2012年05月28日

本澤二郎の「日中40年友好の旅」(2)

<対米自立派の歴史>
 数か月前、亀井静香と会見した際に「アメリカに屈した典型的な内閣・政治家は岸信介・中曽根康弘・小泉純一郎だと思うが、亀井さんはどうか」と彼が一番こたえにくい質問を浴びせて見た。「そういうことですね」と相槌を打った。露骨な表現を用いると、彼らは典型的な脱亜入米の売国奴である。そんな彼らを支援したマスコミは、もっと悪い。国民の目を曇らせる役割を果たしたのだから。


 今なぜ小沢が叩かれるのか。日米対等・アジア重視、脱霞が関を公約に掲げた小沢と鳩山内閣への仕打ちについて、日本国民も理解できないでいる。誤ったメッセージを垂れ流しているメディアに問題がある。それは北京の人たちにも言えなくはない。
 北京での勉強会・小さな講演では、対米自立派のこれまでを解説する必要にも迫られた。特に若手の日本研究者に対して、その必要があった。
 ひるがえって、歴代の政権が全てワシントンに屈した政権かというと、必ずしもそうではない。服従しながらも、それでいて一定の抵抗を示した政府も存在した。ところが、ワシントンの意向に反すると、途端にその政権は危うい状態に追い込まれてしまうのである。
 こうした歴史の真実を誰も書けない。書かない。悲しいかな、市民は歴史の真実から遠ざけられてきたのだ。そこにも、マスコミ責任が重大な理由であると指摘せざるを得ない。真実を書けない日本の新聞、報道できないテレビという不幸な真実を、市民は知らないまま生涯を過ごしている。これは悲劇を通り越している。
<スキャンダルと危うい命>
 悪しき権力が牙を抜くと、どういったことになるのか。
 筆者は戦後日本の「成功した民主主義」という欧米の知日派の分析に満足してきた。学校でも戦後日本の好ましい成果を教え込んできたのだから。「アメリカン・リベラル」に傾倒する日本の政治家も存在した。
 従って、軍事政権が存在した韓国などと日本は違うのだ、はるかに進歩した民主主義国家という認識を抱いて社会に飛び出した。まさか日本の霞が関の官僚たち、経済を牛耳る財閥がワシントンにひれ伏している、などという認識など持たなかった。いわんや国民・市民に奉仕するマスコミが、ワシントン・CIAの手先のような役割をしていようとは、思ってもみなかった。
 反米の左翼活動家は別として、多くの日本人はアメリカを好意的に捉えてきたものだ。
 日米同盟という言葉は鈴木内閣で表面化した。違和感を抱いたものだが、それは鈴木首相(当時)もそうだった。彼が外相を更迭したことに満足したのだが、続く中曽根内閣は逆に公然と日米同盟を吹聴した。円高ドル安政策・中曽根バブルは、こうして浮上したものである。
 日本の経済的敗北を意味しているのだが、これの総括・反省は政府において行われていない。当初は筆者でも、この流れを理解できないでいた。
 反発しないメディアに国民も、これに否応もなしに馴染まされてしまった。政府に屈するマスコミの怖さを物語っている。
 ワシントンに抵抗する日本人を、保守陣営の中で知ることなど出来なかった。20年もの間、自民党の派閥政治を取材してきた筆者には、余計に理解など出来なかった。田中角栄を失脚させた背景など、知る由もなかった。
 だが、冷静・客観的に戦後政治を眺めると、明らかに政府によって凹凸がある。アメリカに服従した岸・中曽根・小泉とやや抵抗した政府、どっちとも言えない政府の存在である。
 アメリカに抵抗した政権、特に対中外交に寛容さを示した政権の当事者には、スキャンダルや生命の危険を感じさせる事態が、間違いなく表面化した。以下に概略を指摘しようと思う。北京の学者らにも、その一部を明かしたものである。
<吉田・鳩山・石橋の時代>
 ワシントンに抵抗した最初の宰相は占領下の吉田茂である。彼には朝鮮戦争が、政権の基盤に直撃してきた。ワシントンは戦争の補給基地としての日本から、再軍備の日本に変身させようとしてきた。
 戦争しない日本の戦後のはずだったが、ワシントンの態度は一変した。再軍備させて、それを朝鮮戦争に投入しようと言うのだった。これに吉田が抵抗した。彼は戦前の軍国主義の日本を外交官として見ていた。再軍備が何を意味するか、再び軍国主義化しかねない日本に警戒感を抱いた。
 幸いにも不戦の9条憲法が彼の防波堤となった。「日本は再軍備できない。もしも、すれば日本経済は再び崩壊する」とワシントンに逆らった。それは政権の終わりを告げるゴングとなった。
 造船疑獄事件が発覚した。当時の吉田側近の吉田・自由党幹事長である佐藤栄作が逮捕される、という事態に追い込まれて、吉田は退陣した。背後にワシントン・CIAの暗躍を見て取ることが出来る。マスコミと検察による吉田攻撃である。
 CIAは岸や児玉誉士夫と連携する鳩山一郎を擁立して、マスコミを使って宣伝させた。その結果、鳩山ブームさえも。その上で9条改悪を求める憲法改正を公約させて、総選挙を実施させたのだが、この場面では野党・国民も健全な判断を示した。国民は戦争アレルギーを喪失していなかったのだ。
