2014年12月25日

本澤二郎の「北京の街角から」(8)

<衝撃のクリスマス・イブ>
 2014年12月24日、東京では不気味なカルト教団が支援した第三次安倍内閣が発足した。北京はこの日も小春日和の好天に恵まれた。僕はたまたま友人の誕生会に呼ばれた。そこで恐ろしい、この世の地獄の目撃者の証言を聞いて震え上がってしまった。敗戦時の日本軍の蛮行である。戦争とはいえ皇軍・天皇の軍隊の恐怖を知って、打ちのめされてしまった。一体、この悲劇を中国人も日本人も知らないのではないだろうか。そう思い、急いで記録することにした。
 

<3歳児以下の乳幼児を貨物車に押し込んでガソリンで焼き殺した関東軍>
 こんなことがあっていいわけがない。しかし、実際にあったことである。敗戦時の満蒙開拓団の悲劇である。
 ソ連参戦がわかると、当時、満州に駐屯していた関東軍は浮き足立った。東京の大本営の命令で、悪魔の生体実験場のハルビン・731部隊は、あわてて証拠隠滅のための膨大な文書の焼却を始めた。同時に逃亡計画を具体化してゆく。

 本当の悲劇は、何も知らされない満蒙開拓団の農民とその婦女子である。まともな軍隊であれば真っ先に彼らを逃亡させて、関東軍は一番遅く撤退する。これが当たり前の軍隊である。
 不幸にして日本軍は、国民を守る軍隊ではなかった。天皇の軍隊だった。恐ろしい悲劇は、そこから始まった。なんと足手まといの3歳児以下の乳幼児を貨物車に集めて、そこに押し込んだ。その中にガソリンを流し込んで点火した。
 2日かけて燃やした。乳幼児の血肉が燃え、焼け焦げると、一面に異臭が立ち込めた。この関東軍最後の蛮行場面を、抗日運動の衛生部勤務の看護師が目撃していた。その彼女の目撃談である。僕が動転して当然だった。

<この世の地獄・逃亡関東軍最後の蛮行を自国民に>
 僕は歴史を知らない日本人だった。小泉純一郎と同年である。歴史を知らない彼が、靖国参拝した背後には神社本庁(日本会議)という極右のカルト教の存在を感じる。彼とは取材を通じて長年、何度も会っているが、その彼から靖国のことを聞いたことは一度たりともなかった。
 偶然かもしれないが、彼の結婚式の引き出物のちゃちな時計が動き始めた。電池を交換した途端に針が動いたのだ。いま彼に対する憎しみはない。
 彼も恐怖のカルト教団の操り政治家だったのであろうから。

 数十年前、歴史に無知な日本人ジャーナリストが、関東軍の逃亡劇をわずかだが、、知ったとき仰天したことを覚えている。関東軍は、自国民を守らない卑怯者の軍隊だったのだから。そんな軍隊を信じて農作業をしていた満蒙開拓団、国策の被害者とはいえ、無数の農民とその子女が、関東軍によって殺害された史実を消すことは出来ない。
 殺された命をどう償うのか。せめて為政者は、日本国民に対しても、深く反省と謝罪をしなければならない。被害者の多くが長野県民である。南京大虐殺を世に問うた本田勝一が、長野県出身というのも理解できる。彼こそ本物のジャーナリストである。
 関東軍は真っ先に現地から逃亡した。そのさいに無数の幼児の命を奪った。現地逃亡を拒絶した農民を、銃殺するという事件も伝えられている。 

<命令は大本営か関東軍か>
 問題は、誰の命令で関東軍が自国民を殺害したのか。現地の指揮官ではないだろう。開拓団の男子は関東軍に編入されている。その親族を謀殺することなど出来ないだろう。
 関東軍か東京の大本営であろう。常識的には大本営の指令であろう。大本営は、真っ先に731部隊の施設の破壊と証拠品の焼却を指示している。これは現場に立てば、明らかに見えてくる。
 天皇の軍隊は、実のところ、悪魔の軍隊だった。その悪魔の後裔が、今の国家主義政権なのである。軍国主義復活をもくろむ、国家神道の復活を求める、ナチスまがいの政権なのであろうことが見えてくる。

