ぬかみそ(じんだみそ) 文化交流会

1.ぬかみそ(じんだみそ)の情報交換のサイトです。

1、北九州の「ぬかみそ」

2005年7月15日、ある新聞の夕刊に西南女学院大学、外山教授・竜口教授とその研究チームによる「北九州市の食文化調査」についての記事が掲載されました。

その記事によれば、「調査した北九州の家庭の約4割に、『ぬか漬け』を作るための『ぬか床』があると答えた。

また、同研究チームは、こんなに多くの家庭に『ぬか床』が残っているとは思わなかったと驚いていた」そうです。

小倉の町では、家庭で美味しい「ぬかみそ漬け」を作るときに用いる「種」になる「ぬかみそ」を「100年床」というブランドにして、「ぬかみそ」そのものを販売しているお店があります。

北九州の人たちは「ぬかみそ」を腐らせず大事に美味しく管理することを大切にし、嫁として、母として、家として誇りにすら思っているのです。

「100年床」はそのような思いのこもった「ぬかみそ」を商品化したものだと考えます。

それは100年もの間、何世代にも渡って姑から嫁に、あるいは実家の家から嫁ぎ先へ代々「ぬかみそ」を伝えていて、美味しく世話をしてきた「ぬかみそ」が、いかに貴重なものであるかを象徴したものだと思います。

それほどこの北九州小倉では「ぬかみそ」が多くの人に親しまれ、大事に世話をしてきました。

このように、北九州小倉では自家製「ぬかみそ漬け」が多くの家庭で食卓に並び、
当たり前のように家庭に「ぬか床」が在るのです。

これまで、小倉の「ぬかみそ」については、17世紀の半ばに小倉にやってきた小笠原のお殿様が伝えたとされています。

しかし、小笠原のお殿様と「ぬかみそ」との間にどのような関係があるのでしょう?

そこで「北九州とぬかみそ文化」について私が調べたことや私の考えたことを申し述べたいと思います。

2、「ぬかみそ漬け」は「九州のよく漬けられる漬け物」の中に分類されていない。

実は、私が漬け物の本を読んでいると、「ぬかみそ漬け」が「九州のよく漬けられる漬け物」の中に入っていない文章に出会いました。

私は非常に驚きました。

小倉には「100年床」のブランドがあるほど「ぬかみそ漬け」が有名で多くの家庭で親しまれているのに、何故その記述がないのだろうか?という疑問がおきたのです。

参考資料「漬け物 新・食品事典─弉鰐醉美編 真珠書院1991年9月20日発行

●地方と漬け物
 
46P 九州地方の漬け物

「九州のように暖かい地方では、調味漬けがよく漬けられる。たとえば、みそ漬け・しょうゆ漬け・粕漬け・酢漬けなどである。これは、塩漬けやぬかみそ漬け、それにコウジ漬けだと発酵が早く進む。そのため、おいしい期間は短く、すぐにすっぱくなってしまう。しかし、調味漬けだとそういうことはない。・・・中略・・・

つまり、九州という暖かい土地に適した漬け物が調味料漬けなのである。・・後略」

この記述は、私に、「本来北九州では、『ぬかみそ漬け』がこのように多くの家庭で漬けられることは、気候風土からいって異常なことだったのではないか?」という疑問を起こさせたのです。

東北地方、北陸地方など、日本の北に位置するところ(ぬかみそ漬けの本場)で、「100年床」など聞いたことがありません。

そのような土地では、「ぬかみそ」を100年間という長期間維持管理することに、あまり大きな意義を見出さないから話題にならないのだと考えます。

3、じんだ煮について

北九州地方では、魚や野菜を「ぬかみそ」で炊いた料理のことを「じんだ煮」とか「ぬか炊き」「ぬかみそ炊き」などと言い、北九州小倉の伝統料理として親しまれています。

私は北九州で生まれ育ちました。
子供のころから慣れ親しんできた「じんだ煮」はよく考えてみると不思議な食べ物です。
漬物を漬ける「ぬか床」・「ぬかみそ」を調味料にして直接「ぬかみそ」も食べることに何か違和感を覚えます。

