take my GREAT DAYs<その後> 苦しみの海を越えて

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九月に一大音楽祭をやった。
ともに高野山大学で培ったイキムラの夢、僕の夢。

四月に高野山でイキムラにばったり会ったとき、彼は開口一番こう言った。
「今、どんな音楽聴いてる?」
僕は、答えに詰まった。
イキムラをその夢から解放してやろうと思った。

企画から実行まで懸かりっきり、イベントは大成功を収めた。
その後、無理がたたり、体を壊し、それから三ヶ月寝たきりになった。

今までの苦労が一気に押し寄せたようだった。
皮膚がボロボロに崩れ、赤剥け、浸出液をにじませ、酷い痛みに身動きひとつとることができなかった。
夜も満足に眠れず、苦痛に呻き、悲鳴をあげ、まんじりともせず苦しみ抜いて夜を明かし、精神的にも限界をみた。

「死」をすぐそこに感じた。
体中の掻き傷からくる発熱にうなされながら、論文を書き上げ、その足で病院へ行き、2週間入院した。
今も通院が続いて、クスリが欠かせない状態だが、僕はまた生きながらえた。

大病を挟んで、大きく人生がシフトしたように感じる。
今まで、強くなって初めて人に優しくなれると信じていた。それはそうかもしれない。しかしまた、己の弱さを思い知ることによっても、優しくなれるのだと知った。
自分のいい加減さや功名心、自分の弱さや汚さ、同じく他人を許せるだろうか。

また旅を始めようと思えば、始められるかもしれない。
しかし、周り巡ってまたここに戻ってくることがわかっている。
その行程が蜃気楼のようであることも。
そこまでわかっていながら、再び虚しい旅路へ歩みだすことも、もうないだろう。

夢も通り越してしまった。
未来に希望があるわけでもなく、生きる意味すら見出せないが、僕はまだ生きている。
もう無理はできないし、衝動のまま突っ走ることもできない。
幸いというか、生憎、僕の体はその厳しい旅に堪えられそうもない。
肉体という器は、無限である魂に限界を与え、成長を促してくれるのだ。

たくさんの人や景色が僕の人生に立ち寄り、去っていった。
そして今、たった一人で荒漠な砂漠を見つめているようで、寂しくて仕方ない。

29歳の誕生日を二日後に控えた日、ふと思い立って友人のザキスと鳥取砂丘へ行った。

彼は先週、7年前に婚約指輪を渡し損ねた彼女と決別した。
「昨日、彼女の家に泊まったんだ。その時、今まで感じたことのない違和感を感じた。わかったんだ。俺はもう過去の人なんだって。そんな過去の人間が彼女の現在にウロウロしているのはおかしい。
そして、俺が好きだった彼女も、もうここには居ないんだ。世界中どこにも。
それで、朝になってアパートを出たんだ。靴紐を結んだ時、これが金輪際の別れなんだって分かったよ。
『さよなら。体大事にせえよ』って言ったんだ。あいつは意味がわからなかったと思うけど。
帰り道、涙が溢れて止まらなかった。それで、『俺はこの人のこと、ずっと好きだったんやなぁ』ってようやくわかったよ。わかりたくなかったけど、わかってしまった。彼女が他の男とよろしくやってるときも俺はずっと忘れてなかった。彼女が俺の全てだった。彼女を幸せにすることが俺の人生で、それが全てだった。別れてからもずっと彼女のこと想ってた。
それを失くして今はどうして生きたらいいのかわからない。ただ、彼女の幸せを心から願うんだ」と、彼は言った。

「彼女のこと、恨んだり、謝って欲しいなんて思わないの?」
「無いね。強いて言えば、ただ『勝手にすれば』と思うだけ。どうこうして欲しいって気持ちもないよ」
「そうか」

僕は、渡米前に日本に残してきた彼女のことを考えていた。
4年前、僕は彼女を残してアメリカへ行った。
その間、彼女のことは一度も忘れたことはなかったが、道々の恋にうつつを抜かして機嫌よく過ごしていたのも事実だ。
僕は、彼女に「待っていてほしい」とは言わなかった。
新しい土地で新しい恋をしたかったし、無限の未来へのワクワクするような希望に胸を高鳴らせていた。

