2019年01月31日

主権者を騙す統計法違反<本澤二郎の「日本の風景」(3231A)

主権者を騙す統計法違反<本澤二郎の「日本の風景」(3231A)
<「腐敗権力介在の統計法違反事件」と専門家>
 厚生労働省で発覚した統計法違反事件は、この国の姿・形を根本から危うくさせている。筆者は統計の素人なので、専門家に日本政府の危うい統計法違反事件について見解を求めた。回答を得たので、後段にそっくり貼り付けたのだが、目下、ライブドアというブログのため、混乱続きで、うまく貼り付けられるのか、心もとない。さりとて、やめるわけにはいかない。第一、この文章そのものが保存できず、終わると「廃棄」にクイックしないと、パソコンが止まらない。

<新自由主義に事件の根源>
 事前に断っておきたい。筆者は政治のプロでも、経済は素人である。いわんや統計学をかじったことがない。
 幸い、友人の一人が統計学の専門家なので、彼に今回の厚生労働省で発覚した労働賃金の統計調査の不正事件について、専門家としての公正な評価を求めた。以下その見解の核心をまとめながら、説明をくわえたい。

 行政統計などの国の基本情報は、その国の国民、自然、文化の共有資本・財産である、社会の安定を支える社会的規範なのだ。

 外交は、国際社会の安定を確保する重要な任務を帯びているが、基本的な行政統計は、国内の社会的安定を確保する重要な使命を帯びている。
 ところが、小泉内閣から本格始動した新自由主義の経済は、この基本統計を軽視し、やたらと規制緩和を振り回す。安倍のいう「ドリルで穴をこじ開ける」とあたかも、それが正しいと錯覚させる。
 統計上のサンプリング処理はいい加減である。徹底した公正さを排除する経済手法という。
<サンプリング処理には、専門家の厳しくも公正な視点が不可欠>
 厳しい専門家による公正な処理が、サンプリング処理に不可欠なのだ。ここに狂いが生じたものだ。
 素人に統計は処理できない。厚生労働省に限らず、霞が関には統計学の専門家がいない。いないに等しいいい加減な統計調査なのだ。サンプリングで全体を測定するわけだから、それは当然であろう。

 この重大な課題を積み残した政府機関の統計処理ということになる。国家としての体を基本的に欠いている。
 売国奴政権は、行政統計の恣意的な調査でも露見したものであろう。きわめて深刻な事態といっていい。統計学の専門家による再調査が、早急に求められる。新自由主義に特化してきた安倍・自公内閣は、即退陣すべきだろう。
 改元・選挙を任せるわけにはいかない。
<いい加減すぎる新聞テレビの世論調査は禁止せよ!>
 このさい、新聞テレビの世論調査による世論操作にも言及すべきだろう。結論をいうと、新聞テレビの世論誘導による恣意的な世論調査の公表を禁止すべきである。
 民間の新聞テレビに有能で公正な統計学の専門家がいるだろうか。NOである。断じていない。政府サイドの誘惑に耐えられる新聞テレビ人が、いるであろうか。これもNOである。
 特に、最近は読売どころかNHKもいい加減である。権力に屈しない言論人はいない。首相の食事の友達ばかりである。
 新聞テレビの世論調査の、少なくともいかがわしい公表を禁止すべきである。中立公平な行政機関の統計が狂い咲きの現在である。
 野党は、安倍責任を徹底追及して、退陣に追い込むべきだろう。
 「国民を騙す最も効果的な方法は、大事なことを教えないことである」
2019年1月31日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

<以下に専門家の統計法違反事件についての見解>
「毎月勤労統計」の不適切統計処理問題は、厚生労働省による不作為であるばかりか、法律違反に該当する深刻な行政不祥事であり、担当職員の単なるミスであったなどと言い逃れは許されない。 事は、わが国の基幹情報に対する信頼を揺るがせたばかりでなく、法律違反であり、国民に直接的な損害を与えたという意味でも犯罪行為なのである。 
本件に横たわる問題を以下の切り口から少し考えてみたい。

