君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

統尊・すめらのみこと

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    統尊・すめらのみこと
                            29・5・24

今朝のメッセージの映像は、私の個人的な「存在(人格・性格)」とは関係の無い、私の意識が、全ての事に対応している場面が映し出されて来た。

其れ等の事に付いて考えて居ると、意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は1時00分(丑)であった。

其れから再び眠ると、屋久島の薬草園らしき現場が映し出されて来て、私は関係者と関わりながら、様々な事に取り組んで居る場面が映し出されて来た。

だが、其の現場は、実際の薬草園ではなく、屋久島全体の現場であり、私は責任者と話しはするが、現場の作業・仕事には一切関わりを持たないで居た。

其れは、私の意識(脳のチャンネル)が、全島が花崗岩である屋久島の山岳の磁気情報のトランス体として、使用されているとの事の様である。

そして、旧暦6月5日との日付が示されて来て、今朝のメッセージの映像は終わった。

今朝のメッセージの映像は、幅・範囲は広いのだが、意味は単純であり、私の存在は全てに関わりを持っては居るが、其れ等の事・現場には、直接関わりを持たないと言う事である。

其れは、昨日文章を書き終えた時に、突然女神が告げて来た言葉に関係が有り、私が自分自身で、神事(全体的な事柄)を直接考える必要が無いと言う事なのであろう。
「もう少し 付け加えると 貴方自身が 
其の中心に有ると言う事であり 貴方の心身を通して 
全ての事が 新しく始まると言う事なのですよ」
「何事も 成る様に成るのです 
ですから 貴方は余計な事は 何も考えないでね」

今朝は、先ず、旧暦の6月5日を調べると、新暦の7月27日である。

其の日付は、昭和27年7月27日に生まれた私の弟の66歳の誕生日であり、私が1985年7月27日に石垣雅設氏の案内で、初めて奈良市に有る「大倭あじさい邑」の理事長である「矢追日聖法主」の自宅を訪問し、矢追日聖法主に初めてお会いした日でもある。

2003/4/7・・「矢追日聖」とは、1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」生れで、1996年(平成8年)2月9日に亡くなった奈良市の方で、私が初めて出会ったのは1985年7月27日であり、其れは奈良市大倭町の日聖氏の自宅であった。
前日26日に、野草社の石垣雅設氏を初めて訪ね、その日はあじさい邑(むら)の会館に泊めて貰い、次の日矢追日聖氏に会う事となったのである。・・・
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html

何故、其の7月27日の日付が其の儘新暦で示されないで、態々旧暦の日付で示されて来たのであろうか。
私が此の世界に飛び込んだのは、平成1984年6月4日であり、其の日は旧暦の5月5日であった。

其の日付で考えると、新暦の6月4日に始まった事が、32年振りに矢追日聖法主に出会った7月27日・旧暦の6月5日から、切り替わると言う事に成るのかも知れない。

其れは、現在の新暦(西洋暦)よりも、旧暦の暦・カレンダーの方が、宇宙の法則と言うか、宇宙のリズムに合っていると言う事に成るのかも知れない。

何故なら、現在の新暦(西洋暦)は「イエスキリスト」の誕生に合わせたローマ暦であって、冬至から7日も外れているので、正確な太陽暦でもないからである。
其れに、2月が28日しか無く、偶数月である8月が31日と成っている。

現在の形の西洋暦を定めたのは、ローマの独裁官「ユリウス・カエサル、ジュリアス・シーザー)」で、奇数月を31日、偶数月を30日とする暦を定めたが、カエサルの後継者で初代ローマ皇帝となった「アウグスタス」が自分の誕生月8月が30日なのを嫌い、31日としまった為であるとの事。

・西暦(せいれき)とは、キリスト教でキリスト(救世主)と見なされるイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である[1]。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語のA.D.またADが使われる。A.D.またADとは「アンノドミニ (Anno Domini)」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。
      ウィキペディアフリー百科辞典 2017/5/24現在

私が、32年前の7月27日に始めて出会った「矢追日聖法主」は、誕生日が1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」であり、昭和20年8月15日(終戦日)の昭和天皇の玉音放送の後で、神からメッセージを受けて、其れに合わせて毎年12月23日を元旦として祭りを行なっている。

其れに、私は、2003年4月2日に屋久島を出発し、出雲の安部忠弘氏の家に置いたままに成っていた自分の家財道具を積みに行く途中、4月6日の夕方山口県萩市の吉田松陰塾に到着し、其の夜は其の海岸に車中泊し、7日月曜日晴れ・朝5時に出雲に向けて出発すると、頭に「秘傳矢追日聖」との言葉が告げられて来た。

2007/12/7・・奈良市に在る「大倭あじさい邑」の創始者である、故矢追日聖氏は、昭和20年8月15日の天皇の「詔(みことのり)玉音放送」の後、大倭神社の境内で泣き崩れて居ると、神の声が有り「日聖よ泣くな 是は 神の計画で 仕方がない事なのだ。」と告げられ、次に地球儀が現れて世界中に日の丸が掲げられており、日本から新しい価値観が生まれて、世界維新が起きる事を知らされている。・・
私に以前、霊夢で現れたのは、釈迦仏陀は四国の「金毘羅山」の山頂から派遣された霊魂であった。
金毘羅山の頂上に在る神社の祭神は「大物主神」で、奈良の三輪神社の神と同じものである。
三輪神社の神は、御室山の蛇神である。
釈迦牟尼佛の仏像が、何故コブラ・蛇神に護られているのかも、それで謎が解けて来るだろう。
蛇神は、人間の自律神経を司る、小脳・古代質にチャンネルする働きである。其れは、人間の潜在意識を司っているので、言葉の純粋性を保っている事にもなる。
釈迦牟尼佛の訓えは「精進」に有る。
其の理由は、宇宙のダルマ・法と共振して、正しいマントラ・真言を知らす事である。其れが政(まつりごと)の基本であり、其の言葉は、祝詞や詩と同じ性質のものでもある。
詩人が、最も、神に近い存在であると云われるのも、其の為であろう。
だからこそ、天皇の口から発する言葉は「詔・みことのり」とされるのである。
そして、其の事を、古代では「治しめす」と云っていたのである。
其の事が、是から電波の世界で、始まるとの事であろう。・・・
「治しめしの本番」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1031.html?rev=1
 
2003/4/7・・山口県萩市から、山陰道を出雲に向けて車で北上中、「正傳 矢追日聖」との言葉が、頭にいき成り出て来た。
私が「エッ、どういう事?」と想うと、イメージが浮かんで来て、矢追日聖氏の教えを、正しく伝え残さなければならない事が理解された。
「矢追日聖」とは、1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」生れで、1996年(平成8年)2月9日に亡くなった奈良市の方で、私が初めて出会ったのは1985年7月27日であり、其れは奈良市大倭町の日聖氏の自宅であった。
前日26日に、野草社の石垣雅設氏を初めて訪ね、その日はあじさい邑(むら)の会館に泊めて貰い、次の日矢追日聖氏に会う事となったのである。
午後4時頃、奈良市に着いて、「大倭あじさい邑」内に在る、野草社の代表「石垣雅設氏」と初めて会う事となった。
石垣氏との会話の中で、私が「途中の 古墳の所を通ったら 頭に『法主』と出て来たのですが。」と言うと、石垣氏が「それは 此のあじさい邑の理事長の事ですよ。理事長の矢追日聖氏は 通常、法主さんと呼ばれています。」と云って、矢追氏に連絡を執って下さり、翌日矢追日聖氏の自宅で会う事になった。
野草社の事務所で、石垣氏と話している間に、私が、体で何かを感じたので、時計を見ていたら、その時間に長野県の「地附山・じつきやま」が崩れていた事が、次の日判明した。
次の日、私と笑太郎君、其れに石垣さんと野草社の社員計五名で、日聖氏の自宅を訪問した。日聖氏と、奥様が、自宅の畳の客間で私達を温かく迎えて下さり、私は自分に起きた事を話した。
 今は、何を話したかは覚えていないが、他の人が聞けば、頭が変しいと思う事を話したであろう。
日聖氏の所には、私の様な状態の人間は 数多く訪れるので、少しも変な顔をせず私の話を聞いて頂いた。
 私が、日聖氏に「私が大事な人に出会うと 地球が喜んで 何かを起こすのです」と云うと、突然、日聖氏が「あんた 今日の新聞を読んだか」と訊くので、私が「いいえ」と応えると、「今日の新聞に 昨日 長野で山崩れが起きた記事が載っている」と云う。
時間を聞くと、其れは、私が気に成って、時計を見た頃の時刻であった。
その事で、私は、石垣さんと矢追日聖氏が、神にとって大事な存在である事が分かったので、一目置く様になったのである。
矢追日聖宅で、話が盛り上がった時、私は上半身裸に成り、日聖氏の前で座ったまま一回転し、「今度の肉体は 若いので 大丈夫だ」と云うと、日聖氏が「私の所の霊は 女の霊だからなあー」と云った。
・・矢追日聖法主の教えを、正しく伝えろとの事なので、矢追日聖氏の教えの真髄が、何なのかを確認しなければならない。
2、矢追日聖氏は、終戦の昭和20年8月15日に、大倭神宮で神に地球儀を見せられ、世界中に日の丸が立っており、新しい精神革命が、日本から起きる事を告げられている。
其れは、現代の価値観が行き詰まり、新しい価値観が日本から始まり、世界中に拡がる事を示唆している。
3、日本から、世界に拡がる価値観とは、紫陽花の花の如く一輪一輪が花開いて、其れが大きな花と成り、また花が沢山有る株と成り 根本は一ヶ所に集まっている。そんな紫陽花の花の形の様に、一人一人、一民族、一国家が、皆 独自の特長を生かし、それが大きな和になっていると言う、個々が花開いている社会である。
現在の様に、力の強い国が、自分の国の風習や価値観を、世界に押し付ける遣り方とは、反対の考え方である。
萩は、明治維新の原動力と成った、幕末の志士を育てた「吉田松陰」の出身地で、松下村塾が在った曰(いわ)く因縁の地である。
其の、維新の草分けの地で「矢追日聖を正しく伝えよ」と出たと言う事は、世界維新に向けて、改めて、矢追日聖氏の事を考えろとの事であろう。
4月7日の日付を考えると、釈迦の誕生日の前日であり、昭和20年4月7日には、日本の国の名を付けた「戦艦大和」が、屋久島の西南沖で沈んだ日でもある。日本は、軍隊を持って世界に力を見せる事は、此の日で終っている。
日本は、軍隊を持つ事は、永久に憲法で放棄している、世界に類の無い国である。今日のアメリカの政策とは、反対の処に位置するものである。
今回のアメリカの遣り方で、軍隊を持って行う方法では、世界は平和に成らない事が示された。
矢追日聖氏が云う様に、人間が平和な社会を迎えるには、自分の欲望を禊ぎ、霊界の鎮魂を果たして行かなければならないのだ。
そして、人々が幸福に暮せるのには、福祉の充実が大事である。・・・
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html

此の二つの文章の日付は、12月7日と4月7日であり、12月7日は仏陀釈迦が悟った12月8日の前日であり、4月7日は仏陀釈迦誕生4月8日の前日の日付である。

其れを考えると、私が「大倭あじさい邑」の会館を借りて、石垣雅設氏と二人で「スピリチュアルタイム」の催しを行なったのが1986年11月22日で、其の11月22日は23日に掛けて新嘗祭「饒速日命の命日の祭祈」が行なわれる日であり、其の前日21日に京都府亀岡市の杉岡判太夫政房氏が経営する「憩いの家」で、前夜祭を行なった事にも関係が有りそうである。

何故、明治維新の切っ掛けを作った吉田松陰の「松下村塾・しょうかそんじゅく」を見学して、近くの公園に野外宿泊した朝に何故「秘傳矢追日聖」との言葉が告げられて来たのか。

其れは、「大倭あじさい邑」で元旦祭に歌われる歌詞に「・・大倭の邑人は 昭和維新の人柱・・」と有る事と関係が有り、終戦日に矢追日聖法主に告げられて来た、神のお告げと関係が有るのだろう。
2014/11/26「順道」http://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html

2003年4月7日前後の日記には、次の様に記してある。

4月2日水曜日曇り サラスバティの夢 
中年の女性に抱かれると、其の大きな女性の体は鱗状だと判る。
でも、気持ちが悪いわけではない。
女性の体を調べると 大きく広い事がわかる。一部分 地球の岩の様。
木の化石みたいで 根本に手持ち鏡が一個立て掛けてある。紫色の上半身の女性の姿が、裏面にのっている。
薄紫色の紙か布に、歌詞が書かれている。
大小の文字が、波打っている五線に文字が書かれる様に。

・昼のフェリーで出発。葦北の天波博文氏の自宅に泊る。

4月3日木曜日 雨 
自夢 堤防の下が抜ける。(基礎がしっかりしていなければ 流れは下底を抜ける)
車のバックの仕方の段取りをしている。
人間はエビやカニと違って、後に下がる景色が見えない。
前進しか出来ないので、止まって他人の後ろを見る。
私は20年間停止して、他人を前に遣った。他人の後が良く見える。
老子「我に三法あり。あえて 前にたたない。」

4月8日火曜日晴れ
自夢 ボストンバックの様な、アングルの箱。カバラの組み立て。
・人が関係して起きる事を、悪く伝えるのではなく、プラスに伝える。
・新しい人脈。 ・・・・

此の4月3日は、日本の歴史・暦の紀元に成っている神武天皇の誕生日であり、其の前日2日のメッセージには、神武天皇の祖母である「豊玉姫」らしき神霊の登場がしている。
何故かと言うと、豊玉姫の本体は爬虫類の「鰐・わに」であったと記されているからである。

其れ等の事を考えると、今朝告げられて来た6月5日の前日が6月4日であり、私が1984年6月4日(母親の64歳の誕生日)に此の世界に入ってから、33年目で日本の紀元が復活すると言う事に成るのかも知れない。

其れは、終戦の日に「日聖よ泣くな 是は 神の計画で 仕方がない事なのだ。」と、天神が矢追日聖に告げて来た事が、愈々本番に成ると言う事なのではないだろうか。

1995/5/17・・20年8月15日、日本は天皇陛下の玉音放送と共に敗戦を迎え、無条件降伏と成った。其の日、奈良市の登見に有る民族祖廟大倭神宮にて、一人の大和男子が、涙して地面に平伏して居た。其の大和男子とは「矢追日聖」の事である。
矢追日聖とは、明治44年(1911)12月23日に、大倭神宮の神域で誕生した者である。其の地は、神武天皇東征の時、空が黄金に輝き出して、其の空から金の鳶・トビが降りて来たとの伝承の地「登見(鳥見)」である。
そして昭和20年8月15日、此の瑞祥の地で、矢追日聖に神意が示されたのである。
其の神意とは、「日聖よ泣くな これは神の計画である」と告げられ、次に地球儀が映り、其の地球儀には世界中に日の丸が立っていて、「日聖よ 日本から 新しい精神革命が起き 人類救済をする為に 今回の戦争は 必要であったのだ」と、示されたのである。
其の、新しい精神革命・新しい価値観とは、
1)太陽運動の冬至を元旦とした暦に拠る生活。
2)あじさいの花の様な仕組みの価値観と ネットワーク社会。
・ネットワークは コンピュータと衛星通信網に因って可能に成った。
・現代の西洋暦は 冬至より一週間遅れており 本来の太陽暦とは言えない。
現在の暦では、冬至は12月23日前後なので、西洋暦の元旦は、其れより一週間遅れていて正確な太陽暦ではない。
だから、是を一週間前に進めて、太陽の動きに正確に合わせ、其れに、月齢と他の惑星の動きもインターネットに拠り、何時でも把握出来る様にする。
其れに拠って、人類の意識が宇宙に向かい、體のリズムや農耕・漁業まで、古代の人達の様に、人間と宇宙の関係を実感体験できる様になる。
 21世紀の文明は、「遺伝子」と「大脳」と「コンピュータ」が研究・解明・開発され、人類の存在意味と、生命の生態系の謎が解かれ、素晴らしき世界に成るであろうと考えられる。
そう成る為には、我々が「宇宙意志・サムシンググレート(ある偉大な存在)」と一体と成る(結ばれる・ヨーガ・リリジョン・religion)必要がある。
中央アメリカに栄えた、マヤ文明のマヤ暦では、何故か、2012年12月22日までしか暦を刻んではいない。
其れは、其の時に人類に何かが起きると言う事なのか、あるいは未来が変ると言う事なのか、何れにしても、マヤ暦では「マヤの神官(時間の操縦士)」が「時・トキ」の創造を止めているのである。
 矢追日聖氏は、此の事を知らずに居たと想うが、「大倭あじさい邑」では、昭和21年から今日まで、12月23日を元旦としてお祭りを続けている。
もう少し、12月23日に付いて述べるならば、平成天皇の誕生日が12月23日であり、イエスキリストが誕生したのは冬至だとの説も有る。
矢追日聖氏もそうだが、もう一人挙げるなら、世界救世教の創立者である「岡田茂吉」も12月23日生まれである。
其の岡田茂吉氏が、お祭りして居た神は、「いづの目の神」で「太陽の神・ラーの目」である。
「天照大神」の本当の名は、「いづのみたま あまさかる むかつひめのみこと」で、「ひめ」は「日の目」であり、「いづ」とは「御陵威」の「いつ」である。
「みいつ」とは、「天皇・大君・スメラの命」より発する波動の事であり、古代社会では部族毎に「長・おさ」が居て、其の長が村を「治め(長目)」て居たのである。ところが、現代社会は余りにも生活領域が拡大され、一人の長で「みいつ・御稜威」の氣(エネルギーパワー)が届かなく成ってしまったのである。
では、今後どの様にすれば、未来社会が明るく創造されて行くのか。
其れは、他力本願とか、自力本願とかの相対的判断をするのではなく、日本の本来の「くらし(かんながらのみち)」に返れば良いのである。
 イエスキリストも「其の時には 一番前の者が 一番後に成る」と謂っている様に、神の働きより離れて遠く成った者は、神と結ばれる時「いのり(リリジョン・religion)」が来れば、一番後に成ると言う理・ことである。
 現在、お金と、化学の、相対世界に突き進んだ者が、精神的に行き詰まっているのは、其の証拠でもある。
私達は、いま「かえりみ・反省」なければ成らないのである。
 21世紀は「みいつ元年」として、新しき世界の暦を発足し、宇宙意志に適った歴史を、営んで行かなければ成らないのである。
其の為には、本年1999年12月23日を新しい始まりの年として、12年掛けて、世界の生活暦を太陽と一体化させ、人間の意識が、此の大自然の営みと一元化する様に、努力を図らなければ成らないのだ。
残り12年間で、新時代が世界に定着し、2012年には、マヤ暦の260年×52周期のリズムも、一体化すると考えるのである。
是等の事が、神の「計画・意志」であるならば、今年中に、例え少人数でも良いから、この事に着手して、新しき暦の必要性を確認し「みいつ暦」の認識を起し、暦の準備をしなければ成らないのではないだろうか。
新しき暦の名は「みいつ暦」である。
「みーつ」とは「水」の事でもあり、水素原子と名付けられた宇宙に最初に生じる氣・エネルギーであり、現在言われている「1cmの30乗分の1」の物質の集まり・黄泉の構成物質の事でもある。
 黄泉の、黄色に見える世界にゆらぎが起きて、螺旋の渦巻きが起き、その中心の特異点から光が誕生した。其れが、仏教の世界で「此の世界は 風の様に起きた」と説明する由縁である。
 其の次元から始まる世界を、中国の老子は「玄より始まった道・タオ」と謂い、インドの釈迦牟尼佛は「ダルマ・法」と謂い、ユダヤ教では「在るトキから有るモノ」と謂い、イエスキリストは「永遠なるモノ」と謂っている。
 其れが現代社会で、科学者が「大統一場」とか「サムシング-グレート」と名付けて、呼び出した世界である。
 以上、私が感じている処を申し上げたが、何しろ、私の薄学では説明不足であるので、日本の伝統「天津日継・スメミマ」の働きを研究して頂き、其れなりの理解を持って皆で協力し、此の極面を乗り切って欲しいと、唯願うばかりであります。                    世界電気通信記念日  
                          平成7年5月17日
                              礒邉自適
「新しい暦を考える会」http://star.ap.teacup.com/2007313/422.html

此の文章に記してある、『・・矢追日聖は大倭神宮の神域で誕生した者である。
其の地は、神武天皇東征の時、空が黄金に輝き出して、其の空から金の鳶・トビが降りて来たとの伝承の地「登見(鳥見)」である・・・』との事から、私に考えられる事は、其の「金の鳶・トビ」が降りて来た日が12月4日とされており、其の12月4日は私が33年前の6月4日に「残り16年半しかない」と告げられて来て、其の1984年から16年半の日が2000年12月4日であった事である。

其の16年半目の2000年12月4日迄には、格別な事が起きなかったので、私は12月6日に「森の木」と「木のネット」のHPを立ち上げて、今日に至っている。
其の2000年12月4日から、更に今年2017年6月4日で16年半(33年)が経過する事に成るのである。

其れ等の事を考えると、昨日の女神の言葉に有った、「貴方自身が 其の中心に有ると言う事であり 貴方の心身を通して 全ての事が 新しく始まると言う事なのですよ」「何事も 成る様に成るのです ですから 貴方は余計な事は 何も考えないでね」との言葉の意味こそが、統尊(すめらのみこと)の「御稜威 ・みいつ」の「神(はたらき)」を示唆している事に成るのであろう。
2016/8/24「究極の統尊」http://green.ap.teacup.com/20060818/3965.html

そして、其の統尊の存在は、自分の自我意識で、神事に付いては、何も考えては成らないと言う事なのである。
   平成29年5月24日 旧暦4月29日14時44分

何と本日の旧暦4月29日の日付は、大喪(葬式)の日に「我が身既に遠く 良き代を願い奉る」と告げて来た「昭和天皇」の誕生日であり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御霊であった「井上佳子」の葬儀の日付である。
其れに「スピリチュアルタイム」の集いを行なった11月22日は「饒速日命」の命日であり、前日11月21日は井上佳子の誕生日である。

