野崎次郎のボケ作日記

日常生活と現代思想・文学。歴史=物語論

引っ越しました

新緑かおる今日この頃、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

このたび、長年住んでいた関西を去り、ふるさと東京に舞い戻ってきました。秋からはベルギーに「シニア留学」と考えていましたが、ヴィザ取得のための書類が煩瑣なことに加えて、東京の板橋のマンションが予想をはるかに超えて快適なことから、ベルギーは夏期講座だけとし、しばらく東京での生活を満喫することにしました。

お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。

2014年5月吉日

野崎次郎

謹賀新年 2014

Bonne et Heureuse Annee !


 新年あけましておめでとうございます。

 長年続けていた非常勤講師生活も3月で終わります。
 20年住んだ関西を去り、4月からは東京に転居し、夏にはベルギーへ「シニア留学」する予定でいます。「日本脱出」がかなうでしょうか…。

 今年もよい年でありますように。今年もよろしくお願いします。

 2014年元旦

書評『近代フランスの歴史』(ミネルヴァ書房)論文連載2007c


谷川稔/渡辺和行編著(2007), 『近代フランスの歴史』
京都:ミネルヴァ書房, 366P.


 ロワール河の北と南とでは、地勢的、気候的、文化的に、さらにはその地に住むひとびとのライフスタイルの上でも歴然たる違いがある。このような言い方で「ふたつのフランス」ということがよく語られる。実際、フランスに行ってみれば、たとえば同じフランスの都市といっても、パリやツールやボルドーの町並みには歴然たる違いがある。パリ市でも16区と18区とでは、パリ郊外でも北東部と南西部とでは歴然たる違いがある。フランスの地方を旅行してみれば、それらの地方はさまざまな景色を見せ、その多様性に驚かされるだろう。
 フランス近代に目を転じてみよう。フランス革命以降、フランスは「小党分立」の状況下で多くの党派が激しい対立を繰り返し、めまぐるしい政体の変遷を経て、現在のフランスにいたっている。「革命と人権とレジスタンスの国」フランスは、じつに多様な様相を呈しているのであり、日本においても「もうひとつのフランス」が正面から語られなければならないときに来ているといえるだろう。
 「もうひとつのフランス」とは狭義には、1970年代以降語られ始めた「レジスタンスのフランス」に対する「ヴィシーのフランス」(あるいは19世紀末以降の「フランス・ファシズム」)である。しかしそれを広く使えば、第三共和制下の「王党派のカトリック」に対する「共和派のライシテ(非宗教性)」として、さらに最近の事柄で使えば、「フランス人のフランス」に対する「移民のフランス」として、また「共和派のライシテ」に対する「ムスリムの信仰の自由」としてシェーマ化することができるだろう。
 本書はその歴史叙述を通してまず「重層的なフランスが浮き彫りにされる」ことをねらいとしているが、そればかりでなく、「国民国家フランスを越えて、国際社会が直面する諸問題へと導かれる」ことをもねらいとしている。そのねらいを達成するために筆者たちが共通して使用する概念装置が、これらの「ふたつのフランス」というシェーマである。なぜ多様性なのに「ふたつ」なのか?
 話は簡単である。あまりに多様すぎるために、通史だから当然ともいえるが、その多様性を多様なまま語れば複雑になりすぎて歴史を見通すことができなくなる。とりあえず、単純な2項の対立軸を立てて、その周りに出来事を叙述するという態度であろう。それは現代フランスの「左翼」と「右翼」(「左派」と「右派」)という対立図式に似ている。その2項対立を最後まで信用しているわけではない。とりあえず立てられているだけだ。
 そこで本書はフランスの近代史に見られる多様性を二部構成で描き出す。第1部は政治社会史的な通史「国民国家の成立と展開」、第2部は個別テーマ別に焦点を当てた問題史的通史「もうひとつの近代フランス」である。そのほかに各章末に「参考文献」があげられていて以後の学習の手引きとなっている。さらに「コラム」欄があり、「ボルドーのユダヤ人」「共和国の聖人」「赤い郊外」など興味深い記事が満載されている。
 もちろん本章の叙述の方に重点があり、興味深くもあるのだが、いくつかの例を挙げておこう。まず、「第4章 社会共和国の夢から産業帝政へ」の「オスマン化のパリ」の節で、「ふたつのフランス」ではないが、「ふたつのパリ」について触れられている。
