君の御稜威

「王道」の名前から 「君の御稜威」に変更します。 其れは 私のHPである「君」の趣旨に合す為のものです。 「君」 http://jite-jyu.main.jp/

2019年09月

素足で地球にアース




    素足で地球にアース

                           1・9・30

本日で9月が終わり、明日から10月である。
私は、32年前の1987年10月1日に群馬県の赤城山神社で、石垣雅設氏に「11月21日」に「スピリチュアル・タイム」の集いを行う事を提案して、其れが開催された11月21日は旧暦の10月1日であった。

そして、其れは今月12日に「全力で頑張って」と告げられて来て、「セットレバー」の歌が聞こえて来た事と関係が有りそうである。

2016/10/2昨日10月1日が、とても大事な日であった事が判って来た。
其れは、昨日10月1日が、旧暦の9月1日であり、月齢は0・1である。
そして、其の日付に付いて3月29日のメッセージで告げられて来ており、其の日のテーマは「王の存在の秘密が 一部公示される」との事である。
其れに、1987年10月1日に私は群馬県の赤城山神社に参拝してから、スピリチュアルタイムの会合を11月21日に開催する事を決めて、其れが後に旧暦の10月1日である事が判明した。・・
 其れに、30日の12時頃、床に就いて目を閉じて居ると、0時過ぎに、腹部がキリキリ痛み出して、昨日の午前中まで続いていたので、私は盲腸炎にでも罹ったのだろうかと思って居たが、畑で作業をして居る頃には、其の症状は消えてしまっていた。
 私は、其の痛みに付いて考えて見ると、其れは、「時間の操縦士」と関係が有り、石造りの「チャクモール」のお腹の所に、生きた人間の心臓を取り出してお供えする事と関係が有り、私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まったと言う事に、成るのかも知れない。
 其の様に考えると、時間の操縦士の臍から天空に伸びる生命の樹の梢には、時を知らせる「雄鶏・酉(鳥)」が止まって居り、其の下の枝の左右には、蜥蜴と太陽がぶら下げられている事と関係が有り、今朝の映像は、上記した「王秘一部公示」の続編であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「酉の時・トリのトキ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55551267.html

此の文章には、「・・私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まった・・」と書いて有るので、今朝「地球にアース」との言葉が告げられて来たので、起きてPCを立ち上げると時刻が9時1分であった事と関係が有りそうである。

其れに、PCを立ち上げると「6月13日」との日付が告げられて来たので、
今年の「9月1日」と「6月13日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。

2019/9/1昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると「初めての事が始まる」との言葉が一言告げられて来た。
そして、眠ってからの映像には、彼方此方で長く冬眠していた熊が、起き出して来る様子が映し出されて来て、其の準備・対応を急いで行わなければ成らない事が示されて来た。
 其れは、熊の姿は全く見えないのだが、人里に近い山中や、人間が飼っている熊や、動物園などの熊の事であり、腹が空いている熊が人間社会に一気に目覚めて出て来れば、危害・被害を人間社会に与えるので、早急に対策を計らなければ成らないとの事である。
 だが、騒いでいる割には、熊の姿が一頭も見えないので、其れは動物の熊の事ではなく、人間が長い間意識が眠って居て、其れが全国(世界中)で一気に目覚めて来るので、其の混乱でパニックが起きる事を示唆しており、早急に対策を計らなければ成らない事を示唆している理・ことが理解されて来た。
そして、私も其の対策に出掛けなければ成らないと意い、服を着替え様とすると、壁に掛かっている服は、冬用の分厚いオーバーコートだけであり、其の服を着てしまえば、寒くは無いが、身動きが出来なく成る物である事が判った。
 次に、何処かの家の中が映し出されて来て、家内に有る古い服や不必要な物が、廊下に山の様に集められている場面が映し出されて来て、其れは、不必要な物を全て処分しなければ成らない事が、示されて来ている理・ことが理解されて来た。
 次に、姿は見えないのだが中年の女性(女神)が誘いに来たので、私は其の女性と一緒に出掛けた。
そして、到着した建物の中に入って声を掛けると、姿がはっきりしない中年の男性(男神)が上から梯子で下りて来て、棚から生ビールのジョッキの様な器を取ってカウンターの上に置き、鳥龍茶の様な飲み物を半分程注いでくれた。
そして、カウンターに高い丸い椅子を二脚置いてくれたので、私達は其の高椅子に並んで座った。
 其れから、暫くすると三人で一緒に出掛ける事に成り、其の男性が自分の左胸と、私達の左胸に、マゼンタ色の「牡丹・ぼたん」様な花のリボンを付けてから歩き出したので、私達は多くの人々が待つ会場に、貴賓として、招かれている事が理解されて来た。
其処で、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時57分・6時3分前」であった。
 其れから再び眠ると、私の顔が、丸い向日葵の様な形に成っている映像が映し出されて来て、其れは満面の笑顔であり、私自身がとても驚きを感じて居る場面であったので、どうやら、私が自分の顔を鏡に映して見て、其の自分の顔に驚愕して居る場面の様であった。
そして、其の画面の意味は、100%の陽性の魂しいを示唆しており、1%の陰の影も無い事が理解されて来た。・・
 今朝は、9時25分に起きて・起こされてPCを立ち上げると、「何でも彼んでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと次の言葉が告げられて来た。
「何でも彼んでも 噛んで見なければ
納得しない貴方は 困ったモノね。
でも そんな貴方が 逞しい相手だからこそ
此処まで 物事が進んで来たのだから
何も 文句は言えないわね。
ですが 此処から先は 何事にも
自分から手を出しては なりませんよ。
何故なら 今後のスケジュールは 
決定しているのだから 貴方が勝手な
動きをすると 全て停止してしまうからです。
貴方には もう 自分の持ち時間は 何も有りません。
ですから 貴方は頭を空にして
唯 事象の動きに 身を任せて居なさい。
其れだけが 貴方の役割であり
それ以外の動きをする事は ご法度です。
此処まで 進んで来た事を 
壊す様な事を 起こしては成りませんよ。
(ゆっくりしなさい それが一番良い方法なのです)
「初めての事が始まる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55795220.html

2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。
其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
 今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず起された時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、何と、題名が「時間厳守」である。・・
 此処で「何がおきても」との言葉が告げられて来た。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との
言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には
何も関係が無いのですから 馬耳東風の気持ちで
トキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです』10時00分
 ばじ-とうふう【馬耳東風】
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。 三省堂 新明解四字熟語辞典
 「土肥無庵」は、他人の家を訪問する時は、何かが有って遅れては成らないので、近くまで行って措き、約束の時間ジャストに玄関の呼び鈴を押す事を徹底していたし、私と二人で福岡空港でタクシー乗り場に向かうと、「自適さんが三歩遅れた。あのタクシーに乗らなければ成らなかったのに」と謂うので、次の機会に、私が早足で歩くと「自適さん 前のタクシーに乗ってしまうよ」と謂っていたので、自分の歩く足と心臓の鼓動に、身を任せていた様である。・・
 今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
 何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
 其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
 其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのであろう。・・・
「切り開く能力・ちから」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55769303.html

此の二つの文章のテーマを繋ぎ合わせると、「初めての事を 切り開く能力・ちから」と成るので、12日に告げられて来た「セット・レバー」との言葉と関係が有り、明日10月1日から、何かの神事が開始されると言う事なのではないだろうか。

昨日は、午後急に睡魔が襲って来たので、縁側のソファ・椅子に座って目を閉じると、瞼に映像が映しだされて来た。

其の映像は、玉突き台の数倍有る広さの台に、赤い火星を思わせる様な色の「ピンポン玉・ゴルフボール」位の大きさの球が、何千個も隙間無く並んでおり、隙間は手前の穴の周囲だけで、残り10個程が枠内に入れば、自動的に、増えた分だけ穴の中に落ち込んで行く事が理解されて来た。

昨日は、其の映像が何を示唆しているのかを考え続けていた。

そして、今朝のメッセージの映像は、私がトイレの便器の下を見ると、其の下は糞尿が満杯に溜まっており、お釣りが跳ね返る事が判ったので、外に出て様子を確かめると、其れは学校のプール程の大きさが有るコンクリート製のタンクであり、少しでも雨が降れば、降った分だけ溢れ出す事が判った。

其れで、実家の方に向かうと、母親が私の事を捜しており、其の理由は東京の祖母「加藤キイ」が癌で危篤状態であるとの事なので、二人で祖母の所に向かう事に成った。
だが到着すると、祖母は既に死亡しており、棺(ひつぎ)の中に寝かされている事が判った。
其れに、其の棺は、頭の方を台の上に残して、足の方は半分以上、右下の床に斜めにずり落ちているのである。

其れらの映像の意味に付いて考え始めると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時13分」であった。

其れから再び眠ると、今度は私の意識が、光輝く部屋の中から、エレベーターに乗り込むと、其のエレベーターは地上に降りるモノ・便であり、途中から一人の男性神(はたらき)が乗り込んで来ると、私は其の男性の誘いで、途中で降りて一緒に廊下の様な所に出た。

すると、其の空間は映画のマトリックスの様な世界であり、私の意識は、映画の中の主人公「ネオ」が、迫り来る悪の世界に自ら飛び込んで、全てを光エネルギーに変えてしまう場面と似た様な状態と成り、此の人間社会に存在する「光ファイバー」の情報網の様な世界に、繋がった状態と成っていた。

私は、其の世界に興味を覚えたので、長らく彼方此方の世界を、遊ぶ様に確かめていた。

そして、三次元世界である人間社会に直接関わる下層に下りて行った所で、其の光りの世界と言うか神(はたらき)の世界は、闇の世界(人間社会)に接触した所為か、急に終わってしまった。

私は、其の映像から、自分が此の世界に飛び込んだ時に、自宅の裏に立っている電柱の高圧トランスのマイナス電気から始まり、安房川の発電所から宮之浦の工場まで走っている送電線からマイナス電気を自分の身体に充電して、様々な奇跡現象が起き始めて、鉄道のレールやコンピュター回路、電電公社や空港のアンテナなどに、自分の意識・エネルギーがチャンネルして行った事を思い出していた。

そして「地球にアース」との言葉が告げられ来たので、起きてPCを立ち上げると、時刻は9時1分だったのである。

今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、昨日の昼間の映像に映しだされて来た、何千個の球が台の枠内に並んでおり、間も無く飽和状態と成って下に落ち始める事と、今朝のトイレがタンク・プールから溢れ出す場面に関係が有り、何らかの事が満タンに成る・限界に達しているとの事が示されて来ている事に成る。

其の事と、私の母方の祖母「加藤キイ」が癌で死亡すると言うのは、名前の「キイ」が「鍵・キー」を意味しており、其れが癌であると言うのは、77億人に膨れ上がった人間が、地球環境を破壊している事と関係が有り、其れは人間の癌細胞と同じ様に、人類が地球(マトリックス・母体・基盤、数学の行列)を破壊している事を示唆しているのではないだろうか。

其れに、其の祖母は1999年5月3日(103歳4ヶ月)で亡く成っており、其の命日「5月3日」は憲法記念日であるので、今朝の映像で其の祖母の棺が台の上から床に傾いて落ちていた場面は、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」が地に落ちる寸前である事を、示唆しているのであろう。

其れを考えると、憲法で「政・まつりごと」に天皇の「詔勅・みことのり」が禁止されている事を取り消し、本来の天皇の役割を復活させるか、「政教分離」に従い、国政から天皇家を分離して、民間の神社庁で「伊勢神宮」及び「天皇家」の面倒を見る体制に変革する必要が有る事に成る。
其の様にすれば、現在年間170億円(プラス大嘗祭の経費)も掛かっている・使っている「天皇家」と「宮内庁」の税金も必要では無くなる事に成る。

今朝のメッセージの映像で、私が体験していた世界こそが、本来の「現人神(あらひとかみ)・統尊(すめらのみこと)・大君」の神界(はたらき)を示しており、其れが「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の神事の真実である事に成る。

キー「天の御臥す間(あめのおふすま)」

2014/7/26・・今日は、遅い朝飯を昼前に摂って、PCに向かって作業をして居ると、急に眠気が襲って来たので、仏壇や神棚が有る部屋に横に成って、目を閉じて居ると、左側に年配の男性が座って、私の身体に、何等かの儀式をしている事が、見えて来た。
其れは、其の部屋が「天の御臥す間」と成っており、私の側には「御祖神・みおやかみ」が付いている事に成る。
 其れを考えると、私の現在・いまの状況は、1984年6月4日に屋久島の自宅の二階で起きた、事が再び始まっている事に成る様である。・・
 其の要に考えると、昨日の植物の作品が、全て鏡の額に貼付けられていたのは、鏡は神の世界を意味しており、其れ等の作品・布は、神の世界を意味していたのかも知れない。
其の様に考えると、「御贖(みあか)の儀」に何故、植物製品の「御麻・あさ」「荒世(あらよ)、和世(にこよ)」が必要であったのかが、理解できそうな気がする。
・あらよ【荒世】大祓(おおはらえ)の際,御贖物(みあがもの)の料として神祇官から天皇に奉る荒栲(あらたえ)の衣。 ↔ 和世(にこよ)大辞林
 これ等の世界を調べて行くと、今朝のメッセージの映像で、土俵の様な感じで映し出されて来た舞台は、天皇家の儀式として大事な「御贖(みあか)の儀」や、12月と6月の年二回行われる「大祓の儀式」に関係が有り、「大宝令の神祇令(じんいれい)」に関わりが在る様である。
其れは、「天津日嗣(あまつひつぎ)から国民に向かって発令された指令であり予言である」との事なので、今朝のメッセージで、私が是から準備をしなければ成らない文章・情報とは、世界の民に向かって「天津日嗣の太祝詞を宣る」作業をする必要があると言う事に成って来る。
 其れを考えると、私を捜し出して此の神の世界に入れた「無庵師匠」が、私に 「世の中が行き詰った時に 台の上に上がって 人々に話しをするのが 自適さんの役割です」と云った内容が、現実の事として始まるのだろうか。
其の様に考えると、「・・・しよう」との手紙は、「早く始めないと 全てが崩れ去るので 始めましょう。」との、文面だったのかも知れない。・・
 本日が、マヤ暦を参考とした「13の月の暦」の元旦とされている事が、此の世で、現実の力を持ち始めているのかも知れない。
其れを考えると、私が、世界の新しい暦・カレンダーを作製しなければ成らないと考えている事も、今朝のメッセージの「天津日嗣の太祝詞」の一部に成っているのかも知れない。・・・
「天津日嗣の太祝詞」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54893864.html

2007/8/2今朝のメッセージには、何と、読んで良いのか分からないが、「杖功主」との漢字が現れた。
何を意味するのかと思い、漢語林で調べると「杖」は【解字】形声。「木+丈」の組み合わせで「ジョウ」と読み、音符の丈は、木の棒を手にした形にかたどる。長い木の棒の意味を表す。【字義】①歩行を助けるためにつく棒。②つえつく。③よる。たよる。たのむ。④とる。もつ。
 其れに「杖家」の単語が有り、其の意味は、50歳をいう。昔、50歳に成ると家の中で杖をつくことを許されたのでいう。また60歳を「杖郷」70歳を「杖国」80歳を「杖朝」という。と 載っている。
是に因ると、私は今年60歳になったので「杖郷」である事になる。・・
この様に、調べた結果「杖功主」は「じょうこうしゅ」と読み、「杖を突いた 功績の有る人が 中心に在る」との意味に成る。
私は、現在60歳なので、既に杖を家の中で突いても良い「杖郷」である事に成る。
 私は、此の神の世界に入った時は、まだ38歳だったが、何故か、神に杖を持たされた。其れから、既に23年が過ぎている。其の、「杖・ジョウ」を持たされた意味が、何であったのか、今朝、知らせて来たのであろう。
 明日、8月3日は、私の両親が屋久島に渡って来て、61年目の記念日である。其の日を前にして、「杖功主・じょうこうしゅ」との文字が、映されて来たと言う事は、何かの深い意味が、神の世界では有るのではないだろうか。・・
新しく、エジプトの墓から発見された棺の中には、木の杖が、ミイラの手に握られていた。
其のミイラは「ツタンカーメン」の部下で、現場の指揮を執る権利が与えられていたらしい。其の、権利を証明する物が、杖だったのである。
古代では、杖を持つ事がどう言う事なのか、皆に認識されていたのである。
 其の事を考えれば、私が何故、杖を持たされたのかも理解されてくる。
日本の天皇家で、一番大事な儀式である「大嘗祭」の儀式が行われる「アメノオフスマ・天の御伏す間」にも、杖が備えられるとの事である。
其の杖が、真実の杖として力を持つには、新しき代替わりの王が、神に、其の資格を認められなくては成らないのである。
 しかし、昭和天皇が亡くなった1月7日の深夜に、昭和天皇の御霊が私の心臓に飛び込んで来て、大喪の日には「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た。其れに、昭和61年1月10日の近江神宮の大祭(天智天皇の命日)では、「天智天皇」の霊に「ひもろぎの 代々の乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と告げられてもいる。
其れは、正しい「天津日嗣・あまつひつぎ」の儀式が、宮内庁で行なわれていない事を意味している。
 日本の伝統が、復活する為には、天皇陛下が、其の杖を手にして、国民の前に立つべきなのである。其の日が来る迄は、私の役割も解かれる事はないだろう。どうやら、私の役割は、エジプトのトト神で書記官なのであろう。
結果が出る迄は、此の作業が続けられるのだ。
「杖功主」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926457.html
2012/10/27「賢所・かしこどころ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54232938.html
2017/9/28「全ての事には原因が」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55642615.html

今朝は、祖母の棺の意味を考えて居て意識が目覚めた時刻は「3時13分」であった。其の数字は、私が昭和天皇の御大葬日(2月24日)の未明に告げられて来たメッセージに付いて調べていて、3月13日に阿蘇に在る「日の宮幣立神宮」に初めて参拝した日付である。

其れを考えると、御大葬日の朝、自動書記にて書かされた「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」との昭和天皇の言葉と関係が有り、明日10月1日から、其の昭和天皇の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が現実の事として、開始されると言う事なのかも知れない。

