君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

どちらのあめ

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   どちらのあめ
                         30・7・19

今朝は一眠りすると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時40分」であったので、私は其の数字を「140分・いしまる・石○」と記憶して再び眠った。

すると、海の世界が映し出されて来て、其の海の世界は、横に三枠(ブロック)に分かれて、夫々が上下(空中⇔海中)に、役割を果すと謂うか働いている事が示されて来た。

だが、其の右端の枠内はエンジンの様な機能と成っており、動きが停止しているので、私が其の原因を探ると、下の部分(海底部分)が白い砂に埋もれてしまっている為に機能していない事が判った。
それで、其の部分の砂を全て撤去すると、其の機能(エンジン)が始動したかの様に、海の役割として動き始めた。

そして「どちらのあめ」との言葉が聞こえて来た。
其の声は、男女の区別が判らないソフトな声色であり、小学生の質問に、先生が優しく応答する様な感じ・雰囲気のモノであった。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時36分」であったので、私は其の数字を「436・しみむ・染み無」と記憶した。

其れから再び眠ると、今度は真っ黒な世界が映し出されて来て、其の中には、電磁気の動きを表す様な白い線上のエネルギー体が、渦巻いている事が示されて来た。

其れを私が確認すると、今度は私の意識が左側の方に移動した。
すると、其処は真っ白な世界であり、何も含まれていない純粋・潔白な世界である事が理解されて来た。

其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「5時54分・6時6分前であった。

今朝のメッセージで、一番気に成るのは「どちらのあめ」との優しい言葉である。
其れは、昨日のメッセージで「打ち合わせをしに来たんだね」「そしたら その・・」との言葉が告げられて来た事の、続きの様な雰囲気の言の葉の世界である。

「どちらのあめ」との質問と謂うか、問いは、「天・あめ」と「雨・あめ」のどちらの事かと、聞き返す言葉である。
其れは、どちらも「そら・上空」の事であり、天(あめ)は「あめのみなかぬし・天御中主」に使い、雨(あめ)は「あめふりおつきさんくものうえ・雨降りお月さん雲の上」と、使う言葉である。

其れを考えると、天(あめ)は「天空・宇宙」の世界で「大気圏外」の世界であり、雨(あめ)は地球の水の循環の世界で「大気圏内」の世界であると謂う事に成る。

其の事からすると、今朝映し出されて来た三つの枠(ブロック)に分かれて、上下に働いていた海のシステムは、大気圏内の雨水・海水の動きを示唆している事に成りそうである。

今朝の海の様子の雰囲気からすると、一番左の枠(ブロック)は「空気・蒸気・湿度」の世界の雰囲気であったので、「温度・気候・天候・雨雲・水分・循環」等の世界であり、中央枠の世界は「生命の誕生・進化・分裂・繁殖」などの世界である様な気がする。

そして、右端枠の人工物であるエンジンの様な働きの世界は、住吉三神である「底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命」の様に、物の世界ではない、何らかの神(はたらき)の世界を示唆しているのではないだろうか。

其の様に考えると、今朝の映像で、白い砂に底の部分が埋没して機能が停止している三番目の枠(箱筒)の中の砂を、私が全部取り除いて、働きを復活した場面が「底筒之男命」に関係が有り、古代の人々が何らかの理・ことに気付いて、住吉三神の世界を創り出した事になる。

其の白い砂の事を考えると、陸上生物が海から陸に上がった出来事を象徴する、神社の境内の斎庭(さにわ)に撒く「白砂」や、社の階段の上がり口である一段目を「磯の段」と呼ぶ事と関係が有り、今朝の映像で私が海底に溜まった砂を掻き出して居た行為は、其の神社の祭事と逆方向に動いて居た事に成りそうである。

何故なら、生命・生物は海から砂浜を通って陸に上がっているが、其の砂は陸地の山岳の岩盤等が風化して、川の流れで海に運ばれ、波の力で海岸に打ち上げられて砂丘などの砂浜を形成している物なので、生物の動きは把握して祭事を行うが、砂の動きに関しては、あまり認識されていないからである。

其の点に措いては、山岳信仰では海で禊ぎ祓いを行ってから、白砂(石英の粒)を袋や竹筒に詰めて運び、山頂の祠に納めるので、何らかの理を知っていたのかも知れない。

2007/11/14・・「磯の段」とは、神社に有る拝殿の庭に、白い砂か小玉石を撒いている場所の呼び名で、神の住む社に上がる階段の、一段目の手前の地面(斎庭・さにわ)の事である。
其れは、時代劇で「大川越前守」が取り調べをする「御白砂・おしらす」の場にも、同じ設定状況として取り入れられている。
 そして、お盆に、お墓の回りに白砂を撒く事にも繋がっている。
其れ等は皆、魂に関わる場には、白い砂が欠かせないものである理・ことを、示している。
 何故、白い砂が撒かれた場が、聖なる地とされるのか。其れは、人間の意識と謂うか、魂しいが、海から陸に上がって来た事に、関係が有るのだろう。
 陸地に暮らす生き物が、何億年前に、海から陸地に上がって、生活する様に成ったのかは、私には良く解らないが、「DNA・遺伝子」の記憶としては、其の次元がハッキリと記憶されているので、其の場に、人間が身を置けば、生命の記憶が其処に還り、純粋な気持ちを取り戻す事が、出来るからであろう。
其の事が、インドのガンジス河での沐浴であり、日本の神道の元である「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の、「小戸の あはぎはら」の禊ぎでもある。・・・
「磯の段の整備」http://green.ap.teacup.com/20060818/541.html

2012/9/23・・今朝のメッセージの映像では、私は一番下の「磯の段(白洲・狭庭・白砂)」の場から、上に向かって階段を登るのではなく、上から下に降りて行った。其れは、私の意識が、既に神霊の領域に達している理・ことを、示唆して来ているのではないだろうか。
今朝は、朝起きてPCの前に座ると「幾重にも重なる物事を」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと 続きの言葉が告げられて来た。
「幾重にも 重なる物事を  貴方は 解決して来たのです
是まで 多くの人達が  其の事に 取り組んで 来ましたが
結論を 得る事は 出来ませんでした・・・
「源・まる・ゼロ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2447.html

2003/9/26・・崗岩の成分の多くは、石英や雲母であるし、ガラスは石英を溶かして造っている。石英を溶かしてガラスにすると、どうして透明に成るのだろうか。
透明な石英と言えば「水晶」が有るが、水晶は水精とも書く。水晶が、水の精の意味を持つのなら、私の持つイメージと合って来る。
「水の精を映す石英」との意味が認められれば、私の気持ちや、屋久島のイメージが定まって来る。
屋久島の殆どを占める花崗岩には、石英の正長石が多く含まれ、特に屋久島の花崗岩に含まれる正長石は、他の所の物に比べ型が大きいとの事である。
 広辞苑で「正長石」を調べると、【カリウム・アルミニウムから成る珪酸塩鉱物。単斜晶系に属し、無色、時に白・淡黄・淡褐色・緑色を呈し、ガラス光沢をもつ。花崗岩の中に多量に含まれる。肥料の原料・陶磁器・ガラス製造に用いる。】と 載っている。
屋久島に有る砂浜の砂は、皆この花崗岩の崩れた物が、谷川から河口へ流された物である。23日に行われた、屋久島の岳参りの行事では、その砂を青竹に詰めて、山の神にお供えする。また彼岸の中日に、その砂をお墓の周囲に撒く。
 是は、屋久島だけではなく、日本の各地の神社でも、神を祭る社の庭に、白い砂を撒いて「御白州」とし、斎庭(サニワ)とも呼んでいる。
斎庭は、古くは「磯の段」と言って、社の16段の階段を上がる前の、白い砂を撒いた地面の事でもある。・・・
「心を澄ます」http://wave.ap.teacup.com/20060106/35.html

2003/9/22・・屋久島の岳参りの行事は、村の代表者である「所頭・トコロガン」が、早朝に海岸で禊ぎ祓いをして、海砂を青竹に詰めて、其々の地域の山岳に登り、山頂の山神様にお供えをするものである。
そして帰りに、榊の枝か、シャクナゲの枝を持って下り、村の神社に供える事が行われる。
山の神は、各山岳の頂上に建てられている、祠の中に祀られているが、栗生岳や永田岳等の、山頂に大きな岩の隙間が在る所では、その岩中に祀られている。
其れ等の、岩窟の中で、神を願う事は、「尚」の字の意味と合っている事になる。・・・
「尚島」http://star.ap.teacup.com/170606/120.html

2003/8/9「意識の絡繰」http://moon.ap.teacup.com/20061108/450.html
2004/7/6「白洲」http://moon.ap.teacup.com/20061108/324.html
2013/12/31「教室」http://green.ap.teacup.com/20060818/2918.html
2014/10/9「本格的なアセンションの時」http://green.ap.teacup.com/20060818/3223.html
2017/4/20「人間の煩悩で汚染される水」http://green.ap.teacup.com/20060818/4213.html
2018/6/10「ブッダの母神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4646.html

今朝映し出されて来た、エネルギーが渦巻く黒の世界と、全てを反射して白く輝く世界は、「光」と「エネルギー」の世界の関係性を示して来ているのであろう。

其れは、エネルギーが満ちていても「夜」の世界は闇であり、光り輝いている世界(見える世界・昼間)は、当たって来る光を反射しているだけなので、中にはエネルギーが無いと謂う理・ことである。

其れは、屋根の上に載せて有る太陽光を利用する温水器は、黒色の袋に水を溜めている物であり、林檎の色着けを促進する為に、リンゴ園の地面に敷いて太陽光を反射させる物は、白銀色のシートである事で、能く理解できる。

2008/6/5・・其れが、今年4月29日に、麦生の大山神社に参詣した夜に、今度は大きな黒い蛇として、磐座から、大きな神社の建物の中に現われたのである。
其れは、私の意識の中の蛇が、出雲大社で一度霧散していたのが、4月30日に、麦生の大山神社で新しい意識体として、復活した事を意味しているのではないだろうか。
「白色」と、「黒色」は陰陽を意味し、タオ・道のマークは「蜥蜴・蛇」の陰陽を現した物である。
白い色が、白く見えるのは光を全部反射しているからであり、黒い色が黒く見えるのは全部の色を吸収して閉じ込めているからである。
だから、白い色は陰性(白米・白砂糖)で、黒い色は陽性(黒胡麻・黒砂糖・玄米)とされているのである。
白色は、無垢や純粋を意味し、黒色は、逆に全部を吸い込んで中に含んでいる色である。
 其の理を考えると、何も知らなかった私の白い意識が、出雲の素戔鳴尊の社の磐座で霧散し、23年間の月日を掛けて、今年の4月29日に大山神社参詣で、黒い陽性の大蛇の意識として、磐座から再び外に出て来た事に成る。・・・
「烽火が上がる」http://green.ap.teacup.com/20060818/772.html

此の文章からすると、昨日の文章に書いた「白山菊理姫」は白龍なので、穢れの無い白であるが、其の分、自分自身にはエネルギーが無いので、私の体に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来た事に成り、「須佐之男尊・すさのをのみこと」を意味する黒色の大蛇は、エネルギー・パワーを蓄えている物であるから「荒神様」と呼ばれている事に成りそうである。

其れを考えると、禊ぎ祓いの儀式を司る日本やユダヤの神官が白装束であり、人民のカルマ・業に付いての相談を受ける、教会の神父や仏教の僧侶が黒服である事の意味も理解されて来る。
其れは、祓いの儀式を行う白装束の神官に対して、自分の穢れである人生相談を持ち掛ける事が出来ない事の、理由でもあるだろう。

其れを考えると、今朝起された「4時36分」の数字を、私が「436・しみむ・染み無」と記憶した事は、理屈が合っており、私は34年間に亘り自分の物事は消して、神(はたらき)に身を捧げて来たので、自分のエゴは浄化されており、既に「染み(けがれ)が無く成っているとの事なのかも知れない。

今朝起きた時間「6時6分前」から、今年の6月6日の文章を見ると次の様に書いて有る。

2018/6/6今朝のメッセージの映像は、明るい世界・舞台が映し出されて来て、緑の絨毯が敷かれている様な場に、上方(神界)から薄桃色の花の形をした紙風船の様な物が、ふわりと舞い落ちて来る場面が映し出されて来た。
其の数は、はっきりしないが、三個から五個程度だった様な気がする。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、緑色や空色が配色されている、縦筋のカーテン・舞台幕の様な物が下りている場面が映し出されて来て、其れは、人間の意識と謂うか思念が、天神の世界に通じて行く、天幕・スクリーンの様な働きの物である事が理解されて来た。
そして、私は、其の幕前の台の上に置かれている・用意されている「蓬団子」を食べると、私の意識・想いは其の幕に通じて行った。
次の映像では、其れから時間が経っている雰囲気で、再び其の幕の前に行って、供えられている蓬団子を食べると、お腹の中と謂うか胃の様子・気分が悪く成って来た。
私が、何故そう成ったのかと意って、其の蓬団子を良く調べて見ると、其の食べ物は蓬の含有量は半分程であり、半分は蒲鉾(かまぼこ)の材料である魚類の白いすり身が混ぜられている物である事が判った。
そして、其の事が原因で、其の垂れ幕・カーテンの設備が消えてしまい、私は天界との意思の疎通が執れなく成ってしまった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は6時10分であった。
今朝のメッセージの映像は、私にも能く分からないのだが、両方の場面が天界と人間世界との関係性に付いて、示されて来ている様である。
「神界の花が開く」http://green.ap.teacup.com/20060818/4642.html

今朝のメッセージの海の営みと謂うか、生物・生命の事に付いて考えて居ると、昨日、由香のビジョンで示されて来た「古文書」の虫干しの事と、「105」の数字が「105・百後」と読めるので、其れは「百足・むかでの後」との事にも考えられるのではないかと思えて来た。

其れは、地球生命38億年の生命史の中で、百足等の多足類(たそくるい)と関係が有り、其の多足類の後の生命史に付いて、考えろとの事が示されて来ているのではないかと、思えたからである。

「百」と「多足類」に付いて調べると、次の様に載っている。

*100(ひゃく、もも)は自然数、また整数において、99の次で101の前の数である。漢字の百(ひゃく、もも)は、単に100を意味する以外に、非常に多いことも表す。また、日本語の訓読みでは、百倍を意味する語尾を「お」(歴史的仮名遣では「ほ」)と読む(例:五百(いお)、八百(やお))。
また、日本語の大和言葉では、数としての100を「もも」といい、単位としての100を「お」(歴史的仮名遣では「ほ」)という(例:五百(いお)= 5 × 100 、八百(やお)= 8 × 100 )。英語ではhundred(ハンドレッド)およびone hundred(ワン・ハンドレッド)と表記され、序数詞では100th、hundredthおよびone hundredthとなる。ラテン語ではcentum(ケントゥム)。

*多足類(たそくるい)は、節足動物門多足亜門に属する動物の総称。日本では多足類は系統的に側分類群と考えられ、唇脚類(ムカデ綱)、結合類(コムカデ綱)、少脚類(エダヒゲムシ綱)、倍脚類(ヤスデ綱)を便宜的に結びつけた通称とする説が支持されていた。近年は他国と同様にこの4者に系統関係を認める説が有力となっている[1]。
特徴・・カンブリア紀中期の海生堆積層から発見されたメリストソマ科の化石は多足類とよく似た体制を呈している。シルル紀中期後半の地層からヤスデ綱の3属がヘザー・ウィルソンにより記載された。動物として陸上生活を行った最初期の化石記録として知られている。最初の陸生肉食動物としてもゲジ類が有力候補である。

*カンブリア紀(カンブリアき、英: Cambrian period)は地質時代、古生代前期における区分の一つで、約5億4200万年前から約4億8830万年前までとされる。この時代の岩石が出土し研究された最初の地であるウェールズのラテン語名「カンブリア」から、アダム・セジウィックによって命名された。

*シルル紀(シルルき、Silurian period)とは、地球の地質時代の一つで、古生代に属し、約4億4370万年前から約4億1600万年前をさす。オルドビス紀より後の時代であり、デボン紀の前にあたる。この時期、生物の本格的な陸上への進出が始まり、陸棲節足動物や最古の陸上植物が出現する。
シルル紀後期にリグニンを有した植物が登場し、リグニンを分解できる微生物がいなかったので植物は腐りにくいまま地表に蓄えられていった[1]。
     ウィキペディアフリー百科辞典 2018/7/19現在

此の説明からすると、「105・百足後」で考えれば「カンブリア紀中期の海生堆積層から発見されたメリストソマ科」との生物に関係が有り、約5億年前の海に誕生した生物の事や、「シルル紀約4億4370万年前から約4億1600万年前 陸棲節足動物や最古の陸上植物が出現する。」との事から、生命の歴史を紐解いて行けば良いと謂う事であり、其の理・ことを考えれば、神社の「斎庭・さにわ」や「磯の段」の概念や設備は、不必要に成ると謂う事なのかも知れない。

そして、其れ等の手段・世界は「海原を治める神(はたらき)」とされて来た、「須佐之男尊・すさのをのみこと」の役割が終了すると謂う事に成るのであろう。

其れに、今朝起された時間が「1時40分」であり、私が其の数字を「140分・いしまる・石○」と記憶した事が正しければ、私が34年前に此の世界に入った時に、人々に気狂い扱いされながら、岩石の世界に入り込んで行き、是まで「石工・石屋・石部・いそべ」に取り組んで来た事が、「○・まる」に成ったと言う事なのかも知れない。

                     平成30年7月19日

                           礒邉自適

打ち合わせをしに来たんだね

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    打ち合わせをしに来たんだね

                        30・7・18

今朝のメッセージの映像は、一本の樹木の「根・幹・枝・葉・実(種子)」が個別に切断され、夫々の部位が纏めらて、保存・管理される場面が映し出されて来た。
そして、其の場面は、人間の手(行為)が関わりを持つ、全ての世界の管理に付いて、示唆されているモノである理・ことが理解されて来た。

其れから、若い男性の優しい声で「打ち合わせをしに来たんだね」との言葉が聞こえて来て、私の意識は其の意味が理解できていた。
次に、私が其の言葉の意味を理解した事が通じたのか、同じ声で「そしたら その・・」との言葉が告げられて来た。

其処で、私の意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時18分」であった。

私は其の数字を見て、今朝のメッセージは私を捜し出して、此の世界に送り込んだ「土肥無庵」に関係が有るのだと思った。
其れは、私が捜し出された日が1983年3月18日だからである。

其れから再び眠ると、私には認識出来ない世界が映し出されて来て、「星の」との言葉が告げられて来て、其れは天体の管理に付いて、示唆している事が理解されて来た。

其の「星の」「天体の管理」との事から、私はイエスキリストが誕生した時に、東洋から、杖を突いた三人の賢者が光る星に案内されて、馬小屋にまで辿り着いてイエスを祝福したとの話を思い出し、其の星を管理している存在が気に成って来た。

何故かと謂うと、私が群馬県南北村に存在する「黒滝不動尊」で杉岡伴太夫政房氏と中屋龍州氏他12名(計14名)で会合を開いた時に、天空に動く星が現れた事が有るからである。

2012/7/25・・そして、中国では、皇帝の守り神が金龍であり、革命の時節には天命として、金龍が現れるとされている事にも、関係がある。
聖徳太子が編纂に関わったとされる、旧事本記大成経は後醍醐天皇にも影響を与えているのであろう。
其の旧事本記大成経は、現在群馬県甘楽郡南北村黒滝山の黒滝山不動寺に保存されており、其の旧事本記大成経が世に出る時には、新しい天皇が世に出るとの言い伝えが有る。
私は1986(S61)年1月26日に、其の黒滝山不動寺に、亀岡の「杉岡伴太夫政房」氏と、群馬県鬼石町の「中屋龍洲」氏を呼んで、住職の「長岡良円禅師」と14名で宴会を開いた事が有る。
そして、宴会が終わって外に出ると、夜空が揺れており、向こうから大きな火の球が、黒滝山の方に遣って来ると言う異変が起きた。
其の出来事も、旧事本記大成経が世に出る時節が、近付いている事を示していたのであろう。
「天皇霊3 後醍醐天皇」http://green.ap.teacup.com/20060818/2384.html

2006/2/25今朝は、「饒速日命・にぎはやひのみこと・大王」が、私の意識の右側の前に、左の方を向いて、黒いソファーに深く座り、左側の入り口を見て居た。
そして、左側には、数名の男性が居て、文章を壁に書いていた。
其の文章の一項目には、総ての儀式を、新しく遣り直す意味の事が書かれていた。
その後も、下の方へ、何項目も書かれていたが、下方の内容は意味が汲み取れないまま、其の場面は終わった。
そして「星が歩く」との言葉が示されて来た。
「星が歩く」とは、イエスキリストが誕生した時に、星が三人の賢者を案内して来た事が、聖書に記録されている。
現在・いまで言えば、「UFO(未確認飛行物体)」の一種と呼ばれるのかも知れないが、天・神が、人間に指示を与えたい時に、星を使わすのである。
私も、1986(S61)年1月26日に、群馬県甘楽郡南北村黒滝山の黒滝不動尊にて14名で集まりを持った時、星が遣って来る出来事に遭遇している。
「星が歩く」http://star.ap.teacup.com/170606/684.html

今朝は起きて、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事であり、其れは次の様な映像であったとの事である。

全ての件が記されている様な、とても古い辞書の存在が映し出されて来て、其の辞書が今だけ「虫干し」の様な意味合いで、開放されて閲覧できる様な状態にあったとの事である。
だが、其の辞書の虫干しは太陽の方に向けて開かれているのではなく、机の下に干されていたとの事である。
そして、閲覧する人は「105円」を支払うように成っていたとの事である。

今朝のメッセージは、是までのメッセージとは明らかに違うモノ(世界)であるので、私も是までのメッセージとは、意識を切り替えて対応しなければ成らない様である。

其の事に関して、由香に示されて来たビジョンが、謎解きのヒントに成るのではないだろうか。

其れは、今だけ、105円支払えば辞書(アカシックレコード)の中身を閲覧できるとの事が、現在・いまだけ、宇宙の神秘が開放されているとの事を、示唆しているからである。

其れを考えると、今朝、若い男性の優しい声で「打ち合わせをしに来たんだね」と告げられて来た事と、私が其の言葉の意味を理解したと思った時に「そしたら その・・」との言葉が告げられて来たのは、「そしたら その続きを始めようか」との意味にも、受け取れる。

今朝起された時刻が「3時18分」であった事から、3月18日の日付を考えると、私が「土肥無庵」に捜し出されて、自分の人生が変る事に成った日であるので、「全ての事が始まった日である」と謂える様な日である。

キー「1983年3月18日 無庵師匠」

2009/1/18・・今朝は、最後に、真っ白に光り輝く空間の場面が現れて、私の意識が、空白に成っている事が示されて来た。
其れは、25年前にも、私が無庵師匠の下で、実際に体験した事の有る世界である。
そして、其の後「実行命令」との言葉が告げられて来た。
 私は1983年3月18日に無庵師匠に捜し出され、次ぎの年84年の3月5日から、師の下で修行が始まった。
其の修行とは、中国の「漢方」や、ドイツの「近代医学」ではなく、日本の「和方・わほう」に基づく、身心浄化の医療方法の実行である。
 其の和方とは、肉体の毒素を排出すると同時に、大脳の記憶を、全部「浄化・禊ぎ祓い」する事である。
其れに成功すると、肉体から、體に必要の無い不純物質は、体外に排出され、意識は浄化されて、真っ白な状態に成るのである。
そうする事で、本来のDNA・遺伝子の記憶が蘇り、また自分の本来の「天命・使命・みこともち」が、表に現れ出るのである。・・・
「実行命令」http://green.ap.teacup.com/20060818/1014.html

2005/3/18本日3月18日は、私が無庵師匠に捜し出された日であり、その日から22年目の記念すべき節目の日である。
私は子供の頃より、銀色のタイムトンネルの中に魂が吸い込まれて行き、異次元への旅をしていた。其の異次元への魂の旅で、子供の頃より、師が訪ねて来るのが見えていたので、屋久島を出ずに暮らしていたのである。
 そして、其の事が現実の事と成ったのが、1983年(昭和58)3月18日である。その日から20年が経った。
そして、2001年11月7日に、無庵師匠は福岡の地で亡くなった。
無庵師匠は、私の目覚めの為に、自分のエネルギーを、使い果たしたのではないだろうか。
 弘法大師空海の師である「恵果和尚(746~805)」も、空海の目覚めの為に、全エネルギーを使い切って、空海の儀式を無事に終えると、数日後には亡くなってしまったと言う。
私は、空海程の密教的実力は無いが、近代科学に因って齎(もたら)された知識は、空海よりは備えているだろう。
 釈迦や、空海が知らなかった事柄が、現代社会では、随分と解明されて来ているのだ。天眼通の超能力は無くても、人工衛星や、携帯電話の御陰で、遠くの情報が得られる様に成っている。
昔の人々には、神の御技の様な出来事に、感じられる事が沢山有る時代と成ったのである。其れ等の、技術や知識を使用して、本当の、人類の幸福を創造すべき時を迎えている。その為に、私には、大きな役割が与えられたのだと考える。
 1984年11月から、全国の旅が始まり、2002年4月24日に屋久島に帰り、新たな島での生活が始まった。
そして、今年に入って数名で事務所を構え、世界に向けて情報発信を始める事と成った。
屋久島には、自然体験が出来る「おおぞら高等学校」も新しく出来たし、今後も新しい時代に向けて、様々な事が、此の屋久島から起きて来ると想われる。
 私は22年前、無庵師匠に捜し出されなければ、島で一介の事業家で終わっていただろう。
人生とは、何が起きるか分からないものだと云われるが、私も予想外の人生と成って来た。しかし、何故か、今の人生が、本当の自分の人生なのだと、妙に実感が有る処を見ると、私は自分自身の道を、確かに歩いているのだと想う。
仲間達と、楽しく未来創造を続けて行く事が、私に与えられた役割なのだろう。
今日からまた、新しい自覚のもと、人類の未来社会の為に進んで行きたいと意う。
 無庵師匠は亡くなってしまったが、無庵師匠も、多くの霊界人達と伴に、私の行動を見守っていてくれるものと意う。
私は、神の喜びを、自分の喜びとして、今後の人生を、歩いて行かなければならない。・・・・。
「意識とは」http://moon.ap.teacup.com/20061108/329.html

2017/3/18本日3月18日は、私が1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出されてから、丸34年目と成る日であり、屋久島大社の大祭日でもある。
今朝のメッセージの映像は、先ず、複雑な世界を現す為に、「神棚」か「床の間」の背景の壁の様な雰囲気で、物の形が散りばめられている垂れ幕の様な物が有り、其の前に、一個の縦型のダンボール箱が置かれている場面が映し出されて来た。
其のダンボール箱は、収納袋の様な役割の物であり、箱の上の部分は、平坦に閉じられる物ではなく、スチームバスケットの様に開け閉めが自由に出来る構造に成っていた。
そして、其の中には、森羅万象のあらゆるモノ(現象)の種子が、詰められている物である事が示されて来た。・・
次の映像は、何百人も収容できる、大きな芝居小屋の様な施設が映し出されて来て、其の会場内は相撲の座敷の様に、4~5名が座れる区切りが為されていた。
其の会場では、決まった料金を払って入場すると、セルフサービスで自分が好きな料理を好きなだけ食べられるシステムに成っており、外人を含む客で超満員であり、通路に座って食べて居る人達も居た。・・
 其れから、「いちもくさんぜん・一目三千」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、長短の針が真っ直ぐに成る6時00分の一分前であった。
 今朝は「一目瞭然」との言葉は、私も知っているが、「いちもくさんぜん・一目三千」との言葉は耳にした事が無いので、「一目瞭然」との言葉と、仏教の「三千世界」の言葉を調べて見ると次の様に載っている。
・いちもく-りょうぜん【一目瞭然】の意味
一目見ただけで、はっきりとわかるさま。一目で明らかにわかるさま。▽「瞭然」ははっきりしているさま。「瞭」は「了」とも書く。
・さんぜん-せかい【三千世界】の意味
全宇宙、この世のすべて。仏教でいう世界観で、須弥山しゅみせんを中心に、周囲に四大洲があり、その周りに九山八海があり、われわれの住む小世界を形成し、この一つの世界を千合わせたものを小千世界、小千世界を千合わせて中千世界、さらに中千世界を千合わせて大千世界。この大千世界は千が三つ重なるので三千大世界、略して三千世界という。この三千世界が一仏の教化の及ぶ範囲とされた。俗に世間の意に用いられることもある。
        新明解四字熟語辞典
此の意味からすると「一目三千」とは、「大千世界」を「一目」するとの意味に成るので、今朝最初に映し出されて来た、神棚か床様の背景の壁に描かれると言うか、映し出されて来た物の世界は、其の「大千世界」の事を意味し、其の前に置かれていた、出し入れ自由なダンボール箱は、あらゆる物(色・rūpa・ルーパ・縁起)の「種子・ネタ」を意味しているのであろう。
 今朝のメッセージの最後の映像に映し出されて来た、日本の伝統的な芝居小屋の様な施設に、世界中の人々が集まり、セルフサービスで自分の好きな食べ物が食べられる場面は、世界人類の思考(物の考え方)がグローバル化される理・ことを示唆しており、私も、其の中の一人として、自由に生きられる理・ことが示されて来ているのであろう。
 其して、私の横に枕の様な物が二つ置かれていたのは、私の寝る場所が自由である理・ことを示唆しており、私の役割である統尊(すめらのみこと)の役割は、現在の天皇や法王と違って、何処にでも「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」は存在するとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
 其れ等の事を考えると、本日の日付が、私が「土肥無庵」に捜し出されてから34年目の日である事と関係が有り、私は「土肥無庵」が願っていた世界を、天界に存在するアカシックレコードに、ニューバージョンを上書きした事に成るのであろう。
 取り敢えず是で、第三ステージは完了した様である。
第4ステージは、今朝映し出されて来た、宇宙の「物種子・ねた」が入っているボックスの中身を、どう扱うかに、関わりを持つと言う事に成るのではないだろうか。
今後の流れに「どうぞ ご期待を」と、言う事である。
「一目三千」http://green.ap.teacup.com/20060818/4179.html

