2017年06月17日

第4話 ふたりの翠玉 (エメラルド) (4-1)いざ、東京へ


IMG_0113   








写真は静岡県富士市 著作権フリー  「富士山と新幹線 」から 
「おいしかったでしょ、昨日の江戸前のお寿司」
ヒカルは、上機嫌で車窓から見える富士山を横目で眺めながら、東京駅のサンドイッチ専門店で買ったミックスサンドをほうばっている。
「そうやね、さすが仁さんが推薦するだけのことはある」
佐々木真一は、そう言いながら、iPad で最新のCADソフトについて調べている。
ふたりは、東京で、カボションカットのエメラルドを仕入れをするという大役を終え、新幹線で大阪に向かっている。
真一は、携帯タンブラーに入っているブラックコーヒー をすすりながら、iPadから目を離し、車窓から見える富士山をじっと見ている。
「ああ、富士山が綺麗に見える」
真一は、今回東京に行くのは初めてであった。東京に向かう新幹線でも富士山が見えたはずだったが、いろいろな思いと仕入れに必要になる現金を預かっているという緊張から、東京行きの新幹線では、富士山をまじまじと見る余裕がなかった。 

真一は、ヒカルの父である宝生仁から東京に買い付け出張する娘のヒカルの護衛兼お目付役として、東京に同行してくれないかと打診されたのは、その日から一週間前であった。娘が久しぶりの東京で、はしゃぎ過ぎないだろうか、それよりも仁は、御徒町界隈は物騒だという印象をいまだに持っていて、せっかく仕入れたエメラルドがひったくりに合わないか心配でしょうがなかったのである。ヒカルは、勝気な性格なので、カバンをひったくられそうになったら、必ず抵抗するであろうから、もしやナイフで刺されたりしたら、それこそ取り返しのつかない大ごとになる。親として、あれこれ心配してしまい、仁はしばらく夜の寝つきがよくなかった。

仁は、妻の麗子にそのことを相談すると、「そんなに心配ならあなたが付いて行けばいいじゃない」と言われる始末。それを言っちゃおしまいだ。いつまでも親の仁にばっかり頼っていたら、娘のヒカルの成長はない。それに、関西しか知らない真一にも東京を少しでも知ってもらいたかった。

そういう思いで仁が真一にヒカルの同行を頼むと、意外にも二つ返事で真一の承諾を得た。 

今回の買い付けは、カボション・カットのエメラルドのペア。ジュエリーコーディネーター1級であり未生流の 師範である北条理恵の「北条いけばな教室」に通っている美容室を経営する伊藤佐和子の夫からのオーダーで、帯留めに使うカボション・カットエメラルドだ。

(注)カボッション・カット cabochon cut

ドーム状にふっくらと局面に仕上げられたカット。主に、半透明、不透明石に用いられる。宝石の量感をだし、艶や表面に現れる模様を強調するのに向いている。「ジュエリー用語事典」社団法人日本ジュエリー協会発行 より引用。ただ、業界では「カボション・カット」と表記する場合が多い。ここでは、こちらを採用。

伊藤佐和子が経営している「なつめ写真美容室」は、本店が豊中市の西緑丘にあり、支店が2店舗ある。ひとつが箕面市に、もうひとつが高槻市にある。夫の伊藤岳(たけし)は、フォトグラファーであり、なつめ美容室本店の二階で写真館を切り盛りしていて、なつめ美容室とは別会社にしている。屋号は、「なつめ写真館」。岳は、両方の会社の経理を担当している。 本店だけに写真館があるが、他の2店舗は純粋に美容室のみである。

写真館を増やすとなると、カメラマンとともに常駐スタッフが必要になり、そのための家賃や人件費が馬鹿にならないのだ。だから、他の2店舗は、美容室だけであり「なつめ美容室」という屋号にしている。

伊藤岳は、学生時代、ニコンの一眼レフカメラを買って、趣味で風景写真やポートレート写真を撮っていた。しかし、大学を卒業後、一流カメラマンのアシスタントを経験したことがないうえに、お客様からお金が取れる撮影技術は、結婚当時持ち合わせていなかった。なんとなく周りからの押しと勢いで、美容室の一人娘と結婚することになった岳は、いわゆる「髪結いの亭主」になりたくなかった。

そこで、結婚後、妻の佐和子やその両親に懇願して、写真専門学校に通うことにした。もともと写真センスがあったことと、必死な思いから、1年でポートレート撮影技術とともに暗室作業も難なくこなせるようになった。カメラ雑誌のコンテストに応募して、佳作などの賞を取ることもできた。自信をつけた岳は、満を期して写真館を開業することになった。ちょうどそのとき、「なつめ美容室」が入っていたビルの2階が空くことを知り、そこで写真館を開業することを即決した。

妻の佐和子は、着物の着付けもおてのもので、毎年、成人式の前々日から、「なつめ美容室」は、予約で満杯になる。着付けを終えて記念の写真を2階の写真館で済ませることができ、お客様の好評を得た。口コミで学校の卒業写真を請け負ったりして、岳の写真館も経営の軌道に乗っていった。

