女友達と食事は最高!

  • author: jinmama777
  • 2011年01月26日

昨日は、Be-chan, Yumi-sanと3人で食事をしました。
赤坂の "IL Cashita"
http://www.casita.jp/ilcasita/

本当は火鍋を食べに行く予定でしたが、
お店の手違いで予約が翌日になっていて....

でもお店のスタッフのサービスはGOOD.
帰りもスタッフ7−8人がエレベーターで降りて出口まで見送ってくれました。

あれ、一番最後のお客だったのかな?
酔ってて良く覚えていません。

また行きたいお店でした。

ところで、こんな写真をのせちゃおっと。

Momo Musubi

MOMOとMusubiの貴重なTwo Shot

愛猫モモ

  • author: jinmama777
  • 2011年01月23日

1月21日に日が変わった頃、モモが亡くなりました。
21才と10ヶ月。
眠るように静かに。

jinmama&momo


jinが10歳の頃に描いてくれた絵です。

2010 Momoちゃんの大みそか

これは2010年大晦日の写真。
あごの治療をしていたのでエリザベスカラー付きですが、最後の写真になってしまいました。

その日の朝、いつもと変わらないモモだったので、老猫とはいえこんなにも急に逝ってしまうとは。
もっと早く帰宅すれば良かった。
あれもこれもしてあげてなかったと後悔ばかり。

家族全員の帰りを待って、安心したのか眠るように逝ってしまいました。
綺麗好きなモモだったので、棺のバスケットはお花で一杯にしました。
モモらしい色とりどりのお花に囲まれて。
いい香りに包まれて、天国に行ってくれたと思います。

モモ、また会おうね。
長い間一緒にいてくれてありがとう。

お久しぶりです

  • author: jinmama777
  • 2010年03月18日

2年半ぶりのBlog更新。

何があったって、最後に更新したのが2007年ですから、今までいろいろありました。

親の意思で中学受験の世界に入ったjinのその後はいかに....

じゃじゃじゃじゃ〜ん。

はい、何とか中学一年生。
あんなにこのままどうなるのか状態のjinは
奇跡のような(塾の先生発言)偉業をとげ、第一志望校に合格。

それからは入学準備だ何だって、いっぱい幸せのひと時をすごしました。
ひらひら出てゆくお金もまるで桜の花びらが舞っているように見えたもの。

こんな環境で学べる息子を誇りに思いながら歩いた学校までの並木道。
胸を張って歩いてしまった母だもんね。

しか〜し。

世の中そんなに甘くない。

真新しい制服を着たぴかぴかのjinはやっぱりjinだった。

成績。生活態度、XXX。

今では母は学校の並木道、下を向いて歩いてます。すみませ〜ん。って。

これもそれも甘やかした母が悪るうございました。

ワーキングマザーの戦いははてしなく続くのです。


(2年半に起こった出来事、ここに書かずには入られない。いつかわたしがボケボケになってしまったときのために。次回から記憶をたどりながら、jinとははの出来事をblogに書かせてもらいますと誓います。jinあ〜たも誓えよ。宿題出します。提出物忘れません。宿題してないのにやったなんていいません。先生にipod没収されません。このままでは高校にいけませんよなんていわれないようにします。エトセトラエトセトラ。)

ワーキングマザーの戦いははてしなく続くのです。



母の心構え

  • author: jinmama777
  • 2007年10月15日

塾の勉強が9月になってからめっきり難しくなった。特に、算数。解説を読んでもさっぱり分からないのは、jinだけではない、母親の私だって同じこと。こんな問題は、出来る分けがないじゃないの、と私が叫んではみても、そうもいかないのが中学受験の厳しいところ。
我が家のjinもいまや5年生。塾通いはベテランなのだが、さっぱり成績の進歩は見られない。テストの結果を見ると、ますます高度になっていくレベルについていけないようだ。もともと喘息になりやすい体質と、不便なバスのスケジュールのため、学校が終わってから、何もかも駆け足で間に合わせなければならないことが、のんびり屋のjinには、ストレスになり、体調を崩しては、塾をお休みすることが多くなっていた。休めば、その単元がすっかり抜けて、どうあがいても自力と母力で穴埋めをすることが出来ない。内容はどんどん難しくなっていく、この悪循環にどうしたら良いのか、親子共々すっかり自信を失っていた。
そんなjinが今週は学校の移動教室で八ヶ岳に2泊3日の旅に出ることになった。そして塾のことも宿題も正々堂々と忘れられて、友達と過ごせる息抜きの旅となった。学校は万全な準備を保護者ともども整えるように指導していたのだが、ちょうど季節の変わり目にあたってしまい、jinは出発の数日前から軽い喘息の症状が出始めた。自宅にいる限りは家庭用の吸入器でなんとかなる程度の、軽症のものだったが、移動教室に電動式の吸入器を持っていくわけにもいかず、果たして移動教室に参加できるのか、親子で不安な数日を過ごした。
出発の前日には、学校に校医の先生が来て、一人一人の体調をチェックして下さる。それが13時から始まることを知っていた私は、仕事をしていてもいつ電話がなるのではないかと気が気ではなかった。
そんな不安をよそに、何事もなかったように検診を無事に通過したjinは、元気よく移動教室に出かけていった。そして塾の宿題や休んでしまった遅れのことは、さっぱり忘れて、いつもより元気に楽しい旅を過ごしてきた。
しか〜し、帰宅したとたんに待っていたのは、1週間まるっきり休んでしまった塾の試験が明日に迫っている状況。でも、めいっぱい遊んでくたくたになったjinは、迫り来るその恐怖を取りあえず棚上げして、早々と睡眠についた。
翌日、一週間全くやっていない勉強を午後1時から始まるテストまでに、せめて基本だけでもおさえねば…なんて最初から到底無理な話だった。それでも懲りないjinは、ぐずぐずとして勉強を始めようとしないでいた。
そしてついに、先生にお願いして特別に明日に変更してもらうことにした。今日は、出来る限り一週間の空白を埋められるように、机に向かおうと誓った。

何とか、算数にとりかかり、いくつかの例題をこなしていったjinだったが、難しくなるにつれ、鉛筆を持つ手が止まりがちになる。そして、ついに止まった。
“ママ、どうしても集中できない。”
(そんなこと言っている場合ではないでしょう。ただひたすらやるしかないのよ。)励まして伸ばすことの大事さを、頭で分かっていながら、追い立てる言葉を機関銃のように吐き出してしまう母。もし、「受験生に言ってはいけない言葉集」があったら、そこに並べてある言葉はすべて言いきっているに違いない。(自慢にならない)
休みがちなjinを心配して、塾長から時間のフレックスな個別指導をそれとなく進められていたので、そんな方法もあるけれど、このままやる気がないなら、受験をやめるか、それとも自分の学習方法を考えなさい。と強く言ってしまった。
その時、何かが起こった。jinの心の中で。
Jinは、手のひらで顔を覆い、じっと動かなくなった。
そのうちに、その手のひらの隙間から、涙がポロポロ流れだしてきた。声を出すこともなくただ静かに。涙がテキストブックにポトポト落ちる音だけが聞こえる。
そこでも懲りない私は、質問攻めにしてしまう。“どうしたの?なにがあったの?辞めたいの?何か言ったら?”.....あ〜、最低。このまま壊れてしまうのではないか、私の胸もちくちく痛み出した。
声も出さず、顔を覆って、涙だけをぽろぽろ流しているjin。
そして、今は何も言わないほうが良いとやっと気づいた母親。
10分だったか、20分だったが時間の感覚がなかった。ただひたすら、静かに涙を流すjinだったが、突然、大きくため息をつき、すくっと立ちあがった。
“ちょっと寝てきていい?”
“良いけど、どのくらい?”まだ、時間のことを気にしている懲りない私。
“10分ぐらい”そういってjinは、出張中の夫の仕事部屋にあるソファーベッドに横になるためにすたすた階段を下りていった。そのままそっとしておいてあげようと、しばらく様子を見に行かず母はじっと耐えた。それでもなかなか部屋から出てくる気配がない。静かに音を立てないように、私は部屋に近づいた。

防音をした部屋から聞こえてきた、jinの歌声。ホワイトボードのペンをマイクにしたて、振り付けまでついたExile のChuchu Train。

そして、大きな深呼吸をすると部屋から出てきた。
“よ〜し、がんばろっと”
涙のあとは、大きな声で歌とダンス。気分を変えて気合を入れてきたjin。ちょっぴり晴れやかな顔をして。

