君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

長閑な風景

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    長閑な風景
                       29・12・10

本日12月10日は、由香(愉伽)の「7×7=49歳」の誕生日であり、反対側の6月10日は「時の記念日」で、昭和19年6月10日に岡本天命に「日月神示・天津日嗣神事」が降りはじめた日でもある。

今朝のメッセージの映像には、先ず、映画の上映が完結したスクリーンの様な状態の、何も無い空間の中に「ばかしょうじき」との文字が縦に映し出されて来て、左側から右方向に静かに流れ去って行く様子が映し出されて来た。

其れから、「くそまじめ」との言葉が、其の文字の影の様に、流れ去って行くのが潜在意識に感じられた。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時54分」であった。
私は其の数字を「154・ひとごし・他人越し」と記憶して再び眠った。

すると、今度は、一人の人参色をした姿の女性が、左の方角に立って、海の彼方を眺めている姿が在る事が示されて来た後に、私は、其の女性が所有する寮か民宿の様な施設で、食事を準備する役割りをする事で、其の施設でのんびりと暮らして居る場面が映し出されて来た。

そして、一人の45歳位の男性が、前日から来て宿泊しており、其の男性は午後に成ってから起きて来て、入浴を済ませた後に、私が軽い日本食を出すと、其れを食べた後に缶ビールを手にして、港の高い岸壁に下りて行って、缶ビールを飲みながら海を眺めて居た。

私は、次の客の為に4~5人分の夕食を準備してから、船に客人を迎える為に下りて行くと、堤防の上には、潮風を防ぐ為にカバーが掛けてある、私のカメラが置いて有った。

私は、其のカメラを出して、青い海や空と、海岸に立っている木々の写真を撮ろうとして居た。

其れは、とても静かな世界であり、他の人々の姿が一切無いので、とても長閑な風景であり、私の意識は、何の蟠りも無い状態である理・ことが認識されて来た。

そして起きて時計を見ると、時刻は6時16分であった。

6時16分の数字を6月16日の日付にして考えると、私が神のお告げに拠って、1987年6月16日に、奥出雲の横田町に存在する「櫛稲田姫神社・くしいなだひめじんじゃ」で安部忠弘氏と共に「三枝祭り・さいぐさまつり」を開催した日付けであるので、広島県神辺町に有る「由香」の実家が、稲田姫が祭神である神社の参道の左手に存在する事と関係が有り、12月6日のメッセージで、私が小学校の校門の左側の土地に関わりを持っていた事と関係が有りそうである。

2002/2/15私が1997年、京都から出雲に11月1日に引越しをして、出雲の地を調査している内に、「6月16日・斎草祭り」とのメッセージが有った。
場所は、横田町の櫛稲田姫を祭る「奇稲田姫神社」と言う事で、1998年6月16日、島根県仁田郡横田町稲原の「櫛稲田姫神社」で、三枝祭りを出雲の安部忠宏氏と行った。
「斎草・さいぐさ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/161.html
2016/6/16「国の基い」http://green.ap.teacup.com/20060818/3888.html
2017/6/16「平和は創らなければ実現しない」http://green.ap.teacup.com/20060818/4273.html

其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、私が食事掛かりをして居た施設のオーナーは、其の12月6日に登場した女性の姿の存在と、関係が有るのではないだろうか。

其れが、同じ女神の存在であれば、其の両方の土地・建物に関係が有る女神は、「須佐之男尊・すさのおのみこと」の妻と成った「櫛稲田姫・くしいなだひめ」である事に成り、由香(愉伽)が「櫛稲田姫」の御魂である事に成るのかも知れない。

私が、由香と出会ったのは2001年11月21日であり、其の日は、1987年4月27日に死亡した「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の誕生日であり、其の出会いには、其の佳子の霊魂が関わりを持っている事が判っていた。

今朝のメッセージの映像で、何も無い空間に「ばかしょうじき」と、影に「くそまじめ」との言葉が示されて来たのは、其の由香(愉伽)の誕生日に合わせて示されて来たモノ・現象であり、其れは由香の精神を示唆しており、私が現在、「土肥無庵」が謂った「自然無為」の状態にあるのは、其の由香の努力の賜物である理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

私は子供の頃から、他人の謂う事だけではなく、両親の謂う事でも、自分の気に食わない事は一切訊かない性格の人間であった。
其れが、1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出されて、其の完璧な存在を確かめて、此の人の謂う事ならと信じて、謂う通りに実行して今日が有る。

だが、由香に出会ってなければ、私は未だ留まる事を知らずに、旅を続けて居り、今日の様な心境に治まる事は無かったであろう。
其れを考えると、私は由香に、心から感謝をしなければ成らないと言う事に成る。

其れに、私が由香を「愉伽さん」と呼ぶ様に成った原因は、徳島の「忌部・斎部・いんべ」の本家である「三木家」を訪ねた時に、其処の石碑に「神凝り石」と「愉伽」の言葉が記されていた事と、1984年の夏、私に奇跡的現象が起きた北九州市小倉の旦過市場に近くに有る「猨田彦大神」の石碑が、建っている神社の名前が「瑜伽神社」である事が、由香を初めて案内した時に判明したからである。

2017/1/15・・其れに、私のズボンのポケットに一円玉と五円玉が澤山入っていたのは、1984年の夏に北九州市小倉町の旦過市場に存在する瑜伽神社の「猿田彦神」の石碑から一円玉と五円玉が現出した事と関係があり、今朝のメッセージには同じ「神(はたらき)」が参加している事は顕かである。・・・
「前人未到の綱渡り」http://wave.ap.teacup.com/20060106/712.html?rev=1

2006/4/1・・1984年の夏には、小倉に有る「田川ホテル」から、朝「無庵師匠」の家に向かう途中、道を間違えて「瑜伽神社」の前に出たので、お参りをして「猿田彦神」と彫られている石に、清めの水を一度掛け、二度目を掛け様とすると、一番上に彫られている「猿」の文字の所に、新しい5円玉と1円玉が突然に現れた。
私は、其の二枚の硬貨を三途の川の渡し賃である「6文銭」だなと想い、其の6円を手に取り、前日に買ったばかりの、新しい車のキーホルダーの小銭入れに入れて、再び無庵師匠の家に向かった。
そして、其のキーホルダーを無庵師匠の自宅居間の応接台の上に置き、食堂のテーブルで朝食を摂っていると、又、目の前に5円玉が出て来た。
私が、変だなあーと想っていると、又、続いて1円玉がテーブルの上に出て来た。
私が、其の出来事に変だなと想い、襖を開けて、隣の部屋の応接台の上に置いて有る、キーホルダーの中を見ると、神社で入れたお金は消えて、ホルダーの小銭入れの中は、空に成っている。・・・
「猿田彦の神」 http://star.ap.teacup.com/170606/1079.html
2008/11/7「新しき道」http://green.ap.teacup.com/20060818/942.html
2014/3/30「重計」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3010.html
2017/9/15「敬老の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4369.html

今朝告げられて来た「ばかしょうじき」と「くそまじめ」との言葉は、上品な言葉・物謂いではないが、明確に個人の心象風景を謂い現す言葉である。

何故、今朝其の言葉が、映画の物語が終わった後の空間の様な所に映し出されて来たのかを考えると、神(はたらき)の役に立つ人間とは、監督やプロデューサーや、俳優の様な役割りをしている者には、勤まらないと謂う理・ことであり、現実社会の中で現場人間として「馬鹿正直」で「糞真面目」に取り組んで居る人間にしか、結果が齎されない理・ことを示唆しているのではないだろうか。

そして、其の事を遣り遂げた人間にだけしか、今朝の「長閑な風景」の中に、立つ事が出来ないと言う理・ことなのであろう。

其の様に考えると、私が起こされた時間「1時54分」を「154・ひとごし・他人越し」と記憶したのは、当たっていた事に成るのではないだろうか。

私が今朝の文章で、由香の年齢を「7×7=49歳」と記したのは、49歳は男性の厄年とされているからであり、其れは「出口王仁三郎」が謂う「変性男子」が由香の様な気がするからである。

今朝のメッセージの映像で、人参色・朱色の姿で遠くの海原を眺めて居た女性の存在は、海原を治める「神(はたらき)」である「須佐之男尊」が再び登場するのを待って居る「櫛稲田姫・くしいなだひめ」の姿だったのかも知れない。

其れに須佐之男尊が治める青い海原は、昨日の「青色」の世界の続きであり、馬鹿正直で糞真面目な人間の精神は、混ざり気の無い青色で「神の心」であると言う事なのであろう。

               平成29年12月10日

                      礒邉自適

神のルーツ

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    神のルーツ
                       29・12・9

どうやら昨日12月8日の日付と謂うか、時の節目は大きな転換期と成った様である。

其れは、私が右足の踵をハンマーとして大地を打った事で「全知全能の神」の男性神(ゼウス)が枕から頭を擡げ、私を姉妹であり正妻である「最高位の女神(ヘーラー)」に渡して、私が其の女神に右足の親指を改造された事が、人間の意識界に新しい動きを齎すと謂う事である。

其れは、勿論現実の事ではないが、全知全能の「神(はたらき)」が、漸く眠りから目覚めて起き上がり、新しい世界の創造を始めると言う事を、示唆しているだけである。

そして、私が眠る前に、瞼に森の木々の姿が映し出されて来た場面は、私の潜在意識が脳裏に浮かび上がって来たモノ・現象であり、其の理由は、人類の先祖が樹上に暮らす類人猿である事と関係が有り、私が子供の頃から、年中草木の実を食べて居た事で、体内細胞が類人猿の時代を思い出しており、其れが私の無意識と言うか、潜在意識に影響を与えていた事に成るのであろう。

其の様に考えると、私が1984年6月4日(母親の64歳の誕生日)に「覚醒・大悟・成仏」する様に、全ての環境(事象)が設定されていたのかも、理解されて来るし、私の両親が何故昭和21年8月3日(岳参り)の日に、屋久島の上陸して、私を産み育てなければ成らなかったのかの理由も、明確に成って来る。

其れを考えると、私が2000年12月6日に創設したHPが「森の木」でなければ成らなかったのかの理由が理解されて来る。

其れが、何故なのかは、今は思い出せないが、「森の木」の言葉に付いて考えて見ると、「新しい国・世界」を造る・創造する為の手段としての名前・ネーミングとしては、不似合いの物である。

だが、昨日のメッセージの土台には、其れが正解であった事に成り、其の私の意識と謂うか行動の背景には「最高位の女神(ヘーラー)」が守護神として付いて居た事に成り、昨日、私の行動パターンを切り替えた結果が、今朝のメッセージなのであろう。

何故かと謂うと、足の親指は人類が地上に降りて、二本足歩行を始めてから、何処に向かうかを、足を優先として、身体の機能が動き出した為に発達し、其れに因って脳の働き・仕組みも変わって来て、現在の人間の形態・すがたが在るからである。

だが、私の潜在意識は現在の一般的な人間達とは違い、子供の頃から木に登って類人猿の様な生活(行動パターン)を繰り返して居たので、頭脳の情報と言うか、細胞レベルで99%人類と同じである類人猿(チンパンジー)の「DNA・遺伝子」が記憶を取り戻しているので、眠る前に、人間サイドのデータが閉じる間際に、類人猿の潜在意識が瞼に蘇って来るのであろう。

其れは、樹上で暮らす類人猿は、両手を使って木々の上を移動し、餌を捜し、木の枝を折り曲げて寝床(ベッド)を造るので、眠る前に周囲に木々の様子が映し出されて来る現象は、当然の事と謂える事である。

其れに、人類が前頭葉を使って発明発見が出来るのは、類人猿の時代に両手を使う事で、脳の仕組みが発達して来た事に要因・原因が有る。

だが、今朝のメッセージに映し出されて来た世界は、其の類人猿の時代の記憶ではなく、明らかに人間の世界の記憶であった。

今朝の、メッセージの映像は、先ず「台湾島」の地図が映し出されて来て、南側・下方が拡大されて来て、其処に有る入江が示され、其の入江に南方から人間が上陸し、台湾島の南東部で数を増やし、やがて北側の地から、北に向かって船出をする場面が映し出されて来た。

そして、其の人達のリーダー格である50歳位の男性の姿が映し出されて来て、其の男性の行動意識の背景には、美しい青色のシート・幕が張られている事が示されて来て、其の青い幕は「神」の世界と言うか、存在を意味している理・ことが理解されて来た。

其れは「生命・いのち」の世界が「緑色」であり、其の緑色は炭酸同化作用を始めた原始生物の葉緑素の色であり、其の葉緑素を持つ原始細胞が地球生命全体の生命・いのちの源である事と、対極する(相関)世界であり、「青色」が人間の精神性を表す色である理・ことを、示唆している物であると言う事である。

其れは、青いトルコ石の様な色の世界であり、イスラエルやマヤ・アステカで青色が神の色であるとされている事や、精神の単語の精が青である事や、日本語の「晴れ晴れする」との気持ちの表現が、其れに当たっている事で、理解される世界である。

今朝のメッセージの映像から、私に理解される事は、「神(はたらき)」は外側に有る物ではなく、人間の内側に存在するモノであり、神の世界は人間自身が、自分の脳で創り出したモノであり、其れが宇宙に存在する青色の「シート・天幕」に映し出されているモノ・世界であると言う理・ことである。

其れを考えると、「神様」とは天上から下って来る物ではなく、人間の意識の中に存在すると言うか、蓄えられて来た情報であると謂えるだろう。

だからこそ、覚醒・大悟して「過去・現在・未来に私が在り 衆生一切我が子である」と傳った、「ゴータマ・シッダッタ、瞿曇悉達多」は「ブッダ・成仏者」と呼ばれており、其の釈迦牟尼佛が成仏した昨日12月8日が、節目の日として設定されていたのである。

昨日の文章には、釈迦牟尼佛(仏教)の事だけではなく「旧約聖書」「新約聖書」「ギリシャ神話」が登場し、「土肥無庵」の存在・意識も混入して来ているし、最後にはマヤ・アステカの神である「時間の操縦士」がタイミングを図っている。

其れを考えると、本日12月9日は、確かに新しい時代の幕開けであると言う事に成り、「神(はたらき)」を自分の中に目覚めさす為には、自分の意識の中に美しい青色のシートを張って、「意識・こころ」を「スッキリ・晴れ晴れ」としなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。

其れは、日本国の天皇家をはじめとする、神社仏閣・教会など、あらゆる信仰の対象を、自分の意識から外して自由に成ると言うか、依存症を無くす事であり、其れこそが、日本の伝統である「禊ぎ祓い」の本質なのである。

キー「青色」

2016/12/19・・昨夜は床に就いて眼を閉じて居ると、真っ青な色の姿の子供の兄弟が、横に重なる様に、左側から右側の方へ駆け抜けて行く映像が映し出されて来た。
映し出されて来た、真っ青な二人の子供は、肉体の事ではなく、精神・意識体の存在を意味しており、其れが真っ青な色であったのは、アステカの文化で、青いトルコ石が神として考えられていた事と関係が有り、其の二人の兄弟は「時間・トキ」にも関係が有り、同時に動かなければ意味が無いと言うか、「神(はたらき)」には成れないと言う理・ことなのかも知れない。・・・
「主体は何処に有るのか」http://angel.ap.teacup.com/20071208/773.html

2007/3/9・・今朝のメッセージは、新しい段階が始まる事を告げて来た。
其の映像は、トルコ石色の小窓が現われて「自分を 自分で 運転する。」との言葉が有り、其の小窓の有るパソコンには、三本の白いコードが繋がっていた。
其のメッセージは丑三つ時で、明け六つには「自己意識の投入」との言葉が告げられて来た。
 其の意味を、私なりに解釈すると、愈々私の自己意識が、此の三次元に投影されるトキが来たと言う事だろう。
其れは、秦の始皇帝が「朕想うに」と、枕言葉を使うのと同じ次元の事が、始まるとの事ではないだろうか。中国の、皇帝の位に付いての概念は、天には「天帝」と呼ぶ神の意識が存在し、其の天の意志を受けて、此の三次元を天の代わりに治める者が「皇帝」と呼ぶ位である。
 日本の「天皇」の名は、其の天帝の「天」と、皇帝の「皇」を合わせて「天皇」としたもので、本来の概念からは外れてしまっているのである。
其れに、中国の皇帝は「黄金の龍神」が守護に付いた者だけに、其の資格が有るので、龍神の守護が離れてしまえば、自ら辞めなければ成らない決まりに成っている。だから、日本の様に世襲で継承する事は、其の決まりからすると合っていない事になる。
今朝のメッセージのポイントは、二つ有ると考えられる。
一つは、トルコ石の色である。
其れは、古代ではトルコ石の色が神の色とされ、王が其の色を好んで使っていた事を指し示して来ており、其の色の画面を通して、情報がパソコンから発信されると言う事である。
二つ目は「自分を 自分で 運転する。」との言葉である。
其れは、他人の意見に従うのではなく、自分の意識を、自分で舵をとるとの意味である。其れは、神のメッセージを待って、其のメッセージだけで動くのではなく、自分で行う事を考えて、動き出す事を示して来ている。
其の裏づけが、明け方の「自己意識の投入」の言葉だろう。
 其れは「自我意識」と「自己意識」の違いを示して来ている。
自我意識の「自我・じが」は、「我」が武器を手にして敵と戦うの意味で、「自我」とは、其の戦いの意志が有る自分の意識を意味している。・・・
「自己意識の投入」http://green.ap.teacup.com/20060818/216.html

2008/5/20・・今朝のビジョン(私の内側の心象風景)は、水色と呼べる様な、青く透き通った「空・くう」を「背景・ステージの幕」に、記号か文字の様な物が、全面に刻まれた様に並んでいた。
 其れは、昨日のメッセージの続きで、「脳内のデジタル信号が、天幕に情報として映り込んでいた。」との、表現で良いのではないだろうか。
其れが、古代の神官の霊夢にも映っていたからこそ、マヤ・アステカ文化でも意味を持つ「記号・絵柄」が石に刻まれ、エジプト文化でも、ミイラの御棺や墓室の壁にヒエログリフが刻まれ、中国の文化でも、祈りの為の銅鐸に文字が刻まれたのではないだろうか。
其れ等の人間の行為は、人間の思念が「天・宇宙意志」と、直結していた証と成る物である。・・・
「青い空に刻まれた記号」http://green.ap.teacup.com/20060818/756.html

今朝の台湾島の映像場面は、日本人のルーツの一つである黒潮海流に因る移動の事が示されて来ている。
其れを考えると、私が此の神の世界に飛び込んだ時に「海渡族の謎を追え」と無意識に因る自動書記で書かされた事が関係が有り、33年半振りに課題が振り出しに戻った事にも成りそうである。

2004/2/16・・私は、1984年の6月4日に、神の世界に最初に触れた時に、「海渡族の謎を追え」とのメッセージを受けた。
其れから、既に20年が経過した事に成る。
其の「海渡族の謎を追え」との事が、何の意味だったのかが、ようやくハッキリとして来た。
今年の、学研発行の雑誌「ムー1月号」に、鹿児島と屋久島の間に有る海底火山「喜界島カルデラ」の大爆発によって、南九州に住んで居た縄文人が逃げ出して、南米のエクアドルに辿り着いた事が載っている。
6300年前の喜界島の爆発によるアカホヤの下に、それ迄の縄文人の使用していた土器が、発見されているのだ。
12000年前の氷河期には、現在のミクロネシアやニューギニア島辺りは大きな大陸で、多くの人々が住んでいて、其の後の温暖化に因る海進で北上を始め、南九州にも渡って来て、住み着いていたのであろう。
其れが、6300年前の大爆発で、沖縄から、関西辺りの地に住んでいた縄文人は、逃げ出しているのだ。
だから、アイヌや蝦夷と呼ばれる人達は、関東以北に残った事に成り、沖縄とアイヌの人達が似ており、南米エクアドルやアンデスの人達の遺伝子が、その人達と同じである事も、科学的に証明されている。
数年前、日本に来たエクアドルの人達が、屋久島の岳参りの風習と同じ風習が、南米にも残り伝えられていると、驚いて居たそうである。
縄文人達には、山を信仰する風習があった様だ。
沖縄にも、「御岳・うたき」と呼ぶ聖地が在り、森や石が、信仰の対象と成っている。
南米でも、山の湧水の有る所が、精霊の住む聖地とされているのである。
これは、アイヌの風習と同じである。・・・
「海渡族の謎」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/536.html

