難病
2011年05月10日
多発性硬化症(MS)とは
多発性硬化症(multiple sclerosis,MS)は、神経を侵す難病の代表ともいえる疾患です。
厚生労働省の全国MS 臨床疫学調査(2004年)によれば、わが国における患者数は30年間で4倍に増加し、約1万人に達したと推定されています。
2004年に多発性硬化症に倒れた林家こん平さん。
以来7年間にわたりこの病気と向かい合ってきました。
辛い時期を乗り越え、今、こん平さんの笑顔は輝いています。
難病と闘いながら明るい毎日を送る秘訣とは――? 詳しくはこちらから
多発性硬化症の治療に詳しいさっぽろ神経内科クリニック院長、深澤俊行先生に話をうかがいました。
多発性硬化症のメカニズム
多発性硬化症は、中枢神経と呼ばれる脳や脊髄、視神経などに「脱髄(だつずい)」という病変が起こる病気です。
神経繊維の表面は電気のコードのように神経線維の表面が髄鞘(ずいしょう)という組織で覆われていますが、脱髄というのはこの"カバー"が壊れてしまうことを意味します。
そうなると、神経線維がむき出しになり、情報伝達に支障が生じてしまいます。
●主な症状
脱髄は、どこにできるかわからず、繰り返し出現することが特徴です。
そのため、脱髄が起こる場所に応じてさまざまな症状が繰り返して出現することになります。
視神経の症状…
視力障害、視野障害など
脳の症状…
複視(ものが2つに見える)、めまい、顔面神経麻痺、三叉神経痛、構音障害、えん下障害など
脊髄の症状…
手足のしびれ、脱力、排尿障害など
このほか、大脳で脱髄を繰り返していると認知症になることもまれではありません。
●特徴的な兆候
前記の症状が繰り返し、時には組み合わさって出現します。
多発性硬化症では、発熱、運動、入浴などで症状が顕れたり、増強することがあります。
これを温浴効果、あるいはUhthoff(ウートフ)現象といいます。
●原因
脱髄が起こる根元の原因ははっきりしていませんが、免疫の異常(自己免疫現象)が関与していると考えられています。
●どんな人に発症する傾向があるか
発症年齢は20〜30歳代に多く、欧米においては若年成人で病気に由来する身体障害の原因としてもっとも多い疾患です。
男女比は1:3〜4と女性に多いことも特徴です。
また、緯度の高い地域の有病率が高いことが知られており、日本でも北海道で多いことがわかっています。
●病気の進行
多発性硬化症は、症状の再発と寛解(症状が落ち着いて安定している状態)を繰り返しながら、のちに慢性に障害が進行していくことが多く、適切な治療をうけずに放置されると約半数の患者さんが10年後には車いすが必要な状態になると言われています。
ですから、できるだけ早期診断・早期治療を行うことが重要です。
なお、将来多発性硬化症に移行する可能性のある初回の症状の段階をCIS(clinically isolated syndrome)と呼び、早期診断・早期治療のための重要な時期と位置付けています。
多発性硬化症の治療
●4つの治療を考える
多発性硬化症の治療には、次の4本の柱があります。 [ 全文はこちら ]
厚生労働省の全国MS 臨床疫学調査(2004年)によれば、わが国における患者数は30年間で4倍に増加し、約1万人に達したと推定されています。
2004年に多発性硬化症に倒れた林家こん平さん。
以来7年間にわたりこの病気と向かい合ってきました。
辛い時期を乗り越え、今、こん平さんの笑顔は輝いています。
難病と闘いながら明るい毎日を送る秘訣とは――? 詳しくはこちらから
多発性硬化症の治療に詳しいさっぽろ神経内科クリニック院長、深澤俊行先生に話をうかがいました。
多発性硬化症のメカニズム
多発性硬化症は、中枢神経と呼ばれる脳や脊髄、視神経などに「脱髄(だつずい)」という病変が起こる病気です。
神経繊維の表面は電気のコードのように神経線維の表面が髄鞘(ずいしょう)という組織で覆われていますが、脱髄というのはこの"カバー"が壊れてしまうことを意味します。
そうなると、神経線維がむき出しになり、情報伝達に支障が生じてしまいます。
●主な症状