やはりこれ等の日付の事を考えると、マヤ文化の「時間の操縦士」の概念が、一番重要であり、私の「紀(とき)の祭り」を行なえと告げて来た「神(はたらき)」が、其の中心に存在するのであろう。

                      礒邉自適

究極の答え2

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    究極の答え2
                     29・5・23

昨夜は眠る為に目を閉じて居ると、瞼に、映像が映し出されて来た。

其れは、先ず、重機を使って造成されている土地の様子が映し出されて来て、其の土地に雨が降り始めると、流れて来た雨水に拠って、下方の土手の土が崩れて、肥沃な土がドンドンと流されて行く場面である。

次に、地面の上に、人間が食べ残した米等の食べ物の残飯が、澤山捨てられている場面が映し出されて来た。

そして、眠ってからの映像には、10~20人程が食事を済ませた食卓が映し出されて来て、其のテーブルの上には、肉や魚等の動物性の食べ物と、果物やお菓子などは何も残っていなかったが、硬い穀物のクッキーの様な塊は、殆どの人がテーブルの上に放り出した様に、残されていた。

其処で、其の意味に付いて考えて居たが、何も頭に浮かんで来ないので、照明を点けて時計を見ると、時刻は4時31分であり、秒針を確認すると11秒に成るところであった。

私は、其の4時31分11秒の数字から、昨日のメッセージで、だれだか判らない声で、「下り道」との言葉と「連絡」と「4時からフリー」の言葉が告げられて来た「4時からフリー」との言葉を思い出し、私の意識がフリーに成っているのだと思った。

其れから、再び電気を消して、意識を凝らしていると、一昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、三角形のテーブルの角に置かれていた、三つの食べ物の器は、やはり昨年6月19日の映像に映し出されて来た、御皿に載せられた三個の「タルト(渦巻き)」と関係が有り、此の宇宙の仕組みは全て、「食」の法則に因って生じていると言うか、成り立っていると言う事である。

其れは、ブラックホールが全ての質量を飲み込んでいる事や、地球の全生命の始まりが、最初の微生物が酸を出して岩を溶かし、「有機物・タンパク質(生命の鎖)」を組み上げて、其れが全ての生命に共通する「DNA・遺伝子・いのち」の源(みなもと)と成っていると謂う理・ことである。

其の様に考えると、私達の「肉体」だけではなく、「精神・こころ」の存在も、生き物が「水」の世界で「空気・ガス」を食べる事を含み、物(質量)を食べる事から発生して来ている理・ことに成る。

其の事を考えると、日本の伝統である「食国の政(おすくにのまつりごと)」の概念や、「新嘗祭・大嘗祭」の儀式が、どの様な意味合いが有るのかも、深く理解されて来る様な気がする。

今朝は、其の理・ことを考えて、文章の題を「究極の答え」にしようと思い、其の言葉で検索を掛けて見ると、既に其の題の文章が有る事が判った。

此の文章の書き出しの所には、次の様に書いて有るので、昨日「連絡」と「4時からフリー」との言葉が告げられて来たのは、今朝時間を確認させられた時刻が「43111」であった事と関係が有り、私は4311体の霊魂からフリーの立場に成ったと言う事なのではないだろうか。

そして此の文章の中には、「宇宙の質量・エネルギーの総体が女神であり、其の化身が黄金龍であり、地上に下る」との事が書いて有るので、昨日の「下り道」との言葉も符合している事に成る。

2008/7/11・・どうやら、私と、宇宙意識のコミュニケーションは、上手く事が運んだ様である。
是で、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」も、安堵したのではないだろうか。
其れに、昨日「道・衜」の新しい文字が、必要であるとのメッセージだったが、其れも、「道」とか「法」とかではなく、新しい宇宙の概念が、生まれるビジョンが映されて来た。
其れは、映されると言うか、私の意識が、其の世界に到達したと言った方が、良いのかもしれない。
 今朝の映像は、果てしない暗い空間の中に、私の意識が在って、其の前に、黄金の龍が身体をくねらせながら、物の形として、存在を維持していた。
其処は、時間も、重力も、引力も、働いてはいないし、道とか、法とか、生命とかの価値観も、無いのである。
有るのは、果てし無い闇の空間と、其の空間を占めている意志と、此の世界に物質を生み出している、エネルギーの存在としての、黄金龍の蠢きだけである。
其の映像は、此の世界が、どの様に成っているかの、究極の答えと、言えるものではないだろうか。
今や、科学の力で、我々が住んでいる此の世界は、138億年前にビッグバンから拡大した、時空の風船の中に、存在している理・ことに成っている。
 今朝のメッセージは、其の外側の世界に、大きな意志が存在し、其の質量の流転を見ていると言う事である。
其処には、永遠の空間と、意志と、質量の流転の三つの存在が在って、此の宇宙が構成されていると言うか、存在していると言うことである。
其れは、道とか、法とかの言い方ではなく「グノーシス・認識」の世界と言った方が、的を射ているのかもしれない。
今朝、私が認識していた世界は、ガイヤとか 女神とか、サラスヴァティ・弁財天とかの、女神の存在も無く、神話や童話等も無いし、物語の始まりの場であり、終わりの場とも言える世界である。
其処には、目の前に、森羅万象を司る黄金龍が、身をくねらせながら回転して、事象を創っているだけなのである。そして其処には、龍体の他には、不純物が一切なく、他の物の形が何も無いのである。
其処に在るモノを、説明しようと想えば、其れは、人類が初めて観た世界であり、無の世界に一つだけ在る意識(其の龍体)が、「トキ」を生み出しているのを見詰める事で、支えている空間と言えるであろうか。
其の目こそが「いづの目」であり、生じているモノが、「紀・とき」と言うことであろうか。
 今朝の状況から、私が認識する事は、「因縁を 指示している 私」の存在である。其の私とは、無の空間の中に存在する、唯一の意識である。
其れは、此の世を創造している因縁の元を、見詰めている意識体である。
そして、見詰められている物は、質量の流転である、黄金龍のうねりである。
今朝、私が、自我意識で感じる事は、此の世を救うと言う事は、人間の一切のカルマ・業を食いつくし、全てを消化して、無にする事である。
そして、其処で、出会う意識は、「残ったモノが 真実のわたし」と言う、言葉のフレーズである。其処には、もう、何者も存在しないのである。
本日の、他の文章や詩篇
「貴方に見詰められる」 http://moon.ap.teacup.com/20060103/199.html
「目の前に在る実在」 http://sun.ap.teacup.com/20061030/199.html
「究極の応答」  http://sun.ap.teacup.com/20061030/198.html 
今日考えられた事は、一昨日のビジョンで、私の前に存在した女性の意識体は、私の体に住み着いて居た、サラスヴァティと言うか、千手観音と言うか、此の世の物質として、存在する物の「プログラム・情報」であり、其れが抜け出したと言う事だったのではないだろうか。
だから、其の女性(女神の働き)が出た後に、残った「モノ・意識体」が、男性の声色の正体なのである。
其の、出て行った意識体(女神)が、此の宇宙の質量である、エネルギーの総体なのである。
 今朝は、其の出て行った、総体のエネルギー体が、新しい宇宙の「身体・黄金龍」として、無の宇宙空間で成長を始めているのであろう。
其の、黄金龍の身体こそ「ビルシャナ・大日如来」であり、其の黄金龍は、私の身心に、長い間住み着いて居たのだから、私の情報は、全てダビングして持ち出している筈である。
其れを考えると、其の雌の龍体が、抜け出した後の体・空蝉には、物・質量の情報は残っていないので、私の肉体の方には、唯一無の意識体が居残っているだけである。
其れが、仏教で言う処の無境界の世界であろう。
何故なら、物としての質量が無い世界では、境界線を引いて、境を区別する事が、不可能だからである。
今朝の私の意識は、其の世界を、ただ認識しているだけであった。
だから、道筋の道の言葉は使えないし、言葉が無いのであれば、「法・きまり」と言う言葉も使えない。
其れだと、昨日のメッセージの「道」に代る文字を、決定するのは難しいと言う事になる。
其れに付いては、是までのメッセージを参考にすれば、日本語の「トキ」と言う言葉がある。
其の「トキ」に付いては、2006年3月19日に「紀・トキの祭り」を行えと告げられて来ているので、「紀・トキ」を、「道・タオ」や「法・ダルマ」の言葉の代りに、使っても良いのかもしれない。
漢語林には、「紀」の漢字は「糸+己」の組み合わせで、己は糸巻きの象形で、糸すじを分けるの意味を表わす。転じて「おさめる。きまり。」の意味を表わす。と有る。其の意味なら、法や道の意味にも通じている。
今日の処は、宇宙の「道理」や「トキ・時空」の存在が、認識・グノーシスされただけで、充分な収穫が有ったと言えるのではないだろうか。
「究極のこたえ」http://green.ap.teacup.com/20060818/813.html

今朝のメッセージの内容から考えられる理・ことは、全ての食べ物を大事にする事であり、其の食べ物を生み出す大地の保全をしっかりとしなければ成らないと言う事である。
そして、特に重要であるのは、硬い穀物を噛み砕ける丈夫な歯(顎)を持たなければ成らないと言う理・ことなのであろう。

2008/8/20・・其の事を考えると、一番先に現れた桜沢如一の「噛め 噛め 噛みながら 神の国へ」の言葉が、大変重要な意味を持ってくるのである。
私が、無庵師匠に捜し出された時に、一番先に師に云われた事は「歯を見せろ」との事であった。そして、一番先に始めた事は、歯の治療だったのである。
其れは、玄米を能く噛む為は勿論であるが、背筋を真っ直ぐにする事にも、関係がある。
其れに、修行の最後に、悪魔が出て来て試される時に、奥歯に力が籠められないと、精神的に耐える力が弱いので、幻覚に負けてしまい、精神病院行きに成ってしまうからである。
其れ等の事を考えると、是から宇宙の変化が始まり、人類の次元上昇・アセンションが開始されれば、奥歯を噛み締めて耐える力がなければ、其の、次元の壁を通り抜けられないとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、全財産を投入してでも、歯の仕組みを、正しくして措かなければ成らないと言う事になる。・・・
「総合プランナー」 http://green.ap.teacup.com/20060818/854.html

2004/12/28・・人間の胃は、胃袋に入って来た食物を、酸を出して溶かすのが役目であり、胃で溶かされた食物は、十二指腸から出されるアルカリで中和されて、小腸に送られる。
そして、其の栄養分は、小腸の繊毛(白根と同じ)から吸収されて、血液で運ばれ、人体を支えるエネルギーと成るのである。
植物は、外向きに根を出しているが、動物は内向きに根を出しているのである。
これらの理・ことから、人間の身体で、一番古い働きを行っているのは、胃袋の細胞だと言う事が出来る。
漢字の「言う」は、本来は「謂う」なので、「人間の意識は 胃に有る」と、古代の人々は考えていた様である。
「謂」の漢字は、「言+胃」の組み合わせで、「胃」は「田+月(肉)」の組み合わせで、田は「口+米」の組み合わせであり、胃の意味は、胃袋の中に入っている穀物との意味である。   漢語林より
「一番古い身体の細胞」http://moon.ap.teacup.com/20061108/428.html
2006/12/15「シンクタンクトップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
2016/1/2「體=胃=食べ物」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3712.html
 
全国で「大山祇神・おおやまづみかみ」の大祭が行なわれる、今年の旧暦5月16日は、新暦の6月10日であり、其の6月10日は「時の記念日」であり、「日月神示・天津日嗣神事」が千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の前で、岡本天命に下り始めた昭和19年6月10日と同じ日付でもある。

其れを考えると、20日に告げられて来た「スーパートライ」の世界に、既に侵入して居ると言うか、組み込まれている事に成るのではないだろうか。

其れは、人類だけではなく、全生命が、物を食べると言う事・行為で存続しており、其れが、全ての世界を包括していると言うか、全ての原因であると言う理・ことである。

其の様に考えると、仏陀釈迦の謂う「精進・しょうじん」の世界と言うか概念が、最も大事であると言う事に成り、全ての理(ことわり)を網羅している究極の言葉であると言えるだろう。

「もう少し 付け加えると 貴方自身が 
其の中心に有ると言う事であり 貴方の心身を通して 
全ての事が 新しく始まると言う事なのですよ」
「何事も 成る様に成るのです 
ですから 貴方は余計な事は 何も考えないでね」

                 平成29年5月23日

                       礒邉自適

山からの下り道

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     山からの下り道
                        29・5・22

今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、私が、安房館(ホテル)に宿泊する為に、安房川に掛かる安房大橋を渡って行こうとして居ると、同級生の「松元末人」が50ccのオートバイ(カブ)を運転して、向こう岸から橋を渡って来て、私に何処かに一緒に行こうと謂うので、私は「もう遅いので ホテルに泊れなくなる」と応答した。

すると松元末人は、「自分の家に 泊れば良いじゃないか」と謂うので、私は自分の自宅が既に無い事が記憶に無く、そうすれば良いと思った。

其れで、オートバイの後ろに乗ろうとして、後ろ側を見ると、其のカブには弁当箱を載せる為の、小さな籠しか付いていないのである。

松元末人は、其のまま走り始めて、直ぐに交差点を右折した。
すると、酔っ払いの男性と接触して、其の男性は道路に倒れてしまった。

だが、松元末人は其のまま停止せずに走って、次の路地を右側に曲がって行った。
私は、其の道路に倒れて居る男性を、そのまま放置して措く分けには行かないので、松元末人がどうするのだろうかと意い、松元末人が右折した角まで行くと、松元末人は泊如竹翁の廟が有る所にオートバイを止めて、坂道を此方に向かって歩き始めて居るところが見えた。

すると、倒れて居た男性が起き上がって来て、其の路地の角まで遣って来た。そして大きな声で、上がって来る途中の松元末人に一言文句を云ってから、其のまま引き返して行った。
其の男性は、街灯の光に照らされると、近くに住む「酒匂・さこう」氏であった。

私は、其の酒匂氏に、怪我が無かったので、ホッとして居た。

明け方の映像には、山岳から下る、山中の地道が映し出されて来た。
其の道路は、一本道であり、雨が降れば滑りそうな急斜面の道で、右側にカーブしながら、麓に下って行く道である事が判った。

すると、だれだか判らない声で、「下り道」との言葉と「連絡」と「4時からフリー」の言葉が告げられて来た。
 
今朝のメッセージの二場面の映像は、私にも能く理解できないモノである。

考えられる事は、「松元末人」と言う名前の人物が、泊如竹翁の廟の所に乗り物を止めた事は、私の人生に大きな影響を与えて来た「泊如竹翁」の御魂の働きが、役割を終えて、私の背後から降りたと言う事であり、松元末人がオートバイを止めた場所には、以前大きな黒松が生えていて、其の根本に「恵比寿様」の祠が祭祈されていた事と、関係が有りそうである。

何故かと言うと、「恵比寿・戎・えびす」は、昨日の文章に書いた諏訪大社の祭神である「建御名方神・たけみなかたのかみ」の兄(大国主命の長男)である「事代主・ことしろぬし、言代主神」の事であるからである。

2003/6/10・・すると区長さんが、「自適君 今の電話は 図師小夜子さんからで、『一週間前より体の調子が悪く 医者に掛かっても治らないので 神様に聞きに行ったら 如竹様の中に祭られている 恵比須様が憑りついている』と言われた」と、云うのである。
さらに、「図師小夜子さんは『恵比須様は息が詰まりそうで 苦しんでいるので それを伝えて来ていて 如竹廟から恵比寿様を外に出して欲しい』との事だったのだが どうしたら良いだろうか」と言うので、私は「それは 廟から出して 何処か ちゃんとした所に 祭らなければ駄目だろう」と答えた。
「では 一緒に行ってくれ」との事になって、如竹様の廟に出掛けた。
区長さんと二人で、恵比須様の木像を、如竹様の廟から出して、先ず、漁業組合事務所の在る新港に向かった。
漁業組合長に、其の話を伝えると、「会議に掛けなければ 私の一存では 返事出来ない。」と断られてしまった。
新港に祭られている恵比須さんと、一緒に出来ない事に成り、今度は何10年も前に祭られていた、元の安房川の対岸の山中に運んで、仮安置して帰って来た。
自宅に帰って、タンポポコーヒーを飲みながら、広辞苑で「くら」を調べると、「座」が最初に有った。
「座・くら」①物をのせる所。物をのせる台。「御手座」②すわる場所。座席。「天の磐座」「高御座」」と、載っていて、神様を祭る台座の意味がある事が判明した。
今日、私が恵比須様を動かす事に成るのは、起きる前から、既に決まっていた事らしい。
其れは、今朝、私が動かされる事に成るのに、6月3日から「図師さん」に恵比須様が憑いて、図師さんを動かし始めていた事になる。丁度一週間前から、今回の動きが、準備され出した事になるのだ。
本日は6月10日で「時の記念日」だが、日月神示の岡本天明氏が、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に有る、「天之日津久神社」神社メッセージを受け始めた日でもある。
今朝の出来事は、何かが始まる予兆なのだろうか。
私が神掛かったのは、丁度19年前の1984年6月4日である。今度は、私だけではなく、他の人も巻き込んで始まるのだろうか。・・・
「座・くら」http://star.ap.teacup.com/170606/182.html
2016/3/25「社会構造の変化」http://wave.ap.teacup.com/20060106/644.html

其れに、私に「伊勢海老捕り」や「カラオケ」、其れに「マージャン」を訓えてくれたのは、今朝登場した「松元末人」であるので、私は其の松元末人が居なければ、矢本嶽の麓で、静かに農業をする人生を歩いていたのかも知れないのである。

其れを考えると、私が世間で生きる体験をする事に成った原因に、其の松元末人の存在が有り、其の世間での体験は、本日で終了・完了・完結した事に成るのかも知れない。

2017/4/1・・其の様に考えると、今朝の映像で私の背後に突然現れた「松元末人」と「礒邉正也」は、礒邉正也が「石部(石工)正しいなり」との意味であり、松元末人の名前は、昨日のメッセージに登場した「松永」や「松の青葉」と関係が有り、「松の元が末の人」との意味が示されて来ているのかも知れない。
「野外訓練」 http://green.ap.teacup.com/20060818/4193.html

其れに、今朝の映像で山岳の下り道が右カーブであったのは、バベルの塔が登りは左螺旋階段であるので、其れを逆に下る事に成るので、山岳の神が麓に降臨して来る事が、示されて来ているのではないだろうか。

其れは、昨日のメッセージの映像で、三角のテーブルの三方の角に、料理が盛られた容器が載せられており、其れを真上から見下ろしている意識が存在する事が示されて来た事と関係が有り、神霊が天空から山を下って、三方向に別けられている物の世界に、降臨するとの事に成るのではないだろうか。

2017/4/30・・今朝のメッセージの映像は、先ず、魚が水中に無数に泳いでいる丸いタンク・生簀の様な施設が映し出されて来て、私が、其の水中に泳いで居る魚を、全て網で掬い上げて、近くに有る竹製の笊(ざる)の中に入れる作業を行って居る場面が、映し出されて来た。
そして、全ての魚を掬い上げてから、水中を覗くと、タンクの真ん中に立っている柱に、赤や黒や黄色などの蛇が数匹(七色か)巻き付いており、お互いの身体が絡み付いて、柱から外れない状態と成っているので、私は、薙刀の様に長い柄に鋭い刃物が先に付いた道具で、其の絡み合っている蛇の身体を、バラバラに切り捌いた。
其れで、全てが柱から外れた所で、タンクの水を全て排出すると、其の中には一本の柱が立っているだけと成った。
其れから、私は其の一本の柱を、手で棒を引き抜く様に抜いて、自分の左肩後ろに存在する、姿の見えない物に手渡した。
 其れから、魚を入れた竹笊の方を見ると、其の竹笊は三枚に成っており、大きな竹笊の上に、二つの同じ竹笊が並んで載せられていた。
私は、其の三枚の竹笊に入れられている魚を、誰かが受け取りに来るのを待って居た。・・・
「事が割り切れる」http://green.ap.teacup.com/20060818/4224.html

今朝のメッセージの映像で印象的な場面は、橋を渡る手前の交差点で、酒に酔って居て、道路の中央を歩いていて、オートバイと接触して道路に倒れた男性が、其の儘「酒匂・サコウ・さけのにおい」との名前であった事である。

其れは、酒に酔った人生を送っている人間は、意識の覚醒が起きないので、「彼岸・ひがん」に渡れないと言う理・ことが、示されて来ているのかも知れない。

「彼岸・ひがん」の語源
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する[2]。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。
        ウィキペディアフリー百科辞典 2017/5/22現在

今朝「下り道」と告げて来た存在が、山から下って来る神霊であれば、私に心当たりが有るのは、山岳の水分け峠の峯に生える御神木に、七回半巻き付けられる大蛇の存在でありそうである。
何故なら、其の存在は「大山祇神・おおやまづみかみ・大山の巳神」の働きを意味しているからである。

其の「大山の巳神」が地上に降りて来ると言う事は、私が33年掛かって、其の準備を整えたと言う事に成り、私が33年間続けて来た事柄が、全て無駄には成らなかったと言う事に成るのかも知れない。

其れは、愈々、私に告げられて来ていた「紀(とき)の祭り」が、始まると言う事ではないだろうか。

2007/9/13・・九州の、宮崎方面では、山の峠の大きな御神木に、藁で編まれた大蛇の綱が、七回半巻きつけられて、其の周りに四本の竹が立てられて、結界が作られ、其の四方に張られた綱には、白酒が竹の筒に入れて沢山下げられる。
屋久島でも、十五夜の綱引きに使われる綱は、七回大蛇がトグロを巻いた形に積み上げられ、海から上る満月に向けて頭が向けられ、満月が顔を出したら祝詞が挙げられ、其れから綱は、若者に担がれて、村の通りに運ばれ綱引きが行なわれる。
そして、綱引きが済んだら、神社の境内に運ばれて、丸い土俵の代わりにされて相撲がとられ、相撲が取り終わったら海に流されるのである。・・・
「山を下る」http://green.ap.teacup.com/20060818/459.html
 