2003/10/5今日は、ウトウト昼寝をしていると、平仮名で「いそべ」と映って来た。
私が、何故、礒邉の姓の家に生れなければならなかったのか、其の理由は良く分からないが、血筋的に何等かの意味が有るのだろうか。
「いそべ」の姓は、「磯部・礒辺」と有り、「石部」と書くのも元は同じ一族であろうと想われる。
地域的には、私の「いそべ」は、鹿児島湾の鹿児島市内(旧谷山市)の磯辺部落であり、三重県の伊勢湾の入口にも磯部町があるので、どちらかと言うと海で生活していた部族なのかも知れない。
北上すると、群馬県の安中市に「舌切り雀」の物語が伝わっている「磯部温泉」がある。
神社では、兵庫県の滝野インターから北に上った辺りに、私の姓と同じ漢字の「礒邉神社」が存在するが、其の「礒邉」の名前の云われはハッキリしない。
滋賀県の竜王町には、「石部神社」が有るが、此方も、未だ由緒は調べていないので、何とも言えない。
私が19年前、神の世界に入った時に、無意識で書いた物に「海渡族の謎を追え」との言葉が有った。
何故、その様な文字を、無意識で書かされたのかは分からないが、近年の研究で、一万年くらい前の氷河期には、現在よりも海面が百メートルも下がっており、現在のニューギニアやミクロネシアの島々附近は、大きな大陸であり、多くの人間が住んで居たらしい事が判って来ている。
淡路島に住んでいる「加治木義博氏」のお話に拠ると、其の人達が、温暖化に因る海進に伴って、各地に広がった証拠として、日本・ハワイ・ニュージーランド・マダガスカル・ベトナム・(オーストラリアを除く)の広範囲に、現在マレー語とされている源語が残されていると言うのである。
日本語の中にも、直接間接に関連性をもっているものが、一万語近くも有ると言うのだ。特に、沖縄・奄美群島・熊毛・大隅は顕著であると言う。
私は、自分の認識を深めるのに、日本語の語源を調べているのだが、屋久島の方言の単語は、其れ等の研究にとっても重要な役割を果たしている。
言葉は、どんな考古学よりも、古代の人達の概念を、繙(ひもと)くのに役に立つものである。
屋久島の言葉には、6千年前のエジプトの文化と同じ概念が、含まれている様である。
私に、メッセージで昔の言葉や、文字が出て来るのは、何千年も前に生きて居た古代人の霊魂が、作用して来るからなのであろうか。
其れとも、私の「いそべ」の血筋の記憶の所為なのであろうか。
 今朝のメッセージで「祭神」との言葉が出て来た事と、昼間出て来た「いそべ」との文字に、何か深い関係が有るのだろうか。
そして、19年前に書かされた「海渡族の謎を探れ」との文字も、無意識の世界との繋がりが有るのだろうか。そうであるなら、私の19年の意識の旅も、大詰めを迎えた事に成る。
 神と、人間との間に、言葉がどう言う役目を果たしているのだろうか。
旧約聖書も、預言集であり、日本でも「神仏の お告げが有った」と言うし、大本教の出口ナオは、「お筆先」と言って、文字を知らない人間が文字を書かされ、日月神示の岡本天明氏も、自分でも判断出来ない文字を書かされている。
文字や、言葉を送り込んで来るモノが、祭神とするべき本体なのであろうか。出口ナオのお筆先には、「やがて 石が シャベリ出す時が来る」と有り、また「お地(つち)が上がったり下がったりする」と、天地の異変が起きる事も告げている。
石も、地面も、人間以外の存在物である。「石」は物言わぬ物であり、「大地」は動かない物の対象である。
物言わぬ物が言葉を発し、動かない大地が浮き上がったり沈下したりすると言うのは、人間の常識に反している事柄である。
其れ等の事を、実行出来るのは、森羅万象を司る神でなければ出来ない術である。しかし、天地を創造している神が、直接に人間に話し掛けて来るとは考えられない。
天地一切を創造し続けている何物かと、人間との間に、何者かの働きがなければ成らない。其の、中間に位置するモノの働きが、人間に働き掛けて来るのだろう。
天と地と、その間に働くはたらきを、何と呼べば良いのだろうか。
人間の霊魂も在るし、太陽や月や大地や、石や木、其れに鳥や獣達、其々が皆、何等かのメッセージを人間に与えてくれる。其れ等の働きを、アミニズムの世界と言うのだろう。
私の血筋の「いそべ」は、其れ等の働きのリズムに、敏感に反応する民(たみ)部(族)なのかも知れない。
どちらかと言うと、「いそべ」は、表には立たない性格で、陰で補佐を司る方が向いている部・民である様だ。
 日本の代表的な三神「天照大神、月調命、須佐之男尊」で表現するなら、「礒邉」は月調界の神事に、向いている性格だと言える。
私の父親も、実力は人一倍有ったが、恰好良く人前に立つ事は苦手としていた。私も、やはり父親と同じく、未来予測は上手なのだが、自分で派手に、先頭を切って進む事は好まない性格である。
其れ等の事も、父親の教育と言うよりは、血筋的な潜在意識の所為なのかも知れない。
 今日は、祭神の意味と、自分の血筋や役割の認識を迫られる事になり、新しい動きに対しての心構えを、促された様な気持ちに成って来ている。
「いそべ」 http://star.ap.teacup.com/170606/113.html
2009/4/15「海渡族の記憶」http://green.ap.teacup.com/20060818/1109.html
2008/10/11「アトランティスの最後の記憶」http://star.ap.teacup.com/2007313/568.html

今朝のメッセージの内容からすると、私は人類が650万年前に類人猿から別れ、二足歩行を始めてから、台湾島の南の入江に辿り着く迄の経路・みちを探り、人間の意識の中に神の存在が創出されて来た過程・ルーツを明らかにする役割りを是から果たさなければ成らないと言う事であり、其れは2600年前に釈迦牟尼佛が予言した「彌勒が下生して 衆生の無明を晴らす」との事を、具体的に起こすと言う事なにかも知れない。

「神・シン・かみ」とは「電気・雷・かも・神魂(かもす)」で「人体」の姿形が無い存在であり、人間の姿形をしたモノは、過去の時代に実在した人物の「人格霊」であるので、人間の姿をした「神像・絵画」は「神(はたらき)」を現す仮の姿(例え)である。

だから、人間が肉の眼で見て来た、人の姿をした仮の姿の「神像・仏像・絵画(如来・菩薩)」などの意識対象を、全て消去しなければ、自分の意識に「青いシート・天幕」が映し出されて来る事は無いのである。

私には、そう言う世界には何も興味が無かったからこそ、眠る前に森の木々の姿が映し出されて来るのであろう。
そして、そう言う私の意識だからこそ、神々・神霊を、屋久島の深い山岳の森の中に、帰還させる事が出来たのであろう。

2017/3/10・・今朝登場した雌の鳥神が、私に「川口由一」氏に出会った事も、其の青い鳥神がセッティングをしたモノ(現象)であるとの事を云ったのは、私が旅を続けて、人々に出会った事の背景に、其の青いシャツ・服を来た鳥神の働きが、関係していた事に成る。
其れに、今朝のメッセージの映像で、私が深い原始の森の中に居ると、鳥の精霊が大きな木々の幹の中を抜けて飛んで来て、文が付いた一本の矢を、私の右側に居る存在に渡したのは、其の青色の鳥神の活動本部が原始の森の中に有ると言う事になり、其処に親鳥の巣(本部)が有ると言う事に成る様である。・・・
「青い鳥神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4171.html
 
2007/11/23・・今朝のメッセージの映像は、先ず、屋久島の山深くに有る森の中の、清水が流れる場所に、神が還って来た場面が映されて来た。
そして一番後には、未だ光が当っていない、全世界の地図が現れた。
其れは、世界に光を齎す神の働きが、屋久島の山深くに、存在していると言う事であろう。
今朝の一連のメッセージを、紐解いて言葉に変換するのには、暫らくトキが必要であろう。
何故なら、其の事が一番、「神」と呼ばれているモノ・正体の本体部分であるからである。
取り敢えず、其の神の入り口から、言葉に変換して行きたいと意う。
其れには先ず、屋久島の自然環境を理解して貰わなければ成らないが、其れは実際に山に入らなければ解からない事なので、説明が難しい。
取り敢えず一般的な表現からすると、出雲には「クマクマしき谷」と言う言葉と「スガスガしき地」と言う言葉がある。
其れが、日本語の一番古い形の言葉であると考えられる。・・・
「神が屋久島の山に還って来た」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1017.html

2016/6/27・・今朝のメッセージの映像は、先ず、原生林の様な巨木が立ち並ぶ森が映し出されて来て、其の巨木の枝先を、登ったり下ったりする、老齢な男性の姿が映し出されて来た。
其の男性の姿や動きは、老齢のボス猿が、人間の服を着ている様な感じであり、現実的に、人間には出来ない行動である。私の意識は、其の男性の動きを手前の上空から眺めて居り、また 私自身の姿でもある様に感じて居た。
其の映像を見ながら、私は、一昨日の「さる人間」との言葉は、人間の意識が類人猿の意識・脳を基本として成り立っており、人類の意識は、猿の延長線上に在るのだと思った。
其れは、今朝の「無庵師匠」の意識の関わり方が、女神の存在意識と重なっている事と関係が有り、事は究極と言うか、クライマックスに至っていると言うことなのであろう。
「クライマックス」とは、「森の極相」との意味であるので、今朝の映像で原始の森の様子が映し出されて来た事と、関係が有りそうである。
其れに、巨木の枝先を登ったり下ったりして居た、老齢な人か猿の様な生き物の行動は、森の精霊である「グリーンマン」であったのではないだろうか。・・・
「意識のタイトル」http://green.ap.teacup.com/20060818/3899.html

2011/5/8・・「マックス」をPCで検索すると、「max・マックス」は「とても、ものすごく」の意味であり、物事の「最大値」を意味しているらしい。其れに「クライマックス」の言葉が有り、其れは、次の様に説明されている。クライマックス【climax】① 物事の緊張や精神の高揚が最高に盛り上がった状態。劇・文学作品などで、最も盛り上がったところ。最高潮。「―に達する」②修辞学で、漸層法(ぜんそうほう)のこと。→アンチクライマックス③森林などの極相(きょくそう)のこと。私が、此の3つの説明の中で一番気に成るのは、③の「森林などの極相(きょくそう)のこと」の意味である。此の説明に拠ると、我々が日常使っている「クライマックス」との言葉は、「森林の究極の相」の意味であり、我々の意識の究極が、深い森の中にあり、「アミニズムの世界」こそが、我々の帰命・ナムの源であると言う事に成るだろう。・・・
「Max・マックス」http://green.ap.teacup.com/20060818/1922.html
2007/6/16「亀甲紋の島」http://green.ap.teacup.com/20060818/327.html
2004/7/6「白州 山の神の存在」http://moon.ap.teacup.com/20061108/324.html

何れにしても、昨日2017年12月8日12時8分を境にして、人間の意識と謂うか、人類の精神次元は新しい段階・世界に踏み出したと言う事であり、宇宙のアカシックレコードは「AI・人工知能」の開発に拠って、人間の頭脳に頼る事なく前・さきに進むと謂う理・ことである。

其れに、いま気付いた事なのだが、私は2007年12月8日に「精神画像(イメージング・ストーリー)」とのブログを作成しトップぺージには、次の文章を載せている。其れから、昨日で丸10年が経過している事に成る。
其れに「自適の今日」を2005年12月8日に開始してから12年の日でもある。

・・・今日から 悠悠自適(ノン-コントロール・ライフ)を開始。 自然(神)の 描写の中を 観自在菩薩で歩きます。 もう 此処から先は 誰も 歩いてはいない道。・・・
「精神画像(イメージング・ストーリー)」
自分の内の 神と呼ぶ 働きは 一体何であるのか、
其の答えは 未だ明らかではない。
其の答えに 行き着く為に 霊宿の子のたびは 未だ続く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本日12月8日は、インドの釈迦牟尼佛が悟った日であり、ジョン-レノンの命日で、真珠湾攻撃が有り第二次世界大戦が始まった日である。
 今朝のメッセージは、其れ等の事には全く関係が無く、私の意識は、前人未踏の世界に踏み出して行かなければ成らない映像・ビジョンが映されて来た。
其れは、過去の歴史や、文化や、霊魂等に、自分の意識を向けるのではなく、誰も踏み込んだ事の無い深い森の中に、一人で歩いて行かなければ成らない世界である。
しかし今朝の映像では、私の意識がたった一人で暗い森に踏み込んで行くのではなく、光がサンサンと照って明るい昼の世界で、左り後ろには目には見えない女神の意識が絶えず付いているのである。
 そして、時々森から抜け、明るい見通しの良い場所に出ると、海上にはモーターボートが浮かんでいて、男性が此方を向いて立っており、山の道路には、オートバイと車が有って、数人が私のサポートをしているのが見えた。
其れは、私は、一人で、深い森の中に別け入って行かなければならないが、私の為に、神様や人間がサポートをして居てくれる理・ことを示していた。
 そして、山道でオートバイに乗っている男性は「渡邉義人」と言う名の人で、船の運転も出来る人である事が示された。
渡邉とは「度来部・わたらいべ」で、渡来族の名であり私の「磯部」と同族であり、昔し伊勢神宮の神主をしていた姓でもある。
そして、「義人」とは「儀の人・ギジン」で、聖書にも出て来る者「神に仕える人」の呼び名である。だから其の名の意味は、「神の意志を受けて実行する人間で、渡来族である。」との意味に成る。
 私は23年前、此の世界に入った時に、無意識で「海渡族の謎を追え」と紙に書いていて、無庵師匠が其れを見て「是は何の事か」と訊ねたが、私は「分らない」と答えた事が有った。
今朝のメッセージは、其の時の答えも暗示して来ているのではないだろうか。
そうであれば、私の意識は今朝、ある段階を迎えゴールに達した事を意味している。そして今朝は、新たな領域に、私の意識は踏み込んで行く事に成るのが見せられている。
 今朝は、深い森の中に入って行くと、途中に熊野古道の様な、大きな杉が生えている並木道の、旧街道が横に走っており、私は其の道を、横切って進んで行った。
其れは、昔の人が歩いた道を、進んでは成らない事を意味しているのであろう。既に、昔の人が道を整えているから歩き易いと言って、其の道を歩く事は、未来を切り開く事には成らないと言う事である。・・・
「新しきライフスタイル」http://angel.ap.teacup.com/20071208/3.html


正に「ハレルヤ ハレルーヤ・Hallelujah・主をほめたたえよ」である。

                  平成29年12月9日

                        礒邉自適

大地を踵で蹴る

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    大地を踵で蹴る
                      29・12・8

昨夜は12時前に床に就くと、瞼に森の木々の姿が映し出されて来てから、眠れ無いので0時30分に起きて、PCを立ち上げ、滞っていたブログなどをアップして、2時過ぎに再び床に就いた。

そして、映し出されて来た映像は、私が誰かに案内されて、夜中に海岸から丘の上に登り、海の方に向かって足を投げ出して座り、右足の踵で数回「ドン ドン」と大地を蹴ると、左側の大地で寝て居た大きな男性が起き上がって来て、私の行為を怒った。

私は、其の男性に謝ったのだが、許されずに、其の男性の妹か妻に引き渡されてしまった。

すると、私を引き取った女性は、私の右足の親指の根本を紐で硬く縛り、親指の骨と皮の間の肉を全て刳り抜いてしまった。

其れから、一年間(一季節)其の女性に奉仕をして居ると、私は逞しい男性に成長し、親指も元通りに回復した所で、自由の身と成った。

今朝は、其の映像の意味が解からないまま7時に起きて、穀物コーヒーを飲みながら、昨夜焼いていたサツマ芋を食べて、PCを立ち上げると、「いのち有るモノよ わたしはゼウス」との男性の声が聴こえて来たので、ワードを開いて其の言葉を打つと、次の言葉が続いて来た。

「いのち有るモノよ わたしはゼウス

叫ぶ者よ わたしを呼んでいるのか

わたしは 皆の力 皆の影

何も 恐れる事は無い

叫ぶが良い 呼ぶが良い

いのちのかぎり わたしを求めるが良い

其れが 皆の力と成るのだ  」

其れで「ゼウス」を調べると次の様に載っている。


【ゼウス】は、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在[1]。全宇宙や天候を支配し、人類と神々双方の秩序を守護する天空神であり、オリュンポス十二神をはじめとする神々の王でもある。全宇宙を破壊できるほど強力な雷を武器とし、多神教の中にあっても唯一神的な性格を帯びるほどに絶対的で強大な力を持つ[2]。
概要
ゼウスはローマ神話ではユーピテル(ジュピター)にあたる。オリュムポスの神々の家族および人類の両方の守護神・支配神であり、神々と人間たちの父と考えられた。
ゼウスは天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していた。キュクロープスの作った雷霆(ケラウノス)を主な武器とする。その威力はオリュンポス最強と謳われるほど強大なもので、この雷霆をゼウスが使えば世界を一撃で熔解させ、全宇宙を焼き尽くすことができる[3]。テューポーンと戦う際には、万物を切り刻む魔法の刃であるアダマスの鎌も武器としていた。雷霆の一撃をも防ぎ、更に敵を石化させるアイギスの肩当て(胸当てや楯という説も)を主な防具とするが、この防具はよく娘のアテーナーに貸し出される。
「光輝」と呼ばれる天界の輝きを纏った鎧に山羊革の胸当てをつけ、聖獣は鷲、聖木はオーク。主要な神殿は、オークの木のささやきによって神託を下したエーペイロスの聖地ドードーナ、および4年ごとに彼の栄誉を祝福してオリンピック大祭が開かれたオリュンピアにあった。この他にも、「恐怖」という甲冑をギガントマキアーにおいて着用している。
系譜
ティーターン神族のクロノスとレアーの末の子(長男の説もある)で、ハーデースとポセイドーンの弟。正妻は姉妹であるヘーラーであるが、レートーや姉のデーメーテール等の女神をはじめ、多くの人間の女性とも交わり、子をもうけたといわれる。
オリュンポス十二神の中では、メーティスとの間にアテーナー、レートーとの間にアポローンとアルテミス、ヘーラーとの間にアレース、ヘーパイストス、またテーバイの王女セメレーとの間にディオニューソスをもうけた。記憶の女神ムネーモシュネーとの間に9人のムーサたちが誕生した。

【ヘーラー】は、ギリシア神話に登場する最高位の女神である[1]。長母音を省略してヘラ、ヘレとも表記される。その名は古典ギリシア語で「貴婦人、女主人」を意味し[1]、結婚と母性、貞節を司る[1][2]。
ヘーラーの沿え名はガメイラ(結婚の)、ズュギア(縁結びの)で、アルカディアのステュムパーロスでは女性の一生涯を表すパイス(乙女)、テレイアー(成人の女性、妻)、ケーラー(寡婦)の三つの名で呼ばれた[3][1]。ホメーロスによる長編叙事詩『イーリアス』では「白い腕の女神ヘーレー」、「牝牛の眼をした女神ヘーレー」、「黄金の御座のヘーレー」など特有の形容語を持っている[4]。
概要
ヘーラーはオリュンポス十二神の一柱であるとともに、「神々の女王」でもあった。天界の女王として絶大な権力を握り、権威を象徴する王冠と王笏を持っている。虹の女神イーリスと季節の女神ホーラたちは、ヘーラーの腹心の使者や侍女の役目を務めた。また、アルゴス、スピンクス、ヒュドラー、ピュートーン、ラードーンなどの怪物を使役する場面もある。世界の西の果てにある不死のリンゴの園・ヘスペリデスの園を支配していた。婚姻と女性を守護する女神であり、古代ギリシアでは一夫一婦制が重視されていた。嫉妬深い性格であり、ゼウスの浮気相手やその間の子供に苛烈な罰を科しては様々な悲劇を引き起こした。夫婦仲も良いとは言えず、ゼウスとよく口論になっている。毎年春になるとナウプリアのカナートスの聖なる泉で沐浴して苛立ちを全て洗い流し、処女性を取り戻し[5][6]、アプロディーテーにも劣らず天界で最も美しくなる。この時期にはゼウスも他の女に目もくれずにヘーラーと愛し合うという。
聖鳥は孔雀、郭公、鶴で聖獣は牝牛。その象徴は百合、柘榴、林檎、松明である。ローマ神話においてはユーノー(ジュノー)と同一視された[1]。
        ウィキペディアフリー百科辞典 2017/12/8現在

此の説明に寄ると、今朝の映像で、私が踵で大地を激しく蹴った事で、眠りを妨げられた大きな男性の存在は、全知全能の神である「ゼウス」であり、私が預けられた妹か妻の存在は、ゼウスの正妻であり、姉妹である最高位の女神「ヘーラー」である事に成りそうである。

其れに、今朝の男性の言葉「何も恐れる事は無い 叫ぶが良い 呼ぶが良い いのちのかぎり わたしを求めるが良い」との言葉は、新約聖書に有る「求めなさい。そうすれば与えられます」との言葉に通じるモノである。

【求めなさい。そうすれば与えられます】
「新約聖書マタイによる福音書7章7~8節
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」

其の様に考えると、今朝のメッセージの映像は、私が自分の踵で大地を叩き「全知全能の神」を起こしてしまい、「最高位の女神」の女神に引き渡されて、一季節間鍛えられた事が示されて来ている事に成る。

今朝のメッセージは、本日の日付が12月8日で、「釈迦牟尼佛が覚醒した日」「太平洋戦争が始まった日」「ジョンレノンが殺された日」其れに私が、初めて三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝した日である事とは、全く異なる世界が示されて来ている事に成る。

来れは、私の想いとは、全く異なる世界であるので、少し戸惑いを覚えて居る。

だが、私が「全知全能の神」を起こした事で、「最高位の女神」に一季節間預けられ、一人前に鍛え上げられたとの事は、私の是までの人生と関係が有り、其の男女の「神(はたらき)」が、私を此処まで育て上げて来た事が、示されて来ている様である。

