素足で地球にアース
1・9・30
本日で9月が終わり、明日から10月である。
私は、32年前の1987年10月1日に群馬県の赤城山神社で、石垣雅設氏に「11月21日」に「スピリチュアル・タイム」の集いを行う事を提案して、其れが開催された11月21日は旧暦の10月1日であった。
そして、其れは今月12日に「全力で頑張って」と告げられて来て、「セットレバー」の歌が聞こえて来た事と関係が有りそうである。
2016/10/2昨日10月1日が、とても大事な日であった事が判って来た。
其れは、昨日10月1日が、旧暦の9月1日であり、月齢は0・1である。
そして、其の日付に付いて3月29日のメッセージで告げられて来ており、其の日のテーマは「王の存在の秘密が 一部公示される」との事である。
其れに、1987年10月1日に私は群馬県の赤城山神社に参拝してから、スピリチュアルタイムの会合を11月21日に開催する事を決めて、其れが後に旧暦の10月1日である事が判明した。・・
其れに、30日の12時頃、床に就いて目を閉じて居ると、0時過ぎに、腹部がキリキリ痛み出して、昨日の午前中まで続いていたので、私は盲腸炎にでも罹ったのだろうかと思って居たが、畑で作業をして居る頃には、其の症状は消えてしまっていた。
私は、其の痛みに付いて考えて見ると、其れは、「時間の操縦士」と関係が有り、石造りの「チャクモール」のお腹の所に、生きた人間の心臓を取り出してお供えする事と関係が有り、私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まったと言う事に、成るのかも知れない。
其の様に考えると、時間の操縦士の臍から天空に伸びる生命の樹の梢には、時を知らせる「雄鶏・酉(鳥)」が止まって居り、其の下の枝の左右には、蜥蜴と太陽がぶら下げられている事と関係が有り、今朝の映像は、上記した「王秘一部公示」の続編であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「酉の時・トリのトキ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55551267.html
此の文章には、「・・私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まった・・」と書いて有るので、今朝「地球にアース」との言葉が告げられて来たので、起きてPCを立ち上げると時刻が9時1分であった事と関係が有りそうである。
其れに、PCを立ち上げると「6月13日」との日付が告げられて来たので、
今年の「9月1日」と「6月13日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/9/1昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると「初めての事が始まる」との言葉が一言告げられて来た。
そして、眠ってからの映像には、彼方此方で長く冬眠していた熊が、起き出して来る様子が映し出されて来て、其の準備・対応を急いで行わなければ成らない事が示されて来た。
其れは、熊の姿は全く見えないのだが、人里に近い山中や、人間が飼っている熊や、動物園などの熊の事であり、腹が空いている熊が人間社会に一気に目覚めて出て来れば、危害・被害を人間社会に与えるので、早急に対策を計らなければ成らないとの事である。
だが、騒いでいる割には、熊の姿が一頭も見えないので、其れは動物の熊の事ではなく、人間が長い間意識が眠って居て、其れが全国(世界中)で一気に目覚めて来るので、其の混乱でパニックが起きる事を示唆しており、早急に対策を計らなければ成らない事を示唆している理・ことが理解されて来た。
そして、私も其の対策に出掛けなければ成らないと意い、服を着替え様とすると、壁に掛かっている服は、冬用の分厚いオーバーコートだけであり、其の服を着てしまえば、寒くは無いが、身動きが出来なく成る物である事が判った。
次に、何処かの家の中が映し出されて来て、家内に有る古い服や不必要な物が、廊下に山の様に集められている場面が映し出されて来て、其れは、不必要な物を全て処分しなければ成らない事が、示されて来ている理・ことが理解されて来た。
次に、姿は見えないのだが中年の女性(女神)が誘いに来たので、私は其の女性と一緒に出掛けた。
そして、到着した建物の中に入って声を掛けると、姿がはっきりしない中年の男性(男神)が上から梯子で下りて来て、棚から生ビールのジョッキの様な器を取ってカウンターの上に置き、鳥龍茶の様な飲み物を半分程注いでくれた。
そして、カウンターに高い丸い椅子を二脚置いてくれたので、私達は其の高椅子に並んで座った。
其れから、暫くすると三人で一緒に出掛ける事に成り、其の男性が自分の左胸と、私達の左胸に、マゼンタ色の「牡丹・ぼたん」様な花のリボンを付けてから歩き出したので、私達は多くの人々が待つ会場に、貴賓として、招かれている事が理解されて来た。
其処で、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時57分・6時3分前」であった。
其れから再び眠ると、私の顔が、丸い向日葵の様な形に成っている映像が映し出されて来て、其れは満面の笑顔であり、私自身がとても驚きを感じて居る場面であったので、どうやら、私が自分の顔を鏡に映して見て、其の自分の顔に驚愕して居る場面の様であった。
