君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

魂の色で言葉使いが違う


    魂の色で言葉使いが違う
                            2・8・3

今朝のビジョンは、先ず、袋の中にオレンジ位の大きな丸い玉が10個程入っている様子が映し出されて来て、其の球は黄色や桃色・緑色等、皆色が異なっていた。
そして、其の球は、人間の「御魂・たましい」の違いを示唆している事が理解されて来た。

次に、其の袋の外の地面に空色のカウボーイの帽子が一つ置いて有るので、其れが誰の物かと思うと、其れは「トランプ大統領」の物である事が示されて来た。

其れで、私が其の袋の中の球が、誰の御魂であるのかを知ろうとすると、先ず、私を捜し出して此の世界に送り込んだ故「土肥無庵」の魂しいが有る事が示されて来て、次に現在付き合いの有る無農薬・無肥料で稲作を行っている江藤敬介氏の魂が、キングである事が示されて来た。

私が、其のキングとの言葉から、江藤敬介氏の魂しいが、最も上なのかと思うと、「其れは 世界中の人々が知っている神である」との理・ことが示されて来たので、江藤氏の存在は農家に産まれ育ち21歳から聖書に親しみ、30歳からマクロビオティック生活を始め、自然環境や生き物の世界・いのちの事を大事に考えて暮らしを立てている人間なので、其の生活方式がキングであると言う事の様であった。

私は、其の江藤氏の存在から、カウボーイの帽子の持ち主がトランプ大統領の物であるとの事は、トランプ大統領がホテルや博奕場等の経営に関わり不動産事業を行っている人間であり、カウボーイの職業は馬に乗って放牧された牛の管理を行っているだけで、植物の種子を播いて育てる事を全くしていないので、江藤氏とは対照的な人間を示唆している事を理解した。
(放牧地では 家畜が食べてしまうので 野菜等の作物を栽培できない)

そして、空色のカウボーイハットがトランプ大統領の物であると言うのは、トランプ大統領の頭脳には、大地の存在・理が一切無いので、生命・いのちの世界が理解されないと言う事であり、其の生命の世界が理解されていない者には、御魂の色彩が無いと言う事の様である。

其れは、テレビ番組「笑点」で「林家木久翁」が「トランプ大統領 トランプなのに ハートが無い」と言って、笑いを取って居た事にも通じている。

次の映像は、私が「松尾芭蕉」や「種田山頭火」の様に、自然を対象に言葉を紡ぐ旅を続けて居る様子が映し出されて来て、私が親しくしている相手が「薬屋(漢方・和方)」であり、私が其の薬屋と親しくしている事を知っている温泉宿の主は、客が来ない開店前(早朝)から、私が温泉に自由に入浴する事を認めてくれていた。

次に、日本文化の「小話」の世界が、全文平仮名文字にて次々に澤山映し出されて来て、私は其の文化を世界中に広げる為に、様々な活動を始める様子が映し出されて来た。
其れは「川柳・せんりゅう」の様な皮肉的(駄洒落的)な言葉の世界ではなく、和歌や短歌とは別の、西洋のユーモアな会話と、日本の小話の世界を融合した様な言葉の世界である。

川柳(せんりゅう)は、五・七・五の音を持つ日本語の定型詩である。
特徴
俳諧、すなわち俳諧連歌から派生した近代文芸である。俳句と同じ五七五の音数律を持つが、俳句が発句から独立したのに対し、川柳は連歌の付け句の規則を、逆に下の句に対して行う前句付け(前句附)が独立したものである。俳句にみられる季語や切れの約束[1]がなく、現在では口語が主体であり、字余りや句跨りの破調、自由律や駄洒落も見られるなど、規律に囚われない言葉遊びの要素も少なくない。かつての俳諧では雑俳に含めて呼ばれたことがある。
歴史
江戸時代
江戸中期の俳諧の前句附点者だった柄井川柳が選んだ句の中から、呉陵軒可有が選出した『誹風柳多留』(はいふうやなぎだる、後に柳樽と称される。1765年-)が刊行されて人気を博し、これ以降「川柳」という名前が定着した。この頃は、「うがち・おかしみ・かるみ」という3要素を主な特徴とし、人情の機微や心の動きを書いた句が多かった。
 初代川柳は選句を「高番」(古事,時代事)、「中番」(生活句)、「末番」(恋句,世話事,売色,下女)の3分野に分け、世態人情を軽妙にうがち諷する詩風を樹立した[2]。性的な内容の笑句・艶句は「破礼句(バレ句)」とも呼ばれ(バレは卑猥・下品の意[3])、安永5年(1776年)にはそれらを集めた『誹風末摘花』(末番の句を集めたことから名付けられた)が刊行され版を重ねた[4]。
 柄井川柳が没すると、その子孫が宗家として代々の名籍「川柳」を名のるようになった。『誹風柳多留』は刊行され続けたが、前句付けの興行を経て「柳多留」へ選句される二重の選考システムが失われ、次第に句会としての形式を強め、選者もベテラン作者が任意に行なうようになり、「柳多留」も句会の発表誌の性格を帯びるものになっていった。
 一時は寛政の改革に伴う検閲により、政治批判、博打、好色など風紀を乱すとされた句が『誹風柳多留』から削除されるなどしたが、四世川柳が川柳を「俳風狂句」と銘した文化文政期になると、江戸町人文化を背景に一段と盛んとなった。『誹風柳多留』には、九州・平戸6万3千石の大名・松浦静山(柳号・松山、流水、柳水)や葛飾北斎(柳号・卍)、都々逸の創始者・都々逸坊扇歌、「偐紫田舎源氏」の作者・柳亭種彦(柳号・木卯)など、当時一流の文化人が前文や評者として名を連ね、狂句とはいえ風雅な文芸性を備えていた。
 しかし、天保年間に入ると天保の改革の風俗取締りが厳しく、公職を兼務していた四世川柳は、やがて職務の障りになるとして川柳号を廃せられ、佃島の魚問屋・腥斎佃(水谷金蔵)に五世川柳を譲位、五世川柳は、狂句の存続のため「柳風式法」や「句案十体」という狂句界の規範を作り、内容も忠孝、仁義、報恩などの教化を主とするものに変えた。しかし五世の意に反し、それまでの狂句のもつ自由な表現はこの規範が枷となり内容的には没落し、表面的な言葉遊びに陥ってしまった。
『誹風柳多留』は幕末(天保9年、1838年)まで刊行され続け、延べ167編を数えた。この時代までの川柳を古川柳と呼ぶことがある。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/08/03現在

和歌(読み)わか
和歌 わか和歌/×倭歌
日本で最も古くから行われている詩歌形態。「倭歌」とも書く。「やまとうた」と訓読することもあり,「大和歌」と書くこともある。『万葉集』の題詞で「和歌」と表記した場合の「和」は「唱和」の意に用いられているが,のちには「倭歌」「和歌」のいずれを書いても,漢詩に対する日本の歌を意味するようになった。なお,「国歌」といういい方もある。集団的な感情を歌う歌謡から発展したもので,歌謡と異なって,特定の作者が存在し,その個性的な感情や思想が盛られているのが普通。また,和歌も古くは朗吟するなど音楽的要素もあったが,のちには文字言語を主たる表現手段とするようになった。この点も歌唱を基本的な表現手段とする歌謡と異なる。上代には,長歌,短歌,旋頭歌,仏足石歌体,混本歌など種々の形態が行われていたが,平安時代以降,短歌が中心となり,長歌,旋頭歌などは「雑体」といって,試作される程度にすぎなくなった。近代,現代においては,短歌以外の形態はほとんど行われていない。

俳句(読み)はいく
日本文学の一形態。「俳句」の語は江戸時代前期から散見するが,それは「俳諧の句」の意味で,連句のなかの一句をも,発句 (ほっく) をも意味した。もっぱら5・7・5の 17音の短詩形の文学,すなわち古く一般に発句といっていたものをさすようになったのは,明治 20年代以後のことである。したがって江戸時代の発句は明治以後の俳句にほぼ相当する。発句,俳句は,一般的には文語を用い,17音の定型を守り,切れ字および季語 (季題 ) をもつ。しかし大正初年の荻原井泉水以来,季題無用論,非定型自由律も説かれ,口語使用も,江戸時代に上島 (うえじま) 鬼貫,広瀬惟然,小林一茶らによってしばしば試みられ,今日もかなり行われている。
      出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

小話・小咄(読み)こばなし
〘名〙 (「こ」は接頭語)
① 簡単な世間話。ちょっとした話。
※歌謡・落葉集(1704)六・石川五右衛門「夜のあけ方に小ばなししてぞ通りける」
② (笑話の中の長話を大話というのに対して) 笑わせることを目的としたちょっとした短い話。短い落語。または落語のまくらに用いる江戸趣味の笑話など。一口ばなし。しょうわ。
    精選版 日本国語大辞典の解説

此の「小話・小咄・こばなし」の説明からすると、「諺・ことわざ」の様な事を楽しく話す事に似ており、四角四面や大袈裟に真理を説くのではなく、誰でもが理解できる様に、漢字使用ではなく「やまとことば(マレー語圏)」にて、新しい文学を興さなければ成らないとの事なのであろう。

其れは、マヤ・アステカの「時間の神(はたらき)」や、エジプトの「ツタンカーメンの黄金のマスクの額に着いている鳥と蛇」の意味、世界中に広がっている「七段にトグロを巻く大蛇」の存在等を、神話・童話・御伽噺の様な世界で傳えるのではなく、近代科学で明らかに成って来た理論に従って、言葉を紡ぐ事である。

其の事が出来なければ、私に告げられて来ている「紀(とき)のまつりを行え」「みいつ建国」との言葉が、現実化される事には成らないとの理・ことなのではないだろうか。

其れは、言葉こそが人間の「たましい・精神・こころ」を創るモノ・世界であり、其れが正しく出来上がらなければ、トランプ氏の様な人物が、世界一の力を持つ国の代表と成る様な事態は、無くなる所か、世界中が同じ状態に陥ってしまい、日本の和歌の様な文化は、二度と立ち上がらないとの事であり、真実のロゴスの神(はたらき)は、永遠に水の面には映し出されないと言う事である。

其れを考えると、先ず「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の世界や、「大日如来・マハーヴァイローチャナ・宇宙の真実の本体」の「マントラ・真言」の世界を、優しい日本語・倭言葉として、組み立てる作業を開始しなければ成らないと言う事に成りそうである。

今朝起こされた時刻は、6時14分前であったので、今年の6月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2020/6/14昨日のビジョンに映し出されて来た、紙漉きの液体の様な言霊(繊維)が溶けていた世界を「みずうみ・みづうみ」と平仮名にしたが、其れは「海・うみ」が、本来は「うみ・うむ・産み・生み」の日本語である事と関係が有り、言霊とした事は「いのち・命・生命」自体を意味していた様である。
 其れは古代の人々が、「いのち・命・生命」が海から誕生した事・理を知って居た事に成る。
 其れは、神社の拝殿の周囲に白い砂を敷き詰める事や、神殿の階段の一段目を「磯の段」と名付けている事、其れに屋久島や富士山等で、岳参りの行事で海砂を頂上の祠にお供えする事と通じており、海が産み・生みである理を、代々傳え残す事が目的であり、其れが「天津日嗣・あめのひつぎ」の概念の根本原理であるとの事なのであろう。
 今朝のビジョンには、高校生位の男女の存在が映し出されて来て、男子の方は一昨日の「統尊・すめらのみこと」に書いた様に私の生き方に準じる「作業・行動・修行・学習」を始める様子が映し出されて来たが、女子の方は、私が毎日食べている「蓬団子」の作り方(蓬を摘む・サルトリイバラの葉を採る)事から始まり、他の薬木などの調査や利用方法などの研究を始める様子が、映し出されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時30分」であった。
其れからPCを立ち上げ、今年の3月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章に、一応目を通すと何となく筋道が見えて来た気がして眠く成って来たので眠った。
すると今度は、私の意識は躰ごと異次元の世界に連れて行かれた感覚の儘であった。
 そして意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は6時30分であるので、最初に起こされた時刻3時30分から丁度三時間が経過している事が判った。其れに、此の今年の3月30日の文章の中には、昨年の6月30日の「明日から始まる」との文章が貼り付けられている。・・
 此の「50歳位の真言宗の僧侶らしき人物」とは、弘法大師空海の存在と関係が有り、昨日「みづうみ・水産み」の中から言霊を漉く場面は、「真言・マントラ」の世界と関係が有り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の神(はたらき)と、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」が、同じ神(はたらき)であるとの事なのではないだろうか。
 其の様に考えると、確かに水の世界がなければ、生命・いのちの存在が無いのであるから、全ての源(みなもと・水本・皆元・全素)は、「水素/Hの氣・エナジー」である事に成り、其れを悟る・覚醒・成仏する事が「自分・自の分を知る」との事なのであろう。
其れを考えると、私は其の「自の分」を「水産み」の中から、我が手で漉くい取る・紡ぎ出す必要が有るとの事なのであろう。
「水産み」https://green.ap.teacup.com/20060818/5394.html

此の文章の内容からすると、今朝のメッセージには、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」を会得して「真言宗」を起こした「弘法大師空海」と、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の世界が関係有り、私が「須佐之男尊・すさのおのみこと」が御手植えした御神木に「弁財天が乗る宝船」に案内された日が「1996年8月23日」であるので、二十日後に何らかの神事が起きるのかも知れない。

キー「御神木 宝船 」

2013/8/23本日8月23日は、1996年8月23日に、私のビジョンに女神が乗船した宝船が現れて、其の宝船の後に付いて行くと、「須佐之男尊・すさのおのみこと」がお手植えをした、出雲の「佐世神社」の境内にある大きな御神木に辿り着いた日である。
・・・私には1996年8月23日の未明に、弁財天が宝船に乗り込んで出港する映像が現れて来て、其の船の行き先を確かめると、到着した所の土手の上に、大きな樹木が枝を広げて立っていたのである。そして、其の木は10月に出雲の安部忠弘氏を訪ねて、安部氏に近くに有る佐世神社を案内して貰うと、其の境内に御神木として実在したのである。
 其の御神木は「椎の木」で、須佐之男尊が斐伊川の上流で櫛稲田姫と出会い、川を下って来て、佐世の岡で舞を舞い、其の時に手にしていた枝を地面に刺して、其の枝に根が生えて大きく成り、幹が年老いては、根株から出ていた芽が大きく伸びて大木と成って世代交代をし、現在の幹は六代目の物であるとの事である。
そして、地名の「佐世・させ」は、須佐之男尊が枝を「さした・させ」との云われから来ているらしい。
「佐世神社・御神木」http://moon.ap.teacup.com/20051112/205.html
「123国土交通省」http://star.ap.teacup.com/170606/882.html
「出雲の御神木」 http://green.ap.teacup.com/20060818/60.html
 今朝のメッセージの映像は、其の「須佐之男尊」に関係が有る様で、先ず海の面に男性の顔だけが丸く映し出されて来た。
其れは、須佐之男尊が「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の禊ぎで鼻(呼吸・いき)から生まれ、海原を治める働きとされている事と関係が有るのだろう。
 次の映像は、私が、洪水の為に水没した牛舎から、親子の黒牛を救い出す場面であった。私は、先ず泥水の中から母牛を引き出して、次に泥水の中を探って小牛を見付け出し、26歳で彼の世に旅立った弟に、誘導の為に頭に付ける紐・ロープを探して来る様に云った。
 そして、弟がロープを探して居ると、若い時の私の母親が、神の光に満ちた小羊を胸の所に抱いて、岡の上に登って来る映像が映し出されて来た。
そして、最後の映像には、地震でも有るのか、男の子が机の下に潜り込む場面が映し出されて来た。
 其の男の子が、机の下に潜り込む映像で、私は今朝のメッセージの意味は、子供達の生命を災害等から護る事が、一番大事な事である理・ことが理解され、親子牛を救いだす事や、母親が仔羊を抱いて岡の上に登って来る場面の意味も理解されて来た。
 今朝は、洗面を済ませPCの前に座ると「ようやく結論に」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと続きの言葉が告げられて来た。
「貴方も 改めて 
いのちの尊さに 目覚めた様ですね。
其れは あまりにも 当たり前の事なので 
気にしなく 成っているのです。
此の世に 生命が存在するのは
其れが 一番大事な事だからなのです。
考えて見なさい 生命の居ない星は 冷たいし 
存在の意味が 薄いでしょう。
其の点 此の地球は 
奇跡的に生命に溢れ あたたかい星なのです。
ですから 貴方の存在意義が有り
あたしの存在も 無の中に浮かび上がって来るのです。
そして 其の事が一番重要であり 有り難いのです。
貴方は 今朝捉まえた真理を
こころの 中心に据えて 
今後の人生を 歩いて行きなさいね。  」
「ようやく結論に」http://moon.ap.teacup.com/20060103/569.html

此の女神の言葉からも、生命の尊さが窺える。
私は、伊邪那岐命の禊ぎで鼻から誕生した「須佐之男尊・すさのおのみこと」の言葉から、「すさのお」とは「苆の尾・穂」であり、海(産み)から誕生した「生命(DNA・遺伝子の鎖)」が、其のスサノオであると考えている。
 ・・何故なら、「すさのお」とは「苆の尾・穂」で「スサ・苆」とは「艸+切」で土壁にヒビが入って崩れない様に、藁や草を刻んで混ぜる物の意味であり、神社で使われる「御幣(ごへい)・紙垂(しで)」と同じ様な物であるからである。
「須佐之男尊、素戔嗚尊」は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が小戸のあわぎ原で禊ぎ祓いをした時に、イザナギの鼻から生じた神・はたらきで、海原を治める役割を担っている。其の海の概念は、生物が「うみ・産み・海」から生み出された理・ことを意味し、「苆の尾・苆の穂」とは生物の拡散、生命の鎖の事を意味しているのである。だから、動物で言えば狐の「尻尾」の形態であり、植物でいえば「穂」の形状を言い表しているのである。
そして、神社の三種の神器で言えば、胎児の形を現す「勾玉・まがたま」に当たる。・・・
「すさの穂の働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2234.html 
其の、「苆・生命の鎖」は、海から誕生した微生物が進化した、光合成生物を元としている。其の「光合成生物」は、葉緑素の働きを持つ植物の世界である。
光合成生物は、太陽の光エネルギーを吸収し、無機物から有機物(植物体)を合成して生きている。全ての、地球生物のエネルギー供給源は、もとをたどれば太陽に有る。
「壽・みどり」http://green.ap.teacup.com/20060818/2618.html
「三界の区分」http://moon.ap.teacup.com/20061108/94.html
「拡散・スサノオ」http://star.ap.teacup.com/applet/170606/20060128/archive
 私の母親が、神の光に満たされた仔羊を胸に抱いて、岡の上に登って来る場面は、聖書に幾度か出て来る仔羊に関係が有り、神の子を示唆しているのであろう。そして、其の仔羊を抱く母親は「聖母マリア」か女神を意味しているのではないだろうか。私の母親は、愛知県岡崎に有るキリスト教関係の金城大学の出身でもある。
 其れと、牛の親子が現れたのは、キリスト教では羊の存在が、例えに使われているが、シュメール文化や、インドで牛が神の使いとされている事と関係が有り、今朝のメッセージは子供の生命・いのちは、あらゆる宗教の壁を超えた根源的な真理である理・ことを示しているのではないだろうか。
そして、其の究極として、人間の子供も神の大事な御使いだから、護れとの事なのであろう。
 エジプト文化の神である「イシス」は、額に鏡を着けて女神であり、手には「生命」の印である「アンク」を手にしている。そして、朱鷺の頭をした水先案内神である「恵比寿・Ebisu」が舳に立つ「太陽の船」に乗っている。
 其の「イシス女神」が、日本に鳥居や高麗獅子の概念と共に、日本に渡って来て「天照大神」の存在と成っている。其の様に考えると、冥界の王である「ホルス」は「調読みの命」である事になり、「生命・アンク」が「須佐之男・スサノオ」であると言う事に成るのではないだろうか。
 今朝のメッセージの内容から、私が考える事は「宝船」に乗せる為の一番大事な宝は「生命・いのち」であるとの理・ことであり、私に「いのちを探せ」と伝えて来た女神は、太陽の船に乗る「イシス女神」であったのかも知れない。其の様に考えると、私は「アンク」の意味も理解した事に成るのではないだろうか。
「生命・いのちの尊さ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2787.html

今朝のビジョンには、私自身の御魂の球は映し出されて来なかった。
其れは、私の魂しいは、未だ発展途上・成長段階であるので、固まっていないと言う事なのかも知れない。

『所で 貴方自身は 何をしたいのですか。
其れが 決まらなければ 此方は
貴方を 応援する事が できませんよ』11時20分

                         令和2年8月3日

                             礒邉自適

万物の母の愛の下で

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   万物の母の愛の下で
                            2・8・2

本日8月2日は、私の両親が1946年8月2日の夕方、屋久島の渡る為に船に乗り込んだ日であり、母親のお腹には、三ヵ月の私の命が宿っていた事に成る。

今朝のビジョン・メッセージは、万物の母(宇宙意識)に見守られている私が、是から何を行えば良いのかを、一晩中模索して居る様子が映し出されて来た。

其れは、一口に謂えば「私が残りの人生をどの様に過ごすか」がテーマと成るが、其れは自分自身の生活に付いてではなく、人類がどの様に生きて行けば良いのか、地球の環境保全をどの様にするかという事である。

そして、最も重要な事は人類・人間の人口・数に付いてであり、是以上人口が増えれば、地球全体がダメージを受けて、人間自身の生活も立ち行かなく成るとの事である。

其れは人間が、宇宙探査機を飛ばして、人類・地球人が住めるのは、此の地球しか無い理・ことが明らかに成ったので、はっきりと理解できる事である。

今朝のビジョンには、「三分の一」との数学式が示されて来て、其れは人類を「三分の一」残すか、「三分の一」減らすかの、間で、メモリが移動・スライドしているメーターのメモリの存在であり、其れは、私に以前見せられている「地球管理のテーマ」や「棒計りを手にする女神」の世界と関係が有り、其の事が現在「新型ウイルス感染」の出来事で、現実化している事が理解された。

其の「三分の一」の数式の言葉は、私が1984年6月4日に「覚醒・成仏」した時に、其処にまで、私の意識を持ち込んで来た「土肥無庵」が、「是で 三分の一は 残せるかも知れない」と謂った言葉・世界と関係が有り、其れから36年間が経過して、其の「土肥無庵」の言葉が現実と成って来ている事が示されて来ている事に成る。

【地球は 私達人類に与えられたパラダイスです。私達には 此の地球を護る責任と義務があるのです。其れが 果たされてこその楽園なのです。】
「現在人類にとって一番の問題は森林の減少にあります。私達人類を含む生物は森林の滅亡と共に亡びます。21世紀は人類にとって最後の価値判断を迫られる時代となるでしょう。」
「1984年6月4日(旧暦5月5日)に、地球の主である白山権現の白龍が現れて 地球が私の左掌に乗せられ 地球の未来を託されました。 それから22年が経とうとしております。 今朝 ようやく其の準備が出来た事が知らされました。 是からは 具体的な事柄が始まると想います。2007年3月13日
「地球管理局」https://star.ap.teacup.com/2007313/

2008/10/18今朝のメッセージは、PC画面が現れて、其の画面に、文章が三段に別れて書かれていた。
そして、私の意識が、其の文章の意味が上手く伝わる様に、別れている文章の中に、言葉を挿入して一つの章に完成される場面だった。
 私は、其の作業を、実際に遣って居るのだと思っていたのだが、起きて見ると、其れは夢である事が解かった。其のリアルさは、強いものが有り、私は、暫らく意識の調整に、手間取る程だった。
 其の、三段に別れている文章が、私の意識作業で、一つの章に繋がる事の意味は、過去・現在・未来の事が、私の是までの作業で、一つの繋がりを持つ事に、成功したとの事を、意味しているのかも知れない。
 其れは、釈迦牟尼佛の言葉である、「過去・現在・未来の三世に 私の存在が在り、現在の私は、過去の情報の因果で存在して居り、未来の因を創造するのは、現在の私である。」との意味である。
其の、釈迦牟尼佛の言葉を参考にすると、私は今朝、三世を繋ぐ事に成功したと言う事に、成るのではないだろうか。
 其れこそが、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」との意味なのかもしれない。そして、再び眠ると、今度は様々な状況が映し出されて来たので、数が多く殆んど、記憶する事が出来なかった。
 其の映像は、始めに、小さな物事に、近代の機械を使うより、手足や身体を使った方が能率的であり、環境にも負荷が掛からない理が、映像で示された。
其れから、物事の発生や、記録に対して、日付や番号等の、数字の組み込みが行なわれるのが、色々様々に現れた。
 其れは、歴史や人類の営みに、神界が、数字を使いながら関わりを持っている事が、示されて来たモノ・現象である様に意われる。
そして「7億人」との数字と、他人騒がせな事を行う様にとの、意味が伝えられて来た。7億人とは、世界人口68億人の約1割である。
 私が、是までに、神が人間を認知した数字を示されたのは、2006年4月7日に「359万8000人」、2007年8月23日に「800万人」、2007年11月24日に「6800万人」であり、預言の「14万4000人」よりは、遥かに多い物だったが、6800万人は全人口の1%に過ぎなかったのである。
 其れが、今朝世界人口の約1割の7億人に増えたのは、昨日の村造りの為の、土地の契約が行われた事に、因るモノなのかもしれない。
そして、是からは、お祭り等を起して、これ等の動きを、人々に伝えれば、急激に人間に覚醒を齎して、存在率が高まるとの事ではないだろうか。
 私を捜し出して、此の神の世界に入れた無庵師匠は、「上手く事が進めば 三分の一は救えるかもしれない。」と謂って居たので、流れとしては、其の方向に進んでいるのかもしれない。・・・
「三章の文章」https://green.ap.teacup.com/20060818/921.html
2019/10/20「夫々の進み方」https://green.ap.teacup.com/20060818/5152.html
 キー「計り 女神」

2012/8/20「正義の女神」正義の女神(せいぎのめがみ)は、神話に登場する以下の女神である。
1.ギリシア神話の女神、テミス(Θέμις)。
2.ローマ神話の女神、ユースティティア(Jūstitia)。
剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、司法・裁判の公正さを表す象徴・シンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など、司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきた。現在は目隠しをした像が主流であるが、目隠しがないものも多い。最高裁判所、中央大学多摩キャンパス内、虎ノ門法曹ビル(東京都港区)など日本国内にもテミス像が存在する。弁護士バッジにも女神の天秤が描かれている。
b英語では一般に固有の名前で呼ばれるよりも、単に Lady Justice (正義の女神)と呼ばれることが多く、固有の名前を用いるときは正義 (Justice) の語源ともなっているユースティティアと名付けられる場合が多い。タロットカードの大アルカナ11番(または8番)「正義」に描かれている剣と天秤を持った女性も、この「正義の女神」を擬人化したものである。
テミスとゼウスの娘アストライアー ('Αστραία) やホーライの一人ディケー(Δίκη)も正義を司る女神ではあるため、ユースティティアと同一視されることもある。しかしこれらの女神が司法の象徴として扱われることは稀である。星座上でおとめ座に属するアストライアーは、隣りのてんびん座の天秤を持っているという説もある。・・・    ウィキペディア辞典
 其れに、「天秤」は権力を意味する漢字の「権・ケン」の象形文字と成っており、権力とは天秤を調整する権利を持つとの意味である。
【解字】「木+雚」の組み合わせで、雚は援に通じ、ひくの意味。はかろうとする物の重さと同じ重力で引く分銅の意味を表わす。分銅を加減してはかるの意味や、転じて、権力の意味を表わす。
【字義】①はかる。㋐物の目方をはかる。㋑はかりごとにかける。謀略をほどこす。いつわる。②はかりごと。謀略。「権謀」③かり。㋐目的・結果は正しいがその手段が常道に反すること。㋑臨機の処理。まにあわせ。方便。㋒かりそめ。一時。㋓一時的に他の官職を兼ねること。「兼官」④おもり。はかりの分銅。⑤はかり。物の重さをはかる器具。「権度」⑥つりあい。平均がとれること。均衡。⑦いきおい。力。勢力。物ごとを強制したり、処置する威力。威権。「特権」⑧はじまり。起こり。
・・是を見ると、「はかる。はかりごとにかける。臨機の処理。勢力。物ごとを強制したり処置する威力。はじまり。起こり。」等の項目が関係が有り、「大権」とは其の事が大きく始まると言うか、起きるとの意味ではないだろうか。・・
「天秤」https://green.ap.teacup.com/20060818/2411.html

2018/4/11今朝は、其れ等の映像場面の意味に付いて考えながら、起きてPCを立ち上げ、今朝の文章の題を何とするかを考えて居ると「本日4月11日は」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「本日4月11日は あたしが貴方に
トキの動きを知らせてから 35年と成る日です。
其の時、貴方は未だ 中学生の頭でしかありませんでした。
其れが 現在の意識にまで成長出来たのは 
土肥無庵の働きの賜物なのです。
良いですか 此の世は 先人の働きに因って 
文化が発展して来ているのです。
ですから 貴方も 其のシステムに乗って
自分の役割を 果さなければ成らないのですよ。
そうしなければ 是までの事が 
全て 無駄に成ってしまいます。
良いですか 貴方の力のおよばない所は 
此方がカバーしますので 貴方は 其の事に意識を向けて 
日々を 過ごさなければ成らないのですよ。
其の為にも 貴方は 自分の日々の行動に付いて
熟慮しなければ成らないのです。
処で 貴方の希望は何ですか 
其れは 父親を亡くした時から 貴方に失われていた感覚なので 
其れを取り戻しなさいね。
そうすれば 貴方自身の中に 確定したモノが生じて来るでしょう。」
    「本日4月11日は」
私は、此の女神の言葉から、今朝のメッセージは、私が自分自身の考えを持たなければ成らないとの事が、理解されて来た。・・・
「皆が真実に目覚める時」https://green.ap.teacup.com/20060818/4583.html