脱髄は、どこにできるかわからず、繰り返し出現することが特徴です。
そのため、脱髄が起こる場所に応じてさまざまな症状が繰り返して出現することになります。
視神経の症状…
視力障害、視野障害など
脳の症状…
複視(ものが2つに見える)、めまい、顔面神経麻痺、三叉神経痛、構音障害、えん下障害など
脊髄の症状…
手足のしびれ、脱力、排尿障害など
このほか、大脳で脱髄を繰り返していると認知症になることもまれではありません。
●特徴的な兆候
前記の症状が繰り返し、時には組み合わさって出現します。
多発性硬化症では、発熱、運動、入浴などで症状が顕れたり、増強することがあります。
これを温浴効果、あるいはUhthoff(ウートフ)現象といいます。
●原因
脱髄が起こる根元の原因ははっきりしていませんが、免疫の異常(自己免疫現象)が関与していると考えられています。
●どんな人に発症する傾向があるか
発症年齢は20〜30歳代に多く、欧米においては若年成人で病気に由来する身体障害の原因としてもっとも多い疾患です。
男女比は1:3〜4と女性に多いことも特徴です。
また、緯度の高い地域の有病率が高いことが知られており、日本でも北海道で多いことがわかっています。
●病気の進行
多発性硬化症は、症状の再発と寛解(症状が落ち着いて安定している状態)を繰り返しながら、のちに慢性に障害が進行していくことが多く、適切な治療をうけずに放置されると約半数の患者さんが10年後には車いすが必要な状態になると言われています。
ですから、できるだけ早期診断・早期治療を行うことが重要です。
なお、将来多発性硬化症に移行する可能性のある初回の症状の段階をCIS(clinically isolated syndrome)と呼び、早期診断・早期治療のための重要な時期と位置付けています。
多発性硬化症の治療
●4つの治療を考える
多発性硬化症の治療には、次の4本の柱があります。 [ 全文はこちら ]
2010年11月05日
特定疾患「モヤモヤ病」の原因遺伝子
脳の難病「モヤモヤ病」原因遺伝子突き止めた
脳の難病とされ、脳卒中を高い確率で引き起こす特定疾患「モヤモヤ病」の原因遺伝子を東北大大学院の呉繁夫准教授(小児病態学)らのグループが世界で初めて突き止めた。
これにより、検査での早期発見が可能になった。
4日、日本人類遺伝学会の国際誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・ゲネティクス」の電子版に掲載された。
モヤモヤ病は、閉塞(へいそく)した脳底部の動脈の周辺に細かい血管ができることによって脳内の酸素や栄養が欠乏していく病気で、頭痛や運動障害などを引き起こす。
進行すると脳卒中など深刻な事態に至ることもある。
呉准教授らは、患者70人とこの病気の家族がいる約20家系から取り出した遺伝子と、健康な人の遺伝子を比較。
約7割の患者の同じ染色体に特有の遺伝子変異があるのが確認された。
続きを読む
脳の難病とされ、脳卒中を高い確率で引き起こす特定疾患「モヤモヤ病」の原因遺伝子を東北大大学院の呉繁夫准教授(小児病態学)らのグループが世界で初めて突き止めた。
これにより、検査での早期発見が可能になった。
4日、日本人類遺伝学会の国際誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・ゲネティクス」の電子版に掲載された。
モヤモヤ病は、閉塞(へいそく)した脳底部の動脈の周辺に細かい血管ができることによって脳内の酸素や栄養が欠乏していく病気で、頭痛や運動障害などを引き起こす。
進行すると脳卒中など深刻な事態に至ることもある。
呉准教授らは、患者70人とこの病気の家族がいる約20家系から取り出した遺伝子と、健康な人の遺伝子を比較。
約7割の患者の同じ染色体に特有の遺伝子変異があるのが確認された。
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2010年08月18日
ALSと診断されて引退したゲーリッグが発症したのは・・・
ゲーリッグは「ゲーリッグ病」ではなかった?