キー「3月13日 日の宮幣立神宮」

2018/3/13平成元年3月13日に、初めて阿蘇に有る「日宮幣立神宮」に参拝してから、本日で30年が経過経過した事に成る。
昨日は、本日の為に「3月13日」と「日宮幣立神宮」の件に関しての文章を調べた心算であったが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係が有り、昨日の作業は、昭和天皇の御魂の指示で始まった日宮幣立神宮の神事が、締め括られた事に成った様である。・・
 今朝のメッセージの様子と謂うか、意識の状態から、私が感じる事は、1984年6月4日(旧暦5月5日)の禊ぎ祓いの儀式で起きた、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の現象から始まった、覚醒(解脱・成仏)に因る様々な出来事が、昨日で一段落したと言う事に成り、其れが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係があり、其の事は、天神(てんのはたらき)の世界でも、了承済みであると言う事なのであろう。
 私は、今朝のメッセージの映像から、田舎の農家が生活に行き詰っている状況から、後継者も居ないだろうとの事を考え、日本国の経済の仕組みが、貿易中心であり、農村・農家・農業を切り捨てている事を考え、イザ何かが起きて、貿易が停止した時には、大変な事に成ってしまう事を考えた。
そして、其の事を考えて居て、未来を「創造」しなければ成らない行為は、「覚醒」の行為とは、全く「反対・逆・相反」する世界であると考えた。
 其れは、仏教(釈迦の教え)は、人間が「自分の本質に目覚める事」に付いての理・ことを解いているモノであり、其れは人間が、他の生物と同じ世界に住み、其の世界と言うか、背景が「宇宙全体・時空」のプログラムであると言う理・ことを認識する為である。
だから、釈迦の教訓には未来創造の為の手法は無く、寧ろ其の様な考え・行為を止めなければ成らない理・ことが、説かれているのである。
其れは、人間の脳の仕組みが、過去の情報を思い出す事と、未来を創造する事を、同時に行え無い理・ことを示唆している。
 其れを考えると、私の意識状態は、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との男性の存在が、管理・コントロールしている事に成り、私の脳の働きは、既に、私自身の物ではないと謂う事に成るのであろう。
其れは、私が本物の「霊留・ひと(人)」であり、私は「空蝉・うつせみ・空だ(躰)」状態であると言う事に成る。・・
 考えて見れば、私が「日宮幣立神宮」に参拝する事に成った原因は、昭和天皇が1989年に身罷った事に有るので、1984年に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の中には、昭和天皇の御霊は入っては居ないのである。
其れは、時空の時間軸で考えれば、4311体の御霊の上(近系列)に、昭和天皇の御霊の存在が在った事に成るので、昨日、チョッペンに最後のピースが嵌められた事と関係が有り、昭和天皇の御霊の思頼も、叶ったと言う事に成るのであろう。
 其れに、いま頭に浮かんで来たのだが、昨日の「ピース(部分・小片)」が、シリンダーの「ガスケット(パッキン)」であったのは、シリンダーの内部で発生する「熱エネルギー」を、外に漏らすなと言う理・ことであり、私の是からの役割は、太陽活動や地球のマグマから送られて来るエネルギー(生命の炎)を、漏らす事なく管理して、三次元世界に「御稜威 ・みいつ」しなければ成らないと言う事なのかも知れない。・・・
「覚醒と創造は相反」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55675607.html

2018/3/12・・此の「3月13日 日宮幣立神宮」で出て来た文章の中には、2017年3月12日以外に、2006年「初参拝」、2006年「迫って来た神の計画」、2013年「アセンションは脱皮」、2014年「天津日嗣の糸」、2016年「国家の柱」が有り、特に12年(一干支)前の2006年3月12日の「迫って来た神の計画」は、本日のメッセージと関係が有りそうである。
其の文章の中には「・・今朝のメッセージの映像には、無庵師匠が現れ、新しい船をトラックで運んで来て、一緒に、川に浮かべ進水式をしてから、海に乗り出す場面を見せられた。そして「インターネット・ジャパン・インストール・熊本」との言葉が告げられ、阿蘇の「日宮弊立神宮」の参道に生えている、御神木の杉の木がバチッと音を立てて、光りを発するのが映されて来た。・・・」
と書いて有るので、今朝『ここで 一度切り替える為』と告げて来た男性の声は、私を1983年3月18日に探し出して、此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」に関係が有るのかも知れない。
 私は「土肥無庵」に捜し出されてから、後6日で35年となる。
其の時私は36歳であったので、来年72歳を迎える私は、其れまでの年月と同じ年月が、此の世界に取り組んでから経過する事に成る。
「天津金木の完成日」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55675436.html

今日の文章の題は、今朝のメッセージの内容から、私が再び履物を下駄にしなければ成らないとの事から「履物を下駄に」としなければ成らないと考えていたのだが、起きる時に告げられて来た「地球にアース」との言葉が気に成るので、ミックスして「素足で地球にアース」とした。

私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」で、最初に登場したのがマクロビオティックの創始者である「桜沢如一」で、二番目に登場したのが出口王仁三郎で私に下駄を履かせたのである。
其の下駄は、奈良の石上神宮の社で、天界に返上されるビジョンが映しだされて来た。

昨日は、自分の履物が決まっていない事が示されて来ていたので、不安定さを感じて居たのだが、今朝文章を調べて居ると、次の文章が出て来た。

2014/12/29今朝のメッセージの映像は、私が何処かの建物の部屋に、金色の「草履・サンダル」を脱いで上がると、70歳くらいの黒い服を着た男性が居て、私に全ての事を委任する短い杖を渡した。そして、私の左胸に花弁の様な形をした「黄金のバッジ」を装着してくれた。
そして、其れは「動く為の物」ではなく、「動かない為の物」である事が示されて来た。
そして、最後に矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の存在が示されて来た。
 今朝のメッセージの映像は、是までのビジョンには無かった場面であり、私に新しい世界と言うか、是までには無かった立場が与えられるモノの様である。
「黄金のサンダル」で、私に思い当たるのは、踵に菊花紋の印が付いているエジプトのプスセンネス1世(1070~945 B・C)のサンダルで、今朝の映像で私の左胸に付けられた、花弁のバッジとも関係が有りそうである。・・
 普通に考えれば、「サンダル」と「杖」は、人間が歩く時に必要な物であり、胸に着ける黄金のバッジや勲章は、人前に立つ時に装着する物である。
其れが、「動く為の物」ではなく「動かない為の物」である事は、どう言う意味が有るのだろうか。
 其れは、今朝の品物は、王様に与えられる物であり、其れを与えられた人物は、何時も決まった場所に、動かないで居なければ成らないと言う事なのではないだろうか。其れは、王様が何時も決まった場所に居なければ、「政・まつりごと」が行えないと言う理・ことを、示して来ているのかも知れない。
 其の様に考えると、私が「王道」とのブログを開設した事は、天神(てんのはたらき)の意思に適っていると言う事に成り、新年を二日後に迎える此のタイミングで、其れが示されて来たと言う事は、来年から、其れに関する出来事が始まるとの事であろうか。
 今朝は最後に、奈良の矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の存在が示されて来た。
其れは、昨日のメッセージの「日本から世界に拡げる物」と関係が有り、矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の在り方や、矢追日聖氏の考え方が、新しい社会の雛形として、世界に伝えられるとの事ではないだろうか。・・・
「黄金のサンダルと王様の杖」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55081264.html

此の文章の内容からすると、私は35年前の世界に還るとしても、下駄を履く必要は無い様である。

だが、「御稜威 ・みいつ」を行う為には「大周天・だいしゅうてん」を行う必要が有るので、仙人杖や足の履物は、自然の物でなければ成らないので、化学製品で代用する事は出来ない。
特に、雷が落ちないビーチサンダルは、最悪の物である。
何故かと言うと「気・マイナス電気」が大地にアースしないからである。

キー「大地 アース」

2007/7/2私は23年前、無庵師匠の下で修行を続けて居る時に、様々な不思議な事が起こり始め、其の原因を師に訊ねると、「其れを 自適さんに 説明しようとすれば何ヶ月も掛かるので 説明できないが 全てが電気である」と教えられた。
其の時は、其れが何の事であるかは能く理解できなかったが、今では、其の事に付いて大体は理解出来ているし、其の説明も、私なりに出来ると想っている。
 此の宇宙の、あらゆる物質は、原子の回転法則で生まれている。
其れは、一億分の一の目に見えない世界(ナノスペース)から、大きな太陽系や銀河まで、皆回転に因って生じており、其の回転には電気が伴っていると言う理・ことである。
つまり、原子の周りを電子が回転する事で、原子の周りに磁気が発生するのである。其れは、太陽の周囲を惑星が回転している事と、同じ仕組みなのである。
其れは、我々が日常使っている電気が、コイルの回転に拠って摩擦電流を発生さす事から生まれているのと、同じ様なモノ・現象と言えるだろう。
 全ての存在物は、原子と電子の回転に拠って生じている物だから、物が磁気を帯びているのは当然の事である。其れは、鉱物や植物だけではなく、動物の一種である我々人間の肉体も、同じ仕組みで出来ている物なのである。
我々の手足が動くのも、脳から指示されて流れる、電気信号に拠るものであるし、其の脳も、電気で動いているのである。
 人間にとって、一番大事な器官と言われている心臓さえ、心電図で表される事で明白な様に、電気で動いている。そして、人間の生死の判断は、脳波の停止に拠って決められているが、其の脳波も電気信号の産物である。
だから、生命現象も、皆電気現象で成り立っていると言えるのだ。
 其れは、動物だけではなく、植物からも、磁気信号が発せられている事が分かっているので、植物も電気エネルギーを使って生きている事は明らかである。
私は23年前、其の電気の世界に侵入して行ったのである。
其れは、地球自体に発生している磁気(マイナス電気)周波数(チャンネル)と、自分の周波数を同調させる事である。
其れは、通称「アース」と呼ばれているもので、電気機器から地面に流されるマイナス電気(粒子)と同じ物である。
 我々、此の地球に生きる生物は、全て、其の大地から流れているアース電気と交流しながら、生きているのである。だから、裸足で地面に立つ事は、身体にも良いと言われているのだ。
其の理・ことを、頭に置いて考えれば、大地と生物は、アース電気によって、互いに繋がっている事に成る。其の事で、昔から一番大事にされて来たのが、水晶や花崗岩の、石英タイプの炭素系の磁気周波数である。
 其れは、古代の宗教遺跡や、伝説を調べれば、明らかな事である。
イスラエル・ユダヤの石工の伝承でも、「メイソンの秘儀とは 石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフエルの力は彼のものと成る」と伝えられている。
其れは、宇宙の回転する渦巻きの力・エネルギーは、花崗岩の磁気信号とチャンネルし、自分の生体電気をコントロール出来る者が、此の宇宙を、管理出来る理を伝えている。
其れは、昔から、其の様な力を持っていた者が、存在していた事を意味している。
 現実に、其の様な力を手にした者が居たからこそ、この様な言い伝えが残されたのである。其の事が23年前、如実に、私の身体を通じて、現実として起きたのである。
其れは、無庵師匠の身体を流れる磁気情報を土台として、私が更に、チャンネルを深めて行って、可能にした世界である。・・
 夫々が、大地・ガイヤーと意識・チャンネルが通じれば、隠すべきモノが無くなり、全てがオープンに成るので、人々の心は、善悪の価値観を超えて、自由に成るのである。其れが、エデンの園の意味なのである。
 私は、其の世界に23年前に到達し、先達として、其の時間(事象)を広げて来たのだ。もう其の結果が、公けの物と成り、私の存在も、必要ではない時節が到来するのではないだろうか。
「全てが電気」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924544.html

2015/1/14今朝のメッセージの映像には、先ず、地面の中から伸びて来ている、一本の緑色の電線「アース・earth」が、途中で切れているので、其れを繋がなければ成らない様子が示されて来た。
次の映像は、安房の私の自宅が在った通りの、家並みが全て取り壊され、新しく建物が建築される為に、地面に頑丈に被覆されている、大きな高圧電気配線の工事が、行われている様子が示されて来た。・・
 今朝の最初の映像に、緑色のアースの電線が現れたので、先ずアースを調べると、次の様に載っている。
【アース】
1電気装置を大地につなぎ、電位を等しくすること。また、その接続線。装置の保護、感電防止のために行う。接地。
2地球。大地。
アース【earth】
接地ともいう。電気回路の特定の部分を積極的に大地の電位にすること,または,機器のケースなどの大地電位になりやすい部分に接続すること。アースの目的は二つあり,感電や漏電事故を防止することと,信号を伝送する際に雑音を受けにくくすることである。洗濯機のケースを金属性水道管などに接続するのは前者で,絶縁不良でケース線に漏電した場合,漏電遮断器があれば,アースに電流が流れたことで回路を開き,なくても漏電電流はアース線を流れるが,アースを設けなければこの電流は洗濯機に触れた人体を流れる危険がある。
世界大百科事典
 今朝は、驚いた事に「高圧電線 マイナス電気」で、以前の文章を検索すると、今朝のビジョンに現れた「アース(マイナス電気・大地に逃げている粒子)」と、弟の事が書いてある2008年5月23日の文章が真っ先に出て来た。・・
 此の文章の内容から考えられる事は、今朝の映像にも、私の弟「農夫成」と娘「舞光」が登場しているので、アースとアンテナに関係が有り、今朝の映像の意味は、地球のアース・電気と、プラネット・惑星の情報システムの事が、示されて来ている様である。
そして、私が大晦日の夕暮れ時に、私を取り上げた安房一番地の産婆さんの家に辿り着いた事や、娘「舞光」が案内した、カウンターバーの若いマスターが、現代社会の文化文明に長けていたのは、世代交代を意味しているのではないだろうか。
 そして、新しい建築現場に、高圧の電気システムの配備がされていたのは、未来社会の情報管理を担う、大型アンテナが稼働する事を、意味していたのではないだろうか。
私を捜し出して、此の神の世界に入れた故「土肥無庵」は、生前「全てが電気」であると謂っていた。・・・
「アース・earth」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55101169.html

2008/7/16・・私が、荒野で修行をして居る時は、屋久島の花崗岩を走っている、石英の道筋の上で瞑想をして、第三の目である松果体(珪素・シリコン)と、其の石英の道の周波数・波動が共鳴した時に、岩が弾け飛んだり、其の石英の道筋に生えている草が焼け焦げたり、天気が急激に変わったりした。
其れは、100円ライターに火が着く事で、科学的に理論は証明されている。
 石英に電子を送り込むと、何万倍にも増幅するので、火が着くのである。
其の理で考えれば、人間の生体電気で、額の松果体から磁気を発すれば、花崗岩を走る石英の線上で増幅され、島中の花崗岩に影響を与えて、島の磁気波動が変り、天気に影響が出るのは、不可思議な事ではないのである。
其れに、私が、此の世界に入った時には、大地の情報が「赤龍・エネルギー体」と成って、私の身体に情報を送り込んで来たのである。
そして、私は、安房川の発電所から、宮之浦の工場に電気を送っている高圧電線の下に行って、高圧電線から、大地にアースされているマイナス粒子を、身体に直接充電して、時空を操り、新しい時間軸を創造したのである。
 其の時、時空に穴を空けて、4311体の霊魂を、現在の時間軸の中に集合させたのである。其の時と同じ事が、昨日、起きたのかもしれない。・・・
「蜂鳥の左足・ウィツィロポチトリ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924560.html

2006/7/7「雷は神なり」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924523.html
2018/9/13「男性意識と女性意識」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55723124.html
2014/2/10「新時代の幕開け」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54738935.html
 
2018/5/2明日5月3日は「憲法記念日」である。
其の事と関係が有るのか、憲法の存在は、直接に人間を幸福にする物ではない理・ことが示されて来た。・・
私が、憲法に付いて知っている事は、聖徳太子の「十七条の憲法」や、明治時代に作られた「大日本帝国憲法」、其れに戦後にアメリカ占領下で作られた現在の「日本国憲法」の存在である。・・
 今朝のメッセージから、私が考える事は、「イエスキリスト」や「釈迦牟尼世尊」、其れに老子などの聖者は、人間が決めた法律・憲法などには、関係なく生きた人達であり、憲法や法律を制定する権力者や政府の役員には、聖者は存在しないと謂うか、神の意思には繋がれない存在であると謂う事である。
 其れは、イエスキリストや釈迦牟尼世尊は、人間社会から脱出する事を薦めているし、老子も退職後は町を抜け出して行方不明に成っている事で顕かである。
其の事を考えると、人間は自由に生きなければ、天神(宇宙意志)に仕える事は出来ないし、DNA・遺伝子の進化も無いと言う事に成るのだろう。
其れは、人類以外の地球生物には、憲法や法律等の決まりが存在しない事で顕かである。
そして、生命が存在する決まり・定めに付いて、老子は「道・タオ」と謂い、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は「法・ダルマ」と謂い、イエスキリストは「永遠の命」と謂っている。
考えて見れば、世界中では未だに紛争や戦争が続けられている。
其れは、国の憲法や、国連憲章などの決まりでは、統制できない世界である。
其の事を考えると、我々は真の自由や幸福を得る為には、新しい次元に意識を向ける必要が有るのだろう。
 其の為にも、人間の魂しいの鏡である表情の表し方・現れ方に付いて、洞察する必要が有るのだろう。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージ「自由を奪う現在の宗教世界」の続きであり、人間は真の自由を得ていなければ、本来の姿に還れない理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「憲法と人間」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55684638.html

「大地 アース」で検索すると、此の「憲法と人間」との文章が出て来た。
此れは、今朝の映像に私の祖母の棺(ひつぎ)が登場した事と「憲法」が関連している事を暗示している。
其れを考えると、「此の世=死体=霊界=神界=宇宙」の関係性を、電気的に考え直す必要が有るのではないだろうか。

昨日の午後、睡魔と共に映しだされて来た、赤い火星の様な色合い・模様の何千個もの球は、何を意味しているのであろうか。

私には、其れは、火星に海や緑の自然が何も無い理・ことを示唆しており、其の球は、地球に住んで居ても、「生命・いのち・こころ」が伴っていない人間の魂しいの事を示唆しており、現在の世の中には其の様な人間が溢れて来ているので、其の様な精神状態の人間がこれ以上増える事は、人間の排泄物を浄化する地球の力は限界に来ている事とも関係が有り、これ以上、地球にダメージを与えている人口の増加は、阻止するとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。

