ジロッカーの世界征服計画

密かに世界征服を企む脚本家金子二郎のブログ

2019年あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
Twitterやfacebookではご挨拶していたのに、ずっと続けているこっちのブログのことをすっかり忘れていました。
まだ詳しい情報は伝わってきていませんが、今年は脚本で参加した映画が公開してもらえる予定です。
さらに昨年中に蒔いた種の芽が……出るかもしれません。
この2年で付いてしまった脂肪を健康のためにも落としていきたいです。
今年もよろしくお願いします。
2019年賀状web

『1999年の夏休み』

兄の金子修介監督作品『1999年の夏休み』公開30周年記念デジタルリマスター版上映が好評である。
アフタートークも毎回豪華で休日は満席で入れない人もいるそう。
ところが8/6(月)はゲストもおらず監督一人で登壇すると言うので、だったら僕が出るよとしゃしゃり出た。
しゃしゃり出てみたところで撮影の裏話を知っているわけでも何度もこの映画を見ている熱いファンというわけでもない。
でも兄が撮ったこの映画を見て「映画づくりに携わりたい」と思ったのはよく憶えている。
この映画が公開された1988年3月僕はまだ団体職員だった。
その前年実家を追い出され、ただ生きるための給料をもらうためだけの毎日に嫌気が差していた。映画も学生の時みたいには見られずにフラストレーションが溜まっていた。
ロマンポルノで監督デビューした兄はすでに一般映画を何本か撮っていたがまだヒットには恵まれていなかった。助監督時代の苦労話を聞いていた僕は映画業界に魅力を感じられず、やりたいことを見つけられないまま。音楽に未練はあって楽器をちょくちょく買っていたが、使いこなす時間が無かった。
そんな頃兄が企画中の『1999年の夏休み』のことを話してくれた。
「男の子を女の子が演じるんだ……」
なんだそれ? ヘンタイ映画か? というのが当時の印象。もし僕がプロデューサーだったらこの企画にゴーサインを出さなかっただろう。その頃の僕はただ家賃と光熱費と使わない楽器のためだけに働く男だったのだから。
そして映画は完成し1988年3月公開となった。僕は招待券をもらっていたのにもかかわらず仕事が忙しくなかなか劇場へ行けなかった。ようやく最終週4月3日銀座松竹シネサロンで見た『1999年の夏休み』は、美しい映画だなと同時に「兄は変態なのかも」と思った。
しかし、変態でもいい、撮りたいものを撮っていてうらやましい。
その後、この映画でアメリカのテュラロイド映画祭に招待された話しなど聞いているうちにますます羨ましくなっていった。
「今の仕事を続けていたらそんな経験できない!」
と思うになり、その年の8月に辞表を提出した。
なんて話を今日のトークにしようと直前まで考えていたが「僕の身の上なんて話してどうする!?」と気がついた。
慌てて映画について監督からいろいろ聞き出そうと軌道修正しようとしたら焦ってしまった。
トーク後、兄と一緒にランチをしながら話した、
「オーディションで落とした中に後に有名になった人は?」
ができればもっと湧いたのになあ……。

安東弘樹アナウンサーと映画『1999年の夏休み』

本題の前にお詫び……ゆうばり国際ファンタスティック映画祭レポートが途中になってしまっています。映画祭が終わって4ヶ月も経つのにこの体たらくです。

気を取り直して本題へ。
現在、兄金子修介監督作品『1999年の夏休み』が公開30年を記念してデジタルリマスターして新宿K’sシネマで絶賛リバイバル上映中である。午前10時半からの上映にもかかわらず連日大勢のお客さんが足を運んでくれているそうだ。
明日8/1の上映後のアフタートークのゲストはこの春TBSを退職したばかりの安東弘樹アナウンサーだ。
安東さんがゲストに決まったのには僕が絡んでいる。
ハナシは去年の秋に遡る。
TBSラジオの「たまむすび」という番組にリスナーお助け調査企画「竹山、ガムテープ買ってきて」というのがある。これはリスナーから寄せられる疑問・質問にカンニング竹山さんとスタッフがリスナーの力を借りて応えるというコーナーだ。ある日の放送に当時社員だった安東弘樹アナウンサーがこんな相談を寄せていた。
「家に何十年も前に撮影した8ミリフィルムがあるが、映写機が壊れて見ることができない。どうにか見られないか」
という内容のものだった。
ネットで調べればすぐに「フィルムのデジタル化サービス」は見つかるだろうしきっと誰かが完動品映写機を持っていてすぐに解決するだろうと思って聞いていたが、何週か経ってもなかなか解決しない。何人かのリスナーが「映写機は持っていたが何年も前に壊れてしまって動かない」とのメールが寄せられていた。
そこで番組に以下のようにメールしてみた。
「私もたまたま自分で8ミリ映写機を修理していたので、メール致しました。我が家の映写機もゴム製の駆動ドライブが劣化して動かなくなっていたのですがその駆動ドライブにホームセンターで購入したゴムパッキンを代用したところ見事に動き出しました。
フィルムの劣化が心配されましたが、映写してみると見事に40年以上前の我が家が音声とともに映し出され、亡き両親から30年以上前に亡くなった祖母の姿までが蘇りました(中略)部屋を暗くしてカタカタと音を立てながら上映するのは、とても味わい深いものです。安東さんがお持ちのフィルムがスーパー8、シングル8(エイト)なら私の映写機で上映可能です。前もっての準備が少々かかりますが、スタジオでの上映をお手伝いいたします」

