2011年08月25日

お知らせ

礒邉自適さんの毎日のメッセージは

「約束を護る」
http://green.ap.teacup.com/20060818/







  

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2009年12月31日

本当の大晦日

6d0947da.jpg    本当の大晦日

                       21・12・31

本日は新暦の大晦日であるが、旧暦の11月16日で大山祇神の月祭りの日でもある。今日は、今年の「締め括り(冬)」の日であるので、此の1年を振り返って考えて見ると、今年最大の屋久島の出来事は、47年振りに皆既日食が有った事である。

私の子供の頃に、屋久島で日食が有り、ガラスに煤を着けて太陽を見た記憶が有る。しかし、今回の皆既日食では、夜の様に暗く成る現象は体験できたが、生憎の天候で、日食を観測する事は叶わなかった。しかも、近くの悪石島では、其の時間帯に大雨と強風が襲って、皆建物の中に逃げ込まなければ成らない事態と成ったのである。

其の原因を考えて、私はある結論に達した。其れは、皆既日食とは、太陽を月が全部食ってしまう現象を言い表しているが、其れが起きているのは、太陽や月が舞台ではなく、地球での出来事である。其れに、皆既日食が見えなかった原因は、太陽と月は、全く関係なく、地球に雲が発生したからである。

其れを考えると、皆既日食の儀式で祭らなければ成らない物は、太陽や月ではなく、此の地球であると言う事に成る。そして、其の地球の雲や風(低気圧)を起こしている働き・神様こそが、「大山祇神・おおやまつみかみ」の存在なのである。
だから、今回、皆既日食の時間帯だけ嵐が襲ったのは、大山祇神の働きが動いて、自分の存在を示して来たモノ・現象なのであろう。

何故、私が其の様に考えるかと言うと、私が25年前、此の神の世界に入った時に、今回、皆既日食のイベントが行われた高等学校の野外ステージが有る、平内(屋久島の真南に位置し東経130度30分)の、反対側(真北)の矢筈岬において、私がある儀式をすると、大空を急に黒雲が被い、大嵐に成った事が有ったからである。そして、其の夜、テレビのニュース番組の天気予報では、天気予報官の男性が「今日の天気図で 何故 嵐が起きたのか 原因が判らない」と云って居た。

其の現象と、人間の存在の関係を考えると、「人間の行動や意志」と、「地球の天候の間」には、「大山祇神の働き」が関係している事に成る。其の理・ことを考えると、今回の皆既日食で、其の時間帯だけ天候が悪化したのも理解できるし、古代から、雨乞いの儀式が行われて来た事の意味も理解できる。

其れに、大山祇神の働きは、海原に在る時は「海神・わだつみのかみ」である。其の「海原」を治める神は「素戔鳴尊・すさのおのみこと」である。そして「素戔鳴尊」は「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が禊ぎをした時に、伊邪那岐命の鼻から生まれたとされているので、鼻は「息吹・いぶき」にも関係が有ると言う理・ことに成るだろう。

「伊邪那岐命」の禊からは、「素戔鳴尊」より先に、左目から「天照大神(昼の世界を治める働き)」が生まれ、右目からは「月調命(夜の世界を治める働き)」が生まれた事に成っている。「天照大神(昼の世界を治める働き)」とは、人間の「視覚」の働きを意味しており、「月調命(夜の世界を治める働き)」とは、人間の「聴覚(耳・膚)」の働きを意味している。そして、鼻から生まれた「素戔鳴尊」の働きは、人間の「臭覚」の働きを意味しているのであろう。

何故なら、臭覚神経を切除すれば味覚は消えてしまい、舌は、ただ甘いか、辛いか、渋いかを感知するだけで、美味しい・旨いの感覚を感じなく成るからである。だから、食べ物の神である、熊野大社の祭神の「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」は「素戔鳴尊」の別名であり、其の子供の「保食神・うけもちのかみ(受け餅の神)」や、「稲荷神・いなり」や、外宮の「豊受神・とようけのかみ」は皆、食べ物の「気・ケ」なのである。

だとすれば、確かに、天皇家の神が「御饌殿神・みけどののかみ」で、台所の「食べ物・みけ」である理・ことの意味も理解できて来る。其れに、竈・かまどの神である「荒神様・こうじんさま」も「素戔鳴尊」であるとされている。
其れと、出雲の「熊野大社」が受け取る餅(うけもちのかみ)は、「出雲大社(杵築大社・杵で餅を搗く社)」で搗いた餅が、運ばれる物である。
「熊野大社・受餅の儀式」
http://moon.ap.teacup.com/applet/20051112/200603/archive

日本で、何故、年の暮れに「煤払い」の行事が行われるかを考えると、ユダヤ民族の風習で「過ぎ越しの祭り・Passover・パスオーバー」に食べる、「マッツオー 」と言う「種なしパン」を作る為に、屋内の菌類(麹菌)を全部、屋外に払い出す為に始まった風習・行事なのであろう。其の様に考えると、日本の気候は雨が多いので、小麦が育ち難く、稲作が合っているので、パンが餅に変ったのであろう。
そして、「過ぎ越しの祭り・Passover・パスオーバー」の「パス オーバー」の言葉こそ、大晦日の言葉の概念の始まりなのではないだろうか。其れに、「みそか」の日本語は、「密か・みそか(ひそやかだ・内緒だ)」との意味なので、ユダヤ文化の「過ぎ越しの祭り」の雰囲気にも、日本の「大晦日」や「新嘗祭」等の「宵宮祭」の様子にも合っている。

さて、大晦日である本日のメッセージの映像は、食に関する2つの場面が現れた。
1つは、誰かが電動ミキサーで「ニガウリ・ゴウヤ」の生ジュースを作っている映像が映し出されて来た。私は其れを見て、右側に立っている姿の見えない年上の男性に、「ニガウリは 硬いまま食べるのが 健康・食養の道には適っているのにね」と云って居た。

そして場面が変り、今度は薬草を水薬・シロップにするか、粉薬にするか、飴玉にするかを検討している場面が現れて来た。

其の今朝の映像から、私は世界中に「マクロビオティック ・Macrobiotic」が拡がる元を創り出した、「桜沢如一・さくらざわゆきかず(1893年10月18日 – 1966年4月23日)は、思想家・食文化研究家。マクロビオティックの提唱者として有名で、海外ではジョージ・オーサワ(George Ohsawa)の名で知られている。」の事を、思った。
何故かと謂うと、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に入った時に、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、其の御霊の中で、最初に表に現れて来たのが、其の桜沢如一の霊魂だったからである。そして、「噛め 噛め」と何度も云って来るのである。