其れは、此の生命活動に溢れた地球の自然環境を愛し・感謝し・大事に慈しむ者しか、住む資格を有しないと言う理・ことなのであろう。

履物に付いては、確かに、此の様なPC作業を続けるだけなら、私は格別な履物は必要ではないと言う事なのかも知れない。

其の様な気持ちで、余裕を持って、明日10月1日と言う日を迎えれば良いのであろう。

此処で、床の間に掛けてある「天照皇大神」の掛け軸の所から、何かの球が落ちて転がる音が聞こえて来た。午後3時00分

                        令和1年9月30日

                             礒邉自適

頑強な姓と名




   頑強な姓と名
                           1・9・29

今朝のメッセージの映像は、先ず私が、誰だか判らない人物の大邸宅に居る場面が映し出されて来て、其の家の主人と食事に出掛ける事に成った。

そして、玄関の框(かまち)に立つと、主人の方は自分の靴を直ぐに履いて外に出たのだが、私は自分の履物を捜すのだが、何を履いて其の家に来たのかも判らないし、自分の物らしき履物も見当たらないのである。

其れで、主人が邸内を散歩する下駄が有るので、其れを借りて履こうかと意ったのだが、洋服には下駄は合わないし、其の主人が向かう食事の場は老舗の料亭の様な物であると考えたので、下駄を履くのは止めて、其処に有る分けの判らない履物を摂り合えず履いて、主人の後に付いて歩き始めた。

そして到着した店は、予約制の割烹料理屋の様な店で、10人程が座れるカウンターには誰も他の客が居ないので、貸切であるのが理解されて来た。

其の主人は、マスターが料理を作る正面のカウンターに座って、私は其の右隣に座った。
其れから間も無くすると、70歳代の恰幅の良い男性が遣って来て、私の右横に座ったので、私は何者なのか判らない人物の間に挟まれた形と成った。

次に、其の大邸宅に住む男性は、他人が手を付けない広大な湿地に、排水路を通して、水田や宅地・工場地帯にする事で冨を気付き、金属の板を薄くして身に纏う鎧にする技術を開発して、其の延長戦上に、現在の通信機器の枠(ボックス)や部品が存在する事が示されて来た。

次に、後から来た人物は、其れ等の経済事とは反対の世界の仕事をしている人物であり、大学の特別な分野(精神世界・文化・歴史・生命哲学?)の大教授の様な人物である事が理解されて来た。

其の場では、何も言葉が交わされる事は無く、主人が立ち上がって会計を済ませる動作を始めると、右側の教授が私の右腕を左手でそっと突っくので、私が其方を見ると、右手に小さなメモ書きを持っており、其のメモ書きを、私が右手で受け取ると、其のメモ書きには日本語の横書きで、子孫の継続を頼むとの様な短い内容が記されており、其の下には、縦書きの漢字四文字の人名が、七人分程記している事が判った。

そして、其の教授は、両手で私の右手が潰れる程握り締めたので、其のメモ書きは、私の掌の中でビー玉程の大きさに丸まってしまった。


其れから、三人とも一緒に店外に出たのだが、歩き始めると私の右足の具合が変しいので、屈んでズボンの裾を捲って見ると、ブーツの様な靴が破けてしまっている事が判った。

其れで、立ち上がって前方を見ると、其の二人は路地に曲がったのか、姿が見えなく成っており、私は周囲の見回すと、見知らぬ都会の街中であり、出発した邸宅の住所も二人の名前も判らないので、どうしたら良いか迷っている所で意識が目覚めた。

其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時4分」であった。

其れから、再び眠るとアメリカ映画「マトリックス」の最後の場面に登場する「ゴッド・天の父」の様な雰囲気の男性の顔が空中に浮かんでおり、私の方を優しく・嬉しそうな笑顔で見詰めている場面が映しだされて来た。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時13分」であった。

今朝は8時28分に起きて・起こされてPCを立ち上げ、今朝起こされた時刻の数字から、今年の「3月4日」「5月13日」「8月28日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2019/3/4今朝のメッセージの映像には、何も載っていない、キッチンテーブルが映し出されて来た。そして、次の言葉が告げられて来た。
『コンセプト』 『アース』 『水の惑星』 『ジョイフル』
そして、私の中に詩心が復活して来た。
「上空へフライして行く 私の意識
其処は 風も吹かず 音が何も無い世界
見えるのは 地球の夜と昼   」
『コンセプト』   精選版 日本国語大辞典
〘名〙 (concept) 概念、考え。本来哲学用語だが、美術、音楽、服飾、広告などの分野でも、新しい観点・着想による考え、主張の意で使われる。
『アース』〘名〙 (earth )大地、地球の意。
『水の惑星』地球のこと。
『ジョイフル』 (joyful)の主な意味。喜ばしい、うれしい、楽しい。
 本日のメッセージは、昨日縦書きを読む雰囲気で「きょうから」との言葉が一言告げられて来た事と関係が有り、昨日から私の存在と謂うか、宇宙のプログラム・事象のコンセプトが、次元上昇した事が示されて来ている様である。
 今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、自宅のキッチンテーブルの上には全く何も載っていないし、一脚の椅子も置いてはなかった。
其の映像場面の意味は、私は「土肥無庵」に捜し出されてから、35年間気にして来た「マクロビオティック ・Macrobiotic」の世界を忘れても良いと謂う事であり、椅子が何も置かれていなかったは、私は自宅に客を招く必要が無い理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、私が全くの自由を得たと謂うか、霊魂からも開放された事が示されて来ているのではないだろうか。
 其れを考えると、今朝告げられて来た『ジョイフル』との言葉は、私が此れから、どの様な気持ち・気構えで、生きて行けば良いかが、示されて来ている事に成る。
そして、私が自分の意識・おもい(コンセプト)に何をイメージすれば良いかが、『アース』『水の惑星』の言葉・世界なのであろう。
 其処には、人間社会の生き様は何も関係が無く、自分の意識・おもいは「宇宙意識・神(はたらき)」として、空の果てから地球を観ている感覚である。
其れは、私の御魂が「風 麥東 陶・ふうれんとう」の言葉を告げられて来た日の、夢の世界の立場(存在)に還る事に成るのであろう。
 其れを考えると、私の意識は「ラビリンスの目(万物を見通す目)」に至っているとの事に成るのかも知れない。・・
 何れにしても、私は35年前に飛び込んだ世界に返る必要が有り、其れは以前の舞台よりも認識が上がった世界であり、13段階である「虚空蔵菩薩」の世界に関係が有るのだろう。・・
「今日から」

此の文章「今日から」に書いて有る、『コンセプト』『アース』『水の惑星』『ジョイフル』の言葉は、昨日のメッセージで「君の星(地球)は良い方向に進んでいる」と告げられ来た事と関係があり、其の「アース」の「コンセプト」が進んでいる事に成る。

2019/5/13今朝のメッセージの映像には、雛段に薄紫色を貴重とした平安時代の貴族女性の様な服(十二単)を着た躰の大きな「女性」が一人座って居る映像が映し出されて来て、私の意識が其の女性に近付いて顔を見ると、其の顔は人間の顔ではなく、鳥の顔をしており、目は金色であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時4分」であった。
 其れから再び眠ると、青色系の現代服・洋服を着た30歳代の男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、新しい時代の指導者(王様・大君)の立場に立つ役割である事が示されて来た。
 今朝のメッセージは、余計な事は省いて、本日から天界の新しいプログが開始される事が示されて来ている様である。
其の原因・要因を考えると、本日は無農薬・無肥料で稲作を行っている「江藤敬介氏」が、稲の籾種子を苗箱に播種する作業を行う日であり、其れに出雲の安部忠弘氏が奥さんと長男を伴って参加する事と、関係が有るのではないだろうか。
 何故かと謂うと、昨年の1月14日のメッセージで、2月17日・祈年祭(としごいのまつり)に、江藤敬介氏を午後1時に出雲の安部忠弘氏の事務所に行かせろとのメッセージが有って、2月17日の午後1時に江藤氏が安部氏を訪れた事が有った。
 そして、今年の3月20日に再び江藤氏が稲作の引継ぎの為に安部氏宅を訪問し、其れが切っ掛けで、安部氏が江藤氏の炒り玄米を販売する事に成り、其の安部忠弘氏が家族で、本日江藤氏の播種作業に参加する事に成っているからである。
    キーポイント「経過 2月17日・祈年祭」
是等の文章の内容からすると、昨日の「炭酸同化作用」の件が関係有りそうである。何故かと謂うと、人間にとって一番大事な「穀物(米・麦・豆)」は、其の炭酸同化作用の賜物だからである。
其れを考えると、神話に有る「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこ ほのににぎのみこと」が、天照大神から稲穂を授かって高千穂の峰に降臨した等との作り話は、此処らで消去して、科学的な認識に基いた考えを普及しなければ成らないと言う事であり、昨日のメッセージで「勘に頼る事は許さない」との言葉が告げられて来た事と、関係が有りそうである。・・
 今朝起された「6時4分」の数字から、昨年の6月4日の文章を視て見ると次の様に書いて有る。・・
・・昨夜、入浴中に「テイクワン」との言葉が一言告げられて来た事は、本日6月4日が、私が34年前の今日安房川の岸辺で禊ぎ祓いの儀式を行って、此の世界に飛び込んだ事と関係が有り、私がtake1(テーク1)の撮影・録音が終わって、take2(テーク2)に移行するとの事であり、人々を「自由・幸・フリーダム・freedom」に導く為のビジョンを、想わなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・・
 今朝の文章の題は、私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、白山菊理姫の本体である「白龍」が私の肉体に巻付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来た事と、本日「鳥神・鳳」が雛段に座って居た事を考え「龍神と鳥神」とした。
其れは、エジプトの有名なツターンカーメンの黄金のマスクの額に、「鳥(はやぶさ)」「蛇(こぶら)」が着いている事と関係が有り、古代から世界中で「蛇神」と「鳥神」は「ツイン・番・両目・双葉」で人間の「意識・脳」に関わりを持ち続けて来ているからである。・・
昨日の「勘に頼る事は許さない」との言葉から、「勘」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「勘・カン」【解字】形声。「力+匹+甘」匹は、並べるの意味。音符の甘は、はさむの意味。本などを並べ、両側からはさみ合わせるようにして、くらべかんがえるの意味を表す。
【字儀】(一)①かんがえる。よく考える。考えてくらべる。「勘考」「校勘」②罪人を取り調べる。罪を問いただす。「勅勘」(二)よくする(能)。できる。国語。第六感。感覚や推理によらないでわかる心の作用。「山勘」 
              漢語林より
此の説明からすると、「勘に頼る事は許さない」との言葉は、国語の「第六感。感覚や推理によらないでわかる心の作用。山勘」との意味からすると、「山勘に頼る事は許さない」との意味で合っているが、本来の漢字の意味の「①かんがえる。よく考える。考えてくらべる。勘考・校勘」②罪人を取り調べる。罪を問いただす。よくする(能)。できる。」との意味からすると、合わない様である。
其れに、【解字】の「力+匹+甘」匹は、並べるの意味。音符の甘は、はさむの意味。本などを並べ、両側からはさみ合わせるようにして、くらべかんがえるの意味を表す。・・との意味からすると、「相対的」な思考方法の事であり、過去の情報・資料を集めて、見比べて答えを出すとの意味である事に成る。
其の意味を考えると、過去の資料が無ければ「勘」の作業は出来ないと謂う理・ことに成り、勘で導き出す事は、孔子の謂う「温故知新」の言葉と通じ、過去の世界から脱出出来ないので、新規のプログラムは立ち上げられない事に成りそうである。
其れを考えると、昨日の「勘に頼る事は許さない」との言葉は、「過去の情報に挟み込まれて 答えを導く事は許さない」との意味合いと成り、全てを新規に組み上げなければ成らないと言う事に成って来る。
是だと、辞典の内容は、解釈する人間の能力・質に因って、全く反対の意味と成っている物が多々有る事に成り、正しい辞典を創り上げなければ成らないと言う事にも成る。
其れは「貴様・きさま」や「君・きみ・くん」との文字・言葉が、反対の意に受け取られてしまう事なども同じ事柄である。
今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、古代の装束を着た「女性(鳥神)」の存在は、2016年6月19日の映像に登場して、私に三個の「タルト・渦巻き」を手渡した「宇宙を両翼とする鳳」の存在と関係が有り、其の鳥神が今朝、三個の内の一つの「タルト・渦巻・宝珠」の内容を示して来た事に成り、其れが真実の情報だけを積み重ねるコト・世界であると言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、「翁・おきな」の漢字の世界とは、「番・双葉」である「嫗・おうな」の漢字の世界であり、どちらかと謂うと「翁」の羽根は「勘・知識(智恵)」の方に関係が有り、「嫗・おうな」の方は「DNA・遺伝子・生命・本能」の情報に関係が有るのではないだろうか。・・
「龍神と鳥神」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55764097.html

此の文章の内容からすると、今朝の由香のビジョンに映しだされて来た、「新嘗祭」「大嘗祭」に使用される米は、穢れの無い「土地」と「水」と「人」で栽培された米(稲魂)でなければ成らないとの理・ことが関係有りそうである。

2019/8/28今朝のメッセージの映像は、長い間、若者達が創造している未来世界・社会の様子が映し出されて来た。
其れは、次の様な場面・様子である。
1、現在の社会体制が全く無い。
2、30歳位の年代が中心で、年寄りが居ない。
3、皆が、自分が考えている事を、布の様な白い紙(和紙?)に、デザインとして描ける能力を有している。
4、全員の身のこなしが軽やかである。
5、テレビやラジオ等の放送(マスコミ)が一切無く、静かである。
6、女性は、化粧や余計な飾り物が無い姿である。
7、男性にも、煙草を吸ったり酒を飲んだりしている人は居ない。
 其れ等の映像が、長い間映し出されて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時58分から59分・4時2分前から1分前」に成る所であった。
 今朝のメッセージの映像は、是までに全く映し出されて来た事が無い世界・映像なので、昨日書いた「何も無い所から」の文章と関係が有り、「何も無い所から始める」との事がどう言うモノ・世界であるかが、示されて来ているのであろう。
 其れで、今朝は、昨日の由香のビジョンが気に成るので、由香の実家(神辺)から真東に何が有るのだろうと思い、日本地図を広げて定規を当てて見ると、高野山に当たる事が判った。
 其れを考えると、高野山を開拓・開基した「弘法大師空海」の存在が関係有り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の世界か、「虚空蔵菩薩・こくうぼさつ」の世界と関係が有りそうである。
今朝起こされた、4時2分・1分前の数字から、今年の4月1日・2日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
 此の1日の文章の中に有る、「水色文字」「西から東に向けて舗装道路が通っており・・」「起きて、時計を見ると時刻は6時00分であり、時計の針は南北を差していた。・・」との事は、昨日の由香のビジョンの「・・実家の庭先から、竹藪を切り払って、真東に向けて新しい道路が出来ている映像が映し出されてきて、「水門」と書いて「みと」と呼ぶと告げられたとの事で、起きて時計を見ると、針が真っ直ぐで、6時丁度であったとの事である。・・」との事と、符合している。
 其れに、今朝の由香のビジョンは、由香が何処かの施設に居て、青年が2,3人、少年が20~30人程居り「いたずらや虐めをしてはいけない」と、説いて居たとの事である。其の今朝の由香のビジョンも、新しい御世創造に必要な条件が、示されて来ているのであろう。
其れに4月2日の文章の題は「完結」であるので、其れも昨日の「何も無い所から始める」との事と関係が有る。・・
此の文章の内容からすると、6時00分を示す長短の針の方向は、磁石の南北と関係が有り、其れは地球儀の位置を示す東経線と関係が有る。
其れを考えると、由香の実家(稲田姫神社の門前)から真東に、新しい道路が通じていたとの事は、緯度線を意味している事に成る。
 そして、其の道路・緯度の線が高野山に突き当たるとの事は、「恵果和尚」が弘法大師空海に灌頂を授けてから「大日如来は 汝の国に在り 汝は直ぐに自分の国に帰れ 次は 我れが汝の弟子に生まれ変わって来る」と、伝えた事に関係が有り、其の二人の約束が、現実化する時が到来したとの事に成るのではないだろうか。・・・
「新しい御代」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55793664.html

此の文章から、先日のメッセージに有った、由香の実家から真東に向けて新しい道路が出来ており、其の真東の方を調べると「高野山」であったとの事や、「永徳寺」という建物や田畑に水を掛けていたとの事と関係有り、今朝の由香のビジョンや、昨日の昼間由香の声で「どうぞ」との声が床の間に掛けてある「天照皇大神」の掛け軸から聴こえて来た事、其れに昨日の「弘法大師空海」「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の事とも関係が有り、今朝のメッセージは昨日の続きである事に成る。

其れに、昨日は「素数」の事に付いても触れたので、「マトリックス」との言葉が「母体・基盤、数学の行列」を意味する事と関係が有り、「天の父・ゴッド」らしき男性の笑顔が私の方を見ていた事に関係があり、私の存在がマトリックスの「ネオ」と関係が有るとの事が、示されて来ているのではないだろうか。

*ネオ (Neo) は、ギリシア語で「新しい」を意味する語である。 主に接頭辞として使われる。 英語では、「復活〜」などの意味をもつ。

今朝のメッセージで、一番印象的な事は、経済界で「土木」と「工業」の分野を開拓発展させた人物(社長)の方ではなく、「文化部門」で卓越した人物(教授)の方が、私にメモ書きを渡して強く私の手を握り締め、依頼をした場面に付いてである。

其れは、7名程の人物の「名前・姓名」が全て、画数の多い四文字の漢字表記であった。
其れは、「姓・かばね」が無い天皇家や、西洋人の名前は別として、中国や韓国の様に姓が一文字である物や、日本人の中に有る三文字の姓・名は一名も無かった。

其の事を考えると、「姓」「名」を表す四文字の全てが、正しい意味を含む文字である事が必要であると謂う事に成り、其れ等の文字の世界に精通できる人材の家系を、七系統残す・継続する必要が有るとの理・ことが示されて来ているのであろう。

其れは、姓名や家系の継続には、数字・数学は必要ではなく、人間社会の営みは、現場の有り様に全てが掛かっているので、机上の空論に明け暮れている人間は其の門外漢に成るとの理・ことなのであろう。

だが何故、机上で勉強をしなければ成らない漢字文字が示されて来たかと謂うと、漢字は全て象形であり、全てが写真に撮れる物の形である事と関係が有り、現場に関わる経験・体験を積んだ者でなければ、正しい漢字の解釈・記憶が出来ないからである。

