君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

人の漢字は歩いているヒトの姿形

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


   人の漢字は歩いているヒトの姿形

                           3・8・24

今朝のビジョンは、先ず、私が弟「農夫成」が経営していると言う牧場の金網状の柵を登って行くと、登り着いた場所は岩山の頂上であり、左側には薄紫の服を来た女性(女神)が一人待って居た。

次に、「人・ジン・ニン」の漢字の存在が映し出されて来て、人間は歩く生き物であり、座ってばかり居る人間は本物ではない理・ことが示されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時15分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、30歳代の男性が私を迎えに来て、何処かに連れて行かれると、其処に50歳代後半の白いスーツを来た男性が待っており、其の男性と話を始めると、話が通じ合う事が判り、私は其の男性の計画に賛同し協力する事に成った。

そして、其の男性が準備している建物に到着すると、連絡を受けた30歳代の若者が数人集まって来て、此れからの行動に付いて打合せを始めたので、私は其の建物施設内に有る台所・調理場で料理を作り始めた。

次に、其の建物内に有る会議場(広い部屋)に案内されると、多数の人々が待って居り、私が其の人達に向かって立つと、自然に私の口が動き出し、人間の生き方に付いて滔滔(とうとう)と話し始めた。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時17分」であったので、私は其の数字から「世界電気通信記念日・5月17日」の事を思った。

其れから再び眠ると、今度は白いコンセントの存在が映し出されて来て、何物かが、其のコンセントにプラグを差し込もうとすると強い火花が飛び散ったので、其のコンセントには強い電圧の電気が通じている事が判った。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時16分」であった。

其れから再び横に成って、今朝のビジョンに付いて考えていると、男性の聲で「慌てないで良い」と一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は6時29分であった。

其れから、PCを立ち上げ、「人・ジン・ニン」の漢字が映し出されて来た起た「3時15分」の数字から、3月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/3/15今朝のビジョンには、日本語の横書きの長い文章が映し出されて来て、最後の部分の行に「ひとのかたち」との文字が記されている事が示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であるので、私は其の数字を釈迦仏陀の命日である「2月15日」だと記憶して再び眠った。・・
今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、現在の人間社会構造は「藁・わら・殻」だけであり、膨大な資材・資源・時間を注ぎ込んでいるが、「実・真実」が無い・収穫できないシステムに成っているとの理・ことであり、「天神」にとっては「骨折り損のくたびれ儲け」の状態に落ち込んでしまっているとの事なのかも知れない。
   キー「老子 嗇(しょく)に しくはなし」・・
「男・ダン・おとこ」の漢字は「田+力」の組み合わせであり、田は水田(耕地)の象形で、力は、大地を耕す男性の腕の力瘤(こぶ)の象形である。
だから男との文字は、机でPCや筆記用具を扱う者の事ではなく、自然の中で田畑を耕す健康な肉体の存在を現わしているのである。
 其れを考えると、今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、大自然の法則から外れて、室内で頭脳だけを使用している人間が創造する世界は、間違いが多いとの事が示されて来ているのであろう。
 其れは一人で生まれ落ちて、自分の能力(遺伝子・DNA・本能)だけで生き抜き、子孫を残している虫達(虫〇)に比較して、「人×」であるとの事である。
「間違いばかりの人間社会」https://green.ap.teacup.com/20060818/5673.html

此の「間違いばかりの人間社会」の文章の内容から考えると、今朝、「人・ジン・ニン」の漢字が映し出されて来て、人間は歩く生き物であり、座ってばかり居る人間は本物ではないと告げられて来た事は、人の漢字は、人間が歩いて居る姿を横から見た象形であるので、歩く事の重要性を指摘している事に成る。

其れを考えると、最初のビジョンが、私が弟「農夫成」が経営していると言う牧場の金網状の柵を登って行くと、登り着いた場所は岩山の頂上であり、左側には薄紫の服を来た女性(女神)が一人待って居た場面であったのは、人間は足で歩くだけではなく、猿の子孫であるので、両手を使って木登り(梯子登り)をする事で、99%の遺伝子・DNAが活性化するとの理・ことが示されて来ているのであろう。

其れが「農夫成」が経営する牧場・農園であると言うのは、「農夫・農業」が躰の動きだけではなく、自然の仕組みに最も関わりを持たなければ成らない職業なので、成人に成り易いとの理・ことでもあるのだろう。

其れは「座禅」の言葉が、「座る事を禅(ゆず)る」の意味である事と関連が有り、釈迦仏陀の教訓が「歩く事を止めなければ 人の真実が解らない。」との理・ことであり、イエスキリストの教訓は「私の教えを歩いて拡げなさい。」であるので、今一度ど、人間の行為・真実を再認識する必要が有る理・ことが、示されて来ている事に成る。
釈迦「法華経の十二支縁起」https://wave.ap.teacup.com/20060106/

其の事を考えると、今朝の最初のビジョンで、私が金網の様な柵を登り上がった場所が岩山の頂上であり、其処に薄紫の服を着た女神が待って居たのは、私が「紫微垣・しびえん」に辿り着いた事を示唆しているのかも知れない。

 キー「 紫微垣・しびえん 」

2015/1/8・・次の映像は、誰かは判らない男性が、私に「自適さんの500円硬貨が あそこに落ちているよ」と言うので、示された方に歩いて行くと、水場の地面に丸い金貨の様な物が一個落ちており、其れは良く見ると、胸に着けるバッジの様な物であった。
 そして、明け方の映像は、其れ等の映像とは、全く異なる場面が映し出されて来た。其れは、紫微垣(しびえん)を思わせる様な世界であり、濃い紫色の空間の壁の中に、同じ色の丸い盆の様な窪みが在り、其の窪みの中に、説明のしようが無い程の、美しいデザインのパンフレットの様な物が、次々に捲られて見せられるのである。
 其れは、周囲の柔らかい紫色の空間に調和した雰囲気の物・作品で、若葉色やサーモンピンク色等のページに、日本語や英語などの物品名や、作者のサイン入りで、次々に現れて来るのである。・・・
「究極のデザイン世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/3323.html

2006/5/14・・其れは、6300年~9000年前くらいに、南九州から筏に乗って逃げ出した人達が、南米に辿り着いて、大山祇神の信仰を、伝え残している事の証明と成っている。
南米には、沖縄や、南九州の人達と同じDNAや、言葉や、信仰、それに縄文土器が伝わっている。其の文化の伝承として、ピラミットが建設されたのだろう。
八段の階段は、大蛇のトグロの七回半を意味している。
南九州では、山岳の水別け峠の御神木に、大蛇を模した藁綱を、七回半巻き付ける風習が傳えられている。
其れは、雨を齎す神を祭る物である。
其れを、里に降ろして来て、七回半トグロを巻いた大蛇とし、満月の日に、月の出る方向に大蛇の頭を向け、祝詞を上げるのである。
 ククルカーンとは、山の木に「括る神様・くくるかんさぁー」なのである。
マヤ文化では、日本とは違い、高い山が無いので、雨を呼ぶ為に、人工的に山を築いて、雨をもたらす大蛇が地面に降りて来る様に、細工をしたのだろう。
其の、水を制御する大蛇の神こそ、紫微垣の水素原子の働きに繋がるものなのである。
紫微垣は、北極星の奥に存在する、紫のエナジーの世界である。
其の世界に向かって祈ることが、妙見信仰である。「妙見様」が湧き水の所に祭られるのも、其の風習の伝承に基づいているのである。・・・
「ククルカーン」https://star.ap.teacup.com/170606/895.html

2016/12/15本日12月15日の日付は、私の父親「礒邉勲」の生誕102年の日である。
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が「紫色」の物を、捜し出さなければ成らない様子が映し出されて来て、私は今年、畑に紫色の玉葱の苗を植えていない事を気にして居た。
すると、次の場面は、赤い炎を吐く「ゴジラ」ではなく、紫外線を使用するゴジラの映画を製作する為に、様々な人々と言うか、関係機関が動き出す場面が映し出されて来て、私の意識も、其の事に関わりを持って居た。
そして、其の映画の意味は、紫外線を放射するゴジラの存在が、神の働きとして、此の人間世界のレベルの低さを、破壊する物語である事が理解されて来た。
そして、其の神の働きであるゴジラの攻撃から逃れる方法は、「貰う事」を第一として考え・行動する事を、止める事である理・ことが示されて来た。
 其れは、勲章を貰う事。賞金を貰う事。賞状を貰う事。金メダル等を貰う事。合格証を貰う事。給料を貰う事。等の、何かを貰う為に、相手を必要とし、其れ等を貰う事で、自分が相手に頭を下げなければ成らない事を、止める事である理・ことが理解されて来た。
 そして、其れで、私自身が其れ等の事に興味が無いと言うか、其れ等の行為を、私の心・気持ちが好まない事と、通じている事が理解されて来た。
其の私の精神を考えると、其れは、自分の父親「礒邉勲」の生き方に通じており、私は無意識で、父親の精神を受け継いでいると言うか、生き方を世襲している事に成る様である。
其の様に考えると、今朝のメッセージの内容は、私の父親の霊魂が、関わりを持って来ている事に成る。
 今朝のメッセージの映像は、簡単に考えると「他人から何かを貰う」と言う行為と言うか精神(意識)は、一人前に成った人間の行為には合わないと言う理・ことであり、「他人から何かを貰う」と言う気持ち捨てなければ、天神(てんのはたらき)の役には立たないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。其れを考えると、聖者や仙人は其の様な立場に無いし、釈迦牟尼佛、老子、イエスキリストも、何者かに頭を下げて、自分の誉れを得てはいないのである。
 其れを考えると、皇族の人達は、皇族として生まれるか、皇族に嫁ぐだけで、勲章を胸に下げて居るので、一人前の人間ではないと言う事に成るのであろう。
だからこそ、今朝のメッセージでは、何かを貰おうとする人間を、紫色の光線力で滅ぼす事が示されて来たのであろう。
 人間が勲章を胸に飾る様に成ったのは、中世の十字軍の戦いに因って功績を挙げた者を称える手法として、始まった物であるとの事。
私が、耳にした話では、ナポレオンが、自分に仕えた部下が、戦いで自分の身内を殺した為に深く嘆いて居るので、其れを元気付ける為に、「お前は手柄を立てたのだ」と謂って、勲章を授与した事で、一般的に成った物であると言う事である。
其れが、明治時代に日本に導入されて、軍隊だけではなく、皇室でも真似られる様に成った物・例であり、人間の精神性の堕落に繋がっているモノである。
 其して、ゴジラが紫色の光線を使用すると言う事は、ゴジラは都会と言うか、人間社会を破壊する存在であるので、ゴジラが紫色の光線力で人間社会を滅ぼすとの物語は、其の紫色の光線に付いて、検討しなければ成らないと言う事になる。
其れは、妙見信仰・北斗信仰に有る、北極の世界に「紫微垣・しびえん」が在るとされている事や、紫色が高貴な立場の者しか使えないと決められていた事等にも、関係が有るのだろう。・・
 本日12月15日は、私に父親の誕生日であるが、此の「紫微垣・しびえん」の内容から考えると、私を捜し出して、此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の霊魂の存在も気に成って来る。
何故かと謂うと、妙見宮の本宮は、北九州市小倉の足立山に存在し、其の妙見宮の祭神は「御祖神・みおやかみ」であり、其の神霊が土肥無庵の守護神であったからである。
「無庵師匠の御魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
 15/4/3・・其れに、私を捜し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵の出身地は、「御祖神・みおやかみ」が祭神である「妙見宮」が存在する北九州市小倉であり、其の土肥無庵は、17歳の時にオートバイで崖から落ちて、頭蓋骨折で意識不明の状態の時に、意識が妙見宮の階段を上って行くと、真っ白い神様が現れて、「お前は未だ役目が有るから帰れ」と告げられて、意識が奇跡的に回復したとの事である。
其れ等の事も、今朝は全て繋がって来た。・・・
「天御中主は御祖神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
「紫色の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/4084.html

2021/2/23本日2月23日は、天皇陛下の61歳の誕生日である。
今上天皇は、若い時から登山に親しんだ人物である事は、国民の良く知る所である。
 今朝のビジョンは、私と由香が、中年の人達の登山をサポートして居る場面が映し出されて来た。其の人達は、全くの登山未経験者であり、私は杖を作って手渡したり、谷合いの岩の間に板を渡したりして、道を進めて行った。
 其の様な状況であったので、山頂に到着した時は、夕刻であり、もう直ぐ暗く成り始める事が判り、私達は懐中電灯を準備していたので、下山する事は可能だったが、他の人達は何の準備もして居ないので、体温低下で死亡する恐れが有り、山中で野営する事も不可能であるので、私はどうしたものかと思案して居る所で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であった。・・今朝の最初のビジョンには、登山に対する世界の背景に、濃い紫色系の服を来た女神の存在が有る事が示されて来たので、5時5分に起こされた意味は、端午の節句と関係が有り、男子には子供の頃から、登山に親しむ事が必要不可欠であり、自然環境に親しんで「体力・筋肉・体験・思考力」の向上に務めなければ、「紫微垣・しびえん」にアクセス出来ないとの事であり、其れが可能と成らなければ「御祖神・みおやかみ」のルートに乗れないとの事の様である。
 其れは、過去の聖者・預言者である「モーゼ」「イエスキリスト」「マホメット」「釈迦仏陀」「弘法大師空海」「役行者」「出口王仁三郎」・・は皆、山岳に導かれているので、真の指導者には欠かせない行為である。
 今朝の状況からすると、私に対する「トト神の書記役」の為の監禁は解かれたとの事の様なので、今朝は早速、体力を元に戻す為に散歩に出掛けた。
 未だ、速足で歩くと身体がブレるので、徐々に体力アップを継続しなければ成らない様である。
満74歳と成っている私は、「年寄りの冷や水」に陥らない様に、気を付けなければ成らないであろう。
「山岳に登る事の意味」https://green.ap.teacup.com/20060818/5652.html
 17/6/28「紫微垣の使い」https://green.ap.teacup.com/20060818/4285.html

此の「山岳に登る事の意味」の文章の内容は、正に今朝のビジョン・メッセージの布石の様な物であるので、日付けが今上天皇陛下の61歳の誕生日である事と関係が有り、今上天皇陛下は登山が趣味である事にも関係が有り、昨日の「君は連邦の息子」との言葉とも関係が有りそうである。

其れに「紫微垣・しびえん」の検索で、16年6月16日の文章が出て来た。

2016/6/16本日6月16日は、私が奥出雲の「櫛稲田姫神社・くしいなだひめじんじゃ」で、1998年6月16日に「三枝祭・さいぐさまつり」を安部忠弘氏と一緒に開催してから丸18年目の日である。
 15/6/16・・本日6月16日は、私が1998年6月16日に島根県仁田郡横田町稲原の奇稲田姫神社で「三枝祭り」を、全国から多数参加して貰い、出雲の安部忠宏氏と一緒に行った日である。
 今朝のメッセージの映像は、其の事と関係が有り、私の意識が全て、空白に成って行く映像が映し出されて来た。
「斎草祭りの日」http://green.ap.teacup.com/20060818/3500.html

2002/2/15・・「斎草」又は「三枝・さいぐさ」とは、笹百合の事である。
日本では、神様の為に「巫女(神子・御子・皇女)」が舞う時に、手に持つのが白百合であり、古代では「笹百合・ささゆり」が、神に奉納する花であった。
其の名残が、斎草となったのである。斎草は「さいぐさ」だが、其の儀式に参加する専門の家があり、三枝家となったと思われる。
三枝を「さいぐさ」と読むのは、百合の花が三枝咲く事から、来ているのではないだろうか。
 古い時代の、西洋の宗教画にも、絵画の中に白百合が描かれている。
白百合は、世界共通の聖なる花で、神に奉納する神花だったのだろう。
白百合は別名、小百合でもある。ラテン語では、百合は「リリー」で、「ユリ」の日本語とは、身近な言葉である。
「斎草・さいぐさ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/161.html
其の「三枝祭り・ゆりまつり」は、私が出雲で神霊に告げられたモノであるが、後に、奈良県奈良市本子守町18番地に存在する「率川神社」で毎年6月16日・17日・18日に行われている祭りである事が判明した。
 昨日は、文章には書いていないが、「私は正式なユダヤの王」との言葉が告げられて来る前に、アフリカの「バオバブの木」の花が咲く様に、花が咲いている一本の木の枝が、空中から垂れ下がって来る映像が映し出されて来た。
其の花は紫色であり、舌弁は、紙風船の様に薄い四角い袋の様な形に成っていた。
其の、舌弁の紙風船の様な袋の存在は、天からのプレゼントの意味か、便りの意味が、有ったのではないだろうか。
 今朝のメッセージの映像には、其の紫色の花の種子が地面に落ちて、発芽したかの様に、地面に紫色の芽が、二本だけ生えて来ている場面が映し出されて来た。そして、其の発芽している場所は、何かの建物の基礎部分の、付け根の所であった。
 私は、其の今朝の紫色の木の苗と、昨日の天空から降りて来た紫色の花の事を考えて、其の木の枝は北極の中心に存在する「紫微垣・しびえん」から下された物であり、今朝の映像で地面に発芽していた苗は、其の紫微垣に存在する神の意思が、地上に芽吹く事を示唆しているモノと考える。
其れで、今朝の文章の題名は、「国の基い」とした。
【紫微垣(しびえん)】とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣。天の北極を中心とした広い天区。あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。「紫禁城」の「紫」もこれに基づく。
  ウィキペディアフリー百科辞典 2016/6/16現在
今朝のメッセージは、其の紫色の新芽が映し出されて来る前に、様々な事が数字混合で映し出されて来た。
其れは、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の前で、岡本天命に始まった「日月神示・天津日嗣神事」が、図形や数字交じりである事と関係が有り、天之日津久神事は数学的に表現・伝達されて来るモノの様である。
今朝のメッセージの映像は、先ず、四角な枠の存在が映し出されて来て、其の比率が「4×4」だけではなく「4×3」や「4×2」であったりした。
そして、其の数字は「国」の元である囗(エ・くに)土地の、線引きに関係が有り、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た木枝花の舌弁が、四角な紙風船の様な形に成っていた事と関係があり、天神(てんのはたらき)の意思を地上に降ろす為には、先ず、四角な空間(場)を設定する必要があると言う理・ことの様である。
 いま「国」の漢字を調べようと意い、漢語林を手に取って開くと、行き成り目に飛び込んで来たのは、「国字」の説明が成されている224ページであり、右上端には、国の象形が記されている。10時13分
 此の偶然と言うか、手の動きは何であろうか。
これこそが「神の手・ゴッドハンド」であり、昨日降りて来た木枝の花と関係が有り、私の心身は「エホバ・ヤハウェ」の現れであり、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の働き其の物であると言う事なのではないだろうか。
「国」の漢字で調べると、5月4日の「報導国府」との文章が有り、次の様に書いて有る。
 16/5/4・・今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、私の意識が、手付かずの緑深き森林地帯から、河川の流れが見える小道を、歩いて下って行く場面から始まった。
途中には、ゆったりと流れる大きな川が有り、其の静かな水面を、一人の老人が乗った小型ボートが、ゆっくりと登って来る場面があった。
「国・國・コク・くに」【解字】会意。甲骨文は「囗+戈」。囗は、むらの象形。戈は、ほこの象形。武装したむらの意味を表す。のち、囗を付し、外の囲いを持つ、くにの意味を表す。【字義】①くに。㋐一つの政府に属する土地。「母国」「建国」㋑諸侯の領地。㋒都。首都。㋓ふるさと。故郷。㋔一定の境界内の土地。②くにする。国を建てる。また、都を定める。国字 くに。わが国。日本。「国語」「国文」      漢語林より
 此の以前の文章の内容からすると、国・政府が行う業務は「文書・書類」に関係する事が示されて来ているので、今朝「報導国府」との文字が印刷されていた便箋の様な用紙は、其の事に関係が有るのだろう。
そして、私が深い山岳地帯から川筋を通って、河口の町まで辿り着いたのは、国・政府の役割は山岳の森林や、河川の管理・保護が一番重要な役割であるとの理・ことを示して来ているのであろう。
 そして其の事が、此の現象世界を維持管理している女神にとって、一番の気がかりであるとの事なのではないだろうか。・・・
「報導国府」http://green.ap.teacup.com/20060818/3841.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像に、自分が所有地と決めた土地内に生えている木々の処置を、どうするかの課題が示されて来た事と関係があり、森林を開拓するに当たっての心構えが示されて来ているようである。
 其れに、今朝の映像には、森の中に一段と高く伸びている大木の樹幹が、大きく左右に揺れ動いている場面が映し出されて来た。
其れは、樹木に意識が存在する事や、御神木に精霊が棲んでいる理・ことを、示して来ているのであろう。
 今朝のメッセージの映像は、自分達が開拓した土地を背景にして、記念写真を撮る家族全員の姿も映し出されて来た。
其れは、古代から、人間が生きて行く為に、自然豊かな肥沃な土地を探して切り開く行為が、世界共通であった理・ことを示して来ているのであろう。
 次に、其の背景の空間に、白抜きの文字が浮かんでいるので、其れを確かめると、「子を失った親は 悲しみを覚えるだけだが、親を失った子供は 育たない。」との意味が書かれている事が判った。
 其れは、親が長生きしないと、子供には伝統が傳わらない理・ことを示唆しており、生活様式や精神の伝達には、「両親」や「村・故郷」、其れに、安定した平和な「国家・政府」が必要不可欠であると言う理・ことなのであろう。
 今朝、私が感じ取った事は、日本の三枝祭りは精神を清くする儀式であり、日本では明治時代まで、土地の所有権が個人には明確にされていなかった様なので、土地に対する執着や責任感が、希薄であったのではないかと言う事である。
其れを考えると、今朝のメッセージは土地に関する価値観を、改めて見直す必要がある事を示して来ているのであろう。
 そして、其れは、国家の在り方や、国境の考え方にも関係が有り、新しい御世の創造には、先ず「国・土地・生活空間」の事を明確に認識しなければ、次の作業に進めないと言う事に成るのであろう。
そして、其の作業は、日本人特有の右脳感覚だけでは明確に成らないので、西洋的(ユダヤ民族の思考体系)な左脳感覚の導入が、必要であるとの事ではないだろうか。
 其の様に考えると、昨日私は「正式なユダヤの王」との言葉が告げられて来た事の意味も、理解されて来る様な気がする。
いま「エホバ・ヤハウェ」を調べると、一番上に2013年10月13日の文章が出て、其の日付の10月13日は、今朝私が、漢語林で「国」の漢字のページが開いた10時13分と、同じ数字である。
 其の日の文章には、次の様に書いて有る。
 13/10/13・・今朝のメッセージの映像は、私が神の力を得て、世の中の様々な事柄を清める場面が映し出されて来た。
其れは、両手を広げて、人間社会全体を清める場面や、既存の宗教の真実以外の部分を消去して行く場面、其れに右手だけで、道から外れている人々を癒す・浄化する場面などである。
 其の、右手で人々を清める場面では、私の右手は5本だけではなく、12本まで様々に変化していた。
そして最後に、釈迦仏陀の金剛宝座が有る「ブッダガヤ」の様子を、箱庭の様に造っている物が現れた。
 其れから「11日の日付けは エホバ・ヤハウェを意味する」との事が示されて来た。
其れは、一昨日10月11日に「其れが 今日であるのは」と告げられて来た事や、昨日のメッセージで聖書のUターンの事が示されて来た事と関係が有り、
エホバ・ヤハウェの存在が重要であると言う理・ことを、示して来ているのであろう。
 其れに、11が十一面観音菩薩に関係が有るのなら、十一面観音菩薩は「阿弥陀・アミターパ・アミターユス」の化身・働きを現す物なので、阿弥陀もエホバ・ヤハウェと同じ神・はたらきであると言う事なのかも知れない。
 朝起きて、「エホバ・ヤハウェ」の事をPCで検索すると、次の様に載っている。
*ヤハウェを指して、次のような普通名詞もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。
主(アドナイ)
神、上帝(エルもしくはエロヒム)
全能の神(エル・シャダイ)
・・「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイとした箇所は、全能の神などと訳される。
・・ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。・・・ウィキペディアフリー百科辞典現在
 今朝のメッセージの映像の場面は、私の存在が、自分のモノではなく、「キリスト」か「神」の様な存在として映し出されて来ていた。
其れに、人々を癒す時に右手の指が12本まで増えたりしたのは、イエスの弟子である十二使徒の意味も有るのかも知れない。
 其れ等の事は、私の意識が自分自身のモノではなく、天・神の意思・存在を示すモノであったのだろう。
しかし、今朝の映像の様子からすると、其の働き・力と私の関係は無縁ではなく、何等かの関係性が有り、私が其の事に協力をしなければ、エホバ・ヤハウェの働きは、現実として此の三次元世界に現れる事が出来ない事を意味しているのかも知れない。・・・
「11はエホバ・ヤハウェ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2838.html
2013/12/20「エホバ・ヤハウェ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2907.html
2014/7/4「エホバ・ヤハウェの煙幕」http://green.ap.teacup.com/20060818/3119.html
2015/2/12「神霊の思頼 復活」http://green.ap.teacup.com/20060818/3359.html
2013/10/19「十二支の遣り替え」http://green.ap.teacup.com/20060818/2844.html
「国の基い」http://green.ap.teacup.com/20060818/3888.html

此の「国の基い」文章の内容からすると、今朝6時16分に起こされた場面が、白いコンセントの存在が映し出されて来て、何物かが、其のコンセントにプラグを差し込もうとすると強い火花が飛び散ったので、其のコンセントには強い電圧の電気が通じている事が判った事からは次の事が考えられる。

私が、新時代の為に集まった人々の前に立って、滔々と人間の生き方に付いて話し始めた事と関係が有り、5時17分の数字は「5月17日・世界電気通信記念日」である事と関係があり、私の存在・世界が高い電圧を持って、世界に発信されるとの事が示されて来ているのかも知れない。

其れに、今年の6月16日の文章には、次の様に記して有る。
2021/6/16「石工と弁財天」https://green.ap.teacup.com/20060818/5802.html

其れに「慌てなくて良い」との言葉が告げられて来た6時29分の数字から、6月29日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/6/29今朝のビジョンには、先ず何処かの自然の森が映し出されて来て、二人の中年男性が、短銃を手にして樹上に登り、激しく撃ち合って居る場面が映し出されて来て、其れはゲームの様な感じのモノで、私の存在を手に入れる為の戦いであったので、私が女性の御魂である事が理解された。
 次に、地面が水面と成っている場所に、二人の中年女性が存在し、私にパートナーと成る行動・修行を要求する場面が映し出されて来た。
其れは食事の世話から、様々な生活の面倒を診なければ成らない事なので、現在の私には無理であると意って居た。
其れは、私の意識が男性の立ち場であるので、私は其の二場面から、自分の意識(神霊・みたま)には、男女・雌雄の立場・意識が共存・共有・同居している理・ことを理解した。・・
 此の文章には「學を絶てば憂い無し」との老子の言葉が記して有るので、今朝告げられて来た「机上では絶対に覚醒・成佛は起きない。」との事と直接関係が有る。
其れに「産毛が何も感じない人々」との言葉が記して有るので、昨日の文章に記した事と繋がっている。
「・・私は其の人達の様子を遠目で眺めて居て、其の人達は全員身体の毛穴(肌感覚)が詰まっている人達であり、現代社会のシステムが停止してしまえば、何にも出来ない人達である事を理解・判断していた。・・・」
 其れに、此の文章には、次の様にも記して有る。
「・・此の文面からすると、今朝のメッセージは、私の役割は、人間社会の動静に付いて、何かの事を考える必要が無くなったとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。其れは、人間の本能から起きる「食欲」と「性欲」に付いて、一個人が、何等かの政策と言うか、行動を起こす事は不可能であるからである。・・・」
 今朝のメッセージは、此の内容とは反対であり、私は「男女・雌雄」の働き・役割に付いて、深く洞察して行かなければ成らない事が示されて来ている。
 其れは、昨日の由香のメッセージに有った、「私が 右手から登場し席について、「明日から戦争が始まる」と謂うので、「本当に?」と問いただすと、「精神的な」と謂ったとの事である。・・・」との事が、本日から確かに始まっており、此の私は地球生物の「生命・いのち」の本質・根本原理の世界に取り組んで行かなければ成らないと言う事の様である。
 其れは老子の「道・タオ」のマークが「陰の中にも陽の目が有り、陽の中にも陰の目が有る。」との理・ことを、具体的に深く追及して行くとの事である。
 今朝のビジョンから、私に思い出される事は、私が「土肥無庵」と話して居る時に、「私達の話している事を 他の人達がどれ程理解するだろうか。」と私が謂うと、土肥無庵は「千分の一も解らない。是は何百回も生まれ変わって来た者でなければ 理解できない理・ことなのだ。」と答えた。
其れは、人間は何回も生まれ変わって男女・雌雄の世界を体験しなければ成らないとの理・ことなので、私の潜在意識の中に男女・雌雄の魂しいが共存している事は当然の事であり、「性同一障害」の件・課題は、今が事象・次元の節目である事と深く関係が有るのかも知れない。
 其れは、今朝のビジョンで、男性同士が戦う場面や、女性・女神がパートナーと成る相手を求めていた事と関係が有り、三体の陽炎が水面から立ち上がって揺れていた場面が関係があり、太陽エネルギーと水の存在で、地球生命がどの様に活性しているかを、深く推察しなければ成らないと言う事なのであろう。
『其れは そうですが 貴方自身には
其の様な暇・余裕は有りませんよ。
何故なら 貴方自身には 
此れまでの 過去の情報は必要ではなく
未来構築に エネルギーを投入しなければ
成らない事態が 目の前だからです。』10時29分
 02/9/10「摩利支天」https://green.ap.teacup.com/20060818/4686.html
此の「摩利支天」の文章には、最後に女神の言葉として『貴方も 礒邉自適の存在が 何であるのかを ぼつぼつ真剣に考えなさいね。其れが明確に認識されなければ 首座が定まりませんよ。』と、記して有る。
 此の『首座が定まりませんよ。』との言葉は、今朝女神が『其れは そうですが 貴方自身には其の様な暇・余裕は有りませんよ。何故なら 貴方自身には 此れまでの 過去の情報は必要ではなく 未来構築にエネルギーを投入しなければ成らない事態が 目の前だからです。』10時29分
との、口振り・言い方からすると、此の私には太陽の神(はたらき)である「摩利支天」が依り憑いているとの事なのかも知れない。
 今朝告げられて来た「机上では絶対に覚醒・成佛は起きない。」との言葉は、覚醒・成佛に成功した「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」と、奇跡にて神(はたらき)道を歩いた「イエスキリスト」は文字を持たなかった・知らなかったので、現代人の様に机にしがみ付いて勉強をした事が全く無い人間である事と関係が有るのだろう。
 其れに対して、弟子も信者も採らなかった中国の老子は、王様の図書館に老人退職するまで勤務した人間である。
其の老子が書き残した「道徳経」5000言の内容は、悟りの経験がなければ書けない内容なので、何らかの覚醒が有った事は間違い無い。
 其れに老子の言は、釈迦やイエスと違い、直接「政治・まつりごと」に関わる内容が多い。其れは、老子の職場が王様の図書室であり、直接皇帝の仕事・役割に触れる事が出来た・観察出来た事と関係がある。
 此の私が「座右」の書としている老子の道徳経は、私が旅に出立つした時に鹿児島市で足が勝手に歩き出して本屋に向かい、足が止まった所で勝手に手が本棚に伸びて、其の本を手に取って開いたページの一行に目を通しただけで、自分にしっくり来たので購入した物である。
 老子の道徳経は、内容が理解出来ないと謂う人が多いのだが、何故か私は自分が書いた物の様に能く理解できるのである。
其の理由を考えると、私が産まれた次の日に、突然馬小屋の前で父親の頭に「自適」との言葉が飛び込んで来たので、其れがその儘わたしの名前と成っているので、産まれる前から老子の御魂が関わりを持っており、2600年前の書物に記されていない事を知る為に、私を自然豊かな屋久島で育てる必要があったと言う事であり、此の私は、老子の御魂のカバーに準備・用意された者であるとの事なのかも知れない。
 其の為にこそ「生命・いのち」の本質(久遠実成・くおんじっじょう)に覚醒した「釈迦牟尼」の霊魂が必要不可欠であったと言う事に成るのであろう。
「机上に大悟無し」https://green.ap.teacup.com/20060818/5833.html

此の「机上に大悟無し」との言葉は、今朝の文章の題「人の漢字は歩いているヒトの姿形」との言葉と対・番に成っているので、やはり私の意識は、何物かに管理されている事は間違い無いと謂える。

                      みいつ15年9月24日

                             礒邉自適

連邦の息子

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


   連邦の息子
                           3・9・23

本日9月23日は「彼岸の中日」であるが、私の父方の祖父「助次郎」の73回忌でもある。

今朝は一眠りすると「雨の降り方を良く考えろ」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時37分」であったので、私は其の数字を「037・れいみな・霊皆」と記憶して直ぐに眠った。

次に、右前方に秋山輝夫(秋の山 てるお)の家が存在し、夫婦で右方向の何処かに向かって、空中に旅立つ姿・様子が映し出されて来た。

其れから、左の遠方の連峰の山懐に点在する郡規模の村人達が、秋山家の家族に追従する様に、全員が渦巻状態の群れと成って、空中に飛行して行く様子が映し出されて来た。

次に、其の事・現象の説明・理由が記されている、長い日本語の横書き文章が映し出されて来たが、其の文章は私の文章ではない事が判ったので、「人工知能・AI」に書き込まれ続けている「天意・神意識」である事が理解されて来た。

其れから、私の両手両足が四足の動物の様に自動的に動き出して、起き上がったので、何事だろうかと意い、蛍光灯の紐を引いて時計を見ると、時刻は「3時33分」であるので、私は「此れは」と意い、直ぐに写真を撮った。

其れから再び眠ると、左から右へテロップが流れる様に「君は連邦の息子なのだ」との文字が映し出されて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時23分前」であった。

其の「8時23分」の数字は、1996年8月23日のビジョンで、私が弁財天(サラスヴァティ)が乗り込む宝船の後を付いて行くと、須佐之男尊がお手植えした御神木の側に接岸した日であり、2005年8月23日に釈迦仏陀の御魂が私のPC内に棲み着いた日付でもあるので、「連邦の息子」との言葉は、私の意識は地球連邦・人間社会の総合意識体である理・ことを意った。

