『世界の識者が語る池田大作』という学会本がある。
学会系雑誌パンプキンに連載された同題シリーズをまとめたもので、全3巻からなり、" 海外の識者がいかに池田氏を尊敬し絶賛しているか"を喧伝するために、数十名の要人や知識人による池田氏への賛辞が数々引用されている。
しかし、個人崇拝組織が編んだこの手の海外絡みの自画自賛本は、読む際に以下のような視点を持つことが必要だ。
(1)識者の発言(外国語)は正確に翻訳されているか。改竄、付け足し、隠蔽、誇張はないか。
池田創価には過去に、トインビー書簡を改竄翻訳したり(*1)、名誉称号証書に書かれている授与理由を粉飾翻訳したり(*2)といった実例があり、これは特に要注意だ。原文と詳細に見比べない限り気づかれないので、強引な我田引水がやりたい放題になっている可能性がある。
(2)池田氏への賛辞は寄付貢献への御礼の社交辞令に過ぎないのではないか。
ミクロの貢献(大学への寄付や図書贈呈など)に対して、マクロ的表現(“平和・文化・教育への卓越した貢献を讃えて”など)の賛辞を贈ることは世の慣例としてよくあることだ。これを、寄付したことは触れずに賛辞だけを聖教に載せ、さらに「池田名誉会長の平和・教育思想が絶賛された」などと言い換えていくのが聖教の常套レトリックであるが、これにより学会員読者の脳裏には「センセイの思想全般が海外で認められている。センセイは偉大だ」というイメージが積層されていく。
(3)池田氏への賛辞は、池田氏が先に褒めた相手からの単なる「褒め返し」ではないのか。
ロシュフコーという17世紀のフランスの作家の名言に次のようなのがある。
「人は普通、賞賛されんがために褒める」(*3)
これは、私の薀蓄ではなく、ネットでたまたま見つけた知識の受け売りだが、けだし至言である。もちろん日常生活においては我々は下心なく純粋に誉める場合もあるが、池田氏の場合は、「誉められたくて誉める」という社交術を最大限に利用しているように見える。その端的な例は池田氏から要人に贈られた自作詩である。1987年ごろから2002年までの贈詩リストを(*4)見ると、その15年間に、彼は海外の著名人100人ほどに詩を贈っている。いずれもその人物を絶賛する内容の詩である。しかも、それらのうち有名どころをピックアップして調べたところ、贈詩した日付はその人物と初対談の日(あるいはそれ以前)であることが分かった(*5)。
相手も人の子だ。誉められて嫌な人はそうおるまい。自分のことがポエムに詠まれ、しかも褒めちぎられていれば、「遠来のジャパニーズ・イケダはかくも私を理解し、称賛してくれているのか」と、たいていは感激するはずだ。そしてそのお返しとして、また礼儀として、学会側から渡された池田プロフィールをもとに、最大限の抽象的賛辞を池田氏に浴びせ返すことだろう。そして、その賛辞がフューチャーされて聖教一面を飾り、『寸鉄』で何度も流用され、池田スピーチ内で自慢話として繰り返され、やがて池田礼賛特集本にコレクションされていくのだ。
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さて、プロローグが長くなってしまったが、ここから本題に戻る。
冒頭で紹介した『世界の識者が語る池田大作』は本シリーズの参考資料として先日入手したものだ。そこに池田ークマナン美談が取り上げられていることを知って、中古本を買ったのだが、池クマ美談はよほど自慢の話らしく、第1巻のトップの章で扱われていた。
同書で美談は一体どのように綴られているのか、見てみよう。
ちょっとその前に、同書を読んで新たに知り得た事実を一つ紹介しておく。これは今回の問題を考察する上でかなり重要な情報である。
私は、クマナン氏が読んで感動したという池田氏の『母』の詩は、1971年に発表された長編詩『母』のことかと思っていたが、実は婦人部愛唱歌のために作り直された(というか長編詩の一部を切り貼りした)歌詞の方であった。『世界の識者が語る池田大作』に次のように書かれている。
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95年、議長は世界詩歌協会会長のスリニバス博士から英語に翻訳された池田名誉会長が作詞した『母』の詩を紹介された。(第Ⅰ巻p14)
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『母』の歌詞は創価学会公式サイトで見ることができる。
http://www.sokanet.jp/kaiin/songs/haha.html
クマナン氏はこの短い歌詞を読んだだけで、池田氏を“生涯の師と定めた”のだそうだ。詩の技巧や感性に惚れ込んで“詩の師匠”として仰ぐというならまだしも、“生涯の師に定めた”と言うのだ。話があまりに突飛すぎはしないか。
同書によると、クマナン氏は『母』の歌詞の英訳を読んで以下のように述懐したのだそうだ。
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「池田先生はご自身が書かれた詩のとおりに現実社会のなかで闘っていらっしゃる。先生こそが私のずっと捜し求めていた師匠であると確信しました。私は歓びのなかで師匠のために何かせずにはいられませんでした。『母』を通して池田先生は、女性こそが生命と平和の守り手であると叫ばれた。そうだ女子大学をつくろう!わが身を教育に捧げ、師匠の平和構想の一翼を担っていこう。さらに師匠の素晴らしさを、師と共に生きられるこのときに、小さな村々にまで伝えていくのだと決めました。
(同上 p15、16)」
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まるで学会の模範男子部員の決意発表のような内容だが、恐らくこれは、クマナン氏の原寸大の述懐ではなく、パンプキン(学会)側の創作がかなり入っていると思われる。