そして、其の画面の意味は、100%の陽性の魂しいを示唆しており、1%の陰の影も無い事が理解されて来た。・・
今朝は、9時25分に起きて・起こされてPCを立ち上げると、「何でも彼んでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと次の言葉が告げられて来た。
「何でも彼んでも 噛んで見なければ
納得しない貴方は 困ったモノね。
でも そんな貴方が 逞しい相手だからこそ
此処まで 物事が進んで来たのだから
何も 文句は言えないわね。
ですが 此処から先は 何事にも
自分から手を出しては なりませんよ。
何故なら 今後のスケジュールは
決定しているのだから 貴方が勝手な
動きをすると 全て停止してしまうからです。
貴方には もう 自分の持ち時間は 何も有りません。
ですから 貴方は頭を空にして
唯 事象の動きに 身を任せて居なさい。
其れだけが 貴方の役割であり
それ以外の動きをする事は ご法度です。
此処まで 進んで来た事を
壊す様な事を 起こしては成りませんよ。
(ゆっくりしなさい それが一番良い方法なのです)
「初めての事が始まる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55795220.html
2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。
其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず起された時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、何と、題名が「時間厳守」である。・・
此処で「何がおきても」との言葉が告げられて来た。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との
言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には
何も関係が無いのですから 馬耳東風の気持ちで
トキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです』10時00分
ばじ-とうふう【馬耳東風】
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。 三省堂 新明解四字熟語辞典
「土肥無庵」は、他人の家を訪問する時は、何かが有って遅れては成らないので、近くまで行って措き、約束の時間ジャストに玄関の呼び鈴を押す事を徹底していたし、私と二人で福岡空港でタクシー乗り場に向かうと、「自適さんが三歩遅れた。あのタクシーに乗らなければ成らなかったのに」と謂うので、次の機会に、私が早足で歩くと「自適さん 前のタクシーに乗ってしまうよ」と謂っていたので、自分の歩く足と心臓の鼓動に、身を任せていた様である。・・
今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのであろう。・・・
「切り開く能力・ちから」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55769303.html
此の二つの文章のテーマを繋ぎ合わせると、「初めての事を 切り開く能力・ちから」と成るので、12日に告げられて来た「セット・レバー」との言葉と関係が有り、明日10月1日から、何かの神事が開始されると言う事なのではないだろうか。
昨日は、午後急に睡魔が襲って来たので、縁側のソファ・椅子に座って目を閉じると、瞼に映像が映しだされて来た。
其の映像は、玉突き台の数倍有る広さの台に、赤い火星を思わせる様な色の「ピンポン玉・ゴルフボール」位の大きさの球が、何千個も隙間無く並んでおり、隙間は手前の穴の周囲だけで、残り10個程が枠内に入れば、自動的に、増えた分だけ穴の中に落ち込んで行く事が理解されて来た。
昨日は、其の映像が何を示唆しているのかを考え続けていた。
そして、今朝のメッセージの映像は、私がトイレの便器の下を見ると、其の下は糞尿が満杯に溜まっており、お釣りが跳ね返る事が判ったので、外に出て様子を確かめると、其れは学校のプール程の大きさが有るコンクリート製のタンクであり、少しでも雨が降れば、降った分だけ溢れ出す事が判った。
其れで、実家の方に向かうと、母親が私の事を捜しており、其の理由は東京の祖母「加藤キイ」が癌で危篤状態であるとの事なので、二人で祖母の所に向かう事に成った。
だが到着すると、祖母は既に死亡しており、棺(ひつぎ)の中に寝かされている事が判った。
其れに、其の棺は、頭の方を台の上に残して、足の方は半分以上、右下の床に斜めにずり落ちているのである。
其れらの映像の意味に付いて考え始めると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私の意識が、光輝く部屋の中から、エレベーターに乗り込むと、其のエレベーターは地上に降りるモノ・便であり、途中から一人の男性神(はたらき)が乗り込んで来ると、私は其の男性の誘いで、途中で降りて一緒に廊下の様な所に出た。