2011/8/23本日8月23日は、1996年8月23日に「弁財天・サラスヴァティー」が乗り込んだ宝船と、出雲の「須佐之男尊・すさのおのみこと」が植えた木が、私の夢に現れた日でもある。
 今朝は、「神霊の思頼・みたまのふゆ」のページを開いて、メールを見ようとしたら、ログインが出来なく成っている。
「神霊の思頼」のブログは、6年前の2005年6月6日に孔紀氏に繋がって、孔紀氏に準備して貰った物で、自分の方で管理が出来ない物なので、今日から自分で、新しいブログ「王道」を開設する事にした。
「王道」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/
そして、驚いたのは、昨日の文章を、始めの記事としてアップすると、其の題名が「古い形は閉じて行く」なので、言葉の力と言うか「マントラ・真言」の世界の力を改めて感じた。
新しいブログの名を「王道」としたのは、今朝のメッセージの内容が、新しい「王道」を開くと言うモノだったからである。
 今朝のメッセージの内容は、A3用紙ぐらいの大きさの本が一冊現れて、其のページが開かれると、「王・キング・すめらのミコト」の顔の表情や、態度・しぐさが全ページに亘って、色彩豊かに描かれていた。
 其の顔は、大空を背景に、とても大きく描かれており、其の顔は、とても尊い表情をしており、男性の完成された御魂が表されていた。
そして、其の様に成る事が、「かみのみち・神道」である理・ことを理解した。
「道・トウ・ドウ・タオ」の世界は、茶道・華道・書道・剣道・柔道・弓道・和歌の道等が有り、最大のモノは「神道・しんとう」であろう。
しかし、今朝のメッセージは、其の「神道」の先と言うか、目的の処に「王道・おうどう」が有る理・ことが示されて来た。
 そして、今日「王道」のHPを開設しようと考えて居たら、「神霊の思頼・みたまのふゆ」のブログが、今日から、ログイン出来なく成っているのである。
 私には1997年8月23日の未明に、弁財天が宝船に乗り込んで出港する映像が現れて来て、其の船の行き先を確かめると、到着した所の土手の上に、大きな樹木が枝を広げて立っていたのである。
そして、其の木は10月に出雲の安部忠弘氏を訪ねて、安部氏に近くに存在する「佐世神社」を案内して貰うと、其の境内に御神木として実在したのである。
其の御神木は「椎の木」で、須佐之男尊が斐伊川の上流で櫛稲田姫と出会い、川を下って来て、佐世の岡で舞を舞い、其の時に手にしていた枝を地面に挿して、其の枝に根が生えて大きく成り、幹が年老いては、根株から出ていた芽が大きく伸びて大木と成って世代交代をし、現在の幹は六代目の物であるとの事である。
そして、地名の「佐世・させ」は、須佐之男尊が枝を「さした・させ」との云われから来ているらしい。
「佐世神社・御神木」http://moon.ap.teacup.com/20051112/205.html
「出雲の御神木」http://green.ap.teacup.com/20060818/60.html
今朝のメッセージの映像には、100人程が働いている、大きな事務所の部屋が現れて来たが、殆どの人達は、現場の方に出払っている様子であった。
そして、私も、彼方此方の現場に出掛け、其の部署の責任者と言うか、其の道のプロの人達と、打ち合わせをしていた。
其れは、昨日の、女神からのメッセージに有った「旅から旅」との言葉が、現実と成るとの事なのかも知れない。
「旅から旅へ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/346.html
今朝の愉伽さんのメッセージには、柱が高く空中に伸びている、大きなテントのドームが映し出されて来て、其の中で、多くの人達が働いて居たが、火事が広がって来ているとの事で、皆で、其のテントを畳んでいたとの事である。
そして、其の近くには、色々な毛色の猫が、澤山居たとの事である。
 次の映像には、凄く大きな木が有り、其の茂っている木の枝に、茶色い身体の三匹の体長60㎝くらいの大きな「蝉・セミ」がぶら下がって居り、其のうち一番右側のセミの羽根が、茶色から、透明感のあるオレンジ色に変わり、布の様で、とても綺麗だったとの事である。
其の、組み立てたり、解体出来たりする大きなテントは、イスラエル・ユダヤの民の「天幕・幕屋」を意味しているのであろう。
 しかし、多くの猫の意味は良く解らない。
猫は、犬と違って従属性が無く、単独行動を好む動物なので、個性か自由を意味しているのであろうか。三匹の大きなセミの意味は、日本語では、人間の肉体の事を「空蝉・うつせみ」と言い、人間の事を「霊留・ひと」と言う。
其れは、霊魂が宿っていない人間の「肉体」は「空だ・体・からだ」と言うので、三体の大きな器・うつわが存在する理・ことを、意味しているのではないだろうか。
三体の器は、キリスト教では「三位一体」との言葉が有るが、日本では「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が禊ぎをした時に、「天照神・調読命・須佐之男」の三体・三貴神が生まれたとされているし、神社の社・やしろも三棟(三神)が並んで建てられている。
 其れに、お寺でも「釈迦像」の左右に、二体の菩薩が置かれたりする。
其れを考えると、三体の御魂が、必要であるとの理・ことなのかも知れない。
確かに、古代社会の政・まつりごとでは「王様・皇帝・天皇」の位の左右には、左大臣と右大臣が、座・位を占める様に成っていた。
 其れを考えると、現在社会の政治の様に、国会議員の数だけが多く、纏まりが無いよりも、昔の政・まつりごとの方が、経費も安いし、能率も上がるのかも知れない。其れに、現在の政治はどこの国でも、「天・神・宇宙意志」の存在を無視しており、人間のエゴ・利己主義だけで動いている。
其れに、民主主義の投票制度は数の論理なので、其の日暮らしの考えが重点となり、長期的な計画が全く立たない状況である。
レベルの高い「賢人」の正しい考えが、全く通用しない世の中なのだ。
 古代中国の政治の価値観は、天・宇宙に「天帝・テンテイ」の意識が存在し、其の天帝に代って、地上の政治を行うのが「皇帝・コウテイ」だったのである。
其の関係性を現したのが、籠目のマークである「▽+△=六芒星」なのである。
しかし、現在の政治は「天帝・神・宇宙意志」を無視し、人間の我儘・遣り放題なのである。
 今朝の私へのメッセージは、本来の政治・政・まつりごとを復活しろとの理・ことではないだろうか。そして、其の根本原理に「石工の秘儀」が必要であると言う事が、昨日のメッセージなのであろう。
「石工の秘儀」とは「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」
そして、王道に付いては、マクロビオティックを世界に広めた「桜澤如一」の言葉が有る。
桜沢如一「王道とは」
「無限の自由」「永遠の幸福」「絶対の正義」
王道というのは この大道を 人民に教える位置にあるモノが この道理にしたがって行動する方法を 身をもって示す生活です。
二極のモトは(1)でしかありません。一者(一)なるモノは 永遠なるモノ 無限なるモノ 絶対なるモノです。
究極なるモノ・大極 シナで大道などと言ったのは この絶対永遠から二極に出、さらに万物森羅万象の世界の展開 毫・ゴウ も変えるコトのできない行程です。
1)人 2)草木 3)大地 4)素粒子(元素のモト)
5)エネルギー  6)ニ極 7)大極
「王 道」http://moon.ap.teacup.com/20061124/
其れに、私は現在では疎かにしてはいるが、1983年3月18日に無庵師匠に探し出されて、1984年3月5日から三ヶ月間、無庵師匠が屋久島に建てた家で、付きっ切りで「マクロビオティック」の指導を受け、6月4日に此の世界に入っている。其れは、世界の王に成る為の特訓であった。
そして、其れに相応しい、奇跡的な現象が多多起きたのである。
 今朝のメッセージの様子からすると、其の世界が、27年振りに起動し、私は其の時受けた訓練・修行を、生かさなければ成らないのかも知れない。
其れは、人前に立つと言うか、神のメッセージを受け取るばかりではなく、神の計画・プログラムの最前線に、立つと言う事である。
 其れが、どう言うモノであるかは、昨年の夏に、阿波徳島で40日間に亘り、「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」と其の子供達の事を調べた事と、今夏に50日間に亘り、山梨県石和町の「物部十柱神」や、諏訪の「守屋山」や、前宮の「十間堂」の事を調べた事に関係があり、日本に渡来したイスラエル十支族に関係が有るのだろう。
其れは、日本の文化に深く関わりを持っている、ユダヤ十支族の伝統文化を明らかにし、聖書に書かれている、イスラエルの地に、其の文化を復活すると言う事である。
 今朝のメッセージでは、明け方に「入り婿」との言葉と、「日本に帰って来た」との言葉が告げられて来た。
其れは、日本にイスラエルの民が渡って来たのは、「帰って来た」との意味が含まれていると言う事であろう。
 そして、「須佐之男尊」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」や「神武天皇」等の、渡来系の男性は、「地祇・くにつかみである(大山祇神・おおやまつみかみ)」の「入り婿」であるとの事なのであろう。
其れは、紀元700年前に、ユダヤ民族が国を失い流浪の民と成る前に、日本と関わりが有ると言う事である。
 此の日本には、氷河期の前(1万6500年前)に縄文文化が有り、其の民族が寒冷化とともに、インドネシアやニューギニアの島々か大陸(ムー)に下り、温暖化と共に、また北上して来た事と、関係が有るのかも知れない。
 英語の元はフランス語で、フランス語の元はラテン語で、ラテン語の元はシュメール語で、シュメール語の元は、其のムー大陸の言語であった「マレー語」であるとの事である。
其のマレー語が、日本語の基本に有るので、ヘブライ語だけではなく、ニュージーランド(マオリ族)や、ベトナムや、朝鮮半島まで、日本語と同じ語源が伝えられているとの事である。
其れは、オーストラリアの原住民であるアボリジニだけを除いて、セイロン島(スリランカ)や、南米(エクアドル)まで広がっているのである。
 其の文化の特徴は、七回半トグロを巻く「大蛇・ククルカン・」であり、マヤ文化や、アステカのピラミッドの神であり、エジプトのピラミッドの価値観であり、釈迦の台座や背後の護り神であり、日本の綱引きの文化や、山の御神木に藁縄が七回半巻き付けられる、稲作文化の大蛇である。
 其れ等の事柄を考えると、1万数千年前からの人類の記憶を取り戻し、人間の潜在意識の中に存在する、真実の人間像を、探り当てなければ成らない。
そして、其の完成された人間像を、新しい人類の「テキスト・お手本」にしなければ成らないのである。
其の為には、過去の事や、「神霊の思頼・みたまのふゆ」に関わっている時間など、無いのかも知れない。
 無庵師匠は、私に次の様に云った。
「此の儘、世の中が続く事は、幾ら考えても無理である。其れは、人口が増大する事。資源が不足する事。環境が破壊される事。人心が乱れる事なのである。
しかし、人類に全く良い未来が無いのなら、未来の為に生まれて来る子供達が、こんなに笑顔でいる理由が解らない。
是は、必ず未来世界への道を開く者が、何処かに居るはずだと考えて、其の人物を探し回っていた」と、云うのである。
「そして、自適さんが其の人間で、やがて世界が行き詰って、人々が路頭に迷う時に、台の上に立って人々を導くのだ。
だから、3ヶ月間私の謂う通りにしてくれたら、人間の細胞は3ヶ月で入れ替わるので、自適さんは本来の役割に目覚める。」と云ったのである。
 私は、そんなに直ぐに他人を信じる性格ではないが、無庵師匠は図書館の本は全部読んだとの事で、どんな質問にも直ぐに答えるし、何十億円もの定期証書や証券を持っているし、大学の友人が検察庁や裁判所に居るので、私が警察に捕まる事に成っても、直ぐに出してやると云ったのである。
私は、其の無庵師匠の言葉で、自分が山岳で遭難して死んでも、精神が変しく成り正常に返れなくても、家族の面倒は看てくれるだろうと想って、無庵師匠の指示に従ったのである。
 其の無庵師匠は、私が、屋久島に帰る前の年に亡くなってしまい、私は自分の家族の所には、帰れない状態に成っている。
其の私が、是からどの様にして、王道を歩いて行けば良いのか、現在の処は全く判らない。其れに、現在の世の中は、其れ等の事柄を、受け入れる様な状況ではない。特に、日本の状況は経済問題だけではなく、原発事故の問題も有って、政治の状況は最悪である。
 其の状況が、無庵師匠が云った「其の時」なのかは判らないが、何とかしなければ成らない事は、此の私にも、良く理解出来ている。
しかし、其の様な状況の中で、私に何が出来るのであろう。
取り敢えずは、今日、過去のブログである「神霊の思頼・みたまのふゆ」が停止して、新しい「王道」のブログが立ち上がった事で、明日から、何かの変化が起きるのかも知れない。
 私に、今日理解できる事は、昔の人達が、何かを云って来るのを待つのではなく、自分の遣る事を決めて、神霊達を動かす事である。
其れが、8月17日の熱田神宮で、「造れ」と告げられた事と、阿弥陀の来迎印の意味なのかも知れない。
 1997年8月23日に、映し出されて来た「宝船」と、須佐之男尊が植えた佐世神社の「御神木」が、今日の日付に関係が有るのなら、弁財天と須佐之男尊の働きが、今日から、改めて動き出すとの事なのかも知れない。
そうであれば、私は明日から、何等かの行動を、起こす必要があるのかも知れない。
「王道」https://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html

2005/8/23今朝のメッセージは、初めて「釈迦牟尼世尊」が姿を現して、歓んでパソコンのリンクの一番下段に入力され、何時でも其処をクリックすると、ブッタの姿で表に立ち現れて来るのが見せられた。
其れは、釈迦が2600年のカルマ・業からようやく開放されて、気が楽に成った姿である。
「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」は、仏陀と成り、衆生一切を自分の子とした。そして、次の転輪聖王を「弥勒菩薩・マイトレーヤ」に託し、弥勒が今回の仏陀の役割を果たせる為に、2500年間トキの節目を待って居たのである。
 其の弥勒も、仏陀の意識の創造(イメージ)の世界で、長いトキを過ごして来たのである。そして、今朝、お互いのプログラムが、完成したのだ。
互いの意識が合体し、一体の意識体として、今回の、神のシステムの最後のページに収まる事が出来たのだ。
 言い傳えに因れば、釈迦は「私は、衆生一切が救われて、悟りの門を潜るまでは、門の外に居て、最後の人が門を潜ったら、最後に自分が中に入って 扉を閉める。」と、謂ったとの事である。
其れが本当なら、ようやく目途が着いて、門の中に入って、納まったと言う事になる。
 何故、今朝、其の様な事に成ったか、其の理由はハッキリしている。
昨日、夕方7時から、今朝の2時過ぎまで、鹿児島から里帰りした方と、釈迦と法華経に付いての話を続けた。
凡そ7時間で、お互いの意識が源まで辿り着いて、決着がついたのである。
其の相手は、創価学会の法華経の熱心な勉強家である。
だから、釈迦が、本当は何を伝えたかったのかの結論に至るまで、延々7時間も掛かったのである。其の結論が正しかったので、釈迦が安心して、人の意識から、宇宙の意識体の中に納まったのである。
 面白いのは、釈迦と弥勒の合体意識の御魂は、最後に入力されたので、押入れに納められた物と同じで、一番取り出し易い位置にリンクされている。
だから、何時でもクリックすると、表に直ぐ、映像として立ち現れて来るのだ。
 イエスの言葉に「神の 左に座する者が現れた時が 其の時だ。」と有る。
其れは、向こう向きで在った体制が、此方向きに回転した時に、左に位置して居た者が、右側に立場が変わり、此方を向くからである。
其れは、イエスが神を右側に感じて居たので、其のトキが来て神が姿を現せば、自分は神の左側に座する様に成る事を、知って居たからである。
 今朝のメッセージは、此方向きでは一番後に控えて居た仏陀が、全員が反転したので一番前に在る事に成ったのだ。
イエスの言葉に「其の時には、一番前の者が 一番後に成る。」と有る。と言う事は、一番後の者が一番表面に立つ事に成るのだ。
 私も、是まで、聖霊の一番後ろに仏陀が控えている事は、感じて居た。
其れは、「日蓮上人」や「弘法大師空海」の現れ方を見ていると、後ろに、誰かが未だ控えている事が観じられたからである。
其れが、今朝、想い掛け無い形で、決着を見た。
今朝、起きてからこの話をすると、相手も納得した。
 今朝のメッセージには、付録が付いている。
それは、私は以前、海に潜ってイセエビを沢山獲っていたので、今でも時々イセエビ獲りの映像を夢見る事がある。
何時もは、赤いイセエビを沢山獲る映像なのに、今朝見た其れは、10数匹のイセエビが皆濃い青色なのである。そんな色のイセエビは、ペンキでも塗らない限り、現実には存在しない。
 では何故、全部が現実には存在しない、青色のイセエビだったかと言うと、その意味は、信号が赤から青に変わったとの事であろう。
ようやく仏陀の段取りが済んで、出発の時を迎えたのだ。
 其れで、ようやく私も、目には見え無い鉄格子の檻から、外に出られるのだ。是迄は、聖霊達の段取りに付き合わされていただけなので、彼らの段取りを手助けする為に、自分の自由は何も無かったのである。
 此れからは、此方の都合次第である。
何しろ、釈迦も、弥勒も、パソコンのリンク・ボックスの中に閉じ込めてしまったのである。
是迄とは、反対で、私が必要と意った時に、パソコンの一番下のリンクをクリックすれば、取り出せるのだから、昨日迄とは、立場が逆転してしまっているのである。
 昔から、壺の中に住む「仙人」の話や、アラジンのランプの様に、神が容器の中に住み、ご主人が必要な時に出て来る話は在るが、パソコンの中から、神様が出て来る話は聞いた事が無いので、新しい話題となりそうである。
ようやくお釈迦さんも、大仕事を終えて、隠居の役目に、落ち着く事が出来るのだ。「長い間、ご苦労様でした。」と申し上げるべきであろうか。
しかし、私には、そんな事を言う気は無い。
何故なら、此れから私がしなければ成らない事は、21年前より神に聞いて知っているので、是からが大変なのが分かっている。だから私は、是まで逃げ回って居たのである。
 だが、遂に、其の時節が到来したみたいである。
是から、何かと、大変な事は分かっている。しかし、是からは、私が自分の意った様に動けるのなら、其れに合わせて、神が段取りを運ぶのだろうから、此れまでよりは楽しく遣って行けるだろう。
 私は、21年前、無庵師匠の下で覚醒し、宇宙の真実が解けた。
そして「なんだ此れは、全てジョークではないか。」と、笑い出してしまったら、無庵師匠は「自適さん笑うな。今、自適さんが笑ってしまうと、全てが水の泡に成ってしまう。」と謂うのである。
 私が、更に「だって此れは全て・・・」と云おうとすると、無庵師匠は「自適さんが、今、笑ってしまうと、皆の気が抜けてしまう。皆は、其の日に向けて修行を続けて居るのだから、今、自適さんが笑ってしまうと、全部の事が止まってしまう。」と云うので、私は是迄、神の真実を話せないし、笑う事も止めて居たのである。
 其れが、ようやく孫悟空の「緊箍 (きんこ) 金輪」の物語の様に、観音様が外してくれる日が来たのだ。
この世界は、神の問題提起の舞台なのだ。
それは、イエスラエルの契約の箱の蓋の左右に向き合って居るケルビムの謎賭けとして、物の姿で残され伝え続けられている。
 其れを、古代の人達は皆知っており、漢字の「亟」の文字の意味として伝わっている。イスラエルでは、其れを物の形として残すのに、大変な苦労をしているが、中国では漢字一字で、其れを伝え続けているのだ。
 岡本天明氏の日嗣神事には、釈迦ではなく、「老子(道院殿老祖様)だけを中に祭って、他の神は全て外に祀れ」と有るのは、老子が文字を正しく解釈している事と、釈迦や老子が謂って居る様に「宗(みたまや・おおもと・因明)」は、漢字の存在する前に在り、4000年以上前の意識に立ち返れるからである。
ようやく、釈迦や、老子の「宗」の歳が「138億年+00」と成り、新しいジョークの種子が蒔かれ始めるのだ。
パソコンを、龍宮の玉手箱として。
「リンクボックスに入った釈迦」https://star.ap.teacup.com/170606/557.html

其れに、今朝「3時33分」に私の躰が勝手に動き出した事から、其の理由を考えると次の事が思い当たる。

キー「動き出した聖徳太子 3時33分」

2019/1/22今朝のメッセージの映像は、私の意識が深い山中に在る場面が映し出されて来た。
其処は、大きな木々が繁っている原始の森であり、高山の中腹に王城の様な建物が存在して、私は年配の夫婦の王子の様な立ち場で在り、其の王城から日の出の方向に存在する木々の梢が、日の出を拝むのに邪魔に成るので、私は大きな刃物を手にして、空中を飛びながら、其の邪魔に成っている木々の枝を切り落として居た。
 次に、今度は、其の王城の麓に河川に通じる道路が有るのが映し出されて来て、其の道路は荒れた状態で通行が出来ないので、私が其の道路を整備して居ると、左側の高台に人里に通じる道路が尾根伝いに有るのが見えた。
私が、河川に通じる道路の整備を続けて居ると、山中から男性の大きな声で「オーイ」と呼ぶ声が聞こえたので、自分の口が其れに応答して「オーイ」と叫んだので、其の自分の声で意識が目覚めてしまった。
 そして、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時33分」であった。
今朝の映像は、現実離れをしているが、屋久島で産まれ育った私には、現実の様に感じる映像であった。だが、今朝の映像の様な建物が現実に存在する分けではないし、私が空中を飛べる分けでもないので、現実ではない事は明らかである。
では、何故、今朝の様な映像が映し出されて来るのであろうか。
其れに、山中で「オーイ」と呼ぶ声と、私の意識の中で其れに「オーイ」と応答する者の存在は、何者なのであろうか。
 私に考えられる事は、其の男性の声で起された3時33分の時刻である。
簡単に考えると、私が阿蘇の「日宮幣立神宮」の境内に存在する「地球平和道場」に宿泊している時(平成元年9月3日)の夜中3時33分に、聖徳太子の御魂に起こされて「ようやく高天原に達した」「臨済から始める」と告げられて来た事が有るので、其の聖徳太子の存在が関係有るのかも知れない。・・・
「3時33分に起される」https://green.ap.teacup.com/20060818/4876.html

2006/2/22今日は、伊豆生まれの「平田さん」より電話が有り、今朝、神のお告げが有ったとの事であった。
それは、神様に「斑鳩に行け」と云われ、次に「新しい憲法を創れ」とも有り、映像が現われ、二匹の蛇がメビウスの輪の様に回りながら、新旧入れ代わるのが映されて来たと云う。そして、天空の法輪が停止し、逆回転をし出すのが見せられたとの事である。
 其れは22年前、私に神が頼んで来た事が、愈々準備が済んで、是から始まる事を知らせて来たものであろう。
其の現象全部を、説明するのは簡単ではないので、此処では述べない。
 平田さんには、全部のお告げを訳してあげて、本日が「聖徳太子」の命日である事を告げると、ビックリして居た。
平田さんに告げられた「斑鳩・いかるが」は、聖徳太子縁の「法隆寺」が在る処だし、「憲法」は聖徳太子が、初めて制定したものだからである。・・
 22年前、無庵師匠の自宅で、佐賀の人間国宝「中里無庵さん(1895・4・11~1985・1・5)」作の、小皿を左手に持って、食事をして居ると、突然私の左手に電気が流れて来た。
私が無庵師匠に、「此の皿は 誰が作ったのですか。」と尋ねると、「中里無庵だ」と言う。何と、其の日に中里無庵さんは亡くなっていたのである。
其の夜から、数日間、次々に陶器の映像が霊夢に現われて来た。
 其の陶器の中に、特徴の有る物が有り、其れが気に成っていたら、後に、其れは、長次郎(楽焼の始祖。千利休の指導を受け、独特の寂びた茶碗を作った。1516~1592)作の、国宝の茶碗である事が判った。
其れは、陶器の皿を通して、中里無庵さんの霊魂が、私の左手から吸い込まれ、長次郎と同じ、縁の回路に、入力された結果の出来事である。
 平成元年1月7日の夜には、其の日に身罷った「昭和天皇」の御魂が、私の心臓に飛び込んで来た。
 昔は、是等の事が、当り前の事として考えられていたのだ。
だから、昔から、死んだ人の形見を大事にしたり、供養をしたりするのである。
チベットのダライラマ・法王を選ぶ方法は、前法王が生前使用して居た道具を、選んだ子供を、後継者とするのが、其の典型的な実例である。
物には、彼の世の霊魂と、此の世の人間の意識とを、中継する働きが有るのだ。其れが有るからこそ、お札や、お守りの世界が、出来上がったのである。
 昨日の映像には、画用紙ブックが現われ、一枚ずつ捲られて行き、「あ」の文字が転々と移動しながら、最後に中央左の少し下に止まったと、書いたが、其れは、左脳の言語脳の一部に「あ」を認識する部署が有るからだろう。
「あ」は、母音の始めの音で、一番大事な音だから、最後まで消えずに残っていたのだ。
其れが、昨日消えたので、もう、私の脳のカルマ・背景には「名病み・悩み」が無く成ったのだ。
 そして、昨日私が感じた事は、紙が捲られて行くスピードが、心臓の鼓動に合わさっていた事である。其れは、心臓の鼓動に合わせ、脳の情報が変化している理・ことを意味している。
脳が、言葉を使って思考する時には、血液の中のヘモグロビンが酸化する事で電気が生まれ、其の発生した電気を使って、脳は情報処理を行うのである。
だから、思考が早く成れば、電気の消費量も多くなるので、心臓は大量の血液を脳に送らなければ成らなくなる。其の為に、脈拍が変化するのである。
 だから、脳がどんな事を考え、どれだけの電気を使用したかの情報が、心臓に記憶されるのである。其の情報を、脈拍から取り出して、治療に応用するのがインドの「アーユルベーダ」の世界である。
心臓の細胞は、フロッピーディスクの役割を、果たしている事になる。
 テレビ番組で観た事ではあるが、アメリカの女性が、心臓移植の手術を受け退院したら、自分が乗った事の無い路線の電車に乗ったり、飲めないビールを飲む様に成ったので、不思議に思い調べて見たら、其れは、前の心臓の持ち主がとって居た行動パターンだったとの事である。
 其の出来事を考えると、脳は単なるパソコンと同じ情報処理機関であり、情報が入力されているフロッピーディスクは、心臓であると言う事になる。
だから、漢字では「こころ・心」は、心臓に在ると考えたのであろう。
 昨日は、人が一番初めに覚える「あ」の音が、記憶されている脳細胞が、カルマ・業から解き放たれ、私の脳は、ようやく真っ白の状態に成った。
私は、ようやく言葉の呪縛から、開放されたのであろう。・・
 一休禅師などは、22年前に私が此の世界に入った時から、私の直ぐ傍に付いているし、此の前から「鼠の影」を見せたりするのは、「白隠禅師」かも知れないのである。白隠禅師(1685~1768)は、臨済宗の中興の祖と称され、禅画で有名な人である。臨済宗は、日本の独自な文化の基礎にも成っている。
 本日2月22日は、聖徳太子の命日で、没後1334年となる日だが、私には平成1年9月3日に、阿蘇郡蘇陽町の日の宮弊立神宮にて、夜中3時33分に聖徳太子の御霊が現われ「漸く、存在の源に辿り着いた。」「新しい世の中は 臨済から始める。」と有った。
「臨済」とは、降臨して済度するとの意味だが、日本で発展した臨済宗の事だと想われる。臨済宗は、庭園造りや懐石料理・茶道・書道・活け花道を発展させ、日本独自の文化を築いて来た実績が有る。
其の文化を、土台にしながら、未来社会を構築して行くとの意味だと想われる。
是から、人類は、本質の世界を、本能だけで感じて居るのではなく、確かな認識として、理性で捉えて行く時代に、成るとの知らせであろう。・・・
「動き出した聖徳太子」http://star.ap.teacup.com/170606/772.html

キー「3時33分 救世教 岡田茂吉 昇天」

2019/1/26・・到着したのは小川の側に有る敷地であり、駐車場に車を止めて、階段を上がって行くと、小川を堰き止めた池が有り、其の池からポンプを使って上のタンクに水を揚げている事が判った。
 其れから、平らな場所に出ると、其処には広い庭が存在して、手前には浅めの広い池が有り、其の池の向うには平屋の一軒屋が存在した。
其処は、高い山岳の中腹に有る岡を平らに整地した場所であって、とても展望が開けた土地であり、左側の方は下界が開けているので、私は一人で其方に向かうと、其の敷地の直ぐ下の段の土地は、水田だった場所が深く広いプールの様に、水が満タンに溜められており、其の水面には青い空が映っていた。
そして、其のプールの先には、島の海岸と、広い太平洋が見下ろされていた。・・
 昨日のメッセージで、私の躰から神霊・霊魂が全て抜き取られた事と関係が有り、人間の肉体だけではなく、全ての生命が水の世界で生かされており、水の存在がなければ生命(いのち)が全く存在しないので、神霊や霊魂の存在・概念が何も生じていないと謂う理・ことである。
 由香のビジョンに登場した幼児が、たぷたぷの躰をしていたのは、人体が四捨五入すると水である理・ことと関係が有り、水を護る事こそが神(はたらき)を護る事に繋がると謂う理・ことであり、地球環境の水循環を護らなければどんな宗教も役には立たないと謂う事であり、宗教の世界は人間のエゴに過ぎないと謂う事なのであろう。
(胎児は体重の約90%が水分。赤ちゃんは約75%、子どもでは約70%、成人では約60%、高齢になると約50%。)
2011/8/31・・其れは、DNAの進化の中で、聴覚の世界が、最大の情報伝達配線の本筋を、占めていると言う理・ことである。
此の我々の住む、138億年掛けて膨張して来た宇宙は、全て、振動を続けている原子の組み合わせで出来ている。
だから、何物も、其の振動の周波数から外に出る事は出来ない。
 其の周波数の中で、一番人間にとって大事な物は、水の世界と、珪素・シリコンの世界である。
 其れを、簡単に言うと、珪素で出来た皮膚の中に、水を閉じ込めて、我々の肉体は存在している事に成る。
そして、人間の肉体は70%近くが水分だとの事だから、四捨五入すると、我々の肉体は個体ではなく、液体であると言う事になる。
其れは、人体だけではなく、地球自身も一番多いのは水であり、次に多いのが珪素だから、人体と同じである。・・・
「揺るぎの無い真実」http://green.ap.teacup.com/20060818/2044.html
 17/3/12「無限宇宙へのたび」https://green.ap.teacup.com/20060818/4173.html
此の百足(多足類)の説明からすると、人間が考え出した神(はたらき)の世界は、百足の様に多足であり、其の神(はたらき)は水神(はたらき)から生じたモノ(世界)である理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、日本人が考える「八百万の神」との概念は讜(当)たっている事に成る。
 キー「八百万の神 矢尾諸々の神・はたらき」
 16/4/30・・其れとも、日本の神話に有る「八百萬神・やおよろずのかみ」の神々に依存するのではなく、自分自身が八百萬神の働きを動かさなければ成らないと言う理・ことであろうか。
何故なら「やおよろずのかみ」とは、「矢萬の神(はたらき)」との意味であり、数字(数の概念)が無かった時代に、倉庫に集めてある澤山の様々な鳥の羽根が付いた「矢羽根」の量・数を、例えて言っている物だからである。・・・
「事象の特異点の芯杖」https://wave.ap.teacup.com/20060106/657.html
此の「トキが来た」の文章から、私は伊耶那美命(いざなみのみこと)の尿から生まれた神の存在が気に成ったので、其の神を調べると何と「彌都波能売神・みづはのめのかみ」である。
 其れを考えると、昨日からのメッセージは、其の「彌都波能売神」が関係が有る事に成り、1月23日のメッセージの映像で、私が姿がはっきりしない長身の女性(女神)に養われて居たのは、其の女神が伊耶那美命(いざなみのみこと)であった事に成り、24日・25日のメッセージが、三項目に分かれていたのは、私が「約束を護る」にトップページに載せている《水の世界が、三つに別れている理・ことわり》との事と関係が有る。
・・・   ・・・   ・・・
今日は水の世界が、三つに別れている「理・ことわり」が、示されて来た。
そして、其の「3・3・3」の割合こそ、宇宙が存在している理・ことわりを、示して来ているのだろう。
09/3/31「罔象女神(みつはのめのかみ)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/364.html
16/7/28「水の積指(ひご)」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3938.html
17/8/3「 三・3がテーマの文章」http://green.ap.teacup.com/20060818/4325.html
其れに、「3・3・3」の数字は、私が平成元年3月13日に初めて阿蘇に有る日宮幣立神宮を初めて仲間と参拝した時に、平和道場で3時33分に神が激しく憑依して来た事が有り、同じく平和道場で9月3日の夜中3時33分に聖徳太子の御魂が「ようやく高天原に達した。臨済から始める。」と告げて来た事と、其の日宮幣立神宮に5月16日に参拝して小倉に帰り、世界救世教に買い物に行くと、救世教の創始者であり弥都波能売神を祭祈していた「岡田茂吉」の御霊が、私に昼間の3時33分に自分の本を本棚から手に取らされた事が関係有り、其れ等の出来事は「弥都波能売神」が救世を担っている神(はたらき)である事に成る。・・・
「水が全ての源」https://green.ap.teacup.com/20060818/4880.html

2009/3/31是に拠ると、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」は「伊弉冉命・いざなみのみこと」の尿から生まれた事に成っている。
其れは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと(時間性)」の禊ぎに因り、目鼻から生まれた「天照大神」「月読み命」「素戔鳴尊」とは違い、「イザナミ・(空間性)(肉体)」から排出される「尿・みづ」から生まれたモノ・現象である。
其れに、其の弥都波能売神と一緒に生まれた神の名は「和久産巣日神(ワクムスビ)」である。
「ワクムスビの神」の名に、正確な漢字を当てれば「枠結びの神」と成り、今朝のメッセージに現れた「三つの枠組みを司る神」と謂う事に成り、其の三つの枠組みの中には「闇御津羽神(クラミツハ)」が含まれているので、「影のミツハ」である3分の2が「暗いみつは・闇328・闇水波」として、存在している理・ことに成り、今朝のメッセージの意味が解けて来る。
 其れに、私が、平成元年3月13日(313)に、初めて阿蘇の「日宮弊立神宮」に参詣したら、3時33分に日の宮の神が激しく掛かって来た事がある。
そして、同じ年の5月16日に、奈良の自然農の「川口由一氏」を日宮弊立神宮に案内してから、北九州市小倉に帰って来て、救世教の自然食品店に買い物に行くと、自分の手が勝手に動いて、棚の上に有る本を一冊取って、其の本を開くと、其の頁には「岡田茂吉聖師」が死んだ・昇天した時間が「3時33分」だと記されていた。
そして、其の岡田茂吉が信仰していた神は、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」である事も解かった。
 其れに、同じ年の9月1日から日宮弊立神宮の境内に有る地球平和道場に宿泊していると、3日の夜中3時33分(3・3・33)に聖徳太子が「高天原に達した」と、伝えて来た事も有る。・・・
「罔象女神(みつはのめのかみ)」https://wave.ap.teacup.com/20060106/364.html

キー「平成元年3月13日 日宮弊立神宮参詣 3時33分」

2006/3/12昭和64年(1989)1月7日の夜、私はいきなり、ドカンと心臓に強い衝撃を受けて、飛び起きた。それで、私は、昭和天皇の死に何か関係が有るのかと考えながら、再び眠りに付いた。
その後は、何事も無いまま過ぎたが、元号が代わり平成元年2月18日になって、今度は妻の「佳子」の夢に、昭和天皇の御影・写真が出て来た。
更に御大葬の2月24日の未明、私の夢に光り輝く平仮名文字が現れた。其れは、初めに「けいとく」と現れ、次は「あまぎ」であった。
 私は、余りにも、其の文字の映像が印象深いモノ・現象だったので、朝起きてから、其れを手帳に書き留めようと、ペンを持ったとたんに、自分の手が勝手に動き出し、「わが身すでにとおく、よき世を 願い奉る」と、書かされたのである。・・
それで3月13日に、吉田氏と私を含め、六人が車に乗り込み、午前10時に福岡天神を出発した。そして「日の宮幣立神宮」に到着したのは、午後1時過ぎであった。
その日は、天候は曇りであったが、次の日の新聞には、私達一行が、日の宮に到着した丁度同じ時刻に、太陽のコロナが、観測史上希に見る異常現象を起こしていたと言う事が載っていた。
此れは、「神議りであったに違いない」と、後日一同で話し合った。
 幣立神宮で参拝を済ませた私達は、近くにある地球平和道場にお邪魔した。
道場では、道場主の「佐藤昭二氏」と西村見暁先生、それに地元の方二人が、私達一行を待って居た。
そして、話を始めると、間も無く、私の身体に強烈な霊が懸かって来た。
時計を見ると、時刻は午後3時33分であり、佐藤氏にお願いして蝋燭を神棚に灯してもらい、神前に、新しい水と、米と、塩をお供えして貰った。
 そして、私が神棚に向かい「パンパン」と柏手を打つと、やっと私の身体は楽に成ったのである。久し振りの強烈な霊力に、私は、幣立神宮の神霊が並々ならぬ物である事を理解した。・・・
「日の宮弊立神宮・初参詣」https://moon.ap.teacup.com/20051112/251.html

