目指せ! クラプトン全曲レビュー

エリック・クラプトンの公式レコーディング曲を毎回1曲ずつ解説。オフィシャル盤コレクターにオススメのコア・レビュー。

Autumn Leaves ( 枯葉 ) / Eric Clapton <後編>

とても良かった、というのが正直な感想。
ずいぶん前に<前編>を書いたまま放置していた『枯葉』についてである。
短いイントロからボーカルが始まったとき、衝撃を受けた。
声のトーンがものすごく暗い、のである。セルジュ・ゲンスブールもびっくりの暗さ。
例のオーバー・ザ・レインボーのような軽い感じを想像していたので、いい意味で裏切られた感じだ。
そしてラストのギターソロも、セミアコで泣きのフレーズがタップリ。フェードアウトせずきっちり終わってくれるのも好み。
あえて言えば、ギターソロに終盤かぶってくるオーケストラはいらなかったかな。ユニットだけで頑張って盛り上げていった方が、かっこいいと思うんだけどね。
つまり、ようやく『CLAPTON』のアルバムを購入したわけだけど、なぜ今まで買わなかったかというと、やはりジャケの影響が大きい。前に書いたように、イージーリスニング感満載で、女性に人気のあるムードミュージックのおじさん、みたいなノリにどうにも抵抗があって購入を控えていたというわけです。
なので、改めてダメジャケの聴かず嫌いはご法度、としたいのだが、ツェッペリンの『プレゼンス』のジャケがアメリカンファミリーすぎて何となく買うのを後に回したとしても、振り返ればジャケにしっかり仕掛けがしてあったのに感嘆せざるを得ないのに比して、『CLAPTON』についてはストレートのど真ん中で種も仕掛けもないので、やはりかつてのロックファンとしては物足りないことしきりと言わざるを得ない。いっそ裏ジャケのストラトの背面アップの方を表にした方がまだよかったかも。
さらに悪口を言えば、『CLAPTON』というタイトルも?マークがつくが、いつごろからか、毎回これが最後のオリジナルアルバム、という気持ちでリリースしているふしもあるので、スティーブ・ジョブズの「今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私はやりたいだろうか?」のマインドにも通じるところもありそうなので、とりあえずは通し、としておきたい。

World Of Pain(苦しみの世界)/ Cream

手塚治虫の最高傑作となると、大抵はアトム、ブラックジャック、火の鳥、といったところが挙がってくるのが常だが、個人的にはバンパイヤである。1966年〜67年にかけて少年サンデーに連載されたのだが、その時期はアメリカのヒッピーたちによるサイケデリックムーブメントの盛り上がりと同時期だ。そうした視点で見ると、規則やモラルにしばられず好き放題やろう、という間久部緑郎(通称ロック!)の生き方はもとより、人間が原始人にもどれば法律やお金も不要になり醜い戦争はなくなると説く熱海教授やバンパイヤ革命委員長の円山氏など、ヒッピーの思想と共通した人間批判が物語全体のテーマとなっていることに気づく。しかもアメリカで流行っているクスリとしてLSDが実名で登場するシーンさえあるのだ。再読の機会があれば、ぜひクリームの『World Of Pain』あたりをガンガン流しながら楽しんでみてはいかがだろうか。
バンパイヤについて話し出すとそれだけでかなりの分量になってしまうので、そこそこに割愛して、今回の主題は、永井豪ちゃんのデビルマンはバンパイヤが下敷きである、という話。クラプトンの話でなくてごめんなさい。もちろん盗作とか言うことではなく、村上春樹の「羊をめぐる冒険」がチャンドラーの「長いお別れ」を下敷きにしている、というのと同じ意味で、である。
永井豪が手塚治虫に影響を受けたことは周知の事実だし、そもそも人間でも悪魔でもないデビルマン自体が、人間でも動物でもないバンパイヤ、の発展型であるし、それぞれ悪と善の象徴でありながら惹かれ合う了と明=ロックとトッペイ、最終的に人類全体を巻き込んだ壮大な展開になっていくストーリーも似ているのだが、細かいところの類似点を今回再読してたくさん見つけてしまったのでいくつか列記してみたい。

