2003年02月27日

夢を見る

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  夢を見る                                                       15・2・27

一昨日、久し振りに屋久島鹿の焼肉を食べた。
其の所為か、今朝の夢は、三次元的な過去の夢ばかりで、未来が出て来なかった。

場所や、風景も、昔の様子で、現れる人達も皆、昔の付き合いの人達で、善い思い出ではない事ばかりである。
肉を食べると、毎回二日目の夜見る夢は、悪い夢で、未来には役に立たない事ばかりである。

仏教で、肉食を禁じている意味が、良く理解出来る。
日本では、天武天皇から肉食が禁じられ、明治時代に西洋文化が導入される迄は、肉は賤しい者達の食料とされていた。

肉食をすると、血液が酸化して暴力的になり、闘争を好むように成る事を、昔の人々は知っていた様である。

穀物菜食だと血液が清くなり、血圧も低いままである。
見る夢も、清い水の流れや、小鳥や草花等、自然の美しさばかりに成って来て、夢に現れる人達も、善い人達や、未来に出会う人達に成って来る。

神の世界に通じて、平和なビジョン(未来像、見通し、幻想)ばかりが映って来る様に成るのである。
其の事に付いて、取り敢えず、思い付く事を書き出して見よう。

 穀物 菜食               肉食 邪食

・未来の夢        =     ・過去の夢
・美しく鮮やか      =     ・暗くて見難い 
・優しく穏やか      =     ・恐怖 ・おそれ
・平和          =      ・災害 (洪水 津波 火山爆発)
・美しい女性や子供達   =   ・男性の戦い ・戦争
・発明 発見 (ビジョン)  =
(ノーベル賞等)      =     ・破壊
・天国 ・喜び      =      ・地獄 ・悲しみ
・感謝 ・幸福感     =      ・うらみ(恨) ・つらみ(辛)
・美しい音楽       =      ・音楽なし
・美しい食卓 ・料理   =     ・食料の奪い合い ・排泄物
・仲の良い友人      =     ・悪い仲間
・神・佛が現れる     =     ・切られたり撃たれたりする
・未来の出来事 ・予知夢 =    ・悪夢 ・冷汗をかく
・光の世界        =      ・闇の世界
・公け ・全体      =      ・個人的な欲望

未だ未だ、対比して行くと出て来ると思うが、是ぐらいにして措こう。

この様に、食物が異なるだけで、自分の夢の内容は変化して来る。
何故なら、夢は潜在意識の現れであり、潜在意識は、細胞が見る情報だから、細胞に成る血液の元である食物が変れば、夢も同じ様に、変る事に成るのは当然の事である。

悪い細胞に成る、食物ばかりを食べていると、血液から出来る卵子も、精子も、悪い記憶を残して行くので、子供達の魂しいも劣化していく事に成り、出来の悪い子供達は、親に負担を掛けるように成るので、親の視る夢は益々悪くなり、悪循環に陥ってしまう事に成る。

最低レベルに成ると、昼間は眠っていて、夕方から起きて、夜街を徘徊する様になる。是は、ハイエナ的行動で、殺してから何ヶ月も経った、古い肉を食べる事から発生する、行動パターンである。

穀物菜食の人は、早寝早起きになる。
鶏の様に、朝が早く太陽が好きになり、日向ぼっこを良くする様になる。

善い夢を見る子供は、良い人生を歩む様に成り、悪い夢を見る子供は、不安感情に陥るので、周囲に当り散らす様になり、社会の不安定要素と成って来て、環境を悪くし、本人も、回りも、悪くしてしまい、社会全体を不幸にして行くのである。

夢は、潜在意識に深く関わっているから、悪い夢を見る事は、悪い疑似体験をする事になるので、人生を悪い方向へと、導いていく事と成るのだ。

夢の世界は、人間個人の志・こころざしや、考えとは違うもので、宇宙や自然と、神佛につながるものだから、人間の自由には成らない。

人間が、夢を、正しく見ようと想えば、食物を吟味して、自分の行為を正さなければならない。それが、仏教で言う処の「精進」の世界である。

私の、夢の舞台は、私が生れ育った屋久島の自然であり、東京や、大阪などの、大都市ではない。

屋久島は、水が清くて、自然豊かな環境である。
住んでいる人達も、不特定多数ではなく、一人一人の仕事や、個性まで知っているので、夢に現れる時は、全て、意味を持って現れて来る。

逆に考えると、個人情報を、私が把握しているので、島の人達が、役者として夢に登場して来るのだろう。

私に、夢で、様々な事を伝えて来る相手は、人間や環境や存在物まで、全てを情報化できる大物である。

私に、夢を見せて言語化させているのだ。
私が、文字化しなければ、直接、神から情報を受け取れる人が、居ないとの事だろう。居たにしても、自分の欲望をセンサーとしている人では、神の伝えたい事を歪める恐れが有る。

私の18年の修業は、正しく夢を、受け取る為だったのかも知れない。
子供の様に、純粋な気持ちで夢を受け取り、賢者の意識で、分析しなければならないのである。

旧約聖書は、多くの預言で組み立てられている。
預言は、其の人が、夢のビジョンで視せられたものである。

ノーベル賞を貰った人達、「ベンゼン」「アインシュタイン博士」「野口英世」等、夢でヒントを受けた人達が数多く居る。
「ユング」や「明恵上人」も、夢分析をしているし、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」に到っては、夢を、創作の技術として使っている。

私が、是から夢の世界を、どのように理解し受け取って行くかは、神と神霊界と、私の共同作業と成って行くであろう。

「出口王仁三郎」の様に、夢の内容をややこしくせず、「聖徳太子」の様に、建物を必要とせず、誰にでも簡単で、容易なものとして行きたい。

ニューギニアのある村では、今でも子供が朝起きて来た時に、親がどんな夢を見たかを聞いて、其の夢の解釈をしてあげるらしい。

夢の世界(潜在意識の内に)で解決してしまう事で、裁判所も必要が無く、警察署も無くて、平和に暮らして居るとの事である。

夢とは、現実と、神との間の、世界の出来事なのだ。

其の世界は、植物を食べれば、植物と同じく太陽に近くなり、肉食をすれば、肉食動物と同じく、闇の中で、獲物を狙う泥棒根性と、成って行くのである。

たかが、夢だけれども、されど、夢の世界である。

                             平成15年2月27日

                                   礒邉自適


Posted by jiteki129 at 17:17│ 神のメッセージ