今朝起こされた時刻は「6時30分」であり、其れから再び眠り、起きた時刻は「9時3分」であった。
其れで、今年の6月30日と昨年の9月3日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2020/6/30本日6月30日の日付は、一年前に「50歳位の真言宗の僧侶らしき人物が、目の前に座っている場面が映し出されて来て、『明日から勢い能く始まる』という様な意味合いの事を告げた。」と、書いて有る日である。
 此の一年間に何が起きたかを考えると、最大の出来事は「新型ウイルス感染」の問題であり、世界中で人々が「集まり騒ぐ事」を止められている。
其れは正に、イエスキリストの謂う「祷りは一人でしなさい。隠れてしなさい。」や老子の謂う「理想郷」、其れに釈迦ブッダの「12因縁起(行が滅すれば、識が滅する。)」の教訓などの世界が、天神から求められている様な雰囲気・状況である。
 そして、此の私には、27日「現れたくない」、28日「ほしい」、29日「貴方に難しければ ワタシで始めます。」と、告げられて来た。
其れは、「女神・万物母」の方が、私に「欲しい・願わくば(古語辞典より)」と謂って来ている事に成り、是までの宗教観では無い概念であり、其れに対する考え方も確立はされていない。
 其れを考えると、昨年の6月13日に「切り開く能力・ちから」との言葉が告げられて来ていた事に意味が有り、此の私は「森羅万象の流転」の最先端に立って、何等かの「意い・想い」を描き出す必要があり、其の為には、何らかの言葉・言霊」を紡ぐ必要がある事に成る。
其れは、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日(母親の64歳の誕生日)に、安房川での禊ぎ祓いの後、私の役割が「事象の特異点」であり、別の切り口で謂えば「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事が、36年掛かって現実の事と成っている事にも成る。
 其の事を考えると、現在・いまの私の立場は、釈迦ブッダの言葉に有る「私は過去(思)・現在(意)・未来(想)に在り 衆生一切我が子」との立場に在る事に成り、其れは日本語で言う所の「人間は万物の霊長である」との事でもある事に成る。
 其れを考えると、一年前の今日、50歳位の真言宗の僧侶らしき人物が「明日から勢い能く始まる」と告げて来た事が、関係有り、私が是から「胸・文」に意図する言葉は「真言・マントラ」でなければ成らないと言う事であり、三日間続いた女性の聲は、「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真実の本体)」が女神である事に成りそうである。
其れを考えると、私が母親の64歳の誕生日である6月4日に此の世界に飛び込む事に成った(スケジュール)事は、自分の母親の存在が「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の三蜜(身口意)の「身(胎蔵界)」である事に成り、私は其の胎児として産まれて育ち、「口・意(金剛界)」の神(はたらき)を担っている事に成りそうである。
 そして、其の母親の64歳の誕生日である6月4日に安房川で禊ぎ祓いを行う事に成ったスケジュールは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の一生をも、操っていた事に成り、其の存在はマヤ・アステカの「時間の操縦士」と、関係が有るのではないだろうか。
だからこそ、「約束は守らる」との言葉が謂えるのであろう。
 日本の神話には、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が「橋の上から 棒で海を掻き回して 陸を造った」と有る。
だが今朝のニュースには、ニュージーランドを最高峰とした500万平方キロメートル以上の広さの8番目の大陸「ジーランディア」の地図が作成された事が載っており、他の「スンダランド」や「ゴンドワナ大陸 」の存在は、世界中のどの神話にも登場していない。
 其れを考えると、是までの神話は、全て人間の脳が想像した物であり、真実でない事は明白であり、神が人間を含めて、全てを創造したとの伝説は、無知の極めである事に成る。
 其れを考えると、昨日のビジョンに映し出されて来た、水の面に描かれていた世界が、新しい施設に移転すると消える・崩れ去った事・場面は、過去の人間の想像・創造した世界は、全て消去する必要があるとの事であり、過去の「伝説・物語・ストーリー」は、口にしては成らないとの事であり、世界中の宗教は全て無くす必要があるとの理・ことなのであろう。
 其れを考えると、昨日の文章の題とした「神は水鏡から遣って来た」との言葉・概念は、人間側が神の存在を知る為に「鼎・かなえ」に清水を溢れるほど溜めて「監」を行った事の理由を確かめ、水(水素/Hの氣・エナジー)の正体を明らかにする必要があるのだろう。・・
 今朝のビジョンでは、私が山村等を視察・観察・監察して回っている場面が映し出されて来て、其の山村には神仏を祭禱(さいき)する人々が平和に生活して居る事が判った。
だが其の人々は、皆、神様は天・上空に居る・在ると考えて、祭禱(さいき)を行っている事が判った。
 私は其の様子を視て、自分は水面・地面を見て居る事が判り、私は人々が神様が上位に居る・在ると考えているのに対して、反対に上から下を視ている事に気付いた。
其れは、私が地上に咲いている草花を愛でる様に、人々を視ている立場であり、其れは人々の様に観音様を見上げるのではなく、自分が観音様の目線で人々を見守っている立場なのである。
 其れは、私が弟妹四人と、自分の子供七人を育てた事や、農業で家畜や作物を育てた事が関係が有り、私は目線を下にして生きて来た事が、現在自分の意識が高まった事で、人類全体や地球の生物の命全体の事を心配している気持ちが、「女神・万物の母」の気持ちと、同体化・同一化しているとの事の様である。
 其の事を考えると、私が現在の「総理大臣」や「都知事」に違和感を覚えるのは、彼等が自分の子育てをしていないので、「目線を低くして愛でる」という事をしていないからであると気付いた。
其れは、慈悲が無いと言うか、弱い物・者を育もうとする気持ち・念いが欠けているとの事である。
其れを考えると、傲慢な気持ちは、弱い物・者を身を持って守った事が無い人間の中に育つ「たましい」なのであろう。
 昨日のビジョンの、プールの水面場面から私に考えられる事は、人間は自分の顔を洗う時は「汚れた水」ではなく、必ず「清水・きれいな水」で洗面をする事である。
其れを考えると、賽銭で汚れている、過去の概念の神社仏閣に何十回お参りしても、過去の概念・怨念が被さって来るだけで、自分の顔(意識・こころ)は綺麗には成らないと言う事である。
 何故今朝、此の様な事を書く事に成ったのかを考えると、一昨日の夜眠る前に、私の上に覆い被さって来た「千利休」の霊魂が、昨日のビジョンを、私と一緒に体験した事で、教養の無い成り上り者の「秀吉」に、切腹をさせられた恨みが消えた・祓われたと、言う事なのかも知れない。
 其れとも、昨日女神が「貴方に難しければ ワタシで始めます。」と告げて来た事と関係が有り、今朝のビジョンは、私自身の意識ではなく、女神の神(はたらき)を、私は只、第三者の様に視て、記憶させられて居るだけなのではないだろうか。
其の様に考えると、今後は、気楽に進んで行けそうである。
 其れは、私が予想だにしない「ひと・霊留」に成っていると言う事に成り、私の「からだ・空だ」は、大きな空蝉(うつせみ)であると言う事にも成る。
「成長した魂しい」https://green.ap.teacup.com/20060818/5410.html

2019/9/3今朝のメッセージは、私が床に就いて眠ろうとしても、何かの抵抗・圧迫感が有って、中々眠れないで居た。
 すると、其の原因が段々と見えて来て、其れは是まで、権力を有する王様の位に関わった人々の、魂しいの世界であり、王様・権力者に成った者も、成れなかった者も、同じ世界(電子・量子空間、砂金の粉の山・空間の様)の中で、自分の意識(霊魂)の行き場・留まる所が無いらしく、混沌とした世界に閉じ込められて居り、只時間・ときが経過しているだけで、誰も、其処から逃れられないでいる事が理解されて来た。
 そして、其の世界が、私の世界・存在に、触れて来ていると謂うか、覆い被さって来ている事が、私が眠りに入れない原因である理・ことが判った。
其れで、其の侭では、何時まで経っても、私は眠れない事が判ったので、自分の世界を取り戻す為に、電気を点けて時計を見ると、時刻は「1時45分・2時15分前」であった。
 其れから電気を消して、其の砂金の粉の様な世界・空間に、閉じ込められている霊魂の存在に付いて考え始め、天津系・渡来系の脅しで出雲国を譲った「大国主命」の子供である「建御名方神」「事代主命」や、神武天皇に国を譲った「長髄彦・ながすねひこ」が許せず東北に去った兄「安日彦・あびひこ」等の事を考え始めると、益々眠れなく成ったので、起きて台所に行き、時計を見ると時刻は「2時11分」であった。
 其れから、穀物コーヒを飲みながら由香の手焼きのパンを食べ、何故、其の様な事が始まったのかを考え始めた。
そして、本日が9月3日である事を考え始め、平成元年9月3日の夜中3時33分に「日の宮幣立神宮」の境内に有る「平和道場」にて、「ようやく高天原に達した。臨在から始める。」と告げて来た聖徳太子の事を考え、3時33分を寝て待とうと考え、3時頃に床に就いた。
     「動き出した聖徳太子」
すると今度は、私の左半分の背中から左後頭部に掛けて、冷たい温度感覚と痺れが起きて来て、何の反応かと思って居ると、過去の人間社会で力を有して居た気配の有る、男性の霊魂の姿が、次々に、前方の方に出て行く様子が映し出されて来た。
私は、其れ等の霊魂が全て立ち去って行き、体が元の状態に戻ってから、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時43分・4時17分前」であった。
 其れから、再び眠ると、私がPCで文章を打って居る映像が映し出されて来て、其の文章の内容は是からの事と謂うか、未来に関する文章であり、私は其の文章の内容をとても気に入って居た。
だが、場面が変わると、其れは、霊界にて打っている文章であり、現実の世界で、私が打った文章ではない事が理解されて来た。
 次に、私が車を運転して、左カーブの暗いトンネルを進んで行くと、明るい世界が見える出口に到着した。だが、其処には、道路の中心に1メートル程の高さの丸い棒柱が立っており、其の棒柱の上に大きな黄色の石球が一個載せられていた。
 其れは、其の棒柱に車が当たると、其の石球が地面に落ちて、出口の方に転がって行く事が判った。そして、其の石球が転がって行く先には、同じ様に石球が載った棒柱が立っており、転がって行った石球が其の棒柱に当たると、其の石球が落ちて転がって行き、明るい世界の地面に有る跳ね上がり式の「ドア・扉」を開いてしまう仕掛けが為されている事が、理解されて来た。
其れで私は、車を進めて石球が地面に落ちて、向こう側の世界が開いた方が良い事なのか、判断に苦しんでいると、私の背後に、私とは反対側の右カーブのトンネルの中から、一人の男性が近付いて来る靴音が聞こえて来た。
そして、男性の声で「はしもと一家」との言葉が一言聞こえて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「8時24分」であった。・・
 今朝は、PCを立ち上げると、「漸く貴方の本番です」との言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げると続きの言葉が告げられて来た。
「漸く 貴方の本番です。
ですが 貴方は何も行ってはなりませんよ。
貴方は 唯 存在しているだけで良いのです。
全ては 整いましたので 
静かに 起きて来る物事を 見詰めていなさいね。
其れだけで 貴方は 事足りるのですから。  」
    「漸く貴方の本番です」
 今朝のメッセージは、8月31日の「溜まって来た悪を放つ」からの続きであり、人間の「闇・裏」の世界が、「表・日の下・三次元世界」に溢れ出して来る事が示されて来ている様である。
だが、何故、其れが「過去の権力・王様」の霊魂が閉じ込められている事と、私の肉体の左半分が冷たく痺れて来て多数の霊魂が前方に出て行く事と関係が有り、「漸く貴方の本番です」との言葉に、どう言う意味合いが有るのだろうか。
先ず、今朝確認させられた時刻「1時45分・2時15分前」「2時11分」「3時43分・4時17分前」「8時24分」の数字から、今年の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章に有る、「低低と為す」「上の者を始末する」との言葉は、今朝の映像で過去の権力に関わった人々の御魂が「金色の砂金の粉、電子・量子空間」の中に閉じ込められていた事と関係が有り、其れを開放するには、太陽光線が当たる地面を開放して、草木の種子がが発芽する条件の中で、再度誕生(生まれ変わる)して、ゼロから生命(いのち)の世界を体験させる必要が有ると謂う事なのかも知れない。
 其れは、昨日の文章に書いた「地下足袋」の世界に通じており、「1時45分・2時15分前」の数字は、1時45分は「いしご・石子」と読めるし、2時15分は釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の命日が「2月15日・涅槃会(ねはんえ)」である事と、関係が有りそうな気がする。・・
 此の文章には、「聖徳太子」や「長髄彦王(ながすねひこ)」の事が書いて有り、「357」の数字は「みごな・皇子名」とも読めるので、昨日の文章の「私の魂(球しい)が皇王」との事とも関係が有りそうである。・・
 此の「渡来家の文書」から考えると、「いせ・石部・石工・メーソン」「いしご・石子」が関係有るので、今朝の「黄色い石球」の仕掛けの意味が理解されて来るし、4時17分の数字は「417・よいな・良い名」とも読める。・・
 此の、文章の中に有る私が産まれ育った屋久島が、1400万年前に溶岩がゆっくりと固まった一つの花崗岩の塊であり、其の花崗岩の中に「六角形」の生長石が多く含まれているとの事を考えると、今朝の映像に黄色い石球が登場した事と関係が有り、私は自分で其の石球を落とすのではなく、後から到着した「はしもと一家」の長に、時の開始の扉を開けさせた方が、良いとの事なのであろう。
何故かと謂うと、舞台中央の六角形の珪素・シリカの台座に座る人間役割が、未だ、私以外に見付かっていないからである。
 嗚呼 今気付いたが、聖徳太子が「臨在から始める」と告げて来たのは、9月3日の3時33分ではなく、9月4日の未明である3時33分であったので、未だ其の時間は通過しているのではなく、明日の未明である。
其れを考えると、キツイ・難儀な事は、前以て、済ませられたのであろう。
「事の始まり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5104.html

此の「成長した魂しい」と「事の始まり」の題名や、文章の内容から考えると、明日8月3日の日付が、両親が74年前に屋久島に上陸した日であり、私の身体・細胞に屋久島の水の情報が流れ込んだ事と関係が有り、私の肉体を構成している「60kg×60%=36kg」の水の世界が、地球全体・生命全体とシンクロ現象を起こすと言う事なのかも知れない。

其れは、74年前は唯分裂を起こしている三ヵ月の細胞に、屋久島の水が取り込まれ始め、36年前には完成した大脳が禊ぎ祓いに拠って覚醒し、新しい情報を取り込み・認知して、是から、水の世界に、新しい記憶情報を与えて行くと言う事に成り、其れが「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の世界であると言う事に成るのであろう。

キー「弁財天 天河神社」

2012/7/25・・其の坊主が帰った夜、私は二階の、畳の部屋に寝て居ると、夜中にフト目が覚め、何か怪しい気配がするので、枕元の方を見ると、おぼろげな、霊が三体座って居るのである。
私は、其の三体の霊体は、昼間来た坊主が置いていった霊魂だと気付いた。すると、其の霊体が「天河に連れて行け」と、云うのである。
 私は、其の状態で眠る分けには行かないので、直ぐに起きて準備をし、車で天河に向かって亀岡を出発した。
そして、5時55分に、吉野の「丹生川上神社下社(以前は闇龗神・くらおかみのかみ)」に到着したので、境内に車を止めて、横の河原で手や顔を清めて、再び車を運転して「天河神社」に向かった。
 そして、天河神社に到着し、境内に車を止めて、伯方の塩の故・菅本フジ子さん(日本 自然塩普及会会長)に戴いていた、塩二袋を使い、神社の鳥居土台に塩山を作り、神社の磐境・いわさかの清めをして、参拝を済ませた。
 そして、車に帰って座席を倒して目を瞑ると、ルビーレッド色の様な輝きを持つ「コブラ・蛇」の姿が一匹現れて、「貴方のお蔭で ようやく入れる」と云って、磐座・いわくらの中に頭から侵入して行った。
 其れから、私の身体が動き出し、車から降りて、神社の杜の裏側を回って、反対側の岡の方に登って行った。
其処は、公園の様に成っていて、石碑と石組が有り、「南朝と北朝の仲直り」の為の施設である事が書かれていた。
私は、其の施設に、霊魂に案内された事で、南北朝の合体が、行われた事を感じた。・・
 本日7月25日は、マヤ文化の暦・カレンダーで時間の余った日とされ、明日26日は元旦である。
其の日に、此の文章を書く事に成ったのも、宇宙の意志の影響か、マヤの神である「時間の操縦士」の働きの所為なのかも知れない。
「天皇霊 其の三 後醍醐天皇」https://moon.ap.teacup.com/20061108/531.html

2015/9/8本日9月8日の日付は、出口王仁三郎が「9月8日には12の秘密が有る」と謂っている日付であり、明日9月9日は、最も陽数である「九」が重なる日なので「重陽の節句」とされている。
其れに、9月9日は「くくり」の数霊から、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の仲を取り持った、「白山菊理姫」の日ともされている。
 今朝のメッセージには、其れに関係有りそうで、夫婦の出会いの物語の映画が映し出されて来て、「リアン手の棟梁」との題である事が示されて来た。
其の物語は、大工の棟梁が仕事に出掛ける車で、一人のヒッチハイクの女性を乗せ、降ろした先で其の女性が良い男性と出会い、幸せな結婚生活を始めるストーリーで、最後に、其の棟梁は天界の使いであった理・ことが解かる為に、夫婦の横に、天から大工の道具である「木槌」が、落ちて来ると言うものであった。
【リアン】とは、フランス語に「リアン・lien」が有り、其の意味は「絆・縁」の意味である。
【棟梁】とは、次の様に載っている。
棟梁(とうりょう)は、組織や仕事を束ねる、中心人物である。
棟(むね)と梁(はり)という、建物において重要な構造を譬えに用いた言葉。昔は、武士や僧侶の社会の筆頭格を指すことが多かった(例:将軍職は源氏の棟梁である)。現代社会では大工・石工の元締めや現場監督、現場代理人などを指すことが多く尊称として扱われる。単なる土木工事現場の現場監督などが棟梁と言われることはない。親方と類義語であるが、大工・石工以外の親方を棟梁と呼ぶことは少ない。
  ウィキペディアフリー辞典 現在記載
これ等の意味からすると「リアン手の棟梁」とは、「絆・縁を結ぶ手を持つ棟梁」との意味になる。
其れに、木槌を手にする人物は「大国主命」で、大国主命は「縁結びの神様(はたらき)」とされているので、関係が有りそうである。
 今朝のメッセージは、其れより前に、私が是までとは違う次元に達しており、私が右手で触れる物は、全ての物の接着(つながり)が、強くなる映像が映し出されて来た。
 其れは、建物の柱や壁に私が右手で触ると、私が触れた部分から、物が分離している隙間が埋まって行き、物の形が、元の正確な位置に矯正されて、丈夫な物に立ち返ると言う物であり、其れは建物だけではなく、人間の繋がりや、自然環境までに及び、私は、自分の神(はたらき)の力を取り戻した事を、強く感じて居た。
 そして、其れこそが、イエスキリストの謂う「永遠の命」の意味であり、其れは神の息吹の中で起きる事であり、其の力を得る為にこそ「禊ぎ祓い・パプテスマ」の儀式が必要であり、其の水に拠る禊ぎで、神の息吹の中に入る事が出来、天神(てんのはたらき)と「時間・とき・紀」を共有する事が、可能と成る理・ことが理解されて来た。
そして「秀明・ひであき」との言葉が告げられて来た。
*「秀・シュウ・ひいでる」は【解字】会意。「禾+乃」禾は、つき出た稲穂の象形。乃は、のびた弓の象形。長く伸びる、ひいでるの意味を表す。
【字義】①ひいでる。 ㋐すぐれる。他と異なって目立つ。「優秀」㋑ぬきんでる。高く出る。「秀峰」㋒のび出る。成長する。②花が咲く。また、花。③すぐれた人・物。「俊秀」
*「明・メイ・ミョウ・あかり・あかるい」は【解字】会意。「日+月」あかるいの意味を表す。
【字義】①あきらか。あかるい。→暗。㋐光りが照らしてあかるい。㋑はっきりしている。めだってあらわれる。「著明」㋒すきとおっている。清らかである。「秀明」㋓かしこい(賢)。「聡明」㋔視力がすぐれている。②あきらかにする。㋐はっきりさせる。㋑見わける。③あける。あくる。夜があける。また、あからむ。あかるくなる。④夜あけ。あけがた。「黎明」⑤あかり。㋐ひかり。光線。㋑ともしび。⑪かみ(神)「神明」・・・    漢語林より
 此の「秀・明」との漢字の説明からすると、「秀明・ひであき」とは、「秀でた者が 明らかにする」との意味合いになり、其の事に、私の存在が関係有るとの事なのであろう。
 だが、今朝のメッセージの映像では、右手で物に触っていた人物像は、私自身の物ではなく、「シクラメン色・バイオレット」の装いをした、30歳代に見える女神の存在であった。
其の事を考えると、私は「イエスキリスト」の言動の様に、自分自身が「手・ハンドパワー」や「言葉」で奇跡的な事を起すのではなく、其の女神の働きを、手助けする立場に在ると言う事に成るのであろう。
 其の女神の存在は、私のビジョンに是まで数度登場した、「弁財天・サラスヴァティー」の神(はたらき)であり、其の弁財天(吉祥天)の働きが是から、私の存在を通して現象化するとの事であり、其れが「大君の御稜威」であると言う事なのかも知れない。・・
 今日は、「弁財天・サラスヴァティー」と「大吉祥天女・ラクシュミー」で以前の文章を検索すると、上記の「12」の文章がヒットし、其れは「12」の数字がテーマと成っている。
 其れを考えると、本日の日付が9月8日であり、出口王仁三郎の謂う「9月8日に 十二の秘密が有る」に、関係が有るのではないだろうか。
其れは、イスラエルの「12氏族×12000=144000人」の事や、イエスキリストが12名の弟子を選び、死後御霊が復活して「12×6=72名(二名×36組)」の弟子を各地に派遣した事にも関係が有りそうだし、私が「とはの寿命」との事に触れた事にも、関係が有るのだろうか。
 人間の壽命は、中国では「10干×12支=120年・歳」であるとされており、60歳が半還暦で折り返し点・節目と成っている。
其の120年の壽命から、肉体的には「不摂生・不養生」の要因にて、減点方式で短命と成って行くのである。
 今朝のメッセージの映像からすると、神々・神霊は肉体を有しないので、事を進める為には、此の三次元世界に身を置く人間の協力が、必要不可欠であり、其の為に、私の肉体(身心)が必要であるとの事ではないだろうか。

其れが、明日の9月9日の「括り・結び」と関係が有り、私が31年前に此の世界に入った時に、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた事や、白山菊理姫の本体である「白龍」が、私の肉体に巻き付いて来て「地球の管理を頼む」と告げた事と関係が有るのではないだろうか。
2006/9/9「自分の中に住む白蛇」http://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
 私には、是まで様々な現象が起きて来た。
其れは、此の三次元世界に自分の躰を置きながら、四次元世界である天神(てんのはたらき)に司える事であった。
 其れは、1984年6月4日の母親の64歳の誕生日の出来事で、安房川での「禊ぎ祓い・パプテスマ」の儀式の後に起きた事であり、4311体の霊魂の最前列に、20年前に彼の世に還った父親の姿が在り、私に「お前に是まで苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に体を貸せ。」と告げてから、始まった出来事である。
 其の出来事を考えると、聖書に記されている「永遠の命に入る為」とは、其の世界に入る事であり、其れは「神の息吹を受ける」との意味であると言う理・ことではないだろうか。
 其の様に考えると、私は、其のイエスの謂う「永遠の命・神の国」に入ってから、既に31年3ヶ月が経過している事に成る。
そして、漸く、新しい神(はたらき)の世界が「明らか」に成ると言う事なのであろう。
 其れは、「リアン手の棟梁(絆・縁を結ぶ手を持つ棟梁)」である「大国主命・大物主命・大巳貴神・おおなむち」が再来して、新しい国造りを行うとの事なのではないだろうか。
 何れにしても、何かが変化している事は、間違い無い様なので、明日のメッセージを待つ事にしよう。
「秀明」https://green.ap.teacup.com/20060818/3589.html

今朝のビジョンでは、私の意識が様々な分野に関わっている様子・場面が映し出されて来た。
其の事を考えると、天神(宇宙意識・万物の母・四次元)の世界では、既に次の準備がどんどん進んでおり、現在地球全体に起きている様々な出来事は、其の天神の手中のプログラムである事に成りそうである。

何れにしても、9月1日(旧暦7月14日)までには、はっきりした事が見えて来るのではないだろうか。

本日、私に理解できる事は、中国の「老子」は自分の考えを「5000文字」道徳経に纏めて書き残して居るが、日本の稗田阿礼は、過去の言い傳え・神話を記録しただけで、自分の考えを書き残したのではないので、同じ文字の世界でも、老子と稗田阿礼とは、全く次元が異なる事に成る。

其の事から、私は自分の立場・行為を考えると、其の過去の二人の人間とは、違う事を行っていると言う事になる。

                         令和2年8月2日

                             礒邉自適

男性の役割

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   男性の役割
                            2・8・1

今朝のビジョンも昨日の続きの様で、男性の役割・はたらきに付いて示されて来た。

其れは、男性にとって一番大事・重要な事は、子供を産み育てる「女性・雌・伴侶」を守る事に有り、次が、生きる智慧を磨く事である事などが、日本語文章にて、示されて来るものである。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時14分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、私が何処かに向かう為に電車に乗ると、途中で車掌が回って来て、「全員座ってないで立ち上がって居ろ」との事を言い、其れは走行中に眠って居ると、自分の降りる所を通り過ぎてしまう事を意味していた。

私は何故か、「久留米」行きに途中で乗り換えなけば成らなかったのだが、降りるタイミングを失って、其の儘進んで行った。

其の間に、次々と客が降りて行き、行き先が判らない私は、最後に一人だけに成ってしまった。
途中で、河の橋を渡り始めたので、其処は安房川かと思ったが、雰囲気は似ていても、全く違う場所であり、其の儘先に進んで行くと、最後には、其の乗り物は小型のマイクロバスに替わっており、更に半島の先に到着すると、其の車は水陸両用車らしく、其の儘海上を走って向こう側の島に上陸した。

そして、到着して、私が降りると、其の乗り物は、直ぐに一人の客も乗せずに引き返して行った。

私が荷物を持って、ベンチの方に歩いて行くと、とても優しい笑顔の三人の男性が、私の到着を待って居る様子・場面が映し出されて来た。

そして、其の男性達に荷物を渡して後を付いて行くと、其の人達は皆、定年退職をした様な感じの60歳代の普通の人達で、三人とも独身であり、見捨てられた村に住み着いて、荒れた村中の木々を伐採したり、道路を補修したりしており、公民館の様な古い建物の修理などを行って居る事が判った。

私の荷物を其の公民館の様な建物に置いて、「今夜は 此処に泊まって貰って良いですか」と謂うので、私の二つ有る荷物・バックに触って見ると、寝袋が入っている事が判ったので、私は其れを了解したのだが、藪蚊が居るのではないかと、考えていた。

其れから、夕食の替わりなのか、焼き芋が渡されたので、四人で地べたに座って其の焼き芋を食べ始めると、一人の男性が「自適さんは・・・云々」と謂い始めたので、其の人達は私の存在を知っている事が判った。

