毒親と生傷と貧しさと

2歳の頃に両親が離婚。以来、父親から暴力という名のシツケを受けてきました。そんな人間が父親になると…僕もまた虐待してしまう親になってしまうのでしょうか…?

子育て

しくじりを次へ活かす

では前回の続きです。

正解は…。





















5、子供に手をあげてしまった。

でした。















すいません。ズルしちゃいました(^^;)

正解だった方いますか?
もしいらっしゃったら末代まで誉めそやします笑









冗談はさておき…

そう、息子(2才)に手をあげてしまいへこんでいたのです。

それこそ、こういう啓発ブログを書いていながら、自分自身がなにも活かせていないのです。

相当、自己嫌悪に陥りました。


なにがあったかというと…
夕飯の時間なったので、オモチャで遊んでいる息子に片付けを促したのです。
しかし、まだ遊んでいたい息子はその声かけを無視。
近くに寄って再度片付けを促すとイヤイヤ攻撃がスタート。

普段、そういう時でも声を荒げることはないのですが、なぜかこの日は、感情的に声を荒げて、「早く片付けろ!」と怒鳴る始末。

それでも息子のイヤイヤ攻撃はおさまりません。
業を煮やした僕は、「いい加減にしなさい!片付けなきゃご飯あげないよ!」と息子に言い放った瞬間…



「ブーーーーッ」



と僕の顔面にツバを拭きかけたのです。



その時でした…
反射的に息子の頭を…



「バチン!」



と平手で叩いてしまったのです。

息子は痛かったのか、驚いたのかわからず、キョトンとした顔で、その場にフリーズ。
その顔を見た僕は、すぐさま強烈な自己嫌悪に襲われます。



「やっちまった…。」
「これじゃ、自分が父親にやられたことと同じじゃないか。」



と。



感情で怒りつけ、しまいには反射的に手を出す…。
僕が父から受けてきたことと同じことを息子にしてしまったのです。

最終的に、この場は妻がなんとかまとめ、息子は片付けを終え、夕食を食べました。
しかし自己嫌悪モードに入った僕のノドを食物は通りませんでした。



幸い、ケガもなかったですし、息子も「そんなことあったっけ?」的な具合で、今も変わらず甘えてきてくれることに救われました。



虐待は繰り返す。
使い古された表現ですが、たしかに実感しました。
それと同時に自分自身にゾッとしました。

そして、今回のしくじりを肝に銘じ、決して繰り返すまい。と強く心に誓ったのです。






いかがでしたか?
皆さんも思い当たる節はありませんか?

シツケとしての暴力を否定はしません。
愛があれば時には必要悪となることもあるでしょう。
しかし、感情に任せただけの暴力をふるってはなりません。



子供は親の鏡です。



そして、親だって人間です。
しくじる時だってあるでしょう。
つらくて、苦しくて、投げ出したい時だってあるでしょう。
ですが、決してサジを投げず、次へ活かし、子供とともに成長していくつもりで接しましょう。



失敗は経験です。
繰り返さないための大切な経験です。



自分自信へもよーく言い聞かせて、今日のブログを締めたいと思います。



本日もお付き合いいただきありがとうございました。

これが親の想いってやつですよ

『なんでも券』

子供の時に、『肩たたき券』や『お手伝い券』と称して、親にプレゼントした記憶のある方もいるのでは?

今日は、そんな親子のエピソードをご紹介。



高校のバスケットボール部に所属していた少年とその母親の話。
大事な大会の出発前に、母からあるものを渡されました。

その「あるもの」というのは、幼い頃に彼が母へプレゼントした、「なんでも券」でした。
そんな昔のことはスッカリと忘れていた彼でしたが、そこには母からの感動的なメッセージが。

それは・・・



「最後までしっかり動けますように」



というメッセージ。

その券をずっと取っておいたことも驚きですが、お手伝いとか、マッサージとかに使うのではなく、ここで使うなんて、とても感動的なエピソードではありませんか。

ちなみに彼は試合後半になるといつも足を吊ったりするなどして、何度も悔しい思いをしてきたとのこと。

そんな母の思いが天に通じたのか、彼の高校は奇跡を起こすこととなるのです。

ソース元:http://curazy.com/archives/140563



親の心、子知らず

とはよく言ったものですが、親にならないと分からない気持ちがあるのもまた事実。

こんな親子になれたらいいな。
そう思わせてくれるお話でした。



明日は父の日ですね。
僕も「愛すべき暴力親父」に孫の顔を見せて来るとします(^O^)