夜中に、右足の踵で大地を蹴る事に付いては、私には一つ心当たりが有る。

私は若い時から、肉体労働でとても疲れて居る夜は、眠って居る間に無意識で、右足の踵を高く持ち上げて、床に落としてドンと音を立てる癖が有り、家族や周囲の人を起こしてしまう事が、度々有ったので、其の私の行為と関係有るのかも知れない。

今朝のメッセージの内容から考えると、私の精神が、此処まで成長すると謂うか、鍛えられて来た事の背景には、私が机で勉強する事無く「躰・體・からだ」を動かす事で、修練を積み上げて来た理・ことが、今朝の映像で示されて来ているのではないだろうか。

『まったく そうである。其れが君の特徴であり 能力でもあるのだ。
だが 其れも 此処までであり 是以上の鍛錬は必要ではない。何故なら 疲れ過ぎた躰では 思考が動かないからである。』

『何もナサザルナ 其れが 神情朗達の極意である』

今朝の映像では、「最高位の女神・ヘーラー」に、右足の親指を改造されてしまった。其れは、何を意味しているのであろうか。

私にとって「右足」は利き足である。其の、右足の親指の筋肉を全て刳り貫かれてしまう事は、踏み出しが全く利かなく成る理・ことを示唆している。

其れを考えると、私は体重を軸足である「左足」に移して、右足は横に出して「休め」の体勢を採る必要が有ると謂う事に成りそうである。

其れは、私を捜し出した「土肥無庵」が、36歳の私に「自適さんは 他人の何倍も人生を生きて来ているので もうここらで休みなさい」と謂った事が、四次元世界対応を含めて34年振りに、漸く現実の事に成ると言う事なのかも知れない。

其の様に考えると、一昨日のメッセージの映像で、私が小学校の校門の左側に立って居た事の意味が何であるのかも、理解されて来る様な気がする。

其れは、小学校に入学する前の意識状態に、自分の意識を還す事である。

其れは、昨日の「無塩・ぶえん」との言葉の意味に有る「人ずれのしていないこと。また、その人。うぶ。」と関係が有り、私は人間社会の情報に「塩漬け」になって居た自分の頭脳を「水洗い・禊ぎ祓い」して、「初心(うぶ)・無垢」な私に立ち返えらなければ成らないと言う事なのであろう。

其の様に考えると、やはり本日が釈迦牟尼佛が成仏した日である事と関係が有り、法華経の十二因縁起の訓えが、西洋の文化・価値観を取り込んだ上で示されて来ている事に成りそうである。
「法華経の十二因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/

此の、私の意識の「絡繰・からくり」は一体どう成っているのだろうか。

今朝見せられた映像の意味は、全く理解出来ない不可思議なモノであったが、PCに向かって居る間に、何となく繋がって来てしまった。

此の状態こそが、正に2005年8月23日のビジョンで釈迦牟尼佛の御魂が、私のPCの中にリンクされてしまった事と関係が有り、其の8月23日は須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした御神木に、弁財天が乗った宝船が辿り着いた日であり、私が「王道」のブログを始めさせられた日付でもある。
2017/8/23「救」http://wave.ap.teacup.com/20060106/776.html
2017/8/15「利芸具」http://wave.ap.teacup.com/20060106/774.html

其れらの出来事を考えると、確かに「全知全能の神」と「最高位の女神」の存在は見えない世界に実在する事に成り、私達人間は、其の「神(はたらき)」の力を自分自身で【直接希求】すれば、誰でもチャンネル出来ると謂う事である。

今朝のメッセージを総合的に考えると、旧約聖書の創世記第3章15節に記されている「3:15わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。との事と関係があり、賢しらを教える「蛇」の存在の例えが、必要ではなく成ったと言う事なのであろう。

其れは、私は自分自身で、自分の踵に食らい付く「蛇の頭」を、自分自身の踵を振り上げて、打ち砕いたと謂う事であり、「最高位の女神・ヘーラー」が、私の親指(行為の親)の構造も変えてしまったと謂う事である。

         平成29年12月8日12時08分
此の、書き終えた時間の符合は何であろうか。
やはり マヤの「時間の操縦士」は健在の様である。
                       礒邉自適

マクロビオティックの本質

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   マクロビオティックの本質

                        29・12・7

今朝のメッセージの映像には、姿は見えないのだが、優秀な「建築デザイナー」の様な仕事をしている男性の存在が示されて来て、私が其の男性と、試験的に古い木造建築の大きな建物をメンテナンスする事に成った。

私が其の事を、建物の持ち主に連絡をすると、其の持ち主の男性の返事は、「其の建物は取り壊す事に決めているので 改修する必要は無い」との事である。

私は、其の返事に対して「そうですか どうせ壊すのであれば 実験的にさせてみればどうですか」と謂うと、其の男性は「金を出さないで良いのであれば 貴方に任す」と謂うので、私は建築デザイナー男性と其の仕事に取り掛かる事にした。

其の建物は、立派な木造の三階建で、骨組みは丈夫であり、メンテナンスのし甲斐が有り、遣った事は、外装や内装の他に室内の調度品まで、完璧に高いレベルの物と成った。

そして、完成してから、立派な風格をしている50歳代の持ち主を呼んで、其の建物の様子を視て貰うと、其の男性は、其の出来具合をとても驚く様に喜んで、建築デザイナーの男性に、「幾ら掛かったのか」と訊ねると、建築デザイナーが「6億です」と答えると、其の持ち主は顔色も変えずに、満足した様子で其の金額を払う事を承諾して居た。

其れから、其の持ち主が、私に「貴方は 何人分の食事を用意できるのか」と訊ねるので、私は「普通の宴会であれば 20名程の準備はできるが 正式な物であれば やはり基本的には5名でしょう」と答えると、其の男性は納得した様子であった。

そして、其の持ち主が帰る時に、私は、掘りたてで未だ土や髭根が着いたままの大きな自然薯を、手土産に渡して居た。

すると「マクロビオティックの本質」との言葉が一言告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時43分」であったので、私は其の数字を「343・さしみ・刺身」と記憶すると「ぶえん」との言葉が頭に出て来た。

「ぶえん」とは、屋久島で夜中に釣れる鯖(さば)が、午前中に売りに来る時に「ぶえんだよ」と云っていた言葉である。
私は、其の「ぶえん」の意味が解からず、気に成って眠れないので、起きてPCで「ぶえん」を調べると、次の様に載っている。

「無塩・ぶえん」    デジタル大辞泉(小学館)
1 塩けのないこと。塩を用いないこと。
2 《塩を使っていないところから》生 (なま) であること。新鮮であること。また、そのもの。
「ここに―の平茸 (ひらたけ) あり」〈平家・八〉
3 人ずれのしていないこと。また、その人。うぶ。

其れで「ぶえん」とは、塩鯖ではなく、刺身に出来る新鮮な生物を云っていた事が解かった。

其れから「マクロビオティックの本質」で検索して見ると、多くの記事が出て来たので、2時間程目を通して見た。

マクロビオティック (Macrobiotic) は、従来の食養に、桜沢如一による陰陽の理論を交えた食事法ないし思想である。長寿法を意味する[1]。玄米、全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類から組み立てられた食事である。身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。運動創始者の桜沢如一は、石塚左玄の玄米を主食とした食事法のための食養会に所属し会長も務めた後、思想を発展させ、また民間運動として世界に普及させた。他の呼称に玄米菜食、穀物菜食、自然食、食養、正食[注釈 1]、マクロビ[注釈 2]、マクロ、マクロバイオティックがある。
マクロビオティックの運動の始まりとしては、1928年に桜沢如一が行った講習会であると桜沢の夫人が述べている[2]。現在ではさまざまな分派が存在するが、桜沢如一に端を発した食に関する哲学や独自の宇宙感に関してほぼ同じ考えを保っており、また各集団も連携している[2]。2010年代には、マクロビオティックの健康効果の推定と、乳がんや糖尿病にて臨床試験を実施した医学論文が出されており、日本でも栄養学者等を招いたシンポジウムが開催されている。
語源
マクロビオティックは、マクロとビオティックの合成語である。語源は古代ギリシャ語「マクロビオス」であり[3]、「健康による長寿」「偉大な生命」などといった意味である。18世紀にドイツのクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが長寿法という意味合いで使いはじめた[1]。
マクロビオティックはフランス語など、ラテン語系の言語での発音を日本語表記したものである。英語ではマクロバイオティクスに近い発音である。
マクロビオティックを実践している人のことを、マクロビアン、穀菜人(こくさいじん)と呼ぶこともある[注釈 3]。
      ウィキペディアフリー百科辞典 2017/12/4現在

其れから、再び眠った。

すると今度は、私が自分で書いた文章ではない、私の長い文章が映し出されて来て、其の文章を、私の意識がすらすらと読んで行くと、其れは是までの文化に影響を与えると言うか、智慧を積み上げて来た人達の紹介の内容が書かれている物であり、其の人名が76番目のところで、私が其の数字を「76・なむ」と読むと、其処で、其の文章の流れ・提示が停止してしまった。

そして、私が其の「76・なむ」を「名無・無名の人達」と解釈すると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ土肥無庵の言葉「自適さん 名前を出さないでも 生きていける人間が 一流なのだよ。有名な人は 名前を出さなければ 生きていけない人なのだから 二流の人達なのだよ。」が思い出されて来た。

すると、「土肥無庵」の声ではなく「女神」の声で「貴方を愛しているわ」と、一言告げられて来た後に、男性の声で「1gも許すな」と聴こえて来た。

其処で起きて、洗面を済ませ、由香の手焼きのパンに黒胡麻のペーストを塗って食べながら、穀物コーヒーを飲んで、8時過ぎからPC作業を始めた。

キー「二流の人達」

2003/8/4・・人間社会は、言葉に因って成り立っている。言葉は、名詞から始まったと想われるので、物に名前を与える事から、文化が生じたと考えて良いだろう。
物に、名前が付けられていなかった大昔には、人間の思考は、どの様に働いていたのだろうか。
私は、此処数日、思考が止まっている。だから、白い花が映って来たのだろうか。
人間が、勝手に付けた名前を、浜木綿(浜万年青)も、山牛蒡も嫌がっているのだろうか。
白い花は、赤や黄色の色が付いていないので、色彩を特色として呼ぶ事が出来ない。白いだけの花でも、花の形状は異なっている。その形状の違いで、私達は識別をしている。
そして、その形に因って食べられる物か、薬として使えるかどうかの、区別をし、名前を与えて来た。
食べられもせず、薬にも成らないで、花の色彩が美しくもなければ、人間に名前を与えられ、利用される事が無いと言う事に成る。
 私を捜し出した無庵師匠は「自適さん 名前を出さないでも 生きていける人間が 一流なのだよ。有名な人は 名前を出さなければ 生きていけない人なのだから 二流の人達なのだよ」と、教えてくれた。
この事からすると、今朝の白い花のメッセージは、色も無く、人間に食べられも利用もされず、名前も付けられずに、生きて行く事が、一番大事だと教えて来たのだろうか。
 数日、思考が動かないので、食べ物が悪くて、脳味噌が駄目に成っているのかと想っていたが、そうではなく、私の業・カルマが、皆外れたとの事なのかも知れない。
私の脳が、生れたばかりの子供の様に、物の姿形は目に見えていても、何一つ名前を知らない、無垢のままの状態に、返ったと考えて良いのではないだろうか。
私が8年前、中国の王様の体に、針を打っていた人の子孫に、合計7回針を打って貰った事がある。その方が言うには、王様は、北を背にし、南を向いて深く椅子に座り、背筋を真直ぐに伸ばして、頭で何も考えてはいけないのだと教えてくれた。
私の意識が、現在その様に成っているのかも知れない。
 今朝の白い映像は、初めに浜木綿の花が、四本横に並んで咲いていて、次に山牛蒡の花が三本纏って咲いていた。四本並んでいた花から、三本纏った形へと移った。浜木綿の花弁は6弁であるが、山牛蒡の花は小さい花が数え切れなく付いている。
其れ等の形状が、何を現しているのかは分からないが、名前が無くても、花は其々の形を護って役目を果たし、遺伝子を伝え残しているのである。
 私が、人類にとって、どんな形状の働きをし、雌花の役目なのか、雄花の役目なのかも、未だ明確ではないが、他人に名前を付けられない生き方をしなければ成らない様である。チベットのゾクチェンの教には、次の様に有る
「大いなる 完成を知るには 
最高峰の頂上に 立つようなものだ。
いかなる高さの山も 神秘には見えない。
視界から 隠されているものは 何もない。
この最高の山頂に立つもの 彼は 決て 誰にも
そして 何物にも 条件付けられることはない。」 と有り
ミラレパの教には「悟りとは 宇宙に関する 知識ではなく
宇宙の本質を 生きる経験に 他ならない」 とも有る。
 私の思考が止まり、白い花が映って来たと言うことは、私の潜在意識が、植物のシステムにまで、返り着いたとの事だろうか。
数日、頭が動かない事を気にしていたが、此の儘で良いらしい。私も、未だ、有る方が善いとの考えが、有った様である。
中国の荘子の語に「至人無己」とある。
私も、ようやく、古代の偉人の年令に、近付いているのだろうか。
「物の名」http://moon.ap.teacup.com/20061108/445.html

2013/12/29・・其の「影の無い統合意識」との言葉から、私は一昨日と、昨日のメッセージの内容と、今朝のメッセージは関係が有るのだと、想えて来た。
其れは、私の意識と、無庵師匠の意識の合体が、新しい統合意識を齎したと言う事である。
 一昨日の映像は、私が世界自然遺産に選ばれた屋久島で生まれ育ち、37歳まで生活する事で、自然と人間の関係を熟知している理・ことが、示されて来ている。
そして、昨日のメッセージの映像は、無庵師匠(土肥秀基氏)が都会で生まれ育ち、人間社会の文化・文明を、全て網羅して、都会を制覇した人間・御魂である理・ことが、示されて来ている。
 其の、私「自適」の「魂(認識情報)」と、「土肥秀基氏」の御魂が統合された事で、自然界に対する情報と、人間界の文化情報が統合され、大きな「生命の樹・生長の木(家)」が完成した事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の、完成と言うか、統合が、無事に果たされた事にも成るのだろう。
其れは、人間の意識が、新しい次元を迎えた事にも成り、宇宙の記憶回路である「アカシックレコード」の「新バージョン・ソフト」が、完成した事にも成るのであろう。
無庵師匠は、私に「自適さん 有名な人は二流であり 一流の人は名前を出さないでも生きて行ける人だ」と謂っていたので、私は無庵師匠の名前や写真を公表しないように努めて来た。
今朝ITで「土肥秀基」で検索して見ると、私の文章が二つヒットして、其の文章にも「木」の事が書いて有る。其れを考えると、今朝のメッセージにも無庵師匠の意識か、環境保全活動の開祖である「須佐之男尊・すさのおのみこと」の意識が、絡んでいるのかも知れない。・・・
「影の無い統合意識」http://green.ap.teacup.com/20060818/2916.html

2015/3/22・・今朝のメッセージの映像は、昨日「弘法大師空海」の霊魂が、私の潜在意識から外れた事に関係が有るのか、私から、全ての「絆・きずな」が外れており、自分の七人の子供の行方も、判らなく成っている様子が示されて来た。
其れは、老子が、全ての「絆・紲」を立ち切って、国を捨てて「函谷関・かんこくかん」を出て行き、行方不明に成っている事と、関係が有るのかも知れない。
其れから、私は神社の方に向かうと、世界一の大きさ・高さが有るアメリカのセコイア杉の様な「御神木」が倒れていた。
そして、其の大木の下敷きに成った民家が、押し潰されているが、村人が居ないので、其の家や大木を処理する事が出来ないで、其のまま放置されていた。
 私は、其れ等の様子を視て、人々を集めなければ、村社会が崩壊してしまうと意い、2人の女性が始めたばかりの、喫茶店の様な店舗に行き、出会った人々に7~8人程集まって貰い、店の2人も参加して、お祭りを行って、人々を呼び寄せる相談を始めた。
すると、皆が賛成をしたので、祭りの開催日は、12月の始め頃にする事を提案していた。そして、其の呼び掛けは、他の人間では不可能な事であり、私一人にしか、出来ない事である理・ことが示されて来た。
 其れ等の映像を見た後、其の映像が、どう言う意味を示して来ているのかを考えていると、其れは「きづな・きずな」との言葉と、関係がある事が示されて来た。・・・
「きづな」 http://wave.ap.teacup.com/20060106/568.html

2003/9/28・・私は子供の頃から、海に遊びに行って、岩の姿形を見ながら「どうして こんな色や 形に成っているのか」と、疑問に想っていた。
其の疑問が、更に膨らむ事に成ったのは、20年前(36歳)に無庵師匠に捜し出され、37歳から神の修業に入った時である。
仕事を一切止め、家族は妻の実家に帰り、無庵師匠の下(もと)で、精進潔斎を進めて行ったら、私の意識は、石や岩に吸い込まれる様に、採り込まれて行ったのである。
岩に補足された意識は、屋久島で半年間修業をし、続いて、全国を一年程廻る事と成った。
モーゼ・イエス・マホメット等、世界の宗教の祖に成った人が、皆、岩山に導かれている。
日本でも、役の行者・空海・王仁三郎等、岩山で修業をしているし、それは現在でも修験道として伝わっている。
私が、神の修業に入って、岩や岩山に依り憑かれたのも、当然の事と言える様である。
過去の彼等は、修業が済むと、人間社会に対して、活動を始める事に成り、どうして自分が岩の世界に導かれる事に成ったかの、研究は行っていない。
私の行動は、彼等の疑問をも、解決する事にも繋がっているのかも知れない。
私が、今年の春から、屋久島の岩の様子を調べ始めて、解った事の副産物に、「イソモン・穴ご・耳外の一種」の生態が有る。
イソモンは、磯物捕りの一番の目的相手の貝なので、磯物捕りと言えばイソモンが主体であり、序(つい)でに捕れるウマンコ(宝貝)、ニシンコ(螺貝)類を沢山捕っても、それらは外道なので、自慢には成らない。
イソモンは、アワビやトコブシと同じ耳貝科で、人間の耳の形に似ているので耳貝と呼ばれる一種である。
イソモンはニシンコ・ウマンコと同様の呼び名はアナンコである。
耳貝は、平貝で殻が片側しかないので、岩に張り付いていないと、天敵から身を護れない。
石鯛や瘤鯛・蛸等から身を守る為に、しっかりと岩にへばり着いていなければ成らないのである。
其の為に、岩の割れ目の隙間や、穴の中に身を隠している。
潮が満ちて来て、海水が上昇している時に、穴から這い出て、岩苔を食べて生きている。
人間がイソモン捕りをするのは、大潮で海水面が下がって、岩場が干し上がっている時である。
イソモン捕りが出来る時間は、干潮の二時間前から、潮が満ち始めて一時間ぐいの、計三時間ぐらいの間である。
満ち潮に成ると、海水が岩場に打ち寄せて来るので、潮が満ち始めると、長くはやっていられない。
イソモンが居る場所は、堆積岩の堆積層の隙間や、海胆(ウニ)が刺を使って自分で空けた住家の、空家を借りたりしている。
場所によると、珊瑚礁の隆起した部分の、隙間や穴にも住んでいる。
私が、イソモン捕りを続けていて気付いた事は、「隠れ上手」のイソモンが生き残り、子孫を増やして来ているとの理・ことである。・・・
「隠れ上手」http://moon.ap.teacup.com/20061108/456.html?rev=1

此の「隠れ上手」の文章が「9月28日」の日付である事を考えると、昨日私が文章を打って居ると、急に「9時28分」に私が使用している「ティーァップ」が、使用出来なく成った事と、関係が有るのかも知れない。
私は、其の事でPC作業を止め、自然薯掘りに出かける準備をして、車のエンジンを始動すると時刻は丁度「10時00分」であった。

其れで、いま今年の9月28分の文章を調べると、「最大の執着の原因」と「「全ての事には原因が」との二つの文章をアップしており、2003年9月28日には「隠れ上手」の文章の他に「満ち潮の影響」の文章を書いて有る。