其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は6時27分であった。

其れからPCを立上げ、今朝起こされた時刻「1時14分」「6時27分」の数字から、1月14日と6月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2020/1/14今朝のメッセージの映像は、先ず、私の屋久島の実家の存在が映し出されて来て、母親が老齢に至った為に、裏の段々畑には野菜が作られておらず、レモンの木も雑草に覆われていた。
 次の映像は、何処かの田舎の幾つかの村の様子が映し出されて来て、其の村は過疎化しており、老人だけが残って居るだけなので、若者が一人も居ないし、子供の声も聞こえない状況であった。
 私は、其の村中の神社を視て回ると、人の手が加わっている感じが一切しないし、社内は白い埃を被っており、間もなく崩壊する様な雰囲気であった。
 其れに一ヵ所の神社には、其の村の氏神(先祖霊)が棲んでいる事が判ったので、祭禱(さいき)を行なった方が良いと意い、数人の男性に集まって貰ったが、其の人達には、先祖霊を祭禱(さいき)する心構え(認識・作法)が無い事が判ったので、其の神社の祭禱を継続する事は無理である事が判った。
 其れに帰り際に、お礼の品として旅行用のバックを渡されたので、何が入っているのか確認すると、数種類の野菜の漬物が入っているだけなので、私は其れを貰っても、旅の邪魔に成るので、貰うのを断って居た。
今朝のメッセージの映像は其れだけであり、起きた時刻は7時15分であった。
 今朝のメッセージは、私の意識が昨日、無空の状態に成った・至った事と関係が有り、人間にとって「何が必要で 何が必要ではないか」を、是から考えろとの「問・門・扉」が、用意された様な感じがする。
 今朝は、PCを立ち上げ、起こされた時刻7時15分の数字から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様に書いて有り、今朝のメッセージと関連性が有る様なので、全文を其の儘載せる事にする。
    良い子悪い子・・
 今朝のメッセージの映像は、先ず、10代の小学生達が、良い子のグループと、悪い子のグループが、別々に、集団で自然の中で遊んで居る場面が映し出されて来た。
 次に、町の中で祭りが行われている様子が映し出されて来て、各班の子供神輿の列が、河川に架かる太鼓橋の上を渡って来る場面が映し出されて来た。
私は、自分の長男である「海生」と、昼飯を一緒に食べようかと思って人垣の中に入って行ったが、途中で海生の姿を見失ってしまい、会う事が出来なかった。
 其の映像の意味に付いて考えて居ると、「良い子 悪い子」との言葉が頭に浮かんで来たので、意識が目覚め起きて時計を見ると、時刻は7時16分であった。其れからPCを立ち上げて、昨年の7月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章を書いて・打ってから明日で丸一年と成る。
其の事を考えると、今朝のメッセージは「子供達に 神に対する信仰心(依存心)を 持たせては成らない」との事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、釈迦牟尼世尊、老子、イエスキリスト等の偉人が、宗教団体や建物を建設し、神頼みをする事を戒めているので、顕かな事である。
 其れを考えると、私の両親は神社や寺院に子供達を連れて行く事は、一度も無かったし、私が産まれ育った松峰区(開拓村)には神社が存在しなかったので、神社の行事など何も無い環境であった事が関係有りそうである。
だが私の息子は、母親「美代子」が創価学会の信者であるので、現在でも学会活動・公明党の活動に染まったままである。
 其れを考えると、今朝のメッセージも「精進」「禊ぎ祓い」とのテーマと関係が有り、最初から禊ぎ祓いが必要に成る様な事は、しなければ良いと謂う事に成る。
だが今朝のメッセージの映像には、良い子(素直な子)と、悪い子(悪戯子)のグループが、別々の集団で遊んでいる場面が映し出されて来た。
 其れに、子供神輿は、其の子供達が一人残らず参加する行事なので、何等かの集団行動・活動が、必要不可欠であるとの理・ことが示唆されているのであろう。其の最大のモノ・世界が、学校教育の存在である。
其れを考えると、学芸会・運動会・遠足・修学旅行などが、其の一環であると言う事に成るであろう。
 だが、其れだけでは、天神(てんのはたらき)や「御祖神・みおやかみ」・先祖霊等の存在を傳える事が出来ないので、何らかの手段・方法が、必要であると言う事に成りそうである。
 今朝は、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事であり、其の内容は次の様なモノである。
先ず、広い真直ぐな道を歩いて進んで行くと、突き当たりの右の角に「黒柳徹子」が立って居て、其の右手の直ぐ横には岩肌が剥き出しに成った場所が在り、其処は何人かの人が亡く成った場所である事が伝わって来た。
 其処で、手を合わせて禱りを捧げた後、その横にある建物に入っていくと、古民家を再生した趣のある建築で、とても心地の良い空間であったとの事である。
突き当たりの左手には、小さな建物があり、其処は道を歩いて来た人達の休憩所に成っている様で、中に入るとインドの神様の様な出で立ちで、恰幅の良い、宝石・アクセサリーを身に着けた人達が3,4人ほど居て、自分用に小さな薄紫のクリスタルが付いた耳飾のような物が置いてあり、「もっと欲しいのなら、まだある」と謂われたが、欲しいと思わないので、そのままにしていたとの事である。
 次の映像は、父方の祖母が出て来て、「墓に物凄いお金を掛けてきた」という趣旨の事を謂うと同時に、数式が出て来て、それを計算するのに疲れたとの事である。其の後、実家を中心に、右手にある神社の随身門、左手奥にある本家、左手の山上にある観音堂(十一面観音)の三つの場所が順番に示され、「深く掘り下げて調べなければ」と、強く感じていたとの事である。
其れらの場面は、墓・本家=亡く成った場所=先祖供養・鎮魂、古民家=随身門=神社、インドの神=観音=仏教 と、関連している。
 其の由香のビジョンから、私が即座に考えた事は、男性の役割は本来「狩りに出掛ける」「家族・部族を守護する為に戦う」に有るので、外向きの活動が目的・本能であり、其れが現在では、政治・経済・教育・宗教・芸術・建設などの分野と成っていて、行動力・想像力が必要とされているので、其の為に、男子は子供の頃から、仲間造りや、自分の能力の向上に務める・修行する必要がある理・ことに成る。
 其れを考えると、女性の役割は、子育てや家事に能力を発揮する事にあるので、暮らしの伝統を継いで行かなければ成らないと言う事であり、先祖供養や、町村での文化行事は女性の役割・役目であると、理解できる事に成りそうである。
 其の様に考えると、今朝の二人のビジョンは、男性と女性の役割と謂うか、立場が示されて来ていると捉えても間違いではないだろう。
「黒柳徹子」の名前の「徹・テツ・とおる」は、辞典に次の様に載っている。
「徹・テツ」【解字】会意。甲骨文は、鬲+又。鬲は、かなえの象形。又(手)を付し、食後のあとかたづけをするの意味を表す。常用漢字の徹は、「彳+育+攴」の会意文字。育は鬲の変形、攴は又の変形。一般に、事が最後のかたづけにまで行く、とおす、とどくの意味を表すようになり、彳を付した。
【字儀】①とおる。(通)また、とおす。突き通す。「貫徹」「徹底」②とどく。達する。とどける。③あきらか。「明徹」④のぞく(除)取り去る。はぎ取る。また、捨てる。⑤こわす。こぼつ。⑥つらねる。(列)。つらなる。⑦夜を明かす。    漢語林より
 此の「徹・テツ」の漢字の意味からすると、今朝のメッセージは、男女ともが、自分の役割を「貫徹・徹底」しなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
 其れを考えると、「男女同権」などの言葉・概念は止めて、男性は女性の、女性は男性の役割を、互いに認知・理解して、尊重しながら、相互協力に努めなければ成らないと言う事であり、其の理を第一義として、社会の組み立てを、行って行かなければ成らないと言う事に成るのであろう。
そして、其れを第一義とすれば、宗教や天皇家の存在も必要では無く成るし、天皇陛下が交代する度に、年号が変わる様な面倒も無く成る事に成る。
 キー「男性と女性の役割」・・
是等の文章に目を「徹・とおす」と、私は36年前に「土肥無庵」に捜し出されて、真実の答えを得る為に、此の世界に送り込まれた事の、答えを導き出したのではないだろうか。
其れは、人間が万物の霊長として、どう在るべきかが鉄則である。
 【今朝の文章の題は「良い子 悪い子」としたが、其れは子供達自身に罪が有るのではなく、其の子供達が育った環境条件に有るので、其処の事・件から、私に対策を図れと言う事なのかも知れない。 】
 此の「誰が神に名前を与えた」との言葉の意味を考えると、誰かが神仏に名前を与えて祭禱(さいき)を始めなければ、元々宗教の世界は無かったと言う理・ことは明らかである。
 其れを考えると、私の両親や、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」は、私を神社やお寺に連れて行く事は一度も無かったので、私が神仏に関わる事に成ったのは両親や土肥無庵の所為ではなく、神霊界の霊魂の仕業であり、私が35年間に亘り、自分の人生を犠牲にして来たのは、私のカルマや両親の業ではなく、宇宙自体のカルマ・業である事に成るのだ。
 私が昨日「無空・空無」に成って、意識した事は「精神」との言葉の意味に付いてである。其れは、日本語では「こころ」の意味であり、其の「こころ」の概念は「絶えず ころころ変わるモノ」の意味であろう。
其の、絶えずころころ変わるモノ・世界に、入り込んで来るモノが、人間社会の情報や霊魂の存在であり、其れに因って「つくりあげられた物」が「人間・ひと・霊留」である。
 だから、昨日「無空・空無」に成った「私・自分」こそが、本来の「自己」なのである。
其処には、一切の神霊の働きも入り込めないし、他人の影響や、過去の柵や、他人が考え出した概念も無いので、本来の「禊ぎ祓い」の儀式の真実が其処に有る事に成る。
 キー「精神 米+青 示+申」・・
赤子は、此の世界に産まれ落ちた時は、無垢であるとされているが、私の是までの体験からすると、両親を選ぶ際に「神霊・霊魂」の存在が関わっており、この世に誕生してから4歳頃までは、前世の霊魂が無意識層に潜んでおり、影響を与えているが、本人の顕在意識に三次元世界の情報が詰め込まれる(上書き)事で、其の前世の記憶は薄らいで行く。
そして、其の後は、本人の選択・チョイス次第で歩き始めた世界に、同調する霊魂が依り憑いて、守護霊と成って行くのである。
 そして、其の典型が、安房川で禊ぎ祓いを行い4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた、私の人生であり、其の事が漸く昨日完結したとの事であろう。
 今朝のメッセージの映像からすると、人間が住まなく成った過疎地の神社は、崩れ去って「産土神・先祖霊」だけではなく、「野狐(やこ)霊」なども居なく成るので、静かに暮らしたい者には、移住地として相応しい環境であると言う事に成るのかも知れない。
「年寄りだけの村」https://green.ap.teacup.com/20060818/5241.html

此の「年寄りだけの村」の文章の題は、今朝のビジョンに60歳代の三人の独身男性が村造りを行って居る場面が映し出されて来た事と関連しており、起こされた1時14分のビジョンが「男性の役割」であった事と、此の文章の中に「男性と女性の役割」との文章が貼り付けられている事も関連している。
2008/5/12「女性と男性の役割」https://moon.ap.teacup.com/20061124/51.html
2000/11/1「女性と男性の違い」https://star.ap.teacup.com/2006o414/21.html
2018/9/11「父性と母性」https://green.ap.teacup.com/20060818/4740.html

2020/6/27今朝のビジョンは先ず、私の意識が、太陽光・日当たりの良い山丘が連なる谷間の村々を視て廻っている様子が映し出されて来て、私が通過した場所の跡には、足跡を意味するのか「点々・・・」や、コースの意味なのか「線 ―」が残っている映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、其の点と線は、私の現地調査後の記録・報告文書の事を示唆している事が、示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時31分」であったので、私は其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、戦争で焼けたのか、大津波が襲って水に浮く物が全て流されてしまったのか、鉄や石の様な物しか残っていない町の址が映し出されて来て、私は一人で其の中を歩いて、砥石や金梃子(てこ)等を拾いながら、歩いている場面が映し出されて来た。
 次に、私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。
だがガスコンロのガスが無いので、煮炊きをする竈を作らなければ成らないと意って居た。
 次の映像は、其の小島ではなく、本土の様子が映し出されて来て、地面には毒の有る「水仙」しか生えていない様子が示されて来て、其の理由は食料難の為に、他の毒の無い草が、全て食べられてしまった結果を示している事が、理解されて来た。
 次に、人間が通らなく成った山道に、木々が育ち始めている様子が示されて来て、森の中では、私の知り合いらしき樹医をしている男性が、老木(御神木)が出来るだけ長生きする様に手入れをして居る場面が映し出されて来て、私は其の男性と樹木の事に関して色々話して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
 其れから再び眠ると、今度は雨音と共に雷鳴が轟き始めた。
そして、其の音を聞いて居ると、空気中に溜まって来ている「+・-」の電気粒子の所為か、雷から空中に放射・伝波されている「電気・磁気・大山祇神」との繋がりなのかは判らないが、様々な世界が瞼・脳裏に映し出され始め、私は其の映像が余りにも現実的な場面なので、昔の人が雷を「かみなり・神鳴り」と呼んだり、「神・シン・ジン」の漢字を「示(祭壇)+申(電気・雷)」としているのかが、理解される様な気がしてきた。
 其れから、女性・女神の聲で「現れたくない」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、地球全体・生命全体の事を考える女神が、暴走・破壊を止めない人間の数を減らさなければ、どうにも成らない次元に至っているのだが、其れを始めれば、感謝される所か、逆恨みされて、「悪魔・悪神」であるかの様に受け取られかねない事を、気にしている事が理解されるモノであった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時24分である。
 今朝の最初の場面は、太陽の「陽」の漢字と、「郡」の漢字の世界が示されて来ており、人間の暮らしの原点を見つめ直す必要がある事が示されて来ているようである。
キー「陽 郡」・・
*邑(阝)部
阝・おおざと偏 邑が旁になるときの形。邑(阝)を音符として、人の住む地域・地名を表す文字ができている。
*こざと‐へん【▽阜偏】 の解説
漢字の偏の一。「防」「隊」などの「阝」の称。
[補説]漢字の右側にある「阝」は「おおざと」という。
*「郡・グン」【解字】形声。「阝(邑)+君」音符の君は、群に通じ、むれの意味。邑は、むらの意味。村の一郡、行政単位の一つを表す。【字義】①こおり。グン。周代以後の地方行政区画の名。周代は県の下。戦国時代以後は県の上。②つかさ。郡の役所。国語。グン。日本の地方行政区画の一つ。府県の下。
        漢語林より
 今朝のビジョンは、私が進んで行く方向の左上に太陽が有る事で、右側に縦に繋がる山・岡は、全て「日向・ひむか・陽向か」であり、太陽光を谷合いにまで目一杯に受けており、其の谷合いから流れて来る水に拠って、豊な生活を続けて居る人々の邑が、谷間毎に並んでいる事が判った。
其れは「小郷偏」が、一個所の邑を意味し、幾つも其の邑が繋がっている・群れているのが、のが「大郷偏・郡」である。
 其れは、其の様な環境条件の下で生活して居る人々には、今朝女神から告げられて来た「現れたくない」との言葉は、関係が無い事になり、今朝のビジョンの滅びの世界は関係が無い事に成る。
 其れは、今朝起こされた時刻が「8時24分」であった事と関係が有り、昨年の8月24日の文章が「老子の桃源郷」である事と関係が有るのだろう。・・
 此の文章の内容からすると、今朝最初に起こされた時刻が「2時31分」であり、私が其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶した事は、岡本天明に6月10日「時の記念日」から「天之日津久神社」の祠の前で始まった、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界と関係が有り、「老子の桃源郷」の言葉を「心の指針・魂しいの柱」にしなければ成らないとの事なのではないだろうか。
 其の様に考えると、日月神示に有る「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀り 他の神は外に祀れ」とある事と関係が有り、其の老子の理想郷の教訓こそが、現在大問題と成っている「コロナウイルス感染」の良薬に成る事は間違い無い様である。
 今朝の最初のビジョンは、私が屋久島の東南向きに位置する矢本嶽の山懐に産まれ育った事と関係が有り、太陽の光を全身に浴び、雷のエネルギーをチャージしながら、思考を膨らました事が、其の儘「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の温床・土台・基礎に成っている理・ことが、表されている事に成る。
其れを考えると、私の意識の寝床は「日向」であり、「日高見の国」の伝統を宿している事に成りそうである。
 今朝のビジョンの状況からすると、コロナウイルス感染の問題は、未だホンの入り口にしか過ぎず、8年間延長された2012年12月23日のマヤの予言が、本格的に開始されると言う事であり、其れを考えると今年の旧暦7月14日の「夏・秋禊ぎ祓い」を真剣に実行する事が、生き残りの道・方法であり「現れない(実行したくない)」と告げて来た「女神(万物の母)」の悲しみの涙を見なくて済むとの事なのではないだろうか。・・
 其れに起こされた5時5分の数字は、今年の5月5日の文章の題が「光のエナジーが神」であるので、今朝の最初のビジョンと関係が有り、母神は太陽(恒星)の神であるのかも知れない。
「231・文始め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5407.html

此の文章には、「・・私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。・・」と、書いて有るので、其れも、今朝のビジョンで私が見捨てられ島に到着した事に関連しているので、今朝のメッセージは、老後の生活や、無人と成って行く過疎地の事を、考えなければ成らないとの事なのではないだろうか。

其れを考えると、今朝私が向かって居た行き先が「久留米」で乗り換えなければ成らなかった事に、関係が有ると言うか、「久留米」との言葉に、謎解きのヒントが有るではないだろうか。

「久・キュウ・ク・ひさしい」【解字】象形。病気で横たわる人に背後から灸をする形にかたどり、灸の意味を表す。灸の原字。転じて、時間が長い・ひさしいの意味を表す。久を音符に含む形声文字に、柩・匛・などがあり、これらの漢字は「久しい」の意味を共有している。
【字義】①ひさしい。㋐ながい。行く末がながい。「長久」㋑古い。古くからの。②ひさしくする。長くする。時間を長くのばす。時間が長くかかる。

留・リュウ・ル・とめる・とまる 【解字】形声。「田+丣」音符の丣(リュウ)は流れに通じ、ながれるの意味。田の間を流れる水がとまるの意味を表す。留を音符に含む形声文字には「ながれがとまる」の意味と、「ながれる」の意味との二つの系列がある。
【字義】(一)①とまる。とどまる。㋐その所にとどまる。動かない。「逗留」「寄留」㋑とどこおる。㋒おくれる。長びく。㋓後に残る。「遺留」㋔中止する。②とめる。とどめる。㋐とどまらせる。動かないようにする。おさえる。㋑やめさせる。㋒引きとめる。㋓とどこおらせる。長びかせる。後にのこす。㋔ぐずぐずしていて決定しない。決行しない。③久しい・長い。④うかがう。すきをねらう。(二)すばる。星座の名。

「米・ベイ・マイ・こめ」【解字】象形。甲骨文は、横線と六点とからなり、横線が穀物の穂の枝の部分、六点がその実の部分を示す象形文字で、こめの意味を表す。米を音符に含む形声文字に眯・迷・謎などがあり、これらの漢字は「とまどうほどの多くの粒」の意味を共有している。
【字義】①こめ。よね。稲の実。②穀物(むぎ・きびなど)の実。また、その脱穀したもの。さらに竹・まこも・はすなどの実をもいう。「米穀」③メートル。フランスの長さの単位。・・・
     漢語林より

此の「久・留・米」の漢字の意味からすると、今朝私が乗り換えなければ成らない場所が「久留米」であったのは、「米を栽培する暮らしを永久に留め於け」との意味合いが有り、「稲作文化の伝統を失うな」との理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。

其れは、東南アジア全体の文化と関係が有るので、肉食文化である西洋人の価値観が、是以上蔓延る事は、地球環境の破壊に繋がるので、万物の母神が、地球生物全体の為に、人間の在り方をここ等で調整するとの事であり、其れが現在大問題と成っている「新型ウイルス感染」の出来事であり、一日も早く万物の母の悲しみを汲み取らなければ、事態は増々厳しく成るとの事なのであろう。

そして、其の事を行う・指導する事こそが、男性の役割であるとの事なのであろう。

其れを考えると、離れ小島で焼き芋食生活をしていては、自分達だけは生き残れても、人類全体の未来の為には、役に立てないと言う事にも成る。

                         令和2年8月1日

                             礒邉自適

日戸・ひと



  
日戸・ひと
                         2・7・31

本日で7月も終わり、明日から8月である。
8月3日は、私の両親が1946年8月3日に、屋久島の安房川の岸辺に艀(はしけ)で上陸してから、丸74年と成る日である。

私は、其の両親が上陸した船着き場で、1984年6月4日(旧暦5月5日)に「土肥無庵」が見守る下、禊払いを行うと「大嘗祭」の儀式が始まり、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きて、此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ。

今朝のビジョンは、昨日のビジョンに映し出されて来た三段の箪笥形式の思考枠組みの世界の続きであり、私の意識は、其の思考の枠組みに関わっており、幾つかの内容を組み立て(作成)て居る様子が映し出されて来た。

今朝は6時8分に起こされたので、PCを立上げ、6月8日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2020/6/8「咲いては 閉じて 実を残す」
今朝のビジョンには、先ず、何組かの男性と女性が、恋文の様な言葉を交わす様な場面が映し出されて来て、私が其の言葉を書き留めた紙片を見ると、何故か、女性の言葉は「・・・・・」で記されており、男性の言葉は「□□□□□」で記されている事が判った。
 私の意識は、其れは「・(点・一次元)-(線・二次元) □(面・三次元)」とされている世界と関係が有り、女性の存在は「一次元・原点・源」であり、男性の存在は「三次元・面積・行動・拡散・縄張り宣言・踊り場」に関係が有ると意っていた。
 次に、屋久島の行政の様子が映し出されて来て、以前「下屋久町(南半分)」と「上屋久町(北半分)」と別れていた時に、両町の文化・生活・価値観が異なり、人間の人格・性格に違いが有った事が示されて来た。
 其れは屋久島は2000mの山岳が中央に聳えるので、日本アルプスの南側「関東」と北側「裏日本」の様に、気候が異なる事で、天候や農耕に差が有る事で生じる世界である。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
 其れから再び眠ると、今度は、私の身近に数頭の茶色の犬(猟犬?)が居る場面が映し出されて来て、飼い主が食事の合図である笛を吹いた音が聴こえて来た瞬間に、其の数頭の犬は皆一目散に駆け出して逃げて行く場面が映し出されて来た。
私は、其の犬の様子を見て、現在の人間は、お金を餌として飼いならされており、私が使える物ではない理・ことが理解されて来た。
 其れから「第四章」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時8分」であった。
其れで、私は本日6月8日の6時8分に起こされた事を確認した。
 すると、頭に「咲いては 閉じて 実を残す」との言葉が、脳裏・潜在意識から響いて来たので起きて、PCを立ち上げると「貴方は ワタシが」との女神の言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げて其れを打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方は ワタシが」
貴方は ワタシが選んで 育てた者なので
貴方に万一 何がが有れば
是までの事は 全て無駄に成ってしまいます。
ですから 絶対に 無理な事はしないでね。
貴方が 貴方の儘であれば 此方は
何も 心配をする必要は 有りません。
ですが 貴方が他人に 何かを頼まれて
其れに 従ってしまうと 此方は
何もできなく成ってしまうのです。
良いですか 貴方は 即 ワタシの存在なのですから
決して 其の事を忘れては成りませんよ。
何故なら 其処に 全ての
「色・rūpa・ルーパ・縁起」が発生して来るのですから。」
          「貴方は ワタシが」
其れから、今朝起こされた5時5分前の数字から、今年の5月5日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章の内容からすると、先日「シラスの取り過ぎ」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、「グリーンクラブ」の会員・仲間を増やせとの事は、陸の農林業だけではなく、海の漁業者も含めろとの事に成りそうである。
其れから、昨年の6月8日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 其れに「11月8日」の日付は、昨日のビジョンに登場した「土肥無庵」の命日が「2001年11月7日」であるので、11月8日は霊界・四次元世界での始まり日であるので「118g0」とは、「土肥無庵」が霊界にてスターターを鳴らすと言うか、旗振りを行うとの事が示されて来ているのかも知れない。
 其れを考えると、矢張り「土肥無庵」が私に書いて渡した「ナニモナサザルナ」のメモ書きの言葉が、最も大事であり、私も「牟尼・世尊」の立場を確実な物としなければ成らないのであろう。
「第四章」https://green.ap.teacup.com/20060818/5388.html

此の「第四章」との言葉からすると、一昨日「パシッ」と音がして、暗い世界に白い四角な窓・空間が開き、全体に広がって行った場面と関係が有り、此の文章に書いて有る「□(面・三次元)」の世界が開いたとの事であり、其れは神(はたらき)の世界の「第四章」の始まりであるとの事なのではないだろうか。

今朝は起きて来た由香に「何かビジョンを見なかった」と訊くと、見たとの事であり、其れは次の様な事である。

始めに、人間の脳を取り出して、手術か手入れ(掃除)の様な事を行っており、其の脳は肌色ではなく、紅い色をしていたとの事である。

次に、自分の意識(立場)が深い森の中に在って、車で空中を飛行して麓に降りて行こうとして居たとの事である。

其の由香のビジョンも、人間の意識を切り替えると言うか、新しい次元に移管する事が示されて来ており、深い森の中から下界に降りるとの事は、神意識が深い森・原始林に在ると言う事に成るので、人間の意識は650万年前に類人猿から分離した時点から発生した物であると言う理・ことが、示されて来ているとの事にも成る。

其れを考えると、私が産まれ育った屋久島は、1400万年前に海底から浮上した花崗岩の島であるので、其の人類の意識(電磁気情報)を記憶していると考えても、間違いでは無いと言う事に成り、仏教の須弥山との言葉・概念とも、無縁ではないと言う事に成る。

其れを考えると、仏教の有名な言葉「色即是空 空即是色(色・rūpa・ルーパ・縁起)」の縁起が何時起きたかの事も、次期が固定されて来ると言う事にも成るだろう。

其れは、「神・ゴッド」の概念を創り出したのは、人間自身であり、天神・地神が存在するのではなく、此の138憶年前にビッグバンで誕生した宇宙空間の時間・事象の最先端に存在する「人間・ひと」が、神であると言う事に成るので、今朝の文章の題は「現人神・あらひとかみ」にしようかと意ったが、辞典で調べると「天皇」の事と書いて有り、古代から存在した「シャーマン・神人」の事ではなく成っているので、取り敢えず「日戸・ひと」とした。

其れは、是まで使用して来た「霊留・ひと」の言葉の「霊が止まった躰」との言葉も合わなく成り、人間の身体こそが「宇宙自身の現象体」であると言う事に成り、確かに類人猿から進化した人間の脳は、「自分が何物で 何処から来たのか」との長年の悩み・疑問が解決され、人間自身が「吾(神の言葉を守る物)」から、「我(刈り取りを行う物)」へと、自覚が変わる時節・ときを迎えた事に成るのであろう。

「日戸」とは、「岩戸開き」を起こなった人々の世界や、「大和・やまと・山門」との言葉とも関係が有り、其の「岩戸(シリコンの情報扉)磐境・いわさか」の世界(コンセプト)こそが、私が1984年11月22日に伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」に頼まれた「最後のトンネル潜り」の注文の課題である事に成るのだろう。

2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html

其れに「岩戸・山門」ではなく「日戸」としたのは、昨日のビジョンで三段作りの箪笥の一番上の段・箱が「火」がテーマであった事と関係が有り、此の宇宙は無の中に「火・ビッグバン・大爆発(水素・電子と原子核とが結合)」に因って始まっている事と関係が有り、其の子供である「太陽・ヘリウムの核融合」の光熱・波動で、地球の「草木・石炭・石油・ガス」等、火熱の元と成る物が一切できており、其の草木・植物を食べる事で、我々人間を始めとする動物・昆虫類がエネルギーを貰って生きているからである。

驚いた事に「太陽 石炭 石油 礒邉自適」で調べると、何と「やまと」の文章だけが出て来た。

2005/10/6今朝のメッセージは、文字や言葉ではなく、森の中の一筋の道が、現われただけだった。
しかし其れは、今までのメッセージの終極を示す様な感じがするモノである。
 昨日のメッセージの「木の汁」「デモンストレーション」「ステージ」この三つの単語が、最後の言霊であった様だ。
そして、今朝は、其の短い言葉さえ無く、木汁のデモンストレーションのステージが現われたのだ。
「木の汁」とは、ミトコンドリアのプールの事なのだろう。
我々地球生命は、其のプールが存在する事で、いのちを繋いで来たのだ。
一切の「いのち」の元は、植物の体液に在るのだ。
だからこそ、木は、人間の言葉は話さなくても、釈迦を仏陀にし、私を誘ったのである。
 静かな森の中は、木々の息吹だけが在る所だ。
しかし、其の世界を能く考えて見れば、太陽の光りエネルギーを葉で受けて、根から酸を出して岩を溶かし、水を循環させ、全ての生命を支えているのである。
 木が地球に存在しなければ、酸素も無いし、石炭や石油も無かった事になる。あらゆる動植物が、植物の体液の中を泳ぐ、目に見え無い存在に支えられて来たのである。
 木々は、言葉は使用しなくても、確かな情報を有している。
杉はスギの、公孫樹はイチョウの、確かな周波数を使っている。
其れは、静電気の様な振動波であるが、生命全体の周波数の海の中で、其々のチャンネルを有しているのである。
 私は21年前、屋久島の森の中に素っ裸で過ごし、彼等の周波数の海に入り込んで行った。そして、木々とのコンタクトのお陰で、全国の旅が出来た。
天河神社の、反対側のお寺の公孫樹や、富士浅間神社の太郎杉などは、全国の木の司令塔と成って、連絡を取り合ってくれたのである。
 そんな世界は、古代では当たり前だったのである。
だからこそ、神社には鎮守の森が造られ「神籬・ひもろぎ」が植えられたのだ。
屋敷の門には、木のアーチが作られ、茶道の世界では露地が有り、神社では榊木の枝で頭の上を祓われる。
それらの作法の原点には、木々の持つ力が認識されて居たのだ。
 1994年3月22日の未明、私の意識が、宇宙船のコックピットの様な所に在って、地球に近付いて来た。
そして、山岳地帯の上空まで来ると停止し、或る一画に四角な枠を嵌められて、其の一画が拡大されて来た。
 其の焦点は、或る山の山頂に向かい、一本の大きな木に近付いて行った。
其の木は、大きな岩が点在している中に、一際大きく目立つ木である。
其の木の、大きく横に伸びた枝の下に岩が在り、其の岩の上に、人間が一人白い衣を被って座って居る。
 私が、其の人の顔を覗こうとして、目線を近付けて行くと、突然、其の人の姿が消え、替わりに「風 麦東 陶(ふうれんとう)」との文字が、現われて来た。「ふうれんとう」とは、「人間の生活習慣や 風習を 練り鍛えて 人を導き教える。」との意味である。
 何故、其の人が、山奥の大きな木の下に座って居たのだろうか。
其処にも、重要なメッセージが込められている。
私の意識を、誰がコントロールしているのかは判らないが、人が木の下に座し動かない事は、木の情報を、人間の意識に伝える為に、トランスの役目を果たしているとも考えられる。
 漢字の「休」は「人+木」の組み合わせで、人が木に寄り掛かって休んでいる象形文字である。
人間が、木の下に居ると言う事は、木の力に自分を委ねる事である。木の下で、無心に成った時に、人間の魂も原点に還れるのだ。
 原点とは、いのちの基であり素である。
私達の迷いの元は、其の木の下から、離れた事で生じて来たのだ。
 今朝のメッセージでは、一本の木ではなく、長い道が、森の中に続いており、其の道を私の意識は進んで行った。
そして、道を取り巻く周囲には、其のモノ言わぬ木々が、いのち豊に息づいているのである。
私の意識は、其の道を進みながら、その道が「やまと」に続いているのだと感じた。
「やまと」は「大和・山門・山戸」であり、其の意味する処は深い。大和とは調和であり、神秘であり、偉大なモノでもある。それは、人類全体の魂を包み込む力が有る。
 日本の神社で唱える「大祓への祝詞」には、「国つ神は 高山の末 短山の末に登り座して 高山のいほり 短山のいほりを掻き別けて聞こしめさむ・・・」とあり、神は山に住んでいる理に成っている。
 出雲では、其の神々が住む所を「くまくましき所」と呼ぶ。
其れが熊野(くま乃)の語源であり、アイヌでは森の神の化身として熊(くま)を神としたのだ。
 イエスの言葉も、死海文書の中では「貴方達は 他人に 神は何かと訊かれたら、神は この大自然 全てであると答えなさい。」と述べたと、書かれているとの事だから、イエスも同じ事を感じ取っていたのだろう。
森の中に、神が住むのではなく、自分自身が、森の神の化身として目覚めるのである。其の為に、神社やお寺は、水清き山中に建てられたのだ。
 其の事からも明らかな様に、自分自身が森の中に立ち入り、木の波動をダビングして、生命のデモンストレーションとして、ステージに立たなければ成らないのだ。
昔は、山の中に在った神社や寺が、今では周囲が開発され、町中に成ってしまっている。そんな所に出掛けて、塩素入りの水で禊いでも、チャンネルは開かない。
「ふうれんとう」とは、先ず、これ等の事柄から改善して行かなければ成らないのではないだろうか。
 他の星の生命体が、地球人の様な姿をして居る分けがない。木や草こそ、地球生命の原点なのだから、緑色をした草木の様な動物が、他の星では動き回っているかも知れないのだ。
 山の木々こそ、宇宙意識其の物の、現われなのかも知れないのだ。
その木をドンドン殺して行けば、自分の肺は、其の内呼吸が出来なく成る。
人間は、自分の手で、自分の肺を虐めている事になる。
 地球の、空気中の酸素濃度は20・93パーセントである。
其の濃度が、数パーセント少なくなれば、呼吸が難しく成るらしい。
 森こそ、私達の身体を進化させて来た、育ての親なのだ。
森に還るとは、親元に返る事なのである。「やまと」とは、其の意味までが、含まれた言霊なのかも知れない。
 私の生まれた所は、「矢本嶽・やもとだけ」である。
神は、私の意識の基を、始めから考えていて、「やもと」を誕生地と決めたのではないだろうか。
「おやもと」が「大和」であるなら、私の意識は「吾」として、木々のデモンストレーション(示威運動)を担って居るのだろう。
この地球を、ステージとして。
「やまと」https://star.ap.teacup.com/170606/596.html