【ワシントン=山田哲朗】メジャーリーグの往年の名選手ルー・ゲーリッグが発病したのは、その名をとって「ゲーリッグ病」と呼ばれる難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)ではなく、別の病気だった可能性があるとする見解を米研究者がまとめ、18日発行の米医学専門誌で発表する。
米ボストン大学のアン・マッキー准教授らは、頭部に衝撃を受けやすいスポーツ選手や兵士などにALSと診断される人が多い点に注目。ALSと診断されて死亡したアメリカンフットボール選手2人とボクサー1人の脊髄(せきずい)を分析、2種類の異常なたんぱく質が蓄積しているのを見つけた。このたんぱく質が神経の働きを妨げ、全身がまひするALSと症状が似た別種の病気を引き起こしたとみられる。
鉄人と呼ばれたゲーリッグはけがで欠場しないことで有名だったが、当時はヘルメットが普及しておらず、頭にボールが当たり意識を失ったことが何度かあった。ALSと診断されて引退し、1941年に37歳で死亡した。
マッキー准教授は米メディアに「ゲーリッグが発症したのは、度重なる脳しんとうなどが原因となったこの病気。ALSではないだろう」と話している。
詳しくはこちらから
【ワシントン=山田哲朗】メジャーリーグの往年の名選手ルー・ゲーリッグが発病したのは、その名をとって「ゲーリッグ病」と呼ばれる難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)ではなく、別の病気だった可能性があるとする見解を米研究者がまとめ、18日発行の米医学専門誌で発表する。
米ボストン大学のアン・マッキー准教授らは、頭部に衝撃を受けやすいスポーツ選手や兵士などにALSと診断される人が多い点に注目。ALSと診断されて死亡したアメリカンフットボール選手2人とボクサー1人の脊髄(せきずい)を分析、2種類の異常なたんぱく質が蓄積しているのを見つけた。このたんぱく質が神経の働きを妨げ、全身がまひするALSと症状が似た別種の病気を引き起こしたとみられる。
鉄人と呼ばれたゲーリッグはけがで欠場しないことで有名だったが、当時はヘルメットが普及しておらず、頭にボールが当たり意識を失ったことが何度かあった。ALSと診断されて引退し、1941年に37歳で死亡した。
マッキー准教授は米メディアに「ゲーリッグが発症したのは、度重なる脳しんとうなどが原因となったこの病気。ALSではないだろう」と話している。
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2009年12月22日
難病少女が残した歌、全国に共感の輪広がる
難病で肝移植手術を受けた直後に17歳で亡くなった新潟県燕市の岡村可奈子さんの詩「笑顔を忘れないで」が歌になり、22日、母校の市立燕南(つばめみなみ)小学校の6年生全員が合唱した。
山形の合唱団がコンサートで披露するなど、病苦や厳しい境遇に負けずに笑顔で生きた少女の詩に共感が広がっている。
6年生の代表が「笑顔を絶やさず前向きに頑張った可奈子さんの遺志を受け継ぎ、心を一つにして歌います」とあいさつ、33人が体育館のステージで、全校児童らを前に2か月間練習した曲をピアノ伴奏に合わせて元気に歌いあげた。児童の横で可奈子さんの祖母・和子さん(71)が遺影を胸に、涙ながらに聴き入った。
可奈子さんは胆道閉鎖症で、医師は生後間もなく「成人まで生きられない」と宣告。両親は子育てに絶望して離婚し、家を去り、和子さんに育てられた。入退院を繰り返しながら、14歳のとき家族や友人らに支えられて生きる自分の姿を詩につづっていた。