2011/5/9・・2005年4月15日には、宮之浦岳を中心とする奥岳の峰々から、白い龍体の様な神のエネルギーが動き始め、石塚岳と花折岳・太忠岳の三つの峰が連なる所まで下って来た。
そして次の日16日には、其処から「雪岳」→「トイモ岳」を通って、高平岳まで下りて来たのである。
「グリーンマザー」http://green.ap.teacup.com/20060818/1923.html

2005/4/18・・今日は、仲間とメッセージに出て来た山岳の峰の位置が、何処の山なのかを調べて見ると、15日に映った辺りの峰々は、屋久島の中心に在る奥岳で、宮之浦岳(1936m)栗生岳(1678m)翁岳(1860m)安房岳(1847m)の様であり、16日に映って来た峰々は、右下の石塚山(1589m)花祈岳、太忠岳(1497m)の区域の様である。
若しかしたら、もう少し麓に近いノンキ岳(1370m)まで入っていたのかもしれない。ノンキ岳から私の寝泊りしている事務所までは、雪岳(1256m)トイモ岳(1054m)高平岳(493m)と下れば、もう目の前に、その高平岳の峰は見える。高平岳は、高平区の岳参りの山で、山頂には神様「一宝珠大権現」が祭られている。
山の峰々が、無線基地の様に磁気を出し合って繋がっているのなら、15日と16日に映って来た配線図の映像は、神山のネットワークと言える。・・・
「動き出した御嶽の位置」http://moon.ap.teacup.com/20060615/80.html

2006/3/19・・今朝の映像は、玄(宇宙の赤黒いエナジー)の世界に、最初の記号が書き込まれているのが映って来た。其の文字を解読すると、紀元の「紀」で、其の音は「トキ」であることが示された。そして、天井から白い幕の様な蠅取紙が降ろされ、其れに、自然にドンドン蠅が止まって、くっ着くのが見えた。そして「みいつ 建国 6月11日」と言葉が有った。今朝事務所に来て、6月11日の旧暦を調べると5月16日である。其の日付には、心当たりは無いが、宇宙の運行か、人間の意識を動かすのに、其の日に、何等かの設定が、必要である理・ことを告げて来たのであろう。
其れに、漢字の「紀」は「糸+己」の組み合わせで「己」は糸巻きの形で「紀」は「糸筋を分ける」の意味を表わしており、転じて、治める・きまりの意味を表わす。と、漢語林には載っている。今朝のメッセージは、宇宙が、ゼロから情報を組み上げる事を意味し、天が幕を降ろして、必要な人間を、其れに止まらせるとの事であろう。
「紀(トキ)」http://moon.ap.teacup.com/20060615/15.html

2006/3/21・・本日3月21日は、「弘法大師空海」の1171回目の命日の所為か、重要な事が判った。と言うのは「みいつ建国」の儀式の場所が、判明したからである。
今日昼間、日本とキューバの野球試合を観ていて、日本が勝ったので喜んで居ると、丁度そこに「走る魚屋さん」が遣って来た。
すると一緒にテレビを観ていた西川氏が、「お祝いをしよう」と言い出して、屋久島鯖の首折れと、歯鰹を二匹買ったので、私が早速、刺身に切ってビールで乾杯と成った。
私は、ビールを飲みながら、「日本にプロ野球が出来て 今年が72年目で、日本に野球が伝わったのは1872年なので、72の数字が重なるね。」と話して居た。其れは、昨日、渡邊延朗氏より大成経の72巻に関する本が、届いた事も意識に影響していた。
そんな話しをして居ると、遊びに来て居た「大山邦博氏」が、私に「石塚山に一度連れて行ってくれ」と言い出した。
理由を聞くと、自分がお守りしている神様の祠が出来てから、今年の旧暦5月16日で丁度100年に成るので、其の日に、何かをしなければ成らないと言う。其の、祠の祭神の名は「大山祇神」だとの事である。
私は、其の事を聞いて、19日のメッセージに有った「紀(トキ) みいつ建国 6月11日(旧暦5月16日)」の儀式は、其の祠ですれば良い事が判った。・・・
「大山祇神」http://moon.ap.teacup.com/20060615/112.html
 
2014/10/22・・6月8日の日付は、私が岡山の「スーリアさん」一行と共に、屋久島で「スーリアサロン」を開催した日であり、其の同じ日に、麦生集落に住む「大山邦博氏」が、突然足が動かく成った日付である。
其れに、屋久島の矢筈岬と向い合わせに成る、薩摩半島に聳える開聞岳の麓に存在する「枚聞(ひらきき)神社」の境内に、第一号となる「みいつライン」の石碑を建立したのは、2010年6月8日である。・・・
「事逸る・ことそる」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3238.html

2016/3/26・・其れに屋久島の大山邦博氏は、私が屋久島に帰ってグリーンホテルで「スーリアサロン」を開催した日に、足が動かなく成り、其の原因が麦生の「高平岳」の参道に有る「大山祇神・おおやまづみかみ」の祠の石碑が道路に倒れている事が原因である事が判明し、其の後、毎年其の祠の祭祀を続けている人物である。
そして、其の石碑建立100年に私も関わりを持つ事に成って、屋久島の神事が始まる様に成って、私が其の祠に初めて参拝した時に「つきさかきいづのみたま」の神名と「此処が旅人の終着駅である」との言葉が、告げられて来たのである。・・・
「改革前夜」http://green.ap.teacup.com/20060818/3798.html

2006/3/22「龍伝説の復活」http://star.ap.teacup.com/170606/822.html?rev=1
2006/5/6「見えて来た道筋」http://star.ap.teacup.com/170606/886.html
2011/12/23「見えて来た神一厘の仕組み」http://green.ap.teacup.com/20060818/2160.html
2016/7/13「タイムゲート(時の門)」http://green.ap.teacup.com/20060818/3921.html

今朝の映像で、松元末人がオートバイを止めた場所が「泊如竹翁」の廟の入り口で、恵比須様の祠の有った場所であった事を考えると、何故、泊如竹の御霊が命日の前夜に、自分の廟や寺に帰らず、「大山邦博氏」の自宅で一晩中歩き回って居たのかの理由も、解かる様な気がする。

2008/12/1・・今朝のメッセージの映像は、先ず、三方に分岐している「トキの枝」に、「渦巻き銀河」が木の実の様に着いているのが映り出されて来て、中央の枝の、中程の右側の一つが赤く輝いて、其処が、現在の私の位置である事が示された。
其の映像の意味は、宇宙の質量の変化拡大に伴って、分岐して来た「枝・トキ」の一部の「銀河・螺旋・時空」の一つに、現在の私の意識が、存在するとの事であろう。
 現に、屋久島の聖人とされている、泊如竹翁(1570~1655)は、命日の前夜、自分の寺である本佛寺の住職が気に入らないので、自分の安房の寺には帰らず、信仰の厚い麦生の「大山邦博氏」の自宅に遣って来て、一晩中、仏壇の有る部屋を歩き回るとの事である。
其の様に考えると、古代から「王」とは「シャーマン」であり、一族の霊魂を祭る事で、一族の王・長を務める事が可能だったのである。
其の基本的な事が、現在の天皇家や宮内庁で行われていないのである。・・・
「此れは全部 お前自身」http://star.ap.teacup.com/2007313/620.html

この文章に有る・・三方に分岐している「トキの枝」に、「渦巻き銀河」が木の実の様に着いているのが映り出されて来て・・との表記からすると、昨日の三角テーブルの三方の角に、料理が盛られた器が置かれていた事や、昨年の6月19日の映像で、天空を自分の両翼とする女神が、三個の「タルト・渦巻き」を皿に載せて、人間界に差し出して来た事が関係が有り、「天・あま」の働きと、「珠・たま」の存在は、地上に下る時は、龍神(大蛇)の姿で流れ下って来ると言う事なのかも知れない。

何れにしても、今朝のメッセージは、私の役割が一段落して、次なる展開に成ると言う事なのではないだろうか。

               平成29年5月22日

                     礒邉自適

免許の更新

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    免許の更新
                  29・5・21

今朝のメッセージの映像は、先ず、私が何かの免許の更新の為に、受付窓口に行って横書きの書式の書類を提出すると、受付の45歳位の男性が其の書類を見て、書面の下に記されている住所と名前が、私自身のものではなく、私の父親のものであるので、書き直さなければ成らないと謂った。

其の書類は、訂正印で書き直せる物ではないとの事で、縦線の入った用紙を渡された。
私は、其れに対して、「締め切り時間が迫っているので、書式の代わりはないのですか。」と、受付の男性に訊ねると「無い」との事であった。

私は、其の書式を正しく時間内に写し取る事は、とても無理だと思って困って居ると、役所を退所しようとしている職員の中に、「諏訪(以前県庁勤務)」と言う名前の40歳位の男性が居て、私の事に気付き、代わりに書類を書いてくれる事に成った。

其れで私は、書類を時間内に提出できるのかどうかを心配して居ると、意識が目覚めて、其れが夢であり、現実ではない事が判ったので、ほっとした。

そして、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時40分であったので、私は其の数字を「340・みよまる・美世丸」と記憶した。

其れから電気を消して再び眠ると、今度は、日本語の横書きの文章が映し出されて来て、最初に「前文」が20行程書かれていて、其の下方に長い「本文」が書かれているが確認された。

次の映像には、三角形のテーブルが一卓映し出されて来て、其のテーブルの三方向の角に、料理が盛られた器が置かれている場面が示されて来た。

そして、其のテーブルを、真上から見下ろしている、何物かの意識が存在する事が示されて来た。

今朝のメッセージの映像は、何かの世代交代が必要である理・ことが示されて来ており、其の事に、私の意識を操っている何者かの存在が有ると言う事である。
そして、其の存在は、地上に有る三角形のテーブルに着いて、食事をする人間の様子を、天空から見下ろしているモノであると言う事になる。

其の存在が、何物であるかを解くヒントが、私の書類を代筆してくれる事に成った、「諏訪」と言う名前の男性に有るのだろう。

諏訪とは、長野県の諏訪湖の辺に存在する諏訪大社と関係があり、諏訪の姓は、大国主命が「饒速日命・にぎはやひのみこと」に出雲国を譲った時に、其れを嫌がって諏訪の方に移住した、次男の「建御名方神・たけみなかたのかみ」の子孫である。

其の事を考えると、今朝のメッセージは「国譲り」がテーマであり、其の国譲りの手続きに付いて、此の私に、何等かの関わりが有ると言う事の様である。

今朝の映像には、全文と本文が記されている書面の存在と、食べ物が置かれた三角形のテーブルを、真上から見下ろしている意識の存在が、示されて来ている。

キー「諏訪」
2007/10/22・・今朝の映像・ビジョンは、昔の人達の生活跡と、住んで居た土地と、部族名と、人名の記憶が、私の意識の中を通過して行った事に成る。
何故一昨日、自分の「じてき」名が消去されたのに、他部族の部落名や、人名が、次々に現れたのであろうか。
其れも、自分の部族名の礒邉ではなく、長野の諏訪に関する地方の名前なのである。何故、古い神話の地である出雲や、宗像や、宮崎地方の記憶ではなかったのだろうか。
諏訪族とは、出雲の「大国主命・おおくにぬしのみこと」の次男である「建御名方神・たけみなかたかみ」が、諏訪の地に移住・住み着いて、生まれたものである。
大国主命は、天津族の再三の政治的交渉に譲歩し、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命・あまてるくにてるひこあめのほあけくしたまにぎはやひのみこと(天照大神の孫・父親は、天忍穂耳尊・あめのおしほみみのみこと)」に、自分の霊魂を、永久に祭祀する事を条件に、政治的実権を与えたのである。
 其の、父親の「大国主命」と、天津神の行為に対して、長男の「事代主神・ことしろぬしかみ(エビス神とされている)」は、三保関の海で青柴垣に引き籠って姿を消し、次男の「建御名方神・たけみなかたかみ」は、家族や賛同者と共に、諏訪湖湖畔に逃れ、新しき国造りをして、12名の子供達と共に諏訪の地盤を造ったのである。
其の証拠として、出雲大社に大きく「大国主命」が祭祀され、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」の子孫である国造家が、現在でも御霊を祀り続けている。
そして、国を譲り受けた側の「饒速日命」の御霊を祭る神社は、大社の小川を挟んだ隣に、小さく北島家に拠って祭祀されている。
 今朝のメッセージは、本来、国造りをしたのは大国主命であり、其の「血筋・霊魂」を引いているのは、諏訪族である事を、告げて来ているのではないだろうか。其れは、是までの、歴史的時間を伝えて来ているのかも知れない。
 日本の現在の歴史の概念は、神武天皇の御世から始まっているが、「神武天皇」は、天照大神の孫の「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと(両親は饒速日命と同じ)」から1代「山幸彦・やまさちひこ(日子穂穂手見命)」→2代「鵜茸草茸不見命・うがやふきあえずのみこと)」→3代「神倭伊波礼毘古命・かむやまといわれひこのみこと(神武天皇)」と系図が有る。
 だから、神武天皇が奈良の地に東征して、天皇に成る迄には「饒速日命」から「長髄彦・ながすねひこ」までの間にも、1代「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」や4代「倭宿禰命・やまとのすくねのみこと」等が存在するのだから、其の時代を、皇紀に加えなければ成らないのだ。 
 今朝の番号が、972番目で止まったのは「971+1」を意味し、971とは「971・くない庁・宮内庁」を意味しており、代々の記録をとる仕事をするのが、宮内庁の役割との意味ではないだろうか。
其れが、971で止まらないで、972に成っていたのは、次の「代・御世」を考えろとの事・意味ではないだろうか。
其れも、宮内庁の本来の仕事である。
其の役割を、宮内庁が行なわず、現在の天皇家にも其の自覚や認識がないので、私に、全ての神霊の思頼(みたまのふゆ)が遣って来たのである。
 一昨日、私の自分の名である「じてき」が消されたのは、自分の個人的な「血筋・霊系」の「カルマ(自分の全ての背景の意味)」が、解脱した事を意味しており、私の意識は、今朝から、日本国土に存在するカルマの中に、入り込んでしまったのかも知れない。
 其れは、叔母さん(推古天皇)を天皇に仕立てて、「真の政・まつりごと」を探求し続けた、聖徳太子の思念が、ようやく全体像を把握しつつある事を、意味しているのではないだろうか。
 今朝、現れた映像・ビジョンの前の時代には、「須佐之男尊」が結婚した「櫛稲田姫・くしいなだひめ」や「瓊瓊杵尊」が結婚した「木の花咲くや姫(大山祇の娘)」等の、「国津神(おおやまずみ系)」の部族が存在するのだから、まだまだ時間軸は長さを持っているのである。
 昨日のメッセージは、其の時間軸の始まりの時点を表しており、昨日の私の意識は、人間生命の根本の処に至っていたのではないだろうか。
其れは、自分の名である「自適」の名前を持って、此の世に遣って来た、私の霊魂が、ある時空を超えた事を意味しているのだろう。
其れを考えれば、私の意識は、未だ、此の世界を探索し続けている事になる。・・・
「番号・972」http://star.ap.teacup.com/2007313/237.html

2016/11/27・・今朝のメッセージの映像には、先ず、「露草の花」の様な、真っ青な色の葵科の花が、此方向きに10輪程咲いている草姿が映し出されて来た。
次に、国家の大事と言うか、行く末を決める人物として、姿は見えないのだが、「諏訪」との名前の男性の存在が示されて来て、其の男性には、三人の子供が居る事が示されて来た。・・
次の、国家の大事と言うか行く末を決める人物として「諏訪」との名前の男性の存在が示されて来たのは、諏訪の名前は長野県の「諏訪大社」と関係があるのだろう。
諏訪の姓は、大国主命の次男である「建御名方神・たけみなかたのかみ」の系譜として考えられているので、天津系・渡来系である「饒速日命・にぎはやひのみこと」が、大国主命に国譲りを迫った時点まで、事象を返して、新たに国体を整えろと言う事ではないだろうか。
 今朝のメッセージで、其の諏訪氏と原田伸一郎の存在が、親しく仕事を始めると言う事は、薬草園の発足に「須佐之男尊・すさのおのみこと」の御霊の関わりが有るので、大国主命の六代前の須佐之男尊の存在まで遡って、物事を考える必要が有るのかも知れない。
 其れを考えると、今朝映し出されて来た二股の黄櫨の木の、下側の幹が右側に大きく伸び上がって、三又に成って枝葉が繁っていたのは、下側の日陰の分野が、日の光を受けて右側・右手から大きく伸び上がって、世界を広げて行く理・ことが示されて来ており、国の在り方が大きく変化するとの事ではないだろうか。
其の黄櫨の木を調べると、葵と同じく公家が着る襲 (かさね) の色名の一つであり、葵は黄櫨の下に着る物なので、色・位が逆転するとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「真っ青な葵の花」http://green.ap.teacup.com/20060818/4066.html

2010/10/12・・今朝のメッセージの映像には、先ず、男性の姿が現れて、其の男性が、裸で俯きにされて水の中に浸けられ、全身の透視が為される場面が映されて来た。
そして、特に、頭の部分が丁寧に透視されて、完全に純粋で在るかが確認されてから、新しい次元へと移されて行った。
 其れから場面が変わり、真新しくて、真っ白で、何も無い白い次元の世界が現れて、其の空間の白い床に、一人の男性が、何処かの地図を広げて、森林や田畑などの場所の色塗りをして居た。
其れが、何処の場所・土地なのかは判らないが、何もかもが、新しく創造される為の「土地・洲・くに」の地図である事が、理解できた。
其の色塗りをして居た男性は、私が近付いて行くと、立ち上がって握手を求めて来たので、私も喜んで手を握り返した。
そして、「此れは 夢ではなく 現実なのだ」と、お互いに、手の感触を何度も確かめ合っていた。
すると、其処に若い女性も三名遣って来て、お互いに握手をしながら、新しい世界が始まる事の確認をしていた。
其れから、父親の遺産が6億8千万円有ると言う女性や、巫女をしている女性等が、次々に現れて来て、新しい「政・まつりごと」を始めるための、準備が始められた。
其の作業が始まると、過去の世界に、トンネルの様な道が通じて、其の道の壁から、次々に若い男女の姿や、子供達が抜け出て来て、此方に向かって、歩いて来る映像が映し出されて来た。
 今朝の映像に、次々に現れて来た人達は、30名程であっただろうか。
其の人達は、全員、魂しいが純粋な人達で、皆が、何か自分で出来る技・手仕事を持って居た。
其の人達が、新しい政・まつりごとを始めたので、未来への道が開き、多くの人達が、新しい世界に、踏み出す事が出来る様に成ったのであろう。
 しかし、其の中には天皇家の人々や、現代社会の政治家や、年老いた財産家などは一人も居なかった。
其の人達は、皆が手ぶらであり、派手な服装や化粧をしている人は、誰も居なかった。
 其の意味は、始めの映像に有った「水の禊ぎ(水の神の透視)」を受けて、合格した人達ばかりなのであろう。
其れは、昨日のメッセージに有った、「キリストの意識」を通過した者を、意味しているのかも知れない。イエスキリストの言葉には、「金持ちが 天国(永遠の命)の世界に入るのは ラクダが針の穴を潜るよりも 難しい」と有る。其れは、「此の三次元世界の 財産や 権力に 意識が執着している者は 永遠に 神の世界には入れない。」との意味である。
 今朝の映像の最後には、光に満ちた世界に、高齢の夫婦・ペアーが仲良く並んで現れた。私は、其の右側に居る、身体が小柄な男性に、「貴方は 少名彦の神か」と訊ねると、其の男性は、何も答えず、顔の表情を次々に変えて行き、自分が固定した御魂ではない理・ことを示した。・・・
「本当の自分を」http://green.ap.teacup.com/20060818/1694.html

2000/6/3・・「神」の漢字は、「示+申」の組み合わせで「示」は祭壇の形で、「申」は雷のイナビカリの形で電気の事である。
其れは、「台を置いて その前で祈り メッセージを受け取る。」の意味だから、神そのものが、其処に在るわけではない。
日本語のカミは、「上方」の文字の方が合っているだろう。
「神・シン」【解字】「示+申」の組み合わせ。音符の「申」は、いなびかりの象形で、天の神の意味。示を付し、一般に、かみの意味を表す。
【字義】①かみ。㋐天の神。宇宙萬物の主催者。←祇。「天神地祇」㋑かみの総称。②たましい。霊魂。③こころ。精神。④霊妙ではかり知れない働き。理性でははかり知れない不思議な働き。⑤きわめて尊くて、侵すことのできないこと。「神聖」       漢語林
天津神の言い方は、「津」が接続語の「乃・の」用い方だから「天の神」となり、天に何かが存在して、知らせて来る事が意識されている。
言葉に置き換えると、受け取り方が、様々になってくる。
長野の、諏訪神社の「諏訪」の字が「言+取」と「言+方」で、「言の取り方」となっているのが面白い。
諏訪神社の御柱は、神の示が柱と変わり、柱で申を受け取るとの考え方であろう。
世界中の言葉は、その言葉の語源に遡ると、それなりの意味を持っている。
その意味を知るとき、人の昔の記憶が甦ってくる。
「言葉に置き換える」http://moon.ap.teacup.com/20061108/23.html

キー「三角 六芒星 天帝・皇帝 」

2007/9/5・・先ず始めに、姿は見えないのだが、中年の女性らしき雰囲気の霊が管理するHPが、三つ有る事が判り、其の三つに私がアクセスをしようとするのだが、検索に使う言葉もアドレスも分からないので、其のページを開ける事がどうしても出来ないのである。
 私には、其れが「弁財天・サラスヴァティ」の様な気がするのだが、水が有る様な気配はなく、薄紫の光線が交差しながら描き出す模様の中に、其の女性の、正面向きの顔の雰囲気だけが、薄く浮かび上がっているのである。
其の女性が、三つのHPを開設している事は、其の女性の働きが、三つに分かれて存在すると言う事を示しているのだろう。・・
 今朝は、昨日の人間の配置が、三角形に成っていた事から、カゴメのマークが連想されて来た。カゴメの中心の目は、草取りをして居た時の私の状態と同じ意識の目で、無意識の時に、脳に生まれるイメージ(視覚パターン)が「神・大日如来」に通じると言う事である。
其の神の名が、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の「スメ・素目」なのであろう。だから、「カゴメの目」は「スメラの目」で「ラー」の目なのである。
 其の「目・眼」が、どうして上下の三角形に囲まれているのか、其れは、上向きの三角・△の頂点が「皇帝」一人の目(意識)を意味し、下向きの三角・▽の頂点が「天帝」の意識の臨在を意味しているからだろう。
其れは、地上の働きの頂点に「皇帝(朕)」の「目・意識」が在り、全宇宙を背景に「天帝(父・ゴッド)」の「目・意識」が、地上に下りて来る事を、表しているのではないだろうか。
其れは、其々が、別の目(天照大神・調読みの命)に分かれているのではなく「大日如来・アステカ・アラー」の目として、中心に「一つ目」として存在すると言うことである。・・・
「三つの要点とは」http://green.ap.teacup.com/20060818/446.html