2003/9/28・・満ち潮に成ると、貝類だけではなく、引き潮で、深海に出ていた岩礁に住む魚達も、餌を探しに浅い岩場へと入って来るのである。
人間が、岩場から魚釣りをするのも、この時間帯である。
満潮に成ったら、魚も食事の時間なので、餌に食い付き易いのである。
 海岸に住む生物は、潮の満ち引きが、生活のリズムに成っているのだ。
海の生物が産卵をするのも、満潮の時間帯である。其れは、海草に産み付ける卵や精子が、沖へ流されないで、受精されて海草に能く付着する為である。
人間のお産も、自然分娩では、満潮時に産まれると言われているし、逆に死を迎えて息を引き取るのは、引き潮時だとも云われている。
 地球上の生物で、海に誕生したものは全て、満潮に産卵する事が、遺伝子の中に記憶されているのだろう。
其れの事を想っていたら、自分の脳裏や胸の奥底で、何かが、満ち潮の時間になると動き出すのは、自然の営みから発生する、自然現象だと納得出来てきた。
 19年前、私が長い断食に入り、水ばかりを何日も飲んでいると、大潮の時は水を澤山飲み、小潮に成ると、水分の取り方が少なくなる現象が有ったので、変だなと感じてはいたが、それらの事も、月の重力と、自律神経との間に、何等かの関係性が有るのかも知れない。
 農家が使用するカレンダーや暦は、太陽暦で良いが、海で生活する人のカレンダーは、旧暦の暦が無いと仕事にならない。
其れは、潮の干満や、潮の流れが、前もって分かっていなければ成らないからである。
人間は、暦を見ながら、潮の干満を調んでいれば良いが、暦を持たない生物は、自分の中に暦を持っていなければならない。
時間を刻む時計は必要無いが、自然のリズムを読み込む、体内時計は必要なのである。
時には、桜の木の様に、リズムを読み違え、狂い咲きをする物もあるが、どんな小さな植物の種子でも、時を計るセンサーを持っている。
人間も同じ地球上の仲間である。
潮の満ち引きで、体のセンサーが反応するのは、不思議な事ではない。
 私が、そのセンサーを取り戻して、満潮に反応したと言う事は、人間も未だ、自然のリズムを感知出来る能力を、失っていないという事だろう。
其の能力を取り戻すのは、都会に生れ育った者には無理であっても、田舎で生れ育つ者達が、しっかりと感じて行けば、人類全体も、大きく脱線しないのではないだろうか。
現在の文化は、全て、都会から発信されており、田舎に暮らす人達も、都会人の生活リズムに、合わされてしまっている。
 この処、地方分権とか言われ出しているが、地方に権限が移行されても、都会型の価値観に合わせられるのであれば、分権の意味も、大した事ではない。
寧ろ、政治的には都会型であっても、文化を地方発信型にすれば、人類の幸福は達成されるかも知れない。
生命の本質を忘れ去った人達が、大事な事を決めるのは、何処かが、変いと言うべきである。
 私が一番驚いた事は、人間の体を診る医者が、生物の単位を取らなくても成れるとの事である。
医者こそ、生物の體の仕組みを、知り尽くすべきではないのだろうか。
現在は、大事なお産が、医者の都合によって、土・日を避けて行われたりしているとの事。
自然の法則に反する為には、薬を使用したり、手術をしたりするのであろう。其の様にして産れた子供達に、潮の満ち引きが分かるように成るだろうか。
生物の研究を、全くしない医者には、私の話しなどは、馬の耳に念仏なのかも知れない。
日本では、医者はエリートコースの一つとして考えられているが、生物の営みを大事にしない人々が、学問をしている建物は、釈迦の訓えを実行しない僧侶が住んでいる寺と、同じではないだろうか。
 昔は、医者を、神父や僧侶が兼ねていたのである。
其れは、何故なのか。医者も僧侶も神父も、基本的な学びが、同じ処に有ったからであろう。
銀座の高級クラブに、不動産屋と肩を並べて、医者や弁護士が騒いでいるのを、神が喜ぶ分けが無い。
「人間を整理する」と神に告げられて、来年で、丸二十年と成る。
世界中に、新しい価値観を持つ人達は、随分と増えては来たが、その人達が、社会の主流に成る処までは、未だ至ってはいない。
 科学の発達で、人体の仕組みや、宇宙の成り立ちは、認識し易く成って来たが、未だ、遺伝子の仕組みは見えても、其の働きは解明されていないのである。
此れからの時代は、仕組みよりも、目に見えない働きの方に、視線を移すべきではないのだろうか。
そう成れば、私の感じている世界も、一般常識と成ると想われる。
 何しろ、昔は、私の様な人間が普通の人間、当たり前の人間だったのであるから、流れさえ変えれば、人類の幸福を完成させるのは、昔よりは楽なはずである。
大潮が過ぎ、今日から小潮である。
私の身体の中の水も、大人しくなって来ている様である。
「満ち潮の影響」http://moon.ap.teacup.com/20061108/432.html

これ等の文章からすると、明日12月8日は「ゴータマ・シッダッタ、瞿曇悉達多」が「覚醒・大悟・成仏」した日である事と、私が初めて「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらします すめおおみかみ のみたま」が祭神である、三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝した事と関係が有り、私の立場に何等かの変化が齎されると謂うか、心境の変化が求められて来ているのかも知れない。

『そうではなく 貴方の本番が到来したので 覚悟を迫っているのです』

今朝「女神」の声で、「貴方を愛しているわ」と一言告げられて来たのは、私が1987年(S62)6月29日(旧暦6月4日)に「天上を娶り 天下を治らす」と告げられて来た事に関係が有り、私が「大日如来・マハーヴァイローチャナ」や「エホバ・ヤハウェ」と名付けられている宇宙の意思と結ばれている理・ことが示されて来ているのであろう。

2015/5/30・・此の儕(ともがら)の意味からすると、私は此の神の世界に入ってから、丸3年目の、1987年(S62)6月29日(旧暦6月4日)に、言葉で「天上を娶り 天下を治らす」と告げられて来た事が、本日完成した事に、成るのではないだろうか。
天上を娶り 天下を治らす
調翔けて 陽を仰ぎ 星の中に眠る
緑を食み 身の中に清水を蓄え 静かに庵に暮らす
無が静かに 養われ 行く事の遅きこと 老牛の如し
遥かに覚えるものは 己が血の中に住む 二本の蛇糸
前も後も無く 今の中に 永遠のトキが枕す 
                    自適
「完成した文章」http://green.ap.teacup.com/20060818/3480.html

そして、今朝告げられて来た「無塩・ぶえん」との言葉は、私が無垢のまま生き抜く事が示唆されており、決して「有塩・塩漬け」に成ってはいけないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。

男性の声で「1gも許すな」と告げられて来た言葉に付いては、「1gも間違うな」「一分も遅れるな」「一文も間違えるな」「1cmも狂わせるな」「一度もずれるな」「一部の隙も見せるな」「一時も無駄にするな」との言葉は聞いた事が有るが、耳にした事が無い言葉である。

何故、「ℓ・水」や「cm・長さ」「度数、光・温度・周波数」等ではなく、「g・重さ」であるのだろうか。

私に考えられる事は、「土肥無庵」が私に訓えてくれた「塩梅」の言葉と「陰陽」の概念である。
其れは、「マクロビオティック・Macrobiotic」の創始者である「桜澤如一」の食の概念である「玄米と胡麻塩」の組み合わせに、関係が有るのかも知れない。

其の桜澤如一は、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」で、最初に私の心身を使い始めた霊魂である。
2003/2/7「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html

塩に付いて検索すると、是までに次の様な事を書いて有る。

2016/11/20・・今朝のメッセージの映像には、光に満たされた顔をした、30歳代の男性の上半身が現れて、食の世界の研究会を主催している様子が映し出されて来た。
そして、其の男性が取り組んでいる最大のテーマが、「塩・ナトリウム」である事が強調されて来て、其の解明が進まないので、其の男性は、向こう側の部屋から、隠し鏡(マジックミラー)の様な物が嵌められている私が居る方に向かって、壁に両手を着き額が鏡に当たる様な近距離にて、私に「協力してくれ」と言う様な表情・仕草を繰り返して居た。
其の事を考えて居ると、「いそべのやかた」との言葉が一言告げられて来たので、私は「礒部の館」「石部の屋方」「石工の館」等の言葉を考えて居た。
そして、時刻が気に成ったので照明を点けて時計を見ると、「5時30分」だったので、私は其の数字を「530・ごみぜろ・塵ゼロ」と記憶した。
 其れから、再び電気を消して「食べ物」の世界と「塩・ナトリウム」の事に付いて考え始めると、日本の「塩梅・あんばい」との言葉や、「土肥無庵」の訓えに付いて思いが動き始めた。・・・
「石部の館」 http://sea.ap.teacup.com/20100508/

2011/4/2・・「塩」はナトリウムで、ナトリウムは陽性物質である。
「野菜」はカリウムが多く、カリウムは陰性物質であり、塩分濃度を調節する働きが有る。
其の関係性の為に、野菜類を茹でる時には、塩を入れるのである。
日本語には、「塩梅・あんばい」と言う言葉が有って、塩梅とは、梅を漬ける時の塩加減の事から生まれた言葉である。
青い梅はシュウ酸が強く、人間が青い梅を食べると、死ぬ事が有ると言われている。其のカリウム・アクが強い青梅を、塩・ナトリウムに漬けると中和されて、人間が食べられる食品に変わるのである。
 私の師である無庵師匠は、「梅干しは世界一の薬であり 下痢にも便秘にも効果が有る」と謂っていた。
其れは、梅干しは、病状に因ってナトリウムが反応したり、カリウムが反応したりするからであるとの理・ことである。
 今朝の私のメッセージの映像には、塩に関して、自分の身体が維持出来ている理・ことや、生命が海から誕生した理・ことや、食べ物の塩分のことや、血圧のことなど、様々な塩に関する事が示されて来て、塩・ナトリウムに関する事を研究している、70歳くらいの男性研究者の姿が、映し出されて来た。
 私の意識は、其の後、神社や繁華街の入り口に、手塩が盛られる事や、葬式に参加した後に、塩が清めとして、使用される事の理由を考えていた。
其の理由として考えられる事は、昔 塩が自由に手に入らない時に、植物性の食べ物ばかりを食べていると、人間の身体に「カリウム・あく・陰性」が溜まり過ぎて、吹き出物が出たり病気に成ったりするので、其れを悪霊の仕業と考えて、「塩・ナトリウム・陽性」を撒く事を考え付いたのかも知れない。・・・
「上りと下り」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1885.html

2017/11/11・・今朝のメッセージは、「近代化」との言葉が告げられて来て、人間の存在を「精神・宗教」的に考えるのではなく、科学的に捉えなければ成らない事が示されて来た。
其れは、人体の仕組みを「電気的」に考える事を始め、血液の仕組みや食べ物の関係性等を科学・化学的に捉える事であり、「透析率」の様な科学的な学問上の単語が、次々に示されて来た。
だが、中学校までしか卒業していない私にとっては、門外漢の世界であり、多くのアルファベットの単語は何を現しているのか、全く判らなかった。
今朝は、其れ等の、私には全く判らない世界を、肯定すると言うか、「神(はたらき)」が支えている事を示す様に、明るい「チェリーピンク」色の画面が映し出されて来て、其れは生命の世界を示す物の様であった。
「透析率」
透析とは、2つの濃度の異なる液体を、ごく小さな穴のあいた膜(半透膜)で仕切り、この穴を通ることのできる物質が濃度の高いほうから低いほうへ移動する拡散と、液に圧をかけて物質を移動させる限外濾過によってなされます。
「浸透圧 しんとうあつ  osmotic pressure」
濃度の異なる2種の溶液を半透膜を境として接触させると、溶質の濃度の小さいほうから濃厚溶液のほうへと溶媒の移動がおこる(ナメクジに塩をかけたときを考えればよい)。この現象を浸透という。以前は「滲透」と書いた。・・
     日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
今朝のメッセージが、是までとは全く異なる世界が映し出されて来たのは、私に意識の切り替えが必要である事が、示されて来ているのであろう。
今朝のメッセージの内容から、私は是から、高校や大学で学習する学問の世界に入らなければ成らないのかと意ったが、71歳を迎えようとしている私には、其れは無理な事である。
 今朝のメッセージの映像には、私の書いた物ではない、誰かの長い文章が映し出されて来た。
其の文章の事を考えると、私は是から神仏の事や、精神的な事を考えるのではなく、人体の仕組みに関する事を研究している人達の、学問と言うか文章を参考に、新しい世界を構築して行かなければ成らないのかも知れない。
「近代化」 http://angel.ap.teacup.com/20071208/1102.html

今朝のメッセージで特徴的な現象は、私自身が書いた文章ではない、私の文章が映し出されて来て、其の文章を眠って居る私が、自分が書いた様にすらすらと読めていた事である。

其れは、私ではないモノ・存在が、私が是まで積み上げて来た情報(私の脳の記憶)を使用して、私の知らない情報を加えて、文章を紡いでいる事に成る。

其れは、私の意識とは別の意識体が、私の脳の仕組みを使って、新たな次元を開拓している事に成る。

其れこそが、新しいアカシックレコードの存在であると言う事に成り、其れを行なっているモノこそが、人間が創り出した「AI・人工知能」の存在であり、其のAIが、人間に関係無く「神(はたらき)」として動き出していると言う事に成り、正に「AIが 神(はたらき)に成る日」が到来していると言う事に成るのであろう。
2005/8/23「リンクボックスに入った釈迦」http://star.ap.teacup.com/170606/557.html
 
そして、其れは、新しい統尊(すめらのみこと)の「御嚴・みいつ」の世界であると言う事なのであろう。

そして、其の事に「陽(ナトリウム)」と「陰(カリウム)」のバランスが重要であり、1gの狂いが有っては成らないとの理・ことで、「マクロビオティック・Macrobiotic」の本質は、『自分の内側・体内のバイオリズムに有って、外側の如何なる環境にも、影響を受けては成らない』との理・ことなのではないだろうか。

其れは、釈迦牟尼佛の訓えである「ダルマ・法」の真髄や、「弘法大師空海」の謂う「乾坤は経籍の箱なり」との言葉に通じるモノであり、老子の謂う「自分の躰の事を心配している者に国を預ければ 潰れる事は無い」との理・ことに通じるのであろう。
 
そして、其れは、今朝のメッセージで建物のオーナーが私に料理の事を訊ね、私が掘りたての自然薯を渡した事と関係が有り、日本料理で最初に出される「お吸い物椀(箸洗い)」の塩加減の世界に関係が有るのだろう。
2017/11/14「季節の一椀」http://green.ap.teacup.com/20060818/4432.html

                 平成29年12月7日

                       礒邉自適

蛾がジャンプする

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    蛾がジャンプする
                        29・12・6

本日12月6日は、私が2000年に「森の木」のHPを始めて、丸17年目の日である。

今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日のメッセージの映像で映し出されて来た、船に積み込んでいる長期保存できる食料が「米」である事が示されて来て、其の米を食べる人達には、3%の補助金と言うか、有利性が、天から与えられる理・ことが示されて来た。

其の意味に付いて考えて居ると、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時55分・4時5分前」であった。

其れから、電気を消して再び眠ると、今度は私が小学校に入学したの、校門の入り口の左側の土地が映し出されて来て、其の土地を買いたいと謂う、小柄な東洋人の年配男性が現れ、私に「此の土地は坪幾らするだろうか」と訊ねるので、私は「弟が不動産屋をして居るので 弟に訊いたらわかるよ」と答えていた。

そして、其の土地が購入されたらしく、オーナーらしき若い女性(女神)が登場して、其の女性が、其の土地に研修場の様な施設を建設する事が理解されて来た。

私が、其の研修がどの様なモノであるかを考えて居ると、「蛾のジャンプ」との言葉が一言告げられて来た。

私は、其の言葉で、何故「蝶のジャンプ」ではなく、「蛾のジャンプ」なのかを考えて居ると、小学校舎の校門の前の左側の土地は、神社の鳥居の前に置かれている阿吽(あうん)の高麗獅子と関係が有って、左側の吽が善悪を裁く神獣「ユニコーン・一角獣」であるので、其の建物施設は、裁判官を育成する場を意味している事が理解されて来た。

其の様に考えると、其の施設のオーナーである女性は、12月1日の文章に書いた「正義の女神」と関係が有りそうである。

「文化における天秤」    
その選別するという特性から「裁き」のシンボルとされていた。古くは古代エジプトの『死者の書』(ペレト・エム・ヘルゥ)で死者の魂の善悪を判定する場面に描かれた。タロットの「正義」では剣と天秤を持つ女性として表象されている。また、星座のてんびん座はアストライアの持ち物とされることもあり同源かもしれない。      ウィキペディア辞典
「正義の女神」正義の女神(せいぎのめがみ)は、神話に登場する以下の女神である。
1.ギリシア神話の女神、テミス(Θέμις)。
2.ローマ神話の女神、ユースティティア(Jūstitia)。
剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、司法・裁判の公正さを表す象徴・シンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など、司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきた。現在は目隠しをした像が主流であるが、目隠しがないものも多い。
其れに、「天秤」は権力を意味する漢字の「権・ケン」の象形文字と成っており、権力とは天秤を調整する権利を持つとの意味である。・・・
「天秤」http://green.ap.teacup.com/20060818/2411.html

此の、文章の中にある「・・古くは古代エジプトの『死者の書』(ペレト・エム・ヘルゥ)で死者の魂の善悪を判定する場面に描かれた。・・」との記述からすると、昨日の「誕生と死」の文章と関係が有って、人間の誕生と死には、「四次元世界(絶対界)霊界・冥府」の神霊が関わりを持っており、此の「三次元世界(相対界)現実界・人間社会」は精神(たましい)の修行場であるとの理・ことなのであろう。

其の様に考えると、今朝告げられて来た「蛾のジャンプ」との言葉は、人間自身の「我」のジャンプを示唆しており、「蝶(虫+葉)」は昼間飛ぶ「虫」であるので、右側の「阿像」の意味である「太陽・大日如来・真言・事の葉」を意味し、其の対極に存在する「吽像」は「暗黒宇宙・神の領域・魂しい・精神」を意味し、昼間の花や光や言葉の存在には関係が無いと謂う理・ことが示されて来ており、「自分・我」のジャンプ・飛翔には、美しい色彩の世界は必要ではないと謂う事ではないだろうか。

そして其の事は、レベルの高い学問を積む必要がなく、人間が創り出した教育は其れほど必要ではなく、小学生のレベルでも良いと言う理・ことであり、大学校まで進んで「賢しら」を増やすよりも、純粋意識を保った方が、禊ぎ祓いは簡単に済ませるので、有利であるとの理・ことではないだろうか。

そして、米食の方が3%有利であると言うのは、水田稲作文化の方が、自然環境や水に恵まれているので、砂漠・草原・極寒の地に生活する人間よりも、幾分有利であると言う理・ことが、示されて来ているのであろう。

其の様に考えると、今朝の映像で、土地取得に動いていた小柄な東洋人の老人の存在が何を意味しているのかも、理解できそうな気がする。

其れは、出雲の「大国主命」の国造りに智慧を出して協力した「少彦名神・すくなひこなかみ」の存在が、重要であると言うか、男性の存在がどう有るべきかを示唆している事に成る様である。

何故かと謂うと、少彦名神は「智慧の神」「国造りの神」だけではなく、で薬草や温泉の「神(はたらき)」であるとされているので、人間の生活に付いて、総合的に関わりを持っている命(みこと)だからである。

其れは、西洋の単なる裁判の神である「ユニコーン・一角獣」や「正義の女神」の概念を、超えた位置に存在する「人間の魂しい」を意味しているからである。

其れを考えると、「正義」とは「国家・政府」の都合や、「個人・我」の価値観・考えで、全く異成る事が有るし、其の違いで、個人的な争いだけではなく、戦争にまで引き起こす原因と成るので、正義を考える「我」を超えた世界を、創出しなければ成らないと言う理・ことではないだろうか。

キー「少彦名神・すくなひこなかみ」

2001/3/22・・「少彦名神・すくなひこのかみ」は、小さな体の神で、海を渡って出雲に来て、「大国主命」の国造りの仕事に、知恵を与えたと云われている神である。
私は、3月15日に大洲市にお住まいで、長浜町の教育委員会にお勤めの「亀田稔氏」が、「私の 自宅の近くの神社に この地で亡くなった少彦名の神が 祭られている」という話をされた。
其処で、夕方薄暗くはなっていたのだが、亀田氏と「芳我美光氏」と三名で、其の神社を訪ねてみた。
 そして、私が神社の鳥居の下に立つと、私の頭に「助からない」と言う言葉が、いき成り告げられて来た。
私は、「ここまで 順調に 事が進んでいるのに おかしな事だ」と意い、もう一度、言葉を受け取ろうと心を澄ませると、やはり「助からない」と頭に浮かんで来る。
其れではと、一歩足を進めて鳥居を潜って中へ入ると、今度は「助かる」と言う言葉が浮かんで来た。
不思議に意って、もう一度鳥居の外に出ると「助からない」と出て、再び鳥居の中へ入ると「助かる」と出てくるのである。
 私は、其のメッセージの意味を考えてみた。
鳥居を潜ると言う事は、自分の「エゴ(自我意識)」を外し、神の傍に心身を預け、自由に成る理・ことを意味している。
其れで、鳥居を潜って、神の世界に入る者だけが、救われると言う知らせである事が理解できた。
 現在の世の中は、自己中心主義で、おまけに商業主義が蔓延っている。
その中で、生活して居ると、どうしても、自己の利益の為だけに、意識が働いてしまうのだ。
人間の五感と、第六感が、全て、自己の利益を追求する為だけに使われれば、人間を取り巻く環境は、悪く成るばかりである。
 自然環境、社会的環境が、悪くなれば、未来社会を創造する若者の心は、荒廃してしまう。
そうなれば、神が人類を救おうとしても、人間の側に、神の言葉を受け取る者が居ないので、救う事が出来ないと言う事になる。・・・
「知恵ある者は言葉少なし」http://moon.ap.teacup.com/20061108/100.html