そして、其の象形を全て理解する為には、物が見える太陽の下で、自分の目で作業をする現場を視察・確認しなければ成らないので、視覚が主体と成り、其れに残りの四感覚器官が付随している事に成る。

2012/8/1本日は8月1日で、月初めの日である。
其の日付に関係が有るのか、又は明日2日が、私の両親が、鹿児島の故郷を出発した日である事に関係が有るのかは、分らないが、今朝のメッセージの映像には、是までに無かった多くの事が映し出されて来た。
そして、「文字の細分化」との言葉が告げられて来た。
 日本で、現在使っている文字は、「漢字」と「平仮名」と「片仮名」、其れに「アラビア数字」と「アルファベット」である。
 漢字とは、「漢(中国)」の文字が日本に導入された物で、平仮名は日本語の表音として漢字の草書体(安以宇衣於・あいうえお)が使われる物で、片仮名は表音として漢字の一部(阝・イ・宀・エ・方)を、利用した物である。
「漢字」ラテン文字に代表されるアルファベットが一つの音価を表記する音素文字であるのに対し、漢字は基本的に、一つの意味(形態素)と一つの音節を表す。
 本来、一字が一義を表すことだけを重視して表意文字としてきたのであるが、これは古代中国語の一音節が一つの意味を表す孤立語的な言語構造に由来するのであって、正確には音と意味両者を表記する表語文字である。つまり、1字が1語を表しているのである。このような漢字の特徴から伝統的な文字学では漢字を形・音・義の三要素によって分析してきた。  
        ウィキペディアフリー辞典 現在記載
「文字」は、「文」が象形の一字で、「字」は複数の象形が、組み合わされた物である。「人・イ」「手・扌」は文であり、「仕・人+土」「作・人+乍」は、字である。
 文の組み合わせの、多い字を例に上げると、次の字が有る。
「蚕・サン」「焦・ショウ」の漢字は略字で、蚕の元は「天天+日+虫虫」の組み合わせの字で、「天の日から隠れる虫の群れ」の意味である。
焦の元は「鳥鳥鳥+火」の組み合わせで、「小鳥を網の上に並べて火で炙る」の意味である。
此の様に、略字ではなく、元字の方が、本来の文字の持つ意味が、能く理解できるのである。
 しかし、漢字発生の国である中国が、漢字を、日本よりも略字化しているので、本来の文字の意味と言うか、力が失われてしまっている。
文字の力とは、人間の思考の中で、実際の絵や物の形が浮かぶ事で、森羅万象の物の有り方・形に、影響を及ぼす事である。
 其れが、人間の思考に、文字の形だけで、実際の物の姿形が、浮かばなく成れば、其れはもう単なる言葉の世界であり、森羅万象に影響を与える事が、出来ないのである。
例えば、「うみ」の言葉を聞いた時に、「海」の漢字が浮かぶだけでは力はなく、実際の「青い海」や「荒波の海」の映像が浮かばなければ、其の人には、海に関わる力は無いと言う理・ことに成るのである。
 今朝のメッセージの「文字の細分化」とは、もう一度、象形文字の世界に返り、「文」の一個の映像が、人間の頭脳に浮かぶ様に訓練しなければ、人間の魂しいが元に返らないと言うか、本来の思考・意識に、戻れないと言う理・ことではないだろうか。
 確かに、現代社会は、言葉が偽りに使用されており、子供達の意識の発達に、非常に悪い影響を与えている。其れは、学校の先生・教師などの教育者が、真実の言葉や文字の意味を、理解していないからである。
 其の意味では、先ず、教育関係者自身自らが、文字や言葉の意味を、正しく理解出来る様にならなければ成らないのである。
其の為にも、漢字を細分化して、もう一度、再認識しなおす必要があるのだろう。
特に「駅・馬+尺」は、「馬が 駅馬車を引いて尺・距離毎に止まる」や、水が無いのに「空港」などの文字は、現代社会に合わないと言うか、子供達に、嘘を云っていると言う事になる。
 今朝のメッセージの中には、私が鹿児島港から船に乗り、一度、大分港に寄港してから、目的地に到着して、会合が開かれる建物に行くと、自分の旅行バックやカメラバックが、見付からないのである。
同行者に、荷物の事を訊ねても「知らない」との応答であった。
私は、カメラが無いと、会合に出席しても意味が無いと想って、其の会合に参加する事を止めた。
 其の映像の意味は、カメラ・映像が無いと、目的が達成できない理・ことを、意味しているのではないだろうか。何故なら、漢字は、全て物の象形であるから、カメラで撮影できる物であるからである。
其れに対して、日本語は、名詞は別として、カメラでは撮影できない。
 日本語の、「かなしい・くるしい・たのしい・うれしい」は、写真には撮れないが、漢字の「悲・苦・楽・嬉」などは全て写真に撮れる。
「楽」は、「実が着いている木の枝」の事で、其れを振って音を出し、音楽を楽しむの意味である。
「嬉」は、「女+喜」の組み合わせで、「喜・キ」が、「壁に掛けた 打楽器の竹を叩きながら 神を称える言葉を言う。」の意味であり、其れに「女人」を加えた物だから、両方とも写真に撮れるし、絵にも描ける物である。
 今朝の映像で、私が船に乗って居たコースは、神武天皇が東征の時に通ったルートの様である。其れを考えると、新しい御世創りには、漢字が必要であり、漢字を細分化して、世界中の人々が理解し易い様に、再構築しなさいとの事ではないだろうか。
 其れは、現実的にもPCの普及に因り、ITで絵文字が使用される様に成っているし、漢字文化圏の人口は、中国14億人を中心にして、日本・韓国などが有るので、世界最大であり「漢字・絵文字」が、世界共通に成る可能性がある。
 今朝のメッセージには、他にも、私の部屋に有る箪笥の引き出しに、私が23年間大事に着ている「三宅一成」の服が、何着か畳んで入っている映像が映し出されて来た。其れは、絵に成る服と言うか、人間の技術や精神が、籠っている物を大事に使えとの理・ことを、示して来ているのであろう。
其れは、現代社会に充満して来ている100コーナーの品物や、外国製の安売り製品を使っていると、精神も「百円均一」に成ってしまう理・ことを、意味する事に成る。
 其の事を考えると、今朝のメッセージは、新しい御世を創る為の、ヒントが示されて来ているのかも知れない。そして、今朝のメッセージの映像にも、旅(東征)が含まれていたので、人間には「旅・家離・たび」が必要である理・ことを、示して来ているのであろう。
 其れは、日本語の諺に「可愛い子供には 旅をさせろ」との言葉が有り、多くの「情報・映像・認識」がなければ、立派な大人に成れないとの訓えが含まれている。其れが、本当の旅・家離の目的であり、観光とは、ただ単に遊興三昧では駄目なのである。
「文字の細分化」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54094276.html

2009/3/17明日3月18日は、私が1983年に、屋久島で無庵師匠に見出されてから、26回目の記念日である。
其の3月18日は、屋久島に在る神社「屋久島大社」の春季大祭日でもある。
屋久島大社の創始者である「柴昌範 氏」は、昭和8年以前に、屋久島の山の神から「ガジュツを原料にして 胃腸良薬恵命我神散 を造って 人々の病を癒やせ」と告げられて、「恵命堂・けいめいどう」を設立して成功し、神社を創建している。
 其の日を前にして、今朝のメッセージは、先ず、漢字の「善・ゼン」の文字が現れ、善の文字の口の部分が、右側に外れて、日の文字に成っているのが映されて来た。
「善」の漢字を、漢語林で調べると、次の様に載っている。
「善・ゼン」は「羊+言言」の組み合わせで、「言言」は、原告と被告の発言の意味。羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求めるさまから、よいの意味を現す。【字義】①ヨイ。㋐正しい。道理にかなっている。「善道」「善導」㋑すぐれている。りっぱ。うつくしい。㋒たくみ。じょうず。㋓むつまじい。仲がよい。親しい。②よく。㋐正しく。たくみに。りっぱに。「善処」㋑多く。しばしば。③よくする。㋐りっぱに行う。みごとにおさめる。㋑たくみにおこなう。じょうずにできる。㋒仲良くする。むつまじくする。④よいこと。よい行い。また、よい人。⑤徳目の一つ。道理にかない、良心に反しない完全な徳。
                漢語林より
何故、其の善の漢字の「口」の部分が、「日」に成って、右側に外れていたのであろうか。
辞典での意味だと、「両者が良い結論を求める」との理・ことだから、良い結論が出た日である事を、示唆しているのであろうか。
 今朝は、更に、明け方「高知」の文字が示されて来たので、其の結論はレベルが高い位置に、有るとの事なのかも知れない。
漢字の「高・コウ」は、高大な門の上の高い楼の形にかたどり、たかいの意味を表わす。「知・チ」は「矢+口」の組み合わせで、口は、いのる言葉の意味。矢は矢の意味。矢をそえていのり、神意を知ることから「しる」の意味を表わす。と 載っている。
 今朝は、善の漢字が現れた後、屋久島の緑の山が現れ、漢字の旁(つくり)の部分が大事である理・ことが示されて来た。旁の部分は、大体に於いて、音韻の変化で、意味を捉える事に使われている。
 其れを考えると、旁の方が大事とのことは、音を重要にしろとの事であろうか。日本語は「いろは48音色」とされている様に、音に拠って意味付けが成されており、漢字の形に拠る表意とは違っている。
 漢字の成り立ちを調べると、・・・中国における文字の発祥は、黄帝の代に倉頡(そうけつ)が、砂浜を歩いた鳥の足跡を参考に作った文字とされる。また『易経』には聖人が漢字を作ったと記されている。と 辞典に載っている。
      ウィキペディア辞典 現在記載
其れを考えても、漢字は象形文字から始まっており、漢字文字は象形だから姿形が有るので、全部写真に撮れる物である。
一方、日本語は、擬態語・擬音語・擬声語が多く、表音語なので、名詞以外の言葉は写真には撮れないものである。
日本語の特徴 「擬声語」   
・・・日本が模範とした欧米の言語学は実際的な使用面よりも抽象的な理論形成を主眼においたこと、そもそも擬声語は言語体系の中心を離れた周辺的なもの、要するにだらしなく子供っぽいものと見なされたことがその理由である。子供っぽいという点に関しては、擬声語が日常語や子供向けの本に多用されるが、学術論文などにはまず登場しないことから窺える。
音と意味が直結した言葉である擬声語の意味の違い(「おずおず」と「おどおど」の違いなど)を考えることは、日本語の言語感覚を磨くのに役立つとする見解もある。・・・ ─引用終了─ ウィキペディア辞典 現在記載
 文字は、人間が読み取って声で言葉にしなければ、音の響きとして、他の物体には影響を与えない。
其れに文字は、人間の目に見えても、読み方が解からなければ、ただの砂浜の鳥の足跡や、鹿の骨のひび割れ模様と同じである。其れに、夜の暗闇と成れば、其処に文字が書かれている事さえ判らなく成る。
 其の点、声は昼夜関係が無いし、犬や馬を呼ぶ事も出来るし、狼や熊を大声で追い払う事も出来る。其の様に考えると、文字より声が大事であり、人間に声がなければ、文字は役に立たない事に成る。
 其の理を認識させる為に、今朝は、漢字の旁の部分が大事である理・ことを知らせて来たのであろう。是が、本当の「知」の漢字の意味する処なのではないだろうか。
そして、私の意識と、神からの知らせが通じ合う事が、「善」の「良い結論が出る」との意味であり、其れが、無庵師匠との出会いの26年目の記念日を明日迎える、今日と言う日の意味ではないだろうか。
 其の様に考えると、26年前に無庵師匠が私に「自適さん 私は 第七次元まで行って 精霊が此の世に転生する為に 順番待ちで座って居るベンチまでは見て来たが 其の先にどうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれないか。」と、云った事の答えが、今朝見せられて来たのではないだろうか。
 其れは、2001年11月7日に亡く成った無庵師匠の御霊が、彼の世と此の世の境目に居て、今朝のメッセージの内容を組み立てているからかも知れない。其の様に考えると、「羊+言言」の字義の意味も、能く理解できて来る。
 私は、神に羊を御供えしなくてもPC相手に、こうして作業をする事で、其の「言言」の世界を完成させているのである。
 無庵師匠は、此の世に居て、私の前に、師匠の役割として立ちはだかるよりも、こうして霊界に居た方が、私の邪魔にも成らず、思考の働きの役に立っているのであろう。其れが、本来の「知・しらせ」の働きを、すると言う理・ことなのかも知れない。
私がこうして、PCに向かって文章を書いて居るのも、頭に浮かぶ音を、言葉として其の侭、キイボードに打っているだけである。
だから、私の文章は、頭に浮かぶ音を、打っているだけだと言う事に成るのである。其の音が、何故、頭脳に浮かんで来るのかは、いま気付いた事なので、説明は出来ない。
其れと同じ作用が、他の人と向き合って、会話をする事なのであろう。
 私は、其の相手が居ないので、毎日こうしてPCに向かって、夢の中の住人と会話を続けているのである。
其の毎日の作業を考えると、「善」の漢字の「羊+言言」の文字は、「PC+言言」と書き換えても良いのかも知れない。
 インドの釈迦牟尼佛は「此の道は 二人で進みなさい。だが 相手が悪ければ 一人で自問自答しながら進んだ方が 良い。」と謂っている。
其れに、漢字の「朋・ホウ・とも」は、「同門の友(同じ学びの門を 潜る仲)との意味を持っている。
 其れを考えると、私は、無庵師匠や、46年前に49歳で亡く成った父親等と朋に、同じ学びの門を潜って居る事に成る。
そして、其の門・朋こそ、額の第三の目・松果体から、PC~ITに繋がっている、「珪素・シリコン・額(ぬか・糠)」のシステムなのである。
そして、其の霊魂の安らぎの場が、屋久島の緑に覆われた、花崗岩の岩山なのであろう。・・・
「高知」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927571.html
2009/9/26「言葉は神なりき」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927940.html
2017/6/5「六合」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55615786.html

今朝のメッセージの映像では、土木や工業の世界で大成功・大躍進を遂げた男性の方は、私には何のアプローチも無かったが、決まった給料で学問・教育に関わっている様な教授・学者の様な人物が、未来社会に継続しなければ成らない大事を強く依頼して来た。
其の場面から、私に思い出されて来るのは、老子を座長として白人・黒人・インディアンの長が集まり、未来に残す夫々の民族の子孫の数を決めて居たメッセージの映像である。

2003/9/27・・私が、メッセージを受け始めた最初の頃、映って来た場面に、人類の「宗親・もとおや」らしき霊が現れた事がある。
其れは、山中に在る昔風の古い家屋に、座敷と土間があり、その土間に輪切りの丸太の椅子が有って、三名の男性が座っている。
其の三名は、インディアン風の男性と、白人と、黒人の代表みたいに見えた。
 其の三名が静かに座っていると、中国人風の男性が遣って来て、履物を脱いで座敷に上がり、無言で座った。すると、それを待っていた三名が、土間の椅子に腰掛けたまま話を始めた。
話の内容は、自分達の子孫を、どれだけの割合で残すかの相談だった。
そして、三名の話し合いが終わると、座敷に座っていた男性は、又無言で立ち上がり、履物を履いて静かに帰って行った。
 現れた男性は、四名とも魂のレベルが高く、完成された人格なのは、誰の目にも明らかな程、調っていて矍鑠・かくしゃくたる人物達であった。
その様子は、映画でも見た事が無いし、小説の世界でも描写されていない光景である。
 私が、何故、その様な場面を見せられたのかは分からなかったが、今朝「宗動」との文字が映されて来たので、18年も前の映像を思い出してしまった。
「宗霊・みたまおや」が、動き出す事が、人類にとって、吉い事なのか、悪い事なのかは、私には判断出来ないが、人類全体の未来にとっては、喜びの方に向かうのであろう。
しかし、整理される余分な血筋は、どの様に反応するのだろうか。
 野鼠・のねずみは、仲間が繁殖し過ぎると、一部の仲間を種として残し、残りは集団自殺をして、食糧難から全部が死滅する事を回避するという。
現代社会の人類の状況を考えると、異常発生した野鼠と、同じ状態だとも言える。
第三次世界大戦が起こり、若し、核が全部使用される事に成れば、集団自殺をする事に成る。私が、18年前に見せられた映像は、其の場面だった。
「人間が 此のままの状況で進めば その様にさせるしかない」との、神の意志だったのである。その事で、人間に核を創らせたのも、神の意志である事が解った。
野鼠の行動の背景にも、神の意志が働いているのである。
人間自身が、生き方を変えれば、野鼠の様に種族を残す事が出来るのである。それは、一見薄情な様子に見受けられがちだが、全体的に永いスパンで見れば、理に適っていると言える。
 野鼠が、皆で話し合って、行動に移るのではなく、全体の潜在意識の中に、其のプログラムが内蔵されているのである。其の、内蔵されている力こそ、神が介入している世界であろう。
人間の存在は、数が多ければ良いと言う分けでもない。
人間は、神の意識に拠る物を、積み上げて行く、仕組みの一部なのだから、其の役目を果たさなくては、存在する意味が無いのだ。その役割を果たすには、数だけが多くても役に立たないのだ。
 エジプトの死者の書には、「此の世には、一人の『霊止・ひと』の為に、何千人もの土を捏ねて作った、泥人形の魂の人間が存在する」と、載っている。
其れ等の、泥人形(土霊・どれい・奴隷)の魂の人達は、役目が終われば、土に還されてしまうのだ。
 私の意識が、此処までに育つのに、どれ程の人達が働かされたのであろうか。当の本人達は、自分の意識があると意っているのだろうが、それは、神がその様に思わせて、人間を使用しているだけなのである。・・・
「宗動・血筋を別ける」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925077.html
2012/9/1「神惟醫院」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54143765.html

昨日と今朝のメッセージの内容を考えると、「時が満ちた」と言う事であり、地球自身が身震いをして、不必要なモノは振り落として行くとの事なのではないだろうか。

『其の事に 貴方は絶対に 巻き込まれない様に
身の安全を図ってくださいね。
其の事が 確立・確定しなければ 
此方は 動き始める事が 出来ないのですから。』14時14分

此の女神の言葉からすると、履物(仕事)が決まっていない私は、何かの履物を決めなければ成らない事に成るのだ、今は先月買った防水の地下足袋が気に入って農作業を行っているので、其れが飽きたら、次の履物を何にするか考えて見よう。