すると、其の空間は映画のマトリックスの様な世界であり、私の意識は、映画の中の主人公「ネオ」が、迫り来る悪の世界に自ら飛び込んで、全てを光エネルギーに変えてしまう場面と似た様な状態と成り、此の人間社会に存在する「光ファイバー」の情報網の様な世界に、繋がった状態と成っていた。
私は、其の世界に興味を覚えたので、長らく彼方此方の世界を、遊ぶ様に確かめていた。
そして、三次元世界である人間社会に直接関わる下層に下りて行った所で、其の光りの世界と言うか神(はたらき)の世界は、闇の世界(人間社会)に接触した所為か、急に終わってしまった。
私は、其の映像から、自分が此の世界に飛び込んだ時に、自宅の裏に立っている電柱の高圧トランスのマイナス電気から始まり、安房川の発電所から宮之浦の工場まで走っている送電線からマイナス電気を自分の身体に充電して、様々な奇跡現象が起き始めて、鉄道のレールやコンピュター回路、電電公社や空港のアンテナなどに、自分の意識・エネルギーがチャンネルして行った事を思い出していた。
そして「地球にアース」との言葉が告げられ来たので、起きてPCを立ち上げると、時刻は9時1分だったのである。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、昨日の昼間の映像に映しだされて来た、何千個の球が台の枠内に並んでおり、間も無く飽和状態と成って下に落ち始める事と、今朝のトイレがタンク・プールから溢れ出す場面に関係が有り、何らかの事が満タンに成る・限界に達しているとの事が示されて来ている事に成る。
其の事と、私の母方の祖母「加藤キイ」が癌で死亡すると言うのは、名前の「キイ」が「鍵・キー」を意味しており、其れが癌であると言うのは、77億人に膨れ上がった人間が、地球環境を破壊している事と関係が有り、其れは人間の癌細胞と同じ様に、人類が地球(マトリックス・母体・基盤、数学の行列)を破壊している事を示唆しているのではないだろうか。
其れに、其の祖母は1999年5月3日(103歳4ヶ月)で亡く成っており、其の命日「5月3日」は憲法記念日であるので、今朝の映像で其の祖母の棺が台の上から床に傾いて落ちていた場面は、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」が地に落ちる寸前である事を、示唆しているのであろう。
其れを考えると、憲法で「政・まつりごと」に天皇の「詔勅・みことのり」が禁止されている事を取り消し、本来の天皇の役割を復活させるか、「政教分離」に従い、国政から天皇家を分離して、民間の神社庁で「伊勢神宮」及び「天皇家」の面倒を見る体制に変革する必要が有る事に成る。
其の様にすれば、現在年間170億円(プラス大嘗祭の経費)も掛かっている・使っている「天皇家」と「宮内庁」の税金も必要では無くなる事に成る。
今朝のメッセージの映像で、私が体験していた世界こそが、本来の「現人神(あらひとかみ)・統尊(すめらのみこと)・大君」の神界(はたらき)を示しており、其れが「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の神事の真実である事に成る。
キー「天の御臥す間(あめのおふすま)」
2014/7/26・・今日は、遅い朝飯を昼前に摂って、PCに向かって作業をして居ると、急に眠気が襲って来たので、仏壇や神棚が有る部屋に横に成って、目を閉じて居ると、左側に年配の男性が座って、私の身体に、何等かの儀式をしている事が、見えて来た。
其れは、其の部屋が「天の御臥す間」と成っており、私の側には「御祖神・みおやかみ」が付いている事に成る。
其れを考えると、私の現在・いまの状況は、1984年6月4日に屋久島の自宅の二階で起きた、事が再び始まっている事に成る様である。・・
其の要に考えると、昨日の植物の作品が、全て鏡の額に貼付けられていたのは、鏡は神の世界を意味しており、其れ等の作品・布は、神の世界を意味していたのかも知れない。
其の様に考えると、「御贖(みあか)の儀」に何故、植物製品の「御麻・あさ」「荒世(あらよ)、和世(にこよ)」が必要であったのかが、理解できそうな気がする。
・あらよ【荒世】大祓(おおはらえ)の際,御贖物(みあがもの)の料として神祇官から天皇に奉る荒栲(あらたえ)の衣。 ↔ 和世(にこよ)大辞林
これ等の世界を調べて行くと、今朝のメッセージの映像で、土俵の様な感じで映し出されて来た舞台は、天皇家の儀式として大事な「御贖(みあか)の儀」や、12月と6月の年二回行われる「大祓の儀式」に関係が有り、「大宝令の神祇令(じんいれい)」に関わりが在る様である。
其れは、「天津日嗣(あまつひつぎ)から国民に向かって発令された指令であり予言である」との事なので、今朝のメッセージで、私が是から準備をしなければ成らない文章・情報とは、世界の民に向かって「天津日嗣の太祝詞を宣る」作業をする必要があると言う事に成って来る。
其れを考えると、私を捜し出して此の神の世界に入れた「無庵師匠」が、私に 「世の中が行き詰った時に 台の上に上がって 人々に話しをするのが 自適さんの役割です」と云った内容が、現実の事として始まるのだろうか。
其の様に考えると、「・・・しよう」との手紙は、「早く始めないと 全てが崩れ去るので 始めましょう。」との、文面だったのかも知れない。・・
