名古屋城天守木造復元には
およそ500億円もの莫大な費用が
見積もられているらしい。

名古屋にサッカー専用スタジアムを
建設しようとする際に、建設費の
”財源”の問題もあるのだとすれば

間違いなく、これが大きく
関係していることになるかと思う。


そもそも

”復元城”を、この時代にわざわざ
”木造”で建築することの意味が
一体どこにあるというのだろうか?


復元城は
どのような素材を使って復元されようが
あくまで"復元城”であり”レプリカ”でしかない。
もちろん、そんなものに”歴史的価値”など無い。

どんなに精巧に造られたとしても

21世紀に造られた
”本物ソックリの天守”でしかない。


例えるなら
伊勢戦国時代村にある
見た目が本物ソックリに造られた
復元安土城となんら変わらない。



”レプリカ”であるならば

(ソックリに造ったところで
歴史的価値としては無いのだから)

”素材”を当時のモノにしたところで
大して意味は無い。



むしろ

耐震的に言っても
耐熱(防火)の意味からいっても
木材の耐用年数からいっても

莫大な費用をかけたのに


地震に弱くて
(予想される南海トラフ巨大地震等)

燃えやすくて
(善光寺の度重なる火災等)

仮にそれらが無くとも

”木造”は耐用年数(寿命)自体が短く
(木造建物の法定耐用年数は22年)
あっという間に朽ち果ててしまう。



新国立競技場建造の際の
森元総理の言葉ではないが

一時的な映画撮影用のものならまだしも

50年以上先にも残る”レガシー”
(遺産)として、未来永劫、
名古屋の”シンボル”にしたいのであれば

復元城は、耐震、防火、耐用年数
すべてに優れている
”鉄筋コンクリート”造に
するべきだと思う。



わたしは

”模型好き”でもあり
”戦国時代好き”でもあり
”お城好き”でもある。


だから
復元城を造ること自体には
反対はしていない。


ただ、プラモデルにしたって
極論をいえば
復元城(レプリカ)の一種だが

石垣を再現するのに
わざわざ本物の石を使ったり
木を再現するのに、わざわざ
本物の木材を使用したりするのは

モデラーとしても”邪道”だと思うし
それでは余りに”芸”が無さ過ぎる。


塗装の仕方や造形の工夫次第で
(モデラーの腕やアイデア次第で)

プラスチックをまるで木材のように
それらしく見せる。


そこがモデラー
(あるいは建築技術者)の
腕の見せ所だ。



仮にコンクリートで作られていたとしても
そういった工夫をして当時のモノっぽく
見せる事さえ出来れば全く問題無いと思う。



一番簡単な手法は

コンクリート、あるいは
柱である鉄骨の上から
当時の外見をそのまま再現したような

木材の精巧な意匠が施してある
”薄いベニヤ板”を貼り付ける。


それだけで
見た目も当時とソックリになるし

それでいて耐震、耐熱、耐用年数は
鉄筋コンクリートのそれと同じになる。



復元城はあくまで
当時の”姿”(見た目)を
そのまま”再現”することに
意味があるのであって


表から見えない部分にまで
わざわざモロい木材を使って

寿命の短いすぐに朽ちるような建物を

木材の”早く朽ち果てるところ”まで
忠実に”再現”する必要は全くないし

朽ち果てないように
防水、防腐剤の類を塗った時点で
当時のモノとは”別物”になる。

莫大な費用を使ってまで
そんな”中途半端”なものを
建造する意味は無いと思う。




木造は鉄筋コンクリートに比べ
長持ちさせるには手入れ
(維持費も含む)も大変だと思う。


それだけかけてもやはり
鉄筋コンクリートよりも
遥かに寿命が短く
早く朽ち果てる運命にある。


500億円もかけて
維持費も毎年かかって

それでいて
あっという間に”朽ち果てる”



映画のセットでもなければ

市民の血税を
ドブに捨てるようなものだ。



「もっと頭を使えよ」と言いたくなる。


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