怒り出すと止まらない、いつまでたっても気分転換が出来ない母親が、見習わなければならない、潔いjinの姿だった。



人生山あり谷あり

  • author: jinmama777
  • 2007年10月06日

えっ、もう一ヶ月がたったの? 最後にBlog更新をしたのが、極暑の夏。半そででいると肌寒く感じる今日この頃、私の一ヶ月は怒涛のように過ぎていった。 何をしていたのか思い出せないくらいの速さで過ごしたその間に、日本の総理大臣があっという間に表舞台から姿をけし、突然降って湧いたかのように、なつかしの福田氏がリバイバル、そして総理大臣になってしまったのも、この一ヶ月のこと。 福田さんは、約2週間前まで、自分が総理になるとは考えてもみなかった、まさに晴天の霹靂だと語っていた。人生、本当に何が起こるかわからない。 だからといって、私が2週間後に、総理になる可能性はないのは十分承知だが、3億円の宝くじに当たって、あらら〜ってことも、あるかも。 なんて想像すると、人生の何が起こるか分からない。 だから生きていくのって面白い。

しかしながら、そんな人生のダイナミックさを忘れて、最近は小さいことに動揺して、ネチネチしがちだった私は、自分がそのスパイラルにはまり込んでいることに気づいた。受験生を抱える親が陥りがちな、心が狭くなる症候群。塾の先生に、ちょっと何かネガティブなことを言われると、ぴぴっと反応して、”もうだめ〜、もういや〜、自信なし〜“ と、自分から深くて暗い迷路に入っていこうとする。 でも、待てよ、そんなんじゃないよね。仕事だって、あ〜でもない、こ〜でもないと自信を失ったり、強気になったりしながら、折り合いをつけて今まで生きて来ているじゃない。 自分のことは、何とかやってきましたよ。 自分のできる限りの(たいしたことはないが)ことをして来たつもりなのだけど、子供のこととなるとどうしてこうも違ってしまうのだろう。 自分じゃないから違うということ、それを理解するまでに、とくに母親は時間がかかる。そして、永遠にそんな毎日を送っていきそうだ。嫌だね〜。

そんな中で、なんだかとっても自然の中で癒されたい、新鮮な酸素を吸いたいと思った私は、友人を誘って、御岳山登山を決行することにした。しか〜し.....常日頃、体と精神を鍛えることとはほど遠く、心身を甘やかしてきた私に、やはり神様は試練を(ちょっと大げさですが)与えた。 奥多摩の御岳駅に到着すると、雨、雨、雨。 山の天気は急に変わるとはいえ、まさかの雨ですかぁ。やはり山は、にわか登山者をすんなり迎えてくれなかった。 でも、どんな環境にも懲りない私たちは、とりあえずケーブルカーに乗って、中腹まで行きました。そして、H2Oをしっとりと含んだ緑が、強力な酸素を吐き出す山の中腹で、それなりに生き返って来た。 一緒に言った子供たちも、何かを感じてくれていたようだった。デジタルの世界に大いに影響されている世代でありながら、雨の中、特に目ぼしいイベントもなく、地味に宿坊の湯につかりお蕎麦と地のこんにゃくを食し下山したつかの間の旅だったが、それでも、また行きた〜い。もっと険しい山にチャレンジしたいと、言って終了した一日だった。

次は、Victoriaで完全防備で登山してみます。 人生、山あり谷あり、体で体験してみます。

実はメタボリックシンドロームに近づきつつあるわたくしでした。 

つかの間のシングルライフ

  • author: jinmama777
  • 2007年08月25日

今年の日本の夏は暑〜い。太陽に焼き付けられ動かない湿った空気と地熱が、じわっと体を包み込む感じ。この炎天下で動き回ることは、ほとんど拷問だ。数時間でローストポークの出来上がり〜。なんて笑い事ではないほど暑い。
そんなお盆の1週間、jinを塾の合宿に送り出した私は、久しぶりの5日間のシングル生活に突入した。段取りはしっかりと、まずは友達にメールでお知らせ。“わたし、来週はシングルです。食事でもしましょう。” 心やさしい友人達は、私のかってなお願いに快く時間を空けてくれた。
jinの合宿2泊目の夜は、友人行きつけの、六本木にある、隠れ家的創作和食店。お酒も食事も大変おいしいお店で知られている。仕事が終わって到着したころには、楽しいメンバーがすでにそろっていた。“う〜ん。これこれ。おいしい食事に楽しい会話。本当に生きていてよかったよ。”と思ったのもつかの間.......
jinからの携帯電話。
ドキッ。
電話をしなさいと何度も行っても、快楽におぼれるとそんなことはすっかり忘れてしまう私譲りの性格を持ったjinからの電話だったから。
“ママ〜、胸が苦しくて、保健室にいるのだけれど....(ぼそぼそ)....。”
“薬は飲んだの?”
jinは軽い喘息持ちで、季節の変わり目や気圧に反応して、軽い喘息の発作を起こすことがある。看護士の先生は、咳も出ていないので薬を飲ませて様子を見ますとのことだった。
それから数十分後、再びjinからの電話。
“苦しいの?”
“え〜、そうでもないけど。(ぼそぼそ).......迎えに来てくれない?”
なんだか様子が変だ。しかも看護士先生に聞こえないように話しているようだ。
何かあるな。と思った私は、自分の携帯を使っているなら、メールをしなさいと言って電話を切った。

jinによると、どうやら仲良しだった友達とのトラブルが原因だったようだ。その時、周りにいた友達が一緒になってからかったことが、jinの小さなプライドを傷つけたらしい。そして夕食も一人で食べたということだった。ほぼ泣き声に近い声で、“お願いだから迎えに来て、こんなの耐えられないよ。”という息子に、100km以上も離れたところから母親はいったい何をしてあげればよいのだろうか。まずは、担当の塾の先生に電話をつないでもらうことにした。来年早々に試験を控えた6年生をかかえる先生にこんなことで手を煩わせてよいのか気が引けたが、ひたすら迎えを懇願する息子の状況を知らせて、様子を見てもらわないわけには行かなかった。

車を飛ばせは、2時間ぐらいで着くところにある合宿所。迎えに行くことはそんなに難しいことではなかった。始めてそんな泣き言を言う息子を、不憫に思いながらも、こんなことでめげているようでは、きびしい受験を乗り越えることは出来ない。いや、これからの長い人生にはもっと辛いこと苦しいことがある。それらの試練を乗り越える強さを持ってもらうことは、親が手を貸すことより大事な気がした。
そして、そろそろ眠くなりかけたjinを部屋に連れて行ってもらい、その日は寝るようにと先生に指導をお願いした。
その日は、携帯電話を抱いて寝た。いつ電話があっても出られるように。

ほとんど寝付けなかったが、朝、6時前には先生からメールが来た。
“昨日は、自分から頑張ると言って寝ました。今日の様子も後ほど知らせます。”とのこと、ありがたいメールに目頭が熱くなった。
jinにもメールをしておいた。“おはよう、自分を信じて頑張ってね。”と。
“ママも、仕事頑張ってね。”との返事。自分の様子は全く伝えてこなかった。
“どう、大丈夫?”と私。返事を待つのももどかしく、電話をしてしまった。
“うん、大丈夫、だと思う。まだ朝早いから誰とも話していないけど。”とまだ不安そうな声だったが、そこは根っからの陽気な息子を信じることにした。

その後は、先生のメールで元気にやっているという知らせを信じ、ひたすらjinから何かをいってくるまではと、電話をせずにいた。
夕方になって、jinからのメール。
“友達とも仲直りをして、楽しくやっています。”にっこりピースマークの絵文字もついていた。
本当に良かった。あと3泊、いろいろな体験をして帰って来てね。

ママのシングルライフは仕切り直しだ〜。
そして行きました。
お腹いっぱいの韓国料理。そして台湾式フットマッサージとボディーマッサージ。片言の日本語を話す台湾ボーイズのマッサージ師達が、ぞろぞろいるちょっと怪しい雰囲気のお店だったけど、おそらく台湾ではごく普通のお店なのだろう。台湾の街角にワープして行ってきたような、エスニックな夜を過ごした。

そして合宿を無事終えて帰ってきたjinは、ひとまわり大きくなったような気がした。
(40度を越した群馬で、少し山に近いところとはいえ、クーラーのない部屋で寝ていたというjin達。よく体が持ったものだと、それにも感心した。jinの友達の寝言は、“あつ〜い、あつ〜い”だったそうだ。)
(すみません私はクーラーがんがんきかせて寝てました。)

なんだか、すんなりいったシングルライフではなかったけれど、母親の私も一皮剥ける経験をさせてもらったような気がする。(台湾マッサージのせいではありません。)


ソウルに行こう

  • author: jinmama777
  • 2007年08月03日

ブログの更新をまたまた怠ってしまっていた私、やっぱり怠け者でした。時々いらしてくださっている方々、有難うございます。そしてごめんなさい。心を入れ替え、今後も精進して努力します。なんて反省は、きっと長続きしないでしょう。どこかの横綱のような性格です。(体型まで似てきつつありますが。)