此の文章の内容からすると、今朝の由香のビジョンは、其の森の神(はたらき)が、人間社会に降りて活動を始め様としている事を、知らせて来ているのであろう。

そして、其の森の神の意思を受け入れる為には、大脳の大掃除をしなければ成らないと言う事であり、其の為に必要な事が「清水に拠る禊ぎ祓い」の儀式なのである。

其れは、釈迦仏陀・イエスキリスト・伊邪那岐命が、川を泳いで渡ったのではなく、ただ水浴び・沐浴をして、神の世界(四次元)に入ったのであるから、「彼岸に渡る」との言葉を変えなければ、「彼岸・パーラミター・波羅蜜」の言葉に惑わされて、誰も「真実の世界に目覚める事」が出来ないと言う事にも成る。
2001/3/1「禊ぎ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/78.html

今朝は「やまと」の文章に目を通して、15年前屋久島に帰って居る時の自分の意識が、純粋であった事に気付き、今日は是以上「三段の箪笥」の中身に付いて、詮索する気力が失せた。

                        令和2年7月31日

                             礒邉自適

新しい思考システム


  新しい思考システム
                           2・7・30

今朝のメッセージは、昨日パシッと音がして、暗い世界に白い四角な窓・空間が開いて広がって行った事と関係が有るのか、「霊界・月読み界・四次元世界」が新しく成るとの事が示されて来た。

先ず、薄い空色・水色の縁取りがある新しいベッドが、運び込まれて来る場面・様子が映し出されて来て、其れは、新しい「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」が開始される事を、示唆している様であった。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時11分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、三段作りの箪笥の様な感じで、物事が分けられている様子・場面が映し出されて来た。

其れは上の段・箱の中は、「火」がテーマであり、其れは太陽の光や熱等と関係が有り、簡単に言うと「天文学」の様な世界であり、純粋な科学の世界を示唆している様な感じである。

中の段・箱の中には、「食」がテーマの様で、様々な野菜や果物類が並べられている事が判った。

下の段・箱の中は、四角なテレビかPCの画面が幾つも横に並べられており、其処に映し出されている映像・番組は、機器毎に番組・内容が全て分かれている物なので、一つの機器をチャンネルで変えるのではなく、其の機器・画面が左右にスライドして、必要な画面を中央に持って来れる仕組みに成っていた。

そして、私が見ていると言うか、関わりを持っている番組・世界は、自然の生き物と人間・人類の関係性に付いて、根本的な所から認識できるプログラムの構築である事が示されて来た。

其れ等の内容・映像が長く続いたので、全体的にボヤけてしまい、確かな映像・内容は是以上思い出せない。

今朝は8時前に起きて、先ずPCを立上げ起こされた5時11分の数字から、5月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2020/5/11今朝のメッセージには、私が残り4年で「77歳」に成る事が示されて来て、其れは「7歳×11回」と「11年×7回」が重なる事が示されて来た。
そして其の事は、動植物の世界と関係が有り、其れに合わせて生物が皆複雑に絡み合って存在・生きている理・ことが示されて来た。
そして、其れ等のリズムと人間社会の流動が関係有り、棚卸の様な事が必要不可欠であり、其の為に禊ぎ祓いの世界が必要である事が示されて来た。
 其れから、私が最も重要視しなければ成らない事は、水の循環であり、其の為に温度が大事である理・ことが示されて来た。
そして「黒い太陽」との言葉が告げられて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時15分である。
 今朝最初に示されて来た、私が残り4年で「77歳」に成り、其れは「7歳×11回」と「11年×7回」が重なるとの事は、7歳が男性の躰のリズムである事と、太陽の活動周期が11年である事と関係が有りそうである。
 男性の7歳のリズムは、男子の心身が七年刻みであり「7年×3回=21歳」で成人と成り、「7年×7回=49歳」が厄年であり、以前は男性の一生が50年と云われていた事が其れに関係が有りそうである。
 其れに対して、女性の心身のリズムは3年であり、「3×6回=18歳が成人であり、3×11回=33歳が厄年である。
 キー「男性7年 女性3年」・・
此処で今、私の右足の親指と人差し指の中間の付け根にカモ(神の電気信号)の反応が起きたので時刻を確かめると9時25分であるので、昨年の9月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
 2019/9/25昨夜、其の風呂の中で考えていた事は、陽のエネルギーと陰のエネルギーの比べ方である。
其れは、「収縮=拡散」「ブラックホール=ホワイトホール」「闇=光」「インプット=アウトプット」「発信=受信」「話す行為=聴く行為」「攻撃=守り」等であり、自分が是から、自分のエネルギーを、どの様に使えば良いかと謂う事である。・・
 此の「充分な練習を積んだ」との言葉からすると、今朝のメッセージが、此れまでとは異なり、漠然とした内容である事と関係が有り、私は此れまでとは違う意識で、物事を考えなければ成らないとの事が、示されて来ている様な気がする。・・・「ポテンシャルを高める」
 其れに、今朝「黒い太陽」との言葉が告げられて来て、起きた時刻が7時15分であった事から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の二つの文章の内容から考えると、私は人類全体の「ポテンシャル」を高める為に何等かの指針を示す必要があり、其れは最高レベルの教育理論と、其れを理解できる学習の場を創造しなければ成らないとの事なのではないだろうか。
 そして、其の事・世界を造り上げる為には、精神論(道徳・宗教)を説くよりも、生命のリズムを理解する事を中心に据える必要があり、其の「生命のリズム」と「宇宙(自然)の関係性」を理解すれば、自ずから精神性は養われて来る・育つと言う理・ことなのではないだろうか。
 其れを考えると、私に告げられて来ている「紀(とき)のまつりを行え」との言葉も、何を主体とすれば良いのかが、理解出来る様な気がする。
 今朝告げられて来た「黒い太陽」との言葉は、以前に書いた文章のタイトルであるので、調べると次の様な事が書いて有る。・・
 此の文章に有る「私の63歳の誕生日」「宝珠光龍・宝珠を手にした光の龍神」の言葉は、5月3日のビジョンに映し出されて来た「宝珠」と関係が有り、私は10年遅れの73歳で、其の「宝珠光龍・宝珠を手にした光の龍神」の存在を内蔵した事に成りそうである。
「生命のリズム」https://green.ap.teacup.com/20060818/5360.html

此の文章には、次の様に書いて有る。

「・・動植物の世界と関係が有り、其れに合わせて生物が皆複雑に絡み合って存在・生きている理・ことが示されて来た。そして、其れ等のリズムと人間社会の流動が関係有り、棚卸の様な事が必要不可欠であり、・・・」

此の内容は、正に今朝のビジョンで、私が関わりを持つと言うか、受け持っていた分野の世界其のモノである。

是で、新しい次元での私の役割が何であるかが、明確に成って来た様である。

『ですが 其れは 貴方の一部であって 
貴方は 全体の事に 
目を向けて 居なければ成らないのですよ。

其れが「統尊・すめらのみこと」の
「御嚴・みいつ・御稜威 」であると言う事です。』

                        令和2年7月30日

                             礒邉自適

彼岸の意味



  
彼岸の意味
                           2・7・29

今朝のメッセージは、先ず、「彼岸花・曼珠沙華」のバルーンを三組、3000mの高さに迄、上げなければ成らない事が示されて来た。

そして、縁日の様な雰囲気の通りが映し出されて来て、私の意識は、姿が見えない同じ年程の「妻・女神?」と二人で歩いて居る様子・場面が映し出されて来て、休みたく成ったので「茶店」に腰掛けて小豆善哉を注文してから、私は店員に「お握りはないですか」と訊いていた。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時31分」であった。

其れから、再び電気を消して横に成ったのだが、其の意味を理解出来ないと言うか、何を示して来ているのだろうかと考え始め、眠れなく成ったので起きてPCを寝室に持ち込み、3月31日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2020/3/31本日3月31日で本年度が終了し、明日から新年度である。
今朝のビジョンには、先ず、仕事を失った男性達が、農業の実習を受けている場面が映し出されて来て、其の人達は、先ず初めに、柔らかく耕された平地に、果樹の苗を植える作業を行って居た。
其れは、小学生でもできる簡単な農作業である。
 次に、私の意識は、其の人達の食事の面倒をどの様に看れば良いかに悩んで居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時16分」であった。
 其れから再び眠ると、私自身は、直接には何も現場に関わっては居ないのだが、様々な分野で、新しい世の中を創造する為に、人々が活躍している様子が映し出されて来て、其れは、私の身体を通(トランス・御稜威)して起きている現象であり、私が余計な事を考えたり、行動したりすると、其の世界は中断・停止してしまう事が示されて来た。
 其の映像の最後には、高校や大学を卒業した位の年代の女性達が数十人、校庭で朝礼を行っている様な場面が映し出されて来て、其の女性達は、皆優秀な成績の者が招集されたかの様な感じであり、学生服ではないが、清楚な軽い服装で、肥満な人は一人も見当たらなかった。
 そして、「叡智の天才」との言葉が告げられて来たので、起きて時計見ると時刻は6時29分であった。
【今此処で右足の小指にカモ(神の電気信号)の反応が起きた。10時13分
 今朝はPCを立ち上げ、先ず「叡智」「天才」の言葉を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
えい‐ち【英知/×叡×智/×叡知】 の解説
1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。
2 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。
また、それを獲得しうる力。ソフィア。
てん‐さい【天才】 の解説
生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能。また、そういう才能をもった人。「数学の天才」「天才肌のプレーヤー」
 今朝の始めのビジョンは、戦前は農家が多く、殆どの人々が農林漁業の兼業であったので、戦後の焼け野原状態で国の援助が無くても、自分達で住まいを建て、作物を作り、自給自足にて、戦後の復興を成し遂げて来たのであるが、現在・いま、其の様な事態が起きれば、自分で何も手仕事が出来ない人々が、路頭に迷う理・ことが示されて来ているのであろう。
 今朝起こされた時刻「3時16分」から、昨年の3月16日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 何と此の文章には、「竹の筒(トンネル)」との言葉が有るので、其れは昨日のビジョンに映し出されて来た、修行を始める人達の身の丈に合った「節の有る竹筒」が与えられる世界と関係が有り、昨日のビジョンで皆が転がして進む「節竹」は、其の人間の「時節・時間・紀・器量・うつわ」を示唆しており、其れは「水の世界」から齎されるモノ・世界であるとの理の様である。
 其れに先程10時13分に、私の右足の小指に起きたカモ(神の電気信号)の現象から、昨年の10月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の文章の内容からすると、昨日のビジョンで聖水を溜めた磁器(珪素・シリカ)製の丸い器の中心に、天空から一筋降りて来た光エネルギーの正体と、其れに拠って齎せる、藍色の「模様・絵柄・情報」との関係性を具体的に解析する必要が有る事に成る。
 其れに、「叡智の天才」との言葉が其の事に関係が有り、私に起きている現象は、私が世界自然遺産に登録された山川海の自然豊な屋久島で産まれ育ち、学問が中学までの義務教育だけある事が関係有り、私の意識・知識は空に近かかったので、禊ぎ祓いが割合に簡単だったとの理・ことなのではないだろうか。
 其れに、屋久島の自然環境の中で36歳まで暮らした私の魂しいは、個人の「場・グランド」が無い・狭い大都会に産まれ育った人間とは、竹筒の大きさが格段の差があり、カルマ・業の巨大な渦巻きである大都会に産まれ育った人間には、自分自身の時空を持つ・抱える事が、不可能であるとの理・ことなのであろう。
 其れが、私の話す事が、都会産まれの人達には理解されない事の原因の一つなのであろう。
其れを考えると、「叡智の天才」との言葉は、私が「精神」との言葉の意味に近い「肉体・からだ・空だ・殻だ・空蝉」を此処まで保ち得て来たと言う事に成るのかも知れない。・・
「叡智の天才」との言葉が告げられて来た「6時29分」の数字から、昨年の6月29日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 昨日は江藤敬介氏から連絡が有り「今朝のメッセージでは、自分の役目が『大君の庭番』であるとの事が告げられて来てから『殿様が要る』との言葉が告げられて来た。」との事だったので、私は「昨年 組合長との言葉が告げられて来ているので 其れに関係有りそうですね。」と答えた。
 其れが、今朝「叡智の天才」との言葉が告げられて来た6時29分・6月29日の文章の題である。
是は、どう言う事なのであろうか。
 と言う事は、昨日の江藤敬介氏のメッセージと、今朝の私のメッセージ(神計らい)は連動・連結している事に成るので、同じ神意識が動いている事には、間違いが無い様である。
 其れを考えると、本日3月31日が本年度の収支日である事が関係が有り、明日4月1日の年度始めから、何らかの事が新次元で始まるとの事なのかも知れない。
 若しかしたら「殿様が要る」との言葉は「殿・しんがり」が登場して号令を発しなければ、「先鋒・先頭・前衛」が動き出せないとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「叡智の天才」https://green.ap.teacup.com/20060818/5319.html

此の文章の最後に記して有る「・・若しかしたら「殿様が要る」との言葉は「殿・しんがり」が登場して号令を発しなければ、「先鋒・先頭・前衛」が動き出せないとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。」との事からすると、昨日「武富氏」から電話が掛かり、「自適さんが 表に出なければ 纏まらない。」と謂って来た事と関係が有りそうである。

其の「自適さんが 表に出なければ」との言葉は、「土肥無庵」が私を捜し出した時に、私に謂った事と共通している。

キー「土肥無庵 自適さん 台の上」

2015/3/27・・其れから、一眠りすると、一行の日本語の横書きの文章が映し出されて来て、其の文章の最後には、句読点である「。」が打たれており、次の書き出しに「11月21日」の日付が書かれていた。
そして、40歳代程の男性の声で、「立って居てください。立って居てください。」と、数度念を押す様に告げられて来た。
 私が、11月21日の数字を「井上佳子の誕生日か」と問うと、「違う」との事であり、次に「一休禅師の命日か」と問うと、其れも違うとの事なので、「S・T スピリチュアルタイム」の日かと問うと、「そうだ」との事であった。
其れから、「わかれ道」との言葉が告げられて来た。
 其れで、「S・T スピリチュアルタイム」の事を続ける事が、是からの私の役割である事が判ると、瞼の中に、夜が明けたかの様に、光が充ちて来て明るく成ったので、目を開けて電灯を点けて、時刻を確認すると「5時32分」であった。・・
 今朝、「立って居てください」と告げて来た男性の声の主が誰かを考えると、昨夜入浴して居る時に左手にカモ・(神の電気信号)の反応が有った時刻が、11時7分であったので、2001年11月7日が命日である「土肥無庵」の言葉であったのではないだろうか。
 其の土肥無庵は、私に会った時に「世の中が行き詰った時に 自適さんが 台の上に立って 人々を導く役目だ」と云ったので、其の事が、継続されていると言うか、本当の事に成るとの事なのかも知れない。
 2009/6/7・・朝のメッセージの映像は、私の意識が、地球上で暮らす人間の状況を、全部コントロールしている場面だったので、日本語の「現人神・あらひとかみ」の概念に合っており、「すめらのみこと・皇帝」の「御陵威・みいつ」の働きが、私の「身体・ミマ」を「通過・トランス」している理・ことに成る。
其れを考えると、私の意識が、「神・蛇・祀」の役割を果たしている事に成るので、「ちきゅうそうた」とは、地球に対して、全ての手段を採るとの意味で、「地球総手」の漢字で良いのかも知れない。
 そして、自適の体は、其の為に使われているとの理・ことであろう。
其れは、26年前に無庵師匠が私に云った、「自適さんは 総べての事が想った様に成るでしょう。だから 自適さんが 人類の未来を救う為に 台の上に立って人々を導く時が来るのです。」「だから 仕事を全部止めて 家族とも離れて 私の下で修行をしてください。」と、云った事が、いよいよ現実に成ると言う事でもあるのだろう。・・・「地球総手 自適」
 今朝の瞼の内側が明るく成る現象は、私の脳の視覚神経に其の様な情報を、天神(てんのはたらき)が送り込んで来た現象であろう。
そして、其れが、5時32分であったのは、「532」の数霊(かずたま)が「532・ごみに・塵に」と読めるので、「S・T スピリチュアルタイム」を切っ掛けとして、「人心」か「人民」の道が、分かれるとの事なのではないだろうか。・・・
「立って居てください」https://wave.ap.teacup.com/20060106/569.html

其の「土肥無庵」が私を捜し出した時点(1983年3月18日)では、携帯電話だけではなく、PCやインターネットも無く、ましてやスマートフォンの様な通信システムが無かったのだが、現在・いまでは自宅に籠って居ても、世界中の情報が手に入るし、自分の考えや存在も世界中に発信ができる様に成っているのである。

其れを考えると、私は「殿・しんがり」との日本語の言葉・概念や、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉が、私に合っている事に成る。
要するに、現実に表・人前に立たなくても、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」や「みいつ・御嚴・御稜威」を行う事は可能であると言う事である。

老子六十七章「われに三宝あり」
天下皆謂我大似不肖。夫唯大、故似不肖。若肖、久矣其細也夫。我有三寳、持而保之。一曰慈、二曰儉、三曰不敢爲天下先。慈故能勇、儉故能廣、不敢爲天下先、故能成器長。今舍慈且勇、舍儉且廣、舍後且先、死矣。夫慈、以戰則勝、以守則固。天將救之、以慈衛之。
天下みな「わが道大なるも不肖(ふしょう)に似る」と謂う。それただ大なり、故に不肖に似る。もし肖なれば、久しいかな、その細なるや。我れに三宝有り、持してこれを保つ。一に曰く慈、二に曰く、三に曰くあえて天下の先たらず。慈なり、故によく勇なり、倹なり、故によく広し。あえて天下の先たらず、故によく器長と成る。今慈を舎(す)て勇ならんとし、倹を舎てて広からんとし、後を舎てて先ぜんとすれば、死なり。それ慈はもって戦えば勝ち、以って守れば固し。天これを救わんとすれば、慈を以ってこれを衛(まも)ればなり。

「大きいことは大きいが、どことなくぬけているようだ」わたしの説く「道」を、世間はこのように批評している。「道」はたしかに大きい。大きいからこそまがぬけて見える。まがぬけて見えないくらいなら、大きいなどとはいえはしない。
この「道」から、三つの宝が引き出せる。第一は、「人をいつくしむ」心である。第二は、「物事を控えめにする」態度である。第三は、行動において「人の先に立たない」ことである。
人をいつくしむからこそ、勇気が生まれる。控えめだからこそ、窮まることがない。人の先に立たぬからこそ、人を指導することができる。
もし、いつくしむ心を持たずに、ただ勇のみをこころざし、控えめな態度も知らずに、ただ無窮のみを願い、退くことも忘れて、ただ人に先立つことのみを考えるなら、結果は破滅あるのみだ。
いつくしみの心をもつ者は、戦えばかならず勝ち、守れば難攻不落である。いつくしみの心、それはまさしく、天が万物を保護する心なのだ。
 徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平 卓 訳
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今朝は3月31日の文章に目を通してから、再び横に成ると、暗い場面の中にパシッと音がして「白い四角な空間」が広がる場面が瞬間的に映し出されて来て、「岸は無い」との言葉が一言告げられて来た。

其れは、仏教で言う所の「彼岸」が無いと言う事の様であった。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時25分」であったので、私は其の数字を「425・しにご・死に後」と記憶して、再び眠りの中に落ちて行った。

其れから、次々に、様々な人達の様子・行為・仕草が映し出されて来て、其の人達は、「彼岸・ひがん」の言葉は知って居て、お盆の行事や、葬式に参加していても、自分が其の「彼岸」の言葉・世界を、自分の物とする行為・考えが何も無い理・ことが示されて来た。

其れは、特に薬物依存の人達や、芸能関係の人達であり、中には精神世界の哲学者や、社会心理学の教授なども、混ざって居た。

そして、其の人達とは反対側・別の世界を生きて居る人間として、長い間代々に亘り水田稲作を続けて居る人達が居る理・ことが示されて来た。

其れは「豊葦原瑞穂の国」との言葉と関係が有り、「彼岸花・曼珠沙華」のバルーンを三組、3000mの高さに迄、上げなければ成らない事が示されて来たのは、彼岸花が稲穂が実って色付いた季節に、水田地帯の風景を美しく彩る花である事と関係が有り、其の彼岸花のバルーンを3000mの高さまで上げなければ成らないとの事は、富士山の高さを意味しており、富士山が日本の象徴(御神体山)である事と関係が有りそうである。

其れとバルーンが、一つではなく、三つ上げなければ成らないとの事は、彼岸花が「赤色・黄色・白色」の三色が有る事に関係が有るのか、三の数字が、様々な世界の要点を示す物なので、「通り一遍」「一辺倒」に考え・捉えては成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

ひ‐がん【彼岸】 の解説
《(梵)pāramitāの訳「到彼岸」から》
1 仏語。生死の迷いを河・海にたとえた、その向こう岸。悟りの境地をいう。⇔此岸 (しがん) 。
2 「彼岸会 (ひがんえ) 」の略。《季 春》
3 雑節の一。春分の日と秋分の日をそれぞれ中日とする各7日間。春の彼岸と秋の彼岸。
4 向こうがわの岸。
「蛍は…スウと遠く―の葦間に消えた」〈木下尚江・良人の自白〉

梵語 pāramitā パーラミター
波羅蜜(はらみつ、パーラミー、サンスクリット語パーラミター)とは、仏教において仏になるために菩薩が行う修行のこと[1]。到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す[2][注釈 1]。六波羅蜜と十波羅蜜がある[1]。
語源
サンスクリット文法による語源的解釈では、Pāramitā を、"pāramī"(「最高の」を意味する "parama" の女性形)+ "-tā"(抽象名詞をつくる接尾辞)と分解し、「最高であること」、「完全であること」とされる[要出典]。しかし中国およびチベットなどの北伝仏教の伝統的な解釈では、これを"pāram"(彼方、"pāra" の 業格)+ "ita"(動詞 "i" 行くの過去分詞女性形)と読み、「彼方に行った」すなわち此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である[4]。例えば、漢語訳における「度(ど)」、「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳の「パロルトゥ・チンパ」(pha rol tu phyin pa)も「パロルトゥ」(pha rol tu)が「pāram」、「チンパ」(phyin pa)が「itā」に相当する語である[4]。
   フリー百科事典『ウィキペディア』2020/07/29現在

此の「彼岸・パーラミター」の言葉を毎日使用している僧侶が、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の様に、覚醒・成仏していないのだから、確かに「彼岸 此岸」との言葉は、「架空・例え」の言葉にしか過ぎず、今朝示されて来た「岸は無い」との言葉が告げられて来た時に、暗い場面の中にパシッとの音がして「白い四角な空間」が広がる場面が瞬間的に映し出されて来た事は、どの様に理解すれば良いのであろうか。

暗い世界に、四方に白い空間が瞬間的に拡大する場面は、「闇が晴れる」との事にも、自分の意識の無明が取れる、意識が真っ新に成る、等との意味に取れるので、其れは私が36年前(6月4日・旧暦5月5日)に、安房川を泳いで向こう岸との間を一往復してから、20年前に死亡した父親の霊魂が、4311体の霊体を連れて帰って来て、「此の人達に身体を貸せ」と謂った時の状態と言うか、現象世界が、どう言う事であったかが、映像にて示されて来たのではないだろうか。

其の瞬間に「パシッ」と音がした事は、カメラの「シャッター・幕」と関係が有り、「悟り・覚醒・成仏」の瞬間と言うか、門戸は、カメラのシャッターの様な仕組み・からくりであり、其れは自分の脳の中に存在する物で、河川の岸は直接には関係が無いので、彼岸との言葉は適切ではないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

其れは、釈迦仏陀・イエスキリスト・伊邪那岐命が、川を泳いで渡ったのではなく、ただ水浴び・沐浴をして、神の世界(四次元)に入ったのであるから、「彼岸に渡る」との言葉を変えなければ、「彼岸・パーラミター・波羅蜜」の言葉に惑わされて、誰も「真実の世界に目覚める事」が出来ないと言う事にも成る。
2001/3/1「禊ぎ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/78.html

今日は、「代々に亘り水田稲作を続けて居る人達」の事が告げられて来たので、江藤敬介氏に電話を掛け「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、自分の身体に大きな翼が付いている映像が映し出されて来て、翼を広げて飛び立てる場所を探して居る場面と、床の間に掛け軸が下がっており、其の掛け軸から色んな情報が抜け出して来るので、全ての掛け軸を巻き取ってしまう場面が映し出されて来たとの事である。

其の江藤敬介氏のビジョンは、飛翔する場面が「彼岸に渡る」との事と関係が有り、床の間の掛け軸は「他人の想念に拠る作品」なので、他人の情報がカルマに成るとの理・ことが示されて来ている様である。

其れは「土肥無庵」が、「絵画・作品は 其の人の頭の排泄物である」と謂って書画が一切無く、仏壇や神棚等が無かった事にも通じている。

其れに、由香のビジョンには、知り合いの三姉妹の家に行き、「美穂」という名の子供の面倒を看てくれと頼まれていた場面と、4歳児~年子の子供が5人居る若い夫婦と一緒に道を歩いて居て、心から楽しく子育てをしている様子であったとの事であり、「豊葦原瑞穂の国」と関係があるのではないかと思った。

其れは、由香の御魂は「櫛稲田姫」であるので、稲作文化を守っている家は、子孫に恵まれて永続する理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

                        令和2年7月29日

                            礒邉自適

皆が人真似で生きて居る


   皆が人真似で生きて居る
                           2・7・28

昨日は12時47分に佐賀の「武富勝彦氏」より、久し振りに電話が掛かり、一時間以上に渡り、近況報告が有った。
そして最後に、「自適さんが 表に出なければ 纏まらない。」との事を謂った。其れは、1992年に「御稜威クラブ」を立ち上げた時の事務局長が武富氏だったからである。

2008/7/22・・「御稜威倶楽部・みいつくらぶ」とは、私が27年前に神の世界に入った時に、天に「新しい神の名は」と訊いた時に「みいつ」との応えが有り、辞典で「みいつ」を調べて見ると、「天子の威光・天皇・すめらみことから発せられる御威光・威霊(神霊の威光)」の意味と説明されている。其れに付いては、以前2008年7月22日の文章が有る。・・・
「御陵威は変圧機・トランス」http://green.ap.teacup.com/20060818/825.html

今朝のビジョンには、先ず、私の意識が、教会の様な三角屋根の木造の建物を建築して居る様子が映し出されて来たが、其れは、私自身の意識ではなく、イエスキリストの御魂が、自分の意いを現実化したいとの思念の現れの様な感じであった。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時16分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、私の知らない場所で、知らない人達が色々な事を行って居る場面が、次々に映し出されて来た。

其れは、大きな西洋式の邸宅や乗馬クラブ、着飾った貴族だけが集まる社交場、等である。

私は、仕事が休みらしく、縁側・縁台の様な所に座って居ると、独身男性達が遊郭の様な感じの施設が有る街中に出掛けるらしく、私を誘いに来たが、私は其れを断って、静かに座っている動作を継続して居た。

次に、日本の寺院や神社の様子が映し出されて来て、僧侶や神主は、昔の手法・儀式を唯傳えているだけで、何も真実が傳わって来ていない理・ことが、示されて来た。

其れは「イエスキリスト」や「釈迦仏陀」が、過去の伝統や風習を止めさせる事に努力した事に反しており、また、日本の伝統である「惟神の道」や「禊ぎ祓い」の事と通じており、古い体制や価値観を捨てる事が、真実の宗教(おおもとのおしえ)である理・ことが、守られていない事に成る。

今朝は「7時14分」に起こされて、台所に行き、由香の今朝のビジョンを訊くと、実家に若い頃の母親が光輝いて座って居る姿が映し出されて来たとの事である。

其れから、「二重螺旋構造」との言葉が出て来て、同時に螺旋構造で伸び上がっている物体が映し出されて来て、一つは長い遺伝子・DNAの螺旋の様な形態の物であるが、一つは四隅の角が丸みを帯びている筒の様な物で、内側の遺伝子・DNAの螺旋(紐・蛇)が枠外に飛び出さない様に、保護をする役割の物であったとの事である。