 「このオスマン化と呼ばれる一連の事業によって(中略)、それまでブルジョアと労働者が混じりあって住んでいたパリで、次第に「住み分け」が明確になってくる。つまり、中心部から西部を占めるブルジョワ街を、東部から南北に環状にのびる労働者街が取り囲む、いわゆる「赤い帯」ができあがる。この「ふたつのパリ」の形成による都市住民の一体性の喪失は、あきらかに新たな断絶の構図をつくりだした。」(p.139)
 もうひとつの例。フランスにおける「ふたつのネイション概念」が、「第5章 対独敗戦から急進共和国へ」の「国民統合の虚と実」の節で触れられている。「ネイションのフランス的モデル」としてルナンの主意主義的観念が引用されることが多い中で、以下の指摘は重要である。(もっともルナンのネイションについては詳しくいえば別の解釈も可能なのだが、それは通史の範囲を越えることになるだろう。)
 「このように多様性の強い社会から単一の国民国家を生み出すには、そのネイション観念が文化的・民族的要素にしばられるものであってはならないはずである。第三共和政は、この点で適切なネイション観念を用意していた。それを端的に表すとされるのが、エルネスト・ルナンがパリ大学でおこなった講演「ネイションとは何か」(1882年)である。ルナンによれば、ネイションは種族、言語、宗教などによって先天的に規定されるものではなく、国家理念への同意によって人々が自発的に形成するものである。いわば主意主義的な国民観念である(この主張の背後にはドイツに割譲されたアルザス・ロレーヌの問題があった)。(中略)なお、フランスでもドイツのそれに近い、「土地」や「血」に根ざしたネイション観念が存在しており、世紀転換期に台頭してくる。」(p.158)
 後半部について補足すると、モーリス・バレスの場合がそうである。バレスは「大地と死者たち」(との結びつき)という言葉遣いで「ネイション」を定義した。そしてそのことを指して、「ファシズムのフランス的起源」の研究者Zeev Sternhellは、(民族と祖国を意味するナチスの標語)「血と大地 Blut und Bodenのフランス語版である」と断じた。(L’Eternel Retour, Presses de la fondation nationale des sciences politiques, 1994, p.17)
 第2部は、「女・こどもの歴史」「植民地」「移民」「国民経済」などのテーマに絞った通史となっていて、ユニークな問題史となっている。たとえば「共和政の偉業」と位置づけられる「植民地」についてその問題点をより深いところで指摘している次のような文章がある。
 「近年では共和国が植民地建設を成し遂げた点を重視して、植民地拡張を単に共和主義との矛盾、あるいは裏切りと見るのではなく、フランスは共和国であるがゆえに植民地化を進めた、あるいは植民地主義は共和国原理と不可分とする見方が出てきている。」近年の移民差別の社会問題(「文明化」の問題!)をより深いところで考える上でも重要な指摘であろう。
 序章で編著者の1人、谷川稔は、「国民国家空間のゆらぎ」がEUの拡大とともに進行しつつも、「国民国家フランスの普遍性」を語っている。たしかにこの国が直面している問題は、特殊フランス的な淵源をもってはいるが、「それらの課題は、じつはフランスとヨーロッパのみならず、二十一世紀の世界が等しくのりこえねばならない共通の困難なのである。」ここに本書の問題意識の根底に横たわる「フランス的普遍主義」が表明される。
 終章で編著者のもう1人、渡辺和行は、アングロ・サクソン流の多文化主義に対する「普遍主義というフランス的モデル」との兼ね合いで、「移民社会」「ヨーロッパ市民権」に触れて、「ハイブリッドな「移民社会」の足音が戸口まで聞こえる今ほど、従来の国民国家を越える発想が求められているときはない。(中略)相違への権利は相違の絶対化になってはならず、「平等のなかの相違」が必要である。それは「普遍主義的な開かれた同化」(トッド)」の道ではなく、「同化なき共生」という困難だが、新しい開かれた市民権の道へと踏み出すことでなければならない。」と感動的な提言を行って、終章を閉じている。
 このように本書は「ふたつ」にこだわっているようである。なかなかしゃれたことを何気なく行っている。フランス的というべきなのだろうか。それはともかく、本書はフランスに対して一面的な理解をもちがちな学生に限らず、多面的な理解が必要とされるフランスに関わる研究者、フランス語教育に関わるフランス語教師にも、是非とも一読を勧めたい良書である。さらに、つねに机上に置いておけば、複雑なフランス事情に迷子になったときの道しるべとしても役立つであろう。