本日が、マヤ暦を参考とした「13の月の暦」の元旦とされている事が、此の世で、現実の力を持ち始めているのかも知れない。
其れを考えると、私が、世界の新しい暦・カレンダーを作製しなければ成らないと考えている事も、今朝のメッセージの「天津日嗣の太祝詞」の一部に成っているのかも知れない。・・・
「天津日嗣の太祝詞」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54893864.html
2007/8/2今朝のメッセージには、何と、読んで良いのか分からないが、「杖功主」との漢字が現れた。
何を意味するのかと思い、漢語林で調べると「杖」は【解字】形声。「木+丈」の組み合わせで「ジョウ」と読み、音符の丈は、木の棒を手にした形にかたどる。長い木の棒の意味を表す。【字義】①歩行を助けるためにつく棒。②つえつく。③よる。たよる。たのむ。④とる。もつ。
其れに「杖家」の単語が有り、其の意味は、50歳をいう。昔、50歳に成ると家の中で杖をつくことを許されたのでいう。また60歳を「杖郷」70歳を「杖国」80歳を「杖朝」という。と 載っている。
是に因ると、私は今年60歳になったので「杖郷」である事になる。・・
この様に、調べた結果「杖功主」は「じょうこうしゅ」と読み、「杖を突いた 功績の有る人が 中心に在る」との意味に成る。
私は、現在60歳なので、既に杖を家の中で突いても良い「杖郷」である事に成る。
私は、此の神の世界に入った時は、まだ38歳だったが、何故か、神に杖を持たされた。其れから、既に23年が過ぎている。其の、「杖・ジョウ」を持たされた意味が、何であったのか、今朝、知らせて来たのであろう。
明日、8月3日は、私の両親が屋久島に渡って来て、61年目の記念日である。其の日を前にして、「杖功主・じょうこうしゅ」との文字が、映されて来たと言う事は、何かの深い意味が、神の世界では有るのではないだろうか。・・
新しく、エジプトの墓から発見された棺の中には、木の杖が、ミイラの手に握られていた。
其のミイラは「ツタンカーメン」の部下で、現場の指揮を執る権利が与えられていたらしい。其の、権利を証明する物が、杖だったのである。
古代では、杖を持つ事がどう言う事なのか、皆に認識されていたのである。
其の事を考えれば、私が何故、杖を持たされたのかも理解されてくる。
日本の天皇家で、一番大事な儀式である「大嘗祭」の儀式が行われる「アメノオフスマ・天の御伏す間」にも、杖が備えられるとの事である。
其の杖が、真実の杖として力を持つには、新しき代替わりの王が、神に、其の資格を認められなくては成らないのである。
しかし、昭和天皇が亡くなった1月7日の深夜に、昭和天皇の御霊が私の心臓に飛び込んで来て、大喪の日には「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た。其れに、昭和61年1月10日の近江神宮の大祭(天智天皇の命日)では、「天智天皇」の霊に「ひもろぎの 代々の乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と告げられてもいる。
其れは、正しい「天津日嗣・あまつひつぎ」の儀式が、宮内庁で行なわれていない事を意味している。
日本の伝統が、復活する為には、天皇陛下が、其の杖を手にして、国民の前に立つべきなのである。其の日が来る迄は、私の役割も解かれる事はないだろう。どうやら、私の役割は、エジプトのトト神で書記官なのであろう。
結果が出る迄は、此の作業が続けられるのだ。
「杖功主」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926457.html
2012/10/27「賢所・かしこどころ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54232938.html
2017/9/28「全ての事には原因が」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55642615.html
今朝は、祖母の棺の意味を考えて居て意識が目覚めた時刻は「3時13分」であった。其の数字は、私が昭和天皇の御大葬日(2月24日)の未明に告げられて来たメッセージに付いて調べていて、3月13日に阿蘇に在る「日の宮幣立神宮」に初めて参拝した日付である。
其れを考えると、御大葬日の朝、自動書記にて書かされた「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」との昭和天皇の言葉と関係が有り、明日10月1日から、其の昭和天皇の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が現実の事として、開始されると言う事なのかも知れない。
キー「3月13日 日の宮幣立神宮」
2018/3/13平成元年3月13日に、初めて阿蘇に有る「日宮幣立神宮」に参拝してから、本日で30年が経過経過した事に成る。
昨日は、本日の為に「3月13日」と「日宮幣立神宮」の件に関しての文章を調べた心算であったが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係が有り、昨日の作業は、昭和天皇の御魂の指示で始まった日宮幣立神宮の神事が、締め括られた事に成った様である。・・