2017/11/7本日11月7日は、私を捜し出して、此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の17回忌である。
其の事に関係が有るのか、今朝のメッセージには「イギリス国」との言葉が告げられて来て、早馬を走らせる騎手の様な格好をして、車を走らせる、水色のスーツ姿の60歳位の日本人らしき男性の姿が映し出されて来た。
「土肥無庵」は、私を1983年3月18日に捜し出してから、屋久島に自宅を建設し、翌年3月5日に妻子を伴って屋久島に引っ越して来た。
そして、私は其の日から、一緒に玄米菜食に食生活をする様に成り、私を「イギリス連れて行く」と謂って、身支度を整えさせたのである。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、私に何等かの事を、考えろと言う事なのであろう。・・
今朝のメッセージに登場した、早馬に跨って左手で手綱を持ち、右手の鞭で馬の尻を叩いて、目的地に向かう雰囲気で、車を運転する60歳位の男性は、私をイギリス国に連れて行こうとしていた「土肥無庵」の存在と言うか、意識を示して来ているのかも知れない。
 其の様に考えると、「土肥無庵」が私に行なって欲しいと想っていた事は、未だクリアしていないと言うか、現実化していないので、早急にその事を進めなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其れが、どう言う事であるのかは、私には判らないが、外国人に弱い日本人を動かす為には、イギリス国から新しい価値観を起こせと言う事であり、イギリス国で新しい流れが起きれば、日本人も其れに素直に従うと言うか、見習う可能性が有ると謂う事なのかも知れない。
 其れは、世界中に「マクロビオティック・Macrobiotic」を広めた故「桜澤如一」が、日本国では認められないので、フランス国に渡って、フランス語で本を出版したら、其れがフランス国の上流階級で認められ、アメリカにもブームを起こし、其れが日本に逆輸入された事が事例として有るからである。
 今朝の映像に登場した男性は、土肥無庵の顔ではなかったが、私が一緒に北九州市小倉の洋服屋に服を買いに行き、土肥無庵が買った服の色と同じ物であった。
其れを考えると、土肥無庵の意識を受け継ぐ為の若い男性が何処かに存在し、新しい事を興す準備をしているのかも知れない。
「イギリス国の文化」http://green.ap.teacup.com/20060818/4425.html

2011/11/25・・昨日、宿舎の真後ろに聳える高平岳に、初めて参詣した所為か、今朝のメッセージの映像には、古い箱の様な容器に納められている、一本の巻物が映し出されて来た。そして、空中に浮かんでいる朱色の器に、四方八方から、何かが飛んで来ている映像が映し出された。
今朝のメッセージの映像と、昨日高平岳の山頂に登った事の関係を考えると、山頂の「磐座・いわくら」の上に祀られている、三社の祠の中心に座する「一品宝珠大権現」の名に、何等かの意味が有るのかも知れない。・・
しかし、今朝のメッセージでは「仕事が本格的に始まる」との言葉が告げられて来たので、28年前に、私を捜し出した無庵師匠が、私に「やがて 人間社会が行き詰り 人々が助けを求める時に 自適さんが台の上に立って 其の人々を導くのだ」と云った事が、本当に始まるのかも知れない。
 しかし、今朝「一品宝珠大権現」の事を検索して、其れが「須久比ノ宮・ますくいのみや・真救いの宮」の祭神である事を知って、私の働きは、自分の仕業ではなく、其の一品宝珠大権現の働きである様な気がして来た。
 私が、無庵師匠に探し出された日は1983年3月18日で、其の日付は楠川に有る「屋久島大社」の大祭日である。
屋久島大社とは、胃腸薬「恵命我神散・けいめいがしんさん」を開発した創業者「柴 昌範」が、昭和8年以前の3月18日に「ガジェツ(紫ウコン)」を原料にして薬を作り 人々を救え」との神のお告げが有り、其のメッセージに従って現在の「恵命我神散」を開発している。
そして、其の神が屋久島の山の神「一品宝珠大権現」であるとして、石塚山の磐座・いわくらに鳥居を建てて、神祭りを始めている。
 何故、私が、無庵師匠に、3月18日に探し出されなければ成らないのか。
其の背景にこそ、「メイソン・石工・石部」の血筋の神が存在するのではないだろうか。
「一品宝珠大権現2」http://green.ap.teacup.com/20060818/2132.html

2013/12/20・・私は、無庵師匠に1983年3月18日に捜し出されて、無庵師匠の自宅建設の土地を頼まれ、翌年自宅が出来上がり、3月5日に無庵師匠が屋久島に家族で引っ越して来た。
私は、其の日から、無庵師匠の自宅で、一日二食の「マクロビオティック」の食事をする事に成った。
そして、無庵師匠に「和方」の治療を受けて、心身が真っ白に成る状態を迎えて、三ヶ月後の6月4日(旧暦5月5日)に、神の世界に突入したのである。
そして、4311体の聖霊に満たされて、荒野での修行が始まり、解脱→ 禅定→ 三昧の世界を、体得したのである。
其の後、其れまでとは、異なる人生を歩き出し、新たな世界を築いて来た。
 其れが、後半年で30年・一世を迎え様としている現在・いま、再び無意識の領域に入ろうとしているらしい。
其れは、一昨日のメッセージの映像で、梯子が寝かされた事と関係が有り、私が登らなければ成らない世界が、無くなったとの事ではないだろうか。
 そして、登り詰めた世界が、昨夜から今朝まで続いた、濃い青色の世界であるとの事なのではないだろうか。
其れに、漢字発生の国である中国大陸の地名が、文字の意味を為していなかったのは、漢字の持つ概念も外されたと言うか、文字の定義や概念を、一度意識から外せとの事なのかも知れない。
 そして、最後の映像に、高層ビルの眺めの良い部屋で、新しい会議が始まる様子が映し出されて来たのは、高い次元から、新しい文化を生み出す活動を、始める必要がある理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其れが、どの様なモノであるのかは、今朝の処は未だ何もハッキリしないが、ようやく、清い世界と成った天幕に、不純なモノを、映し出しては成らないと言う理・ことであろう。
 今朝は、真っ青に成った世界で、何を考えて良いのかも判らないし、メッセージにも、何ら意味付けが出来るモノが無かったので、「在る時から 有る物」の意味である「エホバ・ヤハウェ」を、題とする事にした。・・・
「エホバ・ヤハウェ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2907.html

2015/3/19本日3月19日は、私が1983年3月18日に、故「土肥無庵(1941年10月28日~2001年11月7日)」に捜し出されてから、33年目の第一日目である。今朝のメッセージの映像は、其の日に相応しいモノであり、私に、新しき意識を齎した。
其れは、私に「紙魚たちよ 語り部に成ってほしい」との本を手渡した、土肥無庵の霊魂が作用しているのかも知れない。
 今朝は先ず未明に、男性の御魂と言うか、霊魂の存在が示されて来て、其れは青色系統で、涼しさを必要とするモノであり、其れが「精神」の単語の意味である事が示されて来た。
 次に、ピンク系の色相の中に、ピンク系の装いをした、女神の上半身の姿が現れて、私に白い錠剤を一個手渡して、飲む様に勧めたので、私は其れを温かいお湯で飲み込んだ。
すると、私は温かく気持ちの良い世界に、浸って行った。
 其れから、明け方の映像では、私が、60歳代の徳の高いスーツを着た男性に案内されて、日本の古い大きなお寺の本堂に行くと、其のお寺は住職が留守らしく、縁側の戸の隙間から、信者が差し入れたらしい、お酒の瓶が何本か置かれていた。
 そして、私を案内した男性が、室内の置物や、備品などの説明を行ってから、私を電気機器の店に連れて行って、情報発信の為に必要な機器を揃える様に言うので、私は録音機器を始め、撮影に必要な機器と、編集やダビングに必要な機器から、其れが映像にて放送される迄の過程を、全て網羅して店員に指示をしていた。
そして再び、温かい女神の存在が示されて来て、其れ等の動きを、スポンサーと成って、陰から支える事が示されて来た。
 其れから、私の行動が記録された、DVDが次々に出来上がって行く様で、「続 ○○○○・・・」と、「続」の文字が頭に書かれた、DVDの表題が横書きで、横に四列並んで、縦に数段書かれているのが映し出されて来た。
其れは、十数個であったが、是から次々に、増えて行く物である事が理解された。
そして、最後に、「情報は 薄らいで行く」との言葉が告げられて来た。・・・
「情報は薄らいで行く」http://green.ap.teacup.com/20060818/3399.html

2014/2/21今朝のメッセージの内容は、昨日の文章の題を「己の中にスイッチが」とした事で、私の潜在意識の扉が開かれたらしく、人間の記憶を土台として、神霊が働いている理・ことが示されて来た。
其れは、「覚醒」との言葉の意味や、アカシックレコードとの認識の背景に、其の世界が在り、其れが日本の岩戸開きの概念に成っている様である。
今朝のメッセージの映像は、私の子供の頃の体験から始まって、成人してからの暮らしに関わりの在った人々、天から杖を受け取ってからの行動、神霊界の中心に存在する者、永遠に宇宙に記憶され続ける情報等が、順番に映し出されて来た。
 其れ等の映像が、何を意味するのか解らないまま朝起きて、由香と、紅茶を飲みながら、今朝のメッセージを何と説明すれば良いかを考えて居ると、其れが、人間の存在と、神霊界・天神との関係性が、示されて来ていると言う事が理解されて来た。
其れは、神の世界や、人間の記憶・精神性が、どの様な物であるかの謎が、一気に解けて来るモノである。・・・
「記憶の扉」http://green.ap.teacup.com/20060818/2972.html

2017/9/7昨夜は眠る為に目を閉じていると、自然の森の木々や、果樹園の木々などの姿が次々に瞼に映し出されて来た。
   そして、眠ってからの映像は、子供達が自然の中で遊んでいる場面が映し出されて来てから、「オッペンハイマー」の名前が告げられて来た。
其れで、私は原爆開発の先頭に立った人間の存在が、何の関係が有るのだろうかと思い、其れが気に成って眠れないので、起きて時計を見ると、時刻は「1時36分」であった。・・
私は、此の説明を読んで、オッペンハイマーは「平和主義」であった事が判ったので、子供達が自然の中で遊ぶ映像が映し出されて来た事との関連性が、理解されて来た。
其れは、人間社会だけではなく、全ての生物を焼き尽くす原爆は、平和と未来の象徴である子供達が楽しく遊ぶ世界を崩壊させる物であるので、オッペンハイマーの後悔や懺悔の気持ちが反映されて来ていると考えられるからである。
私は、其の事が理解されて来たので、オッペンハイマーの名前は、悪い意味ではなく、良い意味で告げられて来たモノであり、私にオッペンハイマーに気持ちを汲み取れと言う事なのであろう。
其の様に考えて、私は再び床に就いた。
すると今度は、自然の中に存在する建物の室内に、夜間に神霊達が集まり、未来創造に関する話し合いが行なわれる場面が映し出されて来た。
 次に、其の事を、此の三次元世界である人間社会に、現象化させる場面が映し出されて来た。
其れは、神霊達が集合していた建物が、拡大されて映し出されて来た物であった。
だが、神霊界の霊魂は飲食をしないので、トイレが必要ではないし、風呂や寝室、其れに空調設備も必要ないので、シンプルな物であり、塵が出ないので掃除も必要無いのだが、人間界で多くの人々が集まる会場を準備するのは、大変であり簡単な事ではなかった。
私は、其の準備の為に多くの時間を必要とする事に成り、自分で様々な事に取り組み始めて、疲れてしまって居た。
「未来の読み込み」http://green.ap.teacup.com/20060818/4361.html

2006/8/27「魂魄・こんぱく」http://star.ap.teacup.com/170606/1022.html?rev=1
2012/10/27「賢所・かしこどころ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2482.html
2014/3/9「最終プログラム」http://green.ap.teacup.com/20060818/2989.html
2015/3/16「泉の女神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3394.html
2016/8/26「ヒューストーンへ向かう」http://green.ap.teacup.com/20060818/3967.html
2018/2/4「人間が管理できる事と出来ない事」http://green.ap.teacup.com/20060818/4517.html
2018/7/4「絶対」http://wave.ap.teacup.com/20060106/832.html

私は1983年3月18日に、「土肥無庵」に捜し出された時に「暗黒宇宙が有って、宇宙が生まれ、銀河→ 太陽系→ 惑星→ 地球→ 日本→ 鹿児島県→ 屋久島→ 安房→ 自分と 考えて来れば、何も迷う事はない。」と謂うと、土肥無庵は驚いた顔をして「そんな事を理解する人間が屋久島に居るのか。」と謂うので、私は「居ないので自分に殻が出来てくるから 島外の人達と付き合っている。」と答えた。

すると「土肥無庵」は、私が気に入った様で「屋久島に引っ越して来るので土地を探してくれ」と謂って、付き合いが始まったのである。

2015/10/8・・今朝告げられて来た「水のおもて」との言葉は、我々が目で視ている世界が、全て、水の働きの表面の姿形であり、其の裏には「水・みず」の働きが隠れている理を、示して来ているのであろう。
そして、其の水の存在は、此の宇宙が「水素原子・H」から始まっている理と関係が有り、全ての存在は、其のHを基にして「物・色」として有ると言う理・ことである。
其処には、神の名や仏の名は、全く通用しない世界であり、沈黙の闇の中に、始まりが存在するだけである。其処に、意識を向ければ、言葉は何も必要ではないし、争い事も起き様が無いのである。
 文章を此処まで打ってくると、私は土肥無庵に初めて会った時に、「暗黒宇宙が有って、宇宙が生まれ、銀河→ 太陽系→ 惑星→ 地球→ 日本→ 鹿児島県→ 屋久島→ 安房→ 自分と 考えて来れば、何も迷う事はない。」と謂った事を思い出した。
 其の時、土肥無庵は「礒邉さん そんな事を謂って 屋久島に解かる人が居るのですか。」と訊くので、私は「話し相手が居ないから 自分に殻が被って来るので こうして島外の人達と会っているのです。」と答えると、直ぐに土肥無庵は「土地を捜してください。」と謂って、付き合いが始まったのである。
 其れから、32年半が経過し、様々な事が起きて、色々な体験を積んで来たが、其れ等の出来事も「水の表面(うわつら)」の事であって、内側の水の世界には、何の漣・さざなみも、立ってはいないとの理・ことの様である。
「水のおもて」http://green.ap.teacup.com/20060818/3619.html
2003/2/7「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html

今朝の由香のビジョンに映し出されて来た、机の下に虫干しされた辞書の存在は、宇宙に存在する記憶盤(アカシックレコード)と関係が有り、今の間だけ触れられるモノであり、再び閉じれば2600年間は開かずの間と成り、次の御開帳までは太陽系が存在する銀河の腕が、一回転する期間が掛かると言う事なのであろう。

2013/2/18今朝のメッセージの映像は、鮭の頭の保存などの、田舎暮らしの様子が映し出されて来て、大きく力強い男性の姿が現れ、時間をゆったりと過ごしている理・ことが示されて来た。そして、カギ[]付きで『う回り』との文字が示されて来た。
 今朝のメッセージは、昨日、私の意識が・・・「虚空蔵菩薩求聞法」に目覚めた者が、「Enlighten・エンライテン(啓発する、啓蒙けいもうする、教化する、教え導く)」者であり、其のレターを配る者が「ポストマン(讜 逓 聖・とうていせい」であり、其の者が「弥勒菩薩・マイトレーヤ・メシヤ・キリスト」であると言う理・こと・・・との認識に、至った為なのかも知れない。
「う回り」とは、「宇回り」と考えれば良いのか、「右回り」と考えれば良いのかさえ判らない。其れとも、鰻の「う回り」でもあるのだろうか。
「宇回り」で良ければ、「宇宙の回転」との意味に成るが、「右回り」であれば、時計の針、人間の身体の動き、北半球の魚の泳ぎ、太陽系の惑星運動、渦巻き銀河の回転などと、色々な事が当て嵌まって来る。・・
しかし、今朝のメッセージの内容は、単なる個人的な生死の問題ではなく、宇宙的な理か、生命体の存続法則に付いて、何等かの考察をしなければ成らないのであろう。
 釈迦が悟ったのは、宇宙意識に到達し、過去・現在・未来の三世に、自分の意識が在ると言う理・ことである。
其れは、単なる自我の死ではなく、宇宙の「誕生」と「消滅」までの記憶にチャンネルする事であるので、仏陀とは、宇宙の根源に「帰命・ナーム」する理・ことだから、鮭の一生とは次元が違う事に成る。
 私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の世界に入り、現実世界に有る時計を全部壊して、人間社会の時間の概念から自由に成り、宇宙時間に意識を合わせて、暮らす様に成った。
 其れも、其れまでの宇宙の時間・ときの回転に合すのではなく、其れまで回転していたアカシックレコードではなく、自分が新しい時間軸を起して、逆回転の渦を起したのである。そして、私が自分で起した、新しい時間の渦・回転が、其れまで有った回転渦のエネルギー・情報を此方側に吸い込んで行き、古い「時間・ときの渦・エネルギー・情報」を、生滅させてしまったのである。
だから、現在の人間世界の情報の渦・エネルギー・情報は29年の物・世界とは異なるのである。
 其れまでの時間軸の渦は、下から見上げれば右回りであり、上から見れば左回りであった。私が、新しい時間の針を回したのは、左巻きであり、上に右回りで回っている回転渦から、エネルギー・情報を下の方に吸い込んで行ったのである。
其の動き・流れは数年続き、古いエネルギー・情報の方は、新しい回転の方に吸い込まれてしまったので、現在は存在しない。
 だから、古い情報の中に存在した人間の意識は、本人が気付かぬ内に、新しい時間軸の方に移動してしまっているのである。
其れは、別の言い方をすれば、私の行為は、人類全体の潜在意識を、書き換えると言うか、新しいアカシックレコードに移したと言う事に成るだろう。
 其れは、私個人が為した事ではなく、私は6月4日の禊ぎ祓いで自我の生滅が起きて、宇宙意識が私の肉体を通して動き出し、4311体の神霊・聖霊を集結させて、人類の意識転換を図って来た出来事である。
だから、其れ等の現象は、私個人の技ではなく、宇宙全体の情報切り替え・アセンションなので、私は無抵抗で自分の心身を差出し、其の様子を自我意識に記憶しただけに過ぎないのである。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージで告げられて来た「う回し」との言葉は、「宇回し」の事であって、古神道の「ちはやふる(知波夜布留、千磐破、千早振る、道早振、イヅ(稜威)ハヤ(疾劇)フル)」との事と、関係が有るのかも知れない。
そして、「う回し」が、私が新しく回した時間軸の事であって、其れが右に回っているのであれば、私が29年前に左回しに回した「渦・レコード盤」を、下からではなく、上から眺めていると言う理・ことに成るのかも知れない。
 私は、此の神の世界に入った時に、「地球の未来を任す。チャンスは一度 失敗は許されない。」と告げられ、私の役割は「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば、新しい世界を創造する為の「新しい神の座標軸」であると、知らされた。
 今朝のメッセージの映像は、其の事が、上手く運んだ事を知らせて来ているのかも知れない。其れは、人間の意識は、他の生物とは異なり、宇宙の意識に直接関わりが有り、鮭の帰巣本能とは異なり、帰る所は森羅万象が流転する、法・道にあるとの理・ことではないだろうか。其の様に考えると、世界中の宗教に共通する「祷り・帰命・ナーム」の概念や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」の言葉が理解されて来る。
 今朝のメッセージは、「Enlighten・エンライテン・啓蒙活動」は「時間・とき」の概念と、人間の「帰巣本能」に付いて、始めろとの事であろうか。
其れは、「祈年祭(としごいのまつり)」の儀式をするよりも、レベルの高いモノであり、何倍も大変な事である。・・・
「う回り」http://green.ap.teacup.com/20060818/2598.html

今朝の若い男性の声は 私が此の世界に入って34年が経過した事と関係がり、私が4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」を受け入れ、宇宙空間に事象の穴(タイムトンネル)開けて、其れまでとは裏表が逆回転と成る、新しいアカシックレコードを回転さす事に成功した事で、此の地球に降臨して来た御魂(スターチャイルド達)の存在が、既に33歳に達している事と関係が有るのだろう。

其の様に考えると、今朝 「打ち合わせをしに来たんだね」との言葉は、其の子らが成人に達している事を示唆しており、「そしたら その・・」との言葉は、「土肥無庵」と私が「話し合い・打ち合わせ」をした事を、其の子等(スターチャイルド)の手に拠って、実行に移されるとの事なのかも知れない。

今朝最初に映し出されて来た「・・一本の樹木の「根・幹・枝・葉・実(種子)が個別に切断され、夫々の部位が纏めらて、保存・管理される場面される場面は、私が此の世界に飛び込んだ時に、「白山菊理姫」の本体である白龍が私の体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と告げて来た事と関係があり、白山菊理姫が本格的に動き出すとの事なのかも知れない。
2006/9/9「自分の中に住む白蛇」http://green.ap.teacup.com/20060818/13.html

                     平成30年7月18日

                           礒邉自適

農村のリーダー育成

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    農村のリーダー育成
                        30・7・17

今朝のメッセージの映像は、国内の食料等の生活物資が不足して、皆が困って居るので、私は其の問題を解決しようと動き回って居る場面が映し出されて来た。
だが、幾ら私が頑張ってもどうにも成らないので、私は疲れ果てて、どうすれば良いのかと悩み始めるところで、意識が目覚めてしまった。

其れで、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時15分」であった。

其れから再び眠ると、今度は西瓜等の生野菜が映し出されて来て、其れ等の生野菜は保存が利かないので、腐り始めていた。
それで、私は、長期保存が利く、米麦や豆類などの穀物でなければ、国民は救えないと考えていた。

次に、何処かの農村で、30歳代の優秀な男性が立ち上がって、人々を導き始めている様子が映し出されて来たので、私は其の様子がとても気に入って、其の様な男性指導者が、全国各地に育てば、未来は大丈夫だと考えた。

其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「5時14分」であった。

其れから、再び眠ろうと思って目を閉じると、瞼に、農作業を行った為に泥で汚れている、私の作業ズボンが映し出されて来た。

其れで、今朝のメッセージは農業の事に関係が有るのだと思ったので、6時前に起きて、PCを立ち上げ「2月15日」と「5月14日」の文章に目を通すと、次の様な事が書いて有る。

2018/2/15今朝は7時25分に起きて、顔を洗う為に井戸水の水道で両手を洗うと、「全ての物質は水素原子の振動で成り立っている」との言葉が、頭に流れ込んで来た。私は、其の言葉で、全ての謎が解けた様な気がした。
 其れは、水に触れたり、水を掛けると、全てが生き返る様な気配が空間に満ちて来るからである。其の様に考えると、生活や活動の「活」の漢字が「氵(水)」である事も良く理解されて来る。・・
 此の「藤山幸盛」と「小松婆さん」の存在を考えると、今朝のメッセージは、人間は男女の差に関係無く、自分の考えを持って生活して行かなければ成らないと謂う事であり、他人の真似をして行く事や、社会情勢に流されて行く事は、本来の人間の生き方ではないと言う理・ことが示されて来ている様である。
 其れに、「大国主命」や「神武天皇」の様に、新しい政(まつりごと)を始めた人物は「偉人」であり、「統尊・すめらのみこと」であると謂えるが、其れを唯継続するだけの「天皇(子孫・血筋)」は、偉人や統尊ではないと言う事には成らないのであろう。
 其れを考えると、昨日のメッセージ「節目」の映像に映し出されて来た、毎年新しい竹の子を生じさせる地下茎の根の節目は、真実の「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界を示唆しており、芽を出せない途中の節目や、一人前に成長出来ない物は、根の系統を代えなければ成らないと言う理・ことなのではないだろうか。
 其れは、上記した「時間と言うモノ」の文章と関係があり、「統尊・すめらのみこと」の「御嚴・みいつ」を行う者は、今朝私が、両手を水で洗った時に告げられて来た「全ての物質は 水素原子の振動で成り立っている」との事と関係が有り、統尊は森羅万象(時空)の流転の先端に立たなければ成らない存在なので、釈迦仏陀の謂う「衆生一切わが子」との世界と関係が有り、自然全体を肌感覚で感じ取っている人間でなければ、勤まらないと謂う事に成るであろう。
其れを考えると、王様・皇帝・天皇の家に生まれただけで、旅の修行を完成していない者は、其の統尊の真実の役割・はたらきは出来ないと言う事に成る。・・
 今日は、先ほど、明日出雲に向かって出発する江藤敬介氏より電話が有り、しばらく話した。
日本の伝統文化は「豊葦原瑞穂の国」との言葉が示す様に、水田稲作文化であり、山岳から流れて来る河川の流水と、水田の組み合わせで、築かれて来たモノである。
其れを考えると、砂漠や草原で暮らして来た民族とは、異なる文化(習慣・風習・宗教)を有しているので、今朝告げられて来た「全ての物質は 水素原子の振動で成り立っている」との言葉は、他の民族よりも日本人は、肌感覚で理解し易いのではないだろうか。
「全ての物質は水素原子の振動で」http://green.ap.teacup.com/20060818/4528.html

