2008年03月18日

日比谷で出会った「解放運動無名戦士合葬追悼会」;長沼節夫(写真も)

 穏やかに晴れた3月18日、初めは試写会に向かうところだった。それが地下鉄霞ヶ関を地上へ出たところで青年が掲げるプラカードに目が止まったのだ。「解放運動無名戦士追悼会はこの先、日比谷公会堂で」という案内だった。通りかかると既に多数が集まっており、長野県、京都府といった各都道府県別の旗が春風に翻っていた。聞けば12時45分から始まると言う。受付へ行って「記者ですが」と名刺を渡すと、資料をくれた。無名戦士



「第61回追悼会」で主催は日本国民救援会。61回という歴史も凄いが、「日本国民救援会は人権と民主主義を守るために活動し、2008年4月、創立80周年を迎えます。現在も言論弾圧事件、えん罪事件、労働事件、市民事件など100を超える事件を支援・・」という歴史も凄い。
 会場は1、2階合わせて7〜800人が着席。まず女性合唱団の歌う中で開会。会場が薄暗いだけに、舞台がそれだけ明るい。大小の物故者の写真がびっしりと並べられていた。全員黙祷に続いて、救援会の山田善二郎会長が経過報告。
 それによれば、この式典の後に向かう東京・港区「青山霊園」には「解放運動無名戦士墓」というのがあるが、これは日本が侵略戦争に突入した1935年(昭和10年)、特高警察の激しい弾圧に抗して闘う中で命を落とした人々の安息の地として、プロレタリア作家細井和喜蔵著の「女工哀史」の印税で建立された。戦前にはこの墓に有刺鉄線がめぐらされ、近づく者も厳しく監視されたが、今では献花が絶えない。戦後の1948年(昭和23年)の第1回追悼会以来、「解放運動犠牲者合葬追悼会」は営まれたが、第50回目から「解放運動無名戦士合葬追悼会」に呼称変更したという。
 ここに合装されるには、各地で民主化に貢献した人で年齢は問わず、団体や個人の推薦を受けることが必要で、今年は全都道府県の男751人、女299人の合わせて1050人。第1回以来から合わせると3万5271人に上ると言う。
 開会の辞に続いて労組や民主団体の代表が交代で、北から順に物故者の氏名をひとりひとり読み上げていった。1050人分で約40分かかったが、「その他大勢」として括られてしまわないのがいい。参会者には今回の1050人の名簿が渡されており、その活動歴が1行ずつだが、記入されている。
 弔辞は日本共産党中央委員の参院議員、労組代表、婦人団体代表の3人が、会葬御礼は代表2人が述べ、再び合唱で追悼会はほぼ終えた。多くの人が現在の自民・公明の連立政権による政治に危機感を訴え、9条をはじめとする日本国憲法を守る姿勢を強調した。
会場出口には大量の白菊が用意されてあり、会葬者はこれからバスで青山霊園に向かって、仲間の眠る墓地にそれを捧げるのだ。
記者はここまでで会場を辞した。
 「解放運動無名戦士の墓」。ここに葬られることは名誉なことだ。しかし配られた合葬者名簿の経歴を見ると、日本共産党寄りの党派色がかなり強い点が、率直に言ってちょっと気になる。「日本共産党員として社会進歩の活動に貢献」とか「赤旗記者の活動と被爆者運動に尽力」とか「赤旗の配達集金など」といった記述がそれだ。最後には共産党から批判された反戦の闘士徳田球一もここに眠っていることだし、党籍のあることが必要条件なんだろうかと下司の勘繰りをするつもりはないが、もっと開かれたお墓になるともっといいというのが、会場を辞するときの感想だった。仕事の都合でこの日はかなわなかったが、日を改めて青山に墓参を果たしたい。(了)
(写真)たくさんの遺影が飾られた式場で追悼の辞を読み上げる参列者。(18日、日比谷)


jlj001 at 23:29評論  この記事をクリップ!
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