたり、近くの村を訪ねたりして過ごした。ハサカは、元々の住人よりよそから人たちの方がずっと多いことに気づいた。ほとんどの人たちは、生活費が高いことに苦しんでいた。ほとんどの店に物資がなく、日用品を入手するのが難しくなっていた。薬局にさえ必須薬品が不足していたが、安くて品質の悪い薬や赤ちゃんのミルクはあった。ほとんどの品は、クルド人自治区から輸入されたものだった。労働者の平均収入は60ドルで、それでは生活費の必要には足りない。加えて治安も悪く、生活費も高くかかるので、多くの人たちにはイラクやヨーロッパに移住すること以外に選択肢がない。

月曜日の朝、弟たちと一緒にカミシュリー市の空港に向かった。午後4時にチェックインするために空港職員に呼ばれるまで4時間待たされた。同じフライトには約300人の乗客がいた。兵士、学生、犠牲者の家族たちが私たちと一緒だった。満員のフライトで、ほとんどの席は兵士にあてがわれており、私たちは飛行機後部の床に座らなければならなかった。
飛行中、多くの乗客とおしゃべりをしていた。突然、手錠をつけた一人の少女が私の妹に近づいてきて、手錠をしていることを気にもせずに、あたかも普通の旅行中で、たばこを求めているかのように耳打ちをした。「私は囚われているの。私は、アブ・バクル・アルバグダディを知っているわ」と言って、気が狂ったように笑っていた。彼女は妹を怖がらせ、一人の兵士が私たちのところから彼女を連れ去った。彼は、その少女は自爆テロをしようとしたテロリストだと私たちに話した。今、彼女はダマスカスで裁判にかけられている。
時間はとても早く過ぎ、午後11時にダマスカス空港に到着した。私たちはセキュリティチェックに30分を費やし、とても幸せな気持ちで空港を後にした。ダマスカスに来られたのは3年ぶりだった。それから公共交通を使って空港の前から、予定していたホテルのあるマルジェの近くに向かった。しかし、夜中の1時に着いたら、ホテルに空き部屋がなかったので、他をあたらなければならず、近くを回ってやっとマルジェ・スクエア近くのアルファーディス・ホテルに入った。
翌朝は、早起きをしてビザを得るために移民省へ行かねばならなかった。ホテルの窓をあけてびっくりした。高い家賃を払うことのできないたくさんの家族や子どもたちが道端に横たわっていたのだ。
ホテルは高くて、一泊7000シリアリラだった。私たちは移民局に向かった。私は公共交通機関が普通に動いていること、子どもたちが学校に行っていること、私たちが報道で見ている状況とあまりに違う町の様子に驚いた。すべてがよく見えた。しかし、混雑している道沿いには30メートルおきにチェックポイントがあった。道をゆく若い男性のほとんどは軍服を着ていた。私は行く道すがら写真を撮っていた。ながい混雑した道を過ぎてやっと移民局に到着した。
そこはとても混んでいて、書類を扱ってもらえなかった。たくさんの女性が夫たちを追ってドイツに行くためのビザを得ようとしていた。生活費の高騰と治安が国を離れる大きな理由だった。私たちは移民局を出て、明日また出直すことにした。ビザを待っている間、私は子どものための組織、アルバスラセンターの精神科コンサルタントのラナさんに電話をかけた。彼女は歓迎してくれたが、彼女のお母さんが入院しているおばあさんの世話をしなければならないので、会うことはできないと謝罪し、とりあえず、組織の長であるスヘイル・ボラドさんとのアポを2日後に取ってくれた。
ダマスカスで有名なアイスクリーム

自由時間があったので、私たちはファミディーエに行くことにした。ダマスカスの中の道を至るとことにまかれたジャスミンのアロマを楽しみながら歩いた。マーケットの門のところにチェックポイントがあって、ハンドバッグの中を調べられた。マーケットは前とほとんど同じで、人が少ないことを除けば何も変わっていなかった。私たちはアイスを食べて、買い物をし、午後4時にホテルに戻った。夜は女性が連れ去られる事件があると聞いたので、早めに帰るようにしたのだ。
スークファミディーエ