2018/5/14今朝のメッセージは、先ず私が一眠りしたら起こされたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時42分」であったので、私は其の数字を「142・いしに・石に」と記憶して再び眠った。
そして、映し出されて来た映像は、隣り合わせの二つの村に存在する、神社の大祭日の様子が映し出されて来た。
 其れは、大祭日が同日である隣り合わせの二つの村の人々が、二団体で様々な競技を行うモノであり、競技が終わったら皆で直会(なおらい)の料理を食べる催しの様子である。
其の行事は、40歳代の男性が取り仕切っているモノであり、直会(なおらい)の料理の準備は、其の男性の妻が中心と成って準備をして居る事が示されて来た。
 其れから、其の夫である男性は、全ての行事が終了してから、自分の村の神社ではなく、相手方の神社に一人で参拝に向かった。どうやら、其の男性の産土神は其方の方であり、隣り村の方に住む女性と結婚した様である。
 そして、神社に向かって参道を歩いて行くと、天空の星星が美しく煌き始め、其の中に一際輝く星が有って、其の星が、其の男性の守護星である事が示されて来た。
 今朝は起きた時刻が「6時52分」であったので、私は其の数字を忘れない様に、一応「652・むこに・婿に」と記憶して台所に行って、由香に「婿殿の夢を見た」と言うと、由香がびっくりするので、何故かと訊ねると「今朝の夢には 婿入りして行った身内の人が登場した」との事であるので、私が652を「婿に」と記憶した事は、当たっている事を理解した。
其れで、本日の文章の題は「石に・婿に」とした。
 今朝のメッセージは、どうやら「産土神・うぶすなかみ」や「御祖神・みおやかみ」の祭祈は、「岩石」を御神体とする理・ことと、結婚は入り婿制度・母系社会の方が、上手く行くと謂うか、自然の理に適っているとの理・ことが示されて来ており、其の社会制度の方が「宇宙神・天空の神々」が言祝いでくれると言う事の様である。
 今朝のメッセージの内容から、私に考えられる事は、石英や雲母等を含む花崗岩の球石を御神体として、自分自身が宇宙と直接チャンネルすれば、現代社会の一般的な宗教世界は必要ではなく、正しい道を歩けると謂うか、穢れの無い人生を送れると言う事であり、其れが「弥栄(いやさか)」であると言う事である。
其れに、岩石がチャンネル体に成るとの理・ことは「イエスキリスト」が逮捕される最後の日に、丘に登り、岩の側で一晩中祈って居た事でも、其の事は明らかである。
 そして、本来の「まつりごと」とは、人間が共同体として、切磋琢磨して心身を鍛えて生きて行く事であり、優秀な男性は自分の部族から出て、血筋の離れた他部族の族長の娘を嫁にして、新しい世界を創造して行くと言う事である。
此の様な事を書いても、其れに偏る事なく夫々の環境や職業に合った生き方をすれば良いのであり、今朝のメッセージに示されて来た生きかたは、精神的なリーダーが釈迦牟尼世尊やイエスキリストの様に自由でなければ成らない事を示唆しており、自分は財産の管理をする事なく、意識を宇宙に向けて生きて行かなければならないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
 其れは、聖書に「人間は 神と財産に 同時に仕える事ができない」と記されている事に通じている。
「石に・婿に」http://green.ap.teacup.com/20060818/4619.html

此の二日分の文章を読むと、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、優秀な男性指導者の存在は、高度な教育を受けた健全な男性を農村に婿として迎え入れ、新しい村造りを行わなければ成らない理・ことが、示されて来ている事に成るようである。

そして、其れは農村の村造りの事だけではなく、人間の生活に欠かせないない最大の物が食料であるので、国家を支える物が農村での食料生産であり、特に長期保存が出来る穀物の貯蔵が、最大の課題であるとの理・ことが、今朝告げられて来ているのであろう。

其れを考えると、先進国の中で日本国は食糧自給率が最低である事が、最大の問題であると言う事に成る。

キー「日本国 食糧自給率」

2010/10/28本日10月28日は、今は亡き私の師「土肥無庵」の誕生日であり、台所の神である「荒神様」の日でもある。
其の、荒神様からのメッセージなのか、今朝のメッセージには、横書きの文章が映し出されて来て、其の中に「食物」の言葉と「27」の数字が有った。
 私は、其の「食物」と「27」の言葉と数字から、日本の食料自給率が27%にまで落ち込んでいるのだと思った。
日本の食料自給率は、約40%有ると云われているが、卵や肉や牛乳を生産している家畜の餌の90%近くが、外国からの輸入穀物なので、飼料の輸入が止まれば、其の数字は一気に減るのである。
其れを考えると、今朝のメッセージの内容は、食料自給を考えろとの事ではないだろうか。
 日本国の自給率が落ちて来たのは、戦後アメリカ国の圧力に拠り、日本の伝統であった「米飯・味噌汁・沢庵・魚」の食事から、「パン・肉・卵・牛乳」の食事に切り替えて来たからである。
そして現在では、米余りに成って、補助金を出して稲作を減らしているのである。其れに、以前は、畑や水田であった山間地の土地に、杉が植林されてしまい、現在・いまでは、元の農地に返す事が出来なくなってしまっている。
 今朝の映像では、雨が少ない南米の様な国の土地の山が、無理やりに機械で畑にされてしまい、作物が育たないので見捨てられて、砂漠の様な状態に成っている場面が映し出されて来た。
其の映像の意味は、もう地球の土地は、開発の限界に来ており、是以上農地を広げる事は無理であり、化学肥料を使って耕作を続けて来た農地は、ミネラルや有効成分を失って、作物が育たない状況に陥りつつあるとの理・ことである。
 其れ等の事柄を考えると、我々の住む此の地球は、既に、自然回復度の限界を超えており、人類の生存危機が一気に訪れる理・ことを、自覚しなくては成らないのだ。
 今月のニュースで、地球の人口が今年内に70億人に達すると報道されていた。其れは、地球環境が悪化しているのに、人口は増え続けている事に成る。
其れ等の事柄を考えると、此の侭では、人類には、明るい未来が無い理・ことは明らかである。
日本国では、ここ12年間、年間自殺者が3万人を越えているが、其れ等も大した事では無く成る日が、近付いているのだ。
 今朝のメッセージには、もう一つの問題が提示されて来た。
其れは、村から住民が逃げ出して、空き家になった家の中に祀られている、神棚や仏壇の霊魂の処理である。
 人間は、生活に困って村から逃げ出す時には、先祖の霊魂や、神様の事には無頓着である。だから、置き去りにされた霊魂や神霊は見捨てられた事に成り、行き場を失って、建物が崩れ去ったら、浮遊霊と成ってしまうのである。
 今朝の映像では、私は、廃村と成った村の建物の中の、神棚や仏壇を見て回っていた。そして、其の村の中心的人物であった人の家に、村人に案内されて上がり込んだ。
其の家の広い部屋には神棚が有り、私が、其の部屋に入って神棚の前に座ると、左手の甲の部分の毛が黒く伸び始めて、20cmくらいの長さに成った。
 其の現象は、霊魂の情報・エネルギーは陰である左手から、人間の身体に入り込む理・ことを示している。そして、頭髪だけではなく、身体全体の毛から「物の怪・ケ」が吸い込まれると言う理・ことに成る。
其れは、霊的な場所に行けば、産毛が逆立つ事が有るのとも、関係が有るのだろう。
 我々人類は、聖霊の住む自然の森を破壊し、水を汚染し続けて来た。
そして、其れ等の自然霊を祭る事も忘れ、村から逃げ出す時には、自分の先祖の霊や、神様の祭壇さえも置き去りにして行くのである。
利用するだけした神様を、処理しないで、其の侭置き去りにして行く事は、契約違反であると言う理・ことに成る。
其の様な人間は、何処かに新たに住む事が適っても、良い人生を送る事には成らないであろう。
 今朝のメッセージの内容は、人間の暮らしにとって「食物」と「霊魂」の存在は、切っても切れない関係が有る事を、示して来ているのではないだろうか。
だからこそ、此の日本の伝統文化には、天皇家の「新嘗祭」や大嘗祭が有り、民間の家でも「お盆」や「正月」には、神棚や仏壇に食べ物が供えられ、「直会・なおらい」や「先祖供養」が行なわれるのである。・・
 今日は、無庵師匠の生誕69年の記念日である。
私は、2002年11月7日に亡く成った、無庵師匠のお墓には、未だ墓参してはいない。しかし、今朝のメッセージの内容からすると、無庵師匠はいまだに、私を見守っている様な気がする。
 其れを考えると、お墓や、仏壇や、お宮は、此の生きて居る人間の肉体や、意識に、最大の存在としてあると言う理・ことに成って来る。
だとすれば、やはり、私が、神棚や仏壇の前に座れば、体毛に霊魂・御霊が作用して来るのは、本当の事なのかも知れない。
 そして、其の鎮魂の力を維持する為には、自分の身体の管理が一番大事であるので、良質の食べ物が途切れない様にする事は、人間にとって一番大事な理・ことなのであろう。
其の様に考えると、昔から「荒神様(竃神・食べ物神)」をお祭りして来た事は、最も大事な仕来たり・風習であると言う事に成るのだ。
 今朝のメッセージは、新しく開発された村が、放置されて行く映像が映し出されて来ている。其れは、一昨日のメッセージに有った、都会の崩壊だけではなく、村が崩壊して行く事を示唆している。
 其れを考えると、私は、都会と農村の暮らしを、両方考えなければ成らないらしい。其れも、霊魂の祭り事も合わせてである。
「荒神様の日」http://moon.ap.teacup.com/20061124/68.html

2011/3/11昨日のメッセージには、米の事が出て来たが、今朝のメッセージの映像には、太陽の働きが映されて来た。
其れは、江戸っ子の文化である「お天道様と米の飯は付いて回る」との物言いに関係が有るのだろうか。
お天道様と、米の飯は付いて回るとは「どこに行っても喰いっぱぐれが無い」と言う事だが、確かに、私は何とか食い繋いでいるので、其の言葉を実践している事に成る。・・
 日本人は、本来、自分の国・洲の事を「瑞穂の国」と呼んで、我が国は稲作中心の文化圏であり、米が貨幣の代わりであって、神社の注連縄や、綱引きの藁綱など、稲に関する事が、生活の中心に在ったのである。
其れが、現在では学校給食や朝食等、小麦のパンが中心と成って来ている。
其れらの、パンや麺類等の小麦は86%が輸入であり、貿易が止まった時には、穀物自給率が28%しか無い此の日本国は、大変な事に成る。
日本は米を食べていれば、自給率が低く成る事は無かったのである。
何故、国内で生産出来る米を食べないで、輸入の小麦に頼る事に成ってしまったのか。其れは、アメリカで穫れ過ぎて、石炭のボタ山の様に野積されて腐れていた小麦を、日本に買い取らせる為に、アメリカが仕掛けて来た国策に因るモノである。
米を食べて居れば、味噌汁と沢庵と豆腐・納豆、其れに、海藻や魚類が有れば事足りたのである。
其れが、パン食に成って、肉や牛乳やケーキなどが必要に成り、一気に食の乱れが進み、自給率は低下してしまった。
 今や、食料自給率は30%を割り込んでいる。
カロリーベースでは、40%の自給率が有るとされているが、肉・卵・牛乳などの動物食品の生産に、必要な動物の穀物飼料は75%が輸入なので、エサの輸入が停止すれば、それらの食品は、殆どが生産出来なく成るのである。
其れに、豆腐・納豆・味噌・醤油などに使われる大豆も、94%が輸入物であり、小麦は86%が輸入である。・・・
「お天道様と米の飯」http://green.ap.teacup.com/20060818/1862.html

2006/12/16今朝は、厳しい世界が始まる事が示されて来た。
其れは、今流行りの「癒しの世界」は吹き飛んでしまいそうな世界である。
現在・いまのスピリチュアルの世界は、高度成長の落とし子みたいなもので、豊な経済に支えられて成り立っている。
 自然に触れる観光や、宝石やエッセンス等の、物品に囲まれた艶やかな世界、其れ等の世界は、神に近付く為のものではなく、単なる人間のエゴにしか過ぎないのである。
其れ等の世界は、本来の「禊ぎ祓い」をして、神の世界に触れる事や、ブッダに成る事とは、掛け離れた処に位置している。
 今朝の映像は、愈々私が、自分の手で車を運転して、旅立つ場面から始まった。処が、車を発進させたら、周りが真っ暗で、ハンドルを何処に向けて切ったら良いのか、判らないので慌てふためく場面だった。
私が困っていると、頭上から誰かの手が、私の頭に被されていた袋を引き上げて、外してくれた。
 私は、ようやく周りの景色が見えたので、其の景色を良く見渡すと、何ヶ月も雨が降らないで、山の木が枯れあがっている現場の映像である。
特に、杉や唐松等の人工林は、水持ちが悪いので、完全に枯れあがっており、誰かが、煙草の吸殻でも投げ捨てたら、一気に燃え上がってしまう感じである。
其れだけ、自然が乾燥してしまっているのである。
其の次に伝えられた事は、日本国が食糧危機に成って、殆どの人達が、食べ物が手に入らなく成る事が告げられて来た。
 日本は、世界でも類を見ないほど山岳が多く、水が豊富な国である。
其れが、水が不足すると言う事は、世界中が水不足に成ると言うことである。
日本の国は、食料自給率は30%で、先進国では最低の水準である。
家畜の餌や、味噌や醤油・豆腐等の原料は90%以上が輸入である。だから、輸入が止まれば「鶏・卵・豚肉・牛肉・牛乳」等の生産が出来なく成るし、パンや麺類等も総て無くなるのである。
オマケに経済危機が起きれば、一気に円安に成るので、他の石油やガス等も買えなく成るし、工業も原材料がストップするので、全面的に生産ストップに成り、貿易が止まるので、あらゆる経済活動が停止し、国家が崩壊し、公務員も其の職を失う事に成る。
 其れは、70%の国民が、食べ物の有る国に、避難しなければならない事に成る。しかし、8000万人もの人間を、受け入れてくれる国は、何処にも無いだろう。そう成れば、3分の2は死んで行くしか他に方法はない。・・・
「事象の反転」http://green.ap.teacup.com/20060818/127.html

2010/10/25今朝のメッセージの映像は、先ず、私自身が、此れからどの様な役割を果たせば良いのかを、探る場面が長く続き「調査官」との言葉が伝えられて来て、私の役割は、此の世界の現況を調査して、其の資料を、誰かに渡す役割である理・ことが理解できた。しかし、其の資料を渡す相手が誰なのかは、まだ明確には示されては来なかった。
 其の映像が終った後、都会から何の荷物も無く、手ぶらで元気無くトボトボと歩いて逃げ出して来る、多くの人々の姿が映し出されて来た。
そして、其の人々は、田舎の数箇所の公営アパートの様な所に列を作っており、何とか、建物の中で休みたい様子を示していた。
しかし、其の中には、老人や、子供や、妊婦は一人も居ないのである。
 其れは、聖書に書かれている「其の時には 妊婦や幼子を抱えた者は 災いである」との言葉が、現実のモノ・現象と成る事を、示して来ているのではないだろうか。
何故なら、今朝、歩いて来た人々は、全て現代の服装をしていたからである。
 其れに関連して、都会の人達の背後霊は、物の世界が崩壊して、自分の憑依している人間の生活が維持できないので、想う様に事が運ばなく成り、悪霊と成って行く場面が映し出されて来た。・・・
「聖書の予言」http://green.ap.teacup.com/20060818/1707.html

2009/9/12今朝の文章の題は、「国家戦略」とする心算だったが、朝、宿舎から出る時に、勝手口の上がり台から、履物の下駄に足を乗せると、「全てを委ねられるモノ」との言葉が頭に浮かんだので、「国家戦略」から一歩意識を進めて、「全てを委ねられるモノ」とした。・・
 私にとって、下駄に付いての思い出は、25年前に4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、其の神霊の働きの二番目に、大本教の活動を広げた「出口王仁三郎」が現れて、私に下駄を履かせた事である。
其れに、出口王仁三郎は生前に、鹿児島出身の政治家・床次竹二郎の弟「真廣」に渡した手紙・遺書に、「現在の神はみな偽者だ。本物が現れたら大本もお終いだ。お先にさいなら。」「今度の神は 鹿児島から下駄を履いて チャラチャラ遣って来る。」と、手紙を出している。
其の事は、「さすら」を発行していた「金井南龍」の本に書いて有る。
出口王仁三郎は、自分で予言した事を実現させる為に、私に下駄を履かせたのである。・・
 其れに、今朝の映像で、下駄に足を乗せた時に「全てを委ねられるモノ」と告げられて来た原因を考えると、群馬県の鬼石町に住んで居た故「中屋龍洲氏」が、私に「土光さんが 友人だから飲みに行こう」と云って、私を土光さんに会わせ様としたのだが、私は未だ、自分に国家プロジェクトの枠組みが何も出来ていなかったので、其の時は誘いを断ったのだが、其の内に土光さんも中屋龍洲氏も亡くなってしまった。・・
其の時の、中屋龍洲氏の話では、土光さんに、中屋龍洲氏が「中曽根はどうか」と訊ねたら、「履こうとした下駄を ひっくり返された様な モノだ」と、土光さんが答えたとの事である。
其の会話は、土光さんが、鈴木内閣当時「行政管理庁長官」であった中曽根康弘に「第二次臨時行政改革推進審議会」の会長を委託された時に、全部任せてくれるのかと思って重い腰を上げたのだが、イザ行政改革に取り組もうとしたら、其れが違ったとの意味で、裏切られたとの意味を含んでいる言葉である。
其の、「土光 敏夫」の悔しさと言うか憶いを考えると、今朝、私が下駄を履いた時に「全てを委ねられるモノ」との言葉が告げられたのは、土光さんの気持ちと言うか、意思が反映されている様な気がする。・・・
「全てを委ねられるモノ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1269.html

2009/7/15「真白に輝く祝詞」http://green.ap.teacup.com/20060818/1207.html
2010/3/3「造化三神の嘆き」http://green.ap.teacup.com/20060818/1458.html
2017/10/1「祝い主の大神発動」http://green.ap.teacup.com/20060818/4387.html
2018/1/11「政り事が原点に返る」http://green.ap.teacup.com/20060818/4493.html
2018/1/14「三輪が動く」http://green.ap.teacup.com/20060818/4496.html

今朝の映像に映し出されて来た、優秀な男性指導者が、地元出身の者ではなく婿の様な感じ・雰囲気であったのは、生物の「DNA・遺伝子」の仕組みと関係が有り、農村を活性化させる為に「他国の者・新しい血筋」を導入する事が、成功する秘訣である理・ことが示されて来ているのであろう。

其れは、日本の歴史の始まりである「神武天皇」が奈良の「長髄彦(ながすねひこ)」の身内の婿に成って国を任されているし、租祖父である「瓊々杵尊ににぎのみこと」も大陸から鹿児島に渡って来て、大山祇神の娘である「木花咲耶姫・ このはなさくやひめ」を娶って婿に成っているからである。
其れに、同じ渡来系である「須佐之男尊・すさのをのみこと」も出雲の大山祇神系の「手名椎」の娘である稲田姫を娶る事で、住む事を許されている。

キー「婿殿」 
(此処で左手の薬指に強いカモ(神の電気信号)が起きる)11時26分

2009/5/22・・其の様に考えると、私に憑いている神は、渡来族の天津神系ではなく、日本列島に以前から住んでいる「国津神系・くにつかみ」であるのだろう。其の国津神の系統が、大山祇神の系統なのである。
 出雲の「建速須佐之男命・たけはやすさのおのみこと」は、大山祇神の系の「櫛稲田姫・くしいなだひめ」を妻にしているし、神武天皇の祖祖父である「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこほのににぎのみこと」も、日本列島に渡って来て、大山祇神の娘である「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」を妻にして、婿殿に成って国造りを行っているのである。
其れを考えると、確かに、日本列島の古代の神々が動き出している事に成る。そして、日本列島から絶滅した日本狼の霊が、昨夜、還って来たのではないだろうか。
そして、日本狼の個体が存在しないので、人間の子供として、地上に転生するとの事なのかも知れないのである。・・・
「無為真人」http://green.ap.teacup.com/20060818/1151.html

2018/4/18今朝のメッセージは、先ず、私が何処かの田舎に存在する研修所に宿泊している場面が映し出されて来た。
其の施設は、宿泊棟と事務所などが有り30歳代を中心として、男女が研修に参加して居た。
私は、其の人達との会話が上手く出来ないので、其の理由を探って居ると、其の人達は企業に働いているサラリーマン達であり、企業が経営している果樹園の収穫時に応援に来て居るので、私の様に田舎で産まれ育ち、農業をした事が無い人達である事が分かった。
其れから、緑色の一升瓶が、半分程地面に埋まっている場面が映し出されて来て、人間の魂しいは、入れ物(器)ではなく、中身である理・ことが示されて来た。
太陽神「ラー」が信仰対象であるエジプトの「ファラオ(継承権はファラオの娘である第一王女にあり・・)」の意味と、此の5月31日の文章の内容(太陽)は、間違い無く関連しており、今朝の映像で三人の娘さん達が、日焼けしてとても元気であった事とも繋がって来る。
 其の事を考えると、今朝のメッセージの映像は、政治の在り方が示されて来ており、男子一系の王政(社会体制)よりも、母系制度の社会制度の方が、人間の暮らし・生活方には合っている理・ことが示されて来ている事になる様である。
 其れは、日本国の歴史の基が、「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこ ほのににぎのみこと」が九州の笠沙の浜に上陸して来て、大山祇神の娘である「木花咲耶姫・ このはなさくやひめ」を娶って暮らし始めた事や、其れ以前に「須佐之男尊・すさのをのみこと」が大陸から渡って来て出雲の斐伊川を遡り、大山祇神系の娘「櫛稲田姫」を娶って、須賀の地に新居を構えて生活を始めた事が、其の事と合っている事に成る。・・・ 
「ファラオ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4592.html

2007/7/20今日、博多に向かう電車の中で、フト気付いた事は、日本の国造りは、旅人が婿殿に成る事で、国造りが出来ている事である。
「須佐之男尊」が海を渡って来て、奥出雲で「櫛稲田姫」を嫁に貰い、出雲の須賀で国造りを始め、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が鹿児島で「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ。別名・神阿多都比売・かむあたつひめ」を嫁に貰って日本に住み、「神武天皇」は奈良でナガスネ王の娘を嫁に貰い国を治めている。
 其れ等はみな、男性の旅人が、旅先の娘を娶る事で、其の土地に住む事が許されている事を示している。そして、櫛稲田姫も、木花之佐久夜毘売命も、国津神である大山祇神の血筋である。
 古事記にも、ウガヤフキアエズより前に、天神七代、国津神五代が有った事に成っているので、海を渡って来た側にも七代の先祖が有り、日本に既に住んで居た部族にも、大山祇神の先祖が在った事に成る。
 其の事を考えれば、ライオンや、猿が、優秀な雄は自分の群れを出て、血筋の遠い群れの所に行き、ボスに成る自然の法則が、人間にも受け継がれている事に成る。其れは、生物が近親結婚を避け、遺伝子が近く成る事を避けるシステムが、人間の無意識にも備わっている事を示している。
 私の父方は、礒邉・磯部・石部で、鹿児島湾や伊勢湾に昔住み着いた部族で、母方は新潟の出なので、中国か朝鮮系ではないだろうか。其の事を考えれば、私の血も遠い者同士の組み合わせと言うことになる。
 其の様な事柄を考えれば、国際化して、混血が進む事は、良い事であると思わなければ成らない。其れを裏付ける様に、ハーフの人達には不思議な魅力の有る人が多い。
是から世の中が激変し、様々な事が起きれば、混血化が進み、新しい雰囲気を持つ人々が増える事に成るのかも知れない。
其の様な事を考えれば、人間の未来も、結構楽しいものに成ると思われて来るから不思議である。
「婿殿・むこどの」http://moon.ap.teacup.com/20061108/298.html

2006/5/29今朝は「小川源之助」との名が出て来て、其の人が、銀色に光る縦長の細い心棒らしき物を、何かの中心の位置から外して、納屋の棚みたいな所に収納してしまう映像が映されて来た。小川源之助さんとは、日月神事の岡本天明さんと親しくされていた方である。
其の人が外した、心棒らしき長い棒が、何だろうかと考えていると、「天津日嗣・あまつひつぎ」の縦の心棒が取り替えられる意味が伝えられて来た。
 其の意味を良く考えていると、日本の国の歴史は、母系社会で構成されている事が見えて来た。つまり、他の民族の男性の血筋を導入する事で、「功・イサオ」を上げて来ているのである。
「須佐之男尊・すさのおのみこと」は、大陸から日本に渡って来て、出雲で「足ナズチ・手ナズチ」の娘である「櫛稲田姫」を娶り、須賀の地で新居を構え、四名の子供を残している。
 日本の歴史は、出雲も、南九州も、奈良も、皆、余所者の男が、嫁の里で暮らし始めた歴史なのである。其の事から考えれば、日本の国造りの元は、全て大山祇神の一族の里と言う事に成る。
「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が日本に来た時には、既に、日本の国土には大山祇神の一族が、全国に住んで居た事になる。其れは、稲田姫の祖父や、「木花之佐久夜毘売命・別名神阿多都比売」の父親などが、同じ先祖を有していた事になる。
 現在、日本の天皇家は、男系血筋と決められているが、其れは、イスラエル・ユダヤからの流れや、中国の皇帝制度の影響を受けたからであろう。
処が、歴史を遡って見れば、元は大山祇神のおおらかさにより、受け入れられた事で、妻の里で国造りが行なわれた事が解かる。
古代の日本社会は、女性が中心の母系社会だったのではないだろうか。
其れが、中国の財産管理をする為の、男性中心システムが入って来て、現代の様な、男性中心社会に成って来たものと考えられる。
 今朝のメッセージは、其の男性社会のシステムである「天津日嗣・あまつひつぎ」を、女性中心のシステムに、切り替えろと告げて来たのではないだろうか。・・・
「母系社会への復帰」http://star.ap.teacup.com/170606/915.html

2008/8/23・・其の木の高さは100m程も有り、枝が少なく「諏訪神社」の御柱の様に真っ直ぐな物であった。其れは、昨日の映像で、ピンクの服を着た女神を、見下ろして居た高さよりも高い目線の位置である。
 其の映像から、私が感じる事は「高御座・たかみくら」の言葉である。
昨日は、其の目線を「朱雀・すざく」の目線としたが、其の意識が、今朝は御柱を下って地上に降りてしまった様である。
其れは、太陽の化身である朱雀の意識が、羽根を畳んで、羽根を持つ蛇の化身「ケツァルコアトル」として、地上に降臨したかの様である。
其の意識が、憑依した者こそ、高御座の玉座に着けると言う事ではないだろうか。其の高御座は、東京の皇居には無く、現在でも、京都の御所に置いてある。
 今朝は、其の地上に降りた意識は、是から、国民を動かす為の言葉を書いた書類を、総理大臣等の政治家に渡すのではなく、黒ぶち眼鏡のインテリ男性の官僚に直接手渡していた。其れは、現在の政治家は、政(まつりごと)には必要ないと言う事らしい。
 考えて見れば、日本には「足利幕府」が出来てからは、天皇に因る政治が行われていないのである。幕府とは、政治や経済や軍隊を動かすだけで、真の神事を、行う事は出来ないのである。
しかし、現在では、其の神事を行うべき皇室も、宮内庁が政府の一部に取り込まれているので、本来の神事(天津日嗣)が行われてはいないのだ。
「天津日嗣神事・あまつひつぎしんじ」は、高御座に神霊を降臨させてこそ成立するものだから、政府の管理下に在って、機能する分けがないのである。
其の仕組みが、いま私が関わる世界で、仕方なく始まっているのだろう。
 今朝は、4月3日の日付が現れ、易しい政(まつりごと)が始まる事が知らされた。4月3日とは「神武天皇」の命日であり、神武天皇祭が開催される日である。神武天皇は、日本の皇室の始まりとされている人物である。
そして、日本の現在・いまの政治は、奈良で2668年前に始まった事に成っている。
 今朝は、其の事が、2月の上旬に始まる事が告げられ、其れに「イエスキリスト」の名が関わる事が告げられて来た。
そして、其の易しい政(まつりごと)に「イスカリオテ(使徒・ユダ)」の名も、イエスキリストの言葉に、其のまま従うとの意味が、伝えられて来た。
其れは、日本の皇室の暦と、西暦が合流する事を意味しているのであろう。
其の事が、何故、今日知らされて来たのであろうか。
 今日は、西暦の8月23日と、旧暦の7月23日が重なる日である。
其れは、太陽暦と月齢が重なる日と言う事だから、天照と調読の合体の日でもあると言う事ではないだろうか。
其の日に、高き木の梢に止まる「朱雀」が地上に降りて、政(まつりごと)の書面を、官僚に直接手渡すと言う事は、政治家の手から、政(まつりごと)を取り上げるとの事なのかもしれない。
 其れを、昨日のメッセージと重ねると、もう現在の政治家の遣り方では、大事な子育てが出来ないので、弁財天が地上に現れて、質量の流れを変えてしまうと言う事である。・・・
「天の御柱」http://star.ap.teacup.com/2007313/516.html