久々に、L.A.に住む友達と電話で話した。今、ハワイでバケーション中だって、うらやましい限り。こちらは受験生をかかえた働く母親。ストレスを溜め込んで、身動きが取れない。それでも、じわじわと網の目をくぐるように、自分の楽しみを見つけることにも余念がないのが、私の懲りないところ。“そうだ、ソウルに行こうよ”と私達。数年前にブレイクした韓流ブームに、ちょっと乗り遅れてはまった私達2人は、友人の中でも特殊な部類で、ちょっと肩身が狭かった。(いや、反論もあるでしょうが)

その友人と今回の電話で盛り上がったのは、私が2年前に行ったソウルで、出来なかったこと。彼女も大いに興味を示してくれて、”私もそれをやりた〜い。それいいねえ。“とひとつ返事で参加が決まった。おまけに“前回、皆で行ったソウルも楽しかったと思うけど、私が行ったら、もっと楽しいよん。”とPRまでしていた。

2年前のソウル旅行もかなりの珍道中で、忘れられない思い出は数々あり、楽しい旅のお供をしてくれた、友人達には感謝感謝なのだが、体験できなかったことが、ひとつだけ心残りとなっている。韓国ドラマからかもし出されるあのなんともいえない、人間臭さ、ハチャメチャさ、なにかとっても臭〜いのだけど、ほろっとしてしまう、そんな庶民の韓国を味わいた〜い。それが私の願いだったのだ。

何じゃそれは。とお思いになるだろうが、ソウルには庶民の人が集う屋台があちらこちらにある。威勢のいいアジュマやアボジが、簡単な屋台料理を出すお店。冬は寒さをしのぐために、透明のビニールシートでカバーされているが、今にも二酸化炭素中毒にならないかと心配になるような暖房器具が置いてあるようなお店。そんなお店の簡易テーブルと椅子に座って、焼酎を片手に気の置けない友達と思いっきり飲んで語り合う、何でもありの無礼講。40年以上生きてきた人生を、しみじみ、わいわい、ときにはしんみりと語り合う。
わ〜。本当に臭い。
でも、やってみたい。韓国人みたいに。(現地の女性は、そんなことはしなかったりして)

四十路のおば様たちの酔っ払いの姿は、美しくないって?
いや、ソウルの暖かさは、それを許してくれそうな気がする。

参加ご希望の方をお待ちします。勇気のある方はどうそ。
(おそらく、安倍総理の昭恵夫人もやってみたいのでは。今の彼女のストレスを発散するには、これが一番にちがいない。)

大型台風通過中

  • author: jinmama777
  • 2007年07月15日

大型台風4号(Man-Yi)が、沖縄九州を通過して、太平洋側を北上して来ている。朝からずっと雨が降っているが、ここはまだ、嵐の前の静けさという感じがする。
ここのところずいぶんとblogとご無沙汰していました。
ストレスを発散するためにはじめたblogだったけれど、この数週間それも出来なくなるほど疲れてしまっていた。

大型台風が私の真上を通過して行ったような。しかも強さを増し、速度を緩め.........まあ、そんな大げさなことではないけれど、理由はいくつかあって、今になって見ると、厚い雨雲がじわじわと近づいては、何度もやって来たという感じかもしれない。

仕事、家庭、子供、体調。自分にとって大事な世界や部分に不調をきたしていた。そんなとき、どうその不調を乗り切るか、もちろん、状況によって、人によってそれぞれだけれど、乗り越えた時に、人は強く、優しくなれると信じたい。

そんな中、jinにも今まで見られなかった、脱力感という症状が現れ、朝起きると、疲れてだるくて、学校も塾も行けなくなってしまう日があった。
何とかしなくては、と病院で検査をうけたが、特に異常は見られないということで、喘息とアレルギー性鼻炎のあるjinは、夜ぐっすり眠ることが出来ないのではというドクターの診察結果だった。また、塾と習い事のスケジュールが1週間にびっしりと詰まっていることも、子供に大きな負担とストレスを与えている可能性もあると言われた。
塾は週に3日間。それに加えてテストが毎週土曜日にあるので、4日間は塾に通っていることになる。習い事はピアノと少林寺拳法、月に一度の日曜日にはサイエンスクラブ。毎日、学校と塾の宿題はすべてこなすことが出来ない。のんびり屋のjinには荷が重いようだ。

こんな時、働く母親はつらい。会社を休むことも出来ずに、自宅で仕事をする夫に子供を託して出勤をしなければならない。いくら歳は重ねていても、初めての子育て。子供が成長していくそのどの年齢においても、親としてははじめての経験なので、そんなことがあると、いっぺんにめげてしまうのが、私の弱点だ。学校に行けなかったその日は、子供に何もしてあげられない自分の情けなさに、会社のトイレで涙を流した。

勉強より大事な、体と心の健康。健康をさておいて、受験勉強だけを無理強いすることは出来ない。習い事をやめるか、それよりも受験そのものをあきらめ、塾をやめてしまう方がいいのか、悩んだ。まだまだ、甘ちょろい受験生だったけれど、それなりに努力もしてきている。それをあきらめるのはjinにも母親である私にもつらい選択だった。
ストレスが随分たまっていたのだろうか、体の具合だけでなく、反抗的な様子も見せるようになっていた。そしてjinは、どれもやめたくない、出来る限り続けて行きたいという結論を自分で出した。明るくて優しいのが取り柄で、比較的育てやすかったjinも五年生。きっと母親離れをそろそろし始めているのかもしれない。ストレスの解消を出来ないために体に出てきたのかもしれない。

そこで私が出した結論は、本人の意思を尊重して、見守ること。母親は出来るだけ、平常心を心がけ、今は更年期のイライラは、家庭ではないところで、しかも健康な方法で発散していくこと。

そんなことを考えているうちに、雨雲はひとつさり、ふたつさり、.....
私もjinもちょっとだけ成長した気がする。ほんのすこしだけ。

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の著者、工学博士でもある、五日市剛氏の講演会で、先生が教えてくださった、人生のキーワード。
ピンチをチャンスに。
窓に降りかかる、台風の雨を眺めながら、声には出さなかったけど、思わす歌ってしまった。
♪ピンチ、ピンチ、チャンス、チャンス、ランランラ〜ン♪
(皆さんも歌ってください。あの童謡、♪あめあめふれふれ、か〜あさんが〜♪(「あめふり」です。)

プチ家出

  • author: jinmama777
  • 2007年06月27日

家出をしたことってありますか? 
私の人生において、家出を決行しようと試みたのが、確か2回。そしてどちらも失敗に終わっっている。初めての家出は、昔も昔の大昔、幼稚園生の頃だったと思う。古い記憶なので思い出すのは、断片的な場面なのだが、確かそれは夏の夕暮れ時だったような気がする。なぜ家出をしようとしたのか理由は全く覚えていないが、おそらく、母にしかられて、反抗的になってどこかに行こうと思ったのだろう。夕暮れ時とはいえ、夏だったので、外はまだ明るかった。勢い余って、家を飛び出した私が、いつも歩きなれた道を一人とぼとぼ歩いている映像が、今でも鮮明に頭に残っている。そこは、「となりのととろ」に出で来るような、武蔵野ののどかな景色。鼻息も荒く、家を出たのは良かったが、しばらく歩くうちに、その時の自分の服装にふと気づき、立ち止まった。そう、私はお風呂上りのスリップ姿とサンダル履きで家出を決行していたのだった。その頃で言うところの木綿のシュミーズ姿で。今どきのおへそだしルックやスリップドレスに比べれば、たわいのないものだったけれど、下着であることには違いないので、恥ずかしさのあまり、走って家に帰り、あえなく私の初家出は終わった。
2回目は(これも記憶が不確かなのだが)免許を取ったばかりだったようなので、18歳ぐらいだったと思う。やはり母と喧嘩をして、“じゃあ出て行くからいいわよ”と家出をするにいたったのだが、深く考えもせずに、とりあえず当時お付き合いをしていたボーイフレンドに会いに行ちゃおうかな、などとふとどきなことを考えていた。バッグに荷物をつめて、駐車場に行くと。
な、な、なんと....
そこには、おばあちゃんが…風呂敷に荷物をつめて待っていた。そして、“あたしも、一緒にいくよ〜”と。その当時、父方の祖母は健在で、我々と同居していた。“え〜、おばあちゃんも行くの?”その時、頭の中を駆け巡ったのは、おばあちゃん、私、ボーイフレンドの3ショット。“ありえない〜。”
あまりの出来事に、出鼻をくじかれ、結局2人でドライブをして帰ってくる結果となった。後で祖母の風呂敷の中を見せてもらったら、丁寧にたたんだ、面積の広い下着や腰巻の数々。まさに、してやられた〜。

