2011年08月29日

本澤二郎の「日本の風景」(861)

<荒井広幸参議院議員の絶叫> 新党改革の荒井広幸幹事長(8月23日日本記者クラブ会見)とは、小泉・郵政改革の取材で1度会っただけであるが、今回は東日本大震災と福島原発事件の被害者・当事者として話を聞くことが出来た。かつて彼は、自民党議員として原発推進の立場から「安全神話」の片棒を担いできた政治家である。どんな発言をするのか。それは、思いこまされてきた、信じてきたことが、真っ向から裏切られた場合の人間の行動としても興味深い。彼の会見は、まるで原発への怒りの絶叫のようだった。そのことが痛いほど理解出来た。



 それは「天皇は神」「大東亜共栄圏」を信じ、信じ込まされて侵略戦争に兵士として加担させられた学徒らが、原爆投下で敗北、無条件降伏したさいの心情と相通じるものがあるのではないだろうか、とふと思ったりした。
 信じることは大事だが、それがイカサマだと知った時の驚きと怒り、しかし、それをぶつける相手がはっきりしない。リビア国民は独裁者カダフィという相手がいるが。明白な人災・業務上過失事件である原発事件に、どうしてか捜査当局は動かない。その住民のもどかしさ、無念の心情は想像を絶するだろう。
 ネット掲示板に掲載される地方からの原因不明の「高熱」「吐き気」「下痢」の報告に対して、利用者のアクセスが断然多いことからも理解できる。5年後のがん多発を裏付けている。現在も民意は弾き飛ばされたままなのである。
<38キロ圏内の生活> 「私は原発から38キロの場所で、今も生活している。政治家としてもっとも近い距離で」が冒頭に発した言葉で、少なすぎる記者会見場を見渡して「済まない」と心で詫びた。必ず活字にすると内心、約束し、こうしてペンを進めている。
 栃木県の政治家は家族を3・11以後、即座に海外へと飛ばした。電通など大手企業の家族は、都心から関西以西に高跳びさせているとも聞く。荒井はしかし、38キロ圏の自宅から逃げない。
 「5万人から7万人が、誰にも言わないで、こっそりと外へ逃げ出している」というのだ。戦場であれば敵前逃亡であろう。恵まれた一部の住民に違いない。初めて聞く事実である。原発事件による新たな格差である。
 「正直なところ、今誰を信じていいのか」と言って荒井は絶句した。政治家として、いくらでも情報を知る立場にあるのではないか。官房長官の枝野に聞くことも出来るだろう。だが、被害者の心情はそんなに単純なものではない。「安全と安心は全く違う。放射線に対する人々の心の数値も違う」と指摘されると、門外漢は言われてハッとするしかない。
 こうした荒井の言葉を何人の日本人が理解出来るのであろうか。
<忘れない反省の弁> 被曝した住民は大熊町など20キロ、30キロ圏内に限らない。水素爆発による大量の放射性物質は、濃淡があろうが日本列島から地球全体に広がっている。風雨や地形によって、遠方にも大量のセシウムが降り注いでいる。列島に散らばるホットスポットだが、東電も政府も未だに公表していない。東芝はプルトニウム燃料棒の正体を隠したままである。
 国民の怒りを恐れて公表をためらっているのだろう。嘘と隠ぺいで逃げようというのである。菅直人が脱解散をしなかった本当の理由といえまいか。
 荒井は逃げなかった。「福島県議から数えると、もう25年間、政治の世界に身を置いてきた。この間、原発推進を訴えてきた。安全第一・住民の信頼の確保を約束してきた。しかし、今この二つが一瞬に崩れてしまった」といって、自らの不甲斐なさを詫びた。
 県民・国民の代表である荒井は、見事といっていいほど約束した公約が破綻してしまったのだ。しかも、現状は「これに輪をかけることが相次いでいる」と言って呻く。メルトダウンは2カ月後、5カ月後に広島型の168個分のセシウム量などなどである。