今朝のメッセージの様子と謂うか、意識の状態から、私が感じる事は、1984年6月4日(旧暦5月5日)の禊ぎ祓いの儀式で起きた、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の現象から始まった、覚醒(解脱・成仏)に因る様々な出来事が、昨日で一段落したと言う事に成り、其れが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係があり、其の事は、天神(てんのはたらき)の世界でも、了承済みであると言う事なのであろう。
私は、今朝のメッセージの映像から、田舎の農家が生活に行き詰っている状況から、後継者も居ないだろうとの事を考え、日本国の経済の仕組みが、貿易中心であり、農村・農家・農業を切り捨てている事を考え、イザ何かが起きて、貿易が停止した時には、大変な事に成ってしまう事を考えた。
そして、其の事を考えて居て、未来を「創造」しなければ成らない行為は、「覚醒」の行為とは、全く「反対・逆・相反」する世界であると考えた。
其れは、仏教(釈迦の教え)は、人間が「自分の本質に目覚める事」に付いての理・ことを解いているモノであり、其れは人間が、他の生物と同じ世界に住み、其の世界と言うか、背景が「宇宙全体・時空」のプログラムであると言う理・ことを認識する為である。
だから、釈迦の教訓には未来創造の為の手法は無く、寧ろ其の様な考え・行為を止めなければ成らない理・ことが、説かれているのである。
其れは、人間の脳の仕組みが、過去の情報を思い出す事と、未来を創造する事を、同時に行え無い理・ことを示唆している。
其れを考えると、私の意識状態は、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との男性の存在が、管理・コントロールしている事に成り、私の脳の働きは、既に、私自身の物ではないと謂う事に成るのであろう。
其れは、私が本物の「霊留・ひと(人)」であり、私は「空蝉・うつせみ・空だ(躰)」状態であると言う事に成る。・・
考えて見れば、私が「日宮幣立神宮」に参拝する事に成った原因は、昭和天皇が1989年に身罷った事に有るので、1984年に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の中には、昭和天皇の御霊は入っては居ないのである。
其れは、時空の時間軸で考えれば、4311体の御霊の上(近系列)に、昭和天皇の御霊の存在が在った事に成るので、昨日、チョッペンに最後のピースが嵌められた事と関係が有り、昭和天皇の御霊の思頼も、叶ったと言う事に成るのであろう。
其れに、いま頭に浮かんで来たのだが、昨日の「ピース(部分・小片)」が、シリンダーの「ガスケット(パッキン)」であったのは、シリンダーの内部で発生する「熱エネルギー」を、外に漏らすなと言う理・ことであり、私の是からの役割は、太陽活動や地球のマグマから送られて来るエネルギー(生命の炎)を、漏らす事なく管理して、三次元世界に「御稜威 ・みいつ」しなければ成らないと言う事なのかも知れない。・・・
「覚醒と創造は相反」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55675607.html
2018/3/12・・此の「3月13日 日宮幣立神宮」で出て来た文章の中には、2017年3月12日以外に、2006年「初参拝」、2006年「迫って来た神の計画」、2013年「アセンションは脱皮」、2014年「天津日嗣の糸」、2016年「国家の柱」が有り、特に12年(一干支)前の2006年3月12日の「迫って来た神の計画」は、本日のメッセージと関係が有りそうである。
其の文章の中には「・・今朝のメッセージの映像には、無庵師匠が現れ、新しい船をトラックで運んで来て、一緒に、川に浮かべ進水式をしてから、海に乗り出す場面を見せられた。そして「インターネット・ジャパン・インストール・熊本」との言葉が告げられ、阿蘇の「日宮弊立神宮」の参道に生えている、御神木の杉の木がバチッと音を立てて、光りを発するのが映されて来た。・・・」
と書いて有るので、今朝『ここで 一度切り替える為』と告げて来た男性の声は、私を1983年3月18日に探し出して、此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」に関係が有るのかも知れない。
私は「土肥無庵」に捜し出されてから、後6日で35年となる。
其の時私は36歳であったので、来年72歳を迎える私は、其れまでの年月と同じ年月が、此の世界に取り組んでから経過する事に成る。
「天津金木の完成日」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55675436.html
今日の文章の題は、今朝のメッセージの内容から、私が再び履物を下駄にしなければ成らないとの事から「履物を下駄に」としなければ成らないと考えていたのだが、起きる時に告げられて来た「地球にアース」との言葉が気に成るので、ミックスして「素足で地球にアース」とした。
私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」で、最初に登場したのがマクロビオティックの創始者である「桜沢如一」で、二番目に登場したのが出口王仁三郎で私に下駄を履かせたのである。