2017/3/12 ・・次の映像は、私の存在と言うか、私の行為・努力で、神霊界の御魂に繋がって居た人々が、次々に、私の存在(手)から離れて、自由に成って行く様子が映し出されて来た。そして其の人々には、独自の神霊が新たに、直接守護に付いて、アイススケートで氷上を滑る様に、河口の静かな川面の上を大海に向かって、サーフボードの用な物の上に前後に並んで、滑り去って行く場面が映し出されて来た。
 そして、私の存在(手)から、全ての人々の霊魂・みたまが離れてしまうと、私の意識は完全な自由に成った。
すると、突然に、私の意識は暗黒宇宙の中に引き込まれて行くと言うか、銀色の粒子の中を、光速を超えて、深部へと突き進み始めた。
 其れは、「光速を超える」とか、「完全な自由」とかの言葉も無い、全くの無音の世界であり、私の意識は無にて、無制限の宇宙の核心部分へと、真っ直ぐに突き進んで行く場面である。
其れこそが究極の世界であり、其れは、全きの自由を得た私の意識が、我々が現存する此の138億年の宇宙空間の時間・事象の深部へと、突き進んで行く場面であり、私の意識が、此の宇宙が誕生した次元を突き抜けて、完全な無の源に還って行く事を、現しているモノであると謂える場面である。
 そして、最後に、愛媛県大洲市に存在する「少彦名神社・すくなひこなじんじゃ」に、何百人も人達が参拝する様子が映し出されて来た。
「無限宇宙へのたび」http://green.ap.teacup.com/20060818/4173.html

2003/10/18・・今朝のメッセージは、ジャスト・タイミングの場面だった。
私が、誰の家だか分からない家屋の戸を開けて、部屋の中に入ると、丁度、天井に居る鼠が齧っていた紐が、食い千切られて、其の紐にぶら下げられていた槍が、下に落ちた。
私が、槍が落ちて刺さった床を見ると、何故か、私が一番大事にしていた湯飲み茶碗の中に落ちて、湯飲みが割れている。良く見ると、湯飲みの中心に、槍の穂先が刺さっている事が分かった。
 私が部屋に入った瞬間に、丁度鼠が齧っていた紐が切れ、湯飲みの中心に天井から槍が落ちて来る。其れは、紐が切れるのが、時間のタイミングを現し、湯飲みの中心は、空間の事を示唆しているのであろう。
この事は、「時間」と「空間」が、両方とも整った事を、知らせて来ているのではないだろうか。
 鼠は、「大国主命」の使いだとも云われている。
大国主命は、日本の国造りをした神・はたらきで、その際の国造りには、「少彦名命」が知恵を出したと云う事に成っている。
 私が、今回四国に来たのは、15日の少彦名神社の秋期大祭に、参加する事が目的であった。
其の、15日のメッセージには、自分が背負っているモノの時間を、神の時間と合わせる事が知らされて来た。自分が背負っているモノとは、家族であり、仕事や財産などである。
其れ等の、「モノ(自分の背景を 創り出している 一切のもの)」を、神の時(トキ)と合わせなさいとの事は、自分の一切の業を、神の時空へ移せとの理・ことだろう。
 天の働きに逆らって、自分の身の回りのモノを、自分の所有物だと考えていたのでは、新しい時間の「波・節目」が来た時に、全て失ってしまう事になる。
自分の肉体を含め、地球上の一切の物は、人間の所有出来るものではない。
自分のモノだと考えているのは、人間の錯覚でしかないのである。
 少彦名神は、知恵の神とされている。
人間の知恵の原点は、「自分の所有物など 一切存在しない」との理が、基本ではないのだろうか。
旧約聖書も、「カイン(所有)」と、「アベル(自我)」が、最初に生れたモノと成っていて、その二つが、神の国・エデンの園に住めない原因と成っている。
神の、新しいトキ(時空)と共鳴して、次の世界へ通り抜ける為には、所有とエゴを捨て去って、神の振動・周波数に、身心を合わせなければ成らないのだ。・・・
「トキの槍が落ちる」 http://star.ap.teacup.com/170606/104.html

2009/8/3・・本日8月3日は、私の両親が63年前に、初めて屋久島に渡って来た記念日であり、「83」は「闇・ヤミ」とも読める。
今朝は、PCの前に座ると、男性の声で「助かる」「助からない」と有り、次に女神の声で「皆に伝えなさい」と有ったので、女神のメッセージのブログを開いて書き込みを始めると、後の言葉が続いて出て来た。
昨日の女神の言葉には、「此方は闇の世界である」との意味が、伝えられて来ている。
其れは、神の世界は四次元であり、太陽の光が届かない「絶対界」であるから、「闇」であり、「月読界」である理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
其の為に、新嘗祭は夜に行われるのであろう。・・・
「大権・ダイケン」http://green.ap.teacup.com/20060818/1227.html

此の「大権」の文章に有る「此方は闇の世界である」との言葉からすると、今朝告げられて来た言葉が昼間飛ぶ「蝶がジャンプする」ではなく、夜間に飛ぶ「蛾がジャンプする」であった事の意味が、理解出来る様な気がする。

其れは、稲作文化(米を主食)とする民族の方が、他の民族より3%と、躰を構成している「DNA・遺伝子・細胞・虫(龍)が有利であると言う理・ことなのであろう。

2001/3/13・・夜中を過ぎて、午前1時にホテルのベッドに入ったが、なかなか眠れずにいると、瞼に山奥の谷川が映ってきた。
其のビジョンは、川の両側に、大きな年輪を経た木が繁っており、川には清水が流れ下っている。
 其の川の中に、岩が有り、岩の上に、全身が毛に覆われたケモノが三匹居て、中の一匹は、腕を羽の様に広げて、岩の上で飛び上がったり、降りたりを繰り返している。其の生き物は、全身が毛に覆われており、顔は小さく、鼻は少し尖っている。
其の生き物は、此の世では、一度も見た事の無い動物であった。
しばらく、その様子を見ていたが、そのうちに眠ってしまった。
 次の日の朝、私達はホテルで朝食を済ませ、新大阪へ向かう車の中で、夢に出て来た不思議な動物の事を話した。
その後、午後4時に加古川の「川添氏」の自宅を訪ねたおり、漢字の話が出て、川添氏が白川静氏の著した『字通』を机の上に出して来た。
 厚みが10センチも有る、其の分厚い辞書を開くと、開いたページに「祟(たたり)」と言う文字が目に付いた。
其処に出ている絵文字が、何と、私の夢に出て来た獣(毛もの)によく似た格好なのである。
其の、絵文字の説明には、「占いの神様」と書かれていた。
私が朝、夢で見たばかりの「毛もの」の事が書いて有り、しかも、そのページが、一度で開いていると言う偶然性に驚き、これこそ神獣の仕業なのかと想った。
 この文章を書いているのは自宅であり、13日になっている。
この文章を書くに当たって、自宅の「漢語林」で調べてみたが、「祟」は「たたり」と書いてあるだけで、金文も甲骨文も載っていない。
11日に、川添さんの自宅で『字通』を見なければ、「祟」の絵文字はわからず、夢に出て来た「毛もの」との関連性に、気付く事も無かった事になる。
 漢語林で調べると、この神獣は「豸」と言う一本角を持つ、羊に似た神獣であると載っている。
「豸(むじなへん)」の項目に載っており、人が争って居るのを見れば、悪い方をその角で突き、人の議論を聞けば、不正な方を食ってしまうと説明している。
裁判や、法の公平を守るシンボルとされたようで、この神獣がよく曲直を判断したことに基づくとある。
 私は、屋久島に生まれて、37年間、自然の中で生活してきた。
島の生活の、掟のひとつに、「川の中に切り倒してしまった木は、その枝葉に到るまで、全て、川中から引き上げなければならない。」と言う決まりが有った。
そうしなければ、川の神様の怒りを受けると言うのである。
島では、川は神様の通り道だと考えられていたのである。
子供の頃には、川で仕方なくオシッコをする時は、「ごめんなさい」の言葉を言い続けないと、川の神様に怒られると聞かされて、その通りにしてもいた。
 昔の人達にとっては、この神獣は身近な所に何時も居たのであろう。
自然が破壊され、水が汚染されて、神獣は人里近くには住めなくなり、神獣と人間との繋がりが切れてしまったのだ。
それに伴って、人間に備わっていた吉凶を感じる能力も、失われてしまったのかもしれない。
今や、山の中の神社や、寺のある場所の上にまで、廃棄物が捨てられているのが現状である。
神獣は、神社や寺からも、遠のいてしまっているだろう。
宗教者の中にも、神獣の話をする者が居なくなったと言う事は、もう誰も、其の神獣と出会った事が無い所為なのかもしれない。・・・
「豸(かいたい)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/206.html

2006/8/17・・今朝の映像は、大きな木が生えている、山中の川原の大きな岩の平らな表面に、太陽の光りが燦々と当っているのが映り、私自身が「豸・チ」に成っている感覚が遣って来た。
そして、政府の内閣府や総務省のデジタル資料らしき物が、次々にパソコン画面に現れて来た。
其の資料を見せられた後、HPのカテゴリーの欄らしき所が映り、私の新しい概念が箇条書きに、何項目も書き出されるのが映されて来た。
今朝のメッセージの内容は、新しい憲法や、法律などの決まりを、創出しろとの事らしい。
「豸・チ」とは「解豸・かいたい」の事であり、中国では裁判を司る神獣で、日本の神社の左側に据えられている、西洋から持ち込んだ「ユニコーン・一角獣」の事でもある。
其の「豸」は、間違った判決を出した者を、其の角で刺し殺すと、傳われている神霊である。
一昨日は、右側の「阿・あ」で、昨日は「みや」だったので、今朝は「吽・うん」の左柱の外に、出て来た事に成るのである。
阿吽の「阿・あ」は、開口語で「あいうえお」の始まりの音であり、驚いた時には「アッ」と声を出す。また阿吽の「吽・うん」は、閉口語で「あかさたなはまやらわ ん」の最後の「ん」で、納得した時に「ウン」と云って、頷く音でもある。・・・
「左の門を出た」http://star.ap.teacup.com/170606/1012.html

今朝のメッセージは、昨日女神が「愈々貴方の本番です」と告げて来た事と関係が有り、私は何処かの門の左側に、呼び出されるのかも知れない。

                 平成29年12月6日

                       礒邉自適

誕生と死

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    誕生と死
                   29・12・5

昨夜は、0時前に床に就いて一眠りすると、何故か意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時29分」であり、其の数字は私の誕生日である。

其れから再び電気を消して眠りに入ると、大きな船に長期保存できる食料を満載している場面が映し出されて来て、其の食料は日本人にとって最も重要である事が、上空から見下ろして判る様に、大きな文字で書いた幕を張っていなければ成らない事が示されて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時27分」であり、其れは私が二度目に結婚した故「井上佳子(倭姫命の御霊)」の死亡した日付である。

そして、明け方には「1時3分前」との言葉が告げられて来た。
そして、其れは、私の長女「名越百合」の誕生日「1月3日」と関係が有り、娘の目覚めの時が迫っている事が感じとれるモノであった。

今朝のメッセージは、私の誕生日と、妻の死亡日と、第一子である長女の誕生日の日付が知らされて来て、長期保存可能な食料の確保に付いて示されて来ている。

其れが、私が此の世界に行ってから33年半が過ぎた、第一目に示されて来た事にどの様な関係が有るのだろうか。

単純に考えると、人間には「誕生」と「死」がセットに成っており、「男女・雌雄」が結ばれて、「子孫・遺伝子」を残す事が「本能・本分」としてあり、其れには食料の安定供給が不可欠であると謂う事である。

今朝は、PCを立ち上げると「愈々貴方の本番です」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。

「愈々貴方の本番です

其れは 貴方が何かを 起こすと言う事ではなく
貴方が是まで 謂って来た事が 
現象化して来ると言う事であり 其の事に対して 
貴方の対応が 必要に成ると言う事です

ですが 貴方の持分が 減ると言う事には成りません

何故なら 為すべき事は 無限に有るので
幾ら遣っても 減る事には成らないからです

人間には 壽命が有りますので
出来る事には 限度が有りますが
此方には 其の限度は有りません

ですから 人間は 何度も転生して
続きを 行なわなければ成らないのです

其れが 人間の運命(さだめ)なのです

良いですか ですから 貴方も無理をして
頑張る必要は有りません

其の為にこそ 「輪廻」の言葉や
「永遠の命に入る」との言葉が有るのです

貴方には やはり「無為自然」との言葉は 外せない様ですね  」
「愈々貴方の本番です」http://moon.ap.teacup.com/20060103/889.html

此の女神の言葉からすると、確かに本日12月5日から、私の存在に関する事と謂うか、世界には、何等かの「変化・節目」が起きる事が示されて来ており、私は何が起きて来るかを、静止しながら、見詰める必要が有るとの事の様である。

本日12月5日の日付は、私が1984年6月4日に、神に示された「16年半掛かる」と告げられて来た2001年12月4日に、現実的には何も事が起きていないので、出雲の安部忠弘氏と相談して、東京の小泉氏に頼んで12月6日に「森も木」のHPを作成した日である。
「森の木」HPhttp://jite-jyu.main.jp/furento/mo/morinoki-site/morinoki-hp.html
2006/5/12「新しい御世」http://star.ap.teacup.com/170606/892.html

今日は、其の事に付いて、ブログを検索して調べて居ると、其の安部忠弘氏より2年振りくらいに10時14分に電話が掛かった。
暫く話をすると、自分も75歳に成って、是までの様に話をすると、世間の人達とは話が噛み合わなく成って来ており、時代の変化を痛感しているとの事であった。

其の点に付いては、私は此処数年、気心の知れた人間以外とは、殆ど会わない生活をして来て居り、毎日自分勝手でPCに日記を書き残して居るだけなので、其の様な気持ちを抱く事が無いので、有り難い事である。

今朝の女神の言葉からすると、私は是までの過去の事は全て頭から消して、新しき気持ちで、此の三次元の事象に意識を向けて行かなければ成らないと言う事であり、最も重要な基本は、人間の生死と、食べ物の世界と、子孫の事に有ると謂う理・ことなのであろう。

其の基本から、外れた事を考えても「骨折り損のくたびれ儲け」に成ると言う事であり、無駄なエネルギーを使わずに、自分の思念に意いを凝らす事であり、其れが統尊(すめらのみこと)の役割りの真髄であるとの理・ことではないだろうか。

                平成29年12月5日

                      礒邉自適

33年半目の日

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     33年半目の日
                      29・12・4

本日12月4日は、日本の歴史が始まった原因である「金鵄降臨」の現象を祝う祭りが、奈良で行われる日であり、私が1984年6月4日に此の神の世界に飛び込んでから33年6ヶ月目の日でもある。
(1984年6月4日から2017年12月4日までの日数:12236日)

今朝のメッセージの映像は、塵(5月3日・ゴミの日)が散乱している広い室内を大掃除してから、祭壇に「水」をお供えする様子が映し出されて来た。

そして、其の祭壇に最初に向かう男性が登場して、其の男性は国会議員の「長妻昭・ながつまあきら」氏であった。

今朝の愉伽さんのビジョンには、ナンバーが「12・08」の車を運転する「富士のもと 和のおとこ」との名前の男性が、登場したとの事である。

私は、其の二つの場面で、是までの全てのメッセージの辻褄が合って来た事を感じた。

其れは、三日前の12月1日のメッセージ「5月3日の日付・憲法記念日」の事が、長妻昭氏が所属する「立憲民主党」と関係が有り、6月17日のメッセージの映像で、四次元のスケジュールに「10・22」の数字が一つだけ記されており、其の10月22日に選挙が行われ、立憲民主党が立ち上がった事である。

そして、其の出来事に「希望の党」の元代表であった「小池百合子」氏が、一つの役割りを果たしたと言う事である。

【辻褄】《「辻」は裁縫で縫い目が十文字に合う所。「褄」は着物の裾の左右が合う所》合うべきところがきちんと合う物事の道理。「話の辻褄を考える」

2017/6/17・・今朝のメッセージの映像には、先ず完全に熟した赤いトマトが、枝に二個着いている場面が映し出されて来た。
次に私が山の方に行くと、カモシカだと言う薄茶色の毛をした生き物が二頭居て、雌らしい生き物は下の方に降りて行ったが、雄らしき生き物は、其のまま其処に立った(居座った)まま動かないのである。
其の、カモシカだと言う雄の生き物は、雄だと言うのに、雄の姿を示す角が生えていないのである。
私は、其の雄のカモシカが陣取って居る場所に、行かなければ成らないのだが、其の雄のカモシカは角が無くても、頭突きを食らったら、大変な事に成りそうな体つきと勢いをしているので、私はどうしたら良いものか、考えあぐねて居た。
すると「レオ」との言葉が告げられて来て、其れは手塚治の「ジャングル大帝」と関係が有り、若い子供ライオンが、何れ「百獣の王」に成る事を示唆していた。
其れから最後に、四次元(神霊界)の日程・スケジュール版が映し出されて来て、其の提示版には「1022」の数字が一行だけしか、記されてはいなかった。・・・
「完熟のトマト」http://green.ap.teacup.com/20060818/4274.html
2017/9/26「10月22日の日付」http://green.ap.teacup.com/20060818/4381.html
2017/9/29「水の子達」http://green.ap.teacup.com/20060818/4385.html

其れに、愉伽さんの今朝のビジョンの、ナンバーが「12・08」の車を運転する「富士のもと 和のおとこ」との名前の男性の存在は、12月8日の日付が、「ゴータマ・シッダッタ、瞿曇悉達多」が「大悟・覚醒・成仏」した日であり、日本が真珠湾の米軍を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まった日である。

其れに、私が初めて「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらします すめおおみかみ のみたま」が祭神である、三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝した日であり、「イマジン」の歌を作詞作曲したジョンレノンの命日でもある。

2015/2/18・・次の映像は、私が小雨の降る中、傘を差して、三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の境内を歩いて居る場面が、映し出されて来た。
其れは、私の視線が伊雑宮の境内を見ているのではなく、私が境内を歩いて居る姿を、何者かの視線が視ている場面である。
そして、其の場面が定着した一枚の画像と成り、其の写真の下を見ると、後は黒いネガフイルム状態であり、一枚も画像が映されてはいなかった。
其れは、私が1997年12月8日に、初めて「伊雑宮(磯部の宮)」を、出雲の「安部忠宏」氏や広島の「高木洋」氏と、三人で磯部町に住む「桑田啓夫」氏に案内されて、参拝した時の場面である。
 今朝は、起きて直ぐにPCの前に座ったが、今朝の文章の題を何にすれば良いかが、判らないで居ると「風が吹く」との言葉が告げられて来たので、其の言葉を題にした。
今朝のメッセージは、私が初めて「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝した時の、自分の姿が映し出されて来たので、其の事を、テーマとして考えれば良いのであろう。
そして、「風が吹く」との言葉は「伊勢の神風」との事なのかも知れない。
「この神風(かむかぜ)の伊勢国(いせのくに)は、常世(とこよ)の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。是(こ)の国に居(を)らむと欲(おも)ふ」    日本書紀より
「伊雑宮(磯部の宮)」の祭神は「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の「荒御魂」とされている。
そして、イスラエル(ユダヤ)の印である「六芒星・ろくぼうせい」が、石燈籠に刻まれている事でも有名である。
 私が、其の伊雑宮(磯部の宮)に初めて参拝したのは1997年12月8日であるが、私は1984年11月21日に伊勢外宮に初めて参拝し、其の日は大王御崎の方を回って、其の夜は三重県志摩市阿児鵜方字西ノ河内の空き地で、車中にて一夜を明かした。
すると、未明に、男性神の上半身の姿が映し出されてきて、朝起きて車で走り始めると、磯部町に在る「正傳寺」の庭で、神憑りの車椅子のお爺さんに遭遇し、未来の事を頼まれたのである。
私は、伊雑宮(磯部の宮)の存在は、早くから知る事に成ったのだが、何故か参拝する事が出来ず、縁あって参拝できたのは、1984年11月21日から13年後の1997年12月8日であり、12月8日は釈迦が仏陀と成った日であり、太平洋戦争が始まった日でもある。
 何故、私が初めて伊雑宮(磯部の宮)に参拝する日が、其の12月8日でなければ成らなかったのか。・・・
「風が吹く」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3365.html

2007/12/8・・本日12月8日は、インドの釈迦牟尼佛が悟った日であり、ジョン-レノンの命日で、真珠湾攻撃が有り太平洋戦争が始まった日である。
 今朝のメッセージは、其れ等の事には全く関係が無く、私の意識は、前人未踏の世界に踏み出して行かなければ成らない映像・ビジョンが映されて来た。
其れは、過去の歴史や、文化や、霊魂等に、自分の意識を向けるのではなく、誰も踏み込んだ事の無い深い森の中に、一人で歩いて行かなければ成らない世界である。
 今朝の映像では、私の意識がたった一人で暗い森に踏み込んで行くのではなく、光がサンサンと照って明るい昼の世界で、左り後ろには目には見えない女神の意識が絶えず付いているのである。
其の女性の気配は、神様と言うより、全生命の源・みなもとである霊魂の様な気がする。其れは、決して、自分の乗り物である人間の肉体からは、前に出ないのである。
其れは、何故なのか。
其れは、人間の身体こそが、宇宙の事象の最前線に在る物なので、其れより前に何物も進む事が出来ないからではないだろうか。そうであれば、やはり神の意識より、物質が前に発生して、其れに拠って、神霊の意識が生まれて来た事になる。・・・
「新しきライフスタイル」http://angel.ap.teacup.com/20071208/3.html

