2019年01月12日

師走の北京<本澤二郎の「日本の風景」(3213)

師走の北京<本澤二郎の「日本の風景」(3213)
<消えて寂しくなった出稼ぎ農民の庶民向け店舗や市場>
 1月12日は師走の土曜日。早い人は、長い長い旧暦正月休みに入って、幾分、市内人口が減少して、大気汚染減少に貢献しているのだろうか。残念ながら昨日から今日にかけて、雲行きが怪しい。太陽が地上に届くまえに遮られて、北京上空を灰色が渦巻いている。

 今日は散歩を兼ねて、大型スーパーへ買い物。行きは歩いて、帰りはバスで帰宅した。午後2時過ぎか。20分ほどかけての道のりでも、数年前とは大分様変わり、変化がみられる。

 農民の出稼ぎ者らで活況を見せてきた、庶民のための市場が消えてしまった。郊外のせいか、彼らの種々の店舗も閉店して、人けが無くなってしまった。小さな小売店も減少して、街中はすっきりだが、賑わいは無くなってしまった。
 恐らく北京市内の無数の出稼ぎ農民は、市内から追い出されてしまったのだろう。彼ら彼女らは、その後、どうしているのだろうか。

 世界一ともいえる巨大な都市の装いは、そのせいで立派になったが、1979年12月から北京を覗いてきた外国人ジャーナリストにとって、いかにも寂しい気分に誘われる。

 一昨日、北京の漢方の名医がそろうという不思議な病院をのぞいた時、久しぶりに地下鉄に乗った。正午すぎだったせいか、車内は以前と比べると、乗客が少なかった。それでも、労働者の帰宅時の混雑ぶりは、総武線や山手線を連想させた。大混雑でも乗客のほとんどはスマホに明け暮れていた。
<大混雑の大型スーパーマーケット>
 目的の大型スーパーは、土曜日の午後とあって、混雑ぶりは平日と異なり、消費者が殺到していた。夕刻だと、さらにひどくなるだろう。
 日本のスーパーの様子と比較すると、その混雑ぶりに圧倒されてしまう。それでも、何割かの消費者は、携帯で食事を店に注文して、配達を待って食事をする家庭が増えてきている。
 レストラン泣かせなのだが、料理はレストランに注文して取り寄せるため、それによって、レストランの商売が落ち込んだりはしない。自宅の部屋で、携帯で注文、其の携帯で支払いを済ませるのだ。

 したがって、市内いたるところで、配達する若者の物凄い数の運転するバイクが突っ走っている。マンションには、彼らのバイクが1日中、走り回っている。日本では想像できないだろう。
<山盛りの野菜や果物・穀物類>
 飛び込んだ大型スーパーは、地下一階にある。入ると、穀類が山のように積んであるのが、まず壮観である。中国人の食事は、かなり贅沢である。穀類からも、不足しがちなビタミン・ミネラル・たんぱくを摂取する。5種類、10種類の穀物がゆは、相当贅沢である。

 国土が広いため、冬でも青野菜が豊富である。果物も、である。むろん、肉類と魚類も。北京では、強いて言うと、魚は淡水魚が多数派だ。
 市民は、これらを500グラム単位で購入する。山のような野菜や穀類、果物を必要な分、ビニール袋に入れて、それを秤にかける場所に持ち込んで、値段をつけてもらうのである。

 これらを入れて運ぶ買い物車は、日本に比べると、はるかに大きい。
<様々な卵>
 ある高級幹部の娘だったオバサンの話を聞いたばかりだ。彼女は、パンは高級店で買う。それは作ったその日に売りさばくため、防腐剤など添加物のないパンだからである。

 これは卵にも言える。ニワトリの餌を点検して購入する市民も少なくないらしい。日本では、多くを養鶏場の卵を食べているようだが、そこでは抗生物質その他有害なものを餌にしている。北京はちがう。
 卵のコーナーに行くと、種類が豊富で、値段もまちまちだ。野山での放し飼い、抗生物質を食べさせていない卵は、かなり高価であるが、富裕層はそれを買っている。
<高額な有機野菜>
 健康管理に徹している優雅な年金暮らしをするおばあさんは、高くても化学肥料を使わない、有機肥料の野菜を購入している、と聞いた。
 そういえば、有機野菜のコーナーに一般の消費者は、通り過ぎるだけだった。ただでさえ、インフレの中国である。

 質素倹約は、何処の国の人々も同じなのだろう。
<奇声を上げる売り子で店内は騒然>
 日本のスーパーとの違いは、場内が騒然としていることである。あちらこちらで大声というよりも、奇声が飛び交っている。
 ともかく、すごい迫力である。築地市場を見物する機会がなかったのでわからないが、恐らく市場のセリに似ているかもしれない。

 そういえば、この奇声は魚売り場の売り子の声が圧倒している。
<最後は酒類・日曜雑貨類>
 食料品のコーナーを終えて、レジに向かうと、その手前が酒類の飲料コーナーである。洗剤などの日用雑貨が、そして菓子類もたくさん並んでいる。
 子供連れだと、ここでも誘惑が待ち構えている。
 それまで、周囲のいたるところで見られた、身近な小売店が消えてしまった関係で、人々は大型スーパーに殺到するしかないのだ。
 日本でも、大型店の政治力が強くなると、小売店が次々と姿を消した。中国でも大型スーパーの政治力を物語っているかもしれない。
<レジを通過しても、新たな売り場>
 中国の現金なし社会は、恐ろしいくらい早い速度で進行している。年配者は現金にこだわりを見せているが、スーパーのレジを見聞していると、キャッシュレス市民が、文句なしに多数派である。

 レジを出てホッと一息入れたいところだが、そこでも売り子が大声で何かを売ろうとしている。大きな売り場も、大声を上げる売り子によって、全体が騒然としているのである。
 市内は静かになったものの、スーパーの中は大騒音そのものなのだ。
<上階にはレストランだらけと財布に襲い掛かる市場経済>
 一階は、正面入り口に高級ケーキ・パン屋さんだ。これに子供たちが群がるため、ここでも財布を開いてしまう家庭が少なくない。
 軽食レストランもいっぱいだ。3階にも食堂街が待ち構えている。

 中国は世界最大の消費大国なのである。実感する。日本が小さく、みすぼらしく見えるのは本当である。

 余談だが、義母の住んでいる中古の集合住宅の入り口を入ったところに、日本語の鰻という文字の店がある。ウナギ好きがいるのであろうが、あまり人の気配がない。それでも倒産していない。同じ住宅街に日本の赤ちょうちんの店もある。いつも不思議に思っている。
 存外、日本の料理店も受けるかもしれない?
2019年1月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

jlj001 at 21:16 この記事をクリップ!
Archives
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Recent Comments
Recent TrackBacks
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)