そしたらスタッフから連絡があり、10月30日に映写機を持ってスタジオで安東さんの8ミリフィルムを上映することになったのだ。
そのときの様子が番組のブログに写真付きで載っている。
「一人で見てたら泣いてた」安東アナ3歳時の8ミリフィルムが蘇る!
オンエアの後、別室で安東さんに改めて自分は脚本家で兄は金子修介という映画監督だと自己紹介すると、
「私、金子監督の『1999年の夏休み』が大好きなんですよ。確かTBS入社した頃見に行って……」
と熱く語ってくれた。
車と細マッチョのイケメンアナウンサーというイメージしか無かった安東さんが『1999年の夏休み』が好きだなんて少し意外で嬉しかった。そのことを兄に話したら兄も喜んでくれて、今回の上映に安東さんをお呼びできないかということになったのである。
明日、安東さんがどんな風に『1999年の夏休み』を語ってくれるのか楽しみだ。
映画『1999年の夏休み』デジタルリマスター再公開

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018 その2

──その1から
真来さん、突然車内から写真を撮り始める。
「今の言葉聞いて突然旅行気分になってきた」
そうだ僕らは映画祭と言う名の旅行に来ているのだ、と僕も彼女の言葉を聞いて再認識。楽しまなくては。
車は2時間もかからず夕張市内に入った。雨は雪に。僕らより30分ほど先に千歳空港を出た送迎バスもほぼ同時刻に到着していて、参加者は夕張駅の前からレッドカーペットを歩いて市民やボランティアたちから「おかえりなさい」の歓迎を受けている。
車を降りて僕らもその歓迎の列に参加する。
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そこからメイン会場の「ひまわり」へ。
「合宿の宿ひまわり」を訪れるのは実はこれが初めてだ。
過去2回は贅沢にホテルマウントレイースイに宿泊した。温泉もあるし朝食バイキングが美味しいからだ。映画人が合宿で泊まっている「合宿の宿」とはいったいどんなところなんだろう? 期待よりも恐怖心の方が強い。若者たちに50才超えた商業作品ばかり書いてきた脚本家が混じって打ち解けられるだろうか‥‥8人部屋なんて修学旅行以来だし。
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チェックインすると誰もまだ来ていない。取りあえず自分の陣地取りのために荷物を置く。
1泊6500円5泊分の宿泊費だけはすでに支払っていたが映画祭に参加するためにはこの他にオープニングセレモニー1500円、オープニングパーティ5000円、パスポート3000円、さよならパーティ3000円を払うことに。
オープニングセレモニーの後上映される『ジュマンジ』は見ずに中川監督たちと公式パンフレットには出ていないもう一つのゆうばり映画祭「ゆうばり叛逆映画祭2018」の会場である商工会議所へ。行くと西村嘉廣監督が自ら「細長いレッドカーペット」を引いている。

こっちの方が「これこそファンタスティック映画だぞ!」と言うランナップ。本家に意義を申す姿勢が気持ちいい。
万年野党支持の僕なのにこの時ばかりは与党の「本家」主宰のオープニングパーティに出席。だってパーティ券買っちゃったんだもん。
ホテルシューパロのパーティ会場は大混雑。すでに夜9時を過ぎているので、みな乾杯の合図を待たずに飲み食い始めちゃっている。
屋台村で一杯飲んで表に出ると雪が本格的に。らしくなってきた。
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深夜1時を過ぎてひまわりに帰るが、部屋にはまだ誰も戻っていない。
結局、映画祭1日目はオフシアターコンペティションの『東京ノワール』しか見られなかった。
──その3へつづく。