最初は、其の痩せて出っ歯の老人が、誰なのか判らなかったのだが、後に、桜沢如一の言葉に「噛め 噛め 噛みながら 神の国へ」と有り、師の自宅に桜沢如一の写真が有ったので、私が「此の方は 父親ですか」と訊ねると、師が「此の人が 桜沢如一だ」と教えてくれたので、最初に私の身体を使い始めたのが桜沢如一だと判ったのである。

其の、「桜沢如一」の霊魂の次に、私に下駄を履かせて毎日歩かせたのが、昨日の文章に書いた「出口王仁三郎」だったのである。其の、2人の現れ方の順番から考えると、今年の大晦日に向けて、私に起きた「御霊の思頼・みたまのふゆ」現象は、収拾されて来ている理・ことに成る。そして、今朝のメッセージに現れた映像を解読すれば、私に起きた「御霊の思頼・みたまのふゆ」は、全て消去されて、私は25年半前の意識状態に還元・復元するとの事ではないだろうか。

しかし、そうであったにしても、私の25年半の意識の旅の記憶が、全部消去される譯・わけではない。何故なら、25年半の家離・たびで様々な体験をしたり、多くの人々と出会い、其の人達との付き合いが今も続いているし、思い出と成るアルバムも60冊を超えているし、澤山書いた文章も残っているからである。

其れに25年前に、仕事を全部止め、自分の家族や財産を捨て、人々との繋がりや生き方などの個人的情報を切った私が、現在では宇宙を抱え込んでおり、神々や霊魂を友達にしており、多くの情報の管理をさせられているのである。
そして、最後の情報分析が、今朝のメッセージの映像に付いてなのであろう。

其の様に考えると、今朝のメッセージの映像は、桜沢如一の世界で留まるのではなく、中国の「神農さん」の世界にまで遡って、考えなければ成らないのかも知れない。何故なら「神農」は、「百草を嘗めて効能を確かめ、諸人に医療と農耕の術を教えたという。農業と薬において甚大な貢献をしたため、中国では“神農大帝”と尊称されていて、医薬と農業を司る神」と、されているからである。

若しかしたら、今朝のメッセージの映像で、私の右横に立って居た姿の見えない男性は、其の神農さんの御霊だったのかも知れない。
・「神農」は紀元前2740年ころの古代中国の王で、120歳まで生きたといわれている。世界最古の本草書「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」に名を残している。

今朝の場面で、私が感じた理・ことは、苦い事が特徴である「ニガウリ」を、硬いまま齧るのは若い時であり、齢63歳と成る私には、もう無理に成って来ている理・ことを意味しているのではないだろうか。其れに、私も自分の年を考え、消化の良い物を食べろとの理・ことだろうか。

私は、子供の頃から、硬い砂糖キビを齧り、椎の実や、スルメや、寒干し大根(漬物)等を噛んで、顎・あごを鍛えて来た。其のお陰で、神の世界に入って修行をし、最後に悪魔(校長先生)が現れて、卒業の試しを行った時も、奥歯を噛みしめて、其の幻覚に耐える事が出来たのである。

其れに、「良薬は 口に苦し」との言葉が有るが、其れも考え直せとの事なのかも知れない。何故なら、食べ物も肉体の有り様も、昔とは違って来ているので、現代の食事や体質に合わせた遣り方・処方箋を、構築しろとの事ではないだろうか。確かに、幼子の口に苦い薬を与えても、飲み込まないのは確かであるし、甘い飴玉に薬効が含まれている喉薬は人気が有るし、漢方薬にも甘草が混ぜられ飲み易く成っている。

其れに、食べ物でも、身体に不足している栄養が含まれている食物は、美味く感じるものである。だから、既に病気に成って、仕方なく薬を飲まなければ成らない人には、「良薬は 口に苦し」との考えも良いだろうが、食養・養老の世界で楽しく生きて行く為には、口当たりの良い食事方法も考えなければ成らないのであろう。

其れを考えると、日本の「懐石料理(精進料理)」の世界は、世界に誇れる伝統文化であると言えるであろう。其れに付いては、阿蘇の「日宮幣立神宮」の神域に有る地球平和道場に宿泊している時(平成元年9月3日午前3時33分)に、聖徳太子の御霊から「臨済から始める」と告げられた事が有るので、是から未来社会を創造するに当たり、一番大事な理・ことが今朝は知らされて来た事に成る。
「是からが本番」http://green.ap.teacup.com/20060818/465.html

其の様に考えると、現在、屋久島の小島地区に建設されている、薬草園「仮称 鈴川いのちの郷」は、未来社会創造にとって一番重要である理・ことが改めて自覚できてくる。やはり、是から始まる新しき価値観の創造は、日本の伝統である「食国の政・おすくにのまつりごと」に的を絞って行かなければ成らないと言う事に成る。
其の様に考えると、「過ぎ越しの祭り・Passover・パスオーバー」のユダヤ文化は、日本文化の基礎に成っており、大国主命が「饒速日命・にぎはやひ」に「政・まつりごと」を譲ってから、日本の風習が縄文文化(蝦夷・えみし)から、弥生文化に移行した事の理由が解けて来た様な気がする。

そして、南方から伝わって来た「タベ 物(タベ・木の実や タロイモ等の乾燥物を 石臼で引いて 粉にして練った食べ物)」から、シルクロード経由で伝わって来た「マナの文化」の、羊肉などを「まな板」に乗せて切る食事法が、日本に定着したのであろう。

今日は、明日の元旦に向けて、「神前・仏前」に食べ物が供えられる。其れを作る人間は「板前・いたまえ」である。其の他にも、「前」の付く言葉は「人前・門前」等が有り、人間の立場が明確にされている。其れに、人間の立場・意識を自覚させる言葉に、「父上・母上・兄上・姉上・叔父上・伯母上」等の「上・うえ」が有る。

人間は、其れ等の、自分の感覚器官の中心が何処に有るのか、其れを忘れてしまえば、除夜の鐘を突いても、初日の出を拝しても意味が無い。今日のメッセージで、人間の記憶・メモリーは古い方が奥に有るので、消えて行くのは後に成るとの理・ことを再確認
した。其れは、病気が癒されるのも浅い方からであり、長患いの病気の方が後に治ると言う理・ことである。其れは、古い記憶・メモリーが底の方にこびり付いているからである。

其の意味でも、ハワイの「ホ・オポノポノ」の癒しの効果は、先ず自分のメモリーが消えてから、人類の古いメモリーが浄化されて癒されて行くとの理・ことである。だから、私の夢見の世界は、潜在意識に浮かび上がって来る「メモリー・御霊の思頼・みたまのふゆ」を、浄化しているのであろう。其の様に考えると、今年の除夜の鐘の音は、私にとっても特別なモノと成るのかも知れない。