2011/12/23・・其れ等の事柄を考えると、日本の神話は、此の日本列島に以前から暮らしていた「大山祇神・大きな山に住む巳かみ」を信仰する一族が元に成っている理・ことになり、其の伝統を復活する事が、日本から現れる神一厘の仕組みであろう。
 其の裏付けは、7回半トグロを巻く大蛇に例えられている螺旋の仕組みであり、時空を司る「トキの神」、手に宝珠を掴む龍神の存在である。
其の龍神は、東南アジア地域では7回半トグロを巻いた胴体の上に釈迦佛を座らせて、7つの頭を翳して守護をしているし、南米のアステカのピラミッドでは天から降りて来て頭を地上に下している。其れに、エジプトのギザのピラミッドにも7回の螺旋が仕込まれているし、日本の御神山や、戸隠山や、三輪山に7回半巻き付いている蛇神でもある。
其の世界中の、「大山祇神・やまの巳かみ」の概念を、此の日本から復活しなければ成らないのだ。其の理由は、其の大蛇の働きが水の循環を意味しているからである。
 「大山祇神」は、海に居る時は「海神・わだつみかみ」であり、「わだつみ」とは、「海の巳」である。其れは、海で水蒸気と成った熱エネルギーが、陸地の山に来て雲と成り、山岳に神鳴りと成って雨を齎し、川を下って水田で稲を実らせ、生き物を養って、再び海に帰って行く。
其の水の循環を現した物が、水分け峠の御神木に7回半巻き付けられる稲わらで編まれた大蛇であり、其れが麓の村に降ろされて綱引きの綱となり、綱引きが終わってから神社の境内で相撲の土俵と成って、相撲が終わったら再び海に還されるのである。
 何故、須佐之男尊が田の畔を壊し、馬の皮を剥いで天照神が作業をしている機織り部屋に投げ込み、儀式に糞を撒いたのか。其れは、川を堰き止める事に反対し、山の木を伐って牧場にする事に反対だったからである。そして、其の様な暮らし向きをする民族の儀式を、止め様としたのである。
だから、須佐之男尊は暴力神ではなく、人類初の環境保護者なのである。其の証拠に、須佐之男尊は自分の次男である「五十猛神・イソタケル」や、娘2人と、日本中に植林をして回っているのである。
 其の須佐之男尊の意志にそう為には、ダムを壊して川の水の流れを元に戻し、山の牧場に植樹をして、牛肉を食べる事を止めなければ成らない。
そして、水田を元に戻して米の消費を増やし、海藻や魚貝類の繁殖を増やさなければならないのだ。
其れと反対の事が、是まで「経済発展」の名に於いて、戦後此の日本列島で行われて来たのである。其れは、日本だけではなく、現在南米のアマゾンの森林破壊や、アフリカの人口増加で砂漠化が進んでいる事で顕著である。・・・
「見えて来た神一厘の仕組み」http://star.ap.teacup.com/2007313/795.html

2010/1/11 今朝のメッセージの映像は、何処かの砂丘に、私が、座禅を習って在家得度を受けた「田中真海禅師」と立って居り、二人の前には、ピンク色の衣を着た若い女神が立って居た。
私は、田中禅師と其の女神の前に立って、自分が一番気に入った和歌を、紹介して居た。其れは、自作の和歌ではなく、詠み人知らずの他人の和歌であった。
其の場面に立っている私の心境は、実に穏やかで充実していた。
其れは、周りに何も無い「砂丘・砂漠」であるから、他に人影も無いし、小鳥や動物も居ないし、草木も生えていないので、何等、気に成るざわめきが無いからであろう。
確かに、其の場には生命が無いので、和歌は生まれないと言うか、育たない事は確かである。其の様に考えると、日本の国土は、四季が有り自然が豊かなので、和歌や短歌の世界が発達したと言えるであろう。
 私は、今朝の場面を脳裏に浮かべながら、新しき「善の世界」を感じて居た。
漢字の「善・ゼン」は「羊+口+口+口」の組み合わせで、神に、羊を捧げて仕えている神主・巫女の所に、問題が発生した二人が出掛けて行き、其の神主の前で「善い答えを 導き出す」との意味である。
だから「善」の漢字は、問題が発生しなければ、成り立たない概念である。
 しかし、今朝のメッセージの場面は、私が、座禅を習い在家得度を受けた師匠と対等に、自分が選んだ和歌を女神に紹介していた。其れは、問題解決の答えを導き出す為に、神に仕える神官の所に行っているのではなく、神に直接、人間の詠んだ和歌を、奉納する場面である。
 其れは、人類が、是まで積み上げて来た文化・文明の中で、最高の場面なのではないだろうか。と言うより、其の場面では、私が、座禅の師匠と対等の立場に在ったので、私の旅が成功した理・ことを意味しており、人類の未来が、明るいモノと成った理・ことを示唆して来ているのではないだろうか。
其れは、私が昨日、「トライアース」との名の雑誌を発行しなければ成らないと、文章に書いたからかも知れない。
「トライアース」とは、地球に触れると言うか「タッチ」するとの意味である。
しかし、今朝の場面は、砂丘か砂漠の様な場所だったので、自然も四季の移ろいも、無い世界である。
 何故、其の様な場所で、女神に和歌を奉納しなければ成らないのか。
其処に、今朝のメッセージの重要点がある事を、示唆しているのであろう。
其れは、自然が豊かであればこそ、和歌や短歌が生み出される理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝二人の前に立って居た女神は、地球の大地の神であるガイヤの姿だったのかも知れない。・・・
「文学部1年生」http://green.ap.teacup.com/20060818/1402.html
2014/5/3「人生は旅そのもの」http://green.ap.teacup.com/20060818/3044.html
2018/2/15「全ての物質は水素原子の振動で」http://green.ap.teacup.com/20060818/4528.html

今朝は、6時過ぎにPCを立ち上げて文章を打ち始めると、畑の方で聞き慣れない獣の甲高い鳴き声が一声聴こえた。

其れで畑に下りて見ると、最後に残っていた大玉の西瓜が二個「ハクビシン」に食われており、今年は三本植えた大玉の西瓜は、大雨の所為で水分過剰で10個程が弾けて駄目に成り、ハクビシンに8個程食われたので、結局まともに収穫出来なかった。
昨年は、子供達や屋久島の実家の方にも贈ったのだが、今年は其れが出来なかった。
だが小玉西瓜の方が、二人では食べ切れない程あるので、困る事は無い。

今朝は8時40分まで、二時間程瓜類の収穫や、落花生の除草などを行った。

其の作業中に、ハクビシンの被害も大雨の被害と同じく、神(はたらき)の意図ではないかと思えて来た。

其れは、私が「赤家蚊」の羽音に起される現象が、マヤ・アステカの時間の操縦士である「ククルカン・ケツァルコアトル」の神(はたらき)の所為である事と関係が有り、私が食生活の世界も神(はたらき)に管理されていると思うからである。

其れは、イエスキリストの様に、他人を導く為の奇跡現象とは違うが、私に文章を書かせる為に、あらゆる事を、神々が管理していると謂う事である。

其れを考えると、都会のど真ん中に生活して居ては、私の様には行かないので、男性の指導者は農村で生活しなければ成らないと謂う理・ことである。

其の事を考えると、今回参議院議員を6名増員する法案が、国会を通過した事も疑問に思われる。
何故なら、其れは、単なる人口密度に因る物であり、国家を治める事は国土を治める事が重要なので、国土の面積を全く配慮しないで、田舎の議員数を削減する事は仕方がなくても、人口過密の所の議員を増やす事は、政府の人間も裁判所の人間も、配慮が足りないと謂うか、片手落ちであると思えるからである。

様は、国家の基(もとい)である農村の方を、経済的にも、人材的にも疎かににすれば、国の未来は危ないと謂う理・ことである。

                      平成30年7月17日

                            礒邉自適

誰が神に名前を与えた

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    誰が神に名前を与えた
                       30・7・16

今朝のメッセージの映像は、姿の見えない男性意識の存在に急かさせる感じで、私が自分で是まで打った文章を精査するかの様に、読み返す作業を続けている場面が、映し出されて来た。
其れは、私の姿が登場する事も無く、文章だけが映し出されて来る世界である。

其の場面が長く続いていくと、急に私の喉から大きな咳が出たので、私の意識は瞬時に目覚めた。
其れで、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時31分」であった。

其れから再び眠ると、数人の中年男性と私が居て、とても大きな頑丈な車で、急峻な山岳から舗装されていない道路を下る事に成り、私が其の車を運転するのかと思って居ると、「21番です」と名乗る男性が、「私が運転します」と謂って運転席に座ったので、私は其の運転手の真後ろに座って、行き先を指示する事にした。
其の私の席は、左側の端の席だったので、其の車は左ハンドルのバスの様な車である事が理解されて来た。

そして、其の車が下り始めると、其れはジェットコースターの様な速さであり、其の男性は躊躇無くカーブも巧みに運転するので、私は其の様子を観て安心し、身を任せて居た。

次の映像は、文章が印刷されている、新聞の様に広い紙面が一枚映し出されて来て、其の紙面の右下の所に、黒い服を着た65歳位の男性の上半身のモノクロ写真が、一枚印刷されていた。
其の写真の男性の顔を見ると、本人の左目は有るのだが、右目の方は潰れているのか、写ってはいなかった。

其れから、年配男性の怒る様な口調で、「誰が 神の名を印刷したのか」と、一言だけ聴こえて来た。

其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「6時5分」であった。

今朝は其の儘起きて、起こされた時刻「3時31分」から今年の3月31日の文章を見ると、次の様に書いて有り、3月31日の日付が「年度末日」であるので、数日前の文章を調べると、下記の様な内容である。

2018/3/31今朝のメッセージの映像は、「太母」に対する男性の「役割・立場」を意味するのか、「大人物・大物」の存在が示されて来て、其の男性の肉体は、胴体が横に三層に切り分かれている映像映し出されて来て、其れは、「頭・頭脳・意識」の部分を切り離して、胴体の部分「心臓(ハート)・肝臓(勇気)・肺(呼吸)」と、「腸(大腸・小腸・微生物)」と「睾丸(生殖機能)」等の存在が、男性の存在と謂うか、働きの「本質・本能・機能」を示唆している理・ことが理解されて来た。
 そして、其の三層の世界が男性の進化と言うか、役割を担っており、其れが「DNA・遺伝子」の進化を支えており、其れは、学校などの教育で培われるモノ(世界)では無く、日々の生活体験に因って養われているモノである理・ことが示されて来た。
 其の事に付いて考えて居ると「かんぱちどり」との言葉が告げられて来た。
「かんぱち」とは、「出世魚」であるので、「かんぱち鳥」とは「出世鳥」と言う事になる。
*標準和名「カンパチ」は東京での呼び名で、正面から見た際に目の上の斜め帯が漢字の「八」の字に見えることに由来する。日本での地方名は数多く、カンパ(東京)、ヒヨ(神奈川)、アカイオ(北陸)、シオ(東海-関西での若魚の呼称)、チギリキ(和歌山)、アカハナ(和歌山・高知)、アカバネ(香川)、アカバナ(関西-九州)、ニリ(宮崎)、アカバラ、ネリ、ニノコ(鹿児島)、ネイゴ(鹿児島での若魚の呼称)等がある[3][6][7]。
また本種は、日本各地で大きさによって呼び名が変わる「出世魚」でもある。
関東ではショッコ(35cm以下)-シオゴ(60cmまで)-アカハナ(80cmまで)-カンパチ(80cm以上)関西ではシオ(60cmまで)-カンパチ(60cm以上) 鹿児島ではネイゴ-アカバラそうじ。
稚魚はブリと同様に流れ藻に付くことから「モジャコ」(藻雑魚)と呼ばれる。
       ウィキペディアフリー百科辞典 2018/3/31現在
 今朝は、其れ等の事を考えると、私は机に向かってOC作業を行って居ては、自分の役割を果せないと意ったので、7時30分頃準備を整えて、車で今年初めて「タラの芽」採りに出掛けた。
 そして、タラの芽を採って、一度9時30分に自宅に帰って、再び自然薯堀りに出掛け、自然薯を掘ってから、数箇所でタラの芽を採って、最後に今年初めて「ウド」を採って自宅に帰った。
故に、今夜の夕食は初物の「タラの芽」と「ウド」の天麩羅であった。
 勿論初物のであるので、自分達が食べる前に、台所の神である「荒神様」と、仏壇と神棚には供えた。
今朝のメッセージの映像は、簡単なモノではあるが、意味が深いモノなので、数日検討して文章にしたいと思っている。
「かんぱち鳥」http://green.ap.teacup.com/20060818/4572.html

2018/3/30其れから、再び眠ると、人の手が加わった事の無い山奥の森が映し出されて来て、其の森の中に長方形の土地が開かれており、其処に、米麴の様な物の塊が解されて、撒かれる様子が映し出されて来た。
そして、其の中から7~8本の稲が発芽して来て、成長し、実を稔らせる様子が映し出されて来た。
其れから、私の意識が、其の金色の稲穂を手に取ると、「まことのほうしょう・真の宝償」との言葉が告げられて来た。
そして最後に、横長の長方形の地面が映し出されて来て、其の地面には黒い隕石の板状の破片が散らばっており、其れが「生命の基」である理・ことが示されて来た。
 今朝のメッセージは、一昨日の「最終局面」と、昨日の「マクロビオティックの大改革」とのテーマの続きであり、「生命の基」が、隕石である理・ことが示されて来ており、「太母・グレートマザー」の存在とは、宇宙空間に拡散している鉱物である理・ことが、示されて来ている様である
「真の宝償」http://green.ap.teacup.com/20060818/4571.html

2018/3/29今朝のメッセージの映像は、小山の様に大きく感じる年配の女性が、私の方から見て、右向きに座っている姿が映し出されて来た。
 其の姿は、女神と呼ぶ感じではなく、人間界の肝っ玉母さんの様な感じであったので、「太母・グレートマザー」と呼んだ方が、合っている感じの存在である。
そして其の女性の周囲には、背後を除いて、全体に澤山の物事が重なり合って広がっている様子が示さ来て、私の意識が、其れ等の全てを解体すると言うか、ばらばらに分離して、洗いざらい認識する作業を始めた。
 私は、其の映像から、自分が是まで34年間続けて来た「マクロビオティック」の世界(生活)を、一から組み直すと言うか、全ての本質を精査して、再構築しなければ成らないのだと感じていた。・・・
「マクロビオティックの大改革」http://green.ap.teacup.com/20060818/4570.html

2018/3/28今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日に此の神の世界に飛び込んでから動き出した事象が、最終局面に達している事が示されて来た。
 今朝のメッセージの映像は、昨日の「房」「タスク(task)」の続きである様で、無限に「言葉・単語」が下方に存在して、其の単語が左上の方に、次々に上がって行く場面が映し出されて来て、其の単語を処理するのが、私の役割である事が理解されて来た。
 次の映像は、姿のはっきりしない女神らしき存在が近づいて来て、私のシャツの左胸のポケットに、緑色の布を止めて去って行く場面が映し出されて来て、其れは「グリーンクラブ」の事に関係が有る事が理解されて来た。
 次の映像は、頭の無い金色の肉体がバラバラに分けられていた物が、一体に組み立てられる場面が映し出されて来て、其の肉体はとても強健な物であり、其れは私のボディを、1984年から影で支えて来た、神のプログラムである事が示されて来た。
 次の映像は、私の前に白くて丸い器が置かれている場面が映し出されて来て、私の意識が其の中を覗くと、鶏卵の様に丸い黄身が一個入っており、其れは目玉の様な役目を持っている事が理解されて来て「小さな物が貴重」との言葉が知らされて来た。・・・
「最終局面」http://green.ap.teacup.com/20060818/4570.html

是等の内容から、今朝起きた時間が「6時5分」であったのは、私は此の世界に飛び込んだ日が、1984年6月4日であり、「6時5分」の数字は、次の日付けなので、私に34年前の6月4日に告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉が、始まった事が示されて来ているのかも知れない。

其の様に考えると、今朝「誰が 神の名を印刷したのか(載せたのか)」との事を、告げて来た男性神の声が何を意味しているのかも理解されて来る。

其れは、「イエスキリスト」は神(はたらき)の力を借りて(当てにして)、奇跡現象を起こして民衆の意識を刺激し、「天の父よ」と謂っているので、イエスの弟子・信者は、現在でも「天の父・主」が信仰対象である。

だが其の神(はたらき)の存在を、真理を究めた中国の老子は「道・タオ」と謂い、覚醒したインドの釈迦は「ダルマ・法」と謂って居るので、其れは宇宙の法則であって神名の意味ではない。
昔(2500年前)は其処に、東洋の精神文化との差が有ったのである。

今朝「誰が 神の名を印刷したのか(載せたのか)」との言葉が告げられて来た前の場面は、紙面に左目だけの男性の上半身が印刷されていた。
其の姿から、私に認識できるのは西洋の「錬金術師」の存在である。

錬金術(れんきんじゅつ)とは、最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。
古代ギリシアのアリストテレスらは、万物は火、気、水、土の四大元素から構成されていると考えた。ここから卑金属を黄金に変成させようとする「錬金術」が生まれる。錬金術はヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパでさかんに研究されるようになった。
17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四大元素説を否定、アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至り、錬金術は近代化学へと変貌した。
錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされており[1]、実験道具が発明された。これらの成果も現在の化学に引き継がれている[2][3]。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/7/16現在

此の説明からすると、錬金術とは「化学」の始まりの世界であるので、是まで「神」の名で呼ばれて来た世界も、「化学的」に考えろと謂う事なのかも知れない。

かがく【化学】
① 自然科学の一分野。物質を構成している原子や分子に注目し、物質の成分組成・構造、その生成と分解の反応および他物質との間に起こす反応を研究する。研究の対象または目的によって、無機化学・有機化学・生物化学・物理化学・分析化学・地球化学・応用化学などに分けられる。
② 学校教育の教科の一。理科の一分野。 〔 (1) 中国の漢訳洋書「六合叢談」(1857~58年)からの借用語。川本幸民がオランダ語原書を訳した稿本に「化学書」(1860年)と題したことからという。 (2) 同音の「科学」と区別するため、俗に「ばけがく」ともいう〕

かがく【科学】
① 学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。「分科の学」ないしは「百科の学術」に由来する。
② 自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。〔中村正直訳「史学」(1879年)にルビでサインス(science のこと)とあるのがこの語の早い例〕        大辞林 第三版の解説

今朝、私が3時31分に「咳」が出て目覚めた現象も、「科学的」ではなく「化学的」に考える必要が有るのだろう。

何故かと謂うと、私は旅に出た時に、自分が車に積み込んでいる食材で料理を作って食べる際には、起こらないのだが、ホテル等に宿泊した時に食べてはいけない物が食卓に有ると、咳が出て忠告されていたからである。

其れは、私の守護霊が、化学的な知識を持っている理・ことに成る。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に錬金術師の様な写真が載っていた事の意味も理解されてくる。

其れに、今朝の映像で、山岳から勢い能く下る車の運転を引き受けた男性が「21番です」と謂ったのは、弘法大師空海の存在を示唆して居たのかも知れない。
何故かと謂うと、弘法大師空海は私のスケジュールを管理している霊魂であり、命日が承和2年3月21日であり、毎月21日が月命日だからである。

其れに、弘法大師空海に渡唐の資金等を出して協力をして居た人々は、鉱山業の人達であり、水銀を使って金銀の生産を行って居た人々だからである。
だから、正に弘法大師空海も錬金術師の仲間であると謂う事に成る。

其れに、出雲の踏鞴(たたら)の神である「かなやこ神」も片目である。

だが、今朝の紙面に掲載されていた男性の写真は、紙面の右下に有って本人の左目が有る姿であった。
其れは、西洋の錬金術師は左が失われており、有るのは右目なので、今朝の写真とは目が反対である。

其れに、今朝の映像に現れた山岳を下る大型車が左ハンドルであったのは、今朝のメッセージは日本国だけではなく、世界共通である事を意味しており、山岳信仰の世界も、共通である理・ことが示唆されているのであろう。

キー「錬金術師」

2010/10/9・・天から右目を与えられている、錬金術師の守護神である、片目の「金屋子神・かなやこかみ(天目一個神)」の存在が在る様な気がする。
何故なら、道路が無ければ道祖神である「猿田彦神」は登場できないし、車が走らなければ経済の神である「白虎・白狐・ビャッコ」も活躍出来ないからである。
 エジプト文化の、天神である「籠目・かごめ」の目は左目である。そして、地上に降ろされた男性神は、右目だけの錬金術師の神である。其の、二つの目を手に入れた者が、「仏陀・覚者」であり「すめらのみこと・スメミマ」である。
此処から先、其の働きを意味する「御陵威・みいつ」がどう動き出せば良いのか、私には新たな思索が巡って来ているのであろう。
「凱旋門行きのバス」http://green.ap.teacup.com/20060818/1691.html

2008/7/23本日23日は、私の「祖父」と「父親」の月命日である。
其の事と、関係が有るのかどうかは判らないが、今朝のメッセージには、カバラの神秘主義者の様な長老が、右前に静かに座っている映像が、映し出されて来た。
 私は、其の長老に「是からどうしたら 人間が進化出来るか」を、訊ね様ととすると、其の長老は手を横に振って、私を遮り「とても 私には 答えられない」と言う様な仕種をして、服に着いているフード・カップッチョを被って、顔を隠してしまったのである。
 カバラの秘儀を表わす、絵に描かれている男性は、「生命の木」を管理する、長老である。
いま、ウィキペディア辞典で「錬金術師」を調べると、ヘルメスとオーディンの名が出て来た。
ヘルメスの名は、「ヘルメスの杖」で知っているが、「オーディン」の名は初めて耳にする名である。
『・オーディンは、「片目が無く、長い白髭を持った老人で、つばの広い帽子を被り、グングニルという槍を持った姿で表される。世界樹ユグドラシルの根元にあるミーミルの泉の水を飲むことで知恵を身に付け、魔術を会得する。片目はその時の代償として失ったとされる。・・・・』   ~引用終了~
其のオーディンの姿は、今朝ビジョンに現れた人物とは、服装は違うが、同じ道に通じる雰囲気は有る。
私は24年前、片目でウインクをする男性の長老に、「答えは 自分で捜せ」と指示され、杖を持たされている。
 其の事を考えると、片目の錬金術師のオーディンと、錬金術の杖を持つヘルメスが、関係しているのではないだろうか。そうであれば、私は、彼等の意志に因りコントロールされており、昨日現れた二色の石は、錬金術を意味し「賢者の石」に関係が有るのではないだろうか。
しかし、今朝ビジョンに現れた錬金術師は、手ぶらであったし、私には、何も物・言葉を謂わなかったのである。其れは、此処から先は、私が、何事も自分で考えて、進んで行かなければ成らない理・ことを示している。・・
今朝、調べていて解かった事は、神秘主義とは、宇宙に「究極の真実」が隠されており、其の叡智・情報を、手に入れる事を意味しているらしい。
しかし、其れは、過去の人間が創り出した情報に、しがみ付く事ではなく、生命の進化に取り組む方法論を、導く道であると言う事ではないだろうか。
其の為にこそ、私に「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きたのだろう・・
 其れに因って、此処のところ数日続いていた、「黄金龍」の存在を信じて、政(まつりごと)を行う伝統が、既に途絶えてしまっている事が解かる。
今朝のメッセージは、昨日のテーマであった「珪素」や「アルミ」の結晶物の、生命の源に関する事に続く内容であり、是から、人類がどの様に進化を続けて行けば良いかを、示唆して来た。
そして、光の情報の人型として、透明な人体の上半身が現れたが、どちらの方向に、どの様に進めば良いのか判らず、右往左往しているのである。
 私は、其の姿を、目線では追い掛けているのだが、透明体なので、何の情報も得られないので困っていた。すると場面が変り、右前の席に「錬金術師」の様な人物が、現れたのである。
しかし、其の人物は、知らない事は無いはずなのに、人間が、是からどの様にしたら、進化出来るのかに付いては、解からないらしいのである。
 其れで、私は、新しい錬金術とは、金銀の金属を対象とするのではなく、昨日のビジョンに現れた、二色の金属(珪素とアルミの結晶体)を、「生命の構成物質」として、「賢者の石」としなければ成らないのだと考えた。
其れに、宗教や科学の始まりの処には、何等かの形で、錬金術が存在するとの事だから、私の「認識・グノーシス」は、究極の処に、迫っているとの事ではないかと察したのである。・・・
「エール・強く在る・居る」http://green.ap.teacup.com/20060818/826.html

2012/10/28本日は、荒神さんの日で、無庵師匠が生きて居れば71歳の誕生日である。其の無庵師匠は、私を捜し出した時に「世の中が行き詰った時に 台の上に上がって 人々に話しをするのが 自適さんの役割です」と云った。
其の、無庵師匠が私に告げた事が、どうやら本当であった事が、今朝のメッセージから感じられる。
 今朝のメッセージの映像は、日本語の文字が書かれた看板の様な物が映し出されて来て、其の看板を、入り口の右側の壁に取り付けようとしたが、其の建物の所有者らしき30歳代の男性が差し出す金釘は、曲がっていたり、二股になったりしていて、看板の穴に打ち込めなかった。
其れから、40歳代の男性の鍛冶屋が現れて、金台の上で、鉄の塊をハンマーで叩いて、釘を作ろうとしたが、炭火や鞴・ふいご等の設備がなく、ガスバーナーの様な近代の火も無く、鉄を熱する事が出来ないので、鉄の塊を其のまま叩くと、割れるだけで鉄釘を作る事ができなかった。
 私は、看板を掛ける事が出来ないので、道路の向かい側に目をやると、向いの家の壁に看板が掛けられているのに気付いた。其の看板は、横長のわりあい大き目の物で、絵の上に、イベントの企画募集と、募集期間が書かれていた。
しかし、其の看板は子供が画いた物の様で、絵のデザインがはっきりしないし、募集期間の日付や、広告主も明確ではなかった。
私は、其れ等の映像が何を意味するのか考えていたが、何も明確に成って来ないので、3時46分に起きて、奈良に向かう準備を始めて4時38分に中山の事務所を出発した。
 今朝の映像で、私が表に掛けようとしていた看板は、私の物ではないので、何が書かれていたのかは明確ではない。覚えているのは、平仮名混じりで日本の漢字が入っていたぐらいの事である。
其れは、此の日本から何かを立ち上げなければ成らないと言う事であろう。
しかし、鍛冶屋に来て貰っても、金釘が出来ない程だから、世の中の経済活動が止まっている事が理解できる。
其れを考えると、そう成らない前に、事を興せとの事なのかも知れない。
其れに、他の人が出している看板も、イメージが出来ていないし、募集の期間も明確ではなかったので、新しいイベントを起せる人間が居ないとの事ではないだろうか。
 私が今朝考える事は、維新の会の橋下氏や、石原都知事が「立ち上がれ日本」のメンバーと、世の中の改革をすると謂っているが、今朝のビジョンに映し出されて来た看板に掲げられる様な言葉は、持ち合わせていない様である。
 今朝の看板に掲げる言葉は、資本主義や、社会主義や、共産主義などのイデオロギーではなく、南妙法蓮華経や、南無阿弥陀仏、天照大神、主よ、アラー、等の、宗教的なお題目でもない、新しい概念と言うかテーマを、表現する言葉でなければ成らない。
 本来なら、新しい政・まつりごとを始める時は、天皇の「詔」か、王の命令が下されるのである。しかし、現代社会は世界がグローバル化されているので、一国の代表や、一宗教の代表が何かを云っても、世界中が其れに従う事は難しい。
しかし、其れでも何とかしなければ、全てが此のまま崩壊してしまうのである。
其れは、何故かと言うと、是まで続いて来た人間社会は、既に過去の物に成っており、新しい情報・創造の力・パワーがなければ、存在意義を失って崩壊に向かうからである。
其の様に成っても、人間の力で生かされている動物や植物以外は、何にも関係が無いのである。寧ろ、人間が居なく成れば、自然の生き物は安心するであろう。
 アマゾンの奥地で、昔の生活を続ける人達には関係が無いが、いまの人間社会は自然の生業・システムから逸脱してしまっているので、経済活動が停滞してしまえば、大パニックが起きて体制を維持できないので、生きて行けなく成るのである。
 今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージの「賢所・かしこどころ」の続きであり、「すめらのみこと」が宮の中に籠って、何を始めれば良いかを、考えなければ成らないのであろう。其れこそが「賢所・ケンショ」の意味なのであろう。
モラロジーを創設した「廣池 千九郎」は、孟子の言葉「修天爵而人爵従之。天しゃくを修めれば 人しゃくこれに従う」をテーマとして、人心の向上を図っている。しかし、現代社会では、其れ等の概念は失せているし、例え天爵を修めた者が存在しても、其れに従う人間はいないであろう。
 今朝の映像に現れた看板は、日本から何等かの言葉・表題を世の中に向けて発信しなければ成らない理・ことが示されている。幸いに、日本の国体には、形だけも「天皇・すめらのみこと」が位置づけされている。しかし、残念ながら憲法に拠って天皇陛下が詔をする事は禁じられている。
 詔をする役割の人物が、自由に言葉を述べる事が出来なければ、一体全体「天・神」は誰の口を借りたら良いのであろうか。
試に、一般人の口を借りて、天・神の言葉を告げても、誰も耳を貸さないし、執拗に社会に働き掛ければ、其の人間が精神病院に入れられるのが落ちである。
 だからこそ、天・神は困って、私に働きかけて来たのであろう。一番の早道は、憲法を改正して、天皇陛下に詔をして貰う事である。しかし、其れを可能にする為には、大嘗祭の儀式を真実のモノとしなければ成らない。
其れは、今の皇太子殿下が、天皇の爵位・御座を継ぐ時の大嘗祭の儀式を成功させる事である。其の為には、其れまでに憲法を改正して、天皇家を京都の御所に返さなければ成らない。
 昨日と、今朝のメッセージは、正に其の事を示して来ているのではないだろうか。其の考えが当たっていれば、其の為の活動を急いで始めなければ成らない。
其れが、物部や「忌部・斎部・いんべ」の役割なのである。
そして、其の基本は「饒速日命・天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)」の長男である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の考えに有るのだ。
 宇摩志麻遅命が考え出したテーマ・手段は「食国の政・おすくにのまつりごと」である。其れは、私が今朝向かっている「笠山荒神社」にも関係が有るのだろう。何故なら、笠山荒神社の祭神は台所の神・食べ物の神だからである。其れに笠山荒神社には、聖徳太子が籠って十七条憲法を考え出したとの伝説も有る。
其の聖徳太子の行動を考えると、私が10月28日に参拝する様に指示された事と、今朝のメッセージで、私に何も答えが出ない事も、何等かの関係が有るのではないだろうか。
 今朝の映像に現れた、男性の鍛冶屋は、鍛冶屋の恰好ではなく、空色の上質のスーツを着こなしていた。本来なら、神の世界に登場する鍛冶屋は、片目の「金屋子神・かなやこかみ」か「天目一箇神」「錬金術師」である。其れが、スーツを着こなした40歳の矍鑠・カクシャクとした男性であったのは、是までとは次元が違う理・ことを示唆しているのであろう。
錬金術師が、左目が無いのは、宇宙神が左目を自分で持っているからである。
 今朝のメッセージからすると、宇宙神が持っていた左目も此の人間社会に降ろされたのかも知れない。そうであれば、人間自身が自分で全て考え出さなければ成らないと言う事になる。其れは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の様に自分で禊をして、天照神(昼の世界)、調読神(夜の世界)、素戔嗚(命の世界)を開かなければ成らないと言う事である。
 イエスキリストは、逮捕される前の夜、岡の上に上がって一晩中岩の所で神に祷り続けて居たとの事である。しかし、一晩中祷っても、逃げた方が良いのか、逮捕された方が良いのかの知らせはなく、磔に成った時も、天に向かって「神よ 神よ 此の儘で良いのか」と叫んでいる。
其れは、神から地上に降ろされた救い主・メシアは、自分で全てを考えなければ成らない理・ことを示している。其処には、聖霊も神も口出しが出来ないのである。
 其れは、神も神霊の存在も、人間自身が言葉に拠って創り出した世界だから、世を救うキリストは自分の力で新しい世界を創造するしか他に道は無いのである。其れこそが、メシヤ・キリスト・救い主・マイトレーヤ・弥勒菩薩と呼ばれる者の働きなのである。
愈々、其の者の登場を必要とする時節が到来したのであろう。そして、其の者の詔が人類を新しい価値観の本へ導くのだ。
「詔・みことのり二」http://green.ap.teacup.com/20060818/2483.html