冒頭とクライマックス直前に飛鳥博士の研究所
→冒頭とクライマックス直前に熱海教授の研究所

魔王ゼノンの世界同時総攻撃
→世界同時バンパイヤ革命

サイコジェニーが了に見せる幻覚
→変態型バンパイヤがロックに見せる幻覚

デビルマン軍団の決起集会
→バンパイヤ革命の決起集会

テレビで不動明の変身シーンが暴露され「あなたの隣人も悪魔」
→テレビでルリ子の変身シーンが暴露され「あなたの隣人もバンパイヤ」

悪魔特捜隊「ひょっとしたらこいつも悪魔かもしれんなー」
→ロック(人間)に対して群衆が「しっぽをださねえか、ばけもの!」

明「地獄におちろ、人間ども!」
→ロック「くだらない1億の人間ども!」

他にもまだまだある。もちろん各人の善悪の立ち位置は逆だったり、なんといってもラストが決定的に違うので比較自体意味がない、という考えもあるだろうが、それぞれのシーンを読んでいると直感的に、あっ、同じだ、と感じてしまうのである。特に変身の秘密を衆人環視のテレビ放送で暴露されるクライマックスのモチーフはほぼ同じだ。デビルマンの連載開始はバンパイヤの5年ほど後なので永井豪の無意識にストックされていたのか、あるいはバンパイヤみたいなストーリーを描いてみたい、という思いで書き進めたのかなのだろう。
いずれにしろ僕という人間の形成に多大な影響を与えた二人の巨匠に改めて敬意を表したい。

■収録アルバム:カラフルクリーム

holy mother [Live 1996] ( ホリー・マザー ) / Eric Clapton

Dedicated To K
たしか1991年の春だったと思う。当時僕は2年ともたず職場を転々としていたので、勤めていた会社と関連づけて思い出すことで、その出来事がだいたい何年頃だ、というのをかなりの正確さで判別できてしまうのだ。
その頃、中央競馬が異常な人気を博していて、あらゆるマスメディアが、競馬というのは健全なスポーツで、女性同士やご家族連れの方が競馬場にいらして馬券を買うことは全く問題がない、それどころかむしろ国として推奨すべき行為でさえある、といった論調を展開していた。「もちろん、どんなに見た目を繕っても、競馬がギャンブルであることは承知していますよ。だけどご覧なさい、この高貴さを。競艇や競輪とは、全然違うんです」
そんな競馬ブームに乗っかってイメチェンしたのが大井で開催される東京シティ競馬のトゥインクルレースで、会社帰りのOLさんもお気軽にどうぞ、とうたったナイター競馬だった。そのトゥインクルレースに、遅ればせながら競馬をちょっとかじり始めた僕が一度も競馬をしたことがないY先輩とK君を誘ったのだ。
行きのモノレールの中で、Y先輩は僕が用意した日刊ゲンダイの出馬表を恐ろしい形相で見つめ、買うべき馬券を論理的に決定しようと頭をフル回転させていた。K君はほとんど競馬には興味はないようで、後輩の女性関係がいかにひどいかを、女性の身体を熟知した男だけが体得できる抑制の効いた口調と言葉で生々しく解説してくれたりした。
K君は僕のひとつ年下のサークルの後輩で、そのクールでどこか儚げな外見とアクロバティックな行動力、世代性別を問わない交友関係など、石橋をたたいて渡らないタイプの僕とは正反対の生き様に僕はずいぶんと憧れてもいた。ただあまりにも大きな理想、描く絵図の壮大さに比して、いつも心が少しだけ追いつかず、かなり苦しんでいたことについては、この頃すでに見破られてはいたのだけれど。
僕はK君の女性についての解説に、うんうんと頷きながらさも知った風にコメントしたりしてなんとか対等になろうと背伸びした。Y先輩は、「よし決めた!ナイキゴージャス」と言った。
競馬場に着くと、よく分からないままにパドックを回ってから窓口に並んだ。僕はメインレースでなんの深読みもない枠連を千円ずつ何点か購入した。Y先輩は窓口のおばちゃんに「ナイキゴージャス!」と叫ぶと、おばちゃんは「何レースの何番か言ってね」とたしなめた。その口調に僕は何か違和感を覚えた。K君は馬券を買わなかった。
席について当該レースが始まる段になり、大変な誤りに気づいた。中央競馬になれていた僕は、トゥインクルレースの出馬表が、翌日のレースではなく、新聞が出た「その日」のものであることを知らなかったのだ。つまり僕たちはすでに昨夜終わったレースの出馬表を見て馬券を買ってしまったのだ。だからもちろんナイキゴージャスは走らなかった。僕は「昨夜」の日刊ゲンダイを地面にたたきつけた。
しかし驚くべきことに、僕が間違って買ったつまらない枠連は、当時では稀に見る大穴となり、千円が38万円あまりに化けた。あまりの偶然と競馬の恐ろしさに僕らは狂喜し、震え怖れた。当たり馬券を窓口に出すとおばちゃんは特に驚いた風もなく、淡々とお札を数えて渡してくれた。僕は財布に入りきらない札束を胸ポケットに直に入れた。
帰り道、僕たちは当たった金で「つぼ八」で好きなだけつまみと酒を頼んだが、1万円も使えなかった。K君は、明日用事があるからとひとり帰路についた。その切り上げ方は、やはりクールでどこか儚げだった。Y先輩は僕のマンションに流れ、朝まで遊んだ。
以来僕はギャンブルで大きく当たったことはない。Y先輩もK君も、すでにこの世にはいない。