其の下駄は、奈良の石上神宮の社で、天界に返上されるビジョンが映しだされて来た。
昨日は、自分の履物が決まっていない事が示されて来ていたので、不安定さを感じて居たのだが、今朝文章を調べて居ると、次の文章が出て来た。
2014/12/29今朝のメッセージの映像は、私が何処かの建物の部屋に、金色の「草履・サンダル」を脱いで上がると、70歳くらいの黒い服を着た男性が居て、私に全ての事を委任する短い杖を渡した。そして、私の左胸に花弁の様な形をした「黄金のバッジ」を装着してくれた。
そして、其れは「動く為の物」ではなく、「動かない為の物」である事が示されて来た。
そして、最後に矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の存在が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、是までのビジョンには無かった場面であり、私に新しい世界と言うか、是までには無かった立場が与えられるモノの様である。
「黄金のサンダル」で、私に思い当たるのは、踵に菊花紋の印が付いているエジプトのプスセンネス1世(1070~945 B・C)のサンダルで、今朝の映像で私の左胸に付けられた、花弁のバッジとも関係が有りそうである。・・
普通に考えれば、「サンダル」と「杖」は、人間が歩く時に必要な物であり、胸に着ける黄金のバッジや勲章は、人前に立つ時に装着する物である。
其れが、「動く為の物」ではなく「動かない為の物」である事は、どう言う意味が有るのだろうか。
其れは、今朝の品物は、王様に与えられる物であり、其れを与えられた人物は、何時も決まった場所に、動かないで居なければ成らないと言う事なのではないだろうか。其れは、王様が何時も決まった場所に居なければ、「政・まつりごと」が行えないと言う理・ことを、示して来ているのかも知れない。
其の様に考えると、私が「王道」とのブログを開設した事は、天神(てんのはたらき)の意思に適っていると言う事に成り、新年を二日後に迎える此のタイミングで、其れが示されて来たと言う事は、来年から、其れに関する出来事が始まるとの事であろうか。
今朝は最後に、奈良の矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の存在が示されて来た。
其れは、昨日のメッセージの「日本から世界に拡げる物」と関係が有り、矢追日聖氏が建設した「大倭あじさい邑」の在り方や、矢追日聖氏の考え方が、新しい社会の雛形として、世界に伝えられるとの事ではないだろうか。・・・
「黄金のサンダルと王様の杖」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55081264.html
此の文章の内容からすると、私は35年前の世界に還るとしても、下駄を履く必要は無い様である。
だが、「御稜威 ・みいつ」を行う為には「大周天・だいしゅうてん」を行う必要が有るので、仙人杖や足の履物は、自然の物でなければ成らないので、化学製品で代用する事は出来ない。
特に、雷が落ちないビーチサンダルは、最悪の物である。
何故かと言うと「気・マイナス電気」が大地にアースしないからである。
キー「大地 アース」
2007/7/2私は23年前、無庵師匠の下で修行を続けて居る時に、様々な不思議な事が起こり始め、其の原因を師に訊ねると、「其れを 自適さんに 説明しようとすれば何ヶ月も掛かるので 説明できないが 全てが電気である」と教えられた。
其の時は、其れが何の事であるかは能く理解できなかったが、今では、其の事に付いて大体は理解出来ているし、其の説明も、私なりに出来ると想っている。
此の宇宙の、あらゆる物質は、原子の回転法則で生まれている。
其れは、一億分の一の目に見えない世界(ナノスペース)から、大きな太陽系や銀河まで、皆回転に因って生じており、其の回転には電気が伴っていると言う理・ことである。
つまり、原子の周りを電子が回転する事で、原子の周りに磁気が発生するのである。其れは、太陽の周囲を惑星が回転している事と、同じ仕組みなのである。
其れは、我々が日常使っている電気が、コイルの回転に拠って摩擦電流を発生さす事から生まれているのと、同じ様なモノ・現象と言えるだろう。
全ての存在物は、原子と電子の回転に拠って生じている物だから、物が磁気を帯びているのは当然の事である。其れは、鉱物や植物だけではなく、動物の一種である我々人間の肉体も、同じ仕組みで出来ている物なのである。
我々の手足が動くのも、脳から指示されて流れる、電気信号に拠るものであるし、其の脳も、電気で動いているのである。
人間にとって、一番大事な器官と言われている心臓さえ、心電図で表される事で明白な様に、電気で動いている。そして、人間の生死の判断は、脳波の停止に拠って決められているが、其の脳波も電気信号の産物である。
だから、生命現象も、皆電気現象で成り立っていると言えるのだ。
其れは、動物だけではなく、植物からも、磁気信号が発せられている事が分かっているので、植物も電気エネルギーを使って生きている事は明らかである。
私は23年前、其の電気の世界に侵入して行ったのである。