大人になり、子供を持つ母親になると、家を出ると行っても、あれこれと段取りがいるし、気軽にふらっと言うわけには行かない。まして就学児童を持つ母親、そして仕事を持っていたらさらにハードルは高くなる。
でも、2度の失敗を乗り越えて、ついにやりました。初プチ家出。

その日も相変わらず、くたくたで帰宅した私に待っていたのは、おやつにポテトチップスを食べてしまって、夕飯が食べられなくなり、それを注意した私に反抗的なjin。夕飯の支度をなんとか用意していたものの、時間の感覚もなくだらだらとし、テーブルには何も出してはいないのに、ビールだけは片手にしっかり握っている父親。ぶつくさと小言を言う母親に、冷たい言葉を放つ2人の姿に堪忍袋の緒が切れた。さっとバッグを握り締め、“じゃあね。出て行くわ。”と家を飛び出し、あとは野となれ山となれ、このバッグさえあれば、お金もカードもあるものね〜。と勇んだのは良かったが、ふと気づいたのは、やっぱり自分の服装。“しまった。帰宅して着替えたんだっけ。”パジャマとまでは言わないものの、ほぼそれに近い姿で家を出てしまっていた。40年前の教訓を未だに学んでいなかった。幸い外はもう暗く、しかも人通りの少ない住宅街なので、まれにすれ違う人もいたが、とりたててそこに異常事態が起こっているとは誰も思わなかったと思う。とりあえずどうするべきか冷静に考えようと家の近くをぐるぐる歩いていた。そこにjinから、電話があった。“ママ、どこにいるの”“え〜、ママね、出てきたのはいいのだけれど、ほとんどパジャマ姿で、どこにも行けないのよ〜。 jin、悪いんだけど、ママの洋服持ってきてくれる?”とんでもない母親だが、素直にも、jinは私の洋服を袋に入れて、待ち合わせの公園まで来てくれた。“ママ、元気でね、僕はウチに残るけど….”笑い話のようだが、実はかなり深刻な状況で、jinは涙声でそう言った。本当に情けないと思ったよ、こんな母親で。でも走り出した車はもう止まれない。“じゃあね。”と歩き出した私。何をやっているのだろうと叱り飛ばす声と、自分を甘やかす感情とが交差していた。歩き出してまもなく、後ろからついてくる足音が聞こえてきた。“ママ、やっぱり、いっしょに行くことにしたよ。”とjin。本当にわがまま極まりない母親だと思った。でもいつもぎりぎりがんばっているつもりなのだけど、まだたりないと言われているような気がして、その時は限界だった。
Jinととぼとぼ歩いた。でも何だが幸せだった。二人で“けっこう、楽しいね、こういうのも。”などといいながら、まずはファミレスで腹ごしらえ。そして、一度家に戻って、jinは、ランドセルと自分の洋服類を小さなスーツケースに入れて持って来た。(なぜか、私のコンタクトレンズとコンピューターまで入れて来てくれていた。受験生であるjinは、この非常事態にもちゃんと塾の宿題を持って来た。)
心配していた父親から電話があったが、明日はちゃんと学校に送り届けてから、仕事に行くと伝え、われわれは、ウィークディのホテルライフへと突入した。
駅の近くのビジネスホテルだったが、空いている部屋は一番大きな部屋だけだった。初めてのプチ家出。
“大きな部屋で結構です。それと朝食も付けて下さい。”
どこまでも楽しまないではいれない懲りない母親だ。

ラッコとマンタ

  • author: jinmama777
  • 2007年06月22日

今日は、朝から悲しいニュースが重なり、胸が痛んだ。
サンシャイン水族館のロシアラッコの赤ちゃんが、数日前に起きた不幸な事故の怪我の傷が原因でなくなった。時をほぼ同じくして、沖縄美ら水族館で生まれたマンタの赤ちゃんも5日間という短命で亡くなってしまった。
動物の全般において、無条件に赤ちゃんはかわいい。(生物という区切りだと、一部の赤ちゃんとなるが。)ラッコの赤ちゃんは、私の友人Bがかわいさのあまり、写真をオフィスのデスクに飾っているとのことだったし、マンタの赤ちゃんは、世界初の水族館生まれということで、仕事で関わったので、どちらのことも、とても気になっていた。“元気で大きくなってね。”と思っていただけに、ショックは大きかった。

生後20日のロシアラッコの赤ちゃんは、ふわふわの毛で、お母さんラッコのお腹の上で遊ぶようなしぐさを見せ始めていた。メディアを通して、日本中の人たちが、かわいさに魅了されていたに違いない。
もちろん偶然に偶然が重なったのだろうが、どちらの死の原因も、父親が作ったということが、ショックの大きさに輪をかけた。

ラッコの赤ちゃんは、その日、お母さんラッコのお腹の上でくつろいでいたらしい。そこにお父さんラッコがやってきて、お母さんラッコにじゃれついた。その時、お父さんラッコの歯が、赤ちゃんのお腹に突き刺さり、4cmの傷をつくったそうだ。治療によって一度は回復したに見えたが、数日後高熱を出して、亡くなってしまった。一方のマンタは、誕生直後に、父親のマンタに追いまわされ、父親に接触したか、何かにぶつかった傷が原因で、死亡したとのことだった。

そのラッコとマンタの父親の行動に、赤ちゃんが可愛かっただけに、怒りさえわいてきた。
“こら〜,ラッコの父親、何をするのよ。自分が奥さんと遊びたいからって、赤ちゃんがお腹の上にいることを忘れるなんて、人でなし〜…いや、ラッコなし〜。”
“おい、マンタの父親、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを、追いかけるなんて、まんたって、最低
水族館の水槽に張り付いて、今すぐにでも説教をしたい気分だ。

そして、この件に関しては、全く罪のない人間の父親にまで、軽い怒りを覚えた。(ごめんなさい。素晴らしい父親がいることも良く知っていますが。)

人間、ラッコ、マンタ、生態はそれぞれ違うのは、十分承知しているが、ここであえて言ってしまおう。

“やっぱり、母性本能がないんだから。男子って。”

生まれたばかりの子供を、亡くしてしまった母親の気持ちを考えると、本当につらい。

そこで、jinがぽそっと。
“お父さんうれしすぎて、はしゃいじゃったんじゃないの。”
それは、まさに男子の一言であった。




忍耐の日

  • author: jinmama777
  • 2007年06月16日

毎週土曜日は、塾でのテストがある。そしてその日は、母の忍耐を試される日でもある。

わが家の一人息子のjinは、勉強嫌い、行動が遅い、面倒くさがりと3拍子そろっていて、良く言えば、穏やかで陽気な子供らしい子供ではあるが、中学受験を乗り越えるのに、適した性格の子供とは決して言えない。それに加えて、最近は反抗期に片足を踏み込んでいるようで、素直に親の話を聞かなくなってきている。確かに中学受験の勉強は難易度も高く、大人でも回答できないものも多い。けれども、中学受験に挑戦するからには、これらの問題を解けるようにならないといけないのだ。

毎晩の夜更かしが蓄積して、土曜の朝の目覚めは遅い。そして起きてからの行動も遅い。おそらくテスト前の勉強をしなければいけないというプレッシャーが、そうさせているのかもしれないが、食事の支度をして、jinが行動を始めるのを待っている母は、相当の忍耐を必要とする。
そして、何とか勉強を始めてから、そばで見ていて、小言を言わずにいるようにするにはこれまた忍耐を必要とする。
こんなに母は、苦労をしているのに、ゆっくり起きてきて、ただぼっーとしている夫に、爆発しないでいるのには、さらに忍耐を必要とする。
試験が終わって、毎回の惨憺たる結果に、大きなため息をつかないようにするには、果てしない忍耐を必要とする。
忍、忍、忍、と続くのだ。

もちろん、これまでに幾度も忍耐の限界点を超え、後味の悪い経験をしてきているが、私は、経験からなかなか学び取れないタイプなので、同じことを繰り返している。

そう、忍の一文字をひたすら胸に刻み、ワーキングマザーの貴重な土曜日は、嵐のごとく過ぎていく。
(忍という文字のタトゥーでも、入れようかしら、まじめに。)

PS
勉強中のjinは、ホワイトボードのマジックペンで、足に何かを書いていた。どりょく。いいねえ。どりょく。しかしその字は、「努力」ではなく、「度力」となっていた。
“jin、どりょくの、どの字が違うよ。”
“あ〜、そうだった。良かったあ、水性ペンで。”とごしごし消して、書き直していた。
は〜あ。受験への道は、いばらの道だあ。