野崎次郎(立命館大学)

(初出、RJDF, vol. 2,n. 2, pp. 85-88, 2007年10月27日、日本フランス語教育学会)

書評『知識人の時代:バレス/ジッド/サルトル』(藤原書店) 論文連載2009b

ミシェル・ヴィノック著 塚原史・立花英裕・築山和也・久保昭博訳 (2007),
『知識人の時代:バレス/ジッド/サルトル——』東京:紀伊國屋書店, 834p.


 本書は Michel Winock, Le siecle des intellectuels, Paris : Editions du Seuil, 1997 et 1999 の全訳である。邦訳につけられたサブタイトルは原書にはなく,原書では表紙にバレス,ジッド,サルトルの顔写真が載せられている。
 バレス,ジッド,サルトルの3人に代表させながら,ゾラ,ペギー,モーラス,ドリュ,マルロー,フーコー,ブルデューらを脇役に,2000名近くに上る有名無名の知識人たちを次々と登場させて,19世紀末から1980年代までのほぼ1世紀にわたるフランスの思想史を臨場感あふれる文体で描き出した浩瀚な一大思想絵巻である。
 戦後をサルトルに代表させることにおおかたの反対はないだろうが,19世紀末はなぜ「知識人」intellectuelという語の起源となったドレフュス事件のエミール・ゾラではないのか,両大戦間の時期は例えば反戦の闘士ロマン・ローランやロジェ・マルタン=デュ=ガールではないのか,というように不審に思う向きもあるだろう。しかし,ヴィノックの知識人論,思想史観からすれば,これらの3人は選ばれるべくして選ばれたといえる。
 知識人は普遍的真理の間近に位置し一般大衆はそれに付き従っていけば,平和な世界を得ることができる,というような単純な図式を今なお信じている人はいないとは思うが,それは実はそれほど単純な問題ではなく,「国家の理性に対する正義の抗議」という意味での知識人の役割に関するドレフュス的伝統の図式は,今なお批判し切れてはいない。
 このような図式はソフトな変装を凝らして根本的な発想をそれと知らずに変えぬまま何度でも現れては消える。したがって,このような図式の手強さに対する自覚を持たない場合,知識人の時代は終わったという性急な結論を持つことになる。そしてそれは本書の意図を読み誤ることになるだろう。
 一方の「正しい」立場に立ち,他方の「誤った」立場を一方的に批判するのではなく,とりあえず,一方の側から他方の側へ,他方の側から一方の側へと相互に考え方を照らし合いながら作り出される思想史のシーンのなかで,どちらの思想的立場をも「絶対的に正しい」などと絶対視せず,誰もが「誤りうる」ものとして登場し活躍する様子を,ヴィノックは絵巻物のように描き出す。したがって,立場を変え続けた知識人たち,すなわち,バレス(放浪の称賛者から「大地と死者たち」の理論家へ),ジッド(心情的左翼からスターリン主義批判者へ),サルトル(ときに優柔不断な,ときに闘士としての,ときに同伴者としての知識人)の3人にフォーカスするのである。そして3人にフォーカスしながらもそこに収束しきれないさまざまな人物を脇役におく。
 ヴィノックによって3つに区分けされたおのおのの時期をごく簡単に見ていこう。
 まず,19世紀末のフランス。ドレフュス事件の時期である。国論を二分したドレフュス事件にあって,おおかたはゾラへとまず関心が向くだろう。しかしヴィノックによれば,「知識人という美しい経歴には,非難と告発がすでに約束されていた」ということになる。バレスに注目する必然性がここにある。「知識人の気取った普遍主義に対抗して,〔社会の土壌に〕根を張ろうとする反知性主義的要求をバレスほど見事に表明したものはいなかった」からである。バレスは「フランス祖国同盟」の設立に向けて「もはや知性と−−粗悪なフランス語を使うならば−−知識人がただ一方の陣営だけにいるとは言えなくなるだろう。」とも言っていた。バレスは数多くの文学者を魅了した文学者であった。
 フランス起源のファシズムの研究者,ゼーフ・ステルネルにいち早く注目し称賛していたヴィノックにしてみれば,この時期はファシズムが形成され始めていく,「プレ・ファシズム」の時期としてもとらえなければならない。そしてその様子が生き生きと描写されている。