2007/9/5・・カゴメの中心の目は、私の状態と同じ意識の目で、無意識の時に、脳に生まれるイメージ(視覚パターン)が「神・大日如来」に通じると言う事である。
其の神の名が、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の「スメ・素目」なのであろう。だから、「カゴメの目」は「スメラの目」で「ラー」の目なのである。
其の「目・眼」が、どうして上下の三角形に囲まれているのか、其れは、上向きの三角・△の頂点が「皇帝」一人の目(意識)を意味し、下向きの三角・▽の頂点が「天帝」の意識の臨在を意味しているからだろう。
其れは、地上の働きの頂点に「皇帝(朕)」の「目・意識」が在り、全宇宙を背景に「天帝(父・ゴッド)」の「目・意識」が、地上に下りて来る事を、表しているのではないだろうか。・・・
「三つの要点とは」http://green.ap.teacup.com/20060818/446.html

2011/10/22・・「石屋の頭」とは、其の石工が司る、螺旋の渦の中心である、蛇の頭を意味しているのであろう。
「天御中主神」を頭とする、8段の螺旋構造の頂点は、天の意識・働きが下る為の入り口であるが、地上の意識・働きが天に上る為の頭でもある。
其の上下・△▽の働きが、組み合わさった形が「六芒星・ろくぼうせい」のマークでもある。そして、其れは、中国の概念である、天地の働きを区別する「天帝」と「皇帝」の名前の元にも成っている。・・・
「石屋の頭」http://green.ap.teacup.com/20060818/2097.html

今朝のメッセージは、昨日のメッセージ「スーパートライ」と関係が有り、私に是までの概念を超えたトライしろとの事が示唆されて来ており、其の為には、日本語の文章で「全文」と「本文」が分けられた論文が、必要不可欠であると言う事なのかも知れない。

私が、今朝のメッセージの映像から考える事は、「大国主命」に国譲りを迫った渡来系の「天津系」の「政・まつりごと」から、其れ以前の「国津神・地祇・くにつかみ」の世界に、政り事を復帰する事である。

其れは、古代から連綿と続く地祇の祭祈を、簡単に変えては成らないと言う理・ことであり、「地祇(大山祇神・おおやまづみかみ)」の「政・まつりごと」でなければ、人類の平和な社会は実現しないと言う理・ことなのであろう。

現在の、権力者が税金を集めて政治を行ない、其の上に皇帝・天皇が居座る政治の在り方は、エジプト文化やイスラエル民族からの伝承であり、古代から世界中に広がっている「大山祇神・大山の巳かみ」の祭祈とは異なる物である。

今朝のメッセージの映像で、免許の更新が、私の住所や名前でなければ成らない理・ことが映し出されて来たのは、私以外に、其の事が出来る人間が居ない事が示されて来ているのであろう。

そして、其の事も期限が身近に迫って来ていると言う事である。
2015/12/4「紀(トキ)の始まり」http://green.ap.teacup.com/20060818/3679.html
 
            平成29年5月21日

                  礒邉自適

スーパー・トライ

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     スーパー・トライ
                      29・5・20

今朝のメッセージの映像は、様々な物事が始められる場面・様子が映し出されて来て、最後に長い標語の様な文章が一行だけ映し出されて来た。
そして、其の文章の中に「スーパー・トライ」との単語・言葉が、含まれている事が示されて来た。

今朝のメッセージから、思い出せるのは其れだけであり、具体的な事に付いては記憶が無い。

朝起きて、「スーパー・トライ」との言葉を調べて見ると次の様に載っている。

【スーパー・super】
とびぬけた 超。極上。とびきりの
【トライ・try】[名](スル)
1 試みること。「新しい技にトライする」2 ラグビーで、攻撃側のプレーヤーが相手側のインゴールに手でボールを着けること。5点の得点とコンバージョンキックの権利を得る。

「貴方には もう特別な事を する必要は有りません

貴方は 遣るべき事を 遣り遂げたのです

ですから 全ての出来事を 心安らかに見守りなさい

其処に 未来世界が立ち現れて来ます

其れが 貴方の 御稜威の役割であるのです

良いですか 気を抜いては 駄目なのですよ

貴方の意いを 凝らす事が 其の源泉なのですからね  」

此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、今朝示されて来た「スーパートライ・super try」との言葉は、私に「飛び抜けた 意いを 試みる」必要が有る事が、示されて来ている事に成りそうである。

「其れは 貴方にしか 出来ない事なのです

何故なら 他の人々には 
其の様な考えも 意いも有りません

其の理由は 其の様には 育てられていないからです

ですが 貴方は違うのです

何故なら 貴方は 其の為に 
地上に降ろされた 御魂だからです

ですから 貴方に代わる者は 他に居ないのです 

その様に 説明すれば 貴方にも 
自分の役割が 理解できるでしょう  

何もかもが 全て 是からなのですよ

其処に 貴方の存在が 欠かせないのですから
貴方の自覚が 最も必要であると 言う事に成るのです

此処まで 説明すれば 貴方にも
自分が 今後どの様に在れば良いかが 理解できるでしょう

其処に 未来創造の秘訣が有るのです

ですから 貴方は 自分自身の存在に付いて
改めて 能く熟慮しなさいね

其処に 貴方の真骨頂が たち現れて来るのですから 」

此の、女神の言葉に有る「秘訣・熟慮・真骨頂」に付いて調べると、次の様に載っている。

【秘訣】
人には知られていない最も効果的な方法。とっておきの手段。「成功の秘訣」
         デジタル大辞泉
【熟慮】[名](スル)
よくよく考えること。いろいろなことを考えに入れて、念入りに検討すること。熟考。「熟慮のすえ決意する」「さらに熟慮されたい」
熟慮の府
(衆議院の審議を経た法案を、更に熟慮を重ねて審議する立場にあることから)参議院の異称。再考の府。
         デジタル大辞泉
【真骨頂】そのものが本来もっている姿。真面目(しんめんもく)。「真骨頂を発揮する」     デジタル大辞泉

試しに考慮を調べると、次の様に載っており、「思慮」は個人的な判断と言うか領域の事に付いて考える事であり、「熟慮」や「考慮」は自分の事ではなく、全体の事に付いて、意識を巡らす必要が有る立場の様である。

【考慮】( 名 ) スル 判断・行動の前に、いろいろな要素を考え合わせること。思いめぐらすこと。考え。 「 -を払う」 「 -に入れる」 「相手の立場を-する」 〔類義の語に「思慮」があるが、「思慮」はある物事について個人的にあれこれと思いめぐらす ...
         大辞林 第三版

私は、一昨日、自分の頭と謂うか思考の中に、「全ての事には 原因が有る」との言葉が持つ意味・世界が広がって来て、其の言葉の意味で、此の世が何故存在するのかの、答えが見付かった様な気がした。

其れは、「何かの原因に拠って、全てが生じている」と謂うか、「此の世に生じている物には 全て原因が有る」と、謂う理・ことである。

其れは、自分自身の存在理由に付いて、考える手法の第一歩である事にも成る。

其の「全ての事には 原因が有る」との答えが、今朝の女神の言葉で一幕を開けて来たのではないだろうか。

其れは、昨日の文章に貼り付けた、2008年12月1日の「此れは全部 お前自身」の内容と関係が有りそうである。

2008/12/1・・今朝のメッセージの映像は、先ず、三方に分岐している「トキの枝」に、「渦巻き銀河」が木の実の様に着いているのが映り出されて来て、中央の枝の、中程の右側の一つが赤く輝いて、其処が、現在の私の位置である事が示された。
其の映像の意味は、宇宙の質量の変化拡大に伴って、分岐して来た「枝・トキ」の一部の「銀河・螺旋・時空」の一つに、現在の私の意識が、存在するとの事であろう。
其れは、昨日の白金の太陽が、一個の渦巻き銀河の情報、其の物であった事を、意味しているのではないだろうか。
其れが、「天津神・あまのかみ」と呼ばれている、意識の存在なのかも知れない。
其れは、其々の銀河(珠・螺旋空間・渦)に、一つの意識が存在する事を示している
其れは、いまの侭では、私の死後、私の霊魂の祭り手が、誰もいない事を、知らせて来ているのではないだろうか。
そう成れば、私の霊魂だけではなく、私の身体に依り付いて来た4311体の霊魂と、其の後、憑依して来た昭和天皇の御魂や、多くの霊魂が、再び行き場を失って、霊界が不安定に成ってしまう事になる。
其れに、霊魂が祭られるには、其の理を良く理解する「禰宜」か「住職」が存在しなければ成らないと言う事になる。
其の事が、理解されなければ、自分の子孫が正しく先祖供養をしていない者達は、他人の家には居場所が無いから、行き場が無い事に成り、浮遊霊と成ってしまうのである。
 現に、屋久島の聖人とされている、泊如竹翁(1570~1655)は、命日の前夜、自分の寺である本佛寺の住職が気に入らないので、自分の安房の寺には帰らず、信仰の厚い麦生の「大山邦博氏」の自宅に遣って来て、一晩中、仏壇の有る部屋を歩き回るとの事である。
其の様に考えると、古代から「王」とは「シャーマン」であり、一族の霊魂を祭る事で、一族の王・長を務める事が可能だったのである。
其の基本的な事が、現在の天皇家や宮内庁で行われていないのである。
たとえ儀式は行なわれていても、其の理を、本人達が能く理解していないので、正しく機能していないのである。だから、私に、此の様な事が起きてしまったのだ。
何故、其の事が機能しないのか、其れは、天皇家が、政府から貰う予算にて運営されているからである。
食い扶持は、自分で探すのが生き物の基本ルールである。
其れを、国民から集めた税金を掠めて生きて居ては、精神が、王様として相応しいものと成れる分けがない。
誰かに、遠慮が有るのは「王様」の精神状態ではない。
王とは、一族や国民から慕われる者であって、国民が、自分の税金で食わして遣っていると想っていれば、システムが機能する理由・わけが無いのである。
 今朝のメッセージは、「王」が本来の「すめらのみこと・天皇」として、機能する為の基本を、知らせて来ているのではないだろうか。
其れは、138億年掛かって、枝を拡げている宇宙の一銀河を、自分の「モノ・身体」として、管理する意識がなければ成らない理を、示して来ている。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う「三千世界にわれが在り 衆生一切我が子」との言葉が意味する事なのであろう。
其れは、日本の天皇が「民草を想う」との言葉の世界と、同じ概念である。・・・
「此れは全部 お前自身」http://star.ap.teacup.com/2007313/620.html

此の文章に有る「・・其れが天津神(あまのかみ)と呼ばれている、意識の存在なのかも知れない。其れは、其々の銀河(珠・螺旋空間・渦)に、一つの意識が存在する事を示している・・」との事と関係が有りそうである。

其の「天津神・あまのかみ」が、5月10日のメッセージの映像に登場した岐阜に住むと言う老女の名前「天名・あまな」であり、「珠」が12日の「たま・球」と関係が有りそうである。

其れに、「岐阜」の漢字の意味が、「岡の麓の分かれ道」との意味なので、昨日の「岡本博臣」の名前とも関係が有り、14日の「谷」とのテーマにも関係が有りそうである。

「珠・シュ」【解字】形声。「王(玉)+朱」音符の朱は、木の切り口の美しい赤の意味。美しい玉、真珠の意味を表す。
【字義】①たま。㋐貝類の体内に産する丸いたま。真珠の類。㋑真珠のように丸い粒になっている物。「念珠・じゅずだま」②美しい物のたとえや形容。
           漢語林より

此の「珠」の漢字の意味からすると、16日のメッセージ「赤い万両の実」の映像に映し出されて来た、暗い世界に美しく光り輝く澤山の赤い万両の実は、其の珠の概念と関係が有るのではないだろうか。

其れに、「此れは全部 お前自身」の文章に記されている、前日の文章「白金の太陽」を見ると、次の様に書いて有り、この文章の中には「・・日本語のたましい・珠しい・霊・魂の語源・・」と「珠」の漢字が使われている。

2008/11/30・・今朝のメッセージでは、私の意識が一番大事な理・ことを、言葉に変換しようとしていた。
其の一番大事な理・こととは、「稲霊・いなだま」と人間の「霊魂・たましい」の関係に付いてである。そして、其の理・ことが、日本の「瑞穂の国」の一番大事な「理・ことわり」である事が理解された。
そして、其の後に、白金の太陽の様な丸い物が、映り出されて来た。
其れは、冬の空に輝き出して来ている「シリウス星」の姿なのかも知れない。
しかし、其の白金の丸い物は、生命の象徴の様であり、生命の意志が、静かに、強く、息づいている感じが有った。
私は、其の様子から、其のモノこそ、人間の意識の元であり、其れが様々な形で、人間に認識されて来ているのだと意った。
 其れが、日本語の「たましい・珠しい・霊・魂」の語源であるイメージか、ビジョンであると想われる。
そして、其れが、日本の神社の神器の、鏡の存在の意味であり、エジプト文化の「女神イシス」の頭に付けられている鏡が、有する意味なのであろう。
 そして其の丸い形は、禅宗の僧が、瞑想の対象として墨で描いて壁に貼る、真丸の円の形であり、其の元は、密教の「ビルシャナ・大日如来」を意味する梵字の「阿・あ」である。
其の丸の形は、太陽・月・地球・鏡・卵・卵子・種子・頭・時計の文字盤・車のタイヤ・輪・和で、如意宝珠であり、龍が手にする球であり、人間の「霊魂・たましい」である。・・・
「白金の太陽」http://green.ap.teacup.com/20060818/968.html

これ等の事柄から考えると、何かの結論が導かれて来ており、其れが、今朝の女神の言葉に反映されているのではないだろうか。

其の様に考えると、今朝のメッセージの「スーパー・トライ」との言葉は、其の「珠・シュ・たま」に関係が有り、珠の漢字の「木の切り口の美しい赤の意味」との説明と関係が有り、其の木の切り口の赤い年輪が、「神(はたらき)」の象徴であるか、私の意識の成り立ちか、潜在意識の有り様が示唆されているのではないだろうか。

其れは、16日のメッセージに映し出されて来た澤山の「赤い万両の実」が、究極の世界を映し出して来ている事に成り、私と同じ次元に存在し、夫々の役割を担っている澤山の「御魂・珠球」が存在すると言うか、完成して、「紀(とき)の祭り」が始まる事を待っていると言う事に成るのかも知れない。

其の様に考えると、今朝のメッセージの映像で、様々な物事が始められる場面・様子が映し出されて来た事の意味も理解されて来る。

どうやら、今朝の女神の言葉からすると、私が「至極飛び抜けた」イメージを膨らませなければ、「珠・赤い年輪」が次の段階へと、拡大しないと言う事に成るのかも知れない。

其れは、昨年の6月19日のメッセージの映像で、天空を自分の両翼・羽根としている女神が、三個の螺旋(タルト)を此方に差し出して来た事と関係が有り、我々人類に、自己の責任に措いて新しい時空を拡げろとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
2016/6/19「自らの仕掛けで滅びる」http://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html

其れは、「チャクラ-ヴルティーン・転輪聖王」の出番が必要であるとの事でもあるのだろう。

2017/1/22・・其の集会・会議の、テーマ・議題が何なのか分からないまま、私は其処を出て、食堂に行き、テーブルに着いて、注文した物を食べて居ると、三人の男性が店に入って来て、他に空席のテーブルが有るのに、私が座って居るテーブルに同席するのである。
其の三人は、私の左側に一人と、前方に二人が着席した。
すると、左前に着席した60歳位の男性が、私の左側に着席した男性と向き合って話をしながら、左手を伸ばして来て、私の左手の上に其の手を重ねた。
 私は、其れが何の意味なのかを考えながら、右手で食事を済ますと、其の男性は私の方を向いて、左手を離してから、「是は 貴方が書いた物でしょう」と謂いながら、右手で内ポケットから紙を出して、両手でテーブルの上に広げた。
 其の紙には、確かに私が筆で書いた文字が有り、其れは先ほど開かれた会議で、私が会議の内容に退屈して書いた落書きで、一面には文章が書いて有り、一面には私の名前である自適の文字が、幾つも練習書きされている物であった。
私は、其れを見て、「ああ其れは私の物で 落書きなので 不必要な物だから 塵として置いて来た物です」と応答した。・・
「そうよ 貴方の存在は 
宇宙を旅する 光体と同じであり
時節毎に 繰り返し地球に訪れる 
魂しいの 存在なのです

ですから 貴方にとって 宇宙の存在は 
運動場の周回コースと 同じ様な物であり 
同じ軌道を 繰り返し 旅をしているのです

だからこそ 輪廻の概念が有り
チャクラ-ヴルティーン・転輪聖王の名が有るのです  」
「未来は写真に撮れない」http://green.ap.teacup.com/20060818/4123.html

2016/10/23・・だが、今朝の時空の時間を繋ぎ止めていた紐が、大型車のタイヤの中に納めるゴムのチューブ製であった事の理由を考えると、宇宙の時間・事象は車のタイヤの様に、中に空気(時空)を抱えて、回転している物であると言う理・ことに成る。
 其れを考えると、インドのスーリア寺院に大きな車が着いている事や、街中の通りに山車(だし)が繰り出されて、祭りが行われる事と関係が有り、元に引き返す事は出来ないが、前進する事で、過去の世界に接触し、過去の情報と言うか因縁を、解除する事が出来ると言う事ではないだろうか。
 其の様に考えると、「チャクラ-ヴルティーン・転輪聖王」の存在がどの様な力・役割を果たすモノであるかが理解されて来るし、「神(はたらき)」の世界が螺旋構造で考えられている理も理解されてくる。
私が、故郷である屋久島を離れて、現在福岡で暮らして居る事も、其の事と関係があり、私の「家離・たび」と「意識の流転」は、其の宇宙のシステムである「森羅万象の流転」の最中に、存在すると言う事に成るのであろう。・・・
「時間の流れは止められない」http://green.ap.teacup.com/20060818/4028.html

2002/2/27・・インドの宗教の教えの中に、「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の存在が伝えられており、転輪聖王は2600年の周期で、この世に転生するのだという。
聖なる王が転輸する、それが2600年の周期だとすれば、釈迦・老子・神武・ピュタゴラスが、誕生してから約2600年が経過しようとしている今、転輪聖王は地球の何処かに現れているのだろうか。
其れとも、現在・いま「極」の段階で、苦しみながら答えを探しているのだろうか。
私は、18年間の旅で、それなりの答えを捉えて、現在は静寂を迎えており、苦しかった旅を与えた、天や聖霊達に対して、いまは恨みが無い。
いまの私には、人間の原点に帰り着いた実感が有り、旅を終えたと言う満足感も有る。
「帰る」の漢字は、旅から帰った旅人が、無事に帰る事が出来たお礼に、手にホウキを持って、部屋の内を掃除し、祭壇に神に感謝の捧げ物の肉を用意している意味らしい。
私は、神に肉を供えてはいないが、代わりに、旅で知り得た理・ことを、文章にする事で、役目を果していると考えている。
「チャクラヴァルティン・転輪聖王」が、輪廻して来て、何をするのか定かではないが、私の知り得た処では、新しい宇宙の「記憶盤(アカシックレコード)」に、新しい情報を刻む事が、其の役目の様である。
どうやら、私には、「石部・石工」の血が流れて居るので、其の血が眠りから目覚め、スフィンクスの謎解きをしたようである。
エジプトの「ラーの目・籠目」は、秘められた宇宙の真理を、見通す働きを意味しているし、釈迦は、法(ダルマ)に目覚めた人で、其の釈迦牟尼佛の仏像には其の印として「第三の目」と呼ばれている額の中心に、宝石が埋められている。ユダヤの、「石工・メイソン」の岩の目も、万物を支配する目で、同じ宇宙の真理を意味している。
これ等の事を検討すると、インドで云う「転輪聖王」とは、世界共通の概念と一致している事に成る。
 では、日本には、其れが無いかと言うと、「スメラの命」という役目の王様が存在した事になっている。其の王は「ミカド」とも呼ばれ、其の伝統が現在の天皇の働きとして残っているのだ。
「スメラのミコト」の事を、「スメミマ」と呼んで、「スメ」は「澄み切った目」を意味し、先に述べた「日」の意味と同じで、「ミマ」は「王の肉体」を言い表している。
「ミマ」とは、穢れの無い美しい身の事である。其れは、仏教で云う精進された身体の事で、古神道で云う禊ぎ祓いが済んでいる身の事を言うのである。
「スメラのミコト・天皇」に成るには、「ミマ(美身)」が大事とされるのだ。・・・
「転輪聖王への道」http://moon.ap.teacup.com/20061108/162.html
 
2008/1/8「大日如来の節間」http://green.ap.teacup.com/20060818/605.html
2016/6/3「主の代理」http://green.ap.teacup.com/20060818/3873.html
2016/10/21「おおみこころ」http://wave.ap.teacup.com/20060106/701.html?rev=1
2016/12/29「因縁解除のソフト」http://green.ap.teacup.com/20060818/4099.html

「自らの仕掛けで滅びる」とのメッセージが告げられて来た6月19日まで、残り一ヶ月である。
其の30日の間に、「自らの仕掛け」を解ける人達が何人居るのだろうか。

其の事は、本人自身が気付かなければ、他人はどうする事も出来ないのである。
私し個人の世界では、昨年の11月14日に赤い実が付いた「千両」の枝が玄関口を覆っている映像が映し出されて来ているので、早く其の時が訪れる事を願うだけである。