その間、彼女は僕を待っていた。
3年が過ぎ、僕が日本に戻った時、彼女は何度も僕に連絡をくれた。
僕は、僕を傷つけた人たちへの憎悪やら、今後の身の振りやらで頭がいっぱいだった。
何より、こんな混乱した状態で彼女に会いたくなかった。
そして彼女を避けた。

1年もの間、彼女は僕を追いかけ、僕は彼女の気持ちに気づきながらも、あえて放ったらかしにしていた。
4月になり大学院に復学、遅れを取り戻すため必死で勉強し、論文を書き、ライブに奔走し、病魔に倒れた。
退院し、修士課程を卒業、博士課程に進学を果たし、ようやく落ち着きを取り戻したとき、彼女はもうそこに居なかった。

僕は焦り、なんとか彼女の気を引こうと懸命の虚しい努力をした。
恋というのはうまくいかないものだ。
一転して、冷淡になってしまった彼女への想いに身を焦がす毎日。
そんな恋路の相談をした友人はこう言った。
「結局、俺もおまえもそういう人間なのよ。どんどん成長していきたいし、一箇所に留まっていられない。
恋だってそう。そんな俺たちとつきあって、彼女たちがどれだけ辛かったか、また、俺たちのことを忘れるために彼女らがどれだけ苦しんだか、俺たちは馬鹿だから知らないときてる」

重い言葉だった。
俺(俺たち)への評価は的を得ていたし、彼の言葉がまるで、彼女から発せられたかのように思えた。
その友人と彼女はアメリカで知り合い、彼女はその後日本に帰国。それから3年間、アメリカでいる彼のことを忘れずにいた。
去年の11月、彼女はシアトルに遊びに来て、彼と一週間を過ごした。
帰国後、彼女は彼にメールを送った。
「シンは変わってしまった。私の知ってたシンはもう居ない」
彼は冷静にその言葉を受け入れた。

「俺自身、俺は変わったと思う。
何事にも動じなくなったし、冷静になった。
それは、俺がこの3年苦労して身につけたスキルだし、『変わった。熱い男がクールになってしまった』って残念がられても、『ああ、俺は変わったよ』と答えるしかないと思う。
俺に言わせれば、『おまえも変わったよ』だし、『もっと変われよ』と思う。
俺たちは、もう前の二人じゃない。
遠恋のカップルがヨリを戻すのは、お互いのそうした変わったことを受け入れられた二人のみなんだよ」

そうだ、3年もの間、僕らの間には、千キロの海が横たわっていて、まったく違う景色を見てきたんだものな。
俺の見てきたもの、強烈な体験は、俺をすっかり変えてしまった。
照りつけるカリフォルニアの太陽やサンタモニカのビーチ、ラスベガスまで延々と伸びる砂漠の道、フェニックスの荒野、ネバダでの灼熱の護摩、シアトルの坂道、いつまでも暮れない夏、寺の復興と活気、遅くまで語り明かした夜、西海岸の夕焼け。

あの季節、あの海岸に彼女が居れば、全ての記憶は貴女によって慰められたでしょう。 

全ては僕のせい。過ちは痛みをもって裁かれる。

僕の心が伝心したのか、助手席のザキスが「死にたい」とつぶやいて、窓の外に向かって吼えた。

朝のうちに高野山を発って、砂丘についたのは夕暮れ時だった。
砂丘の数十メートル先が急傾斜になっていて、その先が見えなかった。
二人とも奇声をあげながら、そこに向かって走った。
僕は足が縺れて、勢い良く斜面を転がった。
前を走っていたザキスが吹っ切れたように笑った。

