特定非営利活動法人宗像地区人権と共生の会

NPO法人宗像地区人権と共生の会の活動を紹介します。この会は宗像地区の同和教育の指導者であった福岡教育大学の川向秀武教授が定年退官を機に宗像を去られるというので、川向教授の志を継承していくという決意で作られた組織で、2003年8月26日にNPO法人として認可された。

第27回宗像地区「同和」教育研究集会

去る9月2日(日)、宗像市の日本赤十字九州国際看護大学オーヴァルホールにて第27回宗像地区「同和」教育研究集会が開催された。午前中の全体会では武田緑さんによる講演、「ルーツをたいせつに、自分らしく生きる」。午後は支援を要する人たちの将来を考えるシンポジウム「だれもが自分らしく生きるために」を行った。
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日大アメフト事件から部活を考える

こんな記事を見つけました。

スポーツで人間形成はできない


なるほど、教育というのは武器ですね。武器というのは危ないものだ。

在日

 人権問題に関して思うところを人権と共生の会からのメッセージとして掲載していこうかなと思う。で、今回は私、新谷のブログ「明日できることは今日するな」からの転載である。
明日できることは今日するな

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在日

 先日、金曜の早朝1限目の講義の後で
「わからないことがあるので、3限目に聞きに行っていいですか?2限目は講義があるので。」
と1人の学生が言ってきた。もちろん問題なくOKだ。本学にはオフィスアワーといってその時間はいつでも質問に答えられるという時間が設定されている。僕の場合は月曜の午前中なのだが、その時間に誰かが来たという記憶はない。
 ドアの前にも、オフィスアワーについて掲示せよとお沙汰があったので、

 オフィスアワーは月曜の午前中です。
 早めのお昼御飯に出ていることがあります。その時は食堂を探してください。
 授業準備のために印刷室にいることがあります。何せず声をかけてください。

 と書いておいた。で、今それを再確認したのだが、僕の講義2科目は月曜の午後にある。ていうことは講義中の疑問を解決するためには一週間待たねばならないのか。いやそれはおかしいだろう、というので大学のHPには
「オフィスアワー以外でも研究室にいるときは対応しますのでお気軽にどうぞ。」
という但書とメルアドを付してある。
 いずれにせよ、学生の疑問は即決しなくてはならない。この但書もドアに貼っておかねば、と今思った。
 それはさておき、この学生は非常に熱心なのでオフィスアワーなど面倒なので、即行で申し入れてきたわけだ。なかなか見所がある。僕は2限目に事務的な作業やちょいとした用事を済ませ、早めの昼食を摂り、パソコンに向かっていた。
 何か気配を感じた。そしてグハハッという自分の喉の奥から発する声を聞いた。はっとして目を開けると研究室のドアが10僂曚紐き、何者かが、覗き込んでいる。いや、なんだ、その。
 もはや夢魔ではない。現実に誰かがそこに来ている。脳に呼びかけた。
「おい、目覚めるんだ!」
 まあ、いい。その人物が1限目の終わりに声をかけてきた学生であることに気づくまで3秒ないし4秒はかかってしまった。
「どうぞ、いやいや、不覚にも眠ってしまった。」
などといいわけをしつつ、学生を招き入れ、
「コーヒー飲む?」
「あ、いえ・・・」
「いや、僕が飲みたいのでよかったら。」
「はい、いただきます。」
と若い人は気持ちいい。で、コーヒーメーカーをしつらえて質問タイムとなった。質疑に対する応答は対話へと発展し、僕は翌週の講義の内容まで引用して語っていた。できあがったコーヒーを注ぎ分け、眠気が飛んだ頃には話はずいぶんと盛り上がっていた。
 一時間も過ぎた頃だったと思う。僕が会話の中に〈在日〉という単語を交えて話をしていたときのことである。「人権と社会」という講義なので、当然差別・被差別のことが中心になり〈在日韓国・朝鮮人〉のことも話題となる。そしてこの応答の間には何度も出てきた言葉であった。
突然、新しい質問が出た。
「〈在日〉ってなにか悪いんですか。よく芸能人の誰それは〈在日〉だとか、なんたらの誰それは〈在日〉だとか言う人がいるので」
 ふむ。ちょっとした驚きだ。この学生は〈在日〉なる言葉は何か悪いものに貼るレッテルのようだと感じてはいたが、その意味がわからなかったようだ。
 で、このように答えてみた。
「もしあなたが留学とか、就職とか、移民とかでアメリカに住み着いたら、〈在米日本人〉と呼ばれる。それと同じ」
「えっ!それだけですか」
「歴史的事情はいろいろあるけれど、基本的にはそういうこと。」
「えーっ、よかった。知らないままだったら差別するところだった。」
 そうなんだ、〈在日〉という言葉は指定された人を貶める言葉として機能しているのだ。そして意味を知らないとそのまま差別という行為に入ってしまう。この学生にはいいことを教わった。レッテルの意味を正確に学んでもらわなくてはならないのだと。それから、なにかと〈在日〉レッテルを貼りまくったり、出自を嗅ぎまわったりするネトウヨ諸君も自分が国境を越えた瞬間、そのような異邦人として扱われることを覚悟するのだな、と。
 それはともかく、〈在日〉という言葉は差別をしたい人がそのターゲットに付ける目印のようなものとなっている。だから、その目印を付けることの意味の無さをまずは知るべきなのだろう。それといろいろな人に〈在日〉とレッテルを貼りまくっている人たちと〈同類の日本人〉とは思われたくないし、〈日本人〉はみんなそういうものだという印象も世間にばらまかないでほしい。