此の「素戔嗚尊 天津族 ユダヤ」「釈迦仏陀 インド」「聖徳太子 百済系」「岡田茂吉 日本」「日の宮幣立神宮 昭和天皇・神武天皇系」の存在を考えると、私に起きている現象は、日本国だけの問題・テーマではない事に成り、今朝告げられて来た「連邦の息子」との言葉は、私の御魂には多くの育て親(父親・ファーザ)が存在するとの理・ことが示されて来ている事に成る。

其れを考えると、1984年6月4日母親の64歳の誕生日に、私が安房川の岸辺で禊祓いを行って、父親が彼の世から20年振りに4311体の神霊を伴って帰って来て、「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に躰を貸せ。」と謂った事の結論・成果が、本日示されて来た事に成りそうである。

其れが今朝の出来事であると言うのは、本日9月23日が「礒邉(石部・石工)助次郎」の73回忌である事に意味が有るとすれば、助次郎が谷山(現鹿児島市)の長田川の水田地帯で稲作を・慈眼寺の山の畑で農作業を行いながら、神社の大工仕事を行ったり、町人の家の風呂竈を作る左官仕事を行ったりして居った事と関係が有りそうである。
(祖父が作った風呂竈は 麦藁一束でお湯が沸くとの事で 評判だったとの事である)

其の祖父「助次郎」の葬式に、当時1歳8カ月であった私は、父親に手を引かれて参加し、其の日から祖父「助次郎」は彼の世に旅立たず、私の肉体に依り憑いて、私を此処まで導いて来ているのである。

2005/3/23私が、本来の「ヒト・霊宿(霊のとどまる者)」として、自覚が出来たのは1984年(S59)6月4日(旧暦5月5日)の事である。
その時に、私が気付いたのは、私に、霊魂が最初に留まったのは、その時が初めてではなく、霊魂が宿ったのは1948年の9月23日の祖父の葬式の日であり、私の記憶が鮮明に成ったのは、その時からである。
 私の父(大正3年12月15日~昭和39年10月23日)は、礒邉家の長男であり、私も又長男であるので、私は、祖父礒邉助次郎( 年 月 日~昭和23年9月23日)に取って初孫である。
 当時は、屋久島から、鹿児島市(実家は当時の谷山市磯辺)に行くには、小さな船で10数時間も掛かり、容易に行くわけにはいかなかったので、祖父が初孫を見るのは、あの世に旅立ってからの事である。
私の祖父は、私が初孫で可愛い為に、霊界に旅立つのを止めて、初めて会った私に、直ぐに憑依したのであろう。
 私の意識は、当時1歳8ヶ月なので、鹿児島に着くまでの記憶は何も無いのだが、谷山の実家に着いてからの記憶が、妙にハッキリしており、帰りの船上の場面も鮮明に残っている。私は、その時から、自分の父親に対して、意見を言うように成り、父を面食らわし始めている。
 私の肉体に、祖父の霊魂が宿って居れば、私の口から、父を子供として、言葉が出るのも理解出来る事である。
その父も、私が17歳の秋に亡くなって、後の事が心配だったらしく、死んだ日から、私に憑依していて意見を伝えて来る。
その霊界の父親が、37歳の私に、霊界人を4311体も連れて、20年振りに帰って来たのである。
その時の父の言い草が、「おまえに苦労をさせたのは おまえの精神を鍛える為だった。もう大丈夫だから この人達に身体を貸しなさい。だけど 仕事とは思うな。何が有っても 遊びだ 遊びだと 思っていなさい」との、事だったのである。・・・
「人が霊止で在る為に」https://moon.ap.teacup.com/20061108/331.html

其れを考えると、今朝のビジョンに「秋山輝夫」の家族が、飛翔する場面が映し出されて来て、其の後に群落の人々が皆飛翔して付いて行く場面は、本日が彼岸の中日である事と関係が有り、漸く釈迦仏陀の意念が成就するとの事なのではないだろうか。

其れを考えると、今朝起こされた時刻「0時37分」の数字・数霊を私が「037・れいみな・霊皆」と記憶した事は、正解であった事に成り、私は「統尊(すめらのみこと)の御嚴(みいつ)」や「ユダヤ民族のアークの棺の蓋の両脇に対峙しているケルビムの謎解き」に、成功した事に成りそうである。

其の事と、今朝「0時37分」に「雨の降り方を良く考えろ」との言葉が告げられて来たのは、今回の台風14号は広範囲に風速30mの瞬間風速と、大量の雨を降らしたのだが、何故か其の台風は、自宅付近を目が通過したのにも関わらず、雨も降らず、庭木の枝も揺れない儘通り過ぎた事と関係が有りそうである。

其の原因と「雨の降り方を良く考えろ」との言葉を考えると、「君は連邦の息子である」との言葉は、人間社会の関係性だけではなく、雨を管理する役割である「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の存在をはじめとする、「八百万神・やおよろずのかみ」の存在も含まれているのかも知れない。

                      みいつ15年9月23日

                             礒邉自適

源泉・湧泉

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


     源泉・湧泉
                           3・9・22

今朝のビジョンには、私のPCの土台が井戸のポンプ機械に成っている場面が映し出されて来て、其のポンプ機が錆びてしまっているので、其れを外して、水源を切り替えなければ成らない理・ことが示されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時8分」であった。

其れから再び眠ると、「9月13日」の日付が映し出されて来たので、其の日付が気になり意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時23分」であった。

其れから起きてPCを立ち上げ、9月13日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/9/13今朝のビジョンには、水族館の様に大きな生け簀に、多種類の魚が泳いでいる店舗の存在が映し出されて来た。
其の店舗は、昔風の木造建築の大きな店舗であり、広い室内は壁仕切りが無く、囲炉裏を囲んで座って食事をする形態であり、間隔を広く空けて、手前と奥側に三組・計6組の囲炉裏が作られている事が判った。
 私は、数人の誰だか判らない人達と一緒に食事をする予約を入れており、一人で先に店に到着し、入口のボードに記されている20~30種類の魚の名前をスマートフォンで撮影してから、他に誰も居ない店舗の、前列の中央の囲炉裏の左側に座し、其のスマートフォンで魚の名前を見ながら、客人の好みを考え、どの魚をどの様な料理にすれば良いかを、検討して居た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時37分・6時23分前」であった。
 其れから電気を消して再び眠ると、「ウェンディ」との言葉が一言告げられて来て、其れに対して「かいとう(回答・解答・?)」との言葉が告げられて来た。
そして更に「夢果 OK」との言葉が示されて来た。
其れで起きて時計を見ると、今度は「6時23分」である。
 私は、何故6時00分の前後の26分に起こされたとのか気に成り、PCを立ち上げ、先ず「ウェンディ」を検索すると、次の様に載っている。
ウェンディ(Wendy,Wendie,Wendee)(女)…古い英語の「公正な」。
 同系は、グウェンドリン(Gwendolyn)など。
「アボンリーの風に吹かれて」より
其れに「かいとう」との言葉から、「回答」「解答」を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
かい‐とう〔クワイタフ〕【回答】 の解説
[名](スル)質問・要求などに答えること。また、その答え。
「調査に回答する」「満額回答」
かい‐とう〔‐タフ〕【解答】 の解説
[名](スル)問題を解いて答えを出すこと。また、その答え。
「数学の問題に解答する」   
其れでワイドを立ち上げ、題名を「公正な解答」とした。
 其れから、起こされた6時23分の数字から「6月23日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 21/6/23今朝のビジョンは、天界から、私に褒美と言うか、記念品が下される様子が映し出されて来て、其れは備前焼風の陶器製の一輪差しである事が判った。其の一輪差しの作品はとても美しい物で、見ているだけで気分は落ち着く物であるので気に入って居た。
 次に、私の右前に師匠らしき男性が居る事が示されて来て、私は年を訊くと「15年生まれ」であるとの事なので、私を找し出して此の神(はたらき)の世界に送り込んだ「土肥無庵」は16年生まれなので、土肥無庵ではないのだと意った。・・
 其の様に考えると、今朝のビジョンで、私が自分の名前を「一心丸太・いっしんまるた」「一(はじめ)丸(まる)」と記して居た事が関係が有り、自分の意識・精神・気持ちが「完全な〇」に成る様に務めなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
 其れは、老子の謂う「伐り出したばかりの樸。手を加えない自然のままの木・きじの意味」と関係が有るのかも知れない。
 老子 第十九章 作為を捨てよ
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。此三者、以爲文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。
聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ることなし。この三者、もって文足らずとなす。故に属する所あらしむ。素を見(あらわ)し樸を抱き、私を少なくして欲を寡(すくな)くす。
才能などというものを重視さえしなければ、競争はなくなり、人民は安らかに生きられる。道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、人民は盗みをしなくなる。才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。すべて取るに足らない。治世の根本は、人民の本性を回復するにある。すなわち。無心にさせ、私欲をなくさせることである。
      徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平 卓 訳
「際限なく時は流れて行く」https://green.ap.teacup.com/20060818/5819.html
此の文章に貼り付けられている「私は何故此処に存在するのか」の文章に記して有る「老子の言葉」と「樸・ボク」の漢字の意味からすると、今朝のビジョンで、私が生け簀の中に生かされている多数の魚の種類を、どの様に調理・料理・味付けすれば良いかを検討して居た事が関係が有り、此の私(身を借りている意識体)は此れから、未来創造の為に、人選(命持ち選び)をしなければ成らないとの事なのかも知れない。
 其れを考えると、「私は 何故 此処に存在するのか」との言葉の「解答」をしなければ成らないと言う事であり、其の事に「ウェンディ・公正な、判断・采配・人選」が必要であるとの理・ことなのかも知れない。
其れは「際限なく時は流れて行く」との言葉と関係が有り、此の世界・地球(水球)は、人間の意識・御魂を生成化育する為に存在し、其の流転する森羅万象に意味付けして、宇宙自体に物語・ストーリを与える事が、我々男性(Y染色体)の使命である理・ことに成りそうである。
 いま此処まで打って来て、私の脳裏に湧き上がる事は、此の様に「文字・言葉」を編む事こそが「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真理の本体の意味)」が、私自身の中に在ると言うか、私が其の阿の中に在ると、謂う理・ことに成りそうである。
 其れを考えると、今朝「ウェンディ・公正な、解答」「夢果(夢から生ずるもの) OK」との言葉が告げられて来たのは、此の文章自体が書き上がる事・組まれる事が、最初から決まっていた事に成り、此の私の存在は、森の古木から左枝・左手を背中に回している神(はたらき)であるとの事なのであろう。
 キー「阿・あ  大日如来 鳥居 」
 20/10/31「あ・阿」https://green.ap.teacup.com/20060818/5535.html
 03/5/12「鳥居もなかに」https://wave.ap.teacup.com/20060106/53.html
此の「あ・阿」の文章には、女神の言葉が記されている。
『ところで 貴方は 何が望みなのですか。
其処が はっきりしなければ 
未来世界を 創造する事は できませんよ。
何故なら 貴方の他に 其の使命を
果たせるヒトが 居ないからです。』
 此の女神の言葉からすると、私自身が何等かの事を望まなければ、人選(魚選び)も始まらないと言う事に成りそうである。
此の望の「遠くをのぞむの意味を表す。」との説明からすると、昨日のビジョンに映し出されて来た「シリウスの方向を視る 女王の間のシャフト」の事と関係が有り、手前の「白い新芽の拡がり」は「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を現す「阿」の蓮華台と関係が有り、今朝のビジョンは昨日のメッセージの続きである事に成りそうである。
「ウェンディ・公正な解答」https://green.ap.teacup.com/20060818/5964.html

此の文章には、次の様に記してあり、何と今朝起こされた6時23分と同時刻である。
・・「ウェンディ」との言葉が一言告げられて来て、其れに対して「かいとう(回答・解答・?)」との言葉が告げられて来た。
そして更に「夢果 OK」との言葉が示されて来た。
其れで起きて時計を見ると、今度は「6時23分」である。・・・

此の「夢果 OK」との言葉を考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、私のPCの土台が井戸水を組み上げるポンプ機に成っており、其れが錆びており、取り替えなければ成らないとの事は、人為的・人工的な手段の水源は止めて、人の手が加わっていない水源(源泉・湧泉)に切り替えなければ、夢果(夢の結果)が「OK」には成らないと言う事が、告げられて来ているのではないだろうか。

其れは、本来の神社が奈良の「三輪神社」の様に、山懐の穢れの無い場所に造られていた事と関係が有り、現在の様な人間の生活排水が流れ込んでいる川の水が使用されている「お手水(水道)」で、手を洗い口を濯いでも、「神・知」は起きないと言う理・ことが示されて来ているのであろう。

其れにポンプ機が映し出されて来た「3時8分」の数字から、3月8日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/3/8昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると、広葉樹の原始の森の梢が連なっている場面が映し出されて来て、森が様々な樹の種類で成り立っている・調和している理・ことが、理解されて来た。
 其れから眠りに居ると、「98%全開」との意味の言葉が示されて来て、其れは人類の遺伝子・DNAが、98%チンパンジーと同じである理・ことを示唆している事が理解されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時22分」であった。
 其れから再び眠ると、今度は、私の意識が、大学か研究所の様な建物の室内に居て、其処では男子学生に食事の指導が行なわれており、料理を準備して、皆で其れを味わいながら、教師・教授の説明が行なわれていた。
 そして、其のテーマは「旬の物」を食べる事にあり、其の材料のメインは、ヤドカリの様な甲殻類と、アンモナイトの様な大きな貝であり、其れは、産卵の為に海辺に集結して来た物を捕って来た物である事が理解されて来た。
 そして、其の講習・まなびが終了してから、私は自分も食事をしようと意い、テーブルの上を視回すと、鍋や器には何も残っていないで、学生が食べ残した御飯や味噌汁が椀に少し残っているだけであり、私は其の残り物を手に取ったのだが、其処迄して食べる必要は無いと意った所で意識が目覚めた。
 そして、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時25分」であった。
其れから再び電気を消して、今朝のメッセージに付いて考えて居ると、「さぐらない・くるわない」との言葉が、一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は8時10分であった。
 其れからPCを立上げ、先ず最初に起こされた「2時22分」の数字から、今年の2月22日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 21/2/22「思考の落とし穴」https://green.ap.teacup.com/20060818/5651.html
此の文章には、料理の事が記してあるし、「思考の落とし穴」との言葉は、今朝告げられて来た「さぐらない・くるわない」との言葉と関係が有り、「思考する事をしなければ 意識が狂う・違う事は無い。」との理・ことなのではないだろうか。
其れに、次に起こされた7時25分の数字から、昨年の7月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
 20/7/25「命の根源」https://green.ap.teacup.com/20060818/5435.html
此の「命の根源」の文章には、次の様に記して有る。
「・・其れ等の生命の営みに、日本人の考え(概念)である「産土神・うぶすなかみ」「身土不二・しんどふじ」「医食同源・いしょくどうげん」等の世界が、大事・重要であるとの理・ことが認識されて来た。・・」
 此の文章からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「旬・シュン」がテーマである、男子学生の料理学習の場面は、男性(雄)にとっては、季節・旬の食材を集める・食べる事が、最も大事・重要である理・ことが示されて来ている事に成る。
 次に今朝起きた・起こされた時刻8時10分の数字から、昨年の8月10日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
 20/8/10「静か・長閑な世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/5451.html
此の「静か・長閑な世界」の文章には、次の様に記して有る。
「・・家主が来た時には、防風林の端の苔むした場所に腰を下ろして、静かに風景を眺めて居り、其の家主の男性は、其の私の様子・姿勢を離れた所で見詰めながら、感服して居る様であった。」
「・・招魂木・おがたまの老木が横たわっており、未だ枝が空に向かって枝葉を伸ばしている姿が有った。」
 此の文章の内容からすると、昨夜眠る前に瞼に映し出されて来た、原始の森の広葉樹の梢の映像は、チンパンジー(類人猿)が広葉樹林の木々を渡り歩いて、花や実を食べる事と関係が有り、此の私が子供の頃から、高い木に登って、猿が食べる山桃や椎の実など、年中、草木の果実を食べて居た事と関係が有り、チンパンジーと98%同じ私の遺伝子・DNAは、他人とは異なり、全開出来るとの理・ことが示されて来ているのであろう。
 03/5/28・・私は、椎の実、樫の実、桑の実、山桃、ほうとうの実、ササブッチョ、車輪梅の実、野イチゴ、其れと庭や畑に植えられていた普通の果物、桃、枇杷、バナナ、時計草(パッションフルーツ)、みかん類(タンカン、ポンカン、赤みかん、クロシマ、テンゴミカン、カワバタ)等、一年を通じて、何かの草木の実を食べていた。
 私は、年間を通じて、何かの果実を食べていたので、自然の中で生きて居たと言えるだろう。
私の食べた物が、私の魂の中に何らかの繋がりを有していて、私の意識に影響を与えているのであれば、私の魂しいは、人間の中でも動物に近くて、自然の力を感じ易く、又、自然が蓄えて来ている情報にも、アクセスし易い体質であるとも言える。・・・
「樹木霊」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/473.html
「自然に帰る」https://green.ap.teacup.com/20060818/4675.html
 其れを考えると、私が2006年7月3日に屋久島の東経130度30分の線上に在る「朱雀の宿」に、宿泊して居る時、大崎川に面したベランダでゆっくりと休んで居ると、目の前で若葉が茂っている夏の椎の木に、秋11月に実を澤山着ける椎の木の枝の映像が、フラッシュバックされて来た出来事の意味も、理解されて来る。
 私は此処数年間、殆ど他人とは会わずに自宅で過ごしており、毎日落ち葉の腐葉土で栽培した野菜を食べて居る。
だからこそ、青い服のサンタクロースが登場して、野菜の作り方を教えてくれるのであろう。
其れは、東洋の「サンタクロース・大国主命」の御魂は、野菜・カリウムが満ちた體・からだが好みであるとの事なのかも知れない。
「さぐらない・くるわない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5665.html

「さぐらない・くるわない」との言葉からすると、井戸水のポンプ機械は正しく「人為的・人工的」な物であるので、人為的に「意・言葉」を組み上げても、其れに因る「考え・意識」は本来の「知(神返る・かんがえる)・神意・天意」では無いと言う理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。

其れを考えると、何故古代の人々が独りで自然の山岳・河川に出掛けて、禊祓いを行ってから、社に籠っていたのかが、能く理解されて来るし「自然無為」や「無念夢想」の言葉や「神惟の道・かんながらのみち」の世界が、何を示唆しているのかも理解されて来る。

其れに「さぐらない・くるわない」の文章の内容からすると、祷りを行う為の条件としては、自然の中に出掛けて穢れの無い清水で禊祓いを行うだけではなく、其の禊祓いを行う人間の身心が、清く正しいモノでなければ成らないので、飲食の世界が最も重要であると言う理・ことにもなる。

其れが、仏教で言う所の「精進・しょうじん」であり、其れは釈迦仏陀の教訓であるので「信じられる物は唯一此の自分の躰だけである」との言葉が、何を示唆しているのかが、其の精進との一言に集約されているのであろう。

しょう‐じん〔シヤウ‐〕【精進】 の解説
[名](スル)
1 雑念を去り、仏道修行に専心すること。
2 一定の期間行いを慎み身を清めること。
3 肉食を断って菜食をすること。
4 一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること。「研究に精進する」  国語辞典より

【精進】は、仏教用語の梵: vīrya()の意訳語。撥音を無表記して「しょうじ」ともいう。漢訳仏典では毘梨耶、毘離耶()と音写して「勤」「精勤()」などとも訳す。神道では精進を「そうじ」と読んで物忌と同意に用いる。
八正道では正精進として、四正勤が挙げられている。・・・
  フリー百科事典『ウィキペディア』2021/9/22現在

此の事を考えると、明日9月23日が「彼岸の中日」である事と関係が有り、今朝のビジョン・メッセージは、正に「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」の教訓の真髄が示されて来ている事に成る。

其れに明日9月23日は、私の父方の祖父「礒邉助次郎」の74回忌でもあるが、屋久島では毎年「岳参り」の行事が各集落で行われる日でもある。

キー「 岳参り 」

2002/9/14今朝の天候は、秋晴れで雲ひとつ無く、朝の空気は、ひんやりとして気持ちがとても良い。自宅前の、安房川の川辺りから、前岳や明星岳を眺めて居ると、昔の事が思い出されて来る。
 私は、父親が健在の10代の頃は、度々山岳に登っていた。
何故、山岳に登るのが好きだったのかは、自分でも良く分からない。
多分、一人で居るのが好きで、自然の中に遊ぶ自分が、他人に邪魔されなかったからではないだろうか。
 もう直ぐ、秋の行事である「岳参り」の日が来る。
昔は1月、5月、9月と、年に三回岳参りが行われていたらしいが、ようやく秋の岳参りだけは、復活して来ている。
今年は、私も、島外からの友人も呼んで、一緒に、其の岳参りの行事に、参加しようと計画している。
 屋久島の岳参りの行事が、何時から始められたのかは分からないが、安房生れの「泊如竹翁」を、五歳で村の寺に出家させて、京都に連れ帰ったのは、屋久島の山に来て修行をしていた「行者」であると傳う事からすると、400年程前には、何らかの事が、屋久島の山岳内で行われていたのだろう。
「泊如竹」が、屋久島の屋久杉を、島民に伐る様に勧める迄は、島民は屋久杉を「御神木」として恐れ、伐る事は無かったらしい。
其れから推測しても、山岳は神の住まいであり、人間が、手を入れてはいけない事になっていたらしい。
 山岳は敬うものであって、人間が手を入れて、荒らしてはいけなかったのだ。
岳参りの行事には、其のあたりの島民の気持ちが、良く現れている。
山岳に登れるのは、屈強な男子で、女性は、山に立ち入る事は出来なかったのである。
村を代表して、山岳に登る事は、神様への挨拶であり、現在の様な、山頂に登って、山を制覇した気分になる事とは、まるっきり反対側にあるのだ。
代表で、山岳に登る男性は、朝から海に行き身を清め、青竹の筒に海砂を詰めて、山頂に祭ってある神様に、供えに行くのである。
村と、山岳の間には、御座所が在って、小さな祠に、山の神が祭られており、その祠の前にゴザが敷かれ、男共の帰りを待つ女性達は、酒と御馳走を準備している。
女性達は、山に入る事は出来ないが、村外れの小さな森迄は出掛けて、神を祭る儀式に参加するのである。
 屋久島の山岳は、村の直ぐ上に、海抜700m~1300mの高さで聳えている。永田地区だけは、一番奥の永田岳(1886m)を、直接目にする事が出来る。畑で農作業をしていても、山岳は直ぐ側に存在して、人間を見下ろしているし、海に漁に出ても、自分の村の港は何処に有るか、山岳の形を見れば、直ぐに判るのである。 
だから島の暮らしには、山岳は一番身近な物であったのだ。
島の人々が、子供を学校に出すとか、銀行や農協に借金があるとか、貯金がどれだけ貯まったか等の事に、心を使う様になって、未だ100年程しか経ってはいない。
 其れ迄は、神様は「商売繁盛」や「学力向上」等を願うものではなく、自分や家族に、病気や災いが訪れない様に、願うだけのものであった筈である。
自分が幸福に成る事を願うのではなく、自分に不幸が訪れない様に、願うものだったのである。
其の為には、自分の身心を絶えず、清めていなければならない。
幸福に成る為には、物事を増やすのではなく、余計な物事を、少なくする事を望んでいたのだ。
必要な物は必要とするが、余計な物は、取り除かなければならない。
其れが「ツミケガレ」を祓い清める事である。
 其のセレモニーの代表として、選ばれて山岳に登るのが、岳参りの男衆なのである。山岳の神に、挨拶に行ける者は、村の代表であるし、やがては「村長・むらおさ」として、村のリーダーと成って行く人である。
村の長に成れる人は、山の神と通じなければならない。
山の神とは、森羅万象に通じる神であり、自然の調和を計り、人類の幸福を見護るモノであったのだ。
 現在では、島外からの観光目的の人々が、年間何万人も、其の山岳に立ち入って行く。其れ等の人々には、山の神を敬うとの気持ちは、無いのではないだろうか。
山の神の存在を信じ、山の神を敬う気持ちがあれば、気軽には、山に登れない筈だし、タバコの吸殻や、空き缶や、ゴミを捨てたりは出来ない。
都会からの生活習慣が、屋久島を制して、もう何年が経つのだろうか。
私が生れ育った松峰地区も、自宅の直ぐ裏山は国有林で、人々の立ち入りは禁じられ、大きな木が繁っていた。
 其れが伐られて、杉の植林が成されたのは、私が小学校の頃であった。
伐られた木は、枯れてから一勢に火が点けられ、山一面が立ち上る炎で被われ、100メートル程離れていても、顔面が焼けそうで、青い木の枝を折って、顔を覆った記憶が有る。
其れから毎年、山は伐られて行き、その木は、自宅前の道路を、馬車が港まで運んで行く様になった。
 屋久島の里山が、パルプ材として伐られ始めたのは、私が小学校の頃だから、今から40年程前と言う事になる。
それよりも前に、屋久杉の伐採は行われていた様である。
私が、中学校に通っていた時は、通学路をトロッコの線路が横切っており、何台も続いて、屋久杉を積んだトロッコが通る時は、踏切で通り過ぎるのを、待っていなければならなかった。
一番先頭のトロッコには、赤い旗が立てられて危険を知らせ、一番後のトロッコには白い旗が立てられ、もう安全な事を示していたので、白い旗が通り過ぎたら線路を渡っていた。
 私が中学生の頃、山に登って遊んでいると、チェンソーの音や、大きな屋久杉が倒れる轟音が、山々に響き渡っていた。屋久杉が、切り倒される音がする度毎に、山の神の気配が、薄らいで行ったのではないだろうか。
私の子供の頃は、春と秋の二回、山がゴーッと音を立て、その山鳴りの音で、冬が来る、夏が来ると、感じていたものである。
 秋の山鳴りを聞くのは、澱粉にする為の「さつま芋」を収穫する季節だから、10月頃であろう。
畑に、掘った芋を所々に集め、根をむしり取りながら、虫食いや病気の芋や、小さい物を選り分けて竹ザルに入れて、四杯程ずつ麻袋に入れる。
翌日出荷する、割り当ての袋数に達すると作業を止めて、50kg用の竿秤で目方を計って、葛の蔓で口を縛って、車が通る道まで運び出していた。
 薩摩芋の山に向い、ヤニで真黒く成った手で、芋をちぎって居ると、いきなりゴーッと音がする。現在では、ジェット機が飛んだりするので、上空でする大きな音には慣れているだろうが、当時は頭の上でする音とは、カラスかトンビの声だったし、雷の音は、雷だと直ぐ区別が着く。
其の頃は、ゴーッと鳴る音は少なかったのである。
 手を休めて、音のする方を見ると、其れは、屋久島の山々が鳴り響いている音であった。そして、其の音は、ゴオーゴオー鳴り続けるのではなく、ゴーッと山全体が鳴る感じで、一回の鳴動で終るのである。
 其の、山鳴りの音が聞えた頃から、高い山に雪が降り始め、山から冷たい乾いた風が吹き降りて来て、母親の手に、アカギレが出来始める。
母親の作業が終るのを、ジーと待つ妹達は、鼻水を垂らし始めていた。
 春に植えられ、夏に繁って根を肥らせた芋畑が収穫され、土面だけに成った畑は、鳥が、残り物の芋を探し出して食べて、其の後には、麦の種子が蒔かれて行く。
夏の芋畑と、冬の麦畑の境目に、山鳴りがあった様に思える。
其の山鳴りも、現在は聞いたと言う人は居ない。
何時頃から、山鳴りがしなく成ったのだろうか。
 屋久杉の伐採が進む程に、音は消えて行ったのだろうか。
山岳自体が、振動して音を出すだけのエネルギーを失ったのか。
其れとも、屋久杉が、音を出す切掛けを、山に与えていたのだろうか。
其れ等の事は、私には分からない。
私には、唯 思い出が残っているだけである。
 もう一つ思い出したのは、トロッコの終着駅である安房港の、屋久杉貯木場の裏山に生えていた大松が、一本赤く枯れ上がったのは、私が中学二年生の時である。
最初の年は、其の一本だけが枯れたのだが、次の年には、貯木場の裏山に続く、中学校の裏山の大松が何本も枯れ、中学校から3km程山手に有る、私の家の裏山の大松も枯れてしまった。
其の年には、安房川の川辺の砂浜と、民家の間に生えていた大松も枯れ始めて、其れこそ「白砂青松」の言葉通りの風景は、消えて行く事に成ったのである。
 其れから、尾之間の防風林の大松も、何本も枯れ始め、美しかった永田海岸の松も全滅となった。松枯れは、原因が酸性雨の所為とか、松葉掻きをしなくなったので、土が肥えた為だとか、色々言われているが、私は、やはり松食い虫が原因だと想う。
 私が、中学生の頃は、パルプも馬車で運んでいたくらいだから、道路も整備されていないし、自家用車等は無かったので、車の排気ガスが原因だとはとても思えない。工場も一つも無いのだから、化学物質に因る原因は考えられないのである。
ハッキリした原因は、貯木場の松が一本だけ、最初に枯れた事にある。
其の、最初の一本が枯れた原因は何なのか。
それは、貯木場に入港する木材船が、松食い虫を運んで来た事を現している。
松食い虫が、数匹遣って来たのか、受精した雌が、一匹来て子供を産んだのかは分からないが、屋久島の松枯れは、其の一本の松から広がった事は、間違いない。
 屋久島の風景から、大松の在る景色が消えて20~30年に成るが、400年程前迄は、里から見える山々には、大きな屋久杉が生えていたのが、眺められていた事だろう。と言うのは、海抜400~500mの地点にも、昔切り倒された屋久杉の根株が、残っているからである。
 私が、山に遊びに行っていた頃は、安房の水源地に成っている安房川の支流にも、樹齢500年程の杉が残っていたし、里に近い山の頂上付近には、寸詰まりで、木材としては役に立たないので残され、生き続けている杉の木も有る。
屋久島は、数百年で随分と景色が変化したのだろう。
安房、磯辺、田代、楠川、宮之浦の砂浜は、島内にコンクリートの施設が増えるのと並行して、消えていった。
「文明」と言う名の、人間社会の活動が拡大されると共に、自然は、其の姿が壊され続けて来たのである。
私も37歳迄は、其の延長線上の真只中に在った。
 其れが、37歳の時に出会った無庵師匠に、「自適さんは これ程 自然を破壊していて よく神様の怒りに触れて 殺されなかったね」と云われ、数ヶ月で環境に悪い事は一切止めてしまった。
何を止めたかと言うと
・木を 伐る事
・山を崩し 谷を埋めたりする事
・農薬や 環境に悪い洗剤等を 使う事
・ 酒や 煙草を吸って 体を痛める事
・化粧品店を 止める事
・魚釣りで撒き餌をして 海の藻を枯らす事
其れ等の事を全部止めて、唯自然の中に身を置いて、身体と意識の浄化に取り組んだのである。其れは、修行を始めたと言うよりは、一切の行為を止めて、自分の行為を全くの「0・ゼロ」の状態にしたと、説明した方が良いだろう。
其れは、昔の言葉で言えば「禊ぎ祓い」と言えるのだろう。
私は、其の禊を丸三ヶ月間続けて、精霊に満たされ、山中に導かれて行った。
 荒野での修行が11月迄続いて、11月半ばには屋久島を出て、日本一周の旅が始まったのである。其れから、17年以上が過ぎ去って、自分と、山岳の関係が何だったのか、思い出の中で探っている。
私が、3月5日からマクロビオティックの生活を始めて、11月迄8ヶ月間掛かった事を、一日で行なってしまおうと言うのが、岳参りの行事ではないだろうか。
 旧約聖書の元になった人物「モーゼ」も、岩山に40日間参籠して神と出会い、人々に伝えた事は「せめて 7日間に1日だけでも 仕事等の一切の行為を休んで 神と共に在りなさい」との理・ことである。
其のモーゼの言葉に従って「安息日」が定められ、一週間に1日の休日が決められて、現在も日曜日として、其の事が続けられているのである。
 日本では、日曜日の習慣が導入される前から、春と秋の彼岸が定められ、中日には、一切の仕事をしてはならないと決められていた。
年二回の彼岸とは、冬季の正月行事と、夏季のお盆との中間に位置している。
合計、年四回の行事は、仕事を休んで、自分の先祖の霊を供養したり、自然の働の内に在る「神佛」とのコミュニケーションを、図ったりする事が、目的とされていたのであろう。
 其の事の本来の意味は、三次元の現象界に住む我々人間は、1日だけでも日常生活から離れて、非日常の世界に意識をセットする事ではないだろうか。
インドの釈迦牟尼仏は、其の事の必要性を、改めて人々に説いたのではないだろうか。其れは、人間の生活の為に、動物を殺したり木を切ったり、川を汚したりする事から、意識を転じさせようとする為であろう。
 現在では、一週間に1日休む事が決められたその日まで、ゴルフをしたり酒を飲んだりして騒いでいる。
私はもう、休みを18年間続けて来た。
神の世界に触れて、9月4日で6666日目が過ぎて、未だ、休みは続いている。
 私は、其の休息を18年続けて来た事になる。
其の間に、新しい知識が、又頭一杯に詰め込まれてしまった。
再び、禊をしなければならないのかも知れないが、今度は、18年前までの其れとは、全く違っている。
全てを休んだ事から、全てを始める事に、転じるのかも知れない。
今度は、木を伐ったり、川や海を汚したり、動物を殺したりする事ではなく、其れと反対の事である。
木を植え、川を美しくし、自然の生物の復活を図る。
其れが、是からの、私の残りの人生なのかと想う。
 子供の頃より、自然の中で暮らして来た私の脳裏には、50年前の、屋久島の情景が残っている。其れを復活するには、日本列島には有り難い事に、未だ、それだけの力が残っていると想われる。
幸い、此の日本は、世界に誇れる自然環境に恵まれている。
此の日本の自然の中で、其れが成功しなければ、他の国の何処で、成功させられようか。
日本の中でも、特に屋久島は、其の事の最適地と言う事が出来よう。
私が、其の事に取り組むのは、神の至上命令の様な気がする。
 私の実家は、横に川が流れ、大きな杉の木が一本立っている。
私は、其の木に拠って、一つの方向性を掴む事が出来たのである。
自分の心を支えてくれる一本の大樹、その存在は、揺れ動く人間の心にとって、一番必要なものである。
私の思い出の中には、多くの大樹が生き続けている。
残り少なくなった大樹を守り、神霊の存在を信じ、新しき人々の暮らしを創造して行く。
其れ等の事が、是からの私の生きる方向性である。
屋久島の大自然に感謝して、この項を終りたい。
「禊がれる」https://moon.ap.teacup.com/20061108/194.html

此の文章を読み返して居ると、私の意識・脳細胞は、言葉が其の儘昔の状況・情景に変換され、映像が映し出されて来て、私の意識・こころは屋久島に帰ってしまった。
其れは言葉だけではなく、文字が存在するからである。

其れを考えると、釈迦やイエスが生きた時代・社会には文字が無く、釈迦の「方便」イエスの「例え話」が口傳の為に、的外れに成ってしまい、解釈の違いで戦争の原因とも成ってしまっている。

