兄の金子修介監督作品『1999年の夏休み』公開30周年記念デジタルリマスター版上映が好評である。
アフタートークも毎回豪華で休日は満席で入れない人もいるそう。
ところが8/6(月)はゲストもおらず監督一人で登壇すると言うので、だったら僕が出るよとしゃしゃり出た。
しゃしゃり出てみたところで撮影の裏話を知っているわけでも何度もこの映画を見ている熱いファンというわけでもない。
でも兄が撮ったこの映画を見て「映画づくりに携わりたい」と思ったのはよく憶えている。
この映画が公開された1988年3月僕はまだ団体職員だった。
その前年実家を追い出され、ただ生きるための給料をもらうためだけの毎日に嫌気が差していた。映画も学生の時みたいには見られずにフラストレーションが溜まっていた。
ロマンポルノで監督デビューした兄はすでに一般映画を何本か撮っていたがまだヒットには恵まれていなかった。助監督時代の苦労話を聞いていた僕は映画業界に魅力を感じられず、やりたいことを見つけられないまま。音楽に未練はあって楽器をちょくちょく買っていたが、使いこなす時間が無かった。
そんな頃兄が企画中の『1999年の夏休み』のことを話してくれた。
「男の子を女の子が演じるんだ……」
なんだそれ? ヘンタイ映画か? というのが当時の印象。もし僕がプロデューサーだったらこの企画にゴーサインを出さなかっただろう。その頃の僕はただ家賃と光熱費と使わない楽器のためだけに働く男だったのだから。
そして映画は完成し1988年3月公開となった。僕は招待券をもらっていたのにもかかわらず仕事が忙しくなかなか劇場へ行けなかった。ようやく最終週4月3日銀座松竹シネサロンで見た『1999年の夏休み』は、美しい映画だなと同時に「兄は変態なのかも」と思った。
しかし、変態でもいい、撮りたいものを撮っていてうらやましい。
その後、この映画でアメリカのテュラロイド映画祭に招待された話しなど聞いているうちにますます羨ましくなっていった。
「今の仕事を続けていたらそんな経験できない!」
と思うになり、その年の8月に辞表を提出した。
なんて話を今日のトークにしようと直前まで考えていたが「僕の身の上なんて話してどうする!?」と気がついた。
慌てて映画について監督からいろいろ聞き出そうと軌道修正しようとしたら焦ってしまった。
トーク後、兄と一緒にランチをしながら話した、
「オーディションで落とした中に後に有名になった人は?」
ができればもっと湧いたのになあ……。
アフタートークも毎回豪華で休日は満席で入れない人もいるそう。
ところが8/6(月)はゲストもおらず監督一人で登壇すると言うので、だったら僕が出るよとしゃしゃり出た。
しゃしゃり出てみたところで撮影の裏話を知っているわけでも何度もこの映画を見ている熱いファンというわけでもない。
でも兄が撮ったこの映画を見て「映画づくりに携わりたい」と思ったのはよく憶えている。
この映画が公開された1988年3月僕はまだ団体職員だった。
その前年実家を追い出され、ただ生きるための給料をもらうためだけの毎日に嫌気が差していた。映画も学生の時みたいには見られずにフラストレーションが溜まっていた。
ロマンポルノで監督デビューした兄はすでに一般映画を何本か撮っていたがまだヒットには恵まれていなかった。助監督時代の苦労話を聞いていた僕は映画業界に魅力を感じられず、やりたいことを見つけられないまま。音楽に未練はあって楽器をちょくちょく買っていたが、使いこなす時間が無かった。
そんな頃兄が企画中の『1999年の夏休み』のことを話してくれた。
「男の子を女の子が演じるんだ……」
なんだそれ? ヘンタイ映画か? というのが当時の印象。もし僕がプロデューサーだったらこの企画にゴーサインを出さなかっただろう。その頃の僕はただ家賃と光熱費と使わない楽器のためだけに働く男だったのだから。
そして映画は完成し1988年3月公開となった。僕は招待券をもらっていたのにもかかわらず仕事が忙しくなかなか劇場へ行けなかった。ようやく最終週4月3日銀座松竹シネサロンで見た『1999年の夏休み』は、美しい映画だなと同時に「兄は変態なのかも」と思った。
しかし、変態でもいい、撮りたいものを撮っていてうらやましい。
その後、この映画でアメリカのテュラロイド映画祭に招待された話しなど聞いているうちにますます羨ましくなっていった。
「今の仕事を続けていたらそんな経験できない!」
と思うになり、その年の8月に辞表を提出した。
なんて話を今日のトークにしようと直前まで考えていたが「僕の身の上なんて話してどうする!?」と気がついた。
慌てて映画について監督からいろいろ聞き出そうと軌道修正しようとしたら焦ってしまった。
トーク後、兄と一緒にランチをしながら話した、
「オーディションで落とした中に後に有名になった人は?」
ができればもっと湧いたのになあ……。