 この輪の中に戦争屋のワシントン・産軍複合体を巻き込もうとして集団的自衛権行使の法体系を、来年、強行しようというのであろう。単なる出まかせ的な憶測ではない。日本国民は、これを決して許さないだろう。
 たとえ、創価学会と神社神道・統一教会・財閥が連合して強行しようとしても、無駄なことである。その前に国際的包囲網が確立する。2015年は戦勝70年の戦後体制再構築の年だからでもある。
<発狂・自殺する母親数知れず>
 抗日運動の衛生部の目撃者は、その後に八路軍に降伏、協力した日本軍の病院関係者の証言を聞いて、共に泣いたという。
 この証言者は、その後、国共内戦時の人民解放軍・朝鮮戦争の派遣軍にも看護婦長として参加した。たくさんの死者を葬ってきた。1949年の新中国の時点で、一切の病院・医師・看護婦の仕事を止めた。
 「戦争のむごさに耐えられなかった」のである。
 彼女は八路軍・人民解放軍に協力してくれた日本軍医師や看護師と仲良くなった。通訳をした関係でもあった。
 「いつも泣いている日本人看護婦の身の上話に震えてしまった」という。関東軍に殺害される乳幼児を見て「発狂したり、自殺する母親も数知れなかった」からである。
 何も知らないで満蒙開拓団にやってきた日本の農民たちの悲運に、改めて驚愕するばかりである。彼女はいま本当の平和主義者である。ふとこんな考えられない言葉を発した。「本澤さんのような人が日本の総理大臣になれば、中日双方、仲良くなれるのだけれど」と。
 要は大平正芳や宇都宮徳馬のような政治家が政権を担当すれば、東アジアは平和と繁栄を手にすることが出来るとの意である。友好が何よりも大事である。日本国憲法は、そのことを為政者に指示している。死の商人を排除している。財閥を排除しているのである。
<抗日衛生部員の目撃証言>
 僕の12・24の体験は貴重なものとなった。誰も知らない関東軍逃亡時の大惨事である。まさに、この世の地獄であるが、その最悪の事例であろう。
 上司の命令で、貨物車に3歳児以下の幼児にガソリンをまいて点火した犯人は、まだ生きているだろうか。生きていれば、自らこの世の地獄を日々、体験させられているだろう。
 国共内戦・朝鮮戦争を看護婦として生きてきた証言者は、2度と戦争をしてはならない、と強く主張する。僕と同じ見解の持ち主である。ものすごい体験に裏付けられているからだ。いま戦争体験を知る日本の政治家はいない。政治屋ばかりである。新聞テレビもその先導役となっている。危うい日本と中国だ。
 内政の危機を戦争へと引きずり込もうとしている国家主義政権に、SOSを発するジャーナリストが少ない。いないのである。
<思い出した戦争遺児の非業の死>
 人間はどうして平和に生きられないのか。ふと戦争遺児の無念を思い出してしまった。ようやく希望の人生を目前にした矢先、信仰者の仲間に誘われてアルバイト、そこで紹介された「親切な大工」との紹介を信じて家の玄関工事を頼んだ。
 なんと男はやくざレイプ犯だった。性奴隷8ヶ月、そこから抜け出そうとして必死の祈りも、レイプ犯の脅迫によって、希望の人生の道を閉ざされしまった。これが原因で大動脈溜破裂、非業の死を遂げてしまった。
 南京・盧溝橋の再度の訪問を楽しみにしていた戦争遺児だった。どうして悲劇が付きまとう人生だったのか。悪魔が優先する社会・政治でいいいのだろうか。考えさせられる、我が忘れ得ない12・24である。
2014年12月25日記








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