むかしむかし奈良に都があったころのはなしや。
生駒山脈の八つの尾根に白い雲がかかっていて、山の上から一匹の子ぎつねが、美しいウグイスの鳴き声を聞きながら河内平野を眺めていたんや。
生駒山脈の八つの尾根に白い雲がかかっていて、山の上から一匹の子ぎつねが、美しいウグイスの鳴き声を聞きながら河内平野を眺めていたんや。
生駒と金剛の山脈の間から流れた川は河内平野を北に流れ大和川と呼ばれていたんや。
大和川は平野の北半分を水に浸しおおきな湖をつくり、途中の川べりは谷野(やのお)と呼ばれる低湿地で、物部一族の部民たちの集落があったんや。
その部民たちは矢作部や弓削(ゆげ)部たちで、弓や矢を拵えて働いていたんや。
大和川は平野の北半分を水に浸しおおきな湖をつくり、途中の川べりは谷野(やのお)と呼ばれる低湿地で、物部一族の部民たちの集落があったんや。
その部民たちは矢作部や弓削(ゆげ)部たちで、弓や矢を拵えて働いていたんや。
その弓削部から、道鏡という坊さんが出たんや。
とにかく頭が良うて努力家で男の魅力あふれた道鏡は、言うことを聞かぬ貴族たちに悩まされていた称徳女帝の癒しとなって寵愛を受けるようになったんや。
とにかく頭が良うて努力家で男の魅力あふれた道鏡は、言うことを聞かぬ貴族たちに悩まされていた称徳女帝の癒しとなって寵愛を受けるようになったんや。
道鏡と女帝は、貴族たちのいる奈良の都を離れて、新しい都をつくろうと弓削の土地に西の京を造営しようと思ったんや。
由義宮(ゆげのみや)と名付けられたその都は高安から若江から大県まで弓削矢作の村々をすっぽりと包む大きな都になる予定やったんや。
都を作るにあたって大和川に、八百の木と呼ばれたほどのたくさんの丸太を打ち並べて堤を築き、治水の整備をはじめたんや。
道鏡と女帝は、堤に止まるウグイスの鳴き声を聞きながらこれからの夢を語り合ったもんや。
せやけど夢は果てたんや、突然女帝は崩御され道鏡は遠い関東の地へと流されてしもた、けど築かれた堤のお陰で弓削の土地は肥沃な土地に生まれ変わったんや。
田畑は実り、春には木々にウグイスがやって来て、そのさえずりを子ぎつねが聞く光景が見られるようになったんや。
それからおよそ800年のち、この土地に三条西公条というお公家さんが吉野参りの途中立ち寄ったんや。由義宮(ゆげのみや)と名付けられたその都は高安から若江から大県まで弓削矢作の村々をすっぽりと包む大きな都になる予定やったんや。
都を作るにあたって大和川に、八百の木と呼ばれたほどのたくさんの丸太を打ち並べて堤を築き、治水の整備をはじめたんや。
道鏡と女帝は、堤に止まるウグイスの鳴き声を聞きながらこれからの夢を語り合ったもんや。
せやけど夢は果てたんや、突然女帝は崩御され道鏡は遠い関東の地へと流されてしもた、けど築かれた堤のお陰で弓削の土地は肥沃な土地に生まれ変わったんや。
田畑は実り、春には木々にウグイスがやって来て、そのさえずりを子ぎつねが聞く光景が見られるようになったんや。
そして子ぎつねが聞き入っている様子に興味をそそられ、木にとまっているウグイスの声に耳を澄ませたんや。
その鳴き声やたいそう美しいて他所のウグイスなどとはとても比較にならん、不思議に思いよ~くその姿を見てみると本来十二枚あるはずの尾が八枚しかないではないか。
「そうや、ここのウグイスが他所より美しい声で鳴くんは八枚の尾があるからや」とそばにいた子ぎつね・ひょこタンが公条に語ったんやて。
そこで公条は一首、
「契りおきてここにぞきかん鶯の八尾のつばさ八千とせの声」という歌を詠んだそうや。
以来、この土地を「八尾(やお)」と呼びならわすようになったそうや。
2021年8月16日公開