外から来られた人達には嫌悪感さえ与えてしまいます。
しかし何も情報を与えず、食べてもらうと美味しいと言ってくれます。

「じんだ煮」の「糂汰(じんだ)」とは、「徒然草」にも出てくるほど古い言葉で、「ぬかみそ」のことです。

大辞泉(国語辞書)で「じんだ」を調べると、

●じん−だ[糂汰]

,未みそ。じんだみそ。また、五斗味噌(ごとみそ)のこと。・・・後略
∋淨Δ鬚罎任討垢蠅弔屬掘塩・酒・砂糖などで調味したもの。餅にからめたり、和 え衣にしたりする。ずんだ。

さらに、同辞書で「五斗味噌」を調べると、

●ごと−みそ[五斗味噌]

鎌倉時代のころに用いられたみその一。材料を五斗用いるところからついた名。
大豆二斗・糠(ぬか)二斗・塩一斗、あるいは大豆・糠・麹(こうじ)・酒粕・塩
を各一斗ずつで造ったという。

「ぬかみそ=じんだ」で煮るから「じんだ煮」といいます。

東北地方で有名な「じんだ餅・ずんだ餅」もこの「糂汰(ジンダ)」が語源であるという説もあります。

昔のぬかみそ・五斗味噌の中には大豆など豆も入れていたので、豆や糠などをすり潰した、水分を含んだペースト状態のものを「じんだ」と呼称するようになったと考える。

現代では「じんだ餅」には主に枝豆をすりつぶしたものを餡として使用されている。

4、「じんだ煮・ぬかみそ煮」のルーツは?

米を主食にしているこの日本では、米ぬかは全国で手に入ります。
また、海に囲まれていますから内陸地以外では新鮮な魚も取れます。

そう考えると、魚などを「ぬかみそ」で煮た料理(じんだ煮)が全国とは言わないまでも各地で散見出来ても良いのではないかと考えます。

そこで、じんだ煮(ぬかみそで煮たり、炊いたりする料理)がどのような地域で紹介されているかをインターネットを使って調べてみました。

調べる方法は 屬犬鵑声僉廰◆屬未みそ煮」「ぬかみそ 煮る」ぁ屬未みそ 炊く」のキーワードを検索し、記事の内容が、

 嵋牟綵のじんだ煮に似た料理であるか」

◆屬修療效呂埜鼎から作られている料理か」を中心に調べました。

その結果、全国で「じんだ煮」のような料理がネット上に記載されているのは、この北九州と北九州を発信源にして伝えられたと思われるものがほとんどでした。

それ以外で「これは!」と思えるものは、新潟県「上越市観光コンベンション協会」の記事の中にそれを発見しました。

同協会に確認をしましたところ、上越市では毎年8月、上杉謙信(1578年没)にちなんで「謙信公祭(ケンシンコウサイ)」が行われています。

その祭りに合わせ、戦国時代、戦の折に家臣に振舞われた饗宴料理が市内のホテルなどで再現・提供されており、その膳の一品に「ぬかみそ煮」が紹介されていました。

確かに戦国時代、上杉謙信が活躍している頃には今の新潟県上越市には「ぬかみそ煮」があったのです。

この記事は、17世紀半ば小笠原のお殿様がこの北九州小倉に現存する「ぬかみそ煮・じんだ煮」を時間と空間を跳び越して伝えたとする具体的な証拠だと考えます。

私は、そしてこれこそ小倉の「じんだ煮・ぬかみそ炊き」の原点ではないかと考えています。

5、「日本海食文化」について

「ぬかみそ漬け」などの発酵食品について、わが国には大変な権威者がおられます。
東京農大教授、小泉武夫氏です。

小泉教授の多くの著書の中で「発酵食品礼賛」(文春文庫)があります。

これは世界的規模で存在している「発酵食品」についてその歴史や文化など間口の広い見地から、あるいは発酵学者として専門分野の化学的見地からの記述を織り交ぜたもので、「発酵食品」の種類、特徴や効用などを専門外の人にもわかりやすく紹介しておられる名著です。

同書の中で発酵食品について独特の食文化が形成されている地域が日本海沿岸にあって、その日本海沿岸の食文化についての記述があります。

それを小泉教授は同書の中で「日本海食文化」と記述しています。

“酵食品「ぬかみそ漬け」について

 日本的な糠みそ漬け
  前略・・・さて、発酵漬け物の代表は糠みそ漬けである。この漬け物は日本だけ  の固有のものであり・・・中略・・・米糠を微生物の力で発酵させ、そこに根菜  を漬け込むという糠みそ漬けの発想は、日本人の知恵の深さの一端を実によく示  してくれるものである。・・・後略。