※ホリー・マザーはエリックが母親をイメージして作詞したとのこと。このハイドパークのライヴは聖歌隊が付いて荘厳なフィナーレとなっています。

Circus ( サーカス ) / Eric Clapton

震災後しばらくは、すべての既存の音楽や小説などはその意義を失ったと感じ、接する気がしなかった。311以前の普遍的世界を前提とした個人の感情の記述をいまさらトレースしたところで、そこに311以降に出現した新しい世界を生きていく何か有意なものがあるようには到底思えなかったからだ。
しかしながら時が経つにつれ、とてつもない大きな災禍といえど、受け止めるのは個々の人間ひとりひとりでしかないことに気づき、であるならば例えば個人的喪失、といったキーワードでも311以前の作品ともつながれるのではないかと考えるようになった。
たとえばクラプトンならアルバム「ピルグリム」。アーティストのプライベートからアルバム成立の過程をさぐるという反則技を抜きにしても、このアルバムの暗さ、喪失感はすごい。暗いときこそ明るい音楽を、というのはマスコミュニケーションでの常套句だが、暗いときに暗い音楽にひたるというのも明らかに効果のある療法ではあろう。
なかでもティアーズ・イン・ヘブンとセットで語られることの多い「サーカス」の歌詞には引き込まれる。歌の主人公の子供時代の感情と父親としての現在の感情とがオーバーラップし、連綿と続く親子の心の交流が年代を超えて浮かび上がってくる。わあっと泣き叫びたくなるような無防備な激情にさらされながらも、父親としての覚悟と暖かさが静かに世界を包み込んでくる。
いろいろなサイトに訳詞が載っているようだが、1行目の Little man with his eyes on fire は「火に目を向けてる小さな男」というよりは「喜びに光り輝く坊やの目」といったニュアンスだろう。

