2013年01月19日

【体罰自殺桜宮高校・体罰教師を分析する】

無題2

【体罰自殺桜宮高校・体罰教師を分析する】



今回の「体罰自殺事件」を、単に「体罰」と言う単語で全てを括(くく)って良いのだろうか?
これを「並の体罰」と一緒にしては、亡くなった被害者生徒の少年に失礼ではないか?

日本人は、戦後の欧米化教育の中で洋式の「単語コミニュケーション」に慣れ過ぎて、残念ながらきめ細かい伝達方法や解釈上の細やかな発想を失いつつある。

現在報道されている建前主義のロジック(論理)とは別の細やかな方法で、桜宮高校・体罰教師に拠る自殺事件を分析してみた。

まずこれは、通常世間が言う「教育指導の為の体罰」と呼ぶには次元が違い過ぎる。
むしろこの教師に関しては、教育目的なら二発でも多い位なのに被害者生徒を「二〜三十発も殴った」と教育範疇の度を遥かに越している。

そして以前に密告に拠る体罰疑惑で校長から質問されていても、「ずさん調査」ですり抜けると、止めるでもなくその後も続けていたのは、自制心が無いほど「体罰」に中毒化して居たからではないだろうか?

元々運動部のこんな顧問教師と部員生徒の間に「師弟愛」などは無い。
それでも暴行中毒教師を守った背景は、学校幹部・父兄も含めて、「スポーツ競技で好成績を残す」と言う知名度の「利害」が一致しているだけである。

だから残念ながら、学校幹部・父兄・部員生徒にとって自殺した生徒の存在は迷惑でしかないのだ。


該当教師は完全に「体罰マニア=暴力教師」で、「教育指導の為」と言うよりは教師自身の「ストレス解消か快感の為」と解釈し追及すべき事案である。
つまりこの教師は、小さい世界で帝王気分を味合う為に被害生徒をキャプテンに置き続けようとした。

この「体罰マニア教師=暴力教師」の許せない所は、卑怯にも部活顧問教師と言う絶対的有利な立場を利用して愉快犯的に「己の癖」を満たしていた点である。
何やら先の戦時中に、絶対的有利な立場の上官が因縁(いんねん)を付けたり無茶を要求したりで、腹いせみたいに理不尽な愉快犯的体罰をしていた構図に良く似ている。

「体罰問題」に於いて決まって出て来るのが「精神育成論」だが、「体罰教育」で精神論が養われるなど在り得ない。
この「体罰=精神育成論」の馬鹿げた発想の根底に潜(ひそ)むのが、現実には在りもしない虚構・「武士道精神」の弊害である。


人間は生身だから、「怒り(感性)」もすれば「計算(理性)」もする。
人間が物事を解釈するには二通りあり、ひとつは「感性的な解釈」で今ひとつは「理性的な解釈」である。
つまり同じ事象でも、「感性」で解釈するのか「理性」で解釈するのかで正反対の解釈が導かれる事が多い。

感性と理性の狭間で生きるのが人間だから、その時々の認識や選択が必ずしも正解とは限らない。
しかし「感性」には、脳の機能に拠り「己の行動に酔う」と言う行き過ぎた行動を誘発する場合が存在する。

快感認知メカニズムとして、人間には己の行動に酔う脳の機能・側坐核(そくざかく/脳部位)=線条体(せんじょうたい)が存在する。
脳内麻薬物質とも言う分泌ホルモン・ベータ・エンドロフィンの快感から導かれる活性脳部位が「線条体(せんじょうたい)」である。

人間の脳部所に於ける側坐核(そくざかく/脳部位)=線条体(せんじょうたい)は、快感を記憶し習慣化する装置である。
そしてその行動が快感として脳に記憶してしまうと、習慣性を持った「己の癖」となり、「己の癖」を満たす為のスイッチを入れる行動が止められずエスカレートして行く。

これは夫婦間のDV(ドメスチック・バイオレンス)と同じ構図で、悪行と判りながら止められない或る種心的欠陥行為である。
しかも、体罰行為中の興奮が更なる興奮を呼び、ストップ(自制)が掛からずに数十発と言う常軌を逸した体罰を継続してしまう現象と成る。

異常な性犯罪者も、この「己の癖」を満たす為の行動として反社会的とは認識しつつ常習性が中々改善できない。
実は飲酒や喫煙、違法薬剤の習慣化も、使用に拠って得る快感を側坐核(そくざかく/脳部位)=線条体(せんじょうたい)に記憶し習慣化するからである。

犯罪リスク(危険)をスリルと受け止めてしまうと、一種の吊橋効果が働いて、そのドキドキ感を忘れられなくなり、危険な行動を制止できない衝動が癖に成る。

例えば、割が合わない万引きを、捕まっても捕まっても止められないのは成功体験のスリルと快感が忘れられなく成って居る為である。
この万引き常習者は社会不適格に成ってしまうが、「体罰マニア教師=暴力教師」は教師不適格で教育界から追放しなければ更生は望めない。

この提案は該当教師が明らかな教師不適格であるから、公務員の身分制度とは離して考えるべきで、勿論更生の可能性など求める方が綺麗事である。
そしてこうした「体罰マニア教師=暴力教師」を醸成する教育現場の構造を、教育界が自覚して早急に変更すべきである。

この「体罰マニア」を醸成したのは、文部科学省や教育委員会などの現在の教育現場への指導システムの問題である。
管理監督すべき文部科学省や教育委員会が、「無事是名馬(ぶじこれめいば)なり」の「減点主義管理法」である為に「虐め自殺問題」と同様に隠蔽(いんぺい)に向かう傾向が強い。

「虐め自殺問題」も、この「体罰自殺事件」も防止策は、過去の既成概念を棄て、問題の早期表面化が容易にできる現場システムを文部科学省や教育委員会が早急に構築すべきである。

★【またも鮮明になる建前上の「筈だ切捨て論」の絶望】が、日本行政の今最大の正すべき最優先課題である。

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