私は、其の由香のビジョンから、其の四角な筒は、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界と関係が有り、人間の「遺伝子・DNA(生命)」は、宇宙の法則・自然の掟である「道法」に拠って、脱線しない様に保護されているとの理を感じとった。

そして、其の道法が現代人の認識から外れ去っているのは、現代社会の教育が其の「道法」を知らない人々に拠って行われているので、元に戻そうにも、戻せないと言う事である。

其れは正に、旧約聖書に記されている「蛇が勧誘する知識の果実を喰う事」であり、老子の謂う「民に教育をしては成らない、賢しらが増えるだけである。」との事や、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である「桜澤如一」が謂っている「此の母親のバカ共が 大事な息子を奴隷にする為に 受験勉強ばかりをさせている。」との事とも通じている。
2018/2/16「賢しらではない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/4529.html

今朝は、PCを立ち上げて先ず、今朝起こされた「3時16分」の数字から、「3月16日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2020/3/16 『何もかも貴方の一身に』
何もかもが 貴方の一身に 掛かっています。
ですが其れは 貴方自身が心を悩ます事ではなく 
貴方自身が感じる 喜びの中に有ると言う事なのです。
ですから貴方は 他の出来事に意識を向けるのではなく 
貴方自身の心に 自分が何を望んでいるかを 
明確にして行かなければ成らないと言う事になります。
其れが 成佛に成功した 貴方の役割であり
「御稜威 ・みいつ」の働きなのですよ。  
          「女神のメッセージ」
昨夜は床に就いて暫くすると、左足の土踏まずの中央に、蜂に刺された様な痛み(カモ)が起きて来たので、何事かと思って照明を点けて時計を見ると、時刻は「0(12)時12分」であり、再び横に成っても其の痛みは暫く続いた。
そして、眠ってからの映像には、白磁製の四角な聖水を溜める器・鼎(かなえ)の存在が映し出されて来た。
其れは、器の正面に「青龍」の浮彫の絵が描かれている物で、四隅の角に付いている脚は、其の龍神の足の様な感じであった。
そして「464・四六四」の数字が示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時28分」であった。
其れから再び眠ると、今度は餅を搗いた時に使用する、粉を敷いたもろぶたの存在が映し出されて来て、其のモロブタの中には、蕎麦粉で作った御萩か、クッキーの様な形の、薄茶色の食べ物が、澤山並べられていた。
其れから「何もかも貴方の一身に」との女神の言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
 其れからPCのワードを立ち上げ「何もかも貴方の一身に」との文字を打ち込むと、冒頭の言葉が告げられて来た。
其れから起こされた「3時28分」の数字から、昨年の3月28日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の「静かに生きてね」の文章は、昨日のメッセージと連動しており、今朝告げられて来た女神の言葉の意味とも、関係が有る。
 次に、今朝起きた・起こされた時刻7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
其れに、昨夜左足の土踏まずの中央部分に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた事から、「仏足」を調べると次の文章が出て来た。・・
 此の「約束は護られる」の文章の内容は、13年前の3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」の境内に「九代龍王水神」の幟旗を立てて儀式を行った事が、関係有る事に成る。・・
 此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「水の器・鼎」と「464」の数字が関係が有り、四神の龍神の「いき・息・息吹」が関係有りそうである。
其れを考えると、中の「6・六」は「六合・国」の意味であるので、新しい国を造る為に、両方から龍神が息を吹き掛ける意味が、含まれている事に成りそうである。・・
 此の文章の内容からすると、先日のビジョンに、新しいガラス張りの正倉院が映し出されて来て、新しく三枚サッシの硝子窓が組み立てられる様子が示されて来た事が関係が有る事に成る。
 これ等の事柄を考えると、昨夜「0(12)時12分」に、私の左足の中央の「法輪」の所に、強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた現象は、「ヴィシュヌ」が歩き出すと言う事であり、新しい世界を創造する為の法輪(転輪聖王・チャクラヴァルティン)の回転が始まる・動き出すと言う理・ことなのであろう。
 何故、其の法輪が動き出す時間が、「0(12)時12分」であったのかを考えると、私が2010年9月29日に浜松市の蕎麦屋「鈴川」で蕎麦が出されるのを待って居ると、左手の親指の指紋の真ん中に、強いカモ(神の電気信号)の反応が12時12分に起きた事と関係が有り、其の事が後に祓い戸の神である「瀬織津姫・せおりひめ」に繋がった事と関係があり、私や釈迦だけではなく、イエスキリストも「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」川で水浴びを行う事で、此の世界に入った事が関係有りそうである。・・
 此の「遷都の必要性」との言葉は、正に、今朝告げられて来た「水を張る鼎」の存在と、「464・四六四」の数字に関係が有り、出て来た食べ物が餅ではなく、蕎麦粉の製品であった事の意味が符合している事に成る。
「何もかも貴方の一身に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5304.html

此の文章に書いて有る女神の言葉からすると、私自身が何等かの事を意念すると言うか、考え出さなければ何も始まらないと言うか、古い形(かたち)が消えて行かないと言う事であり、其れは、昨日「武富勝彦氏」が電話を掛けて来た事と通じている。

今朝起きた・起こされた「7時14分」の数字は、「夏・秋 禊ぎ祓いの日」である7月14日の日付と符合しており、今年の旧暦7月14日は新暦9月1日である。

其れで、昨年の9月1日に何を書いているのかと意い、調べると、何と「初めての事が始まる」の題である。

2019/9/1昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると「初めての事が始まる」との言葉が一言告げられて来た。
そして、眠ってからの映像には、彼方此方で長く冬眠していた熊が、起き出して来る様子が映し出されて来て、其の準備・対応を急いで行わなければ成らない事が示されて来た。
 其れは、熊の姿は全く見えないのだが、人里に近い山中や、人間が飼っている熊や、動物園などの熊の事であり、腹が空いている熊が人間社会に一気に目覚めて出て来れば、危害・被害を人間社会に与えるので、早急に対策を計らなければ成らないとの事である。
 だが、騒いでいる割には、熊の姿が一頭も見えないので、其れは動物の熊の事ではなく、人間が長い間意識が眠って居て、其れが全国(世界中)で一気に目覚めて来るので、其の混乱でパニックが起きる事を示唆しており、早急に対策を計らなければ成らない事を示唆している理・ことが理解されて来た。
そして、私も其の対策に出掛けなければ成らないと意い、服を着替え様とすると、壁に掛かっている服は、冬用の分厚いオーバーコートだけであり、其の服を着てしまえば、寒くは無いが、身動きが出来なく成る物である事が判った。
 次に、何処かの家の中が映し出されて来て、家内に有る古い服や不必要な物が、廊下に山の様に集められている場面が映し出されて来て、其れは、不必要な物を全て処分しなければ成らない事が、示されて来ている理・ことが理解されて来た。
 次に、姿は見えないのだが中年の女性(女神)が誘いに来たので、私は其の女性と一緒に出掛けた。
そして、到着した建物の中に入って声を掛けると、姿がはっきりしない中年の男性(男神)が上から梯子で下りて来て、棚から生ビールのジョッキの様な器を取ってカウンターの上に置き、鳥龍茶の様な飲み物を半分程注いでくれた。
そして、カウンターに高い丸い椅子を二脚置いてくれたので、私達は其の高椅子に並んで座った。
 其れから、暫くすると三人で一緒に出掛ける事に成り、其の男性が自分の左胸と、私達の左胸に、マゼンタ色の「牡丹・ぼたん」様な花のリボンを付けてから歩き出したので、私達は多くの人々が待つ会場に、貴賓として、招かれている事が理解されて来た。
其処で、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時57分・6時3分前」であった。
 其れから再び眠ると、私の顔が、丸い向日葵の様な形に成っている映像が映し出されて来て、其れは満面の笑顔であり、私自身がとても驚きを感じて居る場面であったので、どうやら、私が自分の顔を鏡に映して見て、其の自分の顔に驚愕して居る場面の様であった。
 そして、其の画面の意味は、100%の陽性の魂しいを示唆しており、1%の陰の影も無い事が理解されて来た。
そして、「27+2+残り観客全員」との計算式が示されて来て、其れは、現象・事象を観察・観戦している人達は、月齢30・31の中の1か2の範疇の働きでしかない理・ことを、示している事が理解されて来た。
 其れは「27 何かの役割に参加している人々(3世界×7光)」+「2 陰陽・男女の神(はたらき)」+「残り観客全員・眺めているだけの人々・観察者」=調読界。であり、其れが「太陽(全エネルギー)天照」の存在と対比しているとの理・ことの様である。
 今朝は、9時25分に起きて・起こされてPCを立ち上げると、「何でも彼んでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと次の言葉が告げられて来た。
「何でも彼んでも 噛んで見なければ
納得しない貴方は 困ったモノね。
でも そんな貴方が 逞しい相手だからこそ
此処まで 物事が進んで来たのだから
何も 文句は言えないわね。
ですが 此処から先は 何事にも
自分から手を出しては なりませんよ。
何故なら 今後のスケジュールは 
決定しているのだから 貴方が勝手な
動きをすると 全て停止してしまうからです。
貴方には もう 自分の持ち時間は 何も有りません。
ですから 貴方は頭を空にして
唯 事象の動きに 身を任せて居なさい。
其れだけが 貴方の役割であり
それ以外の動きをする事は ご法度です。
此処まで 進んで来た事を 
壊す様な事を 起こしては成りませんよ。
(ゆっくりしなさい それが一番良い方法なのです)
「何でも彼んでも」https://moon.ap.teacup.com/20060103/949.html
 今朝起こされた「5時57分・6時3分前」の数字から、今年の6月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章には、「・・今朝私の意識が、東西(太陽の移動ルート)の畝溝を横切って進み、「山鳥(朱雀)」の首を絞めて殺してしまった事と関係が有り、私は時を運んでいた「鳥神(はたらき)」から、本日6月3日に自由に成ったと言う事に成るのかも知れない。・・」と書いて有り、今朝の映像で梯子で下りて来た男性が「鳥龍茶」をジョッキに注いでくれた事に関係が有り、「鳥龍」は鳥神と関係が有るので、今朝の太陽神と関係が有りそうである。
 其れに、此の文章には出て来ないが、2008年6月3日に「定着した画像」の文章を書いて有り、其の内容は、私が1984年11月半ばに屋久島を出発して、初めて伊勢神宮(外宮)に参拝して、其の夜に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が夢枕に登場した日であるので、今朝のメッセージに太陽神が現れた事と関係が有る。・・
 此の文章の内容からも、私は太陽神(天照・ラー)の神(はたらき)に直に接触した事に成り、私は35年掛かって、漸く目的の世界・次元に本日9月1日に辿り着いた事に成るのであろう。
 其れを考えると、今朝女神が告げて来た言葉が理解出来るし、是まで長い間、私の意識を支え(コントロール)て来た女神は、太陽神と関係が有ると謂う事にも成る。
 今朝のメッセージで、姿は現れなかったが、熊が長い冬眠から覚めて、人間社会に出て来る事で、大騒ぎが始まるとの事は、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が予言した「人類の目覚め」と関係が有り、更に「熊」は日本列島の先住民である「アイヌ・蝦夷」の神であるので、其の古代の神(はたらき)が登場する事が、示されて来ているのかも知れない。
 其れは、昨日告げられて来た「溜まって来た悪を放つ」との言葉と関係が有り、人間社会に未曾有の出来事が発生・はじまるとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
 だが、其れに対して、此の私が、直接関わる事はご法度であると言う事であり、私自身が其の事に意識を向けてしまえば、全ての神(はたらき)のスケジュールが狂ってしまい、最後のチャンスである九回目のトンネル潜り(アセンション・人類の次元上昇)が失敗し、取り返しがつかなく成ると言う事なのであろう。
 今ここで試しに、今朝起きた9時25分の数字から、昨年の9月25日の文章を視て見ると、「生き残る者は少なし」との題名であるので、今朝起きるのが遅く成ったのも、神(はたらき)の策略である事に成り、神(はたらき)の存在の証明とも成るので、今朝のメッセージは只の情報として受け流すのではなく、真剣に受け止めなければ成らない事に成る。・・
 此の文章には、「・・私の入っているグループの男性が驚いた声を出して、壁を指差しているので、其方を見ると白い壁に、男性の上半身の姿が浮かび上がって来ており、其の顔の額(第三の目)から、何かのエネルギーが放射されている事が判った。そして、其の男性の顔が誰のモノであるかと意うと、其れは弘法大師空海の顔であり、其の映像の意味は、是から世の中に激しい変動が起きる事を示唆している事が分かり、「生き残る者は少なし」との言葉が一言告げられて来た。・・」と書いて有る。
 此の「弘法大師空海」の事を考えると、今月27日の由香のビジョンに、由香の実家から真東に向けて新しい道路が造られており、其の先を定規を当てて調べると、高野山であった事と関係が有り、此れからの動きは、由香の実家が有る方面に移るのかも知れない。
 今朝の由香のビジョンは、葬儀の場面が三回続けて映し出されて来て、葬儀用の祭壇を貸してあげていたとの事である。
そして、自分は葬儀には参加しておらず、動き回っていたとの事である。
 其の由香のビジョンも、今朝の私のメッセージと連動しているので、人々の死が多発する理・ことが示されて来ている事になる。
其れは「大日如来・マハーヴァイローチャナ」天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の神(はたらき)に関係が有ると謂う事に成るのであろう。
其れ等の事を考えると、一昨日の「それでは皆様さようなら」との言葉は、「昭和天皇」の言葉ではなく、私の守護霊の言葉であったのかも知れない。
「初めての事が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5102.html

此の文章には「・・其の由香のビジョンも、今朝の私のメッセージと連動しているので、人々の死が多発する理・ことが示されて来ている事になる。・・・」と書いて有るので、今年起きている「ウイルス感染」に拠る65万人もの死者数と関係が有りそうである。

其れに、東京オリンピックの開催が決定して直ぐに、由香に「東京オリンピックは上手く行かない」との言葉が告げられて来たので、其の時から「ウイルス感染」の事は、天界のプログラムに拠って決定されていた事に成る。

其れを考えると、今朝の由香のビジョンは「天神・万物の母神」に取って必要な「血統・血筋・遺伝子・DNA」は、安全に守られる・確保されると言う事が示されて来ている事に成りそうである。

其の様に捉えると、私が此の神の世界に飛び込んだ時に、老子が座長と成って世界の人種・人口の割り振りを決めているビジョンが映し出されて来た事が、現実として現象化している事にも成りそうである。

キー「 老子 白人 黒人 インデアン 」

2003/9/27・・私が、メッセージを受け始めた最初の頃、映って来た場面に、人類の「宗親・もとおや」らしき霊が現れた事がある。
其れは、山中に在る昔風の古い家屋に、座敷と土間があり、その土間に輪切りの丸太の椅子が有って、三名の男性が座っている。
 其の三名は、インディアン風の男性と、白人と、黒人の代表みたいに見えた。
其の三名が静かに座っていると、中国人風の男性が遣って来て、履物を脱いで座敷に上がり、無言で座った。
すると、それを待っていた三名が、土間の椅子に腰掛けたまま話を始めた。
 話の内容は、自分達の子孫を、どれだけの割合で残すかの相談だった。
そして、三名の話し合いが終わると、座敷に座っていた男性は、又無言で立ち上がり、履物を履いて静かに帰って行った。
現れた男性は、四名とも魂のレベルが高く、完成された人格なのは、誰の目にも明らかな程、調っていて矍鑠・かくしゃくたる人物達であった。
その様子は、映画でも見た事が無いし、小説の世界でも描写されていない光景である。
 私が、何故、その様な場面を見せられたのかは分からなかったが、今朝「宗動」との文字が映されて来たので、18年も前の映像を思い出してしまった。
「宗霊・みたまおや」が、動き出す事が、人類にとって、吉い事なのか、悪い事なのかは、私には判断出来ないが、人類全体の未来にとっては、喜びの方に向かうのであろう。
しかし、整理される余分な血筋は、どの様に反応するのだろうか。
 野鼠・のねずみは、仲間が繁殖し過ぎると、一部の仲間を種として残し、残りは集団自殺をして、食糧難から全部が死滅する事を回避するという。
現代社会の人類の状況を考えると、異常発生した野鼠と、同じ状態だとも言える。
第三次世界大戦が起こり、若し、核が全部使用される事に成れば、集団自殺をする事に成る。
私が、18年前に見せられた映像は、其の場面だった。
「人間が 此のままの状況で進めば その様にさせるしかない」との、神の意志だったのである。
 その事で、人間に核を創らせたのも、神の意志である事が解った。
野鼠の行動の背景にも、神の意志が働いているのである。
人間自身が、生き方を変えれば、野鼠の様に種族を残す事が出来るのである。 それは、一見薄情な様子に見受けられがちだが、全体的に長いスパンで見れば、理に適っていると言える。
 野鼠が、皆で話し合って、行動に移るのではなく、全体の潜在意識の中に、其のプログラムが内蔵されているのである。
其の、内蔵されている力こそ、神が介入している世界であろう。
人間の存在は、数が多ければ良いと言う分けでもない。
 人間は、神の意識に拠る物を、積み上げて行く、仕組みの一部なのだから、其の役目を果たさなくては、存在する意味が無いのだ。その役割を果たすには、数だけが多くても役に立たないのだ。
 エジプトの死者の書には、「此の世には、一人の『霊止・ひと』の為に、何千人もの土を捏ねて作った、泥人形の魂の人間が存在する」と、載っている。
其れ等の、泥人形(土霊・どれい・奴隷)の魂の人達は、役目が終われば、土に還されてしまうのだ。
 私の意識が、此処までに育つのに、どれ程の人達が働かされたのであろうか。当の本人達は、自分の意識があると意っているのだろうが、それは、神がその様に思わせて、人間を使用しているだけなのである。・・・
「宗動・血筋を別ける」http://star.ap.teacup.com/170606/119.html
2016/10/3「老子の凄さ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/646.html

何れにしても、「万物の母神」の「慈しみ&悲しみ」の下で、九回目である最後のチャンスの「トンネル潜り・アセンション・次元上昇」のプログラムは、順調に進んでいるとの事なのであろう。

今朝の文章の題は「皆が人真似で生きて居る」とした、其れは「学習」との言葉が「まねる・ならう」の意味であるので、子供の頃に教育を受けた結果、皆が自分自身の本分を忘れた儘、一生を送っているとの事であり、其処から脱出して自分自身の「命・みこと・さだめ・運命」に目覚める事が、「解脱・覚醒・成仏」の世界であり、其の為の儀式・作法が「禊ぎ祓い」の儀式である。

今朝の状況から考えると、最後のチャンスが9月1日であり、残り34日しか無いと言う事に成りそうである。

                        令和2年7月28日

                             礒邉自適

真心が欲しい


  真心が欲しい
                           2・7・27

今朝のビジョンは、先ず、都会の人々が田舎に向かって、右側から左方向に、次々に脱出して行く様子が映し出されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時45分・1時15分前」であったので、私は其の数字を「045・れいしご・霊死後」と記憶して再び眠った。

すると今度は、13歳の男の子が、私が海岸の岩場に置いていた、黒い一本の杖を届けてくれる場面・様子が映し出されて来た。
其れで、其の杖を抜いて中を視て見ると、中の空洞には電子機器が詰まっているが、海水に浸かったので、使えなく成っている事が判った。

私は其の男の子に、「他にカメラ等は 残っていなかったか」と訊ねると、「其の杖が一本だけ 岩場の隙間に挟まっているだけで 他には何も無かった。」との応答だったので、私は自分の荷物は、全て高波で海に流されてしまった事が理解された。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。

其れから再び眠ると、今度は、高台の日当たりや風通しの良い土地に、一本の「スモモ・プラム」の木が生えており、其の幹枝には赤く熟した果実が、たわわに実っている様子が示されて来た。

私は、其の様子を視て、其れは太陽の働き(意思)で実った物であるので、其のスモモ・プラムの果実を、仲間に配らなければ成らないと意って居た。

今朝起きた・起こされた時刻は、7時20分である。

其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた「1時15分前」「4時3分前」「7時20分」の数字から、1月15日・4月3日・7月20日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2020/1/15今朝のメッセージの映像は、先ず、白い服を着た「土肥無庵(御祖神・みおやかみの御魂)」が、白い服を着た40歳位の「検事(国の番人)」を私に紹介する場面が映し出されて来た。
そして、其の検事が、私の事を認めたのか、検事の職を止めて、私の弁護士に成るとの事であった。
 処が、私の所に遣って来た人物は、黒いスーツ姿で黒い眼鏡を掛けており、顎髭を蓄えているので、私は別人かと思ったが、顔や目を能く見ると同一人物である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時35分・2時25分」であった。
 其れから再び眠ると、今度は私がオートバイを運転して、大きな施設に向かい、建物の玄関の左の方に停車して、建物の中に入って行き、二階に有る「自然森林保全課」の部署に向かうと、其の部署は閉鎖されて、看板も外されているのである。
 私は帰る事にして、オートバイの所に行くと、短時間であったにも関わらず、其のオートバイは誰かに盗まれて無くなっているのである。
仕方無く、交通機関を使って帰ろうと思い、自分の持ち物を確かめると、私の姿は、赤系のアロハ模様の短パンに、腰にバスタオルを巻いただけの上半身裸であった。
其れで、私は其の姿で街中の駅に向かう事が出来ないので、近くの建物の中に入って行った。
 すると、其の建物の中には、数人の男性がたむろして居り、中心の奥には40歳位の長身の男性が机に腰掛けて、皆に話をして居り、其の人物は何処かで見た事が有りそうな顔であり、話す聲に力が有り、話している内容が正当派である事が理解できたので、私は其の人物はリーダーの資格が有ると意い、其のグールプと行動を共にする事にした。
 そして夜に成ると、其の人達が車検が切れている古いトラックを運転して、潰れかかっている様な冷凍倉庫の施設に向かい、鍵をこじ開けて、中に積んで有る冷凍の鶏肉を其のトラックに積み込み、食料が無い人々の所に届けて回るのである。
 そして次の場面は、昼間に車に乗り込んで、とても高い岩山の麓に到着し、誰かが「此の山の目の部分に 赤い石を嵌め込まなければならない」と謂うので、其の山を見上げると、其の山は木が茂った緑豊かな山であるが、見事な円錐形のピラミッド型の岩山であり、確かに、アメリカのドル札の絵に有るピラミッドの目の部分に、窪みが有る事が判った。
 だが、其処に岩を納めるには、樹木の下を潜りながら急斜面を登って行かなければ成らないので、人間が担いで行ける大きさの物であれば可能なのだが、其の山の大きさに対しての岩は、とても人力で動かせる物ではない事が理解された。
 其処で、私は自分の両手のパワーで、其の目の位置まで持ち上げ様としていると、場面が変わり、其の岩は、電柱の上に載っているトランス・変圧器の形をした、白い岩の形に変わったので、其れならヘリコプターで吊り上げて運べると意っていた。
 其処で「君は見えていない」との言葉が、一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時12分」であった。
 今朝は、先ずPCを立ち上げ、起こされた2時25分前と7時12分の数字から、昨年の2月25日と7月12日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の二つの文章の内容からすると、今朝告げられて来た「君は見えていない」との言葉は、「君」は「きみ 貴方(私個人)」の事ではなく「大君・天皇・統尊(すめらのみこと)」の事を示唆しており、現在の御世には、真実の「君・クン」が存在していないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
 キー「君・クン・きみ 右手+杖+口」・・
今朝のメッセージの映像には、「土肥無庵」が「御祖神・みおやかみ」の姿・役割として登場し、国の司法に関わっている優秀な男性法律家を辞めさせ、変装させて私の弁護に当たらせるとの事は、現在の世の中が崩壊寸前であり、其の崩壊から人間を救う神(はたらき)が行動を始める為には、私の身を守護する必要が有ると言う事を、示唆しているのであろう。
 其れは、私が、南の海で海水浴を行う様な無防備の儘の身状態である理・ことを示唆しており、私が安心して、此の毎日の作業が続けられる状態・状況でなければ、「君・クン・きみ」の仕事が出来ないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
 アメリカの1ドル札にも印刷されている「プロビデンスの目・万物を見通す目」と関係が有り、其の働き・役割を現実のモノ・世界として、発動させなければ成らないと言う事なのであろう。
 キー「万物を見通す目・石工の目・プロビデンスの目」・・
 其れに、今朝の映像で円錐形のピラミッドの目の位置に嵌め込む石が「赤い目」でなければ成らないとの事は、1985年9月6日の息子の夢に登場した「赤い目の黄金龍」の存在と関係が有り、其の黄金龍の存在は、私が1985年(S60)11月10に気功家の「中健次郎氏」と大阪で開催された講演会で出会い、亀岡市の杉岡氏の自宅に泊めて貰う事に成り、其の夜黄金龍が私の躰に巻き付いて来る現象が起きたので、翌日11月11日11時11分に儀式を行った事にも関係が有りそうである。
 それらの出来事を考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が背負っていた神(はたらき)のプログラムが、愈々発動すると言う事であり、其れは、私が中国の王様・皇帝の鍼師の子孫である「清水先生」に受けた治療の効果が、現れる時節が到来したとの事なのかも知れない。
 本日1月15日が本来の成人式の日である事を考えると、私に依り憑いている黄金龍の神(はたらき)が、漸く「一龍神前」に成ったとの事も考えられないことではない。
「君は見えていない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5242.html

2020/4/3今朝のビジョンには、先ず「三国一の花嫁獲得」との言葉が示されて来てから、若者の男性の存在が三人居る映像が映し出されて来た。
そして、其の人達が食べるのは、平たく厚い「焼肉・ステーキ」で、自分好みの香辛料やタレを使用している様子が示されて来た。
 次のビジョンは、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏が、部下と共に、屋久島を訪れて居る場面が映し出されて来て、私は送迎を担当して居り、其の部下の中に一人、30歳代後半の男性が居て、私の行為行動が気に入らないらしく、私の服装や履物やベッドの使用の仕方まで、私のする事に一々ケチを付けるのである。
 次に、九州が出身である別の男性は、屋久島の萱(かや)が気に入ったらしく、帰る間際に萱の大きな束を持って来て、車に積み込むと言うので、五人乗りの乗用車はトランクが手荷物で詰まっており、乗せる事が出来ないので、私は運転を他の人に頼んで、自分の車を置いて有る場所まで歩いて行く事にした。
 其の自分の車は、原地区に置いている心算で歩いて行くと、途中で自分には今車が無い事が理解されて来て、私は自分が居る周囲の観察を始めると、屋久島の美しい自然の様子が次々に映し出されて来た。
 次の映像は、私の意識(龍神?)が、太平洋から屋久島の南東にある「鯛の川」の入り江に向かって、海上を進んで行き、トーローの滝壺から、川を「モッチョモ岳」に向かって登って行く様子が映し出されて来た。
私は其の映像から、屋久島の音楽の神である「ピーコドンドン」の存在を思っていた。
 すると「じしょく・自食」との言葉が告げられて来て、其れは、自分の身体のリズムを維持する為には、他人の手に触れた食べ物ではなく、自分自身で作った食事をしなければ成らない理・ことを、示唆している事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時8分」であった。
 其れから、7時13分におきてPCを立ち上げると、男性の声で「今日から本番。何から 何処から 始めるか。」との言葉が告げられて来たので、其れは本日4月3日が、日本の歴史の基・始まりと成っている神武天皇の命日で「神武天皇祭」が行われる日である事と、関係が有りそうである。
 今朝は先ず、起こされた6時8分の数字から、昨年の6月8日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章には、入り江や河口の場所と水の事が書いて有るので、今朝のビジョンで私の意識が入り江から滝を登って、山岳の方に登って行った場面と関係が有りそうである。
其れから起きた起きた時刻7時13分の数字から、昨年の7月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の文章には、私に「肉を煮るのに鍋は貸せない」との事を謂う男性の存在が記されているので、今朝のビジョンに大きな焼肉・ビフテキを食べる男性が登場して来た事と関係が有りそうである。
 其れに、其の人達と「三国一の花嫁獲得」との言葉の関係は、肉食の男性達は積極的に自分の生活領域を離れて、伴侶の獲得に、外の国に出掛ける性格・気性を有している理・ことが示唆されている様である。
 其れから、龍神が原の「トーロの滝」から山岳に登って行くと云われている事が、現実の様に映し出されて来た事から、以前の文章を調べると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージは一昨日の「養楽」と昨日の「頭ではなく躰全部の細胞で」の続きであり、其れが、今朝の「自食」との言葉の意味へと続いて来ている事に成る。
 今朝のビジョンで、屋久島の「萱・かや」が気に入って、車に積んで持ち帰る男性の存在は、屋久島で毎年9月15日に島内全体の村落で行われる「十五夜の綱引き行事」と関係が有りそうである。
 何故かと謂うと、屋久島は80%以上が山岳・山林であり、平地・耕地が少なく、水は豊でも水田が少なく稲藁が無いので、大綱(大蛇)を編む材料は萱だからである。
 其の事を考えると、今朝屋久島の萱の束を持って帰る男性が、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏の部下であるのは、渡来系(天津神)であるユダヤ・イスラエル(放牧)民族が、エジプト経由で日本に持ち込んで来た鳥居の両脇に置かれている阿吽の「高麗獅子(ライオン=ユニコーン・一角獣)」を撤去して、地祇(くにつかみ・国津神)である「大蛇・龍神(大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神)」に、取り換える必要が有ると言う事に成るのかも知れない。・・
 何故かと謂うと、ライオンは肉食獣の王様であり、大山祇神(大蛇)は「雨・水」を司る神であり、稲作文化の守護神だからである。
其の稲作を無農薬・無肥料栽培で行っている江藤敬介氏から12時33分に電話が有り、「今朝の夢では 親牛から離されて成長し 市場に出された牛が抽選で当たって貰ったので、其の牛を何処で飼育すれば良いかを考えて居た。」との事である。
 私は其れを聞いて、私のビジョンと関係が有り、江藤氏の夢は牛神信仰のシュメール時代の歴史・文化を示唆しており、其れは歴史的に、現在とスンダランド文化(マレー語)の中間に当たるのではないかと意った。
 何れにしても、今朝のメッセージは、行き過ぎた現在の破壊的な大量生産・大量消費文明を、何処まで戻せば良いのかを、考えろとの事なのかも知れない。
「自食」https://green.ap.teacup.com/20060818/5322.html