2008/10/5・・日本語に、胃(飯・いい)の霊(ことたま・言霊)を、能く知らない御仁が、好い加減な漢字を当てた為に、世界で一番古い言霊を持つ日本の文化が、迷い船に乗ってしまったのである。
其れは、神社庁や宮内庁の大きな責任であろう。
何故なら、本来の日本語の言霊を理解しない人達が、毎日祝詞を唱え、儀式を行なっているからである。其れが、正しく行われていれば、私に、天皇霊や神霊が4311体も、頼って来る筈が無いからである。・・
其れが無庵師匠の魂しいであれば、師が私に求めて居た答えを、私が25年掛けて、ようやく出したとの事に成るのかもしれない。
其れが、最後の答えの意味であり、優しい眼差しの左目は、エジプトの「籠目・ラーの目」を意味しており、私はスフィンクスの謎解きに、成功したと言う事に成るのではないだろうか。
是で、私の来世は、気楽なモノと成るのではないだろうか。
どうせ、神の計画は、是からも、自分の左目の存在を継続する為に、人間の身体を乗り物として使うのだろうから。
そして、相変わらず、地上の男性には、錬金術師の右目しか与えないのである。
「聖徳太子の因縁」http://green.ap.teacup.com/20060818/904.html

2008/8/11「満法」http://green.ap.teacup.com/20060818/845.html
2008/12/13「改革の灯」http://green.ap.teacup.com/20060818/981.html
2009/9/3「着火」http://green.ap.teacup.com/20060818/1260.html
2009/10/8「極まる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1298.html
2011/8/7「平和裏の文化交流」http://moon.ap.teacup.com/20060507/41.html

今朝の映像に登場した、左目の男性の写真は、私が「土肥無庵」に「私は第七次元まで行って 霊魂が此の世に降臨する為に ベンチに座って居る所までは 見て来たが それ以上先に行けないので 私が付いて居るから 其の先を見て来てくれ」と、頼まれた事と関係が有り、其の結果、男性の存在が現れて、手でOKの指印を作り、右目を閉じて「最後の答えは教えない」との理を示してから、ドアを閉めて中に入ってしまった。
私は、其の事を「土肥無庵」に伝えると、一瞬ムットした顔をしたが、其の後何も謂わなかった。

其の事と今朝のメッセージは関係が有り、私が最後の答えを教えられなかった事で、其の神界の男性・存在が知っていた最後の答えだけではなく、更に深い所まで探索する事に成功したとの事に成るのかも知れない。
2013/3/14「己火」http://wave.ap.teacup.com/20060106/508.html
2015/6/18「有意義」http://green.ap.teacup.com/20060818/3502.html

其れは、昨日の「おのれ&みずから」の言葉と関係が有り、名付けられた「神名」に依存して居る者は、最終的な答えは得られない理・ことが示されて来ており、日本の伝統文化である惟神道(かんながらのみち)が、唯一正しい道であるとの理・ことなのであろう。
2005/5/9「かんながらのみち」http://moon.ap.teacup.com/20061108/347.html

                 平成30年7月16日10時3分

                            礒邉自適

おのれ&みずから

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   おのれ&みずから
                        30・7・15

昨日1時15分から起きた、私の躰の異常は、矢張り昨日の日付が「7月14日」で「夏禊ぎの日」とされていた事と関係が有り、天神(てんのはたらき)が其の日付を利用(生か)して、私の心身に新たな次元・認識を齎した様である。

其れは、「釈迦ブッダ」の教訓(おしえ)に有る、法華経の「十二因縁起」の理(ことわり)が、現実的・具体的に示されて来た事に成る。

今朝のメッセージの映像から、私が思い出せる事を羅列して見る事にする。

・「誰が」「何時」「何処で」「何を」との言葉・理説の言い譯が、薄らいで行き、人間の行為の原因が消えて行く。

・水1ℓが入る透明な容器が映し出されて来て、其の中の水が消えてしまったので、「1ℓ」「1kg」との物の基準が無くなる。

・田舎の山中に、別荘を持っていた男性が、別荘の掃除や敷地の手入れが大変なので、其の別荘を処分しようとしているのだが、誰も買い手が現れないので、屋根が剥がれて雨水が入り、室内が腐れてしまい、其の建物を壊すのにも金が掛かるので、困って居る場面。

・守護霊が憑いて、事業に成功していた男性が歳をとって神(はたらき)の役に立たなく成り、其の守護霊が離れた為に、痴呆症の様に成っている男性の存在。

・人間の意識から言葉(名前・名詞)が消えてしまい、人間も他の猿や動物と同じく、食欲と性欲だけの行動認識だけに成ってしまっている場面。
それは、自然の風景や、人間の生活に関する物品に、名前が無いので、何の認識も生じない世界である。

   法華経の十二因縁起
1)無明(本来根源的な無知)は、行(形成力)の
  縁(原因となるもの)である。
2)行は 識(認識作用)の縁である。
3)識は 名色(名称と形態)の縁である。
4)名色は 六入(眼・耳・鼻・舌・身・意 の六つの領域)
  の縁である。
5)六入は 触・そく(接触)の縁である。
6)触は 受(感受)の縁である。
7)受は 愛(妄執・耽溺)の縁である。
8)愛は 取(執著)の縁である。
9)取は 有・う(生存)の縁である。
10)有は 生(生まれること)の縁である。
11)生は 老・死・憂・悲・苦・悩の縁である。
12)したがって 
無明が滅すれば、行が滅する。
行が滅すれば、識が滅する。
識が滅すれば、名色が滅する。
名色が滅すれば、六入が滅する。
六入が滅すれば、触が滅する。
触が滅すれば、受が滅する。
受が滅すれば、愛が滅する。
愛が滅すれば、取が滅する。
取が滅すれば、有が滅する。
有が滅すれば、生が滅する。
生が滅すれば、
すなわち 老・死・憂・悲・苦・悩が滅するのである。
        訳者・著書・著者 不明
「十二因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/

今朝のメッセージの内容と謂うか、様子・雰囲気を味わってから、私の意識の中に生じて来た、思いと謂うか、言の葉は「おのれ」との言葉であり、其れは中国の言葉である「自分・ジブン」ではなく、日本語の「おのれ」であり、次に関係するのは「みずから」であり、次に出て来たのは「みなもと」の言の葉である。

そして、「みなもと・源」の言葉から、「自分・己」の意識に浮かび上がって来て、拡大した映像場面は、私が生まれ育った実家の有る昔の環境風景であり、子供の頃から水浴びをして遊んで居た時の場面や、24時間聴こえていた、山中から竹樋で引いて来て、タンクの中に零れ落ちていた水音であった。

今こうして文章を打って居て、自宅の庭に目(意識)を向けると、鬼百合の花が咲いている上の、桜の木の枝に朝飯を終えて休んで居る、朝日を受けて白く輝く羽を背負った雀の姿が有り、梅雨が明けてから一斉に鳴き始めた熊蝉の声が空間を占めている。

此の「状況・情景」の中に存在する、私の自分とは、一体何物であるのだろうか。

其れは「自分・ジブン・おのれ」との言葉がなければ、認識できないと謂うか表現も不可能な世界である。

だが、此の「私・吾(わたし・われ)」にも理解できるのは、「自分」との言葉・単語・概念を創り出した人物の疑問を、解いてしまっている事は、明らかである。

其れは、釈迦ブッダが謂って居る様に、言葉が生まれなければ、生じなかった世界(疑問)であると謂う事である。

此の、今朝の「己・おのれ」の意識・認識を保って居れば、昨日宇宙空間を背景として流れた「宇宙に甚大な影響を与える座標軸」との言葉が理解されて来るし、其の「座標軸」との言葉と、「事象の特異点」との言葉が、どの様な意味を表しているのかも理解されて来る。

其れは、1983年3月18日に私を捜して出し、全エネルギーを注ぎ込んで、私の鍵を開けた「土肥無庵」が謂っていた理・ことが、35年掛かって、漸く「真・まこと」の事として、「現象化・定着、(ネガ・四次元)から(ポジ・三次元化)」すると謂う事に成るのかも知れない。

ナニモナサザルナ ソノママデヨイ
    自然無為 
達人が 平凡に生くること 
こそ  本科なり
    カンヨウ 
    必要  こそ道   
             無庵記

「おの・己」代名(人称)①自分自身。その人自身。そのものの自体。いわゆる反照代名詞。②私。自分。一人称を示す。③おまえ。二人称を示す。
*格助詞。「が」を伴った「おのが」の形か、「己妻(おのつま)」のように体言の上に付く形で用いられ、単独では用いられない。

みずから【自ら】→みづから。
みづから【自ら】(一)〖名〗①自分自身。例。みづからは見え給ふべくもあらず。(二)〖代名(人称)〗私。一人称を示す。
           大修館書店 古語林

此処で、改めて昨日1時15分から始まった腹痛の事から、1月15日の文章を見ると、次の様な内容である。

2018/1/15今朝の映像には、人間の生活に関する物事が映し出されて来て、3時40分に起こされたので、私は其の数字を「340・みよまる」と読んで、現在の世の中の生活に関する物の世界は「○・丸・良い」との事であると思った。
 今朝のメッセージに映し出されて来た映像は、次の様な場面である。
・食べ物の材料が豊富。
・料理の献立や手法が様々に開発されている。
・料理に使用する器具が揃っており便利。
・食物アレルギーの原因の解明が可能。
・道路が整備されている。
・誰でも簡単に乗れる自転車が有る。
・整備された街が有り、買い物や交通が便利。
・車が有り、故障しても皆の協力で移動して修理できる。
・河川に堤防が築かれて氾濫が防げる。
・鋼鉄の船が出来て簡単に海を航行できる。
・文字・言葉が存在する事で、自分の考えを書き残す事ができる。
いま思い出す場面は、是ぐらいの物であるが、其れ等の場面は安心できるモノ・世界だけであり、原発のやゴミの問題、公害の問題などは出て来なかったので、現代社会が全て「○・丸・良い」との事ではないとの事である。
 其れに、政治や経済、宗教や教育に関する世界は一切示されて来なかった。
其れ等の事を考えると、昨日のメッセージに映し出されて来た透明な「三輪・三和」の組み合わせは、「色・rūpa・ルーパ・縁起」の世界を、三方・三組に分ける必要が有り、其の一輪が、人間の生活に関する「物」の世界であるとの事の様である。
 今朝は、8時前に起きて、PCを立ち上げると「仲間外れ」との言葉が一言告げられて来たが、後の言葉が続かなかったので、其の「仲間外れ」との言葉は、私が未だ、社会から仲間外れの儘であるので、新しい国造りと言うか人間社会の構築が出来ないと言う事なのかも知れない。
 『そうではなく 人間自身が 地球生命の仲間外れに成っていると謂う事です。他の生物は 全て調和して存在していますが 人間だけが其のバランスを壊しているのです。ですから 其の事を頭に置いて 三輪の調和を図らなければ成らないのですよ。其れが 貴方の役割なのです。』
 此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、やはり一昨年の6月19日に示されて来た天空を両翼にする女神が、三個の渦巻き菓子が載った皿を、私に差し出して来た事が関係が有り、私は此の三次元世界の三輪の調和に付いて深く考えなければ成らないと言う事の様である。
 此の一昨年の三日分の文章を読むと、今年に入ってからのメッセージの世界は、既に用意されていたモノであり、準備期間が過ぎて、愈々未来世界創造の本番であると言う事に成り、私は、是までの人々が謂って来た事に意識を向けるのではなく、自分自身の存在意義と言うか、人類が何の目的に為に存在するのかと言う理・ことを、突き詰めて行かなければ成らないと言う事に成る様である。
 其れに、今朝のメッセージの最後には、一冊の本・ブックが左右に開かれている場面が映し出されて来て、其の左右の紙面は二段に仕切られており、其の四段には、皆同じ様に、上に二行の横書き文章が記されていて、其の下には縦書きの日本語の文章が隙間無く記されていた。
 其れは、横書きの二行の文章の意味が、下に縦書きでびっしりと訳されている文章形態である事が理解されて来たので、私が其の二行の横書きの文章文字を読もうとすると、其れは記号混じりの、私が目にした事が無い文字の配列であり、私には全く解読できない物であった。
 其れは、私には、宇宙人からのメッセージであるかの様な感覚を覚えたので、宇宙意志と言うか、神(はたらき)の世界の神秘、純粋な実質・実体が、記号化されている物であり、宇宙の神秘を人間が解読する為には、何十倍・何百倍もの言葉・文字が、必要である理・ことが示されて来ているのかも知れない。
『まったくその通りです。
ですから 全てを知ろうとする必要はないのです。
人間の数が多く必要なのは 其れを分担して行なう為なのです。
ですから 他人の振りを見る必要は全く無く 自分自身の内面を覗き混む事が最も大事なのですよ。
そして 其の自分の存在の真実を 読み込む事が 命の文字の意味なのです。
其れは 貴方が感じ取っている 惟神道その儘の世界なのです。
良いですか 貴方は 其の世界を自ら生き抜く事が 最大の使命なのですよ。
何故なら 其れが 貴方が此の世に生を受けた 原因なのですから。』
              10時19分
 此の女神の言葉から、私に理解できる事は、現代の科学の発展で、人間の躰が約60兆個の細胞の働きで成り立っており、其の一個の細胞に180cmの長さが有る遺伝子が有り、その長さに60兆を掛けると、太陽と地球の間を300回も往復する長さ(1億4060万km・光の速さで8分19秒)が有るとの事が判明したが、其の遺伝子・DNAが、どの様な仕組みで動いているのかは、未だ解明されていないのである。
其れは、人体のモノ・物質の世界は解明されても、精神や意識の働きが謎の儘である事と同じである。
 今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、昭和19年6月10日(時の記念日)に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の前で始まった岡本天命の「日月神示・天津日嗣神事」が数字や記号ばかりである事が、今朝のメッセージと関係が有り、其れが記された原因が、岡本天命の腕手に強い電気が流れて来たからである。
 其の現象を考えると「神」の漢字が「示(祭壇)+申(雷・電気)」の組み合わせである事と関係が有り、昔から「神」とは、宇宙意志・神意が電気として働く事が理解できていた事に成り、日本語の神は「かも→かむ→かみ」と、マ行(まみむめも)の変化で呼び習わされて来ている事に成る。
 其のコト・世界は、私が33年7ヶ月前に此の世界に飛び込んだ時に、良く理解しているので、是までにも度々文章化して来ているので、此処では詳しく述べないが、今朝映し出されて来た本・ブックの存在を考えると、何等かの新しい体制を整える必要が有り、其れが整えられれば、人間自身がDNA・遺伝子の働きに何等かの刺激を与えられと謂うか、進化を促す事が可能であり、其れが人類の次元上昇・アセンションに繋がるのであろう。
 今朝のメッセージの映像で示されて来た様に、人間社会は、あらゆる世界で多くの人々が努力をしたお陰で、衣食住の世界は完璧と言える程の完成度を上げて来ている。
 是からは、生命の真実と言うか、人間が何の為に存在し、此の宇宙のオアシスである地球環境と、どの様にバランスを図りながら調和して生きて行くかを、真剣に考えなければ成らないと謂う事である。
其の為には、「経済発展」の名に拠って、地球環境を破壊し続けている仕組みを、早急に改革しなければ成らないのである。
 其の事を人間自身が自覚しなければ、「神(はたらき)」が人間の脳幹に電気的に介入し、体制・機構を破壊して行く行動に出るのであろう。
其れが、今回問題が起きた国技である相撲の世界や、世界の覇権国であるアメリカの大統領の選出(民(目をつぶされたどれい)主主義)に起きている現象なのであろう。
何れにしても、人類は「成人・大人←おとな←おてな←おきな」に成らなければ成らない時・トキを、向かえているのである。
「三輪の一輪の世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/4497.html
 
此の文章の内容からすると、確かに、私は、昨日の1時15分から、新しい御世・次元の準備に入ると謂うか、変化の備えに、取り掛からせれて居る様である。

                     平成30年7月15日

                           礒邉自適

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                        30・7・14

昨夜は、激しい腹痛が起きたので目が覚め、起きて時計を見ると未だ1時15分であった。

私は、腹痛の原因は、昨日は異常に暑かったので、冷たいものを多く摂ったし、クーラーを効かせた部屋で眠ったりしたので、躰を冷し過ぎたのだと思い、風呂湯で躰を温めると、少しだけ楽に成った。

其れで、お粥(重湯)を飲み、内臓を温めてから、縁側に布団を敷いて横に成り、時々起きる腹痛に耐えながら、明け方に漸く眠りについた。

其れから、宇宙空間の映像が映し出されて来て、其の空間を背景にし左側から右側へ「宇宙に甚大な影響を与える座標軸」とのテロップが流れて行く映像が映し出されて来たので、起きて時計を見ると時刻は6時29分であった。

其れで起きて、PCを立ち上げて6月29日の文章を見ると、次の様に書いて有る。

2018/6/29今朝のメッセージには、「1.8インチ」と「90センチメートル」との言葉が告げられて来たので、どうやら昨日の「ペンチ」との言葉に続いて、西洋の文化と謂うか、物の世界が示されて来ている様である。
 昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に屋久島の原始の森の様に苔むした木々の根株が、重なり合っている映像が映し出されて来て、其れが熱帯の蘭等が着生している深い森の映像へと、移り変わって行った。
 そして、更に人間が生活する、物の世界へと移り変わって行き、人間の生活道具や家財道具、其れに仕事の道具等が、隙間なく積み重なっている場面へと変わって行って、それらの物の世界は、私の意識と謂うか、脳の記憶の世界(基盤)を意味している理・ことが理解されて来た。
だが、其の世界には、言葉や文字が一切何も無かった。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時16分」であったので、私は其の数字を「416・しいろ・四色」と記憶して再び眠った。
 すると今度は、元気に大きく成長している砂糖キビ畑の存在が映し出されて来て、其の砂糖キビ畑の中から、男性の声で「1.8インチ」「90センチメートル」との言葉が告げられて来た。
次に、背景に母神の存在が有る世界で、私は人間社会に対して、様々な働き掛けをしている場面が、次々に繰り返し映し出されて来た。・・
 昨日は、其の「pinch・ピンチ・挟む」との言葉に付いて考えて見た。
其れは、「ピンチに陥る」追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。の意味から、ピンチとは「戦争言葉」であり、自分が敵に挟まれて絶対絶命の状態に陥っている事を言い表した言葉であると謂う事である。
 其れに、 園芸で、摘心すること。「新芽をピンチして枝数を増やす」との言い方からすると、隊長が居なく成った為に、部隊が小隊に枝分かれ・分裂する事が比喩されている事にも成りそうである。
「pinch・ピンチ[名](スル)1 追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。「ピンチに陥る」「ピンチを救う」2 道具などで挟むこと。挟んで締めつけること。3 園芸で、摘心すること。「新芽をピンチして枝数を増やす」
      デジタル大辞泉
其れ等の事を考えると、確かに私は、6月18日(旧暦5月5日)迄の34年間を「四次元プログラム」の世界に費やして来たが、其の後「水素原子管理」の世界に入って「物の世界」に関わって居る事に成りそうである。
 其れは、此の宇宙が全て「水素(ヘリウム)」の拡散から生じている理・ことと関係があり、人間の精神(意識)の世界から、其れを生み出している原因の「物・もの」の世界に、踏み込んでいる事に成り、其の、物の世界こそが「天神(てんのはたたらき)・宇宙神・母神・グレートマザー」の世界であると謂う事に成り、私は母神のお手伝いを既に始めている事に成る。
 今朝、何故「1.8インチ」と「90センチメートル」との男性の言葉が砂糖キビ畑の中から聴こえた来たかを考えると、私の父親が黒砂糖の製糖工場を経営して居り、真夏には砂糖キビ畑での除草作業にて、噴出す汗で泥まみれに成って、毎日働いて居た事と関係が有り、私が此処まで辿り着いた事を言祝いでおり、更なる進歩を望んでいる事が、示されて来ているのではないだろうか。
 其れから、瞼に屋久島の原始の森の様に苔むした木々の根株が重なり合っている映像が映し出されて来てから、熱帯の蘭等が着生している深い森の映像へと移り変わって行き、更に其の場面が、人間が生活する物の世界へと変わって、人間の生活道具や家財道具・仕事の道具等が隙間なく積み重なっている場面へと移り変わって行って、それらの物の世界は、私の意識と謂うか、脳の記憶の世界(基盤)を意味している理・ことが理解されて来たのは、次の様な事が考えられる。
 私の御魂(精神)は、世界自然遺産に登録される様な、海山川の自然環境に恵まれた屋久島で、理想的な両親の下で育てられる事が必須課題であり、其の為に両親の人生模様や、戦争等の時代の激変が必要であったと謂う事であり、其の舞台と謂うか背景に「天神(てんのはたたらき)・宇宙神・母神・グレートマザー」の存在が在って、全ての舞台装置の物品(大道具)を管理していたと謂う理・ことに成るのであろう。
 其の様に考えると、今朝私が起こされた「4時16分」の数字を、私が「416・しいろ・四色」と記憶したのは、「四界・四方」の「色・rūpa・ルーパ・縁起」に通じ、私は般若心経の「色即是空 空即是色」の世界を、マスターしている事に成るのかも知れない。・
「インチとメートル」http://green.ap.teacup.com/20060818/4665.html

此の文章の内容から考えると、私の意識と肉体の存在は、私個人の物ではなく、宇宙の森羅万象の流転と直接関係していると謂うか、繋がっている事に成り、私は誰よりも自分の肉体を守る必要が有るようである。

『まことにそうです。
貴方は 物事・出来事を 斜め読みにするのではなく 
真正面から 見据えなければ成らないのです。
其の態度がなければ「御嚴・みいつ」の役割は 果せないのです。
良いですか そして其の為に 最も必要な条件が
マクロビオティック (正食・精進)に有るのですよ。』

此の女神の言葉からすると、6月29日に男性の声で「1.8インチ」と「90センチメートル」との言葉が、砂糖キビ畑の中から告げられて来た事の意味も理解されて来る。

砂糖キビは、砂糖の原料であり、化学調味料の「味の素」の原料でもある。
そして、砂糖キビは竹の様に節が有る植物なので、物の尺度(物差し)の意味も兼ねており、食べ物摂取の節度を示唆していたのであろう。

此処で、左手の薬指にカモ(神の電気信号)の現象が起き、丁度からくり時計の8時のチャイムが鳴った。
此の現象も、森羅万象の流転と人間の手指(手印)が関連している事の証であり、釈迦ブッダが説法の時に、両手の指の反応を見ながら話して居た事の理由・謎も理解されて来る。

今朝のメッセージは、昨日の「人体と宇宙」と「榮養」との言葉その儘の内容が、継続されて来ている事に成り、昨日の猛暑(天候)も神(はたらき)の悪戯であると謂う事に成りそうである。

[・・此の文章にも「神武天皇」の事が書いて有り、『・・「肉体」が過去のDNA・遺伝子が組み合わさって出来ている物であるが、「意識」も過去の人々が積み上げて来た情報で組み上がっている物である。・・・』と書いて有るので、今朝のメッセージに「宇宙・天体」と「人間の肉体」の関係性が示されて来ているので「天皇・すめらのみこと・現人神」の在り様に付いて、示されて来ているのであろう。
其の事と、「蒲鉾形のテント」と「多数の鹿」にどの様な関係が有るのだろうか。・・・]

其れを考えると、今年の大量の降雨で、スイカやメロンが半分程駄目に成った事も、私の飲食物の摂取量を、神(はたらき)が管理しているとの事に成りそうである。

其れに、11日の「変化に備えろ」との文章にも、次の様に書いて有る。

『・・そして、私が其の男性の奥さんに「夢見」の世界と、「食べ物・薬草」の事を話して居たのは、日本の「食国政り事・おすくにのまつりごと」や「天御臥間・ あめのおふすま」の世界を示唆しているのであろう。
其れに「川東信樹」との名前の男性が、薬と成る草木の苗を澤山植えて育てて居たのは、「東の川の樹を信じる」との意味合いが有るので、日本の神道の世界である「御神木・神籬(ひもろぎ)」の価値観や、「祇園様・神農神・須佐之男尊」や「少彦名神」の存在、其れに水と智慧の世界を司る「青龍(せいりゅう)」などに関係が有るのではないだろうか。・・・』

此の青龍(せいりゅう)の存在からすると、昨日ドラム缶の様な筒の中で死に掛けていた「白虎・びゃっこ」は私自身の存在を暗示しており、私が正しい生活・いきかたをしなければ、「道」が失われてしまうと言う理・ことが示されて来ているのかも知れない。