ただ、バブルが弾けたこと、阪神淡路大震災で受けた痛手は、北摂で商売をしていた店舗であれば、多かれ少なかれ受けることになった。「なつめ美容室」もその例外ではなかった。「なつめ美容室」は最盛期、北摂に5店舗展開していた。調子のいいとき、投資型マンションにも手を出して、バブルが弾けて、購入当時の3分の1まで価格が下がってしまった。資産売却、店舗縮小などで岳と美和子はバブル崩壊を乗り切った。阪神淡路大震災では、本店が半壊した。パーマ機などが転倒、使い物にならなくなったものもあった。本店改装、理容機器の買い替えなどの費用もなんとか捻出して一年後、リニューアルオープンした。

そういう苦労をふたりで乗り越えて今がある。

岳と佐和子は、結婚して来年30年の節目にあたる。妻の佐和子にエメラルドをプレゼントしようと岳は、妻に内緒で宝生仁に相談してきたのだ。

宝生仁と伊藤岳は、実は幼なじみである。

小学生の頃、岳のあだ名は「ガク」。家が近所であった仁と岳は、野球の練習で大声でお互いの名前を呼び合うようになり、「ガク」が次第に「ガックゥ」になっていった。「ヒトシ」のあだ名は、そのころから「ジン」だった。「ガックゥ」は、ストレートの速さが持ち味であったが、緊張すると四球(ファーボール)を連発する悪い癖があった。サードの「ジン」は、そういう時、「ガックゥ、ドンマイ、ドンマイ、気にすんな、リラックスや、リラックス!」とわざとニタニタ笑ってみせた。ただ、緊張がピークに達していた岳には、そのニタニタ笑いは、逆効果であったらしい。

実は、仁と岳は、関西学院大学商学部の入学オリエンテーションでばったり会い、学内でコーヒーを飲みながら、当時のことを話題にしたとき、岳からはじめて告白されたのだ。

こんな時に何ニタニタしてんねん、アホちゃう。そう岳は思っていたらしい。

仁は、豊中市立第1中学校から、府立箕面高校に進学。一方、岳は、同じく豊中市立第1中学校から府立桜塚高校に進学。通っていた高校が違い、ふたりは高校時代、近所に住みながら疎遠になってしまっていた。岳は、中学生になっても野球を続け、桜塚高校でも野球部だった。

仁は、中学からテニス部に入り、高校でもテニスを続けていて、スポーツの大会でふたりが出くわす機会がなかったことも疎遠になった一因だ。

ふたりが豊島小学校6年生の時、「第1回豊能地区少年野球大会」があり、豊島小学校からは、「豊島小学校A」と「豊島小学校B」の2チームがエントリーした。トーナメント形式の大会で左のブロックからAチームが順当に勝ち上がり、右のブロックからBチームが接戦の末勝ち上がってきた。共にベスト4に残り、いよいよ両チームが準決勝を迎えるにあたり、監督から、決勝戦は、豊島小学校どうしで戦えるよう頑張ろうと檄を飛ばされた。

豊島小Bチームが対する相手が、「桜塚小学校」。そのチームのファーストを守っていたのが、現在のジェム・クラフトのオーナー、浅見透だった。浅見は、小学校低学年の時、すでにクラスのなかで一番背が高くノッポだった。ボールを投げることは関しては仁に軍配が上がるのだが、透はキャッチングがうまく、手前でワンバウンドするボールを華麗にさばいてみせた。小学校程度の守りの野球では、うってつけの一塁手である。

1回の表、攻撃は、桜塚小。守りについたとき、ピッチャーの江波岳は緊張のせいで、マウンドでピッチング練習しているときからボールが手についてなく、制球が定まらなかった。嫌な予感がした仁が、「ガックゥー、リラックス、リラックス」と声をかけたが、岳にはそれが聞こえなかったようで、しきりに右腕をグルグル回していた。

アンパイアのプレイボールのコールとともに岳の投じた第一球は、キャッチャーが取れないような大暴投だった。

続く
 


jinsei0031 at 07:23│ふたりの翠玉(エメラルド) 
ギャラリー
  • 第4話 ふたりの翠玉(エメラルド) (4-4) 帯留めのデザイン
  • 第4話 ふたりの翠玉 (エメラルド) (4-1)いざ、東京へ
  • 第4話 ふたりの翠玉(エメラルド)〜プロローグ〜
  • 第1話 プロローグ〜ヒカルのジュエリーコーディネーター3級合格祝い
  • 第1話 プロローグ〜ヒカルのジュエリーコーディネーター3級合格祝い
  • 第1話 プロローグ〜ヒカルのジュエリーコーディネーター3級合格祝い
  • 第2話 ヒカルとメレー・ダイヤモンド
  • 第2話 ヒカルとメレー・ダイヤモンド
  • 第2話 ヒカルとメレー・ダイヤモンド