2003年1月、肝移植を受けたその日のうちに帰らぬ人となった。人づてに詩を知った山形県南陽市の音楽家須貝智郎(すがいともお)さん(56)が昨年8月、「病気に苦しむ人たちの応援歌になれば」と作曲した。
可奈子さんは学校で、病気で膨らんだおなかを同級生にからかわれたこともあった。小川章校長が今年10月、いじめ根絶月間で可奈子さんのことを紹介した。6年生の児童たちが「可奈子さんが残した歌を合唱したい」と申し出た。6年生の早川七海さん(12)は「助け合いがあってこそ生きていけると伝える歌詞に共感しました」と話した。児童の合唱を聴いた和子さんは、「歌がこのように広がり、夢のまた夢。いじめや難病で苦しむ人たちの応援歌となってくれれば」と感極まっていた。
また、南陽市の南陽男声合唱団は6月のコンサートで歌った。団長の川井祐一さん(71)は「病気にめげず、けなげに生きた姿に共感した」と話す。インターネットで知った徳島県美馬市立岩倉中教諭の中川亜紀さん(51)が昨年、「悩みを抱える生徒たちの応援歌にしよう」と校内合唱コンクールで教員と保護者で歌い、音楽の授業でも教える。
「この詩がいつか歌になり、大好きな歌手の浜崎あゆみさんに歌ってもらえたらなあ」と夢見ていた可奈子さん。生きた証しとして残した詩が、雪が積もる体育館に響いた。
岡村可奈子さんの詩「笑顔を忘れないで」 ⇒ 全文はこちら
(2009年12月22日15時05分 読売新聞)
山形の合唱団がコンサートで披露するなど、病苦や厳しい境遇に負けずに笑顔で生きた少女の詩に共感が広がっている。
6年生の代表が「笑顔を絶やさず前向きに頑張った可奈子さんの遺志を受け継ぎ、心を一つにして歌います」とあいさつ、33人が体育館のステージで、全校児童らを前に2か月間練習した曲をピアノ伴奏に合わせて元気に歌いあげた。児童の横で可奈子さんの祖母・和子さん(71)が遺影を胸に、涙ながらに聴き入った。
可奈子さんは胆道閉鎖症で、医師は生後間もなく「成人まで生きられない」と宣告。両親は子育てに絶望して離婚し、家を去り、和子さんに育てられた。入退院を繰り返しながら、14歳のとき家族や友人らに支えられて生きる自分の姿を詩につづっていた。
2003年1月、肝移植を受けたその日のうちに帰らぬ人となった。人づてに詩を知った山形県南陽市の音楽家須貝智郎(すがいともお)さん(56)が昨年8月、「病気に苦しむ人たちの応援歌になれば」と作曲した。
可奈子さんは学校で、病気で膨らんだおなかを同級生にからかわれたこともあった。小川章校長が今年10月、いじめ根絶月間で可奈子さんのことを紹介した。6年生の児童たちが「可奈子さんが残した歌を合唱したい」と申し出た。6年生の早川七海さん(12)は「助け合いがあってこそ生きていけると伝える歌詞に共感しました」と話した。児童の合唱を聴いた和子さんは、「歌がこのように広がり、夢のまた夢。いじめや難病で苦しむ人たちの応援歌となってくれれば」と感極まっていた。
また、南陽市の南陽男声合唱団は6月のコンサートで歌った。団長の川井祐一さん(71)は「病気にめげず、けなげに生きた姿に共感した」と話す。インターネットで知った徳島県美馬市立岩倉中教諭の中川亜紀さん(51)が昨年、「悩みを抱える生徒たちの応援歌にしよう」と校内合唱コンクールで教員と保護者で歌い、音楽の授業でも教える。
「この詩がいつか歌になり、大好きな歌手の浜崎あゆみさんに歌ってもらえたらなあ」と夢見ていた可奈子さん。生きた証しとして残した詩が、雪が積もる体育館に響いた。
岡村可奈子さんの詩「笑顔を忘れないで」 ⇒ 全文はこちら
(2009年12月22日15時05分 読売新聞)