■収録アルバム:ピルグリム


Rita Mae ( リタ・メイ ) / Eric Clapton

しょせん僕のレコードコレクションは、いわゆる音楽通にはふふんと鼻で笑われるようなラインナップである。ツェッペリン、クラプトン、コルトレーンなどなど、誰もが知っているうえ、品揃えにセンスのかけらもない郊外型ショッピングモールのCDショップでもカンタンに手に入る音源ばかりだ。
そんななかでも他人に自慢できそうな数少ない1枚が、was(not was)のデビューアルバム通称「Out Come the Freaks」だろう。地方から出てきたばかりの1981年に、渋谷のタワーレコードで背伸びして手に入れたこのダンス・ミュージックの傑作は、僕の下宿に東京の、しかも青山や六本木の先端の風を運んでくれた。
素人が一聴してもホンモノを感じさせる「Out Come the Freaks」をはじめのちにワム!がカバーして日の目を見る名作「Where Did Your Heart Go?」を繰り返し聴きながら、ここは東京で、自分がそうしたいならいつでも六本木の雑誌に出ているようなイカした店でキレイな髪の毛の女の子をくどくことができるんだ、という圧倒的な事実に僕は胸躍らせずにはいられなかった。
しかしながら実際にはそのような妄想は成就せず、夜中にひとりで同年発売のアルバム「アナザー・チケット」に針をおろすことになるのだが、そのラストの曲「リタ・メイ」で、日本語版ライナーノーツでうたっていたエリックとアルバート・リーのギターバトルなんかどこにもねえじゃねえか、などと毒舌してみたりの日々を相当長く続けることになるのだった。

■収録アルバム:アナザー・チケット

Autumn Leaves ( 枯葉 ) / Eric Clapton <前編>

わざわざ面倒なログインをして、ミュージシャンや曲の悪口を書く、というのはいかにも天の邪鬼な行為だが、「枯葉」の起用については、どうにもひとこといいたい、という御仁も多いのではなかろうか。
このタイトル、このジャケ、そして「枯葉」、セールスコピーは「アンプラグドの感動を再び」・・・当然のように山野楽器に平積みされたエンド展示を見ると、どうにも買う気が萎えてくるのである。これじゃもう、オイラが子どもの時のフランク・シナトラやフリオ・イグレシアスだよなあ。
横に並んだサンタナのコピーアルバムの方が、いかにも魅力的だ。なにしろ「胸いっぱいの愛を」「サンシャイン・ラブ」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「リトル・ウィング」ですぜ、旦那。
さらに厄介なのは、ぼくが「枯葉」が大好きなことだ。ジャズのアルバムを集めていたときは、知らないミュージシャンに手をつけるときは最初の1枚は「枯葉」が収録されているものを選んだっけ。
ビル・エバンスを筆頭に、マイルス、ウィントン・ケリー、中でも圧巻なのは半分ブート的な発売しかされてないコルトレーンの「枯葉」だろう。マイ・フェイバリット・シングスやチム・チム・チェリーのようにソプラノで3分間切れ目なく吹きまくるのだから。
というわけで、ここまで引っ張っておいて、実はまだクラプトン、の「枯葉」を聴いてないのである。先にサンタナを買っちゃうかもしれないが、いずれは購入すると思うので、その時は<後編>として感想を述べてみたいと思います。