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018 その1

もう3週間経ってしまったが、3/15〜3/19の5日間8年ぶり3度目のゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018に行ってきので記憶を遡りながらのご報告。
当ブログはこの2年新年の挨拶だけで完全に休眠中だ。これを機にまた再開したいと考えていたのだが帰宅後抱えていた脚本の直しがあったのでこんなタイミングになってしまった。

ゆうばりファンタと僕の脚本家業スタートはほぼ一緒だ。
その原形とも言われるアボリアッツ・ファンタスティック映画祭はSFや怪獣映画好きにとっては憧れの映画祭。S・スピルバーグ、J・キャメロン、P・ジャクソンもアボリアッツで認められてビッグになっていった。
その流れを組むゆうばりファンタ映画祭が1990年にスタートした。いつか招待作品の脚本家として呼ばれるのが一つの目標になった。
その機会は意外とすぐにやってきた。
1991年第2回映画祭に共同脚本の『ハッピーエンドの物語』と脚本協力の『咬みつきたい』の2本が招待作品に選ばれたのだ。
「ゆうばりに行ける!」
と思ったのもつかの間、駆け出しの脚本家は連れてってもらえないと知らされる。「行きたかったら自費で行け」と‥‥余裕は無かった。
その後も「この作品でゆうばりへ」と念じながらシナリオの仕事を続けていたが、映画祭でかけられるような作品に携わることはなかなか出来なかった。
そんなおり夕張市の財政が破綻。映画祭どころではなくなった。
本家のアボリアッツも1993年には終了してしまっている。僕はファンタスティック映画祭に行けない人生なのかと落胆していたら2007年規模は小さくなったが「応援ゆうばり映画祭」が行われた。
その翌2008年復活ゆうばり国際映画祭が行われると知る。
友人たちと観客として参加しようと話しあっていたら、奇しくも脚本を手伝った映画がオフシアターコンペに選ばれた。
しかしここでも脚本家は招待されないと。
「こりゃ自費で行くしかない」とどうにか旅費等を工面。初参加で監督と一緒に上映後登壇したりもできた。
呼ばれるまで待っていた自分がバカだった、そう思うほど楽しかった。
「毎年来よう」
そう思ったが、やはり何か作品に絡んで来たい。
2度目は2010年。兄の金子修介監督の『ばかもの』が閉会式後のクロージング上映として招待された。兄に「主演の二人も行くの?」と聞いたら「オレだけだよ」と寂しそうに言うので、友人たちと「ばかもの応援隊」を結成して参加。「応援隊」と言っても何をするわけでは無く、ただ映画見て、映画をネタに酒飲んでの日々を過ごしただけだが‥‥。
そしてこの映画祭で知り合った仲間と毎年花見だ新年会だと楽しく過ごしていたらあれよあれよと8年、脚本家として招待されるには未だ至らず。
半ばあきらめていたら去年の夏俳優として参加した中川究矢監督の『カマキリの夜』がゆうばりチョイスと言う枠で上映される運びとなり、今回は「俳優」として参加することなった。

3/15、約2ヶ月前に予約したスカイマークの羽田→千歳便、指定した座席に座ると隣は長身の美人。その美人が「二郎さん!」と声をかけてくれるではないか。なんと金子組の飲み会でよく会う女優の滝本より子さん! 彼女も出演作が上映されるのだと。お互いの映画を宣伝しあいながら飛行機は千歳空港に。
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この日の北海道は雨。予報では夕方から雪になるらしい。
中川監督の発案で千歳空港から複数でレンタカーを借りて夕張に行くことに。その方がチャーターバスより安いし早いと計算。他のメンバーが到着するまで時間があるので空港でみそラーメンを頂く。特別に美味いと思わないけど、恒例行事。確か8年前も同じ店で食べた。
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同乗メンバーは中川究矢監督、女優の西山真来さん、『カマキリの夜』では撮影を担当していて監督でもある佐藤周くんの4人。借りた車Hondaフィッツはもちろん4WD。
運転は中川監督。
西山さんは二度目のゆうばりファンタで前回の出来事を低めのテンションで話す。
そこで僕があまり考えずに、
「こんどのゆうばりはオレが楽しくしてあげるぜ」
と発言すると彼女のツボにハマったようで、テンションが急上昇!

その2へつづく
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vo,guitar×2,bass,drumsの5人編成。
70〜80年代のロックコピー中心。ドゥービー、イーグルス、ストーンズ、フーetc.節操なくやっています。オリジナルにも挑戦中。東京中央線を中心に活動中。都立調布南高校の第二期生で全員50過ぎ。
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