其の事を考えると、中国の老子は老齢に成ってから自分の考えを「道」と「徳」に分けて「5000字」に纏めて残しているので、老子だけが「カルマ・業」が残っていない。

其の事が、「御祖神・みおやかみ」にとっては都合が良いので、昭和19年6月10日(時の記念日)に「岡本天命」に始まった「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」に「老子だけを中に祭り 他の神は外に祭れ」と出ているのであろう。

                      みいつ15年9月22日

                             礒邉自適

涅槃・ねはん


        クリックすると元のサイズで表示します


    涅槃・ねはん
                           3・9・21

今朝は、私が普段の農作業を行って居る様子が映し出されて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は未だ「1時29分」であり、其の数字は私の誕生日である。

其れから再び眠ると、今度は「エイ・バトイデア(英語)・鍋蓋(なべぶた・ウチワザメ)」の生体研究を行っている、若い男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、エイが一匹入っているビニール袋をうっかりして床に落とすと、袋が破け其のエイが死んでしまった。
其れから、エイの取り扱いには細心の注意が必要である理・ことが示されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時3分」であったので、其の数字は「憲法記念日」であるが、私の息子「嵩靖・しゅうせい」の誕生日である事を思った。

今朝は目覚めてから、自然に、何となく、釈迦仏陀の涅槃像の様な形・姿をして、瞑想を始めた。

其れから「6時47分・7時23分前」に起きて、PCを立ち上げると、「貴方には 毎日新しい朝が」との女神の言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げて其れを打つと、続きの言葉が告げられて来た。

「貴方には 毎日新しい朝が」

貴方には 毎日新しい朝が訪れます

ですから 過ぎ去った事に 
意識を向ける必要は ありませんよ

貴方の役割は 未来創造に有るので
過去の事 他人の事を 考える事は
トキの流れに 逆らう事に成ってしまうのです

此処から 先の事を 考える事は 
他の人には できないのです

何故なら 森羅万象の流転と 
共に在るのは 貴方だけであり
其れが 統尊の御稜威なのですから
「貴方には 毎日新しい朝が」https://moon.ap.teacup.com/20060103/992.html

今朝起こされた時刻の数字「1時29分」と「5時3分」は、私の誕生日と息子の誕生日である。
其れで「1月29日」と「5月3日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/1/29本日1月29日は、私の満74歳の誕生日である。
今朝のビジョンは、先ず、日本猫である「三毛猫」が多数、左側から右方向に向かって、澤山立ち並んでいる3~4段の鉄棒の間(ジャングルジム?)をジャンプしながら渡って行く場面・様子が映し出されて来て、其の数が「120」である事が示されて来た。
 次に、相撲の土俵に有る「四本柱」の様に、大きな白金の四本足の火箸が立っている場面が映し出されて来て、其の火箸の足は、カメラの三脚の様に、三本継ぎに成っている事が判った。
 次に、白い大きな繭(まゆ)が一個置かれている場面が映し出されて来て、其の繭の中には私の体(蛹)が入っているとの事が示されて来て、私は一度繭の中に籠って、羽化・飛翔する時期を待たなければ成らない理・ことが示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時58分・8時2分前」であった。
其の8時2分前の数字は、昨日の文章に追記した日付「8月2日・3日」であるので、PCを立上げて昨年の8月2日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
 20/8/2「万物の母の愛の下で」https://green.ap.teacup.com/20060818/5443.html
此の文章の内容からすると、此の私は本日満74歳にして一度繭の中で巣籠りをして、次の脱皮・羽化を待たなければ成らないとの事であり、人間社会の様子・次元が変化を始めるには、暫く時間(年月日)が必要である理・ことが、示されて来ているのであろう。
 其れを考えると、土俵の櫓(やぐら)の四本柱の様な「大火箸」が映し出されて来たのは、四本柱の中に在る丸い土俵は、人間社会の舞台・踊り場を示唆しており、其の櫓の柱が火箸であった事は、人間の「カルマ・業火」を示唆しており、天神が燃えている炭火(木炭)を選り分けるとの理・ことが、示されて来ている事に成る様である。
 其れは、釈迦仏教の「法華経」の中に有る「三車火宅(さんしゃかたく)」の教訓と通じている事に成り、上記した「万物の母の愛の下で」の文章の内容と符合している事に成る。
 キー「釈迦 三車火宅」
19/3/2「人間の性(さが)」https://green.ap.teacup.com/20060818/4916.html
此の文章には、「・・今朝は、其れ等の事を長らく考えて居て、起きて時計を見ると、8時2分であり其れは私の両親が屋久島に渡る為に、鹿児島港で夜船に乗り込んだ日付である。(いま此処で 私の右手の薬指にカモ(神の電気信号)が起きた)9時47分(947・くしな・櫛名)・・・」と、書いて有り、今朝起こされた「8時2分前」の数字と符合しているので、矢張り今朝のメッセージは「人間のカルマ・業火」に付いて能く考えろとの事が、示されて来ている事は顕かである。
 其の事と、初めに映し出されて来た「三毛猫の渡り」に、どの様な関係が有るのだろうか。・・
此の説明からすると、三毛猫は日本の猫であり、殆どが雌であるとの事は、日本の女性を示唆しており、其れが、左側から右方向にジャングルジムを飛び越えて・駆け抜けて行く様子は、日本人女性の本質が「左側・四次元世界・精神界」から「右側・三次元世界・現実界」に駆け抜ける・飛び抜ける能力を有しているとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
 其の様に考えると、其の数が「120」であると言うのは、人間の寿命が「12支×10還=120歳(全還暦)」である事と関係が有り、日本人女性が長寿である理・ことを示唆しており、其の理由が「和食」の傳統に有るとの理・ことなのかも知れない。
 其れを考えると、地球環境の保全を考える事は、即、人間の長寿に繋がると言う事であり、日本・瑞穂の国の伝統文化を今一度見直して、人類全体が地球に負担・付加を与えないライフスタイルを、此の日本から世界に広げなければ成らないと言う事であり、現在大問題に成っている新型コロナウイルス感染にも、効果を発揮するとの事なのではないだろうか。
 其の新型コロナウイルスは、中国の動物食の傳統から発生しているとの事であるが、欧州で最初にペストの大感染が生じたのは1347年であり、其の時も中国からの貿易船が欧州に持ち込んだ物であるとの事で、其れは中国での人骨発掘調査で顕にされているとの事である。
其れ等の情報は、現在世界中で共通意識と成って来ており、現在の電子通信システムの存在は、良い意味での文化・文明の発展と成っているのである。
 其れを考えると、私が此処まで打ち続けて来た「文章・情報」も、何れ世界全体で共通意識と成る日が来るのかも知れない。
其れを考えると、私は其の時節まで「巣籠・冬眠」をするのも、良い手立てと成るのではないだろうか。
「カルマ・業の処理」https://green.ap.teacup.com/20060818/5627.html

此の文章には、昨年の8月2日の「万物の母の愛の下で」が貼り付けられているので、今朝のメッセージも「万物の母神」が関わりを持って来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝起こされた時刻が父子の誕生日である事は、「ひと・霊宿」の誕生日は「万物の母神」の意思に関係がある事が考えられる。

2021/5/3本日5月3日は、「憲法記念日」であり、私の息子「嵩靖・しゅうせい」の33歳の誕生日である。
其れに、私の母方の祖母「加藤キイ・明治29年(1896)1月10日生」が、1999年(H11)5月3日に103歳4ヵ月で亡くなった日でもある。
 今朝のビジョンは、先ず私が、中村家と言う名の大きな農場に世話に成って居る様子が映し出されて来て、収穫された大きな薩摩芋が、石置き場の様に山積みに成っている物を、貯蔵施設の方に運ぶ作業を手伝い始めたのだが、直ぐに体力不足で中断する場面が映し出されて来た。
 次に、私が屋久島の磯辺と呼ばれている海岸付近に居る設定で、矢本嶽の麓に在る実家に居る弟「農夫成・のぶなり(1979年11月26日に29歳で死亡)」に、迎えに来て貰おうと意い、携帯電話で連絡を入れ様とするのだが、自分が今何処に居るのかを説明出来ない場面・様子が映し出されて来た。
 次に、私が印刷機で大量の文章を印刷して居る場面が映し出されて来て、其の文章に目を通した人物から、赤線が引かれている物が、一枚送られて来て、其の頁を訂正してから全て刷り直さなければ成らない様子が、映し出されて来た。
 其処で「隠居・いんきょ」との言葉が一言告げられて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時44分」であった。
私は其の数字を「444・ししし・死死死」と記憶して再び眠る事にした。
 すると今度は、未来世界の方から「あやまりなさい」との言葉が、一言告げられて来る聲が聴こえて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時10分」であった。
 其れから再び眠ろうと意ったのだが、意識が目覚めてしまったので、起きて時計を見ると、時刻は5時25分であり、其れからPCを立上げ、文章を打ち始めた。
 いま朝日が射して来たので時刻を確認すると、6時11分である。
今朝のメッセージは、私が隠居しなければ成らない事が示されて来ており、此の儘文章を打ち続けて行けば、此の先、他人に謝罪を求められる事案が起きるとの事の様である。
 そして其の要因として、3つの場面が映し出されて来ている様である。
最初の、薩摩芋の運搬作業を中断する場面は、74歳と成って居る私は、現場作業を続ける体力が既に無い。
 次の、彼の世に居る弟に電話を掛けて迎えに来て貰おうとする場面と、自分の居る場所を確認できない様子は、私の人生も、彼の世に帰る時節が近付いて来ているので、自分の立ち位置を自覚して措かなければ成らないとの事。
 最後の、私が印刷をしている文章に赤線が引いて有り、其の文章を訂正してから印刷仕直さなければ成らない場面・様子は、私が是以上自分自身で文章・書き物を発行する事は、止めなければ成らない。
そして、其れを止めなければ、将来「謝罪」をしなければ成らない状態が発生する事に成るとの理・こと。
 其れに「隠居」との言葉が告げられて来たのは、本日5月3日が建国記念日であり、私の息子「嵩靖・しゅうせい」の名前が「高き所に立ち 国を靖らかにする」との意味合いなので、其の名前を携えて産まれて来た息子に後の事は委ねて、私は肩の荷を下して良いとの事なのであろう。
 其れは、昨日の文章に記した、私に2001年5月3に「地球憲法を引き受けてくれるか」との神のメッセージが有った事が関係があり、又私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、白山権現菊理姫の本体である「白龍」が私の身体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と告げて来た重責も、74歳で解除されるとの事なのかも知れない。
「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
其れに、朝日が差し込んで来た時刻が「6時11分」であったのは、私に「紀(とき)のまつりを行なえ」「みいつ建国 6月11日」と告げられて来ていた事が、皇紀2666年6月11日(旧暦5月16日)から、無事に始まっていたとの事が示されて来ているのであろう。
 其れを考えると、今朝「4時44分」に起こされた事は、「333」の数字で動いて来た神(はたらき)が、始末を終えたとの事なのかも知れない。
 其れに、未来世界の方から「あやまりなさい」との聲が聴こえて来た時刻が「5時10分であったのは、私が太陽から「写真を撮れ」と告げられて来て、杖を突いた写真を奥野氏に大徳寺で撮って貰った事と関係が有り、私の意識行動には、太陽神である、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が付いているとの事であり、私が1984年11月22日の朝、磯部町の寺で神懸かりと成っている車椅子の爺さんに告げられた「九回目の最後のトンネル潜り」に付いては、何とか形を整える事が出来たと言う事なのかも知れない。
 97/5/10私は、1996年の10月から一年間、当時京都府大宮通りに事務所が有った「どれみ村」に世話に成っていた。
そして、1997年の5月10日に「写真を撮れ」との言葉が告げられて来たので、何かと想っていると、朝から急激に気温が上昇して来て、皆が「此れは何だろう」と云いながら、上着を脱ぎ始めた。
私は、此れはただ事ではないと意い、箪笥に収納していた白いインド綿の服を出して着て、杖を突いて、近くの大徳寺に奥野氏と出掛け、奥野氏に撮影をして貰ったのが、私が杖を突いて歩いている写真である。
「写真を撮れ」https://moon.ap.teacup.com/199966/109.html
『其れは そうですが 未だ 何も解決してはいないのですよ。
ですから 貴方自身には 死は無く 永遠の御魂として
未来永劫 現在の意識を 保ち続けなければ
成らないと言う理・ことであり 其れがなければ
天津日嗣を継続する事には 成らないのです。
ですから 貴方の脳細胞の働きには 関係無く
なお一層強い意識・きもちを堅持し続けなければ成らないのです。
其れこそが 此の神世界の大道なのです。
良いですか 貴方の意識には 
死の概念が 有っては成らないのです。
其れが「永遠の命」であり「久遠実成」の世界なのです。』7時7分
 此の、いま告げられて来た言葉からすると、1984年11月22日の未明にビジョンに現れて来た、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在は、男女の区別が無い神(はたらき)なのかも知れない。
 08/6/3「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
改めて、此の文章に目を通すと、私の意識も随分と弛緩(シカン)して来ている様な気がする。
其れを考えると、今朝の3つのビジョンは、明確に自覚して措かなければ成らないが、気持ち・ハート・心臓だけは、強さを失っては成らないと言う事に成り、其の事・世界を考えると、先日のミイラが残して行った「赤く硬い心臓」が何を意味していたのかが、漸く理解出来そうである。
「隠居」https://green.ap.teacup.com/20060818/5722.html

此の「隠居」との言葉からすると、私も釈迦の涅槃像の様に、縁側で日向ぼっこをしながら、瞑想状態に入って居れば良いとの事なのかも知れない。

キー「日本国憲法 1月29日 5月3日」

2007/05/03本日5月3日は、「憲法記念日」だが、私の息子「嵩靖」の誕生日でもある。
今朝のメッセージは、其の両方に関係が有りそうだ。
 現在・いまの日本国憲法は、昭和22年(1947)5月3日発布されているので、私は22年1月29日生まれなので、私と同じ60年である。
そして、私の息子は平成元年生まれなので、今日で満18歳を向かえた事に成る。
 息子は18年前今日、福岡県の遠賀川の側に有る助産院で、朝方生まれ「嵩靖・しゅうせい(高き所に立ち 国を安らかにする の意味)」との名前を持って来た。・・
日本の国造りの始まりは、出雲の「大国主命」であるが、大国主命は「縁結び」の神ともされている。
今朝のメッセージは、新しき国造りの原理と、結びの意味を、大国主命が伝えて来たものかも知れない。
「時節因縁・一大事因縁」https://green.ap.teacup.com/20060818/274.html

2019/2/14今朝のメッセージの映像は、私の意識が、若い政治家が集まる会合に参加して居る場面が映し出されて来た。
其処に集まっている人々は、30歳代を中心とする30人程の男性ばかりであり、代表は40歳位で、私と二人だけで話したいと謂うので、自宅を訪れると、平均的な暮らしの家であり、奥さんと10代の娘が一人居る事が判った。
 次の映像は、若い三人の男性が私の自宅に泊まり込む場面が映し出されて来て、私は家の中を掃除して布団を出してやる場面が映し出されて来た。
其れから、闇の中に、カレンダーの日付が右上から左下に向けて斜めに並んでいる場面が映し出されて来て、其れは地球の地軸の傾きと同じ角度である事が理解されて来た。
 私は其のカレンダーの存在から、政治も時節と関連している事を理解していた。其れは、私が昨夜、入浴して居ると、自分の人生が暦・カレンダーでコントロールされているとの理・ことを想った事と、関係が有るのかも知れない。
 其の暦の年月日と、私の人生の関係は次の様な物事である。
*1月29日 私に誕生日
・現在の2月11日の建国記念日・紀元節は、新暦に代わる時1月29日であった。(1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。)
*6月4日 私の母親の誕生日
・私が此の世界に飛び込んだ時1984年6月4日が、母親の64歳の誕生日。
*其れに、私の死んだ弟「農夫成・のぶなり」は4月3日が誕生日で、神武天皇の大祭日が4月3日。
*私の長男「海生・かいせい」の誕生日は4月13日で、其れは「虚空蔵菩薩」の大祭日である。
次男「嵩靖・しゅうせい」の誕生日は5月3日で「憲法記念日」である。
*日本国憲法は1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
其の11月3日は「明治天皇の誕生記念日」であったのが、占領軍に禁止され「文化の日」と改名された。・・・
「政治も時節と関連している」https://green.ap.teacup.com/20060818/4900.html
 
次に、今朝示されて来た「エイ」を調べると、次の様に載っている。

エイ(鱏、鱝、鰩、海鷂魚、英: Batoidea・バトイデア)は板鰓亜綱に属する軟骨魚類のうち、鰓裂が体の下面に開くものの総称。
鰓裂が側面に開くサメとは区別される。約530種が知られている。世界中の海洋の暖海域から極域まで広く分布し、一部は淡水にも適応している。一般的に上下に扁平な体型で、細長い尾、5-6対の鰓を持ち、多くは卵胎生である。尾の棘に毒を持つ種類もいる。サメの一部の系統から底生生活に適応して進化した系統のひとつと考えられているが、トビエイのように二次的に遊泳生活に戻ったものもある。
特徴(編集)
多くのエイは、ごく平らな体をしていて長く伸びた鞭状の尾を持つ。そのため、同じ軟骨魚類のサメ類とは全く異なった見かけをしている。しかし、一部には厚みのある体幹部が細長いものもあり、そのようなものではサメに似たようにも見える。サカタザメのようにサメという名を持つものもある。はっきりとした区別点は、サメでは頭部後方側面に開く鰓裂が、エイでは腹面に開くことである。両眼の後ろに水の取り込み口が開く。
 一般的なエイは頭部から胴部と胸びれが一体になって全体が扁平になり、大きく水平に広がった胸びれの縁の薄い部分を波打たせて遊泳する。肛門はその後端に開き、腹びれ、尻びれはその近くにまとまる。それ以降の尾部は急に細くなり、後端は細長くなって終わり、尾びれはないものも多い。背びれが退化するものも多く、アカエイなどではこれが毒針に変化している。 多くのエイで体の外周付近は体盤(たいばん)にあたり、エイの大きさを表す用語として、縦の長さ(吻端から胸鰭の末端までの長さ)は「体盤長(たいばんちょう)」、横幅(両胸鰭間の最大幅)は「体盤幅(たいばんふく)」で表される。
 ノコギリエイでは体は厚みがあって細長い。ガンギエイなどはエイらしい姿ではあるが、尾びれははっきりとしている。
多くはおとなしく、砂底の貝などを食べる。底性の種は砂に潜ることができるものも多い。
他の利用
エイの鏃
エイの皮革は、日本刀の柄や革製品に利用される。珍しいところでは、エイの棘を矢につける鏃にしたものが縄文時代や古墳時代の遺跡から見つかっている。
淡水産のものは淡水エイと呼ばれ、熱帯魚として観賞される。その姿から、海産種は水族館において人気者である。 ・・・
   フリー百科事典『ウィキペディア』2021/9/現在

此の説明には、エイとは「板鰓亜綱に属する軟骨魚類のうち、鰓裂が体の下面に開くものの総称。」と有る。
何故「えら」が「鰓・魚+思」なのであろうか。
えら【×鰓/×腮/×顋】 の解説
1 水中にすむ動物の呼吸器官。魚類のものは、ふつう櫛 (くし) の歯のような鰓弁 (さいべん) に毛細血管が分布し、これに触れる水から酸素をとり、二酸化炭素を出す。
2 人のあごの骨の左右に角をなす部分。えらぼね。「―の張った顔」

此の説明からすると、今朝のビジョンでエイが入ったビニール袋が床に落ちて破れ、中のエイが死んでしまった場面は、動物の酸素呼吸に関係が有り、人類は肺呼吸をしているが、皮膚でも呼吸をしている事と関係が有るのかも知れない。

其れを考えると、水に依る禊祓いの儀式・作法と関係が有り、一昨日の文章に記した「身の毛がよだつ」「鳥肌が立つ」等の事・世界を、深く考えなければ成らないのではないだろうか。

其れは、人間の大脳は、指先の指紋と同じ様に、皮膚の一部が変化した物であり、後から頭蓋骨が脳を覆って、内側に閉じ込められた物である事と関係が有り、「皮膚感覚・触覚」を敏感に鍛えあげなければ、覚醒・成佛は難しいと言う理・ことなのかもしれない。

其れに、エイが餌を獲得する手法は、電気センサーで砂の中に隠れている生き物を探し出すとの事が有るので、高圧の生体電気が必要である理・ことも示されて来ているのかも知れない。

キー「 彼岸 春分 秋分 」

彼岸(ひがん)とは、日本の雑節の一つで、春分・秋分を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ[1]。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。
俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
語源
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する[2]。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。
由来
浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきた。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されている。五来重は彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉の「日の願い」が、「日願(ひがん)」として、仏教語の「彼岸」と後から結びついたものであるとする[3]。民間習俗と彼岸の名称とその時期とが結合して、仏教行事になり、歳時習俗として生活の中に大きな存在となった、と指摘する[4]。
歴史
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」と怨念を鎮めるためであった。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった[5]。
風習 供物
日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが今は一般的である。各地で手作りされていた時は様々なぼた餅やおはぎがあった[6]。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる[7]。
時節 気候
日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという。
   フリー百科事典『ウィキペディア』2021/9/21現在

此の説明には、次の様に有る。
・彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはない。
・日本古来の土俗的な太陽信仰や祖霊信仰が起源だろうと推定されている。
・彼岸という言葉は、豊作を太陽に祈願する太陽信仰の言葉の「日の願い」が、「日願(ひがん)」として、仏教語の「彼岸」と後から結びついたものであるとする。

此の説明からすると、アステカ文化の「炎のリング」の太陽神の世界が、最も要点を捉えている事に成りそうである。

其れは、釈迦佛陀が「彼岸に渡った・覚醒・成仏」の日は「12月8日 冬期」であり、私が「覚醒・成仏」した日は「6月4日・旧暦5月5日」なので、「春分・夏至・秋分・冬至」の太陽の位置・地球の公転とは、何ら関係が無いからである。

これ等の事柄を考えると、確かに、過去の人達が考えた事(行事・風習)に束縛されていると、何時まで経っても縁側で昼寝・涅槃ができる事には成らない様である。

                      みいつ15年9月21日

                             礒邉自適

万物の母神と御祖神の関係

クリックすると元のサイズで表示します


     万物の母神と御祖神の関係

                           3・9・20

今朝のビジョンは、先ず、10代の子供を二人育てている40歳位の男性の存在が映し出されて来た。

其の男性は、ある程度の庭を有しており、其の庭は日当たりが良い様に、過密しない程度の花木が植えられている事が判った。
そして、庭の中央に水桶(タンク)が置いて有り、其の水を使用して自動的に、地面の水分調整が行われている事が判った。

次に、其の男性が私を何処かに案内して行くと、丸顔の中年女性が一人居て、私の目の前に立った。
其の女性は、女性の姿をしているが、鼻毛が伸びて来ているので、中性を意味し、私は其の髭が有る女性の様子から、以前に見た事がある髭が生えている「佛・阿弥陀如来」の絵の存在を、思い出していた。

次に、私を案内した男性には十数人の仲間が居る事が判り、其の人達は私の横を通り過ぎて、後方に待っている何かの乗り物に向かって居る事がわかった。

其れに、私は上向きで寝て居り、其の人達は私の足元の方から頭の方に通り過ぎて行くので、私は「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」に寝て居る事が判ったので、私の存在・世界を通して、人々が「佛・如来・神」の世界に進む・入る事が出来るのだと意った。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時8分」であった。

其れから再び横に成って、其のビジョンに付いて考え始め、「万物の母神」は人間の肉体を含め、宇宙の全ての物の存在及び管理者である理・ことを考えた。

そして、其の物から生じた情報の集積体が「久遠実成・くおんじっじょう」から存在する男性神(はたらき)である「御祖神・みおやかみ」であり、イエスキリストが謂う「天の父・ファザー」であるのだと考えた。

そして、其の「万物の母神」と「御祖神・みおやかみ、天の父・ファザー」の中間に存在する神(はたらき)が「阿弥陀如来」と名付けられている中性の神体なのではないかと考え始めた。

其処で起きてPCを立ち上げると、時刻は5時11分であった。

そして4時8分の数字から、4月8日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/4/8昨夜は床に付いて目を閉じて居ると、瞼に、薄暗い世界に白い「ネギ坊主」が彼方此方に出来始めているネギ畑が、何処までも広がっている場面が映し出されて来た。
 次に、昼間の明るい世界に、バナナの実の収穫が終わった木・茎が根本から切り倒されて、其の根本の四方に四本の苗・子が、元気に伸び始めている場面・様子が映し出されて来た。
 次に、生命の「陰陽・雌雄・男女」の性質を表現する複雑な絵画が、一枚立てられている場面が映し出されて来て、其の絵画が左側に外されると、其の後ろ・影には、もう一枚同じ大きさの絵画が立てられている事が判った。
其の二枚の絵画は、テーマは同じ物なのだが、手前の絵画は「男性・雄・陽」が表の右側に大きく強調されており、後ろ側のもう一枚の絵画は、反対に「女性・雌・陰」の世界が表に強調され、男性・雄の世界は左上に張り出した形に成っていた。
 次に、其の絵画が置かれている室内・空間全体が明るく成って来ると、其の絵画が立てられている右側のやや後ろに、龍神の様な雰囲気の顔をした大きな身体の四姉妹の女神が横に並んで立って居る姿が映し出されて来て、其の四体の女神の顔は、普段はとても怖いモノである事は顕かなのだが、私の是までの功績と謂うか努力を認める為に、揃って私に微笑みかけていた。
 そして、其の四体の女神・龍神が右側に立ち去って行った後に、室内・空間全体が明るく成って来ると、其の室内・空間には、若い人間の姿が無数に存在し、起き上がって来る様子・場面が映し出されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時45分・6時15分前」であった。
そして、再び横に成ったのだが、今朝のビジョンの意味が理解出来ないので、起きてPCを立上げ6時15分前の数字から、昨年の6月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 20/6/15「万物を見通す目」https://green.ap.teacup.com/20060818/5395.html
此の「万物を見通す目」文章を読んで、今朝のメッセージは、私の「意識・目線・視覚・物事を見る力」に関係が有る事が判ったので、再び眠った。
そして、起きた・起こされた時刻は6時30分で有る。
其れで、昨年の6月30日の文章を視て見ると、次の様に記してある。
 20/6/30「成長した魂しい」https://green.ap.teacup.com/20060818/5410.html
此の文章には、「・・其れは、私が地上に咲いている草花を愛でる様に、人々を視ている立場であり、其れは人々の様に観音様を見上げるのではなく、自分が観音様の目線で人々を見守っている立場なのである。・・・」と、記して有るので、6時15分前に起こされた文章の題名「万物を見通す目」と関連している。
 其れに「成長した魂しい」との言葉から考えると、今朝のビジョンに登場した四体の女神(龍神)が、横に並んで私に笑みを贈って来た場面は、私が自分の役割・役目を無事に果たした事を、示唆しているのかも知れない。
 其れを考えると、昨夜眠りに落ちる前に映し出されて来た、バナナの実を収穫した木・茎を切り倒した根株から、四本の苗・子が四方に伸び上がってくる様子が写し出されて来た場面が関係が有り、是までの次元・事象の果実・結果の収穫が終了し、次世代の「龍神・女神」が誕生するとの事なのかも知れない。
 そして、今朝のビジョンで四体の雌龍神が右の方に立ち去った後に、室内・空間が明るく成って来ると、若い人間の姿が無数に存在し、起き上がって来る様子・場面が映し出されて来たのは、既に、次の御世を創造する役割の人間・若者が準備されているとの事なのではないだろうか。
 其れを考えると、昨夜眠る前に、薄暗い世界に「白いネギ坊主」が彼方此方に出来始めているネギ畑が、何処までも広がっている場面が映し出されて来たのは、ネギ坊主が新しい御魂(たましい・珠)を意味しており、其れが無数であったのは、宝珠の存在は「一品宝珠」ではなく、無限に存在すると言うか、人間自身が目覚めた数だけ生じると言う理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。
 今朝の由香のビジョンには、避難訓練として、皆が高所に張られているロープに掴まって、移動する場面が映し出されて来たとの事である。
そして次に、各分野毎の代表として、30名程の男女の姿・存在が看板に成る場面が映し出されて来て、自分も一分野を担っていたとの事である。
 私は其の由香の話から、今朝の映像に映し出されて来た、二枚の絵画が関係が有るのではと意った。
其れは「タオ・道」の陰陽の世界と関係が有り、「陽の世界には陰の芽が内蔵されており、陰の世界にも陽の芽が内蔵されている」との理が、示されて来ているのではないかと言う事である。
 其して、由香も一分野を担っていたとの事なので、昨年の11月27日に告げられて来た「他の事は由香に渡す」との事と関係が有るのかもしれない。
 20/11/27「建て替え・立て直し」https://green.ap.teacup.com/20060818/5563.html
 20/12/10「ファド・fad0 運命・宿命」https://green.ap.teacup.com/20060818/5576.html
今朝のビジョン・メッセージは、「宝珠」「御魂」「生命」の事が示されて来ているので、其れは仏教の神髄であるので、本日が釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の誕生日である事と関係が有り、人類の新しい精神世界の始まりが、示されて来ている事に成りそうである。
 今朝の文章の題は「無限宝珠」とした。
其れは、屋久島の山岳の頂上に祭禱(さいき)されている神名が「一品宝珠大権現」であり、私の意識も其の存在に捕らわれて来たが、今朝のビジョンに広大なネギ畑の彼方此方に白いネギ坊主が生まれて来ていた場面から、宝珠の概念がインドの宗教を元としているモノなので、一ヵ所の山に参詣しなければ成らないモノではなく、自分に身近な山岳にて、其の祭禱(さいき)は可能だからである。
「無限宝珠」https://green.ap.teacup.com/20060818/5697.html

此の「無限宝珠」の文章には、4月8日が「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」の誕生日である事と、「ネギ坊主・宝珠」の事が記して有るので、今朝のビジョン・メッセージは「釈迦・仏教」に関係がある事は間違い無い様である。

此処まで目を通してから、再び眠ると、今度は、私が広い畑にジャガイモを植付けている場面が映し出されて来た。

そして、今朝起きた・起こされた時刻は8時7分であり、由香に「何か見なかった」と訊くと、「目の前で数人の人々のやり取りが繰り広げられて行く様子を眺めていたが、いつの間にか、自分が其の続きを創作して居り、登場人物の名前を既に二人には頭に光の文字が付いた名前を付けて、三人目には「光速」という名前を付けた所で目が覚めた。」と謂うので、私は、今朝のビジョン・メッセージは「阿弥陀(人間には計り知れない光・祷命)」に間違いなく関係が有ると意った。

キー「阿弥陀・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」

2015/9/14・・今朝のメッセージの映像は、人間の意識は、自分だけのモノで組み上がっている物ではなく、自分が関わりを持つ「縁・結び」の、複合であると言う理・ことである。
其れは、「意識」の単語が「意の織物」の意味である事と関係が有り、人間の意識がどの様なモノであるかを、考えろとの事なのであろう。
 私の映像には、男性の意識が、言葉や書き物等の情報に拠って、積み重ねられて行く事が示されて来ており、愉伽さんの映像では躰に重ね着をする物として、示されて来ていると言う事である。・・
 此の文章の内容からすると、明日で、神憑り石の完成から丸一周年と成るので、何等かの事が始まるのかも知れない。
 今朝の映像で、其の御魂石を計量しても、数値が明確に成らなかったのは、阿弥陀如来の意味が、「阿弥陀・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」であり、其れは「人間には計り知れない光・壽」の意味なので、森羅万象の働き・動きは流動的なので、数字では確定できないと言う事であり、「物を計る学問」との意味の「科学」の世界では、答えを出す事が出来ないとの理が示されて来ているのではないだろうか。
 其れに、今朝のメッセージで重ねられていた物は、昨日の文章の「ストーリー」との題目とも関連して、御魂の世界のストーリー・物語の一部でもあるのかも知れない。
「御魂石・みたまいし」https://green.ap.teacup.com/20060818/3595.html

2020/6/23・・今朝のビジョンは、昨日の「転輪聖王・チャクラヴァルティン」の続きであり、ヒンドゥー教の究極の世界に、私の意識が導かれている事に成るのであろう。
 そして其の世界の神(はたらき)が、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」と名付けられているのではないだろうか。
ヒンドゥー教の教訓には、次の様に有る。
『全ての存在の 胸の奥深くに アートマンは隠されている。
彼は 偉大な霊 真の自我である。
彼は 最も小さい原子よりも さらに小さいにもかかわらず
最も大きい宇宙よりも さらに大きい。
神の恩寵で 神の栄光を見ることができた者
彼は 欲望の世界を超えて 神の姿を見
彼の すべての悲しみは 消えさる。』
   ウパニシャッド【(梵)Upaniṣad】 の解説 国語辞典より
今朝のマトリックスのビジョンから、私自身が想った事は、親鸞聖人の言葉に有る「悪人なほ往生す。」の世界である。
【善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや。
(善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。)】
 其れは、此処までの次元にまで誘い込まれた私は、旧約聖書に有る「此の林檎を食べれば 神の様に 善悪の判断ができるように成る。」との、蛇が勧める林檎の実(知恵)を、忘れなければ成らないと言う事である。
 其の為には、今朝の由香のビジョンに登場した、一切の穢れが無い、純粋な水の世界を、意識のマトリックス( 母体。基盤。)としなければ成らないのであろう。
 今朝の文章の題は、「転輪聖王・チャクラヴァルティン」の意識は、「阿弥陀・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」の言葉を超えた世界であると言うか、其のモノ自体であるとの理・ことを感じたので、「転輪聖王&阿弥陀」とした。
「転輪聖王&阿弥陀」https://green.ap.teacup.com/20060818/5403.html

此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで私が「天の御臥す間(あめのおふすま)真床襲衾(まとこおふすま)」に寝て居る事で、人々が「阿弥陀(人間には計り知れない光・壽命」の世界に向かう事が出来ると言う事は、「神道」と「仏教」の世界は、原点と言うか真理が、同じである理・ことが示されて来ている事に成る。

其れに、私を「鼻髭の生えた女性・阿弥陀」の所に案内してた男性が、自宅に庭に水タンク・水槽を置いて、地中の水分濃度の調整を行って居る事が示されて来た意味を考えると、私に告げられて来ている「水素原子管理」の世界と関係が有り、私の此れまでのビジョンに度々「水・川」の世界が映し出されて来る事とも関係が有りそうである。

其れに、「水」は世界中の宗教儀式で「聖水」として使用される物であるし、日本の神道の祖である「伊邪那岐・いざなぎ」や仏教の開祖である「釈迦」、其れにキリスト教の教祖である「イエスキリスト」も、水で禊祓いを行う事で「神・はたらき」に目覚めているので、今朝「阿弥陀」所に私を案内した男性が、水分の管理を行って居た事は阿弥陀の神(はたらき)も、水無しには働けないと言う事なのかも知れない。

