1期3巻分のコミカライズ。
ちょっと久しぶりに1期のシンフォギアイズムが一気に読んだからこそわかったな。
フィーネが多言語による世界の混乱を収拾しようと妨害装置である月の破壊と世界滅亡による再生で世界を一つにまとめようとしていた。
そんな中で世界を繋ぐのが歌であるというのが、物語テーマだったんだよね。
だから歌が世界を救うのだ。だから翼は毎回1話目でライブして、2期から外国公演するのだ。歌は通じるから。世界レベルの歌手がヒーローだから。

2期以降はウェル博士とか同じように世界を崩壊させてその後の世界でヒーローだと言い出してフィーネと似たようなことやり出すのだけど、一応世界を崩壊させずにまとまらない中でどういう風に世界を救うかの戦いになっている。
しかし1期は明確に世界を崩壊させなくては救えない、いや歌ならば人々は理解し合えるから崩壊させる必要はない。心を一つにできると描いていて、歌の力の必然が大きく出ている。
これなんだよね。
歌いながら戦うってなんだよ、変な設定と思うんだけど、戦ってる=歌い続けているからで、言葉が通じない、何を言ってるのかわからなくても戦ってる、歌ってるんだで理解できるわけで。
基本的に日本人しか出て来ないから無駄設定だと思うけど、そういう意図で動いてるから。
最終決戦も絶唱の連発でフィーネの作戦を寸前で食い止め、復活し、力技で来るならこっちも限定解除の連携だとやりあったなと思い出した。

あと1話で奏が助けた自衛官が最後に未来を助け響を助ける展開も良いよね。こういう風にモブを助けていくことでいつかの大ピンチで助けられたらそれは世界を救う純度が高くなるし奏が助けた響だけが世界を救うのではない。多くの人を救って来たのが続くことで世界は救われる。無駄じゃなかったのだ。
ちゃんと奏時代からの活動の行動が繋がって世界が救われるのも良いよね。