2018年01月12日
国家主義商取引か<本澤二郎の「日本の風景」(2852)
<国民担保の日立原発・英国輸出事件が表面化>
戦前の国家主義、ないしは国家社会主義が、ビジネスの部門でも、くっきりと開花したようだ。かつては大英帝国のイギリスに、日本の日立製作所が、今日もっとも高価で、かつ危険で、恐ろしい原子力発電所を輸出するということが、本格的に始動している。戦前の大日本帝国をそそのかして、当時の清国と、ついでロシアと戦争させ、漁夫の利を得た元大英帝国との、意外な商取引である。311の教訓を、日本政府と日立がすっかり放棄したものだろう。近年の東芝や三菱の教訓さえ学ぼうとしていない。日本財閥の崩壊を象徴するような、危険な国家主義商取引事件ではないだろうか。原発売り込みの、その先のことを警戒すべき日本国民とアジア諸国といえる。
戦前の国家主義、ないしは国家社会主義が、ビジネスの部門でも、くっきりと開花したようだ。かつては大英帝国のイギリスに、日本の日立製作所が、今日もっとも高価で、かつ危険で、恐ろしい原子力発電所を輸出するということが、本格的に始動している。戦前の大日本帝国をそそのかして、当時の清国と、ついでロシアと戦争させ、漁夫の利を得た元大英帝国との、意外な商取引である。311の教訓を、日本政府と日立がすっかり放棄したものだろう。近年の東芝や三菱の教訓さえ学ぼうとしていない。日本財閥の崩壊を象徴するような、危険な国家主義商取引事件ではないだろうか。原発売り込みの、その先のことを警戒すべき日本国民とアジア諸国といえる。
<宇都宮徳馬の官僚社会主義批判>
昨夜、日立問題で日刊ゲンダイ記者の取材を受けて、その後に思案すると、宇都宮徳馬の「官僚社会主義批判」のことを思い出した。軍国主義下のころ、読売新聞紙上で高杉俊輔名で「官僚統制経済」を批判した宇都宮の、敗戦後まもなく出版した処女作である。
たしか、この本を当時の読売新聞社長が推薦文を書いていた。このころに、言論界の問題児・フィクサーのナベツネを、読売に入社させた宇都宮である。「忘恩の徒」と断じた宇都宮の平和軍縮を排除、いま中曽根康弘から、安倍晋三の広報宣伝マンになっている。読売は、敗戦10年もたたずに報道姿勢を急変させ、原発推進・改憲新聞に衣替えして、政府と一体となって世論操作して、内外の注目を集めている。
政府と一体で行動する財閥、というよりも、財閥が操作する政府のもとでの経済政策は、むろん、まともな自由主義経済ではない。公正と透明の、倫理を備えた健全な、自由主義ビジネスとは、無縁のものである。
<東芝・三菱に次ぐ原発御三家の危うい前途>
宇都宮は、よく「官僚は生きた経済を分からない。それでいて日本経済を操っている。必ず失敗する」とこぼしていたが、いうところの中曽根バブル崩壊は、第二の日本敗戦を意味した。
広島・長崎の教訓を忘れて、核エネルギーの原発を54基も建設、原発大国を誇ったものだが、311がそれを撃破した。にもかかわらず、廃炉方針どころか、その逆の原発再稼働、そして原発輸出を強行している安倍・自公内閣である。
原発は地震にも対応不能である。危ない韓国も、現政権が廃炉へと舵を切っている。中国は、自然エネルギー大国として、今では世界に安全エネルギーを輸出して、その名をとどろかせている。
核の恐怖をないがしろにした自公内閣は、たとえばインドへは党首がそろって訪問して原発建設を急がせている。中国を包囲する、原発売り込みに執念をみなぎらせている。原発御三家の意向に盲従する安倍・自公内閣に、広島長崎も東電福島も、眼中にないのだろう。
国家主義の危うさなのか。
<血税を巻き込む亡国のビジネス>
政府を巻き込んでの財閥ビジネスの怖いところは、イギリスの場合は、結果として国民を巻き込む。国民の懐に手を突っ込んでくる。正常な商取引と無縁である。亡国のビジネスである。
今回の日立の原発売り込みの特徴は、日本の官民一体の保証にあるが、民とは日本国民のことである。「リスク・責任を国民が負担するので、心配ご無用」といって、かつての大英帝国に売り込んでいる様子を見てとれる。3分の2議席の暴政そのものであろう。
原発の危険性・リスクは半端ではない。それを日本政府・日本国民に押し付けるビジネスを、これまで聞いたこともない。
どう考えてもこれは納得できない。背後で「壮大なる腐敗」を感じる。悪魔のビジネス・亡国のビジネスであろう。原発は莫大な利権ビジネスなのだ。これによる腐敗は、度はずれているという。
日立が、次期経団連の会長に就任するというのも、こうした仕掛けの一つなのか。衰退した東芝・三井と三菱に取って代わっての、日立・みずほなのか。原発の売り込みに大義などない。