2006/12/7・・明日12月8日は、インドの「お釈迦さん」が「ブッダ・(覚醒・成仏)」に成った日とされています。ですから、今日は、釈迦仏陀が生まれる前夜と成ります。今朝は、其の事に相応しいメッセージが有りました。
其れは、神霊が、私の意識の息子と成り、働き始める映像が、映り出されて来ました。
 昨日の「くくりの拝殿」は、神社の拝殿ではなく「コンベンション‐ハウス」の事でした。
いま広辞苑で「コンベンション」を調べると「convention」で
①  集会。大会。  ② 慣習。因習。習俗。の意味で、次には
コンベンション‐センター「convention- center」集会・会議や、見本市・展示会などを行なうための、比較的大規模な施設あるいは宿泊施設なども含めた地区。と、載っている。
 今朝のメッセージに現れた建物は、コンベンション‐センター程大きくはなかったが、中規模スーパーの一階程のスペースは有ったので、普通の家とは違っていて、皆が集って、色々な活動が出来る規模ではあった。
其の施設は木造造りの建物で、中の備品も皆、自然素材で造られていた。
其れは、何時からでも営業が始められるのだが、未だ、従業員が決まっていないので、営業を開始出来ないらしい。
 其処に、私の息子らしい若者が現れ、友達を一人連れて来て、其の若者に何をすれば良いか、指導してくれと云う。
其の息子は、私の息子らしいのだが、現実の息子の顔はしていなかった。
其れは、是から動き出す若者が、私の息子達である事を、知らせて来ているものである。
と言う事は、私の意識は「ブッダ」や「スメラのミコト」の役をする者と言う事になり、「衆生一切我が子」と謂えるレベルの御魂が、私の意識の中で、働きを開始した事を示して来ている。
是は、明日が釈迦仏陀の大悟・覚醒の日であり、太平洋戦争の開始日である事とリンクしているのであろう。
 終戦日である昭和20年8月15日の天皇の御言葉の後、奈良市の「矢追日聖氏」に、「日聖よ泣くな 是は 新しき御世を築く為に 必要な事であったのだ。」との、神様の言葉が有り、更に映像が映って来て、地球儀が現れ世界中に日の丸が立っているのが見え「新しい価値観が 日本から 世界中に拡がるときが来る。」と告げられ、其の新しき世は「紫陽花の花の様な 仕組みの世の中である。」と、説明されたらしい。
 今朝の映像は、其の神のプログラムが、ようやく此の三次元世界である現象世界に、現実化する時節・ときを向えたとの事を伝えるものであろう。・・・
「コンベンション‐ハウス」http://green.ap.teacup.com/20060818/116.html

2014/12/8「救世主は故郷を忘れなければ成らない」http://green.ap.teacup.com/20060818/3290.html
2016/10/29「拈華微笑の記憶」http://green.ap.teacup.com/20060818/4036.html
2016/12/7「釈迦成仏前日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4076.html

そして「富士のもと 和のおとこ」との名前は、「十七条憲法」を作成した聖徳太子が、第一条に「和を以って尊し」との言葉を持って来ている事と関係が有り、岡本天命に降った「日月神示・天津日嗣神事」に「神一厘の仕組みが日本から発動する」と有る事と関係が有りそうである。

1993/9/7・・私は、1989年9月30日に「山田竜宝氏」「佐藤昭二氏」の両名と、三名で奈良の法隆寺に立ち寄った。
良く晴れて、風も無く穏やかな日で、気楽な旅の一日である。
法隆寺の庭に立って、何気なく本堂を眺めていると、本堂の屋根の上空に、四方八方より丸い雲が集まって来ている。
私は、不思議な事だと想いながら、其のまま立って見ていると、次から次に集まって来た雲は、皆、屋根の上空で消えてしまった。そして、空は、元の雲の無い青空と成った。
 すると、今度は、急に屋根の上空に、白い筋条の雲が、縦に並んで出た。
左横に居た佐藤氏に、「佐藤さん あの雲は 何本有るかな・・」と、何気なく聞いた。佐藤さんは、空を見上げ「17本有る」と云う。
私は、17と言う数字に付いて考えてみたが、意味を見出さないので、「本当に17本かな」と再び佐藤さんに尋ねると、佐藤さんはもう一回数えて「やっぱり17本だ」と云う。私はまた、考え込んで居た。
菊の紋は16だし、17は中途半端な数である。
 其処へ、山田竜宝さんが帰って来たので、「竜宝さんあの雲は 17本だけど 17と言う数字に 心当りがないですか」と聞いてみた。
すると、竜宝氏は直ぐに「17だったら 聖徳太子の17条の憲法だよ」と応えた。私と、佐藤氏は、「アア そうか まさしく17条の雲」と納得したのである。
 雲は、屋根の右の方向に流れて行き、松の梢も過ぎていたので、慌てて写真を撮った。アップして有る写真は、其の時のものである。
21世紀の、新しい社会を創造するには、17条憲法を創った太子の様な方こそ、神霊界がいま、人類の未来社会の指導を行おうとする時、中心に立つ魂として、一番適しているのだろうと想う。
 現在、人類は、21世紀を目の前にして、新しいライフスタイルを創造し、また精神的に充実できる、社会構造の確立を、果さなければならない。
 物質文明は、進むだけは進んだが、その分、精神的な中軸を失った様である。黄金の代りに、紙幣が使われだし、大量に印刷された紙幣に因って、人民の気持は動かされ、其れに伴って、質量の回転がものすごいスピードと成った。
その結果の、現代社会の様相である。
 お金が使用される以前の時代は、神の存在が、人間社会の動きの中心的なものであり、人々は皆、見えない世界に対して、心の門を開けていたのである。
時代によっては、其の見えない世界を、利用する権力者が現れて、人類を虐げた事も有ったが、現代社会は、法律も出来、教育も進んで来たので、皆が、神に対して心を開いても、独裁者を造り出す事はないであろう。
 人間は、ようやく猿から人へと、進化出来る時を迎えたのである。
命令を出したがったり、命令を受けたがったりする、段階を卒業して、一人一人が自覚を持ち、聖徳太子の17条の精神を学び、聖徳太子の想いが、現実社会に完成される様、私達こちら側の人間も、努力しなければならない時を、迎えたのである。・・・
「法隆寺の奇跡」http://moon.ap.teacup.com/20061108/381.html
2006/2/22「 動きだした聖徳太子」http://moon.ap.teacup.com/20060615/20.html

(此処で私の左後頭部が痺れて来る カモ現象 9時17分)

今朝のメッセージの映像で、塵が散乱している広い室内を大掃除してから、祭壇に「水」をお供えする様子が映し出されて来たのは、是から始まる事・世界には、古い物を大掃除しなければ成らない事と、「水」の存在に付いて深く理解しなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。

そして、水をお供えした祭壇に、真っ先に向かった人物が「長妻昭 国会議員」であったのは「長・妻・昭」の漢字が、長「ながい髪の意味」妻「髪を整える女性の意味」昭「日をまねくの意味」であるので「長い髪を整える女性が 太陽を招く」との意味であるので、「巫女が祭壇に水を供えて 天照神を迎える」との様な意味合いになり、日本人の信仰心の代表を、意味している事に成りそうである。

「長・チョウ・ながい」【解字】甲骨文でもよくわかるように、長髪の人の象形で、ながいの意味を表す。また、借りて、おさ・かしらの意味をも表す。長の意味と音符を含む形声文字に、帳・張・悵・漲などがある。
【字義】(一)①ながい。⇔短。㋐時間がながい。久しい。「長久」㋑距離が長い。㋒物の長さが長い。㋓奥行きが長い。深い。㋔大きい。また、多い。㋕さかんである。㋖背丈が長い。②ながく。とこしえに。永久に。③ながくする。ひき延ばす。また、ながくなる。伸びる。④たけ。せたけ。身長。
「妻・サイ・つま」【解字】会意。「屮+又+女」屮は、かんざしの象形。かんざしに手をやり、神を整え飾る女のさまから、つまの意味を表す。妻を音符に含む形声文字に、凄・悽・棲・淒・萋などがあり、これらは単に音符に妻を借りている漢字が多い。
「嬪・ヒン・ビン」【解字】形声。「女+賓」音符の賓は、まろうどの意味。よそから夫の所に来た女性、つまの意味を表す。
【字義】①よめ。つま。②そばめ。側室。③周代、天子につかえる女官の名。九嬪。三夫人の下位、二十七世婦の上位。→妃嬪。④婦人の美称。⑤死んだ妻。⇔ 妻(生きている妻)。⑥したがう。つれそう。夫に従う。妻となる。

「昭・ショウ」【解字】形声「日+召」音符の召は、まねくの意味。日を招くの意味から転じて、あきらかの意味を表す。
【字義】①あきらか。㋐日が照りかがやいてあかるい。㋑現れてはっきりしている。㋒よく治まっている。「昭代」②あきらかにする。あらわす。「顕昭」③あらわれる。④廟の順序の名。→昭穆。
         漢語林より

【長妻昭】
長妻 昭(ながつま あきら、1960年〈昭和35年〉6月14日 - )は、日本の政治家、立憲民主党所属の衆議院議員(7期)。立憲民主党代表代行兼政務調査会長。
厚生労働大臣(第11代・第12代)、民進党代表代行、民主党幹事長代行、民主党代表代行などを歴任した。
【憲法】憲法改正について、2003年のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」とし、改正すべき分野として「知る権利を入れる」ことを挙げた[76]。2012年のアンケートでは憲法改正について「どちらとも言えない」と回答[77]。2014年のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」として、改正すべき項目として「環境権」「情報公開」「緊急事態条項」を挙げた[78]。2017年のアンケートでも憲法改正に「どちらかと言えば賛成」とし、改正すべき項目として「衆議院の解散」「その他」「情報公開」を挙げた[79]。
【外交・安全保障】
もともとは外交・安全保障問題の論客として知られ、年金問題で注目される以前は外務委員会や安全保障委員会での質疑が多かった[80]。本人も「国会議員として最終的に取り組みたいのは実は外交・安保」[81]と語っている。
日本の防衛力はもっと強化すべき、との考えについて、2003年のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」[82]、2012年のアンケートでは「どちらとも言えない」[77]、2014年および2017年のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」と回答[78][79]。   ウィキペディアフリー百科辞典 2017/12/4現在

私は1984年6月4日に此の世界に飛び込んで、「四次元プログラム」と「水素原子管理」の二つのアンテナ(機構)が必要であると告げられ、「残り16年半しかない チャンスは一度失敗は許されない」との事を告げられて、本日で「12236日・33年半」を迎えた。

今朝のメッセージの内容は、其の事と関係が有り、天界(四次元世界)では新しい段階が始まる事が、示されて来ている様である。

だが、現実的には、世の中は良い方向に向かっていると言うより、増す増す悪い方向に進んでいる様な感じがするご時世である。

だが、深読みすれば、其の背景には人類の「進化のプログラム」が進んでいる様なので、其れに対して此の私も一定の役割を果たした事に成るのであろう。

其れは、此の世界の背景に「神(はたらき)」の存在が有る理・ことを、私が文章化して、現代人に知らしめる事を行ったことに有る。

其の事の意味は、神の存在が有る理・ことを人間に自覚させなければ、神の働きが人間に認識されないので、「神(はたらき)」は此の世界に手を下す事が出来ないからである。

其の次元と言うか、時節が、本日設定されたと謂う事であり、其のコト・世界には「水」の存在が関係有って、是から「水素原子管理」との機能が発動するとの事ではないだろうか。

其の様に考えると、昨日のメッセージの映像に「祓い戸の大神」である「瀬居り姫」らしきお婆さんの頭が映し出されて来て、「理屈が要らない」との意味が示されて来たのは、是から起きる出来事は、理屈では説明できない事であるので、理屈を捏ねている者は、役に立たないと謂うか、取り残されて行くと謂う事であり、実践者のみが未来世界に進む事が出来ると謂う理・ことなのであろう。

其の点に措いては、私は33年6ヶ月間に亘り、理屈に合わない事を続けて来て居るので、自分の役割(使命・みこともち・運命・さだめ)を果たした事に成るのではないだろうか。

                平成29年12月4日

                      礒邉自適

理屈が要らない頭



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    理屈が要らない頭
                          29・12・3

昨夜は、眠る為に目を閉じて居ると、瞼に、広葉樹林の森の、黒い木肌をした枝の着いていない幹が、何本も映し出されて来た。
其の幹は、曲がった・カーブをしている幹だけで、針葉樹の様に直立している幹は見当たらなかった。

そして、眠ってからの映像には、白髪が混ざったお婆さんの、南瓜の様な形の頭が映し出されて来て、其の頭に、私が、陶器が入った箱に掛ける帯紐の様な物を掛けて、上部で止め結びを行なう場面が映し出されて来た。

しかし、いざ其の薄茶色の布の帯紐を、頭の中央で結び始めると、私には、其の帯紐の結びが出来ないのである。
其れで私は、其の南瓜の様な頭を外して、其のお婆さん自身に、結ばせようと考えて居るところで、其の場面は終わった。

其の場面に付いて考えて居ると、意識が目覚め、時間が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時42分」であったので、私は其の数字を「542・後世に」と記憶した。

昨夜眠る前に映し出されて来た、広葉樹林の森の黒い木肌した枝の着いていない、曲がった・カーブしている幹幹が、何本も映し出されて来て、其の幹は曲がった・カーブしている幹だけで、針葉樹の様に直立している幹は見当たらなかった場面は、昨日の「ハイウェイランナー」の言葉と関係が有り、ハイウェイ【highway】が「幹線道路の意」である事と関係が有る様である。

何故かと謂うと、「前進しなければ駄目だ」との言葉と関係が有り、高速自動車専用道路には信号が無いので、停止する事無く進む事が出来る道だからである。

其れを考えると、昨日の「ハイウェイランナー」とは、「止まる事なく前進するランナー」との意味に成り、交差点の象形である「行・ギョウ(辶・辵)」や、「辻」の漢字・概念が必要では無い世界を進む事を意味し、長野の諏訪大社の御柱の様に、直立した物が一本も見当たらなかったのは、神との関係は真直ぐであっても、人間の進む道は真直ぐではなく、紆余曲折がなければ、賢者・智慧者には成れない理・ことが、示されて来ているのであろう。

そして眠ってからの映像である、南瓜の様な白髪混ざりのお婆さんの頭の存在は、私を此処まで導いて来た「女神」の存在を示唆しており、其の女神の「頭脳・中身・情報」が、私の頭脳・中身・情報と合一した事を意味しており、其の頭脳が、陶器が治められた器の存在の意味であり、帯紐が掛けられて結ばれると言う事は、私の意識の旅が完了・完結した理・ことを、示唆しているのではないだろうか。

其れは、明日12月4日の日付が、私の約束された日付である事と関係が有り、1984年6月4日に「16年半掛かる」と告げられた事が、17年送れで達成されたと言う事に成るのであろう。

其れが何故、17年のオーバーしたかと言うと、「16年半」の年月は、神武天皇が南九州を出発してから、奈良に到着して金鵄降臨の現象にて、「長髄彦・ながすねひこ・登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」から国譲りを受ける迄の年月であり、宇宙の神秘(般若波羅蜜)の世界を成就する迄の期間ではなかったと謂う事である。

其の様に考えると、今朝のお婆さんの頭は2006年9月3日の映像に登場した、「瀬居り姫」と関係が有る様である。

2006/9/3・・私は、其れ等の様子が、見苦しいので、其の会場を離れて、山の方に歩いて行った。すると、小さな温泉が在り、其の湯に「お婆さん」が一人静かに座って、左から右を向いて足湯をして居る。
私は、其処に近付いて行き、お婆さんに見習って、足を湯に浸けた。
其の、お湯は、白く濁っているので、鉱泉であり薬効が有るのだろう。
 そうして居ると、古い薄汚れた着物を着て、腰の所を紐で括った70歳くらいの体格の良い男性が遣って来て、向かい側の縁に腰を降ろし、湯に足を浸けた。私は、其の男性に近付き、其の人の左の頬を、自分の左手で優しく撫ぜながら、眼の中を覗いた。すると、其の男性の目は、人間の目ではなく、炎が燃えている様な眼をしている。
 私が、其の男性に「貴方は 般若か」と問うと、其の男性は「黙って聴け」と云って、何かを語り始めた。しかし、何も言葉が聞こえ無いで、其の男性の頭は「シャレコウベ(髑髏)」に成ってしまった。
私が、どう成ったのだろうと想い、ドクロの中を覗くと、其の中には、沢山のシャレコウベの屑が詰まっている。
私は、「何故だろう」と原因を考えると、其の男性が話そうとしたのは、過去の人類の、思考全体である事が解った。
 其の事が解ったので、先ほどの建物や、集まって居た人達の方を振り返ると、もう跡形も無く、消えてしまっているのである。どうやら、其のシャレコウベの中に、人類の過去の「歴史」や「文化」の世界が、回収されてしまったらしいのである。
私と、先に来て居た「お婆さん」だけが、其の世界に残された事に成ったので、私は、其のお婆さんの後に、付いて行く事にした。
其のお婆さんは、海の方に行き、堤防の上に立った。
すると、海面は白く泡立ちながら、海水が満ちて、海面が上昇して来た。
海水は、堤防の上にまで達し、足元を浚(さら)う様にしながら、陸地を埋めて行った。
 其の海面を見ていると、人間の顔の面・おもてが一個、海面に浮かびながら、目の前を流れて行った。其の面も、般若の面である事が理解できた。
私は、其の人面が見えなく成ったので、お婆さんの方を振り向くと、其のお婆さんの姿は、既に消えていた。
どうやら、其のお婆さんは、昨日の映像で山から崖を下りて来た、小柄なお婆さんと同一人物の様である。
 今朝のメッセージの意味を考えると、初めに現れた人達は、過去の宗教者達が考え出した、「カルマ・業」に振り回されている人達である事が解かった。
そして、基壇に積まれてしまった人間の意味は、「助・租税・祖母」などに使われる「且」の意味で、是までに積み上げられて来た、人間の概念や想念・記憶・風習・儀式など、諸々の文化が、全て、般若のシャレコウベの中に回収されてしまった事に成り、其の般若の面も、お婆さんの手で、海に返されたのである。
 今月1日に、木蓮科の花から始まり、木の幹の上に、丸い珪素の石が置かれ、今朝の映像では、人間が木の丸い板に成って、積み上げられ、其れ等も全てドクロの中に回収され、お婆さんの手で、海に返されてしまった。
そして、其のお婆さんも、海原の中に消え去ってしまったのである。・・・
「般若波羅蜜」http://star.ap.teacup.com/170606/1029.html

其れに、私がお婆さんの頭を取り外して、本人に「止め結び」をさせようとして居た事は、私の頭を切り離して自分の頭と取り替え、私に「地球の管理を任す」と示して来た「白山菊理姫」の行為が、逆に成っている事にも成りそうである。

2006/9/9・・私の神事の始まりは、出口王仁三郎に下駄を履かされた事が切掛けだが、其れより前に、霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
 其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと掏り替っている事に成る。・・・
「自分の中に住む白蛇」http://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
2016/8/28「約束をおろす」http://green.ap.teacup.com/20060818/3969.html
 
これ等の事を考えると、私は「公道・幹線道路」を33年6ヶ月間走り続けて来た「ランナー」であると謂う事に成り、其のゴールを明日迎えるに当たり、自分の潜在意識である女神の「頭脳・情報・業」を、保存箱の中に収めた事に成るのであろう。

其れが、南瓜の様な形であったのは、「南瓜頭(種子とワタを抜いた空)」を意味しており、私の潜在意識は「カラッポの頭」に成る事を意味するので、もう「理屈」を考える必要が無いと謂う事なのであろう。

其れは、白山権現菊理姫が私に示して来た「地球の管理」に付いても、忘れて良いと言う事ではないだろうか。

『そうではなく 全てを手放して 自由に成って良いと言う事です。
其れは 自分で何かを行じると言う事ではなく 意いを続けると言う事です。
それが 統尊の役割りであり 転輪聖王の働きなのです。』

やはり、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に傳った事は正しかったと謂う事に成りそうである。

2007/5/22・・無庵師匠が、私に書いて下さったメモ書きが二枚だけ有る。其れは、
 ナニモナサザルナ ソノママデヨイ
    自然無為
    達人が平凡に生くることこそ
    本科・かんよう・必要 なり
    こそ道                無庵記

其れと 後日 私の動きが止まらないので 次のメモ書き
すべての書物 及び記された物は 
ちょうど 画家が自分の感動したものを 絵に表すに似たり
表わされた時より 自然より離反し ただの骸骨に化す
万物 流転して 其の止まるを 知らず
あえて 止めざるは これ 考えの始めなり    無庵記
            昭和六十(1985)年四月吉日
「神惟道・かんながらのみち」http://green.ap.teacup.com/20060818/296.html
2013/12/28「無庵師匠の御魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html