そもそも、あの歌は母性をただただ賛美しただけの内容であり、「池田先生はご自身が書かれた詩のとおりに現実社会のなかで闘っていらっしゃる」などの認識や感想が生まれる要素はどこにもない。また、「師匠の平和構想」なるものも表現されてはいない。しかも、2001年にクマナン氏が語った話(弊ブログのインド創女シリーズ[1]で引用済)によると、クマナン氏は1995年に「母」の詩を読んだ時点では、詩人Daisaku Ikedaについて、詩人であること以外にその素性も社会的立場も活動も主義主張も何一つ知らなかったはずである(知り始めたのは1996年8月以降)。そんな池田属性情報を全く持たぬクマナン氏が、あの短詩を見て上記のような認識や覚悟に到達し得るはずがないのである。
恐らく執筆者は、学会がずっと喧伝し続けている“一篇の『母』の詩を読んで即、池田氏を生涯の師匠と定めた”という筋書きでは余りに単純で唐突すぎるため、動機部分を膨らませてもっともらしく見せたかったのだろうが、粉飾し過ぎて却ってボロが出てしまったようだ。
もう一つ、上の述懐文には決定的にオカシイ点がある。「そうだ女子大学をつくろう!」のくだりだ。上記では“『母』の詩からインスピレーションを得て女子大設立を思い立った”かのような文脈になっているが、2001年のクマナン談話では、女子大設立構想は1988年からすでにあったと言っており、上記はそれと時系列が矛盾する。(下記参照)
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クマナン議長:じつは10年ほど前。(蛍注:1988年)、セトゥ・バスカラ学園が設立された時、「将来、女子大学をつくろう」と考えていました
(聖教新聞2001/9/20 『SGI会長 インド「創価池田女子大学」一行と語らい』より)
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クマナン氏の章の執筆者は、“センセイの『母』の詩には、クマナン氏に女子大設立を決意させたほど偉大な力があるのだ”と読み取らせたくて、時制を歪めて書いてしまったのだろうが、過去の聖教記事との整合性を調べなかったのは『世界の識者~』(=パンプキン)編集者の杜撰であろう。
以上のように、『世界の識者~』に“引用”されたクマナン発言は、2001年に聖教に掲載されたクマナン談話との違いが大きく(というか粉飾や改竄が著しいので)、全く信用できない。かと言って、2001年のクマナン談話が絶対の真実かというと、そうとも限らない。学会メディアが伝える海外モノは、本稿冒頭で述べた(1)識者の発言(外国語)は正確に翻訳されているか。改竄、付け足し、隠蔽、誇張はないかに常に注意を払わなければならない。とは言っても、2001年のクマナン-池田対談の聞き書きデータでもあれば、その比較検証は可能だが、そんなものはないので、ここでは、学会が喧伝してる池クマ美談のストーリーの不自然さや現実との不整合について考察し、美談が捏造された可能性を追究していくことにする。
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池田-クマナン師弟美談の疑問点
先ず、学会が喧伝する池クマ美談の中で最も首を傾げたくなるのは、クマナン氏が婦人部愛唱歌『母』の歌詞の英訳を読んだだけで、池田氏を「生涯の師と定めた」という点だが、これは本稿の主眼となるテーマなので後でじっくり吟味する。その他の疑問点を先に挙げておくと、主に以下のようなものがある。
●2001年の聖教掲載の池クマ対談では、クマナン氏は1996年に来日するまで、池田氏の属性(大学経営者、宗教団体指導者)について全く知らなかったという設定になっている。しかし彼は彼と親交のあったスリニバス氏やモハン氏が運営する世界詩歌協会、世界文化芸術アカデミーの30年来のメンバー(*6)であり、またスリニバス、モハン両氏はそれぞれ学会本部で池田氏と対談しており(*7)、池田氏の教育者、宗教者としての側面については当然知悉していよう。(対談の中で仏教や御題目にも言及あり)。さらにクマナン氏が『母』を読んで感動したという1995年には詩歌協会から池田氏のパトロンぶりが讃えられて世界桂冠詩人称号が贈られている。etc.(まだあるが割愛)。.こうした関係性や時系列を考えると、クマナン氏が1996年まで池田氏の属性について全く知る機会がなかったというのは極めて不自然である。
●聖教情報によると、女子大の名に「創価」と「池田」を冠することをクマナン氏が申し入れ、池田氏が許諾したのは、1999年8月である(*8)。しかしクマナン氏と池田氏が初めて対面するのは、その3ヶ月後の11月のことである(*9)。つまり、池田氏は一面識もない外国人に“戸田の命よりも大切”として先師が築きあげてきた「創価」のブランドを、唯々諾々と与えたということになるのだが、常識的には考えられない順序だ。もっとも、女子大が池田創価主導で創立され、クマナン氏は単なるビジネスパートナーであり、雇われ理事長に過ぎないということなら、そういう順序もありえる。
●創価は「クマナン博士」と必ず”博士”をつけて呼称するが、本当に博士なのか。
というのは彼が正式な博士号を持っているという証拠が全く見当たらないのだ。以前、インド創女のオフィシャルサイトがリニューアルされる前、クマナン氏のプロフィール・ページがあった(今はない)が、そこには自らが属している世界文化芸術アカデミーからもらった名誉文学博士号と、創価大学の名誉博士号の二つの“名誉”付き博士号は紹介されていたが、正式な博士号取得についての記述はなかった。(魚拓をとってなかったのが残念)。
また、創価大学平和問題研究所のサイトhttp://www.supri.jp/topics091122.htmlにクマナン氏のプロフィールがあったが、「数学と教育学の分野で学位を取得。」としか書いていない。ただの大卒でも「学位を取得」と言えるので、これでは何だか分からない。出身大学名も分からない。同ページの他の学者のプロフィールと比べると極めてあやふやな学歴情報である。クマナン氏は本当に(正式な)博士なんだろうか?