発酵食品「熟鮓(ナレズシ)」について

 魚を保存食にするために発酵させた食品について、福井県若狭湾沿岸において有名 な「へしこ」や秋田県の「鰰(ハタハタ)すし」石川県の「蕪(カブラ)すし」  などが紹介されていました。
 しかし、ここで言う「すし」とは「熟鮓(ナレズシ)」のことで、いわゆる現代の 「寿司」ではありません。
 「熟鮓(ナレズシ)」で有名なものには他に近江の「鮒鮓(フナズシ)」もありま す。

H酵食品「へしこ」について

 これらの中でも私は、「へしこ」についてはその製法に大変興味を覚えました。
 その製法は以下の通りです。
 生の鰯や鯖の「はらわた」を抜き「ぬか」と塩を混ぜたもの(ぬかみそ)の中にそ のまま漬け込み、土蔵のような所で約1年間寝かせると「へしこ」になるそうで  す。

6、小笠原家の人々が持ってきたのは、たんなる「ぬかみそ」ではなく、「日本海食文化・ぬかみそ文化」だった。

江戸時代の初め(1632年)、播磨の国・明石から小笠原忠真(タダザネ)公とその家臣団が転封されてこの豊前小倉にやってきました。

しかし、小笠原家の人たちはもともとの故郷は信州・信濃です。

信州・信濃は越前・越後の隣に位置していて、日本海沿岸の食文化の影響を受けていたと私は考えます。

「日本海食文化圏」の中心地域である福井県では、「へしこ」や「熟鮓(ナレズシ)」などの伝統食品があります。

若狭湾の沿岸にある、美浜町では人口1万2千人の規模の町で、なんと年間30万本の鯖を漬けて「へしこ」を生産し、町をあげての産業にしているそうです。

美浜町では、いつ、漬け込んでも夏の「土用」を越して、発酵熟成を十分に行うそうです。

しかし、北九州でそれと同じものを作ろうと思うと、夏の暑い時期ではたちまち腐りそうです。

私は早速、「へしこ」を調べているときに出会った、福井県美浜町にある「ホテル錦波」さんに連絡をしました。

そして、同ホテル製造の「へしこ」を送っていただき、食してみました。

実に美味い。

味は、ビーフジャーキーを少し塩辛くしたようなものでした。

これをパスタに入れたり、お茶漬けにしたり、色々な食べ方があるそうで、美味しく食べる秘訣を同ホテルの女将が教えてくださいました。

「パスタ料理では『へしこ』の身をパスタに混ぜた後、好みに応じて『へしこ』に一緒に付いている「ぬかみそ」を炒って、粉チーズをかけるように味付けをして食べると美味しい」そうです。

実際そのようにして食べましたが、まるでアンチョビ・パスタを思わせる味でした。

私は、小笠原の人たちが小倉にやってきたときに、この北九州小倉には元々は無かった「日本海食文化」である発酵食品の「ぬかみそ」や「ぬかみそ」を使った料理(じんだ煮)等「ぬかみそ文化」をこの北九州小倉に伝えたのではないかと考えます。

しかし、この小倉では「へしこ」は作らなかった。

いや、「作れなかった」のではないかと考えます。

7、 北九州でぬかみそ漬けを作る苦労

北九州の夏は、大変暑く、発酵の進みやすい「ぬかみそ」を維持管理することは大変な苦労です。

その苦労とは、ぬかみそにある乳酸菌を活性化させるためや、嫌気性の雑菌(腐敗菌)の繁殖を抑えるため、ぬかみその中に空気を入れなければなりません。

そのため毎日欠かさず「ぬか床」の中をかき混ぜたり、「ぬかみそ」の状態を見て水分を減らしたり、塩加減を変えたりすること(それはまるで、修行僧が毎日勤行するような努力に似ています)や、夏場であれば、数時間で具材をぬか床から引き上げなければいけません。(すぐにすっぱくなる)

そのような気遣い・心配りがこの北九州の「ぬかみそ」管理には必要なのです。

それでは何故管理の難しい「ぬかみそ」を100年もの間、腐らせず管理することが出来たのでしょう?
また、それを自慢するのでしょう?