虫歯の恐怖

  • author: jinmama777
  • 2007年06月15日

恐ろしいことに、jinの前歯が虫歯になった。しかも永久歯。

先々週の日曜日のこと。仲良しの友達が家族と出かけてしまい、遊び相手のいなくなったjinは、私にどこかに連れて行ってほしいとせがんだ。その日は夫も出かけていないので、さて、何をしようかと考え、結局、深大寺の鬼太郎茶屋とお蕎麦屋さんに行くことになった。道中おもむろに “ママ、グルメ番組ごっこしよう。”とjin。その中味とは、一通り、深大寺の周りを散歩して、鬼太郎茶屋により、その後に、蕎麦屋によるというコース。しかも、お蕎麦屋さんは一軒ではなく、何件かのお店で食べ比べて、最後にデザートもいただくという、TVでよく見かける、“あの街を訪ねて”のようなロケ番組を想定しているようだった。

“まず〜最初のおそば屋さんは、おそばだけを出す、おそば屋さんですよ〜。”意味不明な文章で、リポートは始まる。おそらく、老舗のお蕎麦屋さんといいたかったのだろう。
そこで、jinが注文したのは、シンプルなざるそば。空腹だった私は、てんぷらそばにした。
“ママ、まだこれから、何件もおそば屋さんに行くのに、そんなの食べたら、すぐお腹いっぱいになっちゃうよ。”とjin。“本当に、何件も行くの?ママはこれでギブアップだからね。あとは、ついていくだけにする。”と私。
“では、いただきま〜す。”いきよい良く、おそばをすすり上げたが、その直後、突然口を押さえ、顔をゆがめて、“歯に、しみる〜。”そう、その前日、jinの乳歯の一本を抜いた後が、まだ小さな傷になっていて、そこに、つけ汁がしみたようだ。何を思い立ったか、すくっと立ち上がったjinは、さっさと一人で、お店を出て行ってしまった。垣根の向こうにjinが見える。坂道に作られた長い階段を、上ったり下りたり何度も繰り返しているのが……あの子は何をいったいやっているのだろう。息を切らして戻ってきたjinによると、歯が痛くなったときは、ランニングをして気を紛らわすのが、一番いいという。(またもや、意味不明の行動だ。)
何とか、ざる蕎麦を食べ終えたjinは、“さて、次は....お茶屋さんのお蕎麦にしますか。”といいつつも、もう一杯となると、自信がなくなってきているようで、“ママ、蕎麦は止めて、甘いものにしようか。やっぱり僕は、グルメリポーターにはなれそうもないや。”と、その日の、グルメリポーターごっこは、jinの歯痛のため、はかなくも、一件目の店で終わった。
その日は、歯痛にたたられているjinだった。その後、奥歯が痛み出し(随分前から気になっていたのだが)、ついに夜には、薬を飲まないと寝られない状態になってしまった。

翌朝、学校を少しだけ遅刻して、いつもの歯科医に行くことにした。この歯科医は、このあたりでは、腕の良い医師として、有名だ。夫も、お世話になっている。
まず、jinの治療を始めた、先生は、“お〜、jin。歯をちゃんと磨いているか?奥歯は乳歯だから良いけど、前歯も少し虫歯になりかけてるぞ。”そして、私のブログの存在を知る、先生は、“ワーキングマザーだから、まあ、しょうがねいか。ははは。”と、一言。
この先生には、一度、してやられたことがある。たまたまjinと先生の子供が同じサッカーチームに入っていたことがあって、グランドに応援に来ていてバッタリ会った。まあ、世間話のひとつとして、私の歯の治療の話題をしたのだが、おもむろに、“ちょっと失礼。”とサッカーのグラウンドで、青空の下、先生は私の上唇をめくって、検診を始めた。言われるままに、口をあけたが、それを見ていた人は、あの二人はいったい何をやっているのだろうと思ったに違いない。

ともかく、jinの虫歯は、先生の素晴らしい腕によって、きれいに治療されたわけだが、とにかく、5年生の男子に、朝晩の歯磨きを定着させるのは大変だ。(うちだけだったりして)、そこで、母は良いことを思いついた。
“jin、もし毎日、歯磨きを朝晩きちんとしたら、ママが、これから、ハニカミ王子みたいに、ハミガキ王子と呼んであげるよ〜。”
おやじギャグながら、なかなか出来が良いと、自分の才能にうっとりしていたが、
“いらないよ。そんなの。”と、冷たい反応。すべってしまったようだ。

おやじギャグといえば、私の友人に、美人でシングル、しかも会社の経営をしている女性がいる。ただ、おやじギャグの連発に、たびたびどう反応してよいのか困ることがある。
つい最近も、動物好きの彼女が、最近のストレスは、毛深い生き物に癒されているという、メールが来た、翌日、そこに、またまた負けていない、ギャグ好きの作家である友人がそれに答えて、“私の知り合いの美容師さんは、毛深いです。いかがですかその毛深い手で、ごしごしシャンプーなんて、癒されますよ。”だって、この二人は地位も財産も持ったれっきとした大人の女性だ。
そして、極め付きは、3日目に来たメール。“いつもブログ読んでいます。あなたの文章の面白さに、脱毛です。”だって。
毛にこだわる、彼女の駄洒落メールをもらうまでに、なんと3日前からの、下準備があったわけだ。

おみそれしました。

年齢詐称

  • author: jinmama777
  • 2007年06月11日

つい最近、女性コメディアンが3歳年齢を偽っていたとかがニュースになっていたが、3歳なんて、全然かわいいものだ。
私は、jinにひとまわり若い年齢を、長い間、偽って教えてきた。

jinは、結婚9年目にして、滑り込みセーフの高齢出産で生まれた一人息子だ。ほぼ間違いなく、彼の友人たち母親の中で、私が誰よりも年上だろう。だろう、というのは、どのお母さん達も私と直接年齢の話をする人は、あまりいなかったのだが、それはきっと、誰も話題にしてはいけないと、思いやってくれていたからに違いない。
jinが幼児の頃は、ママは、25歳とか27歳とか、その時によって年齢を変えていたが、そういうことに、特にうといjinは、疑問も持たずに成長してきた。実際、根拠は全くわからないが、自分の同級生の母親はみんな同じぐらいの年齢だと、思い込んでいるようだった。jinの保育園での仲良しの友達に、ちょうど私よりひとまわり若いママがいた。なんとなくその頃のファッションの趣味も、見かけもなんとなく似ていたので、(私の思い過ごしかもしれないが)一緒の気分で若いママを演じてきた。(つもりだった)
しかしそれも永遠に続くものではなかった。(当たり前か)

jinは成長するにつれ、何かがおかしいと気づき出す。それは、やはりその友達のママとの違いだった。ある日jinが唐突に言った。“ママ〜。何でR君のママはさ、この辺が「ボン〜、キュッ」ってなってるの?”と胸と腰辺りの曲線を、強調して両手を使って描いて見せた。確かに、R君のママは、ほかの誰よりも若い。彼女と同年齢のふりをしたのは、やっぱり無理があったようだ。その時は、笑ってごまかし、話題をそらしたが、jinも特にしつこくたずねてくる事はなかった。

二度目のある日は、jin8歳の時にやってきた。買い物を済ませたスーパーマーケットのレジで、jinと私はハワイ旅行抽選申込書をもらった。記入台に移動して、その申し込み用紙に記入を始めたのだが….な、な、なんと、そこには年齢を記入する欄がある。もうハワイ旅行に当選したかの様に、受かれ気分のjinが、隣でのぞきこむように、私のペンの動きを見つめている。数秒の沈黙とともに、私のペンを持つ手が止まる。次にいったい何が起こるのか、私の顔色とペンの先を交互に見るjin。その時、私のとった行動といえば…..(その沈黙の数秒間の間に、数々の思いが頭の中を駆け巡った。)“ここで、35歳とか36歳とか書いたら、大うそつきになる。そうだ小うそつきになろう。” そして、とっさに41歳と記入した私。jin顔色がさっと変わったのを見逃さなかった。それは、驚きというより、いたずらを企む、なんとも不敵な笑いだった。そしてうれしそうに言った。
“え〜、ママって本当は41歳だったんだ〜。ずっと30何歳とか言ってたのに〜。あはは〜41歳だってえ。すごい歳なんだねえ〜。”しかもスーパー中に響き渡る大声で。
何人かの人が笑いをこらえて、われわれ親子を見ていた気がする。
しかし、不敵なのは、jinよ、君ではない。君は、まだまだ修行がたりていない。
母はその時も、年齢詐称していたのだった。