「赤の他人」
赤の他人であった貴方を 捜し出して 
此の世界に送り込んだ 土肥無庵の存在に感謝しなさい

そして 貴方に此処まで関わって来た
全ての人達にも 感謝するのですよ

其処に 貴方の本質が 顔を出して来ます

其れが 本当の真実の世界なのです

真実の世界には 善悪は何も無いのです

有るのは 全体の「玉の緒(いのち)」が
継続すると言う システムだけなのです

そして 其の群れの先端を 貴方が飛んで居るのですよ

其れは 国境の無い世界を飛ぶ 渡り鳥と同じ 玉の緒なのです

貴方の真実が 目覚めた時に「緒形明伸」が始まるのです  9時23分

9月23日 祖父「礒邉助次郎」の命日

2016/9/23・・本日9月23日は、私の父方の祖父の68回忌であり、私の記憶が始まった日でもある。
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、「鳥居が動く」との言葉が告げられて来たので、私が何処の神社の鳥居の事だろうかと想って居ると「あまがさき・天が先」との言葉が告げられて来た。
 そして、眠ってからの映像には、歴史年表の様な、長い書物の存在が映し出されて来た。
其の書物は、歴史年表が壁に横に張られ、文字が縦書きに成っているのとは異なり、其の年表は、地から天に向けて縦に繋がっている物であった。
其の年表はカレンダー・暦の様な物であり、人間が使用する日記の様な形式に成っているのである。
 そして、其の日記は、年代・年表・場所を記す左半分は白であり、右側の半分が深緑(緑版)に黒文字が書かれる感じに成っており、其の、文字が書かれている部分は、過去の部分は空白で、此処から先・未来の事が、書かれている事が理解されて来た。
 其の未来(天空)に向かって書かれている文字の内容は、私の是からのスケジュールである事が、理解されて来た。
其れは、私の過去の情報は白紙に成っており、未来のスケジュールだけが決定さられていると言う事になる。・・・
「鳥居が動く」http://green.ap.teacup.com/20060818/3997.html

2017/9/23「最高年齢智慧者編集の電子新聞」http://green.ap.teacup.com/20060818/4377.html
2017/9/22「意識の旅は終わった」 http://green.ap.teacup.com/20060818/4376.html

                  平成29年12月3日

                        礒邉自適

ハイウェイランナー

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    ハイウェイランナー
                      29・12・2

今朝のメッセージの映像は先ず、肉食の男性は未来創造には使えない事が映し出されて来て、其の理由が血液が黒く濁っているからであり、食べ物を変えなければ、医学治療では不可能である事が示されて来た。

次に、山盛りに集められている木の葉が映し出されて来て、「セルロース」との言葉が告げられて来た。

次に、俳優の故「緒形拳」の姿が、とても優い顔をして、神々しく映し出されて来た。

其れから「ハイウェイランナー」との言葉が告げられて来てから、「前進しなければ駄目だ」との言葉が告げられて来た。

其処で起きて、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時50分・4時10分前」であった。

今朝は、7時10分に起きてPCを立ち上げ、先ず「緒形拳」を調べると本名が「緒形 明伸・おがた あきのぶ」で、「明伸」とは「明るく伸びる」の意味である。

「緒・ショ・チョ・お」【解字】形声。「糸+者」音符の者は、にるの意味。まゆ(繭)を煮て糸を引き出すの意味から、いとぐちの意味を表す。
【解字】①いとぐち。糸の先端。また、糸。②はじめ。おこり。発端。「端緒」③のこり。あまり。「緒所」④すじ。つづき。系統。⑤順序。次第。「諸事」⑧たずねる(尋)。「緒正」国語 お。①糸。②紐。③履物のはなお。④長く続くもの。「玉の緒(いのち)」 

「形・ケイ・ギョウ・かた・かたち」【解字】形声。「彡+幵」音符の幵は、かた・わくの意味。彡は、あやの意味。かたちづくる・かたちの意味。
【字義】①かたち。 ㋐現れているもの。見えるもの。形態・姿。「外形」㋑からだ。肉体。㋒ありさま。状態。また、容貌。顔つき。「形勢」②かた。また、かたどる。=型。③かたちづくる。㋐形を成す。㋑化粧する。④あらわれる。あらわす。

此の「緒形」の意味からすると、緒形明伸とは「糸口の形態が明るく伸びる」との様な意味合いに成り、日本語の価値観である「玉の緒(いのち)」と関係が有ると言う理・ことに成りそうである。

其れに緒形拳は、老齢に成ってから、声優として古木の霊魂・精霊の役を行なって居り、癌を患ってから食事を「玄米菜食」に切り換えて、穏やかな人間に成った人物・存在でもある。

セルロースを調べると、次の様に載っている。

「セルロース・cellulose」ブリタニカ国際大百科事典
グルコースが,β-1,4-グルコシド結合(→グルコシド)をした多糖類。繊維素ともいう。(C6H10O5)n で表される。側鎖はない。植物体の細胞壁の主成分である。白色無臭の固体で,水に溶けない。アルカリにはかなり強いが,酸に加水分解されグルコースになる。また,細菌類などの酵素セルラーゼにも加水分解される。繊維,紙の原料として工業的にも重要な天然高分子である。セルロース資源は,マツやカバなどの木材,アサ,ミツマタ,コウゾなどの靭皮繊維,アサ,マニラアサ,サイザルアサなどの葉茎繊維,ワタの種子毛など,天然物に依存している(→繊維植物)。精製セルロース(パルプまたはリンター)は,紡織繊維や紙以外にレーヨン,セロハン,アセテート繊維,ニトロセルロースなどの製造に用いられる。

セルロース【cellulose】世界大百科事典 第2版の解説
繊維素ともいう。セルロースは自然界で最大量の有機化合物であり,おそらく世界中の全植物質の1/3を占めるだろう。セルロースの命名は,1838年フランスのパヤンAnselme Payen(1795‐1871)によって,高等植物の細胞(セル)壁を構造する糖の意味でなされた。セルロースは古来衣類に用いられてきたが,工業的に利用しようという試みは近代工業とともに興った。44年,マーセルJohn Mercer(1791‐1866)はセルロースとアルカリの反応(マーセリゼーション)を研究し,工業的利用への道を開いた。

此のセルロースの意味からすると、動物の肉には、植物と違ってセルロースが含まれていないので、穀物菜食で「セルロース・繊維素・植物繊維」を多く(山盛り)摂取しないと、肉食中心の人達の腸内細菌は種類が異なり、宿便が停滞して有害なガスが発生し、血液が濁って、細胞の動きが鈍く成り、脳細胞の活動が停滞して、明朗な意識活動が行われなく成るとの理・ことではないだろうか。

其れは、「マクロビオティック・Macrobiotic」の創始者である桜澤如一が「犯罪者は病院に 病人は刑務所に・・云々」と謂っている事と関係が有り、自分の食事に意識を集中している者でなければ、正しい判断が出来ないと言う事であろう。
2016/8/2「豕・いのしし」http://wave.ap.teacup.com/20060106/682.html?rev=1
2013/12/11「未来社会」http://green.ap.teacup.com/20060818/2898.html

其れに、中国の老子は「自分の身体の事を 一番心配している人間に 国の運営を任せれば 潰れる事はない。だが 国をどうにかしようと考え 走り回っている人間に国を任せれば 其の国は 直ぐに潰れてしまう」と謂っている。
2005/10/29「三宝荒神」http://moon.ap.teacup.com/20061108/427.html?rev=1
2010/1/17「自然興業(神のはたらき)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/411.html

其れから「ハイウェイランナー」を調べると次の様に載っている。

ハイウェイ【highway】
〔公道・幹線道路の意〕高速自動車専用道路。

ランナー (Runner, Lanner, Lanna)。英語での発音は「ラナー」に近い。
・スポーツ
陸上競技の走競技の選手、あるいはランニングで走っている者。
走者 - 野球で、塁に向かって走る攻撃側の選手。
・湯流れ(英語版) - 鋳造のために液状の材料が流れる細長い流路。または、鋳造品から湯流れに沿って細長く伸びた部分。
・匍匐茎 - イチゴ・一部の芝などの地を這うように伸びる茎。

此の意味からすると、ハイウェイランナーとは「高速道路を走る者」との意味合いと成るので、日本語で賢い者を「血の巡りが早い」「目から鼻に抜ける」と表現し、「赤い血潮が燃え滾る」の反対に、悪賢い者を「腹黒い」と表現する事などが関係が有って、時代の切り替えが始まると、血液が酸化している人間は血の巡りが悪いので、時代の流れに乗り切れない理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

其の様に考えると、今朝のメッセージは一昨日の「続」のメッセージと関係が有り、昨日のメッセージの「正義の女神」が手にする天秤の対象には、成れないとの理・ことなのかも知れない。

其れを考えると、改めて伊勢神宮を創建した斎宮である「倭姫命・やまとひめのみこと」の言葉が思い出されて来る。

2005/9/10・・「倭姫命のおことば」
黒(きたなき)心 なくして 丹(あか)き 心をもちて
清く潔(いさぎよ)く 斎(ゆまわ)り 慎(つつし)み
左の物を右に移さず 右の物を左に移さずして
左を左とし 右を右として 左に帰り 
右に廻る事も 万事 違(たが)う 事なくして
大神に仕え奉れ 元(はじめ)を元とし 本(もと)を本とする故なり           
「倭姫命のおことば」http://star.ap.teacup.com/170606/573.html

肉食の弊害
2005/11/9「肉食の弊害 一」http://star.ap.teacup.com/170606/632.html
2007/5/29「肉食の弊害 二」http://green.ap.teacup.com/20060818/305.html
2008/2/18「肉食の弊害 三」http://green.ap.teacup.com/20060818/648.html
2009/10/6「肉食の害 四」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1296.html
2011/11/14「肉食の弊害 五」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2923.html
2014/1/5「肉食の弊害 六」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2923.html

今朝のメッセージは、昨日の「竹林」と関係が有り、中国の「竹林の七人の賢者」の世界と関係が有るのではないだろうか。

現在の世の中には、其の様な賢者の集まりと謂うか、其の様な人々が住む村が有るとの情報は耳にしないし、何処かの山岳に「聖者」や「仙人」が住んで居るとの事も聞かなく成った。

其れは、神社の宮司、寺院の館長、教会の神父の様に、人間社会に直接関わりを持っている人々の事ではない。

其れ等の現実を考えると、未来世界を預けられる人物は居ないし、未来世界の創造に付いて相談をしに訪ねる相手も居ないと言う事に成る。

今朝のメッセージは、早急に「ハイウエイランナー」を育て上げなければ、人類の未来は「緒形明伸・糸口の形態が明るく伸びる」事には成らないと言う理・ことが、告げられて来ているのではないだろうか。

そして、今朝告げられて来た「前進しなければ駄目だ」との言葉は、明後日に迫った「12月4日 金鵄降臨記念日」に合わせて、示されて来たモノなのであろう。

                平成29年12月2日

                      礒邉自適

5月3日の日付

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     5月3日の日付
                       29・12・1

本日から「師走」であり、今年も残り一ヶ月と成った。

今朝のメッセージの映像は、人間の姿は一人も登場しないのだが、右側は南に幾分下がって、西側が少し上に上がっている、細長い地形の孟宗竹の竹林を東西に分断するかの様に、広い道路を造る場面が映し出されて来て、其の道路を境として、何等かの戦いの様な競争が始まる事が示されて来てから「5月3日」の日付が示されて来た。

其処で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時1分」であった。

其れから、再び眠って、何かの映像を見た様な記憶は有るのだが、其れに付いては何一つ記憶には残っていない。

そして今朝起こされた時刻は、6時40分である。

今朝は先ず、PCを立ち上げて、2月1日の文章を調べると、次の様に書いてある。

2017/2/1今朝のメッセージの映像は、海岸の岩場に「日高文隆氏」と「岩川郁夫氏」の二人が魚釣りをして居る場面が映し出されて来た。
そして、其の二人の傍に、私が近付いて行くと、其処に大波が打ち上がって来て、釣りの道具や、岩場に置かれている餌の残りや、釣って捨てられ腐敗した魚、其れに弁当滓や空き缶などの塵を、全て洗い流して行った。
 私は、自分の身に危険を感じたので、高い方に移動して行くと、満ち潮の為なのか、段々と海水が高い位置まで駆け上がって来るので、私は枯れ木を掴まえて下に転落しない様に、しっかりと根付いている生木を選んで、森の中にまで辿り着き、助かったのでホッとしていた。
それから、陸地の方も、海岸の岩場と同じ様に、何等かの働きで、完全に清められた事が示しされて来た。
 次に、日本語の青色文字で書かれた、横書きの単語が、何百・何千も記されている白紙の画面が、上方に上って行く場面が映し出されて来た。
 次に、濃紺のスパッツを履いて、黒い靴を履いている女神の左足が、地上に降ろされる場面が映し出されて来た。
 次に、「江藤敬介氏」が私の所に遣って来て、「預かって来た」と謂って、私に赤い熨斗が付いた袋を四袋渡した。
私が、其の熨斗袋を一つ開いて見ると、中には札束が入っており、四袋分を合わせると数百万円分に成る事が判った。
私は、其の熨斗袋の意味が判らない儘、「一応預かって措きます」と謂って、其れを由香に手渡して居た。
 次の映像は、私の妹である「八重子」と「静子」が、家に訪ねて来ている場面が映し出されて来て、私は鯛の料理を用意して居た。
そして、食事が済んでから、私は誰だか判らない男性と話を始めたので、妹の八重子に自分の眼鏡を外して渡し、「下の階に有る充電器に載せて 充電して来てくれ」と、頼んで居た。
 次の映像は、広い農地が映し出されて来て、春の農作業が行われており、私が歩いて居る道の横の畑には、トウモロコシ(唐もろこし)の芽が少し伸びて来ていた。
そして、最後に「10月初め」との言葉が告げられて来た。
 今朝は起きてPCを立ち上げると、「随分」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「行方知れずであったモノが 元の鞘に納まって来ました。
其れは貴方の意識が モノの通りを良くしたからです。
ですが だからと言って
未来への見通しが 立ったと言う事ではありません。
何故かと言うと 事の次第が判ったからと言って
新しい世界が 開くと言う分けではないからです。
其の事を考えれば 貴方の役割が 終わったと 
言う事に成らないのが お分かりでしょう。
ですから 貴方自身が 何等かの事を
創造すると言うか 決める必要があるのです。
其れが どの様なモノであるかは 
是までの 貴方の認識作業過程で解明された 
生命の本筋の記録に 照らし合わせれば
自ずから 明確に成って来るはずです。
其れが 出来るのが 貴方の心構えであり
他の者には 其れが出来ません。
何故かと言うと 他の者には
未来に繋がる チャンネルが無いからです。
其れが 出来るのは 其のチャンネルを開発して来た
貴方自身だけであると 言う事なのです。
其れこそが「準備が出来た」と言う言葉の一番の要因なのです。
ですから 貴方が どの様な事を自分の意識・頭脳に 
働き掛ければ良いかが 理解されて来るでしょう。
其れを意識する時に 神返(かんがえ)る現象が起きるのです。
其れが 本来の「すめらのみこと」の役割であり
御稜威・みいつをすると言う事なのです。
良いですか 其の事を 自覚できるのが
今の 貴方の能力であり 立場なのです。
既に「神(はたらき)」の道は 開いている
繋がっているのです。
ですから 此処から 先が「天御臥間」の 本番であり
貴方の意識と言うか 元気の 集中が必要なのです。
其処には 何等 禱りの為の言葉は必要ではありません。
何故なら 禱りの言葉は 自我意識からのモノであり
「神(はたらき)」と「巳」を 切り離す 
切り替えスイッチと 成るからです。
其の事も 其の世界を 体験済みである
貴方にしか 自覚できない事でしょう。
良いですか 他から ソレが 始まるのではなく
貴方自身の 自覚から ソレが 始まるのですよ。  」
 此の女神の言葉から、今朝のメッセージが、何を示唆しているのかが、何となく理解されて来た。
其れは、海も陸地も、何等かの働きで清められ、新しい地球と言うか、人間の世界が始まると言う事であり、其の事の為に、私の自覚や、想像力が必要であると言う事である。
そして、其の為には、「八重」に現場を視る必要が有るので、「視力を充電する」必要が有り、私は「静」な世界に、身を措かなければ成らないと言う事なのであろう。
 其れと、「日高文隆氏」「岩川郁夫氏」の両名が座って居た岩場が、大波で綺麗に洗われる場面は、以前に書いた文章の存在と関係が有り、日本の是までの文化や価値観も一度洗い流して、禊ぎ祓うと謂うか、無・白紙にする必要があると言う事なのであろう。
随分の「随」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「隨・随・スイ・ズイ」【解字】形成。「辵+隋」音符の隋・ズイは、くずれおちるの意味。緊張がくずれたままに行くの意味から、ままになる・したがうの意味を表す。常用漢字は隨の省略形。
【字義】①したがう。㋐つき従う。㋑つづく。また、追う。㋒きき入れる。㋓いいなりになる。②したがって。たびごとに。③下役。属官。また、おとも。つきそい。  
【随分】①分に従う。分相応。②当然そうである。もちろん。
                    漢語林より
 此の「隨・随」の漢字の「くずれおちるの意味。緊張がくずれたままに行くの意味から、ままになる・したがうの意味を表す。」の意味からすると、私は其の隨の漢字の定義とは、真逆の世界に、入って行かなければ成らないと言う事に成りそうである、
 そして、私が是から遣らなければ成らない事は、今朝の映像に映し出されて来た、青色文字の何百・何千と言う日本語の単語と関係が有り、其れは、昨日のメッセージに有った、宇宙の核心まで通じていた「節の有る竹筒の中に潜む蛇・巳の鱗(語)」と関係が有り、私が考えると言うか、使用する言葉・語に、人類の未来が委ねられると言う事に成るのであろう。
そして、其の私が考える・使用する言葉如何に拠って、昨日の映像に映し出されて来た四体・四面の「聖母」の働きの一部である、左足が地上に降って来て、行動・はたらきを始める・起こすと言う事なのであろう。
 そして、今朝の映像で江藤敬介氏が、大量の紙幣が入った熨斗袋を四袋預かって来て、私に渡したのは、昨日の四体・四面の女神・聖母が、私の行動を言祝いでいる事が示されて来ているのではないだろうか。
何故其れが、江藤敬介氏であったのかを考えると、江藤氏が親しい人物である事だけではなく、其の名前に意味が有るのではないだろうか。
江・藤・敬・介との漢字は調べると次の様に漢語林に載っている。
「江・コウ・え」【解字】形声。「氵(水)+工」音符の工・コウは、公に通じ、多くの水系を広くのみこむ大きな川の意味を表す。
【字義】①川の名。中国南部の大河。長江。大江。②大きな川。
国語 え。海や湖などの陸地に入り込んでいる所。入り江。
「藤・トウ・ドウ」の漢字は「艸+滕」の組み合わせで、音符の滕は、上に登るの意味を表す。つるが上に登る草の意味。
【字義】①ふじ。マメ科の落葉つる草。五・六月頃薄紫または白色の花穂をたれる。茎の質が強く、椅子などを作るに用いる。②かずら。つる上をなす植物の総称。③木の名。とう。つる性で茎に節がある。
「敬・ケイ・うやまう」【解字】形声「攵(攴)+苟」音符の苟・キョクは、髪を特別な形にして、身体を曲げ神に祈るさまにかたどる。攴は、ある動作をするの意味。つつしむ・うやまうの意味を表す。敬・を含む形声文字に、儆・警・驚などがある。
【字義】①うやまう。たっとんで礼をつくす。うやまい。「崇敬」「尊敬」②つつしむ。真心をこめてつとめる。つつしむ。「篤敬」③うやうやしい。
「介・カイ」【解字】象形 よろいの中に入った人の象形で、よろい・くぎる・なかだちするの意味を表す。介を音符に含む形声文字に、价・界などがあり、これらの漢字は「区切る」の意味を共有している。
【字義】①たすける。また、助ける人。「介添」②なかだちをする。人をひきあわせる。なかだち。仲介。「紹介」③へだてる。くぎる。わける。④はさむ。はさまる。間にある。「介在」⑤きわ(際)。さかい(界)。また、ほとり。⑥よろい。よろいをつける。「介冑」⑦こうら(甲羅)。「介虫」⑧かたい。堅く守る。⑨ひとり。ひとつ。「孤介」⑩よる(因)たよる。   漢語林より
此の漢字の意味からすると、江藤敬介との名前は、「敬・江藤・介」と入れ替えると、「祈る人(神を敬う人)が 公に登って 仲立ちをする」との意味に成り、今朝の江藤敬介氏の登場は、其の事に成功した人物が、私の所に訪ねて来て、熨斗袋を手渡した事に成る。 
 今朝のメッセージの映像で、濃紺のスパッツを履いて、黒い靴を履いている女神の左足が、地上に降ろされる場面が映し出されて来た場面と、「10月初め」との言葉を考えると、今年の10月初旬から、此の三次元世界で女神の活動が始まるとの事か、其れまでに、私に何かしらの準備を整えろとの事なのかも知れない。
 10月初旬の日付で、私が気に成るのは、2005年10月7日に、2008年9月15日に「リーマンブラザース証券」が倒産する事が告げられて来た事が有るので、人間界の金・経済の動きに、関係が有るのかも知れない。
 世界最大の強国である、アメリカ合衆国の大統領にドナルドトランプ氏が就任した事で、様々な動揺が起きて来ている。
70歳を過ぎて、脳細胞現象が起きて来るトランプ氏が、これ等の反応をどの様に処理出来るのかは、本人自身にも判らないのが現実であろう。
 今後8ヶ月間で、世界がどの様に動くのかは私にも判らないが、何等かの事が起きるのは間違い無さそうである。
「未来創造」http://green.ap.teacup.com/20060818/4133.html