夜、たくさんのミサイルの音を聞き、遠くに煙が上がるのを見た。ホテルのオーナーは、ㇵラスタの近くではこのようなことが日常的に起こっていると話していた。
翌朝、ビザの手続きを終えるために出かけ、ビザを得た。それから、朝食を食べに行き、道を歩きながら自分のカメラで写真を撮っていた。突然、軍服を来た人がやってきて、カメラを見せろと言い、これ以上写真をとってはいけない、と言われた。彼は私たちに学生かどうかチェックするためにIDを見せるように言った。幸運なことに、私は学生IDをもっていたのでそれを見せたら、彼は何かの時に連絡するようにと連絡先の電話番号をくれた。それで私たちは立ち去った。歩いているとき、誰かにつけられているような気がした。私たちは彼が諜報部員だと思い、彼に私たちが滞在している場所をわからせないために彼を撒こうと30分走り続けた。彼の監視から逃れることに成功し、タクシーにのってホテルに戻った。私はアポの日までホテルにいて、カミシュリー市に戻ることを決めた。
アポの日、アルバスマの人たちに会うことに興奮して事務所のあるメッゼまでのタクシーに乗った。スヘイル・ボラドさんに会い、自己紹介をした後で、ガンの子どもへの医療支援、貧困患者の家族への物質的・精神的な支援などのJIM-NETの活動について話した。また、多くのシリア人の患者がナナカリ病院に治療のために来ていることも話した。スヘイルさんは、シリアで質のよい医療が受けられるのに、多くの人がイラクにいくことを聞いて驚いていた。
スヒールさんはベイルーニがん病院でのアルバスマの活動を紹介してくれた。彼らは、ガンの子どもを医薬品、特別の医師と看護師を提供することで支援している。細心の医療ケアのできる隔離された部屋がたくさんあった。彼らはまたキモセラピーの薬と検体検査の提供で病院を支援していた。手術や国外で医療を受けることを経済的にも支援していた。
さらに、彼らは精神科の医師の協力を得てがんの子どもの心理的なケアも支援している。彼らは子どもたちを遊園地や動物園に連れて行ったり、絵画やスポーツなどの外出プログラムも頻繁にやっていた。また、新たにがんと診断された子どもや家族が既に治った人たちからアドバイスが受けられたり交流できるグループセラピーのサークルや講演もたくさん実施していた。
落ち込んでいたり、病気のことを話したがらない子どもたちへの対応はまた重要である。その組織はそういった子どもたちのために特別なケアを提供している。私からは、JIM-NETのガンの子どもへの心理的ケアや経済的支援について説明し、また、シリアのように遠くから来ている貧しい家族を助けるためのサポートハウス・プロジェクトについて話し合った。
スヘイルさんはビザを持たずに国境を渡って他国に行くよりも、すべてがそろっているシリアの病院で治療を受ける方が患者にとってよいと提案した。しかし、私は、ダマスカスからカミシュリーまででさえフライトチケットが高いことを訴えた。往復チケットが400ドルというのは、平均的な家庭の半年の収入と同じくらいになる。加えて経済状況が悪い中で多くの家族が旅費を捻出することができない。
彼女は、アルバスマ・ゲストハウスのことも紹介してくれた。このゲストハウスには多くのがんの子どもの家族がキモセラピーが終わるまでの間泊まることができる。彼らは自分たちのところを自分たちで掃除しなければならない。ここに滞在する家族のために料理をしてくれるボランティアの主婦たちがたくさんいるという。
私は、アルバスマが受け取っている経済的な支援がどこから来ているのか尋ねた。彼女は、自分たちで多くのチャリティや資金獲得のイベントを過去に実施したと答えた。これらのイベントには、たくさんの有名人や国際的なアーチスト、音楽家や実業家などVIPが参加していたそうだ。さらに、電話会社が、がんの子ども支援のための特別な電話番号を設置して支援していたという。
しかしならが、4年前からこれらのイベントは実施されておらず、その後は資金をどう得ているのかは話されなかった。私は、アルバスマはかつてアサド大統領の奥さんから多額の資金援助を受けていたので、今もそうなのではないかと勘ぐっている。
今回は写真を撮ることができなかったが、彼女は私の再訪を歓迎するといい、活動を見せてくれるとのことであった。
ダマスカス