人権教育研修講座3回目と4回目

おなじみになった人権教育研修講座。2月23日には第3回目が、3月26日には第4回目が開催されます。

若い世代への人権同和教育の継承と新しい人材育成事業です。
若狭は年齢ではなく経験です。またまだ若いと思ったら踏み出しましょう。
私も行きます。
皆さまもふるってご参加下さい。
今期は無料でご奉仕中です。

人権教育研修講座

人権教育研修講座のご案内です。
人権と共生の会ではこれまで教育セミナーを主催してまいりましたが、今年からは人権・同和教育の世代間継承を図るべく、人権教育研修講座としてリニューアルしました。人権教育をしていくために必要なことを少しずつ学んでいきませんか。
第1回は12月26日。第2回は1月26日の開催です。

第11回実行委員会

 先月開催された第26回研究集会の総括の会だ。いろいろなふり返りがあったが、全体会が終わった後帰ってしまう人が多いとか、午後の分科会は二つでどっちも出たいのに悩んでしまうとか、という意見が出た。漫然と前年のように形を引き継ぐのではなく、毎年ゼロから考えることで活性化するので、来年はゼロから考えてみたい。
 後援をあちこちに依頼しているが、そのための折衝も大きな負担だということであったが、これとて特定の人間でやるのではなく、後援団体から実行委員を出していただき、その総力で分担してやっていくのがいいということを確認した。
 教員の参加が少ないのでは、という反省点についていくつかの案が出た。もっと教員の研修システムに組み込まれてもいいのだ。また、行政との関係についても議論となった。
 研究集会の持ち方について「同和」教育の先達であるT氏から提起があり、じっくり考えていくことになった。
 その他として、人権と共生の会が行っている教育セミナーについて、担当委員から若い教員に人権教育の力量をつけていくセミナーにしたいという提案があったので「人権教育研修講座」とでも位置づけ直してカリキュラムを作ってやろうということになった。