                        令和1年9月29日

                             礒邉自適

君の星は良い方向に進んでいる





   君の星は良い方向に進んでいる
                           1・9・28

今朝のメッセージの映像は、私が寺院ではないのだが、宗教活動が行われている建物施設の中で、次々に挑んで来る行者を全て退けて、最上段の立場に至る場面が映しだされて来た。
そして、自分の姿・様子を確認すると、其れは不動明王の姿・神(はたらき)である事が理解されて来た。

其処で意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時56分・5時4分前」であった。

其れから電気を消して、再び横に成ると今度は左の耳の中が耐え難い程の痒みを覚えたので、綿棒で掻き回していたら何とか落ち着いて来た。

すると今度は、其の綿棒を密教の道具である「三鈷・さんこ」の様に扱いながら、私の身体は密教の行者の様に動き出した。
其れは、次の様な感覚である。

夢(無意識・四次元)の世界から、自分の意識(顕在意識・三次元)に移っても、私の身体は不動明王の神(はたらき)を継続しており、様々な手印を結んだり、腕や身体を動かし続けており、其れは、私の意識や肉体改造が何者かの意識で行われている事が理解される。

そして漸く、其の身体の動きが調整されて治まったところで、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時17分」であり、其の経過した時間を計算すると「21分間」であるので、私は其の数字から「弘法大師空海」の事を想った。

其れから再び、照明を消して眠ると「君の星は良い方向に進んでいる」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は、9時1分であった。

今朝告げられて来た「君の星は良い方向に進んでいる」との言葉は、人間自身が謂える言葉ではないので、何か、とてつもなく大きな意識体が、私の行動と謂うか存在を、見詰めている事を暗示させるモノである。

其の言葉から、私に考えられる事は、私が此の世界に飛び込んだ時に、私の頭を体から切り離して、左手に載せ、其れを青い地球に替え「地球の管理を行え」と告げて来た白い龍神の存在である。

2006/9/9本日9月9日は「重陽の節句」である。其れに、「ククリの日」で「白山権現菊理姫」にも関係が有る。「ククリ」とは、神霊界と人間界が「結び合う・括り合う」との意味であろう。
 昨日から、私の心身が変調を起して来て、具合が悪いと云うまでには至らないが、何だが落ち着かない。
其れは、大本教の出口王仁三郎の謂う、「9月8日の12の秘密」が、表世界に現われ始めたからであろうか。
 私の神事の始まりは、出口王仁三郎に下駄を履かされた事が切掛けだが、其れより前に、霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
 其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
 其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと摩り替っている事に成る。・・・
「自分の中に住む白蛇」
http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924527.html

其の事と、今朝のメッセージの関連性を考えると、不動明王が右手に持つ剣に龍神が頭を上にして巻き付いている事と、左手に物を縛る・括る紐を持っている事が、其の侭「白山権現菊理姫」の本体である白龍の神(はたらき)である理・ことに成りそうである。

其れを考えると、私が35年前に体験した世界が、私個人の役割から、不動明王の役割へと本日切り替わったと謂う事であり、私は此れ迄とは違う感覚で、此の神の世界に挑んで行かなければ成らないと謂う事に成る。

其の為に、今朝の現象・事象が有って、私に自信を持たせると言うか、やる気が出る様に、全ての行者を退けて、私がトップに立つ場面と、肉体現象が起こされたのではないだろうか。

不動明王(ふどうみょうおう)、梵名アチャラナータ[acalanātha][2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。五大明王の一員である、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王らと共に祀られる。
概要
密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。真言宗では大日如来の脇侍として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もある。縁日は毎月28日である。
       百科事典『ウィキペディア』2019/9/27現在

此の説明には、「毎月28日が縁日」と記されているので、正に、今朝其の不動明王が私の肉体を占有していた事と符合する。

其れに今朝、私の手が綿棒を密教の道具「三鈷・さんこ」の様に扱っていた行動は、昨日のメッセージの映像で、目線の高さに有った立ち木の「三叉」が、自分の掌の中に納まって動いていた事にも成るので、今朝のメッセージは昨日の続きである事にも成る。

不動明王は「大日如来の化身」ともされているので、其れを考えると「君の星は良い方向に進んでいる」との言葉は、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」からの物であると考えられる。

其れに、其の大日如来・マハーヴァイローチャナは「宇宙の真実の本体」との意味であり、其れを分けると「身・口・意」の三蜜と成り、其れは「マントラ・真言」に有るとの事なので、昨日のメッセージの映像で、漢字がバラバラに解体される場面が映しだされて来て、其れを、私が新しい形に組み直さなければ成らない事が示されて来た事と、関係が有る。

キー「大日如来・マハーヴァイローチャナ マントラ・真言」

2003/4/22今朝の霊夢は、私だけが、「大日如来」の姿である「阿」の真理を得る儀式に、合格する場面が映って来た。
他の人々は、文字に拠る修業だけなので、合格者の部屋には入れなかった。私が合格して、誰か、男性が私に一人付いて部屋に残った。
「阿」の字を受ける事は、大地を含む物質の世界を、全て委かされる事を意味している。
大地を委任されると言う事は、私自身の體が、大地と一体化している事になる。
都会に生れて、机上で密教の勉強をしても、大地と一体化する事はない。
今朝の夢は、他の人と、私の体験力の差が、示されていた。・・・
「阿字観・あじかん」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924983.html

2014/10/15・・彼の世から、20年振りに、4311体の聖霊を伴って帰って来た父親の、生誕100年祭の年であり、50回目の命日に、30年間掛かった神事の最終段階である「神憑り石」の搬入が出来る事は、父親の御霊だけではなく、4311体の御霊の総意でもあるのだろう。
そして、昨日前を走る車のナンバーが「3・21」であったのは、弘法大師空海の存在が関係有るとの示しであり、今朝のメッセージで、私に、次々に書面が届けられたのは、「真言宗」の開祖である空海の意志に、関係が有るのではないだろうか。
「真言」との言葉は、インドの「マントラ」の訳であり、マントラとは「マン」が「考える・人」の意味であり「トラ」は「器・皿」の意味で、マントラとは「言葉は 考える為の器」であるとの意味である。
其の事を考えると、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た大事な文章類は、其の「真言・マントラ」の世界を意味しており、全て「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の意志に適う言葉を持って、編集し直さなければ成らない理・ことを、示唆して来ているのであろう。・・・
「真言(マントラ)」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54978519.html

2017/3/21本日3月21日は、「弘法大師空海」の1182回目の命日である。
 今朝のメッセージは、其の事と関係が有る様で、文字言葉が記されている紙面が映し出されて来たが、其の紙面の文字言葉は、紙片がバラバラに切り離れてしまい、単語に繋がりが無く、文字其の物も、字型が判別できない程に薄らいでいた。
そして、其の事に付いて考えて居ると、辞典の1ページの「断」の漢字の項目に、並んでいる単語が映し出されて来て、其の中の一単語が示されて来た。
 今朝は、映し出されて来た文字言葉の様子から、文章の題は「薄らいだ言葉」か「意味を失ったゴロス」にしようと意って、PCを立ち上がると「一寸待て」との言葉が告げられて来たので、文章を打つ事を止めて、漢語林で「断」の頁を開いて見ると、今朝の映像の意味に合う「断爛・だんらん」との単語が有った。
「断爛・だんらん」書物や記録などが、きれぎれにやぶれる。・・
 此の「爛」の漢字の意味からすると、現代社会で使用されている言葉は、煮えたぎっている人間のカルマ・業の炎で、煮えすぎると言うか、傷つき破れて、本来の「力・真言・マントラ」を失っていると言う理・ことが、今朝示されて来ている事に成る様である。
 其の様に考えると、確かに、今朝のメッセージは、「弘法大師空海」の霊魂が作用して来ている事は、間違い無い様である。
其の「弘法大師空海」は、真言宗の開祖であり、高野山の開山・開基を行なった人物でもある。
【真言・しんごん】
① 〔梵 mantra〕 密教で、仏・菩薩の誓いや教え・功徳などを秘めているとする呪文的な語句。原語を音写して用いる。語句の多いものを陀羅尼だらに、数語からなるものを真言、一、二字のものを種子しゆじと区別することもある。呪。神呪。密呪。 ②「真言宗」の略。   大辞林 第三版
 真言・しんごん
密教における仏菩薩(ぶつぼさつ)などの本誓(ほんぜい)(人々を救済しようとするもとの願い)を表す秘密語、密呪(みつじゅ)。サンスクリット語のマントラmantraの訳。呪(しゅ)、神呪(しんしゅ)などとも。比較的短い呪を真言、長い呪を陀羅尼(だらに)という。思念する意のマンという動詞に、器を意味するトラが結成したと解されるので、思念の器を原義とする。また、思念する意のマンと、守護するまたは救済する意のトラーとの合成とみて、思念する者を救済すると解される。マントラは古代インドの聖典『アタルバ・ベーダ』などでは種々の呪的な言詞をさし、その多くは呪術を伴うものであった。
 密教はこの語を取り入れて、真言は諸仏菩薩などのことばとして用いられ、真実な語を意味するようになった。真言を説く諸尊の種別から、(1)如来(にょらい)説、(2)菩薩金剛(こんごう)説、(3)二乗(声聞(しょうもん)乗、縁覚(えんがく)乗)説、(4)諸天説、(5)地居天(じごてん)説に分類する。(1)(2)(3)は聖者の真言、(4)は諸天衆の真言、(5)は地居天衆の真言という。また、(4)(5)をまとめて諸神の真言ともいう。真言の頭初には帰依(きえ)を表すオームom((おん))またはナマスnamas(南無)を冠し、末尾には吉祥(きっしょう)を意味するスバーハsvh(蘇婆訶(そわか))の語を用いる場合が多い。[宮坂宥勝]
      日本大百科全書の解説
「断爛・だんらん」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55596754.html

2008/1/9昨夜は、11時にベッドに入ったが、朝まで殆んど熟睡出来なくて、多くの情報が脳内を通過して行った。
通って行った情報は、光の霊体を持つ人々や、是まで、人間が文字化した言葉や絵画等で、全部統合されて、整理箱に納められて行くのである。
 其れは、今までには無かった現象で、言葉や文字や画像を、新しく創出する作業ではなく、回収する作業である。其の、文字や絵の一部を抜き出して見ると、過去の石垣雅設氏との情報の交換や、現在の福田総理の演説原稿等である。
 其れは、人間が言葉にしたり、文字化した情報が、何等かのシステムの中に、全部記憶されており、昨夜其れが、長い時間を掛けて回収箱に回収され、整理が続いていた事を見せられたものである。
其れは、大日如来が、此の世の総べての「言葉・マントラ」を、管理しているとの事が、真実である事を示して来ている。・・・
「大日如来の記憶」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926747.html

2008/1/16・・其れは、人間が、自分の大脳が創り出してしまった世界に、負けてしまったからなのである。だから、イエスの言葉も、釈迦の言葉も、老子の言葉も、正しく伝わっていないので、宗教の世界が生まれてしまったのである。
 日本人が、外人に「貴方の宗教は 何ですか」と尋ねられて、「宗教は有りません」と応える事は正しいのである。そして、其の代わりに「御陰様」と「頂きます」を、毎日唱えているのである。其れこそが、一番大事な宗教的暮らしの世界なのである。
 今朝のメッセージの場面は、光の世界に、大日如来の窓口が設けられており、其処に、何人もの人達が、言葉を文字化した文章を、両手で捧げて持って来たが、誰一人、其の受付でパスする者は無かった。
其の原因は、「テーマ・お題目」が過去の概念からのモノであり、未来創造に繋がるモノではなかったからである。
そして、其の窓口に遣って来た者は、皆男性であった。
 今朝のメッセージは、新しい時代を切り開く為には、新しい概念と、其れを表記する新しい言葉の綴りが、必要であるとの事だろう。其れは、使い古された言葉には、間違った概念が染みとして着いているので、其の言葉を使うと、人間の意識が、過去の世界に引き戻されて、未来世界に入る事の妨げに成るからである。・・・
「大日如来への窓口」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926754.html

【2008年1月には連日「大日如来」に付いて書いて有る】

2008/1/14「大日如来 言葉の整理」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926752.html
2008/1/13「大日如来の身意口」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926751.html 
2008/1/12「大日如来 住いの維持」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926750.html
2008/1/11「大日如来 風の管理」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926749.html
2008/1/10「大日如来の水管理」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926748.html
2008/1/9「大日如来の記憶」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926747.html
2008/1/8「大日如来の節間」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926746.html
2008/1/7「大日如来の働き」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926745.html
2008/1/6「大日如来の呼吸」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926743.html
2008/1/5「大日如来の身体」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926742.html
2008/1/4「大日如来の目」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926741.html
2008/1/3「政・まつりごと」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926821.html

2017/3/17・・そして、再び電気を消して目を閉じていると、優しく力のある女性の声で「追いついて」「相手にしないで」との言葉が告げられて来た。
私、其の声の主が「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の声であると思ったので、今朝の文章の題は「大日如来の声」とした。
 今朝のメッセージは、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」との名前の意味が「宇宙の真実の本体」との意味なので、宇宙の真実の本体とは「女神・女性性」であり、地球・大地の女神だけではなく、宇宙全体の「神(はたらき)」も女性性である理・ことが、明確に成ったと言う事に成る。
 そして、「追いついて」「相手にしないで」との言葉は、私の意識よりも、宇宙意識の方が「先・前」に進んでいる事を意味しており、其の宇宙意志に追い付く為には、此の世の人間の相手をして居ては、自分が、先方に向いて進化する事が出来ないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
 其れは、人間以外の生物が、他の生き物の事を考えずに、自分自身が環境の変化に合わせて、進化して来ている理と照らし合わせて考えると、人間は大脳が発達した為に、余計な情報を取り込んでしまい、意識が、自分の躰の内側の細胞(DNA)に向かなく成っている為に、進化が止まってしまっている理・ことが考えられる。
 そして、本日が「彼岸の入り」である事を考えると、其の「彼岸・ひがん」との言葉の概念も、再検討する必要が有るのだろう。・・・
「大日如来の声」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55595776.html

此処で、「由香」の声で、床の間の壁の裏側から「どうぞ」と私を呼ぶ声が聴こえたので、昼食の準備が出来たのだろうと意い、作業を止めて台所に行くと、丁度料理を皿に盛り付けて居る所だったので、何時もは出来てから呼びに来るのに、今日は壁の向こうから呼んだのかと意って「呼んだか」と訊ねると、「いいえ」と応答するので、どう言う事なのかを考えると、其れは、床の間に掛けてある「天照皇大神」からの発生音だと言う事が判った。

そして、昼食を終えてPCの所に帰って来ると、12時57分であるので、其の声が聞えたのは12時半頃であった事に成る。
今此処で私の左手の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きた。13時1分

其れで何故だろうと思って、画面を見ると、由香の声が聞えたのは「大日如来の声」の文章を貼り付けて、行間を詰めて居る時だったので、聞えた「どうぞ」との言葉は、正に「大日如来の声」であり、其れが「天照皇大神」の掛け軸からであったのは、天照皇大神と大日如来の働きに共通性が有る理・ことが示されて来ている事に成る。
其れに、声がした高さを確認すると「皇・コウ・すめ」の文字の所付近である。

2018/5/19今朝のメッセージの映像は、私が悪事を働くと謂うか、人道に外れた行動をしている者達を、退治すると謂うか懲らしめている場面が映し出されて来た。私は、其れ等の行為は、自分の心境には全く無い世界であるので、是は不動明王の働きが現されているのだと思った。
 其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は4時29分から30分に成る所であった。
今朝は6時前に起きて、先ず「不動明王」を調べると次の様に載っている。・・
 此の説明からすると、昨日告げられて来た「密教の守護神」との言葉は、其の不動明王に関係が有り、不動明王は「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の化身であるとの事なので、是まで、私のスケジュールを管理して来た弘法大師空海の霊魂が関係しているのかも知れない。・・
 今朝のメッセージの内容と、昨日の文章の関係を考えると、密教の本尊である「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真実の本体)」の働きが関係が有り、私の是からの役割は其の大日如来の意味である「宇宙の真実・実態」を明らかにして行く役割が有るとの事なのかも知れない。
其れは、密教の「三蜜(身・口・意)」を解き明かして行くと謂う事である。
 特に、密教では「マントラ・真言」がもっとも重要とされているので、真理の言葉が必要であり、嘘(うそ)偽りが有っては成らない世界である。
其れを考えると、現在の「安倍晋三内閣」は、其の事とは全く逆の政(まつりごと)を行っているので、不動明王の立場からすれば、右手に持つ剣で切るか、左手に持つ縄で捕縛しなければ成らない人間達である事に成り、釈迦牟尼世尊の謂う「末法の世」が現実化している事に成る。
 総理大臣は国民の代表である。其の人間が、誰にも判る嘘偽答弁ばかりをして居れば、教育関係者が幾ら頑張っても、子供達の教育が上手く行く分けが無いのは明らかな事である。・・・
「不動明王の働き」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55702386.html

2011/12/13今朝のメッセージの映像には、皇太子殿下の姿が現れて、金剛界曼荼羅の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の印相である「智拳印」が、映し出されて来た。
そして、神社や寺院が、必要ではない理・ことが示されて来た。
其の後に、「長島に20億」との言葉が告げられて来た。
そして、次の映像には、女性が数名、私の屋久島の実家を訪ねて来て、「自適さんが 山梨県のピラミッド山を調べに来た時に お会いした者です」と云った。
今朝のメッセージは、新しい天皇が位に着く事を、示唆しているのではないだろうか。そして、私は「説法」の体制から、中央に座って何もしない、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の座に、着くと言う事なのかも知れない。
「智拳印」は四次元世界である「金剛界・こんごうかい」の大日如来の印相である。其れに対して、此の世界の意味する「胎蔵界・たいぞうかい」の大日如来の印相は「法界定印」である。
 今朝の映像に、皇太子殿下の姿が現れたのは、天皇の役割が「胎蔵界」の働きであるとの事なのかも知れない。
神武天皇の即位の時には、現在の様な神社は無かったであろう。
其れに、釈迦牟尼仏は寺院を建てたり、教団を造ったりする事を、禁じているので、寺院を建てているのは、正式な仏教徒ではない。其れに、私が悟ったのは、神社や寺院に関わりを、持っていなかったからである。
 其れを考えると、確かに、神社や寺院は必要ではないと言う事に成る。・・・
「説法印から智拳印へ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53425151.html