其の様に考えると、今回の私の腹痛は、神(はたらき)が私に、強い自覚を求めて来ている事に成る。

今朝、私の左手の薬指にカモ(神の電気信号)の現象が起きると同時に、8時のチャイムが流れて来た出来事は、昨日の文章にアップした今年の4月2日の内容と連動している。

2018/4/2・・そして、景色を眺めると、其処は人家や人気が全く無い、古代の大自然の中であり、森林の中を清い水がゆったりと流れる大きな川が有るので、私は其の川の流れで、躰だけではなく、精神の禊ぎ祓いが出来ると思って居た。
 今朝起こされたのが、「8時00分・八時ジャスト」であった事を考えると、漢字の「八」は、末広がりの意味が有るので、今朝のメッセージは「乾物化」しているあらゆる情報を、清水に浸して生き返させる必要が有ると言う理・ことに成るのではないだろうか。
其の様に考えると、過去の情報だけではなく、人間自身の禊ぎ祓いが必要であり、其れが実行されなければ、社会全体の大改革も行えないと言う理・ことなのであろう。・・・
「現在は過去の情報の上に」http://green.ap.teacup.com/20060818/4574.html

此の「・・人間自身の禊ぎ祓いが必要であり・・」との文言は、本日7月14日が「夏禊ぎの日」である事と関係が有り、私に今朝起きた事も浄化の現象であるのかも知れない。

キー「7月14日 禊ぎ祓い」

2003/7/25「今日一日 無事にありますように」此れは、人々の一番手短な祷りの言葉です。
其の祷りの気持ちの前には、昨日までの不都合な事は、全て消えて欲しいとの望みがあり、幸せに成れます様にとの、未来の時間への希望が含まれています。
 本日7月25日は、中南米に住んでいた、マヤの人達の暦では、一年の最後の日であり、日本の大晦日の日に当ります。
南米は赤道直下ですから、日本の様に四季がありませんので、一年の終り・イコール冬の季節との考えはありません。
マヤの人達は、地球の気候よりは、宇宙の星の運行に興味を持っており、現在の天文学にも劣らない、観測技術を用いていました。月や太陽の他に、金星の運行までを取り込んだ、複雑な暦を作り、生活を営んでいたのです。
その内容を見れば、現代人よりも、マヤの人達の方が、優秀だと考えられる程です。
マヤの暦では、今日25日は、一年で一日余る日で、心の整理をする日と成っています。
日本では、12月31日の夜、お寺で除夜の鐘を打ち、一年の煩悩を祓いますが、同じ様な願いがあったのではないでしょうか。
 今日の日付の意味を、気にしていた所為か、今朝は「あらもうば」との言葉が出て来ました。
「あらもうば」とは、神社で唱える祝詞の中に出て来る言葉で、「罪穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へ」の事と想われます。
(かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ つくしのひむかのたちはなのおどのあはぎはらに みそぎはらえへたまいしときになりませるはらえどのおおかみたち もろもろのまがごと つみ けがれあらむをばはらえたまい きよめたまへともうすことを きこしめせとかしこみかしこみももうす)
 日本には、古くから、自分の身心に着いた、罪やケガレを祓い清めて、病気や災いからまぬがれようとの、考え方がある。
昔は、晦日以外にも、春禊・旧暦3月最初の巳の日と、夏禊ぎ・旧暦7月14日に、川や海で禊ぎをして、身心を清める儀式が行われていた。
 現在、行われている8月15日のお盆の行事は、この旧暦7月14日の夏禊ぎの行事が、仏教の行事に置き換わってしまったもので、仏教とは本来、関係が無いものだったのである。
 其れが、仏教に置き換わったのは、徳川幕府のキリシタン弾圧政策の影響に因るもので、「盂蘭盆・うらぼん」とは、梵語のウランバーナの音写で「はなはだしい苦悩」という意味で、仏弟子の「目蓮」が、餓鬼道に落ちた母の苦しみを救ったのに由来する物語を、夏禊ぎの儀式に利用したものであり、本来の目的である禊ぎの意味からは、外れてしまっている。
 本来の夏の禊ぎの意味は、7月14日に家の主・代表が、川や海の清い水で禊ぎを行い、夕方先祖の霊を迎える篝火を焚いて、先祖の霊を家に迎え入れ、神棚に野菜等を飾り、お椀に飯を山盛りにもって草の茎の箸を立て、先祖に供えて一族の繁栄を願うものだったのである。・・・
「つみけがれあらもうば」http://moon.ap.teacup.com/20061108/323.html

2017/12/25本日12月25日は「イエスキリスト」の誕生日である。
其の事と関係が有るのか、今朝のメッセージの映像には、私が「父親・主」の様な存在と、食事をする事になる映像が映し出されて来た。・・
 すると今度は、姿は映されて来ないのだが、私が「土肥無庵」か「イエスキリスト」か「天の主」の様な、父親の雰囲気が有る存在に呼び出されて、一緒に、大皿に載せられている、大きな白い伊勢海老を、神殿の様な所で食べなければ成らない場面が示されて来た。
 私は、石造りの施設に到着して、階段を上り始める時に、自分の足元を確かめると、青色のズボンを履いており、山中でも歩いて来たのか、裾に茶色の泥汚れが着いているので、一度自宅に帰って、着替えをして出直さなければ成らないと考えて居た。
 次の映像には、神殿に上がって食卓に着く為なのか、目の前に、直径が50cm程有るガラスの丸い器が映し出されて来た。
其の丸い器は、透明なガラス製の器で、縁の部分は薄い空色であり、とても美しい器で、中には清水が注がれており、自分の両手を、其の水で清めなければ成らない事が理解されて来た。・・・
「神官と斎宮」http://green.ap.teacup.com/20060818/4476.html

2017/8/14本日8月14日(旧暦6月23日)は、暦では「お盆」の日とされており、全国で帰省ラッシュが起きている。
お盆とは、仏教の風習であり、先祖の霊魂に自宅に帰って来て貰う儀式を行う日である。
 今朝のメッセージの映像は、其のお盆と関係が有るのか、様々な霊魂が闇の中にて、過去の柵(しがらみ)・カルマから脱出できないでいる場面が、映し出されて来た。
其れは、次の様な人々の霊魂・霊体である。
・真実ではない宗教の、信者に成って居た人々。
・托鉢・乞食で、神仏を信じて生きて居た人々。
・お金儲けをすれば、幸福に成ると考えて居た人々。
・皆・公の為ではなく、自分の為に、政治家に成って居た人々。
・お金の浪費癖がついて居た人々。
そして、其れ等の人々が、景色・色彩が何く、衣食住の生活風景も無い、暗い世界で、私に個別で、次々に救いを求めて来るのである。
其れに、何故か女性の霊魂・霊体は無く、年配の男性達であった。
 私の意識は、其れ等の人々に対して、救いの手段を見出せない儘困って居た。
すると、「土肥無庵」らしき人物の存在から、「何も心配しないで 無にて 思い切って飛び込め」との意味の事が、告げられて来た。・・
『貴方の存在が ようやく人々に認められる 次元まで
体制が整って来たのです。
其れは 現在の人間社会の機構に 合わせたものであるので
貴方が 特別な事を 行なう必要はありません。
ですから 貴方は 普段通りの生活をすれば良いと言う事であり
意識だけを 次の次元に向けて行くだけで良いのです。
良いですか 是からは 余計な事をする余裕は 無いのですよ。
真剣に 統尊の御嚴(みいつ)に 取り組むのですよ。 』
「お盆の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4336.html

2013/8/12・・暦を調べると、本日8月12日は旧暦の7月6日であり、昔なら明日が七夕である。そして、七夕から7日後の7月14日が「夏禊ぎ」であり、其れが現在では仏教の影響で「お盆」の行事に入れ替わってしまっている。
其れに、明日は「国家 君が代 設定記念日」と成っているので、今朝の映像に現われたお婆さんは其の事を知っていた様である。
本来なら、日本人は今日6日に七夕飾りの準備をして、明日七夕の行事を行ない、宇宙・銀河に意識を向けなければ成らないのである。そして、7日後の14日に一家の主人が禊ぎ祓いをして、「先祖の霊魂(御祖神・みおやかみ)」を家に招き入れて供養をしなければ成らないのである。
其れが、徳川幕府の隠れキリシタン弾圧政策の為に、神道の夏禊ぎの行事が、仏教のお盆に変えられてしまったのである。
其れに、3月の最初の巳の日に行なわれていた「春禊ぎ」の行事も、3日の雛祭りの行事に置き換わって、大人の儀式ではなく女の子の祭りと成ってしまい、大事な儀式が途絶えてしまっているのである。・・・
「あしたが有る」http://moon.ap.teacup.com/20060615/262.html

2001/3/10「斎り慎み」http://moon.ap.teacup.com/20061108/86.html
2001/8/4「逆さまで裏返しの花」http://star.ap.teacup.com/170606/678.html
2007/8/14「色を撒く」http://green.ap.teacup.com/20060818/417.html
2009/4/14「守護霊の働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/1108.html
2015/7/13「顕在意識と潜在意識の分離」http://green.ap.teacup.com/20060818/3528.html
2016/6/17「不確かな言葉」http://green.ap.teacup.com/20060818/3889.html
2017/1/8「無理難題」http://green.ap.teacup.com/20060818/4109.html
2017/7/16「禊ぎ祓いの必要性」http://green.ap.teacup.com/20060818/4306.html
2017/8/13「大地を走る神意(かもい)」http://green.ap.teacup.com/20060818/4335.html
2017/9/27「新しい世界と人間社会の形」http://green.ap.teacup.com/20060818/4382.html

今朝宇宙空間を背景して、「宇宙に甚大な影響を与える座標軸」とのテロップが左側から右方向に流れる映像が映し出されて来たのは、私が1984年6月4日に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「神の新しい座標軸」であると告げられて来た事と関係が有り、其れが本番を迎えるので、私に自覚を求めて来たのではないだろうか。

其の様に考えると、私は自分の気を引き締めて、事(森羅万象の動き)に当たらなければ成らないと謂う事に成って来る。
何故かと謂うと、私の行動・行為が「道・タオ」から外れれば、甚大な影響が生じてしまうと謂う事の様だからである。

2018/6/8・・其れに、私が「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が祀られている「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に初めて参拝出来たのは、2005年12月8日であり、其れは釈迦が悟った日であるので、釈迦牟尼世尊の御魂が私のパソコンに棲み込んでから、「107」日後の事である。
 其れ等の事を考えると、私に起きている事は、世界中の神々が総結集して事を進めている事に成り、其れが私の躰を使用して起きているとの事を考えると、確かに私は「統尊・すめらのみこと」の立場であり、「御嚴・みいつ」の役割を果たしている事に成るのであろう。
 そうであれば、私が1984年6月4日に神から、私が「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば「神の新しい座標軸」であると告げられた事が、現実として動いている事に成る。
「天津日嗣の復活」http://green.ap.teacup.com/20060818/4644.html

2013/4/4・・無庵師匠の謂うには、三ヶ月で人間の體の細胞は全部入れ替わるとの理・ことで、私は仕事を全て止めて、家族と離れ、一人に成ってマクロビオティックの生活をすれば、本来の私の使命・みことが出るとの事であった。
其の無庵師匠の言葉通り、丸三ヶ月後の6月4日に、私は神の世界に入る事に成ったのである。
其の6月4日は、私の母親の64歳の誕生日であったので、生命の秘密と言うか、天の仕組みに驚きを覚えた。
其の日は、安房川の川辺に有る自分の自宅の前の河原にて、無庵師匠が見守る中、禊祓いを行ったのである。そして、4311体の精霊の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受ける事に成った。
 そして、其の結果、無庵師匠に向かって最初に私の口を突いて出て来た、神のお告げが「残り16年半」「失敗は許されない チャンスは一度だけ」「アンテナが二つ要る」であった。
其れから、私の役割は「新しい事象の特異点」であり、別の言い方は「新しい神の座標軸」であると告げられたのである。
 其の「16年半」との日付は、計算すると2000年12月4日である。
私は、其の年1984年11月半ばに、車に布団や炊事道具を積んで屋久島を出発し、全国への旅に出た。そして、鹿児島の市内を歩いて居ると、勝手に自分の足が向きを変えたので、私は自分の足が進む方に歩いて行った。
すると、本屋の中に入って行き、ある棚の前で足が停止し、今度は勝手に手が動いて一冊の本を棚から取り出して、ある頁を開いた。そして、其処に書いて有る文字に目が止まった。
 其処には、神武天皇が南九州を出発して、大分県の宇佐で「宇佐彦」に出会い、其れから福岡の「岡田宮」で一年暮らし、次に広島の「安芸国埃宮」に7年間滞在し、次に岡山の吉備の「高島宮」で8年間滞在した後、奈良に向かって進んだと書いて有った。
 其の神武天皇の足跡の日数を計算すると、「1+7+8=16」なので、奈良に入るまでを足すと、16年半に成る事が判ったので、私は16年半とは、神武天皇が南九州を出発してから、奈良で政治を始める迄の期間であると理解したのである。
 其れに、奈良・大和で「神武天皇」と「長髄彦・ながすねひこ・登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」が敵対して居る時に、天空が光輝いて、金色の鳶が降りて来て神武天皇の手にする弓に止まった事で、長髄彦が其の現象を神意だと考え、使いを立てて話し合いをすると、お互いが持つ三種の神器が同じ物であったので、神武天皇に国を譲る事を決めた日が、12月4日であるとの事なので、私が告げられた期日は、正に、神武天皇の動きと関係が有ったのである。・・・
「其の四 神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html

2012/8/22「屍のテーブル」http://green.ap.teacup.com/20060818/2413.html
2013/3/12「アセンションは脱皮」http://green.ap.teacup.com/20060818/2620.html
2014/12/17「銀河の中を流れる穐」http://green.ap.teacup.com/20060818/3299.html
2018/5/16「主の悲しみ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4621.html
2018/6/5「不純物の除去」http://green.ap.teacup.com/20060818/4641.html

本日も気温が上がって来た。
先ずは、此の夏を無事に乗り越えなければ成らない。

               平成30年7月14日11時21分

                           礒邉自適

人体と宇宙

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    人体と宇宙
                         30・7・13

今朝のメッセージの映像は、先ず、何かの為に、野生の鹿が100頭程必要だとの事が示されて来て、私も其の事の為に、何らかの協力を始める様子が映し出されて来た。

そして、ある程度の時間が過ぎてから、集合場所に行くと、白い蒲鉾(かまぼこ)形の長いテントが横向きに建てられており、其の前に60歳位の男性が一人立って居て、私に「無事に頭数が揃いました」と謂うので、私は自分が直接手を下さなくても、目的が果された事を思って居た。

其れから、広い庭で食事の準備が整っている様子が映し出されて来た。
其の映像は、長方形の鍋(幅が50cm・長さが2m程)に鹿肉がたっぷりと入れられた、カレーの様な料理がグツグツと煮えている場面であり、其の鍋は三列・三セットで、手前に横に一鍋有って、其の向こう側には縦に二鍋が有った。
そして、其の料理の量は、何百人もの人達が食べられる多量である事が理解されてきた。

私は、其の映像は、長野県の諏訪大社の前宮神社の「御頭祭」に関係が有ると思って居ると、今度は、ドラム缶の様な筒状の物の底に、白い猫科の動物が一頭閉じ込められて居る様子が映し出されて来て、其の動物の顔を見ると援けなければ、間も無く死んでしまう事が理解されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時58分・4時2分前」であった。

其れから再び眠ると、星々が無数に煌く、群青色の宇宙空間が映し出されて来た。
そして、「えいよう・榮養」との言葉が示されて来た。

其れは、人間の肉体が宇宙と繋がっている理・ことを示唆しており、榮養とはミネラルの事と関係が有って、完璧な榮養(えいよう)バランスが摂られていれば、「人体(人間)」は「宇宙・天体」その物と、一体化すると謂うか、同調する理を示して来ている事が理解できた。

其処で目が覚めたので、起きて時計を見ると時刻は6時3分であった。

其れで、其の儘起きてPCを立ち上げ、起された時刻の数字から6月3日と4月2日の文章を見ると、次に様に書いて有る。

2018/6/3明日6月4日で、私は此の神の世界に飛び込んでから、丸34年が経過する事に成り、明後日から35年目が始まる事に成る。
其の事と関係が有るのか、今朝のメッセージの映像には、先ず、アルファベット文字で「TISIITI(停止位置)(停止石?)」と書かれている文字が映し出されて来た。
そして、其の意味を考えて居ると、其の事を象徴するモニュメントとして、暗い世界に、一個の白い磁器製の置物が置かれている映像が映し出されて来た。
其の置物は、漫画っぽく人間の顔を形どった物であり、顎関節が外れた様に大きく開いた口が上向きに成っている物で、目の部分は瞳が無く、黒い空洞に成っている物である。
其れは、其の置物が、盲目的に全ての物事を食うと謂うか、吸い込んでしまう理・ことを意味している様な物であった。
次の映像には、新しい御世作りに関する世界と謂うか、舞台の様な空間の存在が映し出されて来て、私の意思に適った若者達が、夫々の役割を果す為に動き始める様子が映し出されて来た。・・
 此の「日本に不正が有っては成らない」との言葉からすると、現在日本の政界に起きている「森・加計問題」の物事・現象は、両方とも、人間にとって最も大事な精神に関わる教育機関での虚偽に付いての事件であるので、正に最悪の出来事であると言う事に成り、一端停止して、根本の所から再出発しなければ、どうにも成らないと謂う事になるであろう。
 今朝の文章の題は、其の事を含めて「始まりとは停止する事」とした。
其れは「終わりは 新しい事の始まり」との言葉と、同義語である。
「始まりとは停止する事」http://green.ap.teacup.com/20060818/4639.html

2017/4/2明日4月3日は、日本の元号の始まりである神武天皇の、誕生日とされている日である。其れから考えると、本日2日は、神武天皇の「イブ・誕生前夜」であると言う事にも成る。
 今朝のメッセージの映像は、其の事に関係が有るのか、私自身を含む三人の男性が、夫々故郷に帰る準備をしている場面が映し出されて来た。
次の映像では、私が、姿が透けてはっきりと見えない女性と二人で、以前の知り合いの家を訪ねて廻る場面が映し出されて来た。
 其れ等の家には、多数の鶏の品種が番(つがい)で金網の中に飼われている家や、山林から採取して来た山草や蘭が鉢植えされているが、水掛などの手入れをしない為に、其の植物が皆枯れてしまっている家などが有った。
そして最後に、一人の男性の顔写真が右上に掲載されている、新聞の様な紙面が映し出されて来た。
其の人物は40歳位の年齢で、其の男性が私の役割を継いで行く存在であり、次の「天津日嗣・あまつひつぎ」が、既に決まっているとの事が示されて来ている様である。
 私は其の映像で、仏陀釈迦が予言した「弥勒菩薩・マイトレイヤー」の登場と同じ事が、霊界・冥府・四次元世界で起きているのだと想って居た。
今朝のメッセージの映像からすると、男性は役割を持って此の世に産まれて来て、其の役割を終えた魂しいは、生まれ育った故郷に帰りたがるモノである事が、示されて来ている様である。
 其れから、私が姿の見えない女性と、多くの鶏の番を金網の中に飼っている家や、山林・山岳から採取して来た植物を鉢植えにして、枯らしている家を見て廻って居た場面は、山岳の植物は山岳に生えている事が、生命を全うする事であり、番の鶏は本来自然の中で暮らす生き物なので、雉の生態の様に、山鳥が自由に暮らせる環境を整えなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
 其れ等の事柄を考えると、今朝のメッセージの映像は、我々人間が、自分の精神の在り方や、生活の仕方を考えるだけではなく、生命全体&地球環境の事に付いて、想いを巡らす必要があると言う事なのであろう。
今朝のメッセージの映像で、私が他の二人の男性と、夫々故郷に帰る準備をする場面は、神武天皇の兄弟が、「塩土老翁・しおつちのおじ」の予言に因って、南九州から奈良に東征して、其の儘故郷に帰っていない事を、示唆しているのではないだろうか。
そして、鉢植えの植物と、金網の中の鶏の存在は、生物界の掟と言うか、自然法則に反しており、其れ等の問題(自分の行為や過失)を自分の手で解決してからでないと、故郷には帰れないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
 今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、「残り16年半しかない」と告げられ、其の日が2000年12月4日であり、16年半との年数は、神武の兄弟が南九州を出発してから奈良(大和)で「政・まつりごと」を始める迄の年数である事が、後に判明した。
 そして、12月4日の日付は、奈良で「神武天皇」が「長髄彦・ながすねひこ・登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」と対峙して居る時に、天空が光輝いて「金鵄」が降りて来て、神武天皇の弓に止まった為に、其の現象を目にした長髄彦が、政権を委譲する事を決めた日付である。
其の神からのお告げに因って、私の行動や、全国への家離・たびが始まったのである。
其れから、本日で11989日が経過する事になる。
本日のメッセージの内容からすると、其の神武の兄弟のカルマと言うか、塩土老翁が神武の兄弟に告げた神のプログラムが、解決した事に成り、私は神武天皇の霊魂を鎮魂したと言う事に、成るのではないだろうか。
「神武天皇霊の鎮魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/4194.html

此の文章の内容は、完璧に繋がっていると思ったのだが、何故か、日付が昨年の4月2日の物であるので、どうして間違ったのだろうかと思いながら、改めて今年の4月2日の文章を見ると、次の様に書いて有る。
 
2018/4/2・・そして、景色を眺めると、其処は人家や人気が全く無い、古代の大自然の中であり、森林の中を清い水がゆったりと流れる大きな川が有るので、私は其の川の流れで、躰だけではなく、精神の禊ぎ祓いが出来ると思って居た。
其の他にも、幾つもの映像が映し出されて来た様な気がするのだが、今は思い出せない。
覚えて入るのは、英語の言葉らしきモノが一言聞こえて来て、其の言葉は「古い」の意味が有り、現在の世の中は、其の古いモノが重なって、出来上がっている物である理・ことが理解されて来た事である。
今朝は先ず、和英対象辞典で、「ふるい(古い)」を調べると、次の様に載っている。
①昔のことである。 Old(オウルド)
②多くの年をへている。 Aged(エイジド)
③ふるびている。ふるくさい。 Stale(ステイル)
英和辞典
「old」主な意味。
年取った、老いた、老年の、老人たち、(満)…歳の、年長の、年上の、古い、古びた、使い古した。
コア
時が経過している。「長い時間を経過した状態で現在もある(いる)」という場合と,「(もう存在しないが)存在していた時から長い時間が経っている」という場合がある。
「aged」叙述的用法の形容詞 (比較なし) [数詞の前に置いて] …歳の。
「stale」新鮮でない、古くさい、気の抜けた、腐りかけた、こもってよごれた、むっとする、陳腐な、おもしろくない、つまらない、生気のない。
是等の説明では、今朝のメッセージの意味である「現在は過去の情報の上に成り立っている」との事には、繋がらない。・・
 此の文章の内容からすると、今朝の映像で30人程が集まっている場の料理が、乾物の材料を使った料理であった事が関係が有り、過去の物(出来事)が乾物として保存されているのが人間社会の仕組みであり、其れは穢れの無い清水に浸して、元の形状(すがた)に一度戻してからでなければ、「使用出来ない・生かす事ができない」との事なのかも知れない。
其の様に考えると、現代社会の政治や宗教の在り方に、繋がって来る様な気がする。
其れは、「ステイル・stale」の言葉の意味である「新鮮でない、古くさい、気の抜けた、腐りかけた、こもってよごれた、むっとする、陳腐な、おもしろくない、つまらない、生気のない。」に通じて来る。
 今朝起こされたのが、「8時00分・八時ジャスト」であった事を考えると、漢字の「八」は、末広がりの意味が有るので、今朝のメッセージは「乾物化」しているあらゆる情報を、清水に浸して生き返させる必要が有ると言う理・ことに成るのではないだろうか。
其の様に考えると、過去の情報だけではなく、人間自身の禊ぎ祓いが必要であり、其れが実行されなければ、社会全体の大改革も行えないと言う理・ことなのであろう。
 其の様に考えると、明日4月3日が日本の歴史の基と成っている「神武天皇祭」の日である事と関係が有り、私が1984年6月4日に安房川で禊ぎ祓いを行って、此の世界に飛び込んだ時に「残り16年半しか無い」と告げられて、其の期限が2000年12月4日であり、其の12月4日の日付は、奈良で「金鵄降臨」の祭りが行われる日である事を考えると、本日のメッセージは34年が経過して、ようやく其の目的が果される時節が到来したと言う事に成るのかも知れない。
 今朝のメッセージの内容から考えると、私と言う人間は、「肉体」が過去のDNA・遺伝子が組み合わさって出来ている物であるが、「意識」も過去の人々が積み上げて来た情報で組み上がっている物であるので、私個人が創り挙げた物は無いと言う事であり、私自身が残せる物も又、乾物である、紙に記された文章だけであると謂う事に成る。
 しかし、其の文章を書く・打つ事だけで、森羅万象の流転と謂うか、事象・時空に変化を齎しているのだから、言葉や文字の世界がどの様な「力・ちから・実態」を有しているのかが理解出来るし、エジプト文化で何故「書記長」が最も重要な位置・座を占めていたのかも、能く理解されてくる。
「現在は過去の情報の上に」http://green.ap.teacup.com/20060818/4574.html

此の文章にも「神武天皇」の事が書いて有り、『・・「肉体」が過去のDNA・遺伝子が組み合わさって出来ている物であるが、「意識」も過去の人々が積み上げて来た情報で組み上がっている物である。・・・』と書いて有るので、今朝のメッセージに「宇宙・天体」と「人間の肉体」の関係性が示されて来ているので「天皇・すめらのみこと・現人神」の在り様に付いて、示されて来ているのであろう。

其の事と、「蒲鉾形のテント」と「多数の鹿」にどの様な関係が有るのだろうか。

いま、ITで調べると、諏訪大社の前宮の「十間堂」で4月15日に行われる「御頭祭・おんとうさい」には、以前は多い時に75頭もの生贄の鹿が奉納されていたとの事が、書いて有る。