そしてjinは10歳になっても未だに、母親の本当の年齢を知らない。

アメリカンスクール・サマーキャンプ1

  • author: jinmama777
  • 2007年06月07日

働く母親にとって、子供の夏休みをどう乗り切るかは、頭を悩ませる大きな課題である。
保護者のいない自宅で、子供だけで一日を過ごさせることは、小学校低学年の子供達には危険極まりない。我が家の住む地域には、小学校に隣接した地方自治体運営の学童クラブがあり、3年生までは、朝から6時まで指導員の方々が面倒を見てくださる。しかし子供も成長とともに、行動範囲も広がり、一日中、学校の校庭と学童クラブの中だけの生活では、満足がいかなくなるようだ。

そんなjinも3・4年生の夏休みには、アメリカンスクールのサマーキャンプに、2週間参加することになった。そのサマーキャンプは、とにかく人気の高いプログラムで、その年の3月1日に、申込金を添えて申し込む必要があり、しかも朝一番に速達便で送らないと、定員枠に入れないとうわさされていた。まだ春休みにもなっていないのに、夏休みの計画?いつものんびり、ぎりぎりまで予定を立てることのない我が家にとって、その年の夏休みがどうなるかなどと、想像もつかなかったが、「とにかく人気。このチャンスを逃したら、来年まで無理。」などと聞かされると、なんだかわからないけど、とりあえず人がたくさん並んでいたので、私も並びました、というような考えで、相変わらず優柔不断な母は、申し込みをした。

プログラムそのものは、朝9時から4時まで、2時間の英語のクラスを除いては、まさに子供達が喜びそうなお楽しみ満載のスケジュール。日本の小学校では味わえない、カフェテリアでのランチ、スポーツ、コンピューター、クラフト、料理、などのクラスや、食後にはフィールドで、体を使ったゲームコーナー。さぞかし楽しい毎日に違いない。
それに加え、歩いて5分の小学校に通うjinが、初めて一人でバスと電車を乗り継いで、スクールバス乗り場まで通うチャレンジが待っていた。ちょうど朝は私の出勤時間とかさなることもあって、スクールバスの迎えがある駅までは、送っていけたが、問題は帰宅。自由業の夫が最初の2日間は、迎えに出向いたが、それも毎日続けることは出来ないと、3日目からは一人で帰宅させることにした。実は3日目と4日目は、jinには内緒で、夫が探偵もどきとなり、jinの尾行を決行した。
jinの怪しい行動は、その初日から始まった。スクールバスで仲良くなった友達2人と、まっすぐ駅に向かうことなく、かの有名なハンバーガショップに入っていくのを目撃した夫。どうやら、3人はお店の前で、その食べ物を3つに分けて、仲良く食べていたようだと、依頼人の私に報告があった。その翌日も、同じ報告を受け、ついにjinに聞いてみた。
“なんだか、帰りが少し遅いようだけど、どうしたの?”
“電車に乗り遅れちゃったんだ。”涼しい顔で答えるjin
“ハンバーガーなんか食べてないよね?なんだかバックからポテトのにおいがするんだけどなあ。” 数々の尋問についに白状したjin。
“ママ、僕、ハンバーガーは食べていないよ。フィレオフィッシュのタルタルソ−ス抜きなら食べたけど。でも何で知っているの????”
“母は、何でも知っているのよ。各駅に監視カメラがあるから、君の行動はみられているのよ。”そんなばかな話もすっかり信じたjinは、翌日からは事実をおおむね報告するようになった。(はずだと思う)

4年生になってからのサマーキャンプは近所の仲良しと通うことになり、ますます楽しく充実したものとなって行ったようだ。そうなってくると、朝も帰宅も友達と一緒。母もすっかり安心して、気を抜いていた。そんなキャンプ最終日、事件は起こった。
帰宅して玄関で見慣れない靴を見つけた私が、jinに尋ねると、一緒に通うS君の靴だという。
なんと、Jinはその日、アメリカンスクールから、裸足で帰ってきたのだ。スクールバス、電車、バスを乗り継いで。そしてバス停近くのS君の家で足を洗い、靴を借りてきた。
下校前に、フィールドで水がかかる遊びをしていたjinは、靴がぬれてはいけないと、靴を脱いで誰かに預けたそうだ。その後その誰かはいなくなり、靴もなくなったということだ。サマーキャンプには、カウンセラーと呼ばれる学生のアルバイトがクラスの面倒を見てくれる。バイリンガル・バイカルチャーの今時の青年だ。その彼と靴を探したが、見つからなかったので、裸足で帰ってきたというのだ。
まず、怪我がなかったことがなりよりだったが、フィレオフィッシュのタルタルソース抜きを頼むことが出来る知恵を持ったjinが、なぜ駅のコンビニかスーパーで簡単なサンダルを買うという知恵が働かなかったのか、なんとも情けない。
“そうだね。そこまで気がつかなかったよ。ママはさすがだよ。”(私に感心してどうする)

その次にふつふつとわいてきたのは、裸足で帰したアメリカンスクールへの怒りだった。
鼻息も荒く“ウチの子供に何かあったら、どうしてくれるざーますの。”と電話を入れるはずだったが、事の顛末を話し始めると、みるみるうちに声が上ずっていくのがわかる事務局の職員。大変なことになったとひたすら謝られてしまうと、何もいえなくなってしまう私。
最後には“いや〜、怪我もなかったので、良かったんですけどね。”と人のいいやつに変わり果てていた。
あわててしまった職員の方は、“黒のスニーカーでしたら、片方届いています。すぐにお送りしますので”と上ずった声で。いや〜、片方返してもらっても、こちらもこまる。もしそろいで見つかったら、送ってくださいと丁寧におことわりした。

しかし、どう考えても、裸足で電車やバスに乗るのは、恥ずかしい。人の目が気になるはずだ。
“別に〜。靴下はいていたし。”とjin。
やっぱり、へんなやつだ。君は。

小学校お受験

  • author: jinmama777
  • 2007年06月03日

中学受験に向かっての勉強は、確かに大変だ。親が見ていてしんどくなる。
(それほどやっていないjinを見ていても、そう思うぐらいなので、受験生をかかえた保護者の方々は、つくづくそう思われている違いない)
ある日、勉強中のjinが言った。
“ママ、僕、小学校受験でもっとがんばっておけば良かったな。そうしたら、小学校でもっと遊べたのに。”(今でもけっこう遊んでいるだろうが。)
“今だったら、絶対受かる自信あるんだ。”(幼児が受けるテストに5年生なら出来てあたりまえでしょうが。)
“あの時、咳を我慢して、喘息だなんていわなきゃ良かった。ばかだなあ〜僕って。”
そう、実はjinは、小学校受験も挑戦していた。

試験対策(小学校受験は、勉強ではなく、訓練のようなものだと思うが)は、ある程度はこなせるようになっていたので、後はその日の調子と、雰囲気に呑まれなければ何とかなりそう、というレベルには達していたと思う。(働く母だったので、かなりの手抜きはあったが。)

しか〜し、悪夢はほかからやってきた。

Jinは、小児気管支炎を持っていた。ダニやほこりに敏感に反応し、特に季節の変わり目には咳が止まらなくなることがある。悪くすると喘息の発作まで行ってしまうことがあるので、注意が必要だった。特に低気圧が近づいてくると、その頃は必ず咳が出始めるjinだったので、天気予報より正確に、雨を予報する子供だった。
小学校のお受験は、主に10月から11月に行われる。その年の秋は、jinの体調もまずまずで、多少の咳は出たものの、胸がヒューヒュー鳴るようなことはなく、風邪を引かせないように、とそちらに気が向いていた。
今になって思えば、周りでそわそわ落ち着かない、母に反応したのかもしれないと思うが、明日からいよいよ受験校のテストが始まるという日の夜、発作が起きた。夜中に救急病院に駆けつけ、治療をしてもらうが、その日は簡単におさまらず、あたりが白々と明るくなる朝まで病院にいた。
おなかがすいた2人で、コンビニのサンドウィッチを食べたことが、鮮明な映像としてなぜか記憶に残っている。

願書は数校に出していた。その中の3校は、電話で事情を説明し、受験を辞退した。そして数日後にいよいよやってきた、某有名大学付属小学校の受験の日。もうあと残された学校は、少ない。ましてここは8倍〜10倍の競争率という難関校だ、それでも一筋の望みを託して、jinを送り出した。子供達の受験が終わるのを待つ、保護者の控え室。まるで自分達が試験をされているみたいに、その部屋の空気は、緊張ではりつめていた。
そんな空気を和ませるように、学校側からのコーヒーのサービス。ほっとした気分で教室から廊下に出る。そこで、階段からおりてくる、ゼッケンを付けた一人の男の子と先生の姿がふと目に入った。あれ、あの番号....確かjinの…..。何が起こったのかを理解するのに時間がかかった。二人が入っていったのは、保健室。後を追って保健室のドアーをたたく私。“すみません。その子供の母親ですが......” 先生の説明によると、試験中に咳がとまらなくなったjinに先生が声をかけてくれたそうだ。喘息だと説明したjinを先生が保健室に連れてきたというのが、事の顛末だった。“ご迷惑をおかけしました。それでは、つれて帰りますので。”という私に、“せっかくですから、最後まで試験を受けていったらどうですか?”と先生。その通りにさせていただいたが、せっかくですからという言葉が、頭のなでこだました。

