正平3年、四條縄手の戦い。

 楠木正行率いる南朝軍は、高師直(こうのもろなお)率いる足利の大軍のなかを突破、師直の本陣にまで迫りました。

 めざすは敵の大将・師直の首。

  本陣からは大声で「高武蔵守師直はここぞ、我と思わん者は掛ってこい」と名乗りが上がり、正行の弟・楠木正時は、勇み立ち一気に斬りかかりました。

  正時は、師直が乗っている馬の足を薙ぎ払い、倒れた馬から落ちた師直に飛び掛って組みしき、その首を掻き切りました。

 敵の総大将を打ち取った楠木軍は歓声を轟かせたのですが、師直を見知った部下がその首を見て、「これは師直の首ではない!上山六郎の首だ、影武者だ!!」と申したので一同みんな愕然としたのであります。

 たちまちのうちに敵の反撃を受け、待ち伏せていた敵の弓隊の総攻撃が始まりました。

 矢の雨に射られ兵らは次々に倒れ、半分以下となり、至近距離からの一斉射撃により、正行も右目に矢を受けました。

 激痛で左目も開けれません、しかし正行は痛みに堪え、力を振り絞って右目に刺さった矢を自ら引き抜いた、その時です!

 「危ない!」、正行めがけて飛んできた矢を、弟・正時が兄を庇って立ちはだかりました。

 無念、正時の喉にも矢が突き立ち、首から吹き出す血潮で半身朱に染まったのです。

 「もはやこれまで」・・・・

 力尽きた二人は向かい合い、それぞれの太刀の切っ先を相手の喉に刺しちがえて自決したのでありました。


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※ 畑小路地蔵尊

 楠木正時。

 兄・正行や下の弟・正儀(まさのり)に比べても知名度がひくく、太平記に親しんだ人の間でも、「それだれ?」というほどなのですが、やはり楠木正成の息子だけあって勇猛果敢なエピソードを残していますね。

 その楠木正時の墓が四条の大池公園のそばにあるそうなのです。

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※ このなかに正時の墓が?

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※ 空川の暗渠、道の下に川が流れています

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※ 山の中の正時の石碑、ここが終焉の地?


 大池公園の南側にある地蔵さんがそれに当たるのではないかということです。

 字が畑小路なので「畑小路地蔵尊」と呼びならわされていて、地蔵さんと言いながら、なかは一つの石の五輪塔だそうです。

 このあたり今では暗渠となってるのですが、すぐ手前を鳴川から空川へと流れていて、「流れ石」と呼ばれたほど山くずれの多かったところだったそうです。

 この五輪塔も、山から流されてきてこの場所にたどり着き、地蔵さんとして祀られてきたそうです。

 お堂は何度か建て替えられましたが、五輪塔は永正年間(16世紀初頭)のものであり、おそらく身分のある人の供養塔であると思われます。

 ここが四條縄手の合戦地であり、地元では正行・正時の最期の地であると伝えられていることから、 この五輪塔が正時の墓ではないかいうことなのです。

 ちなみに上四条の山の上のほうには正行と正時の石碑が祀られています。

 そこが二人が自決した場所であったのでしょうか?






2018年3月2日公開