そうして砂の上に転がって何時間も波の音を聞いていた。
ザキスがどこかへ歩き去った後も、独り砂の上に寝転んで海の息遣いを聞いていた。

彼女(俺)たちはまた他の誰かに恋するだろう。
それは、その時は受け入れるのが辛いことかもしれないけど、多分彼女たちは、その恋が実ったら、また次の恋をすると思う。
それは、彼女たちが幻想に恋してるからなんだと思う。
恋に恋焦がれ、憧れに邁進していくんだと思う。
両想いの絶頂にある時でも、違和感と不信感がぬぐい切れなかったのもそのせいだったと思う。
そういう人はきっとこの先もそうして恋を繰り返していくんだと思う。

そして、俺は多分そっち側やないと思う。
そんな簡単に好きになった人を忘れたり、傷つけたりできないし、もっと確かな信頼を築きたいと、そう思えるようになったから。
「恋」は、「愛」に昇華させないと虚しい。
愛を知った俺らは、新しい恋に夢中になって、すっかり様変わりしてしまった人たちに対しては、「またまた。勝手にすれば」と思うしかないと思う。

僕は起き上がって、砂地に足跡をつけないように歩いてみた。
しかし、無様な足跡はどうしてもどこまでも続き、消すことはできなかった。

最後に、僕は確かに彼女を愛していたと思う。
僕(彼女たち)はそう伝え続けてたけど、結局わかってもらえなかったし、欲しいものは得られなかった。

流した涙はかなしいほどに透明だった。
その透明な涙は、頬を伝い、心まで綺麗に洗い流してくれただろうか。

いつしか月明かりの寂しく照らす穏やかな丘の上から、寄せては返す波の音を聞いていた。
宙を舞う光の粒子たちが、限りない祝福と永遠の惜別を贈る。

さよなら。

さよなら。

ゆっくりと目を閉じた時、全ての記憶と存在を運び去るかのような風が、ゴウと体の中を吹きぬけ、砂山を走り抜けていった。
風が過ぎ去った後、そこには誰の人影も見受けられなかった。

ただ畢竟の星露だけが静かに砂の丘を濡らしていた。

Fin

take my GREAT DAYs<その後> BIRTHDAY

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2005年12月、日本に帰国した。

3年ぶりの我が家は普請もあらかた終えていて、全く見知らぬ家のように思われた。
荷物を下ろしたその足で本山の事務課へ行き、アメリカの開教の現状をありのまま報告した。

部長は、フンフンと頷きながら僕の話を聞いていた。
しばらくして、一枚の書状が運ばれてきた。
解任状。これが本山から僕への回答なのだ。
僕はそれを受け取り、「帰国してまず何をしたい?」との間抜けな問いに、
「ただ、ゆっくりしたいです」と笑ってみせた。

大晦日の晩、彦根の信者の爺様が亡くなった。
再会できることをいつも励みにしていたと聞いた。
もう一日生き延びていてくれれば再会できたのに・・・。
無念の気持ちを抱えて彦根に向かい、枕行をあげた。

正月の三日間はそのまま彦根で過ごした。
畳に転がってチャンネルをまわせば、日本はどこもまれに見る大雪だと報じられていた。
雪で押し潰された家が映され、家主の年寄りが放心したように、これからの生活への不安をうったえていた。

それから一週間して、Kが日本に来た。
Kのたっての希望で京都を旅行し、最後の日に大喧嘩をして僕らは別れた。

高野山に戻ってから、僕は念願通りぐうたらと過ごした。
世話してくださった方々へ挨拶にも窺わず、今後のことを働きかけもせず、ただ考え事をしながら日々を過ごした。
アメリカでの3年の月日のことを何度も何度も夢に見た。

僕は、開教師としての布教の使命を感じ、アメリカに渡った。
しかし、どこでも一向に必要とされなかった。
その理由が分かった時、なんとも情けない、やりきれない気持ちになった。
要は、誰も開教師にそんなことを望んではいなかったのだ。
太った豚のように、上司のいうことにハイハイと従ってさえいればそれでよかったのだ。
禅宗の小島さんや浄土宗の豊田さんのような才能も志もある人が野晒しにされていたのは、アメリカの開教魂がもはや過去の産物と成り果てていたことを如実に語っていた。