                                                             平成21年12月31日

                                                                    礒邉自適
  

Posted by jiteki129 at 16:01 神のメッセージ 

2009年12月30日

除夜の鐘と初詣

5b97f716.jpg   除夜の鐘と初詣

                      21・12・30

今朝も、宿舎から事務所に向かって歩いて居ると、不思議な事に、昨日と同じ場所で、今度は右足の股関節が痛く成って、歩けなく成った。
私は、変な事があるものだと意い、其の場所を確認すると、「武子・たけし」氏の畑の前である。「武子・たけし」の名前は、武子氏が生まれた時に、大本教の「出口王仁三郎」が直接名前を付けてくれたと言う事である。

何故、其の「武子氏」の畑の前で、二日連続、足が痛く成って歩けなく成ったかを考えると、出口王仁三郎の霊魂に関係が有るのだろう。
私は、25年半前に此の世界に入った時に、安房川の岸辺で無庵師匠の手にてバプテスマを受け、4311体の聖霊に満たされて、荒野を彷徨ことに成った。

其の時に、二番目に、私の体を使い始めたのが、其の出口王仁三郎の霊魂であり、私に下駄を履かせて、毎日歩く訓練をさせたのである。

何故、下駄を履かされたのかは、後に、旅の途中で、京都府亀岡市に在る湯の花温泉の「憩いの家」に辿り着いた時に、私の下駄の裏側に付いていて、鼻緒の結び目を被っている金具が、チャラチャラ音を立てていた。
すると、其の様子を見た、宿主である「杉岡半太夫政房氏」が、私に泊まる様に云うので、泊まる事にすると、杉岡氏が部屋に「此の本を 読んでくれ」と云って、一冊の本を持って来た。

其の本は、「さすらの会」を興した故「金井南龍氏」が書いた本で、其の中に、出口王仁三郎が、鹿児島の知り合いである鹿児島出身の政治家・床次竹二郎の弟、「真廣」に出した手紙が紹介されていた。
其の手紙の内容は、「現在の宗教は皆 偽者だ。本物が現れたら 大本も終わりだ。本物は かごめ(鹿児島)から下駄を履いて チャラチャラ遣って来る。」との様なものである。

其の手紙の内容を見て、私は、私に下駄を履かせたのは、出口王仁三郎の霊魂であるのが判ったのである。
「先達・せんだつ」http://green.ap.teacup.com/20060818/874.html

・・今日は、渡邊延朗氏から二回電話が有って話した後、眠く成って来たので事務所のソファーに横に成って目を瞑ると「鴻基始・コウキシ」の文字が出て来た。起きてから、其の「鴻基」の漢字を漢語林で調べて見ると、「大きな事業の基礎。帝王の事業をいう。」と載っている。
どうやら、出口王仁三郎が本格的に動き出す事を告げて来ている様だ。・・・
「鴻基始・コウキシ」http://star.ap.teacup.com/170606/947.html

是までのメッセージにも、何回か、出口王仁三郎の霊魂に関わる事が出て来ているが、王仁三郎は「9月8日に12の秘密が有る」と云っているので、十和田湖で龍神の化身としてビジョンに現れて来た、9月8日が誕生日である「佐藤美佐子」にも、何等かの関わりが有るのだろう。
そして、私の両足に関係が有り、歩き出す事に関わりが有るのなら、是から本格的に「鴻基」が始まるのかも知れない。

今朝のメッセージの映像には、PC画面が現れたが、其の画面には、書式などに関するソフトの印しが付いた枠はあったが、画面事態は空白の真っ白で、中央に、唯一座標を意味する「+」の印しだけが有った。
其れは、新しい価値観と言うか、言葉を書き出す必要が有る事を、示唆しているのであろう。しかし、今朝は未だ、何から書き始めれば良いのかは、未定である。

書いてはいなかったかが、一昨日のメッセージの映像には、ソフトバンクの携帯端末の機種が現れて、其の画面には、赤茶色の文字が書かれていた。
其の内容に付いては、解らなかったが、是からの文化は、PC端末無しには考えられないとの理・ことなのかも知れない。

そして、今朝現れた、座標の有る、真っ白な画面は、其処に書き出された事が、全世界に発信されるとの事であり、人類の新しい指針と、成るとの事ではないだろうか。

其れに関しては、是までにも、何回かメッセージが来ており、25年前の1984年6月には「水素原子管理」と「四次元プログラム」と言う二つの組織・情報網が必要である事が示され、私は「事象の特異点」であり、新しく神が未来を創造する為の「座標軸」である、とも告げられている。

今朝、映し出されて来た、真っ白のPC画面は、愈々其の事が、本格的に始まるとの事なのではないだろうか。

今朝は、其のPC画面の後に、キリストと成る男の子を、膝に抱いている「母親・マンママリア」の姿が現れた。
私は、其の姿を見て、其の男の子は自分であり、マリアは自分の母親であると感じていた。其の感情は、自分が「メシヤ・キリスト」である事の自覚と、両親への感謝が、入り混じった様な感覚であった。

そして、私の意識が感じていたのは、宇宙には意志は在っても、人間だけに対する情報は無く、宇宙の意志は、質量的に、地球生命全体に向けて発せられていると言う理・ことである。
だから、人類だけに対するえこひいきは無く、地球生命全体の調和を図る事が、神の愛であり、慈悲であると言う理・ことである。

其れが、「阿弥陀」や「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の意志・存在であると言う事なのだ。
だから、人類が、如何に、地球生命全体と調和して行けば良いかのプログラムを創出するのが、人間の男性の代表である「救世主。メシヤ。キリスト。マイトレーヤ(有情菩薩)。弥勒菩薩。」の役割なのである。

だから、「救世主」なる者は、新しい未来社会を、創造する者でなければ成らないと言う事である。
其れは、人間だけの都合を考えるのではなく、「衆生一切(生きとし生ける物全て)」の生命を考える「霊留・ひと」の事である。

今朝は、其の母子の姿を見ながら、自分の身近に、父親の存在を感じていた。私の父親は、45年前に49歳で亡くなって、私は其の時、未だ17歳であった。

其の父親は、霊魂として20年振りに、4311体の霊魂集団の一番前に立って現れ、私に「お前に苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった もう大丈夫だから 此の人達に体を貸せ。だが 仕事だと意うな 遊びだ 遊びだと想って 遣りなさい。」と、告げたのである。

そして、其の日から、私の手足や口は、勝手に動き出したのである。
其の動きの中で、一番目に現れたのが「マクロビオティック ・Macrobiotic」 の創始者である「桜沢如一」で、二番目に現れたのが「出口王仁三郎」で、三番目に現れたのが「宮本武蔵」だったのである。

其の順番の意味は、「桜沢如一」は食の世界で、能く噛む事の修行。
「出口王仁三郎」は足の世界で、正しく歩く修行。
「宮本武蔵」は二刀流であり、左右の腕をバランス能く使う事で、左右の脳の働きを良くする修行だったのである。

