磯部の血・霊21・2・23
私が、こうして存在するのは、36億年間、生命が途切れる事なく存続して来たからである。そして、私が男性として在るのは、Y染色体が、今まで1度も途切れなかったからである。
今朝は、何故、此の様な文体と成っているかと謂うと、今朝のメッセージの映像が、自分の「磯部・石部」の「血・霊・ち」を強く感じたからである。今朝の映像の舞台は、砂浜の無い海岸で石を扱う場面であった。
其れは、天皇家の先祖である「山幸彦」ではなく、薩摩隼人と呼ばれている「海幸彦」の霊魂が、私の中に蘇って来たからかも知れない。
現在の天皇家の血筋は、「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこほのににぎのみこと」が鹿児島県の笠沙の浜に上陸して来て、日本列島に住んでいた国津神である大山祇神の娘での「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」と結婚して産まれた、2人の子供の内の1人である「山幸彦」の子孫である。
だから、全国の神社に祀られている天皇霊は、皆、山幸彦の血筋の霊魂であって、海幸彦の霊魂ではない。其れを考えると、兄である海幸彦の血筋の霊魂は、どう成ってしまったのであろうか。
神話では、兄の海幸彦は悪者にされ、散々弟の山幸彦に虐められて、最後には家来にさせられてしまっている。考えて見れば、可笑しな話しである。悪いのは、兄の釣り針を借りて無くした方の山幸彦である。何故、兄の方が悪者に成らなければならないのか、可笑しな話である。其れは、旧約聖書のカインとアベルの話しにも似ている。
何故、両方の神話は、兄を敬うのではなく、弟の方を善として兄の方を悪としてしまうのであろうか。其処の処が、良く理解出来ない。
私の是までのメッセージの映像は、森林の風景や、水の流れる場面が多かったのだが、今朝のメッセージの映像は海岸が舞台であった。
今朝は、先ず、三段の棚の様な物が現れて、物ごとが3つの層に成っているのが示され、1番上の、神の世界の「意図・はかりごと」は完成したらしく、下二段の事が是から完成しなければ成らない事が示された。
其の、下二段の内容が何であるかを考えると、小石混じりの海岸・磯の風景が現れ、其処に空中から吊り下げられた棚が有った。其の棚は、店の商品棚の様な物で、幅が1m50cmぐらいで、奥行きが30cmぐらいの物である。
其の棚の1番上には、大きな貝殻が3個並べられており、其の貝殻は「左目・鼻・右目」の形をあしらった物である事が理解出来た。其れは、日本の神話に出て来る「天照・素戔鳴尊・月読み」の3つの働きを意味している物であろう。
上から二段目の棚には、様々な形の、人の名前を彫って有る印鑑の様な石が並べられていた。其の下には、数学の計算をする様な小石の並べ方がしてあった。残りの下の2つの段には、何が並べられているのかは良く解からなかったが、私の意識は其の確認作業を30歳ぐらいの女性と行って居た。
其の作業が終った頃、他の人が海に入って行き、流れに巻き込まれて流されて行くのが見えたので、私は其の人を助ける為に泳いで行くと、私も其の流れに巻き込まれてしまい、泳いで岸に帰ろうとするのだが、流れが強くてどんどんと流されて行き、潮の流れが止まるまで、待つしか他に方法が無いと諦めた処で、其の場面は終った。
今朝のメッセージは、是までの様にパソコン画面や、文字や言葉で内容が示されて来るのではなく、海岸に有る貝殻や小石だけで意味を汲み取る必要が有った。其れは、私にイメージを送って来る神霊の立場が、是までとは変っている事を示している。
其の事を感じたので、山幸彦ではなく、海幸彦の方が近いのではないかと考えたのである。
PCで海幸彦を検索すると、下記の様に載っている。ウィキペディア辞典
・隅隼人
後世、大隅郡(大隅半島北部、特に「大隅郷(現在の志布志市から曽於市大隅町)」周辺か)と呼ばれる地域に居住した部族、主領域を肝属平野とする部族であるとする説もある。『日本書紀天武天皇十一年(682年)』の記事が有名で、この時期には大和朝廷に服属していたものと解される。
・多隼人
後世、薩摩国阿多郡と呼ばれる地域(現在の日置市南部から南さつま市北部にかけての地域)に居住した部族。『日本書紀天武天皇十一年』の記事に記され大隅隼人同様、この当時には、大和朝廷の強い影響下にあったと考えられる。702年薩摩国設置後の事跡は、薩摩隼人の呼称が用いられる(『続日本紀』和銅二年(709年)など、ただし、別の部族とする説もある)
多褹(たね)隼人
種子島と屋久島に居住した部族。
・隼人
甑島に居住した部族。『続日本紀』神護景雲三年(769年)の条に記事。
・向隼人
日向国に居住した部族。『続日本紀』和銅三年(710年)に部族の首長である曾君細麻呂が服属し外従五位下に叙されたとの記事がある。・・・・─引用終了─
と載っており、600〜700年代には、鹿児島全域に隼人と呼ばれていた民族が、和人とは別に存在して居た事に成る。私の先祖は、現在鹿児島市上福本町磯辺部落に住んで居た部族である。其れを考えると、私の礒邉・磯部・磯辺の血筋には、隼人か海幸彦の血が流れているのかも知れない。