2020/7/20今朝のメッセージは、先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。
其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。
 其れから、「真実」との言葉が示されて来て、此の私と自然の生き物は其の真実の世界を生きて居るが、現代社会の人間と、家畜化・養殖化・ペット化等、改良されてしまった生き物は、真実の世界を生きていないとの理・ことが、理解されて来た。
其の理由は、本能(遺伝子・DNA)の儘に生きる事は、宇宙の道法に適っているが、大脳が発達して本能以外の情報を垂れ流している人間(他人)の影響を受けた物(動植物)は、既に、其の宇宙の道法から外れてしまっているからである。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、小さな鈴の様な物が、穀物の実の様に、何百個も付いている植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が、地上に広がって行く様子が示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時44分・4時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の屋久島の実家の様子が映し出されて来て、家の裏山の数か所が光り始め、何故か、若い頃の母親らしき人物が、窓から潜る様にして、室内に侵入して来た。
そして、優しい聲で「ワタシを信用して」との言葉が、一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
 今朝起きた・起こされた時刻は7時30分である。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた2時1分の数字から「2月1日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の「自己最高位」との言葉と、文章の内容からすると、今朝の示されて来た「真実」との文字と「ワタシを信用しなさい」との言葉は、「ワタシは貴方 貴方はワタシ」と告げられて来た事と関係が有り、私の心身を占有しているのが「万物の母」であるので、私は自我意識を消して親鸞上人が謂う「他力本願」の気持ち・精神で在れば良いとの理・ことなのではないだろうか。
 其れは、既に私は釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」の世界に達して居り、イエスキリストの謂う「永遠の命の世界」に入っており、其れは老子の謂う「雄の立場を知った上で雌の立場に身を置く」との事であり、私は「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」&「三昧・サマディ・悠々自適」の日々を、送っている事に成るのであろう。
 其れに、今朝のビジョンで私の実家の裏山が数か所光り始めてから、私の母親の若い頃の姿らしき人物が、窓から侵入して来たのは、私の母親自体が、其の「万物の母」の神(はたらき)であった理・ことを、示しているのではないだろうか。
 其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ日が、其の母親の64歳の誕生日である1984年6月4日であった事の理由・謎も解けてくる。
 次に起こされた「3時44分・4時16分前」と「4時19分」の数字から、4月16日・19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「全て神の意図」と「準備が出来たか」の文章には、今回問題に成っている「新型ウイルス感染」の共通点が有り、我々人間・人類に新しい価値観の創造と、現実的な対応が求められて来ている様である。
 其れに起きた起こされた時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の「主食」の文章の内容から考えると、今朝示されて来た「真実」との言葉は「主食」が「穀物・植物の実」であるか、「動物の肉・乳」であるかが関係が有り、「自国を守る定住型」と「他国を侵略する移動型」の生活スタイル・民族の違いが関係が有り、何方が、真実の生き方・精神の進歩が有るのかを、考えなければ成らないのではないだろうか。
 それを考えると、日本列島は山が険しく雨が多いので、家畜の放牧には向かない反面、河川・水に恵まれているので、水田稲作に向いており、農業者は自分の土地管理と暮らし向きの為に、意識は暦を始めとして内向き・内省的に成り、魂しいが充実化し易いとの事があるのではないだろうか。
 其の様に考えると、漢字を考えた人々が暮らした場所が中華地域であり、満人や蒙古系ではないので、万里の長城の歴史でも分かる様に、其処には主食の違いが表れている事に成る。
 其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、小さな鈴の様な物が何百個も付いている、植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が地上に広がって行く様子が示されて来た場面が関係が有り、天神・万物の母神は、動物食ではなく、穀物食の世界・人間の方を言祝いでいるとの事なのかも知れない。
 其れを考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、漢方やドイツ医学ではなく、「和方」の御殿医の家系であった事と関係が有り、私は其の無庵師匠に「三ヵ月間私の謂う通りにすれば 体の細胞が入れ替わるので 自適さんは本来の宿命が現れる」と謂われ、三ヵ月間の治療受けた末に覚醒・成仏を体験する事が出来た事が、「天神・万物の母」の意図であった事に成り、其れが2月1日に告げられて来た「自己最高位」との言葉と関係が有り、其れは自分の心身を「万物の母」と一体化させた事に有るのだろう。
 其れは諺に有る「人間は万物の長」であるとの事を、私は現実としてモノにしたと言う事に成り、「土肥無庵」の教えを「真実の物」にしたと言う事にも成るのだろう。
 今朝のビジョンに、雌花の雄花が咲いている南瓜の蔓が映し出されて来たのは、生命の仕組み・基礎が、雌が土台である理・ことを示唆しており、私の魂しいは「万物の母」の懐に里帰りをしており、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との理・ことが、現実の事として、起きており、其れが生命の営みの真実であるとの事なのではないだろうか。
 其の様に考える・捉えると、私は他人の謂う事に耳を貸さず、ただ万物の母(女神・宇宙意思)に心身を預けて居れば良いとの事なのであろう。
「真実を生きている物」https://green.ap.teacup.com/20060818/5430.html

此の「真実を生きている物」の文章は、今朝のビジョンに映し出されて来た真っ赤に熟した「すもも・プラム」と関係が有り、其れは生命を育てているのが太陽(天照神)であり、其の天照神の意思を理解し、感謝できる者が「真実を生きている物」であり、其の真っ赤に熟した果実は「真実」の証であり、人間の「心臓・こころ・ハート」を示唆しており、万物の母神が「ほしい」と要求して来ているのは、人間の「まごころ・精神(きよいカモ)」であると言う理・ことに成る。
其れを「感じた・知った」人々・人間が、昔しメキシコ半島に居て、生きた人間の心臓を、太陽(時を知らせる雄鶏)に捧げる事を思い付いたのであろう。

だが「13の月の暦」の関係者の中には、「現代の60と12の数字に縛られた暦から脱出しなければ成らない」と述べている人が居るので、其れは大きな間違いであり「60」こそが、地球時間の正確なリズムである人間の「心臓の鼓動」であり、「12」は安定した60の鼓動に合う「肺・呼吸」のリズムなのである。

キー「1年 地球自転365日  月30 肺12 心臓60」 

2014/6/10・・時間・時刻の「時・ジ・とき」は、「日+寺」の組み合わせで、寺は「止+寸」の組み合わせで、「寸」は「右手+左手の親指」の組み合わせで右手の脈を左手の親指で計る意味である。
其の事から、「寺」は立ち止まって自分の心臓の鼓動を確かめる事であり、「時」は太陽の位置を計るの意味である。・・・
「トキの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html

2006/8/20宇宙の秘密は、やはり謎に包まれている。
今日は、水の中に自分が溶け込んでいる感覚が続いた。
其れは、宇宙の波動がそうなのか、自分の身体中のおよそ70%の水が、自己主張をしていたのか判らない。
 宇宙の総ては、水素原子に拠って成り立っている理・ことは近代科学で証明され、我々の住む惑星の中心である太陽は、水素ヘリウムの活動でコロナ温度100万度K(内部6000度K)で燃えている。
そして、逆に水素をマイナス273・15度まで冷却すると、水素は凍りつき超伝導が起きると云われている。
 今朝の感覚は、其のどちらでもなく、静かな中に、安定した感覚が在るだけなのだ。其れは、老子の謂う「恍なり惚なり、惚なり恍なり」と似通っている。
しかし、老子の其れは、質量を「陽」として感じている世界だが、私の今朝の感覚は、光りではなく、静かな水の世界「陰」として、在った様だ。
其処は、温度の上下等は皆無の世界である。
 燃える太陽や、0度の水は「命・いのち」を生み出す事はないが、今朝の世界は、我々の住む此の地球の温度が、生命の温床に成っている事が、神の意図ではないかと想わせるものがあった。
 生命が存在しなければ、生き物の意思も生まれないし、脳の活動も無いことになる。其処のところを考えれば、此の、地球の生命が存在する温度の範囲こそ、神が存在しているベッドではないだろうか。その様に考えれば、涅槃姿の仏陀こそ「神」其のモノの現れではないかと想えてくる。
 総ての生き物の情報を身に蓄えて、思考を止めている仏陀こそ、神そのモノの「イマ・居摩」ではないのだろうか。
 人間の平均体温36・5度は、地球の一公転間の自転回数365・4日に対応しているかのようであるし、心臓の鼓動を1秒として、其の60回を1分とし、60分を1時間として、1分間の呼吸の数12回を、1日の時間割として来たのも、人間の無意識と、惑星活動の働きが、影響し合っての事だと考えても、何等不思議ではないだろう。
 其処の次元に心身を置けば、人間自身には、何の悩みも不安も無いことになる。其の理を、釈迦牟尼佛は説明したかったのではないだろうか。
そう考えれば、釈迦は水(陰)を意識し、老子は光り(陽)を意識していたことになる。
 何故、我々人類は、自分の脳・意識で、宇宙を感じる事が出来るのだろうか。
其の不思議さを想えば、人間と神は、一体と考えるのが自然であろう。
 今朝の感覚は、無言の神の「存在・意識」の中に、私の意識も在ったのだと考えれば、自分の思考も落ち着いて来るし、納得も行く。此の感覚は、男性のモノと言うより、女性の感覚だと言った方が、当っているだろう。そう考えれば、女性こそ「神」其の侭の現れ身だと成ってくる。
 太陽や月は、子供を産む事が出来ないが、女性は、無から子供を生み出す事が出来るのである。其れ以外には、此の宇宙には、神秘は存在しないのだ。
我々人類は、其れが、余りにも身近に起きている為に、其の神秘を認識する事が出来ないのである。
 其の女性の働きは、文字や言葉が必要のない世界である。
宇宙の真実の世界には、文字や言葉が必要無いのだ。其れが、釈迦や老子が把握した世界なのである。
 是まで、私が22年間続けて来た作業は、其の、釈迦や老子の達した世界まで行き付いていない人々が、其処にまで達する為に、私の心身を使って、探索を続ける為だったのである。
其れは、今回が初めてではないのである。
 過去に、其れが、何回も繰り返されて来たからこそ、日本には「神霊の思頼・みたまのふゆ」なる言葉が有り、神社で「鎮魂」「振魂」の儀式が続けられ、「大祓への祝詞」が奏上され続けられて来たのである。
其の基が、石上神神宮の物部の儀式なのである。其の儀式の呼び名が「天津日嗣」なのだ。そして、人類全体の「スメミオヤ(先祖代々の御魂)」の協力を仰ぐのが、「天津日嗣の太祝詞・あまつひつぎのふとのりと」なのである。・・・
「水の感覚」https://star.ap.teacup.com/170606/1015.html

2017/8/5・・穀物を升で計る意味の「科」他に、「計・量・度・m・g・ℓ・時・速・」等々様々な尺度が使用されている。
其の中で、最も人間に必要とされていると言うか、最初に意識された物は、心臓の鼓動であろう。
其れは、暦・カレンダーの数字を見れば明らかである。
・秒は、心臓の鼓動・脈拍であり、其れが60回で一分とされている。
時(日+寺)← 寺(止+寸)← 寸(右手+左手の親指)左手の親指で右手の脈をはかる意味。
・日は、地球の自転。正午の棒の陰(地面計り・土計・とけい)
太陽一周 365・25日(365.242199日)
・月は、29・5日の満ち欠け。一ヶ月。12回が一年 4年に一回閏月
・年は、歳 米・穀物の収穫を一年に一回行なう事から来ている。
中国の漢数字は、一・二・三・四が家の材料である柱の数。五が組み立てで、六は家が立ち並んで村が出来る(六合)。七は木に暦を刻む事を意味する。
 だが、人間の手足の指の数は夫々5本で、合計20本である事は決まっているし、昆虫の足は「六足・むし」で、獣の足は「四足・しし」と決っている。
其れは、生き物は数を認識しなくても、細胞のDNA・遺伝子レベルで決っている理・ことを意味している。
 其れを考えると、人間も自分の手で物を作り出す前は、数の概念は必要ではなかった事に成る。
だが、現在では宇宙が凡そ138億年前に誕生し、太陽は50億歳で、地球は46億歳で、地球生命は40億年±2億年に誕生された判り、我々人類は約650万年前にアフリカ大陸で、類人猿から分離したとの事が化石の調査で判明しており、空間の広さも宇宙の星の距離を、00光年として計測される様に成って来ている。
 だが、其れ等の物の世界は、科学的手法で「数字」に置き換える事が出来ているし、人間の運動能力や肉体の様子としては数字に置き換える事が出来るが、精神・魂しいの方は目に見える物でもないし、手で触る事も出来ないので「量・質・重・高低」として、数字に置き換える事が未だできないでいる。
其れをハカるのは、未だ、人間の六感に頼るしか無いのである。・・・
「最初に計ったもの」https://wave.ap.teacup.com/20060106/772.html

2010/1/26・・其の、三つの映像が意味するモノは、一番目の川の流れは、時間の意味と、地球の営みを意味しており、二番目の小石が敷き詰められた道路は、人間の魂の在り様を示して来ており、三番目の場面は人間の暮らし・生活を意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、「時間・トキの流れ」「人間の魂しい・意識」「人間の暮らし・生活」の、三つのテーマである事に成る。
 人間が作り出した時計は、時刻・トキを刻むものであり、宇宙のトキ・時とは全く異なる物である。
トキとは、「一日」は地球の自転であり、「一月」は満月から次の満月までの期間であり、「一年」は太陽の周りを地球が一回まわる事である。
そして、地球の一日を24分割したのが、正午で分ける12の「時」である。
更に、其の一時間を60で割ったのが「分」で、其の一分を60で割ったのが、時計の秒針であり、「秒」は人間の「心臓の脈拍」である。
 其れを考えると、時間・トキが人間に意識されたのは、自分の心臓の脈拍であり、宇宙の運行が気に成ったのは、四季の移り変わりの無い赤道付近でも観測できる、月の満ち欠けである。
其れに、一年との概念は、「年」の漢字が、稲作を一回行うとの意味なので、四季の移り変わりの中で、一回作物を栽培する事が、年・歳・年齢の概念の元と成っているのである。
 其れ等の「理・ことわり」は、人間の意識が創り出した物である。
しかし、今朝の映像の川の流れは、陸の生き物には容赦なく、山から土砂を海に運んでいた。・・・
「天津日嗣・あまつひつぎ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1417.html
2018/11/22「直徳」https://wave.ap.teacup.com/20060106/852.html

此の「水の感覚」の文章の内容からすると、今朝のビジョンで電子機器が内蔵されている私の杖が、海の高波で使えなく成っていた場面は、私の精神の旅(探索)は是以上必要では無いと言う事であり、次の段階・次元は13歳の男子に委託すれば良いとの事であり、其の事に「虚空蔵菩薩」の存在が関係が有るからこそ、弘法大師空海が京都の嵐山の麓に存在する法輪寺の登り階段で、私を待って居り、私に「わが弟子いまだ我を超えず」と傳って来たのであろう。

2017/9/30・・今朝のメッセージは昨日の続きであり、人間の子供達の存在は、水環境と植物の存在に拠って支えられており、其の人間の存在は、他の全生命と同じ立場であると言うか、均等である理・ことが示されて来ており、其の理を子供の時から確りと自覚できる教育環境を整える必要が有ると言う理・ことなのであろう。
そして、男子には13~14歳の頃に、海から山まで歩いて、直接自然の有り様を学ぶ・自覚・体験する事が欠かせないと言う理・ことなのであろう。・・
「均しい生命達」http://green.ap.teacup.com/20060818/4386.html

キー「法輪寺 虚空蔵菩薩 13歳」
2017/10/3・・今朝起きて台所に行った時間が、4時13分であったのは、京都市嵐山の麓に存在する「法輪寺」の本尊である「虚空蔵菩薩」の大祭日である「4月13日」の日付でもある。
其の4月13日の祭りは、数え年で13歳と成った子供達が、儀式を行う物であるので、富士山での中学二年生の登山の行事とも関係が有り、13歳から14歳の子供の精神性・意識状態が、其の年頃に、決定すると言うか最も重要である理・ことが、認知されていた事に成るのであろう。
其の法輪寺の横に、「弘法大師空海」が高野山に上る前まで住んで居たとの事であり、富士山の「村山浅間神社」の境内には、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が祭られているお堂が存在するので、今回の動きには「大山祇神・おおやまづみかみ」と「木花之開耶姫・このはなさくやひめ」だけではなく、「弘法大師空海」の御魂が絡んでいる事に成るのであろう。
「お荷物」https://green.ap.teacup.com/20060818/4389.html

2013/8/22・・其の弘法大師空海は、京都の嵐山に有る法輪寺で出て来て、「未だ 我が弟子 我を超えず。」と云って来た。其れは、弘法大師空海が中国の恵果和尚から引き継いだ密儀が、未だ誰にも正しく伝わっていない事を意味している。
私が、出雲の安部忠宏氏の所で初めてセミナーを始めたのは1997年3月21日である。其の日は、弘法大師空海の1212回目の命日であり、其れからも毎月の21日の月命日は空海が重点的に私の身体を使っている様である。
しかし其の弘法大師空海も、此処から先の未知の世界には、踏み込めないとの事であろうか。若しそうであれば、此処から前は、未だ世界が出来ていないとの事なのかも知れない。若し有るのなら、彼等が先に調査をして、道案内をすれば良い事だからである。
そう考えると、もう此処から先は、道祖神の猿田彦も道案内が出来ない事に成る。其の様に考えると、身体を貸してさえいれば良いと、気楽に考えて居て私の考えは、今後通用しない事に成る。
(此処で 左手親指の指紋の所にカモ(神の電気信号)が起きて来た)・・・
今朝の女神のメッセージには、次の様に有った。
「其れは 貴方が 自分の人生を 選ぶ様に 
真魚も 自分の生き方を 選んだだけの事です。
ですが 貴方は 自分の死を
最後まで 見つめなければ 成りません。
其れは 人間の一生が どう言う モノであるかを 
確かめる為に 是非 必要な事なのです。
貴方の人生は 其の為に在るのです
其の為にこそ 屋久島で 貴方を育てのです。・・・」
此の女神の言葉に拠ると、弘法大師空海が、恵果和尚から受け継いだ法統を、次に継ぐ事だけを考えて、自分の人生を放棄してしまい、自分の人生を完結していないので、私は、空海や早死にした父親の分も長生きして、自分の加齢に因って自分の意識が、どの様に成って行くのかを、観極めなければ成らないと言う事に成る。
其れは、是まで宗教を興した人々には、為されていない行動であり、宗教を興さず、弟子を一人も採らなかった老子でさえ、5000字の道徳経を残して函谷関・かんこくかんから国を出た後、何も情報を残していないのだから、人間にとって一番重要な事であるのかも知れない。・・・
「我が弟子未だ我を超えず」https://green.ap.teacup.com/20060818/2786.html

2018/4/13本日4月13日は、虚空蔵菩薩の祭りの日である。
今朝のメッセージの映像には、マイケル・ジャクソンの死に因って、東洋と西洋の文化が二つの古い布袋に詰められ、広い棚の左端の一番上段に、収納されてしまう場面が映し出されて来た。
其れは、東洋と西洋の精神文化の優劣の判断が、先送りされてしまう事を意味していた。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時30分」であったので、私は其の数字を「430・しさんぜろ・資産ゼロ」と記憶して再び眠った。
すると今度は、私が新しい竹の仙人杖を作っている場面が映し出されて来て、私は其の杖を自分の背丈に合わせて、地面に着く部分を鋸で切り落とし、短くしていた。
 今朝は起きてPCを立ち上げると、「貴方には」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には 個人的な財産は 何も必要は有りません。
何故なら世界の全てが 貴方の人生の舞台装置だからです。
其れは 貴方が 統尊の働きだからです。
貴方の意識は 個人的な物を
管理する様には 働いていないのです。」
 私は此の女神の言葉から、今朝のメッセージの映像の意味が理解されて来た。
其れは、イエスキリストの言葉に、次の様に有るからである。
「私の教えを拡めなさい。持って良いのは 杖の他は下着一枚だけ。」
「何を話すかは考えないで良い、其の時に聖霊が舌を借りるから。」
「私の家で食事をしてください。泊まってくださいと謂う人が居ない村は 神がいないから通り過ぎなさい。」
 其れに「マイケル」の名前は、次の様に辞典に載っている。
【マイケル】(英語: Michael)は、旧約聖書の『ダニエル書』、新約聖書の『ユダの手紙』『ヨハネの黙示録』に登場する大天使ミカエルの英語形。およびそれに由来する、英語の人名。短縮型はミカ(Micah)、マイク(Mike)、ミック、ミッキー(Mickey)。[1]ドイツ語ではミヒャエル、フランス語ではミシェル、イタリア語ではミケーレ、スペイン語・ポルトガル語ではミゲル、ロシア語ではミハイル、フィンランド語ではミカに相当する。
       ウィキペディアフリー百科辞典 2018/4/13現在
何故「虚空蔵菩薩」の大祭日に、「大天使ミカエルの死」と「東洋と西洋の文化の優劣」、其れに私が新しい「杖」を準備する場面が、映し出されて来たのであろうか。
 私は1984年11月中旬に全国の旅に出発して、翌年の3月頃に「虚空蔵菩薩」が祀られている京都市嵐山の麓に有る「法輪寺」で弘法大師空海に「我が弟子 未だ我を超えず」と告げられて来た事が有り、昨年其の法輪寺の敷地内に、弘法大師空海が高野山に上がる迄暮らして居た事が判った。
 其の事を考えると、今朝の映像に映し出されて来た二つの布袋に詰められた東洋と西洋の文化は、「仏教(密教)」と「ユダヤ教(キリスト教)」に関係が有り、其の事に、杖を突く旅の世界が共通するとの事なのかも知れない。
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、古い東西の文化を棚上げして、新しい価値観と謂うか精神文化を立ち上げなければ、未来を担って此の地球に誕生して来る子供達の意識が、育たないと言う理・ことが示されて来ているのではないかと謂う事である。
其れは、天使の存在を当てにするのではなく、自分自身が未来を創造する役割である事を、13~14歳の年齢の時から自覚させる事である。
其の様に考えると、本日4月13日が京都の法輪寺で13歳の子供達相手に儀式が行われる日である事と繋がって来るし、昨年8月13日のメッセージで富士山からカモ(神の電気信号)のエネルギーが、全国に拡がる映像が映し出されて来た事とも繋がって来る。
今朝のメッセージの内容からすると、真実の世界を生きる為には、財産の有無は殆ど関係が無いと謂う理・ことであり、其の事に「杖」の存在が関係有ると謂う理・ことである。
其れに、今朝の映像で私が作っていた仙人杖は、枯れた竹製の物であったので、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、人間の意識の成長過程を示唆する枯れ竹と関係が有り、地面に着く先の部分を切断して切り詰めると謂う事は、是から未来を創造する為に、不要と謂うか、邪魔に成る部分である事が示唆されており、非科学的な旧約聖書や、古事記などの神話を、子供達に教える必要が無いと言う事が、示されて来ているのかも知れない。
 何故なら、近代科学の発展で、人類の歴史や、宇宙の成り立ちも明確に成って来ているので、古い神話は子供達の意識の組み込みに対して、邪魔に成るからである。
何れにしても、私には個人資産は何も無く、自分の財産管理に意識を使う必要は何も無いので、全力で地球の未来と謂うか、人類の今後の為に意識を集中しろと言う事なのであろう。
「資産ゼロ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4585.html

2018/7/28・・其れに、戯言(ざれごと)で謂えば、今朝の葱の世界は、神社で大事な役割を務めている「禰宜(ねぎ)職」と関係が有り、権禰宜こそが「聖職」であると謂う理・ことなのかも知れない。
 要は、食事の世界こそが「命・DNA・遺伝子」に直結するモノなので、第一の本能である味覚が働かない者は、直会(なおらい)を開催する資格が無いと謂う理・ことでもある。
 今朝のメッセージの映像で、男性の畑に薩摩芋(唐芋)の苗が植えられていたのは、私が育った家庭の主食が米ではなく、薩摩芋+麦飯であった事と関係があり「豊葦原瑞穂の国」との言葉は、人類全体には通用しないと謂う事であり、水田稲作文化だけの人間に固執する事を、私に止めろと謂う事なのではないだろうか。
 其れに、今朝登場した男性が30歳代であったのは、私が此の世界に入ったのが、37歳の時であった事と関係が有り、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が覚醒したのが36歳の時であり、イエスが目覚めたのが30歳の時であるので、覚醒する為には30歳代の体力や経験が、必要であると謂う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
「森羅万象の流転の中に生きる」https://green.ap.teacup.com/20060818/4694.html

本日7月27日は、五歳下の弟(昭和27年7月27日生)の68歳の誕生日である。
私は其の弟に男子が誕生した事で、礒邉家を継がなくても良いと考え、全てを捨てて此の世界に入る事の決断ができたのである。

其の事を考えると、物事の一切が「万物の母神」に管理されていると言う事に成り、其れに対して返せるモノは、唯一「まごころ」だけであるとの理なのであろう。
其れは「資産0」でも可能であり、誰も(万民)が出来る事である。

                        令和2年7月27日

                             礒邉自適

万物の母の悲しみ


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    万物の母の悲しみ
                           2・7・26

昨日は遅い昼食を食べて居ると、午後1時31分に私の心臓に、是まで体験した事が無い、痛み症状が二度襲って来たので、マヤ・アステカの「チャックモール」が私の心臓を欲しがっているのかと思った。

そして、9時前にゆっくりと入浴して居ると、優しい言葉で「ほしい」との言葉が告げられて来たので、6月28日に女神が「ほしい ほしい 願わくば」との言葉を告げて来た事を思い出した。

今朝のビジョンは先ず、港を中心とした都会の様子が映し出されて来て、其の都会の周囲には目に見えない壁が出来ている事が示されて来た。
そして、其の街中のエネルギーが停滞して、くすんで来ており、もう直ぐ立ち行かなく成る事が示されて来た。

次に、自然豊かな農村・山里の風景・様子が映し出されて来て、其の山里の林には、日の光を浴びて白色や薄紫色の「藤の花」が、木から垂れ下がって美しく咲き乱れていた。

次に、大きな農家の存在が映し出されて来て、広い野菜畑の周囲は、厳重に囲われていて、入り口には鉄と扉が有り鍵が掛けられ、関係者以外は入れない事が判った。
其れに山側には、深い大きな側溝が掘られており、大雨が降った時の対策が図られている事が判った。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時21分」であった。
私は其の数字が弘法大師空海」の命日「3月21日」である事を思い、「真言・マントラ」や「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の事を思った。

其れから再び眠ると、都会の路地に見捨てられた・捨て置かれた、幼い兄弟が、祠に供えられた飲食物を口にしている様子が、映し出されて来た。

私は、其の子供の様子から、都会の経済が崩壊して酷い状態に陥っている事を理解して、何らかの対策を早急に立てなければ成らないと意った。

今朝起きた時刻は、7時30分である。

今朝起こされた「3時21分」と「7時30分」の数字から、今年の「3月21日」と昨年の「7月30日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2020/3/21本日3月21日は、弘法大師空海の1187回目の命日である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
 今朝のビジョンには、私が玄関口に置いてある数鉢の皐月(さつき)の盆栽が、増水した水に流されて無くなっている場面が映し出されて来た。
其れで、皐月を置いている場所を見に行ってみると、誰かが全部倉庫の中に移しているので、私は其の儘では、降雨が無く、日光の当たらない場所では枯れてしまうので、早く外に持ち出さなければ成らないと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時22分」であった。
 其れから再び眠ると、窓が一つも無い、人工的な壁の部屋が映し出されて来て、私は其の部屋に住んで居ては、死んでしまうと意い、庭や縁側の有る南向きの日本建築の家に住まなければ成らないと考えて居た。
 次に、昔の天才であった60歳代の男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、仕切り・壁の無い、陽炎(かげろう)の様な空間を通り抜けて、此方側の世界に生まれ変わって来て、成長すると、過去の記憶・潜在意識が作用しているのか、乗馬の練習を始める様子が映し出されて来た。
 其れから「いいかたち」との言葉が一言告げられて来たので、私は其の言葉を「良い」「善い」と「形・型・容・象・方向」等のどの漢字を当てて良いのか、考えあぐねていた。
 すると、私の末娘である「最明・もあ(11月2日生)」の名前が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
 今朝初めに起こされた4時22分の数字は、新暦での弘法大師空海の命日で、本日3月21日は旧暦の命日であるので、空海の存在が関係有りそうである。
昨年の4月22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私が南向きで、縁側や庭の有る家に住まなければ成らないと考えて居た事や、大雨で倉庫の中に移動した皐月を、早く野外に出さなければ成らないと考えていた事と関係が有り、太陽活動に接した生活を始める事が、最も重要事であるとの理・ことが示されて来ている様である。
 次に、起きた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
 此の二つの文章は、両方とも仏教に関係が有り、弘法大師空海は真言宗の開祖であるが、釈迦ブッダは仏教自体の開祖である。
其の仏教には、「王様・皇帝・天皇・大統領」などの権力者に成る事は、一言も無く、自分自身が人間の本質に目覚めて、正しい生き方をする理が、中心課題である。
 其れを考えると、今朝告げられて来た「いいかたち」との言葉は、物品の「かたち・形状」よりも、政(まつりごと)の「形態」に関係が有るのかも知れない。
其れを考えると、今現在、私の意識に浮かぶモノは、以前に書いた二つの文章である。・・
 何と此の「我々の使命」の文章は26年前の「7月21日」の物である。
其れを考えると、今朝末娘の名前「最明・もあ(11月2日生)」が告げられて来た時刻が7時21分であった事と関係が有り、私が自分の子供達の為にも、真剣に取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
 其れを考えると、昨日告げられて来た「コロナはアイドリング中」との言葉は、私自身にも直接関係が有り、私が真剣に此の事に取り組まなければ、アイドリング状態から、ギアが入れられ、アクセルが踏まれるとの事なのではないだろうか。
其れに、マヤ暦の2012年12月23日のプログラムは「8年先伸ばしする」と告げられて来て、其れは、今年の12月23日である。
 其れを考えると、現在重要なポストに付いて居る者達は、7月14日迄に「禊ぎ祓い」をする事を、真剣に考える必要が有ると言う事に成り、其の認識が起きなければ、最悪の状態が始まるとの事なのではないだろうか。
 私が、此の世界に入った切っ掛けは、一人息子である「海生」が、原爆に拠る第三次世界大戦の放射能汚染で死亡し、私は泣きながら其の亡骸を抱いて葬式をする場面・映像を見せられ、私が神の計画・プログラムを引き受ければ、平和な未来社会が来る事の約束が為されたからである。
其れから、36年が経過したが、事態(人間の業)は増々悪い方向に進んでいるので、神(はたらき)の辛抱・我慢も限界に達したとの事なのであろう。
 今朝、7時21分に告げられて来た「いいかたち」との言葉は、「天神・宇宙意思」が人間に妥協と言うか、協力を要請している言葉で有り、其の事に11月2日に南アルプスの山中で「最明」との言葉が告げられて来た言葉が関係有るのなら、其の宇宙意思を受け入れれば、「最も明るい」世界が到来するとの事であり、新しい文化の日である11月3日を、迎えられるとの事なのではないだろうか。・・
   キー「文化の日」
其れに、其れ等の事が現実と成れば、昔し活躍した天才達が此の世に転生して来るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「いいかたち」https://green.ap.teacup.com/20060818/5309.html