2016/11/14・・其の家に着いて、長男に合うと、其の人物は海生ではあるのだが、実物ではなく、躰の小さな妖精の様な存在であった。
そして、其の意味は、此の三次元世界では、人々の姿形はドンドン変化して行くが、其の心身を動かしているのは、宿っている霊魂であり、其の霊魂は人間の肉体を借用しながら、転生を続けている理・ことが解かった。
 其れから建物の玄関口の方に、赤く熟した千両が、草ではなく、大きな樹木の様な大きさで、覆う様に伸びて来ており、其の建物に幸福が齎される様な事を、告げて来ている意味が汲み取れた。・・・
「しゃく(借)じゃ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4053.html

               平成29年5月20日

                     礒邉自適

地球管理局

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    地球管理局
                       29・5・19

今朝のメッセージの映像は、私が、幾つもの現場の動きに関わりを持っており、夫々の分野のリーダーと打ち合わせをしながら、事を進めている様子が映し出されて来た。

其れ等の場面に付いて考えて居ると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、4時37分であったので、私は其の数字を「437・よみな・黄泉名」と記憶した。

そして再び眠ると、屋久島の聖人と呼ばれている「泊如竹翁」が産湯に浴びた母親「初亀」の実家で、お通夜が行なわれている場面が映し出されて来て、私は玄関口から中の様子を横目に見ながら、買い物用のポリ袋に入った品物を右手に提げて、裏口の方に廻った。

すると、裏の部屋の座敷には、屋久杉の土埋木で製作した、大きなテーブルが二つ置かれていた。
私は、自分が持って行った品物を、入り口の方のテーブルの上に置いた。

其の時に、通夜が行われている表の部屋から、垂れ幕を開けて、私の同級生である「岡本博臣」君の弟が出て来て、台所で働いている女性に、何かを伝える様子が映し出されて来た。

私は、其れ等の映像に付いて想いを巡らして居ると、頭に「管理局」との言葉が告げられて来たので、私は今朝のメッセージの意味が、理解できた様な気がしていた。

今朝のメッセージは、私に2006年3月17日に告げられて来た「地球管理局」との事と関係が有り、其の事に泊如竹翁の御霊が深く関係している様である。

ブログ【地球 管理局】http://star.ap.teacup.com/2007313/
地球は、私達人類に与えられたパラダイスです。私達には、此の地球を護る責任と義務があるのです。其れが果たされてこその楽園なのです。
 現在人類にとって一番の問題は森林の減少にあります。私達人類を含む生物は森林の滅亡と共に亡びます。21世紀は人類にとって最後の価値判断を迫られる時代となるでしょう。
1984年6月4日に、地球の主である白山権現の白龍が現れて、地球が私の左掌に乗せられ、地球の未来を託されました。 それから22年が経とうとしております。 今朝ようやく、其の準備が出来た事が知らされました。 是からは、具体的な事柄が始まると想います。2007年3月13日

2006/3/17・・此処二日間、私は頭の左上が痛んで、花粉症にでも罹ってしまったのかと考えて居たが、どうもそうではなく、私の脳のデータ入れ替えに、神霊が動いていた様である。
今朝は、いよいよ新しい世界が構築される事が開始されたらしく、次々に具体的な指示を表明する映像が映されて来た。
其れに、新しいHPを幾つも開設しなければ成らないらしい。其れは、私が準備さえすれば、後を引き継ぐ人々がドンドン現れる理・ことを意味している。
総ての扉が、私の思考の中に納められているらしく、私が、神のドアを創って開いて行かなければ、未来設定が出来ないらしいのだ。
今朝のメッセージのテーマは幾つも有り、一ページに其の全部を書くと混乱すると思うので、一項目毎に記す事にする。其の中で、一番現実的な事が「地球管理局」の設立である。
其れは、此の人間社会に、もう権力者が必要無い理を意味している。
世界は、一台のホスト-コンピューターで管理され、人類はようやく自由に成れるのである。
 世界は一つの認識の下・もと、自由を謳歌し、此の地球で生を楽しめる様に成れるのである。もう権威を象徴する宮殿も、玉座も必要無いので、お城の中に閉じ込められる王子も居なくなる。
皆が、釈迦牟尼佛の様に、権力から解き放たれるのである。
(漢字の「権」は、木の棒の真ん中を紐で吊るし、左右のバランスを執る為に重しを乗せる。との字義で、「権力」とは国の政治のバランスを計る「資格・力」を有する者を意味している。)
そうなれば、データ管理の人達だけが必要で、他の政府関係者は要らなく成るので、税金も安くなるし、誰もが同じ情報を入手出来るのである。
 世界は、一つの正しい情報で結ばれるので、イデオロギーや特別な宗教も要らなくなり、釈迦牟尼佛や、イエス-キリストや、老子が謂った様に、総ての人が、他人の思考から自由に成れるのである。
もう、宗教家も哲学者も必要ではなく成り、総ての人が、自然の在り様と、自分の位置関係を確かめられる様に成るのだ。・・・
地球管理局 http://star.ap.teacup.com/2007313/2.html

2008/12/1・・今朝のメッセージの映像は、先ず、三方に分岐している「トキの枝」に、「渦巻き銀河」が木の実の様に着いているのが映り出されて来て、中央の枝の、中程の右側の一つが赤く輝いて、其処が、現在の私の位置である事が示された。
其の映像の意味は、宇宙の質量の変化拡大に伴って、分岐して来た「枝・トキ」の一部の「銀河・螺旋・時空」の一つに、現在の私の意識が、存在するとの事であろう。
其れは、昨日の白金の太陽が、一個の渦巻き銀河の情報、其の物であった事を、意味しているのではないだろうか。
其れが、「天津神・あまのかみ」と呼ばれている、意識の存在なのかも知れない。
其れは、其々の銀河(珠・螺旋空間・渦)に、一つの意識が存在する事を示している
其れは、いまの侭では、私の死後、私の霊魂の祭り手が、誰もいない事を、知らせて来ているのではないだろうか。
そう成れば、私の霊魂だけではなく、私の身体に依り付いて来た4311体の霊魂と、其の後、憑依して来た昭和天皇の御魂や、多くの霊魂が、再び行き場を失って、霊界が不安定に成ってしまう事になる。
其れに、霊魂が祭られるには、其の理を良く理解する「禰宜」か「住職」が存在しなければ成らないと言う事になる。
其の事が、理解されなければ、自分の子孫が正しく先祖供養をしていない者達は、他人の家には居場所が無いから、行き場が無い事に成り、浮遊霊と成ってしまうのである。
 現に、屋久島の聖人とされている、泊如竹翁(1570~1655)は、命日の前夜、自分の寺である本佛寺の住職が気に入らないので、自分の安房の寺には帰らず、信仰の厚い麦生の「大山邦博氏」の自宅に遣って来て、一晩中、仏壇の有る部屋を歩き回るとの事である。
其の様に考えると、古代から「王」とは「シャーマン」であり、一族の霊魂を祭る事で、一族の王・長を務める事が可能だったのである。
其の基本的な事が、現在の天皇家や宮内庁で行われていないのである。
たとえ儀式は行なわれていても、其の理を、本人達が能く理解していないので、正しく機能していないのである。だから、私に、此の様な事が起きてしまったのだ。
何故、其の事が機能しないのか、其れは、天皇家が、政府から貰う予算にて運営されているからである。
食い扶持は、自分で探すのが生き物の基本ルールである。
其れを、国民から集めた税金を掠めて生きて居ては、精神が、王様として相応しいものと成れる分けがない。
誰かに、遠慮が有るのは「王様」の精神状態ではない。
王とは、一族や国民から慕われる者であって、国民が、自分の税金で食わして遣っていると想っていれば、システムが機能する理由・わけが無いのである。
 今朝のメッセージは、「王」が本来の「すめらのみこと・天皇」として、機能する為の基本を、知らせて来ているのではないだろうか。
其れは、138億年掛かって、枝を拡げている宇宙の一銀河を、自分の「モノ・身体」として、管理する意識がなければ成らない理を、示して来ている。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う「三千世界にわれが在り 衆生一切我が子」との言葉が意味する事なのであろう。
其れは、日本の天皇が「民草を想う」との言葉の世界と、同じ概念である。・・・
「此れは全部 お前自身」 http://star.ap.teacup.com/2007313/620.html

「泊如竹」の名前で以前の文章を調べると次の様な物が有る。

2006/6/15・・今日、前の文章を整理していて、屋久島安房出身の「泊如竹翁」に関するものが出て来た。其れを手直しして居て、此の一連の流れは、全て泊如竹の策略なのが見えて来た。
私が神掛りに成った時、一番に始めた事が、近くに有る泊如竹の廟の掃除や、縁の本仏寺との関わりだった。
今回の大山祇神の祭りも、大山邦博氏に、三年前に泊如竹の霊が憑依して始まったものである。
今回の流れは、既に三年前に始まっていたのだ。
泊如竹の誕生日が1月17日で、阪神大震災も、ロサンゼルスの地震も、湾岸戦争も1月17日である。自適塾の電話が着いたのも1月17日である。
どうやら、屋久島の山の神を動かしているのは 泊如竹の霊魂の様である。
「屋久島の神の働きが見えて来た」http://moon.ap.teacup.com/20061108/399.html

2003/2/17・・私は、其の文字の記されている物が、人類の「三世(過去・現在・未来)」のデータベースである事が分かった。
そして、疲れた頭で朝起きたら、男性の声で「たのむ」と一言有った。
其の声の主が、誰だろうかと考えて見たら、本日2月17日は、旧暦の1月17日で、屋久島安房生れの「泊 如竹聖人」の誕生日であり、午後5時半より「泊如竹廟」で、生誕祭が催される事を思い出した。
泊 如竹は元亀元年(1570)1月17日 船大工「泊 太次右衛門」と「初亀」の長男として安房に生れ、5歳で本仏寺に入寺、「日章」の名で法華の京都本能寺に上京して仏教を学び、後に薩摩藩に招かれ、老後は屋久島に帰り郷土の為に尽して、1655年5月25日に85歳で亡くなっている。
だから、今日は、433回目の記念すべき日という事に成る。
今朝「頼む」と言って来たのが、其の「泊 如竹翁」であれば、私に、何を頼みたいのかは、理解できる様な気がする。
今朝の夢は、アカシックレコードと言われている、宇宙の記憶盤のデータベースが映って来たのだろう。
人間一人の個人データでも、三世に渡れば、莫大な量であろうし、現在は60億人居る人類全部のデータとなれば、想像を絶する量となる。
しかし、現在のコンピューターの発達を見れば、どの様なものかは、想像出来ない事ではない。
其の泊如竹は、琉球王に招かれて沖縄に渡り、王の図書館に案内されて蔵書を見せられた時、外に出てから「私の図書は 皆頭の中に有る」と、謂ったとの逸話がある。
泊如竹は、人間の脳が、どれだけの知識を蓄えられるかを、知っていたらしい。
 其の泊如竹の産湯を汲んだであろう、安房川の川岸に、私の両親が上陸した時に、一番喜んだのは如竹かも知れない。そうであれば、私の子供の時からの行動にも、納得いくものがある。
そして、今日「頼む」と言って来たのが、当の如竹であれば、三世に繋がる情報の整理を、委託して来たのではないだろうか。
私が20歳代の時に、数年間居候していた家は、如竹の母親である「初亀さん」の実家であり、如竹の産湯を使った跡の、石碑が有った屋敷でもある。
 私が、自分で買う事に成り、現在住んでいる家も、其の居候をしていた家の女主人が、お世話してくれた物件である。
私の、自宅前の安房川の岸辺には、昔の桟橋跡が残っている。
其の桟橋は、56年前の夏に、私の両親が上陸した場所であり、多分、如竹も五歳で此の場所から出発し、数十年後、また此の場所に、帰って来たのではないだろうか。
私の自宅の裏山には、現在でも、如竹が五歳で、頭髪に剃刀を入れた「本佛寺」が建っている。
私の日常は、泊 如竹の一生を写した、鏡の舞台で、繰り返されているのかも知れない。・・・
「頼む」http://star.ap.teacup.com/170606/244.html

2003/1/22・・地元安房出身で「泊 如竹」と言う偉人の存在があるが、如竹の文章類はあまり伝え残されていない。
本人の考え方や主義主張が、殆んど残されていないのである。
言い伝えに拠れば、泊如竹翁が島津の殿様の使いで、琉球王に会いに行った時に、琉球王が、自分の図書館へ如竹を案内し、其の蔵書を自慢げに見せたらしい。そうしたら如竹は、図書館を出た処で、庭の大石の上に仰向けに寝て、「私の図書は 自分の頭の中に 有る」と云ったとの事である。
其れは、本は、集めた処で読まなければ、宝の持ち腐れだと、云いたかったのだろうか。
 此の話しが、事実であるかどうかは確かめる事は出来ないが、如竹の京都での生活は、学問が尋常では無かった事を伝えている。
其れだけ、勉学に勤しんだ如竹が、図書を集める事を否定し、屋久島に帰っても塾も開かず、自分の書き物も残していない。
如竹が、島に帰って行った事は、村に生活用水の水路を引いて、村人の生活を楽にし、屋久杉を伐って島外に出し、経済を豊かにする事などである。
その様な活動の為に、私財を全て投げ出している。結婚もせず、子供も残していない。
其の「泊 如竹翁」が、私を動かした霊団の中で、一番先に、私の体を使用し始めたのである。
如竹は、霊魂の不滅を知っており、文書を残さなくとも、自分の意志は、後世で活躍出来ると信じていたのだろうか。・・・
「石は図書館」http://moon.ap.teacup.com/20061108/235.html?rev=1

2009/3/4・・今朝の映像は、四人で泊如竹翁の廟にお参りするのではなく、其の廟から食事の為に、通りに出て来た様な感じである。
其の様子からすると、其の人物は無庵師匠(1941・10・28~2001・11・7)の霊魂だけではなく、泊如竹翁の霊魂も重なっていたのであろう。
「泊如竹」(1570~1655)は1570年1月17日、船大工泊太次右衛門・初亀夫婦の長男として安房(あんぼう)に生まれる(安房には泊姓の人が多いと聞く)。 1574年、日章と名乗って本能寺に入る。1605年薩摩正興寺に文之玄昌に師事。 1614年以後、伊勢の藤堂高虎、琉球国王尚豊、19代藩主島津光久に侍読として仕えるなどし、屋久島へ戻る。屋久杉の伐採に尽力し、「屋久聖人」と称えられる。一生を僧形・独身で過ごす。晩年、村を災いより守るとしてこの地に葬ることを望み、明暦元年(1655)5月25日、85歳で寂す。
 私が無庵師匠の下で、1984年3月5日から玄米自然食に換えて、丁度三ヶ月目の6月4日に此の世界に入り、聖霊に満たされた時に、行動を始めたのは、其の泊如竹の廟の掃除であり、泊如竹が住職をして居たお寺にお参りし、庭に有る水道の水を出して、七回数を数えながら掌で掬って飲む事であった。・・・
「岩戸開きは陰暦」http://green.ap.teacup.com/20060818/1064.html

2001/8/30・・私は、世界自然遺産に登録された、縄文杉で有名な「屋久島」で産れ育ちました。
屋久島は、屋久杉で有名ですが、その屋久杉を伐る様に成ったのは、屋久島の安房に生れた「泊如竹」と言う人が、屋久杉を切って産業とする事を、島民に勧めたからだと云われています。
泊如竹は、1570年安房の生れで、1630年に帰郷したとありますので、「1630年・寛永7年」以後に、屋久杉の伐採は始まったものと想われます。
屋久島の島民は、其れまでは、屋久杉は神の宿る木として、恐れて伐る事はしなかったらしいのです。
泊如竹は、5歳の時に屋久島を出て、偉い人に成って屋久島に帰って来て、島の人達の信奉を得ました。出身地である安房には、山の谷川から、村落まで水路を引いて、村民の生活を便利にしたので「如竹堀」と言う名の堀の後が、現在でも残っています。
 また泊如竹は、島民の貧しさを見て、屋久杉を切って、本土に送る事を考えました。島民に、其の事を云うと、島民は「屋久杉を切ると 神様の罰を受ける」と云って、恐れて伐る事をしません。
如竹は、其処で一計を案じ、島民に云いました。
「では 斧を木に立て掛けて 一晩置きなさい。そして朝見に行って 斧が倒れていなければ 神が切っても良いとの応えだから。」と教えました。
その通りに島民がすると、斧は倒れていなかったそうです。
それから、屋久杉が切られて、本土が運ばれる様に成ったという事です。
 其れだと、屋久杉が伐られる様に成って、370年程だと言う事に成ります。其れまで、屋久杉は神の住む木だったのです。
現在でも、神社に生えている大きな杉の木は「御神木・神籬」とされていますが、昔は神社の木だけではなく、山の木は、神の化身であり、森は、神の住む地だったのでしょう。・・・
「木霊・きたま」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/132.html

2004/7/2・・何ケ月か振りに、昨日の朝に続いて、今朝も自宅近くに在る「泊 如竹」翁の廟に参詣した。
そして廟の前で、昨日は「老後のくらしを 整えよ」と出たが、今朝は「損して徳を取れ」と告げられて来た。
「損して徳取れ」とは、我々がよく耳にする言葉だが、私はその言葉の意味を、深く考えた事が、今まで無かった。
家に帰って、早速辞典で調べて見ると、「損」は「手で物を落とす」の意味から、「へらす。そこなう。」の意味、とあり、「徳」は「真っ直ぐな心で行く」の意味から、「真っ直ぐな心で 人生を歩む」の意味とある。
これらの意味から察すると、「己の利を考えずに、たとえ損をしても、天に通じる真っ直ぐな心で行動していれば、徳が養われ大徳の人間に成れる。」との理・ことだろう。
 私の人生を振り返って見れば、私は自分の、問題解決の決断をする時、何時も損な方を選んで来た。
自分が得をする方を選ぶ事は、相手が損をする事に成る。
私は、自分が得する件であっても、相手が、私の為に損をするのであれば、心が苦しく成るのである。だから、その都度、私は自分の財産や家族を失って来た。それを続けて来た為に、現在では、家族も財産も無い。
しかし、不思議と、生活を続けるのには、何一つ不自由な事は無い。
其れは、私に人徳が備わって来たからであろうか。
 自分で、自分の事を「徳有る人間」と言うのは、徳の無い話しなのだが、今朝のテーマを解釈する為には、仕方が無い。
私が、損をした物事でも、本を辿れば、最初から、私の物であった物等、只の一つも無いのである。其れは、私が、他の人から得た物であるので、自分自身が損した事にはならないのだ。
 人間は、此の世に出生した時は、丸裸で生まれて来て、死ぬ時には、其の身体さえも持って帰れないのである。
残るものは、唯一、自分が育てた魂しいだけである。
その魂しいに、徳が有るか無いかが、人生の最大の課題(テーマ)なのだ。
徳が備わった者は、君子・聖者と評されるが、其れは、天に通じているからである。天に通じる生き方には、損が付いて回る。それは、仕方のない事なのだ。・・・
「損して徳取れ」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/498.html

2015/1/2・・今朝のメッセージの映像は、先ず、私が数人の人達と一緒に、村内に用水路を引く工事をしている場面から始まった。
そして、作業が終わってから、自分が脱いでいた作業着の上着を、自分が置いていた場所に取りに行くと、其の上着が見当たらないので、村の物置場に向かった。そして、倉庫に着いて中を捜すと、古着が積んで有る場所が有って、其の古着の中には、自分の古着である「笹倉玄照堂」のマークの着いた物が何着か有ったので、其れを取り出して着る事にした。
 次の映像は、私が居る建物に、グローバル化で、世界中で会社を経営している50歳代の男性が私を訪ねて来て、「世の中が 激変して来て 自分でどうしたら良いか 判らない」と、相談をするのである。私は、話しだけではどう言う事なのか判らないので、其の男性の会社を視察に行く事にした。
 そして、其の、世の中の激変は、社会の質量・エネルギーの平均化を意味しており、現在の偏っている富の一方的な集中状態から、豊かな者から富を取り上げて、貧しい者に分け与える天神(てんのはたらき)が始まる事を、意味している事が理解されて来た。
其れは、旧約聖書に有る預言を意味している事が判った。・・・
「神に拠る平等化」http://green.ap.teacup.com/20060818/3316.html

2002/7/21・・人手が入った事の無い森林は、様々な種類の木の混合林である。
一度人の手が入ると、繁殖力の強い、生命力旺盛な種だけの森になってしまう。
自然の森は、小鳥や蝶や蜜蜂などが、一年中、餌にあり付ける様に、時期をずらして花や実を付けている。森林の働きは、何種類かの樹種が絶滅してしまうと、他の生命系にも影響を与えてしまうのである。
私達人間も、地球に住む同じ生命として、「もっと 樹木の事を考えなさい。」との今朝のメッセージだったろうか。
私は、屋久島で一番、木の世話になった人間なので、この様な役目が回って来たのかも知れないのである。
「枝を伐られた大木」 http://star.ap.teacup.com/170606/330.html