昨夜は、「12月終了」「6000万円」との言葉が、夜半に伝えられて来た。其の意味は、6000万円とは私が此の世界に入った最初の時に、屋久島全域から集めた小石を、中国製の七宝焼きに詰めて居ると、「何れ 是が6000万円の値打が出る。」と告げられた事に、関係が有るのではないだろうか。其の、小石を詰めた七宝焼きは、其の侭、現在でも私の手元に有るが、実際には10万円でも買う者は居ないだろう。
其の時、何故、其の小石が、何千万円にも成ると神が告げて来たかと謂うと、其の様に云えば、私が全てを捨てて、石の世界に嵌り込むと神霊が考えたからであろう。其の、神の意図・はかりごとが見事に功を奏して、私は此の世界に入り込んだのである。そして、其の世界が、今年の12月で終了するとの事ではないだろうか。
其れが、本当に終了するのであれば、私の此の役目は25年6ヶ月で完了する事に成るのである。
「屋久島の音楽の神」http://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
「鳳凰の子供達」http://green.ap.teacup.com/20060818/930.html
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、神霊から「16年半掛かる」と告げられ、此の役割を担って来た。其の16年半とは、神武天皇が南九州から旅立って、奈良で政(まつりごと)を始めるまでの歳月と同じである。しかし、私の場合は16年半で其の役目が終らずに、現在でもこうして神霊に付き合っているのである。其れが、今年の12月に終了するのであれば、私は神武天皇より9年も長く、神霊に付き合う事に成るのである。
其の結果が、どう謂う事に成るのかは未だ判らないが、今朝私に理解出来る事は、小石から始まった事が、また小石で終ると謂う事である。其れは、私が「磯部・石部・石工・149」の血筋である事の証なのかも知れない。伊勢神宮の「イセ」も、「磯・イソ」や「石敷き」の意味から来ている様である。石敷きとは、大正天皇御夫妻や、昭和天皇御夫妻が埋葬されている武蔵野御陵や、明石の物部陵墓と云われている五色塚の様に、墳墓に玉石を敷き詰める事に関係が有るのだろう。
其の理由として、古代人のビジョンにも、今朝私が霊夢で見せられた様な、小石ケ原の磯の風景が映されていたので、神霊が磯辺で働いていると考えたからではないだろうか。其れは、海岸の磯辺だけではなく、河川の川原や、山岳の泉の近くに有る砂場も同じである。だからこそ、神社の参道には小石が敷き詰められ、拝殿の回りには石英の砂が撒かれ、16段の階段の踏み段は「磯の段」と呼ばれるのである。そして、仏教の賽の河原の石積みにまで、影響を与えているのであろう。
其れは、単に施設建設だけの意味ではなく、確かに、神霊が小石に作用する事を古代の人達が知っていたからなのである。だからこそ、日本国中の古い神社の御神体は鏡や御札ではなく、丸い球石なのである。
今朝のメッセージの映像に現れた小石に、何故、印鑑の様に人名が刻まれていたかと言うと、玉石1個に、1体の霊魂が宿る理を示していたのではないだろうか。そして1番上の棚には、三種の神器の「剣・鏡・勾玉」が置かれていなくて、貝の形で「右目・鼻・左目」と並んでいたのは、「天照・素戔鳴尊・月読み」の実際の働きを意味し、其の三神が働く人間の「體(骨+豊)・からだ」には、「カルシウム」が必要であるとの理を、示しているのかも知れない。
そして、三段目の「数学・数字」や「文字・図形」や「言葉」の使い方が、巧みに成る為にも、一段目と二段目の仕組みが必要であり、其の三段目の働きが正しく機能しなければ、四段目と5段目の人間界の働きが上手く行かず、地球全体の安全と調和も儘成らないとの理・ことかも知れない。
其の様に考えると、漢字の體の文字の意味である「骨が豊な丈夫な肉体」でないと、確かな神の働きが出来ないと謂う理・ことに成る。骨・カルシウムは、カルシウムの含まれた食物を食べ、太陽光線に当って、能く運動をしなければ、身体に吸収されないのである。
其の理を考えると、私が、今朝の映像で海流に流されてしまい、泳いでも岸に還って来れなかったのは、3年間PC前ばかりをして居るので、運動不足と成り、私の體が駄目に成っている事を示唆しているのかも知れない。
しかし其れは、神の世界の代弁者として、神界のシステムを理解する為には、仕方が無かったのである。其の作業も、今年の12月で終了するのであれば、もう少しの辛抱である。今朝のメッセージで、私が25年前に無意識の自動書記で書かされた、「海渡族の謎を追え」との言葉の意味が、漸く解決されるトキが近付いて来た様な気がする。
25年間もの、私の長いこころの旅が、漸く終る事が見えて来たのだ。是で、少しは肩の荷が軽く成るのではないだろうか。気付いて見れば、今日23日は、祖父と父親の月命日である。
平成21年2月23日3時3分
礒邉自適