■収録アルバム:クラプトン

Something's Happening ( サムシング・ハプニング ) / Eric Clapton

先日、HMV渋谷店が閉店する話を書いたが、実は知らないうちに巨大店舗HMVタカシマヤ・タイムズスクエア店がとっくの昔に撤退していたのだ。昨年何度か行ったので、当然今もあると思っていたのだが・・・。
さらに数寄屋橋店につづき、銀座インズ店も先週で閉店。これで銀座でCDを買う選択肢は山野楽器だけになってしまった。
とはいえ、旧作CDの品揃えはまあまあ良いので、山野楽器だけでもそんなに困らないが・・。
いずれにしてもHMVの閉店ラッシュはすさまじい。レコード屋、いやCDショップという業態自体が急速に縮小しているわけだから、閉店と共に解雇された場合は、全く別の職業に就くしかないのだろうか。
こうした市場のシュリンクが起きているのは、CD業界だけではないだろう。リーマンショック以降、あらゆる業界でこれまでの過剰生産→消費者に借金させて在庫処分、という方程式が成立しなくなりつつある。
これまで世界はいらないものを生産&消費しすぎていたのだ。それが適切な規模に落ち着くまで、この変革は続いていくだろう。
♪力強い何かが起こっている。世界中で何かが起こっている。
アルバムビハインド・ザ・サンの初回のデモテープでワーナーからダメ出しをくらい、ロスで追加録音したジェリー・ウイリアムスの3曲のうちの1曲がこれ。
キラキラした張りのあるサウンドに、ノリの良い明るいヴォーカル、メロディアスな中間部、クリアで歯切れの良いギターソロなど、聴き所は多い。
こんな曲を口ずさみながら、世界の変革を楽しむのも悪くない。
もし中産階級的消費の価値観と、ステレオタイプな老後の不安を捨て去ることが出来れば。

■収録アルバム<ビハインド・ザ・サン>


Edge Of Darkness ( エッジ・オブ・ダークネス ) / Eric Clapton

渋谷のHMVが今年の8月で閉店となるそうだ。今のセンター街に移った頃は僕の勤め先も銀座に移っていたので、頻繁に通ったのは移転前の店だが、それがどこだったのか思い出せない。
ググって見たところ、それはワン・オー・ナイン内とのこと。このワン・オー・ナインもとっくになくなってしまい、今はパチンコ屋になっている。最近行ってないがおそらく今もそうだろう。今後は分からないが、今のところ都心部のパチンコ屋が閉店するのを見たことはない。
そういえば、バブル期渋谷の象徴のひとつであるオシャレなワン・オー・ナインのビル内でダサい奴を見かけたら、HMVに行くロック・ファンと思え、など友人とジョークを飛ばしたっけ。
タワーレコードの白を基調とした店内に対抗してか、HMVのブラックを基調としたシックな店内を思い浮かべていると、なぜだかエッジ・オブ・ダークネスが頭の中を流れだした。
エッジ・オブ・ダークネスは、85年ぐらいのBBCのドラマのサントラで、マイケル・ケイメンとの共作。エリックは91年発売の24ナイツでオーケストラをバックにライヴ演奏を披露している。
エリックのサントラというのは意外にたくさんあって、おまけにギターソロをふんだんにサービスしてくれているのが多く、収集の対象とせざるを得ないのだが、こちらの本家のサントラ自体は、いつか買おう買おうと思っているうちに廃盤となってしまった。おそらく今後も再発される見込みは薄いだろう。
この世界に永遠に存在しつづけるものはない。妻と娘が寝静まった暗闇の端っこで、僕は息を凝らし世界の移り変わりについて今日も考え続ける。

■収録アルバム<24ナイツ>

Danger ( デンジャー ) / J.J.Cale & Eric Clapton

JJケイルを初めて聴いたのは1982年で、その頃ぼくは大学にも顔を出さず、ひとり渋谷の街をぶらぶらしていたのだが、そんな折り良く立ち寄ったのが宇田川町のタワーレコード(今は移転)だった。
その日も既に全部もっているツェッペリンのコーナーでわざわざジャケを手にとって眺めていたりして時間を潰していたのだが、「コカイン」「アフターミッドナイト」のJJケイルのニューアルバムがリコメンドコーナーに平積みになっていたので中身も確認せず即購入、となったしだいだ。
家に帰って針を降ろし1曲目の「シティ・ガール」が流れてきたときは衝撃だった。モコモコした甘いギターのトーン、ハスキーなボイスにありがちな攻撃性が皆無のリラックスしたボーカル、曲全体を通して醸し出される何というかけだるい雰囲気。そして幼少期の想い出がフラッシュバックするかのような、何か泣き出したくなる郷愁。
エリックのカバーからは想像もつかなかった未知のサウンドにぼくは入れあげて、しばらくはその「グラスホッパー」というアルバムばかりを聴いていた気がする。
あれから実に四半世紀。そんなJJケイルとアルバムまるごとコラボした「ロード・トゥ・エスコンディード」のオープニングを飾るこのナンバーは、当時の衝撃と甘やかな感傷を再度トレースするに充分なほど魅力的だが、一方であの日には二度と戻ることは出来ない、という事実をもぼくの心にしっかりと刻みつけたのである。