其の後にも、ゲーテや、ピカソや、一休禅師や、利休や、松尾芭蕉などの霊魂が、次々に、私の体を交代で使用し、其の在り様を4311体の霊魂が、全部で見詰め、総合的な体験・智慧を積み上げて行ったのである。
そして、或る程度の修行が済んだら「猿田彦神」等の神霊が、私の体を使い始め、全国の旅が始まったのである。

其の、集団の一番前に立って居た父親が、一昨日のビジョンに現れ、自分が建てた実家の家が、完全に燃え尽きている現場に、静かに立って居たのである。其の映像の意味は、父親自身のカルマ・業が、完全に消えた理・ことを示して来たのではないだろうか。

其れは、息子に、家業を無理やりに継がせる事は、父親にとって一番の罪に成るとの理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
子供には、子供の人生があるのである。

だから、日本には「可愛い子には 旅をさせろ」との言葉が在り、男子の成長には「家離・たび」が欠かせない理・ことを伝えている。

日本の神様と成っている人物は、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」も「天津日高彦火瓊々杵尊・ににぎのみこと」も「神武天皇」も、故郷を離れて他国に行き、其処の地主・王の娘を嫁にして、村・国造りをしている。

其れを考えると、日本の神の働きは、新しく国を造り、新しい「政・まつりごと」を始める事にある。
其れは、日本の古事記の物語や、旧約聖書の物語と基本的には同じである。

しかし、現代社会では、もう地球上に未開拓の新天地は無い。
在ったとしても、これ以上、地球の森林地帯を破壊する事は、ご法度・はっとである。

だとすれば、是からの村・国造りは、再生可能な生活環境を整える事を、最大のテーマとしなければ成らないのである。
若し、人類が此のまま、我侭一杯で、地球環境を悪化させて行けば、25日のメッセージに有った様に、神が直接に、電磁波を使って電子機器を破壊し、経済崩壊を起こさせて、人間の活動を停止させるのであろう。
「基督の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/1383.html

今日は、其れ等の事を考えていて、108回鳴らす除夜の鐘の役割に付いて考えた。
「108」の数字は、「12ヶ月×9・苦=108」であり、人間の煩悩の数とされている。

其の数だけ、鐘を突くと言う事は、一年間の記憶・カルマ業の消去を願っての事である。
其れは、日本の神社で行われる「お祓い」の儀式と同じ意味合いが有り、いま人気の有るハワイのヒューレン博士が推奨している、「ホ・オポノポノ」のメモリー消去の世界とも同じである。

そして、大晦日に、白紙と成った自分の意識の中に、新しい情報を注ぎ込む為に行われるのが、初日の出を拝する事であり、神社への初詣である。
其れは、新しい太陽の光・電磁波を受ける為であり、良い結びや縁を戴き、新しいプログラムを入力する為である。

其の様に考えると、大晦日のお寺の「除夜の鐘」と、元旦の神社の「初詣」の行事・習慣は、セットであると言う事に成るだろう。

私には、此処のところ三日連続で、ベッドに横に成って目を閉じると、周囲に霊魂・聖霊が集まって来ているのが見える。
其れは、私の身体に、「伊邪那美命・いざなみのみこと」の身体に渦巻いている事に成っている、「雷・いかづち」八体の神の働きが、「人形・ひとがた」と成って、寄り付いて来ているからかも知れない。

「伊邪那美命」の死の原因と成った、「火の神・カグツチノカミ」の身体から生まれた神は、頭から「マサカヤマツミの神」が、胸からは「オドヤマツミの神」、腹からは「オクヤマツミの神」、陰処からは「クラヤマツミの神」、左手からは「シギヤマツミの神」、右手からは「ハヤマツミの神」、左足からは「ハラヤマツミの神」、右足からは「トヤマツミの神」と成っている。

其の、神の名は皆「○○○ツミ」で、「ツ」は接続詞の「ノ」の意味であり、「ミ」は「蛇・み」である。だから、其れは「大山祇神・おおやまつみかみ」や「海神・わだつみ」と同じく、「み・巳・大蛇」の事である。
其れを考えると、屋久島には、其の「山の巳」が皆集まって来ており、私の身体に反応しているのではないだろうか。

今日は、午前中に、神奈川の高橋智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。其の内容は、筆字で「一」の文字が書いて有り、「はじめ」と読む事が解った。そして、心臓にビリビリと来たので、目を開けて時計を見ると「4時44分」であったとの事。
(此処で、私の右手の薬指に カモ・神の電気信号が来る。)

何だろうと想い、「444」の数字を検索すると、「エンジェルナンバー444」と、澤山ヒットする。

私に、「エンジェル」で思い浮かぶのは、25年前、天柱石が頂上に立っている「太忠岳」に向かって、屋久杉の森を登って居ると、「アンジェルスの鐘を背負え」と、神に告げられた事がある。
後に、「アンジェルスの鐘」とは「ミレー」の絵の、農夫が祈りを捧げている「晩鐘」の事で、アンジェルスとは「エンジェル・Angel・エンゼル」である事が判った。

其の「アンジェルスの鐘」は、日本の「除夜の鐘」と同じ意味を持つ事を意味しており、「アンジェルスの鐘を背負え」とは、私に、人類の煩悩を全て背負えとの理・ことだろうか。
だとすれば、私の歩きは「イエスキリスト」が十字架を背負って、ゴルゴダの坂道を歩いている事と同じであり、負担が重いと言う事になる。

其れは、私が、是から「ホ・オポノポノ」の達人に、成らなければならないと言う事にも成るのではないだろうか。

・「ホ・オポノポノ(Ho'oponopono)」は、ハワイ語で、PukuiとElbertによるハワイ語辞典において「心の洗浄。祈り、議論、告白、後悔、互いの補償と許しによって関係を整える家族会議」と定義される言葉。この言葉は、家族のあるいは個人の癒しの方法を指す言葉として知られる。
ホ・オポノポノは"全責任を負う"ことを原理とする、ハワイに伝わる癒しの方法である。1980年代にモナ・シメオナ(Morrnah Nalamaku Simeona, 1913年-1992年。1983年には本願寺ホノルル別院とハワイ州議会によって、ハワイの「人間州宝」に認定された人物) は、個人で行うための新しいホ・オポノポノを創始し、これをセルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ (Self I-dentity through Ho’oponopono, SITH, ホ・オポノポノによる自己同一性)と名付けた[3]。この実践法は、自らが全責任を負う思想に則っており、モナは"ある人が人生の一切について責任を取るとは、彼が見、聞き、味わい、触れるすべてのことの責任を取ることである。そしてあらゆる経験は、彼の人生に存在するが故に、その人の責任が伴う"と教えた。また"全責任とは、万物が人間の内面からの投影として存在し、問題は外部世界の現実にあるのではなく、我々自身と共にあり、現実を変えるためには、我々はまず自らを変えねばならない"と説いた。またこの実践法はモナの弟子達によってハワイや世界各地で教えられ、継承されている。・・・
ウィキペディア辞典 現在記載