 次いで,両大戦間の時期。この時期は「民主主義対ファシズム」という簡単な言葉でくくられてしまうことも多かったが,ロシア革命,戦後の混乱,大恐慌,ファシズムの嵐,人民戦線内閣,スペイン内乱,国際義勇軍,ソ連における大規模な粛清と収容所,独ソ不可侵条約など実に多くのテーマが入り乱れて出現し,一筋縄ではいかない状況であった。右も左も極右も極左も離合集散しながら,相互批判,内部対立を繰り返し,古典的な「左右の図式」ではとても片付かない状況であった。その状況をヴィノックは「共産主義と知識人との関係の歴史」を基軸にしながら活写する。
 その中心人物としてヴィノックは,「過去30年の全フランス思想は(中略)ジッドとの関連で規定されなくてはならなかった」と述べるサルトルとともにジッドを選んだ。アンドレ・ブルトンと違ってジッドは政治に「私情」を積極的に結びつけた。ジッドの感情的共鳴をフランス共産党はオルグに活用する。ジッドはソ連の現実を無視しながらもソ連への夢を語り続けていたが,ソ連に旅行してから『ソビエト紀行』を1936年に刊行。ジッドは「ソビエト連邦に対する称賛を断ち切りたくはなかった。だが同時に,自分の目で見たことも隠しておきたくなかった」。知識人は「反ヒトラー」を選ぶべきか「反スターリン」を選ぶべきかで悩んでいた。「多くの人びとにとって,「スターリンの犯罪」と「ヒトラーの犯罪」のどちらかを選ぶのはむずかしくなってきた。」
 こうした動きと並行してヴィノックは,アクション・フランセーズ,ドリュ・ラ・ロッシェル,シャルル・モーラス,ヴィシー政権の「国民革命」など(イタリアやドイツのではなく,フランスの)ファシズムの形成について語る。
 最後に戦後。サルトルが華々しく登場する。サルトルはフランス共産党との距離の取り方に変化があったが,カミュ,メルロ=ポンティなど何人もの論争者相手につねに「正しさ」で勝利してきた。そこでのテーマは,知識人はスターリンに問題があるとしても「反−反共主義」であるべきという戦後直ぐの考え方から,東欧での一連の出来事,とりわけ1956年のハンガリー暴動以降,「非−共産主義」へとシフトしたことであろう。アルジェリア戦争に対する態度で知識人は割れたが,ヴィノックによればこのとき知識人の役割に関するドレフュス的伝統が復活した。
 1968年以降,左翼行動主義 (gauchisme) (普通は極左と訳される。要するに非−共産党系新左翼のこと)が前景化する。サルトルも毛沢東派として活動するが,サルトルからフーコーへと主人公は交代する。「レジスタンスの帰結として定着し,楽観的な歴史哲学を下敷きにした政治参加のモデルは一気に時代遅れとなり」「闘争は多元化し,学校,刑務所,精神病院,結婚,性差別などの抑圧構造に対して各分野ごとにたちむかう」ようになったのである。
 1968年の「五月革命」にたいする「憤慨と困惑」についてもヴィノックは触れることを忘れない。70年代後半,「右翼のグラムシ主義」を提唱するアラン・ド・ブノワ,「大時計クラブ」などの「新右翼」(極右)の動きにも目を向けているのである。
 最終章(エピローグ)では,知識人の位置づけをめぐる懐疑の例としてブルデューの仕事(『社会科学研究論集』)に触れ,「大作家や群小知識人の行動を解読しなおして(中略)彼らの権威をくつがえす動きが生まれた」と述べている。ヴィノックは「知識人のパラドクス」とは「彼が行使し得る権力がほかならぬ彼の名声によってもたらされるという事実から生じる」と述べ,「知識人はこの矛盾から逃れられないだろう。せめて,この矛盾が当事者にじゅうぶん自覚されることを願うばかりだ。」とブルデュー的懐疑に答える。そして無名の知識人の日々の仕事こそが,民主主義社会の中心部において,批判的かつ組織的な対抗権力として認められるべきであると結んでいる。感動的な一文である。
 本書が優れた文学作品に与えられるメディシス賞(1997年度評論部門)を受賞したのも,その資料の豊富さと一方に偏らない目配せのよさにもよるが,それ以上にその文体によると思われる。知識人論に興味のある研究者に限らず,20世紀のフランス思想史,ヨーロッパ現代史に興味を持つ研究者に必読の文献といえるだろう。