2003/5/28・・屋久島に「泊 如竹 翁」が帰るまでは、島の屋久杉は、神の宿る木と考えられており、伐り倒す事は無かったと言う。
樹木に、神が宿るとの考えは、屋久島だけではなく全国に在り、世界の文化の中にも残っている。特に、日本の神社には、御神木として樹木が植えられている。寧ろ、大樹が生えていない神社は、神社の値打ちが無い程に、受け取られている程である。
 私は、世界自然遺産に登録された屋久島に生れ、子供の時より、島の山でよく遊んで育った。特に。安房の「明星岳・みょうじょうだけ(ボツタケ)」と船行川は、私の遊びのフィールドだった。
よく明星岳には登ったし、夏には、毎日のように船行川の上流で泳いだり、「ハジクロ(川ハゼ)」を釣って、鰻の罠を掛けたりして遊んでいた。
何処へ行っても、頭上には樹木の枝があり、視界は緑一色だったと言っても過言ではない。一年中、木の実が熟したら食べていたので、私の肉体の細胞は、何分の一かは、木の実で育ったと言えるのかも知れない。
 其の私の遊び場も、小学生の頃より木がパルプ材に伐られ始め、自宅の裏山から順々に、ハゲ山と成っていった。私が産れた、実家の前が道路に成っていて、一日に二回、伐った木を積んだ馬車が、数台通っていた。
明星岳は、私の子供の時には、未だ手付かずの自然だったのである。
そんな環境の中で、育った私の魂しいの原風景は、アフリカの「ゴリラ」や「チンパンジー」と、違わないのかも知れない。
私にとって、樹木の存在は、ただの木ではなく、意識の育ての親か、魂しいの寝床の様な役割を、果たしているのではないだろうか。
ゴリラや、チンパンジーにとって、森の木は、食物であり、寝床(ベッド)でもある。私の意識は、彼らと、似通っているのではないだろうか。
私の母親の話しでは、島に引っ越して来て間も無く、近所の人が「頭の良い子供が産れるから 是を食べなさい」と言って、屋久島で捕れる鹿か猿の獣の脳味噌を持って来たとの事。
屋久島に、渡って来たばかりの両親は、親戚も知人も居ないので、島の人の言う事に逆らう事は出来ない。母親は、気持ちが悪かったけど、我慢してそれを食べたと云っていた。
私が、産れる4、5ヶ月前の事なので、私の細胞の記憶の内には、獣の脳味噌の遺伝子も混ざっているのだろう。
其の所為か、私が瞑想を始めたら、最初に、猿がイメージの中に現れたので、猿の記憶が蘇ったと考えられる。私が、木の実を好む事と、木登りが人一倍上手な事は、猿の遺伝子の作用なのかも知れない。
 私は、椎の実、樫の実、桑の実、山桃、ほうとうの実、ササブッチョ、車輪梅の実、野イチゴ、其れと庭や畑に植えられていた普通の果物、桃、枇杷、バナナ、時計草(パッションフルーツ)、みかん類(タンカン、ポンカン、赤みかん、クロシマ、テンゴミカン、カワバタ)等、一年を通じて、何かの草木の実を食べていた。私は、年間を通じて、何かの果実を食べていたので、自然の中で生きて居たと言えるだろう。・・・
「樹木霊」http://moon.ap.teacup.com/20061108/473.html

2016/1/14・・次の映像は、屋久島の安房川の河口の、「泊如竹翁 廟」の前の砂浜で、大量に捨てられている塵を、私が25歳の時から五年間程仕事を手伝った、東京の故「河合養治」と二人で燃やして居ると、堤防の上を近所に住む「時さん」が通って、「其処の波打ち際に 海底に通じるパイプ・筒が有るので 気を付ける様に。」と云った。そして、波打ち際を視ると、確かに、人間が潜って入れる程の大きさのパイプ・筒が、海底に続いていた。
 次の映像は、高さは同じだが、大きさの異なるテーブルが10程長く並べられているのが映し出されて来て、私は其のテーブルを、手前から大きい順番に入れ替えて、大きな樹木の縦割り板の様な形に揃えて居た。
そして、机を並べ終えると、其のテーブルの繋ぎ目が、竹の節と関係が有る事が示されて来て、「27年」との言葉が告げられて来た。
次に、昨日のメッセージの映像で、記号・数字・文字等が二~三文字組み合わされている単語の様な物が、横書きで澤山並んでいる画面が映し出されて来た事と、関係が有る場面が映し出されて来た。
其れは、昨日の映像では、記号・数字・文字等が二~三文字組み合わされて、横書きに並んでいる物であったが、今朝の映像では、顕かに文章の題・テーマである横書きの短い文が、縦に20~30項目程、並んでいる場面が映し出されて来て、其れは、私が是から、取り組んで行かなければ成らない課題である事が理解された。
次に、伊勢の宮川の上流に存在する「瀧原宮・たきはらのみや」の、鳥居の前の道路に私の意識が存在し、支流の「頓登川・とんどかわ」に架かる「頓登橋」を視ている場面が映し出されて来た。
そして、最後に「はっしょうでん・発生殿」との言葉が告げられて来た。
 其の「発生殿」との言葉と、「節の有る長いテーブル」と、新しい文章の「題・テーマ」の存在を考えると、昨日のメッセージで「八割の縁」が紐解かれていない理・ことが示されて来た事と関係が有って、新しい情報の発信基地・殿が必要であり、其の事に付いて、此の私が、何等かの対策を採らなければ成らないと言う事ではないだろうか。・・・
「発生殿」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/632.html

2001/2/21「神籬(ひもろぎ)」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/70.html
2002/9/14「禊がれる」http://moon.ap.teacup.com/20061108/194.html?rev=1
2006/5/29「母系社会への復帰」http://star.ap.teacup.com/170606/915.html
2009/6/6「食国の政」 http://star.ap.teacup.com/20060505/78.html
2003/2/7「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
2017/1/17「大は小を兼ねる」http://green.ap.teacup.com/20060818/4118.html
2008/6/28「泊如竹翁354回忌の催し」http://moon.ap.teacup.com/20070607/60.html

今朝のメッセージの映像に、「岡本博臣」君の弟が出て来た事には、特別な意味が有るのだろう。
岡本博臣との名前は、「岡の本 博(ひろく)臣(大きな目)」との意味なので、岡の本で、広げる大きな目(意識)と成り、其の弟が「御通夜(冥府)」が行われている表の部屋から、裏の勝手口に来て、台所の婦人に何かを伝える場面は、「冥府・黄泉の世界」に通じる為には、食べ物が大事であるとの理・ことを示唆しているのではないだろうか。

日本の風習では、御通夜の席に出される料理は「精進料理」であり、動物性の材料は仕様されない。
其れを考えると、私が今朝の映像で、右手に提げていたポリ袋に入った品物は、果物だったのかも知れない。

今朝は、泊如竹翁で検索した中に、次の文章が有った。
其の内容からすると、私の弟である故「農夫成・のぶなり」の霊魂も今朝のメッセージに関係が有り、冥府・黄泉の国で、其れなりの役割を果たしていると言う事なのかも知れない。

2015/2/28・・今朝のメッセージの映像は、未明に、昭和54年11月26日に29歳で亡くなった弟「農夫成・のぶなり」が、母親と一緒に地面に屈んで、何かの紙を燃やしている場面が、映し出されて来た。
そして、其の場所が何処かと意って、場面を拡大すると、其処は安房の「泊如竹翁」の廟が建っている場所であり、洪水か津波の災害に遭って、安房の海岸地帯は全て、砂利だけの新地に成ってしまっているのである。
其の映像だけで、他に何も映し出されて来ないので、私は、人間の意識とは、文字で記されて、伝え続けられている物であると言う事が理解でき、町や集落が存在して、文化が伝え続けられていなければ、動物と同じく人類も、頭は真っ白と成る理・ことが理解されて来た。
そして、其れこそが、釈迦仏陀の訓えである法華経の中に有る、「十二因縁起」の内容であると自覚していた。
 何故、今朝の場面で、母親と弟が紙を燃やして居たのかを考えると、母親は屋久島に夫婦で渡って来てから毎日、日記を付けていた。其れは、結婚するまで、三菱銀行に勤めて居た事が、習慣化していたのであろう。
だが、二番目の弟「正成」が結婚して、実家に一緒に暮らす事が決まった時、家の事を、嫁に知られるのが嫌だと意って、全て焼却してしまったのである。
私は、其れを後で聞いて、真に残念な事をしたものだと思った。
其れに、私の亡く成った弟は、小学一年生の夏休みに、40度を超す熱症の病気に罹り、一命は取り留めたのだが、脳に障害が残って、其れ以上の学問が出来ず、母親に習って日記を書き始めたが、其れは入学してから一学期で習った、月日の数字と、平仮名のたどたどしい短い文章だけであった。
其の弟が、紙を燃やして居たと言う事は、弟本人の事だけではなく、人間全体の意識の在り方を示唆しており、旧約聖書の「智慧の実を食べる事を勧める蛇」の物語と同じ理・ことわりを、示唆しているのではないだろうか。
其れに、其の場所が実家の庭ではなく、安房の「泊如竹翁」の廟が建っている場所であったのは、子供頃から私に、其の「泊如竹」の霊魂が依り憑いて居て、私を精神世界に引き込んだ事を示唆しており、私の是までの行為が、泊如竹の霊魂の供養と成った事を、示して来ているのかも知れない。
 其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日の「総括」の続きであり、「魂魄・こんぱく」の概念さえも、消去されている事に成る。
何故なら、私の弟には、其れ等の「言葉・語句」を認識する事さえ、不可能だったからである。・・・
「釈迦の十二因縁起」http://green.ap.teacup.com/20060818/3376.html
「12因縁起の内容」http://wave.ap.teacup.com/20060106/

泊如竹翁が死亡した1655年5月25日の命日まで、残り6日である。
362年前に死亡した其の泊如竹翁の御霊も、「仏陀釈迦」に続いて、漸く是で解け消えるのかも知れない。

今朝のメッセージの映像では、私が、幾つもの現場の動きに関わりを持っており、夫々の分野のリーダーと打ち合わせをしながら、事を進めている様子が映し出されて来た。

其の場面は、昨日のメッセージの映像で、長いテーブルに20名程の男性が着席している場面が映し出されて来た事と関係が有り、「四次元世界・黄泉の国・冥府」では、新しい次元に向けて何等かの事が、本格的に始まっていると言う事であり、其の「黄泉の国・冥府」に対して、新しい呼び名を命名し、其れを世界中の人々に理解出来る様に訳す必要が有ると言う事ではないだろうか。

何故なら、其れが世界中に人間に理解され、しっかりと認識されなければ、新しい御世が創造される事が不可能だからである。

                    平成29年5月19日

                          礒邉自適

氏素性

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     氏素性
                   29・5・18

今朝のメッセージの映像は、私が何処かの会合に参加しており、一人の60歳位の男性に目が止まった。
其れで、其の男性の職場を訪ねる事にしたが、名前も住所も判らないのである。

手掛かりは、消防に関する仕事に携わっている事と、其の職場の地区名だけである。
私は、摂り合えず其の地区に向かう事にして、バス停で、其の地区に向かう路線を訊ねて、其処行きのバスに乗り込んだ。

処が、降りるバス停の名前が判らないので、行き過ぎた所で乗り換えて、引き返す羽目になった。

其れから、漸く其の地区に有る消防所の建物に到着したが、其処で働いて居る人物の中に、其の男性が居ないので、何処に所属しているのかを訊ねるのにも、名前と役職や部署が何も判らないので、訊ねようが無く、困っている処で其の場面は終わった。

次の映像は、長いテーブルに、向かい合わせに20名程の中年男性が着席している場面が映し出されて来て、私の意識は手前の中央の席に座って居り、皆が揃ってから挨拶を始めた。

其の挨拶は、通常の「本日は お忙しいなか 遠方から集まって戴き 有難う御座います。」と始まり、「未来創造に関して 皆様のご意見を伺いたいと思います。」との事で、最後には「では 遠藤家の代表からお話しください。」と謂って居た。

私は、其の「では 遠藤家の代表からお話ください。」との言葉から、何故、自分の母方の祖父である遠藤家からなのであろうかと思って居た。

今朝のメッセージの映像で覚えているのは、其れだけである。

今朝のメッセージは、人間の名前や職業、其れに住所や血筋に関して示されて来ている様なので、文章の題は「氏素性」とした。

2002/1/31・・現在・いまの若い人の間では、「氏・うじ、素性・すじょう」の言葉は使われなく成ったが、一昔前は、一番良く使用された言葉である。
昔の人間社会の有り様は、現在の様に金の力が強くなく、社会の仕組み・システムの方が大事に考えられていたので、素性の知れない者は、信用が無かったのである。
「氏、素性」の意味を、辞典で調べて見ると、「素」は初めからの糸の意味で、「姓」は「かばね」で血統や家系の由来を示す呼称とあり「氏」は、姓から別れた家を意味する。と 載っている    (漢語林)
「氏、素性」とは、血統と家系の意味で、素性を確かめる事が、大事とされていた理・ことが理解できる。
人間は、生まれながらの血筋と、家柄、又その生育環境で、人格が作られて行く。その為に、家訓が考えられ、結婚も家柄が大切にされて来たのである。
 其れが、近頃は「氏、素姓」を持ち出すと、差別だと、悪い風に受け取られて、なかなか言え無く成って来た。戦後は、民主主義の名において、全てが無し崩しと成って、立派な人間、大人物が育たなく成って来ている。
全ての人間が、平等である理・ことが正しいと成って、大きな人物を育て上げる力・エネルギーが、社会から失われてしまったのである。
 指導者の条件が、大道を進むのでなく、民衆の人気取りの方向へ移ってしまった。其の事が、今日の政治の世界や、教育の世界で、行き詰りを見せて来た原因となっている。
家柄や素姓が良くても、金儲けが出来ない人達は、段々とじり貧と成り、力を失ってしまう。
素性が良くなくても、経済的に力を着けた者が、政治や教育制度に影響を与へ、品格を落してしまっているのだ。
其の結果、正しい者は誰なのかの、区別が付かない処まで、社会は混迷を深めてしまった。
お手本に成る人物が、ハツキリと登上し、人々の目の的と成らなければならない。その為には、指導者に成るべき人物を捜し出し、環境を整え、指導者が正しく指導出来る世の中を、造り上げなければならない。
人格とは、なかなか一代ぐらいでは、築けるものではない。
昔から、「成り上がり者」と言うのが、其の理・ことである。・・・
「氏・素性」http://moon.ap.teacup.com/20061108/156.html

2009/12/28・・そして、私が、人生の纏めの感想文と言うか、辞世の詩の様な物を書こうとしていると、私の背後に付いている女性が現れ、水が張られている屋久杉の丸いお盆を出して来た。
私が、其のお盆の底を透かして見ると、「マンママリア」との文字が、書かれているのが映し出されて来た。
私の母の、祖父母は新潟県長岡市出身で「遠藤」である。
遠藤姓の由来は、遠江国(静岡県)の藤原氏とされている。
つまり遠藤も藤原氏の流れなのである。
其して藤原氏の元は、「中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇に賜った「藤原」の姓が、子の藤原不比等の流に認められたのに始まる。」とあるので、天智天皇に関係が有る事に成り、岩戸開きに関わった「天児屋命(あめのこやねのみこと)」の子孫であるとの事。
・「天児屋命(あめのこやねのみこと)」は、日本神話に登場する神。神社の祭神としては天児屋根命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。居々登魂命の子。岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際ニニギに随伴し、中臣連などの祖となったとされる。
名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰された。祝詞の神、出世の神ともされる。 
       ―引用終了―  ウィキペディア辞典
此の「天児屋命」の名前の意味からすると、「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味なので、「公家・おおやけ・大宅」の意味とは、反対の立場の「神・はたらき」であるとの理・ことになる。
其れは、大きな「役所・大宅(政府の建物)」で働くのではなく、小さな建物(社)に身を置いて、「託宣の神(はたらき)」を勤めるのが、藤原家の本来の役割であると言う理・ことに、成るからである。
 だとすれば、「藤原不比等」を祖とする藤原4兄弟が、天皇の側近と成って、「政・まつりごと」に深く関わりを持って行った事は、自分の血筋である天児屋命の役割から、外れている事に成る。
 其の事が、今朝のメッセージの映像にあった、「佐藤」には、澤山の文献が隠されているとの意味に、繋がるのかも知れない。
今朝の映像では、丸いお盆に水が張られて、底に文字が書かれているのが浮き上がって来た。
其れは、「天児屋命」が「託宣の神(はたらき)」を勤めていた事に関係があり、其の儀式を、復活しなければ成らないとの事なのかも知れない。・・・
「マンママリア・Mamma Maria」http://green.ap.teacup.com/20071223/743.html
2010/1/13 「環境は整った」http://green.ap.teacup.com/20060818/1404.html
 
遠藤家の事に付いては、此の文章で何となく理解がされてくる。

其れは、祖母・母の家系が「岩戸開き」に関わった血筋に関係が有るので、今朝の映像で未来創造に関わる人達が集まって居た会合は、新しい岩戸開きの準備であったと言う事に成るからである。

だが、今朝のメッセージの映像で、始めに、消防に関わる人物が登場したのは、3日前15日のメッセージに「焙烙苺」の蔓が映し出されて来た事と関係が有り、人間のカルマ・業の火を消さなければ成らない理・ことが示唆されており、新しい岩戸開きは、先ず、人間の業火を消す為の、禊ぎ祓いを行なった人々が集まる必要があると言う事なのであろう。

いま、何故其れが「焙烙苺」でなければ成らないのかと意い、「苺」の漢字を調べると次の様に漢語林に載っている。

「苺・ボウ・バイ・マイ」【解字】形声。「艸+母」音符の母は、乳ぶさのあるははの意味。ちくびのような形の実のなる、いちごの意味を表す。
【字義】いちご。くさいちご。莓は俗字。

「莓・バイ・マイ」【解字】「艸+毎」音符の毎は、母親の意味。母親の乳くびのような形をした、いちごの意味を表す。
【字義】①いちご。=苺。②こけ(苔)。③莓莓は、草や田畑が青々として美しいさま。

此の「③莓莓は、草や田畑が青々として美しいさま。」との説明からすると、3日前15日のメッセージで、焙烙苺の若葉が映し出されて来てから、次々に周囲の景色に若葉が広がって行った様子は、正に其の莓の漢字の意味を表していた事に成り、生命の母が緑の葉である理・ことを、示して来ていた事に成る。

其れに、2009年12月28日のメッセージの文章に・・私が、人生の纏めの感想文と言うか、辞世の詩の様な物を書こうとしていると、私の背後に付いている女性が現れ、水が張られている屋久杉の丸いお盆を出して来た。私が、其のお盆の底を透かして見ると、「マンママリア」との文字が、書かれているのが映し出されて来た。・・との事を記している事を考えると、私の背後に存在する意識の正体は、屋久杉の森に棲む緑の母である「マンママリア・Mamma Maria」であると言う事に成り、「水」と「緑」の世界に、深い関係が有ると言う事になる。

其れ等の事を考えると、私の母の血筋の元である「天児屋命」は、「大祓祝詞(おほはらへのことば)」を奏上する立場の氏神であるので、其の役割がどの様な環境で育成されなければ成らないのかが、理解されて来る様な気がする。

今朝のメッセージの関して、私が思い至る事は、世界の人種・DNAの配分に付いてである。
其れを考えなければ、新しい未来社会を創造する為の、人選が上手く行かないと言う事になるだろう。

2003/9/27・・私が、メッセージを受け始めた最初の頃、映って来た場面に、人類の「宗親・もとおや」らしき霊が現れた事がある。
其れは、山中に在る昔風の古い家屋に、座敷と土間があり、その土間に輪切りの丸太の椅子が有って、三名の男性が座って居た。
其の三名は、インディアン風の男性と、白人と、黒人の代表みたいに見えた。
其の三名が静かに座っていると、中国人風の男性が遣って来て、履物を脱いで座敷に上がり、無言で座った。
すると、それを待っていた三名が、土間の椅子に腰掛けたまま話を始めた。
話の内容は、自分達の子孫を、どれだけの割合で残すかの相談だった。
そして、三名の話し合いが終わると、座敷に座っていた男性は、又無言で立ち上がり、履物を履いて静かに帰って行った。
現れた男性は、四名とも魂のレベルが高く、完成された人格なのは、誰の目にも明らかな程、調っていて矍鑠・かくしゃくたる人物達であった。
 その様子は、映画でも見た事が無いし、小説の世界でも描写されていない光景である。
私が、何故、その様な場面を見せられたのかは分からなかったが、今朝「宗動」との文字が映されて来たので、18年も前の映像を思い出してしまった。
「宗霊・みたまおや」が、動き出す事が、人類にとって、吉い事なのか、悪い事なのかは、私には判断出来ないが、人類全体の未来にとっては、喜びの方に向かうのであろう。
しかし、整理される余分な血筋は、どの様に反応するのだろうか。
 野鼠・のねずみは、仲間が繁殖し過ぎると、一部の仲間を種として残し、残りは集団自殺をして、食糧難から全部が死滅する事を回避するという。
現代社会の人類の状況を考えると、異常発生した野鼠と、同じ状態だとも言える。
第三次世界大戦が起こり、若し、核が全部使用される事に成れば、集団自殺をする事に成る。
私が、18年前に見せられた映像は、其の場面だった。
「人間が 此のままの状況で進めば その様にさせるしかない」との、神の意志だったのである。
その事で、人間に核を創らせたのも、神の意志である事が解った。
野鼠の行動の背景にも、神の意志が働いているのである。
人間自身が、生き方を変えれば、野鼠の様に種族を残す事が出来るのである。それは、一見薄情な様子に見受けられがちだが、全体的に長いスパンで見れば、理に適っていると言える。
 野鼠が、皆で話し合って、行動に移るのではなく、全体の潜在意識の中に、其のプログラムが内蔵されているのである。
其の、内蔵されている力こそ、神が介入している世界であろう。
人間の存在は、数が多ければ良いと言う分けでもない。
人間は、神の意識に拠る物を、積み上げて行く、仕組みの一部なのだから、其の役目を果たさなくては、存在する意味が無いのだ。その役割を果たすには、数だけが多くても役に立たないのだ。
 エジプトの死者の書には、「此の世には、一人の『霊止・ひと』の為に、何千人もの土を捏ねて作った、泥人形の魂の人間が存在する」と、載っている。
其れ等の、泥人形(土霊・どれい・奴隷)の魂の人達は、役目が終われば、土に還されてしまうのだ。
私の意識が、此処までに育つのに、どれ程の人達が働かされたのであろうか。当の本人達は、自分の意識があると意っているのだろうが、それは、神がその様に思わせて、人間を使用しているだけなのである。・・・
「宗動・血筋を別ける」http://star.ap.teacup.com/170606/119.html
2005/8/16「別け御霊」http://star.ap.teacup.com/170606/549.html?rev=1