今朝のメッセージは、高橋智恵美さんの分も含め、何かが、新年から始まる事は理解できて来たが、昨日と、今朝の現象で、両足に痛みが来た事を考えると、なかなか大変な事が待っている様な気がして来た。

他人の、煩悩を取り除く為に、何故私が、自分の体に痛みを覚えなければ成らないのかは良く判らないが、自分の体の痛みを少なくする為には、出来るだけ早く、人類の意識の座標と成る理・ことを、書き出して、全世界に発信する必要があるのだろう。

此の、私の役割の重さは、何処の寺院に出向いて、鐘を突けば、取り除かれるのであろうか。
そして、新しい指針と成る情報は、何処の山岳に登って、初日の出を拝すれば、受け取れるのであろうか。

此の様な、愚痴を謂っていると、又何処かに、歪みが来るかも判らないし、セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノの精神に反するので、止めて置こう。

今年は、結構良い年だったので、来年は、今年以上の、良い年に成る事をイメージしなければ成らない。
其れは、多くの人々の支えに拠って、生きて居られる私の、為すべき行為であるのだ。

                                                             平成21年12月30日

                                                                    礒邉自適

  

Posted by jiteki129 at 16:02 神のメッセージ 

2009年12月27日

電磁波の中を飛ぶ翼

a5dd7297.jpg    電磁波の中を飛ぶ翼

                        21・12・27

今朝のメッセージの映像は、解読と説明がとても難しい。
何故なら、私にも初めての情報であり、他の書物でも、其れ等に付いては、触れられていないからである。

今朝の映像は、先ず、ブルーの水の細い流れと言うか、蛇の尻尾の様な物が、岩の中に入って行き、消えてしまった。
そして、其の岩の上に、人体程の大きさの、様々な宝石が寄り集まった塊があり、色々な色彩を放っていた。

そして、周りの空間は赤茶色で薄暗く、電磁気が満ちて、隙間無く飛び交っているのである。
そして、其の赤茶色の薄暗い空間を、電磁波の波動が、鳥の翼の様な形で一つ、此方に向かって飛んで来た。

私は、其の電磁波の翼を見て、アステカ文化の「ケツァルコアトル・羽根の生えた蛇」の事を想った。
「ケツァルコアトル」は、マヤ文化の「ククルカン・括る神」でもあり、日本の「菊理姫」の働きとも通じているものである。

何故、私が其の様に想ったかと言うと、「宝石」は純粋な「ミネラル(希少鉱物)」の結晶体であり、様々な色に輝く人間の形をした宝石の塊は、人間の身体や、他の生命の体を構成している物質を、意味していたからである。
そして、其の身体の仕組みを、組上げている情報は、DNAに纏わる、宇宙の電磁波・磁気情報のプログラムに拠ってである。

だから、漢字の「神」の文字は「電気」を意味しており、日本でも一番古い神社である出雲の「神魂神社・かもすじんじゃ」も「カモス・電素」であり、京都の「上・下加茂神社・かもじんじゃ」も、「カモ・雷(かみなり・イナビカリ)」が祭神なのである。

古い神社の祭神が、そうである様に、古代の人達は、自分の潜在意識で、其の電磁波・磁気情報の働きを見て居たので、「伊邪那美命・いざなみのみこと・イザ波」の身体から、全ての物が生まれたと考えていたのであろう。

此の我々の住む物質世界は、全て、電子の回転で生じており、其の電子の回転で生じた磁気の結び付きで、あらゆる形態・形成場を創り出し、宇宙を膨張させているのである。

其の最先端に、我々人間の大脳の存在があり、其の人間の大脳の中では、シナプスがあらゆる宇宙の情報を、処理しているのである。

そして、其の宇宙の働きを、映し出している人間の脳内に、今朝、電磁波の中を飛ぶ翼が現れたのである。
其れは、此の宇宙に、物を生じさせている力の、源泉の姿なのであろう。

今朝の映像を見て、私は、何故「イエスキリスト」が、奇跡を起こせたのかが解って来た。
其れは、イエスキリストの頭の中には文字が無く、全て、其の電磁波・磁気情報で、イメージを処理出来たからである。

私にも、此の世界に入った当時は、様々な奇跡が起きていた。
そして、自分の脳に浮かび上がる映像・イメージを、毎日無庵師匠に伝えていると、其の情報の意味が理解できる無庵師匠は、頭脳が30分程でオーバーヒートするので、「自適さん もう限界だ。私は 文字なら幾らでも 記憶できるので 文字にしてくれ。」と云った。

其れで、私は仕方なく本屋からノートと鉛筆を買って来て、文字や絵を書き始めた。
其の事で、意識が紙上で整理されるので、三次元世界で、奇跡と成って起きる事が、止まって来たのである。

其の現象を考えると、イエスが生きた社会には、文字が無かったので、イエスの意識にとっては、自然界・現実世界が、其のまま「キャンバス」と成ったのである。

しかし、王様の図書館に勤めて居た、中国の老子の様に、脳の情報を全て文字にて処理できる者は、紙片の上で情報の処理が出来るので、自分のイメージを、外側に奇跡の様な現象を使って、表現する必要が無いのである。
其れは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」や「ノストラダムス」も同じである。

しかし「マヤ文化」は、文字ではなく「絵文字・彫刻」なので、表現方法は中間に位置すると言えるのではないだろうか。
其の、マヤ文化の神は「ククルカン」で、アステカ文化では「ケツァルコアトル」と、呼ばれている。

「ケツァルコアトル」は、中央アメリカに伝わる、神話に登場する主神で「翼のある蛇」と言う意味で、マヤ文化では「ククルカン」とも呼び、風と雷と文化を司った神と言われている。

色々な言い伝えが在るが、単に「雷神」ともされている。
また其の神は、トウモロコシの栽培方法、火のおこし方、暦を教えたとも、伝えられている存在である。

今朝のメッセージの映像場面は、老子の謂う「玄・ゲン」に近い、赤暗い世界であった。
其の雰囲気を考えると、太陽の光線・電磁波が遮られている世界の、「情報網(仏教で言う処の帝釈天の網)」が、今朝現れたのではないだろうか。

其れを考えると、1984年12月に、十和田湖でビジョンに現れた龍神の化身として「紺野美紗子(佐藤美佐子)」が、「パラソル・否触れ・日傘」を要求して来たのも意味が解る。
其れに、「菊理姫・括り姫・括る神・ククルカン」は「伊邪那美命・いざなみのみこと」と「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の結びをした神であり、「天照大神」より高い次元・源である事も理解されて来る。