野崎次郎(関西大学)


(初出、RJDF, vol. 4, n. 2, pp. 180-182, 2009年10月17日、日本フランス語教育学会)

書評『21世紀の知識人:フランス、東アジア、そして世界』 論文連載2010a

石崎晴己・立花英裕編 (2009), 『21世紀の知識人:フランス,東アジア,
そして世界』東京:藤原書店, 388p.

 本書は,2007年3月21日から23日の3日間にわたり,東京日仏会館ホールにおいて開催された国際シンポジウム『21世紀の知識人:フランス,東アジア,そして世界』の報告集を基本としながらも,発言を国・地域別に整理した上に,さらに編集委員(石崎晴己,立花英裕,星埜守之,澤田直の4名)による座談会などを追加して,シンポジウムから3年近く経った後に一巻の単行本の体裁で刊行されたものである.
 シンポジウムの来歴については「あとがき」を参照されたいが,ただこのシンポジウムが1996年8月25日から31日まで慶應義塾大学三田キャンパスで開催された国際フランス語教授連盟 (FIPF) 第9回世界大会以後の流れの中で開催されるにいたったものであるという点だけを指摘するにとどめて,本稿では単行本として刊行された本書のみを対象として論評したい.
 本書の構成を見ると,I フランス:知識人の形成と展開 II 東アジアの知識人:近代化と伝統の狭間で III 日本の知識人:個と社会の狭間で IV フランコフォニーの知識人:言語と国境の狭間で V 知識人とは何か という5章立てである.執筆陣は,Iが8名,IIが7名,IIIが8名,IVが4名,Vが4名,合計31名で,1名あたり10ページ前後,最も少ないもので5ページの長さとなっている.これ以上すっきりできまいと思われるほどきれいに整理されたものとなっている.
 形式は「すっきり」しているが,内容面での「すっきりさ」はまったくない.むしろ「ばらばら」である.このことを長所とすべきか短所とすべきかは評価の分かれるところであろう.しかし,「知識人論」の今日的問題を意識化しているとはいわないまでも,期せずして,あるいは事実として示しているとはいえるだろう.
 「知識人不要論」がささやかれてから久しいが,その論点のいくつかをここで挙げてもあまり意味がない.1つだけ絞ってみれば,「知名度」(有名性)をめぐる論点がある.ピエール・ブルデューらによる知識人の名声に対する懐疑的な研究がすでになされてきた.知識人の「権力」と「ネットワーク」との関連,テレビに積極的に出ようとする「メディア知識人」が輩出する「メディア化現象」などの問題である.それをミシェル・ヴィノックは「知識人のパラドックス」(彼の行使し得る権力がほかならぬ彼の名声によってもたらされるという事実から生じるということ)と名づけて,問題を整理し直した(『知識人の時代』,藤原書店).