2001/3/2・・印象に残ったのは、王家の人々の顔立ちが、大変高貴な相である事だ。現代の、日本の政治家などとは、格が違うとでも言おうか、昔の王たる者が、どんな波動を持っていたかが、想像できる物であった。
今回の見学で学んだ理・ことは、遺された人物像には、漏れ無く二通りの名前
が記されている事である。
一つは本人の名前であり、もう一つは、その人の役割や仕事名である。
どんな人にも、この二つの名が有ると言う事は、全ての人間に、個人的存在意義と、社会的存在意義、すなわち地位が認められていたと言う事だ。
 展示されている像の中には、極端に、足が短い男性の像が有ったが、その男性にも妻が有り、二人の子供も有った。其れで、古代エジプトの社会では、身体障害者も、平等に扱われていた理・ことが理解出来る。
人間は、役割を与えられ、その役割を果たす喜びを知ると、目的を持って生活が出来る様に成る。・・・
「エジプト展を見て感じたこと」http://moon.ap.teacup.com/20061108/80.html

今朝のメッセージは、未来創造の為の会合が始まり、其の事で口火を切らなければ成らない役柄は、祝詞を製作する「天児屋命」であり、私の役割は関係者を召集して、司会進行をする立場であった。

其れは、「石部・いそのかみ(磯部・物部)」の役割が何であるかが、示されて来ている事に成るのであろう。

2014/6/27・・今朝の、愉伽さんのビジョンには、「石部・磯部・礒辺・磯辺・礒部・礒邉」の文字が幾つか続いて現れ、次に「カド族」であると言う人々が、黒い服を着て、右側から左の方へ、静々・しずしずと御幸の様に、歩いて行ったとの事である。
そして、最後に「先見の明」との言葉が示されて来たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンは、私の名字である「いそべ」が、カド族である事を示唆しており、其れが右側から左側に向かって、静々と歩いて行ったと言う事は、私の6月21日のビジョンに、黒い服装で神輿を担いだ人々が、左の方に返って行った事と関係が有り、カド族の御霊達が、神界に引き上げた事を示して来ているのであろう。
カド族の「カド」とは、「帝・みかど・御門」の事であり、イスラエルの十二支族の中の「神官」を司る一族の事であり、其の風習・習慣が日本に渡来して来て、天津神の「天皇・みかど」と成っているのである。
今朝の愉伽さんのビジョンの内容は、昭和天皇の長男である「加治木義博氏」が、私が、淡路島の住いを初めて訪ねた時に、「石部・いそべが 本当の天皇の血筋である」と謂っていた事が、本当の事である理・ことを示して来ている。・・
「能く吟味せよ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3112.html

               平成29年5月18日

                     礒邉自適

心機一転

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    心機一転

                       29・5・17

本日5月17日は「世界電気通信の日」であるので、今朝のメッセージは、其の事に関係が有りそうな件が映し出されて来た。

今朝の映像は、先ず、横に並んだ三つの世界の、右端の世界が開けられ、映像が映し出されて来た。

其の映像は、少し傾斜の有る農地で、トラクターで丁寧に耕作された黒土の畑の様子である。

其の農地には、草一本生えていないので、大雨が降れば、柔らかい土が流失してしまい、畑が使えなく成ってしまうので、周囲に溝を掘り、畑の中にも配管をして、雨水を排出し、土の流出を防がなければ成らないと、私は考えて居た。

次に、私が、冬期に蔓が枯れている自然薯を掘る場面が映し出されて来て、土を掘り始めると、其処は、人工的に、地面の中に透明のポリ板の仕切りが為されており、右側の方の根塊は自然であるが、左側の根塊には接木が為されたテープが巻かれていた。

次の映像は、私が誰かと待ち合わせをする為に、赤紫の絨毯が敷かれている高級な喫茶店に出向き、カウンターに座ると、其の店のマスターは同年代の男性で、私の知り合いらしく話し掛けて来た。

私の右側には、二席程の間隔を開けて、二人の男性が座って居り、ケーキの様な物を食べながらお茶を飲み、話をして居た。

暫くすると、私が待ち合わせをしている男性が遣って来た。
其の男性は、髭を生やした50歳くらいの男性で、三脚が付いた取材用のカメラを抱えており、近付いて来ると、私の右側に座って居た二人の男性と知り合いであり、三人で立ち話を始めた。

私は、其の様子を見て、席を替えなければ成らないと意い、マスターに静かな貸切の部屋を用意してくれる様に頼んで居た。

今朝のメッセージの題を、何にしようかと考えたのだが、テーマがはっきりしないので、決めようが無い。

取り敢えず、取材用のカメラを持った人物が登場した事と、土中の根塊が接木されていた事で、何かの根本的な事を切り替えなければ成らないのだと思ったので、心機一転との言葉を使用した。

今朝のメッセージの映像を、私し成りに解釈すると、最初の場面は、人間の存在や活動で、最も重要な課題が、三つ有る事が示されて来ており、一番右側が、地球の大地の管理である事が示されて来ているのであろう。

其れは、縄文時代の生活や、現代まで続いている放牧民族の生活には関係が無いが、農耕社会と成って、定住生活が始まり、人口が激増した事と関係が有るのだろう。
2013/2/7「苆の亀甲紋」http://green.ap.teacup.com/20060818/2587.html
 
次の、「・・冬期に蔓が枯れている自然薯を掘る場面が映し出されて来て、土を掘り始めると、其処は、人工的に、地面の中に透明のポリ板の仕切りが為されており、右側の方の根塊は自然であるが、左側の根塊には接木が為されたテープが巻かれていた。・・」との場面からは、次の様な事が考えられる。

其れは、最初の三つの世界の真ん中の世界と関係が有り、人間の精神界の事が、示されて来ているのではないだろうか。

1、現在の人間社会は、本来の精神界が冬枯れ状態である。

2、精神の中心的存在である、芯柱と成るべき存在「王・皇帝・天皇・族長」が接木状態で、真の「天津日嗣・あまつひつぎ」の系統(血筋・霊魂・御祖神・統尊)を繋いではいない。

3、現在の精神的世界は、人工的な升目(思想・イデオロギー)に区切られてしまっており、本来あるべき人の道・法から外れてしまっている。

其れは、「イエスキリスト」が新しい王として降臨しても、当時のイスラエルの権力者が、自分の都合が悪いので殺してしまった事や、インド国で「仏陀釈迦」の教訓が立ち消えてしまっており、中国では「老子」の訓えが全く実行されていない事で明白である。

其れに、日本国でも現在の天皇の系譜は、神武天皇からの男系である仲哀天皇の息子「籠坂王(かごさかおう)、忍熊王(おしくまおう)」ではなく、神宮皇后と武内宿禰の間に生まれた「応神天皇・誉田別尊(ほむたわけ のみこと)」の血筋に、入れ替わってしまっている。

2012/10/29・・今朝のメッセージの映像には、何回も繰り返す様に、蚕を育てる桑の枝の様な植物が、刈り取られる場面が続いていて、何だろうと思っていると、突然顔は見えない、身体の大きな男性の姿が、身震いする様に起き上がって、「復権 発揚」との言葉が告げられて来た。
「復権 発揚」は辞書に次の様に載っている。
【復権】1 一度失った権利などを回復すること。
2 恩赦の一。有罪の言い渡しによって喪失し、または停止された資格を回復させること。
【発揚】1精神や気分が高まること。意気を奮い立たせること。「民族意識が―する」「士気を―する」2 威光・勢威などを盛んにすること。
 其れから、仕事をしている人の作業姿が映し出されて来て、最後に、算盤を持っている男性が現れ、私の方に算盤を見せて、玉を弾く仕草を見せた。其の男性は、50歳位の色白の長顔で、上品な雰囲気であった。
其の映像の意味は、是から、私に、幾つもの職業の人(部)の接触が起きて、算盤勘定(財務・会計)の役割をする男性が、登場するとの事ではないだろうか。
 今朝のメッセージの映像に、男性が、起き上がる・立ち上がる姿が現れて、「復権 発揚」との言葉が告げられて来たのは、一昨日のメッセージに看板が現れ、其の看板に「日本」の文字が有った事と、昨日、日本最古の神社とされている「大和神社・おおやまとじんじゃ」に参拝した事に、関係が有るのではないだろうか。
と言うのは、大和神社の主祭神が「日本大国魂大神・やまとおおくにたまのおおかみ」であり、「復活」の言葉を前に持って来ると、「復活 日本大国魂大神発揚」と成る。
 其れに、大和神社の境内には、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」が「伊勢の五十鈴川の川上に鎮座する まもなく大和に御遷遊ばされる」と書いてある。其の事からすると、磯部町の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の事が、繋がりを持って来る。
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、大和神社の、左右の神社の祭神は「八千矛神・大国主命(おおくにぬしのみこと)」と「大歳神」なので、大歳神は、食べ物に関係が有る神・はたらきである。
 昨日は、大和神社から「石上神宮」に参拝した。
そして、帰りに参道を歩いていると、燈籠と街灯の所で四度カモ・(神の電気信号)の反応が有った。其れは、私に世の中を明るくする、燈明の役割が有る理・ことを、示しているのかも知れない。
其れから、奈良の「春日大社」に向かったが、閉門の時間が迫っているとの事だったので、平城宮の朱雀門に向かった。だが其処も、駐車場に入る事が出来ないので、直ぐ近くの「くら寿司」で夕食をする事にした。
 其れから、法隆寺が有る斑鳩に向かい、キャンプが出来る山の方に向かって走っていると、雷が鳴って大雨が降って来たので、「道の駅 平群」に引き返して宿泊した。
 今朝のメッセージが変わっているので、PCで「平群・へぐり」を検索すると、次の様に載っている。
平群氏(へぐりし)は、武内宿禰の後裔と伝えられ、大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)を本拠地とした古代在地豪族の一つ。姓は臣(おみ)、後に朝臣。
『日本書紀』の所伝によると、応神朝から軍事氏族としての活躍が見え、履中朝に平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)が国政に携わるようになった。葛城氏没落後の雄略朝以降、木菟の子の真鳥(まとり)が「大臣」を歴任して一族の興隆を極めた。しかし、仁賢天皇の崩後、真鳥大臣は日本国王になろうと専横を極めて、国政をほしいままにしたため、天皇家をも凌ぐその勢力を怖れられ、稚鷦鷯太子(後の武烈天皇)の命を受けた大伴金村により、真鳥とその子の鮪(しび)は誅殺されたという(498年)。
 これ以後、平群氏の氏人はしばらく『書紀』から姿を消すが、用明天皇2年(587年)の物部討伐将軍として神手(かみて)の名が見え、この頃までに大夫選任氏族としての地位を得ていた。同13年(684年)10月の八色の姓施行に伴い、改めて朝臣姓を賜る。奈良時代には広成などの官人を輩出したが、その後は没落した。ウィキペディアフリー百科辞典
此の説明の「・・武内宿禰の後裔と伝えられ・・応神朝から軍事氏族としての活躍が見え、履中朝に平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)が国政に携わるようになった。」と有るので、やはり応神天皇は、神功皇后と武内宿禰の子供なのであろう。
神功皇后は、仲哀天皇の息子「籠坂王(かごさかおう)と忍熊王(おしくまおう)」の二人殺して、自分の子供を天皇にしているので、其処で天皇家の血筋は、入れ替わっている事に成る。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、男性が勢い良く立ち上がって「復権・発揚」と、告げて来た事の意味も理解されて来る。
今日は、法隆寺の受付が始まる9時を待って、夢殿を見学した。
すると、出口の所の塀に、聖徳太子の肖像が使われているお札が、並べられた額が飾られていた。私は、其のお札の種類を見ていて、今朝の映像で、算盤を持っていた男性は「聖徳太子」ではなかったのだろうかと想った。
其の様に考えると、其の男性の顔は、百済の仏像の雰囲気に合う様な気がする。
「復権 日本大国魂大神発揚」http://green.ap.teacup.com/20060818/2484.html

今朝のメッセージの映像に、何故接木が為されている根が映し出されて来たのかを考えると、本日が「世界電気通信の日」である事と関係が有り、日本の天皇家が「男子の万世一系」であると世界に発信すれば、其れが間違いである事が発覚し、世界中で信用を失う事になり、最後のチャンスである今回の「アセンション・次元上昇・未来創造」も、失敗と成ってしまうからであろう。

其れは、昨日のメッセージの映像に、美しく輝く万両の赤い実が映し出されて来た事が、世界全体・人類の未来を現すモノであり、現在の日本の天皇家の存在を中心に立てて動けば、シュークリーム(キャベツ)の花塔が立たないと言う事が、示されて来ているのであろう。

其れは、現在の皇太子が来年天皇に即位しても、本人の気持ちが、人類全体の事よりも、家族の事が最大事である様に見受けられるので、世界の心の御柱に成るとの事などは、理解できない領域である事が、考えられるからである。

2008/11/17・・其れが、昨日、私の意識から外に出て行った、新しき男性神の仕事であろう。そして、其の男性神も、やはり私の身体が無ければ、動きがとれないと言う事である。
今朝は、古い情報が全部片付けられ、神の意識の空間は、新しい敷物に取替えられ、真っさらに成ったのである。其の、真新しい敷物に意味を与えるのが、日本の伝統である「敷島・和歌」の世界であるのだ。
だからこそ、「すめらのみこと」の役割である天皇は、和歌を詠うのである。
其の第一義を果たすのが、天皇家の役割である。
其れを蔑ろにして、次の天皇に成るべき皇太子殿下が「雅子の人格が」と云って居る様では、世界どころか、此の日本の先行きも危ういものである。
 考えて見れば、今回11月11日に五ヶ瀬町に行って判明した事は、其の日が旧暦の10月14日で「天津神社」の1年に一回の大祭日であった事である。
そして、天津神社の参道を上がる途中で、私の右足に強烈なカモ(神の電気信号)が来た。其れは、「天津神社・あめのかみのやしろ」の祭神が、右足の働きを持っていると言う事に成る。
其の「天の神」の働きが、何であるかを考えると、「五ヶ瀬町」の町名は、神武天皇の一番上の兄である「五瀬命・いつせのみこと」に関係が有るのではないだろうか。
「五瀬」とは「稲穂・稲魂」の意味であり、其の兄弟には「三毛入野命・みけぬのみこと」の名が有り、高千穂神社の祭神と成っている。
其の「三毛入野命」の「みけ」は、「御食・みけ」の意味で「三毛入野命」とは「食べ物に侵入する神」の意味である。
其れは、兄弟の祖父である「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこほのににぎのみこと」が、此の国に稲穂を齎した事に繋がっているのだろう。
其のルーツを考えると、「天津神社」の祭神は、其の天津族の霊系の総元締めである可能性が有る。そして、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命・あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」と「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」との兄弟の祖母が「天照大神」である。・・・
「新しき畳の部屋」http://green.ap.teacup.com/20060818/953.html
2007/12/3「美智子柱が崩れる」http://green.ap.teacup.com/20060818/561.html
2008/7/10「神と言葉」http://green.ap.teacup.com/20060818/812.html
  
其れを考えると、確かに今回のプログラムが、一般人の接触の無い小部屋で、打ち合わせを行なう必要が有ると言う事なのであろう。
天皇霊其の一「天智天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/67.html
天皇霊其の二「昭和天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
天皇霊其の三「後醍醐天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
天皇霊其の四「神武天皇」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html

今日は、此処まで打った処で、前田氏より10時43分に電話が掛かったので、是からの事に付いて小一時間ほど話した。

              平成29年5月17日

                    礒邉自適

赤い万両の実

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    赤い万両の実
                      29・5・16

明日5月17日は、「世界電気通信の日」であるが、私の四番目の娘「嬰・みどり」の満24歳の誕生日でもある。

今朝は、PCを立ち上げて、ブログ「自適の今日」を開くと、女神の言葉で「すてきね」と一言告げられて来たので、私は「何だろうか」と思うと、其れは私が青空を背景にして、石楠花が咲く森の茂みの中に立つ、一本の枯れ木の幹の上に座っている一枚の写真に対して、発せられた女神の言葉である事が理解された。

どうやら昨日のメッセージで、私が、人間社会で発電した高圧電気に感電した事で、後ろに吹き飛んでしまった女神は、単なるメッセージであり、私の守護神である女神の存在は、直接には関係が無かった様である。

其れは、是まで「弁財天・サラスヴァティー」と名付けられていた「神(はたらき)」の世界であり、純粋な情報を入れる白いポケットが有る水の世界は、私が、人間界の穢れた高圧の「情報・カルマ・業」に触れると、其の情報が私の身体を通じて入力されてしまい、其の処理が不可能であるので、吹き飛んでしまうとの理・ことが、示されて来たモノだったのかも知れない。

昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に、広くて長い食卓が映し出されて来て、其の食卓の上に、作ったばかりで湯気が立ち上っている、中国の薬膳料理の様な食べ物が、次々に20~30品程、並べられて行く場面が映し出されて来た。

そして、眠ってからの映像には、暗い森の中に、赤く輝く美しい実をつけている低木が、一本だけ有る場面が映し出されて来た。

其れは、下方にさがっている万両の赤い実が、千両の実の様に上に実っている物であり、緑の葉は一枚も見えないで、全面に赤い実が、美しい赤珊瑚の宝石の様に、輝いている物である。

マンリョウ(万両、学名: Ardisia crenata)は、サクラソウ科(またはヤブコウジ科)ヤブコウジ属の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいのでセンリョウ(千両)などとともに正月の縁起物とされる。
形態・生態
高さは1mほど。同属のヤブコウジと似ているが、ヤブコウジは高さ10cmほどなので区別ができる。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。
葉は縁が波打ち、互生する。葉の波状に膨れた部分には、共生細菌が詰まった部屋が内部に形成されている。また、葉は光に透かすと黒点が見える。
花は白色で、7月頃に咲き、小枝の先に散形花序をなす
    ウィキペディアフリー百科辞典 2017/5/16現在

今朝は、其の赤い木の実の映像で、明日が24歳の誕生日である「嬰・みどり」の名前の事を思った。

2015/4/21・・5月17日は「世界電気通信の日」であり、私の四女「翠・みどり」の12歳の誕生日である。
其の「翠・みどり」の名は、言葉で「みどりこ」と告げられて来たものであり、「嬰児・みどりご」なので、「乳飲み子」の意味では、人名には合わないと考え、「緑」ではなく翡翠の「翠」を充てた物である。
だが、此の文章の内容を見ると「櫻・桜・さくら」に通じるので、「嬰・みどり」の方が正しかった様である。
「嬰・エイ」【解字】形声「女+賏」音符の賏・エイは、首飾りの意味。女の首飾りの意味から、まとう。めぐらすの意味を表す。
【字義】①みどりご。乳のみご。赤ん坊。②くびかざり。③めぐる。めぐらす。④おびる。まごう。また、まわる。⑤かける(繋)。つなぐ。また連なる。⑥ふれる(触)。⑦くわえる(加)。⑧女の子。⇔児(男の子)

「桜・櫻・オウ・ヨウ」【解字】形声。「木+嬰」音符の嬰・エイは、首飾りをめぐらすの意味。首飾りの玉ののような実をつける、ゆすらうめの意味を表す。
【字義】ゆすらうめ。ゆすら。桜桃。バラ科の落葉低木。春、葉に先だって白色の五弁花を開き、花後小果を結び、熟すれば濃い紅色を呈する。実は食用となる。国語。さくら。㋐バラ科の落葉高木。日本の国花。  漢語林より
今日は、風呂の中で寛いで居ると、何故、私が、森の中で安らぐと気持ちが良いのかが、理解されて来た。
其れは、森の中に座って居ると、人類が650万年前に、アフリカの中央部で森から草原に出た、直前の次元に、人間の記憶が還れるからである。
 其れは、チンパンジーと99%が同じ「DNA・遺伝子」の記憶が、環境と一体化する為であり、其れは神社で額づいて、榊の枝で頭上を祓う儀式の意味に通じており、人間の人間らしさが消去されて、生命の原点に意識がチャンネルし、記憶が復帰するからなのである。
 そして、其の次元では、チャンネルが湿気・潤いのある森の植物や大地と同調するので、DNA・遺伝子の記憶が、40億±2億年前の生命の起源まで辿り着き、岩を溶かしてDNAの鎖を繋いだ所まで返れば、其の岩の構成物質の周波数から、宇宙の始まりであるビッグバン現象の、光の源まで、記憶が蘇って来るのである。
其れが、「アカシックレコード・宇宙の記憶盤」と呼ばれて来た物の、存在なのであろう。だからこそ、釈迦牟尼は「真に頼れる物は 此の自分の肉体だけである」と謂っており、イエスキリストは「貴方達は『どこから来たかと』訊ねられたら、光の元から来たと答えなさい。『神は何物かと』訊ねられたら、此の大自然その物と 答えなさい。」と、謂っているのである。
 だからこそ、「神社」や「寺院」は木々が茂り、磐座・いわくらが有って、清水が流れる山岳地帯に造られるし、男性の修行は其の様な環境の場・グランドで行われて来たのである。
今朝のメッセージの内容は、私に31年前に起きた現象が、何であったかの説明が出来る・解答を得た事で、虹の螺旋構造の円錐体が完成し、頂点が出来上がった事で、底辺の84000の法門が開かれ、「煩悩即菩提・ぼんのうそくぼだい」の世界が、開幕した事が示されて来た様である。・・・
「シュークリーム」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3440.html

2013/3/10・・今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージに続くモノで、新しい御世の概念に付いて示されて来ている様である。
今朝のメッセージは、先ず、葬儀の場面から映し出されて来て、私は受付に出す香典袋に名前を書こうとしたが、名前の文字が判らないので、他の人の袋を見ると、名前である「みどり」の漢字に「美土寸」や「草土加」などと、てんでバラバラに書かれていて、どれが本当の名前なのか判らない。
私は、散々調べて見たのだが判らないので、墓に行って墓石に書かれている文字を確かめると「壽」の文字が有り、其れを「土 エ 加」とかの、三つに分けて書いている事が解った。
其れから、過去帳と言うか、先祖の系図が書かれている本が映し出されて来て、其の本のページが捲られて行った。
 次に、透明な血管の様な物が映し出されて来て、其の管の中をDNA・遺伝子を意味する、卵細胞の様な物が次々に流れて行った。其れは、寿命の「壽・寿」の漢字に、「みどり」の意味が有り、みどりが生命遺伝・継続に何等かの関係が有るらしいのである。
其の課題として、今朝は「壽」の概念から、「みどり」の存在は欠かせないとの事なのであろう。
 其れに、私は四番目の娘に、「嬰児・みどりご」の意味から、「翠・みどり」の名前を付けている。今「嬰・エイ」の漢字を漢語林で調べて見ると、嬰は「女+賏」の組わせで、音符の「賏・エイ」は貝殻を繋いだ首飾りの意味で、女の首飾りの意味から、まとう めぐらすの意味を表す。と載っている。
其の、「まとう めぐらす」の意味からすると、其れも「壽」の「長くつらなる」の意味と関連している。やはり、「苆の尾・すさのお」の概念は、的を射ている様である。
今朝、最後に「本番開帳」との意味の言葉が告げられて来たのは、「グリーンクラブ(みどりの会)」の動きが、表に現れるとの事でもあるのだろうか。
「壽・みどり」http://wave.ap.teacup.com/20060106/506.html

