期末試験の採点の時期である。関大の4クラス(初級フランス語)の採点が終わり(一クラスの人数が少ないから割とすぐに終わった)、残るは神戸女学院の「比較文化」の講義科目の採点だけである。
フランスの郷土料理のレシピを学期中に、二、三回まじえることに加えて、毎週フレンチポップスを聴かせるというプログラム(しかも動画を交えて)がうけたのか、「移民」という硬いテーマにもかかわらず、40名近い登録者で安定している。
まあ、実際に授業に出てくるのは25名前後で10名ほどは登録だけの幽霊登録者である。試験になると、試験だけには出てくるという猛者が5名ほどは必ず出てくる。答案のできがよければ通さざるをえないが、授業に出てなかったためにかえってオリジナリティーのある答案にお目にかかれるというようなことは最近は少なくなった。残念なことである(笑)。
授業では「おフランスなイメージ」を壊すことを目標にしているのだが、それはある程度達成できたようだ。授業の感想を書いてもらっているが(配点60分の10)、その中で「フランスへのあこがれが消えるような話をするということだったが、学期を通していままでのフランスへのイメージが一面的だったということに気がついた」というのが、多かったからだ。
もっとも、点数のつく感想には、最近の学生さんも点数が採れるようにうまくヨイショ的な文を書くという技量に長けているので、そこら辺はいろいろ割り引いて読まなければならないので、こちらも疲れるが、それなりにこの迂回は楽しいものがある。
「フランス人」=「フランス語」=「白人」というは間違いで、「フランス人」という国民としての考え方が180度変わったというようなのは、まあいいとして(いいというのは、このような感想が大学生の感想だということでであるが)、フランスには肌の白い人だけが住んでいると思っていて、移民という存在がいるとは想像もしなかったという感想を読むにつけ、これは私に対するヨイショ的な感想なのか、それともほんとにそう思っていてマジに書き付けた感想なのかわからなくなり、なんだか暗澹たる気分に陥った。大学に入るまで何の勉強していたの?とマジに突っ込みたくなる(突っ込まないけれど)。
これほどの情報社会といわれる割には、「身の丈」以上のことは一切知り得ない環境にあるということではないのか。高校までの学校教育は何をしているのか、受験勉強しかしていないのか。その分を大学で行っていかなければならないのか…。
それだに気が重いのに、いまや大学は「就職予備校」と化しつつあり、「受験予備校」と化した高校のあとは、「就職予備校」と化した大学で名ばかりの「教育」を受けて卒業していく。学生たちはいつ勉強できるのだろう、いつ教育を受けることができるのか、暗澹たる気分になる。
授業で「黒人やアラブ人がフランス人としてフランスに住んでいる」ということをどう考えればいいのか、といってもなかなか理解してもらえず、映画『パリ20区、僕たちのクラス』を二回にわたって見せて、レポートを書かせて、それに対するコメントもして何とかやっと理解してもらえた。ふう。
言葉による理解の前提となる動画による理解を中学、高校でやってこなかったからなのか? これは高校とかでやっててもいいことなのではないか? 基本的な日本語の語彙力は高校で身につけいてるはずではないのかとか、現状で大学の教師が文句を言ってみても単なる愚痴にしかならないところが辛いとこですね。今日は終わり(^_^)。
フランスの郷土料理のレシピを学期中に、二、三回まじえることに加えて、毎週フレンチポップスを聴かせるというプログラム(しかも動画を交えて)がうけたのか、「移民」という硬いテーマにもかかわらず、40名近い登録者で安定している。
まあ、実際に授業に出てくるのは25名前後で10名ほどは登録だけの幽霊登録者である。試験になると、試験だけには出てくるという猛者が5名ほどは必ず出てくる。答案のできがよければ通さざるをえないが、授業に出てなかったためにかえってオリジナリティーのある答案にお目にかかれるというようなことは最近は少なくなった。残念なことである(笑)。
授業では「おフランスなイメージ」を壊すことを目標にしているのだが、それはある程度達成できたようだ。授業の感想を書いてもらっているが(配点60分の10)、その中で「フランスへのあこがれが消えるような話をするということだったが、学期を通していままでのフランスへのイメージが一面的だったということに気がついた」というのが、多かったからだ。
もっとも、点数のつく感想には、最近の学生さんも点数が採れるようにうまくヨイショ的な文を書くという技量に長けているので、そこら辺はいろいろ割り引いて読まなければならないので、こちらも疲れるが、それなりにこの迂回は楽しいものがある。
「フランス人」=「フランス語」=「白人」というは間違いで、「フランス人」という国民としての考え方が180度変わったというようなのは、まあいいとして(いいというのは、このような感想が大学生の感想だということでであるが)、フランスには肌の白い人だけが住んでいると思っていて、移民という存在がいるとは想像もしなかったという感想を読むにつけ、これは私に対するヨイショ的な感想なのか、それともほんとにそう思っていてマジに書き付けた感想なのかわからなくなり、なんだか暗澹たる気分に陥った。大学に入るまで何の勉強していたの?とマジに突っ込みたくなる(突っ込まないけれど)。
これほどの情報社会といわれる割には、「身の丈」以上のことは一切知り得ない環境にあるということではないのか。高校までの学校教育は何をしているのか、受験勉強しかしていないのか。その分を大学で行っていかなければならないのか…。
それだに気が重いのに、いまや大学は「就職予備校」と化しつつあり、「受験予備校」と化した高校のあとは、「就職予備校」と化した大学で名ばかりの「教育」を受けて卒業していく。学生たちはいつ勉強できるのだろう、いつ教育を受けることができるのか、暗澹たる気分になる。
授業で「黒人やアラブ人がフランス人としてフランスに住んでいる」ということをどう考えればいいのか、といってもなかなか理解してもらえず、映画『パリ20区、僕たちのクラス』を二回にわたって見せて、レポートを書かせて、それに対するコメントもして何とかやっと理解してもらえた。ふう。
言葉による理解の前提となる動画による理解を中学、高校でやってこなかったからなのか? これは高校とかでやっててもいいことなのではないか? 基本的な日本語の語彙力は高校で身につけいてるはずではないのかとか、現状で大学の教師が文句を言ってみても単なる愚痴にしかならないところが辛いとこですね。今日は終わり(^_^)。