JIM-NETがバスマに提供できること
1) バスマの銀行口座を経由した経済的支援
2) 看護師と医師を対象にがんに特化した研修
3) 会議を通じた専門知識の交換
4) 研修や能力構築のために2つの組織間でのスタッフの交換
5) がんの子どもの絵や手作り作品を使った資金調達
6) 医薬品:シリアから安くて入手可能な薬を購入し、薬が手に入らないところに送る
7) もっとも困難な問題は、ダマスカス以外の不安定なところで薬が入手できるかどうかで、解熱剤のような薬でもダマスカスの5倍くらいの値段になっている。
8) シリアの多くの家族は、医療費や旅費を出すことができない。可能ならば私たちが彼らをカミシュリー市や他の病院に来る方法を探すこともできる。
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金曜日だったので、面談を終えた。私はフライトを手配するためにカミシュリーに戻ることを決めたが、すべて予約がいっぱいで15日待たねばならなかった。それで、再び仲介人を頼ってユシンの飛行機に乗るしかなかった。今回彼はチケット代と同じ一人200ドルを要求した。私たちはそれを受け入れて日曜日の朝10時の予約をとった。彼は空港で私たちを迎えてくれる人の電話番号をくれた。
旅立つ日、私たちは空港まで送ってもらった。道中、たくさんの破壊された建物や、銃撃の後の穴だらけの壁をたくさん見た。ハラスタ、アルカブン、ドーマ、ハマーから破壊を免れているダマスカスのセンターまではすべてが壊されてしまった。
空港に着いて、私たちのチケットをくれる人に会った。午後6時までフライトを待っていた。またもや席がなく、飛行中ずっと立っていた。私はその間ずっとめまいを感じ、耳が痛くなった。到着したとき、一人の兵士が飛行機を降りるのを手伝ってくれた。それから私たちは夫の待っているところまでバスにのり、ハサカ地区に戻った。午後9時に着いて、それから4日間をそこで過ごした。
出発する前、私は自分の村に行ってみた。みんなヨーロッパのクルド人自治区に行ってしまい、お年寄りを除いて誰もいなかった。
私にとってはよい旅だった。しかしながら、シリアの状況は、暮らしていくには耐えられないほどである。将来また帰郷したいと思う。
この機会をくれたJIM-NETに感謝している。

10 3月

311から6年、くやしさを分かち合おう

311、あれから6年
くやしさを感じ、分かち合うこと

 東日本大震災から6年が経ちます。
あの日おきた地震、津波、そして原発事故のことを思い出すと胸が痛みます。
東京でも大きく揺れ、電車が止まり帰宅できない人たちも多くいました。そのころ東北では、津波が襲い、15000人以上もの尊い命が失われていました。そして、福島第一原発の事故が起き、福島県から避難を余儀なくされた人たちは、164,865人(ピーク時、平成24年5月) --> 79,446人(平成29年2月)といまだに故郷に戻れぬ人たちがたくさんいます。

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 JIM-NETでは、宮城県石巻市で仮設風呂や訪問看護の活動を行いながら、福島県でも子ども達を放射能から守る活動を開始。石巻の活動は一年で終了しますが、その後も福島での活動は続けています。
 日本が、世界の支援を受け、一丸となり問題を解決しようとしました。放射能に関しては、市民が力を合わせ行政に先んじて自ら放射線測定器を入手し、放射能の測定を開始し、除染を行ったりと困難を乗り越えようと新しい活動が生まれました。JIM-NETは、そのような活動をお手伝いしようと、放射能のみえる化、検診、保養支援などを行ってきました。
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しかし、福島の人たちが放射能の危険性を知りながらも、福島を復興したいという強い思いは、新たなジレンマを生み、人間関係も壊わしてゆき、意気消沈していく人たちも少なくはありません。もう本当に原爆事故が起こったことなんて忘れてしまいたい。だって、放射能は目に見えないのだから。そんな沈痛な叫び声が聞こえてきます。残念なことに、福島から避難してきた子どもたちがいじめられたり、福島はもう終わってしまったような言われ方をしたり。とても悔しい思いをされている方もいるでしょう。そのくやしさは、皆で分かち合うべきではないでしょうか。
JIM-NETは、大したことができるわけではないのですが、少しでも放射能のことを一緒に考えながら、福島を元気できるような活動を今後も続けていきます。