「パラソル」の使い方と形は、電波塔のパノラマアンテナとは裏返しである。其れを考えても、電波・情報に対する受け取り方が、反対である。
其れは、奈良の大仏の両手が、説法印であり「受信」と「発信」の印を、組んでいる事とも関係が有る。

今朝のメッセージの映像では、私が、自分の寝室のダブルベッドに横向きで寝て居ると、背中に居る私のパートナーの女性が、他の男性と仲良く何かを話しているのである。
私は、知らぬ顔をして、其のまま横向きで寝た振りをして居た。

其の映像が、何を意味しているのかを考えると、私は、此の三次元世界の女性に対して生きていると言うか、存在を続けているが、背中合わせに成っている私の背後霊・守護神は、異次元の男性相手に生きている・存在していると、言う事に成る。

其れを考えると、私の意識体は、裏表の二重構造に成っていて、背中には、四次元世界に意識を向けている女神が、貼り付けられており、私の表側の意識は、此の三次元世界に向いていると言う事に成る。

其れを、形式で現せば「宇宙・情報← 女神・X染色体 = Y染色体・男性・創造力 → 現世・女性・大地」の、関係に成るのではないだろうか。

其の様に考えると、「タオ・道」の世界である「陰陽」の世界や、「ヘルメスの杖」の二匹の蛇や、アステカ文化の祭壇の上で絡み付く二匹の蛇の関係も、理解できてくる。

其の、私の背中に取り付いている女神が、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の化身である「十一面観音様」であり、是まで、私に言葉・マントラを与えて来ているのである。

其れに、白山の「菊理姫神」は、『神仏習合のなかでは、「白山ひめ神」は「白山大権現・白山妙理権現」または「白山妙理菩薩」とされ、本地仏は「十一面観音」とされた。現在の白山ひめ神社は、菊理媛神(白山ひめ神)を主祭神とし、イザナギ・イザナミも共に祀られている。』と、神社の説明には有る。

今朝は、事務所に出て来てPCの前に座って、ニュースに目を通していると、「たかだか 小沢一郎」との言葉が、告げられて来たので、女神のブログを開くと言葉が続いて来た。

其れは、是からの「政・まつりごと」に対しての、私の心構えを、創り出す内容である。
どうやら、私の背中に貼り付けられている十和田湖の龍神は、水の汚染を止める為に、私を嗾けているらしい。
「たかだか 小沢一郎」http://moon.ap.teacup.com/20060103/275.html

今朝のメッセージでは、人里離れた山中を私が訪ねると、囲炉裏のある山小屋に、髪が長く、昔の服を着た、背の高い痩せ型の外人男性と二人で暮らしている、日本人女性が居て、囲炉裏の縁には、美味しそうに湯気を立てている、大根や芋の煮物が皿に乗せられていた。

私は、其の大根の煮物が余りにも美味しそうなので、外人男性の皿から手掴みで取って食べたが、其の外人男性も、女性も何も文句を云わなかった。

其れから、別の建物に行くと、木造の古い食堂が在り、中年女性が一人で其の店を経営していた。
其の店は、台所と客席の間にカウンターが在って、客人も食材に成る物を持って来て、其のカウンターに無料で置いていた。

私は、台所の中に入って、席に座って待って居る、3〜4人の客人に出す、料理の手伝いを始めた。

其の山中に在る村は、世間の情報が届かない村であるが、外人が、夫である家庭もあったので、別に閉鎖されている村でもない様である。
私は、食堂の女性の料理を手伝いながら、安堵感を得ていた。

考えて見れば、「イエスキリスト」は、台所に立って料理を作ったりしていないし、女性とセックスもしていない様なので、私の様には、現実世界に関わっていないだろう。

イエスは、バプテスマのヨハネに洗礼を受けて、聖霊に満たされて岩山に登り、校長先生(悪魔・鬼)の試しを受けてから、人間社会の「政・まつりごと」の改革に取り組んだが、其の活動は四年間も持たずに、磔に成って殺されてしまった。

だから、イエスキリストは奇跡に拠って、人々に影響を与える事は出来たが、本人は、人間的には精神の充足を得てはいない。
若しかしたら、今朝、囲炉裏の縁に座って居た外人男性は、「イエスキリスト」自身だったのかも知れない。

其の様に考えると、是からは、イエスキリストの鎮魂の日々が始まるのかも知れない。
だとすれば、今朝のメッセージの映像の中で、電磁波の中で翼を持って飛んでいたのは、キリストの意識体だったのではないだろうか。

其して、其の電磁波の世界は、ククルカン・菊理姫が管理をしている世界であり、イエスキリストが自分の「残念」を「消化・鎮魂」する、世界なのかも知れないのである。

昨日の高橋智恵美さんのビジョンには、ダライラマ法王が、キリスト教のローマ法王に変身してしまう姿が現れている。
イエスの教えは、経典や聖書を読む事ではなく、神の存在を説く旅をして、民衆と一緒に食事をする事である。そして、イエスは、言葉一つでパンを出したり、病人を治したりしている。

しかし、其の様な事を、皆にできる様に成れば、医者や、食堂や、漁民・農民は全員失業してしまい、人間の技術の進歩や、文化は消えてしまう事に成る。

だから、全て此の侭で良いのだ。
何故なら、神に間違いは無いからである。
若し、神に何等かの間違いがあれば、此の世界は存在しないし、此の世界が存在しなければ、現在の私の意識も存在しないのである。

そして、私の脳のシナプスの働きがなければ、宇宙の電磁波の中を飛び交う、翼を持つ「ケツァルコアトル・括る神」の姿を、捉える事も出来ないのである。

「此のパンは 私の肉であり 此の赤ワインは 私の血である」と、イエスキリストの口に云わせた物、其の物の正体が、今朝明かされて来たのではないだろうか。

其の言葉の主こそ、全ての物質を、形作る情報を操っている存在なのである。

其れを、人間は「創造主」とか「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」などと、呼んで来たのであろう。

                                                             平成21年12月27日

                                                                    礒邉自適
  

Posted by jiteki129 at 17:06 神のメッセージ 

2009年12月26日

ブッダの周期

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  ブッダの周期

                       21・12・26

本日は、「イエスキリスト」の誕生日とされ、世界中で「クリスマス」のお祝いが行われている。
しかし、本来は「クリスマス」の祭りは、ケルト民族の冬至の祭りであり、其れにキリスト教が便乗して、本来の「冬至祭」からは逸脱してしまっている。

其れは、日本の神道の「夏禊」の日である旧暦7月14日が、徳川幕府のキリスト教弾圧の為に、仏教の「お盆」に入れ替わった事と同じ様なモノである。

しかし、今朝のメッセージは、其れ等の事も踏まえた上で、「メシヤ(ヘブライ語)・クリスト(ギリシャ語)・キリスト」が、どう言う意味を持つのかを、示して来ている様である。