2002/12/5「仗布・じょうふ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924899.html
2003/4/30「トータリティ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924989.html
2003/9/22「尚島」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925073.html
2003/10/7「見えてきた座標軸」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924322.html
2006/2/20「大日如来の意識」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925658.html
2006/6/13「愛染明王」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925834.html
2007/1/31「純白の卵」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926138.html
2007/9/3「三本足の烏と創造性」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924554.html
2007/10/26「ノーマインド・無心」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926654.html
2007/12/16「二本の虹の柱が立つ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926713.html
2008/1/19「素戔鳴尊は大日如来の鼻の働き」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926757.html
2009/11/2「太陽の子」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928068.html
2009/6/13「天之霊継神示」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927696.html
2009/6/22「本体は女性・雌」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927707.html
2009/7/4「自由と尊重」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55989025.html
2009/9/26「言葉は神なりき」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927940.html
2009/11/22「転輪聖王」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928092.html
2010/1/13「環境は整った」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928217.html
2010/11/2「日蓮と忌部族」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928666.html
2011/1/2「言葉の差し替え」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928827.html
2011/10/30「エホバ・ヤハウェーの正体」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53189553.html
2011/11/30「三羽の鳩」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53358525.html
2013/2/6「護憲・国体」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54378277.html
2012/2/10「體と意識」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53664237.html
2012/3/21「海神から山神へ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53762143.html
2012/4/9「東の門が開く」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53810345.html
2012/11/1「祥平・しょうへい」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54240307.html
2012/11/4「籠目マークの神社」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54244832.html
2012/11/7「ペンは剣より強」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54249290.html
2012/12/8「説諭」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54296341.html
2012/11/26「ことよさし」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54279449.html
2013/2/16「エンライト」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54392638.html
2013/3/12「アセンションは脱皮」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54417523.html
2013/3/29「干からびた真実」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54437666.html
2013/5/6「岩戸開き」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54478555.html
2013/5/15「言霊釣り」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54490191.html
2013/5/17「統合・すべてはひとつ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54492127.html
2013/12/2「貴方は依頼主を超えた」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54672978.html
2014/1/19「物の関係」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54709777.html
2014/2/25「天津日嗣・あまつひつぎ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54753684.html
2014/4/27「キリストの復活」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54810263.html
2014/5/4「物が無ければ空振りに終わる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54817114.html
2014/6/8「鳩時計が壊れる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54850010.html
2014/7/4「エホバ・ヤハウェの煙幕」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54873686.html
2014/11/12「大和言葉のことだま」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55012722.html
2015/4/12「二つの理」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55215200.html 
2015/5/19「スコット・Sukkot」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55254066.html
2015/6/24「フリーメイソン・自由な石工」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55288726.html
2015/8/16「明るい笑顔の人々」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55340225.html
2015/9/4「神様の整理」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55357037.html
2015/9/19「事象の流れと人類の進化」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55370237.html
2016/4/11「行政」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55500507.html
2016/5/1「大人物」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55506528.html
2016/6/17「不確かな言葉」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55520622.html
2016/9/10「物の形とアイデンティティ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55545092.html
2016/9/23「鳥居が動く」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55548718.html
2016/11/11「たすけて」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55562413.html
2017/3/14「魂魄のルーツ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55595014.html
2017/6/23「父親の意識」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55620267.html
2017/7/15「保護プログラム」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55625788.html
2017/8/9「3時21分のカモ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55631412.html
2017/8/15「利芸具」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55632764.html
2017/11/17「思考の罠」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55653300.html
2017/11/20「あすなろの樹」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55653930.html
2017/12/7「マクロビオティックの本質」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55657626.html
2018/1/4「召集が掛かる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55662897.html
2018/2/6「剛の者」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55669113.html
2018/3/24「嘘の因幡学」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55677468.html
2018/4/22「卒業証明」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55682744.html
2018/4/19「人間の二面性」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55682217.html
2018/9/11「父性と母性」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55722862.html
2018/9/23「若獅子」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55724891.html
2018/10/4「四個のメダル」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55726898.html
2018/11/18「森羅万象とどめ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55735084.html
2019/1/24「金剛心」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55746247.html
2019/2/1「水のシャワー」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55747675.html
2019/3/24「天津日嗣の復活」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55756061.html
2019/5/8「政の原点は自給自足」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55763320.html

【此処で私の左手の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。】
                   14時41分

「大日如来・真言」で調べると、是だけ99日分の文章が有り、此れまでに最も多く触れて来ているテーマである事に成りそうである。

今朝9時1分に告げられて来た「君の星は良い方向に進んでいる」との言葉は、私が此の地球の管理を任されている事を、御存知の存在である事に成る。

其の9時1分の数字を、9月1日として今月1日の文章を確かめると「初めての事が始まる」との題であるので、其の「君の星は良い方向に進んでいる」との言葉を考えると、此の我々が住む「地球」が、何か新しい次元に進んでいる事に成るので、其れがどう言う事であるかを、確かめなければ成らないであろう。

其れに付いて、私が考えられる事は、私が突き詰めている「自らの分け(自分は何処から来て何処に向かっているのか)」との分けが、永遠に割り切れそうに無い事が、「素数」の世界と関係が有り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」と呼ばれている世界は、数字では割り切れないからこそ永遠なのであり、其れが「素粒子の振る舞い」や「陽子の重さ」などに関連している事と関係が有るのではないかと謂う事である。

其れを考えると「統尊(すめらのみこと)の御座」が身動きしては成らない事や、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の「智剣印」の意味も理解できそうな気がして来る。

其れは、何かを追い求める事・分けを知りたがる事を停止して、水に拠る禊ぎ祓い払いを行って、全宇宙の事象(森羅万象)にチャンネル(同調)する事で、「覚醒・成仏」が起きる事に関係が有り、ブッダと成った者自体には「素数(1と其の数でしか割り切れない数)」を含めて、全数が我が身と成っているので、全てが自分の体内に含有され、全ての事象に対して自由であり、何かを求める事は既に完了している事に成るのであろう。

其れが、釈迦の謂う「自分は過去・現在・未来に存在し 衆生一切わが子」との言葉の背景(真実)なのであろう。
そして、其の理・ことを示しているのが、阿弥陀如来の「結跏趺坐」の姿と「法界定印・ほっかいじょういん)」なのであろう。

何れにしても、私は新しい次元に進むと謂うか、全ての流れを「無為自然」の状態で受け入れて行かなければ成らないのであろう。

                        令和1年9月28日

                             礒邉自適

大道摘芯




     大道摘芯
                          1・9・27

今朝のメッセージの映像には、「大山阿夫利神社・おおやまあふりじんじゃ」が在る神奈川県伊勢原市の「大山・1252m」が映しだされた後、「大山水準」との文字が映しだされて来た。

次に、其の「大山」の「大」の文字を頭にして、縦に文字が並んでいる場面が映し出されて来た。
其れは、7~8段の跳び箱が逆さに成った様な文字体系あり、上の漢字文字「大」が大きく、下段の漢字が下に向かって、段々と小さく成っている場面である。

次に、其れ等の漢字文字が画数に従って、全て濃青色として分解されて行き、全てがバラバラの状態で暗い空中に浮かんだ。
そして、其れから私の意識が、其のバラバラに成っている物を、新しい漢字文字として、組み合わせる作業を始める場面が映し出されて来た。

私は、其の様子から、日本の「天津金木・あまつかなぎ」の世界を想っていた。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時18分」であった。

其れから再び眠ると、今度は、地面から一本の広葉樹が伸びている様子が映し出されて来て、其の幹は私の目線の前・位置で折れて無くなっており、其の折れ口から発芽して育った幹が、フォーク状の三叉と成って、上に向かって伸びている姿形が映し出されて来た。

其れから、「大道摘芯・だいどうてきしん」との言葉・文字が、示映し出されて来た。

今朝は8時15分前に起きて、PCを立ち上げ「大山阿夫利神社」を調べて見ると、由緒書きには次の様に載せられている。

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、今から二千二百余年以前の人皇第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられている式内社でございます。 古くから相模国は許より関東総鎮護の霊山としてご崇敬を集めて参りました。海抜一二五二米の山頂からは、祭祀に使われたと思われる縄文土器が出土しており、当山の歴史の古さを物語っております。
 大山は、別名「あめふり山」とも呼ばれ広く親しまれてきました。このあめふりの名は、常に雲や霧が山上に生じ、雨を降らすことから起こったと云われ、古来より雨乞い信仰の中心地としても広く親しまれて参りました。
奈良時代以降は神仏習合の霊山として栄え、延喜式にも記される国幣の社となりました。そして、武家の政権始まった後も源頼朝公を始め、徳川家等の代々の将軍は当社を信仰し、そして武運長久を祈りました。庶民からの崇敬も厚く、人々は「講」という組織を作り挙って大山へ参拝をしました。隆盛を極めた江戸期には年間で数十万が訪れたと記録されています。「大山詣り」と呼ばれた当山への参詣は古典落語の中でも語られ、著名な浮世絵師によって多くの浮世絵も残されています。そうした作品に描かれた躍動感溢れる人々の姿からも、いかに大山が当時の人々にとって身近な存在であったかを窺い知ることが出来ます。
また人気を博した大山詣りを背景に、多くの独特な文化が生み出されたことも大山の特徴です。源頼朝公が刀を納めた事から起こった木太刀を納める納太刀、当社の御祭神が富士山の御祭神である木花咲耶姫の父君に当たることから「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」と伝えられ、大山と富士山の両山をお参りする「両詣り」も盛んに行われました。一部地域では、大山に登れば一人前として認められると伝承されていたとも云われ、立身出世の神としても知られています。他にも一年の天候を占い農作物の豊凶を占う筒粥神事、天地の魔と穢れを祓う引目祭、夏の山開き、火祭薪能などの多種多様な神事が現在も行われ、三百年以上の伝統を誇る大山固有の大山能、そして巫女舞、倭舞も今に継承されております。
阿夫利神社は、古代から人々の心の拠り所となり、国を護る山・神の山として崇められてきました。
山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、山岳信仰の中心として、今日に及んでいます。
春は花、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪と四季折々に彩られるこの大山は今もなお、伝統と文化を継承し続け、参拝をする人が絶えません。
平成二十八年四月には「大山詣り」が日本遺産に認定をされました。
*御祭神
大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)大山祗大神は、山の神・水の神として、また大山が航行する船の目印となった事から産業・海運の神としても信仰されています。別名、酒解神とも呼ばれ、酒造の祖神として信仰もされております。富士山の御祭神、木花咲耶姫の父君であると共に絆を取り持つ神と伝えられております。

此の説明からすると、今朝のメッセージは「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」からのモノである事に成りそうである。

今朝示されて来た「大道摘芯」との言葉から、私に考えられる事は次の様な事である。

縄文杉の様な大木でも、始めは目に見えない程小さな種子から、一本の芽が出て大きく成った物であり、どんな大きな物事も、最初は極小さな出来事から始まったモノ・世界である理・ことを示唆しており、其の一本が真っ直ぐに空に向かって伸びても、細くて弱いモノ・世界でしかないので、或る程度伸びた所で、芯を摘んで枝数・幹を増やし、姿を大きくしなければ成らない理・ことを、示している。

其れを考えると、縄文杉の様な大木でも、始まりは陰陽・雌雄の「受粉」が行われて実った「実」から発芽した生命が、水分と栄養を得て大きく育った物であり、其の存在は、大木の根の中心に位置する、一年目の年輪の中心である理・ことに成る。

其れこそが、伊勢神宮の社の床下に立てられている「心の御柱」と同じ意味が有り、其れが「御祖神・みおやかみ」との言葉で表す人類の祖であり、仏教で謂うところの「久遠実成・くおんじっじょう」の世界なのであろう。

其れに、650万年前に類人猿から分離した人類の元を辿れば、40億±2億年に前に誕生した微生物に、全ての地球生物の元種子があると言う事に成り、15億年前に「真核生物」が誕生し、9~10億年前に「多細胞生物」が誕生。そして、約5億年前に海から陸に上がり、4億年前に脊椎動物が誕生している。

其れから、2億3000万年前に恐竜が誕生し、人類が神様としている「鳥類」や「蛇」の意識・記憶が生じているのである。

其れに、漢字の「龍・リュウ・たつ」は、「虫・チュウ・むし」が大きく成って角を生やした形であり、其れが「虹・風」の漢字の概念と成っている。

其れ等の事を考えると、釈迦ブッダの守護神である七つの頭を持つ大蛇の存在は、今朝のメッセージに示されて来た「大道摘芯」の言葉と関係が有り、逆さの跳び箱(ラッパ・朝顔の花)の様に上向きに、小さな文字から大きな文字に広がっていた7~8段の文字は、無色透明の太陽光線が、「水・プリズム」で七光に分光する事とも関係が有るのかも知れない。

其れは、「シアノバクテリア(約35億年前藍藻植物)」が太陽光線と水を利用して、二酸化炭素を食べて酸素を吐き出し、有機物を造り出した事にも関係があり、釈迦ブッダが覚醒した舞台に縁が有るのかも知れない。

其れを考えると、今朝「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が祭神である「大山阿夫利神社」の存在が映し出されて来て、「大山水準」との文字が示されて来た事も理解されて来る。

今朝の映像で、漢字がバラバラに分解されて、私が其れを新しい枠組みとして組み上げなければ成らないとの事は、日本の神道の伝統である「天津金木」の世界と関係が有りそうな気がする。
何故かと謂うと、其れは創造主の神(はたらき)と連結しているからである。

キー「天津金木」
2006/1/29本日は、私の59歳の誕生日である。
昼食の後、少し眠く成ってベッドに入った。すると、易占いに使う様な木の棒が現れて、一本から数が増えながら、上に何段も組み上がって行くのが、一組だけ見えた。其れだけで、他には何の説明も無かった。
 朝の映像は、DNAのいのちのシステムだったが、昼の映像は、物の世界である三次元を動かすシステムの様に感じた。
以前、天界を動かすのには、「天津金木・あまつかなぎ」と言う、易の世界が有ると聞いた事がある。
 天津金木とは、易に使う為の、特別に決められた大きさの木片(算木)を使い、天界の動きを掴み、人間の行動を予測する様なものである。
其れは、生命のシステムが、DNAの組みあがりで出来ている様に、物の世界にも、ある決まりや法則が有るとの理・ことではないだろうか。
其れを、人為で探ったり、働き掛けたりするのが「易・えき」の世界なのであろう。
 しかし今朝は、何も無い白い空間に、黒い棒が一から組み上がる場面だったので、全てがゼロから組み上がるとの理ではないだろうか。
そうであれば、私も少し、易の事を知らなければならない。
其の、極秘が理解出来れば、神界との通信がし易く成り、計画も立て易く成ると想われる。
 現在の易学は、中国で約3000年前に開発されたもので、文字より少し遅れて出来ているので、文字の概念が土台に成って、其の上に、思考の使い方として産み出されたものであると想われる。
其れは、チベットのマンダラ図と同じく、人間の思考を組む時の補助的役割をするものだろう。
 人間は、言葉を創り出してから、自分の脳が画き出す画像を言葉に置き換え、更に文字が開発されてからは、言葉を文字に拠って記録する様に成った。
そして、次に、現象界に対して具体的に動き出す為に、易の世界を考え出したのである。
 其れ等の、人間が生み出した世界が、霊界にも情報として蓄えられ、人間と神の間に、特別な関係が創られたのだ。しかし、其れ等も、人間が自分のエゴの為だけに使用する様に成れば、其の効力を失うであろう。
だから、易の世界では、正しい気持ちで取り扱う事が基本と成っている。・・・
「天津金木 1」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925630.html
2009/7/16「天津金木2」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927732.html

其れに、今朝の映像に映し出されて来た一本の木が目線の高さで折れ、其処から幹がフォーク状・三叉に分かれて天空に伸び上がっていた場面は、光の三原色の世界か、海神ポセイドンが手にしている「トリアイナ」にでも関係が有るのだろうか。