其れは、地球自体に発生している磁気(マイナス電気)周波数(チャンネル)と、自分の周波数を同調させる事である。
其れは、通称「アース」と呼ばれているもので、電気機器から地面に流されるマイナス電気(粒子)と同じ物である。
我々、此の地球に生きる生物は、全て、其の大地から流れているアース電気と交流しながら、生きているのである。だから、裸足で地面に立つ事は、身体にも良いと言われているのだ。
其の理・ことを、頭に置いて考えれば、大地と生物は、アース電気によって、互いに繋がっている事に成る。其の事で、昔から一番大事にされて来たのが、水晶や花崗岩の、石英タイプの炭素系の磁気周波数である。
其れは、古代の宗教遺跡や、伝説を調べれば、明らかな事である。
イスラエル・ユダヤの石工の伝承でも、「メイソンの秘儀とは 石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフエルの力は彼のものと成る」と伝えられている。
其れは、宇宙の回転する渦巻きの力・エネルギーは、花崗岩の磁気信号とチャンネルし、自分の生体電気をコントロール出来る者が、此の宇宙を、管理出来る理を伝えている。
其れは、昔から、其の様な力を持っていた者が、存在していた事を意味している。
現実に、其の様な力を手にした者が居たからこそ、この様な言い伝えが残されたのである。其の事が23年前、如実に、私の身体を通じて、現実として起きたのである。
其れは、無庵師匠の身体を流れる磁気情報を土台として、私が更に、チャンネルを深めて行って、可能にした世界である。・・
夫々が、大地・ガイヤーと意識・チャンネルが通じれば、隠すべきモノが無くなり、全てがオープンに成るので、人々の心は、善悪の価値観を超えて、自由に成るのである。其れが、エデンの園の意味なのである。
私は、其の世界に23年前に到達し、先達として、其の時間(事象)を広げて来たのだ。もう其の結果が、公けの物と成り、私の存在も、必要ではない時節が到来するのではないだろうか。
「全てが電気」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924544.html
2015/1/14今朝のメッセージの映像には、先ず、地面の中から伸びて来ている、一本の緑色の電線「アース・earth」が、途中で切れているので、其れを繋がなければ成らない様子が示されて来た。
次の映像は、安房の私の自宅が在った通りの、家並みが全て取り壊され、新しく建物が建築される為に、地面に頑丈に被覆されている、大きな高圧電気配線の工事が、行われている様子が示されて来た。・・
今朝の最初の映像に、緑色のアースの電線が現れたので、先ずアースを調べると、次の様に載っている。
【アース】
1電気装置を大地につなぎ、電位を等しくすること。また、その接続線。装置の保護、感電防止のために行う。接地。
2地球。大地。
アース【earth】
接地ともいう。電気回路の特定の部分を積極的に大地の電位にすること,または,機器のケースなどの大地電位になりやすい部分に接続すること。アースの目的は二つあり,感電や漏電事故を防止することと,信号を伝送する際に雑音を受けにくくすることである。洗濯機のケースを金属性水道管などに接続するのは前者で,絶縁不良でケース線に漏電した場合,漏電遮断器があれば,アースに電流が流れたことで回路を開き,なくても漏電電流はアース線を流れるが,アースを設けなければこの電流は洗濯機に触れた人体を流れる危険がある。
世界大百科事典
今朝は、驚いた事に「高圧電線 マイナス電気」で、以前の文章を検索すると、今朝のビジョンに現れた「アース(マイナス電気・大地に逃げている粒子)」と、弟の事が書いてある2008年5月23日の文章が真っ先に出て来た。・・
此の文章の内容から考えられる事は、今朝の映像にも、私の弟「農夫成」と娘「舞光」が登場しているので、アースとアンテナに関係が有り、今朝の映像の意味は、地球のアース・電気と、プラネット・惑星の情報システムの事が、示されて来ている様である。
そして、私が大晦日の夕暮れ時に、私を取り上げた安房一番地の産婆さんの家に辿り着いた事や、娘「舞光」が案内した、カウンターバーの若いマスターが、現代社会の文化文明に長けていたのは、世代交代を意味しているのではないだろうか。
そして、新しい建築現場に、高圧の電気システムの配備がされていたのは、未来社会の情報管理を担う、大型アンテナが稼働する事を、意味していたのではないだろうか。
私を捜し出して、此の神の世界に入れた故「土肥無庵」は、生前「全てが電気」であると謂っていた。・・・
「アース・earth」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55101169.html
2008/7/16・・私が、荒野で修行をして居る時は、屋久島の花崗岩を走っている、石英の道筋の上で瞑想をして、第三の目である松果体(珪素・シリコン)と、其の石英の道の周波数・波動が共鳴した時に、岩が弾け飛んだり、其の石英の道筋に生えている草が焼け焦げたり、天気が急激に変わったりした。
其れは、100円ライターに火が着く事で、科学的に理論は証明されている。
石英に電子を送り込むと、何万倍にも増幅するので、火が着くのである。