今朝のメッセージの映像は、先ず、大型の飛行機が、連日に亘って数機墜落する映像が映されて来て、更に、地下に有る軍の施設の様な物も、爆発する映像が現れた。
其れは、人間社会のコンピュータのシステムに、宇宙・神の意志が、電磁波で介入し、人間社会の構造を破壊する事を意味していた。

其の結果、都会が崩壊し、着の身着のままの人達が、田舎の廃校に住み着いたり、山中にテントを張ったりしていた。
私は、其の人達に、薪の割り方や、火の燃やし方等を教え、古着を集めたりもして居た。

其れに、建物の中に人間が入り切れないので、野外にテントが建てられているが、テントの破れている所から雨漏りがするので、人々が立ったまま雨が止むのを待っているのである。
そして、私の寝る狭いシートの中にも、水が流れ込んで来ており、布団がビショ濡れで、寝る事も出来ないのである。

其れに、学校の校舎に居る人達は、布団も無いし、食べ物も無いので、数日も経たない内に、皆が其の建物から出て行った様である。

私が、どうして、此の様な最悪の状態に成っているのかを考えて居ると、暗い夜の様な、世界の中心で、玉手箱の様な物が開いて、其の中から、銀色の龍が出て来て、其の姿が拡大されながら、私の目の前に飛んで来た。

そして、其の大きく成った銀龍は、古い石碑・石塚の前で止まった。
其の石塚には、「統帥権を持つ者」を意味する、昔の漢字三文字書かれていた。

そして、其の「統帥権を持つ者」とは、「基督・キリスト」と同じ立場である理・ことが解り、私の意識が、其の石碑の中に入ると、石碑の前に、50歳ぐらいに見える、白い服を着た女性が来て座った。

そして、私の意識が、何かを想うと、其の意志が女性に伝わったらしく、其の女性は、ハッキリした大きな声で「ハイ」と、一声応えたので、其の声が、私の頭の中に現実の様に響いた。

辞典には、統帥権(とうすいけん)とは、軍への最高指揮監督権を言う。 米国では大統領、英国では国王にある。と載っており、日本では戦時中に天皇陛下が有して居た権力であるらしい。

其の意味からすると、今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きであり、国家を統帥すると言うか、官僚を束ねる立場・権力・役割に付いて、示して来ている様である。

何故、其の事が、本日の日付に合わせて、此処のところ3日間に亘って、知らされて来たのであろうか。
其れは、本日がイエスキリストの誕生日であり、イエスの念いが、新しい国造りにあったからではないだろうか。

だから、イエスキリストの「御霊の思頼・みたまのふゆ」が、今朝のメッセージの映像を、私の意識に送り込んで来たのであろう。

其の様に考えると、教会の施設で育った「高橋智恵美さん」に12月11日に告げられて来た、「25日が日曜日の月の 19日」に、私が教会に居て、書類を揃えていたとの事も、関係が有るのかも知れない。
来年のカレンダーで、日曜日が25日で、近くに有る19日とは、4月19日である。
「理佐・リサ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1366.html

其の4月19日を、近江神宮発行の暦で見ると、「宵宮祭」で「地図の日」と成っている。「宵宮祭」とは、次の様な説明がされている。

「宵宮祭(よいみやまつり)」祭りの前日のことを宵宮(よいみや)、夜宮(よみや)、ヨドなどといい、この日に行われる祭典を宵宮祭という。地方によっては、ヨミヤとは祭りの前日の忌籠(いみごも)りを示す場合もある。元来、神霊はつねに社殿の中に鎮まっておられるというよりも、祭りのときに来臨されると信じられ、しかも夜間それが行われると思われてきた。祭りの前晩を重要なる晩であると意識して宵宮と称した理由もそこにある。
日本大百科全書(小学館 )

此の、「宵宮祭」の「祭りの前日のこと・・」から、近江暦を見ると、翌4月20日が近江神宮の「例祭」と成っており、其の例祭は、・・・今を去る1340年の昔、天智天皇6年(667)3月19日、奈良飛鳥宮より近江大津宮に都をお遷しになり、大化改新の大理想のもとに新しい国造りをはじめられ、画期的な新政策を施された。大津宮での新政治は、以後の律令国家制度の基礎を形成したが、滋賀県・大津市にとっても、その発展の源泉は大津宮遷都にはじまる。明治以来、近江神宮御創建への国民運動が盛り上がり、また古都保存法による古都として指定された所以である。大津宮遷都の3月19日を大陽暦に換算すると4月20日となる。この日、滋賀県の総鎮守近江神宮の例祭が行われる。・・・     と 載っている。

どうやら、昨日が「クリスマス-イブ」であった事と同じく、日本でも昔から前夜祭が行われて居た様である。

昨日は、茨城の「森山さん」から電話が有り、昨日のビジョンを知らせて来た。其の内容は、森山さんの意識がロシア国に行き、教会の建物の中に入って行くと、中に子供が数人居たとの事である。
其の森山さんのビジョンも、イエス-キリストの憶いに関係が有るのだろう。

ロシアでは、共産革命で破壊された「ロシア正教」が、国民の支持を受けて急速に復活して来ており、「ドミートリー・メドヴェージェフ大統領」も其の勢いに便乗して、政治を行っている様である。
しかし、熱心な信者が、子供達に銃を持たせて、戦争の訓練を行っている事がNHK番組で放送されていた。其れは、イエスキリストの教えとは、全く反対の世界である事に成る。

今日のメッセージの映像から、私が考える事は「メシヤ・キリスト・救世主・マイトレーヤ・弥勒菩薩」の役割を、引き受けるかどうかの決断を、求めて来ているのではないかと言う事である。

私は25年前、無庵師匠に「自適さんの役目は 人類を救う事に有る」と云われて、師の言うままに、仕事を全部止めて、家族とも離縁し、三ヶ月間無庵師匠の下で修行を積んで、1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に入った。
そして、イエス-キリストの様な奇跡が、繰り返し起き始めたので、無宗教の私が、神の存在を固く信じる様に成ったのである。

しかし、其の無庵師匠の云う「メシヤ・救世主」の役割から、逃げ回って来たのである。
何故かと言うと、私の体験から、現在の世の中を救う事など、私の能力では無理だと考えて来たからである。

しかし、今朝のメッセージの映像は、其の「キリスト・統帥権者」の役割を引き受けなければ、現在の社会システムが崩壊し、人々を救うどころか、私自身の肉体も維持不可能に成ると言う事である。

是は、完全な神の脅しである。

是と同じ事が、25年半前に有った。
其れは、私が、神の計画を引き受ければ、我侭し放題の人類を、滅ぼしてしまう為の、核爆弾に拠る第三次世界大戦を、中止すると言うモノであった。