佐藤真紀 事務局長
7 3月

医薬品の発注と敏腕イブラヒムの値段交渉@アルビル

モスルの病院への緊急支援を行うことになり、第一陣は100万円の医薬品支援になりました。
早速、モスルのドクターから不足する医薬品のリストが届き、バスラのイブラヒムと佐藤事務局長がアルビル市内の病院に行き、医薬品を発注しました。
イブラヒムが値引き交渉を行い1000$程安くしてもらいました。
早くて3月8日ごろにはモスルの病院に届けてもらいます。

JIM-NETでは、モスルの医薬品支援の募金を集めています。
クレジットからも募金できます。コチラから⇒http://jim-net.org/support/donation.php
 ※イラク小児がん支援をご指定ください。

イブラヒムの値段交渉
イブラヒムの値段交渉➁
イブラヒムの値段交渉

6 3月

イブンアシール病院の様子

JIM-NET会議で報告されたモスルのイブンアシール病院の様子です。ISが逃げるときに火を放っていきました。復興が始まっています。

緊急にJIM-NETでは、100万円の支援を決定しました。
皆様、ご協力をよろしくお願いします。
寄付はこちらから↓
http://jim-net.org/support/donation.php
 ※「イラク小児がん支援」をお選びください。

イブンアシール病院
イブンアシール病院➁
(佐藤)
6 3月

JIM-NET会議@アルビル

 3月2日〜3日の2日間にわたり、イラクのアルビルでJIM-NET会議が開催されました。
会議は、イラク全土でがん治療に携わる医師ら約30人が参加。治療成績を数値化してのディスカッション、感染症対策に関して、心理的、社会的アプローチ、CAR−T細胞移植、遺伝子解析など多岐にわたるものでした。

 今回、モスルから避難してきた医師が参加。ニナワ保健副局長も参加し、惨状を伝えてくれました。イブン・アシール病院は、JIM-NETとしても医薬品の支援をしてきました。2008年頃にはモスルの治安が悪化しいったん支援は止まっていましたが、確か、2012年ごろから支援が再開した矢先、2014年のJIM-NET会議には、直前になって治安が悪化して、会議に参加できない連絡があり、その年の6月には、モスルが完全にイスラム国に制圧されてしまって連絡も取れませんでした。
 モスル解放作戦が昨年始まり、モスル近郊が解放されていきますが、イブン・アシールはISの傘下にあり、解放された小児がんの子ども達の行く病院がなくなり、アルビルに流れてきました。12月には、連合軍がイブン・アシール病院を誤爆。
 
 その後、イブン・アシール病院がある地域も解放されますが、ISが逃げていく際に病院に火を放ったために大変な状況になっています。今回、IS占領下でも逃げずに、患者の治療にあたっていたモハメッド医師が会議に参加、支援を訴えました。
 病院の惨状をきき涙する医師も何名かいました。司会をしていたリカー先生もその一人です。現在日本でJCF(日本チェルノブイリ連帯基金)のスタッフとして働いていますが、モスル出身で、もともとイブン・アシール病院で働いていました。

JIM-NETとして、支援を再開することを検討しています。
しかし、財源が厳しく、緊急に100万円相当の支援をとりあえず約束しました。
是非、皆さんのご協力をお願いします。来週早々には、救援物資(おそらく必要な医薬品)を届けたいと思います。

クレジットカードからも募金ができます。こちらから↓
http://jim-net.org/support/donation.php
 ※「イラク小児がん支援」をご指定ください。
(佐藤真紀)
6 3月

佐藤事務局長のイラク・トーク@杉戸町

日本に帰国中は、ジムネットの活動やイラク現地の様子、闘病中の子どもたちに関するお話をさせて頂く機会が多い事務局長。

今回は、「イラク」に関する文化や歴史的な視点からのお話を準備しました。
2月25日に埼玉県杉戸町で開催されたトークイベントには、熱心な主催者・参加者の皆さまとテレビ取材も入り、局長も熱の入ったお話ができたようです。去年6月に、イラクの子どもたちのポスター展と事務局長の講演会がきっかけで、杉戸町とのご縁を頂戴しました。
コーヒーブレイクには、ナツメヤシとカルダモン入りの紅茶で「イラク」な気分を少しだけ味わって頂きました。

真紀さんトーク@杉戸町真紀さんトーク@杉戸町➁真紀さんトーク@杉戸町真紀さんトーク@杉戸町
(崔)
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