<国民は日本核武装に警戒>
核アレルギーの日本である。広島長崎、ビキニ、そして東電福島と教訓だらけの日本が、なぜ原発にこだわりを見せるのか。
日本の核武装化であろう。財閥と右翼・国家主義者の昔からの野望である。宗主国・アメリカの衰退に比例して、この危ない野望が頭をもたげてきている、と分析すべきだろう。
改憲軍拡と歩調を合わせている。
核で威嚇する外交に興味を示す極右外交官も、これを後押ししている。地球の隅々に核をバラまくことに、倫理的な責任を感じない一部勢力の台頭に警鐘を鳴らす時期の到来であろう。
永田町に、第二の宇都宮徳馬が誕生する場面でもある。
2018年1月12日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
昨夜、日立問題で日刊ゲンダイ記者の取材を受けて、その後に思案すると、宇都宮徳馬の「官僚社会主義批判」のことを思い出した。軍国主義下のころ、読売新聞紙上で高杉俊輔名で「官僚統制経済」を批判した宇都宮の、敗戦後まもなく出版した処女作である。
たしか、この本を当時の読売新聞社長が推薦文を書いていた。このころに、言論界の問題児・フィクサーのナベツネを、読売に入社させた宇都宮である。「忘恩の徒」と断じた宇都宮の平和軍縮を排除、いま中曽根康弘から、安倍晋三の広報宣伝マンになっている。読売は、敗戦10年もたたずに報道姿勢を急変させ、原発推進・改憲新聞に衣替えして、政府と一体となって世論操作して、内外の注目を集めている。
政府と一体で行動する財閥、というよりも、財閥が操作する政府のもとでの経済政策は、むろん、まともな自由主義経済ではない。公正と透明の、倫理を備えた健全な、自由主義ビジネスとは、無縁のものである。
<東芝・三菱に次ぐ原発御三家の危うい前途>
宇都宮は、よく「官僚は生きた経済を分からない。それでいて日本経済を操っている。必ず失敗する」とこぼしていたが、いうところの中曽根バブル崩壊は、第二の日本敗戦を意味した。
広島・長崎の教訓を忘れて、核エネルギーの原発を54基も建設、原発大国を誇ったものだが、311がそれを撃破した。にもかかわらず、廃炉方針どころか、その逆の原発再稼働、そして原発輸出を強行している安倍・自公内閣である。
原発は地震にも対応不能である。危ない韓国も、現政権が廃炉へと舵を切っている。中国は、自然エネルギー大国として、今では世界に安全エネルギーを輸出して、その名をとどろかせている。
核の恐怖をないがしろにした自公内閣は、たとえばインドへは党首がそろって訪問して原発建設を急がせている。中国を包囲する、原発売り込みに執念をみなぎらせている。原発御三家の意向に盲従する安倍・自公内閣に、広島長崎も東電福島も、眼中にないのだろう。
国家主義の危うさなのか。
<血税を巻き込む亡国のビジネス>
政府を巻き込んでの財閥ビジネスの怖いところは、イギリスの場合は、結果として国民を巻き込む。国民の懐に手を突っ込んでくる。正常な商取引と無縁である。亡国のビジネスである。
今回の日立の原発売り込みの特徴は、日本の官民一体の保証にあるが、民とは日本国民のことである。「リスク・責任を国民が負担するので、心配ご無用」といって、かつての大英帝国に売り込んでいる様子を見てとれる。3分の2議席の暴政そのものであろう。
原発の危険性・リスクは半端ではない。それを日本政府・日本国民に押し付けるビジネスを、これまで聞いたこともない。
どう考えてもこれは納得できない。背後で「壮大なる腐敗」を感じる。悪魔のビジネス・亡国のビジネスであろう。原発は莫大な利権ビジネスなのだ。これによる腐敗は、度はずれているという。
日立が、次期経団連の会長に就任するというのも、こうした仕掛けの一つなのか。衰退した東芝・三井と三菱に取って代わっての、日立・みずほなのか。原発の売り込みに大義などない。
<国民は日本核武装に警戒>
核アレルギーの日本である。広島長崎、ビキニ、そして東電福島と教訓だらけの日本が、なぜ原発にこだわりを見せるのか。
日本の核武装化であろう。財閥と右翼・国家主義者の昔からの野望である。宗主国・アメリカの衰退に比例して、この危ない野望が頭をもたげてきている、と分析すべきだろう。
改憲軍拡と歩調を合わせている。
核で威嚇する外交に興味を示す極右外交官も、これを後押ししている。地球の隅々に核をバラまくことに、倫理的な責任を感じない一部勢力の台頭に警鐘を鳴らす時期の到来であろう。
永田町に、第二の宇都宮徳馬が誕生する場面でもある。
2018年1月12日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
jlj001 at 10:27