其の時は、自分の息子が核戦争に因る放射能汚染で死んでしまい、私が嘆き悲しみながら、其の息子の葬式をして居る姿を、見せられたのである。
其の脅しで、私は神の計画を引き受ける事にしたのである。

其の時に、私の身体に巻き付いて来て、私の左手の掌に地球を載せたのが、今朝現れた、銀色の龍と同じ物であり、後に、其の龍神は、永平寺の開祖である「道元禅師」の守り神である、石川県白山の「白山神社」の御神体である白龍であり、「白山菊理姫」の乗り物である事が、判明したのである。

今朝のメッセージは、25年前と同じ様な内容であるが、前の時は息子の死を脅しに使っていたが、今朝は自分の肉体の維持と、役割の辛さを脅しに使って来ている。
しかし今朝のメッセージは、前の其れとは重みが違う。

何故かと言うと、前の時は、神に計画が有り、其れに協力しさえすれば、私自身も、家族も、人類も救えるとの内容であった。
しかし、今朝のメッセージは、神の計画の方は破壊だけであり、其れを止める為には、私自身が、新しい社会を創造しなければ成らないと謂う事であり、其の為に、統帥権を私に与えると言うものである。

と言う事は、今度は、神には責任が無く、全ての権限を私に与えるので、新しい世界を創造しろとの事である。
そして、其れは、神の「破壊」と、私の新御世創造との、競争であると言う事に成る。

是は、インドの「シバ神」の働きである「破壊」と「創造」が、行き成り始まる事を、意味しているのではないだろうか。
と言う事は、将棋やオセロゲームを仕掛けられている事に成り、私は、滅びと向き合っている事に成る。

だからこそ、昨日「歩・ふ」を、準備しろと告げて来たのであろう。

是は、大変な選択を迫られて来ている。
是を、単なる幻覚として、放置するとの選択も有るし、統帥権を引き受けないで、神が人間世界を本当に破壊するのかを、眺める選択も有る。

しかし、一度、神の破壊が開始されて、株価が暴落し経済破綻が起きるだけで、社会は混乱し、何も出来なく成るであろう。
何故なら、昔の様に、各部族が、其々の暮らしをしていた時代なら良いが、現代社会はグローバル化されており、純粋な自給自足体制の人々が少ないからである。

今朝、現れた銀色の龍は「白山大権現」の本体であるが、「菊理姫神・くくりひめ」は、マヤ文化の神「ククルカン・括る神」でもある。
其れに、銀色はエジプトの星神である「シリウス」にも繋がりがある。

私は、24年前に、高知の桂浜に泊まって居る時に、シリウス星から銀色の粒子のビームが遣って来て、身体全体の禊ぎ祓い・浄化を受けた事がある。
現在の冬空にも、其のシリウス星は、天空の大三角形の一星として輝いている。

私は、来年の1月29日に、満63歳の誕生日を迎える。
63は「7×9=63」で、「7×6=42歳」の前厄から、「7×7=49歳」の本厄を経て、「7×8=56歳」を過ぎ、九回目の七年のサイクルを迎える事に成る。
其の時間のサイクルから考えると、誕生日まで残り34日の中で、決断をしなければ成らない様である。

私が是まで、26年間此の世界に関わって来て、理解できて来た理・ことは、神は99%の逃げ道を塞いでから、人間にどうするかの選択を迫って来ると言う理・ことである。
何故、人間に選択を迫るかと謂うと、人間に決断をさせなければ、失敗した時に、神の所為にしてしまうからである。

人間が、自分で選択した事であれば、誰にも文句を云う事が出来ないし、最後まで遣り遂げるしか無いからである。私は、其の神の遣り口が解っているからこそ、簡単に戦略に乗る事を躊躇するのである。

其れに、人類が過去にアセンションに八回失敗していて、今回が九回目で、最後のチャンスであり、失敗は許されないと告げられれば、尚更である。

どうのこうのと、愚痴を謂っても、私の現在の認識の為に掛けられた、時間や、お金や、資材や、エネルギーや、数多くの人々の事を考えれば、神の投資が莫大な物であった事は理解できるので、逃げる事は不可能であるのを、頭では理解している。
しかし、統帥権を受け取るとの事であれば、簡単には引き受ける勇気は無い。

救いとしては、今朝のメッセージの中で、此の三次元世界の実権を持っているらしき女性が、私の言葉を「ハイ」と自信を持って応えた事である。
其の女性が、此の世に実在するのであれば、私も、其の役割を引き受けない事もないが、さてどうなのであろうか。

今日は、東京の桜美林大学から、故郷の沖縄に帰郷する20歳の男性が、ヒッチハイクで私の所まで辿り着いて来た。話を聞くと、首里城の近くに実家がある「平良幸太・たいらこうた」と言う名で、鹿児島の港で、私の知り合いに出会って、私の所に行けと云われたとの事である。
「たいら」とは、「平家(たいらのきよもりの一族)」の落ち武者に、関係が有る家系なのではないだろうか。

「桜美林大学」に付いてPCで検索すると、キリスト教に関係の有る学校なので、私は、今日の日付に因んで縁が有ると想ったので、昼飯を食べさせてから、私の車を貸して、屋久島見学に送り出した。

・「桜美林大学」本学は、キリスト教精神に基づいて、教養豊かな識見の高い国際的人材を育成することを基礎とし、教育基本法及び学校教育法の定めるところに従い、深く専門学芸の研究と教育を行うことを目的とする。
桜美林という校名は、アメリカ・オハイオ州のオベリンカレッジ(Oberlin College)にちなんでいます。オベリンカレッジは、1833年創立。宗教家であり、教育家であったジャン・フレデリック・オベリンの意志を継いだカレッジで、本学の提携校にもなっています。
若き頃、オベリンカレッジに留学した学園創設者・清水安三は、人びとの教化と生活の向上に尽くしたオベリンの生涯に建学の趣旨を重ね合わせ、さらに、学園が染井吉野、八重桜の林に囲まれているところから、「桜美林」と名付けました 。    ―引用終了―

今月に入って、若者との接触が起き始めている。
其れを考えると、「歩」が揃い始めているのかも知れない。だとすれば、今朝のメッセージは、引き受ける方向に、気持ちが進みそうである。

今日は、先ほど、神奈川の高橋智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンを知らせて来た。
其のビジョンの内容は、「自適さんから 携帯電話にメールが届いたが 開けて読む事は 出来なかった」と言うものである。

其の、智恵美さんのビジョンを考えると、私の役割からの指示が出る準備が、既に始まっている事に成るのではないだろうか。

                                                             平成21年12月26日

                                                                    礒邉自適

  

Posted by jiteki129 at 17:09 神のメッセージ