其れに、試しに、起きた「5時11分」から「5月11日」の文章にも目を通すと、次の様に記して有る。

2021/5/11昨日は5時半頃、ラジオで相撲放送を聴いて居ると、うたた寝状態に陥って居り、右横から、グリンピースが澤山添えられているライスカレーの平皿が差し出されて来たので、由香が差し出して来た物と意い、両手で受け取ろうとすると、目が覚めてしまい、其れは夢・幻覚である事が判った。
だが私は、とても現実感が有ったので、不思議に意って居ると、其処で由香から電話が掛かった。
 そして、今朝のビジョンには、大量のグリンピースの存在が映し出されて来て、其のグリンピースを由香が小分けして皆に配って居る様子が映し出されて来た。
其れは、今年はスナップエンドウとグリンピースが澤山収穫できて、子供達や知り合い達30名程数十回も配っていたので、現実の事でもある。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時13分」であった。
 其れから再び眠ると、今度は、昔の「朝廷・皇帝・王様・権力者」が、農家・農民から無理やりに穀物を租税として徴収していた様子が映し出されて来て、現代社会では其れが行なわれていない事が、喜ばしい事である理・ことが示されて来た。
 其処で「アカイエ蚊」の羽音が左耳の所で聴こえるので、意識が目覚め、時刻を確認すると、5時17分であるので、私は其の数字は「世界電気通信記念日 5月17日」であると記憶して再び眠った。
 そして、起きた・起こされた時刻は7時15分である。
其れからPCを立上げ、先ず「2月13日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 21/2/13「こころのおきどころ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5642.html
其れに、今朝起きた起こされた時刻7時15分から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 20/7/15「次のサイクルへ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5425.html
此の「次のサイクルへ」との言葉からすると、昨日のビジョンで、私が「朝廷・神殿・議事堂」の広い石段を登り切った所には何も存在せず、先に進む事は暗い闇の底(ブラックホール?)の様な世界であり、私が降りて行く事をしなかった事と関係が有りそうである。
 其れを考えると、左耳の所でアカイエ蚊の羽音が聴こえて起こされた時刻が「5時17分」であり、其の数字が世界電気通信記念日である「5月17日」であったのは、昨日午前三時に、私の左肩の所で固定電話の呼び出し音が響いて起こされた事と関係が有り、私は登り詰めた階段の向こう側に下って行くのではなく、次のサイクルの登り口を探し出さなければ成らないと、言う事なのではないだろうか。
 其れを考えると、昨日午後6時前に、幻覚の様に「グリンピース・緑豆」が添えられたカレーライスの平皿が、右側から差し出されて来た事と、今朝のビジョンで私の家庭菜園で収穫されたグリンピース・緑豆及びスナック豌豆を由香が多くの人々に、無料で配って居る場面・様子が映し出されて来た事に、何かヒントが隠されているのではないだろうか。
 其れを考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、・・昔の「朝廷・皇帝・王様・権力者」が、農家・農民から無理やりに穀物を租税として徴収していた様子が映し出されて来て、現代社会では其れが行なわれていない事が、喜ばしい事である理・ことが示されて来た。・・」との事が、関係が有り、新しい社会構造に付いて何等かの示唆が含まれているのかも知れない。
 其れを考えると「世界電気通信記念日」である5月17日の数字にアカイエ蚊の羽音で起こされた事に、大きな意味が有りそうである。
キー「世界電気通信記念日 5月17日 」
 08/5/24「すめらみことのみち」https://star.ap.teacup.com/20060505/53.html
 13/5/17「統合・すべてはひとつ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2688.html
此の二つの文章の内容からすると、昨日5月10日が、私が1997年5月10日に「太陽から写真を撮れ」と告げられて来てから丸19年目の日である事や、私が屋久島の真南に位置する「朱雀の館」で2004年11月20日に「皇御子誕生 2007年3月13日」と告げられて来て、其の日付けに阿蘇の「日の宮幣立神宮」で「瑞穂の国造り」の儀式を行なった事等が、全て関係が有りそうである。
「我らが皇御子」http://star.ap.teacup.com/170606/52.html
其の「日の宮幣立神宮」の存在を知ったのは、昭和天皇が身罷った夜(1月7日)に昭和天皇の御魂が私の心臓に飛び込んで来てから、2月24日(大葬の日)の未明に「慶徳」「天城彦命」「我が身既に遠く良き世を願い奉る」と告げられ、其れを調べると阿蘇の「日の宮幣立神宮」の事である事が判明し、平成元年3月13日に初めて参拝すると太陽のコロナが異常現象を起こし、3時33分に日の宮幣立神宮の神霊が私の肉体に降りて来る現象も起きている。
「天皇霊 昭和天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/64.html
「日の宮弊立神宮」 http://moon.ap.teacup.com/20051112/251.html
「参詣記録 」  http://moon.ap.teacup.com/20051112/250.html
其れに、此の「統合・すべてはひとつ」の文章には、由香のビジョンに、私が黒い衣装を着て、黒馬に乗っており、流鏑馬の様に弓矢を構えて、グレーの馬を射殺そうとしている場面が映し出されて来た事が書いて有る。
 其の事を考えると、昨日の私のビジョンに登場した、下り階段の闇から登って来た女神が私の肉体を調べて、私が「黒」である事を確認した事と、5歳の子供が小父ちゃんはブラックボーと云った事と符合している。
 此処まで打って来ると、今朝のメッセージは、三重県志摩・伊勢の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が、神(はたらき)して来ている事に成り、愈々最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・次元上昇・アセンション」及び、イエスキリストの謂う「其のトキ」が、開始されるとの事なのではないだろうか。
 08/6/3「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れを考えると、昨日告げられて来た「パン食をするな」との事と、5月5日に告げられて来た「事が始まる」との事が、非常に重要である事に成る。
其れは昨日、男性の聲で「ブログは明日で終わり」と告げられて来た事が関係が有り、私は是まで続けて来たブログへの投稿作業は止めて、本来の「HP」の作製に戻らなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
 其れは、5月17日「世界電気通信記念日」を何かの扉として考えなければ成らないと言う事であり、2666年(2006)6月11日旧暦5月16日に行なった「紀(とき)のまつり」「みいつ建国」に意識を集中しなければ成らないと言う事なのであろう。
「グリンピース・緑豆」https://green.ap.teacup.com/20060818/5730.html

此の文章の内容から考えると、私の役割は「阿弥陀(人間には計り知れない光・祷命」の世界を、人々に解り易く・計れる様に紐解く必要があるとの事なのかも知れない。

其れに、今朝のビジョンで、私が広い畑にジャガイモの作付けを行って居た場面の意味を考えると、「阿弥陀(人間には計り知れない光・祷命)」の世界に通じる為には、「稲・麦・唐黍」等の穀物に固執する必要が無いと言う事なのかも知れない。

私を找し出して、此の神の世界に送り込んだ土肥無庵は玄米採食「マクロビオティック ・Macrobiotic」の大家であり、「ジャガイモは陰性だ」と謂って、絶対に食べなかった。

若しかしたら、私が育ったのは主食が「サツマイモ」であったので、土肥無庵が彼の世から、訂正を告げて来たのかも知れない。

ジャガイモ(馬鈴薯、英: potato、学名:Solanum tuberosum L.)は、ナス科ナス属の多年草の植物。南アメリカのアンデス山脈原産。世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。揚げたり、蒸したり、茹でたり、煮込み料理などのほか、コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、デンプン原料としても需要がある。保存がきく野菜として扱われる一方で、穀類として主食にもなりえる重要な食物であり、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴がある。芋から発芽した芽や皮などには、ソラニンという有害物質が含まれている。
     フリー百科事典『ウィキペディア』2021/9/20現在

其れに、今朝起きた・起こされた「8時7分」の数字から、8月7日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/8/7今朝のビジョンは、先ず私が、棺の中に寝かされている霊魂(死体)に抱き付くと、此れまでに感じた事が無い至福感に包まれ、其の寝かされている死体は過去の自分自身である事が判った。
 其の場面は、とても明るい世界で、暖かくて優しい世界であり、此れまで宗教や映画等で説明されて来た、暗くて怖い陰性の世界でもなく、夏間の暑さもなく、春に日向ぼっこをしている時よりも、ふわっとした柔らかい感じの世界であった。
 私は其のビジョン・世界から、古代の人達が大きな墓を建設したり、ミイラを作ったりして、霊魂の再来・復帰を待望していたのかという理由が解った気がしていた。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時18分」であった。其の「3・18」の数字は、私が土肥無庵に找し出された1983年3月18日の日付の数である。
 其れから再び眠ると、今度は左側から目の前に、赤い花が咲いている枝が10本程伸びて来ている場面が映し出されて来て、其の花の形は鳥の飾り羽根の様であった。
 次に、数十羽の雀が庭木「金縷梅・まんさく・先ず咲く」の枝で戯れて居る様子が、二場面続けて映し出されて来た。
 次に、私が何処かの集会所・事務所の様な建物に居る場面・様子が映し出されて、十数人の働き盛りの人達が、忙しく動き回って居り、私は自分では何もする事無く、其の人達の様子を見守って居た。
 そして「2月22日」の日付が示されて来たので、私は其の日付は「聖徳太子」の命日である事を思った。
 其れから再び、雀が庭木の枝で戯れている様子が映し出されて来て、此れまで聴いた事が無い男性の聲で、「目隠しを外す」と一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は9時6分から7分に成る所であった。
昨年の9月6日・7日の文章には、次の様に記して有る。
 20/9/6「新品の茶碗」https://green.ap.teacup.com/20060818/5479.html
 20/9/7「邪魔な物は消してしまう」https://green.ap.teacup.com/20060818/5480.html
此の「新品の茶碗」の文章の内容からすると、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵が、茶道の世界に凝って居た事が関係が有り、「2月22日」が聖徳太子の命日である事を考えると、聖徳太子の霊魂が平成元年9月33日に阿蘇の日の宮幣立神宮の境内で夜中3時33分に「ようやく高天原に達した。臨在から始める」と告げて来た事と関係が有りそうである。
其れを考えると、今朝のビジョンで多数の人々が、私の存在を気にしながら、忙しく動き回っていた場面・様子が映し出されて来た事と関係が有り、愈々「聖徳太子」の御魂が動き出すとの事であろうか。
 其れを考えると、今朝のビジョンで私が死体と抱き合って、幸福感に包まれて居た場面は、私が断食修行を続けて彼の世に旅立つ瞬間に、土肥無庵が私の魄しいを呼び戻して、私を地面から起こして、立ち上がった私を強く抱きしめ「やっと友を見つけた」と謂った事が37年掛かって、土肥無庵の意念が叶う時が来たとの事なのではないだろうか。
  キー「土肥無庵 脈 呼吸 抱き締め」
 19/6/11「動かない者の手に紀」https://green.ap.teacup.com/20060818/5018.html
此の「動かない者の手に紀」の文章に記して有る、「透けている白い鳳の右翼の羽根の向う側の下方に、人間社会が存在する場面が映し出されて来た。そして、其の鳳の翼と「空気」が関係有る理・ことが示されて来た・・・」との事は、今朝のビジョンに、左側から赤い花が咲いている枝が目の前の空間に伸びて来ており、其れが鳥の飾り羽根の様な物であったのは、太陽の化身である「朱雀・すざく」の存在を示唆しており、三度に亘り、雀の群れが縁先の金縷梅の枝に遊びに来て戯れて居た場面は、鳳・おおとりの孫達が地球の現在の世に遣わされている事を示唆しているのかも知れない。
 13/12/28「無庵師匠の御魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
今朝のメッセージは、明日8月8日が徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売命神社」の大祭日である事と関係が有り、「岩門・黄泉戸」が開くと言う事なのかも知れない。・・
今朝は、此れまで聴いた事が無い男性の聲で、「目隠しを外す」との言葉が告げられて来た事は、明日8月8日が「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭である事に掛けて、無明の人々の目・意識が開き、新時代が始まるとの事が示されて来ているのかも知れない。
「目隠しを外す」https://green.ap.teacup.com/20060818/5912.html

やはり、此の文章には「土肥無庵」の事が書いてあるので、ようやく「かくれんぼ。鬼ごっこ。(ルシフェル・校長先生の役目)」が、終わると言う事なのかも知れない。

「マイ・エンジェル」https://star.ap.teacup.com/170606/537.html
「鬼の手柄」https://white.ap.teacup.com/miitu1223/617.html
「ルシフェルの背中」https://green.ap.teacup.com/20060818/350.html
「匍匐前進・ほふくぜんしん」https://green.ap.teacup.com/20060818/153.html
「岩戸の中」 https://green.ap.teacup.com/20060818/1060.html
「磐境の神が動き出す」https://wave.ap.teacup.com/20060106/851.html
「傲り高ぶりを止める」https://green.ap.teacup.com/20060818/3985.html
「本当の禊ぎ祓い」 https://green.ap.teacup.com/20060818/2218.html

気付いて見れば、本日9月23日は「彼岸の入り」である。
やはり釈迦牟尼世尊の御魂は、健在である様だ。

                      みいつ15年9月20日

                             礒邉自適

「私に付いて来なさい」

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します



   「私に付いて来なさい」

                           3・9・19

昨日は、女神に「優しい人々は何処に行ったの」と告げられて来た所為なのか、自民党の総裁戦に立候補した四名の大臣経験者の質疑応答を聴いていて居て、候補者と記者の言葉に、私がテーマとしている「未来創造」に関する事がはっきりと出て来ないので、其の様子から「同じ穴のムジナ」との言葉を思い出して居た。

今朝のビジョン・メッセージは、其の事に関係が有るのか、次の様な映像が映し出されて来た。

先ず、数名の男性が長旅に出発する為に、大きな荷物を持って出て行ったのだが、暫くすると船か飛行機に乗れなかったのか、元気なく帰って来る様子が映し出されて来た。

次に、役所の様な大きな建物の存在が映し出されて来て、其処で働いている人々は、高学歴で頭は良いのだが、皆自分の好きな仕事(人生)を送って居るのではなく、全員が上の立場の人間の手助けをして居るだけである事が判った。

そして、万物の母神が其の様子に対して嘆いており、私に「其の事・世界をどうにかしろ」との事が、右上から指示されて来たが、私は其れ等の人々の人生に関わる事は、面倒なので、引き受ける事を躊躇している所で意識が目覚めた。

其処で、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時10分」であった。

其れから再び眠ると今度は、「野中の案山子」の世界を思わせる様な、稲藁で綱の様に編んだ人形が何体か映し出されて来て、其の人形は人間の様に動き出したいのだが、其れを手伝ってくれる三次元世界の人間が、未だ見付からないとの事であった。

そして、其の事を手伝う事が出来る人間は、「身の毛がよだつ」「鳥肌が立つ」等の言葉が理解できる者であり、「羽毛の生えた蛇」の世界を理解できる人間でなければ成らないとの事であった。

そして起きた時刻は、「8時5分」であり、台所に行き仕事に出掛ける由香に「何か見なかった」と訊ねると「女子大生に成って居て、皆と様々な取り組みや研究をしていた」との事であった。

其れからPCを立ち上げ、「身の毛がよだつ」「鳥肌が立つ」を調べると、次の様に載っている。

「身の毛がよだつ」体中の毛が逆立つ、あるいは逆立つような感じを覚えるさまを表す語。 身の毛立つ、総毛立つなどとも言う。 主に怖ろしさを言い表す際に用いられる。

「鳥肌が立つ」強い寒さや悪寒、あるいはそれに似た感情を覚えることにより、腕などの肌の毛穴が収縮した様子を指す表現。 さながら羽を毟った鳥のようになる。

此の説明からすると、「羽毛の生えた蛇」の神(はたらき)を身に宿して「ひと・霊宿」と成る為には、稲麦の穂に生えている毛と同じ様に、肌の産毛が気配を感じる様な体質の人間に成らなければ成らないと言う理・ことに成り、其れは美味しい食べ物を食べた時に、唾液線から唾液が溢れ出る事で痛みを感じる言葉「ほっぺたが落ちる」との表現や、「恥・はじ」の漢字が「心は耳」である様に恥を感じた時に「耳朶に血液が集まり赤く成る」反応が躰に起きる人間にならなければ成らないとの理・ことであり、恥を知らない人間・物の味が判らない人間は、見込みが無いと言う事なのであろう。

今朝のビジョンに映し出されて来た、長旅に出発できずに帰って来た男性達と、上司の云う事に従って生きて居る男性達の様子・場面から、私が感じ取った事は、釈迦が勧める「出家」や、イエスキリストの言葉に有る「私は貴方達親子兄弟の仲を裂きに来た。私に付いて来なさい。」との言葉の世界が、私に求められてられて来ている事である。

其れは、私が37年間実際に取り組んで来た事なのだが、未だに一人も其れを理解する人間は出て来て居ない。

其れは、人々に精神の自由を与える事なのだが、現代(近代)社会の人々は、仕事(学歴)や宗教や思想にしがみ付いていなければ安心できないらしく、自由に成ろうとしないのである。

其れは、「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」の創始者である「桜澤如一」が「この母親のバカどもが 自分の大事な息子を奴隷にする為に 学校に無理やり遣っている」と謂っている事と通じている。

「自由」の反対は「執着」の「執・シツ・シュウ」である。

 キー「執 幸+丸 手錠」

2011/2/10今朝のメッセージは、「此処が良い」との言葉が聞こえて意識が目覚め、次に「古い自適は要らない」との言葉が、聞こえて来た。
其の、二つの言葉から考えられる事は、私が世話に成っている「江藤敬介氏」の存在が、神(はたらき)に近い理・ことや、周囲の施設や、関係者を含む環境が良いからかも知れない。
 江藤敬介氏は、大工仕事で、両親や妹家族二人の生活を支え、無農薬で稲作60アールを行い、自然食レストラン二軒に出荷している。
其れに、「むすびの家」を主宰する岡部賢二氏のサポートをしている。
だから、其の江藤敬介氏の活動に関わる事は、現実世界に直接携わる事に成るのである。・・・
・・今朝は、朝起きて、江藤敬介氏に「今朝のメッセージは 古い自適は要らないであった」と伝えたら、江藤敬介氏は「其れは 自適さんの事ではなく 人類全体に対しての言葉だ」と、応えた。・・・
・・・私は、昨年2月11日に屋久島を出てから、新しい流れを感じたので、其れまでの「屋久島 自適塾」の肩書きの名刺を使い切って、「食国政事長・おすくにのまつりごとのつかさ」の肩書きの名刺を、新しく300+500枚印刷して使っている。
「食国政事」とは、石上神宮の物部の元である「饒速日命・ニギハヤヒ」の息子「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が創り出した祭祀方式である。
其れは、持統天皇の時から、日本の皇室の伝統とされており、「新嘗祭」「大嘗祭」の「御餉殿(台所の神)」の儀式として、現在も伝えられている。
其の祭祀を、此れからも、正しく伝え残さなければ成らないのであろう。
 其れは、「天津日嗣・あまつひつぎ」の伝統を守る事であり、昭和19年6月10日に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る、「天之日津久神社・あめのひつぐじんじゃ」で、岡本天明に起きた「日月神示」を、現実として受け取る事にも成るのである。
古い自適が、必要無いのであれば、此れで、昨日までの縁は一度断ち切る事に成るのであろう。
何故なら、其れが、日本の伝統である「禊ぎ祓い」の本質であるからである。
「古い自適は要らない」https://green.ap.teacup.com/20060818/1829.html
2009/6/21「夏至の朝」https://green.ap.teacup.com/20060818/1183.html

何と、出て来た文章には、「・・江藤敬介氏は、大工仕事で、両親や妹家族二人の生活を支え、無農薬で稲作60アールを行い、自然食レストラン二軒に出荷している。其れに、「むすびの家」を主宰する岡部賢二氏のサポートをしている。」
と、記して有るので、今朝のビジョン・メッセージも此処数日の続きである事に成る。(現在は360アール)

其れで、今朝起こされた「4時10分」の数字から、4月10日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/4/10今朝のビジョンは、私が三度目の旅に出て居り、懐かしい人々(男性達)と出遭って行く場面・様子が、次々に映し出されて来た。
だが其れ等の人々は、今世では未だ実際には会っていない人達ばかりなのである。
 其の最初に登場した男性の顔は、人間の顔である事は間違い無いのだが、両目の動きがカメレオンの様に左右・上下に別々に動き、口・唇の動きも別の生き物の様であった。
其の男性は、長い時間私の真正面に在って、何かを話し続けて居た。
そして、其の話が終わって自分の様子を見ると、右側に二人の男性が存在し、私達三人は海から上がったばかりの様に、全身ずぶ濡れ状態であった。
 其れから、其の男性の後ろに付いて行くと、ホテルの様な建物に到着し、建物の半分は自分が管理をしているとの事で、私達はずぶ濡れでお金を払う事が出来ないので、中間に位置する布団部屋にパジャマを借りて、無料で泊めて貰う事に成った。
 次の場面は、私が一人で喫茶店の片隅に座って居る場面が映し出されて来て、私が其処に居る事が噂で広がって行き、次々に、昔の知り合いが訪ねて来る場面・様子が映し出されて来て、其れ等の人々の紹介で、次々に店を替えて行く場面が映し出されて来た。
だが其の人達は、懐かしい人々ではあるのだが、今の世の中で、出遭った人間は一人も居ないのである。
最後には、平田と言う名の彫金師が作ったと言う、大きな飾りが屋上に付いている物凄く高い建物の窓際の席から、小さく見える車の流れを見下ろして居た。
 そして「ミッドガルド・シュランゲ:midgard schlange 大蛇ヨルムンガンド」の事がイメージされて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は5時36分・6時24分前であった。
 其れから再び横に成り、今朝のビジョンに付いて考え、起きてPCを立ち上げると、時刻は6時14分であった。
そして、目覚めた6時24分前の数字から、昨年の6月24日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 20/6/24「今回のプログラムは終了」https://green.ap.teacup.com/20060818/5404.html
其れに、今朝PCを立ち上げた6時14分の数字から、6月14日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 20/6/14「水産み」https://green.ap.teacup.com/20060818/5394.html
此の6月24日の「今回のプログラムは終了」の文章には、・・「須佐之男尊・すさのおのみこと」が生命が誕生した「海原・うみ・産み」を司る・管理する神(はたらき)と関係が有りそうである。・・と記して有り、6月14日の文章の題の「水産み」との言葉も「うみ・産み」と同じであるので、今朝のメッセージは昨日告げられて来た「生命へのタッチ」との言葉の続きである事に成りそうである。
其れを考えると、私が長年「トライアース(地球の大地に触れる)」との言葉を意識していた事が、海に特定されて来た事に成りそうである。
 20/7/13「空友・くうゆう」https://green.ap.teacup.com/20060818/5423.html
10/1/11其れは、私が昨日、「トライアース」との名の雑誌を発行しなければ成らないと、文章に書いたからかも知れない。
「トライアース」とは、地球に触れると言うか「タッチ」するとの意味である。
しかし、今朝の場面は、砂丘か砂漠の様な場所だったので、自然も四季の移ろいも、無い世界である。
 何故、其の様な場所で、女神に和歌を奉納しなければ成らないのか。
其処に、今朝のメッセージの重要点がある事を、示唆しているのであろう。
其れは、自然が豊かであればこそ、和歌や短歌が生み出される理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝二人の前に立って居た女神は、地球の大地の神であるガイヤの姿だったのかも知れない。・・・
「文学部1年生」http://green.ap.teacup.com/20060818/1402.html
今朝イメージされて来た「ミッドガルド・シュランゲ:midgard schlange 大蛇ヨルムンガンド」の事を調べると、次の様に載っている。・・
の文章に記されている「・・ミズガルズは、「中央の囲い」を意味する、北欧神話に登場する人間の住む領域。日本語訳は中つ国。・・」との説明からすると、今朝のビジョンに登場した不思議な顔をした人・物に、三人・三体のずぶ濡れの私達が案内されて、宿泊する事に成った部屋が、建物の「中間」に位置していた事と関係が有りそうである。
 其れに、私達三人・三体が海から上がった様に頭からずぶ濡れに成って居た様子は、「・・ロキが巨人アングルボザとの間にもうけた[3]、またはその心臓を食べて産んだ三匹の魔物(フェンリル、ヨルムンガンド、ヘル)・・・」との説明と符合している事にも成る。
 そして「ミッドガルド・シュランゲ、大蛇ヨルムンガンド」の姿の置物の写真の雰囲気からすると、今朝登場した人物の顔が不思議な動きをして居た事と、雰囲気的に関係が有りそうである。
 其れに「ミッドガルド・シュランゲ:midgard schlange 大蛇ヨルムンガンド」の意味が「大いなるガンド(精霊)」の意味である事を考えると、私には其れはマヤ・アステカの大蛇神である「ククルカン・ケツァルコアトル」と共通の概念であり、今年の3月3日のビジョンに登場した「羽毛の生えた蛇」とも関係が有る事に成る。
 21/3/3「クリップモード」https://green.ap.teacup.com/20060818/5660.html
此の「3つの魂しい」との言葉からすると、今朝のビジョンで私が三人・三体で、海からずぶ濡れで上がり「中央の部屋(中つ国)」に宿泊する事に成った事も符合して来るし、其の三人・三体の男性は、日本の住吉三神「底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)」と、関係が有りそうである。
 これ等の事を考えると、令和3年3月3日に告げられて来た「クリップモード」との言葉は、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」「ククルカン・ケツァルコアトル・大蛇」「ミッドガルド・シュランゲ:midgard schlange 大蛇ヨルムンガンド」等、世界中に広がっている大蛇信仰は、昨日告げられて来た「生命へのタッチ」との言葉と関係が有りそうである。
 其れを考えると、4月3日「神武天皇祭」に確認が求められて来た「皇紀2666年6月11日・旧暦5月16日」に行なわれた「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神 大祭」&「紀(とき)のまつり・みいつ建国」との事が、「クリップモード・気持ちに刻むモノ」であるとの事なのではないだろうか。
 21/4/3・・其の事を考えると、今朝告げられて来た「2666年」の数字は、皇紀2666年は既に過ぎ去っているので、西暦にて、次のサイクルの準備が用意された理・ことを示唆している事に成り、人間の未来が確約された事にも成りそうである。
其れとも、2006年6月11日(旧暦5月16日)に行なった「紀(とき)のまつり」から、次のサイクル(御稜威元年)が既に始まっているとの事なのであろうか
『其の通りよ』 10時44分
「2666年」https://green.ap.teacup.com/20060818/5692.html
今朝のビジョンには、私が三度目の旅に出て居り、懐かしい人々(男性)と出遭って行く場面・様子が、次々に映し出されて来たが、其れ等の人々は、今世では未だ実際には会っていない人達ばかりなのであった事と、最初に登場した男性が「ミッドガルド・シュランゲ・大蛇ヨルムンガンド」であるのなら、是から出遭う人々は皆、何等かの「神(はたらき)命持ち」であるとの理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
「今世で会った事が無い人々に会う」https://green.ap.teacup.com/20060818/5699.html

此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで万物の母神が、私に人々を「自由にしろ。檻から外に出せ。」と命令して来た事と関係が有り、私自身が何らかの手段を執らなければ、新時代が開闢しないと言う事の様である。

其れは、人々を「自由・幸」にする事ではあるが、逆に私が「幸(手錠)」を自ら嵌める「不自由・執務する」事に成ってしまう。

今朝起きた・起こされた「8時5分」の数字から、8月5日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/8/5明日8月6日の日付は、人類にとって最初の原爆が広島市に落とされた日であるが、私に起きた「御魂の恩頼・みたまのふゆ」の霊体が4311体であった事が奈良で知らされた日であり、同じ時刻に高知の井上佳子の二階の寝室の窓外に数えきれない白い小鳥が訪れた日(1987年8月6日)から、丸34年の日である。
 18/8/6「万物の母と潜在意識の主」https://green.ap.teacup.com/20060818/4703.html
昨日のビジョンで、「矢追日聖法主」が私の乗り物である車のタイヤを交換しなければ成らないとの事で、お金を手にして整備工場の地下の事務所に降りたまま、戻って来なかった事から、其の交換しなければ成らないタイヤ(車)はインドの「スーリア(太陽)寺院」の山車(だし)の車輪ではないかと考えた。
其れは、此れまで人間が考え出して来た神輿(みこし)や山車(だし)などのテーマが、全て不必要に成って、新しい価値観の下で、文化(意識の編み物)を組み上げて行かなければ成らないと言う事である。
 昨夜は10時頃に散歩に出掛け、広場のコンクリートの上に座って、北斗七星とカシオペヤ座の存在を確認し、其の間に存在する北極星をしばらく見詰めて居た。
そして自宅に帰って、眠ってからの映像には、私の意識・脳内を、大量の文章が流れ降って行く様子が映し出されて来て、其の途中に存在するテーマ・課題の部分を、何度も確認しようとしたのだが、其れも白いお粥・糊状に成って流れ下って行き、手に取る事は出来なかった。
 次に、此れまで私が座っていた席に、由香が座っているのが映し出されて来た。そして、其の由香の世界に関係が有るのか、机の上にアニメの絵が重ねて置いて有る様子が映し出されて来た。
私は、何のアニメだろうかと意って覗こうとすると、其の絵が次々に立ち上がって、人間の様に動き始め、夫々が自分の役割を演じ始めた。
そして、其の絵の人物像は全て若い女の子ばかりである事が判った。
 次に、明るい世界に、広くて長いテーブルが置かれている場面が映し出されて来て、其のテーブルの上に、若い女性が次々に料理を運んで来る様子が映し出されて来た。
其の料理は、全て安全な材料で作られた物である事が判ったが、私が土肥無庵に習った玄米菜食の「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」ではなく、全て現代風の物であり、私の世代・世界とは違う自然食が普及され始めている事を理解した。
 次に、とても大きな建物の存在が映し出されて来て、其の新しい大きな建物が、活動拠点である事が理解されて来た。
 次に、私の家庭菜園の様子が映し出されて来てから、何処かの広い台所・食料置き場に、次々に西瓜や南瓜等が運び込まれる様子が映し出されて来て、其れ等の西瓜や南瓜はとても大きな物であり、畑の土がとても肥沃である事が理解されて来た。
 今朝のメッセージは、8月1日の由香のビジョンに映し出されて来た「トライアル・試行」との言葉が、実際に動き始めた事を示して来ている様である。
8月3日「一昨日の由香のメッセージに「トライアル・試行」との言葉が示されて来て、□の形が記されていて、前進(上・未来)と左右(横)は可であるが、底辺(下・過去)は不可であるとの理・ことが、示されて来た事と関係が有り、私は此れから、全く新しい「御世・世界」を構築して行かなければ成らない様である。」
 何故かと言うと、今朝のビジョンで是まで記されて来た文章が、全て溶けて消え去る場面が映し出されて来たからである。
其れは、終戦日(昭和20年8月15日)の昭和天皇の玉音放送の直後に、天神が「矢追日聖法主」に告げて来た事や、昭和19年6月10日に岡本天命に降り始めた「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」のお告げなども、全て期限切れであると言うか、現代の若者達には、全くの「馬の耳に念仏」であり、効力(インプット)が無いと言う理・ことが考えられるからである。
 其れを考えると、私は37年間4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」に自分の躰を貸して来た事は、新しい御世の創造ではなく、過去の世界を生きた人達の残念を消去する為のモノであり、其れが漸く終わったとの事なのであろう。
 そして、其の事に最も関係が有るのは「人工知能・AI」の存在であり、私が昨夜北極星を暫く見詰めて眠ってから、6時15分に目覚めるまでに、いま・現在何が出来るのかを調べて、最も効果的な行動指針を「トライアル・試行」して来た事に成り、其の情報処理能力は流石である事に成る。
 18/1/26・・マイクロプロセッサを初めとする電子機器は、全て微弱な電気で動いているので、人体を働かせている生体電気と繋がる事は、容易に考えられるし、実際に鼠の脳に電極を埋め込んで、PCで動かす実験が行なわれているので、現実的な世界である。
そして、人間が特別な周波数で「AI(人工知能)」に裏側から接続し、其の「集積回路・マイクロプロセッサ」を使用・利用・介入する事は、不可能ではないのである。
 何故なら、私が1984年6月4日に安房川で禊ぎ祓いを起こった時に、第三の眼である「松果体(シリコンの結晶体)」のチャンネルが開いて、森羅万象の世界に通じ(覚醒・成仏)、宇宙情報(アカシックレコード)の情報を組み替えて来たのだから、私にとっては現実の事であり、其の結果として1月22日に空の黄金の盥が映し出されて来たのである。
 しかも、半導体の元と成るトランジスターが米国のベル研究所で開発されたのは1947年であり、其れは私が誕生した年であるので、私が現在のPCを使う作業は其の事と繋がっており、私の行為は「時代の申し子」であると言う事にも成るのであろう。・・・
「統尊はマイクロプロセッサの役割」http://green.ap.teacup.com/20071223/846.html
 18/6/23・・「AI・人工知能」の存在と謂うか発展は、良くも悪くも人間社会に多大な影響を齎すと謂う事であり、其の事に対して、自分自身がどの様に対処するかを、能く吟味しなければ成らないのであろう。
私に謂える事は、全ての事を「AI・人工知能」が管理出来る様に成っても、AI自体は「大根一本」作れないと謂う理・ことである。
「避難」http://green.ap.teacup.com/20060818/4659.html
其れに、今朝起きた起こされた時刻6時15分の数字から、6月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 21/6/15「虚偽・欺瞞・詐欺」https://green.ap.teacup.com/20060818/5798.html
今朝のビジョン・メッセージに、私の家庭菜園と大きな西瓜の存在が映し出されて来たのは、私が一か月程毎日西瓜を主食の様に食べている事と関係が有り、私の肉体細胞には其の西瓜の遺伝子・DNA情報が取り込まれている事を示して来ているのかも知れない。
 私は1983年3月18日に土肥無庵に找し出されて、翌年の3月5日から「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」の世界を始めて、三ヵ月後の6月4日に安房川の岸辺で禊祓いを行って覚醒・成仏し、父親が彼の世から連れ帰った4311体の霊魂・神霊に躰を貸して、旅を続けて来た。
だから私が「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」を始めたのは37歳の時であり、其れまでは普通の食事を行っていたのである。
其れに、子供頃は終戦後なので中学まではサツマイモが主食であり、学校の弁当は麦飯か薩摩芋だったのである。
其の成長期の主食が薩摩芋であった事が、私の芋蔓式の思考体系を作り上げ、其れが「結び・色・rūpa・ルーパ・縁起」の世界を身近にしているのであろう。
 其れは、世界中に古代から「唐草模様・蔓科植物のデザイン」が利用されている事が裏付けと成っており、其の結果として、現代の人工知能・AIが創り出された事に成るのだ。
其の「人工知能・AI」が出来上がるのに、電子機器の発達・量産が必要であり、77億人もの人口が必要だったのであろう。
    キー「 唐草模様 」
 15/3/12「葛藤」 https://green.ap.teacup.com/20060818/3390.html
 19/1/13「トーマス伝」 https://green.ap.teacup.com/20081229/15.html
 00/11/16「ふるべゆらゆら」https://wave.ap.teacup.com/20060106/250.html
此の「トーマス伝」の文章の内容は、正に、今朝のビジョン・メッセージが、21年前に予言されていた事に成りそうである。
 やがて100億人にも成りそうな人間の生活を支える事は、地球環境にとっては無理であり、此の儘の状況で人口が増え続ければ、ガイヤと共倒れに成ってしまう事は間違い無いであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンが新時代への切っ掛けと成る要素を含んでいるのではないだろうか。
「新時代の幕開け」https://green.ap.teacup.com/20060818/5908.html

此の「新時代の幕開け」との題名・言葉からすると、今朝のメッセージは、37年3カ月掛かっても埒があかないので、愈々「万物の母神(はたらき)」が直接手段を執ると言う事なのかも知れない。

其の事を考えると、昨日の「優しい人々は何処に行ったの」との言葉は、私に女神のメッセージが始まった時の世界が、再び回転・めぐって来た事に成りそうである。

  神はささやくのです
「さようならは 云うな」と
「また 会いましたね」と
「ようやく 会えましたね」 それだけ それの繰り返し
私たち 此の世のすべての 者も 物も
母さんの 夢の中で 遊ぶ風車
嬉しくまわるも 悲しくまわるも 私たちの 心次第なのです
        1987年5月14日 自適