舛添都知事の一件を見て痛感したこと。

当事者意識。

そんな言葉が頭をよぎった。



様々な事情はあると思うが、結局はこの一言に尽きるのではないだろうか…。



イジメしかり。
虐待しかり。
政治家の言い訳しかり。

記憶にない。だとか。
その一件は秘書に任せている。だとか。
第三者の厳しい視点。だとか。



そんな無責任きわまりない政治家や親がなにほど多いことか。

責任をなすりつけ、見て見ない振りをし、自分の論理を平気で押し付ける。



悲しいかな、それが現実なのだ。



自分はそうあるまい。
他人の振り見て我が振り治せ。
当事者意識をしっかり持ち続けられる親であり、人間でありたい。

え?本??

どんなタイトルやねん笑



皆さん、絵本を読みませんか?

絵本は、テレビや動画などを見ているときに比べて、脳が活発に動くそうで、絵本を読むことで、子供の脳と心の発達に良いと言われています。

それだけじゃなく、子供は、生まれてから様々な映像や音で脳を刺激されています。
そんな中でお腹の中にいる頃から聞いていた、慣れ親しんだ親の声は、子供にとって『安心できる音』なわけです。
絵本を読むことは子供のリラックスタイムにもなるのです。

特に父親の低い声ほど、安心し、かつ脳がよく刺激されるのだそう。

絵本の読み聞かせは、お母さんよりもお父さんの方が効果があるのかもしれません。



絵本にはたくさんの感情、感触、音、味、色、匂いがつめこまれています。
喜怒哀楽だったり、ザラザラした手触りだったり、鳥の鳴き声だったり、甘かったり、青かったり、雨の日の匂いだったり…
子供は絵本からそれらを感じ、学び、インプットして、声に出し、身振り手振りし、アウトプットする。
そんな素敵な教材なのです。



全国のお父さん。
ぜひ絵本を読んであげてください。
遊びの一つ、コミュニケーションの一つと思って読んであげてください。



読んでみると、ふと気づきます。
絵本って、文章一つとっても、絵一つとっても、すごく良く作り込まれていて、それ一冊一冊が芸術作品と言っても過言ではないことに気づくはずです。



そして絵本を読んだあとの家族の笑顔に、仕事でたまった疲れも癒されることでしょう。



ちなみに、うちの息子は『はらぺこあおむし』が大のお気に入り。
お腹を痛めるシーンでは、あおむしと一緒に泣いたりしています(^^;



さぁ、今日からでも絵本を読んでみませんか?
ページを開けば、そこにはきっと笑顔あふれる家庭の一ページが描かれるに違いありません。




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泣きっ面にハチ、風邪ひきに父。

昨日から息子が39度の熱を出してしまい、ゴホゴホと苦しそうにしている姿を見て、出来ることなら変わってやりたい。

そう思うのは、親になった証なのかもしれません。



自分が小さい頃、風邪をひき、咳やくしゃみを出そうものなら、『うるさい!』と武器もしくは平手打ちが飛んできました。

特に父がテレビに夢中になっているときや、夜寝静まっているときなどには、それが顕著でした。

咳一つするのにもビクビクしていたものです。



元々、丈夫だったせいか、あまり風邪をひくということはなく、父の言葉を借りれば、「風邪引いているみたいだから、迎えに来てください」って園や学校から求められることはほぼなく、体調を崩すときは決まって父の仕事が休みのとき、もしくは父が求職活動しているときでした。
仕事を休めば、その分給料も減るわけで、そういう意味では、「親孝行な子供」だったそうです。



せっかくの休みで、ゆっくりしたいのに、子供が風邪をひいてしまい、ゆっくりできない。自分の時間を過ごせない。不満と心配が募りイライラして、手が出る。
父の心情をおもんぱかるなら、そんなところでしょう。




とはいえ、具合の悪い子供に対してまで手を挙げる心情は理解できかねますがね。




父の言動は、いつだって反面教師なのだ。
と捉えて悪しき風習は決して真似をしないようにしなくては…。



少しでも早く息子の体調がよくなるように、そして看病している妻がしんどくないように色々とサポートします(^O^)

景色は同じ、されど見え方は違う。

戦争を知らない子供と平和を知らない子供の価値観は違う

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大人気海賊漫画の「ワンピース」の作中で、とあるキャラクターがこう述べるシーンが、個人的にとても印象的で頭から離れません。



この価値観の壁ってどうやったら乗り越えられるのでしょうか?