公共資本としての基幹情報
行政統計などの基幹情報は、人間関係資本、自然資本、文化資本などの「共有資本」に関わるものであり、社会の安定を支える社会的規範を守るものである。 このような共通資本は、市場経済とは別の秩序やリズムをもっているが、市場経済を下支えするものでもある。 しかし、共通資本は、市場経済が生み出す商品などとは異なり、明確な姿かたちとして表れてこないので、その重要さが分かりにくい。
今般の毎月勤労統計の不正問題は、わが国の共通資本をないがしろにした犯罪と捉えるべきであろう。
新自由主義が軽視した公共資本
毎月勤労統計の不正が2004年頃より厚生労働省内で、組織的に継続されてきたことは、何を意味するのか。 この不正が開始されたのは、「小泉・竹中構造改革」が声高に叫ばれ、「効率−公平モデル」を掲げて規制緩和や自由化へとわが国が巻き込まれた時期と符合する。 このような新自由主義では、市場の自由を重視するあまり、ともすれば共有資本を無用の長物と見なし、規制緩和に邁進するのである。
公共資本をないがしろにしても構わないとする新自由主義の機運が、毎月勤労統計の業務に影響を与えなかったのであろうか。 時の政府からはさほど重要とはみなされていない行政統計であり、しかも当該統計データを収集するのには膨大な労力を要するとなれば、手抜きが許され、そのことが勤労統計の処理を効率化することに繋がるとの合意が厚生労働省内で成立したのではないか。
サンプリング処理の前提
多量のデータを処理するにあたって、全数データを統計処理する代わりに、サンプリングしたデータを用いて統計処理することは広く行われている手法である。 例えば、政党支持率の聞き取り調査や国政選挙の出口調査などでは、サンプリング調査手法が採用されている。 しかし、そこには2つの前提が必要となる。 そのひとつは、バイアスのないサンプリングを行って、データを取集することである。 給料の高い企業の勤労データのみを収集するといった操作をしてはならないのである。 さらに、サンプリング・データから全数データとしての統計を導くには、サンプリングの結果に重み付けの操作をしなければならない。 例えば、東京都の対象全企業の内の3分の1の企業データのみを収集したのであれば、その結果を3倍して、東京都の結果とし、それを全国の結果に加えなければならない。 しかし、このような前提を採用することは至極当たり前な処理の方法であるが、それが担保されないとしたら、そのような統計結果は不作為の結果として断ぜられよう。
専門知と専門家としての信頼
公務員が専門家であるかどうかは議論のあるところであろうが、少なくても統計データの処理を担当する厚生労働省職員は、素人であるはずがない。 素人が処理する行政統計など誰も信用しないのである。 しかるべき専門性を有する職員がデータ処理を行い、その結果としての基幹情報は統計専門家の厳しい管理の下で公表されていると考えるのが普通であろう。 それが素人のような不正な統計処理を行ない、検証も得ないままで公表したのであるから、当然の報いとして行政統計としての信頼を失ったばかりか、厚生労働省に対する信頼まで地に落ちたのである。
行政統計は公共資本を形成するものであり、それが信頼を失ったとなると、とどのつまりはわが国の安心・安全が危機に瀕していることになる。 行政統計には専門知が欠けているばかりか専門家としての真摯な姿勢もうかがうことができないとしたら、何を頼りに国家の未来を構想しなければならないのか。
今回の不正統計で、行政統計に関して日本の国家統計結果は正確であるという国際的な信頼をも一気に失った。 「信頼は、得るは難く、失うは易し」とする「信頼の非対称性」の問題にわが国も直面したことを肝に銘じなければならない。 国家の信頼の底が抜けたのである。
明らかにすべきこと
今回の不正統計問題が、厚生労働省職員の不作為とだけ片付けてしまってよいものだろうか。 そこに他の権力の介在や、それへの忖度はなかったのだろうか。 「人をだますには、嘘をつくよりも、大事なことを隠して教えない方が、より効果的である」ことを地で行く企みはなかったのであろうか。
(沢内三郎記)


jlj001 at 10:21 この記事をクリップ!
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