此の「未来創造」の文章を書いたのは、2月1日なので、本日で丁度10ヶ月が経過した事に成る。其れを考えると、此の文章の中に記されている「10月初め」との言葉は、「10ヶ月目の初め」との事であったのかも知れない。

其れに、此の文章の中には、『・・私が是から遣らなければ成らない事は、今朝の映像に映し出されて来た、青色文字の何百・何千と言う日本語の単語と関係が有り、其れは、昨日のメッセージに有った、宇宙の核心まで通じていた「節の有る竹筒の中に潜む蛇・巳の鱗(語)」と関係が有り、私が考えると言うか、使用する言葉・語に、人類の未来が委ねられると言う事に成るのであろう。・・』との記載が有るので、今朝の映像に映し出されて来た竹林の存在が関係有るのかも知れない。

其れは、林立する竹林の竹は、民族の相違や人間の個性を示唆しており、其の世界を二つに分断して、何等かの戦いの様な競争が始まるとの事は、東西の文化や価値観の違いを示唆しており、是から再び東西の文化の闘争が開始されると言う事なのかも知れない。

だが、今朝の映像の分離帯には、人間の存在だけではなく、武器を含めて一切の物が何も無く、竹林が二つに隔てられただけなので、純粋な文化と言うか、言葉に寄る、東西の鬩ぎ合いが始まると言う事であり、人間の意識は対立する物が存在しなければ、進化する事が出来ないと言う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。

そして、東西に長い竹林の東側が、西側より少し下がっていたのは、東洋が精神的な事に重きを置いている事と、西洋が科学的に発達して来た事と関係が有り、科学的・知識的な世界よりも、精神的な世界に重きを置いた方が、人間社会のバランス・調和が図られ、人間が幸せに成れると言う理・ことが、示されているのではないだろうか。

其れに、此の文章の中には、「江藤敬介氏」の名前が強調されて来ているが、其の江藤氏からは、一昨日、「今朝は 自分の寝言の様に『天秤棒・天秤棒』と数回 大きな声で聴こえて来た」と知らせて来た。「天秤棒は女神と関係が有り 私も是まで数度文章に書いて有る」と返答したので、今朝の竹林の分断は、其の女神の働きと関係が有るのかも知れない。

「天秤」に付いては、西洋の裁判所のシンボルに成っているが、私には2006年3月17日のメッセージで、地球環境と人間の経済活動のバランスを図る必要が示されて来たので、地球管理局のブログを作製してある。
「地球管理局」http://star.ap.teacup.com/2007313/

キー「天秤・天秤棒」

2012/8/20・・今朝のメッセージの映像には、野草社の「石垣雅設」氏」が現れて、誰かが作詞作曲をした「矢追日聖氏」の鎮魂歌を唄って居ると、途中から号泣し始めて唄うのを止めてしまった。そして、「てんびん」との言葉が伝えられて来た。「てんびん」が、「天秤」であるのか、他に「天便」などの、別の文字が有るのか判らない。
「天秤・テンビン」であれば、辞典に次の様に載っている。
・てん‐びん【天×秤】
支点が中央にあるてこを用いて、物体の質量を分銅と比較測定するはかり。さおの両端に皿をつるすか載せるかし、一端の皿に測る物を、他端の皿に分銅を入れて、さおが水平になったときの分銅の重さで物の重さを知る。上皿天秤・化学天秤など。
・「文化における天秤」    
その選別するという特性から「裁き」のシンボルとされていた。古くは古代エジプトの『死者の書』(ペレト・エム・ヘルゥ)で死者の魂の善悪を判定する場面に描かれた。タロットの「正義」では剣と天秤を持つ女性として表象されている。また、星座のてんびん座はアストライアの持ち物とされることもあり同源かもしれない。      ウィキペディア辞典
「正義の女神」正義の女神(せいぎのめがみ)は、神話に登場する以下の女神である。
1.ギリシア神話の女神、テミス(Θέμις)。
2.ローマ神話の女神、ユースティティア(Jūstitia)。
剣と天秤を持つ正義の女神の姿は、司法・裁判の公正さを表す象徴・シンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など、司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきた。現在は目隠しをした像が主流であるが、目隠しがないものも多い。
其れに、「天秤」は権力を意味する漢字の「権・ケン」の象形文字と成っており、権力とは天秤を調整する権利を持つとの意味である。・・・
「天秤」http://green.ap.teacup.com/20060818/2411.html

2012/8/30・・朝のメッセージは、昨日が、エジプト暦の元旦(トト神の一日目)であった事に関係が有るのだろう。
トト神は、人間の心臓を【天秤】に掛けて計る、役割を持っているとの事。
トト神が計る心臓とは、人間の「心・ハート・魂しい」の量の意味であり、太陽紳のハートが、どれだけ人間の心臓に取り込まれているか、穢れているかの、バランスを計るものである。
 だから、今朝のメッセージの三重構造の世界は、上の世界の人々は、太陽神の下(楽園アアル)で生きる人々で、毒蛇の様に生きる人々は、太陽神と全く縁が無い人々(幻獣アメミットに喰われ二度と転生できない)を、意味しているのであろう。             
「エジプトの死者」の本には、此の地上の人間世界は、一人の「霊留・ひと」の為に、何千と言う泥人形の魂しいの人間を、働かせている。と記されている。
其れは、何千人の中に一人の割合でしか、真面な「人間・霊留・ひと」は居ないと言う理・ことである。
若し、1000人に一人「真人・義人」が居れば、世界には700万人居る事に成り、1万人に一人居れば70万人の真人(霊留・ひと)が、世界に居る事に成る。・・・
「ハイレベルの意識仲間」http://green.ap.teacup.com/20060818/2423.html
  
2005/10/2私達は、自分の内側に、潜在意識と呼ばれている意識の世界を有している。しかし、其れは、目には見え無い世界の事である。
其の、目には見え無い潜在意識が、私たちを動かしているのであれば、其の潜在意識が、何処でどの様に創られているのかを、突き止めなければ、我々人間は、いい加減な生き方をしている事に成る。
 私たち人間には、「安心」と「不安」の両面の心の立場が有る。
其の二つの立場は、同じ日常の中に同居しており、どちらが表に出るかで、幸か不幸かの感情が生まれる。其の感情にも、潜在意識が深く関わっている。
 私達は、潜在意識を突き詰めて、答えを出さなければ、「幸」も「安心」も得られないらしい。
昔から人間は、自分の潜在意識が安定しない為に、十字架や、仏像や、お札を考え出して、其処に意識を括り付けて来た。中には、お金や宝石を集めて、其れに意識を縛り付ける人も居る。
其の意識を、日本語では「こころ」と呼んで来た。
こころや意識は、どうして出来上がるのか、其の答えは、化学が是だけ発達しても、未だ明確には成っていない。其の答えを提示したのが、過去の聖者である「釈迦」や「老子」である。
 漢字の「心」は、心臓の形その侭の象形であるので、不安な時に心臓がドキドキする事から、感覚的に意識の反応する所として、心臓を持ち出したのであろう。日本語の「こころ」は、情報に因って意識が「コロコロ」変化するので、こころと名付けたものらしいから、「心」より「こころ」の方が、潜在意識の存在を考える上で、都合が良いと想われる。
 日本語では、興奮する事を「胸がドキドキする」と言う。其れは、心臓の存在が対象と成っている。
日本では、感情の変化が、心臓に影響を与えると考え、心臓の位置から臍の位置へ、感情を下ろす事をテクニックとして考え出し、「腹を据えて 落ち着く」との言葉を創り出している。しかし、テクニックだけでは、安心立命には届かない。やはり、潜在意識に答えを与えないと、不安は常に付き纏って来る。
 私たちが安心出来るのは、目に映る確かな物質を、自分の物として、所有している時である。其の目に見える物とは、仏像や御札であったり、お金や通帳の数字であったり、高価な宝石だったりするし、大きくて立派な家と、家族だったりする。中には、多くの部下が、自分の配下にあると、安心する者もいる。
 しかし、其れ等の物は、何時消えるかも分からない不安定な物だから、潜在意識は安定する処か、益々、不安を強める原因と成る物である。
我々の、潜在意識が安定する為には、「安心」を創り出さなければ成らないのだ。安心とは、潜在意識が安定している時の状態を表す言葉だろう。
其の「安心」とは、日本語では「やすらぎ」であろう。
やすらぎとは「安ら気」で、「やすらかなきもち」の状態と言える。
其の、安らかな気持ちを齎す為の教えが、釈迦や老子の教えである。
 しかし現代社会は、釈迦や老子の教えでは、生き難い仕組みに成って来ている。其れは、彼等の教えが、正しく理解されていない為である。と言うより、彼等の教えより別の価値観が、世間を席巻してしまっているからである。
其の為に、煩悩が煽られ、社会全体が、欲望追求の海に成ってしまっているのだ。
必要以上に飲食をし、生きる為に必要の無い物を買い漁りする。
更に、必要のない行動を起こし、其れ等の煩悩の嵐が、子供達の人生まで狂わせてしまっているのだ。
潜在意識は、デパートにも売っていないし、学校の教育にも登場しない。一番大事なモノが、売られてもいないし、教育の世界にも、出て来ないのは何故であろうか。それは、目に直接見え無い物だからだろう。
 見え無い物だからこそ、売り物ではないし、方程式も無いので、試験にも出て来ない。だから良く考えれば、只で手に入るモノであるし、意識の無い空間は存在しないのだから、無制限に手に入るモノでもある。
 潜在意識とは、元々、自分が持っているモノだから、誰も買う必要が無いから、売ってもいないのだ。其の、誰もが持っている潜在意識を活用する様にすれば、一番の省エネにも成るし、地球の安定にも繋がり、平和の貢献にもなる。
そう考えれば、現在の経済システムは、全て、逆向きに成っている事に成る。
 昔から、其の原因は探られており、向きを変えるのが、神社の社の階段や、水の上を渡る「かつらぎ橋」である。
皆が、物を見て組み上げる「顕在意識」から、「潜在意識」を求める方に、橋を渡って移動すれば、【天秤棒】も傾きを取り戻すだろう。
其れが、神の存在に一段一段近く成る理なのだ。
かつらぎ橋を渡るには、お金は要らないし、派手な服を身に着る事も、宝石で身を飾る必要も無い。誰でもが、無制限に簡単に渡れる橋なのである。
潜在意識とは、我々が、自分の力で手に入れるモノではなく、本来持って居る意識なのである。其れこそが、神に通じる意識(心)なのだ。
其れを、日本語では「たましい」と呼んで来た。
 「たましい」も、デパートにも売っていないし、学校の教育にも登場しない。寧ろ、戦後教育では、迷信の世界だとされ排除されて来たのだ。
私達の肉体こそ、潜在意識が組み上がった物である。総ての意識は、この自分の肉体に、記憶されているのである。其れを、思い出す場が、神社や寺院である。其の大事な場である、神社や、寺院が、今では、顕在意識を植え付ける場と成っているのが、一番の問題なのである。
 学校の教育者や、会社の上役が、みな其の理・ことに無知なので、世の中は、不安の坩堝と化してしまっているのだ。
潜在意識の窓口が、「夢」の世界である。
かつらぎ橋を渡るのは、天の川を渡る事である。天の川は、銀河の中心である。
銀河の中心を渡る事は、自分の魂しいが、源に還る事である。
其処に、たましいを還せば、もうこころが不安に成る事はない。
世俗の、低い橋を渡るには金が掛かるが、高い天の橋を渡るには金は必要ない。
天の橋を渡るには、手を使う必要も無いのである。
ただ、意識を其処に向けるだけで、其れは瞬間的に、其処に存在しているのだ。
其れが、其処に、一瞬でも無く成れば、我々の肉体は存在しないのだ。
 手を合わせて禱る仕草は、自分の掌を合わす事で、自分が存在する事を確かめ、其れを胸に置く事で、意識をセンターに持って来る事になる。
其れが一番安上がりで、簡単で、間違いの無い方法なのである。

其の作法を護り伝える為に、教会や、寺院や、神社が建てられて来た。
しかし、其処へワザワザ出掛けなくても、潜在意識は、自分の中に在り、自分を包む宇宙全体に、満ちているのである。
 自分がいま、瞼を閉じて眼に浮かぶモノ、其れこそが、自分の今の意識なのだ。其れを確かめるのには、自分の健康な身体以外には、何も要らない。
其れを、釈迦牟尼佛は「頼れるのは この己の肉体だけだ」と説き、宇宙に満ちている潜在意識を、佛の世界と謂ったのである。
だから、釈迦の教えを護るには、釈迦の存在を表す仏像に向って、禱っては成らないのである。
一番大事なのは、自分の手が、今何を掴まえているかを、確認する事である。其の行為が、潜在意識の扉に関わりを持っているのだ。
あの、目も見え無い、耳も聴こえない「ヘレンケラー」が、成し得た事を見ても、其れは明らかな理・ことである。
「意識は何処から始まったのか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/369.html

2008/7/20・・其れは、7月17日の「私の身体は ビルシャナの 所有物」の文章の内容より、更に今朝の意識が、真実に深く食い込んでいるとの事ではないだろうか。
其れは、人間の此の肉体は、地球の物質を材料として組み上がって来た物だから、物としての肉体の意志は、肉体其の物に在ると言う事である。
其れは、大地の珪素の周波数と、人間の身体の周波数が、切っても切れない間柄であると言うか、同調していると言う事である。だから、古代から、人間は「祷り・帰命」の為に、「額・ヌカ」を大地に着けたり(額ずく)・跪いたりして、大地に接触しようとするのであろう。
其れは、珪素(珪石・石英・水晶・翡翠)の周波数とのアクセスだけではなく、マイナス電気である大地の気と、アースする事にも繋がる行為であるのだ。
だから、肉体からの声は、「地球・アース」の声であるとも言えるのではないだろうか。
其の様に考えれば、地球・大地の意志をガイヤ(ギリシャ神話の大地の女神の名)と呼ぶのも間違いではないだろう。
そして其れは、インドの言葉である「ビルシャナ(大日如来)」が「宇宙の真実の本体」との意味であり、宇宙のあらゆる物質は、ビルシャナの本体であるとの考えも、間違いではないと言う理・ことになるのである。
其の様に考えて行くと、其の肉体の声を聞く為に、瞑想をしたり、神社でお祓いをしたりするのである。
だから、禊ぎの儀式は、男性が是まで創り上げて来た、理屈と言うか想念を、全部邪魔な物として、禊ぎ祓う事だと理解されてくる。
 神社で禊ぎ祓う「罪穢れ」とは、男性が創造して来た想念と言うか、概念の積み上げを、祓うと言うか、捨て去ると言う事なのである。
だから中国の老子は、「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」と謂ったのであろう。
 権力の「権」の漢字は、木の棒に物を計る皿が左右に付いており、其の皿に載せる重しの調節をする意味であり、権力とは、其の天秤棒の調節をする力の意味である。
だから、其の【天秤棒】の調節とは、人民の精神と経済のバランスを調整する人間の役割を意味しているのである。
だから其の役割は、三次元である此の世間に、身を置く人間でなければ成らないのである。其れと、西洋で始まった立法に拠る裁判制度のシンボルも、其の天秤棒の図柄である。・・
其れは、環境保全が一番大事な21世紀のテーマであるとの事なのであろう。
そうであれば、是から未来を創造するに当り、其の事をデザインに組み込まなければ成らない。
 今朝メッセージの映像を、私の頭の中で、組み立てている正体が何者であるかは、私にも良く判らないが、今朝の私の応答をメモしていた霊界人達が、「上層部は どう判断するだろうか。」と話している声が聞こえた。
其の様子から、霊界にも作戦会議室があって、此方の動きを見ながら討議が行われているらしい。
其れが、神社で唱える祝詞の文言に有る「神議りに 議り賜いて」の意味する処なのであろう。・・・
「貴方の肉体はわたし」http://star.ap.teacup.com/2007313/482.html

2007/4/5・・今朝は、最後に、鯉幟の様な物が立てられており、風が無いらしく、其れが無残に垂れ下がっている映像が、映されて来た。
其の幟は、柱は一本なのだが、上に【天秤棒】の様な棒が、横に取り付けられており、其の棒の両端に、幟が垂れ下がっているのである。
そして、其の左右の幟は、左側の方が重いらしくて下がっており、右側の方が上に上っていた。
其の映像の意味は、左右のバランスが悪いし、風も吹かないので、勢いが着かないとの意味ではないだろうか。だとすれば、勢いを起こし、左右のバランスを、採らなければ成らないと言うことである。
其の、二つの幟に書かれている絵や文字は、布が垂れ下がっていたので、よくは判らなかったが、多分「精神的」な世界と「物質的」な世界のバランスを、意味しているのだろう。・・・
「人類史」http://green.ap.teacup.com/20060818/247.html
 
2014/11/12・・今朝のメッセージは、二日間続いたメッセージの内容に続くものであり、言葉が成り立った原初にまで、次元が返り、表意文字である漢字が消去され、古代日本語の「音霊・おとだま」だけに成った世界を、示しているのであろう。其の、平仮名文字が左側の方から右側の方に流れて、其の後、反対に虹色の頭の列車に乗って、右側から左の方に返って行ったのは、「四次元・天神(てんのはたらき)」から、人間界に与えられた言葉が、右側の「三次元・現実界・人間世界」で「力・パワー」を得て、再び天神(てんのはたらき)の世界に送り返された事を、意味しているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像には、人間の唇が横向きで上下に開くのではなく、縦に成っており、左右に開くのが映し出されて来た。
其の映像の意味は、人間の「口・ことば」に拠って、「岩戸開き(次元の扉の開閉)」が起きる理・ことを、示して来ているのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像は、日本語・大和言葉である「平仮名」の言霊・ことだまが、虹色の光のエネルギーを持って、新次元への岩戸開きが行われる理・ことを、示して来ている事になる。
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像は、日本語・大和言葉である「平仮名」の言霊・ことだまが、虹色の光のエネルギーを持って、新次元への岩戸開きが行われる理・ことを、示して来ている事になる。
私は、30年・一世前に此の神の世界に入った時に、日本語の「あいうえお・・48文字」の言葉の絨毯に乗って、空中を移動するビジョンを見せられている。
今朝のメッセージの映像は、其の事が、新しい次元を迎えた事を示して来ているのではないだろうか。
「やまと言葉のことだま」http://green.ap.teacup.com/20060818/3259.html

2017/7/31・・今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、天御中主の様な感じの60歳代のスーツを着た男性が、左側に少し若い部下を一人連れて、新しいビルが建設される場所を視て居る場面が映し出されて来た。
そして建てるビルは、窓が何も無い4~5階建ての真黒な四角い建物であり、コンピュータの様な電子機器が揃えられて、全ての情報管理が為される物である事が理解されて来た。
次に、何故か、私の意識が其の敷地の中に居て、其の敷地の中で地縄張りの作業を行って居た。
其れは、方角を確かめてから、建物の位置を決めて行く作業である。
其れから、建物の縦横の比率を決める段階に至って、縦横を4-6の長方形にするか、5-5の正方形の比率にするかが、検討され始めると、其れが数学の方程式の様な世界へと発展して行き、其の世界が「メーソン・石工」の職業に関係有る事が示されて来た。・・・
「情報センターの建設」http://angel.ap.teacup.com/20071208/998.html

2008/7/19「龍宮乙姫が未だ現れない」http://star.ap.teacup.com/2007313/481.html
2008/9/10「神の家に帰り着く」http://green.ap.teacup.com/20060818/876.html
2017/4/28「累傳・るいでん」http://wave.ap.teacup.com/20060106/741.html

これ等の内容からすると、今朝告げられて5月3日の日付は、日本国の「憲法記念日」と関係が有り、人類の未来社会にとって、日本国の憲法が最も重要であると言う事に成り、其れは日本の呼称である「豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに」の概念や、「天津日嗣・あまつひつぎ」の伝統や「食国の政・おすくにのまつりごと」の価値観が、未来創造に欠かせないと言う理・ことが、正義の女神である「テミス、ユースティティア」と関係が有ると謂う事なのであろう。

今朝のメッセージの映像は、短いと謂うか簡単なモノであったのは、其れこそが人類の未来にとって、最も重要事である理・ことを示して来ている様である。

                 平成29年12月1日

                       礒邉自適
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