つまりは、この熱い魂こそが、もはや場違いであったのだ。
「開教師」という肩書きにすっかりのぼせ上っていたが、冷静になってみれば、ただの「寺守」じゃないか。
せめて早く引き上げてきただけでも良かったよ、と自嘲した。

2006年の始め、僕は怒れる塊だった。
さんざん酷い目にあわせくれたロスの豚とシアトルのゴキブリが今も何の裁きも受けないまま、のうのうと暮らしていることが許せなかった。
二月のある日、とうとう思い立って本山の寺務所に向かった。
生憎、目当ての部長は留守だったので、翌日もう一度足を向けた。
そして開口一番、高野山LA別院の開教師がマリファナをやっていることを申し立てた。
アメリカ開教の実情も事細かに報告した。そうせずにはいられなかった。

長い報告を受けた後、開教部長は、
「そりゃ、いけませんなぁ」と言った。そして、
「それで、彼は何か問題を起こしてるんですか?」
「・・・はぁ?」まったく肩すかしをくらった気になった。
こっちは、2ヶ月もの間、言うべきか言わざるか、悩みに悩んで、思い立って直訴しにきたのだ。
それを、たった一言「そりゃいけませんなぁ」で片づけられてたまるか!
「問題」というなら、麻薬をやっているそれ自体が問題じゃないのか!?何言ってんだ!?しっかりしてくれ!

しかし、その後も会談はただ坦々と流れ、「なんとかできないものですかなぁ」を連発して面会は終了した。

さんざん辛酸を舐めてきた俺の思いや、存在そのものがまとめてゴミ同然に捨てられたように感じた。

「俺は、仏教徒として、間違ったことはしてこなかったつもりだ。
なのに、なんだこの結果は?
なぜ、俺が寺を出ることになり、奴らはなんの裁きも受けないのだ?
〈善因善果・悪因悪果〉じゃないのか?
仏法はどこへ行った?」

これまで信じていたものが全て崩壊していくのをおぼえた。
それは、人として正しく生きたいと願う心であり、人を信じ、人の心の仏性を信じ、仏法を守り、坊主として生きることの請願であったかもしれない。

考えてみれば、歴史的にもそうだ。
秦の始皇帝は暴虐と私欲の限りを尽くしながら大往生、清貧を貫いた顔回は憤死、誠の旗の下に土方歳三は戦死、一方で信義を翻した榎本武揚が新政府の大臣となり、現在においてもブッシュは正義と徳でアメリカの大統領になっているわけではなく、小泉も清廉と潔白とは程多い下衆じゃないか!
政治家もそうなら、一般人もそうだ。
低脳で恥知らずな馬鹿どもの、モラルの欠如した愚かな行いに対し、応酬するのは同じ下衆であることに変わりはない。
憎しみは憎しみしか生まない。右の頬を打たれた時、左の頬を差し出す者は尊い。

しかし、それでは、殴った輩は殴り得じゃないか!?
彼らは良心の呵責をもって、罰を受けることはない。
彼らはその愚かさゆえ、罪の意識は猿の脳みそほども感じていない。
虐められる者の苦痛は、虐める者にとって最高の蜜であるのだから。

これこそが、この世の真実じゃないか!
仏教の説く「善因善果」なんて、デタラメじゃねぇか。
「正直であれ。誠実たれ」なんて、大嘘もいいとこじゃないか。
素直で誠実で、得することなんて何一つない。
正直者は、この世ではバカを見るだけだ。

そう考え至った時、心の底から、この不浄な世の中に嫌気がさした。
誠実であろう、正直であろう、と努めてきた己が馬鹿の見本に思えた。
もう誰と関わり合いになるのも御免に思えた。

「誰も言わないけど、結局、狡くて悪どい者が得するんだ。
それを否定する奴は、裏では真面目な人を騙して甘い汁を啜ってやがる同じ穴の狢だ!」
気持ちのおもむくまま毒づいたら、ある人が教えてくれた。
この世の不浄を悟りながら、それでも清く生きた先人たちのことを。
たとえ今世に報われなくとも、なおも語り継がれる魂のことを。