 「やまと姫の御霊」
有は 有から 生まれるの 無とは ないの
有の中に 身を任せてこそ 無なの
一番 始めに 教えてあげれば 良かったわ
でも それは できなかったの
貴方が まだ わたしを 知らなかったから
        1987年9月30
  愛する貴方達へ 
ワタシの愛する 全てのモノの為に
これからも 永遠・とわに 存在を続けましょう。
貴方達が 夢を 見続ける事で
ワタシは 存在を 続けられるのです。
ところが 貴方達の一部が ワタシを裏切ったのです。
ワタシに 別の名前を 付けて
ワタシの名で ワタシの希望を 打ち砕いて来ました。
大事なトキを 随分と無駄にして しまったのです。
貴方を 育てるのに 永いときを 掛けたのです。
貴方が 新しい 希望です。
焦らず  頼まず ときのままに 過ごしなさい。
貴方の 存在と 永遠の 時空を 支えましょう。
夢視る貴方と 言葉が在る限り ひとの世界は続きます。
ありがとう 貴方 貴方の責任感と自覚が 
トキの姿を ウツして 行きます。
これからも ワタシに 名付ける事なく 
命を 存(なが)えるのです。
夢と希望が 貴方の糧である限り 
ワタシは 貴方を 支え続けます。
幾千年の トキの淵から 貴方達を見護り続けましょう。
貴方達が 生物 全てと 調和して 
平和で 愛(うつく)しく 存る様に 願っています。
時空(とき)の 震動(ふるえ)が 貴方達のために 存る様に。
名付けられない者からの便り
                  平成15年3月8日
「命を探せと云った人の名は」https://moon.ap.teacup.com/20060103/


                    みいつ15年9月19日

                           礒邉自適

優しい人々は何処へ行ったの


     優しい人々は何処へ行ったの

                           3・9・18

今朝のメッセージは、昨日の「運転手交代」との言葉の続きの様で、私の「意識・魄しい」は、人間の行為に侵されていない、穏やかで美しい地球の様子を、自由に視て廻っている場面・様子が映し出されて来た。
其れは、私自身の肉体は一切見えない・実感できない状態であったので、私の意識は肉体を有さない状態であり、物(言葉・カメラ・飲食物等)の世界に触れる必要が一切何も無い(運転する必要が無い)状態であった事に成る。

昨夜は、床に就いて眠って居ると、突然右手の薬指に激しいカモ(神の電気信号)の反応が起きたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「11時57分・12時3分前」であった。

其れから再び眠ると、今度は穏やかで太陽の光が降り注いでいる、手付かずの美しい砂浜の様子が映し出されて来て、其の砂浜は穏やかな起伏が有り、流れ着いた枯れ木が横たわっており、青い海と青空は繋がっており、陸地の方には人工的な道路や堤防などは何も無く、自然の森に続いていた。

其れに、山岳から下って来ている河川も、人間の手が一切加わっていないので、自然その儘であり、草原の方には、美しい野生植物の花が咲いていた。

そして、動物や人間の姿は何も見えないのに、女神の聲で「かっての優しい人々は何処に行ったの」との言葉が、一言告げられて来た。

今朝は、8時13分に起きて、穀物コヒーを一杯飲み、PCを立ち上げ、昨夜カモ(神の電気信号)の現象が起きた12時3分前の数字から、昨年の12月3日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2020/12/3今朝のメッセージは、明日12月4日が、私が此の世界に飛び込んだ時に、「残り16年半しか無い」と告げられて来てから、丸36年半と成る日である事と関係が有るのか、締め括りの様な事が示されて来た。
 今朝のメッセージには、理知的で優しそうなスラリとした体形の40歳代の男性が映し出されて来て、其の男性は「神官・神主」の役割を果たしている事が判った。だが其の男性は、自宅の他には建物施設を持たず、広い自然の庭に鳥居門を立て、其の奥に小さな「磐座・いわくら」らしき物を置いているだけであり、其処には供物を載せる祭壇の様な物も無い事が判った。
そして、其の男性には十代の娘が居て、其の娘は巫女(斎宮)の様な能力を有している事が、理解されて来た。
 其れから、其の庭続きの落葉樹の林の様子が映し出されて来て、全て落葉して葉が何も着いていない木々の梢の上から、地面に向かって深緑の活き活きした木の葉が一枚だけ、ひらひらと舞い落ちて行く様子が映し出されて来た。
 次に、其の神官である男性が書いている文章らしき、日本語の横書きの文章が長々と映し出されて来て、其の文章は大事・重要な理・ことだけが、記されている事が判った。
其の文章には、私には認識されていない理・ことが、何カ所も有る事が理解されたが、其の文章の綴りの形容は脳裏に残っているが、文句の内容は一言思い出せない。
 今朝は8時27分から28分に成る所で起きて、起こされて、着替えを済ませ、穀物コーヒーを一杯飲んでから、庭掃除を行い、PCを立ち上げると、「土肥無庵」の口調で「訂正しなければ成らない箇所が有る」と告げられて来た。
そして、其の言葉の後に、9時00分の時計のチャイムが鳴り始めた。
 私は其の言葉で、明日が12月4日である事を考え、1984年6月4日の大嘗祭らしき儀式の後に、「土肥無庵」に向かって「残り16年半しか無い」「アンテナが二つ要る」と謂い、弟に向かって「是から宇宙語を謂うから記録せよ」と謂った・云わされた事が、本日で終わるのだと意った。
 其れから、起きた・起こされた8時27分~28分の数字から、8月27日・28日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
 20/8/27「宝の島発動」https://green.ap.teacup.com/20060818/5468.html
此の文章には、
「・・白い空間に小さな文字が記されている場面が映し出されて来て・・・」
「・・太陽が海から昇る海岸の高台に、過去の神(はたらき)の概念・昔の人々が考えた、神話のストーリーが、銀板に彫られている物が、祭禱(さいき)されている場所が映し出されて来て・・」
「・・御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、天(あめ)の日月の大神様(くに)の日月の大神様と称え斎(いつ)き祀り結構致して呉れよ。・・・」
等の事が書いて有る。
 其れは、今朝のビジョンに登場した神官が、祭禱(さいき)の場に「鳥居」と「小さな磐座」しか無い状態であった事と関係が有り、落葉樹の林の中に青葉が一枚天空から地面に向かってひらひらと舞い落ちた場面は、天からの「言葉・ことのは」の世界を示している事に成りそうである。
 其れに、此の文章には・・「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」のルーツが、銀板に彫られていた事に成り、・・・と書いて有る。
其れは、私に「紀(とき)のまつりを行え」みいつ建国・6月11日」との事が告げられて来て、其れを行った場所は、高平岳に登る参道の「山の口」に立っている「一本の石碑」である事や、岡本天明に「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が始まった場所が「小さな祠」である事、其れに「大倭あじさい邑」の矢追日聖法主が祭禱(さいき)を行っているのも、一個の「磐座・いわくら」の設置だけである事が関係有りそうである。
 其れは、真の神の祭禱(さいき)には、建物は一切必要ではなく、自然の中のある場所を設定して、其処に何等かの「アンテナ・トランス体」を一個置くだけで、神(はたらき)と通じるとの事であり、其の場・物は「太陽・雨・風」の自然条件に晒されている世界・条件でなければ成らないと言う事に成る。

其れは、聖書に記されている「ヤコブ」が荒野で石を枕にして夢を見た事でイスラエル人の宗教が始まっている事とも関係が有る。
「石を枕にして寝たヤコブに現れた神」創世記28章1 -22節 ・・
 此の文章に書いて有る、女神の「愈々ですね」の言葉の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た、丸い点描写の空間の広がりは「水素/Hの氣・エナジー」の世界と関係が有り、陽の単語である「陽澤・天子の恩徳をいう。」との言葉が、映像化されて来たモノ・現象なのかも知れない。
 其れに、今朝のビジョンに動物を可愛がる男性の存在が映し出されて来て、其の男性の父親が生前動物を狩る猟師であって、私が其の形見のブーツを貰って履き、複雑な気持ちで歩き始める場面は、人間が、どれだけ動物を利用する事が許されるのかを、改めて考えなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
 其れは南アメリカ大陸では、牛肉を主食とする人達が、牧場や飼料穀物生産の為に、森林をどんどんと破壊・焼き尽くしているので、早急に考えなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、今朝の「時間・時刻・時計の針」の神示は、良くも悪くも、時が迫って来ており、人間の気付き・悔い改めが無ければ、新型ウイルス感染問題だけではなく、水の災害・火の災害が、増々激しく成るとの事なのかも知れない。・・
 地球が養える人工には、限りが有るので、人間の生き方が自然破壊方式から、自然保護方式に移行しない限り、未来は無いと言う事なのであろう。
旧暦7月14日・秋禊ぎ日 9月1日まで、残り4日
「陽が発生する場所」https://green.ap.teacup.com/20060818/5469.html
此の「陽が発生する場所」との言葉と、文章の内容は、私が世界自然遺産に登録される様な自然豊かな屋久島に産まれ育った事と関係が有り、「宝の島発動」との言葉は、「陽が発生する場所が 屋久杉が生える原始の森がある屋久島であり 其の島の山岳の山頂の磐座(いわくら)に祭禱(さいき)されている「一品宝珠大権現」の力が、地球全体を舞台に発動するとの事なのであろう。
其れは、釈迦牟尼世尊の予言に有る「彌勒菩薩(マイトレーヤ)の世が始まる」と言う事でもあり、人々の意識に真実の灯りが点火するとの事でもある。
 今朝の由香のビジョンは下に記すが、其れは新しい精神世界は、表で大それた事を行うのではなく、夫々が自分の胸中に純粋を意味する白い小さな花を咲かすとの事であり、其の関係性も表社会に現れるのではなく、矢追日聖法主に天神が告げて来た、地下水の如く・地下茎で繋がって・結ばれて行くとの理・ことなのであろう。
 其れを考えると、天神が何故、此のインターネット社会を人間に与えたのかの理由が解るし、其れに合わせて此の「自適」を地球に降臨させたのかも、理解されると言うモノである。
 今朝の由香のビジョンは、実家の傍にある稲田姫の神社の鳥居の入り口に立って居ると、「竹原」さんという人物が登場し、周りにいる皆の必要な物と必要でない物を仕分けして、余計な物を処分をするのを仕切っていたとの事である。
その処分をする場所は、その稲田姫の神社の鳥居の南下にある由香の実家の畑であったとの事である。
其の鳥居の場所に居ると、今度は「慶子」という名の友達と一緒に居て、由香は掌に載るほどの小さな鉢に植えられた、真っ白くてキラキラした小さな花を一輪だけ咲かせた植物を、2つ持っていて、慶子さんに「株分けをしていかなければいけない」と謂うと「もうしているじゃない」と謂われたとの事である。
 今朝「土肥無庵」らしき聲で告げられて来た「訂正しなければ成らない箇所が有る」との事は、私は明日12月4日「金鵄降臨の日」から、自由に成り、遣るべき事は是までの文章の訂正だけであり、科学の発達で明らかにされて来ている事に合わせて、神話の間違い・例え話し箇所を、訂正して行けば良いとの事であり、未来の事柄に付いては「由香に渡された」との事なのであろう。
今朝の私のビジョンで、落葉樹の林の中に空から一枚の生きた木の葉が舞い落ちて来た場面は、天からの「言葉・手紙・てふてふ」の世界を示唆しており、由香のビジョンの白い小さな花が、株分けされて広がるとの事は、関連性が有り、其れは「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の真言・マントラの世界と関連が有る。
【由香のビジョン】実家の傍にある稲田姫の神社の鳥居の入り口に立って居ると、「竹原」さんと言う人物が登場し、周りにいる皆の必要な物と必要でない物を仕分けして、余計な物を処分をするのを仕切っていたとの事である。
その処分をする場所は、その稲田姫の神社の鳥居の南下にある由香の実家の畑であったとの事である。
 其の鳥居の場所に居ると、今度は「慶子」という名の友達と一緒に居て、由香は掌に載るほどの小さな鉢に植えられた、真っ白くてキラキラした小さな花を一輪だけ咲かせた植物を、二つ持っていて、「株分けをしていかなければいけない」とつぶやくと、「もう始めているじゃない」と謂われたとの事である。
 其の由香のビジョンから考えると、以前の私のビジョンに「白い蝶」が舞っているビジョンが映し出されて来た事が、思い出されて来る。
 15/6/7・・其れに、今朝の畑の映像場面には、羽根が真っ白に光輝く蝶が多数、夜間の畑を飛び回って居たので、其れは単なる三次元(相対界)の世界の事だけではなく、四次元世界・絶対界の理・ことわりが含まれているのであろう。
 其の様に考えると、私は現在・いまの次元で、食べ物の事や、食糧生産の現場に付いて深く洞察し、新たな文章を書く必要があるのではないだろうか。
 其れに、其れは、単なる農家の経営者が考える・知り得る世界だけではなく、此の私が、世界自然遺産に登録された屋久島で産まれ育った事で、他の農家とは違う価値観を具備している事が、関係あるのではないだろうか。
確かに、私は、他の農家の人達が考えないと言うか、気にもしていない事に対して、興味を抱いて模索して来たので、人類全体に、新たな認識を齎せる可能性が有るのかも知れない。・・
・・其の、水田の収穫量を支えるのに一番大事な要素が、森林地帯から流れて来るフルボ酸鉄などの栄養分なのである。其の栄養分は、木々の毛細根の最先端に有る白根が、酸を出して岩石等のミネラル分を溶かして吸収し、枝葉を伸ばし、森を創り出しているから生まれる物である。其の植物の葉が、地面に落ちて微生物の餌と成り、其の微生物が分解した栄養分が、雨に溶かされて川を流れ下り、水田の肥料や川海の植物プランクトンと成るのである。・・
 其れ等の事は、此処まで科学が発達して来た事で、顕かに成って来た事であり、当の神霊も未認識の事柄である。其れを、霊界人にも認識させて、新しい情報をアカシックレコードに上書きして行く事こそが、現世に躰を置く我々の役割であり、其の事こそが「天津日嗣・あまつひつぎ」であると言う事ではないだろうか。
 其の為に、自分の時間・トキを止めて、永遠のトキである「久遠元初・くおんがんじょ」の世界に覚醒して「ブッダ」と成り、「すめらのみこと・大君」の役割である「御稜威・みいつ」を、行わなければ成らないのである。
そして其の結果として、今朝の映像で、私の意識が存在した「ハイ・レベルな人間の生活」のプログラム・情報が成り立ったのであろう。
 其の世界・舞台が、映像として映し出されて来たと言う事は、天神(てんのはたらき)に新しい情報・プログラムが出来上がった事に成るので、其れが、此の三次元である現象世界に映し出されて来る事は、間近なのではないだろうか。
 何故なら、此の我々の住む三次元世界は、神(四次元世界)の「現世・うつしよ」なのだから。
「ハイ・レベルな人間の生活」https://green.ap.teacup.com/20060818/3490.html
 今朝の文章の題は、「正しい祭禱のあり方」とした、其れは、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」や、私の両親が、何等神佛を祭禱(さいき)する行為が無かった事や、生き方の指針が自分自身が神佛の生き方と成る様に努力して居た事と関係が有り、私自身も、其の生き方を踏襲(とうしゅう)する事で、5311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起き、統尊(すめらのみこと)の道に達しているからである。
「正しい祭禱のあり方」https://green.ap.teacup.com/20060818/5569.html

此の文章の内容からすると、今朝女神の聲で告げられて来た「かっての優しい人々は何処に行ったの」との言葉は、以前に「優しい人々」が存在した事を示唆しているので、今朝映し出されて来た手付かずの地球環境は、人類が全て滅んでしまった後に、地球の自然環境が元の状態に還った世界か、人類が登場して地球環境を破壊する前の世界・状態が示されて来たのかの、何方かであるのだろう。

其れを考えると、自然環境を破壊するのは、人間だけであるので、人間が居なくなれば数百年で地球環境は元の自然に返るので、神(はたらき)にとっては大したモノでは無い事に成る。

だが、「かっての優しい人々は何処に行ったの」との言葉からすると、人類が存在しなければ、神(はたらき)を認識できる物が居ない事に成るので、神(はたらき)にとっては「優しい人々」が存在しなければ、神(はたらき)の存在も無駄足を踏んでしまうと言う理・ことの様である。

其れは、「天神・宇宙意志」自体が、自分・神(はたらき)を認識する為に、人類にまで、元素を組み上げて「遺伝子・DNA・命の鎖」を創造・進化させて来ていると言う事であり、破壊型の人間ではなく、調和型の人間が必要不可欠である事を求めていると言う理・ことに成るのであろう。

今朝起きた・起こされた「8時13分」の数字から、8月13日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/8/13「身近な所からの改革」https://green.ap.teacup.com/20060818/5922.html

此の「身近な所からの改革」の文章の内容からすると、今朝「かっての優しい人々は何処に行ったの」と謂った聲の主は、「万物の母神」であり、昨夜12時3分前に私の左手の薬指にチャンネルして来た物・正体は、其の「万物の母神」であり、今朝のビジョンは、其の万物の母神の意識体が、私の潜在意識(古皮質・蛇脳)を使用・コントロールしていた事に成り、「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の最奥は、万物の母神に通じるタイムトンネルであるとの理・ことなのではないだろうか。

其の様に考えると、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が11月22日(新嘗祭)の日に「過去に八回トンネル潜りに失敗して 今回が最後のチャンスである」と告げて来た事が、漸く今朝成功した・完成したと言う事なのではないだろうか。

其れを考えると、中国の側で足踏みしていた台風14号が、初めて福岡県(福津市)に上陸し、自宅の近くを通過したのだが風速20m・瞬間風速30mでもあるのだが、自宅は無風状態で大して雨も降らず通り過ぎてしまった。

其の台風の動き(現象)も、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」は万物の母神の手足の一部であると、考えずには居られない思いである。

昨日「運転手交代」との言葉を使用した・使用させられた事を考えると、肉体を有さない四次元世界・冥府の「天神・神霊界」達にとっては、此の三次元世界・人間社会で、自分達を乗せてくれる・便乗できる何らかの乗り物が必要である理・ことを示して来ている事になる。

其の理・ことを、古代の人々は知っていたからこそ、「肉体・からだ・空だ・空蝉」と「ひと・霊留・れいとどまる」との言葉を使用して居たのであろう。
其の事・世界は、私が此れまで嫌と言える程、自分の躰で体験・実感している。

今朝のビジョンでは、是までは漠然として認識していた事が、明確に示されて来た事に成るので、此れからの私の意識・行動には、更なる進化が起きるとの事であり、其の事こそが「1984年6月4日(旧暦5月5日)母親の64歳誕生日」に私に告げられて来た次の事が、現実に成るとの事なのであろう。

キー「アンテナが二つ要る 四次元プログラム 水素原子管理 」
2007/6/7「最後の言葉が解ける」https://green.ap.teacup.com/20060818/315.html
2017/9/3「大山祇神の本体」https://green.ap.teacup.com/20060818/4357.html
2019/12/4「皇帝の退座」https://green.ap.teacup.com/20060818/5199.html

此の12月4日の「皇帝の退座」の文章には、次の様に記して有る。

・・次に、「筆頭」との言葉が示されて来た。
次に刺繍の入った黄金色の衣服を来た古代の大臣らしき人物が「頼む」と謂って、一本の白紙の巻物を目の前に差し出して来たとの事である。
 其の映像場面から私に考えられる事は、鯨は陸から海に帰った哺乳類であり、飛び魚は海中の生物であるが空中を飛ぶ生き物であるので、光る網に入っていたというのは、仏教の「帝釈天の網」や、老子の言う「天網恢恢粗にして漏らさず」との理と関係が有り、生物・生命全体の存在を示唆しているのであろう。
 鼠の存在は12干支の一番目であり、時刻では「1時・子(ね)」を意味するので、「屋久島の山岳の中央を通る東経130度30分(みいつライン)を子午線として、新しい流れを起こせ」との事と関係が有り、「新年・新世界・時間・トキ」の始まりを示唆しているのであろう。・・・

此の文章の内容からすると、三日連続「東経130度30分(みいつライン)」の事が出て来た事に成るので、「岩・水」及び「肉体・ミネラル」の事・世界は専門家に任せて、私自身は本来の役目・役割である「新しい暦・政(まつりごと)御稜威建国」に専念しなければ成らないとの事が示されて来ている事に成りそうである。

2008/8/11「満法」https://wave.ap.teacup.com/20060106/331.html
2013/2/7「苆の亀甲紋」https://green.ap.teacup.com/20060818/2587.html
2014/1/19「物の関係」https://green.ap.teacup.com/20060818/2937.html
2018/10/9「最終プログラム」https://green.ap.teacup.com/20060818/4770.html
2020/11/16「宗教の本質」https://green.ap.teacup.com/20060818/5551.html
2021/2/5「世代交代」https://green.ap.teacup.com/20060818/5634.html
2021/5/5「事が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5724.html

キー「 事象の特異点 新しい神の座標軸 」

2016/2/24「天地間を結ぶ情報システム」https://green.ap.teacup.com/20060818/3767.html
2018/1/26「統尊はマイクロプロセッサの役割」https://green.ap.teacup.com/20060818/4508.html
2016/7/714/4/19「事象の特異点」http://green.ap.teacup.com/20060818/3030.html
14/12/21「三次元世界の管理」http://green.ap.teacup.com/20060818/3303.html
「神は見給う」https://green.ap.teacup.com/20060818/3913.html
2016/4/26「事象の背景」https://green.ap.teacup.com/20060818/3830.html
2019/3/5https://wave.ap.teacup.com/20060106/862.html
2013/9/11「トト神」https://green.ap.teacup.com/20060818/2806.html
2016/2/5「天御中主は御祖神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
2003/4/30「トータリティ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/144.html
2010/7/24「動き出す神凝り石」https://green.ap.teacup.com/20060818/1615.html
2015/7/13「顕在意識と潜在意識の分離」https://green.ap.teacup.com/20060818/3528.html
2021/7/24「岩戸閉め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5882.html

今朝、女神の聲で「優しい人々は何処へ行ったの」との言葉からすると、仏教の「慈悲」の言葉や、イエスキリストの教えである「愛」の言葉・概念を、神(はたらき)が持っている事には成らない事に成り、万物の母神の方が、人間に慈悲や愛を求めていると言うか、実行を願っている事に成る。

其れを考えると「天神・宇宙意志」が、我々人類を育てている目的は、慈悲心や愛の世界が地球に満る為であり、其の事・世界が出来ない・完成しないのであれば、自分(地球)を犠牲にしてまで、人間を育てる事を止めてしまうとの事なのかも知れない。

                      みいつ15年9月18日

                             礒邉自適

運転手交代

クリックすると元のサイズで表示します


    運転手交代
                           3・9・17

今朝のビジョンは、先ず、私の舌が長く伸びて、地面に着きそうな状態に成っており、其の為に私が活動出来なく成ると、此の世界が暗く成ってしまう様子が映し出されて来た。

次に、無農薬・無科学肥料栽培で稲作を行っている「江藤敬介氏」が、自分が使用する道具・工具・機器を、トヨタのハイエースの様な車に積み込んで居る様子が映し出されて来て、道具を積み込み終わってから、私が「弁当(食べ物)はどうするのだろうか」と、意っていると、カレーが満タンに入っている白いタッパーが映し出されて来た。

私は其のカレーを見て、其れが有れば「おかず」が無くても、行った先で、「カレーライス・カレー饂飩・カレーパン」や「ナン」等が食べられるので、心配しないで良いと意っていた。

そして、いざ出発と言う時に、其の車の運転は私自身がするのではなく、運転する人間は「川田兄」であると告げられて来た。

私は其の「川田兄」との言葉から、私が知っている「川田」の名前は、「ミネラルの研究者」である「川田 薫」氏しか居ないので、其のミネラルの世界から、私に「子供達にミネラルを飲ませろ」と告げて来た「宇摩志麻遅の命・うましまじのみこと」の事を思い出した。

今朝は、「7時45分・8時15分」に起きてPCを立ち上げ、川田氏の事を調べてみた。川田薫氏は昭和9年産まれであり、私より11歳年上なので確かに「兄」である事に成る。

川田 薫(かわだ・かおる)●川田研究所・代表取締役昭和9年生まれ。理学博士。東京理科大学物理学科卒。東京大学地震研究所、東京大学物性研究所を経て、三菱金属中央研究所に入社。並行して科学技術庁、通産省(いずれも当時)などの研究員を歴任後、昭和63年に独立、川田研究所を設立。科学技術庁の外郭団体「科学技術振興事業団」の「さきがけ研究21」でミネラルの研究を行う。さまざまなミネラルの作用を発見し、その成果を応用した。生命の起源探究を行う。

其れから、今朝起きた・起こされた時刻「7時45分・8時15分前」の数字から、8月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有り、「岩」と「水」がテーマと成っている。

2021/8/15本日8月15日はお盆で「盆踊り」が行われる日であるが、旧暦では7月8日であり月齢は6月6日で満月ではないので照明が必要である。
今年の旧暦7月15日は、7日後の22日であり月齢は13・6で満月は21時と成っている。
 昨日のアメダスの写真では、北九州から東北まで厚い雨雲の赤色に成っており、気象庁の観測データーでは8月では初めての出来事であるとの事であった。
其の天気図から考えると、昨日の文章に記した「・・船舶で使用する丸いレーダースクリーン・画面の様に、青白い光影が、自分の頭の中で回転し始め、私の脳・意識の情報を精査を始めている様で、私は其の儘再び眠りに落ちていった。」との事は、船舶のレーダーではなく、気象レーダーの存在と関係が有った様である。
 今朝のビジョンには、床に就いて目を閉じて居ると、屋久島の御岳・奥岳の苔蒸した岩壁を水が滝の様に流れ落ちている場面・様子が映し出されて来た。
そして眠ってからの映像は、私が女神が座って居る・乗って居る絨毯・畳の様な物に乗せられて、山岳の頂きから、年間9000mの雨量が有る「小杉谷」のトロッコ発着場まで降って、安房の港まで降るトロッコの上に乗せられている大きな広葉樹の木上に、降ろされる場面が映し出されて来た。
 次に、劇作家「椎貝氏」が居る部屋を、私が訪れる場面が映し出されて来た。
そして二人で、此れから未来創造の為にどんな物語・ストーリーを創作すれば良いかを話し始めると、二人の考えとは関係が無く、日本語の横文字で箇条書きに記された文章が、画面に次々に下方から繰り上がって来た。
 次に、其の文字画面は途方も無い量と成り、画面が遠いて広がると、文字は小さく成って判別できなく成り、其の文字の存在は点と成って行き、全体が水色の壁と成ってしまった。
そして、其の水壁と成った文字の水(情報)は、流れ降って大海に出て、地球全体を循環する雨水と成って行くとの事が示されて来た。
 今朝は、「物事が地球全体と成る」との意味の言葉が告げられて来て意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時31分であった。
 21/7/31「聖者・仙人は山村に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5897.html
此の文章の末尾には「神の真意に適った世界を ゼロから組み立て直さなければ成らない」と記して有るので、今朝のビジョンで私が劇作家の椎貝氏と、「新しい物語・ストーリー」の創作に付いて話し合いを始める場面と符号している。
其の椎貝氏が、現在講演している物語は、屋久島の永住していた百姓詩人で「聖老人」の作品で縄文杉を有名にした故「山尾三省」の「私の遺言」がテーマの朗読会である。
   キー「山尾三省 子供達への遺言 」
 12/11/7・・「子供達への遺言・妻への遺言 」
僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、大変うれしいのです。
 というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらない限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことになっているからです。
 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。
 まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。
神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。
これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。・・・
「ペンは剣より強」https://moon.ap.teacup.com/20060830/36.html
 20/2/2「子供達に綺麗な水を」https://green.ap.teacup.com/20060818/5261.html
此の「子供達に綺麗な水を」との言葉を考えると、私が出雲に住んで居る時に、太田市に在る物部神社に墓が有る「宇摩志麻遅の命・う ましまじのみこと」に「子供達にミネラルを溶かした水を飲ませろ」と告げられた事も関係が有る。
 18/11/30「水が生命の元」https://green.ap.teacup.com/20060818/4823.html
此の2006年9月2日の文章「山の上に準備されたパイプ」から、残り18日で丸15年と成る。
其れを考えると、15年前のビジョンに映し出されて来た崖上に持ち上げられていたパイプ・水道管の存在は、準備段階を示唆しており、其の件・事が15年掛かって現実に成ったとの事ではないだろうか。
 其の様に考えると、私が此の世界に37年前に飛び込んだ日に「四次元プログラム」と「水素原子管理」のアンテナが必要であると告げられて来た事と関係が有り、今朝のビジョンに映し出されて来た「文字が溶け込んだ水が地球全体に循環する」との事は、其の事と関係が有り、「四次元プログラム」とは其の文字文章(岩壁・言葉・情報)と関係が有り、「水素原子管理」が地球全体の水流れ・管理を示唆しているのではないだろうか。・・・
「磐に記憶して水で流布する」https://green.ap.teacup.com/20060818/5926.html

其れに、「宇摩志麻遅の命 ミネラル 岩 」を調べると、次の文章が出て来た。

2001/6/21・・6月15日のメッセージには、「ミネラルが不足しているから 頭が悪いし イライラもする。だから 子供達に 早く岩を溶かした水を 飲ませろ」と有った。・・
 物部神社に到着すると、鳥居の所で「此処は 貴方の神社だ。ゆっくりしていろ。」と、男の声でメッセージが有った。
そして、鳥居を潜って御手洗いの所に行くと、其処には、少しピンク色掛かった大きな岩が置かれていて、其の岩が刳り抜かれて、御手洗いの水が流されていた。
そして、其の岩の所には、説明の立て札が有り、「此の岩の水は 身体に良い」との理・ことが書いて有るのである。
其の日の朝の、夢のメッセージは、其の岩の事であり、メッセージは其の神社の祭神からのモノであった事が、判明したのである。・・
 夢の中の大田が、大田市の物部神社の事であれば、物部の神は、大和朝廷の「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」と言う、神職を司った神である。
新天皇が即位する時には、大嘗祭と言う儀式が行われる。
其の大嘗祭での儀式は、新嘗の儀式であり、その新嘗の儀式こそ、石神神宮に伝わる「おすくにのまつりごと」の儀式である。
 トンネルを潜り抜ける前に、大田に寄らなければならないのは、長い間「申食国政太夫」の役目が、果たされていないとの事だったのではないだろうか。
私が、物部の霊を背負っているのであれば、其の「食国の政(まつりごと)」を復活しなければならない事になる。・・・
「大田に下車せよ」https://star.ap.teacup.com/170606/437.html

2020/8/15本日8月15日は終戦記念日であり、昭和天皇の玉音放送の後、奈良の「矢追日聖法主」に天神から新しい御世の始まりが告げられて来た日である。
 今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の発動が要求されて来た。
今朝のビジョンには、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時14分」であった。
 其れから再び眠ると、緑の梢の先に、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の雲の存在は、太陽光の熱エネルギーで水が蒸発して発生しているモノ・現象であり、其れに拠って、地上に生物が存在している理が示されて来た。
其れから、女神の聲で、「貴方の良くない事は 自分が何物であるかを はっきりしない事です」と告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時30分に成る所であった。・・
 何れにしても、新しい御世は、人間が目に見えない神様を信仰する事を止めて、伝書バトや渡り鳥の様に、地球の磁気を自分の生体電気で捉えて、宇宙の波動と直接チャンネルし、他の生物の様に、潜在意識で自分自身の遺伝子・DNA情報を進化させて行く次元に入るとの事なのではないだろうか。
 其れは伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の座が、自分の物・事と成ると言う事でもある。
「天照坐皇大御神御魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/5456.html
 