 そのことを考慮に入れれば,「知識人」というタームに1つの定義を与えることの困難さが,とりわけ21世紀に入ってから強まったといわざるをえないだろう.そうした状況を本書は見事に描き出している.さらにいえば,それにもかかわらず,20世紀に「知識人」が(一部の人々に)圧倒的な影響力を持ちえたのはその所説の内容ではなく,その「知名度」(有名性)であったということが理解される.そうであるならば,今日,「芸能人」「タレント」「元スポーツ選手」などがテレビの発達とともに,その「知識人」の地位を奪っている現状をどのように理解すべきかがはっきりしてくる.「有名であること」が(多くの人に対する)影響力の大小を決定する.そのことの問題性をはっきりさせること,そのことの方が問題の本質に切迫することになる.そのことは本書でも何人かの論者によってそれとなく,あるいははっきりと述べられている.
 「知識人」というタームに1つの定義を与えることの困難さは,各人が各人の理解したがままに(「自分勝手に」)使うことが許容されているという現代における用語法の乱れにあるといえるだろう.それは本書における「知識人」という用語の使用法に典型的に見られる.それは「知識人」という用語を執筆者が使っていようと使っていまいと関係ない.「知識人」というテーマで執筆依頼を受けて執筆者が書いたという事実は否定できないのだから,「知識人」という用語を各人が理解した上で書いていると見なすことができる.それを「勝手に」と私は呼んだ.それがもう一つの問題である.
 その「勝手に」がなぜ可能になったのか.それは思うに「インターネットの普及」(あるいは、それを可能とした「民主主義的な」風土)にあるだろう.そこでは先の論点と逆向きになるが,「有名であるか無名であるか」が重要視されずに発言が飛び交う.発言の敷居が下がることで,「共通の用語法」を練り上げる手続きを取らないままに「有名無名を問わず」誰でもが発言できるようになった.発言の影響力は「名声」(あるいは「権威」)にではなく,その発言の内容だけに依存するように見える.写本から活字本への転換にも似た,活字本から電子テクストへの転換は,「知識人」の有り様,「知識人」をめぐる言説(言説というタームとは無縁な人たちの発言を当然ながら含む)を根底から変えざるをえない.
 したがって本書が「ばらばら」であることはむしろ長所であると私は考える.一冊の書物という形式で刊行されたものでありながら,本書を最初からざっと通読したときのそのような「ばらばら」な感じ,いいかえれば,統一性のなさ,よく言えば「ゆるさ」には,いま流行始めているインターネット上のTwitterのTL(タイムライン)を眺めているときにも似た眩暈を感じる.「知識人」というテーマを与えられて,「え? なにをいまさら」とか「なに,このとんでもなさは?」といった感想を持たざるをえない発言が次から次へと出てくる.このような状況を肯定すべきか否定すべきか現在の私にははっきりとは分からないが,そのような状況にこそ,さらにいえば,そのような状況を見据えるところにこそ今後の「知識人論」の可能性があるとだけはいえるだろう.
 4名の編集委員による〈総括座談会〉から読み始め,最後にもう一度〈総括座談会〉を読むと,「ばらばら」の中にも一筋の光が見えてくる.「古典的知識人」を好まれる向きには,そのような読まれ方をお勧めしたい.
野崎次郎(関西大学)


(初出、RJDF, vol. 5, n. 2, pp. 91-92, 2010年12月5日、日本フランス語教育学会)
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