2019/7/30本日で、特異な事・件が有った7月が明日で終わり、明後日から8月である。そして8月3日で、私の両親(私は胎児で三ヶ月)が屋久島に渡って丸73年と成る。
 今朝のメッセージの映像は、私の息子らしき人物の結婚式の様子が、私にしっかりと記憶させる為か、数回繰り返し映し出されて来た。
其の反復作業で、私がしっかりと記憶した所為か、送り物を持った中年の夫婦が、祝いに参加する為に遣って来た。
 そして、其の贈り物が何なのかを確かめると、其れは、竹笊に載せられた「粽(ちまき)・柏餅・蓬団子・灰汁巻き(あくまき)」等の、米・餅米を材料とした、直ぐ食べられる・日持ちがする・持ち運び可能な食品であり、30組程参加する人達が持参する物は、殆どが其の様な穀物類の食べ物である事が、理解されて来た。
其れから、其の事に「諏訪・すわ」の神(はたらき)が、関係が有る事が示されて来た。
 今朝のメッセージは、其れだけであり、時間(とき)の神(はたらき)の動きが無いのか、時間も気にする事なく起きて、縁側に出ると、蝉の鳴き聲が空間を占めており、松尾芭蕉の「静けさや 磐に染み入る 蝉の聲」とは、殆ど反対の世界である。
 今朝のメッセージの映像に登場した食品は、「お盆」の行事で仏壇やお墓にお供えされる物であり、日本独自の食べ物である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、昨日の旧約聖書の世界(ユダヤ民族)とは異なる事に成る。
 何故かと謂うと、旧約では、神が喜んだ物は、兄「エサウ」が捧げた「麦」ではなく、弟「ヤコブ」が捧げた「子羊」だからである。
其れは、ユダヤ人が農耕民族ではなく放牧民族であり、羊や山羊の乳や肉が、主な食べ物であったからであろう。
 其れ等の事を考えると、今朝のメッセージは、主食が何であるかが、重要な課題であり、「諏訪神」と「米」の関係を調べなければ成らないと謂う事に、成りそうである。・・
 此の「春宮・はるのみや」から、本宮 (ほんみや)に向かう「中山街道」の左側に、春宮の御神行の祭りに使用される「早苗」を栽培する小さな水田が境内に有る「御作田社」が存在する。
 其の名前である「つくりだ」との言葉は、私が此の神の世界に飛び込んだ時に、告げられて来た重要な言葉・単語の一ツである。
「つくりだ」とは、諏訪の「春宮」から、「上社」に向かって歩いて行く昔の「中山道」の左側に、春宮の末社である「御作田社」が在り、私は其の「つくりた」の意味と、存在を探し出すのに、随分と長い年月が掛かっている。
 何故、今朝、其の「作り田」の事が告げられて来たかを考えると、稲作の事を一番大事に考えろとの事ではないだろうか。・・
 諏訪大社の祭神である「建御名方神 ・たけみなかたのかみ」は、出雲の国造りを行った「大国主命」の次男である。
其の建御名方神 が、出雲から諏訪に転居したのは、天津神・渡来系(ユダヤ・イスラエル)である天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)が、「国を譲り渡さなければ 軍隊を連れて来る」と大国主命を脅して、大国主命の御霊を未来永劫祭祈する事を条件に、国譲りを行った為である。
 其れを考えると、「エホバ・ヤハウェの神」が「私は有る時から在るモノ」との意味合いである事から考えると、「有る・在る」との言葉の原点を探る必要が有り、其の事が「米・飯(いい)」に関係が有り「謂」の漢字の意味から、解釈する必要があるのかも知れない。
 其れを考えると、建御名方神の兄である「事代主神・ことしろぬしかみ」の役割が見えて来るし、父親である「大国主命」の「国造りの初心」を推察する必要がある事に成って来る。
 キー「謂 言+胃 米+肉」・・
此の・・「ミシャグジ様」の名前の由来については諸説あり、稲を守護することから「作(さく)神」とする説・・。との事から考えると、やはり「御作田社」の存在が重要であり、其の神社の宮司の役割が「御作神・みさくじん」であるとの事なのではないだろうか。
 今朝のメッセージから、私に考えられる事は、放牧民族(肉食文化・草原文化)は、雨が少ない土地で野菜などの作物が出来ないので、家畜に頼る生き方と成るが、水田文化は自然環境に恵まれ豊かな生活を送れるので、精神構造が全く異なるとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
 其れを考えると、私が「土肥無庵」に捜し出されて、玄米が主食の「マクロビオティック・ Macrobiotic・正食」の生活を始める事で、此の世界に飛び込む事に成った経緯が能く理解できて来る。
「主食」https://green.ap.teacup.com/20060818/5068.html

此の「いいかたち」と「主食」との題名は、今朝のビジョン・メッセージと関係が有り「良い形の政治」を行うには、「主食」を「稲・穀物」として、安定供給を図る事が良いとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

だが此の日本は、「稲作国家」であったのだが、太平洋戦争でアメリカ国に負けた事で、大量に余って処分に困っていた小麦を押し付けられ、「米飯」から「パン・ミルク・肉食」へと食事を替えられ、唯一自給体制を保持できる稲作・水田を、減反させらて来ており、自給率は30%台に落ち込んで、先進国では最低の水準と成っており、国力を維持出来ない状態と成っている。

そして最大の問題は、稲作文化は水を守る為に森林の保全を図るが、肉食文化は家畜の飼育の為に森林を破壊して、牧草地や飼料作物栽培の農地に変え、地球環境の破壊を急激に進めている事である。

其れに国連の発表には、次の様に記してある。
・・6月17日 – 本日発表された国連の新たな報告書によると、世界人口は現在の77億人から2050年の97億人へと、今後30年で20億人の増加となる見込みです。
国連経済社会局人口部が発表した『世界人口推計2019年版:要旨』は、世界人口のパターンと見通しを包括的に概観した報告書です。調査結果は、世界人口が今世紀末頃、ほぼ110億人でピークに達する可能性があると結論づけています。・・

其の事を考えると、「万物の母」は人類を守る為には、地球環境の保全が大事・重要であるので、人口を減らす必要があり、其の一環として、今回の「新型ウイルス感染」の現象によって、人間の暴走を止め様としているのではないだろうかと思えて来る。

キー「増えすぎた鼠の自殺」

2009/11/3・・其の夢の世界は、人間だけのモノではない。
野生のネズミは、数十年に一度、竹林が実を付けて枯れてしまう時に、其の竹の実を食べて異常繁殖をするらしい。処が、其の竹林はもう枯れてしまうので、次の年は実を付けないのである。
そう成ると、餌を失ったネズミは全滅する事に成るので、種の保存を図る為に一部を残して、後は全部水に飛び込んで集団自殺してしまうらしい。
 其の現象も固定化された、両目の世界で知る事の出来ない、情報に拠るモノである。其れを起こさせているのが、生命の影の世界なのである。
其れは、太陽の世界ではなく、黄泉の国の力である。
 此の地球に、38億年前に生命が誕生した時は、地球は二酸化炭素の雲に覆われて、太陽の光は地上には届いていない。其の暗い、粘土・ミネラルの海で、最初のDNAの鎖が生まれて微生物が誕生したのである。
そして、其の微生物が進化して、二酸化炭素を取り込んで酸素を吐き出した為に、空が晴れて太陽光線が地上に届く様に成り、現在人間の目に見える生物が地上に満ち溢れて来たのである。
 しかし、我々人類は科学を発展させて、医療や道具を発明したので、病気で簡単に死ぬ事が無くなり、他の動物に襲われる事も無くなった。
 だから、此の先に訪れるのは、集団自殺である。其の兆候は、既に現れており、死に急ぐ人達が増えて来ているし、若者が結婚をして子供を育てる事を、しなく成って来ている。・・・
「光より上」http://green.ap.teacup.com/20060818/1327.html

2015/7/29今朝の映像は、先ず、海辺の様子が映し出されて来て、其の海辺は、是まで何度も、氷河期に因って「海進・海退」を繰り返して来た土地である事が、示されて来た。
そして、私の意識は、生命体として、其の環境の変化を乗り越えて、今日が有る理・ことが示された。
 次に、遺伝子を示す、カプセルの様な物が映し出されて来て、其の中には、中央部分から、サルカンの様に、自由に回転する螺旋が上下に伸びていた。
処が、其の螺旋構造の上位の最頂部のフックが外れており、私の意識は顕微鏡で視ながら、工具を使って、其のフックを引っ掛け様として居たが、余りにも其のカプセルが小さいので、引っ掛ける事が出来ない侭、其の場面は終わった。
 次に、角の漢字に似た形の文字が一字現れ、其の文字は、中の「土」の線が無い文字であり、其の漢字は「ギ」と読むものである事が判った。
 最後に、大きな三階建ての建物が映し出されて来て、其の建物内に働いて居る人々は、武装集団に襲われて、全員人質に取られており、其の建物の周囲には、軍隊か機動隊の様な、重装備をした武装隊員が取り囲んで居た。
 そして、三階と二階までは、人質の手に拠って、「攻撃しろ」との文字が書かれた段ボール紙の様な合図が示されており、一階の方で「攻撃可」の合図が出れば、一斉に攻撃が始まる体制に成っていた。
 今朝のメッセージは、一昨日と、昨日のメッセージのテーマである「生命・いのち」の仕組み・苆に付いて、示されて来ているのであろう。
 今朝の映像の最後の場面で、私が先ず感じた事は、種の保存の法則に付いてである。
其れは、生命の潜在意識と言うか、意識の根本には、数が増えた動物は、種の保存の為に、或る程度の種を残して、残りは集団自殺を図るプログラムが存在し、我々人類も、其の臨界点に差し掛かっているのではないかと言う事である。
 今朝の最後の映像は、現在問題と成っている「イスラム国」を名乗る、武装集団のテロ攻撃を思い起こさせる場面である。
其れは、其れに参加する人間は、自分の生命を護る為ではなく、自殺の為の手段として、行動を起しているとしか思えない手法である。
 今朝のメッセージは、人類を含む全ての地球生命は、是までに、何度も起きた地球環境の激変を、何とか、乗り越えて生きて来ている理・ことが、示されて来ている。
だが、其の生命でも、DNA・遺伝子の仕組みの一部が、フックの掛け違いを興せば、神の意思に置いても、救えない理・ことが示されているのであろう。
 そして、中が空に成っている「角」の文字の意味は、「須佐之男尊・すさのおのみこと(神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)」が、祇園神社の祭神である「牛頭大王・バール神」と関係があり、角を失った「雄・男性」は、存在意義が無いと言う理・ことなのかも知れない。
 雄の角は、「生命遺伝子・DNA」を継続する為に、他の雄と戦って「雌・女性」を獲得する為に存在する。
其れは、繁殖期に必要な物であるが、通常は邪魔に成る角を、年中・一生抱えていなければ成らない、雄の宿命である。
 其の「角・フック」が外れた者は、自分の生命遺伝子・DNAを継続する事は、出来ないのである。
其れが、生命の「ギ・義」なのであろう。
*「角・カク・かど・つの」【解字】象形。中がからになっている固い、つのの形にかたどり、つの・かどの意味を表す。角を音符に含む形声文字に斛・桷・确などがあり、これらのかんじは、「かどばる」の意味を共有している。
【字義】(一)①つの。牛や羊の頭に硬く突き出たもの。②かど。さき。とがった部分。③すみ。すみっこ。④つの笛。つの細工。
⑤人相の一種。額の中央部がつののように高く出ている人相。⑥あげまき。つのがみ。子供の髪の結い方の一つ。髪を左右に分け、つのに似た形に結ぶ。総角。⑦さかずき。つの製やつの形の物が多い。また、ますの一種。四升入る。⑧くらべる。競う。争う。⑨五音(宮・商・角・徴・羽)の一つ。⑩星の名。すぼし。乙女座のアルファ・ベーターの二星。⑪役者。俳優。」
*「義・ギ」【解字】形声。「羊+我」音符の我は、ぎざぎざの刃のあるのこぎりの象形。羊をいけにえとして刃物で殺すさまから、厳粛な作法にかなったふるまいの意味を表す。【字義】 ①よい。よろしい。正しい。道にかなっている。②のり。みち。人のふみ行うべき正しい道。道理。五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。③人道のために尽くすこと。名利をはなれて、正しい道に従う。④わけ。意味。⑤かり(仮)。実物の代わり。また、本物でないのに、同じように見なすもの。=義父。義足。⑥文体の一種。道理に基づいて説明するもの。
               漢語林
 2015/4/12・・今朝のメッセージの映像は、先ず、大雨が降って、平地の草原に放牧されている一頭の黒牛が、同体の所まで水位が達した為に、体が浮き上がって流れそうに成り、バタバタと動き回っている場面が、映し出されて来た。・・
今朝の二つの映像から、私が感じ取った事は、始めの黒牛の映像は、牛が「物」の漢字の意味である「この世の 全ての物」を意味しているので、事象の安定と言うか、三次元世界の「質量・物」のバランス・安定を、意味しているのであろう。
これ等の事柄から、考えられる事は、我々人類が認識しなければ成らない事は、「物」の世界の安定と、精神的な「義」を重んじる事が、最大条件である理・ことを示して来ているのであろう。・・・「二つの理」
 私が今朝感じるのは、英語の諺である「天は自ら助くる者を助く」との言葉である。今その言葉を検索すると次の様に載っている。
人類の存続に付いての原理原則は、古代から同じモノであり、其れは永遠に変わる事の無い、大原則である。
 今朝のメッセージの映像は、其の大原則・道(タオ)・法(ダルマ)から外れた者は、滅び去るしかない理・ことを、示唆しているのであろう、
其れは、社会的なシステムに拠る影響だけではなく、自分の日常の暮らしの中で、衣食住の環境条件を整える事も、含まれているのである。
 其れは、アマゾンのジャングルや、アフリカの草原で、昔ながらの生活を営んでいる部族には、何等関係が無い事だが、グローバル化された近代社会の人間は、余程自分自身で気を配っていなければ、巻き込まれて行く世界である。
 其の意味でも、「生命・DNA・遺伝子・くしみけ・苆の尾」を継続させて行く事は、我々人間にも、最大の課題であるべきなのである。
そして、其の事を、人類が疎かににすれば、天神(てんのはたらき)も困ってしまうと言うか、存在意義が無くなってしまうのである。
「生命の義」https://green.ap.teacup.com/20060818/3548.html

今朝のビジョンで、港(水+巷)を中心として栄えて来た都市が、エネルギーを失って崩壊・崩れ去って行くとの事が示されて来たのは「巷・ちまた」との言葉と関係が有り、ネオン街が「新型ウイルス感染」の中心と成って来ている事と関係が有り、新型ウイルス感染は人間の「カルマ・業」の深い場所を好む・餌としている事に成る。

キー「俗・巷」

2005/9/26・・漢字の「俗」の文字の意味は、谷に住む人(人+谷)で、昔の経済の中心は河川の港に在り、船で物資や人の出入りが行なわれていた事に由来している。
 何故かと言うと、河川の水が流れている場所が谷であるからで、其の谷の出口に港が存在し、経済や風俗が発展したからである。
其処に関わって、生活をする人々を「俗人」と呼んだのである。
 其の反対の世界が、漢字の「仙・(人+山)」の、山に住む人で仙人である。
仙人や、聖者が「阜・高処」に住む人なのだ。
 それが意味することは、首長や官・司は、港(巷・ちまた)には住んではいけないとの理・ことであろう。
 巷とは、博多や、堺や、新宿等と事であり、昼は貨物が運搬され、夜はネオンがキラメク所である。そんな処に住めば、誰でも意識が低次元に陥ってしまうのだ。
だからこそ、神社や、寺は山に造られ、俗界から離されていたのである。・・・
「阜(つかさ)」http://star.ap.teacup.com/170606/585.html

2014/12/25本日12月25日は、イエスの誕生日を祝う「クリスマス」の日として、世界中で其の催しが行われている。
日本では、今年、其のクリスマスのイルミネーションが行われている、お寺までが登場している。
テレビ番組で放送された、其のお寺の住職は「皆さんに 喜んで貰えればと想って」と、インタビューに応えていた。
 お寺は、釈迦の訓えである仏教を伝える為の施設である。
其の施設を、他宗教の行事に合わせて飾り付けを行うとは、仏教の訓えは、どう成っているのであろうか。
其れは私には、世も末の様な感じが、強く致す出来事である。・・
 其れ等の事を考えると、確かにシカゴは、人間の「カルマ・業」の発生地として、象徴的・代表的な都市と言えるのかもしれない。其れと、シカゴに続いて告げられた「通常の生活」とは、其のシカゴの状況とは異なる、人間本来の生活スタイルの事を意味しているのであろう。
 其れは、昨日のメッセージの続きを意味しており、「天の母神」が人類に「通常の生活スタイルに還れ」と、指示して来ているのではないだろうか。
 今朝のメッセージの映像には、繁華街に務めている女性や、貨幣経済の世界に溺れている男性、其れに、宗教やイデオロギーの世界に染まっている人々だけではなく、学校に通学して教育を受ける事までが、カルマ・業である事が示されて来た。
 今朝は、PCを立ち上げると、今朝のニュースには、私を捜し出して此の世界に入れた「土肥無庵氏」が学んで、其の儘大学の助教授を二年間務めた「青山学院」で、教職員がボーナスの減額に反対して、訴訟を起こしていると報道されている。
 其の青山学院は、プロテスタント・メソジスト派の学園で、130年余の歴史を有する日本でもっとも古い学校の一つであり、キリスト教教育を堅持し歩んできた学校である。
其のキリスト教の訓えを原点とする大学が、生徒数が減って経営が苦しく成って来た為に、ボーナスを4%減額するとの事に、其処で働く教職員自身が、裁判を起しているのである。
其れが、本日クリスマスの日に報道されていると言う事は、どう言う事なのであろうか。・・・
「カルマ・業の発生地」https://green.ap.teacup.com/20060818/3307.html

2015/10/12・・そして、最後に「ダッシュ・ハーバー」との言葉が力強く告げられて来て、今朝のメッセージは終わった。
朝「ダッシュ・ハーバー」を検索して見ると、次の様に載っている。
・「ダッシュ・DASH(dash)」勢いよく走ること。
・「ハーバー・harbor」
① 港 《【解説】 避難・保護のイメージをもつ【類語】 harbor は自然の地形によって波風を避けるに適した港,port は商船などの出入りする商港》.
用例a natural harbor 天然港.
② 避難所,隠れ場,潜伏所.用例give harbor to〈罪人など〉をかくまう。
          英和辞典より 
*「湊・ソウ・みなと」【解字】形声。「氵(水)+奏」音符の奏は、両手を寄せて物をおしすすめるの意味。水が寄ってくる所、みなとのいみ。
【字義】①あつまる。水があつまる。②物や人が集まる所。③みなと。舟の集まる所。舟着き場。④清く澄んでいるさま。④積み重なっているさま。⑤深いさま。⑥水流の激しい音の形容。    漢語林
 今朝のメッセージの映像で、人々が急いで集まって来て居た会社は、其の「harbor・港・湊」を意味しており、其の施設が必要である理・ことと、急いで其の湊に集合する必要がある理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
 最初の場面で、私がお金を使っていた場所は、繁華街であったので、「街・巷・ちまた」の意味の場所であり、其の様な世界に、決して関わっては成らないとの理・ことなのであろう。・・・
「ダッシュ・ハーバー」http://green.ap.teacup.com/20060818/3623.html

2017/3/16・・今朝のメッセージの映像は、明らかに、人間の魂魄の有り方が、三段階に分かれて示されて来ている。
 其れに、俗・巷の世界に生活して居る男性はエイズに感染している「中村」と言う名前であり、標高の高い山中に存在する村で、宿を経営・運営している女性は「藤山」と言う名前であった。
 其れは、俗・巷世界は「村の中」である事を示しており、標高の高い山中に存在する「学校・研修場・道場」は「藤山・富士山・日本国」の働きである事を、示唆している様である。
 だが、花が咲き誇り、蝶々が飛び交う園に、一人で暮らしている男性は、名前が分からない人物なので、名前が必要ではない世界を、意味している様である。
 其れに、俗世界に生きる男性が「中村三郎」であったのは、各地にリーダーを派遣する組織の長が「二郎」であり、天国の様な土地で静かに一人で暮らす男性が「一郎」であるとの理・ことが、示唆されているのかも知れない。
 そして、私の意識が、今朝其処に辿り着いて、屋内に受け入れられる様子が映し出されて来たのは、私が「一郎」の立場に到達した事に成るのかも知れない。
    巷→ 山岳→ 楽園(一郎)
*「巷・コウ・ゴウ」【解字】形声。篆文は「邑+共」邑は、むらの意味。音符の共は、ともにするの意味。むらの人が共有する村中の道を表す。
【字義】①ちまた。㋐町や村里の小道。また、町や村。㋑路地。②門の外側。国語 ちまた。①道の分かれる所。つじ。②町の中。世間。「巷の声」③場所。「戦火の巷。
*「郎・ロウ」【解字】形声。阝(邑)+良」邑は、むらの意味。もと、地名を表していたが、借りて、良い男の意味を表す。
【字義】①おとこ。㋐男子の美称。㋑わかもの。㋒むすこ。他人の子を呼ぶ語。㋓ちち。子が父を呼ぶ語。㋔だんな。主人。召使が主人を呼ぶ語。㋕おっと。妻が夫を呼ぶ語。②官名。・・・    漢語林より
 今朝の映像に映し出されて来た、標高の高い山中に存在する「学校・研修場・道場」の様な施設が存在する村・邑が有る事が示されて来て、其処には従来の「神社・寺院・教会」の様な宗教施設が無かったのは、是までの様な宗教が必要ではなくなった理・ことが、示されて来ているのであろう。
 そして、私がその「村・邑」を視察してから、楽園の方に向かって、茶人の様な人物に受け入れられる場面は、私が精神界と言うか、神霊界の大掃除を終えた事が、示されて来ているのではないだろうか。・・・
「三段階の世界」https://wave.ap.teacup.com/20060106/727.html

これ等の事柄からすると、6月28日と、昨夜告げられて来た「ほしい(ねがわくば)」との女神の言葉は。「万物の母神」が「自分の悲しみを知ってほしい」との事なのではないだろうか。

其の様に捉える・解釈すると、イエスキリストの謂う「愛・アガペ」や、釈迦仏陀の教えに有る「慈悲」、其れに、老子の謂う「我に三宝有り 足りるを知る・慈しみ・先に立たず」の言葉の原点が見えて来る様な気がする。

本日は、マヤの「13の月の暦」の「始まりの日・元旦」である。
其の日に映し出されて来たビジョンは、幸福な人間の生活風景ではなく、此の世の終わりの様な雰囲気である。
其れを考えると、マヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」も、人間社会に対して悲しみ・心配を抱いている事に成る。

今朝のビジョンで唯一の救いは、自然豊かな農村・山里の風景・様子が映し出されて来て、其の山里の林には、日の光を浴びて白色や薄紫色の「藤の花」が、木から垂れ下がって美しく咲き乱れていた事である。

「花・カ・はな」の漢字は、「美しい花房」の意味なので、今朝美しく咲き乱れていた「藤の花」は、其の花房の意味を示唆しているのではないだろうか。

其れを考えると、「藤の花」は日本の象徴である「富士山」の事を示唆しており、此の日本(日の本・東の国)に人類救済のプログラムが秘められており、其れが花開くとの事が示されているのではないだろうか。

此処で、昨日午後1時31分に、私の心臓に二度痛みが襲って来た事が気に成るので、今年の1月31日の文章を視て見ると、何と「清楚なわたし」の題であり、「・・其れから再び眠ると、私の内側から「清楚なわたし」との言葉が一言聴こえて来た。其れは、女神や男性の神霊・霊魂からの物ではなく、私自身の心(潜在意識か細胞・いのち)からのモノ・聲である様な気がした。・・」と書いて有る。

此の事から考えると、万物の母神の「悲しみ・慈愛・慈しみ・愛でる意識」は、私の腑(心臓・ハート)に落ちて来ている事に成りそうである。

                        令和2年7月26日

                             礒邉自適

命の根源

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一般社団法人 日本植物生理学会から 借用

   命の根源
                           2・7・25

本日7月25日は、マヤの「13の月の暦」で「時間を外した日」とされている日である。

「13の月の暦」は「ホゼ・ アグエイアス氏」がマヤ暦を参考にして創作した物であり、原住民の暦とは別物であるが、知識の無い私を動かす為に、マヤの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル(時間の操縦士)」が、其れを利用しているのだと思われる。

今朝のビジョンは、其の事と関係が有るのか、私の意識は、神(はたらき)や佛(悟った者)の世界とは全く関係が無いと謂うか、全く別の次元・世界に在る事が感じられる世界(ところ)に存在する感じのモノであった。

今朝のビジョンには、先ず、サイドカー着きのオートバイの様な車の存在が映し出されて来た。
其れは、サイドカーが真横に着いている仕組みではなく、真後ろで引く仕組みであり、オートバイも通常の物ではなく、大型の物であった。
そして、其の後ろに引いて有る車は、大型の乳母車・ベビー用カーシートの様な物であるので、私はどんな大きな幼児を乗せるのだろうかと意った。

すると、次に映し出されて来たビジョンは、人間の大人程の黒い鉄のロボットか鎧の様に見える、人の形の物がシートに寄りかかって居る様子が映し出されて来て、其れは純粋な珪素・シリコン・シリカの金属である事が、理解されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時47分・3時13分」であった。

其れから再び眠ると、人間の夫婦・番いの存在が映し出されて来て、其れは、生命の現象の最も表面であり、其の背景には、あらゆる地球生命の存在が有る理・ことが示されて来た。

そして、其の原点の別れ道・枝に単細胞と多細胞が有る事が示されて来て、雌雄・男女が分かれる事に成った理由を明確に認識しなければ成らない事が示されて来て、其処には、我々が考えている人間の姿をした神々の存在は、一切無い理・ことが示されて来た。

そして、其れ等の生命の営みに、日本人の考え(概念)である「産土神・うぶすなかみ」「身土不二・しんどふじ」「医食同源・いしょくどうげん」等の世界が、大事・重要であるとの理・ことが認識されて来た。

そして、「いのちの原点・根源」との意味の言葉・ことだまが、告げられて来た・脳裏を占めて来たので、意識が目覚め起きて時計を見ると、時刻は7時38分で長短の針が重なっていた。

其れで起きてから、時計の針を巻き戻して分度器で計って見ると、右から230度・左から130度の所であり、私が作成している屋久島の地図上の線では、其の「230度・130度の位置は西部林道の小楊子々岳295m(大川滝の手前)を通る場所であり、西南・裏鬼門・坤(ひつじさる)225度・135度の少し上である。

其れに反対側の50度・310度は楠川の「屋久島大社」を通り、北東・鬼門・丑(うしとら)45度・315度の少し下である。

其れから、「いのちの原点・根源」との言葉・意味が告げられて来た「7時38分・8時22分前」の数字から、昨年の8月22日の文章を視て見ると、題が何と「生命と時の関係」であり、正に、本日の「課題・テーマ」とピッタリ合っているので、私の意識はマヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」に管理されていると謂うか、其の神(はたらき)自体(時間・とき)を生きている事に成る。