■収録アルバム<ロード・トゥ・エスコンディード>



Black Rose ( ブラック・ローズ ) / Eric Clapton

ずいぶん長いこと更新してないな、と思いつつ見てみると、およそ1年とちょい手をつけていないことがわかった。
やはり何事においてもやりすぎというのはよくないもので、3年ぐらいクラプトンだけ聴き続けたのもいけなかったのだろう。
なんだかロック全般をカラダが受け付けなくなってしまって、今年の前半は音楽ナシの生活、そして後半は娘の付き合い、という名目でプリキュアのボーカルアルバム1色、という生活を送ってしまった。
最近ようやくそろそろと視聴を再開し、そこで忘れていたブログのことも思い出した次第だ。
そんなわけでなんでブラック・ローズかというと、昨年のプリキュア・シリーズがバラをモチーフにしていて、「青いバラは秘密のしるし。ミルキィ・ローズ!」というのを思い出したからだが、この曲はアルバムが出た当時はずいぶん好きで、18才のさびしいひとりの夜などけっこう酒を飲みながらくちずさんだものだ。
せっかくだから先ほど調べたウンチクをひとつあげると、こちらのライターはTroy Seals and Eddie Setserという人たちで、これはマネー・アンド・シガレッツからのファースト・シングル「ロックンロール・ハート」のライターと同じ。(ロックン・・・は加えてSteve Diamondもクレジットされているが)
このあたりの人脈をググって見るか、と思いつつも、頭の中ではLet'sフレッシュ・プリキュアのハイブリッド・バージョンが延々と鳴り続けているのである。

■収録アルバム<アナザー・チケット>

Run So Far ( ラン・ソー・ファー ) / Eric Clapton

品良くまとまった味のある佳曲。もちろん<ジャーニーマン>収録のジョージ・ハリスン作。
これがバックレスとかアナザー・チケットあたりにポロッと入っていたらかなり話題になったのだろうが、ゲストてんこ盛りでにぎやかな<ジャーニーマン>なだけに、いまひとつ目立たず、ああ、いつものやつね、とスルーされてしまっているのが淋しい。
ところで最近は、ホニャララのニューアルバム、とか未発表テイク、とかその類のものに、めっきり興味が失せてしまった。
昔は、自分が入れ込んでいるアーティストの動向というのは、どこか自分の人生が変わる大きな契機のように感じるところがあって、そうしたニュースを耳にすると、未来への希望と過去への郷愁が入り交じったようななんともいえない至福感に包まれたものだが、今はそんなことはない。
この年になると、自分の好きなアーティストがどうなろうと、自分の人生が今後大きく変わることはなく、あくまで趣味の分野のひとつのトピックとしてささやかな一時がすぎていく、という以上のことは起こり得ないことがわかってしまったからだ。
同様に、昔はとてもときめいた整備新幹線着工、とかリニア新幹線うんぬん、という話題もしかり。完成する頃には、自分が生きているか分からないし、生きていたとしても、それを活用して人生が開ける、という可能性は、ほぼゼロだということが自明となってしまったことが、とても悲しい。