最終的に、受験した学校とご縁のなかったjin。それだけではない、面接までこぎつけた学校で、珍事件も起こしたわが家族。音楽を生業とするjinの父親は、普段から冠婚葬祭でしか、きっちりとしたスーツを着ることがない。校長先生との面接の後、父親は大変な失敗に気づく。

“まずい。社会の窓が開いていた.....。”
“えっ。うそでしょ....。

これで、jinの合否が決まったかは、定かではないが、本当にあった話であることにはまちがいない。
そして、未だかつてjinにその話はしていない。

将来の夢3

  • author: jinmama777
  • 2007年06月02日

“大きくなったら何になりたい?”
誰もが何べんも、いろいろな状況で聞かれた事のある質問だと思う。

私が小学生の頃、確か授業中だったと思うが、クラス全員が、将来の夢をみんなの前で発表するということがあった。その頃の女の子達は、スチュワーデス、保母さん、学校の先生などが人気職業だった。ピアノやバレエなどのお稽古をさせるのが、ステータスとなり始めていた時代だったので、ピアニストやバレリーナと言っていた友達もいた。テレビのオーディション番組で選ばれた、素人の女の子がアイドル歌手になっていった、そんな時代でもあったので、女優やタレントになりたいと言う女の子もいた。私はというと、特に何っていうものがなかった。でもここで、みんなと同じ職業だけは言いたくない、受けを狙って、何か言わなくちゃと、とっさに、“私はホテルの支配人になりたいと思います。”などと言ってしまった。当然、受けるわけもなく、かなりはずしてしまい、友達からは、しばらくの間、本気でホテルの支配人になるのが、私の夢なのだと思われてしまっていた。

jinは、小さな頃から、私のDNAを受け継いでいるのか、何になりたいのかはっきりいわない子供だったが、そんな彼でも、唯一憧れの人がいた。それは、Australia Zooの園長であり、「クロコダイルハンター」というTV番組で、キャラクターをつとめ、世界中の子供達の絶大なる人気を誇る、スティーブ・アーウィン。彼に出会ってからの一時期、将来はクロコダイルハンターになると決めていたようだ。アニマルプラネットというチャンネルの大ファンだったjinは、スティーブが出てくると目を輝かして、テレビに見入っていた。
しかし、スティーブは、2006年9月に、グレートバリアリーフで水中撮影のさなか、彼の下に泳いできた、アカエイの尻尾(猛毒)が心臓に刺さるという、本当にまれな事故で衝撃的な死を迎える。44歳の若さだった。彼の死は、世界中の子供達に、大きなショックを与えた。連日放送される追悼のニュースや特別番組の影響だと思うが、アメリカの子供達の中で、彼の死が原因と見られる、PTSDの症状が現れたという。子供達に夢を与える人物の存在を失うのは、本当につらい。

先日、学校から保護者に対して、「僕の、私の産まれた日」として、子供の生まれた時の様子、両親がどんなにうれしかったかという気持ちを文書にして提出するという課題が出された。何が目的かはよくわからないが、子供と親の関係が希薄になっている問題への対策だったのかもしれない。保育園時代から、何度かそのような文章は書いているので、気軽な気持ちで、書かせてもらった。その後、返されたのは、綴じ込みになっているもので、見開きページの左側が、子供の書いた「将来の夢」という文章、右側が保護者による「僕の、私の生まれた日」となっていた。
jinの将来の夢とは。
“僕は、中学受験のために、一生懸命勉強しています。(ほんとか?)将来は良い大学に入って、大学院にも行きたいと思います。(えっ。そんなの、教育予算に入ってないけど)そして、良い仕事を見つけて、最終的には、自由なおやじになりたいと思います。”

思わず、力が抜けた。

将来、一生懸命勉強して、「自由なおやじ」になるのが彼の今の夢らしい。

PS 先生、こんな文章でよいのですか。自由なおやじって職業はないと思うのですが。

性教育

  • author: jinmama777
  • 2007年06月01日

性教育をどのように子供に教えるかは、子供を持つ親、学校教育者にとって、大きな課題だ。情報があふれる現代では、特にきちんとした性教育が必要とされていると思う。

確か息子が4年生の秋(去年ですね)学校の保健体育の授業で、性教育を受けてきた。
小さいころから、虫や動物が好きで、“ママ、そこの道のところで、かえるが交尾していたよ。始めけんかしているのかと思ったら、実は仲良くしていたんだねえ。ママも見てきなよ”などといって、爬虫類や両生類を苦手とする私に、拷問のような言葉を投げかけていたので、子作りの方法は、少しは知っているかと思っていたが、やはり人間となると、彼の理解の一線を越えるようだ。

その日は塾のある日だった。仕事帰りに迎えに行った私と駅に向かう商店街の道すがら、唐突に、球は投げられた。
“ママ、今日ね、学校で、どうやって赤ちゃんが生まれるか、勉強したよ。”
“ふ〜ん。そうなんだ。”どんな球が次に飛んでくるのか、どきどきの私。
“女の人のそこに(指でさして)男のひとのXXXが入るんだよね。よくあんなもんがはいるよな〜。”と、しかも大声で....(すみません、読んでいる方、露骨過ぎますかね。でも事実なのでお許しを)周りの目や耳が気になって仕方がない母親。
“いや〜。結構ショックだよね。”と、いっこうに話を止めようとしない息子。
“そうだ、その質問は、パパにしよう。男同士だし良いかもよ。”とその場は逃げた。

後は、あなたに任せるからね。ちゃんと説明してあげてね、と夫にお願いして、母親は距離を置いた。こんな時、娘だったら、きっと目を見て話ができるだろうな。でも異性の息子となると、どう説明していいのかなんだかさっぱりわからない。

それからだったと思う、息子が一人でお風呂に入ることを決めたのは。性を知ることは、母親から少しだけ自立する一つのきっかけなのかもしれない。

ウチの隣のお宅は小さいころから、子供に両親の寝室には、必ずノックをしてから入りなさいと、話していた。ママとパパが仲良くしているかもしれないでしょう。と明るい性教育をしていたが、やはり子供たちは社会人になった今も、明るく性の話を親としているようだ。(これは是非見習いたい)

最近は、受精卵の細胞分裂がどうのこうの、親から譲り受けたDNAの細胞分裂によって、子供の特徴がきまるのだとか、科学的な話を、聞きかじった知識で、赤ちゃんの誕生の話をしてくれる。
わけのわからん知識で勝負されるのはたまらん、母は負けずと、質問に挑んだ。
“それじゃあさあ。男の子、女の子はどうやって決まるのか知っている?”
“それは、神のみぞ知る。” “そうじゃないでしょ。”
“染色体だよ。XとYがどう組み合わさったかで決まるのよ。精子がXかYかの染色体で”
“へ〜。じゃあ僕は、男の子になるY染色体を持ってた精子か。”
そして、頭の上に手で三角を作って、くねくね泳ぐかっこうをしながら、”僕って何千万個の精子の中から一番に卵子に到着したんだよね。すごいな〜。一番だよ。何千万個の中で。“ と得意げになっていた。確かに事実だが、自慢することなのかはわからない。

それは、スポーツに関しては、負けず嫌いの息子が、(勉強では、負けてもへっちゃらですが)今年の運動会の100m徒競争で、無念の5位をとったからだろう、せめて自分の誕生に際して、一位をとったのだと自慢したかったに違いない。

“だったら、ママだって一位だったじゃない。”と言いたかったが、そこは大人になって、言うのをやめといた。

チェンマイ旅行その2

  • author: jinmama777
  • 2007年05月29日

春休みの旅行先にチェンマイを選んだのには、もうひとつの理由がある。

2005年に上映された、「星になった少年」という本当にあった出来事に基づいて作られた映画。象の楽園を作ることを夢見て、21歳の若さで亡くなった少年の話だ。jinはその映画を見て、映画館で声をあげて泣いたそうだ。(あいにく私は観ていない、働く母にエンターテイメントの時間は少ないのだ)