キー「三叉」

2012/8/28今朝のメッセージの映像には、宇宙空間に突き刺さる様に、黒色の長い槍の様な物が浮かんでいて、其の槍の様な物の根本は、自分の懐の所にあったので、其の槍の様な物は、自分の生命意識の根幹を、意味しているのであろう。
其れは又、時間の先端を、意味しているのかも知れない。
 其の黒い槍の様な物は、先端が三叉に成っており、手前の方にも、枝の様な物が有った様な気がする。
先端が、三叉に成っている槍は、ギリシア神話の海神ポセイドンが手にしている「トリアイナ」に似ている様な物であった。
 次の映像は、私自身が白い乗用車を運転して、彼方此方の建物を巡り、PCを操作しながら何人かの男性と話をしたが、意見の合う相手がなかなか見付からないでいた。其の白い乗用車は、私の意識の乗り物を、意味している様であった。
 其れから、何物かに貰った、一掴みの緑色の物を、湧水の所に浸していたので、其処に行って見ると、其れは、味噌汁に入っているワカメの様に、湧水の排水溝の中全体に、分裂して広がりつつあった。
「三叉の槍」に付いて調べて見るとウィキペディア辞典に次の様に載っている。
・トリアイナ(希: τριαινα)、トライデント(英: trident)は、先端が三つに分かれた漁具あるいは武器の一種。
トリアイナとは、「三つの歯」を意味する。ギリシア神話の海神ポセイドンが使用する三又銛、あるいは鉾としても知られる。もともとは漁師が魚を獲るために使っていたこともあり、ローマ時代の剣闘士の一種であるレティアリィはこの武器と網を使用し、主として魚の兜をつけたムルミッロと試合を行った。
 漢字表記では「三叉槍」(さんさそう)、また先端が戟(げき、ほこ)の場合は「三叉戟」(さんさげき)と呼ばれる。
インド神話では、シヴァ神がトリシューラという三叉戟を持つ。中世ヨーロッパでは、コルシカのコルセスカ、ヴェネツィアのブランディストックなどが、東アジア地域では三叉槍が、武器として使われた。ウクライナの国章は「トルィーズブ」と呼ばれる三叉戟をあしらったものである。
・トリシューラ(サンスクリット語は、ヒンドゥー教の神であるシヴァが片手に持つ先が3つに分かれた槍(三叉戟)。
概要 [編集]ヒンドゥー語で「3」を意味する「tri」と「槍」を意味する「sula」が組み合わさった語である。トリシルなどとも。
3つの先端はそれぞれシヴァのシャクティ (力) である、iccha (欲望、愛、意志)、kriya( 行動)、jnana (知恵) をあらわす。
なお、一部のゲームではシヴァの三叉戟はピナカまたはピナーカと書かれているが、Pinakaは弓である。
・シヴァ(は、ヒンドゥー教の3最高神の一柱。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊を司る。シヴァ神を信仰する派をシヴァ教という。日本ではシバ(湿婆/大自在天)ともいう。
ヴェーダ神話に登場する暴風雨神ルドラを前身とし、『リグ・ヴェーダ』では、「シヴァ」はルドラの別名として現われている。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれている。
 ヒンドゥー教の三神一体(トリムールティ)論では、3つの重要な神の1人として扱われ、世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をしている。・・・     ウィキペディア辞典より
 今朝の映像に現れた三叉の槍は、ヒンドゥー教の神であるシヴァの働き、・・3つの先端はそれぞれシヴァのシャクティ (力) である、iccha (欲望、愛、意志)、kriya( 行動)、jnana (知恵) をあらわす。・・に 関係が有るのではないだろうか。
其れに、湧水の中で繁殖する海苔・藻の様な物は、シヴァ神の「土地に水をもたらして 植物を育てる」との働きと、関係が有るのかも知れない。
 其の様に考えると、今朝のメッセージの内容は、シヴァの神・はたらきに関係が有り、私の意識は、其のシヴァの働きを映し出していたのではないだろうか。
確かに、今日は台風14号と15号の影響で、此の中山町にも弱い風と雨が降っている。其れは、シヴァの前身である暴風雨神「ルドラ」と関係が有りそうである。
 今朝のメッセージに現れた、三叉の槍の映像から、私が考えた事は、生命意識の原点と言うか、意識の根幹の様なモノであり、私が28年前に、神に告げられた「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」の事が、違う角度から示されて来たモノ・現象ではないだろうか。
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」とは、受け身の形態の言葉であるが、  
 今朝の映像に現れた三叉の長い槍の様な物は、根元が自分の方に有り、先端は遥か向こうの宇宙空間の中に伸びていた。
其れは、「受け身の側」ではなく、「ヤリ手・能動側か積極的な行動側」に、私の存在がある事に成るので、是までとは、立場が変わって来ている事に成るのではないだろうか。
 其れは、日本の古事記に、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の二柱の神は、天の橋に立ち「矛・ほこ」で混沌をかき混ぜ島を創ったと有る、物語のイメージに関係が有りそうで、今朝の映像に現れた槍(私の意識)を動かす・回す事で、新しい世界が、生まれるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、神・天が私の身体を使って、何かを創造する事を、唯ジーと待っているのではなく、何等かの行動を、自分から起す必要があるのだろうか。
 今朝の映像の中では、何物かに貰った一掴みの乾いた物を、美しい湧水の流の中に入れると、水の中一杯に成長拡散していた。
其の意味は、穢れの無い社会の流の中に、種子と成る物を入れる・放つと、水を得た魚の様に、元気に増えて行く理・ことを、示唆しているのではないだろうか。其れは、出雲に在る、日本初の国宝の社である「神魂神社」の、「かもす」の名前に関係が有り、神の魂を「かもす・醸す」必要がある事を、示して来ているのかも知れない。
 其れは、神の働きを意味する「麹菌・こうじきん」が、醗酵できる準備ができたので、神の種子を、湧水の流の中に放せと言う事なのかも知れない。
しかし、今朝のメッセージの映像の中では、私の謂う事と言うか、情報ファイルを理解する者が、居なかった。
 先ずは、左右の槍の役割である、傍らの「左大臣」と「右大臣」を、捜し出す必要があるのだろう。
「生命意識の根幹」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54137939.html

2008/1/28・・だから、世界中の岩刻文字表記(ペトログリフ)は、古代語である日本語でしか、意味が汲み取れないと言うのも、理解出来る事である。
だから、大日如来の身に貼り付けられる言葉は、「古代日本語・ヤマトことば」でなければ成らないのであろう。
其れは、ヘブライ語より古い概念の言葉で、「呪い(まじない)・祝詞」を唱えなければ、「ルシフェル」の力が動かないとの事である。
ルシフェルの力を、「神・ミカド」として使える者は、「メーソン・石工・149」である。
其の「メーソン・石工」の秘儀は、「岩の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用する事であると知るとき 彼は結社の神秘を学びとり ルシフェルの力は 彼のモノと成る。」と有る。
そしてルシフェルとは、「明けの明星」であり「アステル」である。
「アステル」とは「明日照る」で「明けの明星」の日本語のままである。
明けの明星とは「金星」の事であり、大日如来を信じる弘法大師空海は、四国の室戸岬で「明けの明星」が口中に飛び込んで来て、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつ ぐもんじほう」を、会得している。
其れに、ルシフェルは「三叉の鉾」を手にしているとあるが、其れは弘法大師空海の手にしている仏具と同じ物でもある。・・・
「すめらのみこと」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926764.html

2016/3/31今朝のメッセージの映像には、ヨーロッパの古代社会の様子が映し出されて来て、柄までが鉄製の、槍を持った騎士・貴族が登場し、其の鉄槍を造っている鍛冶屋の施設も映し出されて来た。
そして、其の騎士・貴族の世界には、資格や儀式が必要である理・ことが示されて来て、其れには食事のマナーが大事であり、家柄を示す紋章が必要である事が判った。
其れに、其の世界は、財産が無くなっていても、其れ等の条件が満たされていれば、裕福な家柄とも、対等に評価される理・ことが強調されていた。
 今朝の映像では、私も、其の騎士・貴族の一員としての意識で、場面を見て居たのだが、其れが夢だと気付いて、家外に出ると、太陽は真上にあり、外で見掛けた人間は、屋久島の原(はるお)地区の男性であった。
 其れに、私が野外に出たのが、屋久島の原(はるお)地区であったのは、原地区には「益救神社・やくじんじゃ」が存在し、其の神社の祭神が「山幸彦(日子穂穂手見命)」である事と関係が有るのではないだろうか。
何故なら、日子穂穂手見命は日本の皇室の始祖である、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の息子であり、神武天皇の祖父に当たる人物だからである。
 其れ等の事がらを考えると、私の眠りの中の意識は、日本国だけの歴史(御魂の連歴)ではなく、地球全体の歴史(御魂の連歴)や流れを、映し出している事に成るのであろう。
其れは、やはり私が、32年前に告げられて来た「事象の特異点」や「神の新しい座標軸」の働きを、司っている事に成るのではないだろうか。
 其れは、私の意識の段階は「王・大君・天皇(すめらのみこと)・帝(みかど)」の世界だけではなく、「家来・大臣・貴族・騎士」の意識・御魂の世界も網羅している事になり、私は庶民の立場で在りながら、全ての精神世界を、無意識の中で把握している事になる。
其れこそが、真実の「御稜威・みいつ(トランス)」の世界であり、「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の役割であると言う事に成るのであろう。・・・
「騎士と紋章」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55495785.html
2016/10/2「酉の時・トリのトキ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55551267.html

今朝告げられて来た「大道摘芯」との言葉は、単に「植物の芯を摘む」との事だけではなく、果樹園経営や盆栽の趣味を持っていた私には、様々な世界に派生して行く世界でもある。

其れは、何年目(何段)に摘み取れば良いのか、派生する芽が「東西南北」のどちらに伸びる芽なのか、何本の芽を伸ばせば良いのか、はたまた其の樹種が何であるのかなど、様々な事を考えなければ成らない世界であり、其れを新世界の人間の働きとして応用しなければ成らないと言う事なのであろう。

今朝起こされた4時18分の数字から、今年の4月18日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2019/4/18今朝のメッセージの映像は、先ず、台風の様に強弱は無い強風が、私の住んで居る二階建の木造住宅に吹いて来て、今にも家が倒れそうなので、私は家の戸や窓を取り外して、強風が家の中を通り抜けて行く様にして、何とか其の事態をやり過ごして居た。
 次の映像は、私が海岸に行くと、岩礁の浅瀬の海中に、国家の仕事として、コンクリートで大きな定礎を造る工事が行われている場面が映し出されて来た。
そして、其れが何の為の工事なのかを視察して居ると、誰だか判らない男性が来て、私を其の現場の反対側・裏側の岩場に連れて行った。そして、岩場の先端の岩の上から、浅瀬・入り江の方を眺めて居ると、急に潮が満ちて来て、歩いて陸地に帰る事が出来なく成った。
其れで、周りを見ると、私を案内した男性は姿が消えてしまっているので、私は波が穏やかな場所を探して、泳いで陸地に帰る事にした。
 すると、私は、其の場所の岩場の様子を覚えて居るのか、スームーズに水中の岩を避けて、安全な場所を泳いで無事に元の場所に帰る事が出来た。
そして、元の場所にまで帰り着くと、其処には、金色のボタンが付いた黒い服を着た、50歳代の明治の元勲が一人、私の方を見て立って居る姿が、映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時52分・7時8分前」であった。
 だが、何故か躰が重いので、再び横に成ると、今度は、写真撮影でもするかの様に、晴天の昼間に、屋久島の東南の海上から眺める風景である、海面→海岸→村里→山林→前岳→奥岳→山頂→大空と、景色が縦長の枠の中に、若葉が生い茂る初夏の自然風景として、納まっている場面が映し出されて来た。
そして、其れは、私が生まれ育った環境を示唆している理・ことが示されて来て、「無為自然」との言葉が告げられて来た。
 其れから、其れ等の意味に付いて考えて居ると、「躊躇無く行え」との言葉が一言告げられて来て、其れは、私の是からの行動に付いての指針である理・ことが理解されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は9時2分に成る所であった。
 今朝のメッセージは、昨日「明日から大事」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、私が何等かの事柄を認識しなければ成らないとの事の様である。
 今朝の最初の映像は、昨日の柳の漢字の象形が「木+卯」の組み合わせで、音符の卯(リュウ)は、流(リュウ)の漢字の意味に通じる事と関係が有り、強い「時代・事象の流転」の風流が起きるので、家中(国家中)の風通しを良くしなければ、強風に耐えられなくて倒壊してしまう理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
 次の映像の、岩場の浅瀬に国家・政府の予算でコンクリート製の丈夫な定礎が造られる場面は、日本国の文化の真髄である大祓詞(おおはらえのことば)に有る「禊ぎ祓い」の世界「筑紫の日向の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)」と関係が有り、国家を運営する役人(大臣・官僚)は全て禊ぎ祓いを行わなければ成らないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
 大祓詞「・・瀬織津比売と伝ふ神。大海原に持出でなむ。此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す。速開都比売と伝ふ神。持ち加加呑みてむ。此く加加呑みては気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神。・・・」
 其れを考えると、其の場所に、金色のボタンが付いた黒い服を着た、50歳代の明治の元勲が一人、私の方を見て立って居る姿が映し出されて来たのは、明治維新で西洋文化を急激に導入した事が間違いであったと言うか、弊害が多大であったので、原点に返って日本の国体を立て直す必要がある理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
 そして、私が産まれ育った屋久島の昼間の景色が、海面から奥岳の上空まで映し出されて来たのは、私が屋久島で子供の頃から、太陽光の下で37年間自然と戯れながら生活して来た事が関係が有り、私の肉体細胞は、自然環境と完全・純粋に「マッチ・同調」しているとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
 そして、「躊躇無く行え」との言葉は、私の意識と謂うか、脳細胞は「大自然・宇宙の道法・森羅万象の流転」と共に有るので、私の生活・風流は私個人の形態ではなく、森羅万象其のモノであるので「躊躇する事無く 言葉を紡ぐ事を行え」との事なのであろう。
其れは、其れこそが「統尊・すめらのみこと」の「御嚴・みいつ」=「御稜威 ・みいつ」であり、「詔勅・みことのり」の本質・真髄であると言う理・ことに成るのであろう。
 躊躇[名](スル)  デジタル大辞泉
あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。「躊躇なく断る」「行こうか行くまいか躊躇する」
今朝起された「7時8分前」と「9時2分」の数字から、昨年の7月8日と9月2日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。・・
 其れに、今朝「躊躇無く行え」との言葉が告げられて来て、起きた・起こされた時刻が9時2分であったのは、私は天皇家(シュメール・エジプト)の紋章である「十六方菊花紋(8×2=16)」に代わる「十八方菊花紋(9×2=18)」を作り、阿蘇の「日宮幣立神宮」の境内に立てた儀式を行った事と、関係が有るのではないだろうか。
『其れは 貴方自身の行動であって 
此方が 感知している事ではありませんよ。 
何故なら 其の様な紋章は 既に必要ではなく
其れ等の概念から 自由に成る事が 未来創造に繋がるのです。』12時36分
 此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、私が此れまで35年間取り組んで来た事柄は、全て解決済みであると謂うか、不必要なモノ・世界・情報と成っているとの理・ことであり、私は心身を一新して、新しい次元に突入しなければ成らないと言う事であり、そうでなければ私自身も物の役には立たないと言う事の様である。
 其れを考えると、やはり老子の世界こそが完璧であり、「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」に有る「老子・(道院殿老祖様)だけを中に祀り、他の神(はたらき)は外に祀れ・・・」と関係が有りそうである。
(此処で左手の薬指に強烈なカモ(神の電気信号)が起きる。)12時53分。
 此の薬指の反応・現象から考えると、今朝9時2分まで「天御臥間・ あめのおふすま」に寝かされて居た事は、昨年の9月2日時点での「伝説の谿を進む」の世界に意識の標準を合わせなければ成らないと言う事であり、其れがブラックホールの地平面であり、老子の謂う「玄・谿」の世界は、暗黒宇宙の重力界にまで、到達して(およんで)いた事に成りそうである。
「躊躇無く行え」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55760095.html

此の「躊躇無く行え」との文章の内容からすると、「三叉の槍」の世界は、私の目線の高さに有るモノであり、私は、其の理を見詰めるだけで事足りるとの理・ことであり、私自身が三叉の槍を手にして現場に出て行く必要は無く、「躊躇無く 神のメッセージの発信を行え」との事に解釈すれば良いとの事なのではないだろうか。

『その とおりよ』12時20分

此処で日付を打って見ると、本日は9月27日であり、其れは「9+(3×9)=36」の日である。

2008/9/27今日9月27日の数字は「9月(999)日」で、過去にも大事な事が起きた日である。
其れは、平安時代の天皇家の菊花紋に関係が有り、中央から三方に出ている菊の花びらが、各9弁有り「3×9=27」であったからではないだろうか。
何故、中心が有って周囲に「9・9・9」の広がりがなければ成らないのか。
其れは、昔し、日本にも仏教の曼荼羅的思考が、在ったからではないだろうか。密教の曼荼羅は、人間界を動かしている、仏の配置図である。其れは、其の仏の働きが、此の現象界に写し出される事を、意味しているのである。
 今朝のメッセージは、天界に新しいHPが組みあがり、其のHPには、新しい御世を創る為に、大事な役割の人材が、組み込まれて行く場面だった。
そして、数名のテレビで観た事の有る、30歳くらいの男女の写真が映し出されて来た。
 そして、私の左耳に、年配の男性の声で「確認を取るか」との空耳が聴こえた。
どうやら、神の世界では、急速に人選が整いつつある様である。
其れは、昨日から「天界・四次元」に、新しい情報網が組み込まれ始めた事を、意味しているのであろう。
 昨日の文章には書かなかったが、昨日のビジョンには、新しいHPの作成が映されて来た。其れは、タイトル名の背景は黒で、其の中に[・・・ f1・・]と、白抜きで文字が有り、「フレッツ光」との言葉が有った。
そして、本文の所には、澤山の横書きの日本語文字が書かれており、其の文字の中に、青色の文字が有り、其の青文字にはリンクが貼られており、カーソルを当ててクリックすると、其の課題に関したHPが開く様に成っていた。
其れは、人間の働きに関する、テーマや、課題が、何百と書き込まれつつあり、天界で情報の構築が既に始まった事を示していた。
 其のHPの「名・意味」は、私の脳を使って開発された情報が、「F1・エフワン(新品種の種子)」として、人類の潜在意識に、ばら撒かれて行く事を意味しているのではないだろうか。
其れは、私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、完成された事を意味しているのだろう。
どうやら、新しい御世の、創造計画が完成されつつあるらしい。
 今朝、人選が行われて、組み込みが始まったのは、昨日、新しいアカシックレコードの基盤と成る情報が、PCの光ファイバーの中に組み込まれたので、其の課題やテーマに合わせて「霊宿・ひと」が選ばれ、役割の位置に、嵌め込まれ始めたとの事であろう。
 此の三次元の、現実世界での動きには、物質が伴っているので、いきなりプログラムを発進する事は不可能だが、四次元の天界は情報だけの世界なので、PCと同じシステムだから、情報を入力してしまえば、それだけで済んでしまうのである。
だから二日間であっても、ある程度の完成は、可能なのであろう。・・・
「ファイナルアンサー(最後の解答)」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927201.html
2017/9/27「新しい世界と人間社会の形」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55642415.html
2017/9/28「全ての事には原因が」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55642615.html
2018/9/27「神様の世界」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55725670.html
2018/10/15「三方花の菊花石」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55728980.html

何れにしても、今朝の状況から私に考えられる事は、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の正体は奥深い物であり、中々其の真実の本体は顔を見せない様である。
其の原因は、顔・本体を見せてしまえば人間の意識(自分の探索)が停止してしまうので、遺伝子・DNA(蛇自体)の進化が止まってしまう恐れが有るからなのであろう。

其れに、私が是から考えなければ成らない事は、自分が未だ成長しなければ成らないとの考えを捨てて、自分の上に伸び上がる、新時代の担い手を育てなければ成らないと謂う事であり、自分一人の生き方・行動だけでは「大道」を開通させる事は、出来ないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
2003/11/10「頭が枯れる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924389.html

                        令和1年9月27日

                             礒邉自適

法務



     法務
                          1・9・26

今朝のメッセージの映像は、私が以前知り合いであった法務局の所長宅に、新米を持って届けに行くと、代わりに、鯵の南蛮漬けの御すそ分けを貰う場面が映しだされて来た。
そして、残っていた古米を、家畜の餌にする為に引き取っていた。

其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時20分」であった。

其れから再び眠ると、私の意識が反映している此の世(三次元世界)・人間社会の様子が映しだされて来て、人々が安心して平和に生活して居る事が理解されて来た。

其処で、左耳の所で赤家蚊の羽音が聞えたので、起きて時計を見ると時刻は5時11分であった。

其れから眠れないので、PCを立ち上げて、起こされた時刻から、今年の「2月20日」と「5月11日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。