■収録アルバム<ジャーニーマン>

Traveling Riverside Blues ( トラベリング・リバーサイド・ブルース ) / Eric Clapton

ご存じロバート・ジョンソンのこの曲は、レッド・ツェッペリンとエリック・クラプトンの双方が公式にカヴァーした数少ない曲のうちの1曲だ。というか、他にあったっけ?
セッションまで含めるといろいろ出てきそうだが、今思いつくのはハウリン・ウルフの『キリング・フロア』ぐらいかな。
ただしエリックの方と違って、ゼップの方は独自のアレンジと歌詞で、例によってギターリフが中心のハード・チューンに仕上がっているので、一聴しただけでは同じ曲だということが分からないほどだ。
収録アルバムの<ミー・アンド・ミスター・ジョンソン>は、嫌いではないけれど、いわゆるロック・アーティストがニューアルバムを発売しました、というのとはちょっと次元が違っているので、あくまでサブ・コンテンツとして時折楽しむ、という利用方法になっているのが正直なところ。
このアルバムだけエリックには珍しく何故かぺらぺらの紙ジャケなのもイレギューラー感を強めているし。
で、街のCDショップは、またしてもゼップなんである。
偶然というか無意識的確信犯というかで昨日、銀座山野楽器に立ち寄ったら、店頭のイベントスペースで華々しく新・紙ジャケシリーズがセールスされていた。
いくら音楽業界が売上不振とはいえ、銀座のど真ん中で「竹内まりやのニューアルバムがでましたあ〜。今ならポスターがついてます!」みたいに、「レッド・ツェッペリンの紙ジャケいかがですか〜」とやられるとなぜか気恥ずかしくてその場を立ち去りたくなってしまう。
というわけでそこはスルーして地下の洋楽売り場に行くと、そこでも平置きお祭り状態。
ゼップの場合、あのレコードジャケットの最高傑作ともいえる10種類の絵柄を目にすると、パブロフの犬として反応してしまうので、注意が必要だ。
いくらSHM-CDとはいえ、「中身はおんなじ、中身はおんなじ」と呪文をとなえながら、それでも未だ買ってない<永遠の詩〜最強盤>ぐらいは押さえておこうかな、などと思っている。

■収録アルバム<ミー・アンド・ミスター・ジョンソン>

Born Under A Bad Sign ( 悪い星の下に ) / Cream

今年はディープ・パープル結成40周年だそうで、パープルレコード版権の紙ジャケ盤がビクターレコードから一挙再発された。
久々に懐かしいジャケでも拝んでみようかとCD屋の棚を見てビックリ。20タイトルぐらいのほとんどが見たことも聞いたこともないライヴ盤、アウトテイク集ばかり。
20年ぐらいパープルから遠ざかっている間にこんなにたくさん発売されていたのか、と不思議な気持ちになった。知っているのは第1期の3枚と、トミー・ボーリンのラスト・コンサート・イン・ジャパン(完全版だが)ぐらいだが、かつてワーナーから発売されていたこれらが、なんでビクターに移っちゃったんだろうか。
というわけでまあ、いつものオチでクラプトンの40年前、1968年といえば<素晴らしき世界>が発売された年だ。
その中の『悪い星の下に』なんか、当初は同アルバム収録の『トップ・オブ・ザ・ワールド』と区別がつかなかったくらいだが、今ならアルバート・キングとハウリンウルフの区別ぐらいはつく。
で、エリックが参考にしたといわれるアルバート・キングのバージョンの『悪い星の下に』が世に出たのが実は67年、アルバム発売が68年だそうで、なんとクリームのカヴァーとほとんど同時期とさえいえるタイミング。
これってレイフ・ギャレットの「ニューヨーク・シティ・ナイト」が売れたのでさっそくカヴァーしました田原俊彦「哀愁でいと」ってのとおんなじインスタントな感じがしたりして・・・。
そのアルバートの同名アルバム<悪い星の下に>のジャケは、黒猫、13日の金曜日、スペードのエースなど悪い兆しをポップなイラストでコラージュした秀逸なデザインだが、黒猫の顔がとぼけてカワイイ感じなのが、真に悲惨な現実を覆い隠しているようで、なかなか趣がある。