私は、いくつかの理由を考えました。

‐笠原の殿様から伝授された特別な食文化なので「ぬかみそ」をおろそかに出来な かった。
 そして守り伝えるための自らの「努力すること」に誇りを持つようになった。

∨牟綵の人たちはこの伝えられた「ぬかみそ」漬けが美味しくて、手放すことがで きなくなった。

L声0聞澆龍畭紊砲いては、北九州人の気質・「生真面目」を理由にしても良いのではないかと考え  る。

●北九州人の「生真面目」

・北九州には日本初の近代製鉄所である官営八幡製鉄所(1901年操業開始、現・新日 鉄)があります。

・小倉は明治のころより軍都として栄え、昭和の初めからは陸軍造兵廠(兵器工場) がありました。

・北九州は明治の頃から高度な金属加工技術の集積地でもあり、現在もその伝統は受 け継がれています。

・「白を黒といい含めて売ろうとする」商人の町と違って、北九州は「1mmの誤差  のある物は完成品と 認めない」という職人気質や、軍隊での命令には絶対服従  などの「生真面目」さを持つ風土があると思 います。この「生真面目」が100年  もの間「ぬかみそ」を腐らせなかった理由のひとつと考えます。

8、 北九州の「ぬかみそ」に含まれている特別な乳酸菌について

北九州の「ぬかみそ」に関してもうひとつ、忘れてはならないことがあります。

平成11年10月1日のある新聞の夕刊に、当時九州大学農学部・石崎教授の小倉の「ぬかみそ」についての研究が大きく掲載されました。

その記事によると、石崎教授は、小倉には「100年床」や「380年床」など「古いぬか床」があるが、何故そのような長命な「ぬかみそ」があるのか疑問に思い、小倉の古いぬか床から雑菌の繁殖を抑える抗菌物質を出す特別な乳酸菌の特定に取り組まれ、菌「IO−1」の分離に成功されました。

同記事では、石崎教授が知人の紹介で出会われた古いぬか床(北部九州一円・福岡市の料亭、川崎市の民家)は、どれも「小倉伝来」であったそうです。
(この情報は、北九州で活躍されている料理研究家「山際千津枝」さんからいただきました)
この抗菌物質は耐酸・耐熱性を持っているそうです。
同新聞によれば、「なぜ北部九州に、(このような耐酸・耐熱性を持った 菌「IO-1」が存在するか)という点までは解明されていない」とあります。

私は、前述の ↓◆↓の理由から、本来腐敗菌に侵されてもおかしくない北九州のような、高温多湿の気候の中で、小倉の人達の一生懸命に「ぬかみそ」を守ろうとする努力の結果、耐酸・耐熱に優れた 菌「IO-1」が生まれたのではないかと考えます。

9、 約400年前の北九州をイメージしてください。

江戸時代の初め(1632年)、小笠原忠真(タダザネ)公とその家臣団は、信州・信濃の国に故郷を持つ人達でしたが、幕府の命で、播磨国明石から九州の玄関口に位置する重要拠点、豊前小倉に転封されてきました。
(ここで大事なのは元々の故郷が信州・信濃であることです)
忠真(タダザネ)公は若い頃、大阪夏の陣で苛烈な戦いをし、家康に「鬼孫」と言わしめるほど勇猛でありながら、政治家としても立派なお殿様でした。

一方、この小倉は響灘、関門海峡に面し、魚町、長浜等の地名が残るほど漁業の盛んな土地で、鰯などは捕れるときは大量に獲れ、輸送手段や保存方法の無いこの時代、あまった魚は捨てていたでしょう。

信州の海を持たない土地で生まれ育った小笠原家の人たちはその光景をどのように見たのでしょう?
貴重なタンパク源である魚を、いとも簡単に捨てるには忍び難いものがあったに違いありません。
あるいは許せなかったと思います。

そこでこのような会話があったかもしれません。

小倉の漁師・A

「今日は鰯の大漁だ。これからご城下の魚町で売ってこよう。でもこんなにたくさんの鰯だと一刻(2時間)ぐらいで売ってしまわないと腐ってしまうな〜。あまった魚をどこに捨てるかな〜」