2016/5/17「処理・100時間」http://green.ap.teacup.com/20060818/3855.html
2016/5/16「48時間制度」http://wave.ap.teacup.com/20060106/664.html
2016/4/29「貨幣と精神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3836.html

此の「シュークリーム」の文章からすると、「嬰・みどり・嬰子(みどりご)」が誕生してから「12干支×2=24年」が経過するので、明日で「シュークリーム(キャベツ)」が開いて、中の花塔(電波塔)が外に出て、花(情報)が咲くと言う事なのかも知れない。

其の様に考えると、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、赤い宝石の様な実が、澤山実っていた木の存在は、神の世界が見事に熟した事が示されて来たと言う事に成り、昨日眠る前に映し出されて来た、食卓の上に並べられた澤山の料理は、其の前祝いを意味していたのではないだろうか。

2016/11/14・・今朝の映像で、赤い実を澤山着けた大きな千両が、建物の玄関口を覆う様に被さって来ていた映像は、是から、私の自宅に、何等かの吉兆が齎される事が示されて来ているのではないだろうか。
其れも天神(てんのはたらき)が、私に「借(しゃく)を返す」と言う事を示して来ているのかも知れない。
センリョウ(仙蓼/千両、Sarcandra glabra(Thunb.) Nakai)はセンリョウ科の常緑小低木。冬に赤い果実をつけ美しいので栽培され、特に名前がめでたいのでマンリョウ(万両)などとともに正月の縁起物とされる。
特徴
高さは50~100cm。葉は対生。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、茎の先に穂状花序をつくる。花には花被がなく、花軸に緑色の雌しべが付き、その側面に薄緑色の雄しべが直接出る変わった姿でをしている。果実は液果で10月頃から赤く熟し、翌年2月頃まで見られる。
被子植物であるにもかかわらず、維管束の木部は導管でなく、裸子植物同様の仮導管から構成されている。花の構造の特殊性と共に、この植物の原始性を表す特徴と考えられる。・・・
    ウィキペディアフリー百科辞典 2016/11/14現在
「しゃく(借)じゃ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4053.html

其れに、今朝女神が、私が木の上に座って居る写真に、「すてきね」と一言声を掛けて来たのは、樹木と人間の関係性を告げて来たモノであり、昨日のメッセージの映像で、桃の木の御神木が映し出されて来た事との関連性が想われる。

2002/9/20・・今日は「一人の涅槃」との文章を書き終わって、「グリーンクラブ」と書いたつもりが、「グリーンレスト」と、手は勝手に書いている。
其れは、私には頻(よ)く有る現象なので、早速「レスト」を調べて見た。
「レスト」は「レストラン」とか「レストルーム」の「レスト」で、「rest ①休息。停止。②音楽の休止符」と、載っている。
        有紀書房カタカナ語新辞典
是は、私に起きた現象なので、休息の意味であろうと想われる。
漢字の「休」は「人+木」の組み合わせで、「人が 木に寄り掛かって 休んでいる象形文字」である。
其の事からも解かる様に、木と人間のやすらぎは、一番身近な処に位置している。有名なインドのお釈迦さんも、厳しい修行を止めて、木に寄り掛かって「休息・レスト」した時に、悟りが訪れている。
樹木は、グリーンの代表である。
「グリーンgreen」は「①緑。若い。②緑地」と載っていて、「若い美しい緑」の意味だから、葉緑素が精一杯活動している状況を、描写している言葉だ。
「クリーンclean」も「①きれいな。清潔な②みごとな。あざやかな。」の意味だから、「グリーン」と「クリーン」は、元は同意語の様な気がする。
両方を兼ねている日本語が、「青い」とか「清々(すがすが)しい」の言葉ではないだろうか。
「嫌な事を全て止めて 清々(せいせい)する」との事が、「レスト」の意味であり、其れを 新緑の美しい時に行う。
此れが「グリーンレスト」の意味だろう。
そうであれば、冬枯れの景色では難しい事になる。
 東北の、冬枯れの景色の中で、木に寄り掛かっても、精神が引き締まって、逆に余計な事を考えてしまうだろうし、真白い雪景色の中で、清々しく成るのは、又別の状態なのかも知れない。
 釈迦牟尼仏や、イエスキリストの説法の場面には、雪景色が出て来ない。
悟りに必要なのは、身を引き締める事ではなく、身を弛める事なのだろう。
道元禅師も「身心脱落」と謂って、身と心を弛める理・ことを訓えている。
グリーン・緑の中で、レストして、クリーンな自分に成る。
其れに適した季節とすれば、4月から6月の間の、日本の気候は、最適と言えるだろう。
私が、3月5日から自然食を始めて、神の世界に入ったのは、丸三ヵ月後の6月4日であった。
其の時、屋久島は紫陽花の季節で、「時告鳥・ホトトギス」や「鴬・うぐいす」の鳴き声に包まれ、木の葉が出す芳香に含まれた、風香る季節である。
 丁度其の季節は、中年の男性が、五月病に罹る季節とも言われているので、グリーンの発するエネルギーは、人間の魂をクリーンにする力があるのだろう。
屋久島の自然は、年中緑で被われ、木々の中には、秋にも芽を出す種類も有る。年中、「フィトンチット(露、phytoncide)」が、満ちていると言えるだろう。
屋久島は、グリーンレストには、持って来いの場所である。
現在は、街の中に在る神社も寺院も、昔は人里離れた、山中に存在していたのだ。寺の名前が「○○山○○寺」と付いているのも、其の事の名残である。
 日常の生活空間から出て、山中に在る社や寺に行って、静かな気持ちに成る。
その儀式として、清い水で手足を清め、口をゆすいで手を合わせたり、柏手を打ったりする。それが「レスト」の儀式である。
日常の営みを止めて休息をする、その儀式的な禊ぎの言葉が、「レスト」の外国語に置き換わって来た。
此れは、屋久島の事が、世界に知らされる前触れなのかも知れない。
「 グリーンレスト」http://moon.ap.teacup.com/20061108/309.html?rev=1

2016/4/21「猿人・さるひと」http://green.ap.teacup.com/20060818/3824.html
2016/1/10「セカンドライフ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3721.html

『安らかな手枕』

貴方は 釈迦牟尼佛の様に 安らかな意識で
昼寝ができる 状況に 自分を持ち込んで来ました

ですが 其れは 全ての事が
完結したからと 言う事ではなく
貴方に 余裕が生まれたと 言う事でしかありませんよ

何故なら 事は 何も終わっていないからです

全ての事は 是からなのです

ですが 貴方自身が 其の出来事の中に
呑み込まれては成らないので 
此処までの 貴方の成長と完成が 必要だったのです

此処から 先の事は 
仏陀釈迦も 老子も イエスも 行なえなかったのです

其れを 貴方が自身が 行なわなければ成らないのです

ですが 貴方自身が 世間に直接関わる必要は有りません

其れこそが 統尊(すめらのみこと)の真実の役割なのです

ですから 貴方には 皇帝の座椅子は 必要ありません

貴方に必要な物は 現在の生活に みな揃っているのです

其の様に言えば 貴方の事ですから 全て理解できるでしょう 」
http://moon.ap.teacup.com/applet/20060103/postmsg

此の、突然に割り込んで来た女神の言葉は、今朝「すてきね」と告げて来た言葉の続きと成る様な物のようである。

此の女神の言葉からも、明日5月17日「世界電気通信の日」から、何かの事が始まるのであろう。

2007/10/3・・次の映像は、赤い実の着いた万両の木が、道路の左側の土手に、等間隔で生えているのが映し出されて来た。
其の意味は、赤い実が成るのには、ある間隔が必要であり、其れに接触するのには、道を、自分の足で進んで行かなければならない理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の意味を伝えるのに、万両の木が使われたのではないだろうか。
 そして場面が変わり、洗い桶みたいな器な中に、人間の両手が入れられて、何かの作業をしているのが見え、人間は、御魂の進化の為には、何事も、自分の手で行なわなければ、身に付かない理・ことが示されてきた。
其れは、他人が体験した事を、ただ見聞きするだけでは、自分の魂しいの進化には繋がらない理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の点に於いては、私は、机で他人が考えた事を読んだり、他人の体験した事を覗いたりするのではなく、自分自身で、様々な体験を積んで来ていると言えるだろう。
 次の映像は、素焼きの深皿が次々に現れて、左の方へ移動して行くのが映されて来た。其れは、マントラのトラ(容器・サラ)の意味を表しており、言葉が、ようやく私の意識の中で消化され、跡形が無くなった事を、意味しているのではないだろか。
今朝のメッセージの内容は、何かの変化が、私に起こりそうな気配が感じられるものである。・・・
「自分の手で」http://star.ap.teacup.com/2006413/177.html

               平成29年5月16日

                     礒邉自適

電気と神

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   電気と神
                   29・5・15

昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に、緑色の美しい葉を着けた「焙烙苺・ほうろくいちご」の蔓が繁っている場面が映し出されて来て、其の場面が拡大して行き、林や森全体に、新しい若葉が繁茂している様子が映し出されて来た。

そして、眠りに入ってからの映像は、先ず、私が高圧電気に感電すると、私ではなく、私の背後に存在する、白いポケットが付いた水色の洋服を着た長身の女性が、音を立てて仰向けに床に倒れてしまう場面が、映し出されて来た。

次に、姉弟の子供を連れた若い母親が、インドに旅行に行って居る時に、何処かの国が一発の原爆をミサイルで打ち込んだので、其の母子の安否が気遣われる場面が映し出されて来た。

次に、様々な野菜が植えられている野菜畑が映し出されて来て、其の野菜類は食べられる時期が過ぎて、花や実が着いている場面が映し出されて来た。

次に、子育て中の30歳代の男性が三人、車に乗って山道を登って来て、車を道路に停車し、50リットル程の水が入りそうな白い透明なポリタンクを手にして、車から降りて来る場面が映し出されて来た。

次に、ドレミ村の代表である天波博文氏が登場して、私と同じテーブルに着いた。
そして、私は、天波博文氏が出会った人物の中から、目ぼしい人物の名前と連絡先や、行なっている事などを聞き取って、自分の手帳に記録する場面が映し出されて来た。

次に、60歳位の男性が一人、早朝から私のレストランに訪ねて来て、二人で情報交換をする場面が映し出されてきた。
其の男性と話して居ると、其の男性は昨年死亡した「大山祇神・おおやまづみかみ」の祠を祭祈していた「大山邦博氏」の親戚である事が判って来たので、其の男性と、是からの動きに付いて話を始めた。

そして、打ち合わせが済んだ所で、店を開店する為に、前日までの塵を片付けて、掃除をし、テーブルの上を拭き取って、何時でも人が訪ねて来て良い状態に準備を整えていた。

次の映像は、私が何処かの山中に出掛けて、神様を降ろすご神木を捜し始めた。
そして、大きな桃の木を一本選び、其の木の、横に広がっている枝幹を全部伐って、中心の真っ直ぐな幹一本に仕立て直すか、其の儘の状態で祭祈を行なうかを、考えて居る処で、今朝の映像は終わった。

そして、起きた時間は6時46分であった。

先ず「焙烙」と「桃の木」に付いて調べると、次の様に載っている。

【焙烙・ほうろく】
炮烙とも書く。また、ほうらくともいう。素焼の平たい土鍋(どなべ)で、米、ゴマ、豆、塩などを炒(い)るのに使われる。漢語の「炮烙(火刑の一種)」を語源とするのであろうが、ほかに「火色(ほいろ)の器(く)」から転じたとする説(『東雅(とうが)』)や、火にかけるときはゆっくりと中身を回転させなければならないので、その点が静御前(しずかごぜん)の法楽舞(ほうらくまい)に似ていることによるとする説(『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』)がある。『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』によれば、京都では「いりごら(炒瓦)」、下総(しもうさ)では「いりがら」ともよぶという。摂津、河内(かわち)、播磨(はりま)を主産地とした。割れやすいものの代名詞に使われ、「焙烙千に槌(つち)一つ」(千個の焙烙でも一つの槌で割ることができる)などの諺(ことわざ)がある。[森谷尅久・伊東宗裕]  日本大百科全書より

「桃・トウ・ドウ」【解字】形声。「木+兆」音符の兆は、割れるの意味。二つにきれいに割れる木の実、ももの意味を表す。
【字義】もも。果樹の名。バラ科の落葉小高木。

「百・ハク・ヒャク」【解字】形声。「一+白」音符の白は博に通じ、ひろいの意味。ひろいの意味から、大きい数としての「ひゃく」の意味を表したものであろう。
【字義】①ひゃく。もも。十の十倍。②百たび。また、百たびをする。③もろもろ。あらゆる。多い。さまざま。
           漢語林より

昨夜から、今朝に掛けてのメッセージは、人間社会が、火に掛けられた「焙烙」の様に、ジリジリと熱せられていると言う事が、示されて来ているのではないだろうか。
そして、其の事が極限に達すれば、人間社会が滅びて、元の自然に還って行くと言う事なのかも知れない。

其れは、仏陀釈迦が誕生したインドにでも、核ミサイルが打ち込まれる事に成り、其の核の汚染で、畑の野菜などの作物が食べられなく成り、水道の水も飲めなく成るので、遠くの山まで、湧き水を汲みに行かなければ成らなくなると言う事なのかも知れない。

そして、其の解決策として、「大山祇神・おおやまづみかみ」の働きを起こす事が必要であり、其の大山祇神の働きは、昨日の文章に書いた、「・・今朝の女神の言葉の意味も理解されて来るし、其の背景には大地の女神の働きである、地球内部からの核の崩壊熱エネルギー(磁気)が後押しすると言うか、チャージされると言う事に成るのではないだろうか。・・」との事と、関係が有るのではないだろうか。

其れは、大地のエネルギーは「マイナス電気・粒子」であるので、人間が発電所で作り出している高圧の「プラス電気」を身体に取り込むと、大地にアース(マイナス電気)しているヒューズ(女神)が、飛んでしまう・倒れてしまうと言う事なのかも知れない。

其れに、「百」の漢字が「一+白の組み合わせで 音符の白は博に通じ ひろいの意味。」との説明からすると、有機農法栽培の作物や自然食品の販売をしながら、音楽活動を続けている「天波博文」氏の縁者から、目ぼしい人材をピックアップして、名簿に記入していたと言う事は、博文の名前と関係が有り、「大山祇神・大山の巳の神」の働きが、広く知れ渡る必要が有ると言う事ではないだろうか。

そして、其の事に関して、私は「祭司・神官・ラビ」として、祭祈用の御神木を、何処かの山林に準備する必要が有ると言う事なのかも知れない。

今朝の愉伽さんのビジョンには、アナウンサーの男性一名とラジオのパーソナリティーの女性一人、男性二人が登場して、無線塔である東京タワーが其の事に関係有る事が、示されて来たと言う事である。

私は、其の愉伽さんの話を聴いて、明後日5月17日は「世界電気通信の日」であるので、其の事と関係が有り、17日から何かの電磁気的な作用が、人間の脳の仕組みに起きると言う事なのかも知れない。

其れは、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に起きた事が、人類全体に起きると言うか、発動をすると言う事であり、其れは人間の無意識の層に異変が起きると言う事なので、顕在意識の世界だけで生きている人達は、混乱する恐れが有ると言う事になる。

其の為には、大地の「神(はたらき)」に接続する為の、「アース・電線」の準備が必要であると言う事である。

2015/1/14・・今朝のメッセージの映像には、先ず、地面の中から伸びて来ている、一本の緑色の電線「アース・earth」が、途中で切れているので、其れを繋がなければ成らない様子が示されて来た。
次の映像は、安房の私の自宅が在った通りの、家並みが全て取り壊され、新しく建物が建築される為に、地面に頑丈に被覆されている、大きな高圧電気配線の工事が、行われている様子が示されて来た。
【アース】
1電気装置を大地につなぎ、電位を等しくすること。また、その接続線。装置の保護、感電防止のために行う。接地。2地球。大地。
アース【earth】
接地ともいう。電気回路の特定の部分を積極的に大地の電位にすること,または,機器のケースなどの大地電位になりやすい部分に接続すること。アースの目的は二つあり,感電や漏電事故を防止することと,信号を伝送する際に雑音を受けにくくすることである。洗濯機のケースを金属性水道管などに接続するのは前者で,絶縁不良でケース線に漏電した場合,漏電遮断器があれば,アースに電流が流れたことで回路を開き,なくても漏電電流はアース線を流れるが,アースを設けなければこの電流は洗濯機に触れた人体を流れる危険がある。
                  世界大百科事典
今朝は、驚いた事に「高圧電線 マイナス電気」で、以前の文章を検索すると、今朝のビジョンに現れた「アース(マイナス電気・大地に逃げている粒子)」と、弟の事が書いてある2008年5月23日の文章が真っ先に出て来た。
其れに、二日後の25日には、「神界と通信システム」の題で類する内容が書いてある。そして、其の5日前18日の文章には、「良きアンテナ」の題で娘「舞光」の事に触れている。
此れは、一体どう言う事であろうか。
「アース・earth」 http://moon.ap.teacup.com/20060615/275.html

2012/3/23・・何故かと言うと、「神・かみ」の言葉は、元が「カム」で其の前は「カモ」で、「ま・み・む・め・も」のマ行の変化である。
其れに、京都に在る「上賀茂・下賀茂神社・かもじんじゃ」の祭神は「雷・カモ」で「雷・神鳴り(音)・電気(稲光)」の事である。・・・
「神の鳥」http://green.ap.teacup.com/20060818/2254.html

2014/7/9・・其れでも、最後まで、神・天に達する事を諦めないで、最後まで努力を重ねた者が、神の御坐まで辿り着ける理を示唆している。
 其れは、雷が落ちて来る時の稲光の軌道と似ているので、人間が神・天に達するのは、其の逆のコースを辿るとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、ユングが死んだ時に、庭の公孫樹の木に落雷が有ったと言うのは、ユングの御魂が、雷の電磁気の逆のパターンで、天界に帰還した事に成るのではないだろうか。・・・
「未来創造」http://green.ap.teacup.com/20060818/3124.html
 
2015/8/15・・そして、其の「闇・くらおかみ」は、私の「中枢神経・脳幹・古皮質・蛇の脳・自立神経」と繋がっており、私の体内時計は、其の蛇神に管理されている理・ことに成るのであろう。其の様に考えると、私に「紀(トキ)の祭りを行え」と告げて来た神も、其の大蛇と関係が有ると言う事になる。 そして、其の「紀(トキ)の祭り」を行う場所が、屋久島の高平岳の登山口に立っている「大山祇神・おおやまづみかみ」の祠であった事を考えると、「時間・ときを司る神」と「大山祇神」は関係が有り、「おおやまづみかみ」が「大山の巳神」である理・ことが解かる。
「時と大山巳神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3565.html

2013/12/22・・其の事を考えると、昨夜から今朝に掛けてのメッセージは、新しい政(まつりごと)を、始めろとの事ではないだろうか。
そして、其れを始めれば、紀元前のアシャカ王時代の様に、「ナーガ・大山祇神・大山の巳」に感謝する、豊な文明が齎されるとの事ではないだろうか。
奈良の政(まつりごと)の中心は、三輪山近辺である。其の、三輪山(三室山)の麓に有る「三輪神社」の祭神は、三輪山に住む蛇神である。
其の蛇神こそ、人間社会に、安定と平和を齎す神として、存在が伝えられている。
其の蛇神の化身が、「大物主神」であり「大己貴・おおなむち」である。
だから、今朝のメッセージは、早く「大己貴」の働きが現れなければ、風車が停止してしまう理・ことを、示して来ているのではないだろうか。・・・
「2008年5月27日」http://green.ap.teacup.com/20060818/2909.html

2017/2/28・・心臓の細胞は、バラバラに切り離して置くと、夫々が別々の脈動を始めるが、再び寄せ集めると、一個の心臓のメカニズム・構造に復元するとの事である。
そして、細胞が脈動するエネルギー力が電気の世界であり、電気の世界は生物が存在する限り、永遠に存続する物であり、其れが「魂」とか「霊」と呼ばれている存在の、原始的エネルギー(電気力場 エレクトロ・ダイナミック・フィールド)なのであろう。
其の心臓の動き・働きが、人間の魂しいの世界でも行なわれており、其れは此の三次元世界に生きている人間だけの世界ではなく、死んで彼の世に存在する人間の霊魂とも、共通・協調していると言う事である。
「全てが電磁気の世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/4161.html
 
2007/4/10・・昨日は、私のメッセージを保存しているフロッピーを、天波博文氏のパソコンに差し込んだら、行き成り電話機の無い空中で、昔のダイヤル式の電話機のベルの音が、大きく鳴り出したので二人でビックリした。
其れは、人類救済の時節に達したので、始動のベルとして鳴らされたモノなのではないだろうか。・・・
「電話のベル」 http://green.ap.teacup.com/20060818/250.html

2015/10/1「電話のベル音」http://green.ap.teacup.com/20060818/3612.html
2016/3/11「チャック」http://green.ap.teacup.com/20060818/3783.html
2011/3/25「選択・チョイス」http://moon.ap.teacup.com/20060615/234.html
2014/3/16「大地の霊毛・センサー」http://green.ap.teacup.com/20060818/2996.html

「大山祇神の祭祈」「桃の木のご神木」「天波博文氏」等の事を考えると、明後日の「世界電気通信の日」迄に、何等かの変化が有るの有るのではないだろうか。

             平成29年5月15日

                   礒邉自適
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