困難を知らずに育った子供は困難の乗り越え方がわからない。
涙のしょっぱい味付けでパンを食べた人にしか、人生に対する本当のファイトは沸かない。

その壁を乗り越えるには、自身が経験値を高める…ということが答えの一つになるのかと思います。

人は誰しも、経験したことがないことは、想像や見聞で補完するしかないからです。
経験値が高まれば、想像のバリエーションは増え、見聞の幅も広がることでしょう。
そうなれば自ずと補完能力も高まるはず。

しかし、その補完方法は各個人で違うので、受け取り方はまさに十人十色。 



苦しい、つらい、しんどい…

だからもう逃げたい。
と受けとる人もいれば…
だからこそ、負けてたまるか!
と受けとる人もいる…



もちろん、なにが正しい、なにが良いという答えはないのでしょうが、出来ることなら、ネガティブな受け取り方はせず、自分を高めるための事象とポジティブに受け取ることで、より多くの経験値を得るのではないでしょうか。



獅子は子を千尋の谷に突き落とす




親として、子供へはたくさんの困難と試練を与えつつ、決して見放すことなく、ヒントをあげながら、見守り、叱り、褒め、認める…そんな親になっていきたいものですね。

旅立つ日

象の背中(旅立つ日)

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この歌を知っている人も多いかもしれない。
僕は以前、パパ講座に行ったときに初めてこの歌の存在を知った。

聞いた瞬間、目頭がとても熱くなった。



今まで苦楽をともにしてきた妻の存在。
生まれてきた瞬間に世界を変えてくれた子供の存在。
そんな愛おしい存在を置いて旅立たなければならないことの歯がゆさ。
無念と後悔と惜別と心配と感謝。

そんなことを気づかせてくれる歌。



親にならないと親の気持ちは分からない!
誰しもが聞いたことのあるセリフだろう。

本当にこの言葉は的を得ている。
見返りだとか、お礼だとか、なにかを返してほしいわけじゃない。

ただ、してあげたいのだ。

無償の愛とでも言おうか…慈しみとでも言おうか…
ともすればそんな飾り立てた言葉では表現できない。

ただただ、子供の喜ぶ顔が見たいのだ。

そんなことを気づかせてくれる歌。



家族になれてよかった。
君達に会えて幸せだった。
愛してくれてありがとう。
一日一日が奇跡の積み重ね。
大切に過ごしていこう。

そんな風に思わせてくれる歌。



そんな歌を聞きながら涙ながらにブログを書いている僕。
こんな僕と家族になってくれたこと、旦那にしてくれたこと、父親にしてくれたこと、心からありがとう。
愛しい妻よ、息子よ。
君達を残して旅立つなんてことはしない。
これからもどうぞよろしく。




「象の背中 旅立つ日」
https://youtu.be/zb35TtsQncU


ある朝、目覚めたら神が待ってた
命に終わりが来るとそっと知らされた
どうして僕だけが旅立つのか?
運命のさざ波に声は届かない

一番近くの大事な人よ
幸せだったか?
それが気がかり

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ
君と僕が過ごした時を
思い出しながら見送って

君と会えて幸せだった
朝の空見上げ微笑んで

僕はきっと日差しになって
見守っているよ君のこと
見守っているよ君のこと


子供に手を挙げそうになったら実践してほしい3つのこと

親も人間。
子供の言動にイライラして、どうしようもない時があると思います。

なにをしても泣き止まなかったり
毎晩夜泣きがひどかったり
自我が芽生えはじめて、なんにでもイヤイヤしたり
話を聞かないでふざけたり
謝ってって言っても謝らなかったり
その場しのぎの下手くそな嘘ばかりついたり…。

親がイライラすることなんてあげればキリがないですよね?

そりゃあ可愛さあまって反射的にバチン!とやってしまうことあるでしょう。

しかしながら、そういったケースではないのに思わずバチンとやってしまい、あとから自責の念にかられる…なんてことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?