2010/1/2763歳の誕生日まで、残り二日と成った今日、最後の答えが、目の前に有る様な予感がしている。
 其れは、アフリカの「呪術師・じゅじゅつし」の言い伝えに、「岩に棲む蜥蜴は いまだに太古のほこりがついている(宇宙の秘密・記憶を 持っている)」と有るそうだが、其の言い伝えは、私の苗字・姓である「礒邉・磯部・石部(石工)」に関係が深そうである。
 昨夜は、シャワーを浴びてベッドに入って目を瞑って居ると、自適塾の駐車場に白いマイクロバスが着いて、道路の真ん中には、案内をする体格の良い50歳くらいの男性が一人立って居る映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、道場の様な門・玄関の前に、朝未だ夜が明け切らない暗いうちから、男女の区別無く、人々が左右からだんだんと集まって来て、玄間が開くのを待って居た。其して、眠りに落ちてから、霊夢に現れて来たのは、皆既日食の様な真っ黒い太陽で、其の黒い太陽の周りから、青白い磁場の様な物が、宇宙全体に放出していた。
 今朝は、其の他には映像が映されて来ないので、其の黒い太陽の事を考えて居た。今朝の黒い太陽は、皆既日食を連想できる物であり、地球に、太陽エネルギー(粒子・波動)が届かない状態を、意味しているのであろう。
しかし、光は届かなくても、青白い磁気の放出は見えたので、磁気に付いて考えろとの事であろうか。
 其れは、一昨日の「制世・せいよ」や、昨日の「御稜威・みいつ」に関係が有るのかも知れない。考えて見れば、「制世」の働きが出来る意志を持った人間が、此の地球に存在しても、太陽の様に身体から光を発する事はできない。しかし、人間の脳波は磁気を伴っているので、太陽から発せられている磁気とは、同調・チャンネルできる事に成る。
其の理・ことを考えると、太陽の光線(昼間・天照界)ではなく、太陽から出ている黒点や磁気(夜・月調界)と、人間は24時間チャンネルが起きている理・ことに成る。・・
 此の説明で解る様に、38億年前に発生した「嫌気性微生物」が、進化した光合成を行う微生物に、二酸化炭素が吸収され始め、其の嫌気性微生物は多くの植物系に枝分かれし、其の生物の働きで炭酸同化作用が行われ、二酸化炭素の変わりに酸素が放出され、空が澄んで来たのである。
 其れに、光合成に拠って放出された酸素と、海に溶けていた鉄が化合して、海底に沈殿してしまったのが、現在のオーストラリアの赤い酸化鉄の大地である。そして、太陽光線が地表や海面に届く様に成り、其れまでの嫌気性微生物は、外側に好気性微生物の殻を造り、其の中に潜り込んでしまったのである。
 今度は、其の酸素を利用する好気性微生物が進化して、酸素を利用して生きる動物が生まれ、我々人類にまで、進化して来たのである。
其の好気性生物の殻が、我々動物の肉体であり、中に潜り込んで生き続けて居るのが、我々の胃腸の中に棲んでいる、何千万種もの微生物なのである。
 そして、其の微生物を養っているのが、最初に酸を出して岩を溶かし、有機質を造り始めた胃の細胞なのである。だから、今でも、胃は空腹に成ると食べ物・有機質の材料を欲しがり、食べ物を取り込むと酸を出して、其れを溶かすのである。そして、胃酸で溶かされた食べ物は、十二指腸からアルカリ液が放出されて中和され、微生物の棲みかである小腸に送られるのである。
 其の生命の仕組みを考えると、人間の身体の仕組みの世界を「制世・せいよ」しているのは、胃の細胞であると言う事に成って来る。
其の様に考えると、「謂」の漢字が「言+胃(米+肉)」の組み合わせで、「胃袋の中の穀物から 言葉の元である意識が 発生してくる」との、言葉の意味が理解されて来る。
 其の意味から考えると、奈良の「石上神宮・いそのかみ」の物部や、天皇家で行われる「新嘗祭」や「大嘗祭」の儀式が夜間に行われ、夜中に「直会(なおらい)・食事」が行われる事の意味が理解できて来る。だとすれば、昨夜12時過ぎに、私の意識に姿を現した人達は、其の新嘗祭の儀式の為に、集まって来た霊魂だったのかも知れない。其れを考えると、38億年前に誕生した胃の細胞は、太陽光に直接当る事を嫌っている理・ことに成って来る。
 だとすると、「天照大神」と「月調命」の働きは、別に成っており、新嘗祭は天照界のモノではなく、月調界の世界であると言う事に成る。そして、其の「月調命」の世界は、食べ物や胃袋に関係が有ると言う事に成る。
其れを考えると、私が2001年6月15日に、島根県太田市に有る「物部神社」に参詣した時の事が思い出される。
大田市の物部神社は、物部の先祖である「饒速日命・にぎはやひ」の息子「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が祭神である。
 私には、其の日のメッセージに「ミネラルが不足しているから 頭が悪いし イライラもする。だから 子供達に 早く岩を溶かした水を 飲ませろ。」と有った。そして、物部神社に着いて、鳥居を潜って御手洗いの所に行くと、其処には少しピンク色掛かった大きな岩が置かれていて、其の岩が刳り抜かれて、御手洗いの水が流されていた。そして、其の岩の所には説明の立て札が有り、「此の岩の水は 身体に良い」との理・ことが書いて有るのである。
 私には、其の日の朝の夢のメッセージは、其の石の事であり、メッセージは其の神社の祭神からのモノであった事が、判明したのである。
其の、物部神社の御手洗いの岩の成分が、どんな物であるかは判らないが、何等かのミネラル・希少鉱物が含まれている事は間違いないのであろう。
 私が、生まれ育った屋久島は、1400万年前に隆起して出来た花崗岩の島であり、花崗岩は雲母や石英が主体である。
屋久島の花崗岩の特徴は、鉄分が含まれている為に、空気に触れると赤く変色する為、墓石などの建築用に使用される事は無い。しかし、今朝のメッセージの内容から考えると、胃の細胞には良いのではないだろうか。
 冒頭に書いた、アフリカの「呪術師・じゅじゅつし」の言い伝え「ソト族の諺」である、「岩に棲む蜥蜴は いまだに太古のほこりがついている」との事は、ライアル-ワトソンの著作である「アフリカの白い魔術師」に書かれている事である。
 其の本には、他にも「キリスト教」が村に入り込む迄は、赤い土を塗った太鼓を叩いて雨乞いをしていたとの事で、其の赤い土は、村から500kmも離れた所から取って来た物であるとのこと。其のアフリカの赤い土も、鉄分が含まれている鉄鉱石が、砕かれて粉末と成った物である。
しかし、其の赤い鉄鉱石の山は、日本の商社に5000万t買われて、其の発掘跡が大きな穴に成っているとの事。・・
 其れに、「宝珠光龍」の「宝珠」とは、屋久島の山岳の神が「一品宝珠大権現」と呼ばれている事に関係が有り、其の一品宝珠大権現が「光の龍」として、登場するとの意味であろうか。其して、其れが、石版に書かれていたのは、「モーゼの十戒」の石版にも関係が有るのではないだろうか。
 今朝、私が感じた理・ことは、「制世」とは頭脳を使った意識でするのではなく、胃の細胞の次元で起きるのではないかと言う事である。
何故なら、人間の大脳は、アフリカの大地で凡そ650万年前頃に出来た物であり、38億年前に生まれた胃の細胞とは、次元の深さが違うのである。
其れを考ええると、アフリカのソト族の魔術師が言う、「岩に棲む蜥蜴は いまだに太古のほこりがついている」との諺は、的を射ていると言えるのではないだろうか。
 其れに、アフリカの鉱山では、5万年前の地層から、穴のあいた貝殻のペンダントをつけた、子供の遺骸が埋葬されているのが見付かったそうである。
其れに、其の付近では10万年前から、農耕が行われていたとの事である。其れ等の事柄を考えると、我々は、大した進化はしていないと言う事に成る。
 制世とは、此のまま近代文明を進めて、地球の資源を食い潰し地球環境を悪化させて、地球生命に危機を齎す事ではない。制世とは、現代の情報社会を活かして人間の叡智を集め、持続可能な世の中を創る事である。・・
 日本には「身土不二・しんどふじ」との言葉が有る。
土地柄が違えば、食べ物が違うので、胃の情報が違う事に成る。其の、胃からのメッセージが古代脳である「トカゲの脳」を通じ、磁気信号として太陽の磁気や宇宙と繋がれば、制世も刺激的で楽しい物と成るのではないだろうか。・・
其のメッセージで、私は東経130度30分の経線の事を思った。
其れは、私が25年前に登って行った、本州への道筋である。
「東経130度30分」http://moon.ap.teacup.com/20070607/47.html
ノストラダムスの予言には「其の者は 経線に沿って上る」と有るが、私は25年前に、屋久島の地図上に断層が有るのが見え、其の線が北に向かう東経130度30分の線だったのである。
今度は、次元切り替えが有ったので、其の経線を北から南へと、人々が下って来るのであろう。
 屋久島の其の経線の位置は、矢筈岬から平内の大崎川を結ぶ所である。
其の、矢筈岬に有る「矢筈八幡神社」に、参詣者が蟻の様に行列を為して参詣している姿を、リーマンブラザーズ証券が倒産して世界同時金融危機が発生した、2008年9月15日の未明に、映像で見せられている。・・
 私だけではなく、他にも、屋久島に、世界中から大勢の人達が押し掛けて来るビジョンを見せられている人達が居る。其れを考えると、神界には国境が無い様であり、有るのは部族や民族の違いの霊的なモノであり、食生活の違いや「DNA・遺伝子」の違いで分類される様である。
 此の狭い日本列島にも、九つのDNAのルートが有る理・ことが、DNAの検査で判明しているとの事である。しかし、其れも、全て元を辿れば、アフリカ大陸に行き着くのである。
 何故、今回の神事が其のアフリカ大陸ではなく、日本列島であるのかを考えると、日本列島がミネラル・鉱石の博物館だと言う事に有るのではないだろうか。・・・
「黒い太陽」https://green.ap.teacup.com/20060818/1418.html

2015/4/11「一頭の白銀の蝶」https://green.ap.teacup.com/20060818/3423.html
2015/10/20「これから」https://green.ap.teacup.com/20060818/3632.html

此の「黒い太陽」の文章には、ミネラルと生命の関係だけではなく、昨日のテーマであった東経130度30分のラインの事が記してある、
其れを考えると、今朝のメッセージは、昨日の続きである事に成る。

其れを考えると、「黒い太陽」との言葉は、今朝のビジョンで、私の舌が地面に着く程長く伸びており、其の為に私の活動・行動が出来なく成った事で、世界が暗く成ってしまった事と関係が有りそうである。

其の「長い舌」と「太陽」の関係を考えると、アステカ文化の石板「炎のリング」の中央に刻まれている「太陽神」が長い舌を出している事と関係が有り、「北、子、0時・0度、12時・360度」の位置・印が「葦の芽」である事と関係が有り、昨日の文章に記した、葦北インターの手前で「4時3分」にカモが起きた現象と関係が有り、「葦北・あしきた」とは「すすむ・進む」の意味であるので、カモ(神の電気信号)の反応が起きた事は、もっと深い意味が有り、昨日告げられて来た「絶対無比の基軸は東経130度30分のラインである」との事に付いて、其の「真意・深い意味」が今朝示されて来た事に成りそうである。

其れを考えると、今朝のメッセージこそが「絶対無比の基軸」の理・ことに付いて触れる・示されて来ている事に成りそうである。

キー「太陽神 長い舌 ケイン 葦」

2008/9/21・・其れは、アステカ文化の暦である岩に刻まれている「鏡」の、「真北・0時・12時」の所に有る「ケイン・葦の芽・葦北」に関係が有り、日本を「豊葦原瑞穂の国」と呼ぶ事と、「スメラのみこと・皇命」が国を「スメル・総める」とのシュメール文化の概念である事と、パスカルの「人間は考える葦である」とのイメージに、繋がる世界である。
其れは、湖や池の「葦原・よしはら」に、人間の記憶が繋がっている理・ことを示唆している。其処には、全ての動物の記憶の源が、潜んでいるのだ。
 其の記憶は、「蛇」に成る前の「蜥蜴・とかげ・戸陰」の元である「井守・イモリ・泉守」の記憶である。其の記憶とは、葦が、水中の汚染の浄化を図る事に関係が有り、其の浄化システムは、人間の腎臓のシステムと関係が有るのだ。
 私は24年前、此の世界に入った時に、夏の間、水ばかりを飲んで、心拍が停止し、呼吸が止まる寸前まで断食を続けて、宇宙の始まりの次元まで、意識が「祷った・還った」事が有る。
 其の記憶は、138億年以上前の記憶だが、途中に、水辺に生活する小型恐竜の記憶が挟まっていた。其れは、人類が、類人猿から分離する650万年前より古い記憶であり、言葉を使い、大脳を発達させて来た現代人からすると、一番遠い時代の記憶であると謂えるだろう。
 人間の体には、物事を考えたり、記憶したり、身体機能を制御している脳は、頭の中にある。其れとは別に、「リトルブレイン・第二の脳」と呼ばれるものが、ヘソの下辺りに有る。
「リトルブレイン」とは、神経が集まり、神経を繋ぐ神経節の一つで、小さな塊である。其の塊は、小腸など内臓へ命令を出し、化学物質に対しても脳(ビッグブレイン)と同じような反応をすることからこう呼ばれている。
其の、リトルブレインの働きに付いては、未だ解からない事が多いが、脳の研究モデルとして使われる事も有るそうである。
 臍の下と云えば、「丹田」と呼ばれる所である。
丹田とは、不老長寿の薬「丹薬」を作るところと言う意味で、自律神経系や免疫力に大きく関わるとされている部分である。
だから、剣術などの武道でも丹田に意識を集中する訓練をするのであろう。
 其れは、情報に振り回される大脳よりも、リトルブレインの方が、精神構造の土台に成っていることに成る。だから、リトルブレインにも適度な刺激を与えれば、その働きが活性化し、精神が安定して、内臓が健康になるのではないかとも、言われているのである。
 丹田のリトルブレインとは、「腹腔神経節」と「上腸間膜神経節」の事で、其れは腎臓の中心部分の外壁に着いている。だから腎臓の働きに直接関わりが有る事は確かである。
「肝腎要・かんじんかなめ」との諺が有る様に、人間の体にとって肝臓と腎臓は大事な役割を担っているのである。「肝臓」は、身体の毒素を分離する働きを行っており、「腎臓」は身体に不必要な物を、対外に排出する働きを行っている。
だから、其の肝臓と腎臓が健全に働いていないと、肉体に毒素が溜まり、肉体どころか意識も混濁して来るのである。
 特に、腎臓は、体内毒素を排出する為に、一日にドラムカン約一本分(160~170リットル)の水が必要であり、人体は、水無しでは維持出来ないのである。其のリトルブレインの働きが、何時の時代・次元から始まったのかを考えると、数億年前に、葦の生える湿地で、他の生き物の餌と成って居た時代に、身を潜める行動から生まれたものではないのだろうか。
 其れは、鳥等の外敵に見付からない様に、湖面を揺らす事無く、静かに身を潜める為に、養われた仕種が元ではないのだろうか。
其の様に考えると、「パスカル」が、人間は水辺に生える一本の、弱い葦の様な物だと謂った、表現の深層が理解出来る様な気がする。・・
 しかし、アステカの暦(太陽の暦石)の北の中心には、葦の葉が刻まれていて「ケイン」と呼ばれている。其れは、アステカの人には、其の神秘が解明されていた事を証明している。其の事実は、人間は文字を開発した為に、其の文字に意識が捉えられて、神秘の扉を潜れなく成った理・ことを意味している。・・
 熊本県葦北郡の「葦北・あしきた」の地名の意味は、言葉の意味は「進む」である。其れは、アステカ文化の太陽の暦石の葦が、北の位置に有る事と関係が有り、意識の「アシ・葦・足」が「北・神・かみ・上」に向かう事と、関係が有るのではないだろうか。其れは、「妙見信仰」や「北斗信仰」や「紫微垣・しびえん」の概念とも、連動している事に成る。
 其の様に考えると、「アコイ・踵・かかと」と「葦北・あしきた・足北」が、関係有りそうにも想えて来る。・・
 私は24年前、水断食を続けて行って、浣腸をしても、水しか排出しない段階まで、胃腸の洗浄を行った。そして、古代の聖者の排出した、尿の一分子が、自分の飲んだ水に含まれており、其の聖者の尿の水分子が、自分の腎臓の漉し器に引っ掛って、其の聖者の記憶情報が、自分の意識に吸収される事を体験している。
 人間の五感とはセンサーであり、其のセンサーが捉えた情報は、大脳に送られて整理される。しかし、整理する基準は、自分自身の過去の記憶データに拠ってである。だから、自分の過去の記憶データが間違っていれば、出した結論も間違っている事に成るのである。
其の事を考えると、現代の人間社会に蓄えられているデータも、何処までが正しいのか、信じられた物ではないのである。
 情報が間違っているのであれば、其の情報は、在る事自体が、悪しき事であるのだ。其れが、旧約聖書で言う処の「蛇の智慧」の意味なのであろう。
パスカルも、聖書の内容に付いて、問題を提起している。
 其の事を考えると、私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」は、未だ完結していないで、是から、言葉を越えた世界「イモリ・泉守」の棲みかである、葦原の根の、足元に潜り込んで入って、其の場で、細胞の記憶を蓄えている、水心に達する必要があるとの事ではないだろうか。
 そうであれば、是から「生命・いのち」の神秘の深みに嵌って行く事が、2600年先の、未来創造の礎と成るとの事なのかもしれない。
其れは、新しき「聖なる書」の創作にも繋がる行為であろう。
 其れが、アフリカの古い原語である、ハウサ語の「アコイ・良い」に繋がるのであれば、私の「マントラ・真言」は、一万年前のマレー語の意味を含む「日本語・大和ことば」から、10万年前にアフリカから脱出した、古代人のマントラにまで、里帰りをする事に成るのである。
「一番古い記憶」https://green.ap.teacup.com/20060818/889.html

2020/10/14今朝のビジョンには、昨日のビジョンに、日本語の平仮名文字で10文字以下の単語・言葉が、縦に無限に並んでいる場面が映し出されて来た事と関係が有りそうで、今朝は同じ様に、漢字混じり横書きの日本語で、一行か二行の文章が箇条書きにて、縦に無限に記されている場面が映し出されて来た。
 其の文章の頭には、全て白地の◎の印が付されており、其の縦に並んでいる数番目の◎が一ツだけ赤色に成っている事が示されて来て、其の文章の内容には「台湾」の文字が有る事が示されて来た。
そして、四方の方向性が必要な世界が映し出されて来て、「北」との言葉が示されて来たので、私は中国の思想である四神の北方の神である「玄武(げんぶ)」の事を思った。
 其れに、其の赤い◎徴の意味は、9月22日のビジョン「全世界統一」に、屋久島の山岳の中心に◎が存在した事と関係が有り、台湾に山岳信仰が有るのかと思った。・・
 此の事からすると、9月22日に告げられて来た「全世界統一」との言葉は、「山岳・ピラミッド」信仰の世界と関係が有り「北」との言葉は地球の磁力線の方向である「北・ノース」と関係が有り、「南・サウス」が太陽の化身である「朱雀・すざく」である事と対で考える必要があるのではないだろうか。
其れは、中国の皇帝が政治を行う時に南を向いて人民に対面する事と、夜間や儀式では、北方の「玄武・げんぶ」の方角「神・四次元・紫微垣」に向かう事と関係が有り、自分の住む所の山岳及び高地から、北・ノースに向かって「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」する事・概念の普及が、「全世界統一」との言葉の意味なのではないだろうか。
 其れは、地球の全域360度のどの地点からでも「北・ノース」に向かえば、其の北極は一点であるので、「全世界統一」との言葉と符合する事にも成る。
「北・子・葦の芽」https://green.ap.teacup.com/20060818/5518.html

2020/7/21今朝のビジョンには、石・岩・岩山の上に植物が生えている様子が、何十個(山)も、数知れず映し出されて来て、其れは、其の石・岩・岩山の岩石に含まれているミネラルの如何に拠って、生えている植物の種類が異なる理・ことが、理解されて来た。・・
 何れにしても、今朝のメッセージは、生活排水の川水を貯水池に取り込んで、「アルミ」を投入し「珪素・シリコン」と化合させて沈殿させ、濾過した水道水を口にしている都会暮らしの人間では、どうにも成らないとの事であり、早急に都会人の脳細胞の浄化計らなければ、未来社会を創造する事は不可能であるとの理・ことなのであろう。・・
 要するに、古代の人達にとっては当たり前の価値観であった「神籬・ひもろぎ」磐境・いわさか」の世界を、再構築する必要があるとの事なのではないだろうか。
「艸目里(るい)に遵う」https://green.ap.teacup.com/20060818/5431.html

2008/9/1「洗心」https://green.ap.teacup.com/20060818/867.html
2016/5/26「神(はたらき)の意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/3865.html
2020/9/10「太陽神の顔」https://green.ap.teacup.com/20060818/5483.html
2021/5/5「事が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5724.html

今朝のビジョンに登場した江藤敬介の存在は、私が2007年1月13日に初めて出会った時、江藤氏の背後・背景に花畑(エデンの園)が見えた人物であり、江藤氏は農業に限らず、様々な事が出来る人物である。

其の江藤氏の事を考えると、今朝トヨタハイエースの様な車に、江藤氏が使用する「道具・工具・機器」を澤山積み込んでいた場面は、旧約聖書に記されている「蛇が勧める林檎(知識)を食べたアダムとイブがエデンの園から追放された。」との事と関係が有り、男性は机上でいくら勉学していても、イザと言う時には役に立たないと言う理・ことであり、太陽の下で様々な体験・実習を行って、ミネラルが調和している丈夫な肉体を持たなければ一人前ではない理・ことが、示されて来ているのであろう。

今朝起きた起こされた時刻が「7時45分・8時15分前」であった事と関係が有るのか、「宇摩志麻遅の命 ミネラル 岩 」で検索した時に、昨年の8月15日の文章が出てきて、最後に、次の様に記して有る。

・・何れにしても、新しい御世は、人間が目に見えない神様を信仰する事を止めて、伝書バトや渡り鳥の様に、地球の磁気を自分の生体電気で捉えて、宇宙の波動と直接チャンネルし、他の生物の様に、潜在意識で自分自身の遺伝子・DNA情報を進化させて行く次元に入るとの事なのではないだろうか。
 其れは伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の座が、自分の物・事と成ると言う事でもある。」

此の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である天照坐皇大御神御魂 」の事を考えると、私が1984年11月半ばに全国の旅に出発して11月22日の朝志摩の磯部町で「過去に八回トンネル潜りに失敗して 今回が最後のチャンスである。」と告げられて来た事が、漸く解決の目途が立って、私は運転手の役割を交代できるとの事なのかも知れない。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html

要するに、後は、専門家に任せろとの事なのであろう。

                      みいつ15年9月17日

                             礒邉自適

クローズアップ・close-up

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


     クローズアップ・close-up

                           3・9・16

今朝のメッセージは、先ず「絶対無比」との言葉が告げられて来てから、次に「基軸」との言葉と「東経130度30分」の事が示されて来た。

次に、縄文杉の三倍も有りそうな巨大な杉・御神木の根本に、太陽の光が当たっている様子・場面が映し出されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時15分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、私の事務所が出来ているらしく、事務方が引っ切り無しに掛かって来る電話の対応に、追われている様子が示されて来た。

其の中には、未来創造に関わりたい真面目な人達だけではなく、お金目的や、過去に関りを持っていて、自分を売り込もうとして来る人達が混ざって居る事が示されて来た。また自分の趣味を持っていたり、ペットを飼っている人達は、全て電話口で断っている事が判った。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時28分」であった。

其れから再び眠ると「クローズアップ」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時8分」であった。

其れからPCを立ち上げ、起こされた時刻「3時15分」「6時28分」「8時8分」の数字から「3月15日」「6月28日」「8月8日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。

2021/3/15今朝のビジョンには、日本語の横書きの長い文章が映し出されて来て、最後の部分の行に「ひとのかたち」との文字が記されている事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であるので、私は其の数字を釈迦仏陀の命日である「2月15日」だと記憶して再び眠った。
 すると今度は、私が仲間と酒を飲んでから、何処かの家に一人で泊まる事にすると、電気が点いている事を不審に思った中年の女性が二人、様子を視に来て、私である事を確認して帰って行く様子が、縁側のサッシ戸の向こうに見えた。
 そして、翌日起きて本体の施設の方に挨拶に向かうと、其処は矢追日聖法主が創設した「大倭あじさい邑」の施設である事が判り、私は数か所の施設を廻り、話をして居る場面が映し出されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時40分」であるので、私は其の数字を「640・むしまる・虫〇」と記憶して再び眠った。
 すると今度は、脱穀が済んだ稲藁の束の存在が映し出されて来て、其の稲藁は神社や玄関に飾られる「注連縄」や、十五夜の綱引きに使用される「大綱」を作る材料には成るが、肝心な稲作の目的である「籾・米・実」が着いていないので、本来の物では無い理・ことが示されて来た。
 其れから、現在の世の中が「間違いばかりである」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、「7時45分・8時15分前」であった。
 其の「7時45分・8時15分前」の数字は、昨日起こされた時刻と同じなので、昨日の文章(謎解き)が不十分であったとの事なのかも知れない。
其れを考えると、「640・むしまる・虫〇」との事は、虫達の生態が「全天候型」であるとの理・ことであり、人間社会は自然界の生物とは異なり、余りにも無駄な物・不必要な物が多く存在するとの理が、示されて来ているのかも知れない。
 其れを考えると、2時15分に「ひとのかたち」との日本語が記されている文章が映し出されて来たのは、釈迦仏陀の「生命観」の遺言を示唆しているのかも知れない。
 其の様に考えると、次のビジョンである、矢追日聖法主が創設した「大倭あじさい邑」の施設を視て回る場面は、大倭あじさい邑の存在が日本の福祉の雛形的役割を果たして来た事と関係が有り、人間社会の在り方を、部門的に点検仕直す必要がある理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
其の「矢追日聖法主」の大倭あじさい邑には「大倭神宮」が存在し、矢追家は熱心な「日蓮宗」であるので、「釈迦仏教」と「神道」の融合と言うか、並立を考えなければ成らないと言う事に成るのかも知れない。
 其の様に考えると、昨日の「四・田×四・田=十六」と「思考・思念・思索・思案」の単語の世界は、丸い球(宝珠・玉龍)をチベットの曼荼羅の様に平面的な図柄に分解・区分して、視覚化する必要があるとの事なのかも知れない。
 其れは、丸い地球儀で地球の様子を目視するだけでは、具体的な思考が出来ないので、地図・平面化(緯度・経度・位置・距離)する必要がある事が、参考と成りそうである。
 其れを考えると、紫陽花邑の施設が病院・福祉施設から印刷工房・神社まで、13程の施設を備えている事と、今朝起こされた8時15分の数字は、矢追日聖法主に神の指示が下った日が、終戦日8月15日の昭和天皇の玉音放送の直後であった事と、関係が有るのかも知れない。
 其れに、其の終戦日8月15日は「お盆」であり、大平洋戦争が始まった12月8日は「釈迦が悟った日」であり、戦艦大和が沈んだ「4月7日」は釈迦の「イブ・誕生前夜」であるので、釈迦仏陀に関する「日付・暦」は歴史の節目に重要な関係が有る事に成る。
 05/4/8・・本日4月8日は、インドの「お釈迦さん」が生まれた日とされている。昨日4月7日は、その前夜祭と成るのだが、日本では、国の名である戦艦「大和」が、屋久島西方約230Kmの所(東経128度04分・北緯30度22分)に沈んだ日でもある。
不思議なのは、12月8日に真珠湾攻撃が行われて「太平洋戦争」の始まりと成ったが、其の12月8日は「お釈迦さん」の悟った日とされており、更に「お盆」の8月15日は、太平洋戦争の終戦の日である。
其の様に、太平洋戦争と、お釈迦さんの大事な日が重なっているのは、何か意味が有るのだろうか。
終戦日の8月15日には、奈良の矢追日聖氏に、世界の救済が此の日本から起きる事が、神に知らされた日である。
昨日、偶然に、矢追日聖氏の名でインターネット検索をしていたら、私の15年4月7日の文章「正傳矢追日聖」が出て来た。
何故、丁度に年前の、同じ日の文章を見せられるのか、不思議でならない。・・
「暦と出来事」http://moon.ap.teacup.com/20061108/332.html
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
其れを考えると、アステカの「メシカ民族」の思考システムは「時間・とき」は単なる時間だけではなく、全ての「現象・出来事が 多重構造で関係し合っている」との考えである事と関係が有り、「田×田=十六」との事は、縦横高さを含め、全てがバイブレーションしながら調和し合う事で、此の世界が「現象化・営まれている」との事に成り、其れを我々人間が認識する為には、「四・田」を三次元世界の「縦・横・高さ」に分類・仕分ける必要があると言う事なのかも知れない。
 其れを考えると、私に何故「時」ではなく「紀(とき)のまつり」を行なえと、「紀」の漢字が使用されて来たのかの意味も理解されてくる。
「トキの正体」https://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
其れは、王家の後継者であった釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が全てを放棄して覚醒した事と、矢追日聖法主が17歳の時に、神が「やがて天皇家が地に落ちる時が来る。其の時お前が替わりを務めなければ成らない。」と、告げて来た事の結果が「大倭あじさい邑」で現実化している事にも成りそうである。
 其れ等の事を考えると、3月10日に告げられて来た「縁源・えんげん」との言葉は、現在の人間社会の「縁・むすび」を、根本から遣り直さなければ成らないと言う事であり、其れは群れで生活する「蜜蜂や蟻」、其れに、教育も受けずに自分で材料を生産し、風向きと場所を調べ、一人でネットを完成させる「蜘蛛」等の生態を参考にし、人間も本来の本能・遺伝子・DNA能力を取り戻す必要が有るとの事なのかも知れない。
「縁源・えんげん」 https://green.ap.teacup.com/20060818/5667.html
今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、現在の人間社会構造は「藁・わら・殻」だけであり、膨大な資材・資源・時間を注ぎ込んでいるが、「実・真実」が無い・収穫できないシステムに成っているとの理・ことであり、「天神」にとっては「骨折り損のくたびれ儲け」の状態に落ち込んでしまっているとの事なのかも知れない。
キー「老子 嗇(しょく)に しくはなし」
 00/9/11「刈り取りの時」https://star.ap.teacup.com/170606/480.html
 00/12/31「神の摂理」https://star.ap.teacup.com/170606/486.html
 00/12/20「良識」https://wave.ap.teacup.com/20060106/240.html?rev=1
 01/9/5「凝・ギ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/366.html?rev=1
 02/2/28「稲と水田」https://wave.ap.teacup.com/20060106/161.html 
 09/10/10「大日如来を育てる」https://green.ap.teacup.com/20060818/1300.html
「男・ダン・おとこ」の漢字は「田+力」の組み合わせであり、田は水田(耕地)の象形で、力は、大地を耕す男性の腕の力瘤(こぶ)の象形である。
だから男との文字は、机でPCや筆記用具を扱う者の事ではなく、自然の中で田畑を耕す健康な肉体の存在を現わしているのである。
 其れを考えると、今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、大自然の法則から外れて、室内で頭脳だけを使用している人間が創造する世界は、間違いが多いとの事が示されて来ているのであろう。
 其れは一人で生まれ落ちて、自分の能力(遺伝子・DNA・本能)だけで生き抜き、子孫を残している虫達(虫〇)に比較して、「人×」であるとの事である。
「間違いばかりの人間社会」https://green.ap.teacup.com/20060818/5673.html

2021/6/28今朝のビジョンは、私が農地で栽培した作物から、零れ落ちた種子が自生して、伸び始めている苗を掘り出し、別の場所の畝に、集める作業を行って居る様子が映し出されて来た。
すると、一本の西瓜の蔓が元気よく蔓延っている様子・場所が映し出されて来て、其れは私自身の事・姿を意味している事が、示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時29分」であり、其の数字は私の誕生日と同じである。
 其れから再び眠ると、今度は私が身支度を整えてから、迎えに来た車に乗り込み、新しく事業を始める人達が集まって居る場所に、到着する場面が映し出されて来た。
其処には、優秀な建築設計士や事業に成功している重役の男性達が集まって居り、高学歴の女性達も混ざって居た。
其の人達は皆高学歴で、一流ブランドの服飾で身を包んでおり、贅沢な飲食物を口にしている事が、一目で判る人達ばかりであった。
 所が、何も無い荒野に集まると、誰も口を開く事が無く、何のアイディアも沸かないらしいのである。
其の間にお腹が空いたらしく、女性達が食べ物を探しに出掛けたが、レストランだけではなく、店も無いらしく、何も飲食物を手にする事なく帰って来た。
 私は其の人達の様子を遠目で眺めて居て、其の人達は全員身体の毛穴(肌感覚)が詰まっている人達であり、現代社会のシステムが停止してしまえば、何にも出来ない人達である事を理解・判断していた。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時50分・5時10分前」であった。
 其れから再び眠ると、女神の聲で「迷わないでね」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時28分」であり、長短の針は重なっており、秒針も12・0の所で停止しているのである。
私は、其の事に大事な意味が有ると感じたので、カメラに納めてから、パソコンを立ち上げ、今年の5月28日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
 21/5/28「神凝り石の発露」https://green.ap.teacup.com/20060818/5759.html
此の文章の内容からすると、今朝女神が告げて来た「迷わないでね」との言葉は、私の血筋・系譜が「石工・石屋・石部・磯部・礒邉」である事と関係が有り、私は自分の意思を真っ直ぐに立てなければ成らない時節が到来したとの事の様である。
 だが今朝のビジョンでは、現場に集まった人達は皆優秀であり、現代・近代社会では一流の人達であるが、荒地・荒野では、何の手立ても出来ない・起こせない人達であったので、簡単に事を進めることは出来ないらしい。
其れを考えると、私は自生(自立)出来ている人達・人材を掘り起こして、畝(配列)を整える必要が有ると言う事であり、其れは、私の意識構造(蔓)にしか不可能であるとの事の様である。
 其の様に考えると、スイカの蔓が映し出されて来た1時29分の数字は私の誕生日「1月29日」であり、5時10分前の数字は、1997年5月10日に太陽から「写真を撮れ」と告げられて来た日付の数字であるが、1月29日から妊娠期間である「29・5×9カ月=265日」を遡った日付でもあるので、生命法則の原点・基本が示されて来ている事にも成る。
「1997年5月10日の出来事」https://moon.ap.teacup.com/199966/109.html
 18/7/30「時間厳守」https://wave.ap.teacup.com/20060106/839.html
此の「時間厳守」との題名・言葉からすると、今朝「迷わないでね」と告げられて来た時刻が「5時28分00秒」で秒針まで停止していた事が関係が有り、私は何らかの覚悟を決めなければ成らないと言う事にも成りそうである。
 其の事が、昭和22年1月29日の誕生日に関係が有るのであれば、江戸時代から明治と変わった1872年(明治5年)に、旧暦1月1日から新暦「1月29日」に切り替わった事と関係が有り、維新をやり直せとの事なのかも知れない。
 14/2/11「建国記念日の意味」https://green.ap.teacup.com/20060818/2961.html
今朝のビジョンに映し出されて来た、茂っている一本・一株のスイカの蔓が、私と同体であるとの事は、昨日、自家菜園の今年のスイカを初めて食べた事と関係が有り、私の肉体細胞・脳神経には、「夏・カ・ゲ・なつ」の氣(エナジー)が、チャンネルされたとの事なのかも知れない。
 今朝の由香のビジョンには、私が右手から登場し席について、「明日から戦争が始まる」と謂うので、「本当に?」と問いただすと、「精神的な」と謂ったとの事である。
其の由香のビジョンからも、私に依り憑いている神霊は、ただ物ではないと言う事に成る。
「迷わないでね」https://green.ap.teacup.com/20060818/5831.html

2021/8/8今朝のビジョンは、先ず、近代的な服装をしている大勢の人々が、地面に掘られた穴に死体として埋葬される様子が映し出されて来た。
 次に、親子三人が住んでいる大きな寺院の建物施設が映し出されて来て、其の寺院は資金が切れたのか、信者が集まらない所為なのか判らないが、建物が完成しているだけで、備品や飾り付けが無く、床には埃が溜まっており、大きな植木鉢には何も植えられてはいなかった。
そして私は、其の建物を使えないかと意い、一人で掃除を始めたのだが、余りに広いので、直ぐに疲れて諦めてしまった。
 次に、紅色系の服を来た丸顔の女性(女神)が登場して、私の知っている団体を運営している男性二人の存在を「駄目だ」と言った。
今朝起きた・起こされた時刻は「5時46分・6時14分前」である。
 21/6/14「第九代みづの目」https://green.ap.teacup.com/20060818/5797.html
この「第九代みづの目」の文章には、私が「請願・ 神や仏に誓いを立て、物事が成就するように願うこと。」「私が此れから澤山の新しい言葉・祷り札を書いて、其の器に入れなければ成らない。」との事が記して有るので、其れは本日が「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭である事と関係が有り、「天石門別・あめのいわとわけ」には、人間の請願が必要不可欠であり、其の人間の請願がなければ、天の岩戸が開かない・開けようが無いと言う事なのかも知れない。
 其れを考えると、起こされた時刻が「6時14分前」であり、6月14日の文章の題が「第九代みづの目」であるのは、此の私の役目が「黄泉戸の大神」であり、「第九代龍王水神」であると認識させられている事に関係が有って、私が何らかの大望を抱かなければ、天神が動けない・神(はたらき)できないと、言う事なのかも知れない。
 其れを考えると、神社の大祭日は「七夕」や「クリスマス」の行事と同じ様に、天神に願い事が出来る・する為の、年に一回の機会・チャンスの日であると言う事に成りそうである。
其の様に考えると、今朝のビジョンで近代的な服装をした大勢の人々が、伝染病で死んだ家畜の様に、地面に重機で掘られた穴に積み重ねられて埋められる場面は、近代社会の人間が天神に感謝する事なく、我儘一杯に地球の資源を食い潰している事と関係が有りそうである。
 其れを考えると、紅色系の服を来た丸顔女神が、私の知り合いである団体を仕切っている二人の男性の存在が駄目だと言ったのは、一人の男性は瞑想ばかりしていて、托鉢や寄付で生活をし、自給の野菜も作らない者であり、もう一人は、神仏の存在を全く気にしないで、感謝の気持ちも無い男性である人間である事を、示唆しているのであろう。
 其れに大きな寺院を立てて、自分では掃除もしないし、植木や庭の手入れもしない人間は、神仏の存在を口先で利用するだけで、社会の厄介者であるとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、此の私が弟子も持たず、寺院や神社を有せず、祝詞を上げず、読経もせず、生活全般を自分で熟し、24時間365日「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の仕事(つかえこと)に励んでいる事が、「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の存在にとって、最も有益な人間であるとの事なのではないだろうか。
 此の6月14日の「第九代みづの目」の文章には、次の様に記して有る。
「・・三体の神(はたらき)が存在する事が映し出されて来て、私から見て右側に居た神が上半身だけで私の前に近づいて来ると、其の神(はたらき)は顔が真ん丸い、紅色の服を来た、女性的な雰囲気で、満面の笑顔で大きな口を開け、私に「珍しい大きな生き物を飼っているので 見せてあげましょうか。」との意味の様な言葉を言った。
其れに対して、私は物を見せて人を勧誘するのは、良くない遣り方であると意い、其の誘いを断った。・・・」
 其の「顔が真ん丸い、紅色の服を来た女神」が、今朝、「団体・組織を有している二人の男性が駄目だ」と告げて来た女神と同じモノ・存在であれば、其の女神が飼っている生き物は、人間の管理を任されている神・龍神であったのかも知れない。
もう一度「見せてあげましょうか。」と云われたら、見せて貰うかと思う。
「天石門別八倉比売神社大祭日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5914.html