■収録アルバム<クリームの素晴らしき世界>

Sea Of Joy ( シー・オブ・ジョイ ) / Blind Faith

日本経済がまさにバブルの頂点を向かえようとしていた1989年。ぼくは仕事をさぼって毎日昼間からロードショーを観ていたわけだが、そのなかのひとつにアル・パチーノとエレン・バーキンの『シー・オブ・ラブ』というのがあった。
猟奇殺人の現場には、いつも『シー・オブ・ラブ』のレコードが流れている・・・。もちろんこの映画にピンときたのは、84年にジミー・ペイジとロバート・プラントがツェッペリン解散後に初めて組んだワンタイム・ユニット、ハニー・ドリッパーズで『シー・オブ・ラブ』をカバーしていたからだが、当時のぼくがニューヨークの下町の冴えない男女の冴えないラブ・ストーリーというアウトサイダーなシチュエーションに強く惹かれたから、ということも大きかったと思う。
そんなわけで何かとカッコ良かったシー・オブ・ラブをダサくしたようなタイトルの『シー・オブ・ジョイ』はブラインドフェイス<スーパー・ジャイアンツ>アナログ盤のB面1曲目。
冒頭の『泣きたい気持ち』と似た印象のちょっとたどたどしい感じのリフを核としてゆったりとしたウィンウッドのボーカルで曲は進行し、特別にギターソロといったパートはないのだが、実は繰り返されるリフのブレイクに炸裂するエリックのオブリガードが絶品。
ともすれば気の抜けた感じがしてしまうこのアルバムでのエリックのフレーズの中にあって、ここでの若々しいスピード感とキレの良さはアルバム中ベストワンではないだろうか。
とはいいながらも、アクア感を演出する流暢なリック・グレッチのヴァイオリンが流れてくると、「ああ、このアルバムもあとはジンジャーのドラムソロでおしまいか・・・」と、なにやら淋しい気持ちになってしまうのだ。

■収録アルバム<スーパー・ジャイアンツ>

Hoochie Coochie Man ( フーチークーチー・マン ) / Eric Clapton

60年代中盤にジョン・メイオールとライヴで演奏していた名曲『フーチークーチー・マン』がおよそ30年の時を経てエリックの公式録音としてアルバム<フロム・ザ・クレイドル>に収録された。
ジョン・メイオール時代の演奏は<プライマル・ソロズ>や<ブルースブレーカーズ・ウィズ・エリック・クラプトン・デラックス・エディション>などに収められている1〜2コーラスがブチ切れていて間奏のインプロヴィゼーションとメイオールの3コーラス目が収められた中途半端なテイクだが、この時期ならではのエリックのワイルドで攻撃的なフレーズがたっぷり2コーラス分聴けるという意味では相当貴重であろう。
対して<フロム・ザ・クレイドル>の方のテイクは淋しいことにギターソロなし!ブルースハープをフィーチャーし、オリジナルの雰囲気を再現したということか。
あとこの曲については、やはりタイトルがすごい。フーチークーチーってなんだ??というワケで、一度聞いたら忘れられないヘンテコなタイトルだが、pretty womensをjump and shoutさせるモテモテの悪漢というイメージは、実はエリック自身のことでもあったりするわけで、そこらへんの自嘲を込めたシンパシーでこの曲を取り上げたのだろうか。
まあ、ぼくの場合はフーチークーチー・マンに憧れ、いつかはそうなりたいと願いながらも、望みかなわずいつのまにかこんな年になってしまったが。

■収録アルバム<フロム・ザ・クレイドル>
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プロフィール
ジェイ加藤
プランナー/コピーライター

結局クラプトンの魅力は、幾多の十字路で立ち止まり惑いながら、今なお現役で活躍していることに尽きるのではないでしょうか。辛口の発言も好きだからこそ、とご理解ください。事実誤認はご指摘のほどを。  
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