 肝腎の第26回研究集会の全体会の講演、分科会、いずれも大好評であった。これはまちがいない。

第26回宗像地区「同和」教育研究集会が成功裏に終了

去る9月3日(日)第26回宗像地区「同和」教育研究集会が開催されました。
当日の主催者挨拶は以下の通り。
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 先般、ある女性国会議員が秘書に対し、暴言を吐いて話題となりました。その激しい物言いや態度に驚いた方も多いだろうと思います。それは一国会議員の人格的な問題であるとは思いますが、都議選挙で自民党の大敗を招いた一つの理由であったとは、メディアが分析しているところです。
 しかし、その直後に自民党の河村建夫元官房長官が「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」と発言し、物議を醸しました。河村氏は即座に「不用意な発言が、要らぬ誤解を生んだ」と弁明して発言を取り消しています。
 私もその発言をテレビで見ましたが、何をどう誤解する話なのかはわかりませんでしたし、取り消したところで消える発言ではありません。少なくとも河村氏がどういう代議士観、女性観を持っているかは想像がつきますし、自民党にはそういうタイプの国会議員がけっこういるのかと河村氏の発言通りに勝手に思い込んでしまいました。
 問題はその次です。福岡県出身の大物大臣が、発端となった豊田真由子衆院議員について「学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど。あれ女性ですよ女性」と述べた(「スポーツニッポン」2017年6月25日付)のだそうです。新潟県でおこなった自派閥の会合での講演の中の発言ということで、大手のメディアは採りあげていませんが、スポーツ新聞各紙はおもしろがって報道していました。
 河村氏の発言はある意味、正否はともかく自民党内の実状を報告してくれたようなものですが、こちらはちがいます。明確に女性差別の意識があらわれている発言であります。しかも、三大紙といわれる大手メディアがこの重大な女性差別発言を黙殺していることに注目する必要があるでしょう。要は女性に対する差別発言はたいした問題ではないのです。
 振り返れば、戦後初めての総選挙で39名(8.4%)の女性議員が誕生しました。これは日本の女性が始めて参政権という基本的人権を手に入れたときの数字ですが、小選挙区比例代表並立制が採用された平成8(1996)年までは1〜3%の低い数字にとどまってきました。そしてその数字を超えたのは21世紀に入ってからということになりますし、現在でも女性国会議員の比率は世界の142位あたりだということで、女性の人権を軽視していると思われるイスラム教の国々よりも低い数値を示しているということに驚く次第です。
 今、大学に通う女子学生たちに聞けば、女性差別を経験したことは全くないし、差別されるとも思っていないと答えます。しかし、彼女たちを受け入れていく日本社会の女性観がどの程度のものかは20年後のあらゆる職種、地位において女性が占めている比率に数値としてあらわれるでしょう。その数値が限りなく50%に近くなっていることを期待したいと思います。
 宗像地区「同和」教育研究集会は26回目を迎えました。次の四半世紀に足を踏み込んだことになります。日本という国は基本的人権を基礎に成り立っている国家です。その国と社会を作り上げていくのは今、私たちの前にいる子どもたちです。宗像の子どもたちが人権をあたりまえのものとして未来を支えていく人間になっていくことを願い、宗像から〈人権の輪〉を世界に発信していくことを期して主催者の挨拶とさせていただきます。

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ところが、この日の新聞に次のような記事があった。

http://www.asahi.com/articles/ASK927K5PK92UTFK00Z.htm
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 麻生太郎副総理は2日、10月の衆院愛媛3区補選の応援で訪れた愛媛県西条市での講演で、祭りの参加者を「きちがいみたいな人ばかりだ」と述べ、精神障害者を差別する表現を使った。補選は祭りと時期が重なり、麻生氏は「ここのお祭り大変だ。そういった時に選挙なんてやれる。選挙を一生懸命やっている人はお祭りを一生懸命やっている人。俺のとこ(の選挙区の祭り)は7月14日だけど、この時になったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と語った。
 麻生氏は講演後、記者団から指摘され、「不適切でした」と述べた。
 麻生氏は先月29日、横浜市で開いた自らの派閥の研修で「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と問題発言。翌日、不適切だったとして撤回したばかりだった。

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 今度は朝日新聞も載せていた。上述の挨拶文は事前に作成して当日の要項に掲載していたものだが、図らずもこの朝の新聞に続報が載るとは、いやはやなんともこの国の人権感覚が危うい。
 とは言え、研究集会は240人ばかりの参加者を集め大成功であった。