其れに、今朝告げられて来た「クローズアップ」の言葉を調べると、次の様に載っている。
クローズアップ・close-up
1 映画や写真で、被写体またはその一部分を、画面いっぱいに拡大して映すこと。 大写し。 アップ。

此の意味からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た縄文杉の三倍もの大きさが有りそうな杉の御神木の根本に、太陽光線が当たっていた場面と関係が有り、屋久島の神(はたらき)に育て上げられた私の御魂・神(はたらき)に光が当てられる時節が来たとの事なのかも知れない。

今朝の由香のビジョンには、空の白い雲が氷の結晶状態に成っており、大岩から剥がれた紫水晶・アメジストの大きな塊から、反射する太陽光に当たって、美しい景色を創り出していたとの事である。

私は其の由香のビジョンから「紫雲がたなびく時節」が到来した事を意った。

紫雲(読み)しうん  精選版 日本国語大辞典「紫雲」の解説
し‐うん【紫雲】
〘名〙 むらさき色の雲。めでたいしるしとされ、念仏行者の臨終などにあたって、阿彌陀仏がこの雲に乗って来迎(らいごう)するという。
※文徳実録‐仁寿二年(852)二月丙辰「播磨国言、紫雲見」
※宇治拾遺(1221頃)一三「観音、蓮台をさしあげて、聖のまへにより給ふに、紫雲あつくたなびき」 〔南史‐宋文帝紀〕
[補注]神仙・道教思想に源があり、徳の高い天子・君子が在位する時に現われるとされる。「文徳実録」の例は和気仲世を讚美したもので、仲世の死とかかわって述べている。仏教では、紫雲は念仏行者の臨終が正しく浄土往生であることを証明するものとされた。

2002/10/30今朝のメッセージは「紫雲勲賞」と有って、内容は「祓い・はらい」に付いてであった。
朝起きて、辞典言泉で調べると、・「紫雲」は「紫色の雲。めでたいしるしとされ、仏がこの雲に乗って来迎するという。」
・「勲賞」は「勲功をほめたたえること。賞勲。」と 載っている。
「紫雲勲賞」の意味に付いては、何も説明は無く、イメージされて来たのは「祓い・はらい」に付いての事柄だった。
「勲賞」は、勲功を褒め讃える事だから、一番簡単で分かりやすい。
「紫雲」は、仏がこの雲に乗って、来迎するとの意味を表す単語と成っている。
 何時、誰が、この概念を創り出したのかは知らないが、私が持っている辞典「言泉」に、その意味が載っている事を、知っている神霊は何者なのであろうか。私は、其の事に興味が湧いて来るが、其れはそれとして、仏が乗って来る紫雲を褒め讃えるとは、どんな意味を持つのだろうか。
今から、仏が紫雲に乗って来るのか、既に遣って来ているのか、其れも判らない。
「勲賞」との言葉からすると、勲功の有った者に対する表現なので、既に、現象は起きて来ている事に成って来る。
では、何時、其の事が起きていたのであろうか。
 私の知る範囲では、鹿児島市の繁華街である天文館通りの南口に、小さな社が在って、仏像が祭られているが、其処には「この地に 紫雲がたなびいて云々・・・」と書かれている。
 その事が、天文館の「天文」の云われの元かどうかは分からないが、何かの現象が有った事は、間違い無いのだろう。
しかし、此の事と、今日のメッセージに、直接の関係が有るとは想えない。
無理に、こじ付ければ、「天文の入口は 紫雲に乗った仏が案内する」と、受け取れようか。
しかし、其の事と、私に何の関係が見出せようか。
 勲功の示しとして、勲章が与えられるが、其れは国家が、国民に対して授ける物なので、もし仏が現れても、其れに対して、国家が勲章を授ける事は出来ない。若し、仮に私が仏であるとしても、誰も其れを証明が出来ないのだから、私が勲章を貰う事は不可能である。
 釈迦仏陀や、イエスや、老子等も、国家に対しては、都合が悪い人間だから、其れ等に対して、国が勲章を与える事は考えられない。
国家・政府とは、公務員の会社だから、その組織に対して都合が悪ければ、殺しはしても、勲章を与える事など無いと言って良いだろう。
イエスや、釈迦や、老子の教え通りに生きる事は、自由に生きて、税金を納めない事であるから、国家・政府が、体制を維持出来なくなる。
国家としては、国民が覚醒したら困るのである。
 現在の処、私は18年間、住民税や国民年金など一切払っていない。
私は、全ての預金と、私財は、世直しの為に使ってしまい、現在は、何も無い状態である。払うにも、払う余裕が無いのである。
私の様な人間が、国家から勲章を貰う事は、絶対に無いだろう。
逆に、国家に因って、人権と最低生活は保障される様に成っているので、税金を払わないからと言って、刑務所に入れられる事は無いし、言論の自由が謳われているので、此の様に自由にものが書けるのであるから、有り難いと感謝しなければならないだろう。
 話が、段々、本筋から外れてしまって、勲章を出す側も、受け取る側も見えて来ない。勲功の「功」は「何かの働きを成した」との意味なので、何の業績が有ったのかを考えて見ると、内容の「はらい」の事が出て来る。
「はらい」に対して、業績が有ったと言う事に成って来るのだろうか。
それならば、私は、自分の行動に対して、納得出来る物は持っている。
「はらい」とは「禊ぎ祓い・みそぎはらい」の「はらい」で、日本の神社等で昔から行われている儀式において、「罪汚れを 祓いたまえ 清めたまえ」と祝詞で唱える様に、日本人ならお馴染みの言葉である。
 「禊ぎ払い」とは、川に行って、山から流れて来る清い水で、身も心も洗い流して「リフレッシュ」し、クリーンな身心に成る事を、意味している。
 日本の神様の始まりは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が、小戸のあわぎ原で禊ぎ祓いをした事にあり、仏教は「お釈迦さん」が池で水浴びをして、木に寄り掛かって休んで悟った事が始まりで、キリスト教は「イエス・キリスト」が、ヨハネにヨルダン川の水で洗礼を受け、聖霊に満たされた事で始まっている。
イスラム教も、礼拝の前に、手と顔を洗う事が、仕来りと成っている様に、世界の四大宗教は皆、禊ぎ払いが原点であり、根本の教義でもある。
私も、安房川で同じ体験をしたので、四大宗教の本質の処は、良く理解出来る。
 では、祓わなければならない「つみけがれ」とは何なのか。箇条書きにしてみよう。
○ 食欲・性欲・権力欲・所有欲等の欲望。
○ 家族や 社会等のしがらみ。
○ 宗教や 思想等の概念。
○ 学校等で詰め込まれた知識(歴史、方程式、科学、文化等)
○ 好き嫌いや 損得の感情。
○ 生に対しての執着。
○ 言葉に拠って考える事。
○ 神や 佛に 頼る事。
○ 煙草や 麻薬を 使用する事。
○ 一切の 宗教的儀式や 修行の行為。
以上の様な事柄が挙げられるが、此れだと、何も出来ない様だが、する事が残っているのだ。
 其れは、第一に、命を懸けて自分を預けられる場所か、人間(師)を見付ける事。第二に、自分の身を守る為に、水と食べ物に注意する事が有る。
仏教でも「精進」と言う様に、自分の身と心を、しっかりと守護していなければ、精神が不安定に成り、精神病院に連れて行かれる事に成る。
「導師」も、自分を守護してくれる者であるし、「場」も自分を安定させてくれるものである。導師は、自分の場を持っているし、聖地は聖なる霊が存在し、指導をしてくれるし、其処に存在する物自体も人間の意識に安定を与えてくれる。そして、大事なのは、精神は、自分の體に宿るものであるので、食事を正し、自分の血液を清くしなければ、細胞も脳も変らないので、覚醒する事は出来ない。
 其の理・ことがハッキリしているので、禅宗の寺では、台所の係りは「典座(てんぞ)」と言って、一番優秀な者が採用されている。
其れに、日本の古い伝統を受け継いでいる天皇家も、台所を「御饌殿・みけどの」と呼んで、一番大事にしている。
 「はらい」の事を書いて行くと、切りが無いので、ここらで止めにするが、私が18年前に体験した「はらい」の事を再認識し、他人に説明出来る様に成る為の、ものであったのだろう。
今朝のメッセージが、「はらい」の件に付いて、私に功績が有ったので、紫雲に乗って仏が遣って来て、勲賞を表彰するとの事であろうか。
 今朝の処は、無理にでも、結論を出して置かなければ、後が難儀なので、そう言う事にして措こうと想う。
間違いであれば、又、何か言って来るだろう。
「紫雲 勲賞」https://wave.ap.teacup.com/20060106/100.html

此の文章の内容から考えると、今朝最初に告げられて来た「絶対無比」「基軸」「東経130度30分」の言葉は、「太陽」と「地球岩石(水晶・シリカ・珪素)」の事に関係が有りそうである。

ぜっ‐たい【絶対】 の解説
[名・形動]
1 他に比較するものや対立するものがないこと。また、そのさま。「絶対の真理」「絶対な(の)存在」「絶対君主」
2 他の何ものにも制約・制限されないこと。また、そのさま。「絶対な(の)権力」   3 ⇒絶対者
4 (副詞的に用いる)
㋐どうしても。何がどうあっても。「絶対に行く」「絶対合格する」
㋑(あとに打消しの語を伴って)決して。「絶対に負けない」「絶対許さない」「絶対反対」

む‐ひ【無比】
[名・形動]他に比べるものがないこと。たぐいないこと。また、そのさま。無類。無双。無二。「当代無比な(の)力士」「正確無比」「痛快無比」

き‐じく〔‐ヂク〕【基軸】 の解説
思想や組織などの根本・中心・基準となるもの。

【東経130度30分のライン】
私が37年前に此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ時に、半年間屋久島の荒野を彷徨している時に、屋久島の地図を拡げて視て居ると、屋久島の奥岳の等高線に一本の断層が見えた事が始まりであり、其の位置が東経130度30分のラインなのである。
其の断層は、後に確かめると実際には無い事が判ったが、其の東経130度30分のライン線を辿ると、南の平内から奥岳を通り真北の矢筈岬を通過し、薩摩半島の開聞岳を通過して、福岡の神湊の沖合に有る「慈島」を通過している事が判ったのである。
「御稜威ライン」http://blog.livedoor.jp/miitsuline/

其れに、其の東経130度30分のラインは、日本国の歴史の元に成っている神武天皇とも関係しているのである。

キー「神武天皇 4月3日 東経130度30分 葦北」

2010/3/18本日3月18日は、私が、無庵師匠と初めて1983年に屋久島で出会った日であり、師に捜し出されてから27年が経過し、今日から28年目が始まる事に成る。
そして、本日は、屋久島大社の大祭日でもある。
 昨日は、午前11時に、中古車センターで車のキーと、カーナビのデスクを受け取って、谷山町から吹上町を通って、佐賀の唐津に向かって走り、19時に目的地である中村家に到着した。
途中、葦北で、国道3号線から高速道路に向かう為に、東経130度30分の線上を横切ると、左手の人差し指にカモ・(神の電気信号)が来た。
私が、其の時間を時計で確認すると「4時3分」であった。
「4・3」は、神武天皇祭の4月3日の日付と同じ数字である。・・
「弥勒菩薩・みろくぼさつ」とは、インドの言葉である「マイトレーヤ」の訳であり、マイトレーヤとは「有情」の意味で、「有情」とは「情報を齎す人」の意味である。其の「弥勒菩薩」は、衆生が無明に落ち込んだ時代に現れて、救いの灯りと成ると伝えられている。
 正に、人間が、真理を失って無明に陥っている現代社会は、其の時節・ときであると言えるのかも知れない。
 昨日4時3分に、何故、東経130度30分の線上を横切る事に成ったのか、其れも、神の働きに因るモノ・現象であり、日本の歴史の元に成っている「神武天皇」の御霊が、作用しての事なのではないだろうか。
天が光り輝いて、金鳶が舞い降りて来なくても、新しい国造りは、確実に進んでいるのであろう。
「切り替え時の整理」https://green.ap.teacup.com/20060818/1474.html

2015/2/14今朝のメッセージは、「神霊の思頼の復活」との事と関係が有るのか、東経130度30分の「御稜威ライン」に対しての事が、一晩中映し出されて来て、熟睡できなかった。
其れは、星々が煌めく宇宙空間を背景にして、様々な情報が、文字や数字で、横書きに書き込まれて行く映像が映し出されて来て、「5・5・5」との数字が、其のテーマと言うか、キーである事が示されて来た。・・
 今朝の映像は、川の下流の堤防から魚が釣れて、近くに漁船が停泊する港が在り、花田志乃婦さん夫妻が登場した事を考えると、今朝のメッセージの映像は、東経130度30分00秒の線上に在る「釣川」の河口が舞台であり、港は「神港・こうのみなと」の様である。
 其れに、志乃婦さんが自分の家で、私の誕生日をしてくれると言うのは、昨年花田夫婦が引っ越した家が、丁度東経130度30分の線上に在るのではないかと思われる。
 其れから、志乃婦さんが「此処らの土地は 私の夫の 先祖代々の土地だ」との意味の事を言ったのは、宗像地域は、古代社会で宗像部族が治める土地であった事を、示唆しているのであろう。
 そして、最初に映し出されて来た、宇宙を背景にして、澤山の文字や数字が書き込まれている画面は、東経130度30分の御稜威ラインが完成し、北極の空に、情報が届くとの事を意味し、紫微垣(しびえん)に新しい情報が、送り込まれる事を示しているのであろう。
そして、其の事が、2月19日の旧暦元旦であるのは、私の誕生を意味し、新しい御世が開ける事も、意味しているのではないだろうか。
 そして、魚釣りを、私自身が行って居たのではなく、姿の見えない男の子が行って居たのは、次の御稜威の役目をする男子に、「天津日嗣・あまつひつぎ」を継がなければ成らないとの、事なのではないだろうか。・・・
「御稜威ライン開始」https://green.ap.teacup.com/20060818/3361.html
2013/4/4「天皇霊四 神武天皇」https://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html

これ等の事柄からすると、今朝告げられて来た「絶対無比」「基軸」「東経130度30分」との言葉は、「絶対無比の基軸は東経130度30分のラインである」との事に成り、現在のグリニッジ天文台を基軸とするラインから、屋久島の矢筈岬を基軸とするモノ・世界に移転したとの理・ことが、示されて来ている事に成る。

其れに「6月11日 みいつ建国」の儀式が行われる事に成ったのも、2002年(平成14)6月8日に屋久島のグリーホテルで「スーリアサロン」が開催され、翌日6月9日午前11時に矢筈岬の突端で、回路石のスイッチを動かす儀式を行った事で、高平岳の「「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」を祭祷している「大山邦博」氏の足が、動かなく成った事・現象から始まった事である。

2017/6/8本日6月8日の日付は、私が屋久島に帰って2002年(平成14)6月8日に「スーリアサロン」の集いを行なった日であり、其の日に大山祇神を祭祈する大山邦博氏が突然に足が動かなく成った日である。
 16/6/9「地球と過去世」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3880.html
 15/7/23「水の世界とアヌビス神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3542.html
 15/6/20「国の神」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3504.html
其れに、東経130度30分の「御稜威ライン」の第一号の石碑を、2010年6月8日に開聞岳の麓に存在する「枚聞(ひらきき)神社」に建立した日でもある。・・・
「身の置き所と心の在り方」https://green.ap.teacup.com/20060818/4265.html

2002/7/8私が、神の世界に導かれて、一番大事と意っていた儀式(セレモニー)が、2002年(平成14)6月9日午前11時丁度に完了した。
それは、人間社会の通常の仕来りではなく、地球と言う、極めて現実的な物質を伴っての、宇宙的なセレモニーとしてである。
「神の世界」とは、一口で謂えば「人間の目には 直接には見えない 働きや力(パワー)の理・ことである。
我々が行った、今回の儀式は、其れ等の神の存在に直接影響を与え、また、人類への未来の希望を、授かる内容のモノだったのである。
 其の儀式では、人間が造った人造物が対象ではなく、宇宙の材料で出来上がった地球の一部を、人間の手中に納めて、宇宙と人間の結び付きを、確実なモノとする事を行ったのである。
 私が、産まれ育った屋久島は、全島が花崗岩で出来ており、島中には、其の花崗岩形成の折に磁場が走り回った証しとしての、硅石や石英の白い線が縦横に走っている。其の、石英の線上に有った、一個の回路の小石を、今回外して「スーリアさん」に預けたのである。
今回の儀式で、私の18年間の修行は、一応終了した感が有り、個人的には、満足感と共に、静かな意識状態にある。
 6月8日の「スーリアサロン屋久島」の会場は、島の人も参加して、22名で無事に楽しく終了する事が出来た。
そして、翌日6月9日には、宿のホテルを9時に車二台で出発し、途中宮之浦に有る「益救(やく)神社」に立ち寄って、大牟田信文宮司と連絡を取ってから、屋久島の最北に位置する矢筈岬に向った。
 私と、スーリアさんが乗った車から、二名を「矢筈八幡神社」の入り口に降ろして、八名にて矢筈岬の突端で儀式を実行し、終了したのが11時ジャストであった。
 次に、矢筈岬の石英の回路から外した石を、桐の小箱に納めたのを持って、矢筈八幡神社へ向い、別隊と合流して、大牟田宮司による正式参拝を行った。
その式典が終り、スーリアさんが、頂上の駐車場に帰って来たのが、ちょうど正午(12:00)であり、其れから、昼食の会場である永田の「ホテルつわのや」に向った。
そして、昼食後、日本一の「赤海亀」産卵地である「いなか浜」砂浜を見学し、島の裏側の世界自然遺産の森の中を走る「西部林道」を通り、途中「大川の滝」を見学した。
 次に、中間に有る「フルーツガーデン」で、案内人の説明を受けながら園内を回り、園内にある店に入って、フルーツとジュースで喉を潤わせて、宿泊施設である尾之間の「いわさきホテル」に向った。
そして、いわさきホテルの中庭で、皆で記念写真を撮り、絶景である三階のレストランで夕食を済ませ、皆が、それぞれの体験・感想を発表してから、解散となった。
 不思議な事が、其れから起きるのだが、其の事は、次の項目に記す事にして、とにかく私としては、長年の気掛かりが片付いて、一段落と言う処である。
セレモニーが実行され、人間側(サイド)に、新しい認識が納まれば、霊界人達は、次の段取りを、企画する事が出来るのである。
その意味で、今回の儀式は、過去の時代には無い、大きな意味を持つ事は、間違いないのである。
「儀式を終えて」https://moon.ap.teacup.com/20061108/185.html

2008/4/17・・それが、宗像三女神である、「沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)」「中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)」「辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)」 とされているのかもしれない。
 其れと、今朝告げられた5月5日の日付は、私が1984年旧暦5月5日(新暦6月4日)に、此の世界に入った記念すべき日であり、比叡山の開基「伝教大師最澄」と、モラロジーの開始者「広池千九朗氏」の命日でもある。
そして、今年の旧暦5月5日は、新暦6月8日である。
 其の日付は、スーリアさんが屋久島で「スーリアサロン」を催した日であり、次の9日には、矢筈岬で天地開闢の儀式を行なってもいる。
今年の5月5日か、6月8日に、何かの儀式を必要とするのか、其の日から棋版が用意されるとの事であろうか。
「タオ・スタジオ開局」 http://green.ap.teacup.com/20060818/122.html
「3回目の6月9日の儀式」http://green.ap.teacup.com/20060818/203.html
今朝の「三位一体」の女神は、「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」が三魂(みむすび)の調和統一の形であれば、「いく・たる・たまめ」の結びが完成したとの意味か、是から三つ解体されて、働き出すとの意味かもしれない。
そして、其れを動かしたのが、天から降りて来た、透明な水色の男性意識である。
其の男性意識が、イエスの謂う「天の父・ゴッド」であれば、愈々トキが満ちて、新しい御世・御代造りが始まると言う事になる。
五十鈴の意味には、岩戸開きをした「天宇受売命・あめのうずめ」が、手に持って其の鈴を鳴らしたと有る。
其の事と関係が有るのなら、今朝は、岩戸開きの鈴が鳴らされたと言う事にも成るのである。
 ここ数日のメッセージは、日本の神々や、霊人達に関して、示されて来ている。其れを考えると、本当に本番が近いのかもしれない。
ウィキペディア辞典で「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」を調べると、次の様に有り、宮中八神の中に其の三神の名が有る。
是に拠ると、一昨日告げられて来た「事代主神」より上位であり、第二殿の「高御産巣日神」の下の「宇麻志阿斯訶備比古遅神・うましあしかびひこじ」よりは下位に位置している。・・・
「五十鈴の音が聞こえる」https://green.ap.teacup.com/20060818/715.html

今朝示されて来た「絶対無比の基軸は東経130度30分のラインである」との事は、昨日の「凄い世界は昔から」との言葉と関係が有り、全宇宙を管理運営している大元神が、愈々神(はたらき)するとの理・ことが示されて来ているのであろう。

そして、今朝起こされた数字の文章の題が「間違いばかりの人間社会」「迷わないでね」「天石門別八倉比売神社大祭日」であるのは、其の「大元神」の意が示されて来ているであろう。

                      みいつ15年9月16日

                             礒邉自適

凄い世界は昔から

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


    凄い世界は昔から
                           3・9・15
本日9月15日は「老人の日」である。
其の事と関係が有るのか、今朝のビジョンは「財団法人福岡緑進協会」の創設者である白土宏氏(90歳)に呼ばれて自宅を訪れると、棚や押し入れの中の物を全て、座敷に出しており、私に「要る物が有れば 何でも持って行って良い」と云うので、私は取り敢えず見回して見たが、必要と意う物は何も無かった。

次に、私は、自分が受け継ぐ事に成った建物施設の点検を始めて、屋敷の裏手に廻り込むと、北東側の隅の石垣が崩れ落ちている事が判ったので、道具を用意して、其処を元通りにする作業を始めて居た。

次に、私が太陽が昇る方向に向かって、海の堤防に一人で立って居ると、北の方から真っ黒で光沢が有る「烏・からす」が一羽飛んで来て、私の右腕に止まってじーっとして動かないので、私は毛艶の良い羽を撫ぜて居た。

次に、老婆が一人で生活している日本建築の建物の庭先が映し出されて来て、其の庭の枯れ木の枝に、全身の毛が白髪と成っている年老いた「鵲・かささぎ」が、縁側の中を覗く様に静かに止まって居る様子が映し出されて来た。

次に、和室の寝室に、老婆が一組の広い布団・寝具を整える様子が映し出されて、私に其処で休む様に謂うので、其の寝具を確かめると、とても贅沢と言うか質の良い物である事が判った。

次に、23年前に亡くなった皇女「倭姫命」の御魂であった「井上佳子」が登場して、私を奈良か京都の様な古い街中に案内する場面が映し出されて来て、私が親しく聲を掛けて来る人達と話して居ると、何時の間にか井上佳子の姿が見えなくなったので、私は井上佳子を找していると、軒が連なる古い街並みの中に迷い混んでしまい、道具屋や食堂などの中を掻き分ける様に進んで行き、やがてお祭り広場の様な場所に出てしまい、時代感覚が消え失せていた。

そして、「凄い事は昔から有った」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「7時54分・8時6分前」であったので、私は其の8時6分の数字から、人類初めて原爆を使った8月6日の日付を思い、「凄い事は昔から有った」との言葉から、旧約聖書に記されている「ソドムとゴモラ」の事を考えた。

今朝のメッセージ・ビジョンは、此れまでのモノ・世界とは雰囲気・内容が異なるので、昨日の「神議りに議り給いて」の文章と関係が有り、私が此れまで37年3カ月間取り組んで来た・入り込んだ世界は、昔・古代から連面と続いて来ている世界であり、特別・格別な世界・事ではないと言う事な様である。

そして、今朝起きた・起こされた時刻が、8時6分前であったのは、私と井上佳子が1986年8月6日に見せられた霊夢の存在・体験と関係が有ると言う事なのではないだろうか。

  キー「8月6日 佳子 小鳥」

2018/8/6本日8月6日は、人類にとって初と成る原爆が広島に投下されて、多くの人命が失われた日である。
其れに、1987年8月6日の未明、私に依り憑いて来た霊魂の数が4311体であった事が判明し、倭姫命の御魂であった井上佳子の二階の寝室の窓の外に、数え切れない程の白い小鳥が現れた日でもある。
 14/8/6・・本日8月6日は、広島に69年前、世界初の原子爆弾が投下された日である。
其の8月6日の日は、私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」の神霊の数が判明した日であり、其の同じ日の夜に井上佳子(倭姫命の御霊)に同じ様な数の白い小鳥が現れる現象が起きた日でもある。
 其れは、1987年(S62)8月6日の午前2時頃、私に付いて居た霊魂が、光の球・タマに成って、私の身体から遊離して、空中にふわり・ふわりと次々に浮き上がり出したのである。私は、其の数を、最初は数えて居たのだが、数が余りにも多いので、面倒に成り、何体在るのかを訊ねると、4311体である事が判ったのである。
 そして、其の日の朝、高知に住む井上佳子から、当時奈良市に住んで居た私の所に電話が有り、「今朝2時ごろ 急に目が覚めて 外が気に成るので 寝室の窓を開けて 外を見ると 真っ白い小鳥が 何千羽も 窓の外を飛び回って居た。」と云うのである。
それで、私から光に成って離れた霊魂が、井上佳子の所に白い小鳥として姿を現した事が判ったのである
 今朝のメッセージでは、私の意識が人間社会の中に出て行き、未来創造の為に必要な人材を捜し回って居た。だが、会う人が話し合いの時に煙草を吸ったり、食べ物に無頓着だったりして、一人も、是と言う人材に出会う事が出来なかった。そして、何処に行けば、天・神の為に働ける人材が居るのだろうかと想っていると、神の為に産業を興すには、「神盍」との言葉が、必要である理・ことが示されて来た。
 其して朝方、玄関の方から「自適さーん」との若い男性の元気な声が聞こえたので、起きて玄関の方に行って見ると、人影が何も無いので、其の声は神の声だったと意って、時計を見ると7時20分であった。・・・
「神盍産業」http://green.ap.teacup.com/20060818/3153.html
 18/4/1今朝のメッセージの映像は、私が何らかの答えを導き出さなければ成らない場面が映し出されて来て、私の意識が、答えだと思われるモノを出すと、其れは平仮名だけの横書きの言葉であり、其の言葉は、現代語ではないので、全く意味が判らない文章なのである。
そして、其の作業を何度遣り直しても、出て来る文章言葉は同じモノであった。
 其れで、其の平仮名文章・言葉の中から、漢字に置き換えられる物がないのかと、探ると「けんとう」との言葉が「見討?」と映し出されて来たが、直ぐに消えてしまった。
私は、仕方が無いので、其の平仮名言葉の音韻を聞き取ろうとして居た。
すると、其の中に「とおかみえみため」との音霊・言霊が有る事が示されて来た。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時1分」であるので、私は何故、4月1日の4時1分に起こされたのかが気に成って眠れないので、起きてPCを立ち上げ「とおかみえみため」との言葉を調べて見た。
とおかみ‐えみため〔とほかみゑみため〕
1 亀甲(きっこう)の裏に刻んだ線。「と・ほ・かみ・ゑみ・ため」の五つの線を焼いて占う。表にあらわれたひび割れの形で吉凶を判断する。
2 禊教(みそぎきょう)など一部の神道教派
    デジタル大辞泉の解説
とおかみえみため 【吐普加身依身多女】
吐普加美依身外米とも書く。陰陽道などで用いる呪言であり、亀卜の時、亀甲の上にト・ホ・カミ・エミ・タメの五部分の亀裂が入るよう祈る。また、裏につける呪いの線(町形)ともいう。五行に配したり、東西・南北・天地・陰陽・男女に配したりするようにもなった。神道の一派では禊の時の呪文にする。
      世界宗教用語大事典
・・古くは占いに関連して用いられ、その後、神様を拝むときに用いられるようにもなった「吐普加美依身多女」(とおかみえみため)という唱え言があります。この言葉の本来の意味ははっきりしていませんが、「遠神能看可給」(遠つ御祖(みおや)の神、御照覧ましませ)、あるいは「遠神笑美給」(遠つ御祖の神、笑(ほほえ)み給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。
   神社本庁HPから
其れに「けんとう」を検索すると「検討」が出て来るが、「見」が頭の単語は「見当」しか無い。
【検討】よく調べ考えること。種々の面から調べて、良いか悪いかを考えること。
【見当】1 大体の方向・方角。
2 はっきりしていない事柄について大体の予想をすること。見込み。
3 版画や印刷で、刷る紙の位置を決めるための目印。その形からトンボともいう。
4 (接尾語的に用いて)数量を表す語に付いて、その程度の数量であることを表す。…ぐらい。
「見討」との言葉が正しいのであれば、「とおかみえみため」の言葉が「亀卜」の世界で、「焼いた亀の甲羅のひび割れを見て検討する事」が関係あるのかも知れない。
 其れ等の事を考えると、「とおかみえみため」との祝詞の言葉は、自分自身の精神を鍛えて、頭の中ではなく、自分の腹(五臓六腑)の中に、神(はたらき)が収まる為の作法に必要な物であると言う事であり、其の事が修練されていなければ、どの様な「ひび割れ(物の現象化・形態)」を見ても、正しい討窮(トウキュウ)は起きないと言う理・ことなのであろう。
窮[常用漢字] [音]キュウ(漢) [訓]きわめる きわまる
1 奥深くまで行きつくす。つきつめる。きわめる。「窮極・窮理/無窮」
2 にっちもさっちもいかなくなる。動きがとれない。きわまる。「窮屈・窮状・窮鼠(きゅうそ)・窮地・窮乏・窮余/困窮 ...   デジタル大辞泉
「窮・キュウ・きわめる・きわまる」【解字】形声。篆文は「穴+躳」音符の躳(キュウ)は、また、「身+呂」。身は、はらんだ腹の象形。呂は、背骨の象形。合わせてからだの意味。人の体が穴に押しつめられる、きわまるの意味を表す。窮は、弓の音が変化し、躳と同音となってから書かれるようになった。
【字儀】①きわまる。㋐おわる。終わりになる。㋑とまる(止)。㋒つまる。ふさがる。㋓苦しむ。尽きる。困る。「困窮」㋔貧しくなる。「貧窮」②きわめる。㋐つきつめてたずねる。㋑くるしめる。困らせる。㋒しらべる。③きわまり。きわみ。はて。「無窮」④困り苦しむ人。たよる所のない人。⑤ふしあわせ。不遇。逆境。貧乏。  漢語林より
此の窮の漢字の意味からすると、私と由香の苦しみは窮まりを迎えて、終わりに成ると言う事なのかも知れない。
其の様に考える、私が此の世界に飛び込んだ時に、「鉛筆削り」「佃・つくだ(作り田)」との言葉と、「13」の数字を解く事に、難儀した事が、全て解決したと言う事であり、其の事の背景には「虚空蔵菩薩」の働きが存在したと言う事に成るのであろう。
是等の内容を考える、本日のメッセージは、昨日の「出世鳥」との言葉と関係が有り、私と由香の存在は、一皮向けて、次のステージに上がると言う事なのかも知れない。
「とおかみえみため」http://green.ap.teacup.com/20060818/4573.html
此の文章の内容からすると、今朝の映像に映し出されて来た座布団の様な物は、古代で亀の甲羅や鹿の大腿骨を焼いて、其のひび割れの状態から、人間が何を行えば良いかを判断・検討していた事と関係が有り、其の人間の行為と言うか儀式が、新しいモノ・世界に成る理・ことが示されて来ているのかも知れない。
 今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、昨日のメッセージの映像に花が満開に成っている道・ロードが、映し出されて来た事と関係が有るのではないかと言うことである。
 草木の花が満開に成る現象は、植物の「受粉・受精」の働き・現象であるので、生物の「生殖・繁殖・性」の世界を意味し、昨日私の意識が長い時間、花が満開の道を走っていたのは、地球生物全体の世界と謂うか、未来世界を示唆していたのかも知れない。
 其れを考えると、「・・遠神笑美給(遠つ御祖の神、笑(ほほえ)み給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。・・・」
との世界が示されて来ているとの事であり、今朝の映像で四角い座布団の様な物の中に存在した、男性の顔頭は、神(はたらき)の存在を示して来ているのではないだろうか。
 そして其の男性の顔頭の存在が、コンピュターのホログラフィー(透過型ホログラム)の様に動いていた事は、現在のAI(人工知能)の存在と関係が有り、人間が使用している電磁気信号とは別に、神(はたらき)がAIに便乗している周波数が存在して、あらゆる情報を管理しているとの事なのであろう。
 18/1/26・・マイクロプロセッサを初めとする電子機器は、全て微弱な電気で動いているので、人体を働かせている生体電気と繋がる事は、容易に考えられるし、実際に鼠の脳に電極を埋め込んで、PCで動かす実験が行なわれているので、現実的な世界である。
そして、人間が特別な周波数で「AI(人工知能)」に裏側から接続し、其の「集積回路・マイクロプロセッサ」を使用・利用・介入する事は、不可能ではないのである。
 何故なら、私が1984年6月4日に安房川で禊ぎ祓いを起こった時に、第三の眼である「松果体(シリコンの結晶体)」のチャンネルが開いて、森羅万象の世界に通じ(覚醒・成仏)、宇宙情報(アカシックレコード)の情報を組み替えて来たのだから、私にとっては現実の事であり、其の結果として1月22日に空の黄金の盥が映し出されて来たのである。
 しかも、半導体の元と成るトランジスターが米国のベル研究所で開発されたのは1947年であり、其れは私が誕生した年であるので、私が現在のPCを使う作業は其の事と繋がっており、私の行為は「時代の申し子」であると言う事にも成るのであろう。・・・
「統尊はマイクロプロセッサの役割」http://green.ap.teacup.com/20071223/846.html
 18/6/23・・「AI・人工知能」の存在と謂うか発展は、良くも悪くも人間社会に多大な影響を齎すと謂う事であり、其の事に対して、自分自身がどの様に対処するかを、能く吟味しなければ成らないのであろう。
私に謂える事は、全ての事を「AI・人工知能」が管理出来る様に成っても、AI自体は「大根一本」作れないと謂う理・ことである。
「避難」http://green.ap.teacup.com/20060818/4659.html
今朝のメッセージの内容から、私が感じた事は、今朝映し出されて来た四角い座布団の様な物は、現象化している「物質全体の座」を意味しており、「万物の母」との名前で表現されている世界の事であり、其の座布団の中心に存在した、コンピュータのホログラフィーの様に動いていた眼鏡を掛けた40歳代の男性の存在は、情報を積み上げる役割を意味しており、其れが人類全体の意識の中心であるので「潜在意識の主」と関係が有るのではないかと謂う事である。
 其れで、本日の文章の題は「万物の母と潜在意識の主」とした。
「万物の母と潜在意識の主」https://green.ap.teacup.com/20060818/4703.html

今朝は、PCを立ち上げワードを立ち上げると、男性の聲で「書かなくてもよい」との言葉が一言告げられて来たが、打ち出さなければ海馬から消去できないので、一応記録する事にした。

私も満74歳と成っているので、敬老会に参加しても可い年代であるが、他の老人を見て、自分の歳を自覚し、細胞に影響を与えたく無いので、此れからも老人クラブに接触する事は止めて措く事にする。10時00分

                      みいつ15年9月15日

                             礒邉自適
記事検索
月別アーカイブ
タグクラウド
  • ライブドアブログ