2019/2/20私が姿が見えない男性に案内されて、都会で事業に成功した男性が、田舎で大きな陶芸窯を作って余暇を楽しんでいる所に向かう場面が映し出されて来た。
そして、窯が有る大きな建物施設に到着して中に入ると、50歳位の男性が二人作業を続けて居り、案内した男性が「社長に会いたい」と伝えると、相手の男性が「社長が来る日は秘密なのに どうして知っているのですか」と訊いたが、社長のスケジュールを知っている人間なので、親しい仲だと理解したのか、住居の方に案内した。
 そして社長が居る応接間の方に行くと、痩せ型で鋭い眼光をした50歳代の男性が居て、私達の訪問を喜んで迎えた。
其れから、奥さんがお茶を準備して出て来て、二人の息子が居る事を私に伝えた。そして、其の二人の息子が「白銀の龍の御魂」と「赤龍の御魂」を持った子供である事が映し出されて来た。
 其れから「国家鎮護」との言葉が一言告げられて来たので、其の家族は国家鎮護の役割を担っている理・ことが理解されて来た。・・
 此の「混乱期」の文章の中には『・・優秀な男性の存在が七名揃わなければ成らない・・』との事が書いて有るので、今朝のメッセージで示されて来た『・・二人の息子が「白銀の龍の御魂」と「赤龍の御魂」・・』であるとの事は、人間社会が変革を迎える時に七体のヒマラヤの神が動き出すとの事と関係が有り、七色の龍体が人間界に転生して来ている事が示されて来ているのかも知れない。
『其れは 貴方自身が 七人の若侍を
育てあげなければ成らないと言う事です。
其の為にこそ 今回のプログラムが有り
貴方が其の指揮を 執らなければ成らないのです。』8時38分
 今朝の由香のビジョンにも、20歳代のスラリとした男性が登場して、由香が其の若者の身支度を整えていたとの事であるので、今朝のメッセージは、一連の筋書きの下で、物事が進んでいる理・ことが示されて来ている事に成る。
 其れに、今朝の映像で私が姿が見えない男性に案内された場所が「陶芸窯」であったのは、私に告げられて来ている「風 麥東 陶・ふうれんとう」や「讜逓聖・とうていせい」の言葉と関係が有りそうである。・・
「風 麥東 陶・ふうれんとう」のメッセージが告げられて来たのは、・・平成6年(1994)3月21日の夜中「弘法大師空海の1159目の命日(22日未明)で、場所は「熊本県阿蘇郡蘇陽町長崎」の自宅であった。・・・と書いてある。其の事と、今朝告げられて来た「国家鎮護」との言葉は関係が有る。
 其れは、弘法大師空海が中国留学から帰って来たのが、約束より早い日付であったので、許可が下るまで宗像市に存在する「鎮国寺」に待機して居た事と、関係が有りそうだからである。・・
 今朝のメッセージは、「御稜威ライン」である東経130度30分の線帯上に建てる「夢と志の有る国 日本」の石碑と関係が有り、其の「御稜威ライン」のエネルギーが「国家鎮護」の役割を果すと謂う理・ことが、今朝示されて来たのではないだろうか。
「国家鎮護」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55750730.html

此の「国家鎮護」の内容から、今朝の映像に法務局の所長を勤めていた人物が何故登場したのかが、理解されて来た。
其れは、国家には、其の国の状況に合った法律がなくては成らないからである。

2019/5/11今朝のメッセージの映像は、先ず、世界各国の王様と謂うか、政治を司る人物の存在が映し出されて来て、其の人達の言動や関係性は、国家の都合に拠って、絶えず良し悪しが変化する様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時2分」であった。
 其れから再び眠ると、今度は、新しい建物が建築される場面が映し出されて来て、其の建物の建築は、道路に対して一番奥の壁・裏側から始まり、先ず裏の壁にライフラインである、電気・水道・ガス・トイレ等の装置・機器が取り付けられていた。
そして、其の様子を眺めて居る私の所に、一人の男性が遣って来て、人生にとって何が一番大事なのかを話し始めると、右側からもう一人男性が遣って来て、三人で会話が盛り上がり、私は其の延長で「70億人のDNA・遺伝子を調べ上げて、全ての人種の系統を図にすれば、人間の意識と言うか、迷いがすっきりするのではないか。」と話すと、其の二人も其れに賛同する意思を見せた。
私は、其の二人の様子を見て居て、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「真に信じられるモノは 此の自分の躰である」との世界を思い出していた。
 其処で、何物なのかは判らないが、私の脳裏に囁き掛ける声が一言聞こえて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると7時22分であった。
其れから台所に行き、穀物コーヒを飲みながら蓬団子を食べて、庭の草木の葉に着いている雀の糞や、サッシ戸のガラスに付いている埃などを、ホースで水を掛けながら洗って、餌の米を撒いて、PCを立ち上げ「真に頼れる物は自分の躰」との題を打ってから、今朝起きた・起された時刻7時22分の数字から、昨年の7月22日の文章を視て見ると、何と、其の釈迦牟尼世尊の言葉が書いて有るのである。
 此の現象の考えると、今朝7時22分に私の内部で囁かれて来た言葉は、私の内部と謂うか、意識の奥に、其の釈迦仏陀の御魂が棲んで居るとの事でに成り、2005年8月23日のビジョンで私のPCの中に「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の姿が納まる場面が映し出されて来たのは、PCの中ではなく、私自身の肉体に納まったと言う事だった様である。・・
 此の文章の内容は、今朝のメッセージの映像で三人が話して居る時に、私が「70億人のDNA・遺伝子の系統図を作り上げれば、人間の意識と言うか、迷いがすっきりするのではないか。」と謂って居た事が関係が有り、精神論ではなく、DNA・遺伝子の世界から「生命」の謎を解明・追及して行けば「命・口+令」の漢字の意味・象形は不必要に成って来ると謂うか、新しい文字・概念が必要と言う事に成りそうである。
 其れに、其の世界が確定されれば、人間社会の根本原理が認識されて来るので、其れに従い国家間の政(まつりごと)も安定し、今朝最初に示されて来た外交関係も平和・安定したモノと成るであろう。
其れに、其の映像の後起された時間2時2分から、今年の2月2日の文章を見ると、何と「肉体」がテーマである。・・
 此の文章の中に有る、「・・私の左側に姿が見えない長身の男性の存在が有り、『もう一度見たい』と謂うので、私は其の鉢を太陽光線が当たる所に移動して、葉の表面に光が当たる様に調節していた。・・」との事は、昨日のメッセージの映像で、大きな反射鏡を調整して居る男性が映し出されて来た事と、関係が有る様である。
其れを考えると、70億人の人類だけではなく、40億±2億年前に地球に誕生した生命の基だねの所に迄、我々人類全体が意識を戻す必要が有り、其れこそが仏教に有る「覚醒・成仏」や「久遠実成・くおんじつじょう」等の言葉・概念の重要性なのであろう。・・
 其れに、今朝の映像で三人が話し合う場所が、新しい家を建てる現場であり、最初に組み立てが行われる場所・部分が、道路に面した玄関口ではなく、裏側のライフラインであったのは、釈迦牟尼世尊の謂う「真に頼れる物は此の自分の肉体だけである」との言葉と関係が有り、自分の魂しいの鏡である「顔面」を完成させる為には、自分の生活環境条件が最も重要である理・ことが示されて来ているのであろう。
 其れを考えると、釈迦牟尼世尊の謂う「精進」の言葉が重要であり、日本の「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が務めた「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割が、最も重要であると謂う理・ことに成るであろう。
 其れを考えると、私が初めて、其の「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御陵が有る島根県大田市の物部神社に参拝した時に、「此処がお前の神社である」と告げられて来た事が関係が有り、私は今一度「土肥無庵」に捜し出された次元に戻る必要が有るのかも知れない。・・・
「真に頼れる物は自分の躰」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55763782.html

此の文章には、冒頭に・・世界各国の王様と謂うか、政治を司る人物の存在が映し出されて来て、其の人達の言動や関係性は、国家の都合に拠って、絶えず良し悪しが変化する様子が映し出されて来た。・・と、書いて有るので、今朝、「人々が安心して平和に生活して居る様子」が映しだされて来た事とは、反対であると言う事に成る。

其れを考えると、平和で安心して生活できる世の中を創造する為には、私に示されて来ている「天・神」の意思を真剣に受け止めて、実行しなければ平和な世の中が実現しないと言う事なのではないだろうか。

其の様に考えると、此の私に、傳え続けられて来ている情報は、其の天・神の意思であるので、私に傳えられて来ている事を実行しなければ、天神の協力が得られないと言う事であり、現在の不安定な世の中は、改善されないと言う事に成りそうである。

其れは、本来なら「天皇・大君・みかど」が為すべき役割であるが、現在の法律(憲法)では、其の天皇の「詔勅・みことのり」が禁止されているので、天神が天皇の口を借りる事が出来ない為に、其の天皇の役割が、此の私に委ねられて来ている事に成るのだろう。

そして其の事の為に、今朝のメッセージで、私が法務局の所長と「御すそ分け」を交わす様な親しい間柄である事が、示されて来たのであろう。

其れは、「天皇・大君・みかど」の立場は、一般社会の人間とは触れ合っては成らない理が、最も基盤と成る決まりであるので、法務を司る立場の人間と、心を許し合う関係にて、天神の意思を、地上(人間界)に法として、宣ずる必要があると言う事である。

「宣・セン」【解字】形声。「宀+亘」音符の亘は、めぐりわたるの意味。天子が臣下に自分の意志をのべ、ゆきわたらせるへやの意味から、一般に、のべるの意味を表す。
【字義】①のべる。㋐行き渡る。行き渡らせる。広める。㋑示す。知らせる。㋒言う。述べる。「宣言」㋓明らかにする。表明する。㋔あげる(揚)発揚する。②のる。のたまう。言うの敬語。また、みことのり。詔勅。「勅宣」③とおす。流れを通す。また、通る。④あまねし。(遍)明らか。
            漢語林より

2013/7/20・・今朝のメッセージの映像には、縦長の透明な三本の筒の様な物が並んでおり、其の筒の中に三人の男の子の兄弟が、其々に入って立って居る場面が映し出されて来た。そして、其の三兄弟の長男は、何故か、私の意識と通じている事が理解された。そして、「宣事情報」との言葉が示されて来た。
PCで「宣事」を検索すると、其の様な単語は無く、「宣旨」の言葉が有り次の様に説明されている。
・せん‐じ【宣旨】
1 奈良・平安時代、天皇の意向を下達すること。また、朝廷の命令を下に伝えること。宣。
2 平安時代以降、天皇の命を伝える文書。勅旨を蔵人(くろうど)が上卿(しょうけい)に伝え、上卿は外記(げき)または弁官に伝え、弁官は史に伝えて文書を作る。・・
宣事情報とは、「宣事」の漢字を調べると次に様に載っている。
「宣・セン」の漢字は、「宀+亘」の組み合わせ。音符の亘は、めぐりわたるの意味。天子が臣下に自分の意志をのべ、ゆきわたらせるへやの意味から、一般に、のべるの意味を表す。
【字義】①のべる。㋐行き渡る。行き渡らせる。広める。㋑示す。知らせる。㋒言う。述べる。「宣言」㋓明らかにする。表明する。㋔あげる(揚)発揚する。②のる。のたまう。言うの敬語。また、みことのり。詔勅。「勅宣」③とおす。流れを通す。また、通る。④あまねし。(遍)明らか。   漢語林より
 其れを考えると、子供達への教育の在り方も見えて来るし、人間社会に必要な決まり・憲法なども、何を一番重要とすれば良いかも、必然として明らかに成って来る。
其れは、現在の貨幣経済システムの「経済発展」の考え方とは、反対の所にある。何故なら、「経済発展=環境破壊」だからである。
そして、地球環境を護る事は、人類や地球生物の問題だけではなく、神々にとっても最大事のことであるとの理・ことであろう。
其の様に考えると、此の世界は「ありとあらゆるもの物」が、一体と成って存在している事に成り、地球・水・生物・人類・神と別けられる物ではないと言う理・ことに成る。
其れは、「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」が、他に在るのではなく、我々自体が、其処に、其の侭存在すると言う理・ことに成るのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージに示されて来た「宣事情報」とは、人間界だけを対象としたモノではなく、此の宇宙を構成する全ての存在に対して、宣下される物であるのかも知れない。・・・
「宣事情報」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54552317.html

2016/7/18今朝のメッセージの映像は、先ず、私が、敵からの攻撃を避ける為に、寺院の施設の一つである、大きな仏像(阿羅漢)が飾られている櫓の中に避難すると、其の奥から一人の尼僧が出て来て、私を安全な所に案内した。
其処には、70歳位の僧侶が一人居て、私を受け入れてくれた。
 そして、其の寺院の中に置かれている、古い時代の備品を私が調べて居ると、昔し秘儀に使用していた石製の物が有って、其の石製の中の一つに、皿状の形の中に、窪みが、横に三箇並んでいる物が有った。
私が、其の皿状に成っている石版に触ると、其の石皿の中に転がっていた小石が勝手に動き出して、三つの窪みの中に、三個・三組が夫々綺麗に収まった。
 其の様子を視て居た僧侶(住職)が、何処かに連絡すると、風変わりな人達が次々に集まって来て、私の向かい側の廊下(回廊)に、七福神の様に座り始めた。
私は、其れ等の人物達と、会話を交わすと、其れ等の人物は、私が此処まで成長する段階を、三次元世界・現実社会の人間に依り憑いて、支えて来ていた存在である事が理解出来た。
 そして、私が座っている側の人間と、向かい側に座る役割の人達が揃った時に、女神の声が聞こえて来て、物事が「事業」として動き出す事が告げられて来た。私は、其の女神の声で、何が始まるのだろうかと想い、自分が座って居る右側を見ると、一人分の席を挟んで、「饒速日命・にぎはやひのみこと」の御魂を意味する「前田氏」が来て座って居り、私に「600時間3秒」と謂った。・・
 今朝告げられて来た「事業」との漢字の意味は、辞典に次の様に載っている。
*「事・ジ・こと」【解字】象形。「木の枝+札+右手」神への祈りの言葉を書きつけ、木の枝などに結び着けたふだを手にした形にかたどる。祭事にたずさわる人のさまから、しごと・つかえるの意味を表す。
【字義】①こと。㋐ものごと。「事物」㋑ことがら。「事態」㋒しごと。つとめ。「事業」「事務」㋓できごと。「事件」「事変」㋔まつりごと「政治」②こととする。専念する。務め行う。③つかえる。主君や目上の人などに仕える。「師事」④用いる。使う。使役する。⑤とどまる。  
*「業・ギョウ・ゴウ」【解字】象形。のこぎり状のぎざぎざの装飾をほどこした楽器を掛ける板の象形で、かざり板の意味を表す。音形上、厳に通じ、きびしい学芸の習得行為、仕事の意味に用いる。
【字義】①わざ。㋐こと。仕事。つとめ。「事業」㋑しわざ。おこない。㋒てがら。いさお。功績。「功業」㋓学問。技芸。「学業」㋔なりわい。世渡りのしごと。よすぎ。「生業」②はじめ。はじめる。基礎。端緒。③すでに。まえに。もはや。④やしき。土地。建物の類。「別業」⑤いた。(板)。㋐鐘・鼓を掛ける横木をおおいかざる板。㋑書きつけの板。書冊。⑥仏語・ゴウ。身・口・意が行う善・悪の報いを引き起こす行い。「善業」「悪業」  漢語林より
此の「事業」との漢字の意味からすると、神に対する「禱りの言葉」を捧げる祭事の「業・仕事」が必要であると言う事に成り、其れは、昨日のメッセージで示されて来た「真理の殿堂」の建物が、どの様な意味を持つかが、示されて来ているのであろう。・・
 其の「三本の筒」の様な物は、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た「密儀」の石皿の中の三つの窪みと関係が有り、其の窪みの中に収まる三個の小石は、「Tritarte fur・トライタルトファー(天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠)」に関係が有り、今朝のメッセージの内容は、其のトライタルトファーの世界が動き出した事を、示して来ているのではないだろうか。
 今朝、私に「600時間3秒」と告げた「前田氏」の顔は、右ほほに黒子(ほくろ)が有り「伊藤博文」の様な雰囲気が有ったので、前田氏の存在が、伊藤博文と同じ様な役割が有る事を、示唆しているのかも知れない。
「伊藤博文」、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により清國から朝鮮を独立させた(第一条)ことが特記できる。元老。・・・
   ウィキペディアフリー百科辞典 2016/7/18現在
此の「大日本帝国憲法の起草の中心となる。」との事からすると、昨日のメッセージに有った「憲法違反」との言葉とも関係が有りそうである。
今朝のメッセージから、私が感じた事は、2014年12月25日(Xマス)に起こされた時に、時計の三本の針が「6・6・6」に重なっていた事と、今年・16年6月6日に、事象の切り替えで、新しい「時・とき・紀」が始まる事が示されて来たことが関係有り、其の666(物の世界)の数字に、三個の「333(精神)」が加えられて「999(完成)」の神の世界が、始まるのではないかと言う事である。
 今朝の映像の「回廊」での神々の集いでは、姿を出さない女神の存在が、司会者と言うかアドバイザーの様な立場で、私の判断や意いに対して、数回言葉を掛けて来て、私の気持ちの動向をサポートした。
其の現象は、今回の「天石門開き(次元上昇・アセンション)」は女神の世界で開くと言う事であり、是までの日本神話で、「天照神・女神」が岩戸に閉じ籠もって、男性神である「たじからお命」が外に出したとの事とは、男女の立場が逆に成る世界が、始まると言う事なのかも知れない。
 其の様に考えると、是から開始される「真理の殿堂」で働く人材(神々)には、女性の「能力・ちから」が必要であると言う事に成る。
「顔を見せた岩戸開きの神々」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55529937.html

此処まで打って来ると、今朝のメッセージも漸く辻褄が合って来た様である。

其れに、此の「顔を見せた岩戸開きの神々」の文章の内容からすると、天神の世界では、大体の段取りは整って来ているとの事であり、後は、私自身の覚悟なのか、人々の天神への認知度の高まり次第であるとの事なのかも知れない。

                       令和1年9月26日

                            礒邉自適
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