わかったよ。俺は強くなるよ。孤独じゃないもんな。
僕は、自分を哀れむのを辞めて、重い腰をあげて表に出た。
この世の不浄と、捨てられる者の痛みと罪を知り、自分だけは清く正しく生きたいと願った。
欺瞞と不信にまみれて生きるより、そのほうが楽しいということもわかった。
別に人がどうだろうが関係ない。
なんだか一回り強くなった気がした。

3月に入り、静岡の弟に会いに行った。
僕の話を聞いて彼は、
「そうやなぁ。俺もそんな時期があったなぁ。激しく人を憎んで、社会を憎んで、怒りまくったり、白けまくってみたり。俺らは結局、高野山育ちやん?しかも、あの家庭やん?ちょっと人のやさしさに触れたら、すぐ『他人はやさしい!』って感激してしまうで。それで、人を信じて裏切られて、傷ついて。
でもな、いくら悪態ついてみたって、憎んでみたって、優しい人は確かに居るよ。たった今でも心から俺らを信用して案じてくれてる。
つまりな、世の中には、確かに心のない、平気で人を殺すような恐ろしく冷酷な人も居る。しかしまた、本当に優しい人たちも居る。
要は、『人を見る』ということちゃうかな」

そうか、そうか。おまえも苦労してきたんだな、と深く頷いた時、日付が代わり、僕は28歳になった。

電話で祝福されて、初めて自分の誕生日を知った。
その途端、自分でも予想できなかった感動が胸に広がってきた。

ある冬の朝、東京都足立区のある民家で、主人が新聞を取りに表に出ると、庭先に一人の青年が半裸で転がっていた。
すぐさま警察に通報され、病院で青年の死亡と身元が確認された。
カリスマ・ロックシンガーの尾崎豊。27歳だった。

1969年、ジミ・ヘンドリックスは、27歳でオーバードーズで帰らぬ人となった。
同年、ジャニス・ジョプリンも自宅アパートで25セント硬貨を握り締めて死んだ。
死因は同じくオーバードーズだと言われている。
ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズもまた、同じ年、27歳で死亡。
1994年には、カート・コバーンが猟銃自殺している。彼もまた27歳だった。

大人を受け入れることなく逝ったロックスターたち。
「27歳を過ぎれば、もう子供じゃない」
きっと、死んでいった彼らはそれを鋭敏な感性で感じていたことだろう。

生きていくためには、賢くならなければならない。
それは、ときに狡猾で、不浄なこの世を受け入れ、渡っていくという決意だ。
彼らは死を選び、僕は大人になった。

向こう見ずで命知らずな季節を生き抜き、僕はまだ生きている。
今、こうして無事に28歳を迎え、今度は30歳にも手が届きそうに思う。
そしてその先の40歳、50歳も夢の話ではないだろう。
そうしてこの先何十年も生きていくことがビジョンできる。
10年、20年という大きなスパンで人生を捉えることができる。
「今しかない!」と生きてきた僕にとって、大きな転換だった。

生き延びた僕には、未来がずっと先まで開けている。
これまでにない視野と意識で未来を描くことができた。

そして、自分がとんでもなく変わったことを感じた。
アメリカに渡ったのは、他人より一歩先へ出たかったから。
それから3年間、僕は、ずっと人より秀でること目的としてきた。
肩書き、見てくれ、そうしたものを執拗に求めてきた。

でも、それは悲惨な道程だった。
頑張れば頑張るほど、自分は見えなくなり、孤独と虚しさが誰の声も聞こえなくなるほど胸に迫っていた。
LAで一人の女の子に弱さをさらけ出せたこと、それでも愛されたこと。
シアトルに来て、自分の寺を持ち、夢を叶えたこと。
努力し、達成したこと。
自分を鞭打つような日々をようやく終わらすことができた今、「もはや外に求めるものなんて無ぇなぁ」と感じた。