 「それでもわれわれには日々の生活がある」のである。怒りをこらえた重い東北人の心の底からの一言である。彼は自民党時代、郵政改革の小泉・竹中政治と真正面から対決する政治生活を送ってきた。それも果たせないまま福島東電事件に翻弄されている。
 福島人の政治家として「被曝量は20ミリシーベルトまで安全、それが1ミリシーベルトにした。これが被災者にどういう衝撃を与えているのか。真っ先に福島に入った研究者は広島と長崎の大学だった。どうして広島と長崎なのか。福島も同じ原爆被爆者が出ているからではないか。私自身、その原発を安全といって推進してきた政治家ではないか。深く責任を感じるばかりだ」と正直に告白した。
 中曽根や与謝野の心とは正反対だった。ここに彼の人間性を感じることが出来る。間違いは反省し、謝罪するものなのだ。そうしてこそ人間は、さらに生きる希望を手にすることが出来る。2度の失敗をしないだろう。
<妻の一撃> 荒井は福島事件を家族からも追及されていた。その内情も明かした。勇気ある態度である。
 「妻からも、お父さん、政治家を信用できない。お父さんも」と痛撃されたという。彼は自宅でも生活の場所を失ってしまったのである。家族崩壊ではないか。被害者は福島県の大地と海だけではなかった。地域の住民だけでもなかった。荒井は政治家として家族の信頼さえも失ってしまったことになる。
 家族もまた被害者なのである。こうした悲劇を東電は知るまい。
 妻の信頼を失った荒井の衝撃はいかばかりであったろうか。家族から不信任を突きつけられた政治家というのも珍しい。思いあぐねる日々が続いた。生活の基盤を無くしたようなものである。原発事件は人々の心を半狂乱の状態に追い込んでいたのだ。それは政治家の家庭も逃れることはできなかった。彼はようやく、妻が一番信頼する埼玉県にいる医者のことを思い出した。
 医者の説明に彼女は、ようやく落ち着きを取り戻した。そうして38キロ圏から逃亡しない選択をしたというのである。こうしたドラマを福島県民全てが経験したことになろうか。
 関東以西の人々にとって無関心な事柄であろう。「もはや我々全ての国会議員は責任をとって辞めるべきだろう」とも口走る心境も理解できる。彼の生き場は、むしろ日本版「緑の党」を立ち上げるべきだと進言したい。
<ベトナム輸出は許されるか> 日本の原子炉メーカーの東芝・日立・三菱は海外へと原発輸出に力こぶを入れている。その標的がベトナムだ。菅内閣も必死で推進している。荒井は「おかしい」と釘をさす。
 「周辺の住民に対して、政府も東電もやることなすこと全てが後手後手ではないか。それで原発を輸出など出来るのか」
 正論である。彼はもはや利権のためなら何でもする、という自民党的体質から卒業している。人間性を取り戻した政治家に変身している、と信じたい。
 「立ち止まる勇気が必要ではないか」と政府と東芝など原子炉メーカーをけん制した。正論である。福島を海外に金もうけのために売り込むという強欲資本の手先になるのはよくない。国民のための政府であれば、史上最大の原発事件の渦中において、問題の原発を輸出するのは間違いだと決めつけたのだ。
 彼は「小泉・郵政改革と同じだ」と断じた。「立ち止まって疑問を持つことが何よりも大事だ」といって絶句した。物事を推進する場合、アメリカのいいなりの対応をしてきた官僚政治に「待った」を掛けているのだろう。
 それよりも、人間はもともと決断をする前に立ち止まり、疑問を持つ特性を有している。福島事件の教訓ではないか、といいたいのかもしれない。責任ある政治、責任を持った海外展開を福島は、日本人と人類に発信しているのである。
 「原発事故の収束無くして復興はない。除染無くして再生はない」と絶叫して会見を終えた。彼は沢山のことを教えてくれた。
2011年8月29日10時10分記


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