キー「前宮 テント」

2011/8/23そして、驚いたのは、昨日の文章を、始めの記事としてアップすると、其の題名が「古い形は閉じて行く」なので、言葉の力と言うか「マントラ・真言」の世界の力を改めて感じた。
新しいブログの名を「王道」としたのは、今朝のメッセージの内容が、新しい「王道」を開くと言うモノだったからである。
  今朝のメッセージの内容は、A3用紙ぐらいの大きさの本が一冊現れて、其のページが開かれると、「王・キング・すめらのミコト」の顔の表情や、態度・しぐさが全ページに亘って、色彩豊かに描かれていた。
其の顔は、大空を背景に、とても大きく描かれており、其の顔は、とても尊い表情をしており、男性の完成された御魂が表されていた。
そして、其の様に成る事が、「かみのみち・神道」である理・ことを理解した。
「道・トウ・ドウ・タオ」の世界は、茶道・華道・書道・剣道・柔道・弓道・和歌の道等が有り、最大のモノは「神道・しんとう」であろう。
しかし、今朝のメッセージは、其の「神道」の先と言うか、目的の処に「王道・おうどう」が有る理・ことが示されて来た。
 今朝の愉伽さんのメッセージには、柱が高く空中に伸びている、大きなテントのドームが映し出されて来て、其の中で、多くの人達が働いて居たが、火事が広がって来ているとの事で、皆で、其のテントを畳んでいたとの事である。
そして、其の近くには、色々な毛色の猫が、澤山居たとの事である。
 次の映像には、凄く大きな木が有り、其の茂っている木の枝に、茶色い身体の三匹の体長60㎝くらいの大きな「蝉・セミ」がぶら下がって居り、其のうち一番右側のセミの羽根が、茶色から、透明感のあるオレンジ色に変わり、布の様で、とても綺麗だったとの事である。
其の、組み立てたり、解体出来たりする大きなテントは、イスラエル・ユダヤの民の「天幕・幕屋」を意味しているのであろう。
 しかし、多くの猫の意味は良く解らない。
猫は、犬と違って従属性が無く、単独行動を好む動物なので、個性か自由を意味しているのであろうか。
 三匹の大きなセミの意味は、日本語では、人間の肉体の事を「空蝉・うつせみ」と言い、人間の事を「霊留・ひと」と言う。
其れは、霊魂が宿っていない人間の「肉体」は「空だ・体・からだ」と言うので、三体の大きな器・うつわが存在する理・ことを、意味しているのではないだろうか。
体の器は、キリスト教では「三位一体」との言葉が有るが、日本では「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が禊ぎをした時に、「天照神・調読命・須佐之男」の三体・三貴神が生まれたとされているし、神社の社・やしろも三棟(三神)が並んで建てられている。
其れに、お寺でも「釈迦像」の左右に、二体の菩薩が置かれたりする。
其れを考えると、三体の御魂が、必要であるとの理・ことなのかも知れない。
確かに、古代社会の政・まつりごとでは「王様・皇帝・天皇」の位の左右には、左大臣と右大臣が、座・位を占める様に成っていた。
其れを考えると、現在社会の政治の様に、国会議員の数だけが多く、纏まりが無いよりも、昔の政・まつりごとの方が、経費も安いし、能率も上がるのかも知れない。
 其れに、現在の政治はどこの国でも、「天・神・宇宙意志」の存在を無視しており、人間のエゴ・利己主義だけで動いている。
其れに、民主主義の投票制度は数の論理なので、其の日暮らしの考えが重点となり、長期的な計画が全く立たない状況である。
レベルの高い「賢人」の正しい考えが、全く通用しない世の中なのだ。
古代中国の政治の価値観は、天・宇宙に「天帝・テンテイ」の意識が存在し、其の天帝に代って、地上の政治を行うのが「皇帝・コウテイ」だったのである。
其の関係性を現したのが、籠目のマークである「▽+△=六芒星」なのである。
しかし、現在の政治は「天帝・神・宇宙意志」を無視し、人間の我儘・遣り放題なのである。
 今朝の私へのメッセージは、本来の政治・政・まつりごとを復活しろとの理・ことではないだろうか。
そして、其の根本原理に「石工の秘儀」が必要であると言う事が、昨日のメッセージなのであろう。
「石工の秘儀」とは「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」
今朝のメッセージの様子からすると、其の世界が、27年振りに起動し、私は其の時受けた訓練・修行を、生かさなければ成らないのかも知れない。
其れは、人前に立つと言うか、神のメッセージを受け取るばかりではなく、神の計画・プログラムの最前線に、立つと言う事である。
其れが、どう言うモノであるかは、昨年の夏に、阿波徳島で40日間に亘り、「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」と其の子供達の事を調べた事と、今夏に50日間に亘り、「物部十柱神」や、諏訪の「守屋山」や、前宮の「十間堂」の事を調べた事に関係があり、日本に渡来したイスラエル十支族に関係が有るのだろう。
其れは、日本の文化に深く関わりを持っている、ユダヤ十支族の伝統文化を明らかにし、聖書に書かれている、イスラエルの地に、其の文化を復活すると言う事である。
 今朝のメッセージでは、明け方に「入り婿」との言葉と、「日本に帰って来た」との言葉が告げられて来た。
其れは、日本にイスラエルの民が渡って来たのは、「帰って来た」との意味が含まれていると言う事であろう。
そして、「須佐之男尊」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」や「神武天皇」等の、渡来系の男性は、「地祇・くにつかみである(大山祇神・おおやまつみかみ)」の「入り婿」であるとの事なのであろう。
其れは、紀元700年前に、ユダヤ民族が国を失い流浪の民と成る前に、日本と関わりが有ると言う事である。
 此の日本には、氷河期の前(1万6500年前)に縄文文化が有り、其の民族が寒冷化とともに、インドネシアやニューギニアの島々か大陸(ムー)に下り、温暖化と共に、また北上して来た事と、関係が有るのかも知れない。
英語の元はフランス語で、フランス語の元はラテン語で、ラテン語の元はシュメール語で、シュメール語の元は、其のムー大陸の言語であった「マレー語」であるとの事である。
 其のマレー語が、日本語の基本に有るので、ヘブライ語だけではなく、ニュージーランド(マオリ族)や、ベトナムや、朝鮮半島まで、日本語と同じ語源が伝えられているとの事である。
其れは、オーストラリアの原住民であるアボリジニだけを除いて、セイロン島(スリランカ)や、南米(エクアドル)まで広がっているのである。
其の文化の特徴は、七回半トグロを巻く「大蛇・ククルカン・」であり、マヤ文化や、アステカのピラミッドの神であり、エジプトのピラミッドの価値観であり、釈迦の台座や背後の護り神であり、日本の綱引きの文化や、山の御神木に藁縄が七回半巻き付けられる、稲作文化の大蛇である。
其れ等の事柄を考えると、1万数千年前からの人類の記憶を取り戻し、人間の潜在意識の中に存在する、真実の人間像を、探り当てなければ成らない。
そして、其の完成された人間像を、新しい人類の「テキスト・お手本」にしなければ成らないのである。・・・
「王道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html

此の文章には、諏訪大社の前宮の「十間堂」事だけではなく、由香のビジョンに「大きなテント」や「猫」が映し出されて来た事が書いて有るので、今朝の私のメッセージと深く繋がっている。

其れに「道」の事に付いて書いて有るので、今朝の映像で死にかかっていた白い猫科の動物は、中国の四神の一神であり、道を司る「白虎・びゃっこ」に関係が有りそうである。

其の白虎(びゃっこ)が、ドラム缶の様な筒の中で死にかけて居ると謂うのは、「道」が塞がって、白虎の働きが消えそうに成っている理・ことが示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝のメッセージは、諏訪大社の「御頭祭」の儀式を復活しなければ成らないと謂う事に成る。

何故、其の様に考えるかと謂うと、日本の天皇家を中心とする政治体制は、「イシス女神・天照神」を祭神とする「天津系・渡来系」の「ユダヤ・イスラエル」の文化(宗教)であるので、其の人達にとっての「テント・天幕」は、現在の国会議事堂や政府の建物と同じ役割の物であり、其の天幕に代表が集まって会議(国会)が開催されていたからである。

【聖書における幕屋】
幕屋は聖書に登場する移動式の神殿。会見の天幕(かいけんのてんまく)とも呼ばれる。ただし、過去の聖書翻訳において、幕屋(ミシュカーン)と天幕(オーヘル)とを明確に区別しているものはあまりなく、それぞれの翻訳間に表記のばらつきが存在する。以下は、出エジプト記に見られる「会見の天幕」についての説明である
幕屋は、モーセによる以下の指示に従い、ベツァレルが作成した。
幕屋の作成に関連した指示は次のとおり(「出エジプト記」25-30章)。
契約の箱、および幕屋内で使用する備品(25章)
幕屋、聖所と至聖所とを区切る垂幕(26章)
犠牲を捧げる祭壇、中庭(27章)
祭司の職服(28章)
香を焚く祭壇(30章)
移動の際にはアロンの家系の祭司たちが解体し、レビ族が運搬の任に当たったと伝えられる(民数記 4章)。ヘブライ語のミシュカーンは「住居」という意味であり、神の住まう所であるとされ、後に、ソロモン王が神殿を建設するまでの間、その役割を果たした。
     ウィキペディアフリー百科辞典 2018/7/13現在

キー「白虎(びゃっこ) ミネラル」

2015/12/31・・中国の風水で東方を流れる川・水の守護神が、智慧を司る「青龍・せいりゅう」である事の対象として、西方の「道路・流通・経済・商売・物品」の守護神である「白虎・びゃっこ(日本では白狐)」の働きの世界が、新しい概念として示されて来ている様な気がする。・・・
「三個一組み」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3710.html

2009/6/25・・今朝のメッセージの映像は、何故、最終的に行き着いた建物が、日本の神社の社ではなく、白い教会の様な建物で、車も外車だったのであろうか。其れは、日本の伝統文化に拘るのではなく、世界全体を、考える必要があるとの事だろう。
 白い教会や、お城のイメージと、白い乗り物は、白いお城に住む王子様が、白馬に乗って現れると言う、少女漫画のイメージの世界である。
そして、男性が数名で、答えを出さなければ成らないイメージは、「かぐや姫」が問題を与えた、五人の公達の世界の様である。
そして、白い建物に続く道路が狭い坂道であるのは、「天神様の細道」のイメージである。
 今朝のメッセージは、人間が生きて行く為には、何等かの、物語がなければ成らない理・ことを、意味しているのではないだろうか。
我々人間は、何等かの人生目標を、持たなければ生きて行けない。
生きて行く為の、目標を持てる事こそが、人間の人間らしき特徴でもある。
其れを考えると、近代文明に合う人生目標を、何等かの形で、示す必要があるだろう。
 今朝、私が辿り着いた「神の家」の玄関の扉を開く為には、未だ六つの答えを持つ人々が、現れなければ成らないのであろう。
だが、今朝私が、玄関に通じる通路の戸を開ける事が出来た、鍵と成る答えの言葉も、何だったのかは明確ではない。
 今朝のメッセージに現れた外車と、教会の様な建物は真っ白な物であった。
其の白色の意味を考えると、西方の守護神である「白虎・ビャッコ」の事に想いが到る。白虎は「道路・経済・商売」を司る神である。
其の、西方に位置する「白虎」の目線から見れば、昨日のメッセージに現れた左側の「氷」は北極の水であり、右の動く「水」は赤道の付近と成る。
其れは、昨日の東側から見る立場とは逆に成る。
自分の立場が変れば、物の位置や、価値観も変ってしまうのである。・・・
「神の家に着いた」http://green.ap.teacup.com/20060818/1187.html

2008/4/10・・其の事を参考にすると、玄武の「玄」は黒の意味であるので、7日の真っ黒の世界が玄武であり、私の霊魂は再生されて、新しく、事象の三次元世界に天下りして来た事に成る。
そして9日には、川の水の流れと、道路・交通の事が現れている。其れは、水を意味する青龍と、道路を意味する白虎の世界である。
 其れは、「青龍」が智慧を意味するので、情報をダビングしてあるビデオテープが現れ、「白虎」が経済を意味するので、車や家具や駐車場が現れて来たのではないだろうか。そして、王座を意味する、立派な椅子のプレゼントも受けているのである。
 そして、昨日は、太陽の内部活動の様子が目の前に現れたので、火の神を意味する「朱雀」の世界、其の物である。
だから、6日から、今日までの5日間で、宇宙の働きが示されて来ていたのだ。・・・
「死後の魂の行き場」http://green.ap.teacup.com/20060818/703.html

2002/2/28また、一般庶民の間に根強い、「おいなりさん」の稲荷信仰も、稲穂の束を意味する物で、動物の狐とは何の関係も無いものである。
其れは、稲を貯蔵する稲倉が大事にされた処から始まっている。
「保食神・うけもちのかみ」や「大歳神」も、同じく米・稲を大事に祭る処から来ている。
神社に、狐が登場して来たのは、米俵の模擬である「いなり寿司」が、神様に供えられているのを、夜狐が持って行ってしまうから、神様の代理として狐を意識する様に成ったのではないだろうか。
其れと、稲荷神社に「白狐・びゃっこ」が祭られているのは、中国文化の西方を守り神である「白虎・ビャッコ」の代わりではないかと、私は考える。
西の方位は、経済を意味し、経済は交通と同様だから、道路の方位(西を護る神)とされている白虎は、経済の神とされているのである。
日本は、長い間、米が貨幣の替りを果していた様に、税も米で集め、給与も米で支払われていた。
だから、お金の代りの稲荷が、商売の神様とされたのも理由が納得できるし、経済の「白虎」が、虎の居ない日本で「白狐」に替えられたのも頷ける事である。・・・
「稲魂」http://moon.ap.teacup.com/20061108/166.html

2015/10/4今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージで、人間の平和な「生活・ライフスタイル」が構築された事が、示されて来た事と関係が有り、次なるステップに進み出す為の段階が、示されて来た様である。
其れを、どの様に説明すれば良いかを考えて、今朝は、取り敢えず「アカシックレコードのバージョンアップ」とした。
 今朝のメッセージの映像では、世界中のハイクラスな人々である、王族や貴族の様な人々が集まるパーティ会場の様なモノが映し出されて来て、私も其の会場に居た。
其れは、「大山祇神・おおやまづみかみ」の信仰・価値観であり、「大物主神」「大巳貴神・おおなむちかみ」「白山菊理姫」等の「神・はたらき」や、世界中の「山岳信仰」や「ピラミッド建設」の基盤の概念と成って来た世界である。
其の元には、花崗岩の成分である「珪素・(シリコン)・石英・雲母」等の、「振動・周波数・チャンネル」と、人間の額の奥に有る「第三の目・松果体(シリコン結晶)」がチャンネルして、アカシックレコードと呼ばれている「アーカシャ記録、アカシアの記録」を、書き換えて行くと言うか、上書きし、バージョンアップして行く作業・はたらきが存在するのである。
そして、其の作業を任されていたのが、エジプトの「トト神」の化身である「書記長」の役割や、「ブッダ」の世界であるのだ。
「アカシックレコードのバージョンアップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3615.html
2018/6/10「ブッダの母神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4646.html

【栄養】日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
栄養(読み)えいよう(英語表記)nutrition
人間は誕生から発育、成長、死に至るまで、必要な物質を食物の形で摂取している。この間、身体の健康の維持、生活活動、運動、妊娠などの生命の営みを一刻も休むことなく継続していく。このように健康を維持、増進し、生活活動を営むために必要な物質を外界から身体に取り入れて利用し、生命を維持していく現象を栄養という。そのために外界から取り入れる物質を栄養素nutrientsとよぶ。栄養素は食物に含まれているので、栄養素の摂取は食物を摂取することによって行うのが原則である。栄養素が欠乏したり、病者の場合には、食品によらずに、グルコース、アミノ酸、ビタミンなどの栄養素を、経口または非経口(静脈注入)の方法で補給することも行われている。
 通常は食物を摂取し、消化吸収し、栄養素を体内に取り込む。体内に取り込まれた栄養素は、体成分に転換する(同化という)一方、分解されてエネルギーに利用される。分解していく過程を異化という。栄養素が取り込まれてから同化、異化される過程を総括して代謝あるいは新陳代謝という。代謝の現象を通じて人間は成長し、健康な身体を維持し、生活を営む。食物摂取から消化吸収、代謝に至る全過程が栄養の現象である。
 日本語では栄養と栄養素を混同していう場合があるが、栄養素は物質、栄養は体内の生命現象のことである。食物中に含まれるものは栄養素である。栄養が食物中にあるのではない。食物中の栄養素が体内に取り込まれて栄養の働きをする。[宮崎基嘉]  

2011/12/18今朝のメッセージには、大きなガスコンロの火が点火されて、青い炎が燃え上がる映像が、映し出されて来た。
次の場面は、水田の稲穂の刈り取りが近付いて、作業を手伝う人達に、誰が給料を払うのかを、私が係りの男性に訊きに行っていた。
 今朝は、ただ其れだけのメッセージだが、単純なだけに、基本的と言うか、多くの意味が込められている様な気がする。
今朝は、ただ其れだけのメッセージだが、単純なだけに、基本的と言うか、多くの意味が込められている様な気がする。
 青白い炎が燃え上がるのは、三次元の赤い炎が燃え上がる焚火や烽火と違って、四次元のプログラムに火が点火された事を意味し、神界の働きが、着火した事を示して来ているのではないだろうか。
栄えるの「栄・エイ」の漢字は、燃えるたいまつを組み合わせて立てた、かがり火の象形で、さかえるの意味を表す。
また営みの「営・エイ」の漢字は、「宮+熒」の組み合わせで、「宮・みや・キュウ・グウ」は建物の中の部屋が連なった形にかたどり「みや」の意味を表す。「熒・ケイ」は、多くの火をめぐらす、ひかるの意味を表す。
          漢語林より
「すめらみことの役割」http://wave.ap.teacup.com/20060106/461.html?rev=1

2013/12/1「栄・榮・エイ」の漢字は、燃えるたいまつを組み合わせて立てた、かがり火の象形で、さかんにかがやくさまから、さかえるの意味を表す。篆文は、「木+熒」の形声文字とし、あおぎりの意味を表すと言う。常用漢字の栄は、榮の省略体。
【字義】①さかえる。はえる。⇔枯 ㋐草木がさかんに茂る。さかんになる。隆盛になる。繁昌する。㋑あらわれる。名声があがる。かがやく。②さかえ。はえ。㋐草木がさかんに茂こと。㋑隆盛。繁昌。「繁栄」㋒ほまれ。名誉。⇔恥「栄誉」「光栄」エひかり。かがやき。光明。③花。また、草木が咲く。
           漢語林より
今朝のメッセージは、地球全体の様子が劇的に変わる事が示されている。
地球文明は、過去に世界中で何回も崩壊している事が、古代遺跡を見れば理解できる。だから、今後同じ事が起きても、何ら不思議な事ではないのである。・・
「更なる地球の次元進化」http://green.ap.teacup.com/20060818/4677.html

2016/9/25「養・ヨウ・やしなう」【解字】形声。「食+羊」音符の羊は、ひつじの意味。ひつじを食器に盛る・そなえるの意味から、やしなうの意味を表す。
【字義】①やしなう。㋐育てる。はぐくむ。「養育」㋑かう(飼)。㋒扶養する。㋓教える。教育する。「教養」㋔おさめる。治療する。㋕おとろえないように、また、さかんになるように力をつくす。「養生」。②やしない。やしなうこと。やしなうもの。「栄養」③まかなう。また、まかない。炊事。④しもべ。召使。特に炊事係りの召使。⑤かゆい。⑥憂える。
2016/9/25「三又の招魂木(おがたま)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/696.html

『貴方が為すべき事は 殆ど終わりました。
是からは 他の人々が行う事を 静かに見守りなさい。
そこに 本当の貴方の役割が 生じて来ますので。』14時19分

                     平成30年7月13日

                           礒邉自適

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    警告
                        30・7・12

今朝のメッセージの映像は、先ず、神社仏閣で何10年振りかに「御開帳」の行事が行われる様に、45年ぶりに伝統の有る街中の老舗が一斉に「蚤の市」の様な、骨董品・貴重品の展示や、古い文化・風習を展示して、訪れる見学者に対して各店舗の主が、其れに関する説明を行っている場面が映し出されて来た。

私は、其れ等の骨董品の中に、自分の好みの茶碗がないかと意って、熱心に見て回って居た。
そして、最後には、五点セットの小皿が気に入ったので、其れを購入して手にしながら残りの街筋を歩いて居た。

其れから駅前の方に向かって居ると、列車が高速で走り抜ける映像場面が脳内を過(よ)ぎってから、男性の声で「動体視力」との言葉が告げられて来て、其の男性の存在は、通り過ぎる列車の窓の中の様子が、全て見えて居るとの事を示唆して来た。

私は、光が通り抜ける様に、霞んで何も見えない列車の室内が、どうして停止している様にハッキリ視えるのだろうかと思うと、其れがブッダの覚醒と同じで、覚醒した者には速度は関係が無く、過去の情報は、必要な所で、停止しているかの様に、全てハッキリと確認できるのだと謂う理・ことが、理解されて来た。

其れは、過去の情報と謂うか、人間の歴史は何らかのシステムに拠って、全て保存・記憶されており、其のシステム・機能にアクセス・チャンネル出来る者は、必要な情報は毎時確認できると言う事であり、其の体験者が「覚醒・成仏」に成功したブッダであると謂う事に成るのであろう。

其の事に付いて考えていると、「警告」との言葉が一言聴こえて来たので、起きて時計を見ると、時刻は6時23分であった。

其れで、其の儘起きてPCを立ち上げて6月23日の文章を確認すると、何と題名が「避難」であるので、今朝のメッセージの内容は、明らかに重要・大事な事が告げられて来ている事は間違い無い様である。

2018/6/23今朝のメッセージの映像には、先ず、故「岩山吉一・いわやまよしかず」が段取りをして、六名の人物がテーブルに着いて居る場面が映し出されて来た。
 其の六名とは、私の左側に、姿のはっきりしない男性の意識体が二名座っており、私の向かい側の席には「饒速日尊・にぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏が座って居り、其の前田氏の右横(私から見て左前)に座っている二名の意識体も、やはり姿のはっきりしない存在であった。
 其れに、段取りを整えた岩山吉一は、私の右側・入り口の方のテーブルの中央に立って居たので、前田氏が一番入り口近くに座って居た事に成り、前田氏が現実界・人間社会の代表である事が理解された。
そして、「ひなん・避難」との言葉が告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時00分」であった。
 其れから、再び眠ると、私が自分の手で生きている牛を一頭殺して、其れを解体する場面が映し出されて来た。
其れは、人間の食料が不足して来て、草だけを食べて生きられる牛を殺して、人々に無料で配る事を示唆していた。
そして、「AI・エーアイ]との言葉と謂うか、存在が示されて来た。
其処で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時25分」であった。
 其れから再び眠ると、今度は、私が自分の家に住んで居る場面が映し出されて来て、食べ物を得る為に農業をしたいと謂う男性から、農地を探す事を頼まれたので、私は前田氏が購入したままで使用していない土地が有るのを知っていたので、其れを買い戻して其の男性に譲る事を考え、仲介をした知り合いの男性に連絡を入れて来て貰う事にした。
 すると遣って来たのは、知り合いの男性だと謂うのだが、親の財産を売り払ったり、借金も返さず、飲み屋に入り浸って居た人物とは全く違っており、凄く真面目な百性の別人の姿に変っているのである。
其処で意識が目覚めたので、起きて台所に行き時計を見ると、時刻は6時50分であった。
 今朝は先ず、避難の意味を調べると、次の様に載っている。
避難[名](スル)災難を避けること。災害を避けて、安全な場所へ立ちのくこと。「川が増水したので高台に避難する」「緊急避難」「避難訓練」
             デジタル大辞泉
今朝のメッセージの映像は、簡単に考えると、現代の世の中に仕組みと謂うか、近代社会のシステムが崩壊する事が示されて来ており、皆が自然な生活に還らなければ成らない理・ことが、示されて来ている様である。
此の文章の内容からすると、昨日の「嘘言は社会の毒」の文章に書いた、
『・・此の、私が知らない「節面」との言葉が告げられて来た事を考えると、「御稜威 ・みいつ」の波動と関係が有り、統尊の神威とは事象の特異点での、天界からの情報の「入力・インプット」と、此の三次元世界への「出力・アウトプット」に、関係が有ると謂う理・ことなのかも知れない。・・・』
との事と、今朝のメッセージは関係が有り、私の役割は、自分の心身の管理にあると謂う事に成り、是から世の中に起きる事に自分が直接関わる事は、自分の役割・役目を果たせない事に成るので、早めに避難して、自分の務めに邁進しなければ成らないと言う事なのかも知れない。
 其れに、昨日告げられて来た「偽りの言葉は毒」との言葉を考えると、71歳を過ぎて脳細胞の数が減って行く私自身が、メッセージの解釈を間違ったり、憶測で何かを書く事は、私自身が「ユニコーン・一角獣」に角で刺し殺される事になり、「豸・チ・かいたい」に食われてしまう恐れが有るので、此処等で、自分自身が文章を打つ事を止める必要があると謂う事に成るのかも知れない。
 イエスキリストは、時の体制に歯向かって若干33歳で十字架に磔られて殺されているし、釈迦牟尼世尊は長生きはして居るが、布施された食べ物で食中毒を起して死んでいる。
其の点、老子は自分の考えを僅か5000文字に纏めて残し、国を出て何処かに立ち去ってしまっているので、惨めな終わり方をしていない。
 其れに、「避難」との言葉が告げられて目覚めた時間が「3時00分」であったのは、「矢追日聖法主」が生前「3・三は 神の数字であり 一人歩きをする」と謂っていたし、老子の言葉にも「三から全てが生まれる」と有るので、300の数字は、其の3・三が満ちたとの事であり、私が何処かに避難しても、差障りが無い時節が到来したと謂う事なのかも知れない。
「AI・人工知能」の存在と謂うか発展は、良くも悪くも人間社会に多大な影響を齎すと謂う事であり、其の事に対して、自分自身がどの様に対処するかを、能く吟味しなければ成らないのであろう。
私に謂える事は、全ての事を「AI・人工知能」が管理出来る様に成っても、AI自体は「大根一本」作れないと謂う理・ことである。
「避難」http://green.ap.teacup.com/20060818/4659.html

此の文章の内容からすると、昨日のメッセージ「変化に備えよ」との言葉が関係有り、次の事と関係が有る事に成る。

『・・此の「偶然という意味あいもある」との説明からすると、今朝告げられて来た「変化に備えよ」と「ハザードマップ」との言葉は、単なる「危険」な出来事の意味だけではなく、寧ろ、自分が考えていない・予測しえない出来事が、偶然の出来事の様に今後多発するので、其れ等の出来事・変化に備えよと謂う事であり、聖書の言葉にも関係が有るのかも知れない。
其れは、自分自身は危険な事・危ない世界には、決して関わらないと決めていても、偶然の事の様に、様々な出来事が、自分の身に降り懸かって来ると謂う事なのではないだろうか。・・・』

其れに、今朝告げられて来た「警告」との言葉からすると、6月23日の文章に書いて有る「AI・エーアイ」の事と関係が有り、情報化・自動化された機械に頼っている現代社会は、有事の時には何も役に立たないと謂う事であり、其の対応を考えて措かなければ、社会のコントロール・管理が不可能に成るので、大変な事に成ると謂う事ではないだろうか。

其の様な事に成れば、今回の自然災害の様な一部分の混乱だけではなく、全体の社会機構が麻痺してしまうので、何の対策も図れなく成り、何事も本人の努力で解決して行かなければ成らないと言う事に成る。

其れを考えると、2018/7/7の「此の喜びを椎交わそう」との言葉とは、矛盾が有る事に成るが、其れは、人間自身に「選択・チョイス」が必要であると謂う事であり、昨日載せた聖書の言葉に有る、
「24:40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。・・・」との言葉と、関係が有る事に成る。

キー「都会からの脱出」
2017/12/19今朝のメッセージの映像は、先ず、現実の山谷の規模で、生活ゴミの山ではなく、鉄クズや廃油の様な、産業廃棄物が山岳の様な規模で積み上げられ、深い谷間が形成されており、私と、同じ年齢である西川良明氏(屋久島自適塾の当時の家主)の二人が、其の押し迫って来る産業廃棄物・廃油の真っ黒い谷間に、飲み込まれそうに成って居る場面が映し出されて来た。
私達二人は、其の真っ黒い廃棄物の谷間から、斜め横に這う様に移動して行き、何とか脱出する事が出来た。
 次の映像は、其の西川良明氏が、倒産して行く会社・企業の整理に関わりを持って行き、道路に面した広い敷地を手に入れて来たので、二人で新しい事を始めなければ成らない様子が映し出されて来た。
そして、私が、何を始めたら良いかを考えて居ると、其の事に対して、新しい単語・文字が、次々に映し出されて来て、其れ等の文字単語を、私し自身が組み合わせて、新しい価値観による文章を書き上げて行かなければ成らない事が示されて来た。
 次に、様々な色が、細切れと言うか、サイコロの様な形で、横に一列に長く並んでいる場面が映し出されて来て、其の様々な色を組み合わせて、新しい世界を積み上げて行かなければ成らない事が示されて来た。
 今朝のメッセージは、昨日の東洋の精神世界の代表と謂うか、文化を現す「老子」の世界に対し、西洋の物質世界(近代の科学・化学)の世界が示されて来ており、新しい御世を創造する為の、物質の世界が示されて来ている様である。
 其れを考えると、今朝の映像で、私と一緒に登場した、同じ年齢である「西川良明」氏が、私が屋久島で自適塾の活動をして居た時の事務所の家主・オーナーである事や、西川良明の名前が「西(西洋)+川(水の流れ)+良い+明るい」の意味である事が、関係有るのだろう。
 今朝のメッセージの特徴は、新しい世の中を創造する為に、新しい文字単語を組み合わせて、文章を作成しなければ成らない事と、様々な色のサイコロ状の物を積み上げて、新しい物の形状を創造しなければ成らないと言う事である。
其れは、文字を使った文章の作成は「新文化」の世界を意味し、様々な色を積み上げて、新しい形状の物を造り上げなければ成らないのは「新文明」の事を示唆しているモノと想われる。
 今朝のメッセージの映像は、簡単に纏めれば、以上の様な内容であり、33年間に亘り「神示(かみしめし)」に取り組んで来た私にとっては、極当たり前の事柄であるので、何等特別な感情は生まれて来ない。
今朝は、此処でPCに向かう事は終了しても良いのだが、どうなのであろうか。
『貴方には 此処からさきの事が 本命であり 今朝のメッセージは 貴方自身に送ったモノであって 他人任せにできる事では ありません』
やはり、此処で今日の作業を終わる事はできない様である。
 其れを考えると、今朝のメッセージは、昨日の「新チーム」の事と関係が有り、私は其の「新チーム」のリーダー役を務める必要があり、率先して其の事に取り組む必要が有るのだろう。
『その通りよ 貴方が其れを始めなければ 誰もできないのです。
それは 貴方以外に 新しい思考システムに加わっている者が 居ないからです。』
今年も残り11日と成った。
今年中に、何等かの事を詰めなければ成らないのであろうか。
其れが「御嚴・みいつ(厳・嚴・ゲン・ゴン・おごそか・きびしい)であり、来年の始まりの為に、人間の眼には見えなくても、大晦日(年内)までに「言葉や色物」に付いて、何等かの事を、冬(むす)ばなければ成らないとの事なのであろうか。
「文化文明の再構築」http://green.ap.teacup.com/20060818/4470.html