自分は全てを持っていた。
いや、それはもとよりあったもので、自分がそれに気づかなかっただけだったのだ。

次は何をしようか、と考えた。
もう欲しいものなんて無ぇなぁ。
思い焦がれた憧れはその姿を無くし、手にしたものはただの憂鬱だった。

孤独の丘に、冷たい風だけが吹いていた。
この世の全てが空しく、はっきりと見えた。
それは、あたかも、生の終わりのような静けさだった。

どうせ、やり終えたらまた、この虚しさだろ。
何やろうが結局一緒じゃねぇか。

人は、この寂しさから目をそむけようと、必死で虚しい欲求に自らを駆り立てている存在なんだろうか。

しかし、僕は覚ってしまった。
全てが「死んだら白紙」。

身を焦がさんばかりに燃え上がった情熱も、狂おしいほどの愛しさも、殺したいほどの憎しみも、全て消え去って灰になる。

空しくて、寂しくて、どうしようもないよ。

「所詮、『死ぬまでの時間潰し』だ」内側で声がした。

そうか。なんだ、そうかよ。そうだ。それが真理だ。
いかなる情熱も葛藤も無意味で馬鹿らしいよ。
わりきっちまえば、かえって清々しいじゃねぇか。

独りで生きて、虚しく死んでいくんだ。

でも、

俺は寂しいんだよ。
自分は独りだと悟った途端、寂しくて、やるせなくて、堪えられなくなる。

俺が生きたこと、俺の想いが、誰の目にもとまらず消えてしまうことを思うと、寂しくて気が触れそうになる。
絶望で胸が詰まって、息ができなくなる。

眠れない頭の中、重い旋律が響いてくる。

take my way...take my way...
僕だけの生き方を take my GREAT DAYs!

シアトルの寺<最終話> 愛と死の遍路 vol.17 宙(そら)に帰る

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トミーの奥さんが亡くなった。

訃報を受けたのは朝だった。
事務的なトミーの応対がかえって悲しみを感じさせた。
電話を切ると、Kは青白い顔をしていた。
それでも何も言わず荷物をまとめ、飛行機の便を手配してくれた。
ロスに来て以来降り続いた雨がようやく上がり、キラキラと光の踊る海を見ていた。

その日の夕方、僕らはシアトルに帰った。

トミーの家を慰問したのは、それから4日後の水曜だった。
奥さんは白木の箱に入って帰ってきていた。
「もう、涙も枯れ果てた」トミーが、魂の抜けたような顔で笑った。

僕は、押しつけがましくならないよう配慮しながら、霊前への供養を申し出た。
トミーは快く承諾してくれた。

別室で僧衣に着替えながら、トミーが約束を果たしてくれたことを感じ、その気持ちに精一杯応えたいと願った。
印を結び、加持力を高める。

廻る、廻る、人の世。全て消え去る宿世の因果よ。
寄方なき十方世界よ。

よどみに浮かぶ泡沫は かつは消え かつ結びて 久しくとどまること無し。

知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。

だからこそ、無常なればこそ、せめて約束だけでも守りたいんだ。

法要には、小杉さんとKも列席した。
位牌に三礼し、前讃、般若心経(この世の「無体」を説く)を読み上げ、死者を涅槃へと導くとされる光明真言を唱えた。
つつがなく修法の後、列席してくれた衆に頭を下げた。

「死んだ人を"仏"とも呼びます。苦しみのこの世を離れ、怒りや悲しみ、貪りなどの煩悩の起こらない世界、それはまさに仏の境地であるからです。
死んだら、人は皆"成仏"するのです。
それでも、成仏できない場合もある。それは、一つは、死んだ者がこの世に未練を残している場合。もう一つは、生きている者が死んだ者に未練を残し、成仏させてあげない場合です。
誰だって、悩みや痛みや不安から放たれて、安らかに成仏したい。
生き残った者に課せられていることは、死んだ者を往生させてあげること、そして安らかに逝かせてあげることなのです」
トミーは神妙に頷いた。

最後の約束を果たせた今、シアトルでの全ての任務がそっと終えたのを感じた。
数日前には神護寺の大工Uから詫びの電話があった。
あの騒動の後日、現場で足を踏み外し転落、足を骨折し、松葉杖に頼る憂き目にあっているそうだ。
相方のYも突然の不幸に見舞われ、日本に帰るのを余儀なくされたという。

神の計画か、因果の理か、はたまた人の世の僻事か、人間の織りなす様々な色模様を思った。
意味もなく生まれてきては、ただ死んでいくだけの命。
なのにこんなにも、せめぎ合い、憎み合い、育み、愛し合い。悩み、苦しみ、傷つき、学び、いくつもの出会いと別れを繰り返し、僕ら大人になっていく。

そして俺は、俺たちは?