以上の3疑問については、今のところこれ以上追及できる材料がないので、疑問提示だけして、「不思議不思議」とだけ言っておく。
さて次に、
最大の疑問点である「『母』の詩を読んで池田氏を“生涯の師”と定めた」とする池クマ師弟美談の核心部分について考察する。クマナン氏は最初からそして今も本気で池田氏を「師匠」と仰いでいるのか。結論から先に言うと、「否!」である。もちろんそう結論づける理由と根拠はある。
記述を続けたいが、字数制限により全部を書ききれない恐れがあるので、稿を改める。次稿はあまり時間を空けずに更新できると思う。大体次のような内容になる予定だ。
・池田氏を“生涯の師匠”と定めてかれこれ18年になるが、“弟子”クマナン氏がいまだに学会に入信していない不思議。
・“インド創女の全学生が「イケディアンの宣誓」”(聖教記事)の眉唾
・“池田思想”を実は全く理解できていない“弟子”クマナン氏
なお、皆さんから戴いたコメントへのレスポンスもサボったままですが、まとめてレスする予定です。すみません。
出自urlなど-----------------------
(*1)弊ブログ(トインビー対談を提案・要請したのは誰か)http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51401389.html
(*2)弊ブログ(名誉の水増し潤色)http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51769104.html
(*3)ロシュフコーの箴言http://sekihi.net/writers/1327
(*4)池田詩集リストhttp://newfnet.blog62.fc2.com/category1-1.html
(*5)初対談の時に贈詩された例(一部しか調べていない。そのうち全部調べる予定)
・ムバラク大統領へは、「太陽の国『人間』の光彩-- 尊敬するムバラク大統領閣下に捧ぐ」1992.6.16(対談の日)
・ゴルバチョフ大統領へは、「誇り高き魂の詩--ペレストロイカの父・偉大なるゴルバチョフ大統領に捧ぐ」1991.4.18(対談の日)
・マンデラ大統領へは、「人道の旗 正義の道--人道主義の王者マンデラ氏に捧ぐ」1990.10.31(対談の日)
(*6)「30年」という数字の根拠。
インドの新聞INDIAN EXPRESSのクマナン氏へのインタビュー記事。
“ My inspiration is the renowned poet Daisaku Ikeda, since his poetry is all about using it as a tool to spread happiness,” says Kumanan, who has been a connoisseur of poetry at the World Congress of Poets for 30 years.
(下線部のみ訳す)30年間、世界詩人会議で詩を鑑賞してきた詩の玄人クマナン氏はそう語る
http://newindianexpress.com/education/student/article352827.ece
(*7)スリニバス氏は1979年7月、モハン氏は1996年3月にそれぞれ池田氏と対談
(*8)1999.8.26の聖教「寸鉄」
SOKA IKEDA WOMEN'S COLLEGE インドに『創価池田女子大学』クマナン博士が創立 明年開学へ「池田先生は平和と人間教育の偉人敬愛する師の名前をぜひ新大学に」
(*9)SGI Newsletter Index 1988 to 2005
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=sgi%20news%20letter%20index&source=web&cd=3&ved=0CD8QFjAC&url=http%3A%2F%2Fwww.eternalgangespress.com%2Fdownload.asp%3Ffn%3DSGI_Index_1988-2005.pdf%26type%3Dsginews&ei=Dm8TUYbMEMSCkQXhnIDoCw&usg=AFQjCNGnnH-FDRFPd4ucPLDtF4ehSec20w&bvm=bv.42080656,d.dGI