そんな心優しい息子に、是非その地を訪ね、象に会わせたい、象に乗ってジャングルトレッキングなんて感動的!と思ったからだ。

旅行の予約もすっかりすんだある日、jinを喜ばせたい一心で、母は言った。
“ねえねえ。チェンマイに行ったら、星になった少年のいた村に行って、象に乗ろうね〜え”一人盛り上がる私。ウキウキ。
“え〜、どっちでもいいよ。”とjinのそっけない返事。
一気に盛り下がってしまった母の心。
子供って移り気ね。たった2年で、この変わりよう。しかし、決っして負けていな母。いいよ、私が象に会いたいの。私が象に乗りたいのだからっ。

メサエレファントパークは、チェンマイ市街から北西へ車で約2時間。郊外の山中にある、保護された象のトレーニングセンターだ。40頭近くの象が一堂に会いし、目の前にいる風景は、なんといっても圧巻である。

象にバナナやサトウキビをあげたり、写真をとったり、後は、象とそれぞれの担当の象使いによるショータイム。 象達による芸は、ボールを前足でけったり、2本足で立ったり、絵を描いたりと、それなりに大変なトレーニングの末に行われているものだと思う。
しかし、なぜか日光サル軍団と伊豆のいのしし村を思い出してしまったのは、私だけか。

日本から来たわれわれにとって、象が水浴びをしたり、食事をしたり、大自然の中で生活をしているのを見るだけで感動的なのになあ。と思ったが、
もし、日光サル軍団が何も芸をしないでそこにいるだけだったらちっともかわいくなし、いのしし村のいのししがぶひぶひ鳴いているだけでは、牡丹鍋にされてしまうのがおちなので、タイ国内の象になれた観光客には、この芸は欠かせないのだろう。

いよいよ象に乗ってジャングルトレッキング。本日のメインイベントだ。30頭もの象が、一列に並んで川を渡り、ジャングルを歩く姿は、力強く、優雅だ。
簡単に作られた座席からずり落ちないように慣れるまでに、運動不足の母はちょいと時間がかかったが。その後は、目の前を歩く象のお尻の行列に見とれながら、なぜか懐かしさを感じた。象のお尻

“どこかで見た景色だ。デジャビュ?”

しばらくそのことが気になって、ひとり無口になっていたが、ついに思い出した。
間違いない、この景色は、仕事で訪ねた相撲部屋の朝稽古で見た風景にそっくり。力士が一列に並んで、こちらにお尻を向けて稽古に励むさまと、象が一列に並んで歩くさまが、シンクロナイズした。

われわれ家族を乗せてくれた象君と象使いのお兄さんは、協調性のない暴れん坊だった。ほかの象達が、一列に順番を守って歩いているところに、いきなり横入り。
抜かされた象は、怒って、本当に“パオ〜ン”と鳴いた。その声の大きいこと。おもわず座席からずり落ちそうになった私。その後も、決まった象道から外れて、水溜りに入るは、穴にわざと落ちてみるは、サービス精神は認めるけど、もういいですからと日本語と英語で言ったけど、お兄さんには通じなかった。”

“僕達の象は、チャレンジャーだねえ”とか言ってjinは喜んでいる。

そういえば、最初に象に乗るときに、われわれの象に老夫婦が乗ろうとしていたのに、乗り場のお兄さんが、そのカップルに降りてもらって、私達家族を呼んで乗せたのは、こういうことだったのね。有り難いのか、迷惑だったのか、家族の中でも意見が分かれた。

1時間のトレッキングは、小さな少数民族の村を訪ねて、あっという間に終わってしまった。
自分より小さな子供達が働いている姿を見て、jinが何かを感じたのか、日本に帰って日常の生活に戻ってからは、さっぱり謎だ。







チェンマイ旅行その15

  • author: jinmama777
  • 2007年05月27日

今年の春休み。
中学受験を目指す息子の友人達が、春季講習で勉学に励んでいるさなか、我が家ではその日程全部を使って、旅行に行くことにした。
ひとつは、私のストレスがピークに達していて、どこか遠くに行きた〜い、という心の叫びと、2年後(正確にはそれより短いが)に、中学受験を控えた息子とのんびり旅行もしばらくは出来ないだろう、ということでの家族旅行だった。

選んだ目的地は、タイ、チェンマイ。チェンマイはタイの北部では、もっとも大きな都市である。しかし日本人の観光目的地として、決してポピュラーな町ではない。
どこの本屋さんに行っても、バンコク、プーケットという観光本は簡単に見つかるが、チェンマイというと、タイ関連の本におまけの様に、出ているぐらいだ。
青い海と白い砂浜が広がるリゾート地でもなく、グルメの集まる都会でもなく、大自然に囲まれた山の中でもない、とても中途半端な町だ。(歴史に疎くてすみません)

それでも、チェンマイを選んだのは、我が家の能天気な息子に、アジアの果ての地に暮らす人々の生活を自分の目で見て体験して欲しい。ゲームやカードなどをきりなく欲しがる自分を見つめ直す、いいきっかけになったら。
などと思ったのはかなりこじつけで、ただひたすら、疲れた体を癒したい、暖かい気候のアジアの地で、エステやマッサージ三昧をしたい〜。という私の欲望の末の結果だった。

宿泊したホテルは旧市街にあるタマリンドビレッジ。最高級ホテルといわれるフォーシーズンズやオリエンタルホテルは、ラブラブのご夫婦か女友達で泊まるに限る。子供には贅沢すぎる。とはいえ、私だって働いているのよ、少しは贅沢したいわ。という私にちょうど良いヨーロッパ人の隠れ家的ホテルが、このホテルだった。


ホテルのタイ人スタッフのホスピタリティーは、本当に素晴らしい。
到着日に、誕生日だったjinを迎えてくれたのは、部屋いっぱいに飾られた風船とスタッフからのバースデーカード。予約したレストランでは、バースデーケーキとレストランスタッフのバースデーソングが待っていてくれた。(もちろん、ホテルのマネージャーにあらかじめ誕生日のコーディネーションをお願いはしていたが)

そんな暖かいもてなしには、感謝感激だったが、用意してくれてケーキにはまいった。チェンマイケーキ

食べるのがちょっと怖くなりそうなブルーのデコレーション。贅沢に慣れてしまった日本人には、食べるのがつらいバタークリーム。申し訳ない気持ちはあったが、手を付けられなかった部分は、レストランスタッフで食べていただけるようにお願いした。(ごめんなさい)


その日は、まるでホテル全員のスタッフがjinの名前と誕生日を知っているかのように、すれ違うたびに、誕生日のお祝いの言葉をいただいた。
そんなこともあって、jinはホテルの宿泊客からも名前を覚えられる有名人となり、そしてついには、宿泊客であるオーストリアからいらした老夫婦にまで、プレゼントをいただいた。

タイの若い女性は、チャーミングで奥ゆかしい人が多いようだ。はにかむような笑顔をする女性は、古き良き時代の日本の女性を彷彿とさせる。更年期に悩むイライラおばさんの私とはちょっと違う。いや、だいぶ違う。
ホテルの女性スタッフとすっかり仲良くなったjinを、一番羨ましそうに、眺めていたのは、ウチの夫だった。

学校選び

  • author: jinmama777
  • 2007年05月24日

子供の受験校選びは、親にとって大きな課題。
優秀な子供さんを持つご両親だって、上位校の中から子供にふさわしい校風の学校選ぶのは、きっと難しい事だと思う。(羨ましくもあるのが、本音)

ましてや、勉強嫌い、遊びだったらどこまでも力尽きることなく突き進む我が家の息子に、良い環境を与えてあげたい、充実した中学、高校生活を遅らせてあげたいと考える、私のような母親に、いったいどんな学校があるのか、知っている人がいたら、是非アドバイスをいただきたいものだ。

息子を知るある人は言う。“まだまだ可能性はいっぱい。子供をもっと信じて、理想は高くね。”
ありがたいお言葉ではあるが、子供を傷つけたくない、自分も傷つきたくないと思う、優柔不断な母親は、常に守りの体制に入りがち。
いけないいけない、理想は高くと肝に銘じます。

そんな息子との数年前のある日の会話。
“私立中には、男子と女子の両方いる共学校と、男の生徒だけの男子校があるけど、
jinは、どっちの学校に行きたい?”
それまで、塾に通うのを厭わないにもかかわらず、“僕は友達がいっぱい行く、ウチのちかくの公立中に行くからね。”と頑なに答えていた息子が、その日に限ってじっくり、ゆっくり何かを考えている。
母は期待したよ。ずいぶんお兄ちゃんになって自覚が芽生えてきたんだなって。
だから、普段なら気の短い母だけど、その時だけは、君の答えを神妙にまったよ。

“ママ、僕、決めたよ。”
“(心の中でつぶやいた)うん、どっちでもいいんだよ。君の好きなほうで…”
“僕、女子校に行くよ。”

シ〜ン。

言葉にならない母。
あの神妙なひと時は、いったいなんだったのか。


あれから数年、受験校選び、スタートラインにもまだ立っていない。




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