2016年10月28日

三笠宮の正論<本澤二郎の「日本の風景」(2521)

<異様な国家主義的風潮>
 戦前史や歴史の教訓が影響して、多くの日本国民は歴史軽視と天皇以下、皇族について関心が薄い。筆者もそんな人間だから、昭和天皇の弟(三笠宮崇仁)が、敗戦直後の皇室典範改正時において、天皇譲位・生前退位論の開明派だった報道に驚く。三笠宮逝去に及んで、ようやく報じられる異様な国家主義的風潮を、改めて恐れる。




<皇室典範改正法案要綱案>
 皇室典範は1946年12月に改正されている。三笠宮・改正案は、皇族を代表してのものだ。当時の皇族の心情を知る上でも、貴重な歴史的資料であろう。
 現人神・天皇の廃止と、平和憲法の制定を経ての皇室典範の改正である。原案は衆議院と貴族院で審議され、政府原案通りに決着、三笠宮案は封じ込まれてしまった。

 三笠宮案いわく「(政府原案は)自由意志による譲位を認めない、死ななければその地位を去ることが出来ない」「必要な最小限の基本的人権の譲位を考えた方がよい」「新憲法18条の、何人もいかなる奴隷的拘束も受けない、という精神に反しないか」
 まさに正論・正論である。開かれた皇室への自由願望ともいえる。皇室自ら、神がかりの天皇制排除に向かっていることが理解できよう。
<戦争責任を受け入れた皇族?>
 侵略戦争による戦争責任・国破れて山河在り、の異常・非常時にもかかわらず、当時の政府を構成する官僚らの頭脳は、ドイツとは全く違っていたのだ。皇族は一歩前進していたのであろう。
 本来であれば、天皇制廃止論が世論を構成する場面であったろう。その片鱗を見せない皇室典範改正となってしまった。日本民族の資質が問われていよう。
<天皇絶対性に凝り固まっていた政府・議会・司法>
 要するに、時の政治指導者は天皇絶対性に凝り固まっていた、そんな政府・議会・司法界だったことになる。日本民族の限界といって非難することは可能であるが、果たしてそれで済むものか。
<国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法に羽交い絞めにされた日本民族>
 筆者は、安倍内閣を背後で操る日本会議、同会議をコントロールする谷口雅春信者に行き着く。生長の家の狂信的天皇教の存在である。
 敗戦時においてさえも、大日本帝国憲法へ帰れ、天皇現人神の日本へ戻れ、と戦後体制破壊を叫び続けた谷口に心酔した信者が、いまの日本会議を操作している。そこには合理主義や科学的思考は通用しない。カルトの世界である。
 ということは、明治の官僚が生み出した国家神道・大日本帝国憲法・教育勅語の悪しき狂信的効果が、日本人の五体を羽交い絞めにして、それが日本会議に継承されてしまったことに、恐怖を覚えるのである。いまでも神社の祭礼にのめり込む市民や政治屋、旧家に存在する神棚をありがたがる風潮が、そうした悪しき成果となって、いまも継続されている。

 天皇譲位・生前退位を羽交い絞めにしている元凶なのだ。そこには近代はない。歴史を繰り返しかねない恐怖が見えてくる。
2016年10月28日記(政治評論家・日本記者クラブ会員

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