2011年03月20日
2010年10月10日
【ラクチン】薩摩ISHIN祭 ウォークラリー申し込み

薩摩ISHIN祭まで2週間を切りました。
ウォークラリー申し込みの際に、これまではパソコンからPDFファイルをダウンロードしてFAXでしていただいてましたが、このたびE-MAILでも申し込みが可能になりました。
E-MAILで今すぐ申し込む
→ケータイからでも申し込むことができると思います。
まだまだウォークラリーの参加募集に空きがあります ので、ご参加ください。ウォークラリー概要
なお、本日 10/10は山神の響炎で、薩摩ISHIN祭スタッフも応援に行ってます♪松明の点火とショップの販売手伝いと聞いてます♪薩摩ISHIN祭のオリジナルグッズも購入可能ですので、ぜひお越しください!
2010年09月22日
【西南戦争】西郷野屋敷跡
鹿児島市内に西郷団地がありますが、なぜ西郷団地と名がつくのか知りませんでした。たまたま看板を見たので、上がって見たらありました。鹿児島実業高校の目の前です。征韓論で敗れたあと、住んでいた場所で、妻のいとさんが西郷隆盛の死を聞いた場所でもあるそうです.


意外に狭い印象でした。黒アゲハが羽を休めてました。
ドロップされたピン
2010年05月10日
旧薩摩藩の教え
2010年05月09日
源頼朝公墓所再興報恩塔
2009年08月07日
2009年07月02日
【戦国島津】新納忠元没後400年
2009年06月27日
【戦国島津】建昌城跡


姶良方面を走っていて、迷い込んだのは建昌城跡。PDFファイル(姶良町教育委員会)に詳しい説明があります。
島津家久(忠恒)公が鶴丸城を普請しましたが、ここ建昌城普請にやたらとこだわっていたようです。しかし、父 義弘公に反対され、実現しなかった模様。そのあたりは、桐野作人さんのさつま人国誌 第77回 鶴丸城物語(上)をご参照ください。
場所は桜島SAの裏山にあたります。
【戦国島津】後藤塚


後藤塚についてはコチラが分かりやすいと思います。義弘公薨去の後、仲間と殉死する約束をしていましたが遅れてしまい、ここで自決したといいます。



墓石が三つに割れています。
死んだ後、主君と仲間たちに追いつくことができれば、三つに割れるだろうといい残して切腹したと伝わります。
地図はココ↓
駐車場はありませんので、ブックオフで買い物ついでにお立ち寄りください♪
2009年06月04日
ザビエル
銅像大好き!より転載。
フランシスコ・ザビエルです。大分市内の府内城跡に近い交差点で発見。遊歩公園の入り口です。
この遊歩公園は銅像の宝庫となっています。純日本人の銅像は滝廉太郎だけですが、大分発祥シリーズはボリューム満点です。 (*天草四郎もいました!)
この銅像と背景の世界地図の航路がセットになっています。ザビエルがキリスト教を伝えるために、400年以上も昔に航海してきたというのが凄い信念だったと思います。死ぬかもしれない危険な旅路だったはずですから。
フランシスコ・ザビエルです。大分市内の府内城跡に近い交差点で発見。遊歩公園の入り口です。
この遊歩公園は銅像の宝庫となっています。純日本人の銅像は滝廉太郎だけですが、大分発祥シリーズはボリューム満点です。 (*天草四郎もいました!)
この銅像と背景の世界地図の航路がセットになっています。ザビエルがキリスト教を伝えるために、400年以上も昔に航海してきたというのが凄い信念だったと思います。死ぬかもしれない危険な旅路だったはずですから。
【戦国】府内城跡
以下、銅像大好き!より引用。
写真は「大友宗麟です。ここのそばに、大友氏館跡という場所がありましたが、小高い場所で現在は住宅地が密集している場所です。 大友宗麟が府内城を築城したわけではないようです。
居城にはしていたようです。
府内城についてはコチラがわかりやすいです。 戸次川合戦で島津軍が大友勢を破ったあと、島津家久はこの府内城で数ヶ月滞在しているようです。
そのときは、島津軍の乱暴狼藉がひどかったとか。耳が痛いですが、島津軍が強大になっていて、いろんな国が軍門に下ってましたから。。。 統率がとれなかったようです。その後、豊臣軍の物量に勝る強大な軍に押され、ここを後にしたようです。
府内城を3Dで再現しているサイトを発見
府内城 - Wikipedia」
場所はコチラ↓