其の理で考えれば、人間の生体電気で、額の松果体から磁気を発すれば、花崗岩を走る石英の線上で増幅され、島中の花崗岩に影響を与えて、島の磁気波動が変り、天気に影響が出るのは、不可思議な事ではないのである。
其れに、私が、此の世界に入った時には、大地の情報が「赤龍・エネルギー体」と成って、私の身体に情報を送り込んで来たのである。
そして、私は、安房川の発電所から、宮之浦の工場に電気を送っている高圧電線の下に行って、高圧電線から、大地にアースされているマイナス粒子を、身体に直接充電して、時空を操り、新しい時間軸を創造したのである。
其の時、時空に穴を空けて、4311体の霊魂を、現在の時間軸の中に集合させたのである。其の時と同じ事が、昨日、起きたのかもしれない。・・・
「蜂鳥の左足・ウィツィロポチトリ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924560.html
2006/7/7「雷は神なり」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924523.html
2018/9/13「男性意識と女性意識」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55723124.html
2014/2/10「新時代の幕開け」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54738935.html
2018/5/2明日5月3日は「憲法記念日」である。
其の事と関係が有るのか、憲法の存在は、直接に人間を幸福にする物ではない理・ことが示されて来た。・・
私が、憲法に付いて知っている事は、聖徳太子の「十七条の憲法」や、明治時代に作られた「大日本帝国憲法」、其れに戦後にアメリカ占領下で作られた現在の「日本国憲法」の存在である。・・
今朝のメッセージから、私が考える事は、「イエスキリスト」や「釈迦牟尼世尊」、其れに老子などの聖者は、人間が決めた法律・憲法などには、関係なく生きた人達であり、憲法や法律を制定する権力者や政府の役員には、聖者は存在しないと謂うか、神の意思には繋がれない存在であると謂う事である。
其れは、イエスキリストや釈迦牟尼世尊は、人間社会から脱出する事を薦めているし、老子も退職後は町を抜け出して行方不明に成っている事で顕かである。
其の事を考えると、人間は自由に生きなければ、天神(宇宙意志)に仕える事は出来ないし、DNA・遺伝子の進化も無いと言う事に成るのだろう。
其れは、人類以外の地球生物には、憲法や法律等の決まりが存在しない事で顕かである。
そして、生命が存在する決まり・定めに付いて、老子は「道・タオ」と謂い、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は「法・ダルマ」と謂い、イエスキリストは「永遠の命」と謂っている。
考えて見れば、世界中では未だに紛争や戦争が続けられている。
其れは、国の憲法や、国連憲章などの決まりでは、統制できない世界である。
其の事を考えると、我々は真の自由や幸福を得る為には、新しい次元に意識を向ける必要が有るのだろう。
其の為にも、人間の魂しいの鏡である表情の表し方・現れ方に付いて、洞察する必要が有るのだろう。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージ「自由を奪う現在の宗教世界」の続きであり、人間は真の自由を得ていなければ、本来の姿に還れない理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「憲法と人間」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55684638.html
「大地 アース」で検索すると、此の「憲法と人間」との文章が出て来た。
此れは、今朝の映像に私の祖母の棺(ひつぎ)が登場した事と「憲法」が関連している事を暗示している。
其れを考えると、「此の世=死体=霊界=神界=宇宙」の関係性を、電気的に考え直す必要が有るのではないだろうか。
昨日の午後、睡魔と共に映しだされて来た、赤い火星の様な色合い・模様の何千個もの球は、何を意味しているのであろうか。
私には、其れは、火星に海や緑の自然が何も無い理・ことを示唆しており、其の球は、地球に住んで居ても、「生命・いのち・こころ」が伴っていない人間の魂しいの事を示唆しており、現在の世の中には其の様な人間が溢れて来ているので、其の様な精神状態の人間がこれ以上増える事は、人間の排泄物を浄化する地球の力は限界に来ている事とも関係が有り、これ以上、地球にダメージを与えている人口の増加は、阻止するとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
其れは、此の生命活動に溢れた地球の自然環境を愛し・感謝し・大事に慈しむ者しか、住む資格を有しないと言う理・ことなのであろう。
履物に付いては、確かに、此の様なPC作業を続けるだけなら、私は格別な履物は必要ではないと言う事なのかも知れない。
其の様な気持ちで、余裕を持って、明日10月1日と言う日を迎えれば良いのであろう。
此処で、床の間に掛けてある「天照皇大神」の掛け軸の所から、何かの球が落ちて転がる音が聞こえて来た。午後3時00分
令和1年9月30日
礒邉自適