ここでは、実際にシツケではなく暴力、暴力を昇華した制裁を繰り返してきた、僕の父が語った、「子供に手を挙げそうになったら実践してほしい3つのこと」を列記していきます。



暴力を振るい続けてきた人がなにを語るんだ。説得力がない!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、考えてもみてください。



父も人間です。
やってることは紛れもなく鬼畜の所業。
しかし、父が手を挙げ続けてきた心情の裏には、いつも後悔や自責の念があったのです。
失敗したからこそ悟ることであり、だからこそ変に飾った言葉ではなく、かえって説得力が増すのではないでしょうか?



父のように反射的に感情に任せて暴力をふるってしまう方にこそ、ぜひ呼んでいただきたいと思います。




暴力父が語る、「子供に手を挙げそうになったら実践してほしい3つのこと」




①深呼吸をする。

イライラしたり、怒りのボルテージが上がると、アドレナリンが分泌されます、それとともに脈拍が速くなり、血圧があがります、そして呼吸が浅くなり、脳に酸素が行きにくくなり、それこそ頭に血が昇り、冷静さを失い、手が出る。
そんなロジックがあります。

ここで必要なのが『深呼吸』。
深呼吸することで、肺が広がり、浅くなっていた呼吸が元に戻り、酸素をたくさん取り入れ、リラックス効果を生み出します。
大きく吸って、ゆ~~~~~っくり長く吐き出す。これがコツなんだそうです。
とにもかくにもまずは冷静さ取り戻すこと。です。



②自分を俯瞰で見る。

例えば、コンビニでレジ待ちをしているときに、自分の前で会計をしている客が、怒りに身を任せ、言い掛かりとも難癖とも思えるようなをクレームをつけていたとしましょう。

どうですか、レジで並んでいる後ろから見ていて、あまり気持ちの良いものではないと思いませんか?
他人が怒っているところを目の当たりにすると、かえって自分は冷静になってものを見てたりするものなんですよね。不思議ですね。

そこで、子供に手を挙げそうになったら、天井から自分の姿を見てみてください…。といっても、目は天井についてませんから想像するしかないですよね。
出来うる限り、繊細に、リアルに想像してください。自分のイライラしている姿を。
俯瞰で自分を見つめることでスーッと冷静さを取り戻せるはずです。



③もう二度と会えないかもしれないと想像する。

人は誰でも、明日が来ると思っています。
まさか明日、突如として、自分や、自分にかかわる人、大切な人が帰らぬ人になるだなんて考えてもいないでしょう。

しかし、それがもし、あなたの子供だったとしたら、もしくは、あなた自身だとしたらどうでしょうか?

とある朝、「行ってきます!」と玄関を出て、そのまま行ったきりになってしまった…。などというエピソードを耳にしたことがあると思います。
その度に「もっと優しくしてあげればよかった」、「もっと遊んであげればよかった」と涙とともに後悔や懺悔の念をもらす…。
誰しもがそうなる可能性を秘めているのです。

だからこそ、もしかしたらもう二度と会えないかもしれない…
もしかしたらもう二度と触れることができないかもしれない…
と想像してみてください。
もう手を挙げようという気も萎えてしまうことでしょう。
むしろ抱きしめてあげたくなることでしょう。

その子が自分にとってどれだけ大切な存在なのか、ふと思い出して冷静になれることでしょう。




いかがでしたか?
暴力を振るいつづけてきた父が、後悔や自責の念とともに語った、子供に手を挙げあげそうになったら実践してほしい3つのこと。

父自身も、わかってはいたこと。わかってはいたけれど、手を挙げ続けてしまったのです。

言ってもきかなきゃ手を挙げる。
暴力と脅しで服従させる。
痛みと恐怖で支配する。

それが虐待の連鎖を産み出してしまうのです。



もちろん時と場合によっては必要な暴力はあると思います。
それこそ子供がしたイタズラが、命にかかわるようなことだったりするときに振るう暴力は、『必要悪』だと僕は考えます。
人間だけではなく、すべての生き物は「痛み」と記憶をリンクさせて言動をコントロールすることが出来るからです。
そういうケースでは、暴力とは呼ばずシツケと呼んで差し支えないでしょう。