2019/8/22今朝のメッセージの映像は、医者の息子が一人登場して、其の息子は医学部で習らわない世界・ことを、私が知っているので、弟子に成りたいとの事で、跪いて居る姿が映し出されて来た。
 私は、其の男性が気持ちが優しくて、優秀な頭脳を持っている事が判ったので、「食べ物の世界」から「時間(とき)と生命」の関係まで、私の知り得る事を全て教え始めて居た。
 其れは、長い時間が掛かる映像であり、意識が目覚めて時計を見ると、時刻は6時53分・7時7分前であった。
其れから、今朝のメッセージに付いて様々な事を思い巡らし、起きて時計を見ると時刻は8時1分前であった。
 今朝のメッセージの映像から、私が真っ先に感じた事は、インドには「アーユルヴェーダ」の世界が有り、其の世界は心臓の鼓動である脈拍を診るだけで、其の時点の病気だけではなく、過去の病気までが診断できるとの事である。
 日本でも、以前は医者は真っ先に腕を取り脈を診るか、聴診器を当てて心臓の鼓動を確認していたが、現在では何事も「検査 検査」で、医者の能力よりも機械に拠る検査の方が主力と成って来ている。
 其の事から、私が今朝思った事は、マヤ文化で生きた人間の心臓を取り出して、石造りのチャックモールの臍の上に捧げる・載せる事と、時間の操縦士の臍から伸びた生命木の頂に、時を知らせる雄鶏が止まっており、其の躰の下の左右には、太陽と蜥蜴(とかげ)がぶら下げられている事である。
 2009/8/16・・心臓の「心・シン」の漢字は、心臓の形の象形で、ハートの形と同じく、心臓の形その物である。何故、「こころ」の日本語に、「心臓」の形が当てられているかと言うと、人間は驚いたり、恋をして居る時に、心臓がドキドキと脈を打つので、心が心臓に有ると考えられていたからであろう。其れに、確かに医学的にも、心臓の細胞に記憶が残る理・ことは話題にも成っているし、5千年も前からインド医学として伝えられている「アーユルヴェーダ」の世界でも、心臓は其の人の身体の記憶を留めていると考えられている。
 其れを考えると、脳だけが意識を司っているのではなく、人間の各器官の細胞に、何等かの記憶装置が有る理・ことに成り、脳は其の情報を総合的に管理している部位であることに成る。其の脳も、母親の体内で細胞分裂を続けている時に、皮膚の一部が中にめり込んで行き、後から頭蓋骨が外側を被った物であることは、医学界で公に認められている事である。
だとすれば、脳も皮膚・筋肉であり、脳に記憶が有るとしても、「肉」に記憶が宿る理・ことは間違いない。
 今朝のメッセージの映像の意味は、人間が言葉や文字を使って考えているのは、全て「肉・29」に有る理・ことを示して来ているのであろう。其の様に考えると、「体験」の言葉や「修験道・しゅげんどう」の言葉も、改めて気に成って来る。体験とは「体・タイ・體」が経験を積むとの事であり、肉体がなければ体験を積む事は出来ない。
 其れに、良く考えて見れば、脳を使って色々な事を考えるのも、脳の筋肉を使っているからであり、人間が思索をする事は、肉体労働の一部である事に成る。だからこそ、「脳を鍛える」との言葉が存在するのであろう。・・・
「心臓のカルマ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1242.html
2016/5/22・・今朝のメッセージで、人間の心臓の鼓動は、事象の時の幕を叩く音の役割を果たしている理・ことが示されて来たのは、マヤ・アステカ文化の神である「時間の操縦士・チャクモール」の石像に、生きた人間の心臓を供えていた事と関係が有り、古代の人々が自分の心臓の鼓動を、天神(てんのはたらき)と関係が有ると考えていた事の理由が理解出来てくる。
其れは、「寸・寺・時」の漢字の象形・概念と通じており、「意・念・祷り」が世界共通である事の証しと成るのではないだろうか。・・・
「意八」http://green.ap.teacup.com/20060818/3860.html
2016/10/2・・私は、其の痛みに付いて考えて見ると、其れは、「時間の操縦士」と関係が有り、石造りの「チャクモール」のお腹の所に、生きた人間の心臓を取り出してお供えする事と関係が有り、私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まったと言う事に、成るのかも知れない。
其の様に考えると、時間の操縦士の臍から天空に伸びる生命の樹の梢には、時を知らせる「雄鶏・酉(鳥)」が止まって居り、其の下の枝の左右には、蜥蜴と太陽がぶら下げられている事と関係が有り、今朝の映像は、上記した「王秘一部公示」の続編であると言う事に、成るのではないだろうか。・・
 其の「心臓」の事と、「時・とき」の事を考えると、やはり漢字の「時(日+寺)=寺(止+寸)=寸(左手親指で右手首の脈を計る)」の世界が気に成って来る。・・
 私が、1987年10月1日に、「スピリチュアルタイム」の会合を11月21日に開催する事を意い付いてから、昨日で、丸29年が経過した事に成る。
「一世一代」の言葉に使用されている「世」は、「三十 三廿」の意味であり、人生50年の時代では、男の働き盛りは「三十年間」であると考えられていたのであろう。
其れを考えると、「スピリチュアルタイム」の世界と言うか、動きは、其の一世を迎えている事に成る。・・・
「酉の時・トリのトキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
2014/6/10・・時間・時刻の「時・ジ・とき」は、「日+寺」の組み合わせで、寺は「止+寸」の組み合わせで、「寸」は「右手+左手の親指」の組み合わせで右手の脈を左手の親指で計る意味である。
其の事から、「寺」は立ち止まって自分の心臓の鼓動を確かめる事であり、「時」は太陽の位置を計るの意味である。・・・
「トキの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
2013/7/16「ハートが基本」https://green.ap.teacup.com/20060818/2749.html
2014/11/25「時間の操縦士」http://green.ap.teacup.com/20060818/3275.html
2015/12/21「楽園」http://green.ap.teacup.com/20060818/3696.html
2016/3/11「チャック」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3783.html
2018/1/13「ミスターバックアップ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4495.html
  キー「食べ物」
2006/12/15・・私が、1992年8月25日に、今ではスローフードで「時の人」に成った、佐賀県の「武富勝彦氏」に案内されて、初めて東京に在る「オーサワジャパン株式会社」の事務所に行き、桜沢如一氏の御影が飾られている応接間に入った時に「此処が お前の仕事場だ」と、声が聞こえた事が有る。
桜沢如一氏の霊魂は、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」でも、一番初めに、存在を現した霊である。
だから、今回の神のプログラムでは「桜沢如一」は、一番大事な霊魂であると言うことに成る。
現在、世界に日本の「自然食・マクロビオティック」が拡がったのは、此の「桜沢如一氏」の功績に拠るものであると云っても、過言ではない。
昨日のメッセージに出て来た、生長の家の「谷口雅春氏」と、桜沢如一氏は生前に面会し、桜沢如一は、一度だけ「生長の家」で、講演もした事があるとの事である。
谷口雅春氏の著作にある、「食べ物が人相を創る」との価値観は、其の桜沢如一からの影響が大きいのだろう。・・・
「シンクタンク・トップ」https://star.ap.teacup.com/2007313/103.html
2009/8/17津川君が告げられた、「自適さんは 地球のマンションの管理人だから 手伝え」との意味は、どう言う意味であろうか。
確かに、私は25年前に、白山大権現の菊理姫である「白龍」が身体に巻き付いて来て、地球の管理を任すと告げられた事が有る。
其れが、「地球のマンションの管理」との言い方に成っているのは、地球は生命の揺り籠であるから、地球生命の住家の管理が、私に任されていると言う事に成る。
 其れは、3日前の「キングライオンの食事」の文章から続いている、身土不二の「環境」と「食べ物」の世界に関係が有り、地球の全生命の管理に付いて、神々が動き出している事を、意味しているのかも知れない。
今朝のメッセージも、其れに関係が有りそうな内容であった。
 今朝のメッセージの映像は、茄子を料理するのに、世界中の料理方法の情報を長時間掛けて集めていた。
そして、茄子は食べ物の中でも極陰性であるので、私は、其の理・ことを気にして居ると、左右に分かれた陰陽の印しの下に、三つの円が書かれており、其の円の中には「陰」「中庸」「陽」の意味を表わす、色の着いた絵文字の様なモノが描かれていた。・・・
「食養道」https://green.ap.teacup.com/20060818/1243.html
2017/12/7・・そして、今朝告げられて来た「無塩・ぶえん」との言葉は、私が無垢のまま生き抜く事が示唆されており、決して「有塩・塩漬け」に成ってはいけないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
 男性の声で「1gも許すな」と告げられて来た言葉に付いては、「1gも間違うな」「一分も遅れるな」「一文も間違えるな」「1cmも狂わせるな」「一度もずれるな」「一部の隙も見せるな」「一時も無駄にするな」との言葉は聞いた事が有るが、耳にした事が無い言葉である。
 何故、「ℓ・水」や「cm・長さ」「度数、光・温度・周波数」等ではなく、「g・重さ」であるのだろうか。私に考えられる事は、「土肥無庵」が私に訓えてくれた「塩梅」の言葉と「陰陽」の概念である。
 其れは、「マクロビオティック・Macrobiotic」の創始者である「桜澤如一」の食の概念である「玄米と胡麻塩」の組み合わせに、関係が有るのかも知れない。
其の桜澤如一は、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」で、最初に私の心身を使い始めた霊魂である。・・
 そして、其れは、新しい統尊(すめらのみこと)の「御嚴・みいつ」の世界であると言う事なのであろう。そして、其の事に「陽(ナトリウム)」と「陰(カリウム)」のバランスが重要であり、1gの狂いが有っては成らないとの理・ことで、「マクロビオティック・Macrobiotic」の本質は、『自分の内側・体内のバイオリズムに有って、外側の如何なる環境にも、影響を受けては成らない』との理・ことなのではないだろうか。
 其れは、釈迦牟尼佛の訓えである「ダルマ・法」の真髄や、「弘法大師空海」の謂う「乾坤は経籍の箱なり」との言葉に通じるモノであり、老子の謂う「自分の躰の事を心配している者に国を預ければ 潰れる事は無い」との理・ことに通じるのであろう。
 そして、其れは、今朝のメッセージで建物のオーナーが私に料理の事を訊ね、私が掘りたての自然薯を渡した事と関係が有り、日本料理で最初に出される「お吸い物椀(箸洗い)」の塩加減の世界に関係が有るのだろう。・・・
「マクロビオティックの本質」https://moon.ap.teacup.com/20061124/100.html
2018/3/29今朝のメッセージの映像は、小山の様に大きく感じる年配の女性が、私の方から見て、右向きに座っている姿が映し出されて来た。
其の姿は、女神と呼ぶ感じではなく、人間界の肝っ玉母さんの様な感じであったので、「太母・グレートマザー」と呼んだ方が、合っている感じの存在である。
そして其の女性の周囲には、背後を除いて、全体に澤山の物事が重なり合って広がっている様子が示さ来て、私の意識が、其れ等の全てを解体すると言うか、ばらばらに分離して、洗いざらい認識する作業を始めた。
 私は、其の映像から、自分が是まで34年間続けて来た「マクロビオティック」の世界(生活)を、一から組み直すと言うか、全ての本質を精査して、再構築しなければ成らないのだと感じていた。
すると、右耳の所で「赤家蚊・あかいえか」の飛ぶ羽音が聴こえたので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時15分」であった。
 今朝は、其の儘起きて、先ず、起こされた時刻から、昨年の6月15日の文章に目を通すと次の様に書いて有り、何と、其の内容は、今朝登場した「太母・グレートマザー」の存在と連動しているのである。・・
此の文章の内容からすると、私は是から「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割を果たさなければ成らない様である。・・
 其れに、今朝「赤家蚊」に起こされた時刻が6時15分であった事を考えると、其のアカイエカも、万物の母の躰の一部である事に成り“生きとし生けるもの”全てが、同じ生命チャンネルで同調しながら生きている理・ことに成る。
其の事は、私が34年前に此の世界に飛び込んでから、身をもって様々な体験を積んで来ているので、充分認識しているが、其れを他人に説明しても、体験の無い者には、なかなか理解しては貰えない。
其れは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が「衆生一切わが子」と謂っている世界であり、大悟・成仏した者でなければ、全てを理解(体感)する事は難しいのである。
 私は、マクロビオティックの世界を勉強して此の世界に入ったのではなく、土肥無庵に捜し出されて「自適さん 三ヶ月間私の謂う通りにすれば 細胞が全部入れ替わって 自適さんの本来の使命に目覚める」と謂われたので、家族を妻の実家に帰し、仕事も全部止め、対人関係も断ち切って、1984年3月5日からマクロビオティックの生活に入り、丁度三ヶ月後の6月4日に此の世界に飛び込んだのである。
そして4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、一番・最初に私の肉体を使用し始めたのが、マクロビオティックの世界を創出した桜澤如一であったのである。だから、私は「土肥無庵」の指導で自動的に此の世界に入って居るので、桜澤如一の理論を学んでいる訳ではないのである。
 だが、其の私が、武冨勝彦氏に案内されて、東京に有る「オーサワジャパン」の事務所を初めて訪ねると、事務所で「此処が お前の仕事場だ」と告げられて来たので、其の事が是から本格的に始まると言う事に成るのかも知れない。・・
 桜澤如一が、御霊の思頼の最初に登場した事は、食べ物の世界が最も大事であり、其の事は「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の世界である「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割に直結する事は間違い無いが、其れは人間界の事であって、今朝私を6時15分に起こした「赤家蚊」の存在・行動・現象までを含んでいる事ではない。
 其の事を考えると、小さな虫の世界だけではなく、地球上に存在するあらゆる微生物群や、我々の人体の腸内細菌や細胞レベルまでを含んだ、総合的な生命システムに付いて考えなければ成らないと言う事であり、其の総合的な地球生命の存在が、今朝「太母・グレートマザー」の姿として、映し出されて来たのであろう。
 其の世界に付いて考えると、昨日の「最終局面」との言葉は、私が是から考えると言うか、取り組まなければ成らない世界が、何なのかが今朝示されて来た事に成る。其れは、2600年前に「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が自分の躰を使って覚醒した命(いのち)の世界を、現代社会の科学技術に拠る情報を利用して表現し、新たな学問体系を築き上げ、人間の幸福だけではなく、地球生命全体と安全と継続・調和を、図って行かなければ成らないと言う事なのであろう。
 其の事は、私自身にも興味が湧く事であるし、世界自然遺産に登録された「海・川・山」の条件が揃っている、自然豊かな屋久島で産まれ育った私にしか、出来ない作業なのかも知れない。
「マクロビオティックの大改革」http://green.ap.teacup.com/20060818/4570.html
2003/2/7「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
2017/11/14「季節の一椀」http://green.ap.teacup.com/20060818/4432.html
2018/8/13「カモ(神)と禰宜(ねぎ)」https://wave.ap.teacup.com/20060106/842.html
「平和の中心」https://green.ap.teacup.com/20060818/5045.html
此の文章の内容からすると、私の存在が「平和の中心」と成るとの事であり、私は「天の母神」から乳離れ・独立をして、若者の育成に取り組まなければ成らないとの事なのかも知れない。
 今朝の由香のビジョンは、次の様なものである。
私が運転する車に同乗して居て、渋滞で停車中の所へ、反対車線から来た若い女性が運転する車が、すれ違い様に接触事故を起こし、すぐ先の所で車を停めたので、私が事故を起こした女性の所に行くと、謝る事も無く寧ろ怒った様な態度であったとの事である。
 すると、どこからか女性の彼氏らしき、ヘラヘラした感じの若者が由香の所に遣って来て、車の運転席側の前後のドアを無理矢理外して、其処ら辺に投げ転がしていたとの事である。
 由香は呆気にとられていたが、其の若者の所へ行って、「自適さんと話をしてみたら?」と促し、私を連れて来てしばらくすると、顔の表情がどんんどん変化して行き、悪態を付くのを止めて大人しくなったので、今度は由香が話をすると、とても素直に成って行ったので、山から汲んで来ている水を差し出して、「次は、我が家の野菜で料理をして食べてもらうから」と、謂ったとの事である。
 其の由香の説明から、私は、現在の世の中には、若者の手本と成る様な人物が存在しない事から、若者が目標を見出せない様に成っている理・ことを想った。
其れを考えると、今朝のメッセージは、私は隠居に籠もるにしても、何等かの対応をしなければ成らないとの事の様である。
 今朝起きた起こされた時刻が、7時59分・8時1分であった事を考えると、8月1日のメッセージの内容が、真実の事であるとの事なのかも知れない。
・・「今朝のメッセージの映像は、多岐に渡ると謂うか、バラバラの場面・繋がりが見えない場面であるので、私にも何の意味を含んでいるのか、能く理解できない。私に考えられる事は、明日8月2日が、私の両親が屋久島に渡る為に、夜間に鹿児島港から船に乗った日であるので、私個人の事ではなく、人間社会を動かしている何物かの存在・意識が、本日8月1日を節目として、プログラムの変更を示唆して来ているとの事である。」・・
「生命と時の関係」https://green.ap.teacup.com/20060818/5092.html

今朝の由香のビジョンは、自宅が新しい無垢の木の造りで立て直されており、家の中の物は殆ど無く、現在の仏壇や神棚・床の間が存在しないで、西側の部屋に白い祭壇が有るだけで、其処に向かっていると、数代前のご先祖らしき、とても優しそうなお婆さんの存在が感じられ、心から感謝の気持ちで手を合わして居るが映し出されて来たとの事である。

其の由香のビジョンも、先祖の禱りと西方の方角が示されて来ており、「西方浄土」の「南無阿弥陀如来」と関係が有りそうである。

其の由香は、2003年8月18日に私がガイドをして、南北に連なる屋久島の奥岳(東経130度30分の線上)を縦断して、18日の夜は永田岳(1886m)の頂上に存在する神様を祭禱する「磐座・いわくら」でお籠りをして、19日の午後永田集落のバス停に下りた事が有る。

そして、三年後の2006年8月18日にマヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」が顔を出して「約束は守られる」と告げて来たのである。

私は2002年4月24に屋久島に18年振りに帰島し、1984年6月4日に安房川の岸辺で禊払いを行って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた時に、11月半ば迄、屋久島の荒野を彷徨い歩き、自分が体験した出来事から「風水盤」の事を考え、屋久島の東経130度30分の線上の中心に在る寝待岳(麓・神様の窪)を中心とする風水盤の作成の作成を考え、屋久島の地図を購入して、丸い島に方位の線を引いて、屋久島全体の集落や、神を祭禱(さいき)する山や森の位置を確認して、不思議な事が判ったのである。

今朝の神界の様子は、其の事と関係が有り、私は36年前の次元まで還って、屋久島の存在と、神々の働き・仕組みを今一度、再確認する必要があるようである。

其れを考えると、今朝のビジョンに大型の「乳母車・ベビーカー」の存在が映し出されて来て、其の車に乗るモノが黒い金属(珪素・シリコン・シリカ)製の、大きな人間の姿であったのは、私が屋久島での修行中に、屋久島中の石を集め回り、自分の寝室の布団の上にS字型の螺旋構造で並べ、其の両方の渦の中心に柱石を立てて、其れが完成すると、四次元の事象・次元が稼働を始め、部屋の中が歪み始めて、様々な現象が発生し始めた事と、関係が有るのではないだろうか。

其れは、人間だけではなく、地球生命全体が、其の珪素・シリコン・シリカで体・殻が作られているとの理・ことであり、其の珪素の周波数が、物である太陽光(波動・粒子)の速度よりも格段に速く、宇宙空間を飛び交っていると言う事であり、其のシリコンの周波数が、単なるタンパク質である遺伝子・DNAを、生命情報を持つ物として動かしている、本体であるとの理・ことなのではないだろうか。

其れは40億年±2億年前に、岩を溶かして生き始めた、命の始まりである微生物の存在と関係が有り、釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」との言葉と関係が有り、今朝私は、生命の根本が珪素・シリコンである理を示された・知らされた事に、成るのであろう。

キー「珪素 シリコン 松果体」

2005/12/20・・屋久島は、全島花崗岩で出来ており、1400万年前から浮上して来た、花崗岩の塊である。私は、其の屋久島で産まれ育ち、花崗岩の山頂の岩上で、昼寝をして遊んで来た。
 屋久島の山には、幾つかの掟がある。
其の一つに、「山々の峰で昼寝をしてはいけない。昼寝をすると、神様に憑依される。」とある。私は、其の禁を頻繁に犯して居たのだ。
其の結果が、現在・いまの私の人生である。
大本教の「出口ナオ」のお筆先には「石がしゃべり出す時節が来る。」とある。その時節が、到来して来ていたのだ。・・・
「きらら」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/11.html

2005/4/24・・昨夜、NHKのテレビ番組で、レーザービームの大型実験施設の事が放映されていた。
その実験施設で、使用されている部品が、小さなシリコンチップであるらしい。
私は、その件で思い当たる事がある。
 と言うのは、私が21年前、屋久島の山野で修行をしている時、私が瞑想を行いエネルギーが高まってくると、岩を走っている石英の道筋を、高い電磁波が走って、岩が弾け飛んだり、草が焦げたりした事が有る。
その時は、何故、その様な事が起きるのかが理解出来ず、それが神の働きか、力だと、想ったりしていた。
 しかし、其の後、様々な事を研究する内に、それは神の力だけではなく、人間が本来有している、生態的な科学反応である事が理解されて来た。
昨今、人間の脳は、電気の力で動いている事も、普通の人がみな知るところと成って来ている。
そして全ての物質も、磁気を発しているし、動物も全て、電気の力で身体を動かし、情報の処理をしているのである。
 仏教で「第三の目」と言われる額の目は、シリコンチップが額の中に有り、情報の集積回路の一部の役割を果しているからである。
その「シリコンチップ(松果体)」の周波数が、宇宙の情報系のチャンネルと成るのだ。「シリコン」は「珪素」の事であり、珪素は地球では酸素に次いで、多い物質だとされている。
そのシリコンの周波数は、石英や水晶ともチャンネルするので、第三の目とされている額のシリコン回路が働けば、水晶や石英と共鳴を起こし、宇宙の森羅万象と、情報の遣り取りが可能と成るのである。
 石英は、受け取った電磁波のエネルギーを、何万倍にも増幅出来るので、人間の生体電気を、額のシリコンを通して石英の回路に送り込めば、岩が弾け飛んでも、決しておかしな事ではない。
屋久島の山は、全て花崗岩で出来ている。
花崗岩は、深成岩の一つで、石英、正長石、斜長石、雲母等を主成分として出来ている。石英は、無水珪酸から成る鉱物で、珪酸は、珪素と酸素と水素との化合物である。
 珪素の周波数を使えば、石英・水晶・花崗岩等に、アクセス可能に成るのである。古代の人達は、科学的には、その事を理解出来なくても、身体が反応するので、其の事を知っていたのであろう。
 エジプトでは、ピラミッドが王の墓として造られているが、一番大事な王墓室は、遠い場所から花崗岩が運ばれて造られているし、日本の古い神社は、花崗岩の山が御神体とされている。
世界中で、花崗岩が聖なる場・物とされてもいるのだ。
古代の人達は、私と同じ体験をしていたのであろう。
 現在では、その珪素の特質が生かされ、コンピューターの半導体や、太陽電池の部品が造られ、利用されている。
人間が、化学的に利用し始めている珪素だが、数10億年前から、私達の遺伝子は、珪素を上手に取り込んで、この肉体を進化させて来たのだ。
伝書鳩は、鼻の上にその珪素の塊を着けて、太陽の位置や地磁気を計りながら、遠い所からでも自宅に帰って来る。
鳩は、自分の鼻頭の塊が、珪素で出来ているとは考えてはいないだろう。
しかし、無意識の処で、その働きを生かしているのである。
 人間も、鳩と殆ど変わりは無い。
自分の額の中心にシリコンの結晶が有って、それが無意識の世界で、自分をコントロールしているのだと言う理・ことに、気付かないでいるのだ。
昔の人間は、其の理に、或る程度気付いていたらしい。
額を、地面につける事を「ヌカズク」と言う。額に、ヌカ(珪素)が有る事を知っていたのだ。米糠のヌカは、珪素が沢山含まれている。モミガラは、90%近くが珪素で出来ているらしい。
だから、真っ白く精米された米は、珪素が0に成っていると言える。
 珪素が剥ぎ取られた白米や、真っ白に精白された小麦粉で作られた、パンや麺類を食べていたのでは、伝書鳩の様には、正しく自分の持ち場へ帰れないのは当然と言える。
 現代人は、自分が何者で、何処に帰る事が、原点なのかを見失っているのである。昔の人の様に、何も無い岩山を、神の姿とは想えなく成って来ている。
花崗岩の山こそ、人が霊止(ひと)として立ち返り、遺伝子の蓄えている膨大な情報を、思い出す場所なのである。
 ブッダとは、生命の情報に覚醒した者の呼び名である。
誰でも、佛を内蔵しているとの云いは、誰の内にも、遺伝情報が蓄えられていると言う事なのである。
其れを思い出すには、珪素の含まれた食物を食べて、花崗岩の山岳の、静かな場所で瞑想をしなければならない。
その場所が、神社や寺として選ばれ、現在にまで至っているのだ。
 しかし、昔は山中であった所が、現在では町中に成ってしまって、清い水も流れていなければ、聖霊の住む森も無い。
その様な場所では、雑音は有っても、聖なる遺伝子の情報が蘇る事は無いのだ。
屋久島は、その意味で、最後の生命情報の砦と、成るのではないだろうか。
 21年前に、私に起きた事が、皆に起きるかどうかは分からないが、私の体験を通じて、ブッダの世界を覗き見る事は、可能だろう。
私も、その為に全身全霊で、他人の目覚めの手助けを、したいと考えている。
「シリコンチップ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/339.html

2016/2/25本日2月25日は、私の三女『舞光・まいか「雲母・うんも(英語・マイカ・mica)(日本語・きらら)」』の25歳の誕生日である。
「雲母運営委員会ブログ」http://moon.ap.teacup.com/20060615/
雲母(うんも)は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。きらら、きらとも呼ばれる。特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる事も多い[1]。英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来とする。
   ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が、通常の人間の半分程の大きさで、同じ大きさの人間二人と、赤く錆びついている、古い10屯積みの大きなコンテナトラックの運転席に乗り込み、私がまん中に座って運転をし、其のトラックを廃車する為に、何処かに向かって走り始める場面が映し出されて来た。
 次の映像は、頂上が平に成っている、とても高い岩山(モノリス)に、私を含む男性三人が上がって居た。
そして、三つ葉の様な形の三方向に、生物の分岐・進化の系統図が、書かれている画面が映し出されて来て、下向きに成っている紙面に書かれている系統図は、山芋に関する分化である事が理解されて来た。
其れから最後に「未来投資 ウル・ビーン」との言葉が告げられて来た。
 今朝のメッセージの映像で、私が感じていた事は、現在の人間は堕落している様に見えるが、背後には奥深い智慧が働いており、肉体自体は進化しなくても、意識改革が起きる可能性が有ると言う事である。
 其れは、私が1984年11月21日に伊勢神宮に参拝して、22日に「天照坐皇大御神・あまてらしますすめおおみかみ」が祭祀されている「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)が存在する三重県志摩市磯部町で、「トンネル潜りに八回失敗して 今回が最後のチャンスである」と告げられた事が、成功する可能性が出て来たと言う事に成るのではないだろうか。・・
 此の説明の中で、私が気になるのは、「ウルの神殿のジッグラトは、高さが約21メートルの三層で、頂部に月神ナンナルの神殿を持つ。」との内容である。
其の高さの有るジッグラトは、今朝映し出されて来た岩山(モノリス)と関係があり、其の頂部に有る月神ナンナルの神殿から発せられる気・情報が「ビーン・bean(流量絞り機構)」と、関係が有るのではないだろうか。
 そして、其の気が流れ出す世界が、昨日のメッセージの「天地間を結ぶ情報システム」と関係が有り、黄泉の世界へのビーン・beanであるとの事なのかも知れない。
 其の様に考えると、今朝の映像の高い岩山の頂上(モノリス、ビュート・butte)に三人の男性が居たのは、日本の神話の造化三神の働き(結び・産日)と関係が有り、其の働きから、様々な生命の分化が起きた理・ことが示されているのかも知れない。
造化三神「天御中主神・あめのみなかぬし」「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」
 そして、其の岩山の頂上にて映し出されて来た、三つ葉の様に拡がる生命の分化の下向き葉に、「自然薯・薯蕷・やまのいも(ディス・コリヤン・ジャポニカ)」の分化・系統が記されていたのは、自然薯が土を溶かしてミネラル化している事と関係が有り、昨日の映像に登場した情報機器を操作する資格は、土(珪素)を食べて生体電気が強い人間でなければ成らないと言う理・ことが、示唆されているのではないだろうか。
 何故なら、覚醒・成仏する為に必要とされている「第三の眼」は、松果体であり、其の松果体は「珪素・シリコン」の純粋な結晶体であるからである。
其の様に考えると、ユダヤの石工・メーソンの秘儀の「岩の上に立つ兵士の謎」が最も重要であると言う事に成るであろう。
【石工の秘儀】「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナモを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」
 此の「生ける力のダイナモ」こそ、昨日の情報機器装置を動かせる電源装置・ダイナモなのである。
そして、私が受け取って左胸のポケットに入れたMDは、シリコン製の記憶盤であったと言う事に、成るのであろう。・・
 今朝のメッセージの映像で、真っ赤に錆びた大きなコンテナトラックを、小人の三人が運転して廃車する為に走り出す場面の意味は、古い記憶情報を捨てて、新しい岩の塔・モノリスから発信される情報(ウル・ビーン)に接触すれば、「大人・たいじん」と成れる理・ことが、示されているのであろう。
私は、三女が25日に誕生して、翌日26日の仕事中に「舞光」との文字を告げられ、其れを辞典で調べると「ブコウ・まいこう」ではなく「まいか」と読む事が判った。
其れから、明日で丸25年が経過する。・
「三方に拡がる系統図」https://green.ap.teacup.com/20060818/3768.html

2000/5/10「松果体」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/35.html
2001/5/2「アカシックレコードの針」http://moon.ap.teacup.com/20061108/120.html
2003/11/28「松果体・観音」https://moon.ap.teacup.com/20061108/610.html
2004/8/25「御影石」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/539.html
2014/4/22「キングストーン」http://green.ap.teacup.com/20060818/3033.html
2014/5/12「アンテナを伸ばす」http://green.ap.teacup.com/20060818/3066.html
2015/10/4「アカシックレコード」http://green.ap.teacup.com/20060818/3615.html

何れにしても、私はもう一度、生命の原点・根源に向かって、長い触覚を伸ばして行かなければ成らない様である。

                        令和2年7月25日

                             礒邉自適
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