小倉の漁師・B

「このあいだ、お城近くの紫川に捨てたら、今度新しくお城に来た小笠原様のご家来、「三太夫」様からこっぴどく叱られたぞ。いっそのこと、 どこに捨てたらよいかその「三太夫」様に聞いてみようか?」

小笠原藩家来・三太夫

「何!余った鰯をまた、捨てるというのか?
なんともったいないことを言うのやら・・・。しかし、そち達も難儀をしているのであろうから、しばしこれにて待て。わが殿様にお伺いしてくる。」

豊前小倉藩主・小笠原忠真(タダザネ)公

領民が獲れすぎて、余った鰯を捨てると申しておるのか?
よし!では、こう申せ!そちの家にも在るであろう、信州伝来の じんだみそ(ぬかみそ)じゃ。そのじんだみそ(ぬかみそ)で、あまったいわしを煮るようにいたせ。
あの料理は実に美味い。今よりこれを小笠原のじんだ煮と申すのじゃ。
この暑い日でも何日も腐らずに食べられるであろう。
それから城下の領民に「ぬかみそ漬け」を作るよう教えるのじゃ。
日ごろは野菜を漬けて漬物を漬けよ。魚が大漁の時は、あまった魚をその
「ぬかみそ」で煮れば保存食になることを教えるのじゃ。
よいか、そして待たせている領民に、こう「釘を刺す」のじゃ。
以後、余った魚は決して捨ててはならぬ!
余った魚を「じんだみそ(ぬかみそ)」で煮て「じんだ煮」を作るようにいたせ!

小笠原藩家来・三太夫

 ははっ!かしこまってございます!

しかし殿様、「釘を刺す」のはどうかとおもいますが・・・
「ぬかに釘」と申しますから。」

10、故郷を信州に持つ小笠原家が、豊前小倉に来ることによって日本海食文化・発酵食品 じんだみそ・ぬかみそ と「ぬかみそ文化」を小倉に移しこの北九州で育ち守られたのではないか。

・北九州小倉では、「ぬかみそ漬け」が多くの家庭で漬けられている。

・しかし、「漬け物 新・食品事典」によれば「九州では『ぬかみそ漬け』より醤油  などの調味料漬けが多く漬けられている」とあり、気候風土から言って小倉のぬか みそ漬けが、根付くのには何か理由があると考えた。

・故郷を信州に持つ小笠原家が、豊前小倉に来ることによって、日本海食文化・発酵 食品じんだみそ・ぬかみそ と ぬかみそ文化を小倉に移植し、この北九州で育ち 守られたのではないか。

・小笠原家の人々は、ぬかみそ(じんだみそ)文化をこの北九州に伝えた。

・北九州の人たちは、本来九州のように温暖なところではあまり根付くことが出来な い ぬかみそ(じんだみそ)を艱難辛苦の努力の末、他の地域では比較的寿命の  短いものを「100年床」の様に、長寿命の ぬかみそ(じんだみそ)まで高めたので はないか。

・結果として、北九州の ぬかみそ(じんだみそ)の中に耐酸・耐熱に優れた乳酸菌 「IO-1」までも現出させたのではないか。

・小笠原の人々は、この北九州小倉で、はじめ保存食の「へしこ」を造ろうとしたこ ともあったのではないか。

・しかし、北九州の気候はそれを許さなかった。

・作られたのは ぬかみそ(じんだみそ)で煮た保存食、「ぬかみそ煮・じんだ煮」 であった。

・前述の新潟県上越市の「ぬかみそ煮」にあるように、彼ら(小笠原家の人たち)は 「じんだ煮」をすでに知っていたと考える。

・「ぬかみそ煮・じんだ煮」は、小倉が発祥ではなく、380年前の小笠原家の人たちの 「日本海食文化」の移植の結果、この北九州で作られるようになったのではない   か。

・しかし「じんだ煮」は、今や主としてこの北九州近隣でしか作られていない料理に なった。

・17世紀半ばに伝えられたとされている「じんだみそ・ぬかみそ文化」は北九州の人 たちの努力の結果、21世紀の今日まで守りぬかれたことを考えると大きな「不思議」 を覚えます。
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