トミーが夕食を振る舞ってくれた。
食事の席で、トミーは内々の無念を打ち明けた。
「最期まで儂ら家族が看たんや。最期は日本で、と本人が望んだから無理を押して帰らせた。
そしたら、向こうでは満足な治療も受けさせてくれん。こんなに痛がっとる者に鎮痛剤の一本も処方してくれん。
見殺しにする気か!と、怒鳴りつけて引き取ってきた。
それが、今更、遺骨は日本で引き取るだの、アホウ抜かせ」
「・・・・・」
「それでも、女房の遺言や。形見分けに、儂は日本へ行こうと思うとります。そうするとなぁ、ヨメも喜んでくれると思います」
「ご愁傷様です」
「儂は、それからアラスカへ行く。これは子供と相談してみんことにはどうしようもないですが、アラスカのホテルから、シェフとして来て欲しい、とオファーが来とるんですわ。アラスカで料理の腕一本でのし上がってゆく気です」
「それはまた、大きな挑戦ですね」
「ああ、本当はね、儂の我儘なんですわ。もちろん、子供にも金の心配させへん。これはね、男の夢なんですわ」

和尚もアラスカへ来た時は、一番美味いもの食わしたるで、そう言った目には確かな生気があった。
そう、彼女は死に、僕らは生きている。
今を生きる者には、どんな悲しみも苦難も乗り越え、未来を担う使命と権利があるのだ。

夕食後、トミーと庭へ出て枯葉を掃き集めた。
「ヨメが好きだったんだ。こうして焚き火するのが」
葉はたっぷりと湿っていて、なかなか火がつかなかった。
何度も何度もライターを擦った。しばらく苦心して、やっと親指ほどの火が点いた。
「和尚、今日はわざわざ来てくれてありがとな」
「友達じゃないですか。当たり前です」
「かあちゃんは、明日、日本に帰るんや。向こうで正式に葬式する。でもな、今日のは小さいがええ葬式やった。ヨメも喜んでると思う」

「死んだらどこへ行くか、話していいですか」
「聞かしてもらいましょう」と、トミー。
「僕らの意識は、時間と空間を瞬間に飛び越えることができます。それは、体験からもよくわかるでしょう。僕ら思い起こしたり、想像したりするだけで、過去や未来、外国やおとぎの国まで、いつでもどこでも行けるんです。
では、なぜそれが現実で無い、と自覚するのか?それは、肉体があるからです。肉体が有る限り、空想は空想で、現実世界において僕らは"此処、此の時"に居ります。
しかし、死によって肉体を離れた魂(意識)はどうでしょう?自由に行きたい時、行きたい世界に行けるそうです」
「なるほど」
「奥さんの魂はこれからも変わらず側にいます。トミーさんが、子供たちが呼べば、必ず答えてくれます。死は、別れじゃないんです」
「そうか」

燻っていた枯葉は、燃焼点に達すると、一気に燃え上がった。
「カアちゃん、疲れたろう。もう痛くないで。よかったなぁ」
トミーがむせび泣きながら枯葉を焚べ続けた。
驚くほどの煙が出て、目が痛くなった。

その時、煙を巻き上げながら魂が虚空に昇っていくのが見えた気がした。
トミーも確かに見たのだ。昇っていく魂にトミーがやさしく呼びかけた。
「飛んでけ、飛んでけ。今までありがとう」

梵火をかき回すと、炎が赤々と天を差した。
見上げた先には、無限の宇宙が、漆黒の口をぽっかりと開けていた。
まるで、一切をドロドロに溶かしたような超重量のその穴に向かって、全ての命が落ちていくような錯覚をおぼえた。

Fin


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