休と永の文字
24・9・30
今朝のメッセージの映像には、とても明るい昼の風景の中で、砂丘の岡に強風が吹きつけて、土手の砂に風紋が出来ている場面が現れ、堤防の方に向かうと、波除ブロックにとても大きな波が打ち寄せていた。
私は、其の状況の中に居て、其の大自然の力を、風力発電や、波力発電に利用したら良いと、感じていた。
次の映像には、新党「日本維新の会」を立ち上げた橋下徹大阪市長らしき人物や、他にも数人が、私に会いに訪れる場面が映し出されて来た。
其れは、ハッキリとした人物像ではなく、神の使い人として、人間社会で動いている人材を意味している様であった。
次の映像は、横書きの日本語の長い文章が現れて、其の文章の中に、幾つかの漢字が、「、、」を挟んで並んでいた。其の漢字の中には、「休」の漢字が有り、続きの文章の中に「永」の漢字の意味が説明されていた。
・「休・キュウ」の漢字は、「人+木」の組み合わせで、人が木により、憩うの意味を表 す。また 転じて、身心の安息の意味から、さいわいの意味をも表す。
・「永・エイ」の漢字は、支流を引きこむ長い流域を持つ川の象形で、ながいの意味を表す。永を音符に含む形声文字に、泳・詠などがある。
此の、「休」「永」の漢字の意味からすると、森の中で憩い、支流を引き込む長い河川の様に、生きて行く・暮らす事が、「すずしい在り方」「寂静」「良心」を護る事であるとの理・ことではないだろうか。
今朝のメッセージの映像は、私に、新しき意識レベルを要求して来ている様な気がする。
其れは、昨日のメッセージの「良心」との言葉に関係が有り、良心に基づいて「地球環境の事やエネルギー対策」「人間社会の指導者との接触」「自分自身の精神の在り方や立場」等を良く考えろ・検討しろとの事ではないだろうか。
其れは、今月21日の女神のメッセージに有った内容と関係が有る。
「貴方が 固まるのを 待っています
貴方の 精神・こころが 治まらなければ 何事も 始める事ができません
貴方の存在が 芯柱なのですから 貴方の意識が固まらなければ
此方は 何も 始める事ができないのです
ですから 貴方は 何かを待ったり 始める事を考えずに
自分の意志を 固定させる事が 一番大事なのです
其れが「事象の特異点」の意味であり
其れが 固定しなければ 新しい神の座標軸とは 成らないのですよ
ですから 貴方は先ず 自分の内側に 入る必要があるのです・・・
此の女神の言葉からも、私が新しい認識を持たなければ、事態と言うか事象が動き出せない事が解る。
私は、今回福岡県田川市の自宅に来てから、冬野菜を蒔く畑の準備と、屋久島から持ち込んだ荷物の整理と、自宅の古い物を片付ける作業を続け、3日前から前の文章のファイルの整理をしている。其のファイルの文章や、詩篇には未だブログにアップしていない物が多数有るので、其れ等の文章も新しくアップしたりしている。
其の中に、「神の証明」との文章が1・2・3と有った。其の文章を読みながら、改めて自分の役割が何であるかを感じている。
2004/8/19「神の証明其の四」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924422.html
2004/8/10「神の証明其の三」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924419.html
2004/8/10「神の証明其の二」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924418.html
2004/7/11「神の証明其の一」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924416.html
手書きの原稿のままで、PCで打っていない詩篇の中に2005年5月23日「最後の答え」と有ったので、其れもPCで打って新しくアップした。
「最後の 答えが 解った
答えなど 必要無かったのだ
答えが 有ると想ったのが 間違いだ
学校に 行かなければ 試験を受けなければ
答えが 必要などとの カルマは 生じなかったのだ
58年間も 真実の答えを 探して来た
それでも 答えが出なかったのは 答えなど 本当は無く
答えなど 必要無かったのだ
学校に 行き始めた時より
先生に 合わす必要に 迫られていただけなのだ
先生に 合わせなければ
棒で殴られ 時間外まで残され お仕置きを受けた
家での 母親の お仕置きは
生き残る為で 其れは 仕方が無い
でも 学校でのお仕置きは
直接 生きる事には 関係が無い
勉強をしなくても 学校が無くとも
幸福に 生きて居る人達は 世界中に澤山いる
其の人達の方が 自然に優しく生きて居る・・・中略
・・・そんな 馬鹿な私でも
やっぱり 自分が 一番かわいい
こんな 私でも 自分が 一番好きなのは
其の様に 生命が在るからだろう
たった 其れだけの 答えを探すために
何10年も 生きて来たのだ
たった 其れだけの為に
輪廻を 繰り返していたのだ
答えなど 要らなかったのだ
生きて 居るだけが たった 其れだけが
最後の 答えと 成ってしまった
其の内容は、私の意識が人間社会に汚染されていた事が書かれている。
其れから、7年が経過して、私は現在の意識の状態を考えると、私の意識は新たな次元に達しており、是から人間社会に対して、新しい情報を与えなければ成らない状況に追い込まれて来ている。其れは、是から、私自身が人間社会を知識にて、汚染しかねない作業を行わなければ成らないと言う事である。
其の私の行為が、「新しい情報を発信して 無明の世の中に光明を齎す」とされている、「弥勒菩薩・マイトレーヤ」の役割に関係が有るのなら、未来社会や子供達の為にも何とか努力をする必要が有るのだろう。
人生は スゴロク遊びの様に、あがったと想って周りを見ると、其れは元の場所である。
だが、足元を見下ろすと、元の場より一段上の所に立っている事が判る。
其の事が、神社の施設で、拝殿から神(天御中主神)の社まで16段の階段が設えられている事の意味であり、其の階梯に1番下の「伊邪那美命・いざなみのみこと」の名から「高御産日神・たかみむすびのかみ」までの16の神名が付けられている。
其の階梯には、一段毎に16部門(菊花紋)が有るので、16×16=256のテーマを消化して行かなければ「天御中主神」の住まいまでは、辿り着けないのである。
私が、現在どの階梯に在るのかは、自分では判らないが、再びサイコロを振って一進一退を繰り返して前進するしか、他に道は無いのであろう。
平成24年9月30日
礒邉自適