第26回研究集会のポスターができました

 第26回宗像地区「同和」教育研究集会のポスターができました。
 ダウンロードして、チラシとして配付してください。

高齢者の人権その3

 驚くべきことに、高齢者は誰もがかつては若かったのである。老化はその人生のピークから人権を引き算していく過程だ。その結果、若かった頃から失われたものが人権課題となる。引き算されていくものは、
〃鮃
家族
7从囘安定性
ぜ匆馘評価
イ修梁
 高齢者であることを自覚するのは身体的な老化であろう。当初は体力が落ちたなという実感であるが、これは人によっては継続的な運動などによって維持する人は多いが、それは衰えにブレーキをかけてその速度を遅くすることではあるが、アスリートが年齢の壁を越えられずに引退するのを見ればわかるように確実に衰えていくものである。さらに膝や腰が痛いなどといった不都合な事態が発生し、脳もまた身体の一部であるから、記憶等の衰えはもちろん、さまざまな機能の障害が発生する。
 また、時間の経過と共に自分を中心に生活を共にしていた同居家族が減っていく。子どもが家を出て行く、配偶者が亡くなるなど、さまざまな形で同居する家族が減っていくことは少なくない。
 現役で働いていたときは相応の収入もあったものが、退職すれば、それは無くなる。同時にその人が得ていた社会的評価も大きく質が変わってくる。かつてはその世界の実力として社会的評価は認められていたが、社会の一線から引退すれば、多くの場合、社会的評価は実質的には失われ、過去に評価されたことが自他の記憶にとどまるものになる。
 そのような喪失はその人の人権を否定する理由にはならないが、人権を侵害される言いがかりにはなる。
 問題としては、
々睥霄圓凌搬療な痛みや弱さに対する無理解。
高齢者の人格に対する否定的態度
⇒高齢者に無理やりおむつをしたり、拘束をしたりする。
⇒高齢者だといって子ども扱いのようなことをされる。
F筏鏐睥霄圓良塋・不安に対する無理解
 解決のための動きとして、
ぬ雲鍵儖のお仕事
ゥ丱螢▲侫蝓爾筌罐縫弌璽汽・デザインの採用
高齢者が暮らす街づくり
Г修梁
 人権学習の課題として高齢者問題があげられるとしたら、上記のようなものが考えられるのではないだろうか。

高齢者の人権その2

 加齢にともなって不本意なことが生じてくる。まずは身体的衰え、いわゆる老化である。運動を続けることで身体的機能を維持しようとすることはできるし、相当に効果はあるが、スポーツ選手がある年齢が来たら引退せざるを得ないように人間は人生のピークから引き算をするように老いて行くのである。
 老化は引き算された分だけ人権が削られていく過程とも言える。しかし、それについてなかなか気づくことはない。それならば高齢者の人権問題はそのあたりにあるのではないだろうか。高齢者の人権にかかわる検証授業の際に、教師が「高齢者のイメージ」を生徒たちに問うた。1人の生徒がワークシートに「すぐにものを忘れる。そしてとっただろう、といつも責めてくる」と書き込んでいた。このあたりに人権問題の鍵はないかと、〈認知症〉を教材化してみようと思ったのだが、それは状況を説明したところで止まってしまった。
 〜鎚譴認知症になってしまった。
 家族は困ってしまった。
 2雜醋鬚諒貎討悩んでいた。
 い澆鵑覆嚢佑┐茲Α
 このようなまとめしか思いつかない。どういう議論をすれば生徒たちに高齢者の人権について学習させられるのだろうか。ややもすればお年寄りの気持ちにより添って云々の話になるのか。それを家族が抱え込むのは無理だというのが最近の世間の動きである。それは高齢者の人権から、介護をする家族の人権に焦点が移ったからだ。
 高齢者の人権に焦点を置いたままにすると、
「どういう介護を受けたいか」
 ということになる。それは介護を受ける側の願望を満たすことなのか、と言えばそれはちがうだろう。あまりそれを強調すれば「親の介護は子どもの責任」みたいな時代遅れの自己責任論に転嫁してしまい、新自由主義的なアホな政治屋の政策を支持することになってしまう。
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