どんなにイライラが募っても、腹が立っても、感情に身を任せず、冷静にコントロールし、反射的な行動をとらぬようにしていきたいものです。

そのコントロールが虐待の連鎖にストップかける役目を果たすのですから。





こちらの記事もご参照ください。
↓↓↓
爪切りの使い方
http://blog.livedoor.jp/jin1218/archives/1898470.html

血の海
http://blog.livedoor.jp/jin1218/archives/1914411.html

口で言うより手の方が早い。その手に握ったモノは?
http://blog.livedoor.jp/jin1218/archives/2175238.html

布団にポイッ
http://blog.livedoor.jp/jin1218/archives/2242470.html

見えない凶器を振り回す
http://blog.livedoor.jp/jin1218/archives/2299097.html

あの父の孫だからなのか?

最近、息子を見ていると、イヤなことが起きたときや、やりたくないことをしなければならないときの癇癪がハンパない(*_*)

着替え
歯磨き
保湿クリーム

などなど…

まぁただ単にイヤイヤ期なだけだと思うのですが…

このハンパないキレッぷりが隔世遺伝じゃないと良いなぁと思う今日この頃(^^;



イヤイヤ期って親のストレスも溜まるんですよね~。
ここをどう乗り切れば良いか分からなくて、ブルーになってしまう方もいらっしゃることでしょうね。

読者の皆さん、どうやって乗り越えました?
よければご教授ください(^^)

いつかは終わると気楽に構えるのが一番なんですかね笑

期間限定だからこそ

今日、地元のショッピングセンターの中にある、子供達が遊べる広場のようなところへ行ってきたときの話。

そこに誰でも乗れる三輪車があり、他の子が乗って遊んでいたのですが、どうしてもそれに乗りたいようで、その三輪車をひたすらつたない足取りで追いかける息子。
『お友達が乗ってるから、終わるまで我慢しようね』と言い聞かせたら、素直に聞いてくれて他の遊具で遊びはじめました。

時間がそれなりに経ってもなかなか三輪車は空かず、諦めて帰ろうとしたときに、ようやく三輪車が空き、それを見た息子は猛ダッシュで三輪車をゲット。
嬉しそうに遊んでいました。

ちゃんと我慢できたから、ご褒美くれたんだね(^-^)

はい、というわけで皆様こんばんわ。
ガルシアです。

今日のホッコリした一幕でした。
もうそろそろ2歳になる息子がイヤイヤ期に突入しつつも、我慢ということをほんの少しでも覚えてくれたようで、子供の成長って良いものだなぁと感じています。




そんな中、その広場には僕以外にもたくさんのパパがいて、遊びながらチラチラ他のパパ
をチェックしてました笑

一緒に走り回るパパ

鉄棒のサポートするパパ

泣いてる子供をあやすパパ

着替えを手伝うパパ

スマホばかりいじるパパ

外でタバコばかり吸ってるパパ

ムスッとした表情のパパ

色んなパパが各々の時間を過ごしていました。




自分の子供のころと比べると、どういう形であれ、そういうところにパパがいるっていうのは、とても新鮮な風景であって、昔はこういう遊び場もなく、子供の相手はママで、しかも休日ならなおさらだったと記憶してます。  

まして、我が家は母親がいませんでしたから、父親が遊んでくれる…

はずもなく

友達の家に遊びに行っては、見たこともないお菓子や玩具やゲームに触れて、劣等感に打ちひしがれたり

公園に遊びに行っては、泥だらけになったら怒られるので、服を汚さないよう慎重に遊んだり

友達がお出かけしていて遊ぶ相手がおらず、近所の壁に向かってボール投げをしていたら、暴投になり窓ガラスを割って怒られたり

遊んでいるときに、お菓子を食べている友達が羨ましくて、それをジーーーッと見ているような、卑しく淋しい子供時代でした(>w< )





もし、父親が一緒に遊んでくれるような人だったら、僕はそんな卑しい子供じゃなかったのかもしれない笑





そんな子供時代だったからなのか、

子供のうちにたくさん遊んであげられるパパでありたい。

ムスッとしたり、忙しさにかまけたりせず、笑っているパパでありたい。

そう、強く思います。

子育ては期間限定ですから。




今日も最後まで読んでいただきありがとうございました(^O^)
またお付き合いくださいまし!



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