2019年01月06日

天下の一大事!首相伊勢参拝は憲法違反<本澤二郎の「日本の風景」(3206)

<国家神道復活・改憲軍拡の元凶なり>
 伊勢神宮は、戦争神社の総本山である。そこへと安倍晋三首相率いる日本政府の面々が、2019年1月4日に、公然と仰々しくも参拝した。憲法擁護の主権者として、憲法20条の政教分離に違反する大罪人として、安倍晋三を処罰・罷免する責任と義務を有したことになる。首相参拝は、侵略・植民地支配の国家神道復活と、改憲軍拡の元凶を意味する。ことは深刻重大である。まさに2019年1月4日は、天下の一大事を、列島とアジア・世界に告げている。国民もアジア諸国民も、その深刻事態に覚醒する時を迎えたことになる。憲法が命じるままに警鐘乱打したい。


<沈黙は天に唾する大罪なり>
 戦前の過ちは、人々が怒りの声を上げることなく、寄らば大樹を決め込んだことに起因する。言論の自由を奪われていた暗黒社会であったせいでもあった。したがって、戦後の現行憲法は、言論の自由を規定、二度と同じ過ちをさせないための歯止めとして、政教分離を明文化した。これは近代法の大原則でもある。

 21世紀の今日、沈黙することは天に唾する大罪である。民主主義国家の国民として、沈黙は許されない。
 新聞テレビの責任でもある。もしも、生きているというのであれば、声を上げなければ、地獄の新聞との汚名を着ることになるが、それでもいいのか。とりわけ公共放送のNHKの責任は、ものすごく重い。
<政教分離は憲法の骨格なり>
 日本国憲法の骨格は、日本政府が再び戦争を引き起こしてはならない、という特別のカンヌキを用意した完璧な平和憲法である。
 そのための9条であり、もう一つが政教分離であり、これを車に譬えると、両輪にして、戦争政府を封じ込めてきた。見事、死の商人を排除して、戦後70余年の平和を実現してきた。このことに明仁天皇は、感涙にむせんだといわれる。同じ思いを抱いている皇太子も、次なる平和維持への願望は強い。

 そのためにも、日本国民と象徴天皇の総意である平和を、共に貫徹するためには、政教分離違反の政府の存在は許されない。政教分離は、かくかくたる憲法の骨格なのだ。形骸化させてはならない大事な規定である。
<侵略・植民地支配を反省しない神社神道なり>
 言及するまでもない。植民地支配・侵略戦争は、野蛮な宗教政策のもとで進行したものである。これを否定はできない。
 半島や大陸での恐ろしい蛮行の数々は、天皇を頂点とする神道の後ろ盾によって、遂行された。
 それでいて、国家神道を引きずる神社本庁・靖国・伊勢・出雲の神道本山による反省と謝罪を、人類は、未だに聞いていない。それどころか、歴史のねつ造・改ざんに懸命である。その典型的な極右内閣が、現在の日本会議政権に他ならない。

 この史実をアジアや世界の識者は、重視して忘却することはない。今日の隣国との歴史認識にまつわる問題の浮上とも関係している。特に、生存者の元従軍慰安婦の方々の怒りに対して、まともな日本人はうろたえるばかりである。安倍の責任は、言葉にならないほど重大である。
<憲法学者・法律家は提訴運動の機会なり>
 傲慢にも、安倍・日本会議内閣は、2019年に戦争する日本改造を、伊勢神宮の場で繰り返し公約した。
 日本に憲法学者はいる。たくさんいる。法律家もたくさんいる。平和市民もたくさんいる。まともな宗教家もいるに違いない。
 ならば、直ちに安倍の伊勢神宮参拝は政教分離に違反するとの訴訟を、全国的な国民運動として展開する好機である。それは日本国民の義務でもあろう。

 繰り返し叫ぶ。沈黙してはならない。見て見ぬふりは人間ではない。平和主義者は、こぞって安倍罷免の裁判を起こす責任があるのである。憲法で裁くのである。

 20条知らずの公人は罷免の対象である。日本人の屑として政府の権能から排除するしかない。

 沈黙は慰安婦・やくざの性奴隷レベルである。立ち上がって前進する2019年にすれば、列島とアジアに光明がさしてくること請け合いである。立て!
2019年1月6日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

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