今朝告げられて来た「警告」との言葉は辞書には次の様に載っている。
けい‐こく【警告】[名](スル)   デジタル大辞泉の解説
1 よくない事態が生じそうなので気をつけるよう、告げ知らせること。「再三の警告を無視する」「事前に警告する」
2 柔道の反則で、「技あり」と同等となるもの。禁止事項を犯したり、「注意」が二度目の場合に主審が宣告する。
         
「警告」は、通常、特許権侵害の紛争解決にあたって、まず侵害者に対して特許権者から行われる。「警告」を行うことによって、特許権侵害を認知させ、ライセンス契約を結んで紛争や訴訟を回避できることもある他、警告後の行為は故意の侵害に該当するため、不当利得返還請求における高額請求が可能になる、また、侵害行為が刑事罰対象となる可能性が高くなるなど、特許権侵害のリスクを高めることができる。小学館デジタル大辞泉

けいこく【警告】( 名 ) スル
① 不都合な事態にならないように前もって注意を与えておくこと。また、その注意。 「 -を発する」 「立て札で-する」
② 柔道で、審判が行う反則の宣告の一。禁止事項を犯した度合が、さらに犯せば反則負けとなるとき、または二回目の「注意」を受けたとき宣告される。相手に技有りを取られたのと同じになる。大辞林 第三版の解説

此の警告の言葉の意味からすると、今朝は、天神(てんのはたらき)が、人間側の自主努力を図る様子が見られず、地球環境保全対策と謂うか、人間の精神の改革が始まらないので、神(はたらき)が直接手を下さなければ成らない事態が、迫って来ているとの事なのではないだろうか。

其の様に考えると、私も現在の人間社会に見切りを付けて、自分成りの社会構築を考えなければ成らないのかも知れない。

此処で、昨年の7月13日(明日の日付)の文章を見てみると、次の様に書いて有るので、一年前に、同じ様な段階に至っていた事が分かる。

2017/7/13昨日のメッセージの映像で、私は是以上の文章を書く必要が無く成ったのかと想って居たが、豈図(あにはか)らず、是からが本番として、自分の考えで文章を打って行かなければ成らない事が、示されて来た。
 今朝のメッセージの映像は、先ず、「饒速日命・にぎはやひのみこと」の御魂である「前田氏」と、其の関係者が数名登場して、何十もの現場の稼動に対して、私の指示文章を待って居る場面が、映し出されて来た。
私は、其の対処として、情報発信の為に建てられている高い鉄塔の上に、梯子を伝って登って居ると、自分が手に何も持っていない事に気付き、状況を探ると、其の鉄塔は骨組みだけで、設備や備品等が一切何も無い事が判った。
 其れで、一旦地上に降りて自宅らしい建物に帰ると、其の家は女神の館であり、其の建物には台所やトイレの設備が何も無いのである。
どうやら、女神は人間の肉体を有していないので、飲食の必要がなく、其の様な設備は必要ではないらしい。
私は、取り敢えず、情報発信の為に何等かのデザイン・ビジョンを描かなければ成らないと考え、一枚のボードを膝の上に載せて、筆記用具を探して居ると、由香の声で一言「下から上へ」と告げられて来た。
 私は、其の「下から上へ」の言葉の意味を考えて居ると、目の前に文章が書かれている画面が映し出されて来て、其の文章文字が、下部分・後方から消去されて来て、書き出しの文章の後に「①この上無い喜び」と書かれている部分の下で、其の消去が停止した。
其の場面が強烈であったので、今朝のメッセージの題は、其の「①この上無い喜び」とした。・・・
「①この上無い喜び」http://green.ap.teacup.com/20060818/4303.html

此の「この上無い喜び」との題は、今月7日に告げられて来た「此の喜びを椎交わそう」との言葉と連動している様なので、我々人間がその気に成りさえすれば、幸福な未来社会は目の前に有ると謂う事に成る。

要は、我々が其の神(はたらき)の意図を汲んで、自分の考え方や生きかたを、変化させる必要があると謂う事なのである。

                     平成30年7月12日

                           礒邉自適

変化に備えよ

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    変化に備えよ
                       30・7・11

今朝のメッセージの映像には、車の組み立てや整備を行う会社を経営しながら一人で稲作を行っている、60歳位の健康でとても優秀な男性の存在が映し出されて来て、私は其の男性と水田の畦道で立ち話しをして居た。

其の男性は、「現在の世の中は 資源の浪費を抑える為に 法令で車の基本的な構造が統一されているので、各社の部品を寄せ集めて、様々な車を造り上げる事が可能なので、とても楽しく仕事が出来る」と謂って居た。

私は、其の男性が車の会社経営だけではなく、稲作も行って居り、世の中(人間社会)の実体・実情にも、とても造詣が深い事が判ったので、尊敬の念を覚えて居た。

其れに、其の男性が「現在の車の主流は水自動車である」との事を謂うので、私は未来社会に居るのだと思った。

そうして居ると、奥さんがお茶を準備して遣って来たので、挨拶をしてから自分の事を紹介し始めた。
そして、自分は毎日夢を見て文章を書いて居る事を説明し、其の為には、飲食物にとても注意を図らなければ成らない理・ことを説明して居た。

そして、地面に生えているオオバコの葉を摘んで、「例えば此のオオバコの葉を食べれば・・・云々」と話を始めると、他の農家の男性が水田の作業に遣って来て、私が止めている車が邪魔に成って通れないらしく、警笛を鳴らしたので、私は急いで其の場から立ち去る事にした。

其処で男性の声で、「変化に備えよ」との言葉と「ハザードマップ」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時23分」であった。

其れから、再び眠ると、今度は様々な薬草木の苗が植えられている、広い農地の存在が映し出されて来て、私が何が植えられているのかと意って、観察をして居ると、作業小屋の中から一人の男性が出て来た。
其の男性の顔を見ると、其の人は知り合いの「川東信樹」氏に似た人物であった。

次の映像には、30歳位の男性が登場して、「二年間 天草の天然塩造りの工場に修行に行って帰って来た」と謂うので、私は、其れはとても良い事だと思って、其の男性に期待をしていた。

次の映像は、私が自分で何かを始めなければ成らないと意ったのか、見捨てられている農家の施設を再開する為に、壊れている竹製の生垣やパイプ等の解体をして、敷地の中で焼却処分の作業を始め、火が勢い良く燃え始めたところで、次に燃やす竹を運びに行って居る間に、焚き火が隣の藪に燃え移っているので、早く水を掛けて消火しなければ成らないと意い、急いで水を探すところで目が覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時59分・5時1分前」であった。

今朝は先ず、ハザード‐マップの言葉を調べると、次の様に載っている。

ハザード‐マップ(hazard map) デジタル大辞泉の解説 
発生の予測される自然災害について、その被害の及ぶ範囲、被害の程度、さらに避難の道筋、避難場所等を表した地図。災害予測図。
[補説]火山の噴火、地震、河川の氾濫、津波・高潮など、災害の種類に応じた予測図を政府、各自治体が作り、公開している。  

8時55分  『自適さんは 何もしてはいけないのよ。
其れは 此方の役割ですので 現場の事に付いては 何も考えないでね。』
                                 
ハザード(hazard)は、危険の原因・危険物・障害物などを意味する英語。潜在的危険性。日本ではいろいろな外来語・和製英語として使用される。英語の“hazard”には「偶然」という意味あいもあるが、日本語ではもっぱら「危険」という意味あいで用いられる。
   ウィキペディアフリー百科辞典 2018/7/11現在

此の「偶然という意味あいもある」との説明からすると、今朝告げられて来た「変化に備えよ」と「ハザードマップ」との言葉は、単なる「危険」な出来事の意味だけではなく、寧ろ、自分が考えていない・予測しえない出来事が、偶然の出来事の様に今後多発するので、其れ等の出来事・変化に備えよと謂う事であり、聖書の言葉にも関係が有るのかも知れない。

其れは、自分自身は危険な事・危ない世界には、決して関わらないと決めていても、偶然の事の様に、様々な出来事が、自分の身に降り懸かって来ると謂う事なのではないだろうか。。

其の様に考えると、其れを告げて来たのが、男性の声であったのは、「イエスキリスト」と関係が有るのかも知れない。

キー「盗人のように」
24:32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
24:33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
24:34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
24:36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
24:37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
24:38 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
24:39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
24:40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
24:43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。  マタイの福音書 24章42-44節

此の聖書の言葉からすると、7月8日に「文章を止めるのは誰だ」と告げて来た男性の声は、キリストの関係が有り、「言葉・ロゴス・予言」の世界が、復活して来たと謂う事なのかも知れない。

其れは、天神(てんのはたらき)からの指示が下ると謂う事であり、現実として「その日・その時」が始まると謂う事である。

だが、今朝のメッセージの映像には、「未来の車を組み立て、稲作をする夫婦」「薬となる草木の苗を育てて居る男性」「天然の塩を作る男性」が登場しているので、未来社会が存在する事が示されて来ており、神の意思に適った人々は、未来世界に進む事が決定(保障)されている事に成る。

だが、私が自分で過去の残骸を整理して焼却処分を行って居ると、隣の藪・敷地に燃え広がってしまった場面は、今朝女神が『あなたは 何もしてはいけないのよ。其れは 此方の役割ですので 現場の事に付いては 何も考えないでね。』と告げて来た事と関係が有り、私自身は直接現場に関わっては成らないと謂う事なのであろう。

今朝の映像で、車の組み立て・製造を行っている男性が、一人で稲作を行って居た場面は日本の呼称が「豊葦原瑞穂の国」である理・ことを示唆しており、日本の伝統文化を絶やしては成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。

そして、私が其の男性の奥さんに「夢見」の世界と、「食べ物・薬草」の事を話して居たのは、日本の「食国政り事・おすくにのまつりごと」や「天御臥間・ あめのおふすま」の世界を示唆しているのであろう。

其れに「川東信樹」との名前の男性が、薬と成る草木の苗を澤山植えて育てて居たのは、「東の川の樹を信じる」との意味合いが有るので、日本の神道の世界である「御神木・神籬(ひもろぎ)」の価値観や、「祇園様・神農神・須佐之男尊」や「少彦名神」の存在、其れに水と智慧の世界を司る「青龍(せいりゅう)」などに関係が有るのではないだろうか。

其れに、30歳位の男性が「天草の天然塩作りの修行に 二年間行って帰って来た」との場面は、人間(動物)にとってミネラルが最も重要である理・ことを示唆しており、人体の事に付いて、科学的に深く探求しなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。

今朝起された時間「3時23分」と「5時1分前」の数字から、今年の3月23日と5月1日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。

2018/3/23今朝のメッセージの映像は、私が、検疫所の仕事をして居る場面が映し出されて来て、動植物の検疫部分は機能しているのだが、私が直接行っている、食器が入っている大きなダンボールの山が、一向に片付かないのである。
其れは、其の食器の種類の数が多い事と、使い道が判別出来ない事、其の事と耐久性が確認し難い為であった。・・
 此の様な事柄から考えると、今朝のメッセージは「正しい言葉・真言・マントラ」が使用される世の中(人間社会)でなければ、神(はたらき)が動けない事が示されて来ているのではないだろうか。・・・
「マントラは検疫できない」http://green.ap.teacup.com/20060818/4564.html

2018/5/1今日から5月であり、来年の今日は元号が変わるので、「平成」とは残り1年間しか無いと言う事である。
 今朝のメッセージのメッセージは、簡単に一口で謂うと、人間は自由でなければ成らない理・ことが示されて来た。其れは、次の様な事柄である。
食べ物や衣服、其れに自分が乗る車などは、自由に決められるし、捨てる事も自由である。
 だが宗教の世界は、生まれた時には既に家に有り、社会の中に、風習・行事として残っていると謂うか、こびり付いているので、自由に捨てる事が出来ない。そして、自分が死んだ時の葬式も、遺言でもしていなければ、何らかの宗教儀式で送られる事に成る。
 其れは、昔ながらの田舎の暮らしでは、地域の伝統に成ってしまっているので、其れに関わらないと、村八分に成ると謂うか、コミュニケーションが執れなく成ってしまう事にも成る。
 其の最大の物(世界)が、来年の今日から始まる新しい「元号」の存在である。其れは、今上天皇の存在を表す「平成」が終わり、新しい元号で日付を書かなければ、出生届けや死亡届けも出来ないし、銀行や役所の事務手続き、会社の仕事や商売などのビジネスも出来ない。
仮に西暦を使っても、其れはイエスキリストを紀元とする物なので、同じ事である。
 今朝のメッセージの映像では、最後に、私が、同じ大きさで種類の異なる4匹の魚を釣って来て、夫々の特徴や味を生かした料理を、作り始める場面が映し出されて来た。
其の中には、銀色(白龍?)の皮が美味な魚が有り、私は其の皮を湯引きして刻み、薬味を添えて出すと、誰だか判らない人物が食べて喜んで居た。
 次の映像では、私は温泉に出掛け、自分が入浴する前に、外に有る洗い場で、料理を作った大鍋にこびり付いている汚れを、水中にて金束子を使って、落とす場面が映し出されて来た。・・
 此の6月29日の文章には、私が風呂場を「亀の子束子」で大掃除をする場面が書かれているので、今朝の映像で、私が大鍋にこびり付いた汚れを金束子で綺麗に洗って居た事と関係が有り、今朝のメッセージは、祓い戸の神(はたらき)である「瀬居り姫(せおりつひめ)」と関係が有り、人間は禊ぎ祓いを行って、宗教の世界から自由に成らなければならない理・ことが、示されて来ている様である。
 其れは、宗教の世界も食べ物や衣服、其れに交通機関の乗り物の様に、自分で自由に選ばなければ成らない理・ことが示されて来ており、宗教の世界も、食べ飽きて換える事や、衣服の様に季節の移り変わりや精神の成長と共に、脱ぎ捨てて行かなければ成らないと言う事なのであろう。
其れが出来ないで、古い物や価値観にしがみ付いて居ると、時代・事象の流れに取り残されてしまうと謂う事である。
 そして、其の為には、宗教の柵(しがらみ)が付いている「元号・暦・カレンダー」を、純粋な科学・天文学に基づく新しい物に、換える必要が有ると謂う事である。・・・
「自由を奪う現在の宗教世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/4605.html

此の二つの文章には、未来を開く為には「マントラ・真言」と、新しい価値観や「年号・暦・カレンダー」が必要である事が書いて有る。

其れを考えると、まだまだ私は文章を書かさせられる事は、止みそうにない。

                     平成30年7月11日

                           礒邉自適

八幡と八岐大蛇


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        八幡と八岐大蛇
                         30・7・10

今朝のメッセージの意味が、私にも能く解らないので、取り敢えず「八幡と八岐大蛇」とした。

其れは、私が人間社会で、八部門の事を立ち上げて戦いと謂うか、仕事をしなければ成らないのだが、正しい道(手法)が通用しないと謂うか、私と同じ舞台(考え)で競う相手が居ないので、やる気が失せてしまう映像だったからである。

其処で照明を点けて、時計を見ると時刻は「3時33分」であった。

其れから、再び横に成ったのだ、今朝の映像の意味が能く理解できないので、悩み始めて、眠れないので起きて台所に行き、穀物コーヒを入れてから時計を時計を見ると時刻は4時44分であった。

其れから、コーヒーカップを手にし縁側に立つと、東の空の雲が赤く棚引いていた。

そして、パソコンを立ち上げると、庭先の木の枝に雀が遣って来て、餌を催促する様に鳴き始めた。
其れで時刻を見ると5時5分であり。今朝はぞろ目の数字で認識作用が動いている。

其れに、気付いて見れば、題にした言葉も「88」である。

今朝の文章の題を「八幡と八岐大蛇」としたのは、私が八部門の事を開始しようとするのだが、其れに対して、全て、協力者が現れず、反対(邪魔)をする人達ばかりで、私は嫌気が差してやる気が失せてしまったからである。

今朝は、文章の書き様が無いので、昨年の7月10日の文章を見ると次の様に書いて有り、翌日11日の文章の題は「3時33分」で、今朝起された時間と同じである。

2017/7/10昨日は、14時頃に文章を書き終えると急に睡魔が襲って来たので、寝室で横に成ると、長い間、次々に文章の存在が映し出されて来て、其の中に「意識の絡繰・からくり」とのテーマの文章が有る事が示されて来た。
 昨夜は、其の昼寝が二時間程に成った為に、夜寝付けないで居ると、突然に左足の裏の、人差し指(第二趾)の骨の付け根の部分に、強烈なカモ・(神の電気信号)が起きたので、照明を点けて時計を見ると、12時8分だったので、私は其の時間から、12月8日に覚醒・成佛した釈迦牟尼佛の事を思った。
そして、眠る前に瞼に映像が映って来た。
 其の場面は、私が居る建物に、困った様な表情をしている大人達が、相談に訪れて来て居る様に、表玄関の方に向かって一列に並んで居る場面が映し出されて来た。
そして、其の中に中年の青い服を着た女性が居り、其の女性の存在を目に留めた建物の主である女性が、ガラス戸を開けて、其の女性を一人だけ中に引き入れた。
 其の女性は、教育者の様な雰囲気の理知的でおとなしい女性であり、結婚もしないで教育に身を捧げて来たので、子供も居ないらしく、自分の人生は一体何の為にあったのかが判らず、迷いが生まれて来たので相談に訪れたらしく、寂しく俯いた儘であった。
そして、其の女性の存在が、「高岡」との名前である事が示されて来た。
 そして、眠ってからの映像は、私が夜中に部屋の中で、枕元に小さな明かりを灯して、布団に腹ばいに成って本を読んで居ると、ガラス戸の向こう側に合羽を着た人物が雨宿りをして居るのに気付いた。
 其れで、右手に懐中電灯を持って、其の人物の頭の部分を照らすと、其の人物が此方を振り向いて顔が見えた。
其の人物は、25歳位の若者であり、好青年である事が判ったので、建物の中に入れると、其の建物の持ち主である女性が起きて来て、「あら 良く帰って来たわね」と優しく其の若者を迎え入れ、直ぐに着替えさせ、布団を敷いて遣ると、其の若者は直ぐに眠りに就いた。
 其れから、朝まで、次々に映像が映し出されて来た。
其れは、古く成って滅んで行く人間社会を、再生する為の、様々な人々の活動風景である。
其れに付いて、思い出せる場面は次の様な物である。
・建物の掃除や修理。
・台所の掃除と改修。
・様々な調理道具や器を揃える。
・農産物を栽培する田畑の整備。
・小川に沿って、山岳に上る登山道の入り口に、男性が石の祠の様な物を設置する。
・山中に建っている、大きな建物・空きビルの使い道を考える。
・30歳代と40歳位の男性が二人遣って来て、私が命令を何も告げないのに、私の役割りが果たせる様に、次々に環境を整えて行く場面。
・稲が青く茂っている水田のあぜ道を、白黒の斑模様をした乳牛の子牛が、左側から右の方にゆっくりと歩いて行く。
其れ等の映像が、映し出されて来た後に「終結」との言葉が、一言告げられて来た。
 今朝は、起きてから先ず、昨夜カモ・(神の電気信号)の反応が起きた足の裏のツボに付いて調べて見た。
すると、足の裏のツボ療法では、「肺」を刺激するツボとされ、釈迦仏陀の佛足で調べると、其の場所は「双魚」の場所であり「長生き」の相とある。
【「双魚」魚2匹。長生きの相。
お釈迦さまの足の裏に、なんで生臭い魚がいるのかと 不思議に思われますが、一つには お釈迦さまには547の前世があって、その一番初めが魚であったと言われています。
また、インドの神話に、陸地の生物が地面の爆発で全滅した時、海の中の魚だけが生き残ったというところから 魚は不滅の生命力があるとされたのです。
「大行寺佛足跡の模様」 http://www7.plala.or.jp/daigyouji/nanasyou/nanaysou.html       】
此の説明からすると、12時8分に其の「双魚」のツボに強烈なカモ・(神の電気信号)の反応が起きたのは、私が其の魚から549番目である事が示されて来ているのかも知れない。
 其れに、今朝の愉伽さんのビジョンは、私と二人で床板を張る作業をしており、其の建物の中に、亀が一匹居て、種類は判らないが、鳥も一羽居たとの事である。そして、二人の若者の男性が、色々と手伝ってくれていたとの事である。
其の愉伽さんのビジョンは、二人の男性の存在が私の映像と重なっており、亀と鳥の存在は「亀は万年 鶴は千年」との言葉と関係が有り、亀が「長生き」の象徴とされている事と関係が有るので、「双魚」のツボが、呼吸・息に関する「肺」のツボである事と関係が在り、私に「長生き・長息」しろとの事が示されて来ているのではないだろうか。
 今朝は、色鉛筆を引き出しから取り出すと、「土肥無庵」から1987年頃に届いた手紙が下に有った。
其の手紙に書かれている文章は、次の様な内容である。
拝啓
沢山の山の幸 ごちそうになりました。心から感謝申し上げます。
人生捨去既 心豊大 
不見 不聞 不言
低圧者不相手 平常心極意  印(土肥無庵)
昨日、昼寝の時に告げられて来た「意識の絡繰・からくり」の言葉で、以前の文章を検索すると、次の文章が有った。・・・
「意識の絡繰」http://green.ap.teacup.com/20060818/4300.html

此の土肥無庵の言葉「人生捨去既 心豊大。不見 不聞 不言。低圧者不相手 平常心極意。」からすると、私は漸く土肥無庵の言葉を実行する時節が巡って来たとの事なのかも知れない。

2017/7/11今朝のメッセージの内容は、簡単に一口で謂うと「神界の次元が一段上がった」と言う事である。
 今朝のメッセージの映像には、フイルムのネガの様に、白黒の世界が映し出されて来て、其の世界・画面には、新しく創造された漢字で、幾つもの単語が映し出されて来たが、其の文字の読み方や、意味の理解は記憶には残っていない。
其れに、其の世界・画面には、文字だけではなく、電子顕微鏡で捉えた、生命に関する写真も有る事が示されて来た。
 そして、大阪弁で一言「食べ物が無ければ 全ての事は成り立たない(存在しない)」との意味の言葉が告げられて来て、其の意味を考えると意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時33分であった。
 其れから、再び眠ると、今度は私が山間の村に居て、水が流れ込んでいるプールの様な施設が有ったので、私は其のプールで禊ぎ・沐浴をする目的で、水中に入ると、何だか肥溜めの様な臭いがするので、其のプールには水洗便所などの生活排水が流れ込んでいる事が判ったので、急いで水から上がった。
そして、其の穢れを洗う為に、清水が流れる川を探し始めて居た。
 そして、なかなか清水が流れる川が見付からないので、右往左往して居ると、現実的に自分の身体が動いて居るので、自分の身体の動きを確認すると、毎日東枕で寝ている私の身体が、北枕に成っているのに気付いた。
其れは、東枕だと起き上がった時に「西向き」に成るのだが、北枕だと起き上がった時は「南向き」と成る体勢である。
 今朝のメッセージの映像から、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、世界救世教の創始者である故「岡田茂吉」の存在である。
其れは、岡田茂吉が昇天した時間が1955年2月10日3時33分であり、其の世界救世(メシア)教では「自然農法・食べ物」に力を入れているからである。
其れに、岡田茂吉が祭祈していた神は「伊都能売神・いづのめのかみ」であるので、一昨日のメッセージに映し出されて来た、「雨雲」の中の眼と関係が有りそうである。
「伊豆能売神」概要
神道系新宗教では伊都能売神と表記することもある。神名の「イヅ」は「厳」で、斎み清めることを意味する。神名の「メ」は女神であることを意味する。 神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。・・・
「3時33分」http://green.ap.teacup.com/20060818/4301.html

2017/7/12今朝のメッセージの映像は、先ず、私が蕎麦の生地を自分の手で練り込んで伸ばし、其の生地を折り畳んで四角い器に収納して、上にラップの様な透明な蓋をし、埃や雑菌が入らない様にした。
そして、其れを、女神の館に持って行った。
其の女神は、透明でスラリととした長身であり、色像が全く見えない存在である。
そして、何故か、其の蕎麦の生地が入った器を、大きな古木の空洞を植木鉢にして、其の中に納めて居た。
 今朝は、其れ等の事を考えながら起きて、台所に入って時計を見ると、時刻は丁度6時00分であり、長短の針が垂直の位置に有った。
今朝のメッセージの映像から、私が感じとった事は、私が自分の役割を無事に果たしたと言う事である。
其れは、昨日『なかなか良く書けたが お前が其れに付いて 何が出来るのかが 抜けている』と、男性の声で告げられて来て、私が、其れに対して「私に何が出来るか」と自分自身の気持ちを確かめた時に、自分が遣りたいと想っている事が、特定出来なかった事と関係が有り、私には本来、自分の欲望が無かったと言う事に成りそうである。・・
 そして、今朝のメッセージの映像は、其の事と関係が有り、私は自分の人生の結果を器に詰めて、女神の館に納めた事に成るのである。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、蕎麦を食べる秘訣は「挽きたて・打ちたて・茹でたて」であり、パンの様に寝かして発酵させる物ではないからである。
其れに、今朝の映像では、打った蕎麦を茹でて食べるのではなく、生地のまま乾かない内に雑菌や埃が入らない様に、透明な膜で密封し、中身が見える状態で女神の館に持って行った。
そして、女神の指示に因って、其の器を、大きな古木の空洞で作った植木鉢の中に収納した。
 其れは、私が打った物(人生の鍛錬の結果・結論)が、何百年・何千年も生きた樹木の中に、新しい芽生えの種子として納められたのである。
其れは、私の人生・生きた結果が、老子(道院殿老祖様)の謂う「万物の母」に納められたと言う事に成り、私は無事に、自分の宿命(さだめ)を果たした事に成るのであろう。
 其れは、7月1日・朔日(ついたち)の22時頃に私の左足の甲に、激しいカモ・(神の電気信号)が起きた事が前ぶれであり、7月10日0時8分に起きた左足の「肺のツボ、双魚の位置」のカモ・(神の電気信号)は、最後の神の「針治療」であったと言う事に成りそうである。
其れは、7月1日の文章の題が「リセット」であり、女神の言葉からも、今朝の状況が理解できる。・・・
「牟尼・むに・muni」http://green.ap.teacup.com/20060818/4302.html
2017/7/13「①この上無い喜び」http://green.ap.teacup.com/20060818/4303.html
2017/7/9「日本に不正が有っては成らない」http://green.ap.teacup.com/20060818/4299.html
2017/7/8「紙魚たちよ語り部になってほしい」http://green.ap.teacup.com/20060818/4298.html

2017/7/7・・暫くすると、佳子が「帰ろう」と謂ったのだが、私は「由香が来るまで 此処で待っている」と謂うと、佳子は其の儘帰って行ったので、私は一人で其の展望台の上から、何処までも青い、海や空を眺めて居ると、「誰でも通れる様に 自分の道は作らない」との考えが浮かんで来た。
 其処で時間が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は4時44分であったので、私は其の数字を「444・死死死」と認識し、其れ等の夢は、死後の世界である「彼の世・天国」の世界であると思った。
 そして、再び電気を消して目を閉じてから、今朝の映像は、昨日の「二通り」の世界に関係が有るのかと思い、其れに付いて、文章を書かなければ成らないと考えて居ると、男性の声で「書き終わっている」との言葉が告げられて来た。・・・
「神界の意図」http://green.ap.teacup.com/20060818/4297.html

今朝のメッセージと謂うか、私の意識状態から考えると、昨日の「自然に帰る」の文章と関係が有り、私は本来の自分自身に復帰して良いとの事なのかも知れない。

其の様に考えると、34年間の長きに亘り私が続けて来た作業は、是で一段落する事に成りそうである。

其れは「土肥無庵」の想いを、叶える事にも成るのではないだろか。

                平成30年7月10日6時10分

                           礒邉自適
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