 鳩山は、ワシントンの同意を得ずに密かにソ連と交渉した。ソ連に抑留されている60万人の日本兵捕虜の返還を求めるためだ。日ソ国交回復である。ワシントンは仰天、鳩山を退陣させて、なんとA級戦犯容疑者で反共主義者の岸を擁立した。
 自民党が初めて実施した総裁選挙で1位になったものの、決戦投票でリベラル派の石橋湛山が勝利した。CIAの敗北である。石橋は日ソ回復に次ぐ、日中国交回復に大きく足を踏み出した。
 ところが、どうだろう、石橋は病気に倒れ、1カ月後に退陣した。正に青天の霹靂である。背後で何があったのか。真相は不明である。CIAの謀略がなかったのかどうか?中国との関係改善は頓挫してしまった。
<田中・大平の時代>
 戦後最大の外交課題は、岸の実弟である屈米派・佐藤内閣の7年8か月の間において、全く進展しなかった。日中国交回復は72年7月に発足した田中内閣で実現したのだが、党内の台湾派などの厳しい反発を巻き起こした。
 この世紀の外交課題は、外相の大平正芳によって推進、これを田中が決断したものだ。二人の見事な実績といえる。しかし、それは二人に対して厳しい試練が追い打ちをかけることになる。
 田中内閣に金脈問題が発覚する。右翼雑誌・文芸春秋による田中攻撃だ。退陣すると、その後にワシントンからロッキード事件を持ち込まれる。司法の独立が破られて、田中は逮捕されてしまう。典型的とも言えるCIAの陰謀だった。
 大平はというと、79年12月の訪中で、彼らしい最後のODA支援を約束したものの、台湾派の執拗な攻撃によって病に倒れ、そのまま人生を終えてしまった。
 CIAの暗躍は、数年前に米紙ニューズ・ウイーク特派員(CIA)の日記が見つかり、その全貌の一部が明らかにされた。そこに岸擁立の蠢きや宮内庁をコントロールするCIAの活躍ぶりが記述されている。CIA日本工作の目的は、屈米政権の樹立と反米政権の阻止に尽きる。それが対中外交で表面化することになるのである。
<小沢・鳩山の時代>
 従来はイデオロギー的な要素が、CIA活動の標的にされてきたことがわかる。ワシントンの了解なしに日本外交が花開くことはない。現在も北朝鮮外交にそれが見られる。拉致問題の根っこはワシントンに存在する。
 現在の対中外交には、台頭する中国・米国をしのぐ勢いがある中国を抑え込む、というのがCIAの目的であろう。その基本戦略は、日本と中国の関係親密化を阻止する点に絞られている。東アジア共同体はワシントンの死を意味するため、受け入れられない。
 思うに、2009年の民主党公約は、日米対等・アジア重視である。真っ当な民意なのだが、ワシントンからすると、これは反米政策と認識されるのである。鳩山由紀夫首相はワシントンに乗り込むと、真っ先に中国の胡錦濤主席と会見、東アジア共同体構想の実現を呼び掛けている。
 普天間基地撤去問題で失脚するのだが、その前に彼の金銭スキャンダルが表面化した。小沢は2009年総選挙で民主党代表として采配を振る場面で、これまた疑惑を流されて、今日も刑事被告人の立場に追い詰められている。
 対米自立派・親中派退治がCIAの重要な任務であることが、以上のことから理解できるであろう。これが戦後日本の実像なのである。
<CIAのマスコミ利用>
 筆者の衝撃は、古巣のマスコミがCIAに懐柔されていたという点に尽きる。全くもって予想外なことだった。小沢・鳩山事件が裏付けてくれたものだ。それは吉田末期、田中のロッキード事件によっても理解することが出来る。
 自立しない政治・自立しない司法は、自立しないメディア・マスコミでもあったのである。
 ここ10数年来、中国の学者などは日本のマスコミのおかしさを指摘してきているのだが、蓋を開けて見れば、それは大いに納得出来るはずである。
 今回の友好の旅では、以上の内容の一部しか語る時間がなかったので、あえてここで総括した次第である。こうした実態は韓国や台湾も、とあえて指摘しておきたい。
 「CIAの存在しないアメリカは存在しない」と中国の学者は指摘する。これは同時にアメリカの不条理を世界に自己宣伝しているものである。
 米共和党下院議員のロン・ポールが、同党大統領選指名争いの公約に「CIA廃止」「外国の米軍基地撤去」を掲げていることは注目に値する。日本のマスコミが彼のことを全く報道しないことも、CIAとの癒着を裏付けている。朝日新聞主筆がCIAリストに載っていたことも判明している。朝日出身の緒方竹虎は、ポスト吉田の有力者だったが、彼も読売の正力松太郎と共にCIAのコードネームがあったという。
 日本の言論界もまた不条理の一翼を担っていたのである。今も、である。
2012年5月28日8時30分記


jlj001 at 08:26 この記事をクリップ!
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